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明けましておめでとうございます。首都圏はいい天気でした。大晦日の天気が嘘のようでした。特に予定のない我が家では、昨日従姉鳥が届けてくれたおせちと、お餅の正月らしい食事をしながらまったりと過ごしていました。父鳥は駅伝をテレビで見ていましたが、私の方は頭痛が出てきたので、午後昼寝をしていました。そうしたら久々にスマホの緊急地震警報で起こされる羽目になりました。・・・昨年の退院直後にも同じ目に遭わされましたが、あの音寝入っている時になると本当に心臓に悪いです(苦笑)。画面を見たら能登半島と出ていたので、こっちは横揺れだろうなと思っていたところ、30秒ほどで横揺れが来ました。寝ていた私はゆらゆらとした揺れを感じましたが、トイレに入っていた父鳥は戻ってきて「あれ? 地震来ないな?」と聞いてきました。タイミング的にトイレを出て歩いている時だったようで、揺れを感じなかったようです。こちらは震度3位の揺れでしたからね。横揺れだけだと気がつかないんですよね。あと大きな揺れの直後、2階で何か落ちたような音がして見に行ったんですが、特に何かが落ちたような様子はありませんでした。我が家の方はそんな感じです。さて今回の地震は、2回目の16時10分の揺れが今のところ最も大きく、マグニチュード7.6、震度7という大きい地震でした。震源の深さは浅いようで、その分揺れ激しいようです。また津波が発生していますし、その後もひっきりなしに余震が続いています。報道でも出ていますが、41年前の日本海中部地震がマグニチュード7.7でしたから、今回の地震規模はそれに準ずる規模です。現地の皆様にお見舞い申し上げます。今回の地震規模から考えると、おそらく1週間から10日ぐらいは、今回と同程度の余震が続くかと思われます。津波も十分警戒が必要です。少なくとも今晩は高台などに避難していただいた方がよいかと思います。早く落ち着くことをお祈りいたします。それではまた。
2024.01.01
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昨日22時に就寝した私は(今日は職場でそれを言ったところ、「小学生か!」「ウチの幼稚園児の娘もそれぐらいに寝ていたが・・・」と、ツッコミ入れられました。だって、夜行性じゃないトリなんだもん)、朝ネットのニュースを見て、地震のことを知ってびっくりしました。被災された皆様にお見舞いを申し上げます。(気象庁発表の報道資料より)今回の地震ですが、6月18日22時22分に山形県沖約50kmの地点で発生しました。ちょうど北アメリカプレートとユーラシアプレートの境界近くで、ひずみが溜まりやすいところという報道も出ていますね。マグニチュードは6.7で最大深度は6強、震源の深さは14km(速報値では10km)でした。けが人は29人(6月19日21時時点)出てしまいましたが、死者が一人も出なかったのは不幸中の幸いかなとも思います。一方で見ていると、液状化や、土砂崩れなどの被害が多いようです。この辺りは地盤が脆いんですね。危険なのは、今晩以降、現地では雨が予想されている点です。地震により地盤が壊れ。脆くなっているところに、大量の水が加わることで、さらなる土砂災害を発生させかねないという点です。自治体から避難勧告が出る可能性もありますから、慌てず行動してください。また今後少なくとも1週間は、大きな余震が起きる可能性がありますので、くれぐれもご注意ください。それではまた。
2019.06.19
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昨日はまた揺れましたね(汗)。今年は地震が多めな年なのかなぁ・・・。2月21日21時22分ごろ、北海道胆振地方中東部でマグニチュード5.7の地震が起きました。震源の深さは30km、最大震度は6弱でした。地震は震度の割に(昨年9月に起きた地震のマグニチュード6.7の1/32の規模のエネルギーです)、北海道北部から東北まで、結構広範囲で揺れたようですね。今回の地震は、規模といい、震源場所といい、昨年9月の余震の可能性が強いのでは? と個人的には思っています。現地では停電や断水、土砂崩れが起きているようです。被災された皆様にお見舞い申し上げたいと思います。今回の地震で思ったことが2点あります。1つはデマの酷さです(「・・・」より後ろは私の感想です)。報道でもされたいくつかのデマを挙げてみます。「俺の親戚が自衛隊なんだけど明日の朝本震来るって」・・・自衛隊は地震を予測したりする組織ではありません。だから「明日の朝本震・・・」等と言った自衛官が本当にいたとしても、ただの一個人の憶測です。予測でも何でもありませんし、信ぴょう性などありません。「地鳴りがしているので5、6時間後に本震がきます」・・・不安心理が元で思い込んでしまったパターンか、それを装った煽りデマでしょうかね。地鳴りがしていたとしても、5,6時間後に地震が来る科学的な根拠はありません。というか、私の中では、地鳴りで災害が起きるとすれば、土砂崩れとか連想しますけどね。「地震の原因は北大の核実験らしい」・・・なんで北大(北海道大学)が核実験? 典型的な愉快犯による根拠なしのデマです「中国の核実験が原因」・・・中国の核実験場というと、新疆ウイグル自治区ですね。北海道とは文字通りの意味で、万里以上の距離です。仮に実験をしていたとしても、なぜ北海道だけで地震を引き起こしたというのか、全く根拠がありません。地盤の弱くなっているところなら、熊本だってありますしね。科学的な根拠なしです。いずれも一顧だにする価値のないものです。そして最大のデマは、残念過ぎる元首相の下の発言です。「本来地震にほとんど見舞われなかった地域。苫小牧での炭酸ガスの地中貯留実験による人災と呼ばざるを得ない」・・・そもそも、日本で地震にほとんど見舞われない地域なんてありません。その程度の知識もないんですからねぇ。他の「政治的な発言」といい、一方的な思い込みと偏見で、幻想の中の理想を語る方だなと改めて感じました。この方が総理大臣やっていたのはちょうど10年前でしたか。今から思うと戦慄が走ります。ちなみにこのアホ・・・じゃない、この方がおっしゃる炭酸ガスの地中貯留実験とは、地球温暖化対策として、苫小牧の施設で行われている温暖化の二酸化炭素を吸収して、地中に保存する実験だそうです。この施設ができて以来、台風が多くなったというようなうわさはあるようですが(ただし科学的なデータに基づくものではなく、あくまで「体感的に」ということのようです)、それが施設のせいといえるのか不明です。だいいち施設自体が小さ過ぎて、環境にそんな影響を与える事が出来るのかなとも思うんですけどね。台風については、エルニーニョ現象やラニーニャ現象などで、説明出来てしまえるように思うのですが、これ以上はデータとかがないので何とも言えません。少なくとも一つだけ言えるのは、この施設は地震の被害はなく、正常に運営中の様です。あと1点は、デマとかそういう話ではないのですが、昨年9月といい、北海道の地震は揺れる範囲が広範囲ですね。同じことは九州の熊本の地震の時も感じましたが、どちらも地震の規模に比して(今回の地震も、今年初めに起きた地震も、マグニチュードは小さく、地震としてはかなり小さめのものです)、揺れる範囲が広範囲で大きいのは、やはり地面、地質の構造や材質が大きな原因なのかなと感じました。東京も地盤が弱くて、地震の際によく揺れるきらいがありますが、北海道や九州よりはおとなし目な気がします。どちらも火山地帯で、火山灰や火砕礫などが、長い年月をかけて、幾重にも積もって形成された地層ですからねぇ(一応東京は、「関東ローム層」という火山発祥の地層でもありますので、条件的には近いんですけどね・・・)。地震対策には、こういう地質的な要素にも、注意しなくてはいけないなと思いました。ともかく、現地の皆様が落ち着きますようお祈りいたします。それではまた。
2019.02.22
