全500件 (500件中 151-200件目)
Update2こちらの本の中で、社長は少しバカがいい。 「社長は社長をやれ」「まず、怖れられろ。慕われるのは、その後だ」「社長は群れるな、逆を行け」「革命は、社長にしか起こせない」「社長はチーフ・イノベータ―だ」「独裁にもチームワークが必要だ」「博打に勝ったものが『成功者』となる」「『運』こそ実力」「経営は歴史に学べ」「『成功』を見切るのが、一流の社長」「反省はするな、よく寝ろ」「見えないところで、雑巾がけをする」 イロイロ格言が出ているけど、気に入ったのは、「社長は少しバカがいい」とのコンビで、「運」こそ実力、運に恵まれないようなら、何をしても、目が出ないと思う、そのためにも、少しバカでいて、且つ、運と仲良くなる体質・性質は大事かと、 だからこそ、博打に勝ったものが『成功者』、 と相なる、 これと似た言葉が、勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、ただ、昨日の日本サッカーが、 出来すぎに見えたのは、相手のせいだったのかしら、 いやいや、あの”ハーモニー”だって、少しバカになって、チームに潜在的に漂っていたであろう、運がもたらしたものだったと思う、うますぎたり、賢すぎたりすると、たいてい、運はやってこないし、 更新日 2013年09月07日 11時07分36秒 追記)3-0で、自信を喪失したグアテマラ、そこへ追い討ちをかけるように、先ほど、AM9時過ぎ、M6.5の地震が、 List/Map(右上の3つのアイコンをすべてクリック) 国民のショックを表したものなのか、はたまた、励ましで、活を入れられたのか、グアテマラ、ガンバ! 更新日 2013年09月07日 12時32分08秒 追記2)グアテマラの隣はメキシコ、 先ほど、新聞記事で、彼の写真が目に留まる、 メキシコ中銀、カルステンス総裁 記事の内容は、メキシコ中銀が予想外に25bp利下げ、成長下振れを懸念だったんだけど、 総裁の写真を見ながら、 ああ、メキシコも、首がまわらなくなってきたのだなと、 総裁は、少し、首がまわった方がいい? もっとも、(ユダヤの)傀儡総裁で、運もへったくれもないので、これでいいのか、
2013年09月07日
コメント(0)
先ほど、こちらを見てて、阪神・福留、左ふくらはぎ痛で登録抹消 9月1日(日)19時8分配信 福留ではなくて、なぜか、城島を思い出す、彼は、昨年5月、城島の再生を祈るで、 座骨神経痛で戦線を離脱した阪神の城島健司捕手が16日、甲子園クラブハウスで会見を行い、来週中に原因となっている椎間板(ついかんばん)ヘルニアの除去手術を行うことを発表した。 現在は左足の感覚が失われているといい、歩行もままならないほど。「このままでは守りどころか打撃にも影響がある。手術をすれば今季中に復帰できる可能性があるので、1日でも早く、チームが苦しいときに戻ってこられるように」と語った。結局、このまま、昨秋9月、引退となったのだが、その後、ドーしているのだろうと、チェックすると、 いた、城島健司のJ的な釣りテレビ 毎週日曜 午前5時45分 およよ、なんと、毎日放送で釣り番組のレギュラー、 日曜5:45と言うのがあれだが、それはさておき、彼の表情が、以前とまるっきり違う!! スゲー、スリムで、且つ、若返ってるジャン!!! 城島よ、あのおじさんチックな、悲痛な顔はどこへ行ったのだ? あの腰痛はドーしたのだ?ひょっとして、オレの祈りが聞かれた?マッ、彼の生き返った顔を見れたのは、何より、人生、谷あり、山あり、災い(腰痛)転じて、福(釣り)となす、 元々、野球より、釣りが向いてたのかもな?ここは、先輩として、福留にも、是非、自番組を紹介してあげたらドーか、人生、楽しく過ごすのが一番だぜ、
2013年09月01日
コメント(0)
他者のために生きるなんて、随分かっこいいタイトルをつけたが、今のもがいている自分にとって、これが最善の防御策かと思われるからで、決して、至高な思いからなんかではない、自己中心に飽きたとは言いつつ、自分にとって、自己中心は自分の性質であるが故、放っておくと、自己中心、自己主張が、遠慮なく、鎌首をもたげてくる、その結果は、不安であり、恐怖、怒りへと連鎖する、*続)不安の対処 by Bob Jones、Christ-Centeredところが、ウソでもいいから、他者のために生きる、とか、他者中心的考えにすると、スーーッと、さまざまな、どす黒い思いが引いていくのがわかる、あの人のため、この人のため、オレは生きるのだ、と宣言してしまう、それだけ、マッ、ウソとはいえ、宣言をするようになること自体が、成長と言えば成長、しかし、真剣に言うのではなくて、手段として言うあたりが、苦労人のきわみ(?)、*神のために生きる、と言うのもあるけど、チョッと、漠然としているので、とりあえず、他者のために生きる、だな、その昔、こちらの特攻隊の写真を拝見して、なぜ、彼らは、こんな若くして、明日の特攻を目前に控え、笑顔なのか、よくわからんかった、しかし、今なら、なんとなくわかる、自己中心が心にまるでない、国のため、親のため、それだけが心を占めていたーー、 (以下、以前の日記「長生きを考える」から、) 20歳そこそこの青年が、250k爆弾を積み、 明日の出撃を前にして、この笑顔は何か?彼らの前にあったのは、使命感、充実感、彼らに、死を云々する隙間(時間、余裕)は、 微塵もなかったのではないだろうか、と推測、 そして、これこそが、 長生きを考えるヒントになるのでは(と思った)、即ち、人生を考える時、 長さを尺度にすると、ドーもかみ合わない、長い短いではなく、 今をドー生きているか、生きるか、そうしている内に、 死なんて、勝手にやってくるわけだし、 人は、いつから人生を長さで、 考えるようになったのだろう?いや、正しくは、 長さで、考えさせられているのだろうか、 (参考)自己中心の結末、横浜国大名誉教授、妻と口論し殴られ死亡 (2013年8月26日11時57分 読売新聞)
2013年08月26日
コメント(0)
朝方、こんな会話が浮かんできた、うちの子供とその友人の会話、友人:オレ、親に仕送りせんといかんから、子供:ソーか、これだけ、 短い会話なので、背景はわからない、しかし、涙が出てきてしまった、友人は、子供と同じく、新入社員なのだろう、そして、給料日の当日の会話であろうか、パッと行こーゼ、とか誘いの話があったのかも知れない、 が、友人は、既に、他者のために働いている、働く理由、存在理由が、他者のためというのが、自分にはとても、新鮮だった、独身なのに、 ひるがえって、これは自分に向けられる、これまで、この手の話はわんさか聞いてきた、人のため、世のため、ばかばかしい、が、今朝は違った、何が違ったかは、うまく言えない、もう、自分の余生も残り少ないからなのか、それとも、自我中心で生きてきたことの反動なのか、とにかく、自分を利すること、また、自分中心で考えることからは、無性に離れたくなった、
2013年08月24日
コメント(0)
先ほど、こちらを拝見、Amazon結婚は、ビジネスパーソンにとって「人生最大のプロジェクト」です。では、プロジェクトを成功させるためには何が必要なのでしょうか。著者がこれまで行ってきた「1万人インタビュー」で得た最大の教訓とは、「結婚は技術である」ということ。夫婦が「修正主義」に立ってお互いが歩み寄り、お互いを受け入れていくには、知識と工夫が必要なのです。 「結婚は技術」だそうで、50のリスト見ながら、頭がクラクラしてきた、自分の結婚を振り返って、最初の出会いもソーだが、”技術”は皆無に近い、最初、会社の独身寮で、LAに行けとのビジョンを受け、一ヵ月後、LA Vineyard Seminarへ、そこで、ヨメさんと会って、一週間後、帰国当日のLA空港内で婚約、半年後、英・Bristolで挙式、 その後、イロイロあって、とりあえず、今コーしているわけだけど、 結婚生活に、およそ、マネージメントの発想はなかった、ズット、そのまま(ダメなまま)である、で、思うのだけど、やはり、当初の選択のウェイトは大きいと思う、 が、Divine Appointmentならずとも、個人的に思うのは、個々は、男も女も、固有の振動数・波長を有する、光量子の集合体だということ、 互いの固有振動数から相手を見ると言うのは、確かに、チョっとユニークかもしれない、が、そこに理屈はない、似通った振動数を持っていると、何もしなくても、共振してくるのだから、あの音叉の共鳴現象そのもので、 その人と一緒にいるだけで心地よくなる、 特段の会話も、技術も、マネージメント(?)もいらない、一緒にいるだけ、 相手を選ぶのに、その経歴や、ルックス、収入を見るのもいいけど、相手の固有振動数(あるいは波長)に着目してみる、音叉の如く、そばにいるだけで響きあうなら、キッと長続きする関係になれると思うんだけどーー、いかが、参考)ボンケ師の祝辞(パーフェクトマリッジ)は考えさせられた
2013年08月14日
コメント(0)
武雄市長日記にあったフレーズ、 頑張れ!有田工業高校!浦郷選手は、「自分は控えだけど、いつでも、試合に出られる準備はしておく。」と精悍な焼けた顔に鋭い目。頼もしすぎる。8月8日(木)から開幕する全国大会では、有工野球部のモットーである「凡事徹底」で頑張ってほしいと思います。まずは一勝。有工ナイン、頑張ってください。 「凡事徹底」: なんでもないような当たり前のことを徹底的に行うこと、フムフム、 そもそも、この凡事徹底、学生時代のクラブで聞いて以降、ほとんどご無沙汰している言葉、 サラリーマン時代で、これを聞くのはまずなかった、すごくいいフレーズだけど、自分に向き合わないと、ナカナカ出てこない言葉だ、しかし、この年になって、やけに反応してしまうのは、生活がシンプル化しているせいもあるのだろう、それと、実際を、少し経験してきたせいもあるかも、 *多くをやっても、疲れるだけみたいなーー、 凡事徹底で充分だ、なんて、間違っても、未来のある若い人には言えない、その未来は、凡事徹底から生まれるのだよ、なーーんて、思っていても、言わない、(言えない、)自分にとって、凡事徹底とは、限りなく、レスの世界であり、 生きていく上での極意のような所がある、知りたくても、知ることができない、理解したくても、理解できない、 ある意味、気付かされる世界であり、気付かされたら、とてもラッキーだと思う、 (追記)シャワー浴びていたら、浮かんできた、ルカ10:41 主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。 10:42 しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」 必要なことはただひとつだけである、
2013年07月25日
コメント(0)
ネットゲリラさんとこから、16歳がナマポもらいながら売春して仲間を処刑 野次馬 (2013年7月22日 15:42)LINE殺人なんだが、被害者も加害者も、一家揃ってナマポ暮らしとか、あまりに酷いんだが、問題なのは「マトモに生きられないヤツにカネだけ渡して済ませるな」という事だと思う。今の生活保護は、「カネさえ渡せば自立できる、更正できる」という考え方なんだが、元々、そんな能力のない人たちがいっぱいいる。カネ貰ったら即日パチンコで使い果たすとか。まして、そんな親に育てられた16歳の娘が、カネだけ渡されて自活できるわけがない。もう、なんでもカネで済ませる生活保護はオシマイにした方がいい。何の解決策にもなりません。 今の生活保護は、「カネさえ渡せば自立できる、更正できる」という考え方、 なんかね、これ、自分に言われているようで、とても他人事に思えない、長らく、マネーシステムの世界に、ドップリ浸かっていた(いる)ので、スッカリ、洗脳されてしまっている、「マネーがあれば、何でもできる!?」できやせんよ、「マネーがあれば、何とかなる!?」 なりゃーせんよ、 逆に、マネー依存のバカになるだけ、 マネーは”手段”でしかない、改めて、確認させて頂きました、
2013年07月22日
コメント(0)
昨夜は、寝床で、暑い夏を一層暑くしてくれる参院選の話題が、頭の中をめぐり続けていた、グローバリストがたくらむ政策、 グローバリスト支持だらけの政党、政治家、加えて、グローバリストの仕組んだ選挙制度、2重3重にロックされた世の中の支配構造に、うんざりしてくるが、構造改革に期待ができないのであれば、残された道は、個人の取り組みしかない、(と思う、)グローバリスト政策に文句を言うのは簡単だ、が、それを享受しながら、文句を言うのは、説得力に欠ける、 早い、便利を提供するが、麻痺感覚もしっかり提供する彼らに対し、やや不便なるも、スローで、原始的、ココらへんの生活スタイルで一線を画すのが、最後の砦なのではないかと、 つまるところ、シンプルライフである、
2013年07月16日
コメント(0)
週末に、1000円バーガーを売り出す、マクドナルド、本田に言わせれば、 トカナントカ、 その、マグドナルド、かつて、こちらで、取り上げられている、レクサス(トヨタの高級車)と、オリーブの木(土地・文化・民族の象徴)。国籍を超えた最新技術の集結と、古来の伝統的価値への固執。この二つの要素を軸に、現在の世界を鮮やかに読み解いたのが本書である。 グローバル化と土着文化を対比させて、世界を眺める著者、フリードマンが、こう評した、グローバル化に対応していった国こそ、成功した国だと、そして彼が掲げた、マクドナルド理論、 北京の天安門広場にも、カイロのタハリール広場にも、エルサレムのシオン広場横にも、マクドナルドがあるが、マクドナルドのある国は、お互いに戦争しない。マクドナルドのチェーン展開を支えるくらいの中流階級が現われるレベルに達すると、そこはマクドナルドの国となって、もはや戦争をしたがらない。マクドナルドはグローバル化の象徴であって、グローバル化の価値観は、問題の解決方法として「戦争」を好まないからである。 グローバル化の象徴が、マグドナルドでもあったわけだ、今や、世界中に展開しているマック(赤)だけど、McDonald's across the world そこでの注目は、南米ボリビア、(地図上では南米中央の青い箇所、) 以下、はだしランの吉野さんのレポートから、大盛況、バンコク裸足イベント&ボリビアからマックが消えた理由 2013年7月3日 さて、サブタイトルのマックの話。知る人ぞ知る、ボリビアからマックが撤退していたという。全く知りませんでした。英語ですが興味深いヤフーニュースの記事がBolivia: A Country With No McDonald’sに書いてあります。(以下、英語記事から抜粋で)McDonald’s couldn’t survive in the mountainous country, so in 2002 the global fast-food chain closed its last store. 最初からなかったのではなく、マックは2002年までは出店していて、その年、ついに、最後の店が撤退を余儀なくされた、 because Bolivians preferred their traditional foods and food ways to fast food. 撤退の理由は、ボリビアの人は、彼らの伝統食や、食事のしかたが、ファストフードよりも好きだったから、 *が、彼らは、ハンバーガーがきらいなわけではなく、とても好きなメニューだ、但し、具の調達先は現地で、調理のし方も彼らのスタイル、販売は、(路上で売る)現地の女性達である、Kerssen says this spirit of reciprocity is one of the core principles underlying a nation that has always prioritized local control of its food system. 食をめぐる、互恵の精神はとても大事だと、ボリビアの代表者は言う、“They impose their customs and their foods,” he said. “They seek profit and to merely standardize food, produced on a massive scale, according to the same formula and with ingredients which cause cancers and other diseases.”マックは、彼らの商い習慣と彼らの食材を、強引に押し付けてくる、マックは、単に利益を追求することが主目的で、食を徹底的に一律標準化する、それは安価を目指すため、画一の大量供給となり、その成分には、否応なく、ガンや疾病の元も含まれてくる、ボリビアは、(おそらく世界で初めて、)マックが撤退した国なのだとか、 で、これを読んで、自分でも、大変、興味深いことに気付かされた、まず、マックは、材料調達、流通、雇用と言った、およそ、その国の経済を支える基盤を海外に置き、その国では、消費を主体にしか考えていないと言うこと、互恵精神が極めて薄い、 そして、ボリビアの人の場合、(ハンバーガーは好きだったけど)マックの店のハンバーガーではなく、地元の販売ルート(婦人達が路上売り、)で地元産の材料を使った、地元の味付けの、地元ハンバーガーを選択した、 その結果、マックは、撤退を余儀なくされた、住民の意識が、個々で変わるなら、グローバル企業(グローバリスト)に、太刀打ちできるのだという事実、昨日、同性婚支持判決、未婚の母報道、これらの背後にあるもので、 同性婚の米最高裁判決や、週刊誌の性の煽り記事、有名人の未婚の母報道と、家族制度の破壊が進行している現状について、それの対処方法は、個々人の感性、良識にかかっていると書いた、グローバル化を止めるのは、政府や、自民党、各種団体なんかではない、ひとえに、個人の覚醒、そこからの具体的行動、ライフスタイルの確立、これこそが、彼らグローバリストを日干し状態、骨抜きにできる、唯一の手立てではないかと、ただ、マックに限った場合、日本は、 世界第2位の出店数(2009年)なので、かなり、敷居が高く(?)、手ごわいことは確か、 相手は、便利さと、早さが売りものーー、Amazonもそうだが、一旦、蜜の味を知ると、そこから抜けるのは容易ではない、 が、個人的には、コーいうのを見るにつけ、スローとシンプルなライフスタイルこそ、グローバリスト、NWOに対する、最上の策ではと、再度、思わされているところ、 *ちなみに、吉野さんは、記事で、同じ趣旨(個人の覚醒)のことを、はだし(ランニング)について、述べている、 実際、靴をめぐる常識が覆されつつあるわけで、グローバル企業ナイキも真っ青、これはこれで、すごいことだ、と思う、
2013年07月04日
コメント(0)
こちらのニュース、フィギュア復帰の安藤が出産7月2日 1時12分 NHK フィギュアスケートの世界選手権で過去2回優勝し、来年のソチオリンピックに向けて競技に復帰する安藤美姫選手が、4月に出産していたことが分かりました。 関係者によりますと、安藤選手は4月に女の子を出産していたということです。 (最初、よくわかんなくて、)ああ、結婚してたんだ、と思って見たら、未婚だった!?で、じゃ、ダンナは誰だったの?と勘ぐりを入れたくなったが、ココで、高橋さんの日記(06/26)の、取税人ザアカイ(ルカ19章)の紹介文を思い出す、神がきっと霊の目を開けてくださる(感話のレジメ) ●ザアカイの場合 税金取りは、金に不自由はなかったが、良心に咎めがあった、良心に咎めがあったーー、個人的には、こっちの方が気になって、赤ちゃんを公にされた幻のダンナの心境は、現在、いかなるものか?? 追記)これ、さっき、ヨメさんに言ったら、オレ:ダンナも大変だな、ヨメ:普通の人はソーかもしれないけど、 普通の人じゃなかったら、関係ないんじゃない、 オレ:普通の人じゃなかったらってーー、会話はここまで、 少なくとも、オレとは、発想が違うことだけはわかった、
2013年07月02日
コメント(0)
人にはイロイロな逝き方がある、(と思うんだけど、)肥だめにトラック転落、男性死亡 北海道、酪農作業中 2013/6/18 23:41 18日午後5時5分ごろ、北海道鶴居村雪裡の酪農業伊藤良雄さん(61)方の肥だめにトラックが転落しているのを近所の住民が発見し、119番した。 消防隊員が運転席から伊藤さんを救出したが、間もなく死亡が確認された。 釧路署によると、伊藤さんは飼育している牛のふん尿を捨てる作業中、約3メートル崖下の肥だめに落ちたとみられる。同署が死因を調べている。 自分的には、せめて、オーソドックスに逝きたいな、と思いつつーー、 この記事を見て、一昨日だったか、見た夢を思い出す、上の方は、トラックに閉じ込められてしまったようだけど、 自分は、樽に詰められて、崖から落とされるシーン!?を体験する、このシーンは、何かのシーンだったと思ったけど、ああ、思い出せない、(と、考えること約10分!?)アッ、これか、ブダ城がある王宮の丘の南側に位置する標高235mの丘。ハンガリー、ゲレルトの丘 11世紀初半ば、ハンガリー国王イシュトヴァーン1世の王子の教育をするために、イタリアから招かれたベネディクト派の修道士:ゲッレールト=ゲレルト(ゲラルト)(Gellért)は、キリスト教の伝道もしていたが、反対する人々により、この丘から、生きたままワイン樽に詰められて、ドナウ川に投げ込まれたことに因む。 その昔、(ハネムーンかな)、ハンガリーに行った時、ガイドから聞いた、修道士ゲレルトの逸話が記憶に残っていたのだろう、よっぽど、印象的だったんだと思う、 で、この樽に閉じ込められた自分は、真っ暗な狭い樽の中で、ドーしたかといえば、その時、とっさに、(またしても、)母の(例の神戸空港モノレールでの)現われが浮かび、 モノレール一番先頭車両の窓 ナント、樽の中で、幽体離脱を図って、魂のみ、樽の外に出て、事なきを得た!? と言う落ち、今後、どのような逝き方をするかわからないご時世、(上の記事のように、トラックに閉じ込められることを含め、)いざと言う時には、これを思い出そうと思っている、Pilots Leaving the Planes
2013年06月19日
コメント(0)
日経を10000円前後で買い、 日経15000円あたりで売った人は、コー言うかもしれない、 「笑いが止まらない、」逆に、15000円あたりで買った人は、今頃、ドーしているのだろうか、が、実は、大差ない、(と思う、)いや、損失を被った人の方がいいかもしれない、 お金に限らないが、モノを持つ、所有するとは、所有の本質=実は所有されているであり、別表現では、”取り憑かれている”、とも言えるかと、過ぎたるはなお及ばざるが如し、となるわけだけど、 お金でも、モノでも、その適正量を知るのは容易ではないな、 (とつくづく思っている、)参考)片付けなければ前へ進めないから、 『人生がときめく片づけの魔法』が3分でわかる 「所有」と言うのは思いのほか、 物理的、精神的にBurden(重荷)となる、 所有(重荷)が、いつの間にか、 ユックリと時間をかけて、自分を潰していく現実、 このことの気付きと、 彼女流の対処(供養、感謝、)は、 人の根源(脆弱さ)を考慮したアプローチが感じられ、 どこかしらSpiritual Ministryの雰囲気が漂う、
2013年05月31日
コメント(0)
普段、如何に死すべきか、などを考えている自分にとって、 これは考えさせられた、三浦さん“生還”!次の目標は世界6位の高峰からスキー滑降2013年5月27日 06:00 史上最高齢の80歳で世界最高峰エベレスト(8848メートル)の登頂に成功した冒険家の三浦雄一郎さんは26日午前10時40分(日本時間午後1時55分)ごろ、ネパール側のキャンプからヘリコプターで下山し、首都カトマンズに到着した。 記者団には「温泉に入って、寿司とすき焼きを食べたい」と笑顔。次の目標に、世界6位の高峰チョーオユー(8201メートル)からのスキー滑降を掲げた。彼は、布団の上では死なないなと、おそらく、本人も、決めているのではないか、一番好きなことをやりながら、逝くと、 しかも、8000m級の山々にチャレンジして、ある意味、天国に一番近く、一石二鳥で、無駄がない!?詩編90には、私たちの齢は七十年。 健やかであっても八十年。 とあるにも関わらず、また同世代に向け、「80歳でも、まだまだ元気。80歳からスタートだと思えば、人生楽しくなる」とエールを送った。 と詩篇をも逸脱しているし!?やはり、血筋は争えないのか、プロスキーヤーだった父、三浦敬三さんは2004年、99歳でフランス・モンブラン山系のヴァレブランシュ氷河(標高約3800メートル)を滑り降りている。 アタックの解説と三浦氏を支える家族、 次の抱負を語る三浦氏、 非業、不慮の死を遂げる人が多い時代に、これはなんと言うか、スゴイリッチな逝き方生き方ではないかと感心、是非、参考にさせて頂こうと、 参考) もしも世界が明日終わるとしたら
