全2件 (2件中 1-2件目)
1
前回(予測しないこと)の続きになる。"待つ"とは 先走らないこと。これまた 忍耐が必要とされる。しかし---私は年末に早期退職したので もう半年 何もしていない生活が続いている。そして 最近になって 何もしないことの 利を 感じ始めている。何よりも 周りの声/環境に敏感になってくるのだ。適当な時間に起きて、ネットサーフィンを楽しみ、昼の2時間をWalkingにあて 夕方はお風呂代わりに近くのプール通い。 そして疲れた体で帰ってきて PM10:30からNYを確かめたら PM11:30頃にはほぼ熟睡という生活は ある意味 贅沢のきわみなのかもしれない。そして「ひらめき脳」の著者ではないが 「不確実の世界」にセレンディピティ-を期待して 過ごすなんて 昨年までの私の発想では 多分ありえないだろうと思う。しかし 本来 人の生活とはそういうものでは ないだろうか。不確実のわけのわからない世界では みな 安定を求めたがるが 実は このわからなさこそが キモであって これを不安要因と見るか あるいは 楽しみ要因と見るかで まったく生活の質が変わってくるだろう。人生は自分で切り開くものだ、いや 人生にはフローがある、このどちらかの立場をとるかでも 生活態度は変わってくるだろう。そして私は 残りの人生を 徹底的に 後者にかけてみようと思った。フローに乗っていく---。"待つこと"、以前は 苦痛以外の何者でもなかった この"待つこと"、今では すっかり楽しみとなってしまった。いやー いいなー-。自分で あくせくして 計画を立てるのでもなく、できなくてあせるのでもなく また 上がるか下がるかドキドキしながらの取引をするのでもなく、自分の さまざまな将来観/予想を横において ひたすら 今を楽しむ。そして ある時 前に差し出されたなら ありがたく頂くライフスタイル、これだなー、人生は。そういえば リチャードコッチの「80/20の法則」にもあったなー。 「問題解決に集中するのではなく 機会に集中すること。」おー 、 R.キヨサキも言っていたぞ。 「トップガンのあのせりふが好きです、「今だ、撃て!!」 。」私のテーマソングがある。今日はこれを紹介して筆をおく。アミンの「待つわ」 http://youtube.com/watch?v=ogkV9u-1l0Y&mode=related&search=matuwaまた。
2006年07月08日
コメント(2)
最近というか 昨日だが、コペルニクス的発見(!?)をした。長年 、株式/為替といった相場の銘柄の将来価格というのはある程度 見通せる とばっかり思っていた。実際、予測できることを前提に数々のチャート分析ツール/立派なファンダメンタルの各種充実情報、また 膨大な過去の実績Data、等々が準備されているし---。ではこれだけ揃っていて 何故、証券会社は 自身で 取引をして 儲けようとしないのか。(山一證券がいい例だ。相当な資産を持ちながら それらを決して相場に出すことはしなかった。)ここら辺に 答えが ありそうだ。彼らは 実は わかっているのではないか。株価/為替など 予測不可であることを。そう 私が発見というか 気づいたのはこのこと;---> 「 株価/為替の予測は限りなく不可である。」ということである。そしてこの「予測できそうで 実は 予測できない」話題をここ2ヶ月の間にいろいろなところで目にした。いくつか まとめの意味で記載したい。1) 地震予知連盟の方針転換(一昨年)--> 頻発する地震にネを上げ 結局、予知ではなく 事後対策に焦点を絞り始める。2) 交通刑務所の署長の事故対策談義--> 「安全運転することではない。事故がおきた時を考えて運転するに尽きる。」3) チーフ為替トレーダーの言葉--> 以前は相場観で買っていたが、相場にあわせ始めたら自然に利が出始めた--。4) 「マネーの公理」ギュンター著--> カオスの世界に 予測をするものが いたら 気をつけろ。5) 石油プラントの設計リスクシナリオ--> 事故とは起こるもの、が大前提で設計する。何が起こるか わからないのだ。6) マネックス社長の6/9メルマガコメント--> 株価予知ができると考えることは地震予知と同じく危険なことである。7) 先物トレーダー高田氏--> 勝つ人は予想しない。(この言葉は 重い。)8) プロサーファー --> Big Waveを ひたすら待つ。9) 投資集団タートルズのラッセル サンズ--> 「長期投資はファンダメンタル/短期投資はテクニカル」 は 大いなる誤解である。これらに共通しているのは;(予測によるアクションではなく )事後の対象物のリアクションによって アクションを決めている、ということである。これは言うは易く 行なうは難しである。しかしそれにしても どうしてこんなに 皆 事後を考えることを避けて自分に都合のいい予測にしたがって 走ろうとするのだろうか---?手っ取り早く当たり/はずれを 楽しめるからかしら?面倒なことは 考えたくない--かしら、 -- ここら辺かもしれないな 。いや もっと根が深いかもしれないぞ--。思うに人は 秩序を求めるからではないか。そして自分自身が その秩序の中心にいたいからではないのか。多分、何も規範がないと 不安になってしまうからではないのか。ある意味 人の傲慢さの現れかも知れない。もっと 自分以外に耳を傾けるように訓練の意味があるのかもしれないな--。では実際に 投資では 具体的にどうすればいいんだ?私的にまとめるなら、この世は 相場も含め カオス、すなわち 秩序がない世界である。「一瞬先は闇」、とは よく言ったものだ。 この言葉に尽きるのではないか。何が起こるかわからない、いつでも逃げる準備をしておけ! ということなのだと思う。また。 追伸) 今日は 12/7である。「なぜ予測に走るのか? 」 これは 予測自体が幻想であること が 見えないからであろう。人の分と天の分を見分ける知恵がいるのだと思う。人は 結果を受け入れるしかない存在なのだ と思う。 予測とは ある意味 天に唾する行為なのかもしれない。
2006年07月05日
コメント(3)
全2件 (2件中 1-2件目)
1