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久々に楽天ブログにアクセスし、タイトルも変更したのでテストで書き込みと画像のアップができるか確認します。
2017年04月02日
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夏目漱石の『こころ』がA新聞に再連載され、それに関連して文庫本がヒットしていると言う。 私が高校時代、現代国語の教科書に「先生の遺書」抜粋が載っていて、夏休みの課題図書でもあり感想文を書かされた。 「先生は親友Kとお嬢さんを取り合い、ちょっと卑怯な手を使ってお嬢さんを我が物にした。それで自殺したKに対し何十年も罪悪感を抱き続けて挙句自殺してしまう先生の方が『馬鹿』だと思います」的な感想を抱いたし実際、感想文にも書いた。16,7歳程度の人生経験値ではそんな風にしか読めないのが普通だろう。 それから20年以上経ち病気で会社を3年近く休んだ。残業の日々からいきなりヒマ。持て余してクラシックに走りコンサートに通い詰め本を読んで日々を送るうち、ふと、「そーいえば漱石の『こころ』ってオモロないハナシだったなぁ。今読んでもそうだろうか」疑問が頭をもたげ再読した。 難しい言い回しも何の、私は文学部出身だ、昔より大分読めるようになってるじゃないの・・・そんなテキトーを胸の内で呟きながら読み進めると。意外にもオモシロイ。漱石は過剰なほど風景や居場所、着物の皺まで言葉で丹念に書き込む作家ではあるが、その過剰さは漱石文学にはなくてはならないもので、これが池波正太郎氏のような「行間に"絵"を浮かばせる」作風では主題が描けないであろう。まあ、鬱屈・ビョーキ系vsハードボイルド・ダンディの図式って言うんですか。 読み終わって。不謹慎だが大笑いしてしまった。先生、バッカだなぁ、と思って。そして"究極の勘違い小説"だなぁと思って。 Kの自殺の原因は、先生に自分が思いを寄せるお嬢さんを奪われた事ではなく、「真宗の寺に生まれ、禁欲と摂欲を第一義として道を追及していた自分が恋の道に迷い、それを抑制・制圧できなかった己の弱さ」だ。 遺書のクライマックス。自分にも他人にも厳しいKから見てフラフラしている先生にKは二人で出かけた旅先で「精神的向上心のないものは馬鹿だ」という言葉を浴びせる。時が流れ、お嬢さんへの恋心を抑えかねたKが先生を上野の池の畔に誘い出し、先生に物思いを告白する。日々、Kとお嬢さんが親しげな様子を見せるにつけ焦りを抱いていた先生は同じ言葉を'わざと'Kにぶつける。「精神的向上心のないものは馬鹿だ」。それがKの恋の歩みを止め自殺、先生はお嬢さんをモノにした・・・ここだけ切り取ると恋に敗れたKが悲観し自殺したように見える。が。 Kはクソが付く真面目でベンキョーも良くできる。しかし「道が、道が」って自身の求道の事しか頭になく周囲を見渡せない視野狭窄。先生は地方出身の秀才だが一般の人がやるくらいの気遣いや配慮ができる平々凡々人。Kは恋にヨロヨロする自分の弱さが今後も続くのだと絶望して死んだのに、先生とお嬢さんの結婚が決まった直後のタイミングだったもんだから、神経が細かい先生(←この性質には漱石自身が反映されているだろう)としては自責の念に駆られるのは当たり前。そんで結婚生活もオモロなく、妻となったお嬢さんは眼に涙。誰かの"こころ"に我が"こころ"が振り回される。コントですな、これは。 私は『こころ』をきっかけに、漱石作品を濫読してしまったのだから、漱石はやっぱオモロイ人だ。『門』は何回読み直しても理解できないし、『倫敦塔』にいたっては嘔吐感さえ催す不快さ。面白かったのは『こころ』をはじめ『それから』『明暗』『二百十日』『夢十夜』それと『漱石書簡集』。クソ真面目が真面目になるほどコミカルになる。そんな味わいが楽しめます。「もしかして雪道も行けんじゃね?」と勘違いした例。
2014年07月19日
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2ヶ月ほど前、滅多に鳴らないケータイが鳴る。 「俺だ俺だ。GWは長い休みが取れた。北海道行こうぜ林道走ろうぜ」・・・オフ車の師匠だ そんな誘いに私が喜んで乗るとでも?アナタは存じないかも知れないが4月下旬~5月上旬の北海道の気候は関東の2月くらいを想定した方がいいですよ。ましてや林道、標高が上がれば雪が残っています。熊つまりヒグマは冬眠から覚めています。「寒さ・雪・クマ」の3点セットはお断りです。 「いやいや待て待て。ナビもルートも任せる。俺たちを北海道に連れてって(*^_^*)ウフ」 そう師匠とその仲間の大半は渡道した事がない。海外のレースには出てるくせに灯台モトクロス、いや下暗し。逆に私の北海道ツーリングはソロなので林道いわゆる未舗装路は絶対に入らない。・・・そうだ。 「いいですよ」 私にはある思惑があった。「幻の橋」それは冬から初夏の間は姿を現し夏から晩秋にかけて姿を消すという。そこへ通じる林道は事故や熊の出没が多発し許可がないと進入できない。師匠+αの力を借り、その橋を見てやろう。 しかし渡道1週間前でもなかなか北海道の気温が上がらず峠のライブカメラは時折雪で白い。日頃の行いが悪いのは認めたくないが残るは神頼み。すると数日前に一気に気温が上がり雪解けが進む。これなら行ける。決行だ!一人密かに気合を込め酒飲んでご飯食べて寝る。 同行のメンツはオフ師匠と猪のような男・N氏。二人は阿呆だがテクニックは不足なし。これで私の野望?も叶うというもの。わはははは。 北海道2日目。午前中はトータル20数kmの林道に突入。雪・落石・深砂利・急坂・急カーブおまけに倒木で私の乏しいテクでは四苦八苦の二乗三乗ゼェゼェ。でもあの橋を見るまでは。リポ○○ンのCM以上の根性を発揮して先へ進む。橋を見るには林道に進入する許可を得てゲートのカギを借りなくてはならない。所轄の森林管理署で注意事項の説明を受け申請書に記入し通行許可証とカギを受け取る。「ヒグマは最低でも親子2組の5頭が生息してます。くれぐれも注意してください」職員の方に念を押され少しく怯む。が行くしかない。 目的の林道入り口まで近づくとこんな看板が。「十二分に注意してください」最善は林道に入らない事だろうがそうはいかぬ。進め進め。 ゲート前に到着。「熊目撃情報」。最後通牒。「3月28日・31日に目撃」ソレデモイキマスカ?ヤメマスカ?イキマスデース。 ゲートをカギで開けて元通り閉め林道に入る。フラットで整備された道はたちまち深い森に包まれグネグネ上り荒れ出す。日差しをも疎らな道の左右には笹が茂って今にも"出そう"。ビビリ心を伏せて進む事約10分・・・見えた・・・熊への恐怖心も忘れシャッターを切る。水の引いたダム湖に白いアーチ橋。古代遺跡のような趣を漂わせているその橋に遠くない過去には汽車が走っていた。夏にかけて水が張られるとその姿は水面下に消える幻の橋。近い将来に間違いなく消えてしまう橋。 もっと近くに行けないだろうか。湖畔に通じる道は藪に覆われている。2歩3歩進んでふと地面を見ると・・・土の上に熊の足跡。ぎゃあああああああ。ダッシュでバイクに跨り師匠とN氏を置き去りにしたのは少々反省。ちなみに熊さんは5月2日にも目撃されたそうです。
2014年06月01日
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池波正太郎氏の『仕掛人・藤枝梅安』に、梅安を狙う別の仕掛人が殺害方法を考えて考えて考え抜いた挙句、初老以上の女に化けて襲う事を思いつく。女性も年を取れば外見は中性化してしまう視覚のトリックを利用しようとしたものだ。 確かに私の母を見ていても声は声帯が太くなるのか低くなっているし胸より腹の方が突き出している体型。そこへ髪が短いと来ればパッと見"小さいおっさん"かもしれない。もう恋だとか春だとか薄っすら靄や霞がかかった感情はないと思っていた。のに。 ある日、実家に立ち寄ると「お茶でも飲んでいけば」と母。家に上がるとTVは見るでも見ないでもなく点けっ放しで「節電しなよ~」消そうとすると母が「ちょっと待って!」 何?何?何なの??画面にはジョージ・クルーニーが美人に謀られるコーヒー会社のCMが流れている。そのCMをジーとみる母。「この人、カッコエエなぁ・・・」・・・・・・・・・は?何を仰ってるのかしら?いやクルーニーさんがカッコワルイわけでなく確かにカッコエエんですが母がクルーニーさんをカッコエエと言ってるのが私の脳細胞に響かないだけでクルーニーさんは男前なんですよ。♪もぉこいなんてしないなんてぇ~♪の"しない"が意思的ではなく不可能の意味に成り代わっていると思っていた人が♪もぉもいぃろとぉおいき♪なのが少なからず驚いただけで。 そうかそうなのか。何が「そう」なのか分からんけども、ばあさんも女なのね。人生の中で時間は常に過去へ呑み込まれる「今」を起点に「未来」へしか流れない。少女から女へ女から年増へ老女へ。それでも女に生まれた何かが心を疼かせる事があるんだなあ。 1分の半分にも満たないCMの間、母は娘の心になっていた。私は「その日 川はだるそうに さだめのように流れていった」という昔の流行歌を思い出していた。将来、孫に匹敵する若っかいアイドルに入れ上げるババアにならないようにと思いながら。ナムナム・・・
2014年03月17日
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江戸川柳に「正月は冥土の旅の一里塚うれしくもありうれしくもなし」というのがあり。 過日、誕生日を迎えアラフィフに一歩足を踏み入れた私の心境も同様。 平均寿命が90歳に伸びると言われている昨今「あと10年か15年でいいよなぁ・・・」と思いつつ人生の後半戦。確実に衰える肉体頭脳気力体力を引っ下げて死ぬまで生きる人生の旅路。このまま老後の蓄えや墓なんかの心配をしながら地味地味暮らすのは絶対性に合わない。さて、どうしよう後半戦だぜ人生の。 人生はタイミングと運。それはワタクシがついさっき心の内で呟いた事。「夢は見るものじゃなく叶えるもの」はアムロナミエさん。"夢"は何でも叶うわけじゃない。しかし「コレ!」というものだけは逃したくない。私は割合掴んできた方で全体言えるのは、タイミングが合わなければ眼前にあっても指を咥えて流さざるを得ないしタイミングが合えば運も一緒についてきてムリ目でもどうにか叶えられるってコトなんであります。 「生まれ変わったら防衛大学校を出て幕僚長になるかヒ○の隊長のように国政に打って出たい」それは余りにも迂遠で生まれ変われるかどうかも判然としないので遥か彼方に放置し差し当たって今生の"夢"は何であろうか。ただ一つなら。 もう一度。あのレースに出たい。 私はヘナチョコライダーで唯一の取り柄が「転ばない」だけだが、その特性を存分に発揮しほぼビギナーでも海外レースを完走した事がある。3人で交代しながら1200kmを約25時間で走り切ったそのレースは、乾燥地帯に人の背丈の何倍もあるサボテンが連なる荒野の道(ダート)を行く。アマチュアにとっては完走する事に意義があり順位争いをしない分、果てしなく続くと思われる道をゴール=目的地目指してひた走る「旅」でもある。 もう一度、もう一度でいいから出たいよなぁ。今の私ではテクニック的にも体力的にも当時にとても及ばない。無理かなぁ。ウジウジ。そんな時に師匠からメール。 「2017年は50周年記念レースだから出るだろ。準備しとけ。大型(二輪)免許取れ」と半ば強制かつ命令。いつもなら「フザケンナ」と無視するところだが渡りに舟とはこの事。もう一度。現実味を帯びてきたもう一度の"夢"が脳内の大半を占め仕事に支障を来たしそうではないか。阿呆である。先ずは座学から、なんて言いつつかなり楽しくて参るコースで練習。愛車がテキトーテーピングで憐れな姿。年末のレースに出たが結果はもう・・・短期間でのテクニック向上を目指しバイクを買うが、バイクに申し訳ない実力に泣く
2014年03月15日
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昨年の過日、ラドゥ・ルプー ピアノリサイタルに行った。 ルプー氏は私が最も好きなピアニスト、会場で売ってるCDは全部持ってるし海外盤も捜し求め某オークションで割高にも関わらず落札して悦に入るくらい。 一昨年のリサイタルはブログにも書いたよう『千人に一人のリリシスト』以上に『千人に一人のマイクロフォトグラファー(顕微鏡写真家)←私的感想』を髣髴とさせる楽曲を音を情景を腑分けして見せた実力に呻ったから期待は大きい。当日は残務をシカトし睡眠も充分で状況も体調バッチリ。聴く気マンマンの足で鼻息ヒッソリ荒く会場へ乗り込む。 時間になり程なくルプー氏が眠そうな気だるそうな顔でピアノの前に座る。神がその十指に与えた音が奏でられる瞬間。この瞬間を待っていた待っていた待っていた・・・アレ? ルプー氏が弾くシューマンやシューベルトのピアノ曲はそれなりにCDで聴いていて、嗜好に合うかどうかは別として、その独特の響きと表現まさに腑分けに感服したものだが、何かが違う。私が思うルプー氏の音は、風と水が草木や大地をそよぎ揺らし抉り逆巻き愛撫し時に冷淡に突き放したかと思えばしなやかな腕で抱き止める変幻自在が破綻なく柔らかに包み込まれたスケール感のある広がりが魅力だったのですが。 音の印象は変わらない。馥郁とどこか緑と土の香気を含んだ広やかさは。音の一つひとつを取れば同じかもしれない。でも違う。印象がフラット?っつーの?陰影が乏しい?っつーの? 正直、前半だけで帰ろうかと思ったが、MOTTAINAI精神と「もしかしたら」の期待でアンコールまで聴いたが退屈で眠いのはそのままで終わった。 以前、ポリーニ氏のリサイタル(60分1本勝負)を聴いた時、CDで聴いたのと随分印象が違う淡々演奏じゃ金(ルプー氏の倍で2万4000円)返せとも思ったが、改めて今回を検分すると私がCDで聴いてるのは若い頃。同じ音をレベルを保ち続けるのはそもそも無理だったのか。 昔と同じようにやってるorできてるつもりでも違うのかもしれない。自戒を込めて振り返りつつ今年もルプー氏のコンサートを待っている正に「恋は盲目」。ああバカだよぅ。フォトはウィーン・フィル公演のパンフで本文と関係ないのが申し訳なくそろ
2014年01月17日
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バイクにリターンしたはいいが、10数年振りともなると面白いほど乗り方を忘れていた。取り回しさえロクにできなくなってるのだから恐ろしい。 北海道ツーリング前、オフロード馬鹿師匠を拝み倒してセッセ通ったのがダート(未舗装路)。ダートを自転車でも良いから走ってみれば判るはず。舗装路と違い路面状況は砂利・土・抉れ・崩壊と刻々変化し不安定極まりなく真っ直ぐ走りたいがラインを選ぶうちにあらぬ方向へヨロヨロ、あげく転倒のリスクははるかに大きいという別に買わなくてもいい苦労を背負い込む。 しかし「走る・曲がる・止まる」だけでなく「操る」が効能として加わるので短期間で上達しないと明日をも知れぬ我が身としては効能が大きいのも事実。実際、面白れぇのよ。ヘルメットの中は「恐いぃぃ~~~」「うぎゃあぁああぁぁ~」「ああああアカンアカン~~死ぬるぅ~~」などと録音されてたらリベンジポ○ノも真っ青な赤っ恥だが。難しいと思われる何かを克服するのはヒリヒリするような興奮とマゾヒスティックな快感にビリビリする。 オフ馬鹿魂に火がついてしまったもののヒッソリ隠して大人しく(今、疑いましたね?)マスツーサークルの皆様とお付き合いしていた私。ツーリング先でニュッと藪へ向かう細道を見付けると思わず1人列から離脱したくなる心を抑えていたのである。 趣味の世界まで辛抱は利かず「ダートもいかがでしょう?」と呼びかけてみると。 意外にも反応があり喜んだのも束の間、「じゃ案内お願いします」至極真っ当な流れ。え?オラがリーダだか?今更ムリですとも言えず密かにリーダー修行を積む事に。 奥多摩にターゲットを絞り平日休みの師匠に教えを請うため仕事と有休をやり繰りしツーリングマップルを頼りに走っては写真やメモに記録、参加メンバーのマシンとダート経験値を独自の数式?に当てはめてルートを算出。いよいよ当日を待つばかり・・・ 「18日は関東でも雪になるでしょう」と天気予報。晴れてくれ気温よ上がれ祈り虚しく"第1回"はお流れ。善良な社会人である参加者を無事に帰すまでがリーダー。この判断は間違ってない。 「次回、楽しみにしてます」という声に応えるのもリーダーであるらしく、知恵熱出すほど苦労して選択したルートは白紙、未知なるダートを求めて走りに行くのであります。11月下旬は紅葉の名残が渓流を彩っている12月中旬。凍結にビビリながら走ると斜面が崩れて道が途切れる。さらに進むと・・・大規模崩落。千切れたガードレールとパラパラ小石を落とす法面が恐怖こんな倒木に阻まれる事も。どうにか越えたがその先で・・・
2013年12月23日
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春の花見、秋の紅葉狩り、どれも興味のない無粋極まりない私。TVニュースのお天気中継で「軽井沢の○○池(←伏字ではなく失念)では見事な紅葉が・・・」などとキャスター満面の笑みの背後が紅や黄に彩られててもさほど食指は動かないわけで。 そんなワタクシめが師匠に偶々連れて行かれた栗原川林道。総延長約40kmの未舗装路とはいえ皇海(すかい)山の登山口もあり車で訪れる人も多い。平日は乗用車少な目・工事車両多めはありますが。 沼田ICを降り細くてグネグネした舗装路を上っていくと程なくダートになる。落ち葉が敷き詰められた道は下に石や泥が隠れていて油断禁物。標高が低い場所は緑優勢だが上るにつれ広葉樹が暖色に染まってくる。同時に道は片側が完全に垂直崖に変わり落ちたら間違いなく魂だけは高みを極められる。 右手は切り立った脆い岩盤が聳え立ち根を張る木々は自身の重さに耐えかねて斜めになって日除けを作り左手は奈落の崖から細身の木が空を目指して伸びる。道は細かく右へ左へ弧を描く。陽に透けた紅や黄が回廊を鮮やかに彩る。その向こうに広がるのは夏の緑に秋の色彩を吸い取って染め上げつつある峻峰の連なり。 メジャーでもなく探訪しやすいスポットではないが国有林ならではの人手が余り入っていないダイナミックな紅葉を走りながら愛でる。舗装化が進む今、それもあと何年の命運だろうか。沼田界隈にはリンゴ園がたくさんあった。向かって右側は急転直下の崖。きれいだからと見詰めながら走ると危険。勾配が強い山が染まりつつあった。
2013年11月10日
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全日程9日うち道内7.5日。終わってみれば呆気ない。しかし目で見て耳で聞いて身体と心で感じたものは全てリアル。薄れる事はあっても忘れる事はないのだろう。 デジカメで撮影したフォトの総枚数150枚。うち半分は"たいがい"なデキで破棄。思い出になったりならなかったりしたものをご紹介してみましょう。面倒ならスルーでお願いします。国稀酒造の敷地内にある伏流水の湧き水。これを仕込みに使う国稀酒造の資料館には沿岸バスの萌えキャラもいる利尻の手前はノシャップ岬のある方向。黒い人影はモズク採りに勤しむ人たち道の駅・忠類の親子ナウマンゾウ。子象がお母さんの尻尾を鼻でつかんでるのが可愛い♪何もぉない~♪襟裳岬歌碑。隣には島倉千代子バージョンもあります
2013年11月03日
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翌朝。早く目覚めたので食堂で「ご自由にどうぞ」コーヒーを飲みながらTVでニュース番組なぞボーっと見る。「おはよう。良く眠れたかい?」あ、おかあさん、朝までノンストップぐっすりでした。「もう少し待っててね」おかあさんは台所に戻る。 バイクにオイルでも注すか。潤滑オイルやチェーンルブ缶を持って下りる。チェーン注油はメンテナンススタンドがないので苦労してるといつの間にか起き出したおにいさんが手伝ってくれた。ついでにおにいさんのバイクを見せてもらう。今年10年目で車検に出そうか買い換えようか迷っているとか。よく手入れされたバイクは年式を思わせない。バイクは不思議なもので"道具"の域を越えて一緒に連れ立って行く"相棒"なのだ。同じ風を受け同じ道を駆け同じ苦難と歓びを味わう。「勿体無いですよ。まだまだ新車みたいじゃないですか」 食堂に戻ると用意ができている。「ゴハンと味噌汁は好きなだけお食べ」いただきまーす。青年はまだ白河夜船のようだ。イクラ醤油漬けを白いご飯に乗っけてワシワシ。上等の卵黄に似たコクが箸を止めない。次は目玉焼きを乗せて、次は漬物で、3杯のご飯を腹中に納める。うー腹が重い。でも満足。どうせ昼はビビリで食べないのだから。 「苫小牧なら昼頃に出ても間に合うよ」その間、おにいさんが滞在中に写した美風景写真を見せてもらったり、おかあさんが飼っている犬夫妻と子犬と遊んだり。ようやく起きた青年も朝食を済ませて帰り支度をしている。 青年が11:00頃に出る。様似までバス。宿の前のバス停に青年が佇む。「これ持って」手渡されたのは大漁旗。これを振るのだと言う。バスに青年が乗り込み発車。おかあさん・おにいさん・私の3人で旗を振る。開け放った窓から青年が手を振る「行って来まーーーす」「行ってらっっしゃーーーい」 12:00過ぎ。次は私が見送られる。「また来なよ」おかあさんの声を土産にアクセルを開け走り出す。「行ってらっしゃーーーい」ヘタクソは振り向けずまた振り向いたら泣きそうな気がして左手を振る。 途中、長い休憩を1回のみで苫小牧港に着く。目の前に停泊するフェリーに乗れば大洗まで途中下船不可。一路東京を目指す事になる。もう1日くらい・・・何度もそう思ったが大人しく乗船待ちの列に続く。あの頃は宿代や食費にも事欠くツーリングだった。今は宿でも食事でもある程度のゼイタクはできるようになった。その分"時間"を失くし"責任"が増えた・・・いやいや感傷に浸る間はない。「家に帰るまでがツーリング」である。締まって行こうぜぇ~!オー!宿の前に現れたキツネ。カメラを構えても逃げない宿の前で撮影してるとおにいさんがバイクと一緒の写真を撮ってくれて後日送ってくれた乗船を待つ。フェリーは行きと同じ「ふらの」大洗港は間もなく。天気が良い分、気温も高かった
2013年11月03日
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15:00チェックインタイムきっかりに投宿。廃墟臭漂う大ぶりで大雑把な建物は元々YHだったのを民宿にしたもの。広い玄関、ロビーの隅に立て掛けられたギター、YH時代にヘルパーをした男女の"ナウなヤング"だった頃の写真。元気一杯の「おかあさん」が出迎えてくれる。 バイクから荷物を降ろしていると男性が手伝ってくれる。てっきりおかあさんの息子?と思ったのだが4ヶ月近くヘルパー(居候)していると言う。便宜上ここでは「おにいさん」と呼ぶ。 おにいさんとひとしきりお喋りを楽しみ部屋で荷物の整理。楽しい時間は瞬く間に過ぎ明日は船に乗る。もっといたいな・・・口実を探すが見付かるはずもない。寝床を整えケータイやデジカメを充電し窓から徐々に暮れる空を眺める。「おーい」1階からおにいさんの声が。 「稀にない襟裳岬の夕陽だから見に行けば」。気付けば17:00チョイ過ぎ。おにいさんは自転車で行ってしまう。バイクを再度引っ張り出して岬へ急ぐ。 日中は青と緑が優勢だった岬は橙と藍に染まりつつあった。年間300日近く10m/s以上の風が吹く襟裳岬は風そよぎ波は穏やか。秋の透き通った空気が遠く遠く風景を広げる。安デジカメのファインダー越しには名画が展開され夢中に写真を撮る。 宿に戻ると「風呂沸いてるよ。早く入っちゃいな」とおかあさん。今日の宿泊客はバス・鉄道を乗り継いでくる青年でまだ岬から戻っていないようだ。「夕食は一人じゃつまんないよ。みんなで食べよう」黙々一人メシを覚悟してただけに嬉しい。 食卓に着く。青年・おかあさん・おにいさんを交えてジンギスカンやおにいさんが釣ってきた川魚の刺身、手作りの漬物、野菜の煮物など。小奇麗ではないがとても美味しい。話も弾む。おかあさんは九州出身だというので私の母が関西出身だと言えば「関西人には勝てないわ~」横からおにいさん「ババァ何言ってやがるっ」すかさずツッコミ。笑いが弾ける。気付けば23:00近い。 床に入り今回の旅を振り返ってみよう・・・その間もなくたちまち眠りに落ちる。明日も晴れの予報。♪しぼったばかりのぉ~♪思わず唄いたくなる落陽襟裳岬は日中とは全く異なる色合いに染まるバイクさんも撮ってみる
2013年11月02日
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翌朝は青が目に痛いほどの快晴。11:30頃、池田町のお父さん・お母さんの家を出る。「ハイこれ」お母さんから手渡されたのは、おにぎり・リンゴ・お菓子が入った包み。うわぁ有り難い。国道236号から広尾方面に向かおうかと思っていたが「空いてる道に案内してあげるよ」お父さんの車に先導してもらい道道15号へ。用事でこの近くの知り合い宅へ行くお父さんともお別れ。「また来なよ」はいはいモチロンです。 道道ではあるが整備が行き届き左右には農場の緑が広がってバイクにも目にも優しい。時折背後から迫る速い車には注意が必要だが。信号もない田園風景を柔らかな秋の日差しを浴びながら進む。自然に歌が出る自作自演♪どっこ行くの?えっりもっだよ♪まあスっテキ♪センスの欠片もない。 道道15号が国道236号と混じって果てるとナウマンゾウで有名な忠類。道の駅があるので休憩すると地元民がやや不審そうな目でチラ見して通り過ぎる。女一人+バイクってそんなに珍しいのだろうか。名物ぽいのを売る店があるが朝飯をたんまりいただいた腹に隙間はない。ナウマンゾウのモニュメントがリアルなんだけど親子のせいか妙に可愛らしい。 さらに南下する。大樹~豊似と過ぎて道は国道336号に代わり広尾に突入。すると強い潮の香り。太平洋だ。稚内に向かうお供にした日本海とはまったく違う表情。ただただ広く光を含んだ深い藍が白波を冠して果てしなく続く。「地球は青かった」ガガーリンじゃなくても実感できるに違いない。 そして独特の香り・・・昆布である。昆布船の姿は確認できなかったが男衆が腰まで荒波に洗われながら長い竿を操りカギに昆布を引っ掛けては脇に抱える。ある程度の束になると浜辺の女衆が干し場に昆布を伸ばす。その一連の動作は強烈な海面の照り返しと太陽の位置が逆光を作り出し影絵のようで精巧で美しい(写真は撮らなかった。アソビで来てる者が海との真剣勝負を撮影してはいけない気がして)。 地下水が噴出すフンベの滝を過ぎてから私には自分との闘いが待っている。トンネルつまり閉塞空間である。この旅をしていて気付いたのだが、私は海沿いと山沿いの道があれば100%海沿いを選ぶ。名勝の層雲峡を通過しながら写真が1枚もないのは両側から迫る断崖が恐怖を誘い込むからに他ならず「キレイ」に結び付かない。 そして今回最大の難敵は「えりも黄金トンネル」4941m道内最長。トンネルに一部を覆われてしまった黄金道路も相当の難工事で「黄金を敷き詰めるくらい」の巨費を投じて開削された。20年近く前に路線バスで通過した際にトンネルはなかったが強風に煽られた波が道路を絶え間なく濡らしていたのを覚えている。生活道としては仕方ない選択だったのだろうが・・・恐い。迂回ルートはダート(未舗装路)のみ。素直にトンネルをくぐるしか選択肢はない。 目黒集落を過ぎ大きな口を開けた最長トンネルに飲み込まれる。中は思った以上に広く路面も整備されている。灯りもある。つやつやした真新しいコンクリート壁が異空間へ導くチューブのようでトンネルを抜けると雪国、ならぬ見知らぬ星だったらどうしよう(妄想)。 そんな筈もなく出口の明かりが見える頃には潮の香りと海原が待っている。道道36号に入れば襟裳岬は間もなく。アップダウンの続く道の両側はススキの穂が揺れている。強風と濃霧も今日は無縁らしい。駐車場にバイクを停め数分歩けば襟裳岬。長年見たかった岬は・・・ 人が結構いっぱい。特に年配者の姿が目立つ。写真を撮りたいがゼニガタアザラシの生息地でもあるためなかなか人が途切れない。時計を見れば14:00を回ったところ。急に空腹を覚えおにぎりセットの包みを開き案内看板が作る狭い日陰の下でモグモグ。中は梅でうめぇー(オヤジギャグです)。 バイクもパラパラ来ては岬に向かう。2ヶ月道内を回ったという若い娘さんがライターを貸してというので1つあげる。彼女は今日の大洗行き夕方便に乗るという。あと200km近いが北海道独特の流れに乗って走れば間に合うよ。でも出航1時間前に手続き終えないとね。「え!急がなきゃ」。互いに手を振り合って別れる。 様似方面へ10数km向かったところのセイコマでビールなどを調達し今夜の宿に向かう。襟裳岬へ行く途中でチラと見たがビミョーに廃墟臭がしていたがホントにやってる?Web予約はこういう点が不便。所々塗装が剥げた木造の物件が見えてきた。以下次項。旧広尾線・広尾駅跡はバスターミナルになっている。小さな鉄道記念館併設広尾を過ぎると太平洋が広がる。昆布の香りが充満。"こんぶ街道"と勝手命名えりも黄金トンネルを抜けて。バイクも心なしかグッタリ。4941mは長い襟裳岬の眺め。先端から先の岩礁にゼニガタアザラシがいるらしい
