あま野球日記@大学野球

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2007.08.15
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テーマ: 高校野球(3735)
カテゴリ: 高校野球
一昨日、延長の末に初戦敗退した常総学院高。
持丸修一 監督が引責辞任し、 木内幸男 氏が現場復帰する
というニュースを日刊スポーツで偶然に知った。

京都外大西高と接戦の末、延長で敗れた後にこの人事が
発表された。

京都外大 000 000 000 122 =5
常総学院 000 000 000 120 =3

この試合を振り返って、 木内

「(いまの常総学院は)甲子園に出ることが精一杯のチーム、
甲子園で勝てるチームになっていない。エース・ 清原大貴 投手
を最後まで引っ張る監督の采配はおかしい、優しすぎる。
甲子園で勝ち続けるためには、非常な采配も必要」。


一方の 持丸修一 監督。

「私ではなく、もっと有能な監督なら清原投手を引張ること
はなかったろう。2年連続で初戦敗退した責任をとらねば
ならない」。


投手起用や采配について、「もっと有能な監督なら」という
持丸氏の言葉が木内氏を指すようで、その発言から二人の
争点が垣間見える気がする。

持丸修一 氏。
1948年生まれの 団塊世代
高校時代、茨城・竜ヶ崎一高では二塁手として甲子園に出場。
大学卒業後、母校の監督に就任し90、91年夏に連続して
甲子園出場。その後、同じ茨城の藤代高の監督として01、


03年秋から常総学院高監督に就任。
持丸監督になって3年ぶりに出場した昨夏の甲子園は初戦敗退。
今年は 「最低ベスト8以上」 がノルマ(?)だった。




駒大苫小牧高 香田誉士史 監督も初戦で広陵に逆転負け。
史上初の4年連続決勝進出の夢が絶たれたことで、勇退を表明した。

田中将大 (現・楽天)が卒業時、
「駒苫高時代は、天国と地獄を経験した」 と言っていたが、
監督だった香田氏にとって、不祥事や出場辞退などの「地獄」の
心痛は相当なものだったろう。

香田氏、師である駒澤大・ 太田誠 前監督の推薦で、95年に駒大
苫小牧高の監督に就任した。当時は野球部とは名ばかりの荒れ放題
の部であり、太田氏からいただいた「 放下着 」という言葉を胸に
立て直しをはかり、数々の栄冠を得た。

失意(?)の中で辞任する上記の持丸氏とは違い、香田氏の場合は
「勇退」。次の進路もすでに決まっているんだだろうか。ひょっと
して、 次は本丸の駒澤大監督就任含みでの進路を進むのかな?


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Last updated  2007.08.15 10:35:26
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