2020末法元年                   ボンゾー(竺河原凡三)の般若月法

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2006年10月01日
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カテゴリ: 音楽・芸術
先月25日で生誕100年を迎えたドミートリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ(1906・9・25サンクトペテルブルク-75・8・9モスクワ)は、コンプレックスの作曲家である。コンプレックスとは、複雑な、入り組んだというほどの意味である。もっと分かりやすく言えば、本人の顔がよく見えて来ない作曲家である。

彼は、ソ連共産党の権力者たちに対し、戦いを挑むとともに、自己を韜晦した。そして、一応の天寿を全うした。

彼のオペラの最高傑作『ムツェンスク郡のマクベス夫人』に対し、1936年の共産党機関紙・プラウダに「音楽の代わりの荒唐無稽」と評論が出て、作品は上演禁止になった。国家から不適格という判定をされたということは、社会主義国家であるから、権力者から何か因縁を付けられ、事情がこじれると、連行、監獄行き、そして最悪の事態も考えられなくもない。しかし、賢い彼は、同年に書き上げていた傑作『交響曲第4番・ハ短調』を撤回し、翌年、俗に「革命」という名で有名な『交響曲第5番・ニ短調』を書き上げ、名誉を回復したのだった。

1945年という記念すべき年に、『交響曲第9番・変ホ長調』が初演された。ソ連政府は、「凱旋の勝利」を祝う革命的かつ民族的で大規模な音絵巻を求めていた。古典音楽において、『第9』という言葉の意味するところは大きい。過去の大作曲家の最後の交響曲が『第9』であり、どれも決定的な名作と来ている。しかも、ロシアの交響曲作家の代表格チャイコフスキーが、6番までしか書いていないのだから、いやがうえにも期待は高まった。

しかし、発表された曲が30分足らずの簡潔な書法で書かれたものだったため、決定的な『第9』を期待していた政府側から公的な批判がまた始まった。48年には戦後のイデオロギー的締め付けがショスタコーヴィッチにも及んだ。人民の意思に反する形式的音楽、すなわち西欧的デカダン音楽を作っていると断定され、苦しい立場に追い込まれた。いわゆるジダーノフ批判である。以前、『マクベス夫人』が、社会主義リアリズムに合致しないというお叱りの理由は、簡潔かつ明解で真実であることに反しているというものであったから、実におかしな話である。しかしショスタコーヴィッチは、批判の翌年の49年、スターリンの森林計画を称えたオラトリオ『森の歌』を作曲し、共産党幹部を納得させた。

バッハの『平均律クラヴィーア曲集』の枠構造を借りて、51年に書き上げたピアノ作品の最高傑作『24の前奏曲とフーガ』も、英雄的なソ連人民の偉大な事業にふさわしい音楽ではないとけちを付けられると、翌年、共産党大会に寄せてカンタータ『我らの祖国に太陽は輝く』を作曲し、“反射神経”のいいところ見せている。蛇足になるが、50年にソ連では、政治犯の死刑が復活している。

79年にニューヨークで刊行された『ショスタコーヴィチの証言』(ソロモン・ヴォルコフ編)という本があり、当時は大変な評判だったものだが、誇大妄想的な事実認識を、私は、あまり信用しない。彼の芸術的信念の告白ですら、本当の自分、すなわち作曲家としての真の実存を我々には語ってくれない。“証言”の言葉の数々には、度々仮面を被らずにはいられなかったショスタコーヴィッチが、自分の本当の素顔を忘れてしまった観がある。だが、彼の本当の仕事が、文筆ではなく音楽であることが幸いして、我々は、彼の音符を全身全霊で聴き取ることが出来る。ゆえに、ここに、私がショスタコーヴィッチという現象を鑑賞したその歴史を証言したいと思うのである。



ショスタコーヴィッチは、ソ連共産党という20世紀の最も先鋭的な政治思想の環境のなかで生き抜いた作曲家だが、作曲家として見る場合、既製の技法と作品形式にこだわった人で、本質的には反時代的とも言えるほどに保守的な人ある。表面的にはアバンギャルドを装っていても、作品の骨格は古典的そのもので、その意味で字義どおりのクラシック音楽家なのであった。