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本日、1月26日14時16分ごろ、熊本県熊本地方で最大震度5弱の地震が起きました。マグニチュードは4.4、震源の深さは10kmです。震源地は今年1月3日に起きたマグニチュード5.1の地震震源地に近く、同じ断層に可能性があります。とすれば、余震ですかね。マグニチュードが小さい割には(M4台の地震は、日本で年間約900回、つまり1日2回以上起きている計算になります)、震度が大きいのは、地盤がそれだけ地震の揺れに対し弱いんでしょうね。2016年の熊本地震の時も感じましたが、九州の地質はそういう傾向があるように思われます。気象庁は、今後も今回と同程度の地震が起きる可能性があると、警戒しているようです。現地の皆様は、余震が来ても、慌てずに落ち着いて行動してください。この寒い時期の地震で、何が怖いかというと、ストーブが揺れで転倒し、火事になったりすることです。火の取り扱いには十分ご注意ください。また、避難などされる際は、寒い季節ですので、体調を崩さぬように、十分暖かい格好の準備も、忘れなうようしたいですね。また本日は、岩手県沖でも地震がありました。17時23分ごろ、岩手県沖でマグニチュード5.7、最大震度4の地震が起きました。こちらの地震は、マグニチュードは熊本より大きく(熊本の地震エネルギーの約50倍) 、揺れた範囲も大きいですが、最大深度は小さめです。まぁ、これは震源地が海で、町などの真上で起きなかったからというのが大きいでしょうね。岩手沖の地震は、東日本大震災の余震ではないかと思われます。あれだけ大きな地震の後ですから、まだ数問は、今回ぐらいの大きさの余震が続くと考えられています。明日なども、やや大きめな地震が起きる可能性もありますが、あまり慌てないようにしたいですね。一方で、自宅や周辺に、土砂崩れ等の可能性を見つけた際は、迅速に避難する。不確かな不安に慌てず、正しい知識で正しく怖がりたいですね。どちらの地震も、地震予測商法や、煽り記事の新聞雑誌で、「危険な兆候」などと騒がれるかもしれませんが、どちらも大きめな地震の後の余震が継続している状態と見ていいと思います。慌てず落ち着いて、日ごろから心構えを作っていきたいですね。それではまた。
2019.01.26
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今回の地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、地震でご苦労をされている皆様に、心よりお見舞い申し上げます。本日9月6日3時7分、北海道胆振地方東部で、マグニチュード6.7の地震が起きました。震源の深さは37km、最大震度は厚真町の7でした(ちなみに北海道で震度7以上の地震が観測されたのは、観測史上初めてです)。地震のエネルギーは、6月の大阪地震の8倍弱、2016年の熊本地震の1/8という感じで、地震の規模はさほど大きくありませんでしたが、土砂崩れが発生したこともあり、大きな被害が起きてしまいました。↑毎日新聞の報道よりまた北海道の火力発電所全部が停止したため、信号なども停止し、混乱に拍車がかかっているようです(報道によると、電力の復旧には1週間程度かかる見込みのようです)。↑気象庁の報道資料より今回の地震を引き起こした活断層は、石狩低地東縁断層帯の東側の地域です。確認されていない断層帯の運動によるものではないかと思われます。↑同じく気象庁の資料より本日16時までの地震集計をみると、震度4以上の地震が起きていないことから、大きな断層帯の地震ではないのかもしれません。もちろん、そうでない可能性もありますから、当面今回の地震と同程度の余震の発生は警戒した方が良さそうです。なお、こういう地震が起きるたびに、「南海トラフの前兆」とか、「○○山の噴火が・・・」と言う噂が出ますが、科学的な根拠のないデマです。気にするだけ無駄ですので、落ち着いてた行動を心がけたいですね。それではまた。
2018.09.06
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今回の地震で亡くなった方のご冥福と、被災された方へのお見舞いを申し上げたいと思います。6月18日8時7分ごろ、大阪府北部を震源地とするM6.1(暫定値)、震度6弱の地震が発生ししました。ちょうど朝、仕事行く前に、ブログにコメントを返信して、ニュースを見ずにパソコンを閉じていたので、職場に行ったらテレビがついていて「大阪で地震」というニュースを見てびっくりしました。震源の深さは13kmで、とても浅い位置の地震です。活断層の運動により発生した内陸直下型地震です(動いた断層は、気象庁の本日16時の第2報を読む限り、まだ特定できていないようです)。地震の規模自体は、阪神淡路大震災(1995年)や熊本地震(2016年)のM7.3に対して、M6.1(暫定値なので、後日変わる可能性があります)なので、1/64位のエネルギーでしたが、都市部の真下で発生したこともあり、大きな被害が出ました。たとえるなら、自分の家の真下で爆弾が爆発するようなものですからね。耐震構造をきちんとして建物でも、土台を壊されてしまうと、その能力を発揮しきれないところがあります。また亡くなった小学生の女の子の死因は、倒壊したブロック塀だったようです。聞けばこのブロック塀、最初にできていたものに継ぎ足しした部分だったようです。ブロック塀自体は地震にあまり強くないのですが、こういう継ぎ足し部分は、倒壊するケースが非常に多いので、地震時は、ブロック塀付近は絶対に近づかない方がいい場所であることを、改めて思い知りました。さて現地の様子ですが、震源に近い高槻市などを中心にして、水道管の破裂などで断水が発生し、ガスや電気の停止している地域もあるようです。通信に関しては、昼頃見たニュースでは、NTTドコモなどで通信制限が行われていたようですが、現在は回復しているようです。道路や鉄道は、不点検・修復作業のため不通の地域も多いようです。ただしJR西などの一部路線では、運転再開になった路線もあるようで、明日には多くの路線が復活できる見込みのようです。今後の状況ですが、余震は1週間から10日程度は続くと思われます。また今回の地震が本震であった場合、今回以上の規模の余震が起きる心配はありません。その点はご安心ください(東日本大震災、熊本地震は、大きな余震の跡に本震が来るパターンでしたので、怖がりすぎず、安心しすぎずが必要ですね)。心配なのは、明日から大雨の予報が出ている点です。雨により地盤が緩んだ部分で、土砂崩れなどが発生する可能性があることです。倒壊しそうな建物や、山や谷間に位置するところに家がある方は、避難所への移動をお勧めいたします。続報がありましたら、またブログで書いていきたいと思います。現地の皆様の生活が、一刻も早く復旧することをお祈りいたします。
2018.06.18
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現地の皆様にお見舞い申し上げます。本日、4月9日午前1時32分ごろ、島根県西部でM6.1の地震が発生しました。最大深度は5強で、幸いにも亡くなった方は出ませんでしたが、骨折などのけがをされた方が数人、建物や水道管の破損による断水などの被害が出ているようです。震源の深さは10km程度ととても浅い位置で起きており、それが強い縦揺れにつながったと思われます。今回の地震を引き起こした活断層は、2年前2016年10月21日に起きた鳥取中部地震(M6.6。最大深度は6弱。震源の深さは11km)を起こした活断層と、大山を挟んで反対側にあります。鳥取・島根付近は、南北に走る活断層の巣となっており、元々地震の多い地域です。今回の地震が南海トラフの地震の切っ掛けになったり、大山の噴火活動(過去1万年以上噴火したことはなく、活動を停止している山ですが、一応成層火山です)を誘発することはまずないでしょう。ただし、今後1週間から10日前後は、強い余震が発生する可能性があります(事実、今日は4回の震度4レベルの地震が発生しているようです)。本震の強い地震では倒壊しなくても、その後の余震で倒壊という場合もありますから、もしご自宅に問題があるとお考えの方は、避難所などを確認されて夜の間だけでも安全な場所で過ごすというのも手かと思います。いざという時も慌てずに、自治体の情報にご注意ください。それではまた。
2018.04.09
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今日2月17日18時19分頃、千葉県東方沖を震源とする地震が起きました。マグニチュードは5.4、震源の深さは約60km、最大震度は4でした。私の住む江戸川区では、横揺れが最初に感じて、その十数秒に軽い縦揺れがやって来て終了でした。私はお風呂の準備中でして、「東京は震度1位かな、大きくても2ぐらいで終了だな」と思いつつ、淡々と作業している内に地震が終わった感じでした。まぁ、千葉県沖から茨城県沖、さらに内陸の千葉県西部から茨城県にかけての地域は、「地震の巣」と呼ばれている地域ですからねぇ。この程度の揺れでは、いっこうに驚きません。さて今回の地震ですが、津波の発生などもなく終了のようです。地震の起きた深さからすると、活断層の地震ではなく、海溝型プレートの沈み込みの動きのようですね。もちろん、今回の地震が、南海トラフ巨大地震の呼び水になることはありません(動くプレートが違いますし)。恐らく今回の地震の影響で、余震が数日続く可能性がありそうですが、過度な心配はいらないように思います。地震に対しての心構えは常に必要です。可能性だけを見れば、明日南海トラフが起きる可能性はゼロではありません。しかしそれは予測できないものですし、小さな地震は日常的に起きています。小さな地震をいちいち気にしていたら、いざというときに身が持ちません。心構えの配分に気をつけていきたいですね。それではまた。