2013年05月27日
コメント(0)
この絵を見ながら、 昨夜、別の思いがやってきた、 Perfect Stormのこの時代、 如何にサバイバルできるか(生き残るか)が、世の関心事になっているわけだけど、 詩編90:10から、 私たちの齢は七十年。 健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは、労苦とわざわいです。 それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。 あと、2-30年もすれば、自分も含め、友人・知人は、大方いなくなる、(これは、厳粛な事実、) 確実に死を迎えるのに、(しかもすぐに、)今さら、生き残る、あるいは生き延びることを考えてドーするのか、と言う思いが来る、それよりも、むしろ、必要なのは、死をドー迎えるか、あるいは、死後はドーなるのか、をあらかじめ極めておく方が、はるかに大切であり、合理的ではと思った、 こんなことを思ったのも、自分には、2年前に母の顕われの体験があったからだろう、丁度、3/11大震災の当日、横浜の病院から、母危篤の報を受け、自分は西宮から、神戸空港に向かっていた、震災の事実を知ったのは、神戸空港に着いてから、もう、キャンセルの人でごった返している、 「ウワー、なんてこった、よりによってこんな時に、」 仕方なく、飛ぶかドーかわからない、翌朝一番の便だけ予約して、帰りのモノレールに乗る、 モノレールは、前が見える一番前の席に座った、 ほとんど人気のないモノレールが夕方5時過ぎに、空港駅からJR三宮に向けて出発、と、しばらくして、先頭車両の窓の外に人影を感じる、おぼろげだったが、母だった、それは、今、病院にいる病弱の姿などではない、 すくっと立って、ピンク系の上着、グリーンのスカートで身を固め、茶色の大き目のサングラスまでかけた、 往年のかっこいい母の姿だった、 そして、前で手を組み、ニコニコしながらこう言った、「皆さん、大変ね、」と、母の姿は消える、その日の深夜、AM0時過ぎ、横浜の市大病院から電話が入る、「先ほど、亡くなりました、」が、不思議に、全く悲しくはなかった、母の魂は天に行ったのだ、という確信を、既にモノレールで体験していたからだろう、 あとで聞くと、母は、当日、ほとんど意識がなかったとのこと、自分に顕れた母は、(亡くなる7時間前に、)既に、肉体を離れていたのだと思う、この体験から、自分には、具体的な死のイメージができた、 死に際して、霊(魂)は、肉体を離れる、それ以降、死体に対して、何のわだかまりもなくなった、単なる抜け殻に過ぎない、と言ったような、この思いを再び強めてくれたのが、その10日後に亡くなった父、3/23深夜、市大病院から、遺体が実家に搬送されてきた、居間にドライアイスと共に、安置して、3/24午前1:30頃、今度は、父母が二人して、父が安置されている6畳の居間の上に現れた、(これはNHKクローズアップ現代から、但し、父母は洋服で、立ち姿だったけど、) 二人は、とても血色のいい顔で、ニコニコしつつ、「ありがとう」の言葉を言っているのを感じた、 そう、肉体は70年、よく生きても80年、が、霊魂は、不滅である、これは、理屈では知っていたが、深く心に来たのは、母(父)の顕れによる、世界各地から毎日のように入ってくる災害、 異常気象、経済危機、戦争、病原菌繁殖、のニュース、これを避けようとするのも一法だが、詩篇90をヒントに、ドーせ、肉体は70-80でなくなるのだ、と開き直るのもありかと、 なんと言っても、(幸いなことに、)霊魂は残るのだから、 ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。(伝道者の書12:7)
2013年05月24日
コメント(2)
日経が15000円を越えたとか、日経平均 で、それはいいけど、再度、確認しといた方がいいかも、ホリエモンの質問、 自由とは何か 「金持ちになって君はどうするの? 」
2013年05月15日
コメント(0)
かつて、究極の身体(からだ)なる本を持っていた、究極の身体こちらの実家に引っ越してくる時、(親と同居するつもりだったので、家財はほとんど廃棄、)他の本共々、一緒に廃棄した本の一冊、 最近、イロイロ、気づきが多い中で、この本の内容が、いくつか復活してきている、まず、これ、 ある動きをするために、働く筋肉の数は少なく、働く時間は短く、働く度合いは小さいほどいい、 ということになる。この記述などは、野口さんの、動ける筋肉は、今休んでいる筋肉、 を彷彿とさせてくれる、(突き詰めていくと、 じっとしていることが最善だったり!?) 又、インタビューで、小松 なぜ、腕ではなく、肩包体を動かした方が速く走れるんですか?高岡腕だけではそんなに質量はないので、かなりの振幅で振らないと足とのバランス効果が出ないんだ。だけど、この肩包部と腕を合せると大変に質量が大きくなる。高橋尚子選手の腕の振り方で、肩包体が登場する、 ランニングのみならず、コアスイムでも、特に、バタフライですごく理解しやすい、肩包体と言うイメージだけで、手で動かす(かく)と言う枝葉末節が崩壊していく、 まさに、爆弾みたいな、イメージである、 そして、足の使い方で登場するのが、ムチのイメージ、 続)究極の身体 腰の位置にムチを置いて、足を動かすさまを表す、魚の泳ぎにも似るのだが、足が動くのではなく、起点は、あくまでも、腰の上にあることを示す、そして、これで出てくるのが、腸腰筋、 このムチを動かすのに、ポイントになるのが、腸腰筋だと、このムチのイメージは、肩包体と合わせて、バタフライの要でもある、 さて、イロイロ書いたが、今日の本論に移ろう、6年前のブログでは、こう書いた、この本で、一番印象に残ったのが、著者の紹介するこの方、 「私が研究してきた中で、究極の身体の最高峰は、天才武術家・王向斉でしょう」ナルホド、 美しい!!存在そのもの、立ち姿がそのまま芸術作品になっている、 上のムチのイメージを具現した立ち方をしているのが、王向斉であると言う解説が本にあった、まるで、魚が立っているようだと、で、今改めて、上の箇所を見ながら思った、 肩包体意識、 &(腸腰筋使用の)ムチのような下半身、 いずれも、自分の既成概念を破ってくれるイメージである、しかし、それ以上に、これを具現して、実際に立っている王向斉、彼に、すっかり惹かれてしまった、 そして、筋肉を無理やり動かすライフスタイルに、少々あきが来ている昨今、働く筋肉の数は少なく、働く時間は短く、働く度合いは小さいほどいい、(by高岡)動ける筋肉は、今休んでいる筋肉、(by野口) が、体の中に浸透してきて、ますます、レス(LESS)の世界が台頭している中、レスの世界(何もしない世界)の具現者としての、彼(王向斉)が、自分の中で、一層、輝きつつある、足るを知る、とあるが、自分的には、いい立ち方(歩き方)さえできていれば、あとは不要、それだけで充分と思っている、
2013年05月07日
コメント(0)
Update(兄、天国へ追記)二人は、お気の毒だった、10年前に、ロシアから、移民で来たのはいいが、家族に政府から手当てが出ていた等、移民の背後には、(CIAの要員養成の)意図が見え隠れしている、 それと、爆破事件当日のFBIによるテロ訓練って、あれは、一体、何を意図していたのか、 今回、特にお兄さん、(警察発表では、)ボートに隠れたところを発見して銃撃戦で死亡とある!? が、実際は、逮捕前に、道路に伏せられ、その後、衣服を全部取られ、立ち上がって連行されている、(これは既に写真が出ている、)全く、抵抗せず、無傷で逮捕されたはずが、警察から病院に搬送された時は、左胸が大きく裂かれ、正視に堪えない遺体となっていた、Fake劇場の犠牲となってしまったわけだが、これを轍として、Makow氏が対策を掲げてくれた、Don't be CIA's Next Patsy - 10 Preventative Steps(CIAのかもにならないための10のステップ) 意訳で、May 5, 2013 H.Makow注)Pastyはパッツイーと読む、 だまされやすい人,「かも」,スケープゴート. 1)どんなにお金を積まれても、テロ訓練なるものに参加してはいけません、 2)ユダヤ教に改宗するといいでしょう、彼らはユダヤ教徒を狙いませんから、3)若いから大丈夫と言うのは間違い、「かも」は10代でも取り込まれるから要注意、但し、今のところ赤ちゃんなら大丈夫なようです、4)同性愛者になりましょう、彼らは一目置いているから、かもにしません、5)ユダヤ教徒、同性愛者が難しければ、自由主義者を標榜し、オバマを支持し、NYTの読者になって下さい、彼らは政府よりの人物をかもにしませんから、6)残念なことにテロリストに仕立て上げられてしまったら、諦めずに、とりあえず、逃げ場所を確保しておきましょう、私がアドバイスできるのは、少なくともバックヤードにおいてあるボートの中だけは避けた方がいいということでしょうか、7)あなたの顔の色に注意を払ってください、できれば日焼けした顔は避けるように、ムスリム(イスラム教徒)に間違えられますから、8)犯人扱いされ、(残念ですが)死亡した時のことを考慮し、葬式の手続きを、つかまる前に済ませといてください、亡くなった後では、どこの葬儀屋も、(世間体から)相手にしてくれないでしょうから、9)歴史上の「かも」にされた人たちから学んで下さい、Lee Harvey Oswald. Timothy McVeigh. Osama Bin Laden. James Holmes. Adam Lanza. 彼らが犯したミスから、あなたが学べることはないか見てください、マッ、上の中の約一名は、FBI-CIAのグループの一員であったにも関わらず、結局、かも扱いでしたけど、10)親しげに、お金をちらつかせ、外国へ行かないかと、誘いをかけてくる人に近づかないようにしてください、 最後に、Makow氏から、I welcome other suggestions from readers for sidestepping this common hazard. テロリストに仕立て上げられるのを防ぐため、読者のアイデアを歓迎しますのでドーぞ投稿下さい、と人生は芝居なのはいいのだけど、他人のシナリオで、しかも配役はテロリストで、最後は死んじゃう、これじゃ、いたたまれんよな、 同じ役者なら、もうチョッといい役で、人生をしめたいよね、 更新日 2013年05月06日 17時47分18秒 追記)先ほど、ジムに行く途中、亡くなられたお兄さん(27)が、空の上で微笑んでいるのが見えてきた、アッ、天国に行ったんだと、瞬間的に思って、なんかすごく安心してしまった、(おそらく、彼のために、とりなしていらっしゃった方がいたのかと、) ソーだよな、こんな笑顔の素敵な人を、イエス様がほっとくわけがない!体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。(マタイ10:28)アーメン、
2013年05月06日
コメント(0)
