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水軍城を設けていました。
この付近の海域は帆船時代、瀬戸内海航路の
最も重要な航路の一つでした。
この能島と鵜島とが流れをさえぎるような
位置関係であることから、干満時には激しい
潮流を生み、渦巻く急流は天然の要害ともなりました。
このため、平時には通過する船に対して水先案内人
として行きかう船を案内し、帆別銭(一種の通行料)を
徴収し、室町期以降この地に能島城を築き、
この海域の制海権を掌握していました。
能島城には本丸、二の丸、三の丸、出丸などがあり、
中世の水軍城としても規模が大きいものでした。
能島には水が得られないことから、近傍の
鵜島や木浦から補給していたとされています。



















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