2017.02.19
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年の瀬も押し迫ってきましたねぇ。私の方は御用納めも終わり、のんびりと年末です。そんな年の瀬だというのに、昨日も地震がありました。まったく大地の神様も仕事納めをして頂きたいところですねぇ・・・。発生時、丁度私は電車で家に帰る途中でして(御用納め後の宴会で少しお酒を飲んで帰る途中でした)、あと一駅で最寄り駅という駅で停車中でした。「あれ? 前後に揺れているような気がするな。地震かな?」と思っていましたが(車内で地震に気が付いた人は、私を含めて数人かと言う程度のようでした。江戸川区の震度は震度3と言うことでした)、時に電車は止まることなく普通に発車したので、そのあとは淡々と最寄り駅で降りて、家にでネットを見て初めて「やっぱり地震だったんだ」と分かった感じでした。さて昨日の地震ですが、28日21時38分頃、茨城県北部を震源地とするマグニチュード6.3の地震が起きました。最大震度は茨城県高萩市の震度6弱、震源の深さは10kmと浅めの場所です。この地震による津波の発生はありませんでした地震を引き起こした断層は、茨城県北部から福島県の方に南北方向に伸びている断層帯で、東日本大震災後に活発な余震が起きている断層の一つになります。気象庁は今回の地震は、東日本大震災の余震との見方を示しています。現在も余震(東日本大震災から見れば、余震の余震という変な感じになりますが)が続いているようで、数日は注意が必要かと思います。現地の皆様は十分お気をつけください。それではまた。
2016.12.29
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速報を書き込んだ後、普通に仕事に行ってきた鳥です。電車はダイヤ乱れで普段より混雑していました(汗)。東京は震源地ではないのに・・・、やっぱり地震に弱いですね。 それでは、今日の地震を振り返ってみたいと思います(今日使っている資料は、気象庁が発表した「「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第79報) -平成28年11月22日05時59分頃の福島県沖の地震-」と、ネットニュースの写真(新聞社名など分かるようにしています)などを使用しています)。11月22日5時59分、福島県沖深さ25kmのところでマグニチュード7.4(朝の速報値はM7.3でしたが、変更になりました)、最大震度は福島県白河市、須賀川市などで震度5弱、東京や北陸方面までの広い範囲で揺れを観測しました。地震を起こした断層は、いつも福島県沖で起きる地震の巣の中の一つです。 1 浅いところで起きた正断層地震だったこともあってか、津波が発生しました。気象庁は最大3m位の津波が到着する恐れがあるとして、福島県沖には津波警報、青森県太平洋側沿岸から千葉県九十九里浜のエリアで津波注意報を発令しました。津波は私が朝、速報を書いた時は、丁度相馬市に90cmの第一派が到達した頃で、同時刻頃に津波注意報のエリアが千葉県内房と伊豆諸島が追加されました。 その後も津波の到達が続き、津波が川を遡上する光景も目撃されています。 今回の津波でもっとも大きなものは8時3分に仙台港に襲来した1.4mのものです。そして8時9分(奇しくも、気象庁が報道陣に発表をおこなっている最中)に、宮城県が新たに津波警報にランクアップされるなど、対応に大わらわだったようです。津波に関する警報と注意報は午後には解除されましたが、東北や関東では、交通の混乱が一日続きました。 幸運にも堤防を越えて市街を襲うような津波は無く、けが人が複数人出たものの、亡くなった方や壊れた家屋などは出ずに済みました。 今回の地震ですが、2011年の東日本大震災(M9.0)の余震であると思われます。あれだけ大きな地震の余震となると10年、20年ぐらいは余震が続くという見通しが前々からありましたが、未だにその勢いは衰えませんね。また今日の地震は、浅いところで発生していることから、余震(東日本大震災から見ると、余震の余震が続くという奇妙な言い方になってしまいますが)が、今後も発生する可能性があります。その際津波が起きることもありえますから、現地に方々は十分ご注意ください。 なお今回の地震が、東京直下型地震を誘発させる恐れはありません。仮に地震が起きたとしても、福島県沖の地震とは何の関わりもない、独立した地震でしょう。・・・などといつものように追記しなくてはならなくなったのは、日刊紙などでそれを匂わせる記事が早くも出始めているからです。 おまいら、こういう煽り記事だけは仕事早いな(怒)。 ともかく、明日は平穏な一日になってほしいですねぇ。 それではまた。
2016.11.22
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本日11月22日午前5時59分に、福島沖でマグニチュード7.3の大きめな地震が起きました。東京も結構揺れました。まぁ、ほぼ横揺れだったので、私は「ああ、東京は震度3ぐらいかな、かなり遠くの地震だな。建物がつぶれる事はないな」と、二度寝していました(大物なのか、神経がおかしいのかよく分からない鳥)。私の方はそのぐらいで終了ですが、福島沖を含めた本州沿岸部では、津波警報が発令されました。7時20分時点で、第一派の津波が福島沖を中心に、次々と沿岸に到達しているようです(現時点の発表では、相馬市に到達した90センチの津波が最大の大きさです。気象庁の予想では、最大3メートルの津波を想定しているようです)。現地沿岸部の皆様、また川辺近く(津波が川をさかのぼってくることもあります)にお住まいの方は、直ちに避難してください。避難する場所は高所です。少しでも高い場所に避難してください。津波は、一度で終わりというわけではなく、さらに第一派の津波が最大の大きさというわけではありません。実際、明治三陸地震(明治29(1896)年)の地震では第二派の津波が最も大きく気仙沼で38.2メートルを記録しました。ですので、「すでに津波が到達したのならもう終わったね。家に帰ろう」というのは非常に危険です。津波警報が解除されるまで、絶対に沿岸部、川辺などには近づかないようしてください。現地の皆様のご無事をお祈り申し上げます。それではまた。
2016.11.22
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現地の皆様に心からお見舞い申し上げます。今日の鳥取の地震は驚きました。私は東京にいて揺れを体感したからです。14時過ぎ、いつも通りPCに向かって仕事をしていると、頭がくらくらし始めました。「まずい、立ちくらみか?」と、ぎょっとして頭を上げると、同じような顔をしている同僚がちらほら。それで地震と気が付きました。その内上司が「え? 鳥取で地震?」と声を上げたので、「ありゃ、同じタイミングで向こうも地震か」と思っていたら、どうやらそれが東京の地震の原因だったようです。まぁ、東京の地震は震度1だったので、外では気が付かなかった方も多いと思います。ただ勤め先は耐震構造がしっかりしたビルなので、震度1の地震でもよく揺れます(耐震構造の大まかにイメージは、揺れることで地震の勢いを受け流すしくみですから)。先日の停電の時の話ではありませんが、職場の建物、電気部分をのぞけば、地震についてはめっちゃ強いです。今回の鳥取県の地震は、鳥取県中部を震源地とするマグニチュード6.6(速報値)の地震でした。震源地付近では震度6弱の揺れがあったようです。典型的な断層型地震で、震源の深さは10kmほどです。熊本の地震といい、最近浅いところの地震が多いなぁ・・・。現地では停電や多とものの破損などの被害が出ており、交通機関にも影響が出ているようです。現在(10月21日23時現在)のところ死者が出たと言うニュースはありませんが、8人のけが人が出ているようです。気象庁は余震が1週間は続くと予想しています。大きめの余震が起きる可能性もありますから、地元の避難場所の確認や、火急の際は、すぐに逃げられるように気をつけてください。さて中国地方の中で、鳥取は比較的地震の多い地域になります。昭和18(1943)年の鳥取地震(マグニチュード7.2、死者1083名)や、平成12(2000)の鳥取県西部地震(マグニチュード7.3。比較的規模の大きな地震だったのに死者がゼロだったため、奇跡の地震と言われています)が同地域で起きています。また今回の地震を引き起こした断層帯は、昨年27(2015)年10月頃から小さい群発地震が起きており、14時7分の地震の約2時間前(12時16分)にも、マグニチュード4.2の地震が起きていました。なので熊本の時のようないきなりの地震ではなく、前兆の地震があったという興味深い事例でした。今後の予測ですが、今回のマグニチュード6.6の地震が本震であった場合、これを上回る余震が発生することはありません。また、今回の地震が南海トラフ巨大地震の呼び水になる可能性はありませんし、中央構造線からずれた場所の地震ですから、熊本地震に触発されたわけでも、近畿圏や関東方面面に地震が連鎖する事もありませんし、大山(鳥取県にある成層火山で、一応1万年以上噴火していない山と言われ、現在火山活動は確認されていません) が地震の影響で噴火する可能性もありません。この手のデマや、恐怖を煽るような震災商法がこれからまた出てくると思いますが(昨日阿蘇山に触れたばかりだというのに・苦笑)、皆様どうか、落ち着いて行動して頂ければと思います。それではまた。PS今回の地震と、鳥取県西部地震の震源地を見比べて興味深いなと思ったのは、二つの地震が大山を挟んで平行にある断層であり、どちらも断層が横ずれして起きた地震だったんだなだったんだなと分かった点です。まさか大山を東西の断層が取り合っているわけでないんでしょうけどねぇ。PS2本当は阿蘇山のニュース(悪いニュースというわけではありません)と吾妻山の火口周辺規制解除の話を書こうかなと思っていたのですが、鳥取の地震で予定変更です。なんか今年はこういう事ばっかりな気が・・・。