昨日の昼間、モヤシ山盛りのラーメンすすりながら、新聞(4/26朝日)広げてて、思ったものだ、オレは、まだまだ、未熟者だと、まず、「天声人語」、大切なニュースが、大きな出来事の陰に隠れてしまうことがある。この17日、米国のオバマ大統領は「恥ずべき日だ」と記者会見で厳しく非難した。ボストン のテロ犯人に向けたのではない。ほこ先はワシントンの議員だった。▼その日、銃規制を強化する法案が上院で採決された。昨年末、小学生ら26人が射殺されて全米が悲痛に沈んだ。規制の機運が高まったのに、必要票に届かなかった。次の時代より次の選挙の損得を案じる「政治屋」は、あちらにも多いらしい。(以下略) オバマの銃規制法案に反対する議員を、揶揄しているわけだが、これを、最初見た、オレの反応、このコラムニストは何を言っているのだ、銃規制の背後にあるものを知っているのか!?(国家統制の強化だぞ、)小学生26人の犠牲などすべて演技だろ、ここを読めよ、http://henrymakow.com/2013/04/sandy-orchestrated-by-obama-wh.html次、その裏の紙面にあったこちら、池上彰の新聞ななめ読み)ボストン・テロ事件 読者の疑問を意識して アメリカのボストン・マラソン連続爆破事件と容疑者追跡劇は、ハリウッド映画を地で行くようでした容疑者2人はロシアのチェチェン出身と伝えられます。チェチェン出身であることと、アメリカでの生活が、容疑者の精神形成にどうつながったのか、疑問は尽きません新聞各紙は、この疑問解決のために、どこまで肉薄できたのでしょうか。 4月22日の東京新聞朝刊は、アメリカ国内でチェチェンとチェコが混同されているとして、駐米チェコ大使が「チェコとチェチェンは全く別の存在」と声明を出したことを伝えています。 日本でも「チェチェンとはどこだろう?」と思った人が大勢いるはずです……。(以下略)読者の立場に立って(??)、チェチェンがどこかぐらい示したらドーか云々と続くが、ホントに、紙面を斜めから見ただけの内容である、 なんと言ったらいいか、あいた口がふさがらない、 その後、ネットで、ブログや、記事を見ると、サンデーフックの26人の犠牲者については、遺体が一体も見つかっていないとか、ボストン事件については、”自作自演”の文字が、世界各地から洪水のごとく流れてくる、ホント、ショーもないコラム、記事を出すものだと、 ますます、上の二人には、違和感が募ったものだ、 が、しばらくして、ふと浮かんできた、これはやられたかもと、陰謀暴(あば)きが好きな人は、(オレを含め)五万といるが、今一度、世の中の本質に戻ってみる必要がある、世に本物などない、この原点に立つなら、まさに人生はことごとく、劇、芝居である、そして、オレはそこの役者となるわけだが、 それ故、今、世の中に起きていることに、(特に陰謀系の話題に、)いちいち目くじら立てて、やらせだ、自作自演だ、芝居だ、と憤るよりも、 はすに構えて、”おっ、またやっているな、”くらいで十分ではないのだろうか、 その点、上のコラムニスト、そして、コメンテーターの池上氏は、大変な役者だ、彼らは、法案や事件の背景など、最初から知っており、その上で、コラムや記事を書いているのだろう(と思う)、大人(演技者)は、これでなくてはいけない!?まだまだ、オレは子供、 (大人気ない、と言ったらいいかな、)今後、少なくとも、役者さん(コメンテーター、記者)には、憤りをぶつけるのは止めようと思う、
2013年04月27日
コメント(2)
内田さんと高校生のインタビュー、内容は、震災に絡めての東北論だけど、ちっとも復興が進まない現状を鑑みて、グローバル企業には国土も国民もないんです。金儲けにしか興味がない。それは彼らの本性だから変えようがないけれど、そういうものが国民国家の重大な国策の決定に与ることに、僕は反対しているんです。 ―そういう状態っていうのを改善できるんでしょうか。できませんね。これがグローバル化ってことの実質だから。安倍自民党政権というのは「グローバル化推進政権」ですから、このあともどんどんグローバル化が進行するでしょう。守るべき国土、扶養すべき国民という概念が空洞化するだけじゃなくて、国富という概念も空洞化する。つまり、人々がいかにして国富を私財に移し替えるか夢中になるということです。どうやって自分たちの私的なビジネスを税金で支援させるか、どうやって私用のために公務員を使うか、そういうことを日本人全員が考えるようになる。内田さんはあっさりしていて、グローバル化の更なる推進で、今の状況はますます悪くなると見透かす、 高校生は、政府の対応の後手後手さについて質問する、―じゃあ逆に行政のなかではそういうことは失敗と捉えきれてないということですか。ないと思う。災害対応って、マニュアルなしでどう最適な判断をするかってことでしょう? そういう訓練を今の日本人は誰もやっていないから。―どうやったら鍛えられますかだから武道やってるの(笑)。―どういうことですか、武道の意味みたいなのって。武道というのは、危機的状況をどうやって生き延びるか、その能力を開発するためのプログラムですから。ルールがあるところでライバルと競争するためのものじゃない。危機を生き延びる力を養っている。だからよく「どうして合気道では試合がないんですか?」って訊かれるけど、あるわけがない。試合があるのはスポーツでしょう? アリーナがあって、レフェリーがいて、ルールがあって、時間制限があって、何月何日何分試合開始って決まっていてやるのはスポーツ。武道というのは、いつ、どこで何が起こるかわからないという条件で、そのときに生き延びるための心と体の使い方を学ぶものなんです。最後のところがいい、いつどこで何が起こるかわからないという条件で、その時に生き延びるための心と体の使い方を学ぶ、最近は、世の中、地震やテロなど、イロイロなことが起きていて、これを予想することなど自分には不可、対策なんて取りようがないし、 なんとなく、不安ばかり先行してしまうのが今の自分、 昨日も、ボストンマラソン絡みで、記事などを追っていたけど、コー言うニュースに関わっていること自体が、自分に恐怖感、不安を醸成してくれる、それ故、このような心理的不安も含め、問われるのは、何かが起きた時、迫ってきた時、個々人のその場での対応姿勢・仕方なんだろうと思う、まさに、武道の世界だな、 で、今朝、内田さんのグローバル化の記事、そして武道の勧めを読みながら、思い返したのは、自分の敵は、一体誰なのかと言うこと、少なくとも自民党政権なんかじゃない、あれは傀儡でしかない、あるいは、米国とか、こちらも同じ、真の敵は、彼らの後ろで、グローバル化を推進する輩(やから)たち、グローバリスト、無慈悲なサタニストだろう、*余談だが、昨日、ボストン爆破の犯人にされた兄(26)の死体写真をみて、その残忍な殺し方はサタニストのそれだと直感、 今朝は、改めて、自分のライフスタイルを、見直させてもらった、 彼らに対抗する唯一の手段は、これだと思う、 闇をなくすには、光(街灯)を多くしていくのがいい、 且つ、その照度は、自分のシンプルさに比例するかと、
2013年04月22日
コメント(0)
2夜続けてのネット無しの生活で、目覚めたことがある、こちら、再度、桜井さん、足そうとすることから「足そうとする力」そのものを「抜く」こと 何もすることがなくなって、 ソファに座って読み始めたのが、この本、 もう数回、手に取っているが、今回は、少し趣が変わった、これまでは、何とか理解しよう、あるいは、記憶しようとして、ガツガツしていた、そもそも、この本に限ったことではないが、自分の読書スタイルはほとんどがこれ、それ故、買った本と言うのは、たいがい、赤線と付箋で一杯になる、が、今回は違った、 これまで、うすうすではあるが、彼の本から影響を受けてきた項目、努力しない 持たない 満たさない 求めない 急がない 熱くならない 否定しない 貫かない つくらない 計算しない 才能を磨かない 目標を前に置かない 「裏のない人間」にならない テクニックに頼らない エネルギーを抑えない 意味を求めない 運を求めない 休まない 愛さない 集中しない 尊敬しない 健康を求めない 安全・安心を求めない 育てない 教えない などなどが、心の片隅に残っていて、昨夜の自分に、アラームよろしく、ホンワカと出てきた、結果、ドーしたか、-->読まない、ソー、読むことを放棄した、読むとは、こちらから、何がしかの働きかけであり、力みが入る、それをやめる、その代わりに、受けに回る、それは、まるでシャワー、ホースで、水を浴びせられ、放り込まれているような感覚、最初は、慣れずに、ちょっと戸惑ったが、一旦、向こうから受ける癖がつくと、早かった、(入って来ることを許可する、と言ったらいいかな、)さらに、しばらくすると、 自分が大きな木の枝々で、本文が剪定者の鋏のように感じられ、自分の心の変な箇所(枝々)に、鋏が入れられ、バサバサと切り落とされていくようなーー、コー言う効果は、力まない読書の真骨頂ではないだろうか、 もはや、以前とは、流れが逆転、今までは、こちらから、アプローチしていたのに、 昨夜は、あちら(本)からのアプローチになっていた、(と言うか、それをさせている自分がいた、)この結果、面白い現象がおきる、全く、理解しようとしなかったのに、この読み方をして、半分ほど読み終えて、本を置いて、風呂に入り、しばらくしたら、何と言ったらいいか、本のエッセンスみたいなものが、カタマリとなって、自分の中に浮遊している感覚がきた、それは、一つの存在感みたいなものである、 なんとなくホンワカして、これは快感、もっとも、これは、桜井さんの本だから可能だったのだろう、巷の本では、力みが多すぎて、上の読み方をしたら、何も起きないか、おそらく、逆に体が硬くなってしまうかも、さて、今夜も、ネットはダウンするのだろうか、今のオレなら、別に、ダウンしてもいいけどね、 更新日 2013年04月12日 17時31分55秒
2013年04月12日
コメント(0)
巷には実に多くのことわざがある、・出る杭は打たれる ・疑心暗鬼を生ず ・爪の垢を煎じて飲む ・明日の事を言えば鬼が笑う ・慇懃無礼 ・他人の疝気を頭痛に病む ・晴耕雨読 ・臨機応変 (参考)「ことわざ一覧」、「故事ことわざ辞典」、それは、偉い人の人生訓だったり、歴史書や聖句からの引用だったりする、 たとえば、”急がば回れ”、急がば回れとは、急いで物事をなしとげようとするときは、危険を含む近道を行くよりも、安全確実な遠回りを行くほうがかえって得策だということ。 ”あとのものが先になる”、Many that are first shall be last; and the last shall be first.(多くの先の者は後になり、最後の者は先になるだろう) イエスの言葉、思うのは、コトワザと言うのは、大変示唆に富むが、これをまねしようとしてもできないだろうな、ということ、現実の毎日は、自分のあせり癖、欲望、短気が生み出す産物であり、およそ、(コトワザが示す)理想の生き方とは程遠い、つまるところ、コトワザとは、人生の指標でもなんでもなくて、 自分の内面に何がしかの(良き)変化が訪れ、そのコトワザの状況を体験できた人が、確かに、あのコトワザは当たっていたな、と言う具合に、あとでもの思いにふけって、まじまじと見るために用意されているものだと、思っている、 注目すべきは、おいしいフルーツ(さまざまなコトワザ)以上に、フルーツ(コトワザ)を生み出す幹や土壌(心)の状況では、
2013年04月03日
コメント(0)
