~弾丸ツーリングREPORT~

~弾丸ツーリングREPORT~

2021年10月31日
XML
カテゴリ: 家族で弾丸?

さて、京都遠征2日目。
ホテルは駅前の都ホテル京都八条さんで、
朝食付きプラン。

豆乳の湯豆腐が染みるわぺろり



車はホテルの駐車場で、お昼まで預かってくれるので、
地下鉄で散策。
これが後で裏目にでるんだな…。

先ずは京都御苑へ



正面は京都御所。全部回るには広すぎるなー。
南半分を散策して、このまま徒歩で二条城へ向かおう。



てくてく西へ歩いて
京都府庁を横目に二条城を目指します。



二条城着。
いつ来ても壮大やね。

二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍
徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と
将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。
将軍不在時の二条城は、江戸から派遣された武士、
二条在番によって守られていました。
3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸のために
城内は大規模な改修が行われ、二の丸御殿にも
狩野探幽の障壁画などが数多く加えられました。
壮麗な城に、天皇を迎えることで、江戸幕府の
支配が安定したものであることを
世に知らしめたものです。
1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が二の丸御殿の
大広間で「大政奉還」の意思を表明したことは
日本史上あまりにも有名ですね。



東大手門は二条城の正門にあたり、現存の門は
1662年(寛文2年)頃の建築と考えられています。
築城当時は現在のように櫓門(2階建て)でしたが、
寛永の二条城行幸時には天皇を2階から
見下ろさないようにとの配慮から、
一重の門に建て替えられたと言われています。

前に来た時には、この東大手門と東南隅櫓の内部が
公開されていました。
東大手門や東南隅櫓にはちゃんと石落としの構造が
設けられていたり、火縄銃をかけるための竹釘が
並んでいたりと、二条城もちゃんとした城なんだな
って思いましたね。



唐門は、二の丸御殿の正門にあたり、切妻造、桧皮葺の
四脚門でその屋根の前後に唐破風が付きます。
門には長寿を意味する「松竹梅に鶴」や、
聖域を守護する「唐獅子」など、豪華絢爛な極彩色の
彫刻を飾ります。



相変わらず、何回来てもきれいだな~。

唐門をくぐって、二の丸御殿に入ります。
東南から北西にかけて、遠侍、式台、大広間、
蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が雁行形に立ち並ぶ
御殿です。
部屋数33室、800畳余りもある内部は、代表的な
「松鷹図」をはじめ、将軍の威厳を示す虎や豹、
桜や四季折々の花を描いた狩野派の
障壁画(模写画)で装飾されています。

御殿内は撮影NGです。

ちなみに、二条城順路の一番最後にあたる
大休憩所の隣に「二条城障壁画 展示収蔵館」が
あるんですが、二の丸御殿の障壁画の原画を間近で
鑑賞することができます。
時期によって展示物が変わるので、見たい原画が
あればHPを要チェックですね。

二の丸御殿で見ることが出来るのは、
レプリカなんですよね。




さて、ここで困ったことが…。女衆達が、
「ちょっとお昼も近いし、歩き疲れたから、
車取ってきてって」って!

びっくり
本丸見ようと思ったのにしょんぼり

まあ、ホテルの駐車場が、昼から有料扱いで、
びっくりする金額が課金されるんで、
取りには行かなくてはいかんでのですが、
このタイミングで頼むのー怒ってる

ダッシュで、車を回収して、再度二条城で2人を
ピックアップしましたよ。
二の丸と本丸は次回のお楽しみだな号泣

ここから、最後の鳳凰目指して移動します。

京都を第二京阪→京滋バイパスと渡って
南下して、宇治着。



お昼もかなり回ってるし、ちょっと
腹ごしらえしますかネ。



ここ宇治は、お茶の産地ですから、
抹茶ラーメンでも食べますかね。
塩ラーメンに抹茶のトッピング。
もちろん麺は緑色で抹茶が練りこんでます。



餃子にも抹茶が練りこんであって、抹茶塩でいただきます。

「マツコの知らない世界」で抹茶スイーツマニアの特集で
やってたお店(田中九商店)だったんで、
入ってみたんです。

味は普通です。遠くで抹茶の香りがする程度。
ラーメンの抹茶トッピングは、おすすめしませんね大笑い



1杯50円に惹かれて、餃子のお口直しにいただいました。
すっきりした甘い味でした。もち、お買い上げ。



お茶屋さんが軒を連ねており、
いいお茶の香りがそこら中から漂ってました。



女衆がお土産店にお買い物に入っちゃったんで、
隣の団子やで時間つぶしです。

煎茶、抹茶、ほうじ茶の団子です。
1本食べて、まだ出てこない、また1本食べて出てこない。
結局3本食べたじゃん!



本日のメインイベントの平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂は、平安時代の摂政・
藤原頼通(ふじわらのよりみち)が、
極楽浄土を現世に再現しようと試みた
壮麗な寺院です。



宇治は京都南郊の宇治川を望む景勝地。
平安時代の初期から嵯峨と並ぶ貴族の別荘地で、
紫式部の長編小説「源氏物語・宇治十条」の
舞台にもなっています。

光源氏のモデルの一人といわれる、
嵯峨天皇の皇子 源融(みなもとのとおる)も、
別荘として宇治に「宇治院」、
嵯峨に「棲霞観(せいかかん):現在の清涼寺」を
営みました。

「宇治院」は、その後、宇多天皇から
天皇の孫 源重信へと引き継がれ、
長徳4年(998年)に、摂政・藤原道長の
別荘「宇治殿」となります。

そして道長が万寿4年(1027年)に
没した後、長男の関白・藤原頼通が
永承7年(1052年)に
宇治殿を寺院に改め創建したのが
「平等院」です。

時の世は、釈迦の死後2000年経つと、仏法が衰え
世の中が乱れるという末法思想に支配されており、
特に1052年(永承7年)は末法元年とされ人々に
恐れられていました。



10円硬貨のデザインが平等院鳳凰堂だということは
皆さん知ってますよね。



昭和26年(1951年)に、十円硬貨の意匠として
閣議決定し採用されました。発行は1953年。



10円硬貨の平等院鳳凰堂は細密に
デザインされていますが、これは発行開始当初は
高額硬貨であったため、偽造防止の意味も含めて
決められたものだそうです。



なんと、改修作業中につき中堂は開門しないとのこと。
また鳳凰堂の内部拝観も予約販売で売り切れとのこと。
2時間以上待つなら1人だけ空きがあるって…。
こりゃまた残念。

この中堂の中の阿弥陀如来像が見たかったし、
そもそも中堂の壁画も、天井画も、
部屋自体のギミックも
中堂の長押上の壁を飾る浮き彫りの菩薩像52躯も
何も間も、全部国宝。

中堂の中は見たかったな~。



ちなみに、この屋根の鳳凰って、1万円札の裏面に
使われてるって知ってました?
裏面の左側に立ってます。

全然知らなくって、今回の旅行で知りました。
2004年11月1日から現行デザインだったんですね。

表面の福沢諭吉しか知らんかった~
お金持ってないのがバレバレやな。



中堂内観者一行を見送って、順路を進みます。
まあ、ミュージアム「鳳凰館」で、中堂にあるものの一部は
見ることが出来たんで、良しとしますか…。

でも、中堂の天井画はみたかったなあ~。



あとは、岡山に帰るだけ。
京滋バイパスから名神→新名神→山陽道と渡って
無事帰宅しました。

次男も人間的に大きくなってましたし、
次に会うの年末の帰省か、1月の成人式かな?






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2021年12月29日 11時42分44秒
[家族で弾丸?] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: