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2007.03.11
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カテゴリ: フランス映画
GARCON !
Claude Sautet
(102min)

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寸評:今見るとちょっとデモデ(時代遅れで古臭くなった)な感じですが、そしてソーテ監督の作品としてはそれほどの出来ではないのだろうけれど、まあなんとか見れます。イヴ・モンタンのための映画と言っていいかも。今は亡き歌手・役者(そして政治家?)の彼のエレガントさはいいです。

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いきなり年齢のことから入りますが、ソーテ監督は1924年生まれ。イヴ・モンタンは1921年生まれ。映画の制作が1983年頃だからどちらも60歳前後ですね。まだ健在で80歳超えて映画を作っているアラン・レネは1922年生まれ、ベルイマンは1918年生まれ。一度は病に倒れはしたけれどアントニオーニなんて人もまだ映画作ってますが1912年生まれで、ソーテより約10歳年長です。

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なんでこんな歳のことを書くかと言えば、実は映画作者としてのタイプの違いと、それがこの映画『ギャルソン!』の成立に無関係ではないと思うからです。それぞれタイプは同じではないけれど、レネやアントニオーニやベルイマンなんて人は、若い頃には実験的であったり、前衛的であったり、そういう作品作りの監督。だからある意味時代を先取りした映画作りだったろうし、表現形式としての映画を芸術的表現の手段として使ってきたとも言える。だから時代が進んで世界の様相や映画のあり方が変わっても、そこではそこでなりのやりたいこととかがある。しかしソーテ監督というのは、有名な『夕なぎ』やもっと後の 『とまどい』 『愛を弾く女』 なんて見ても人間観察とか映画作りは実に上手だけれど、時代の変化について行けなかった人のような気がする。晩年の 『愛を弾く女』 にしても遺書的 『とまどい』 『愛を弾く女』 にも、この『ギャルソン!』にも、老人の死がサイドストーリーとして描かれる。あれはソーテ監督の親しむ世界の終焉の象徴に感じられる。

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この『ギャルソン!』、「!」マークが最後に付されているから、レストランでお客がボーイを呼ぶときの言葉ですね。つまりはギャルソンというフランス語の単語が単数だから「ギャルソン」はイヴ・モンタン演じるアレックスを指すという以上に、その彼を呼び止める意味がある。解釈を進めれば時代についていけずに取り残された自分(ソーテ監督)に「おい、ソーテよ~!」と呼びかけた言葉にも感じられてくる。『夕なぎ』が1972年で、以後2年毎に1974年、76年、78年、80年と監督をしていたソーテ監督は、1年増えて3年空いて1983年にこの『ギャルソン!』、そしてその後は1988年の『僕と一緒に幾日か』まで5年のブランク。そして見てはいないのだけれど、この『僕と・・・』自体が内容的にまた微妙な作品のようだ。

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で本題の『ギャルソン!』なのだけれど、主人公のアレックスはかつてはタップダンサーだった。イヴ・モンタンの年齢(62歳)からしてもう60歳くらいなんでしょうか。そのエレガントな容貌や身のこなしで、パリのブラスリーのボーイ長か何かをしている。随分前に離婚をしているらしく独身て、でも今でもばりばり女性と付き合っている。金持ち夫人のグロリア(ロージー・ヴァルト)とか、若いコリーヌ(ドミニック・ラファン)とか。自分の計画している海辺の遊園地の機材の取引で言ったブリュッセルでは、交渉相手の会社の女性とも一夜を過ごしたりと、まあ勢力的なプレイボーイなんだけれど、何かを誰かに与えるとか、そういうことのできない自分勝手な軽い乗りばかり。同じブラスリーで働くボーイ仲間で、ちょっと不器用なジルベール(ジャック・ヴィルレ)は妻と離婚するって別の女性マリー=ピエール(マリー・デュボワ)ともう長く付き合っていて、子供もいるのだけれど、なかなか相手が離婚に同意しないので離婚手続き中の状態で、アレックスは自分のアパートに泊めて、共同生活をしている。アレックスは自分を誰かに差し出さない人間だから相手の女性も結局アレックスに自分を賭けることはなく、だから実は孤独で寂しいんですね。だから温厚で一緒にいてくれるジルベールは有り難い存在なんでしょう。

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(以下ネタバレ)
アレックスは海岸に夏のヴァカンス期だけ営業する遊園地を計画して勢力的に現地だブリュッセルだって活動している。そんな頃17年ぶりにクレール(ニコール・ガルシア)と偶然会う。クレールは夫とは離婚していて、付き合っている別の男性が好きみたいなのだが、その関係も途切れている。彼女は英語学校の教師をしていて、アレックスは彼女目当てにその学校に通ったりして、で2人の関係が始まる。彼女がルームシェアをしている同僚のアパートにアレックスが行くと、今関係が途切れている恋人のアフリカでの活動の新聞記事が壁に貼られていて、それを話題にしたり読んでいると、クレールがそれを剥がして大事に別のところにしまってしまう。ここの作りがソーテ流ですね。アレックスとの関係がいずれ終わることを暗示しています。海辺の遊園地の建設現場に、ある日ジルベールと今の相手のマリー=ピエールと2人の子供、そしてクレールなんかと行ってピクニックのようなことするのだけれど、そこでマリー=ピエールがアレックスに語るのは「私が妊娠して、そのことジルベールに言うと、本当に自分の子か?なんて訊きもせずに、すぐ一緒になると言ってくれた」とかなんとかで、誠実なジルベールと、自分本位なだけで不誠実なアレックスが対比される。

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遊園地の機材のために思わぬ出費が必要で、アレックスは困るんだけれど、今は遠ざけ気味にしている金持ち夫人グロリアのところに行って、「貸してくれ」とも言わずにうまいこと話してお金を借りてしまう。アレックス、あるいはイヴ・モンタンの言っても良いかもしれない、甘えるような魅力なのだけれど、アレックスとしてはもともと計算済みの行動ですね。考えてみるとフランス語のギャルソンは英語のボーイと同じくもともと「男の子」の意味なわけで、アレックスを子供だと言っている題名なのかも知れません。考えてみれば実はイヤな奴なんだけれど、どこかその魅力にはまって捨てることも出来ない、そんな人物っていますよね。そういう感じです。

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そして目出度く遊園地も完成。夏になってヴァカンスの子供たちでにぎわっていて、成功なんでしょう。しかしそこにクレールは既にいないし、グロリアは夫と仲良く旅行に行ったらしいし、コリーヌはブラスリーの別の若い同僚と一緒。ジルベールは離婚が成立してマリー=ピエールや子供たちと住むことに。周囲の人々はみんな去っていく。それを象徴しているのがいつも女性と食事に来ていた男性客が今は一人寂しく食事に来ているシーンでもあるのでしょう。アレックスの居場所はどこにもない。そしてこれは映画監督としての自分の姿なのかも知れない。遊園地に突然降り出した雨。彼は孤独に自分本位の人生を歩むしかない。このアレックスは後の 『愛を弾く女』 のダニエル・オートゥイユと同類かも知れません。ダニエル・オートゥイユの演じた 『愛を弾く女』 のステファンは最初から自分の殻にこもって女性と付き合おうとしない孤独、このアレックスはやたらと女と軽く付き合って、でも自分を相手に差し出さないエゴイストの孤独、その表面上の差はあるけれど、実はとても似ていますね。一言にするなら高過ぎるプライドなのでしょうか。

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Last updated  2007.03.19 23:24:49
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