昨日から、桜井さんの本を再度、手にとって見ている、 最初、この本を読んで、『努力しない生き方』 by桜井章一(2010年03月18日)丁度、3年ほど経ったわけだが、 面白いことに、今回、気に留めた箇所と、3年前のとは一緒の箇所だった、こちら、 足し算的な発想や生き方は、間違いなく行き詰まりを見せ始めている。では果たしてそれに代わるどんな生き方があるのだろうか。本書で私が述べたかったのは、この足し算の生き方とは違うまったく新しい可能性を持った生き方である。それは足していくことを止めて、反対に足したものを引いていくような引き算的な生き方だ。ただし、この引き算は「押してダメなら引いてみろ」の「引く」とはチョッと違う。単純に正反対のことをするというのとは違う。正確に言えば、足そうとすることから「足そうとする力」そのものを「抜く」ことで成り立つ別次元の引き算である。 が、今回の論点・興味は、当時のものとは異なっていた、当時、”引き算的生き方”に興味を示したが、 今回は、足そうとすることから、「足そうとする力」そのものを「抜く」こと、そう、具体的抜き方に反応した、この力の抜き方について、本書では実に多くの事例を掲げているが、理解するに当たっては、多くあるのは、返って邪魔になる、一番身近なものがひとつあって、それに適用、乗っかり体験していけば、「引き算的生き方」の理解がより深まると思う、 自分の場合、スイムで、それも、力の抜き具合がもっとも顕著に現れるバタフライ、上の、足そうとすることから、「足そうとする力」そのものを「抜く」こと、 これが気に入って、今夜のスイムもずっと頭の中にこれがあった、 そして、メドレーで泳いだわけだが、特にバタフライの時、 もう、これが、しっかりとひらめいてきていた、あらゆる恣意的力を、徹底的に(意識的に)排除した、壁を蹴って、前に進むその瞬間から、それは始まった、前に進むその自然(慣性)の前進力、頭を先頭に、体で作るうねり、おしりは常に浮かせておくイメージ 動作は、頭/胸の上下運動(浮き沈み)のみ、 ドルフィンキックはやらない、 プルもやらない、 息継ぎもしない、実際はやっているが、 意識の上にあるのは、頭/胸の上下運動のみ、 下半身は、動かさない、 下半身は、勝手についてくる、腕は、水をキャッチしない、 腕は、浮き沈みに合わせ、肩から振り回すだけ、 バタフライはカンタンだ!これだけで、前に進んだ、(進み続けた、)意識を排除するので、当然、動きはチョーゆっくりとなる、が、体が主体となって動く動きは、自分の意識がないにも関わらず、決してスローではない、 実に、なめらかないい動きをしてくれ、且つ、自然にスピードが付いてきてくれる、 こうして、スイム(バタフライ)を習い始め、7年目にして、新境地に達する、そこには、およそ、力みがなかった、(イヤ、力みはあるけど、今までのレベルよりもはるかに低い力み、)*参考で内村さんのバタフライを下記に、 今、また、彼の本を読み返しているところだが、こちらのリスト(心を空にすると何かが芽生えてくるから)、 努力しない 持たない 満たさない 求めない 急がない 熱くならない 否定しない 貫かない つくらない 計算しない 才能を磨かない 目標を前に置かない 「裏のない人間」にならない テクニックに頼らない エネルギーを抑えない意味を求めない 運を求めない休まない 愛さない 集中しない 尊敬しない 健康を求めない 安全・安心を求めない 育てない 教えない 前回見たときは、ただのリストだったが、力みのないバタフライのイメージのおかげで、俄然、ひとつひとつが活きてきた、これで、自分の悪い癖でもある、人を諭そうとしたり、説教したりといった、恣意的な”宗教的態度”ということにも、メスが入ることを望むところ、 参考)宗教としての”今生きていると言うこと”、体験としての”今生きているということ”…
2013年03月26日
コメント(0)
ウチの庭の椿、先週辺りから、落花が始まっている、結構、落花ペースが早く、木の根元には、落花した花が重なり合っていたが、昨日は、ヨメさんがだいたい集めて、処分した、で、今朝方見たら、又、落花していた、当初、この落花、あまりにも原型をとどめた落花をするので、鳥が悪さをしたのではと思っていたが、ヨメさんいわく、「椿はアーなのよ、花ごと落ちるの、だから、お見舞いに椿の花はダメなのよ、」Wiki見ると、概要ツバキの花は花弁が個々に散るのではなく、多くは花弁が基部でつながっていて萼を残して丸ごと落ちる。それが首が落ちる様子を連想させるために入院している人間などのお見舞いに持っていくことはタブーとされている。この様は古来より落椿とも表現され、俳句においては春の季語である。 ナルホド、 さらに、薬用 葉のエキスが止血薬になる。特に朝廷では毒消し(悪魔祓い)として祭事が行われた。その祭祀司を稲幡と言う。落ちた花を見ていると、イロイロ浮かんでくる、なんとなくだが、イサギヨサが感じられる、パラパラと落ちるのではなく、ドサッと落ちる、それも丸ごと、 そして、その葉のエキスに薬用効果があって、宮中では悪魔祓いにも使われたに至っては、チョッとスピリチャリティーを感じてしまい、思わず、キリストを浮かべてしまった、その十字架上での死に方、流された血の聖めの力、 マッ、それはともかく、 オレもドーセ逝くのなら、コーいう逝き方がいいかもなと、ドサッ!
2013年03月24日
コメント(0)
先ほどUpしたが、ココは個人的に、覚えておきたい箇所、自分から、力みを取ると、 自分の周囲にあった、かすかな微圧のかかった何かが、 ソーーッと自分に迫ってくるのを感じる、 ”かすかな微圧のかかった何か、”ここに集中したい、
2013年03月14日
コメント(0)
先日、Healing(癒し)とはRemoval(除く)と言うことを書いたが、これで、桜井さんの本を思い出す、 再度紐解く「努力しない生き方」で、 足し算的-何かをする人生ではなく、 引き算的-何かをしない人生、引き算のリストが目次に延々と続くが、最初だけピックアップ、第1章 「努力しない」から、いい結果になる 努力しない-力が入ったら疑え、 持たない-持つほどに不自由になる、 第2章 「何もない」から、満たされる、 満たさない-「何もない状態」は豊かである、 才能を磨かない-「生きる」という才能があれば十分だ、 第3章 「求めない」から、上手くいく、 求めない-求めると願いはかなわない、 目標を前に置かない-目標は横に置くといい、さらに、続々)弱さの強さ、争わない生き方、で、 ではドースルか、自分の動作、努力、恣意的信仰をやめること、それこそが、冒頭の、 争わない生き方、となる、抵抗(何とかしよう)を放棄、 格闘(怒り)を放棄、 努力(得ようとする)を放棄、 恣意的感謝/信仰を放棄、さすれば、おのずと、十字架の大事実は、 堰を切って、心になだれ込む、ここから、音無しの構えが出てきて、 いわゆる、恣意的というものから、 一線を引くようにしている、基本は、争わない、抵抗しない、たったこれだけだが、 いろいろ、変化が来ていて面白い、如何に、今まで、自分の恣意的なものが、 恣意的でないものの邪魔をしていたか、表現しにくいが、 自分から、力みを取ると、 イヤ、何かをしようとするのをやめると、自分の周囲にあった、 あるいは、かすかな微圧のかかった、 雰囲気と言うか、何かが、 ソーーッと自分に迫ってくるのを感じる、 JPJacksonのHealingでは、癒し・回復のためには、何かを除く、桜井さんの引き算的人生では、生き方のヒントは、多くをなすにあらず、それどころか、今あるものから引いていく、信仰生活では、恣意的にならない、恣意的なものを除く、(本来、ただ受けるだけの世界である、)こうして眺めてくると、人の生活とは、何もしないところから、(それどころか、余計なものを除いて、)スタートするのが一番のように思えてくる、 必要なモノは、既に、内外に準備・格納されており、後は受けるだけ、出していくだけの世界だ、NWOはそれがわかっているからこそ、自力本願ヨロシク、何かしなければ、と人の努力を焚きつけ、そのスピード、競争、パフォーマンスを強調する、さらに忙しさこそ人生だヨロシク、瞑想、思索などとんでもないということで、3Sを提供するのに余念がない、
2013年03月14日
コメント(0)
かつての自分を思い出す、 「貪欲はいっさいを得ようとして、いっさいを失う」ラ・フォンテーヌ参考)ラ・フォンテーヌ(仏、詩人)の言葉、
2013年03月14日
コメント(0)
今日の日記2013/03/12 05:25から、●我ら何をなすべきか。 塚本訳 ヨハ 6:26-276:26 イエスが答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、あなた達がわたしをさがすのは、(パンの奇蹟でわたしが救世主である)徴を見たからでなく、パンを食べて満腹したからである。6:27 (食べれば)無くなる食べ物のためでなく、いつまでもなくならずに、永遠の命に至らせる食べ物のために働きなさい。これは人の子(わたし)があなた達に与えるのである。神なる父上が、(これを与える)全権を人の子に授けられたのだから。」 ●高校時代は進路に悩むが、これを読んですぐ修道院にはいったり、神学校に行って「聖書でメシを食う」ことを考えてはいけない。キリストを冠につける企業や職場に飛び込むのも短絡的である。●普通の道を行け。普通の家庭をもて。そこで十字架を負って悩み嘆くのが真の神の道だ。内村鑑三は「いかにして我が天職を知らんか」の中で「平民の伝道者、貧家の良妻」に神に追い込まれる道を理想の道としている。 ●一般的にキリストの冠を受けた「職業」「職場」「活動」の人間で信仰の深い優れた人を知らない。 これはアーメンだと思った、およそ、教職者養成学校とか、キリスト教主義の会社とかにめぼしいところはない、就職するなら、ごくごく普通の、それも大手ではなく、中小企業で十分だろう、(と思う、) 丁度今、子供が就職を控えていて、名も知れぬ飲食店開業斡旋会社に決まったのだが、自分が外資の石油会社にいたこともあり、そのGapに当初、戸惑ったものだ、*先週、コノ会社の名前で、クレジットカード会社にカード発行を申し込んだら、昨日、お断りのハガキが来てしまった!?しかし、先ほどのグローバル企業ではないが、大手の会社ほど、利益最優先で、人材の扱いも、格差付けがはっきりしていて、取替え要員扱いが多い、(割り切ればOKだけどね)子供は何社か会社説明を受けたが、それらの企業には全く関心が向かなかったのだとか、 「普通の道を行け、」それでいいと思う、そして、そこで、切磋琢磨されよ!
2013年03月12日
コメント(0)
3日前に人生とはあきらめであるをUpして以降、感情が全くと言っていいほど、コントロールできない自分に、失望、絶望感が、波のように押し寄せて来ている、以前は、失望を感じても、そんなにアトアト続かなかったんだけど、(要は忘れてしまうと言うこと、)やはり、よる年波のせいかもしれない、で、ひしひしと感じる、と言うか、襲ってくる無力感は、結構、半端ない、ある意味、およそ、信仰者の世界とは思えない状態だ、 神、聖書、信仰書、ミニストリービデオ、信仰セミナー等々、今まで一体、何を見てきて、何を覚えて、何をやって来たの? の世界、まるで、役に立たない!? あるのは、無力感、絶望感、それだけ、それで、一人でいるときは、アイがない音頭を部屋で踊り、 今日は、植木等のスーダラ節を歌っていた、ホントに名曲だと思う、 (賛美歌などより、はるかにいいと思われ、) で、この失望・絶望感のせいか、最近は、新しい境地が生まれつつある、ナント言うか、力的なもの(力み)が、排除されつつあるのを感じている、もう少し別の言い方をすると、”力み”に嫌悪感を感じるようになってきている、 イエスのこの箇所、マルコ8:34 だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 ”自分を捨て” とは自己否定のこと、 今まで、まるで無縁だったこの聖句だが、無力感から、自分に絶望すると、自己否定を、わけなく(?)できる気になる、 と言うか、積極的にしようと言う気になる、この余波が来ているのが、スイム、もはや、スピードなどは全く眼中になし、徹底的にマイペース、腕のかき、足のキックを、ことごとく、排除する(?)ようになっている、ひたすら、形(フォーム)だけの泳ぎを訴求、 必然的に、手・足の動きは、コア(胴体)に連動した動きとなってくる、 この自己否定の感覚と、スイム時の力みの除去(嫌悪)は、ニュアンスがヒジョーに似通っていて、理解を助けてくれる、 そして、不思議だが、両者の共通(結果)が、”軽い”、”軽くなる”、別次元、別世界が待っている、 こちらの箇所、マタイ11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。 11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。あなた方もわたしのくびきを負って、ーー、わたしの荷は軽いからです、ーー、と続くわけだが、 一見、窮屈そうに見えるくびきなれど、 イエスと共にくびきにかかると、(自己否定すると、)負っていた荷が軽くなると言うのは、スイムの体験から、ニュアンスとして判る気がしている、
2013年03月10日
コメント(0)
この年にして、つくづく思う、人生とは、自分に愛想をつかし、いいかげんにあきらめ、 イエスに委ねていくしかないことに、気づかされる過程であると、自分への励ましのために、この聖句を掲げておこうと思う、 鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。(箴言27:17) よっしゃ、来いや!!
