2020末法元年                   ボンゾー(竺河原凡三)の般若月法

2020末法元年                   ボンゾー(竺河原凡三)の般若月法

2007年05月13日
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カテゴリ: 仏法
 ボンゾは、姿の見えないヴィシシュタ・チャーリトラ(上行菩薩)に聞いた。

「菩薩よ、世尊は何がゆえにこの光明を放たれたのでしょう。何の徴候でしょうか。わたくしボンゾは、なんのゆえがあって、いまここにいるのでしょうか」

 たくさんの菩薩や神々たちも、その名も知らぬ居士(こじ)の方を振り返った。

「うぬと同様の質問をその昔、マイトレーヤ(弥勒菩薩)が、マンジュシュリー(文殊菩薩)に問うた。それを、わしは今思い出した。

 いま、シャーキヤムニ・ブッダ(釈迦牟尼仏)は、大法の雨を降らし、大法の鼓を打ち鳴らし、大法の義を述べんと欲せられているのだ。わしは、過去の諸々のタターガタ(如来)たちが、かつて同じ奇瑞(きずい)を示されるのを見たてまつったが、かの光を放ったあとに、みな等しく白蓮の法を説かれたことを知っている。しかし厳密に言えば、シャーキヤムニ・ブッダはすでに、『サッダルマ・プンダリーカ』を説いてしまわれた。しかるに我々は、追いつかねばならぬ。

(以下本文は、一定期間を経過しましたので削除いたしました)





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最終更新日  2007年09月01日 23時53分31秒


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