2013年10月27日
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北海道ツーリングに際し、私には変な掟がある。(1)日の出前・日没後は走らない (2)周りがどんなに速くても70km/h未満 (3)1日の移動距離は350km以内 移動日と決めた日は雨。道内そこかしこ大雨警報が出ている。この季節の雨は厄介で雨粒は氷のBB弾と化して体を痛めつけ遠慮会釈なく末端部の体温を奪う。今日出るか?明日にするか?ハムレットならグルグル迷い倒すところだが私の決断は早い「明日にしぃ~よおっ」Googleマップによれば稚内から帯広近郊の池田町まで420kmくらいだったのは覚えている。朝早く出れば間に合うべ。私は安全を採る(キリッ) YHオーナーと別れを惜しみ出発は8:30過ぎ。テヘ寝坊しちゃった♪前夜、YHオーナーと夜の街に繰り出し飲んだり歌ったり踊ったりしたのが原因。二日酔いまで至らなくて良かったが胃が重い。国道40号から豊富バイパスに入り閑散とした道を行く。再度R40に出てしばらくすると天塩川を左に眺めながら進む。前日の大雨のせいか水嵩が増し泥色の水がうねりながら下流をめざす。83kmほど先の道の駅なかがわで休憩。埼玉から来た電気工事関係のお兄さんたちとひと時の談笑を楽しむ。 改めてツーリングマップルを見ればまだまだ南へ下らなければならない。残り340kmくらいか・・・掟(1)夜走りNG・・・急がねば。音威子府・咲来・美深・名寄と過ぎ士別剣淵ICから道央道へ。ICには「最北端のIC」みたいな看板があるが撮影する暇はない。概ね片側一車線の道を急ぐ。ミラーを時々確認しないと気付かぬ間に車が追いついてプレッシャーをかける。 比布JCTから旭川紋別自動車道へ。上川層雲峡ICで降り国道273号。山岳地帯の道は切り立った岩の断崖や早い秋に色づいた木々で迎えてくれるが愛でる心と時間の余裕が足りない。後ろからは地元民の速い車、左には「シカの飛び出し注意」の看板、前は大小の連続カーブ。前見て左右見て後ろ(ミラー)見て。眼だけが忙しい。時々、路線バス(平均時速60km)のをペースメーカーにして人心地つく。絶景で有名な三国峠はPAでトイレ休憩のみスルー同然。 士幌の道の駅から今晩お邪魔するご夫婦へ電話。「あーじゃあ30分くらいか」・・・まだ40km近くありそうなんですが・・・高速使おう。帯広音更IC-池田ICの1区間のみ道東道に乗る。 実はお宅の場所がうろ覚え。駅前で電話しようとバイクを停めたら1台の車が近づいてくる。ウィンドウがスルスル開いて「あー!お懐かしい!」お父さんが心配して迎えに来てくれた。お宅に着くとお母さんも昔と変わらず、十勝川温泉で疲れを癒し、鍋を囲んで十勝ワインを堪能し、昔話や今話に盛り上がり、嬉しく暖かい夜は更ける。出発前日、YHの窓を見れば、夕焼けの向こうに利尻の山影三国峠PAより下をみる。これからあの道を下る士幌線廃線遺構の1つ、第三音更橋梁。他にもあったが撮るゆとりナシ池田町のご夫婦宅前では、秋空に丸い?虹が見えた
2013年10月26日
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稚内2日目はバスと列車で宗谷岬・ノシャップ岬・サロベツ原野・豊富温泉などを巡る予定だったが調子を崩した母友が起きてきたのが10時半過ぎ。 うわ~やべぇ。列車本数が減っている上に出火事故のあおりで特急サロベツは運休。臨時快速がこれまたビミョーに使えない八方塞。 道内時刻表をあーでもないこーでもないと手繰ってプランを立て直してるとYHオーナーが「車で連れて行ってしてあげるよ」。ありがとうございますぅううう。 昼前に出発。宗谷岬に立ち丘陵地帯の道を走りノシャップ岬から利尻の美貌を拝みサロベツ原野を車窓に流し豊富温泉で温まり・・・老人二人も「わぁ」「ひゃぁ」「きれい~」などとはしゃいでいる。夜。居酒屋で夕飯を食べながら「いいですか。人の好意に甘え過ぎてもイケマセンよ」説教も忘れない。 3日目。昨日説教をかましたからには甘えてはいけない。バスに乗って副港市場へ。ホタテに昆布に海苔佃煮とお土産を買い宅配便の手続きをし一息ついてると老人共がいない。アチコチ探してると隣の海産物店にいるのを発見。油断できねぇ。結局、新巻鮭・真ホッケ干物を追加。「勝手にウロウロしちゃダメでしょ(めっ)」説教追加。 最北端の温泉施設・稚内温泉でひとっ風呂。老人に付き合って露天風呂や寝湯・打たせ湯・気泡風呂・サウナに出たり入ったりするが飽きてしまい先に上がってビールとバスの時刻確認。「いい湯だったわ~」満足そうな二人を見てナビ役も満足する。 帰りのバスに乗り少し海沿いを走る。利尻と礼文の島影は見えるものの雲が厚く低くなってきている。海は青味を失い黒々とさみしい。明日は雨の予報。母と母友は帰途に着く。私も移動予定なのだが・・・移動できない事を想定しルートを決め直す。お約束の稚内駅。奥に臨時快速が停まっていた低い島影は礼文。雲が重く垂れ込め寂寥感満点利尻の頭にも雲が迫っている夕陽が雲に反射してすごい色。明日の天気は全道的に雨らしい
2013年10月23日
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稚内YHなら眼ぇつぶっても行けるやろ。甘く見た私がバカだった。10数年の時を経て忘れてる。グルグル行ったり来たりし地図を確認。全然トンチンカンな方向へ進んでいる。軌道修正。 YHオーナーの息子さんが出迎えてくれ「お父さんはお母さんたちを迎えに行きました」。そう、今回は母+母友が飛行機で稚内を訪れ合流する変則スタイル。3泊4日の親孝行旅も兼ねている。老人たちは私のナビに素直に従うだろうか。 駐輪し専用おそうじウェスで拭き拭きしながらバイクさんの労をねぎらってると老人2人登場。「来とった~ん?」見りゃわかるでしょ来ましたよ。工具類や7日分の衣類や何やで重いギヤバッグと母たちの荷物を持って部屋に入り思い切り伸びをする。「疲れたやろ~」まぁね。でも楽しかったよ。 昼飯はYH前の急坂を下り切った所のセイコーマート(セイコマ)で買出し。のっけからセイコマオリジナルカップ麺でやや萎えるが実際バイクに乗ってると緊張もあるのか腹が余り空かない。ちなみにセイコマ・ホットシェフのおにぎりは大きくて温かくてウマイ。 翌朝。やっぱ6時チョイ過ぎに目覚める。窓から外を見れば快晴もいいところ。左を見る。利尻の頭が雲一つない。右を見る。遠くに見える島影・・・サハリン(樺太)である。 7時過ぎ"偵察"に出る。最北端の碑の向こうに見えるサハリンは稚内滞在日数トータル70日を越える私でも数回しかない。これからの全てが冥土の土産になる可能性が高い老人たちに感動してもらえる風景は拝めるか。確認せねば。 稚内市街から宗谷岬って近いでしょ?私もそう思ってました昔は。片道30km以上は都民にとっては県を跨いでおかしくない距離が市内。往復で1時間を見込んで最北端を目指す。 青い空の下に濃紺の海原が広がり波頭は白く光る。引き潮の海岸で大勢の人が何かを獲っている。後で訊いたところモズクが獲れるのだと言う。それもキロ数千円の高級品だとか。知らなかったわ~。 間宮林蔵渡樺出港の地は宗谷岬に比べると地味だが小さな船で未知の場所へ船出した間宮先生の勇気と帰還した御運にあやかろうと一旦停まって写真を撮る。宗谷岬は8時前だというのに駐車場に車が多い。果たしてサハリンは・・・これは大当たりだぜ。偵察写真?を収めYHに戻る。しかし母友が眠れなかったらしく調子悪そう。大丈夫なのか?この先?間宮林蔵渡樺出港の地。地味だが遠く広がる海原の先をめざした心にシミジミお約束の最北端の碑。碑の右側にサハリンの島影がチラリ宗谷丘陵から見たサハリン。丘には57基の風車が立ち並び電力をせっせ作るこの日はノシャップ岬から利尻がきれいに見えた
2013年10月20日
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普段の朝は6時チョイ過ぎに眼が覚める。この日も同じリズムで起床。ルーティンはつまらないと言う人も多いがルーティンをこなせるかどうかは1日の調子を計る指標でもあり大切にしている。 7時半過ぎ。朝飯を頼んでないので宿の人はまだ就寝中か出てこない。飼い犬の吠え騒ぐ声を背に出発。現世では敵同士か知らんが来世では仲良くしよう馬鹿犬よサラバ。国道231号を北へ向かう。 10数km進んで太島内トンネル2454mを通過。ここから増毛の手前・大別苅まで1000m以上のトンネルが連続する。覆道は海側にスリットありでなかなか気分良しだが隧道は時折路面が濡れていたりカーブしていたり。雄冬は地形が厳しく断崖絶壁が続く。ここに道を拓いた先人の努力には頭が下がる。つっても恐いものは恐い。 最北の造り酒屋「国稀」でYHオーナーへの土産を買い店員の「バイクに飲ませないでくださいよー」に送り出される。私は"鉄分"が1%くらいあるので走りながら旧羽幌線の遺構をギロギロ探すがなかなか見付からず初山別あたりでようやく名もなき橋梁跡を見つけ1枚撮影。 左手に日本海。右手は緑か長閑な集落。ほぼ真っ直ぐな道。青空。日本海オロロンラインはいつ走っても気持ちいい。国道232号から道々106号(旧909号)に入るとそろそろ利尻が近付いてくる。来たぜ!最北!いやいやまだまだ先はある。慎重に行こう。 オトンルイ風力発電所の風車が海風を受けてゆっくり回る。昔はなかったなあ。白い支柱と羽が28基一列になった光景はむしろ細胞が規則正しく並んで生命活動する息吹を感じさせる。ここからは右にサロベツ原野は広がり最果て感が増す。オロロンのクライマックス的絶景エリア。碧い海面に浮かぶ利尻は残念ながら上1/3程を雲に隠している。 日本2番目北端のノシャップ岬で遅い昼飯にしようと大きめの土産物屋2階のレストランをアテにしてたが「閉鎖しました」ガーン!すぐ近くに食べられる所はあるが生来のモノグサは被ったヘルメットを再び脱ぐメンドクサさに負けて稚内YHを目指すのである。ここから少し先に"N"のモニュメント。見えづらいが矢印の向こうに風車が並ぶ抜海岩。昔はもっと岩々してたが10数年経つと緑に覆われていたノシャップ岬。利尻は半分ぐらい隠れているこまどりの丘に建つ稚内YHから見える1万ドルの夜景
2013年10月19日
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バイキング朝食も済み朝9時チョイ。ここからが一人フェリー客の83%は退屈な時間を過ごす(当社比)。着岸まで約4時間半、車・バイクの下船はさらに30分以上後ろ倒される。時間的に大好きなビールも飲めない。レストランは規定時間キッチリで閉店。売店も10時半でCloseの無情。用もないのにブラブラ船内をウロつき喫煙室でタバコをふかす。 「・・・自動車、バイクのお客様は・・・」着岸が近くなり放送が流れると慌しくなる船内。遅れまいとインナーを装着したジャケットを着込み、あったかアンダーパンツを穿き、バイク置き場へ下りる階段のそばで待つ。汗ダクダク。 ようやく下船してみれば昼日中の苫小牧は20℃以上で結構な暖かさ。あっちぃいっ9月下旬の北海道でまさか叫ぶとは思わなんだ。国道36号。札幌市街の混雑回避のため道央道に乗るべく苫小牧東ICを目指す。あっちぃいっ防寒インナー大失敗。 札幌北ICで下り日本海側へ進む。車の流れは速く都内から来たヘタレにはツライが進まなくては始まらない。北上を続けると閑散度が増し車の数も減る。マイペースでトコトコ進んでいると時折ミラーに車のヘッドが大映しになってて焦る。 目的の集落を過ぎてしまい、その先にあった観光案内所で場所を訊いたりして宿に辿り着く。けしてきれいでも整ってるでもないが上陸1日目が無事終わった事、一人でここまで来れた事に乾杯。お供はサッポロCLASSIC。明日は稚内。300km以上の道を走った頃を思い出しながら眠る。苫小牧港に接岸するのは間もなく翌朝。最北端の造り酒屋で稚内の恩人に土産を買う初北海道ツーで立ち寄った黄金岬に寄ってみる羽幌線廃線遺構のひとつ。初山別あたり
2013年10月18日
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18:30出港に向け大洗を目指す。約140kmの道のり且つ大半は高速道路は生来非力な250ccオフ車に楽勝とは言えないが北海道ではこの数倍を1日で走るのだ、キミの血液(エンジンオイル)はドロドロからサラサラになっている、できない訳ないではないか。 しっっっかし長ぇえ140km。初手から一般道の渋滞にハマりすり抜けで神経をすり減らし高速に乗ったら乗ったで走行車線で煽られる80km/h。道が不案内なのもより長さを強調して港に着いたらヘロヘロ。あ、休憩すんの忘れてた。 15:30過ぎの大洗港にはバイク3台くらい。乗船手続きを済ませブラブラ。休憩所でおじさんとお話したり缶コーヒーご馳走になったりで退屈はない。話しかけられ体質で良かったと一人旅に出るといつも思う。 17:00過ぎ、バイク乗船の指示が出る。一列に並んで待つ。その頃に着くライダーもいるが数はそう多くない。全部で10台くらいか。 湿った鉄板の上をソロリソロリ走って船内最下部の駐車スペースにバイクを停める。タイダウンできっちり固定されたのを確認して客室へ。荷物を置いたら風呂へ直行。一般客が乗る前に入る風呂はほぼ貸切で気持ちいい。ただし女湯だけの話ですが。 風呂から上がったらビールだビール。立て続けに2本空ける。レストランもオープンしたが緊張のせいか食欲がない。カップラーメン(210円)で簡単に済ませビールをもう1本飲んだらエライ満腹。 真夜中、眼が覚めて甲板に出ると月が水面を照らしている。陸地の灯りも時々見える。船はぶぅぅぅんと低いエンジン音を響かせながら北上を続ける。人影も疎らに見えるが誰の声もしない。船は低く呻り月が照らす海を進んでいく。大洗港に到着。ここから乗り込む。緊縛プレイ。こうしないとバイクが倒れる。ルプー氏が弾く「月光」を頭に思い浮かべながら。