2013年03月08日
コメント(0)
ジムの帰りに寄るスーパー、一人、気になっている人がいる、スーパーのレジをしている男性だが、(まだおそらく20代後半と見たが、)対応がヒジョーに丁寧、その釣銭の渡し方、ユックリと、まず自分の手のひらに、レシートを置き、その上に釣銭を置いて、これをもう一つの手の指でつまみ上げ、こちらに渡してくれる、そして、両手をおなかのところで合わせて、(軽い会釈と共に、)「ドーも、ありがとうございました、」と、ユックリしたトーンで言われる、ココまでされると、快感と心地よさが満ちてきて、とても悪い気はしない、高々、レジの精算のわずか30秒の世界、 一連の動作、言葉遣いは、一種のアートにさえ思えてくる、 もちろん、これで、時給が変わるわけではない、 彼を見て、もう一人の人を思い出した、もう前の話になるが、ウチの駅(JR)には、名物改札係がいた、 朝は、改札口で、行ってらっしゃい、夕方は、お帰りなさい、これを毎日、一人一人に繰り返していた、今では自動改札になってしまって、係そのものがいなくなってしまっているが、 自分には、とても刺激的で、お金万能の世の中にあって、彼らの行為は、明らかに、お金とは一線を画している、先日、続)丁寧を武器にする、丁寧は空気を変えるで見たが、たとえば、布団をたたむ時、あるいは敷く時、洗濯物を裏返す時、シャツの袖を返す時、と言った、日常の細かい作業に、”丁寧”を織り込むと、濃密な時間が訪れる、逆に、そそくさと、 あるいは、さっさとしようとするところにはびこるのは、 殺伐とした空気である、単純な行為、作業であればあるほど、”丁寧”は光り輝いてくる、そして、丁寧とは、”本来の人”に戻して(回復させて)くれるところの、人が、本来、取るべき態度なのではと思った次第、 参考)丁寧を武器にする
2013年02月24日
コメント(0)
2013/02/21日記から、 私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。(詩編90:10) ●これは新約の光で読まねばならない。飛び去るのは来世である。永遠の命である。 時々、死がちらつく時がある、体が不自由になったりすると、なおさらだ、ああ、やだなー、と、ソーいう時は、これを思い出す、 暇な時はありがとうを ありがとうを思い出すと、不安が和らいでくる、それでも、心に残るのは、 ああ、ぽっくり逝けたらいいな、と言う願望だったり、
2013年02月21日
コメント(0)
昨日、なぜこうも自分の廻りには問題が多いのか?を書いたが、 昨夜、究極的(?)な答えがやってきた、わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。(ヨハ5-15) *この箇所は、丁度一年前の、 ピンボケの人生、詩篇127:2にある、この聖句を眺めながら、思ったものだ、つくづく、イエスの言葉と言うのは、いやみ、というか、実行不可能、というか、およそ、行動規範のようで、行動規範ではないな、と、上の聖句も、大変ポピュラーで、牧師さんや教会学校の先生方がよくお勧めに使う箇所、 「ですから皆さん、イエス様に従って行きましょうね、」 しかし、果たして、何人がこれをできているか、あるいは理解しているか、 こと、自分に関する限り、絵に描いたもちのような聖句、 先日の『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』、さて?でも同じ、律法学者からの質問で、『先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか』。 イエスが律法学者に答えたのは、 『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、 主なるあなたの神を愛せよ』 できないことがわかっているのにーー、 昨日は、問題をポジティブに見て、「自分を成長させてくれる問題さん、ありがとう!」などと言ってみたりもしたが、その時は確かに一時的に変わるものの、如何せん、アトが続かない、継続性に欠ける、魂、思考のレベルで、その発想を変えてもあかんと言うことだな!?そして、先ほど、先日の権威と力の違い、子供の祈りが思い出され、 子供が癒しの力を祈った際、神様から言われた言葉、 「なぜあなたは、私に願わないのか、」が、上のヨハ5-15の、 わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 と重なる、 マッ、要は、わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 を知らしめるために、自分の廻りには、さまざまな問題、トラブルが満ちている、と解釈し、今、落ち着いているところ、 おそらく、”当たらずといえども遠からず”、じゃないかなと思っているのだが、 イエスの言葉が輝き始めるのは、たいてい、自分がこうなった時であり、 およそ、聖書で読んだ、説教で聞いた程度では、 自分の中に光が放たれることはまずないだろうと思われ、参考)(ダメージ受けた足底筋で考える)負けて、参って、任せて、待つ、とStand still
2013年02月08日
コメント(0)
最近、よく思う、なぜ、こうも、自分の廻りには、(健康、家庭、付き合い、金銭等々で、)さまざまな問題やトラブル、はたまた、面白くないことが多いのか?と、それも、アトからアトから、絶えることがない、 で、考えられるばかりの理由を探してみた、1)自分の更なる成長のため、2)自分の足らなさ、馬鹿さを知るため、3)自分に責任(非)があることを認める訓練、4)解決策は、 任せて/待つことしかないことを知るため、5)上に聞くことを覚えるため、ココまで、書いて、なんとなくまとまってきた、まず、問題と言うのは、悪いことではなさソーだ、と言うこと、 悲観的、批判的にではなく、積極的にとらえてみるのがいいかも、 「問題さん、ありがとう、わー、わー、問題だ、問題だ、うれしいな、」すこし、乗りすぎかもしれないが、要はコー言うことだな、 次に解決策だが、 少なくとも、自分が正しいと思っている内は、解決策はやって来ソーにない、そこで、客観的になること、傍観者になること、離れて自分を見てみること、ココらへんが、最低条件のスタートポイントで、さらに、解決は内側と言うより、外側からやってくる、と言う認識に立つのがキーかと、 となると、問題が発生したら、まず、家の中で、イングリモングリしない、開放的な場所、いい雰囲気のところに、自分の身を移してみるのが先決かもしれない、自分で書こうとしない、内なる自分に任せるソーして、ユックリ歩きながら、ひたすら任せて、ジッと待ってみる、
2013年02月07日
コメント(0)
先日の長生きを考えるで見たコメント、 自民党の麻生副総理兼財務相が21日、「自分は過剰な延命治療を遺書で拒否している。さっさと死ねるようにしてもらわないと……」とコメントした。産経ニュースなど大手マスコミでは前段を抜き、老人一般の延命治療を否定する記事として掲載。ネット上で強い批判を浴びている。 (マスコミのいい加減な報道はさておき、)コメント中にあった遺書と言う言葉に反応した、一般的に遺書と言うのは書かない、と言うか、書こうとしない、縁起でもないというのが大方のとらえ方かと、*以前、相続遺言セミナーで聞いた話では、日本人で遺言を書く人は1%未満とのこと、 しかし遺書を書く人は、よく生きる人のように思える、死を見据えて、ドンと構える、やがて来るであろう、現実を逃避せず、それに向けて、淡々と対応する、但し、その死の見方、とらえ方は、決して、死に支配されているわけではない、死と言う現実を踏まえているだけである、 では、死を見据え、ドンと構えて生きていくにはドーしたらいいのか、 日々のわずらい、悩み、痛みが続く中、こんな状況で、生きるもへったくれもないではないか、思い浮かぶのは死ばかりだよ、と言う愚痴が聞こえてきソーだが、 一昨日、自分には左足のひきつりがやってきた、その時、なげやりで、やや絶望的になったが、最後の砦は、あきらめ、そして感謝であった、あきらめとは、神が取られるなら、もう仕方ない、 感謝とは、今生きているということ、これまで生きてきたこと、かようにして、その時、ようやく、自分も、生に向き合うことができ、その感謝の気持ちの中では、遺書を書くこと自体に違和感がなくなる、(実際、なくなった、)逆に、感謝の気持ちがなければ、遺書・遺言など考える気にもならないだろう、いわんや、終活やエンディングノートである、 よく生きる人とは感謝で満ちた人であり、感謝の日々に、死は入る隙間がないと思う、ズット前に書いたこれを、今思い出した、
2013年01月27日
コメント(0)
メメントモリ(死を想え)と言うフレーズがある、とらえようによって、いかようにでも取れるのだが、(死生観にもよるけど、)一般的に、ネガティブな発想しか浮かんでこないので、むしろ、生を想え、の方がベターなのかもしれない、死は勝手にやってくる、それまでが生である、生ある限り、生に全力を尽くし続ければいいだけのこと、ではないかと思った、
2013年01月27日
コメント(0)
刺激的なスペイン・ギリシャなどの失業率チャートを見ながら思った、Racing To The Revolution: Spain Vs Greek Youth Unemployment ”失業率”っていう言葉、(あるいは失業率データ、)一体、誰が作ってんだ?って、 名前からして、悲壮感が漂うわけだが、察するに、これ、企業の思惑が、(と言うか、向こう側の人たちの思惑が、)反映されている単語ではないかと、 言葉の背景に、仕事がないやつはおかしい、仕事がないのは不幸、的な発想が見え隠れする、果たして、失業率が高い国は不幸なのか、 会社勤めしていないのは不幸なのか、GDPが低い国は不幸なのか、先日のMakow氏のPoor Nations are Happiestで見た、ギャラップ調査による貧国パナマの国民の幸福感が、世界で一番と言うのは興味深い、トップ10上位は、パナマ、パラグアイ、エルサルバドルの中南米の国々、 http://www.gallup.com/poll/159254/latin-americans-positive-world.aspx#2但し、貧しい国であれば幸福とは限らず、現にロシアは100位内にも入っていない、(ちなみにUSは33位、)パナマの姿を見ると、人口340万、GDP(1人あたり)12000ドル、死亡率世界196位、平均寿命74歳、一年中温暖気候、主産業は農業、失業率はやや高いものの、その日暮しなら、サトウキビ・綿の伐採でなんとか食べていける、が正直なところ、生活水準は欧米のそれの足元にも及ばない、 しかし、GDP、生活水準が、はるかに高いシンガポールは、今回のギャラップ調査で最下位となっている(146位)、パラグアイの女性は言う、"Wealth does not bring happiness, but only problems.” (富は幸福をもたらさない、それどころか問題を起こす、)Makow氏の記事の最後の〆の言葉は、It may be true that it is not the standard of living in a particular country, but the attitude of the citizens that matters.(幸福と言うのは、その国の生活水準にあるのではなく、そこに住む市民の態度にあるというのは本当なのかもしれません、)日本人の感覚からすると、昼から、長いランチタイムで、お茶を飲んでダベッているのはけしからんとなる、根底にあるのはTime is moneyであり、 時間を楽しもうとするする発想よりも、 仕事していてこそ価値がある、的発想だろう、いわんや、失業者である!? それは、このチャートに良く表われている、 失業は恥!? とばかり、世界でもまれに見る低失業率、勤勉国家・勤勉国民、ちなみに、今回のGallup reportでは、日本は60位くらい、(正確に数えていないんで失礼!) 満足している人が少ないのはこれ如何に? 最初の疑問に戻って、改めて、”失業率”とは何なのか?また、自給自足は失業なのか? 視点を変え、幸福感から眺めるなら、失業率とは、”時間の拘束から解放された人達の率”と言い代えられるのではないだろうか、(参考)就活はするな
2013年01月25日
コメント(0)