2016.10.21
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今回の地震でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。また、地震でご苦労をされている皆様に、心よりお見舞い申し上げます。14日に発生した熊本地震は、今日15日も余震が続いています。余震の回数は、朝7時時点で107回、震度6の規模の余震も発生しており、発生件数は「過去最高のペース」という報道もでています。今回の地震は、布田川・日奈久断層帯の交差する益城町付近で起きたようです。動いた活断層の範囲はまだ特定されていませんが、およそ10km位の範囲でずれが生じたのではないかと考えられているようです。今回の地震は規模こそ異なりますが、阪神・淡路大震災(M7.3)と同じ、典型的な直下型地震です。都市の真下で起きる地震の恐ろしさをまざまざと見る思いです。地表の浅いところで起きていることから、余震は1週間程度は続くと想定されています。ただ、余震は本震を上回ることはありませんので、その点はご安心ください。あともう一つ気になる点があります。天気予報を見ると、明日熊本は雨の予想です。地震でゆるんだり壊れた地盤が雨によってさらに崩れ、土石流や土砂崩れを起こす可能性があります。震源地に近い方や山沿いの方、道路の陥没などが近くにあるお住まいの方は、自宅から安全な場所に避難されることを、検討された方がよいように思います。取り越し苦労ならいいんですけどね・・・。ともかく、現地の皆様、十分に気をつけてください。なお昨日からの繰り返しになりますが、今回の地震で、阿蘇山が大規模噴火を引き起こす可能性はほぼありません(小規模な噴火が起きる可能性はありますが、それは地震の影響ではなく、阿蘇山の「通常の火山活動」の結果といった方が正確だと思います)。その手のニュースを見てもあわてず惑わされないようにしてくださいね。それではまた。PS実は今週末、熊本県某所に登山に行く予定でした。一応現地に確認したら、「こちらは被害が出ていませんので、是非いらして下さい」と言われたのですが(でも今日現在は電車は止まっているようですが・汗)、極楽とんぼに登山するのは不謹慎といわれてしまうかなとか、いやいや、風評被害を生まないためにも現地に行って「大丈夫ですよ」とブログで報告させていただくのがいいかなとか、でも被災地に近くに行って現地の皆様の迷惑にならないだろうかとか、いろいろ考えて懊悩中です・・・。
2016.04.15
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本日4月14日21時36分頃、熊本県で震度7の地震が発生しました。震源の深さは約10km、マグニチュードは6.4とのことです。今回の地震は活断層による地震です。位置からすると、布田川・日奈久断層帯のどこかが動いたのではないかと思われます。地震の規模はあまり大きくありませんが(阪神・淡路大震災のおよそ1/30の規模です)震源が浅いことから、震度は大きめです。数日中は余震が続くと思います(大きいものでは震度5レベルの余震も、覚悟しておいた方がいいかと思います)。現地の皆様は十分お気をつけください。津波の心配はないという発表も出ていますので、その点もご安心ください。ですが「君子危うきに近寄らず」です。海辺や河原、水路沿いは念のため近づかない方が無難です。なお、余震が本震を上回ることはありませんので、今回の規模以上の地震が発生する可能性は小さいとみています。しかし、最初の一撃で大きなダメージを受けていて、後刻の余震で建物などが崩壊するというケースはありますので、家周りの確認などにご注意ください(その際、瓦などが落下する場合もありますから、ヘルメットなどを着用された方がいいですね。くれぐれもご注意ください)。もし避難が必要と判断された場合は、最寄りの避難場所などに一時避難をしてください。また避難勧告や、避難指示などが出た場合は、落ち着いて避難してください。現地の皆様にお見舞い申し上げます。PSこれも毎度申し上げておりますが、今回の地震で阿蘇山が大噴火すると言うことはまずありませんので、その点はご安心ください。また何かありましたらブログに書きたいと思います。
2016.04.14
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昨日5月30日20時23分頃、小笠原諸島西方沖を震源地とする地震が発生しました。地震の規模はマグニチュード8.1(速報値は8.5でした)と、かなりの巨大地震でした。私は最初、横揺れが長かったので、東北か新潟あたりの地震だと思っていました。まさか真逆の小笠原だとは、思っていませんでした(汗)。地震規模が巨大であったため、ほぼ日本列島全体で地震で揺れ、異常震域(震源地から遠く離れた場所で大きく揺れること。地盤の状態などによって、地震波が強いまま遠方まで進むことがあると考えられています)も観測されました。震源地の深度も682キロもの深さで、気象庁は本日、マグニチュード8クラスで世界最深の地震と発表しました。この発表に、世界の地震学者がフィーバーしているようです。その理由について、簡単にご説明したいと思います。今回のような地下深くで起きる地震は、深発地震(地下200キロより深いところと起きる地震をさします)。と呼ばれています。深発地震は約670キロ以上の深さになると、地震はほとんど起きないと考えられていました。小笠原の地震は682キロの深さですから、深発地震の限界深度であったことになります。 この事は、気象庁の発表したとおり、「マグニチュード8クラスで世界最深の地震」であり、地質学・地震学に残る貴重な記録だったのです。世界の地震学者が大騒ぎしているのはそのためです。 ちなみに普段起きている地震の多くは、60キロより浅いところで発生し(浅発地震と呼ばれています)、ここまで深いところで地震は滅多に起きません。特に100キロ以上深いところでの地震は、かなり少ないです。直近で500キロを超す深さで起きた深発地震は、平成25(2013)年5月24日に起きたオホーツク海深発地震(USGS(アメリカ地質調査所)の測定によると、マグニチュード8.3、震源の深さは608.9キロメートル。ちなみにこの時、震源地から7千キロ離れたモスクワでも、地震が観測されています)位でしょうか。実に2年ぶりの深発地震と言うことになります。マグニチュード8.1という地震規模から、「津波が来るのでは?」と戦々恐々した方も多くいらっしゃったかも知れませんが、深発地震の特徴として、大きな津波は発生しないという事があります。深発地震は震源地が深く、海底に隆起が発生しないため、津波を誘発しないからです。そのため今回は東日本大震災の時とは異なり、津波はありませんでした(参考までに、東日本大震災の時の震源の深さは24キロです)。またメカニズムの詳細は未解明ですが、余震もほとんど起きないようです。と言うわけで、「また大きな余震が来たらどうしよう」という不安は、取り越し苦労なので気にしなくていいようです。あー、これも絶対週刊誌や日刊紙に書かれたりすると思いますが、口永良部島の噴火が今回の地震を誘発したわけでも、今回の小笠原の地震が、富士山や箱根山の噴火を誘発したり、南海トラフ地震の呼び水になる可能性もありません。そう言った記事を目にしても慌てないようにしてください。しかしまぁ、一昨日は口永良部島の噴火、昨日は小笠原の地震と、イベント盛りだくさんですね。出来れば大地の神様には、今年はこれ以上のお仕事をご遠慮いただきたいところですが、そうはいかないかな(汗)。それではまた。 ※6月1日、深発地震の所の説明の所を一部加筆しました。
2015.05.31