2013年10月06日
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9/20大洗港出発・9/29大洗港着で10数年ぶり北海道ソロツーリングは無事終了。幸い天候に恵まれ雨は一瞬パラパラ程度。トラブルもナシ。無用の長物と化したカッパと工具類が重かったが彼らも長距離ツーリングの心の支え。有り難い活躍を見せてくれた。 でも一番エラかったのは私ではなくバイクさんであろう。出発前にエンジンオイルはMOTUL100%化学合成を驕ったが道内の速いスピードに乗って走る空冷シングルエンジンが楽ではなかったのは想像に難くない。運やバイクさんやら諸々に支えられたツーリング記は写真ザックリ紹介。概要の詳細(ナニそれ?)は別途お届け予定。北上していくと北緯45度を越える地点にある"N"モニュメントの前で丘の上から見ると利尻が夕暮れを背に浮かび上がる"風極の地"襟裳岬。風穏やか天気快晴
2013年09月30日
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実は第3回目をやったのだが師匠・私双方大失敗。師匠は大遅刻、時間短縮を図って高速乗りましょうと提案した私は初めて下りるICから先の道が不案内で迷子。予定到着時刻3時間過ぎて目的地に着いてみたら林道前は工事中でがっちりゲート。 「そうだ、林道ツーリングイベントの下見やるからよ、それ行こうぜ」と師匠。でもバリバリな人達が走るような道でしょう?無理ですムリムリ。「超フラットだから。距離は長いけど」・・・師匠の"超フラット"はまったくアテにならないがトランポにバイク積んでくれるってんで行ってみんとす。 午前2時。仕事を終えた師匠が来る。私の愛車を積んで師匠はコンビニ弁当2個食べてルートをツーリングマップルで確認して午前4時出発。目指すは栃木の福島県境近く。東京近郊の林道は進入禁止か舗装化で壊滅状態だがこの辺りはロングダートが走れるらしい。ドキドキ。 午前7時半頃、林道近くに到着。バイクを降ろし着替え工具とカッパ入りリュックをキャリアに積んで1.5車線分くらいの一本道を進む。一方通行ではないため時折コーナーを抜けた先に大型ダンプに出くわしたりでビビリは徐々にピークへ。 分岐で一旦止まってルート再確認。すでにチョイ荒れの砂利道が見えている。やっぱ"超フラット"ってぇのは※個人の感想です、ってことね。そばに山の神様を祀っている「無事帰って来れますように(明日は仕事だし)」手を合わせてイザ突入! 師匠はスイスイ私はスタンディングができずドコドコ振動をモロ受けながら進む。数km進むと師匠スピードアップ。どうぞどうぞコッチはノロノロ行きますです。それにしても下からの突き上げはシンドイ。このままでは埒が明かないのでスタンディングしてみればアラできますわ。深砂利や連続水溜り泥道とバリエーション豊富な道を行く。バイクと自分を励ましながら。 峠の頂上で一服。雲行きは怪しいが緑が鮮やか風は涼しい。しかし山は登ったら下りるもの。つまりここからは下りが続く。師匠、この先の道はどうでしょ?「あー大丈夫大丈夫。超フラットだし」まだまだこんな感じですね分かりました(ーー;) 深砂利のちガレときどき深い水溜りが容赦なく下手クソライダーを脅かす。とにかく転ばないように走ろう倒れたバイクを起こす方が時間と体力と気力のロス。時に低いギアでアクセルを大きく開け時に歩くような速度でソロソロカーブを曲がる。がんばれバイクさんファイトだ自分。 林道入り口から約2時間で舗装路に出る。25km強のダートはシロートを疲弊させるに充分。ああ終わった・・・時計を見ればちょうど12時。さて昼ゴハンかな。 「じゃ次行こう」。うっそーん!雷が頭上でゴロゴロゆうてますよ?「大丈夫大丈夫」走り出す師匠の背中を追う。2本目は1本目より路面が悪くおウチに帰りたくなるが帰るにはこの道を走り切るしかない。やり続ければいつかは終わる走り続ければ目的地に着く。そんな言葉をリピートしながらダート総延長約60kmをノー転倒で走り切る。 翌日、歩くのもままならない筋肉痛に苛まれながら「次はタイヤ替えようかなぁ」などとキーボードを打ちながら考えてるのってホント阿呆だと思います。ロッピャク先生に連れられカモシカライダー(カモライダー)は林道へ1本目の峠より。雲行きが怪しく霧っぽくなったが雨は降らず県境。路面はフラットに見えるがココだけで期待は現実にアッサリ裏切られる
2013年09月14日
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早起きしてTVオン。帰省ラッシュニュース「中央道の渋滞予測は・・・40kmです」マジか。萎える。その分下は空いてるかも。何事にもプラス思考でなければバイクのような夏にストーブ冬に強冷房になるバカ乗り物には乗れない。 約束より大分遅れたピンポーン。師匠はトランポ(ハイエースのような1BOX)にバイクを積んで来るのでチョット渋滞にはまるとすり抜け技は使えない。「ゴメンゴメーン」。 今回は前回のコースを逆周り。奥多摩周遊道路は下りメインになる。市街地は私が先頭。下道はお盆休みって事もあり近場お出かけ車でやや混み。しかーし。準備の良い私はちゃんと裏道を用意してたのさ。師匠、こっちです。右折して左折して酷道への合流地点に向かう。 ここから師匠が前を走る。第1回と違うバイクは師匠とっておきの愛車で17年も経ってても外装ピカピカでエンジン絶好調キック一発。いいなぁ・・・師匠のバイク。ウネウネした片側一車線の道を辿って奥多摩湖へ向かう。周遊へ行くには少しだけチョイチョイ曲がるポイントがあるんだけど大丈夫かな。そう思ってたら案の定左折ポイントを通り過ぎる師匠。私は曲がって戻る師匠を待つ。「ゴメンゴメーン」相変わらず自分のテリトリー以外の道を知らないな(-_-;) 周遊に入る。カーブの連続で師匠の背中があっという間に遠ざかる。待ってー!サラブレッドの速歩を追いかけるミニチュアポニーの全速力トコトコトコトコトコトコーーーー!気持ちはビューンだが追いつけないので追うのを止めてマイペース。途中師匠は待っててくれるが走り出せば元の木阿弥。仕方ないのでマイペース。トッコトッコトッコ・・・ 月夜見第一駐車場でお約束の休憩。気温28℃。私にとっては25℃以上は猛暑。駐車場を改めて見回すとカキ氷や団子を売ってる1BOX。カキ氷休憩。上空に怪しい黒雲が。「早く食え」焦って掻き込んだら前歯に凍みてアウアウ。 途中パラッと来たが無事帰還。1時間後に大雨。昼も食べず帰った甲斐がありましたね師匠。「そうそう、あの辺イイ道があるんだぜ。次はそっち行こう」 師匠の"イイ道"って・・・エンジンの慣らしが終われば外装を慣らす事になりました。第3回に続く!(ヤケクソ)レトロなカキ氷機が素敵で小父さんに頼んで撮影。手書きの品書きがいい味出してる。
2013年08月27日
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バイクを買った途端、休日出勤ラッシュ猛暑日ゲリラ豪雨と"負"の要素が絡み縺れ2ヶ月近く経って4回程度しかバイクに乗っていない。上達もままならないうちにフェリーの予約開始で気ばかり焦って立ち往生。 これではイカンアカンイヤンてな訳で10数年ぶりに「バイクの師匠」に電話。プルルル。 「お師匠さん、バイクの乗り方教えておくれやす」 「ンなもんバイクに跨ってエンジンかけてクラッチ握ってギアをローに落として」 「違います(--〆)」 生温かい湿った空気が列島上空に流れ込み寒冷前線が下がってきそうな会話をしばし。師匠このままでは走る/止まる/曲がるの前に"転ぶ"が追加されそうです。そうかそれじゃ仕方ないな。RE初心者練習ツーリング決定。 テーマは「コーナーを上手に曲がってみよう」。場所は奥多摩周辺。カーブがお腹一杯になるほど連続するのと下界に比べて涼しいのと森林風景が気持ちいいのと何と言っても現役時代1人で何回も走りに来た道だったのが決め手。オフロード馬鹿師匠でもカーブが続けば文句を言わんだろ、そんな薄暗い気持ちも少々。 国道側からではなく都道から奥多摩周遊道路にアタックするルートはその手前から大小カーブの連続。ここだって何度も走ってるのに「こんな道だったっけ??」内心冷や汗ドキドキ師匠は着かず離れずの車間を取ってくれているが師匠の背中が視界から消える事もしばしば。落ちそうになる視線を上げるべく「カーブの出口!カーブの出口!(を見よ)」ヘルメットの中で叫ぶ。愛ではなくて。 奥多摩周遊道路に近付くと平日でありながらスーパースポーツ様達が後ろから追いついてくる。鈍間な亀は減速して左に寄って道を譲る。左手をサッと上げて駆け抜ける素敵ライダーもいれば左コーナーを外から抜いていく目が三角ライダーもいて、前見てミラー見てアクセル開けて閉じてギヤ下げてと忙しい事この上ない。 月夜見第一駐車場で一休み。気温は23℃くらいで爽やか~♪木々の緑の向こうに奥多摩湖が見えてとても気持ちいい。昔、都心の暑さを逃れようとここに来て寒さに震えてると上品な初老のご夫婦に話しかけられ話が思いがけず弾んでしまいキンキンに冷えたポカリをおごっていただいた。そのポカリを買った売店は戸を閉て切って朽ちかけている。隔世の感シミジミ。 それも束の間。師匠の「行くぞぉ」に促され国道方面へ向かう。これで少しはリラックスして走れるか・・・甘いな自分。忘れたのか。ハイ忘れてました。 そう。国道っつっても片側一車線狭小制限速度30km/hで連続カーブにオプションとして路面が濡れた連続トンネルが付いている酷道なんである。灯りも乏しいトンネルは中でカーブしてたりで見通しが利かないうえ転倒にも注意しなくてはならない肉体的にも精神的にも厳しい修行の道。ひぃ~~~(涙目)弱る心と身体を必死に操り走り続ける。あら?何だかイイ感じ~♪これなら北海道の道は大丈夫じゃね?ありがとう師匠-♪♪ 受講料は昼飯。ようやく街中に出て遅い昼食。大食い&甘党師匠はでファミレスのセットメニュー2つとフルーツパフェ。「後半、だいぶ乗れるようになったけどな、ギヤが低すぎな時が多いな、特に下りのきついコーナー」。その通りです。でもどーしたらいいの? 「走って慣れるしかねぇだろ。再来週盆休みだからうち1日は空けといてやるわ。あ、パンケーキ頼んでいい?」 ・・・母さん、第2回目に続くようです。左は私、右は師匠のバイク。シート高が全然違うがスリムなので足付きは私(167cm)が右ステップに足を乗せて左足の前肉球が付くくらい。月夜見第一駐車場から見た奥多摩湖。水量が下がっているのが見て取れる。
2013年08月02日
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北海道にバイクと行く。そうなれば短距離長距離関わらずフェリーのお世話になるのは必定。結構な時間の船旅になるのだから快適安全安心に過ごしたい。それがどんな等級であっても。反省のためにも滅多にやらない過去振り返り。 初めて渡道のためにフェリーに乗ったのは20年近く前。Google様にお伺いを立てれば済む現代と異なりマンモスが駆け巡っていた太古ではクチコミ・ミミコミ程度しか情報源がない。当時は東京~苫小牧便があり深夜に乗り込み到着は朝それが翌朝なら幸せだが翌々日朝まで31時間を何の準備もなく過ごせば結局こうなる。 乗船後すぐ我が指定席(所有地)を確認し備え付けのマットレスを敷き寝床設営→早速酒を飲む→少々酔って寝る→起きる→朝ご飯を食べる→船内をブラブラ→ラウンジでコーヒー&地図チェック→甲板に出る→生温かい潮風と湿気が不快な上に波しか見えない→ツマラン→昼ご飯→地図を見飽きる→風呂があるのに気付き入浴→夕ご飯と酒→何となく眠れず→再度風呂へ→スッキリするが却って眼が冴える→やる事ないので寝床にゴロン→飲み足りないんで飲む→漸くまどろんだと思ったら下船時刻になる もう時効?だろうから告白すれば下船直後は二日酔気味で頭痛と眠気に苦しみ50kmほど走った公園のベンチにヘルメットを被ったままゴロン。親切なオジサンに木の枝で突かれ起き上がったら驚かれ事情を話すと同情されて缶コーヒーとアンパンを貰う。その節はありがとうございましたオジサンの朝食せしめてゴメンナサイ。 今回は同じ轍を踏まぬよう真面目に"作戦"を立てよう。フェリーでソロだと「退屈」が最大の敵。スマホ持ってないから音楽聴いたりゲームしたり呟いたりはできないしやるつもりは毛頭ない。大洗~苫小牧の18:30出航便で約19時間の船旅では・・・まず寝床→夕ご飯&酒→風呂→寝る→起きたら朝ご飯→・・・・・・う~ん。売店でプルプルさんふらわあを買って遊ぼ・・・は年齢的にイタイがそれにすっか。プルプルで遊びながらツーリングマップルを見るオバハンがいたら私だろう。読書するにはもってこいの環境なので本は何冊か持って行く。
2013年07月26日
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初めて北海道ツーリングに行ったのは新卒で入社した会社を半年で辞めバイトで食い繋いだが時あたかも不景気真っ只中バイトもクビになり次が決まらずプラプラしてる頃。前ブログにも書いたSerow225を貸してくれた先輩の「暇なら北海道でも行って来ればいいじゃん」に背中を押された結果で主体性なしカネもなし。 8月末頃で同行する友もおらず金はクビになったバイトの給与10万円うち4万円近くがフェリー代という初手からカツカツ。観光?グルメ?ソレニホンゴデスカー?What?肩を竦めて両手の平を上に向けてヒラヒラ状態。さらに今ならケータイカメラや格安デジカメなんかがわんさとあるがそんなモンない時代ではレンズ付き写真フィルム=別名:写ルンです(24枚撮り)しか持てず。そうなるとひたすら走るだけになるのは必定。バイクを止めるのはほぼ空腹or給油のみ。故に写真が全然残っていないのは今思い起こしても残念の極み。閑話休題。 初めての道なら地図を見るのは当たり前。ツーリングマップル(当時はツーリングマップ)北海道版を携帯していたがどうも勝手が違う。地図上で見るとA地点からB地点間は新宿~八王子くらいの距離に見えるのに余計に走っている気がする。仕事が山積し雪崩を起こしそうに成った時に上司が言った「やり続ければいつかは終わる」よろしく「走り続ければいつかは着く」んだけど私には"掟"があった。(1)最高時速はどんなに空いてても取締りがなくても70km/h未満 (2)日の出前・日没後は走らない このたった2つの"掟"がかなりの勢いで行動を制限し一定の時間に一定の距離を走ろうとすれば素敵な風景も美味しそうなモノもスルーになる。走り続けて4時間ようやく給油してまた走る。そうしないと予定の場所に着かない。お腹が空いたらカロリーメイト3分メシで。 3分メシの最中ふと地図を見る。「1/350,000」・・・つまり北海道版ツーリングマップは普段見慣れていた関東甲信越版1/120,000とはサッパリ縮尺が違っていたのである。「問題文は最後まで読みましょう」小学校時代の担任がテスト用紙に書いてくれたコメントを思い出す。神よ・・・光を・・・ 北海道では「コンビニまで3.5km」と思ったら「35km」だったり「ジ○スコ直進110km」の看板が堂々と建ってたり。(3)北海道の縮尺は地図でも看板でも油断しない を"掟"に付け加えたのは当然である。もちろん今年の北海道でも遵守。縮尺には注意。今でも北海道版は他地域と縮尺が違う模様。左は関東甲信越版。