Update(タイトル変更、いいじゃないの幸せならばー>資本主義経済への警鐘)こちら、Business Insiderから、おなじみ、スペインの25歳以下の失業率、 昨年秋までのデータで56.5%、 昨日発表によれば、-->再送:スペイン若年失業率、第4四半期は60% 統計開始以降の最悪水準 こちら、先進国(?)の平均失業率・若者失業率チャート、 スペインとギリシャがダントツ!? ヨメさんが、欧州を救うべく、秋に、スペイン賛美ツアーに行くんだが、それまで持つかなーー?? マッ、それはともかく、2ヶ国のことを思い浮かべながら、 メキシカンの漁師の逸話を思い出した、「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」 「それで?」 「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって過ごすんだ。 」 今、必要とされるのは、失業率の改善などではなく、仕事、人生に対する価値観の変換、改善ではないかと、 それは、マネーのために働く価値観から、 ”今”と言う時を味わい楽しむところの、幸福感を主体とした価値観への変換と思われる、上の失業率チャートは、資本主義経済への警鐘よろしく、人の心からの絶叫の叫びのように見えてしまった、更新日 2013年01月25日 12時04分38秒
2013年01月25日
コメント(0)
Update(マスコミ記事捏造追記)先日の大物政治家の発言、「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない。」これ、個人的には、違和感なくて、至極、当然の発言(だと思っている)、 が、世間では、揚げ足取り目的で、又、(長命)利権筋が一斉に攻撃、 命を軽率に扱っている、長く生きようとしているのにけしからん、とかナントカ、 (追記)またもマスコミがねつ造 麻生副総理「(老人は)さっさと死ねるように」自民党の麻生副総理兼財務相が21日、「自分は過剰な延命治療を遺書で拒否している。さっさと死ねるようにしてもらわないと……」とコメントした。産経 ニュースなど大手マスコミでは前段を抜き、老人一般の延命治療を否定する記事として掲載。ネット上で強い批判を浴びている。 (ナンじゃ、これは!?)マッ、その辺は置いておいて、別の視点で見てみることに、日本は名だたる長寿国らしいが、長く生きた人、長く生きることは幸せなのか??先日、NHKでこちらを放映、 終(つい)の住処(すみか)はどこに 老人漂流社会超高齢社会を迎え、ひとり暮らしの高齢者(単身世帯)は、今年500万人を突破。「住まい」を追われ、“死に場所”を求めて漂流する高齢者があふれ出す異常事態が、すでに起き始めている。 住環境が良くなり、医療が整い、栄養物が豊富、でも、孤独があふれている?? 戦後の核家族化政策(?)の負の面が出てきており、 これは決して他人事ではない、 母がまさにこれだったし、ヨメさんのお母さんがこの体験を今まさにしている、 このような現実を見ないで、長生きを絶対視して、冒頭の発言を揶揄することは無責任かと、 長く生きようとすること自体はOKだろう、問題は、それが、Tube延命だったり、薬漬けだったり、要は金儲けの口実・手段に成っている現実をドー見るか、自分が長く生きることと、他人による延命はナニが違うのか、 自ら、(自然)死を選択できないのか、いろいろ考えてしまったが、結局のところ、自分達に都合のいいことしか考えない、政府の施策、民間企業(医療、保険業界)よりも、最後は、個人の価値観に帰するのではと思っているのだが、そして、それの示唆を与えてくれたのが、こちらの写真、 拡大 pic.twitter.com/Dk7Ypj6Q (特攻隊の是非は置いておいて、)20歳そこそこの青年が、250k爆弾を積み、明日の出撃を前にして、この笑顔は何か?彼らの前にあったのは、使命感、充実感、彼らに、死を云々する隙間(時間、余裕)は、微塵もなかったのではないだろうか、と推測、 そして、これこそが、長生きを考えるヒントになるのでは(と思った)、即ち、人生を考える時、長さを尺度にすると、ドーもかみ合わない、長い短いではなく、今をドー生きているか、生きるか、上の青年達の笑顔を、再度、見てみる、 そうしている内に、死なんて、勝手にやってくるわけだし、 ソー言う意味で、彼女はやはりすばらしかったと思う、 「みなさん、本当の幸せって何だと思いますか」 制服姿の中学2年生の少女が、聴衆に問いかけた。 「それは『今、生きている』ということなんです」 人は、いつから人生を長さで、考えるようになったのだろう?いや、正しくは、考えさせられているのだろう?か、 更新日 2013年01月24日 02時25分00秒
2013年01月23日
コメント(0)
奥村さんの今日の記事の紹介本から、 小山進著 『丁寧を武器にする』 祥伝社 1,575円 パティシエ エス コヤマは開店して9年になるケーキ屋で、目玉は1本1,260円の「小山ロール」である。今までの最高売上は1日1600本。パティシエ エス コヤマ ショップTOP 兵庫県三田市という片田舎にあるケーキ屋「エス コヤマ」。 エス(es) は無意識の欲求を意味し、無性に食べたくなる、まさに人が無意識に食べたくなる一品であり続けたいという、小山氏の決意が込められている。 ひとつの商品を深く掘り下げて考えることで基礎力がつく。その基礎力は「丁寧な力」である。どんな仕事でも丁寧な心こそ仕事の基礎力である。 それを身につけたら、接客時も小さなことに目を配れるようになる。「丁寧を武器にする」と言うタイトルがいい、こちらでも、過去、リッチに生きるとはゆっくり丁寧に行動することで、この世をリッチに生きるのに、難しいことはいらない、 金も要らない、ただ、ゆっくり行動すればいいのだ、 普段の何気ない動作がいい、箸の上げ下げ、歩き、呼吸、等々、 特別なこと、刺激的なことは何一つ必要ない、ただゆっくり丁寧に、これぞ知足の生活の極意、 と書いたが、 リッチライフの肝(ユックリ丁寧)は、敵の要塞(怠惰、失意)をも破壊する武器でもあったわけだ、
2013年01月21日
コメント(0)
このフレーズは、過去に何度か出会っている、よく引用などもして、好きな言葉の一つだが、 しかし、今日ほど、(と言うか、ここ2-3日の間だが、)腑に落ちた時はなかった、生きているだけで儲けもの、 今、ここに存在しているだけ、ここにいるだけ、あるいは、歩いているだけ、座っているだけ、それだけで、うれしくなってくると言うのは、過去にそうなかった、変な感覚だが、 何をしていても、うれしいとなると、何もしなくてもうれしいわけで、逆説的だが、一切の行動の制約が取れた感覚でいる、 ああ、ドーなるのだろう、オレは??
2013年01月20日
コメント(0)
(力み(古き人)からの解放の続き、) 先日、今夜のバタフライは反省のバタフライだった、 なぜなら、 自分の力量でやろうとしたから、 自分のペースでやろうとしたから、 自分の過去の経験でやろうとしたから、 と書いたが、これは、ブログにも当てはまる、自分で考え、書こうとすると、ろくなものができない、(書けない、) また、ネタ探しのネット徘徊は、自力・ガンバリの助長、そこから生まれ出て来るのは、クリエイティビティーに欠け、且つ、疲労の元となる、内なる自分に任せること、彼は、最善を知っている、そのためにも、一人、ボケッとするのがいいと思う、散策などは、最高のひと時ではないだろうか、
2013年01月18日
コメント(0)
(先日の自分の存在そのものが礼拝の続き、) 自分でエイトビートバタフライを目指し、エイトビートバタフライを泳ぐと、沈む、と言うか、実際、沈んでしまった!?今夜のバタフライは反省のバタフライだった、 なぜなら、自分の力量でやろうとしたから、自分のペースでやろうとしたから、自分の過去の経験でやろうとしたから、 本来、体が一番よい泳ぎと言うものを知っているわけで、こちらは、体のコンディションのみを提供することになる、そこに、自分の頑張りが入る余地はない(はずなのだが)、最後のターンで、ようやく、本来のペースに戻ったが、体に任せることに気づくまで、15分ほどかかってしまった、 如何に(昨日の)成功体験が、自分の泳ぎを害しているかのよい例であった、 そして、この自分で何とかしようとする傾向は、バタフライに限らない、自分の生活の一挙一動に、深く入り込んでいる、まず、性急さが前面に出てきて、 些細なことを省略し、早く終えようとする、その結果というか、実(フルーツ)は、いらいらの苛立ち、不満、怒り、疲労へと続く、さて、この根はなにか?それは、 「人の存在は、それだけで尊い、」(その尊い人から派生するあらゆる行為、動作も尊い、)この原点の欠如ではないか、ここに戻る必要がある(と思う)、この自分への尊重感、敬意感なくして、行為、行動の変換(ユックリ)はできないだろう(と思う、) ところで、”ユックリ”については、もう随分とイロイロ書いてきており、ユックリが、リッチライフの源泉となるであろうことは、 4年も前から、頭の中に充分入っているつもりで、後は、ユックリを行動に現すのみなのだが、これがなかなか根付かないでいる、そこで、ユックリがリッチライフの源泉なら、そのユックリの源泉を押さえる必要があると感じた、 それが、今夜の、 自分は存在していること自体が尊い、である、 一挙一動はその延長にある、一挙一動に優劣はない、 ユックリと、尊い自分を思い浮かべながら、”ユックリ”に取り組みたいと思っている、 参考)宗教としての”今生きていると言うこと”、体験としての”今生きているということ”… 「みなさん、本当の幸せって何だと思いますか」 制服姿の中学2年生の少女が、聴衆に問いかけた。 「それは『今、生きている』ということなんです」 人生を複雑にしない100の方法 ポイントは、多くを求めるのではなく、足るを知ること、大量消費と効率優先の社会にあって、人生の最良は、実は何もしないこと(行動よりも存在重視)に気付けばアトは早い、
2013年01月15日
コメント(0)
Update2子供が就活しているだけに、内田さんのタイムリーな記事、就活についてのインタビュー2013.01.12 「就活なんか、するな。卒業するまでは大学生として大学での活動に全力を尽くし、卒業してから、その先のことは考えなさい」というのが私の年来の主張である。今していることをおざなりにして「ここではない場所で、あなたではない他の人たちとする仕事」に前のめりになっているような人間をあなたは重用する気になるか。 私はならない。そんな人間はどこにいっても使い物にならないということを経験的に知っているからである。(中略)就活は、能力が高くて安い賃金で働く若年労働者を大量に備給して欲しい経済界の要請により、経済産業省や文部科学省と就職情報産業が共謀して作り出した仕組みです。文科省と経産省が仕掛けている『グローバル人材育成戦略』を読むと、気分が滅入ってきます。グローバル人材というのは、要するに英語ができて、タフなネゴシエーションができて、辞令1本で翌日から海外に赴任できるような人間のことだと言われています。 (中略)言っておかなければならないのは、学生の不安をあおっている元凶のひとつが保護者だということです。 とくに母親。母親は自分の子どもが『弱い』生き物だと思っている。これは懐妊し、出産し、育児してきたことの実感ですから、否定しようがない。母親は子どもが『他の子どもと同じようなものであること』ことを本能的に願う。子どもが悪目立ちすることを恐れる。だから、他の学生たちが就活していれ ば、自分の子どもにも就活して欲しいと思う。みんなが大企業狙いなら、自分の子どもにも『お願いだから、大企業に就職して』とすがりつく。(中略)皆さんは就職を考え始めて、『自分に何が向いているのか』『自分は何がしたいのか』と考えたと思います。でも、それが大間違い。 自分がどんな仕事に適性があるかなんて、誰にも分からないからです。適性というのはやってみて、あとからわかる。僕が無職で、頼まれ仕事だけで暮していた頃に気づいたことがあります。それは僕に仕事を頼んでくる人の方が僕の能力や適性について僕以上によくわかっているということ。向こうは僕にならそれができると思うから頼んでくるわけです。だから、頼まれた仕事は何でもやりました。経験のないことでも二つ返事でやりました。 他者に呼ばれること、calling には『天職』という意味もあります。自分のすべき仕事は自分でみつけるのではありません。仕事の方が呼びに来るのです。もしあなたを呼んでいる声がまだ聞こえないのであれば、とりあえず『猫の手も借りたいくらいに人手を求めています』という現場を探して、そこで働いてみてください。とりあえず呼び声が聞こえない就活生は全員被災地のボランティアに行けばいいんじゃないですか。 これ、早速、子供にメールしといたわ、 追記)さっき思ったんだけど、これ、ナントナク、ナントナクだけど、自分にもあてはまりソーな予感、 オレの場合、就活ならぬ、終活を考えている最中だけど、 特に最後のところ、自分のすべき仕事は自分でみつけるのではありません。仕事の方が呼びに来るのです。この年齢なので、たいそうな呼び出しはないと思うが、万が一ということもあるので、一応、心的、もの的には身軽にしとかんとな、イザと言う時に動けなかったら、目も当てられんし、 所有することの本質追記2)Callingに応える発想って、これじゃねーかい、イチロー逆転2ランの振り抜きはアートの世界 いい玉を待つのでなく、来る玉にあわせる、 それは、自分に向けて来たのだから的な、 Callingに自分を合わせる柔軟さ(体&心)があってこそ、更なる前進がある!?
