全500件 (500件中 251-300件目)
Updateソー言えば、内田さんも言っていた、 「身体の言い分」 よっぽど、皆さん、 誤解しているらしい、 チャンスとは、 自らつかむもの、作るものである、 で、ここまで、錦織君/内田さんの話を聞いてきて、ひとつ思った、 チャンスとは、実は、人格を有するのではないかと、 ってことは、 チャンスに好かれる人になることが、 先決問題なんじゃないかと、 チャンスとタイミングは、コインの裏と表だろう、 攻め急ぐ人、 勝ち急ぐ人のように、タイミングをコントロールしようとする人は、 嫌われる、ってことなんだろうな、 では現実問題として、急ぐ性質だらけの性急な自分が、「待つ」ようになるにはドーしたらいいのか、 すぐには、ドーせできないだろう、 と言うことで、当面、急がないふりをして、急場をしのいで見ることにする、更新日時 2012年1月12日 11時20分45秒 追記)あっ、忘れてた、 オレの古い性質(性急さ、ガンバリズム)が大好きで、オレの古い性質に、「ほら、もっと急げ!、もっとガッツだ!」と、しょっちゅう声をかけてくるあいつのことを、 偉大なる急ぎ手でガッツマン、且つそのアオリにかけては超一流の、彼を忘れては失礼だな、
2012年01月12日
コメント(0)
Update チャンピオンを破るわ、全豪シード選手になるなど、快進撃の錦織選手、 今朝の朝日スポーツ欄に、快進撃のきっかけが解説されていた、 「今まで、上位の選手に勝つには、 すべてのポイントで鋭く、重いボールを打たないとだめだと思い込んでいた、攻め急がず、辛抱すれば、チャンスは来ることに気づいた、ターニングポイントです、」 ウウーーン、まだ、若いのに、”待つこと”の極意を、体験、会得してしまっているのはさすが、神がその人に与えたもうところの、ベストタイミングを待てる人は多くない、 自分から仕掛けたり、 自分で何かをしようとして、自滅する人の何と多いことか!?*自分のことだが、 これ、先日書いた4つにも言えるな、平常心、証、長生き、幸福、あっ、それと、投資の世界もソーかな、 更新日 2012年01月11日 23時32分51秒 追記)上の記事のポイントは、「攻め急がず、辛抱すれば、チャンスは来ることに気づいた、」ではないな、むしろこっち、「今まで、上位の選手に勝つには、 すべてのポイントで鋭く、重いボールを打たないとだめだと思い込んでいた、」 自分が頑張らねばならない、が主眼のこれまでのプレー(人生)、これでは、どこまでいっても今までと変わらない、 この現実の壁の存在に気付いたところが、今回のターニングポイント、
2012年01月11日
コメント(0)
Update最近、自分の頭の中に出てきた言葉、 平常心(のレッスン)、証(になる、ならない?)、長生き、幸福、*これだけじゃないんだけど、とりあえず、これだけで、さて、これらの共通点は何?答えは、つかめそうで、つかめない、できそうで、できない、ありそうで、ない、ってなところか、 要はつかみどころが、あいまいなものばかり、それでは、もうひとつ、それらあいまいなものを、具体化する策はあるか?実は、昨日のバタフライの余韻がまだ残っていて、 今日、泳ぎながら、上の4つの言葉や、質問が浮かんできた、そして、答えらしきものも浮かんできた、 今日のバタフライも、昨日の延長で、ナカナカ快調だった、キックやら、沈み込みを、もう、いちいち考えながらは泳がない、全部、体にお任せだったが、体が勝手にバランスを取ってくれる、ここで、自分に必要なのは、体が要求する柔軟性、 その時、その場での状況は、それこそ千差万別、それ故、プール入水前の、(イヤ、普段からの、)準備(呼吸体操/均整体操など)は、欠かせない、柔軟にしておく、*ここは、体だけではないな、心的にも、決めつけない/固執しない、だな、 ソーすると、(体、あるいは環境が、)勝手に動いてくれる、ココらへんが、上の4つを成就するところの、キーなのではと思った次第、しかし、残念なことに、イニシアチブは自分にはないし、タイミングも自分では決めれない、(マッ、それの方がいいかも、)更新日時 2012年1月7日 23時46分2秒 追記)体と、あと心の方の柔軟策、 いつも、ボロ雑巾でいる、飾らない、気取らない、そのマンマ、
2012年01月07日
コメント(0)
しもべであるはずのお金が、主人になるとドーなるか、宝くじ高額当選者たちのその後の人生2011年12月31日13時00分 ODDEE.comでは、高額当選者たち10人のその後の人生を紹介している。1.キャリー・ロジャース(Callie Rogers)16歳で190万ポンド(約2億3,000万円)が当選。服を買いまくり、パーティ三昧、豊胸手術などに浪費。2度の自殺未遂を起こし、22歳になった現在は2児の母。メイドをしながら浪費した分の借金返済に追われている。2.ジャネット・リー(Janite Lee)韓国からの移民であるジャネットは1993年、52歳で1,800万ドル(約14億円)が当選。大学施設や韓国教会の牧師の家族、また民主党に約30万ドルの寄付をし,当時の大統領ビル・クリントンや副大統領アル・ゴア、韓国キム・デジュン大統領らと食事を楽しんだ。さらに韓国系アメリカ人団体に家を寄付、ギャンブルにも手を出し2001年、破産法第7章に基づき破産申告をした。3.“ジャック”・ウィテカーJr.(“Jack” Whittaker Jr)2002年当時、ジャックポットでの最高当選額となる3億1,500万ドル(約250億円)を獲得。それまで建設会社の社長として穏やかな人生を送っていたが、その後、飲酒運転や脅迫で2度逮捕。ストリップクラブで遊んでいる間に車上荒らしに遭い,現金54万5,000ドル(約4,200万円)を盗まれた。その後も盗難や訴訟が続き、妻とは離婚。2003年に孫娘の恋人の自宅で遺体が発見された。孫娘は小遣いとして週2,100ドル(約16万円)をもらっており、ジャックの遺体発見から1ヵ月後に、薬物の過剰摂取で死亡した。4.ケン・プロクスマイア(Ken Proxmire)機械工のケンは100万ドル(約7,800万円)が当選。兄弟で自動車ビジネスをスタートさせたが、4年で倒産した。儲けを度外視していたのか、息子いわく「父は貧乏性で、すべての人の面倒を見ようとした」のだそう。今は元の機械工として働いている。5.イヴリン・アダムス(Evelyn Adams)イヴリンは1985年、翌年86年と立て続けに当選。合計540万ドル(約4億2,000万円)を手にした。しかしギャンブル好きが高じて全財産を失くし、20年以上を経た今は家もなく、トレーラー暮らしの日々を過ごしている。6.ジェフリー・ダンピエール(Jeffrey Dampier)こちらは本人には何の罪もない例。1986年、2,000万ドル(約16億円)が当選したジェフリー。家族や友人に車や家など贈り物を大盤振る舞いしたが、義妹とその恋人はジェフリーを誘拐、銃殺した。2人は終身刑となっている。以下略、自分にも似たような経験があるので、とてもコメントできる立場ではない、 で、ひとつだけ、(これは自戒を込めて、) 大金を手にして、普通の生活を送ることができる人がいたら、自分はその人を尊敬したい、マネーをコントロールしているからではない、マネーの後ろで操る人に勝利しているからだ、 マネーとは、単にマネーにあらず、彼(サタン)が活用する、強力な(欲への)誘引剤である、
2012年01月01日
コメント(1)
昨日の新聞広告欄に、これがあった、 プライド(慢)、支配欲、快楽への欲求、そして「死にたくない」という思い―。自分のあるがままの心を見つめ、受け容れていくと楽になる。心を苦しめるものの正体を知り、平常心を身につけるための実践的な方法をやさしく説く。 1章 なぜ、平常心でいられないのか?―「プライド=慢」とのつき合い方(「平常心」から連想する言葉;「執着する」ということ)2章 なぜ、人を嫌いになるのか?―仕事、友人、家族との疲れないつき合い方(そもそもなぜ「好き」「嫌い」という感情があるのか?「支配欲」があるから、平常心でいられない)3章 喜怒哀楽を、お釈迦さまはどう教えているか、―仏道式・感情コントロール(喜怒哀楽は、良いことか、悪いことか;好き/嫌いのシステムで、うまく生きることは難しい)4章 生老病死に平常心で臨む―死を受け容れるレッスン(お釈迦さまの最初の説法;求不得苦―求めて得られない苦しみ)5章 平常心を身につけるための日々の習慣―焦らず、諦めず(「こうしなければならない」という状態から解放する;瞑想する時間)タイトル通り、確かに、「平常心で生きると楽になる、」かも、 が過去の自分の体験からするなら、 このカオスの世界で、カオスの人間が、 平常心でいると言うこと自体、とても難しいことだと思う、ここで個人的に言えるのは、平常心とは、 付帯的な結果であって、 目指してできるものではないと言うこと、*これは幸福論に似ている、 幸福はどこにでもあるが、それを目指しても幸福はない、また心理的に、思いを変える的なアプローチは、長く続かないであろうということ、*魔法の4つの言葉(感謝、赦し、愛、謝罪、)とか、焦らない、ゆったり、怒らない、ゆだねる、素直に、等々---いずれもむなしい(?)響きが漂う、平常心とは、霊的な世界に属することのゆえ、(上記のような)精神的(心理的)なアプローチをすると、空回りして、堂々巡りになってしまう(のではないかい?)、
2012年01月01日
コメント(0)