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先日は頭痛の件で、皆様からのお見舞いのコメント、ありがとうございました。今の少し落ち着いてきました。一番酷かったのは月曜日でした。今週もあと2日、頑張りたいと思います。話は変わりますが、昨日2月17日に、東北地方で2度の地震が起きました。一度目は17日の8時18分頃、三陸沖を震源地とするマグニチュード6.9の規模でした。震源地は宮古の東100kmのところ(昨日の発表では宮古市の東210kmと言われていましたが、本日訂正されました)、深さは10kmと推定されています。陸地から距離がある事もあって、震度は大きな所でも4でしたが(盛岡市、石巻市、宮古市など)、震源が浅かったこともあり、気象庁から津波警報と注意報が発表されました(事実20cm程度の津波が観測されました)。その混乱のさめやらぬ17日13時46分頃、今度は岩手県沖でマグニチュード5.7、震源の深さは役50kmの地震が発生いたしました。今度は陸地に近かったこともあって、青森県の階上町で震度5強、岩手県晋代村付近では震度5弱が観測されました。1日の間に相次いでの地震ですから、現地の方々はさぞ驚かれたと思います。しかし人的な被害が出なかったのは、震災の教訓が生かされたからでしょうか。そうならばよい話ですね。さて今回の地震ですが、気象庁は、東日本大震災の余震という見方を示しています。2つの地震になったのも、連動したと言うより、たまたま連続して起きただけとの見解のようです。距離は200km以上離れていますし、震源の深さもかなり違いますから、確かに関係性は低いのかも知れません。ただ、両方とも陸側のプレートが震源地というのは少々気になりますね。気象庁も言っていますが、今後も今回の地震と同程度の余震が起きる可能性はありそうです。現地の皆様はご注意ください。それではまた。
2015.02.18
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先日淡路島で震度6(M6.0)の地震おきましたが、今日は三宅島で震度5(M6.2)の地震・・・。また最近、地震のニュースが多くなってきましたね。海外でもイラン・アフガニスタン国境付近でも地震が起きて、大きな被害が起きているようですね。今年も大地の神は勤勉ですねぇ。ちっとは仕事さぼれや。三宅島は、火山活動が活発な火山島として有名ですね。私もいつか行って見たい山の1つです。観測体制が整いはじめた20世紀中盤以降の、三宅島の噴火活動をみてみると、1940年(昭和15年)、1962年(昭和37年)、1983年(昭和58年)、2000年(平成12年)に噴火しています。噴火の間隔は、おおよそ20年ぐらいのサイクルとなっていて(ただし最後の2回の噴火は、間隔が17年と短かったため、世界中の火山学者から、「フライングだぞ!」「普段どおり、あと3年大人しくしていればいいものを!」とケチをつけられました(笑)。まぁ、完全に噴火周期を予測することは難しいと言うことですね)、20~30年周期で噴火している北海道の有珠山と同様、噴火予測の研究が進んでいる山でもあります。さて、今回の三宅島の地震ですが、気になるのは雄山(775メートル。前は814メートルでしたが、2000年の噴火で陥没し、標高が小さくなりました)の火山活動です。今のところ、大きな噴火活動に繋がる兆候は出ていません。噴火周期からしても、あと7年ぐらいは噴火しない・・・かも?(疑問系)ただ、東日本大震災以降、噴火や地震のサイクルが微妙にずれていますからね。大丈夫と安心してしまうのは問題かも知れません。これ以上大きな災害が起きないことを祈りたいですね。それではまた。PSブログ書いていたところ、宮城県で震度5(5.8)の地震が起きたようです。津波の危険はないようですが、余震が心配ですね。本当、大地の神様、仕事さぼってちょうだいよ・・・。
2013.04.17
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今日の朝、PCをつけてニュースを見たら、「淡路島で震度6の地震」という見出しを見てビックリしました。地震が起きたのは5時33分ということですから、地震発生時間は阪神・淡路大震災(1995(平成7)年1月17日午前5時46分)と13分違いいとうことになります。ニュースでも、「阪神・淡路を思い出した」というコメントがありましたが、時間的に本当に彷彿とさせますね。ただ今回は死者は1人も出ることなく、地震の規模も1/40位の規模だったのは幸いです。ただ家などに被害がでたり、怪我をされた方もいらっしゃるようですね。被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。震源地は淡路島にある野島断層の南側のようです。野島断層は阪神・淡路大震災を引き起こした断層でもあります(この時は野島断層の北側で起きました)。同じ断層が地震を引き起こしたと言うことで、阪神・淡路大震災の余震なのか(阪神・淡路大震災は18年前の地震になりますが、広義においては余震の可能性もあります)、それとも新しい地震活動なのかは、専門家でも意見が分かれているようです。引き起こしたと言うことで、阪神・淡路大震災の余震なのか(阪神・淡路大震災は18年前の地震になりますが、広義においては余震の可能性もあります)、それとも新しい地震活動なのかは、専門家でも意見が分かれているようです。ただ、大きな余震が起きる可能性はとても高いですから、当分は気をつけた方がいいですね。日本では地震は他人事ではありません。いつ自分の住んでいる街の下に眠っている活断層が動いて大地震を起こすかわかりませんから、地震に遭遇しても、冷静に対応できるよう普段から心構えを持ちたいですね(などと言っている私が、一番トリ乱したりして・笑)。それではまた。
2013.04.13
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今日は出張の日です。仕事終わった後、久々実家に泊まることにしたので、そのまま出先でブログ書いています。母鳥の体調(主に精神面の)に少々危機感を抱きつつ(受け答えを見ていてビック病ではないかという疑念と、単に年取ってわがままなっているだけかなという感じでいろいろ考えてしまいました)、ともかく実家で、のんびりと過ごそうかと思っていら、インドネシア、スマトラ島沖で、マグニチュード8.7の地震が発生しというニュースを見てびっくりしました。またもや魔の11日ですね・・・。震源は同島北端の都市バンダアチェの南西約495キロメートルだそうで、AFP通信によると、インドネシア当局は、スマトラ島西岸と付近の島々に津波警報を発令したようです。津波の恐れはインド洋側に集中しており、インドでは同国の東部沿岸とアンダマン諸島に、タイでは南部の沿岸に津波警報が発令されたようです。また大きな余震も続いているようです。かつてのスマトラ地震の悪夢再びにならないといいのですが・・・。ともかく大きな災害にならないことを祈りたいと思います。それではまた。
2012.04.11
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今年はもう「また災害が起きました」という話はしたくないのですが、昨日10月23日に、トルコでマグニチュード7.2クラスの地震が発生しました。現時点(24日20時時点)すでに死者は264名を超えており、なお死傷者が増加する見通しが伝えられています。日本では余り知られていませんが、今回地震の起きたトルコは、ユーラシアプレート、アラビアプレート、アフリカプレート、アナトリアプレートの4つがせめぎ合いをしている地域で、日本同様地震の多発地帯です。火山も聖書で出てきて有名なアララト山(標高5137メートル)があります。亡くなった方、被害にあった方々には心からお悔やみを申し上げたいと思います。災害と言えば、タイも洪水が深刻で、首都バンコクではすでに10万人に避難勧告が出ているようです。どちらを向いても今年は災害の年ですね・・・。 今から来年の話題は鬼に笑われそうですが、笑われてもいいから平穏であってほしいなとしみじみ思います。 それではまた。
2011.10.24
