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「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。
<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/29c05c8423994732723758730e829579c1779831.26.2.9.2.jpeg" alt=" 内田 " border="0">
最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。
(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、西加奈子さんは♪で区別します。今回表示分は*)
* 「環球時報」からの質問への答え
*橋本治『「わからない」という方法』の韓国語版解説
・移民問題の本質
・遠ざかる戦争の記憶
・「内田樹論第三部」 のためのまえがき
・ 勝ちに居着く
・ 敗戦から 80 年
・ 日本の現状と危機について
・沈む祖国を救うには
・『知性について(仮題)』まえがき
・これだけは確かなもの
・兵庫県知事選とメディアの役割
・自由の森学園創立 40 周年記念講演「教育と自由」
・「パンとサーカス」解説
・共感ベース社会の陥穽
・死ぬってどういうことですか?
・ 2024 年度寺子屋ゼミのテーマは
・箱根の温泉で感じた中国のリアル
・『本の本』あとがき
・「宗教の本領」とは何か?
・『街場の米中論』を読んで
・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」
・高校生に言いたかったこと
・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て
・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評
・「怪物」公式パンフレット解説
・白井さんと話したこと
・ 3.11 から学ぶこと
・韓国の地方移住者たちに話したこと
・生産性の高い社会のゆくすえ
・ウクライナ危機と反抗
・「生きづらさについて考える」単行本あとがき
・「街場の米中論」まえがき
・図書館の戦い
・村上文学の意義について
・統一教会、安倍国葬について他
・安倍政治を総括する
(目次全文は <a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/6056/"> ここ </a>)
( その 81) :『「環球時報」からの質問への答え 』を追記
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内田先生が、勇ましい (?) 高市首相の危うさを説いております。
</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">
2025-11-23 <a href="http://blog.tatsuru.com/2025/11/23_0832.html"> 『「環球時報」からの質問への答え』 </a> より
「歴史的教訓に対する集団的忘却」が症状として現れたのは、 1990 年代以降、戦中派の人たちが社会の第一線から引き、鬼籍に入るようになってから後の話です。「南京大虐殺はなかった」「日本が植民地を解放したことにアジアの人々は感謝している」というようなことを戦争経験のない世代の人たちが言い出した。
少し前ならこんな発言は戦中派に「何も知らんくせに、わかったようなことを言うな」と一喝されたでしょうけれども、「一喝する人」がいなくなった。すると、その記憶の間隙をつくように歴史修正主義者が湧いて出てきた。その「社会心理」的な条件はヨーロッパにおける歴史修正主義の場合とそれほど変わらないと思います。
日本の戦中派の人たちが、自分たちが朝鮮半島や中国大陸やインドシナ半島や南方で何をしてきたのか、その加害事実について正確な証言を残しておいてくれたら、その後の歴史修正主義の猖獗をいくぶんかは抑制できたのではないかと悔やまれます。
いま好戦的な言動をする政治家たちやイデオローグたちを駆り立てているのは「屈辱感」と「嫉妬」だと思います。かつて植民地として支配した国、軍事的に蹂躙した国が、今は国力において日本を凌駕しようとしている。その事実を彼らは直視することができない。その屈辱感と嫉妬が抑圧されて、アジアの隣国に対する無根拠な優越感と攻撃性として症状化している。私はそう診立てています。
「失われた三十年」と呼ばれる日本の衰退の理由は、突き詰めて言えば、
1945
年の敗戦をもたらした理由を本格的に検証しなかったことにあると思います。国家の制度設計のどこに問題があったのか、どのような政策判断の誤りがあったのか、それをていねいに自己点検して、制度を補正し、政策の適否で吟味する知的習慣がなかった。
日本人がいまから敗戦の原点まで立ち還って、隣国と友好的に共生し、国際社会で名誉ある地位を占める「道義的な国家」になることができるかどうか、日本の未来はそこにかかっていると私は思っています。果たして、そのような国をかたちづくることができるかどうか、決して楽観はできません。しかし、それ以外に日本が目指す未来はないと思います。
最後に一つだけ補足的な情報を付け加えておきます。
Foreign Affair Report
の最新号でブレジンスキー(
CSIS