当時、父は46歳、姫路勤務を最後に、公務員職を辞め、度重なる転勤生活に終止符を打った、転職先は横浜の民間の造船会社で、ドッグマスターとして、転職、(給与は半減したとか、)さしたる資産もない中、始まったのは磯子の潮見台団地での社宅生活、母親は、この時点で、住宅公団の土地分譲抽選に申し込む、それがここ洋光台、当時、JR根岸線は磯子駅までで、ようやく洋光台駅ができたばかりの頃、 根岸線の歴史(青が現在) さまざまな思惑で路線ルート決定も難航したが、土地抽選会も熾烈を極めた(らしい)、うちは36倍だったが、周囲の土地は100倍越えがゾロゾロだったとか、奇跡的に当たった時の、母親の喜びようは今でも覚えている、家が建つと、父は茨城の実家(牛堀)から、車で、祖先の槍、刀、鎧、掛け軸などを運び込んできた、 ここで、今日、ご先祖はおわしますを書いたせいか、ご先祖的視点で当時が思い出されてきた、父の姫路勤務最後の年(1971)、父が友人に連れて行かれ紹介されたのが、 *まさか、アトになって、自分にもこの神社が、西宮で現れるとは、夢にも思わなかったが、 これに影響されたのか、当時、父は、私費出版で、うちのルーツの本をまとめている、父は、浄土宗の檀家だったがゆえに、素朴な疑問だったのだろう、先ほどの、土地分譲抽選会(36倍)当選の件を振り返る、抽選会は1971年、これは父が辞めた年(1971)でもある、イヤ、(ここはご先祖的視点で、)父が多田神社へ出向いた年(1971)でもある、思った、 ご先祖は、自分のルーツに気付いた父に、プレゼントすべく、ここ洋光台の土地を与えてくれたのではないだろうか、と、長谷工の大阪営業部長の、セミナーでの言葉がよみがえる、「不動産は縁ものです、」「土地が人を選ぶようなところがあるんですよ、」今年3月、召天した父と母、住宅公団の抽選に当たって、イヤ、多田神社に巡り会って、丁度40年が過ぎた、
2011年12月31日
コメント(0)
今朝方、眠気まなこの中、フト、何気なく、日にちを思い出して、再度、計算などをしていた、父が亡くなったのが3/22、父母が神職/十二単姿で現れたのが5/1(40日目)、(2日後、昇天していくのが見えた、) 父母の正装を読み解く 父の後輩の西沢さん(71)が、奥様とドライブに行った芦ノ湖で、満仲(ご先祖)の墓に、偶然遭遇したのが6/16(86日目)、(満仲86歳、父も86歳、これは偶然か?) N氏が持ってきた多田満仲の石碑の写真 以降、実家の庭の(電池切れ)ソーラー灯が、一日だけ点いたのが8/17、(丁度お盆で、送り火のような印象、) 送り火父母の納骨、先祖の供養が9/10、(帰り際に、雲の上にたくさんの武士の姿が現れる、)雲に乗った武士達 その他にも、父が亡くなる直前、うちの納戸から、清和天皇、多田(源)満仲を祖とする家系図が現れるなど、 祖先の思いが、布団の中で、ひしひしと伝わってきた、 「ちゃんといるんだよ、」 年の終わりに再度掲げたい、 こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に、雲のように囲まれているのであるから--、 (へブル12)
2011年12月31日
コメント(0)
「相手は相手、私は私」、と言うフレーズがやって来た、要は、Going my way. だ、以前だったら、コーはいかん、バビロニアのハムラビ法典よろしく、「目には目を、 歯には歯を、」やったら、やり返せ、言われたら、言い返せ、これが、自分のこれまでの実際のスタンダード、 しかし、今日、日中、均整体操を交えて、付近を散歩しながら思った、 イヤ、思えて来た、相手にそのまま反応してたら、いつまでたっても、今のままと変わらんって、自分は自分のままで、相手の対応とは関係なく、対応する、*マッ、このように捉えられると言うことが、ひとえに感謝なこと、実際は、頭で分かっていても、ナカナカ、コーはいかんのだから、 昨日の「よく死ぬものはよく生きる」が、そのまま実現したような今日のフレーズ、「相手は相手、私は私」、ウウーン、死ぬって、意外といいぞ、
2011年12月29日
コメント(0)
努めて力むは、努力と書く、で、努めて力まない努力をしたら、ドーなるか?等々、わけわかめを含め、昨夜から、寝ても覚めても、「努めて力まない」が頭の中を行き巡っている、力むとは、フィジカル的に言うなら、筋肉を使うことだろう、だから、高岡さん的に解釈すれば、力まないとは、筋肉を使わないことに行き着く、そんなんで、普段の立ち姿勢なども、彼みたいに、 骨で立つ、 を実践すれば、自ずと、脱筋肉で、力みが消えるのではないか、と解釈、先ほど、ジムからの帰り道、実際に脱筋肉のウォークを実践してみた、 骨だけで歩く、筋肉に極力負荷をかけない、 *実は、これは自分がかつてやっていた、(今もやっているが、)骨盤リフトアップウォークだ、骨を意識して歩くと、改めて、歩き易さを感じてしまった、 ナルホド、なんとなくだが、「力まない」と言うニュアンスが伝わってきた、泳ぎなんかも、内村さんに言わせれば、脱筋力で、骨で泳ぐのだとか、 Swimming-Backstroke, Breast, Butterfly, FreeStyle. 努めて力まない、のフィジカル面は、まず、筋肉に頼らないで、骨で立つ、骨で歩く、骨で泳ぐ、等の骨の動きのみで始めてみる、 では、努めて力まない、のメンタル面はドーか?当の桜井さんは一杯書いている、 足し算で生きている人は、慢性的に「足りない」という気持ちに追われるわけだが、それにとらわれるあまり、すでに「足りている」部分を大事にしなくなる。足し算の人生の落とし穴はそこにある。「努力しない」から、いい結果になる、「何もない」から、満たされる、「求めない」から、上手くいく、「つくらない」から、いいものが生まれる、「計算しない」から、負けない、他に、「才能を磨かない」:「生きる」という才能があれば十分だ、「急がない」:ゆったりとすると物事を鋭くつかめる、「熱くならない」:熱血はあてにならない、「否定しない」:嫌なものも自分の中を通してみる、「貫かない」:多様性を生きるとキャパも広がる、 言われていることは、いちいちもっともなのだが、いかんせん、たくさんありすぎて、消化不足の気配が自分には満ち々々てしまった、これは又だな、
2011年12月26日
コメント(1)
生きるのをやめるの続き、表現としては、こちらの方がいいか、努めて力まない 「頑張っているのに」「力をいれているのに」 うまくいかないのはなぜなのか? 麻雀の裏プロの世界で二〇年間無敗の伝説を持ち、 雀鬼と呼ばれた著者によれば、 そんな蟻地獄から脱出するためのヒントは、 「努めて力まない」やわらかな生き方にある。 執着から離れ虚心に生きることで、 逆にツキが巡ってくることがある、 そんな雀鬼の気付きの世界。 これは「努力」というトラウマからの解放の書である。 めぐりめぐって、又、彼のところへ戻ってきた、 『努力しない生き方』まるで、福音の世界そのものではないか、コインの表と裏、 福音から入るのが表なら、力まないは裏か、古来、人は力まないを目指してきた、コメント欄から、やはり、桜井章一さんは著名な方だったんですね、 >勝負という相手を負かすことで生きてきた中で相手を生かす勝負をしてきた方です。 +何やら、柳生心陰流を思い出します、 「合気道は愛の武道」 『治安を維持するにおいてもはや「殺人剣」はかえって逆効果であったことから、家康が抱えた柳生心陰流は刀を持たずに相手を制するを目指した、 そして彼ら、柳生一族が達した境地は「争わない」だったとか、 殺し合いを超えようとした剣術家が切磋琢磨を繰り返してきたわけだ、』 かっこいいですよね、 参考) 「力技ではない合気」 この合気の透明な力を、現在のスポーツに応用できたら、凄いことになるでしょう。 正しい考え方を理解し、 正しい方向で練習し努力・自己研磨すれば徐々には出来るようになるものでしょう。 とにかくひとついえることは、 リキんで(例えば、肩にちからが入っている、顔に力が入っているなどなど) 練習やトレーニングをしていては絶対に出来るようにならなりません。 しかし、ただ力を入れないで練習をしているだけでも出来るようにはなりません。力まないって、ええわ! 力むの典型に、求める、があるが、 求めない、求めると願いはかなわない、
2011年12月26日
コメント(0)
お母様が亡くなられた真央ちゃん、先ほど本人からコメントが出た、応援してくださっている皆さん、スケート関係、及びマスコミの皆さんへこの度は、大変ご心配をおかけするとともに、試合直前の欠場となり、大変ご迷惑をおかけしました。最初ケベックで連絡を受けたときは、今すぐに帰りたい、という気持ちと、試合を欠場しても良いのか?という思いで複雑でしたが、すぐに帰国して良かったと思っています。帰る飛行機の中では、色々な事を考えましたが、きっとお母さんは自分が帰ってくるのを待っていてくれると信じて、ずっと祈っていました。しかし、成田空港に到着してすぐにメールを確認すると、「ママは頑張れなかった」というお父さんからのメールを見て、涙が止まりませんでした。それでも、もしかしたら、と思い、名古屋の病院に駆けつけ、何度も「真央だよ!」と叫びましたが、やすらかな顔をしたお母さんは、やはり目を開くことはありませんでした。でも、充分頑張ったし、もう、痛い思いをしないで済むんだ、と思うと、少しホッとする部分もあります。この半年、容態が良くない時が時々あり、名古屋を離れる時は、いつもこれが最期かも、と思いながら出発していました。まだ、信じられない気もしますが、お母さんに今までより近くで見守られている気がします。私たち姉妹にたくさんの愛を注いでくれたお母さんに、何度「ありがとう」と言っても足りません。生前、家族で約束した通り、今後も自分の夢に向かって、やるべき事をしっかりやることが、お母さんも喜んでくれる事だと思い、今まで通り練習に励みたいと思います。皆さん、今後とも応援よろしくお願いします。 浅田 真央 ここんとこ、「お母さんに今までより近くで見守られている気がします。」個人的に、全面同意、実際、死は終わりなんかではないし、 単なる通過点でしかない、真央ちゃんは、天国のお母さんのバックアップで、これまでよりもズット強くなるんじゃないだろうか、