ショスタコーヴィッチは、20世紀の最新技法、ジャズのイディオム、無調や12音技法などをも使い古して行った勤勉な作曲家であった。技法を一つ一つをマスターし自家薬籠中のものにすると、発明者も出来ないような、創造的な適用進化を示した。それは、ウィリアム・フォークナーが大長編小説「ヨクナパトーファ・サーガ」で示した実験にも似ている。20世紀以降において、芸術的な創造的進化は可能であるかという命題を担った芸術家でもあった。1975年に至るまで、クラシック音楽の全集を書いていた奇特な作曲家は、彼の他にいない。かの“交響曲の父”ヨーゼフ・ハイドンからめんめんと続いた西洋音楽の「全集書き」の伝統は、実にショスタコーヴィッチで終止符を打ったのである。21世紀現代に演奏される曲目として、交響曲と弦楽四重奏曲を30曲も20世紀に書き残したことは、これだけでも特筆されるべきことである。



成長するロックの世界では、70年代は、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなど大音響のイギリスのロック・バンドが台頭し、ビートルズ・メンバーの個人的活動とローリング・ストーンズ、そして、アメリカのボブ・ディラン等が先導役となり、ロックを先進的な同時代音楽として宣揚し、世界の音楽マーケットを独占しようとしていた時代だった。英米のメジャーのロック・バンドは、成長する企業体であり、音楽業界の中で恐ろしいほどのレコード・セールス、興行成績を記録した。

クラシック音楽の同時代性は、20世紀において、フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、ホロヴィッツ、クライスラー、ハイフェッツ、カザルス、エリザベート・シューマン、マリア・カラス等といった名人の演奏がビジネスとして確立され、録音技術の向上とともに、それをカラヤンやバーンスタインやショルティ、グールドやアシュケナージ、シュヴァルツコップやフィッシャー=ディースカウ、ドミンゴ等が決定的に受け継ぎ、演奏家百花繚乱といった時代である。クラシック音楽は、すでに作曲されるものではなく、いかに演奏するか、すなわち再現芸術として同時代性を有するのであって、そんな時代に、オペラ、交響曲、協奏曲、管弦楽曲、室内楽、ピアノ曲、合唱曲、オラトリオ、カンタータ、歌曲等の既製の型枠に、律義にせっせと曲を書き入れてゆくなど時代遅れも甚だしいと言わざるを得ない。ただし、飯のたねに映画音楽など劇場付随音楽をたくさん書いたという点では現代的であるが――。蛇足になるが、33年に書いた映画音楽『呼応計画』のなかの『朝の歌』は、全左翼陣営の愛唱歌になった。

ショスタコーヴィッチは、自由主義陣営の音楽産業をよそに、決められた容れ物に、自分の創造欲を満たすべく技術の粋と魂魄を入れて行った。作品が、売れるとか売れないとかいう市場原理を離れて、溶液を満たしてゆくことが出来た。一方で、現実を生き延びるために、時には、最悪の事態だけは避けるように、容器には巧妙な希釈液も入れて行った。とはいえ彼は、クラシック音楽の主なジャンルで、駄作もあるが、数々の傑作を残した。彼の場合、駄作は必然ともいえる。

彼が純粋なものを目指していたことは、15曲ある弦楽四重奏曲、『ピアノ五重奏曲』、『第4交響曲』や後期の13番以降の交響曲を聴けば分かるだろう。しかし、そこにも毒液の影響は及んでいるのだ。まっとうな曲を書いていても、作曲する彼の指には、希釈液の臭いがこびりついていて、洗っても洗っても、それは落ちないのだった。それが、ショスタコーヴィッチの悲しみである。でも、彼は、振り子のように聖と俗に揺れる作品群を書き続けて行った。ショスタコーヴィッチの芸術を社会的に判定するものは、市場原理ではなくて、ソ連共産党の思想原理であり、彼はそれをよくわきまえていた。

