漫望のなんでもかんでも

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まろ0301

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2005.11.13
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 ある朝、起きたら、玄関がいやに寒い。母が玄関のガラス戸を開け放して、敷居に湯をかけている。見ると、酔いつぶれてあけ方帰っていった客が粗相した吐瀉物が敷居のところいっぱいに凍りついている。
 玄関から吹きこむ風は、固く凍てついたおもての雪のせいか、こめかみが痛くなるほど冷たい。赤くふくれて、ひび割れた母の手を見ていたら、急に腹が立ってきた。
「あたしがするから」
 汚い仕事だからお母さんがする、というのを突きとばすように押しのけ、敷居の細かいところにいっぱいにつまったものを爪楊枝で掘り出し始めた。
 保険会社の支店長というのは、その家族というのは、こんなことまでしなくては暮らしてゆけないのか。黙って耐えている母にも、させている父にも腹が立った。
 気がついたら、すぐうしろの上がりかまちのところに父が立っていた。
 手洗いに起きたのだろう、寝巻きに新聞を持ち、素足で立って私が手を動かすのを見ている。「悪いな」とか「すまないね」とか、今度こそねぎらいの言葉があるだろう。私は期待したが、父は無言であった。黙って、素足のまま、私が終わるまで吹きさらしの玄関に立っていた。
 三、四日して、東京へ帰る日が来た。
 帰る前の晩、一学期分の小遣いを母から貰う。

 いつも通り父は仙台駅まで私と弟を送ってきたが、汽車が出る時、ブスッとした顔で、
「じゃあ」
 と言っただけで、格別の言葉はなかった。
 ところが、東京へ帰ったら、祖母が「お父さんから手紙が来てるよ」というのである。巻紙に筆で、いつもより改まった文面で、しっかり勉強するようにと書いてあった。終わりのほうにこれだけは今でも覚えているのだが、「此の度は格別の御働き」という一行があり、そこだけ朱筆で傍線が引かれてあった。
 それが父の詫び状であった。


 向田邦子さんの文章に惹かれて、エッセイなどはほとんど買って読んだ。いまこうやって書き写していても、最初の感動が甦ってくる。
 言葉の使い方が適切至極で、無駄がない。細部がピタッと描かれている。「爪楊枝で掘り出す」という言葉が生きている。すべてを語っている。
 昔の男の、特に父親の娘に対する含羞がどのようなものであったのかが、この一文でよく分かる。今はこんなことはないだろう。
 「汚い仕事だからお母さんがする」という部分が、一家の中での「母」を浮かび上がらせてくれるし、自分の母と重なってくる。「ひび割れた手」からも。
 父は、母が体調を崩して一時入院するまで、飯を炊いたことがなかった、という一事を思い出した。70過ぎてのことだ。





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Last updated  2005.11.13 20:26:22
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日本人の起承転結  
ゆうこ さん
 こうやって向田邦子の全文を読ませていただくと、いかに名文かが、よくわかります。
 起承転結がしっかりしている。話の展開と場面と人物がブレないですよね。シナリオライターとしての天性の才能はもちろん、幼い頃から、はっきりした物言いを教育されたこと、落語など伝統の話芸が身についていることが、背景にあると思います。日本人は、立ち居振舞いや思考に、こうした起承転結が身についていたのではないてじょうか。
 一筆であらゆることがわかる。たった一筆で、人物の性格、家族構成が手にとれる。さらに父親は東京の人で、おばあさんが東京にいる。くだくだ説明しなくても簡潔にして要を得ている。
 もう、こんな名人芸の人、いないでしょうね。
 私は、この母親が父の臨終のとき、顔に豆絞りの手ぬぐいをかけた、という話が好きです。「母のこんなところを、父は愛していたのかもしれない」と結ばれていますよね。古き良き日本の書き手でした。プロの手業ですね。 (2005.11.13 21:39:47)

Re:日本人の起承転結(11/13)  
まろ0301  さん
ゆうこさん

> 一筆であらゆることがわかる。たった一筆で、人物の性格、家族構成が手にとれる。さらに父親は東京の人で、おばあさんが東京にいる。くだくだ説明しなくても簡潔にして要を得ている。
> もう、こんな名人芸の人、いないでしょうね。
> 私は、この母親が父の臨終のとき、顔に豆絞りの手ぬぐいをかけた、という話が好きです。「母のこんなところを、父は愛していたのかもしれない」と結ばれていますよね。古き良き日本の書き手でした。プロの手業ですね。

☆テレビドラマで、加藤治子さんが演じたお母さん。得体の知れない部分を隠し持った人として描かれていましたね。
 あのような人間観察は一朝一夕に出来るものではありません。
 無駄なものをそぎ落とした文は、磨き上げた白木のような趣がありました。写していて心地よくなる名文ですね。

 私は最近の文章をだんだんと読まなくなっていますが、心地よい文章が減ったなという気になっています。
(2005.11.13 21:51:06)

Re[1]:日本人の起承転結(11/13)  
ゆうこ さん
>☆テレビドラマで、加藤治子さんが演じたお母さん。得体の知れない部分を隠し持った人として描かれていましたね。
> あのような人間観察は一朝一夕に出来るものではありません。
> 無駄なものをそぎ落とした文は、磨き上げた白木のような趣がありました。写していて心地よくなる名文ですね。

> 私は最近の文章をだんだんと読まなくなっていますが、心地よい文章が減ったなという気になっています。
-----たしかに、心地よい日本語を意識して書いていませんね。はたして心地よい日本語とは、なんなのか、もう一度自分なりに考えてみたいと思いました。先般、斎藤美奈子さんの「物の言い方」が女にしとくにもったいない、と述べていらっしゃいましたが、向田邦子にも、「渋皮がむけた感じ」がありますよね。文章自体が大人です。
 さらにいま、人間観察をしてませんよね。みんな自分のことを主張するのに精一杯で。人間観察、が、人間修業につながるのでしょうね。
 お母さん役は、私は吉村実子さんが好きでした。向田さんのお母さんも、いろんな女優さんに自分を演じてもらって、これも親孝行のひとつですね。

(2005.11.13 22:01:43)

おとなの文章  
まろ0301  さん
ゆうこさん

 向田邦子にも、「渋皮がむけた感じ」がありますよね。文章自体が大人です。

☆一つ一つの経験をしっかりと咀嚼して自分のものにしている人が書いた文章、含蓄がある文章、もちろん、書き写しても、声に出して読んでも心地よい、そんな文章が私にとっての「おとなの文章」です。

>人間観察、が、人間修業につながるのでしょうね。

☆イッセー尾形さんの、「人間カタログ・シリーズ」なんか、まさに<人間観察>の一つの頂点だなと思います。
 喫茶店に入っても、じっと人を見ていて、チョコチョコっと鉛筆でスケッチしてしまう・・そんなイッセーさんの姿をカメラが追っかけている・・という番組を見たことがあります。

> お母さん役は、私は吉村実子さんが好きでした。向田さんのお母さんも、いろんな女優さんに自分を演じてもらって、これも親孝行のひとつですね。

☆向田ドラマに出演した人たちはみんな良いなと思います。杉浦直樹、フランキー堺は言うに及ばず。
 でも、加藤さんは強烈に印象に残りました。 (2005.11.13 22:24:20)

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まろ0301@ Re[1]:ファクトチェックはやめます(01/11) maki5417さんへ  ただ、不法移民が居な…
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