2013年07月25日
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真っ直ぐ&オトモダチ作戦は酷暑と渋滞で空冷エンジン様チョー不機嫌の仕儀と相成りあえなく玉砕。現代の車社会は"ナビ"なんちゅう有り難い文明の利器のお陰で裏道に回っても何のアドバンテージも得られず。軽い熱中症で死兆星を見る。 バイクを駐輪してるガレージ入り口付近が何やら工事でバイクを出せない週末。窓拭き床拭きそれでも暇。ネット記事やバイク関連のHPをウロウロしてると「乗りたかったバイク・乗ったバイク」が眼に留まる。さて、自分はどうでしたっけ?【乗りたかったバイク】1台目:VT SPADA250(当時ネイキッドが大流行し中古でいいから欲しかった)2台目:CB400SF(車検があるのはもっと収入が増えてからなんて思って)3台目:CB1000or1300SF(限定解除(当時)して最終的にはビッグバイクに♪)4台目:外車。ドゥカティとかKTMとか【乗ったバイク】1台目:Serow225(半年くらい借りた。北海道も行った)2台目:Serow225W(SPADAは中古でも高くて買えず。初オフロードで壁に刺さる)3台目:XR250(オフが走れないテクが悔しく意地購入。EUバージョンの中古ボロ)4台目:XR250(USバージョンを新車で。保安部品は私&仲間でDIY取り付け) ~ XR400(USバージョンの新車。ローンが長かった) CR80LW(年末エンデューロレースに出た後の籤引きで当たった) TLM200(オークションで間違って落札した激安バイク)8台目:Serow250(10数年ぶりリターンライダーこれしか無理と思い)・・・全く理想と現実はかけ離れておる。 2台目は通勤・街乗り専用のはずだったのに「オフ車がダート走らないの可哀相」などと誘われてオフロードツーリングに行ったのが運の尽き。転倒こそ免れたが握り拳2個分くらいの石に跳ね上げられ左の土壁にグサリ。1週間に1回はピカピカに磨き上げた自慢のボディは土と小石で稲妻模様が刻まれ涙目。くっそぅ。 ここからオフ車の歴史が連綿と受け継がれるのだから最初の1台ってホント大切だと思いますです。ハイ。ちなみに上記4台目~7台目は同時持ち。生活マジで苦しく米を粥にして増量してた位なんで自身の経済事情もよくよく考慮すれば吉かと思います。ハイ。ここには渡道の度に行くがその先の最北端のGSで何かもらえるとは知らなかった(マヌケ)
2013年07月21日
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我が家にバイクが来てから殆んど乗ってないのは休日出勤ラッシュと梅雨以上に染み付いた悪い習慣がイカン。一人暮らしの割りにデカイ冷蔵庫にはビールビール酒酒「休みは昼から一杯」プシュップハーしていた。昨日は昼過ぎに1週間分の掃除洗濯を終え、何か冷たいものをと麦茶を飲むはずがビールの缶を開けグビー。そこで気付く。バイクに乗ろうと思ってたのに・・・ガックリ。 今日こそお買い物をしようバイク用品店で。そうだ、ショップ行こう。朝6時半に起きバイクカバーを外し今時の時勢を鑑みてチェーンロックは施したまま一旦部屋に戻りショップ情報をGoogle様に訊く。「あっちの方にあるよ」。開店は11時か。じゃその間に大物洗濯しよう。 シーツやカバーを干そうとベランダに出ると既に高温湿度満点。そんなクソ暑い最中に長袖・グローブ・ヘルメット、エンジンかければ股にストーブ。思っただけで萎えるがそれでは話にならないんで出掛ける。 なかなかいい調子で進むが3連休の中日。まだまだ遊び足りない方々が多く途中大きな道から片側一車線道へ右左折できるポイントで断続的に混んでいる。40km/h以上出てればメッシュジャケット効果もあり多少涼しいが暗色ヘルメットの中は太陽の熱を吸って汗ダクダク。 目的のショップ付近に近付き後続車を気にしながら入り口を探していると間口が狭くタイミング失ってスルー。気を取り直し近辺の細道を一周してもう一度トライしたが今度は店の看板を見落としスルー。 透明シールド越しにミラーで我が顔をチラ見すれば真っ赤の大汗。今回は縁がなかったと心に言い聞かせ諦めて帰路。バイクさんゴメンよ。トボトボトコトコ帰りながら思い出したのはすれ違ったグループツーリングらしきバイク一団。 オトモダチがいたら楽しいのかな。元々ソロで走ってたしバイクさんが一番のオトモダチになってくれればいいかな。空いてる道を走ればバイクさんも仲良くしようと思ってくれるかも。明日は少し涼しい所を目指す真っ直ぐ&オトモダチ作戦か?細道が思った以上に混んでて2時間以上さ迷う。ようやく帰還しエンジン冷ましてカバーそれから数分後、大雨と雷鳴。白い筋は雨。
2013年07月14日
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暑い。私は暑さに極端に弱く気温が22℃を超えれば余裕で"夏"。5月下旬~9月末頃まで服装が夏仕様になり毎日買っているペットボトル500mlの茶は1リットルの紙パック×2~3本になりプラス給茶機のタダ茶も合わせれば1日3リットル以上水分を取ってる計算。あ、毎晩のビール500ml+焼酎水割り一杯(漢数字に注意)は除いてね。 帰宅。部屋側面の窓は透かしてあるものの暑い事に変わりはない。予想通り暑い。エアコンon設定温度は取敢えず一気に室温を下げたいので23℃に扇風機もブンブン首を振りますよ。これでたちまち極楽に・・・と思えど30分以上経っても暑い。部屋は一体何度?温度計を見て眼を剥く。 ・・・31℃を指している。今、2時間ほど経過したが29℃。温度計の設置場所の問題があるにしても暑い。油断して少し活発に活動するとエアコン部屋で汗だくというシャレにならない有様。 昔の夏ってこんなに暑かったか。昔々の記憶を手繰ってみる。国営放送の天気予報で「30℃を超える・・・」ってのが大事件のように強調されていた。実際、朝晩は窓を開けるか扇風機を微風で回すくらいで丁度良かった。昼間は太陽がカンカン照ってる中、虫取りに缶蹴りに鬼ごっこに球遊びに熱中しノドが渇いたら公園の水呑場で蛇口をひねれば済んだ。麦茶は大きな薬缶で煮出し盥の水で冷やした。日射病はあったが熱中症は聞いたことがなかった。 太古、恐竜は氷河期に見舞われ絶滅したなんて説もあるが、温暖化以上に地球そのものが環境を変えようとしてる端境期にいるのかも。せめてそんな地球様のご機嫌を取ろうとエアコン設定温度を26℃に上げる。グッタリ。ちなみに湿度は40%以下が快適
2013年07月11日
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今日は昼から脳ドック。ダッダッギュウゥイィ~~~~ンッダンダンダンチュイィ~~~ン・・・数十分閉暗所に閉じ込められた挙句「1ミリも動かないでくださいねー」とポップに因果を含められてたものの何だこの轟音不快音波。無痛の拷問。出て来た頃には猛暑と相まってヨタヨタ。 汗だくになって家に着き遅い昼飯を適当に拵えて胃に収め暫くすると空が暗くなり遠くに重低音が響いている。雷。地震・雷・火事・親父と昔から言い習わされているが親父の権威は落ち火事は木造家屋が減って防炎材が発達したおかげで身近から遠くなり地震は先の震災を除けば大抵局地的なもんだからなかなか恐怖を実感できない。 私にとってこの"恐い四天王"のうち最も恐いのは雷。それは過去3回、目の前で落雷する経験をしたから。遠くに見る稲妻は空から枝分かれした光跡が地に向かう様が不規則ながら規則的とも思える美しさを醸し出すが落雷を間近で見れば美しいなんてモンじゃございません。 1回目がトラウマに相応しいと思える強烈。 弟は家から3kmほど離れた境内にある○○池へ釣りに行き丁度変える頃に雨。本降りになり「ねーちゃん迎えに行っておいで」傘を持たされ池へ。弟に無事会って傘を差し帰ろうとなった時、雨は猛烈な滝雨で雷鳴が響く。傘を畳み二人走って境内を貫く桜並木を走り抜けようとした時、5mほど先で激しい蒼白い光が弾けた。と思ったら湯気を出して桜の幹が割れている。弟腰抜かしてへたりこむ私はその手を引っ張って傘も捨て引き摺りながらズリズリ走る。通りに出るとそこは川。困り果て歩道橋の下で震えてると親切なタクシーの運転手さんが拾ってくれ自宅まで届けてくれた。「このタクシーもブレーキ利かなくなってるよ。ホラ」ブレーキをかけてもズルズル動くタクシー。それが有り難い最中に恐怖倍増いや3乗。 2回目は雷雨の中走って帰る道すがらふと眼を上げると3階建ての屋上の避雷針にバシャーン。3回目は豪雨の高速道路上バイクですり抜けして走ってたら5台ほど前の車にバーン!パニック。すり抜け速度100km/h超で直近のSAまで走り抜けグローブを取ったら赤染料が染み出し手がカニになり違うパニック。 怖いようコワいよう。雷鳴がすると落ち着かなくなり外に出ないのはもちろん落雷由来の瞬間的過電圧で電化製品が壊れてはイカンとテレビ・パソコン・オーディオのコンセントを抜いて人心地してるとPCから「電池残量11分」と警告を受ける。雷はホント怖い。
2013年07月08日
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母は「クラシック=エエ音楽やな」程度の見識しか持っていないが、友人に音楽ホール関係者がいるので時々誘われてクラシック・コンサートに行く。招待券なので当然タダ。後日その半券を見せてもらうと結構な良席だったりしてチョット悔しい。 何故なら一般ピープルはいくら頑張っても席はシステム任せ納得できてもできなくても「この公演聴きたいんじゃろ?あ?席が気に入らん?だったら止めとけばぁ?」と機械下郎に脅され「○○の公演だから仕方ない」泣く泣く購入ボタンをポチる事も珍しくない。最悪だったのが数年前ウィーン・フィルコンサート。S席を購入したものの後方だと分かってはいた、が蓋を開ければそれはS席とA席の境目。もう1列後ろなら数千円安かったのに。心が泣いたメストの髪がゴージャスだった。 バンピーができるささやかな抵抗は「気に入らない席なら買わない」ううっ書いてて情けない。いくら好きでもコレだけは徹底する。実際それで見送った公演もある。涙ながらにもう帰らない船を見送る気持ちで。♪うちゅ~う~せんかん~♪ さてルプー氏のリサイタルチケットを購入しましょう。チケぴHPを開きつつ同時に用意するのはホール座席表。S席を1枚っと。1回目は前方だがかなり端っこ。これじゃルプー氏の背中しか見えない。手続き画面を閉じてもう1回。ありゃ、更に端っこになったよ。もう1回。やっぱ端だなぁ。試しにA席。ポジションは悪くないがアカン後ろ過ぎ。S席リトライ。1列下がったがポジションは良い。決定。 コンサートに行く度、センターブロック前列は招待客と思しき人々が殆どなんでは?と思う。服装や装飾品が明らかにその辺の人と違ってたり演奏者と絶対知り合いだと思える素振りを見せたり。その席こそ買いたい座りたい席。「席代わってくれませんか」言いたいけど言えないパンピーはせめて納得できる席を獲得するまでリトライするしかない。最近は席が選べる公演も増えてきた。ちなみに今年のウィーン・フィルも選べる。
2013年07月07日
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アバド率いるルツェルン祝祭管弦楽団+ルプー氏はS席4万5000円で私のクラシックコンサート超無理だけどがんばっちゃおう価格を遥かに超えた天文学的数字。ルプー氏だけなら2万払ってもいいがアバドというオプション(スミマセン)にプラス2万5000円は納得できずチケットをスルー。ちなみにポリーニ(ポリ爺さん)はリサイタル1時間きっかりの公演で2万4000円。本当にクラシックは嵌ればセレブを目指したくとも意に反して貧乏街道まっしぐら。 いいのよ聴いて納得できて甲斐があったと言うならいくら出しても。嘘つきましたMAX5万円までが現状の最大限。これだって相当厳しい。その後の暮らしは貧窮問答歌by山上憶良。銀シャリ食いてぇだぁ?粥でも啜ってろコノ三一下郎がぁと脳内地頭に責められるのがオチ。 そこへチケぴから「ラドゥ・ルプー関連公演」のメール。またルツェルンとかアバドって言うんでしょ~買わねぇよバカ高チケットなんざぁ。煙管をパンッと叩きたいが煙管は持ってないのでリンクを踏む小心者。 結果。ルプー氏ソロリサイタルのご案内。S席1万2000円~C席4000円。買います買います勿論S席お願いしますガルルーと勇んでみたが購入開始がまだ先でガルルーの持って行き先を持て余しお手を強要されて困ったネコのような顔になってしまいますた。
2013年07月06日
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「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしや/異土の乞食(かたゐ)となるとても/帰るところにあるまじや」(室生犀星『小景異情 その二』より) 望郷の詩を謳えるのは故郷を持つ者だけである。私の生まれた大阪は2歳で離れて以来ほとんど訪れる機会がなく懐かしいも何も覚えていないだから。恐らくその地で過ごした時間が"思い出"に昇華されなければ"ふるさと"にはならないのだろう。 馬齢を重ね幾星霜あの街この山その海。行動半径が年齢とともに広がるにつれ日本国内は8県を除き訪れたコンプリートするつもりはないが。中でも北海道は改めて数えれば鉄道・飛行機・バイクで20回以上行っている。阿呆だ阿呆です一旦気に入ると昼飯も同じ店に通い詰め3年間を何の疑問も持たず過ごせるのです。 仕方ない。故郷がないなら勝手に認定してくれよう。ダダダダダ・・・(ドラムロールね)ダン!「ふるさと勝手に総選挙第1位。北海道・稚内です(楠田枝里子さんの声で)」困惑する稚内とまどいつつ壇上へ「1位と言っても一人の意見なので・・・」でも稚内くん君は故郷だ。旅行中滞在日数を総合すれば君が断トツなのだよ。 で、考えた。宗谷本線沿線も民家が消えつつある場所も増えた。稚内駅は改築で立派になったが3面あったホームは1面のみ南稚内駅は売店すらなくなった。コレはいかん。寄付ってほど大金はないし年に何度も行けないし。 Google様に訊いてみる。答え「ふるさと納税しなされ」。 コトバレベルでは知ってたが実体を知らなかった「ふるさと納税」。では納税しようか。ふるさと納税ポータルサイトから寄付をしたい都道府県を選択さらに市町村を選択し地域のページへ飛ぶと自治体のHPへ。申込書に必要事項を記入したらE-mailやFAXで送信。簡単。私は北海道の2自治体に申し込んでみる。翌日。郵便局の払込用紙が届く。納税額と住所氏名を記入し振り込んで完了。 旅行の前に目的地へふるさと納税。にわか地元民になれて少しくらいは役に立てて確定申告すれば控除対象だし特産品が貰えたりして好きな所が大好きになるかもしれない。アナタもレッツラゴー♪稚内市の払込用紙。てっぺん基金だそうです。ちなみに特典らしいものは特にないけど好きだからいいの。
2013年07月05日
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一般的な試験テストの類は100点を満点とした減点法である。しかし人物評価となればゼロまたは現状把握できる美点を加算した低い点か上積みする加点法もメジャーだろう。 クラシックコンサートを取捨選択する場合はどうか。大抵「やった○○フィル(指揮者orソリストXX氏)が来た行こ行こ」でチケぴの購入ボタンを支払い金額に関わらずポチるのが普通の流れではないか?そんなんオマエだけだ?え?そうなの!?今更ながら世間というものを一つ知りましたあなかしこ母上様。 クラシック系コンサートは数千円から数万円と開きはあれど我が興味あるもの全部行ってこまそと思って実行すればコンサート耳だけ肥えて身は細り武士は食わねど高楊枝になりかないゆえ当然吟味。そこへチケぴメール「ラドゥ・ルプー関連公演」のタイトル。うっそーん♪ うきうきリンクを踏めば「ルツェルン祝祭管弦楽団」の文字。誰?知らんがな。さらに詳細を確認すれば確かにルプー氏も出ている。ただしソリストで。聴きたいなルプー氏のピアノ。ウィーン・フィル'90年ニューイヤーコンサート→メータ氏→イスラエル・フィル→ブロンフマンとかギレリスとかいろいろ挟んで→ルプー氏と連想ゲームのように辿り着き存命ピアニストでこれ以上もこれ以下もない唯一の存在として私の脳内で君臨してるルプー氏が来る。曲目はベートーヴェンピアノ協奏曲第3番で買いは間違いないっと意気込みチケット購入ページへ。 S席っと・・・・・・瞠目。4万5000円。以下A席3万9000円・B席3万3000円と並びC席以下は完売かと言ってガクと安くなるわけでもない席が完売。落ち着け自分。 指揮者 クラウディオ・アバド、演奏 ルツェルン祝祭管弦楽団、ソリスト ラドゥ・ルプー(p) と要素を並べてみる。S席基準で私にとっての価値もっと言えば適正価格を計算してみる。 まずアバド。過去ブログで"アバ奴"などと評価した事もある指揮者だが現代のマエストロ四天王とすれば乏しい知識で他はマゼール・ムーティー・メータ・ジンマン・プレヴィン・レヴァイン・ハイティンク・ゲルギエフ・デュトワ・ヤンソンス・ヤルヴィ辺りからお好きな3氏選べばいいんじゃないかしらは余談で私的に結構大きなマイナスになるアバド。う~・・・ ルツェルン祝祭管弦楽団。ドイツ・オーストリア方面の小~中堅楽団は思った以上の実力を持ってる事が多いが外れるとトコトン外れのリスク。実際CDでも聴いた事がない。聴かずに評価するのは申し訳なく心苦しいし逆にこのコンサートに行けばファンになるかもしれないが現状だけで言うなら寄せ集めで演奏する点もマイナスにせざるを得ない。 最後にルプー氏。この方は何も言う事がないプラスにプラスを掛ければ乗数になるので言わずもがな。ここで「待てよ」アラームが赤点滅。 4万5000円の内訳を実質的評価で割り付けてみるとアバド6:ルプー2:楽団2ではないか?となるとルプー氏単独9000円程度?昨年ルプー氏リサイタルがS席12000円とアバドの知名度と累積評価を加算して鑑みても妥当なのかも知れない4万5000円。買うか?どうする? や~めた。ルプー氏は単独で聴きたいからいいや。そう思いチケぴのページを閉じようとしたらウィーン・フィル公演のチケットをポチってしまったではないか。 ルプー氏+未知の楽団よりウィーン・フィル+コスパが勝った今回の勝負。減点・加点しても最後の最後は直感だった。 今年はもうブッフビンダーに終わるだろう。
2013年07月05日
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高みに上りたい。出世競争だけでなく最近お目見えした超高層電波塔に人がわんさ集る昨今。鳥なら自分の羽で空へ舞い上がり遠く広く俯瞰するのは可能。人間は飛べない分高い所から下界を見渡すのが心持ちが良い可能な限り高い所へ登ってみたい。そんな欲求が近年の高層建築や山ブームに転化されているという(出展:独断偏見に満ちたMy統計)。 そう考えれば宗谷地方は原野か田畑牧草地ちょっと盛り上がってるのは丘陵地帯で所謂"山"が見当たらない分"見渡す"には不利。岬ともなれば平面の極み。碑を見るには丁度よいが場所を見下ろす或いは見渡すのは結構な仕事になる。 最北の街へ行ったからには市街地を全景で見たい。その願望欲求を叶えるのが「こまどりの丘」である。南稚内駅から徒歩15分ほど。駅前の平らな道が丘に向かうと途端に斜度を増す。雪のシーズンは除雪さえロクにされていない事も多く駅近で遭難が簡単にできそうなシチュエーション。 100mが平坦道の3倍に思える急勾配を登り切ると稚内市街から向こうの丘や海。目線を少し下げると住宅が並んで普通の暮らしに溶け込んで、景勝地とはまた違う安らぎの風景が広がる。こまどりの丘から眺めると向こうの丘に開基百年記念塔が見えます。そこから右に眼を転じると稚内港方面の海が広がります。
2013年07月02日
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雨が止んだと思えば出勤日。カバーのかかったバイクのシートをポンと叩いて「行って来るね」毎朝の挨拶して歩き出せば胸がチクチク今日も乗れない申し訳ない。帰って来ればポン「ただいま」エレベーターに乗りながら胸がチクチクごめんねごめんね。 我が家にバイクが来てから約1ヵ月。そんな毎日だったせいか変な夢を見る。バイクに乗って出掛けしばし駐輪。戻ってみるとヘッドライト部分がポッカリくり貫かれてその空洞に野球のボールが詰めてあるっていう。 これはバイク様が「乗らねば呪ってやる」と仰ってるに違いない。バカは何でも強引に関連付けたがる。地図を広げて真っ直ぐルートを検討してると母が「この荷物、○○さんちまで運んでくれへん?」。おお丁度いい渡りに船たぁこの事。○○さんちはチョット郊外で片道30km程。二つ返事で引き受ける。 母はバス・電車を乗り継いで向かうため先に行かせる。私はカバーとチェーンロック2本を外し自室へ引き上げジャケット着たカバン持った財布入れた荷物積んだ確認しながら、おおっと登録証と自賠責証明書忘れたバタバタ20分ほど遅れて出発。ブーン。 曲がるポイントは3箇所のみで目的の道路に出たら後は真っ直ぐ。空いた道を気分良く走ってると、うぉおおココで左折だ。この辺には「××街道」に"新"が付いた道路名が多く私は"新"の方へ進まねばならんのよギリギリ曲がって事なきを得る。ふう~~。 ひたすら真っ直ぐ交通量もほどほど途中葉桜並木が続き鼻歌も出ようと言うもの。♪むっかし~さんびっきのぉヤギさんがね~ほぉら♪作詞作曲ワシなどを唄っているヘルメット中は冷静に客観的に見れば阿呆の極み。そんな事お構いなしに真っ直ぐ進む進め進め。 進め進めも終わりココから難関。住宅地で一方通行だらけ歩行者自転車飛び出し子供のボールなどなど敵がウジャウジャ。勇者の剣は持ってないので注意深さMAXでゆっくり進み角を2,3曲がって「着いたー」思わず小さくガッツポーズ。母より先着むははワシは勝ったど、ニヤニヤ。世界レベルではナノいやピコレベル以下の勝利だが。 帰りは少々渋滞していたのですり抜けの封印を解き心の中ですみませんねぇと謝りながら車列の間を数10~数100メートル単位で前に進む。間に入れてくれた心優しい運転手の方にちょこっと感謝の意を表する余裕もでき真っ直ぐ大作戦その1は規模的に小さ過ぎるものの無事終了。風を切るのはいいが千の風になったら意味ない中年リターンライダー次は何処へ真っ直ぐ行こうか。ブンブン。この状態で数時間、何気に跨ったらシートが焼けた鉄板状態アチチチチチチチ飛び上がる寸前だったが人目もありクールぶった。
2013年06月23日
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モノは壊れる。当ったり前でぇ今更なに言ってやがるこのデコスケ野郎め。そんな非難が轟々Let's Go!Go!な勢いで聞こえそうだがこれは鉄板真実。いくら大事にしても経年劣化・耐用年数オーバー・EOLは避けられない。 昨日。ネットもメールもアカンたれになり診断ツールで診断してみれば「ケーブルの接続状況を確認してください」。我が家のケーブル共はちょっとムリめな箇所も多く「被膜の中で断線したかも」差込口を変えコネクタを清掃しても結果同じ。ああ・・・どうしましょう・・・タカラヅカ張りの大袈裟演技でへたり込んでも状況は変わらぬ。ぎゅうにゅう・・・じゃないPCオタクの弟に相談だ。 と思ったが、固定電話から電話してみるがウンともスンとも無音。ケータイから自分チに掛けると「お客様のご都合により・・・」払ってなかったそう言えば。テヘ♪あたしったらバカぁ♪可愛コぶっても誰もいません見てません聞いてません。コンビニでお支払い。3,40分後ようやく使えるようになった。 今日。ヤボ用で有給を取り事務作業を片付ける。そういえば火災保険屋から電話来てたっけ。電話を掛けようとすればまたもやウンともスンとも。取説に従い電源off/onリセットをしても電話機は沈黙したまま。ケータイで掛ければリングバックトーン(プルル音ね)は返ってくるが当の本人?は呼び出し音すら鳴らさない。購入は10年以上前。どうやら寿命らしい。 一昨日まで普通に使えていた電話機。常日頃無意識に使ってるモノは使えて当たり前で普段その存在を意識する事は皆無だが壊れたとなれば一気にその存在が気に掛かる時間が経てばまた生き返るのではないかと無駄な期待をしてしまう。 受話器を取って耳に当ててみる。無言無音。仕方ない新しいの買お。 モノは壊れる。そして予期せぬ場面で余計な出費を強いる。こちらの都合や予算はお構い無しにモノは壊れる。実はPCも調子イマイチ。あと半年保ってと祈る。
2013年06月21日
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ただいま~おかえり~。一人住まいの我が家に応えてくれる人はいない一人芝居。虚しい。でも毎回やっちゃう。TVに意見を述べちゃうネット記事にも声を出して反応しちゃう。こうして独り言が増えるのに比例して老いて行くのか?いや~ん。 自分の衰えを象徴するかのようにバイク技術がいっかな向上しない。それ以上に何処を基準に以上か以下か判らんが夜勤がある休日出勤もある休日の1日は1週間分の家事で潰れる「こんな事をするために生まれてきたんじゃないんですよ!」(ドラマ『さとうきび畑の唄』より)明石家さんまが演じる主人公の決め台詞。バイクに乗れる時間が少なくて参る。 実はバイク免許を取ったのは先輩に唆されたからで特段欲求も必要性もなく後はお得意の放置クルマ買うもんねーと嘯いていたものの駐車場代が下手すりゃ当時住んでたボロアパートの家賃にに匹敵プラス低収入ローンすら組めやしないかと言ってバイク熱低温のまま数年。バイクで公道を走ってみたら先輩「結構乗れんじゃん」。その言葉を唯一のよすがにしてバイクと北海道単独行。実際、結構乗れたのをいい事に10日間の予定が27日間になったのは余談です。 どうしよっかなー。少時間で大効果とにかくアクセル・ギア・ブレーキ操作さえ条件反射でできるようになれば昔はできたのだから。思い出す「結構乗れんじゃん」。む?そういわれた時のルートはとにかく直進つまり真っ直ぐ。山道のグニグニはあっても真っ直ぐ右折左折なし。 よぅし。とにかく真っ直ぐ真っ直ぐ行ける所まで行ってみよう。付近の大きめ幹線道路は大体3本くらい内1本を真っ直ぐ真っ直ぐ進むだけ進む作戦。果たして。
2013年06月19日
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毎朝ニュース番組を視る。CMになればザッピングしながら国営放送から4ch6ch朝日フジ間違ってテレ東。そこへ「前田敦子さんを名乗るメールで37万人騙され被害額115億円」のニュースが流れる。ああアレね。私には記憶がある。身にも皮にもならない駄ブログだが実体験を語れば少しは読者諸賢のお役に立つでしょうか。 数年前、流行に乗じてFacebookを始めてみたが生来の不人気者、誰も来ないし友達はできないし更に何を書けばいいか判らず何より英語を直訳した以上に理解不能なガイドに眩暈がし数日で挫折。放置していた。そこへ奇特な事に「メッセージが来てますよ」メール久々ログイン。 「某アイドルのマネージャーをしている者ですが・・・」に始まり「彼が心を閉ざしているのです」「相談に乗ってあげてくれませんか」要は「人気アイドルが忙しさや何やらでチョー落ち込んでるから話し相手になってあげて」ですな。連絡先のメアドはケータイでチョット怪しいが"マネージャー"のプロフィールは一応ちゃんとしている。 捨てアドでメール。すると「このURLにアクセスするとアイドル本人のメッセージが見られます」そのホスト名にloveうんちゃらと既にいかがわしくヤバ臭ムンムン。そんな時、頼りになるのは親でも上司でもなくGoogle様さっそくそのURLを検索すれば"出会い系"の文字がズラズラ。偽アイドル認定するが乗せられた振りを少々続ける。 そのURLにアクセスすると「保有ポイント300p」とのっけから来やがる。あそ、とスルーしてメッセージを開く「メールありがとう!僕の事モテモテだと思ってるかもしれないけど仕事が忙し過ぎて誰とも付き合う暇がないんだ。でも君となら話してみたいなと思って・・・バレたらマズイから絶対内緒にしてね。二人だけの秘密だよ(以下忘れた)」ぽい内容。メッセージ閲覧でポイント50p減。 「何故、私と話したいと思ったのですか」と訊いてみると数分後リターン「昔、好きだった女の子に名前が似てて・・・」アホか名前だけで惚れた腫れたができるなら想像力豊か以上に妄想レベル。この送受信でさらに100p減。 残り150pだが相手を奇数回コチラを偶数回とすれば私の3通目送った時点ででポイントが無くなり相手からのメッセージを見ようと思えばポイントを買わねばならない仕組み。騙す方も少しは考えてるらしい。 やらねぇよ。こんな見え透いた詐欺に騙される人っているのかな?と思ったのも忘れていたらデカデカ報道されている昨今。ネットがリアルで育った世代は仕方ないにしても私と変わらない年齢も騙されているアチャー。 「本当に大切なものはね、目に見えないんだよ」(サン=テグジュペリ『星の王子様』)
2013年06月15日
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大阪で生まれたが淀川も知らないうちに東京に来た私2歳。長じるにつれ「夏休みはお祖母ちゃんの家に行くんだ~」そんな同級生の声を歯噛みしながら聞いた日々。私には故郷がない。 でもねーできたの故郷。それは日本最北の町・稚内。学生時代3週間に及ぶユースホステルのヘルパーを2回やり訪れる度「また帰っておいで」これが故郷と言わず何と言おう。 最近ご当地をアピールする「ゆるキャラ」がもてはやされており「何でコイツが!?」と思うのもないではないが概ね愛嬌のある風貌で世間をゆるゆる癒している。 ところで稚内にもゆるキャラはいる。代表は間宮林蔵をモチーフにした"りんぞうくん"とあと1つ。さて何でしょう?唐突クイズ。いろんな意味で読めないブログは本当に読めない。 答え。出汁之介(だしのすけ)でーす。横顔。黒いお目々と手の昆布がチャームポイント。昆布が美味しくて食べ過ぎたそうです。よーく見てください。ゴマフアザラシをモチーフにしてるので点々デフォだがその中に名産のウニ・タコ・ホタテが。足の裏に「わっかない」の文字。アレ?アザラシって足あったっけ? ゆるキャラPRが奥ゆかしい北海道の中でもさらに奥ゆかしい稚内の出汁之介くん頑張れ、目指そうゆるキャラ界のキング。
2013年06月08日
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♪おや~のぉいんが~がぁ~こにむ~くいぃぃ~♪ベンベン。名調子で決めたところでサラリーマン半年に1回のお楽しみアレ買おうかなココに行っちゃおうかなウフフ楽しみぃな「ボーナス」である。 考えなしに「ココいいなぁ」だけで手取りの割りに高家賃物件に住んでしまった薄給時代は食にも事欠きビールは発泡酒に米は銘柄米を買えず主菜は卵や豆腐それでもキツくて塩それでも足りず借金で借金を返済するカードの借用限度額いっぱい。その頃ボーナスは借金一掃最後の切り札。貯蓄ぅ?できるわけがない。 ようやくそれなりの手取りを取れるようになり借金はしなくなった。あ~ヨカッタヨカッタ。胸を撫で下ろしていると1本の電話。弟からである。 「元気?最近どぉ?」いつもの枕詞に始まり雑談しばし。「俺さぁ・・・」雲行きが怪しい。「会社辞めて独立したんだけど・・・」それは知ってる。弟は技術者として会社員をやっていたがその所属会社は社員を別の企業に派遣する仕組。会社は鵜匠で社員は鵜。かなりの額を搾取(?)されてると知った鵜じゃない弟は怒り脱走ではなく独立、自ら鵜匠と鵜を兼ねる業態で某企業で働いていた。給料も上がりホクホクしかし派遣は派遣。派遣先の方針で「切られた」と言う。 「相談なんだけど」カネなら貸せるほどないなぁ「俺、実家に援助してんだよね」うん知ってる。実家は小商いをやっており昭和~平成半ばまではソコソコ収入があったオイルショックもあったし。近年我が家周辺も大型スーパー進出ネット通販蔓延お得意様老化で売り上げ大幅ダウン。閉店には至らないものの病人のオヤジを抱えて女一人オバ腕奮闘しても限度がある。 「それでさ俺の代わりに月○万援助して欲しいんだけど」・・・毎月ギリギリの私。できんのか?やれんのか?やるなら?「今でしょ!」(by林修先生)はぁ~。電話を切って毎月の収支をシュミレーション。と電話。今度は母である。 「あんな話あんねん」モジモジこれもカネ関係だろう「今度じゃなくて今言いなよ」「この間土地買ったやろ」 実家は長らく借地で小さな区画で家が建っており全体は100坪以上。区画売りをお願いしても地主は「全区画じゃないとダメ」それから幾星霜過ぎ代が変わって区画で売ってもらえた。もちろん実家が借金せず買える訳もなく銀行は利子が付くから担保設定されるからと余計な勿体無い精神を発揮し友人知人を頼って購入その支払いが滞っていると。返済を強く迫られてないけど申し訳なくて。母はそう言って泣かなかったが。 ♪わかりましたわかりましたわかりましたよ~♪自作自演"わかりました節"を踊り焼酎ロックをグイと飲み干す。親の因果。ボーナス時に一定額を支払う事となる。 仕方ねぇ引き受けてやりましょうよ浪人時代は苦労かけたしな。となると私が担保だったの?ねぇ母さん「家土地はあげるからさぁ」。いらんわっ!
2013年06月08日
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眠い。が眠れなくて夜が明ける。痛いのだよ歯が。 「歯の痛み」っつうのは人間が感じる三大痛に入ると敢えて断言する。 コイツの厄介さは精神までヤラれそうなところ。他の痛みは主に肉体に苦痛を与え生命の危機か否かを知らせるのに対し歯の痛みは直截的に生命の危機はないが痛点をミリ単位でグイグイ攻めてくる。「痛くて痛くてタマラン」が相対値にし辛く時に「痛みに弱い」の一言で一刀両断され恰も痛みを訴える本人の精神論にすり替えられてしまい一層精神が心が萎えしかも痛みを抑える手段が比較的乏しいため薬を飲んで塗ってダメなら"辛抱"しか手段がないプルプル。胃薬や頭痛薬なら薬局に何種類も並んでるのに。 歯科治療はセカンドオピニオンが殆ど利かないのも問題で他所の歯医者で治療している(した)モンは知らんと大抵の歯科医はそう嘯くが歯科治療が小規模土木工事なら君らは大工だ大工なら技術の数値化はできよう番付を全歯科医院で作れよ。Q&Aサイトを見ても最終結論「今の先生とよく相談してください」・・・バカヤロ。 い~た~い~躓いただけなら進行方向垂直にヨロけるところ痛みで眩暈し横にフラフラ。こらぁヤバいと昨日は激謝りして早退し帰途歯医者に泣く泣く電話しかし空きがなく今日も予約で一杯だが昼過ぎどうにか滑り込ませてもらうが待ち時間不明。 いっそ抜こうか痛む歯を抜けば痛みは消える。その後どーすんの?インプラントは高っかいぜぇ部分入歯は最悪じゃろ?どーすんだよっ。 To be or not to be ハムレットじゃないが何かの結論を迫られている。いってぇ。
2013年06月04日
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歯が痛い。それも治療途上の箇所が。 可能な限り行きたくない医者の種別で言えば絶対歯医者だと思う。歯科治療は規模の小さい土木工事ガリガリ削られたり人工物で埋められたり地歯を取っ払って建て替えたり。非人間的不人情治療が下手すると数ヶ月から一ヵ年は続く地獄行。 金曜の夕方、院長ではない「コイツはヤダな」若造先生に治療され嫌な予感はしていた。のっけから麻酔薬が口中にタラタラ溢れるアクシデントを無視して治療(修理)続行。麻酔はある程度効いてるから痛くはない。だけど心は不信感でいっぱい。ドリルが「ちゅいぃぃ~ん」と呻る音と顎が3cmは沈んでるんではないかという圧迫感が30分ほど続き仮止めの詰め物を施し「ちゃんと詰まってるかレントゲン撮りましょう」。で会計はいつもより1000円以上高額な金高を請求され「テメこのやろ」と思っても言えず逆に受付嬢に「お世話様でしたぁ」なんて心にもない愛想を言った自分にムカムカとぼとぼ家路。 翌日。睡眠は痛みに妨げられ苦しいよ辛いよ悪夢を見ながら目覚めてみれば顔が微妙に変形しとる。痛みはMAXこりゃタマランやさしさ半分でできてるバ○ァリンがば飲み保冷剤冷却作戦決行。 腫れは見た目に分からんくらいになったが痛いものは痛い。仕事中もシンドくコソコソ「診てもらえませんか」と歯科医院に電話すれば「今日明日は予約が一杯でぇ合間で待ってもらえればぁ」。うわ使えないねーちゃんの方が出た。合間を縫うにも何時ならエエの?「わかりませんけどぉ待っていただければぁ」沈黙5秒「じゃイイです」。 ガチャン。失礼かと思ったがやや乱暴にケータイを切る。い~た~い~。そんな態度で溜飲を下げられるはずもなく痛いものは痛い現実だけが残る。
2013年06月03日
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一攫千金。古くは金鉱この現代にあってはギャンブルしかしリスクもデカイ。安全高利回りでドカンと一発当てられないかしら?小心庶民の願望を実現したのが富くじ宝くじである。 昔、宝くじは1等1000万円だったと思う。それが1500万になり3000万になり今では3億円。サラリーマンの生涯年収くらい。一等前後賞900円の投資がもしかして3億円どんなギャンブルでもここまでのオッズはない。買おう宝くじ当てよう宝くじ。ウキウキ。 そんな気持ちに水を差すようで申し訳ないが私は宝くじは買わない。 先ず他力本願のギャンブルが性に合わない。競馬のように「○番本線でヒモは・・・」推理を挟むまでもなく窓口に連番で或いはバラで「○枚ちょうだい」。銀座チャンスセンターに行ってごらんなさい。スゲー行列だから。あの長蛇の列が10枚とか100枚とか買っていけばそれは膨大な枚数が捌けるわけでその中に当たりが紛れててもおかしくない。なのに「あそこは良く当たる」って??? 生涯年収3億って年間いくら?計算してみた事がある。サラリーマン生活を大体40年としてみれば750万円で月62万5000円。確かに充分だがリッチって程でもない使い切ろうと思えば全然使い切れる額となって愕然。宝くじってオイシくないじゃん。ちなみに最近乳がん予防措置手術で話題になったアンジェリーナ・ジョリーさんは1本当たり最高1500万ドル(約15億円)。高額当選5本分が一度で手に入る模様。 今、宝くじに当たったとしてもいきなりゴージャスセレブになれるわけでもなし仕事は辞めず宝くじ収入で買ったチョイと旨い酒を飲みながらスーパーのマグロブツでも摘んでんだろうなぁ。抜け作の割りに現実的なんスよ私。
2013年06月01日
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今年のクラシック界は熱い。いや毎年ファンにとってはそれなりに熱いんだろうけど私のように「コレ!」と決め付けている楽団やソリストがいる者にとっては農作物のように豊作不作の年が明白。病気休職してた年にウィーン・フィルが来日。乏しい嚢中から2公演分のチケット代金をひり出しその後1週間以上好きな酒は減らすものの止められず米と卵だけで暮らす日々。阿呆かと思うタワケかと思うノータリンどころか脳(能ではない)無しだと思う。 ウジウジしている。ウィーン・フィルだって来るしベルリン・フィルも来るパールマンやズーカーマンも捨て難い。それらに行こうと思えば行ける環境でもあるホールは近いし金なら有り余ってはないが困る程でもないし気楽な独りモンだし。 原因は仕事である。私は通信関係のデータをこさえる仕事をしている。ツール化できるところはツール化しているがチェックは人間の目。知ってます?菓子や飲料など工場で大量生産されるモノだって最終チェックは人間なのですよ。データまた然り。そこへ修正や訂正が急遽入ってくれば作り直し→再チェック。その量次第では不用意な残業になる。元々の量が多くて起きる"仕方ない残業"は前向きに取り組めるが「ごめ~ん元データが違っちゃったぁ」から生じる"やらんでもいいハズだった残業"は著しく生産性を下げ疲労感バリバリ蓄積。そんな時はモーツァルトのレクイエムやベートーヴェンの第九しかないと思うの、実際。 ぴあからは先行予約だ何だと案内メールが来ておるが「大枚叩いて当日行けなかったらどうしよう」弱気がついついウジウジウジ。行きたい気持ちは山のよう仕事も結構山のよう。こんな時はオザキさんのように♪ぬ~すんだバイクで♪違法行為はせず自分のバイクで走り出してみようかと思ったが昨日の歯科治療どこがどう間違ったんだか痛くてたまらず集中力大幅欠如。仕方ないので北海道ツーリングの予習としてモヨロ貝塚などを読もうかな。オイストラフ氏のヴァイオリンとともに。ウジウジいててて・・・
2013年06月01日
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「10年以上振りで乗れるかなぁ」「もし何でしたらお宅まで配送しますよ」そんな会話を交わしたGW真っ只中の某日。大学卒業約20年、こんなキッカケで母校の近くを訪れるなんて思わなかったが。 工具から始まってヘルメット・グローブ・ブーツ・ジャケットとチミチミ揃え納車日を待つ。「まだ○日あるもんねー」と余裕をこいてたのが"その日"が近付くにつれ小心が首をもたげ颯爽と風になるどころかドカンとかステンとか不吉なオノマトペが映像とともに頭をよぎるイカンイカン。 バイクはおろか自転車さえ持たず生活した10数年。小心を抑え気合だけでバイクを取りに行く。配送断っちゃったもんな・・・。 狭い間口のショップの入り口に我が愛車シートにまだビニールがかかった状態で待っている。こんなキレイな子いきなりドカンやステンじゃ可哀想過ぎる。乗って帰る私次第。説明の声もソコソコ聞いてリターンライダー出発! 発進は良かったが「ええとギア変えてウィンカー出して、わちゃあ赤信号ブレーキブレーキ」頭で考える分カラダの追いつきが遅くあえなくエンスト。横断歩道を渡るおねぇさんの不審そうな眼が痛い。今日は母校が公認会計士試験の会場になっていた。 それでもだんだん楽しくて嬉しくて緊張しながらメットの下でムフムフ。だんだん調子が出てきてエエあんばいで家の前ホッとしクラッチを放せばギアがニュートラルに入っておらずエンスト。リターンライダー毎週土日はジミジミ早朝練習決定。北海道まであと3ヵ月半。