顧問)は日本のアジアにおける地位について、次のような分析を下しています。
「日本はアメリカのグローバル・パートナーであっても、アジア大陸の外縁に位置する中国に対抗する同盟国ではない。こうした基本を押さえてこそ、アメリカのグローバル・パワー、中国の地域的優位、日本の国際的リーダーシップという三つのパワーが、ともに共存する環境を模索できるだろう 。日本が軍事的な対米協調姿勢をあからさまに強化すれば、そうした共存路線が脅かされる。日本は極東におけるアメリカの浮沈空母であってはならないし、アジアでのアメリカの主要な軍事パートナーであってもならない。 そうした日本の役割をアメリカが後押しすれば、アメリカをアジア大陸から切り離し、中国と戦略的合意に達する見込みを低下させ、ユーラシアの安定を強化するアメリカの能力を損なうことになる。」
「戦争情緒」に煽られている日本人にこのアメリカのリアルで怜悧なアジア戦略を理解できる程度の読解力があるといいのですが。 </TD></TR></TABLE>
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</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">
2025-10-27 <a href="http://blog.tatsuru.com/2025/10/27_0947.html"> 橋本治『「わからない」という方法』の韓国語版解説 </a> より
みなさん、こんにちは。内田樹です。
橋本治さんの『「わからない」という方法』の韓国語訳が出ることになりました。その解説という重要な仕事を仰せつかったことを、たいへん光栄に思います。
橋本さんの本は韓国語訳がまだほとんど存在しません。ですから、多くの韓国人読者は「橋本治って、誰?」という感じだと思います。でも橋本さんは日本の文学と思想の領域で、たいへん重要な仕事をされた方です。僕自身も橋本さんのデビュー作『桃尻娘』からの熱烈なファンです。
僕が小林秀雄賞という賞を『私家版・ユダヤ文化論』で受賞した時に、選考委員を代表して選考理由を語ってくれたのが橋本さんでした。 30 年来の「アイドル」であった橋本さんが僕の書き物について「ここがよかった」と論評してくれたんです。感動しました。橋本さんの挨拶が終わって、笑顔の橋本さんと握手してから、短いお礼のスピーチをしました。
その時にこんなことを言ったのを覚えています。「橋本さんは久しく僕のアイドルであり、僕のヒーローでした。ですから、今、自分が書いてものについてのコメントを橋本さんがしてくださっているのを聴いて、アマチュアのロックバンドの子が送ったデモテープの曲について、ジョン・レノンがコード進行について『ここ、いいよ』と解説してくれるのを聴いているような気分でした。」
橋本さんが亡くなった後に、うちの書棚に橋本さんの本が何冊あるのか数えてみました。 125 冊ありました。それでも橋本さんの全著作の半分にも遠く及びません。それくらいに多作の作家でした。そして、ほんとうに悲しいのですけれども、そのうち半分以上がもう絶版です。
もちろん、「昭和三部作」とのちに呼ばれることになった小説群や、『窯変源氏物語』や『双調平家物語』のような古典現代語訳や、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』のようなすぐれた評論はまだ読めますし、本書『「わからない」という方法』のような新書で出版されたものはだいたいまだ入手可能です。でも、橋本さんが「本領を発揮」した、分類不能の書物たち(『アストロモモンガ』、『シネマほらセット』、『 98 歳になった私』、『蓮と刀』、『親子の世紀末人生相談』などなど)は少数の読者から熱狂的な支持を得ながら、もう手に入れることが難しくなっています。
橋本さんの本を初めて手に取る韓国の読者に橋本さんをどう紹介したらいいのか、 Wikipedia に書いてあるようなことなら、ここで僕が繰り返す必要はありません。ですから、ごく個人的なことを書いて、そこから橋本治という人のリアルな相貌を想像して頂ければと思います。
橋本さんを一言で言うと、「親切な人」そして、「正直な人」でした。この二つが揃っている物書きというのはあまりいません。「正直な人」だということは、この本を読み始めたら、数頁読んだところでわかると思います。橋本さんは「ごまかす」ということを決してしない人でした。橋本さんは「知らないこと」は知らないとはっきり言います。
でも、そこから出発して、「知らないことだから触れない(自分の無知がばれるから)」ではなく、「知らないことなので知りたい(自分を少しでも賢くしたいから)」という建設的な方向に向かう人でした。
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以降の全文は <a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202401020001/"> 内田先生かく語りき 62</a> による。
<a href="
https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202511010002/
">
内田先生かく語りき
80</a>
<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202509270000/"> 内田先生かく語りき 79</a>