2013年01月12日
コメント(0)
先日の呼吸のための呼吸体操がとっかかりで、それが呼吸スイムに波及し、開眼!? 呼吸のリズムに合わせた動きが、自分の周りに、少しづつ、浸透しつつある、既にウォークでは、ユックリが自分のスタイルになっているけど、この呼吸ベースの動き(ユックリ)は、そのユックリとは、チト、ニュアンスが異なる、結果的に、ユックリになっているが、ユックリしようとして、ユックリなのではない、呼吸の吸う・吐くのリズムに合わせていると、(-->呼吸が乱れないペースで動くと)、自ずと、動作(ウォーク)がユックリになってくるのだ、そして、それが、心地よいことこの上ない、体全体が呼吸に合わせて動くとは、かくも気持ちがいいものなのかと、感動の一言、 で、思ったよ、このすばらしい感動を、体験させないようにしているのは誰なのかと、他でもない、モモでも触れたが、時間泥棒達だろう、ソウ、NWOの面々、 NWOは、人間らしい生活を奪うべく、せかし続ける、Redeeming the time「時を贖え」とは何か社会全体に、Time is moneyヨロシク、ハイスピードとハイパフォーマンスを要求し続ける、 が、時間とは使うものでも、また、管理するものでもあるまい、もちろん、Time is moneyなんかでもない、 時間は生きている、Time is Lifeだ、時間には”味”がある、そう、時間とは、本来、味わうものなのだ、 その味わいを引き出してくれる呼吸ウォークは、リッチライフの源泉である、 参考)以前、リッチな生き方で、コー書いた、リッチに生きるとはゆっくり丁寧に行動すること この世をリッチに生きるのに、難しいことはいらない、 金も要らない、ただ、ゆっくり行動すればいいのだ、 普段の何気ない動作がいい、箸の上げ下げ、歩き、呼吸、等々、特別なこと、刺激的なことは何一つ必要ない、ただゆっくり丁寧に、これぞ知足の生活の極意、 それで、リッチに生きるべく、ーー>全力を尽くし、 ユックリ、生きる(取り組む/楽しむ/味わう、) と結論、決心したわけだが、 このゆっくり丁寧に生きる、のユックリと、今回の呼吸ベースのユックリは異なる、呼吸ベースのユックリの方が、恣意的なものが消えて、極めて自然である、 更新日 2013年01月08日 23時53分38秒
2013年01月08日
コメント(0)
”死”の対比で、”生”は初めて、その存在、価値が輝き始める、メメントモリ(死を想え)、 「みなさん、本当の幸せって何だと思いますか」 制服姿の中学2年生の少女が、聴衆に問いかけた。 「それは『今、生きている』ということなんです」
2013年01月07日
コメント(0)
昨日は、ヨメさんの実家(田無)へ行く、古い都営住宅(4F建て)の狭い部屋(2DK)に、各兄弟姉妹・家族10人が集まって、わいわいがやがや、で、感動したのは、さして暖房も入れていないのに、多人数が集まったせいか、寒くなかったこと、やはり、集合住宅は一軒家と違う、 まあ、顔見せだし、(中にはタバコまで吸う人がいたりで、)そこそこで切り上げ、帰ってきたわけだが、 今回の肝は、実は、(実家に行ったことよりも、)その往復3時間以上の電車の中で、行きも帰りも、空席にかかわらず、ほとんど立っていたこと、もちろん、踵荷重で、(ほぼ疲れない、) そして、立っていただけではない、呼吸もしていた(!?)そう、例の丹田呼吸、ことあるごとに、思い出しては、吐くを基本に、おなかを引っ込めたり出したり、さらに、空間と場所が許せば、ストレッチで、両手を挙げたりおろしたり、上半身を曲げたり、ひねったり、かくして、実家までの往復は、退屈することもなく、とてもよい、運動の時間と相なる、そして、昨日の体験から、今年(今後)は、このパターンでOKではないか、と言う予感が、今している、もう、多くを必要としない、呼吸ができて、体が動かせたら、それに勝るハッピネスはないのではないだろうか、
2013年01月02日
コメント(0)
Catastrophic eruption is brewing in Japan(31.12.2012) さて、年初は、猿渡さんの問いかけ、「みなさん、本当の幸せって何だと思いますか」 を思い出しながら、こちらを聞きつつ、新年を迎えるとしよう、ジュリー・ロンドンのThe End of the World、 *The End of the Worldを、”地の果てまで”と訳す歌詞がたまにあるけど、”世の終わり”だよね、 終末観とラブソングの絶妙なコラボ、 ジュリーは問い続ける、なぜ、太陽は輝き続けるの、 なぜ、波は絶えず打ち寄せるの、 なぜ、鳥はきれいにさえずっているの、 なぜ、花は美しく咲いているの、 なぜ、星はきらめいているの、 なぜ、心臓は鼓動を続けているの、その答えは、It's the end of the world、 ”それは終わりがあるからよ”、 限りある人生、 願わくは、今年、(私を含め)皆さんの感性が一段と増していきますように、
2012年12月31日
コメント(2)
(続)所有することの本質、拾ったボールペンがオレを支配するの続き、) 大晦日の夕方、ひそかな楽しみは、スーパーの投げ売り、午後6時を回ると、半額の札がペタペタと付けられる、 ソーでなくても、明日(元旦)は、ほとんどの店が休みなので、勢いがつく、 一応、散歩がてら、一通り回ってきて、今夜の食材含めて調達、それはいいのだが、安さに釣られ、食パンは3パック、(行くとこ行くとこで半値攻勢に会う、)バナナは12本、(最後だよの一声で、つい、)コロッケ4ヶ、(大してうまくないのだが、半値ゆえ)、等々、一人ではチョッと、と思える量を買ってしまった、 極めつけは、もやしで、既に、2パック(半額で)買ったにも関わらず、最後に寄った生協で、成田もやしタイムサービス10円に負けて、マタ、2パック追加、今、目の前にあるのだが、もやしは、昨日買った分があるのに先ほど気づき、思慮の浅さ、及び安値買いの性分が、一向に改善されていない自分に唖然としている、で、問題は、今日の夕食、一人なのでチョッと贅沢には、全く、その気配さえなく、 買いすぎたパン、モヤシ、コロッケ、必然的にこれらが主食となり、 *もやしは日持ちしないため、無理やりサラダにして平らげたーー、 処理を目的とした夕飯の味気ないこと、われながら、今夜は考えさせられた、本当の豊かさ・リッチとはなんなのか? 買ったもの、所有したものが、自分を支配することはわかっていたはずではないか、 所有することの本質今ここに、安値買いで買ったものに、しっかりと支配され、人生ならぬ、大事な食事タイムまで奪われ、棒に振った男が、年の瀬も迫った中で、モクモクと懺悔の日記を書いている、
2012年12月31日
コメント(0)
昨夜、シューカツの話題で浮かんできた、命を見つめて 猿渡瞳 みなさん、みなさんは本当の幸せって何だと思いますか。実は、幸せが私たちの一番身近にあることを病気になったおかげで知ることができました。それは、地位でも、名誉でも、お金でもなく「今、生きている」ということなんです。*彼女は13歳、骨肉腫で、作文発表の2ヶ月半後、召される、 Video-->猿渡瞳さん 弁論大会 見る時期、読む時期によって、このメッセージの受け取り方は違ってくる、死期が近づいてるからこそ、”生”に対し、敏感、真剣になる、13歳で召されたが、それは短かったのだろうか、(個人的に、)”今”の重さに気づかずに長生きした人より、はるかに良い人生だったのでは、彼女のメッセージは、自分の鈍感さを揺さぶり、再び、存在(今生きていること)の感動を突きつけてくれる、
2012年12月28日
コメント(0)
今週から子供がシューカツ(就活)を開始、今日、最初の2社に面接に行って、先ほど、帰って来た、そして、開口一番のセリフが、「ゼンゼン、イメージと違ったわ、」マッ、これから、イングリモングリしながら、進めていくのだろう、 そして、自分も、今週、シューカツ(終活)の一環を始めた、例のHSBC(日本・NZ両方)をクローズさせ、その移動先・受け入れ先口座を開設した、開設先は、信用金庫 、口座の種類は、振替専用口座(決済性口座とも言う)、(これは郵貯にも開設、)日銀の10兆円金融緩和で、外国為替・株式の上昇の環境の中での、それとは全く無縁な信金の振替専用口座開設、来たる大規模ネットトラブル(?)には、通帳対応と窓口対応で、預金封鎖時(?)は、封鎖順番が最後であろう振替口座で、リスク最小環境を備えた(つもり)、 この信金と言うのは、およそ、その利便性、早さ、安さでネット銀行の対極を行く、特に、グローバルHSBCなどと比較すると、そのローカル性が際立ってくる、窓口(対面)が主体、その地域(東京神奈川)だけ、通帳主体の金銭管理、高い他行への振込み料(640円/回)!?有料のキャッシュカード発行(1000円)!? -->高いのでカード不要にしたよ、一応、ネット対応も頼んだが、だいたい2週間かかると言われた、 だが、もうこれで充分、自分の残りわずかな時間に、リスクなどとる必要がどこにあるだろう、 金利を含め、あの上がった下がったに、一喜一憂しなくて済むと思うと、ホッとした面がある、後は、許されるなら、あのThe Best Exotic Marigold Hotelを参考に、「朝目覚めたら、精一杯生きる、 それだけでいいんだわーー、」 いかに活動するか、何をするかよりも、自分の存在、あり方に焦点をあてて、過ごせたらと思う、それは、自分の存在そのものが礼拝の世界であり、体重から解放されたウォークはそのヒントを与えてくれる、 参考)気遣うものが少なければ少ないほど豊かである (最大の気遣い:マネー&セックス)ヘンリーデイビッドソローは、かつてこう言った、「人は、気遣うものが少なければ少ないほど豊かである、」 真に豊かな人というのは、マネーについてケアしない人だ、 (残念ながら、多くの金持ちはこの逆をいっているが、) 実際、現実世界を見るなら、人はマネーを持てば持つほど、その気遣いだけで、毎日が暮れていく、
2012年12月27日
コメント(0)
全500件 (500件中 151-200件目)