もしも、彼がアメリカのような国に生まれ、或はほんの若いうちから移民したと仮定すると、どうだろう。彼は、希釈した曲でも、いわゆる受けのよい曲が書け、ジャズのイディオムを使って組曲なども自在に書ける。また一方で、映画音楽を職人のようにも書けた人である。そういう才能を、ハリウッドやレコード会社がほうっておくだろうか。彼はもしかしたら、ガーシュウィンやクルト=ヴァイルのような成功を収め、ブロードウエーのミュージカルの王様となっていたかも知れない。しかし、彼は、自由主義国に生まれなかったし、亡命をする意志ももたなかった。彼は、ソ連共産党の繭のなかで糸を紡ぐ職業音楽家となったのである。

ソ連共産党のもとで、彼がみじめな暮らしをしていたと、我々現代21世紀の資本主義社会の立場から笑うことは出来ない。我々もまた、異なることはないのである。現代のように世界中が自由主義で覆われ、グローバリズムなどと言われるようになると、我々は残忍な市場原理主義のあぎとの犠牲となるのである。我々には亡命など逃避する余地がない。我々の人間性、我々の仕事、我々の芸術、我々の恋すらもが、蜘蛛の巣のように張り巡らされた市場原理が働いていて我々は逃れようがない。

方法とジャンルの開拓者ではなく、保守的かつ適度に浮気性な彼の性格が、特殊な政治体制のなかで、結果的に幸いしたのであろう。ショスタコーヴィッチのことを、純粋な作曲家とは間違っても言えない。だが、不純な作曲家とも我々は呼ぶことも出来ない。時に、彼の旋律や和声は、えもいわれぬ気高さと崇高さを、淫蕩で猥雑な狂騒のなかで示すことがある。聖なる淫売ともいうような相貌を、彼の作品は我々に提示するのである。それを、また彼は、音響の圧力のなかに隠蔽しようとするのだ。社会と家族の犠牲のなかで、淫売婦になってしまった少女のけなげさが、彼の音楽には、におう。この感覚は、クラシック音楽というよりは、ジミ・ヘンドリックスやジョン・コルトレーン、アルバート・アイラーの擦り切れてゆくとこへの聖なる代償を喚起させる。

『交響曲第1番』や『ピアノ協奏曲第1番』は、アバンギャルドではあるが、ドビュッシーやシェーンベルク、ストラヴィンスキーが示したような必殺のオリジナリティがない。彼らは皆、全集を書くのをやめた人たちである。だがショスタコーヴィッチは、最新技法を伝統技法のなかに組み合わせ、統合することによって自らの書法を確立し、ジャンルによっては音楽的に進化かつ深化を遂げて行った。逆にいえば、方法の開拓者ではなかった彼にとって、無駄な時間を浪費しないで済んだと同時に、処刑防止の仮面をも慎重に身につけることが出来たというわけだ。(この項つづく)



掲載曲とその参考盤を挙げておく。興味のある方は、実際に聴いていただければと思う。弦楽四重奏曲と交響曲その他については、次回月法で紹介する。

★★★★★
『ムツェンスク群のマクベス夫人』ロストロポーヴィッチ指揮/ロンドン・フィル ガリーナ・ヴィシネフスカヤ、ニコライ・ゲッダ他(東芝EMI)

『同』チョン・ミュンフン指揮/パリ・バスティーユ歌劇場管 マリア・ユーイング、ラーリン他(グラモフォン・ユニバーサル)

★★★
『ピアノ協奏曲第1番・ハ短調』シャイー指揮/ブラウティガム(ピアノ)/ロイヤル・コンセルトヘボウ管(デッカ・ユニバーサル)

★★★★☆
『24の前奏曲とフーガ』タチアナ・ニコラーエワ(メロディア・ビクター)

『同』キース・ジャレット(ECM)
★★★★
『同』ウラディーミル・アシュケナージ(デッカ・ユニバーサル)





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最終更新日  2006年10月22日 00時50分50秒
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