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明治三陸地震の37年後におきた昭和三陸地震(昭和8(1933)年3月3日)を見てみたいと思います。一言で言えば、タイトルの通り、教訓が生かされなかった事が大きな被害に繋がっています。しかしなぜ教訓が生かされなかったかは、今回の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)の復興に際しても生じかねない問題が含まれていることが感じられます。明治三陸地震後、地震の被害よりも、津波での被害が多かった沿岸集落では、高台に住居を避難させるなど津波被害を教訓にした集落の再建にあたっています。しかし三陸沿岸地域の住民の多くは漁師など漁業関係者でした。高台の住居は不便で不都合な点も多く、津波が来れば危険だとわかっていても、やはり住み慣れた我が家(多くは津波で土台しか残っていない家も多かったでしょうが)を捨てて、目と鼻の先とはいえ居を移すことに抵抗を感じる気持ちは強かったようです。今回の震災でも、多くの被災された方は「自分の家に住みたい」「自分の育った街から出たくない」というお気持ちを抱いている方が多いのと共通した意識なのでしょうね。他の災害の事例などを見ても感じますが、特に日本人は土地への愛着を強く抱く傾向が強いように思います。例え家族を失い、家を失ったとしても、元の自分の済んでいた場所に住居を再建して住みたいという思いと、仕事をする上で不便な高台の生活を嫌って、再び住民の多くが、元の海岸部に住居を再建して住むようになってしまいます。そのため、明治三陸地震から10年もする頃には、被災前と変わらぬ集落が再建されています。当時の国や県も、住民が海岸部に戻ることに関して、適切な指導はしていません。また現代であれば防潮堤を作るなど、災害対策を講じる話は出てきますが、そういう話もありません。よく言えば住民の意向を尊重したと言うことなのかも知れませんが、災害復興に無関心だったと誹りを受けても仕方ないでしょうね。富士山宝永噴火は島原大変時の、先人の業績は忘れ去られていたのかもしれません。もちろん元の集落を再建した住民は、震災の記憶を忘れ去ったわけではなく、「津波てんでんこ」の代表される伝承は息づいています。さらに明治三陸地震の教訓を取り入れた新しい伝承が作られ広められていきますが、皮肉なことにそれが昭和三陸地震において犠牲者を増やす一因になってしまいます。新しい伝承の内容は、「津波が来る前におきる地震は弱い」「大津波が来る時は引き潮が無いので、潮が引いた時は大丈夫」と言ったものであったと言われています。驚愕するような誤った話ですが、それだけ明治三陸地震のインパクトが強かったのでしょうね。似たような誤った伝承で犠牲者が増えてしまった事例としては、前にチラッとブログで触れたことがある日本海中部地震(昭和58(1983)年5月)の時、「地震の時は山崩れが起きるから山に逃げてはいけない。広い海岸に逃げるように」という誤った言い伝えから(もちろん言い伝えの通り地震の際山崩れで死傷者が出た事例は過去にあったようです)、遠足で加茂青砂海岸に来ていた町立合川南小学校(現・北秋田市立)の引率教諭と児童は海岸に避難したため、津波の直撃を受けて児童13名が死亡する惨事になっています。明治三陸地震から37年後にあたる昭和8(1933)年3月3日午前2時30分、マグニチュード8.4の地震が前回と同じく三陸沖約200キロメートルの海底で発生します。今回は、陸地でも震度5クラスの揺れが観測されたため、深夜の三陸沿岸地域は大混乱に陥ります。地震発生が深夜であったこと、また「津波が来る前におきる地震は弱い」という誤った教訓を信じて、避難を躊躇う者が多かったと言われています。そして夜の闇の中、再び大津波が三陸沿岸集落に押し寄せてきます。被害は、死者・行方不明者3064名、負傷者1万2053名、家屋全壊7009戸、流出4885戸、浸水4147戸、焼失294戸に及んでいます。水が引いた後、三陸沿岸地域は、明治三陸地震後の惨状とまったく同じ光景が広がることになりました。内容を見てみると、前回と同様、津波の最大遡上高は岩手県気仙郡綾里村(現在の大船渡市)では28.7メートルを記録し、一番被害の大きかったのも岩手県の下閉伊郡田老村(現在の宮古市)であることも同じでした(田老村はこの時人口1798人でしたが、死者・行方不明者は763人に上り、再び人口の42パーセント弱を失っています)。また地震による被害よりも津波による死傷者が多かった点も同じでした。災害時、世界は昭和4(1929)年10月24日にウォール街大暴落に端を発した世界大恐慌の最中にありました。日本も昭和恐慌に苦しんでいました。特に東北地方は凶作の影響もあって被害は甚大で、昭和三陸地震がそれに追い打ちをかける結果になりました。こんな中被災地の復興に主導的な役割を果たしたのが、高橋是清蔵相の政策でした。是清は、東北の経済振興のため特殊会社を創設して対応すると共に、被災地に大規模な公共事業をおこないます。大胆な財政出動をおこなうことで、職を失った人達や巷にあふれる失業者を雇用して、被災地の再建、産業の育成を図ったのです。この方法は20世紀を代表する経済学者J.M.ケインズが後に主張する経済論ですが、この時点ではまだケインズは経済理論を構築出来ていません。理論より先に是清が実経済で実行している点は、彼の驚くべき手腕を物語っていると言えそうです。余談ですが、高橋是清の有名な逸話としては、昭和恐慌のはじめに発生した金融恐慌(対応を間違えば、通貨としての円は崩壊する寸前になりました)を、印刷が間に合わず片面だけ印刷した200円札を大量に銀行に供給することで、取り付け騒ぎを沈静化して、わずか3週間で収束させる荒技をやってのけています。また二度の津波被害で大打撃を被った岩手県、宮城県の行政は深刻に受けとめています。明治の時はともかく、昭和8年の時は、行政が事前に適切な指導をして対策を講じていれば、被害を小さくすることは出来た可能性が高かったからです。宮城県では、昭和三陸地震の約4ヶ月後、「海嘯罹災地建築取締規則」を公布・施行し、津波被害の可能性がある地区内に建築物を設置することを原則禁止として、住宅を建てる場合には知事の認可が必要という条例を作っています。もちろん違反者には罰則も規定された内容です。岩手県では、条例は作られませんでしたが、防潮堤や防波堤の整備、まだ沿岸地域約3000戸の高台への移転が主導されます。特に二度の大津波で甚大な打撃を受けた田老村では、海抜10メートル、総延長2433メートルに及ぶ巨大な防潮堤が築かれました(完成は途中戦争などの中断を挟み昭和57(1982)年になります)。この巨大防潮堤は、昭和35(1960)年のチリ地震の際発生した大津波(最大6メートル)でその威力を発揮して、一人の犠牲者も出さない事に成功しています。東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)では、想定以上の大津波のために破壊され、宮古市(旧田老村)は大打撃を受けてしまい、役に立たなかったという内容の報道も見えけられますが、それは酷評だと思います。巨大防潮堤は津波の進攻を少なくとも6分以上遅らせ、千人単位の住民が避難するための貴重な時間を稼ぐ事に成功しました。たかが6分と思う無かれ。津波から避難する際、1分1秒が生死の分かれ目です。そのことを認識した上で見た場合、6分は命の重さそのものの時間だったと言えそうです。一方でこの巨大防潮堤を過信して、避難しせず津波にのまれた方もいたようですが、それは誤った教訓説話と併せて、人間側の問題なんでしょうね・・・。
2011.05.14
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第1陣の津波が三陸の村々に押し寄せたのは、地震発生から約35分後の明治29(1896)年6月15日午後8時7分頃の事だったと思われます。恐らく多くの人々は避難する暇もないまま、波にのまれたと思われます。この時も1度目の津波より2度目の津波の方が高く、岩手県気仙郡綾里村(現在の大船渡市)では38.2メートルを記録しています。これは今回の東日本大震災で宮古市の重茂半島に38.9メートルの津波が記録されるまで、日本最大規模の津波遡上高です。「一族郎党、或いは友人知人が集いあって酒盛り中の家、結婚式を挙げている家、男たちが三々五々集まって来て博打に夢中になっていた大網の番屋、中には胸に勲章を下げた凱旋兵士を迎えて祝賀大会を催している町もありしまた。そんな最中に、突如、表のほうでドドォーンという大きな音が二三度しました。あれっ、何だろう、人びとがそう思ったときには、もうバリバリと、家々を蹴り倒すような勢いで、山のような大波がおし寄せ、直撃されてしまいました。たちまち三陸海岸の村々は、人も家も舟も、すべてが狂瀾怒濤によって捲きつくされ、阿鼻叫喚の巷となってしまいました。わずか30分から1時間ぐらいのことでした」とは、三陸出身の作家で津波研究家である山下文男氏の著書『写真と絵で見る-明治三陸大津波』にある解説の一節です。余談ながら山下文男氏は陸前高田市の県立高田病院に入院中、今回の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)に遭遇しておられます。病院4階で、首まで水につかりながら夢中でカーテンにしがみついて助かったとの事で、まさに危機一髪な話ですね。伝わっている明治三陸地震の逸話は次のようなものがあります。宮城県本吉郡歌津村(現在の宮城県南三陸町)のある家では、この時結婚披露宴が行われていた。