2013年05月26日
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バイクを買った10数年ぶりリターンライダーここに1人増える。警察や救急車や保険会社を煩わせないバイクライフを送れるよう祈りつつパワーストーンのブレスレットを買ってみたり。バカ。 それにしても初期投資がかかる。ヘルメットにグローブ工具バイクカバー盗難防止のチェーン(2本)ジャケットやカッパじゃなくてレインスーツって言うんですって今は思いつくまま買って10数万円。 初めてバイクで北海道に行った時はバイクもメットもグローブもカッパもリュックも全部借り物で買ったのは防水ギヤバッグ(別名ずだぶくろ)とウェストポーチ工具は車載工具があれば大丈夫かなと思ってケースを見ればカラっぽ8/10/12/14のコンビネーションレンチ買い足しは無職の折に手痛い出費であった。それでも人件費削減でクビになったバイト先の給料12万円で1ヶ月北海道をフラフラしたのだから上出来か。最初は10日間のつもりだったのですが。フェリー会社に「日程変更を・・・」と申し出たら3回目には「次はもうダメですからねっ(怒)」と叱られたのも楽しい思い出であるシミジミ・・・ バイクに必要なモノは?答え。工具セット京都機械工具(KTC)製。何故メットやグローブじゃないんだ自分?ツッコんでみたがコレにはちょっとしたワケがある。 2回目の北海道ツーリング季節外れの10月上旬では友を誘おうにも誘えない単独行。「稚内20km」の案内標識を右折しようとした時異変は起きた。後輪が突然左右へ大きくバウンド慌ててバイクを停めて確認したら・・・パンクである。あちゃーどないしよ誰もいないいるのは私だけ。 チューブタイヤはタイヤを外さないと修理ができない。タイヤを外せるメガネレンチは持っていたがタイヤレバーを忘れる粗忽ピーンチ!しかし神は私を見放さなかった目の前にちょっとした商店。「あのーこの辺にバイク屋か自転車屋さんはないですか」おかみさん「市内(いやココも市内だが栄えてるって意味で)に行かないとないねぇ」「パンクしちゃって・・・」「あらぁ大変おねぇさん何処に泊まってるの」「稚内ユースです」「それじゃカマタさんとこね電話してあげるわ」 カマタさんに事情を話しその店で温かい茶などいただきながら待つ事40分。軽トラが来て見覚えのある自転車&バイク店の小父さん「ホントは引き上げ(=ロードサービス)やってないんだけどねー」バイクを荷台に積み私は助手席の人。 チューブ交換してるのをシゲシゲ見ながら思った。バイクの不具合アクシデントは自分で何とかできるようになろう、と。ヘルメットは道路交通法で定められているから被る昔は原チャリくらいならノーヘルも多かったグローブもなきゃないでOK必須とは言えない。一番必要なのは工具それも高品質な。 バイク屋はおろか民家さえない所を走るんですもの安心を買うんだよ我が身に言い聞かせて買ってみたら工具セットはケースの中に整然と並んでるのではなく自分でセットする形式。昼からジグソーパズル気分を味わう。♪しーんぱいないからねー♪何か起きた時、最後に愛では絶対勝てない。初めて買った工具も聞きかじりのKTCだった。ツーリングではここからチョイス。
2013年05月18日
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新年度。日本では毎年4月これは主に学校年度・会計年度を指す。海外では9月・10月からが多いようだ。暖かい→暑いに向かう日本と涼しい→寒いへ向かう海外。条件的には日本の方が明るいサンシャイ~ンで良さそうなのに何故だろう。そもそも五月病ってあんの?プチ科学を試みる。ちなみに欧米諸国に「五月病」に当たる言葉は見つからなかった英・独・仏・伊辞書より。 まず要因1・新年度。入学・入社・異動・引越しなどなど環境が変わるイベント目白押しストレス満載の日々。日常が非日常になった状態が一定期間続く上に1ヶ月せんうちにGWっつう長めの休みが緊張感をブッた切る。おいっちにおいっちにのリズムが崩れる。 要因2・季節の変わり目。季節は春から夏へと急速に姿を変える割りに寒の戻りがあったり真夏日で汗ダクダク情緒不安定な気候。新しい環境と季節の変わり目で心も身体もクタクタ。 要因3・GW。休みが長いと人間「何かしなきゃ何処か行かなきゃ」浮き足立って旅行だレジャーだと東奔西走しかしツケが来る。疲労疲弊してるのよ案外。楽しい時間はあっという間に過ぎ黒々と口を開いて待つのは現実の暗黒海。 結論。五月病「あると思います!(by天津木村)」 しかし「精神的に向上心のないものは馬鹿だ(from夏目漱石『こころ』)」そうなので何か対策を講じたい。私は五月病になったかもしれないがならなかったか忘れてるかで「五月病でツライ」記憶がない。その時期どうやって過ごしてるっけ?投網を引く如く記憶を辿ってみる。 寝る・起きる・活動する1日のルーティンが平日休日とも全くと言っていいほど変わってない。休日の外出は買い物程度あとはインドア読書家事炊事ボケーーーーっとクラシックを聞く程度。 腑抜けライフは五月病さえ寄せ付けないかと思ったら少しく凹んで不貞寝しようかと思えばできず我が身に染み付いたルーティンぶりに素麺が食べたくなった。もはや夏である。
2013年05月11日
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春。春=張るで乳房が張るつまり命が萌え出ずる頃。英語ではspring冬の氷雪は去り何もかもが弾んで若芽が伸びついでに恋も芽生える季節と世間的に言われている。今年の春は春らしくなく初夏以上の気温になって桜一気咲き一転冬の気温にブルブル季節が情緒不安定。 あ恋ですね初恋つまり初めての恋それを引き摺って生きる人もいるという人生のエポックメイキングな出来事ですか。ええ今も引き摺ってますよワタクシ今もときめくわよ。 それは王様。アラブのとか古代のではなく世界のホームラン王いわずと知れた王 貞治様。浅草散策の折に本所中学の校門傍に「気力」と揮毫した石碑を発見した時は余りの感動にボケっとしてしまい周囲を押し退けながらDr.イエローを撮影した勢いなぞ発揮できずポーとしたままフラフラ街を徘徊してしまった。これほど好きなのに届かない思い。 初恋。幼い4歳の私は恋をした王様に。ホームランをかっ飛ばす裏側にあった凄まじい努力努力努力。それが透けて見える風雪が刻まれた風貌。素敵。 だが当時巨人戦チケットはプラチナ以上レアメタルチケット買いたくても買えず諦め切れず球場周辺をウロウロすれば私設チケット販売のお兄さんやおじさんに「チケットあるよ」と定価の何倍も吹っかけられるのが関の山。せめてお姿を見たいそんなささやかな願いさえ叶わない辛酸を嘗める日々が続いた。それでも王様は絶対的王様。TVや新聞に雑誌あらゆるメディアに王様が出れば絶対チェック。偶然であったにせよかなりの確率で王様の出番は見逃さなかったと思う我ながらアッパレすごいんじゃね?自分で自分を誉める。 ある日いつものようにオヤジが愛読の週刊S誌をくれた。王様がプロゴルファーの青木功と対談してる記事。普段ならふーんと読み飛ばすのに何故か最後まで熟読ふと最終ページ下を見ると・・・ 「青木功&王貞治サインボールセット10名様にプレゼント」の文字。オヤジは読み終わった後にS誌をくれるのでそういった懸賞に間に合うことは滅多にないがその時は間に合う。どうしよう懸賞なんて当たったのほとんどないしでも王様だし夢のまた夢のサインボールが当たるかもしれないしハガキあったかなガサゴソあった応募してみよう。それでもグズグズして消印締切日直前に投函。当たんねぇよな・・・ 当たった。王様のサインボールはペンのせいかやや細いがあの柔らかい丸みが特徴のまま。初日は抱っこし2日目以降数日は眺め汚れちゃうとラップをかけ今はケースに鎮座させている。初恋って思わぬ形で叶うのね。諦めなかったからかしら偶然の相乗効果かしら。 え?青木サインボール?アオキはイサオもサヤカも同価値なのでゴルフ好きの上司にプレゼントしますた。到着当時。今、青木さんはいない。王様ありがとー一生大好きなままだろうなぁ
2013年04月24日
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「2番じゃだめなんですか!?」と言った大臣もいたが私にとってこの1番も2番もとっても大事なのである。何の事か読者諸賢に見当もつくまいだって私だって「どう書こうかな~」なんて書きながら思う体たらく謝れと言われれば素直に謝りますゴメンナサイ。 最○○となれば1番でそれ以外は2番3番と順位を下げる。稚内に向かったのは1番を極めるためでもあるし2番だって捨てがたい両方極めるのは当たり前である。 1番・宗谷岬。言わずと知れた日本最北端だが礼文島も入れるとちょっと違う択捉島まで入れると大分違う。そう言えば子供の頃の日本地図に樺太南半分も記載されてたが今はない。夏場は♪そぉうやのみっさきぃ~♪が流れて旅情は泡沫の如く消え去るが冬は猛烈な風と寒さで旅人をほとんど寄せ付けない。そこへ行けるのは選ばれし勇者さあ勇気をもて旅立て!励まされたって行かねぇや普通。私は選ばれてなくても行くのです行って宗谷の返り討ちに遭う。空が碧かった。 2番・ノシャップ岬。宗谷岬から返す刀で討って出たが碧空はみるみる曇天と化し雪まで降りだす。前日の気温5℃がウソみたいシンジラレナ~イ肩を竦めて両手を顔の横でヒラヒラしてもこれは現実。利尻は灰色の奥。学生の頃ヒート○ックもない石器時代マイナス15℃風速20m/h吹雪のノシャップに行ったわアタシ。バスの運転手さんにも心配される始末だが若さは馬鹿さ何も考えず暢気に記念撮影。でも10数分後異変が起きた。何故か息が苦しい感動の余りか違う鼻腔が凍り始めてた。揉むとジャリジャリ音がしたわ焦ったわ。今回は凍結と強風に行く手を阻まれたがどうにか写真撮影したが最北端の水族館フウセンウオが次に来ると睨んでるノシャップ寒流水族館どころではなく日本で2番目に高い灯台を写してとっとと勇気ある撤退。
2013年04月21日
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10数年ぶりにバイクに乗り北海道ツーリングに行こうと計画ネリネリ。渡道までのフェリーに愕然。早朝着がない。。 過去には31時間かかっても東京-苫小牧ルートがあった。常磐自動車道のせいかトラックやトレーラーの性能が向上したのか狭い東京湾を通るデカイ船を一個でも減らしたかったのか一番近くて大洗、大笑いだよあははゴマかしてみたところで航路は変わらぬ。さんっふらっわー♪ 新潟まではリスクが大きい。結構な長距離に加え、むかし関越道を夜間走行してた時、目の前にふわっと白い影アタシはコンビニ袋だと思って躊躇なく踏んだムニとした感触があった。夜が明けてとあるI.C.を下りてふとバイクを見るとリアタイヤのリムに乾いた血痕と白い羽飾り。どうやらニワトリを踏んでたらしい。 以来若干のトラウマもあって新潟~小樽ルートは消え残るは苫小牧着のあれこれルート。高速代や時間その他考慮しても大洗~苫小牧しか残らぬ。しかし大問題ハムレットならとぅーびーおぁのっととぅーびーしゅびどぅび。 1日2便はありがたい稚内を目指す身には如何せん到着時間が悪い。19:45or13:30着でいずれもどこかでご宿泊ラブラブカップルならいざ知らずお一人様なおかつ土地勘のない所に放り出される不安倍増計画。 どこで泊まろうか?どこまで進めるか?苫小牧着13:30のフェリーなら下船まで日没までの時間を考えれば走れるの3時間程度。進んで留萌かネットで調べよう・・・・・・・ 調べれば調べるほど迷いが深まる昔フェリーを降りてバイクで一人走り出した頃と一番変わったのは会社員という属性を持ってるおり夏休みは必ず終わり必ず帰らなければならない事。それが怖気させる最悪を想定させる。 別に私がいなくても確かに会社全体の流れはそうだが身近な周囲は困る「えぇー引継ぎしてってよー」しかし私が帰らなければ怨嗟どころか焼香にも呪詛の声が沸くの目に見えないが耳に聞こえそうだ。 調べるの止めよう。行けば行ったでどうにかなるさ。どうにかしないとワシのクビが飛ぶ。くわばらくわばら。
2013年04月18日
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桜は冬の寒さに硬く身を縮めながら少し暖かくなると蕾が膨れてあっという間に咲いてしまう。正直と言えば正直で気遣いがないと言えばない散るなと祈っても散り風が吹けば「今見ないと散っちゃうんだからね!」ツンデレ系。 我が家の近くに公園がある。元々は持ち主不明の空き地そこは子供のパラダイス。ダンボールやトタンで作った秘密基地、木登り、落とし穴、缶蹴り、花火。工夫次第で使い道いろいろコジマジ○ク100円ショップグッズでスッキリ片付け以上の実力。 その空き地を打ち壊し(←元々壊れてたに等しいが子供目線で語る)東屋やアスレチック風遊具を備えた公園は子供にとって使い勝手が悪い事夥しく同時にガキ大将が中学入学したのを期に寄り付かなくなった。密かに桜が植えられているのを知らずに。 悪盛りの子供の迫害を逃れた桜はいつの間にかすくすく育ちプ○ジデントファミリーに取材されてもおかしくない優秀さを発揮。成長途中は咲いてもスカスカで貧相だったのが間もなく30歳ともなれば持ち前の才能を正しく開花、空を覆うほどの密度でモコモコ咲くのである。「父さん母さん東京で成功したよ今年の夏は母さんの好きなと○やの羊羹を持って帰るね」そんな声が聞こえてきそうな出世っぷり威風堂々エルガーならオーケストラに和楽器を入れ宮城道雄とコラボしただろう。 私はその公園を通勤経路にしてるため約30秒ほどモコ桜を見上げながら足早に行く。咲き始めからおわりまで40日として40days×30sec=20min。40日かけて20分と言え毎日花見を楽しみ春が過ぎた。間もなく夏。
2013年04月16日
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