2011年12月12日
コメント(0)
自分のバタフライのバーチャルの師でもある、内村さんのとこ見てたら、 とかあって、久しぶりに見てみたら、Exileって、かっこいいわ、マッ、彼ら、ダンサーでもあるんで、 骨盤から動いているのが見てとれて、体の柔らかさなんかは当然ナンだろうけど、 目を引いたのは、姿勢のよさ、 全メンバーが揃っている、と言うわけでもないんだけど、姿勢が決まっているメンバーが2人以上いると、それだけで、舞台は引き締まる、(と思う、)特に、彼はかっこいい、 腕を挙げても、しっかり肩甲骨から上がっているんで、見ていて気持ちがいい、こちらは、後ろ姿、 やはり、(画面で見ると)決まっている、(姿勢の本筋は後ろ姿にあると言われているし、)こちらは、全員で片手を大きく振る場面、 肩甲骨で腕が振れていると、それだけで美しい、*女の子の腕が振れていないのがチョっト残念だけど、で、このExileの舞台を見ながら、以前、先輩から教わった”華道”の極意を思い出す、 華道とは、花を活けるにあらず、華道とは、花を活けている自身の姿にある、ナルホド、これをコンサートに当てはめると、コンサートとは、歌を歌うことにあらず、 コンサートとは、歌を歌っているシンガーの姿にある、 それでは、Exile、2008年末ライブコンサートから、 Last Christmas
2011年12月12日
コメント(0)
寒ーい今日、ジムは休みで、体の寒さに拍車がかかる、石油ストーブは準備したが、まだ石油を買っていない、 今の部屋の気温、12度、 マンションと違い、やはり、一軒家は冷える、 明日は、石油を買ってこなければ、 さて、昨日の1.5k、まだ、余韻が残っている、イヤ、泳いだ、と言うことよりも、よく泳げたなーー、と言うこと、大切な原則を学んだ気がしている、どんなにがんばっても、ダメな時はダメだが、開かれているなら、Limitはない、いくらでも進める、逆に遠慮したり、やめたりすると、 得られるものまで得られなくなる、この見極めは大切だと思う、 *昨夜の1.5kで、途中、コースの空きが来たとき、体調的に不安があったので、1kでやめようと思った、が、そこでやめてしまえばそれまで、 そこは、思い切って続けてみたら、スンナリ行ってしまった、そして、今日、その上に乗っかって来た言葉が、「すべては相働きて益となる、」 (ローマ8-28)*ここの英語訳は、 God causes all things to work together for good. -->ひとつひとつはゴチャゴチャになるかもしれないが、最終的に、チャーハンよろしく、おいしく仕上げるのは神である、 新しい風が吹いてきたのを感じたら、 (あるいは、そのような環境を感じたら、)厭(いと)わず、トライする、 うまくいこうが、いこうまいが、そんなの、ほっとく、何よりも、主体はオレじゃない、ということだな、 主体は新しい風だ、
2011年12月01日
コメント(0)
こちらのCM、昨夜、また引っかかった、お店、再開のところ、 お店の窓なのだろうが、自分には違う窓に見えた、最後の〆のところ、 彼女が始めたわけではない、風が吹いた、その結果、始まった、 風はその思いのままに吹き、 あなたはその音を聞くが、 それがどこから来てどこへ行くかを知らない、
2011年11月30日
コメント(0)
今朝の新聞の広告から、 老子とか、加島祥造とか、ではない、最初の言葉、「今の自分に満足する、それが本当の富なのだ、」に反応した、「今の自分に満足する」とは、 一見、後退的に聞こえる表現だが、 内部拡充と言うニュアンスからは、大切な表現だと思う、*別な表現では、「(何かに)満足する自分がいる」とも言えるかなーー、この満足感なくして、 何もスタートのしようがない、丁度、雪だるまを作る時の、 最初の核となる雪玉のようなものだろう、それは多くはいらない、ひとつあれば充分、そして、小さくていいと思う、 で、自分の生活スタイルだが、随分、シンプルになってきている、年齢的に、あれしてこれしてができないと言うのもあるが、現状のシンプルさに満足しているのも事実、特にウォーク、(と言うか、これしかないのだけど、)自分にとって、ジムに行く時、買い物に行く時の、一歩一歩の軽い足取り、 骨盤で足を引き上げて歩くため、 足自身の重さをまるで感じないわけだが、 このZero Gravityの軽快さから来る満足感を、他で見出すのは、今のところチョッと難しい、心地よさは、おそらく、テンピュールの上を行く(と思う)、 さて、自分の、この富というか、宝というか、Zero Gravity Walk、これからどんな展開をもたらすのか、
2011年11月20日
コメント(0)
郵便局で喪中ハガキ用の切手を100枚ほど買ってきた、 でその郵便局には、喪中ハガキカタログが置いてあり、New Style Designとかで、こんなのがあった、 おいおい、ナンダこれは?喪中の喪の字もないじゃん?? これ見て、疑問噴出!!そもそも喪中とは何ぞや??家に帰ってきて、早速チェックしてみる、ーー>あるお医者さんの解説が分かりやすかった、 院長のコラム/「喪中」とは何か日本人は、身内や近親者が亡くなった時、「喪中ハガキ」を出し、神社への参拝を控え、新年会への参加を控えます。それはなぜですか?と聞けば、おおかたの人は“一般常識”だからです、と答えるでしょう。でも、その常識がどこから来ているのか、なぜそうなのかということについては、ほとんどの人はまるで気にしません。今回は、僕たちの常識の奥底に、大昔からどっかりと住み着いている「喪中」をテーマに考えてみたいと思います。多くの人は、「喪中」とか、「忌中」とかいう言葉は、仏教と関連があると思っているのではないかと思います。しかしそうではないようです。「喪中」という言葉の本当の意味は、「死者が出たことによって、死者の国=黄泉への扉が開き、ケガレが親族に乗り移ったので、それをまわりの者に移さないようにするために、一般社会との関係を絶つ」ということです。(中略)なぜ「喪中ハガキ」を送るのか、ということを考えると、おおむね3つの答えが予想されます。 すなわち、・仏教徒だから・日本神道の教徒だから・一般常識だから という答えです。一番目の仏教徒だから、という答えは、バカバカしいほどに間違っています。「喪」はそもそも仏教の概念ではありません。仏教として、ケガレを移す云々と本気で言っているのなら、あきれるほどにナンセンスです。仏教の儀式の中で、葬式に「忌中」と書いたりするのは、日本の中で仏教が広まっていく中で、日本土着の信仰を取り込みながら広まっていった結果です。葬式で「忌中」と書くのは、本来間違いです。喪中が49日となっているのも、仏教が土着の信仰と入り混じってしまっている結果です。一方、2番目の、神道に則って喪中を行っているという答えは、一番納得できます。「喪」は、日本土着の信仰によるものであり、神道はその直系のもとにある宗教であるからです。3番目の、“一般常識”という答えが実は一番やっかいです。これは、誰もがそうしているから、というのが理由であって、それ以外の確固たる理由などは必要ではないからです。(中略)最後に、僕個人の悩みを書いて締めさせていただきます。僕の家は、浄土真宗(あまり個人的には敬虔ではないですが)です。浄土真宗では、門徒は、死んで直後に浄土に行くとされます。つまり、死後の裁判も、49日もありません。浄土系仏教では、死は悲しいものではなく、阿弥陀の元に行ける、どちらかと言えば“めでたい”ことです。悲しむ必要もなく、言うまでもなく汚らわしいものでもありません。(中略)現時点では、例え何が起ころうとも、「喪中ハガキ」は出すつもりはありません。家が浄土真宗だからというのが、一番の理由ですが、それにしてもその大本にある常識は、バカバカしくて、間違っていて、それでいて有害な考え方を基礎にしているものです。 ご意見のある方は、あなたのお考えを教えてください。上の院長さんは浄土真宗で、死はめでたいことなので、 喪中ハガキは一切出さないというところが面白い、 死は忌むものと信じるなら弔事で服喪となり、死は天国への凱旋の扉と考えるなら慶事(?)となる、で、これを早速取り入れ、ハガキの文章を変えた、 あっ、しまったな、弔事用の切手を買ってしまったんだが、花柄に変えてもらおうかな、
2011年11月14日
コメント(0)
年末も近づき、もうソロソロ準備しとこうかと、下書きを作ってみた、 天国に行ったんで、喪中も何もないという気がしないでもないが、関係者には、案内が出しやすいんで、これでいいかと、あっ、ソー言えば、こちら、大丈夫かな、WAKE UP: Italy Is Having A Meltdown After The Berlusconi News,年越せないようだったら、 何か、文章を考えといた方がいいんじゃねーの、Silvio Berlusconiさん、 えっ、オレにはモー関係ねーって!?