津波が押し寄せたのはちょうど花婿花嫁が三三九度の杯を上げているところで、花嫁、親兄弟、親戚や知人など来客すべて死亡し花婿1人だけが助かった。しかし惨劇の衝撃から花婿は精神を病んでしまった。岩手県下閉伊郡重茂村(現在の岩手県宮古市)の漁師4人は、沖に漁に出ていたため、地震も津波も知らなかった。夜になり港を帰ろうとしている時、海面に家の残骸が流れてきて、人の声がするので、「これは船幽霊(海の怪異で水難事故等で亡くなった亡霊と言われています。各地でバリエーションがありますが、大雑把に言えば船を沈めて海へ引きずり込もうとすると言われています)に違いない。声を掛けたら海に引きずり込まれる」と、船の中にこもって戦々恐々としていると、「俺は町の助役だぞ!」という声を聞いて、ようやく船幽霊ではなく生きた人間の漂流者が助けを求めていることに気がつき、慌てて救助をはじめた。 といった逸話があります。その他にも「海抜30メートルぐらいの高台にあった家の軒先に昆布がぶら下がっていた」「海から20メートルぐらい高いところにあった畑の中に20トン以上の大石があった」「集落には家の土台しか残っていなかった」「漁に出ていた船は、家々の残骸と遺体の山を縫うように港に入った」「漂流する遺体を収容するため、地引き網を使った」と、津波の威力をまざまざと見せつける逸話が伝わっています。政府の反応ですが、大津波の来襲した翌6月16日午後3時、災害発生の電報は東京の内務省に届き、板垣退助内務大臣はその旨を明治天皇に上奏するとともに、各省に緊急連絡して本格的な救援準備に着手しています。明治天皇は、侍従東園基子爵を慰問使として派遣しています。被災地に一番近い仙台の陸軍第二師団からは、津波の報と同時に多数の軍医を伴った部隊を災害地に急行させ、人命救助と治安維持に活動しています。時の師団長はかの有名な乃木希典中将ですが、彼は司馬遼太郎氏の小説『坂の上の雲』などの影響で、世間では軍人としての評価は今ひとつですが、実際には水準以上の能力を持った軍人だったと、再評価の動きが近年進んでいます。ここでは有能な手腕の一端を発揮しています。その例として、医師と同時に工兵隊を出動させています。工兵隊はその名の通り、道路や橋を造ったり大規模な野戦陣地を構築する専門の兵科ですが、インフラの復旧、死体処理などが多くなることを見越しての指令でした。また日本海軍は艦艇を3隻派遣して、海上に漂流している死体の捜索にあたっています。このあたりも今回の震災で海上自衛隊と米海軍の艦艇が多数展開して、漂流者や遺体収容に活躍しているのは記憶に新しいと思います。ただこの頃は東日本大震災で活躍した強襲揚陸艦や輸送艦といった、港湾施設がないところでも迅速に荷下ろしが可能な艦種がなかったため(そういう発想自体当時はありませんでした)、破壊された港に入港して食糧物資を届ける任務はこなせませんでした。このほかにも、日本赤十字や福島赤十字支社、看護婦会から派遣された医師、看護婦、看護人たちは被災地入りして治療に奔走しています。明治三陸地震の被害をまとめた『三陸海嘯岩手県沿岸被害調査表』には、恐ろしい数字が並んでいます。・岩手県下閉伊郡田老村(現在の宮古市) 人口2248人中死者1867人(死亡率83.1パーセント)・岩手県気仙郡唐丹村(現在の釜石市) 人口2534人中死者1684人(死亡率66.4パーセント)・岩手県気仙郡綾里村(現在の大船渡市) 人口2251人中死者1269人(死亡率56.4パーセント)・岩手県釜石町(現在釜石市) 人口6986人中死者3765人(死亡率53.9パーセント)と、田老村に至っては80パーセント以上、他の村では50パーセント以上の住民が死亡したことが伝えられています。地震全体の被害は死者21915人、流失家屋9878戸、船舶流失6930隻という凄まじいものとなっています。被害が大きくなった理由は、前編でも書きましたように、津波の前兆現象(地震の揺れ、引き潮)がほとんど無く、無警戒のまま津波の直撃を受けた事が一番でしょう。また沿岸部に防波堤がなかったことも、被害の拡大に繋がりました。地震津波の前兆現象、避難対策など、多くに課題を残した明治三陸地震でしたが、残念ながら教訓は生かされませんでした。村々はその後復興しますが、37年後、昭和三陸地震(昭和8(1933)年3月3日)で再び三陸の村々は津波にのまれることになってしまいます。
2011.05.07
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さて今回の被災地に重なりますが、三陸沖を襲った最大規模の地震と津波である明治三陸地震(明治29(1896)年6月15日)について見てみたいと思います。・・・また長くなりそうです。東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で大きな被害を受けた三陸地方は、昔から津波被害の多い地域でした。せまい湾が複雑に入り込んでいるリアス式海岸は、一端津波が来襲すると湾の奥に進むほど波は高く、その分被害が大きくなります。陸前高田市や南三陸町などの惨状を見て、納得される方も多いのではと思います。またこれも今回の震災での被害と結びついて興味深いのは、中学校などでひとくくりに三陸はリアス式海岸と教えられていますが、成立過程はまったく異なります。岩手県側の三陸北部・中部の海岸は陸地が隆起して出来たのに対して、岩手県南部・宮城県北部のリアス式海岸は陸地が沈降して現在の海岸が誕生しています。実際宮城県で地盤沈下がおきているというニュースが流れていますが、今回の震災だけの特別な現象ではないのです。今まで三陸で起きた津波をまじめに詳細に書いていると、本一冊は楽に書けてしまうと思いますので、簡潔に見てみたいと思います。記録上最も古いのは、前にブログで書いたことがある貞観地震(貞観11(869)年)です。その後も、江戸時代初めの慶長三陸地震(慶長16(1611)年10月28日(旧暦))では、死者1783名(仙台伊達藩62万石のみの被害。隣接する盛岡南部10万石、弘前津軽4万7千石も合わせると死者3000人以上と推定されます)を出し、延宝5(1677)年には宮古、大槌で流出家屋70戸を出す津波が来ています。そんな津波の多い土地がらを反映して、「津波てんでんこ」という言い伝えも残っています。これは津波の時は、周りにはかまわず、てんでばらばらに逃げて自分だけでも助かれ。逃げている時は家族のことを気に掛けるなという、一見すると非情な伝承です。津波は初めに来るものが一番大きな津波というわけではありません。2度目、3度目の方が大きいことはよくあります。今回の東日本大震災でも2度目の方が大きい津波でした。津波災害の時よくあるケースが、1度目をなんとか無事に乗り切り、家族を捜しに海辺に戻った所に、二度目の津波にのまれてしまうケースです。これではせっかく助かった命を無駄にしてしまうことになります。ですから、まずは自分が助かることを考えろ。生きていれば家族にまた会えるのだから家に戻って家族を捜そうなどと考えるなと、そう教えているのです。つまりこの伝承は、津波で大勢の家族や隣人を失った先人の血と涙が詰まった教えなのです。地震であれ津波であれ、おきる日、時間帯によって、被害の強弱は顕著に変わります。例えば大正関東大震災(大正12(1923)年9月1日)も、発生時刻が正午近くであったため都内100カ所以上で火災が発生し、約2日間にわたって燃え続けました。10万5千人と言われる震災死者の大半が火災によるものであったことは(特に有名なのが本所陸軍被服廠跡地では避難民3万8千人が同日夕刻発生した火災旋風によって数分間で焼け死んでいます)、災害発生時間帯の影響の大きさを物語っています。そして明治三陸沖地震の場合ですが、発生した日、時間帯、いずれも最悪のタイミングであったため、被害が大きくなった災害でした。明治三陸地震がおきたのは、明治29(1896)年6月15日午後7時半頃のことです。この日の三陸沖の村々は、端午の節句の祭りで賑わっていました。・・・て、「端午の節句は5月5日だろ」と気がついた方正解です。しかしここで言う6月15日は新暦上の話であって、旧暦では5月5日だったのです。地球の動きを科学的に見れば新暦(太陽暦)の方が正しいのですが、農業をされる方にとっては旧暦(旧暦)の方が便利で、当時は農村では旧暦が標準でした。明治改暦によって太陽暦に変わってからまだ24年あまりでしたから、浸透していなかったのです。さらに節句の祭りに花を添える出来事がこの時三陸の村々でもありました。それは前年に勝利を収めた日清戦争を出征した兵士達が復員してきたのです。村々では、兵士達の凱旋を祝い、勝ち戦でもあったことから、浜辺で節句の祝いと祝賀会とで大いに盛り上がっていたのです(もちろん出征兵士たちのを囲んだ祝賀会は日本各地でおこなわれていました。ただ三陸沖では結果的にこれが被害を拡大させる原因になってしまいます)。