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背番号27(その4)
背番号27の第4回目です
今回は3名の選手を紹介するんだけど 2代目は3人とも全く知りませんでした 「27」が重要視されていない状況は続いてるようね
3人の選手は西山和良さん 中村和臣さん 西村繁一三さん どう皆さんは聞いたことある? 背番号「27」を着けた期間は それぞれ5年 1年 2年なのよ リアルタイムでプロ野球を見てた人でも覚えてないんだろうね
2代目はそういう人たちを発掘するのもこのブログの仕事と思ってるので今回もできる限りは調べてみたよ では読んでみて!
西山 和良(にしやま かずよし)外野手(再掲)
背番号「15」で紹介済みだが、一部加筆したうえで再掲する。
和歌山県伊都郡見好村(現かつらぎ町)の出身。県立和歌山商業の3年時に夏の選手権で甲子園の土を踏みベスト8まで進んでいる。
卒業後は関西大学へ進学。長打力のある外野手として活躍し4年時には4番を任されている。リーグ通算では71試合238打数66安打5本塁打で打率は . 277だった。
1956(昭和31)年にタイガース入団。引退した岡田から背番号「27」を引き継ぐ。
ルーキーイヤーから67試合に出場しているが外野を守ったのは30試合。どちらかというと代打の出場のほうが多かったようだ。
1957(昭和32)年には75試合、1958(昭和33)年には85試合で自己最多の7本塁打を記録するなど徐々に出場機会も増えていく。
1959(昭和34)年にはキャリア唯一の105試合に出場、6月に行われた天覧試合ではレフトを守っており、長嶋のサヨナラホームランに対し生涯ファウルを主張している。
1960(昭和35)年にマイク・ソロムコが加入するとスタメン出場機会は減っていく。実際にこの年から出場試合数と打席数の差がグッと小さくなる。1962(昭和37)年になると51試合で57打席、1963(昭和38)年も79試合で86打席となってしまう。
1961(昭和36)年には背番号も「15」に変えて臨むが、1963(昭和38)年までほぼ代打専門の選手として過ごす。この間には、1962(昭和37)年7月12日の国鉄戦で、パーフェクト寸前だった村田元一に対し27人目の打者として安打を放って阻止するなどのエピソードも残した。
この1963年のオフ、小山正明と山内一弘の交換という「世紀のトレード」の陰で、金銭トレードによって東京オリオンズに移籍している。
オリオンズでは3年間プレーしたが、やはり代打での起用がほとんどだった。1966(昭和41)年のシーズンを最後に現役引退。
プロ11年間の通算記録は、771試合1170打数277安打121打点、22本塁打20盗塁で、打率は .
237だった。
引退後は1970(昭和45)年にタイガースへ戻り、一軍・二軍打撃コーチや二軍監督などを務めたのちにフロント入りし、最後は編成部長で退職している。編成部長時代に取りまとめたロッテオリオンズとの「深沢-福間交換トレード」は、阪神トレード史上の最高傑作と評価が高い。
中村 和臣(なかむら かずおみ)投手・内野手
熊本県菊池郡津田村(現:菊陽町)の出身。強豪熊本工業高校の出身だが、甲子園への出場経験はない。
1954(昭和29)年にタイガースへ入団、背番号は「37」だった。内野手として入団しており、最初の3年間はファームでおもにショートを守っていた。その中で投手としての才能を見出され4年目に初めて一軍へ上がった時には完全に投手へ転向していた。
165センチ・60キロという小柄な体格にもかかわらず野手から投手に転向するのは、当時の投手不足ということも影響しているが、カーブ系の変化球にキレがあり投手としての適性が認められてのことらしい。
4年目の1957(昭和32)年に初めて一軍に呼ばれ18試合に投げて3勝1敗、41イニングで41三振を奪っているのを見てもなかなかの素質だったと思われる。防御率も2 . 41と好い数字である。
成績のピークは1958(昭和33)年で36試合に登板し先発も10試合ある。7勝3敗、防御率2 . 08でキャリア唯一の100イニング越えだった。
しかし衰えるのが早く、1959(昭和34)年が26試合2勝4敗、1960(昭和35)年には13試合1勝0敗と登板数も減っていった。
1961(昭和36)年には背番号を「27」に変えて心機一転を期したが、一軍で登板することはなく、シーズン終了後に引退。
1962(昭和37)年からはフロント入りしマネージャーやスコアラーとして球団に貢献している。
通算成績は93試合13勝8敗、236イニングで奪三振164、55四球、防御率は2 .
36である。
西村 繁一 投手・外野手
大阪府出身で、近畿大付属高校から近畿大学を経て1962(昭和37)年にタイガースへ入団している。背番号は引退した中村の着けていた「27」を継承した。
ルーキーの年は3試合に登板、5回を投げて0勝0敗、自責点1で防御率は1 . 80という数字。
2年目の1963(昭和38)年は4試合0勝0敗で、7回を投げて自責点3、防御率3 . 86。
1964(昭和39)年には外野手に転向したが、一軍の試合に出場できないままオフに引退している。
通算成績は7試合0勝0敗、12回を投げ6三振2四球、自責点4で防御率は3 .
00だった。
まとめ
いかがでした? 再登場の西山さんはそれなりに貢献してるしフロントでは編成部長にまでなっているので知名度はあるかもしれないけど 中村さんと西村さんはどう見ても知ってる人はごく少ないでしょう
写真等があったのは西山さんだけで、それもコーチ時代のものね あとの2名は残念ながらエピソードもほとんどないし写真も見つからないわ