2011年11月09日
コメント(0)
今朝方、例の「放射能は怖くない」にコメント頂いた、こんな感じだったかな、「君はホントに学がない、 さっさと死ね!」 ネガティブコメントだったので、速攻で削除させてもらった--、が先ほど、何やらあれは、実は、強力なメッセージではなかったのかと思えてきた、思い返して、全く当たっている、全くその通りだ、知識/学など初めからないのに、いかにもあるように振舞う、その偽りの振舞いから、いい結果など出ようがない、 結局のところ、バカは死ななきゃ治らない、に行き着く、バカ(な自分)に死ぬ、バカ(な自分)にサヨナラする、バカな自分に死ぬことこそが、現状からの救いの道、前進への手がかりとなる、のだが、何よりも、まず、バカの自覚が必要だろう、それを今朝のコメントは指摘してくれた、イヤ、ホント感謝、追記)再度、思い出した、永遠の未熟誰かに何かを聞かれて、最高の答えは何か、と言えば、(べらべら回答するのではなく、) "I don't know"、の一言だと、*これは米国のミニスターが集会の証で言っていた一言、 速攻で言えるせりふではないが、今日はピンと来た、追記2) これも関連で、予測はアンカーとなるTalebは、講演会の中で、 「予測は、したとたんに、間違いの予測であっても、アンカー(それから離れられない)になってしまう弊害がある、」と表現した、 予測と言うこと2-3回は当たるかもしれない、 しかし、長期的に、この習性はその人に損失をもたらす、 そして、この勝手予測による行動は、 先物に限らず、人を窮地に追い込むだろう、予測とは、究極のギャンブルに他ならない、 それもかなり悪質なギャンブルだ、 (言葉が許されるなら、セイタニックでもある、) だから又楽しくて、やめられないのだが、I don't know人の原点としてのI don't know.を思い起こす、本来、人は未来がわからない、 それを悲しいかな予測で決めようとする、 本来のI don't know.に徹すればいいのだ、予測と直感の違い予測は自分のうちからであり、 ーー>私情が入りやすい、直感、あるいは前兆的なもの/知恵は外から来る、 ーー>客観的であり、ある意味クール、その区別は説明しがたいが、慣れてくるとわかりやすくなる、そして、この区別ができることは、黄金の価値があり、古来から、この分別は皆の憧れの的でもあった、予測とは、バカ(な自分)が考える未来のこと、
2011年10月28日
コメント(0)
Steve Jobs(1955 - 2011) 田中好子(1956 - 2011) 伊藤昇(1947 - 2002) 天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。 (伝道の書3章)更新日 2011年10月07日 00時18分54秒
2011年10月06日
コメント(0)
今朝方、先日の納骨式/墓前礼拝で出かけた、東京多摩霊園が思い出される、 そして、何気に、その事務所の玄関ロビーに掛けてあった掛け軸が浮かぶ、 *現物がないので、勝手に作ってみた、 こんな感じ、 「ありがとう ありがとう ありがとう」の文字が並ぶ、*「ありがとうございます」だったかもしれない--、 (忘れた、)今朝は、これを「橋頭堡」にしておこうと思った、*橋頭堡は、本来の意味では「橋の対岸を守るために作られた砦(bridgehead)」を指すが、更には「敵地などの不利な地理的条件での作戦を有利に運ぶための前進拠点」をも指す。即ち、どんな状況下でも、このラインからは、一歩も退き下がらない、 更新日 2011年10月03日 13時33分37秒
2011年10月03日
コメント(0)
昨日のBurden(重荷)のイラストは印象的だった、絵を通して、客観的に見るとわかる、 所有するって、実は、所有しているんじゃなくて、所有されているって言うことに、*別の表現で、取り付かれている、ともーー、 ハイキング/登山だって、これはやばいだろうに、 何のためのハイキングか?? 主従逆転にならないためにも、やはり、身軽がいい、 (参考)人生を複雑にしない100の方法 移動しない時代 歩く男更新日 2011年10月02日 00時25分29秒
2011年10月01日
コメント(0)
Update先ほど、金スマで近藤麻理恵さんの特集を拝見、 『人生がときめく片づけの魔法』が3分でわかる スイムで疲れていたにも関わらず、思わず、全部見てしまった、 もうスッカリ、片付けの魔法でおなじみの、近藤さん、*実物のほうが、帯の写真よりもスッキリしていて、とてもかわいらしい、 HPはこちら、 Official Website 番組では、ゴミ屋敷よろしい静ちゃんの部屋をクリーンアップ、自分の、この春の引越しと、実家の整理を思い出させてくれた、近藤さんの有名な言葉、2つ、1)「必要/不必要という規準でなく、 ときめくか/ときめかないかで、考えましょう、」2)「捨てなければ、片付けなければ、 前に進めないんです、」特に、2)は大切、所有していること自体が、前進の大きな障害になっていることに気付かない、 Bearing Another’s Burden *これは、「もったいない」とは意味が違う、 廃棄を大局的/積極的に見る必要がある、 混同しないこと、更新日時 2011年10月1日 1時20分41秒 追記)近藤さんの本は、珍しく、ヨメさんから読むように言われていた、捨てる技術、断捨離、等、有名な整理ノウハウ本とは一線を画すると、確かに、一味違う、「所有」と言うのは思いのほか、 物理的、精神的にBurden(重荷)となる、 所有(重荷)が、いつの間にか、ユックリと時間をかけて、自分を潰していく現実、 このことの気付きと、 彼女流の対処(供養、感謝、)は、人の根源(脆弱さ)を考慮したアプローチが感じられ、どこかしらSpiritual Ministryの雰囲気が漂う、若いくせに何言ってんね、と思うのであれば、視点を見失っている、Ministryの世界は、年齢と関係ない、 いや、若い人の方が鋭かったりする、更新日 2011年10月01日 08時39分51秒
2011年09月30日
コメント(0)
人生を、一枚の大きな絵と見れる人、上から大局的に見れる人、人生劇場と見れる人は、幸いだ、かの人、かの環境/境遇は、すべて”手段”となる、 並みいる理不尽、不都合、これらを、心の周りについた贅肉のそぎ落としの手段、雑草の除去、色合いの増加、と見れる人は、幸いだ、そこでの主要な目的は、物事の達成/成功ではない、ひたすら、内面の成長にある、 一枚の絵の深みにある、ひとつだけ、残念なのは、自分でそのような手段に見ようと思っても、また、解釈しようと思っても、思うようにはできないところ、よって、(別な言い方で、) そのような見方を与えられた人は幸いである、 となるか、 更新日 2011年09月24日 12時36分48秒
2011年09月24日
コメント(2)
ジムのマットに寝っころんで、ストレッチしてたら、自分に希望がないことが少しづつわかってきた、やること、なすこと、考えること、ろくな結果を生まない、 つくづく自分には希望がない、ホント、ない、見事にない、 ここまで、深く来ると、後はドーなるか、帰りの道すがら、希望がないことがわかってきたせいか、逆に、足取りが軽くなってきた、
2011年09月13日
コメント(0)
昨夜の天皇陛下の記事をUpし、床についたわけだが、思い出されたのが、こちら、自分の体でありながら、自分だけの体ではない――さらにいえば、天皇の体、健康は歴史の継承、歴史の神髄を、前の天皇から預かって、次の天皇に受け渡していく――その容器であるとお考えなのではないでしょうか、これを浮かべ、先日の言葉が蘇る、 生きているのは、もはや、わたしではない。 キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。 ガラテヤ2:20 わたしにとっては、生きることはキリストであり、 死ぬことは益である。 ピリピ1:21死をもいとわぬ被災地の訪問、 あの原動力は何か、お二人の年齢を考えるなら、決して、個人レベルの努力や、発奮ではないと思う、
2011年09月07日
コメント(0)
週刊ポスト2011年9月16・23日号から抜粋で、 天皇陛下 公務減らす発想なし 2011.09.06 07:00 そして自らは、3月30日に東京武道館に避難した被災者にお見舞いされたのを皮切りに、美智子皇后とともに7週間連続で避難所や被災地への行幸啓を続けられたのである。 それだけではない。「執務」と呼ばれる上奏書類の決裁や宮中祭祀、式典出席や国際親善など日々のご公務に加え、原発の安全対策や救援活動、放射線 被曝に関するご説明を皇居で受けられてきた天皇陛下。 77歳というご高齢であり、ご病身でもあるだけに、激務に対して国民の間からは健康を案じる声も上 がっている。文芸評論家の富岡幸一郎氏は天皇陛下の御心をこう分析する。 『健康のために公務を減らすという発想は陛下にはないのではないか。むしろ激務であろうが、その職責を果たすために、自らのご健康に非常に留意され、摂生に努めていらっしゃるのだと思います。 陛下は“何のための健康であるか”を自覚なさっています。自らの命は、国民の幸福を祈りつつ、日本国および日本国民統合の象徴としての務めを果たすためにあるとお考えなのでしょう。 自分の体でありながら、自分だけの体ではない――さらにいえば、天皇の体、健康は歴史の継承、歴史の神髄を、前の天皇から預かって、次の天皇に受け渡していく――その容器であるとお考えなのではないでしょうか』 それはあらゆるものをコントロールできると考え、より快適な暮らし、より健康な身体、より大きな幸せを手に入れたいという近代的な価値観とは正反対の、「自分は生かされている」という考え方だ。 最後のところ、再掲、 それは、あらゆるものをコントロールできると考え、より快適な暮らし、より健康な身体、より大きな幸せを手に入れたい、という近代的な価値観とは正反対の、「自分は生かされている」という考え方だ。
2011年09月06日
コメント(0)
ジムからの帰り、坂道を下りながら、先ほどUpした三冠(カン)王が浮かんできた、で、つくづく思った、無関心、無感動、無感謝、でいいじゃないかと、何が悪いんだ、繕う必要性などさらさらないだろうと、結果、スゲー、せいせいしながら帰ってきた、
2011年08月27日
コメント(0)
ローカル番組見ていたら、 横浜のおもちゃ博物館の館長、 北原さんが、三冠(カン)王の人生を説いていた、関心、感動、感謝、 -->参考「感動こそ人生のエネルギー」「いろんなことに関心をもつ、興味をもつ、好奇心をもつ。これはね。関心をもたない、好奇心をもたないと人生がつまらない。そして、感動する気持ち、おいしね、楽しいね、きれいだねって、間違っても、別にーなんて言っちゃいけない。何か食べたときに、ちょっとでもおいしかったら、おいしいね。夕焼けを見た時にきれいだね。それをどれだけ表現できるか。」「そして、いちばん大事なのが感謝ですね。感謝がないと絶対にダメですよ。感謝の謝は「言へんに射る」と書くんですよ。だから、「ありがとう」と言う気持ちを相手に射らないといけないんです。相手の心にありがとうを射らないといけないんです。どれぐらい口に出して感謝できるか。この三カン王は、人生にとって本当に大事です。」 いやな事も含め、起こったことすべてを肯定的に捉える、カッチョいい!! が正直なところ、この手の考え方は、個人的に過去何回も聞いてきてチョっと食傷気味、どこか、積極思考のにおいがするのだよ、 だが、昨日の「すべては神が統べ治める」の啓発から、個人的に別の捉え方に変わりつつある、心的に、そのように考えるのではない、(少なくとも今までは心的に考えようとしていた、)また、決して、積極思考の類ではない、(チョっとうまく表現できないのだが、)自然と考えられるようになったのだ、いや、なりつつある、が正直なところか、世に、類似の言葉は多々ある、人間万事塞翁が馬、災い転じて福となす、すべては相働きて益となる、人事に左遷なし、チャンスはつかむものではない、やってくるもの、が、悲しいかな、それを目指して、念じても、壁に貼って覚えても、ある時が来なければ、深い理解には至らないようだ、上の言葉の意味がわかるのは、キット、イヤと言うほど痛い目に会わないと、ダメなんじゃないかと、個人的体験から思っている、名言と言うのは、失敗と修羅場の集大成だろう、 ソー言う意味で、ドーセできないと開き直ったほうが、心の健康にはいいかもしれない、失敗して、当たり前の世界、 自分には到底かなわぬ世界、このことに正直になったほうが、三冠(カン)王を目指す人生よりズットましなのでは、そして、三冠は、その後に自然にやってくるのではないかい、 更新日時 2011年8月27日 17時18分3秒
2011年08月27日
コメント(0)
昨夜は、ひさーしぶりの、学校の同期生との再会、JR桜木町の駅で待ち合わせたが、最初、彼を見ての、自分の気持ち、「ああ、やめといて良かった、」やめといての意味は、もちろん会社、彼は、現在、とある複写機メーカー、富士なんたらの技術職、学生時代はテニス部でスリムだったのだが--、自分の目の前にいる彼は、その面影もない、で男二人で行くには、という迷いは特になく、こちらに行く、 サンマルク コレットマーレ みなとみらい店早速、生を注文、 クリーミーな泡の部分のうまさが、 いまだに脳裏に焼きついていて離れない、 ビールを飲みつつ、美しい窓の夜景を見て、あっ!?目の前にまさかあのビルが見えるとは、 クインズタワー、JGCの本社で、かつてプロジェクトで1年半ほど常駐していた、 夜11時を過ぎてもあのビルのオフィス照明は消えない、今夜も煌々とついている、 よくやったものだ、 オーダーしたメニューを頂きながら、 サンマルクフルコース彼の話を聞くと、 彼の関心は、今の会社を離れて、現在の取引先の大学への横滑り再就職、だとか、 (以下、この話題は省略、) 自分の父母の葬儀の話なども彼にしたところ、同じ世代/境遇のせいか思いのほか熱心に聴いてくれた、 父母が死後、自分に何回もホログラムのように現れた話も、抵抗なく受け入れてくれたのにはチョっとビックリ、 この年代は意外と、死後の世界などを、本能的に知っているのかもと勝手想像、 話も終わりになってきて、彼の首があまりにも固そうなのに話題が移る、(実際は全部固そうだったが、) 彼のリクエストもあり、 帰り際に、肩甲骨ストレッチと、続)首のコリを取る ゴリラウォークを伝授したところ、 姿勢のキーは後頭部 「ナンカすごく楽になったわ!?」、と喜んでくれた、 これを、レストラン前のフロアーでやったのだが、行き過ぎるカップルにじろじろ見られながらで、結構、快感ではあった、 さて、これで彼の今後はドーなるのだろうと、余計な事を考える間もなく、人ごみの桜木町駅に向かう、
2011年08月26日
コメント(0)
昨日の横浜-智弁戦、 例によって、自分は7回途中まで見て、これはもう決まったと、さっさとジムへ、ジムのネットで結果を見て、唖然! なんか、狐にばかされたような展開、 監督の談話、あと1人から8失点…勝利の方程式破綻「あと1人、あと1球」が遠かった。3点リードの9回2死一、三塁から8失点。先発した2年生エースの柳は「最後までマウンドを守れなくて悔しい」と号泣し、5失点した2番手・相馬は「負けたのが信じられません。自分のせいで負けた…」とぼう然自失の状態だった。 柳は8回まで3安打1失点。完投ペースだったが、9回先頭の浦野に中前打されると、指揮官は迷わず左腕・相馬にスイッチした。「柳の球速が落ちて捉えられていた。今まで継投で勝ってきたし、代えずに負けると悔いが残る。代えざるを得なかった。」監督の頭にあった勝利の方程式、継投、県大会も、この継投で勝ち進んできた、 なおさらだろう、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、」とはよく言ったもの、これ、智弁が勝ったと言うよりも、横浜が負けたと言う表現が適切かもしれない、 勝利とは絶妙のバランスに支えられている、 その時、その場で、状況は刻々と変わる、それゆえ、勝利に方程式はあるか?-->あるかもしれないが、万能ではないだろう、自分は、監督の談話を聞きながら、2つのことを思い出した、串田さんの健康法のコメントと、三代目の法則である、 かつて 作家の串田孫一氏が「私の健康法」を雑誌社の記者に尋ねられ、こう答えている。「答えないことにしている。答えるとなぜか体の調子がおかしくなるんでね。」(健康管理は不健康管理)USAのある大学の経済学科に会社の"破産学"があり、その中に三代目の法則と言うのがある、下記のとおり;1代目 ビジョンで興す 2代目 制度を引き継ぐ 3代目 食いつぶす (破産学は教える)これらには共通点がある、-->これまでと同じ事をやって、同じ結果を得ようとする、横浜監督は、これまでうまくいってた継投をとり、自滅、健康は、健康法に固執した時点でバランスが狂い始める、会社は、ルールを強調し始めると、衰退を開始する、 もう一度、自分に言い聞かせねばならない、勝利、健康、繁栄とは、絶妙のバランスの上に成り立っているものであり、方程式を作った時点で崩壊が始まる、 柔らかい心、そして体を備え、臨機応変で!で、柔らかい心はさておき、とりあえず、柔らかい体を作るために、これからジムへ、