恐らく宴が盛り上がっていただろう午後7時半頃、三陸沖約200キロメートルの海底で、マグニチュード8.2~8.5クラスの地震が起きました。しかしこの時点で地震に気がついた人はほとんどありませんでした。距離が遠かったこともあって、陸地では震度2から3程度の揺れしかなかったのです。さらによく津波間際におきる引き潮もこの時はありませんでした。これはこの時の地震が、断層破壊のスピードが遅く非常に時間が掛かって壊れたため、マグニチュードの割に揺れが小さく、急激な引き潮もおきなかったのです。こういう地震は俗に「ぬるぬる地震」と呼ばれています。今回の東日本大震災と比較してみると、被災された方の証言がニュースで流れていますが、引き潮を見たという話はほとんど聞かれていません。また「揺れが長かった」と感じられた方は多かったのではないでしょうか? これは「ぬるぬる地震」特有の現象です。東日本大震災では地震の揺れが2分以上続きました。この明治三陸地震では震源地に一番近い宮古測候所では、5分間近い揺れを観測しています。三陸沖では、上の「津波てんでんこ」だけではなく、「地震を感じたら高台に避難すること」「急な引き潮が来たら津波が来る」という科学的にも正しい伝承が伝えられていましたが、この時はいずれにも当てはまらないケースでした。そのため浜辺で騒いだり、村の家々で節句を祝う人々の中で、津波の到来を予見できたものは皆無に近かったと言ってよいでしょう。まったく無防備なまま三陸沿岸の村々は、津波の直撃を受けることになってしまいます。次、後編に続きます。
2011.05.05
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東北地方太平洋沖地震が起きた後、その類似が指摘された地震があります。今から約1140年前に起きた貞観地震(貞観11(869)年5月26日。マグニチュードは推定8.3)です。貞観地震については、まだ不明な点が多いです。これは「富士山噴火史2」でも書きましたように、当時の朝廷は東国に関しての関心が薄くて文献資料が少なく、地質調査もまだこれからの段階のためです。しかし少ないながらも記録された文献の内容は、今回の震災と驚くほどよく似ています。三陸地震は数十年から100年程度の周期で起きていますが、その内約450~800年位の間隔で起きる地震は、大津波を伴い、三陸沖から茨城県沖までの広域を震源域とする強力な地震を引き起こしていたと推定されています。この貞観地震の時も、今回の東北地方太平洋沖地震と同様、三陸沖から茨城県沖までの広域が震源域だった可能性が高いと考えられています。貞観地震に関しては、2000年代に研究者が再発の危険性に気づき、2009年には東京電力に警鐘をならしていたのもかかわらず、何の対策も講じられていなかったという批判が新聞などに出ていたので、ご存じの方もいらっしゃるかと思います。私も東電の認識は甘かったと考えていますが、この問題についてはそれ以上の批判はするつもりはありません。これは私見ですが、東電が地震と津波のリスクを軽視した事は大きな問題ですが、それ以上に問題なのは、電力がすべてダウンして設備が半壊した状況で、原子炉の制御をどうするかという最悪のパターンを想定していなかった方が、致命的な失態だと考えているからです。リスク管理とは常に最悪のケースを想定しなければ意味がないのです。1000年周期の大津波に関しては想定外だったという主張は言えるかも知れません。しかし原子炉を制御できない事態を想定外とは言い訳できないのです。厳しい意見のように思われるかも知れませんが、それが核燃料を扱う企業・組織の責任だと私は考えています。それはさておき、この貞観地震がどのようなものであったかを見てみたいと思います。『日本三代実録』(清和天皇、陽成天皇、光孝天皇の三代、天安2(858)年8月から仁和3(887)年8月までの記録を編纂した歴史書)には以下の記述があります。「廿六日癸未。陸奥國地大震動。流光如晝隱映。頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。城(郭)倉庫。門櫓墻壁。頽落顛覆。不知其數。海口哮吼。聲似雷霆。驚濤涌潮。泝●漲長。忽至城下。去海數十百里。浩々不弁其涯諸。原野道路。惣為滄溟。乗船不遑。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉」 ※●部分は、「?」に「回」 「貞観11年5月26日、陸奥国(現在の青森県・岩手県・宮城県・福島県)で大地震があった。稲妻が昼のように光り、人々は泣き叫び、倒れて立つこともできなかった。ある者は家屋が倒壊して圧死し、ある者は裂けた地面に埋もれた。牛馬は驚いて走り出し、城郭、倉、門櫓や墻壁が無数に崩れた。雷鳴のような海鳴りが聞こえて、長大な波が湧き起こり、たちまち城下に至った。海から数十百里離れたところまで、広大な範囲が波に襲われた。野原も道路もまったく分からなくなった。船に乗って逃げる時間もなく、山に逃げるのも難しく、1000人あまりが溺れ死んだ。津波の後には苗一つ残らなかった」という意味になりますでしょうか。固有名詞を置き換えれば今回の災害のことかと思うほど、描写が似かよっている事に気がつきます。ここで出てくる城下とは、当時陸奥国の国府・鎮守府の置かれた多賀城(現在の宮城県多賀城市)です。実際記述どおり、多賀城周辺では濁流で道路が破壊された遺構が発見されており、大きな被害があった事が窺えます。貞観地震の犠牲者の数は、『日本三代実録』には1000人と記載されています。今回の震災での犠牲者数と比べて少ないと思われるかも知れません。当時の日本の正確な人口は不明ですが、多くて500~600万人位と思われます(この時代より500年ぐらい後の鎌倉後期で人口800万人ぐらいですから、それより多い事はないでしょう)。当時の人口を600万人と仮定して人口比率から考えれば、現代人の感覚で約2万1千人の犠牲者が出ていたと言えます。今回の東北地方太平洋沖地震の犠牲者数(4月20日時点)と比べて大差無い事がわかります(今の人口は当時の約21倍の約1億3千万人として、人的被害規模も約21倍になった想定から単純計算)。またこの時も50センチ以上の地盤沈下が発生して、多くの田畑が海に沈んだ事が記録されています。いかに東国が当時の朝廷の関心が薄かったとしても、これほどの惨状でしたから記載が残されたのも当然だったでしょう。ただ残念なのは、余震についての記述がなく、貞観地震の前後にどのぐらいの規模の地震が、どの程度の期間続いたかが不明な点です。またどのような段階をえて復興を遂げていったかも記録がありません。この辺がやっぱり東国への関心の薄さを感じますが、朝廷も地震について関心がなかったわけではなく、祇園で慰霊祭が行われ(一説には祇園祭の始まりになったと言われています)、翌貞観12(870)年の高等官吏試験には「地震について論ぜよ」という内容が出題されています(ちなみにこの年高等官吏試験を受験して合格し、正六位上に昇進したのがかの学問の神様菅原道真です)。余震の記録があれば、今回の震災で避難生活を送っていらっしゃる方に、ある程度の避難時期の目安もつけられるのですが・・・。またもう一点、個人的に気になっている点があります。それは富士山噴火との関連性です。富士山の噴火に関しては、東海・東南海・南海の3つの地震との関連性が前から指摘されていますが、太平洋側、北アメリカプレート上で起きる巨大地震との関係も考慮すべきかも知れませせん。前に拙ブログ「富士山噴火史5」(コマーシャル1)で・元禄16(1703)年11月 元禄地震・・・マグニチュードは8.1位。震源地は千葉県野島崎で、北アメリカプレート側で起きた地震(余談ですが、この地震の後、富士山が鳴動したと伝えられています)・宝永4(1707)年10月 宝永大地震・・・マグニチュードは8.4~8.7位で3カ所同時にほぼ地震が発生したタイプ(宝永タイプと言われています)の東海・南海・東南海連動型地震・宝永4(1707)年11月 富士山宝永大噴火となった事を簡単に書きましたが、この貞観地震の時はどうだったかというと、・貞観6(864)年5月~7月 富士山貞観大噴火(詳しくは拙ブログ「富士山噴火史3」を見てね。コマーシャル2)・貞観11(869)年5月 貞観地震・・・マグニチュードは8.3位・仁和3(887)年7月 仁和南海地震・・・「南海」とついていますが、宝永タイプの東海・南海・東南海連動型地震だったと考えられています。マグニチュードは8.0~8.3位。となっています。江戸時代のそれは、元禄地震から宝永噴火までが約4年で起きており連動している可能性が高そうですが、貞観期のそれは富士山噴火から仁和地震まで17年間があって、必ずしも連動しているとは言い難い感じです。軽率な判断は危険ですが、現在の所関係があるとも、無いとも言い難い感じです。今後の研究の進展を待ちたいですね。
2011.04.20
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