







本は母の菩提を弔うため、出家して僧侶となり名を
福松から「耕三」に改め、同年から母への感謝の意を込めて、潮聲閣周辺にて耕三寺の建立を開始。

金本はかねてより、瀬戸田の地に誇りうる文化財の
ないことを残念に思っており、境内を日本各地の著名な歴史的建造物を模した堂宇で埋める構想を
立てました。

以来、30余年をかけて、日光東照宮陽明門を模した孝養門、
平等院鳳凰堂を模した本堂などをはじめとした伽藍が、
完成しました。

なお金本は1956年(昭和31年)以降、自らを「耕三寺耕三」と名乗るようになりました。