2011年08月16日
コメント(0)
ダメだ、全くかなわない、 Training for the 2012 games by Boston.com自分の虚飾がドンドン剥げ落ちていく、
2011年08月15日
コメント(0)
内田樹さんの「身体(からだ)の言い分」の中に、50も過ぎたら、人生はおまけだと、言うのがある、何をして過ごしてもいいのだと、そして、その中で、(劇的な人生のくだりでは、)波乱万丈を期待する人には、何も起こらないと、さらに、第4章に、チャンスはつかむものではない、やってくるものであると、 これらをつなぎ合わせると、人生後半の過ごし方のヒントが浮かび上がる、自分的答えは、何もしないで、平々凡々な日々を送る、平々凡々な日々を送るとは、結構、ハイソな世界だ、基本は待ちの姿勢、毎日、繰り返しの日々が続く、*これ、自分的には、最近、何もしない事に快感を覚えているのでノープロブレム、ーー>本質は存在/静/Beingにある 、「今、生きている」ということ そしてチャンスは向こうからやってくるのである、(年齢は関係ない、)こちらから仕掛け/期待するチャンスにろくなものがないし、平々凡々、日々、自分に集中、”存在”になりきっていく、”存在”になるため、”存在”に徹するため、具体的行動を選択する、
2011年08月02日
コメント(0)
Update2対人関係、仕事の処理、生活スタイル、 普段、さまざまな場面がある、 大切なことは、その場、その時々で、一番ふさわしい態度を取ること、 これがすべてではないだろうか、注目すべきは、環境や相手ではなく、自分である、と言うこと、 変なやつと話さなければならない、やりたくない仕事がある、罵倒される日々が続く、ひとつひとつは場面である、何の場面かと言えば、魂の訓練の場面である、自分の感情/自己中心欲で動かないための、罵倒されたら、それらしく罵倒される、(力まない、) 話したくない相手なら、話したくない風情で話す、 相手の言葉に乗らない、 自分に集中する、環境や相手に、感情/不平の矛先を向けないこと、問題は自分(の態度)にある、自分の対応こそがすべてである、悲しかったら、自分で悲しむ、悔しかったら、自分で悔しがる、自分の対応に全神経を傾け、自分に一番自然な対応を選択する、悲しんでもOK、悔やんでもOK、 (感謝が出れば尚いいかも、)間違っても、(自分以外の)周囲の環境や、いやな相手に文句を言い、変えようとしてはいけない、それはわなだ、 これの延長で、死を考慮してみる、その時に一番ふさわしい態度で死を迎えられれば、死(人生)は大成功だ、(と思う、)ふさわしい態度とは何か、自分のみに向いて、対応する態度では、 それは、不安でこわばっていてもいい、天国を見据えて、期待していてもいい、魂の成長はその内容ではない、 素直さ/正直さにあると思う、更新日 2011年07月29日 14時08分09秒 追記)昔も同じことを言っていたわ、勝ち方負け方勝っても負けても、損しても儲かっても、疲れても楽しても、 (この世はイイ結果にこだわるが) 結果に関係なく、そのときどきのそれらしい、あるいはもっとも適切な態度を取れるようになることが人生の大事だと、 言葉がいいかわからんが、堂々と、がキーではないかと、変な話だが、 損しても、負けても、回り道をしても、全く構わない、 堂々と損する、堂々と負ける、堂々と回り道をする、圧倒的勝利者永遠の命を持つものは、 苦のなかにいて、苦のままで、 幸せに生きることができる、 みなさん、本当の幸せって何だと思いますか 「骨はがんに侵されているけど、心はがんに侵されていない。 心は自由で幸せ。」と言うのがある、自分の環境から来る様々な苦は、拒絶せず、「アッそう」で同居させて、正々堂々と苦しむ、あるいは自分自身はその苦とは関係なくすごせると気づいた人は、チョー ラッキーではないか、 更新日時 2011年7月29日 16時38分20秒追記2)こんな比喩もある、それは、嵐が吹き荒れる太平洋、その深海を、悠々と航行する原子力潜水艦、 更新日時 2011年7月29日 20時34分27秒
2011年07月29日
コメント(0)
毎日、ジム通いしていると、貧乏性のせいか、なるべく、たくさん、且つ、時間をかけて、イロイロな種目をトライしようという気になる、今日は疲れたので、スイムをスキップしようと言う気にはならない、お金をかけているんだから、元を取らねば--、 勢い、毎日が疲労で満ちている、それは朝起きた時に、はっきり現れる、ジムで床運動の後、頑張って、400-500mも泳ぐと、翌日、露骨に疲労感となって現れる、 で、今日、木曜日はジムの定休日、個人的には、チョッとフラストレーションがたまらないでもない、やはり、朝方は疲れが残っていた、 が、今この夕方の時間(本来ならジムの時間)、何気に、体調がよろしい、オイオイ、ジムに行けないのに、この快適さは何だ、以下、浮かんできた言葉、休むも相場、過ぎたるは及ばざるが如し、毒になるか、薬になるか、量次第、大容量と小容量では、正反対の生理効果がある、物事はたくさんやれば、効果的とは限らない、こと、日々の運動について、多時間、多種類、と言う発想は、ソロソロ捨てたほうがいいかもしれない、何もしないと言うのは、重要な選択肢なのだな、あっ、ジムは休みだけど、こっちのジムが浮かんできた、これ、バーナンキ議長にも教えてあげよう、 先日のJim Grantのインタビュー、Q:この金融危機を打開するには?A:Jim Grantいわく、 「FEDがなにもしない事だよ、」『この世に毒でないものがあるだろうか、 どんなものでも取り過ぎれば毒になる、』 (16世紀のスイスの医学者、パラケルスス)
2011年06月30日
コメント(0)
昨夜の「何でも鑑定団」で、印象に残ったのが、香月 泰男 少年の頃から画家を志し、東京芸術学校〈現・東京芸術大学〉を卒業。美術教師を務めるかたわら制作活動に励みます。 しかし昭和18年、激化する戦時日本の情勢のなかで召集令状を受けて満州ハイラルへ出征。そして敗戦後捕虜としてシベリアの収容所へ送られ2年間、極寒と辛苦の生活を強いられます。この戦争捕虜体験が、のちの香月生涯の代表作となる「シベリヤ・シリーズ」を生み出させることになります。 その香月、シベリアから帰還して、当初、日常の些細な風景ばかりを描く、 が、ある日、期が熟したのかのように、シベリアを描き出す、 途中から見たので、定かではないが、番組中、こんなくだりがあった、「地獄を見た香月には、 日常の風景がいとおしかった、」 それゆえ、帰還後、日常の風景に没頭したのだろうか、 で自分を振り返って見ると、現役をリタイアした後、職には復帰せず、今に至るまで、ボケッとした生活、マッ、このライフスタイルにあこがれていたわけだが、それはそれで、結構、紆余曲折をたどった、特に、現役時代の不摂生が、体にきてしまい、それのリカバーが大変だった、そして、現在は、思い出の実家に、ヨメさんと2人住まい、3ヶ月目になるが、健康状態が回復してきたものの、日常の単調さは相変わらずで、ちょっと物足りなさを感じていた、 そんなところで、昨夜の鑑定団に遭遇、上記のナレーションを聞き、ハッとした、「地獄を見た香月には、」というところ、今の自分に置かれた日常の単調さとは、これは奇跡ではないのかと、同じ状況が続くと、マンネリ化が出てくるが、 戒めなければならない、何もない状況とは、一見、つまらなく見えるが、バランスが最高に保たれている状況でもある、(追記)それにしても、面白かったのは、香月は山口県の長門市出身なのだが、市の観光・施設案内を見ると、市には著名な文化人が2人いて、香月泰男ともう一人、金子みすゞ、の名前があったこと、金子みすゞ、懐かしいな--、
2011年06月29日
コメント(0)
Update先ほどの詩で、最後の「まだ、連れには来ないでね」を見て、昨年、三宅接骨院で見た、こちらを思い出す、 お迎えが来るのが、いいのか、ドーかはよくわからん、少なくとも、上の貼り紙の表現では、まだ、この世に未練があるのが読み取れる、が、ひとつだけ、思った、人は自然のうちに、”死後の世界”を意識してる、それがどんなものかは漠然としているが、宗教観や、思想とは別物だろう、人があわせ持つ先天的/生来のものではないかと、それが、トヨさんの詩によく現われている、 死とは詩であり、(同音であるのは偶然ではあるまい、)新たな世界への幕開けに思える、更新日時 2011年6月28日 10時2分7秒 追記) 改めて、トヨさんのお顔拝見して、この世とあの世のGAPが消えていくのを感じた、なんと言ったらいいか、ユニバーサルフェイス、とでも言おうか、 いい表情だなー、
2011年06月28日
コメント(0)
百歳の誕生日(6/26)を迎えた柴田トヨさん、 朝日夕刊(6月25日付)に投稿された詩、『手紙ーーー天国の両親にーーーー』おとっさん おっかさんトヨは百歳になりました二人が見守っていてくれたおかげですつれあいも そちらに逝って十八年一人暮らしは きついけれど多くの人に支えられてとても幸せ健一も 元気ですよ六十六歳になったの私に詩作を教えてくれただから寂しくないわおとっさん焼酎ばかり 呑んでいてはダメよおっかさん働きすぎないでね連れあいは どうしています?私のこと心配してくれているかしら?郵便配達の そよ風さんが外で待っているわペンを置きます追伸トヨはもう少しこちらで がんばりますまだ 連れには来ないでね
2011年06月28日
コメント(0)
今朝起きたら、体中がかったるくて、やる気もなく、なんかコー、しんどくて、生きるのをやめたくなってしまった、そしたら、すかさず、「やめたら」と来た、ナルホド、更新日時 2011年6月23日 10時26分32秒追記)ヤッパ、これに限るな、他力本願
2011年06月23日
コメント(2)
やっぱ、いいと思うわ、 他力本願、
2011年06月18日
コメント(0)
いつものジムで、ボケッとして泳いでたら、浮かんできた、一生って、ひょっとして今のことか?? って、これ、その昔、人生は積分である、では何の積分か、で取り上げた、 資生堂のキャッチフレーズ そう、”一瞬も一生も、美しく ”当時は、この延長で、 ”瞬間々々を「ありがとう」で満たす人生”を勧めたわけだがーー、今日は違った、もっと、深く来た、 もっと質的なこと、ウウーン、うまく表現できないので、ここまで、
2011年06月14日
コメント(0)
以前、西宮にいた時の賃貸物件について、退去に伴うところの、敷金(保証金)を返してもらう手続きをしている、実は、昨年、管理会社が変わっているのだが、そこへ請求したら、いわく、「保証金関係はうちは知りません、」「おい、それはないだろう、管理を引き継いだら、その後の金銭手続きだって、お前のところに決まってんだろう、」と言っても、向こうはのらりくらり、で最初の管理会社にTELしたら、番号が通じない、ドーやら廃業してるみたい、ああー、これはもう、保証金は返ってこないのだろうか、どっかに相談せなあかんのかな??と、悲観的になっているところへ、先ほど、「こんにちわ、私、xx建設会社でございます、来週からお宅様の裏の家屋の取り壊しに入りますので、ご挨拶に伺いました、」と言ってタオル一本持参して、営業の人がきた、 裏のうちは、1年前にうちと同じようにご主人が亡くなり、娘さんが売りに出していた、しかも3分割で、あの狭い敷地に3件建てるのだと、そしてその工事は10月末までとか、ウワー、勘弁してほしい、ほこりと騒音で一体ドーなるんだ!?で、ふと考えた、なんで、人生はこう、面倒なことばかり起こるのだろう、と、これはもう、やはり発想を変えなければならないようだ、思うに、おそらく、人生とは、Productで計る物ではないのだろう、Action/Productの内容はドーでもいいような気がする、それよりも、ひとつひとつのActionに、ドー取り組むかが問われるのではないかと、以前に、稲盛さんの著書「生きる」で、人生の目的は魂の浄化である、を見た、丁度、その類で、 更新日時 2011年6月10日 11時47分17秒 追記)この発想だな、 サクラダファミリア教会 今後も終わることのない教会建築、完成する必要など、サラサラない、 ただ、前進あるのみ、
2011年06月10日
コメント(0)
世の中に2種類の人がいるとするなら、その分け方は、男と女、大人と子供、貧者と富者、ではなく、次のようになるだろう、急ぐ人、急がない人、あるいは、待てる人、待てない人、世の中は、Gift/Eventで満ちている、が、急ぐ人、待てない人は、ことごとく、それらを逸する、3:1天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。3:2生(うま)るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、 3:3殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、 3:4泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、3:5石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、 3:6捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、 3:7裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、 3:8愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。 3:11神のなされることは皆その時にかなって美しい。3:12わたしは知っている。人にはその生きながらえている間、楽しく愉快に過ごすよりほかに良い事はない。 (伝道の書3章)自分のことながら、今ほど、イベントとタイミングが、密接に繋がっているのを感じたことはない、
2011年06月06日
コメント(0)
要するに、ソー言うことだナ、死は終わりではない、 これを、知識で知るのと、体験で知るのとでは大違い、考え方も変わるし、生き方も変わる、兄弟たちよ。眠っている人々については、無知でいてもらいたくない。望みを持たない外の人々のように、あなたがたが悲しむことのないためである。わたしたちが信じているように、イエスが死んで復活されたからには、同様に神はイエスにあって眠っている人々をも、イエスと一緒に導き出して下さるであろう。 (Iテサロニケ 4:13-14) キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。 (Iテサロニケ 5:10) 周囲がドー思おうと、 ソーいうのはドーでもいいこと、死んでみればわかることだし、うちの父母のように、
2011年06月05日
コメント(2)
今日の朝日の夕刊にあった谷川俊太郎の詩、特に、震災以降、再注目され始めている、と、 生きる by 谷川俊太郎生きているということいま生きているということそれはのどがかわくということ木漏れ日がまぶしいということふっと或るメロディを思い出すということくしゃみをすることあなたと手をつなぐこと生きているということいま生きているということそれはミニスカートそれはプラネタリウムそれはヨハン・シュトラウスそれはピカソそれはアルプスすべての美しいものに出会うということそしてかくされた悪を注意深くこばむこと生きているということいま生きているということ泣けるということ笑えるということ怒れるということ自由ということ生きているということいま生きているということいま遠くで犬が吠えるということいま地球が廻っているということいまどこかで産声があがるということいまどこかで兵士が傷つくということいまぶらんこがゆれているということいまいまがすぎてゆくこと生きているということいま生きてるということ鳥ははばたくということ海はとどろくということかたつむりははうということ人は愛するということあなたの手のぬくみいのちということ
2011年05月30日
コメント(0)
理解、幸福、利益、この3つに共通するものは何か、各々、単独で存在しない、ということ、そして、もう一つ、勝手に向こうからやってくる、ということ、理解については、昨日書いたとおり、上からやってくる、本などを読むときは、間違っても理解しようとしてはいけない、疲れるだけだ、ボケッとして、目で字面を追うだけで十分だろう、理解が必要なところは、理解が勝手に来てくれる、 幸福も、それを求めたところで、存在しない、 副産物なので、なにがしと共に、勝手にやってくる、(例として、源吉兆庵の和菓子を頂くと、幸福感がやってくるとか、) 利益然り、 これは求める対象ではない、かなたからやってくるもの、よって、利益を得たいなら、待たねばならない、このたとえで、「雨を待つ少年」を下記に、『ある村で数ヶ月、雨が降らなかった、 遠くに雨雲が見えるたびに、村の若者たちは、そちらへ走っていった、そして多くのものが帰ってこなかった、 その中で、一人の少年だけがじっと雨を待っていた、 そしてある日、ついに雨が降り出す、少年は、万を持して、大バケツを取り出し、雨水を貯めた、 しかし、他のものは、その村にはほとんど残っていなかった、』 遠くの雨雲とは、おいしそうな投資情報のことかな?実体の雨(利益)が来た時、多くの者がその場にいなかったと、 こうしてみると、何か、人生の過ごし方の極意のようなものが見えてくる、 自分的に当てはめるなら、 普段は、我が家で何もしないでボケッとして暮らす、難しい本を理解しようともせずに読み流し、 時々、ラーメン次郎に行って、幸福感を味わい、そして、そのときが来たら、(雨が降り出したら、)我が家を利益確定で売却する、何もしないで、待つというのは、案外、最強なのかもナ、
2011年05月27日
コメント(0)
少し前のこと、4月中旬、西宮から横浜に引っ越しで移動する時、ちょっとした事件が起きた、 西宮の賃貸マンションを明け渡し、神戸空港に行った、で空港のトイレで、ポシェットを外して、そのまま、置きっぱなしに、 気付いたのは30分後!?財布を捜していて、あれ、ポシェットがない、一瞬、真っ青になった、いつも入れているものではない、引越しの際の移動のゆえに、すべてがはいっていた、すべてのクレジット/銀行カード、免許類、各種保険書、キャッシュ、パスポート、等々、おまけに、ご丁寧に、カードのPWを書いたメモも入れてあった、トイレに早速行ったが、残っているわけもなく、オロオロすること、約20分、X線検査の人、案内所、発券カウンターに行き、イロイロな人に聞きまくった、結局、空港内のサービスセンターに、ガードマンが届けてくれていたことがわかり、事無きを得ることに、が、この間に、重要な教訓を学ぶ、築きあげたものを失うのは、造作ないことだと、まさに一瞬のできごとだった、こんなに簡単に失っていいのかと思うぐらい簡単!?ナンナンダー、この簡単さは!それぐらいの価値しかないのかよ? オロオロした自分に残されたのは、結局、”自分”しかなかったわけだ、 この出来事を思いだしながら、天にいった父母を思い出す、まさに同じではないか、家に、たくさん持ち物を持っていたが、最後は、身一つで上に行った、今、自分は実家に住んでいるわけだが、この家屋/土地についても、同じ思いが来ている、固執する事なかれ、上に行くときは、すべて置いていくことになる、と、
2011年05月14日
コメント(0)
今日の朝刊(朝日)のコラムから、人事に左遷なし-経済気象台2011年4月28日 多くのビジネスパーソンは、人事での悲哀を経験しているだろう。会社の「よい仕事」と「よいポスト」は限られているからだ。また、少し考えればわかることだが、会社には絶対に必要なことだけれど、楽しくなく、人から歓迎されない仕事があるものだと。 だが退職願を出せといわんばかりの辞令を受けたときはどうしたらよいだろう。そんな時は、功成り名を遂げた先人や、目標とする背中をもつ大先輩に尋ねるとよい。「あなたの場合はどうであったか」と。 返ってくる答えはたぶん同じである。「失意の日々のはじまりと思っていたら、そこで新しい出会い、新しい経験があり、その後の礎になった」と。 誰もが自分の知らない世界や、評判の悪い場所、あるいは苦労が予測されているところへは行きたくない。しかし達成感や感動は、苦しかった時間のあとにやってくるものである。 もうゴールデンウイークだ。ちょっとひと休みしよう。大震災のころに受け取った辞令により、新しい任地や職種に落ち着き始めたビジネスパーソンに伝えたい。「人事に左遷はない」と。 たしかに、人事は実力以外の要素がからむ。しかし究極的に問われるのは、自らの「精神的成長」である。 東日本大震災にかかわる爪痕のニュースに接したとき、多くの人は自分の「不幸」や「不運」が小さく思えただろう。 であればなおさら、「日々を全力で生きているか」どうかを自らに問え。そのような時間の積み重ねこそが、振り返った時に「失意の日々こそが黄金」であった、という思い出をつくるのだ。先輩たちのように、である。(遠雷) このコラムを見ながら、自分の現役の時の人事異動を思い出していた、そして、人事異動については、上に書かれているような積極的とらえ方と言うのが、何がしかいつの間にか身についていたように思う、人事に左遷なし、 あるいは、人間万事塞翁が馬、とか、逆に、そう思わないと、やっていけないような異動ばかりだったわけだが、 そして、今改めて思う、やはり、人生の目的は達成/成功にあらず、それよりも、魂が磨かれることだと、そのために、自己中心、自我や怒り、欲望、ねたみの思いを、自主的に前に差し出し、捨てながら前進していく、この連続の日々であり、 仕事や環境/相手は、そのための有益なツールでしかない、
2011年04月28日
コメント(1)
今朝、ようやく戻ってきた体調を確認しながら、再度、思う、人生は、魂の訓練の場だと、出来、不出来は2の次、 彼(稲盛氏)の言葉を借りるなら、魂の浄化である、そして、この目的を間違わなければ、様々な困難が違って見えてくる、”不都合”と”理不尽”、ナント、響きのいい言葉だろう、更新日時 2011年4月27日 11時8分4秒追記)加えて、”自分への絶望”、これがあれば、完璧に近いのではないか、更新日時 2011年4月27日 13時53分13秒追記2)さらに、身の回りに起こる様々なことを、ことごとく感謝を持って受け入れる事が出来るなら、人生の目的は、8割方、達せられたのではないだろうか、ちなみに感謝できるとは、感謝することではない、感謝できるである、そもそも感謝など、しようと思って出来るものではない、自分から見るなら、感謝できるとは、奇蹟の部類に属する、
2011年04月27日
コメント(0)
ひょっとすると、これを体得するために、今回の一連のイベントがあったのかも、ある意味、壮絶な廃棄量だった、母親がまだ入院はじめの当初は、とにかく、西宮のマンションの荷物は捨てなければ、横浜の親と同居してのケアは難しい、と言うことで、徹底的に捨てた、本は95%捨てた、 投資関連の書籍/DVDはすべてオークションか廃棄、Bibleもたくさんの版/英語版があったがほぼ廃棄、服も然り、*捨てると納得だが、いかに不必要なものを持っていたかがわかる、 そのうち、母親が召され、今度は、実家の母のものを廃棄開始、次に父も召され、古いものを一気に廃棄開始、両親は捨てない人だった、納戸、物置の隅々にまで目いっぱい詰め込んであった、普通の捨て方では片付かない、最初に呼んだのが、プロの整理や、(ただし、コストが高いので大物に限る、)次に骨董品の買取やさん、(とにかく、売れなくても無理に持っていってもらう、)これで大物が片付いて、次に、時間をかけて、市の粗大ごみ利用と相成る、 (これが一番安い、しかし分類/日取りが面倒くさい、)これを、西宮と横浜を往復しながら、父母が入院をする中を含め、2ヶ月の間、繰り返す、 今日も週一回の回収日にあわせ、随分出した、横浜市の粗大ごみ収集はもう7回目、 毎回7-8千円以上を払いながら持って行ってもらう、一杯の荷物で隠れていた納戸の奥が見えたときは、ちょっと感動だった、こうして、(お金を払って、)捨てる日々が続くと、ものを見る目が変わってくる、まず廃棄が前提になって、ものを見始めるようになる、 そして、本当に必要なものはなにかを、考え始めるようになる、あの世へは何ももって行くことはできない、 これは、実家の整理をしながら、つくづく考えたこと、何よりも、捨てることに躊躇がなくなり、持つことへのこだわりが薄れてきたのは、今回の大きな収穫であった、
2011年04月20日
コメント(3)
昼過ぎ、父の呼吸が乱れてきたとの報を受け、 夕方、神戸からのフライトで再度、横浜へ、容態はいったん落ち着いたので、実家で待機していたのだが、大学病院に詰めていた妹より先ほどTELあり、「22:29、行きました、」母に続いて、11日後、父も天国へ凱旋となった、大正13年12月生まれの享年86才、奇しくも、多田神社の祖、源(多田)満仲と同年の凱旋、 更新日 2011年03月23日 00時08分40秒 追記)先ほど、病院から、(家の)部屋に父の亡骸が運ばれてきた、妹は疲れた様子だったが、葬儀社の人がてきぱきと、布団の上に安置して、 ともにさっき引き上げた、で、しばらくしてのこと、父の亡骸の上に、自分には、父と母が並んで笑顔で立っている姿が浮かんだ、「ありがとう、」そんな声が聞こえた気がして、なんか、うれしかった、
2011年03月22日
コメント(12)
全500件 (500件中 251-300件目)