さきほどフジテレビ系『すぽると』を見ていた。番組中、「アスリートたちの
成人式」というコーナーがあり、成人式を迎えたアスリートたちの人気ラン
キングが報じられていた。
1位 田中将大
(現・楽天、駒大苫小牧高)
2位 斎藤佑樹
(現・早稲田大、早稲田実)
3位 坂本勇人
(現・読売、光星学院高)
「3位・坂本」の名を聞いて、ボクは光星学院高時代のチームメイトだった
現・國學院大の 村松伸哉
のことを思い出した。07年、村松は大学入学早々
に東都・春季リーグ戦では開幕投手を務め華々しいデビューを飾った。しかも
同年行われた日米大学野球では斎藤佑樹と2人、1年生ながら日本代表チー
ムに選出され、斎藤佑樹を押し退けてMVPを獲得するほどの逸材だった。
ところが2年目(08年)に突然つまずいた。春季は「投げれば負け」が定着し、
秋季はわずか3試合だけリリーフでマウンドに立っただけだった。「2年目の
ジンクス」と言ってしまえば簡単だけど、なぜそうなってしまったのか今をもって
ボクはその理由を知らない。
何らかの理由があるのだろうけれど、長身から投げおろす速球やスライダーで、
ビシバシ相手打者を打ち取る雄姿を再び見せてほしいものだ。
村松伸哉、 動画
は2種類あります。
(1)2007年7月「日米大学野球」は こちら
。
(2)2005年7月「夏季青森県大会・決勝、対青森山田高戦」は こちら
。
村松伸哉
。
高校2年生の時に甲子園を賭けて、青森山田高と決勝戦を戦った(上記2)。
背番号「18」をつけた村松は3番手で登板したが、結局甲子園へのキップを
手に入れることはできなかった。
チームメイトには4番の主砲・坂本勇人や、エース・ 桑鶴雄太
(現・東北福祉大)
がいたし、相手の青森山田高にはエース・ 柳田将利
(元・ロッテ)や主将だった
加守田隆介
(現・青山学院大)がいた。
そして翌06年、高校3年生の時、センバツ甲子園に背番号「10」をつけて
出場が叶ったが、一回戦で ダース・ローマシュ・匡
(現・日本ハム)を擁する
岡山・関西高と対戦し4-6で敗退した。
■ボクが村松の名を知ったのは07年6月のこと。翌7月に開催される日米大学
野球の日本代表メンバーに村松の名前を見つけた。だけど國學院大・村松
とはいったいどんな選手なのか、その時は全く知らなかった。
→ 「日本代表エースへ、村松伸哉」(2007.6.25)
■日米大学野球ではMVPを獲得した。「斎藤はスライダーなど変化球を主体に
ボールゾーンで勝負するのに対し、村松は直球の角度とキレがあるため、スト
ライクゾーンで勝負ができる」との評価も受けた。斎藤佑樹に強烈なライバル心
を持つ村松にとっては最高に嬉しい言葉ではなかったろうか。
→ 「MVP獲ったぞ、村松伸哉」(2007.7.10)
■187センチ、77キロ。最大の武器は、長身から繰り出す剛速球。今春の東都
大学リーグ戦では同リーグ史上最速となる153キロをマークした。 竹田利秋
監督
は「(宮城・東北高での教え子だった元マリナーズの) 佐々木主浩
に通じる思考力
を持っている。順調に育てば大きな花を咲かせてくれると思う」と、村松に期待した。
→ 「斎藤佑樹、村松伸哉。開幕!」(2007.8.30)
■07年秋季、対東洋大3回戦の9回に事件が起きた。村松の投球を東洋大の
打者が空振りした後に、(打者の足に)球が当たった。当然ストライクをコールされ
るはずが、なぜか「デッドボール」の判定。それを聞いた村松、マウンド上で激高
した。グラブを叩きつけて主審に歩み寄ったのだ。慌ててベンチを飛び出した
國學院大・竹田利秋監督は、村松を後ろから抱きついて抑え、どうにか事態は
収束した。(その後に審判団が協議し、「ストライク」に判定が変更された)
大学野球では珍しい 「退場処分」
に発展しそうな雲行きだった。
→ 「大場翔太10連勝、村松伸哉は激高!」(2007.9.4)
■青山学院大第3戦。村松は2回からのロングリリーフを見事に果たし、チームを
勝利に導いた。面白かったのは、高校時代のライバル・加守田隆介との対戦。
フィニッシュではスライダーで空振り三振に斬って取ったものの、途中肩に力が
入り過ぎて、直球が大きく外れるシーンがあった。見てくれは冷静そうに見える
けど、心の内には相当に熱いものがあるようだ。
→ 「村松伸哉、青学大・加守田へのライバル心?」(2007.9.21)
■07年の秋季リーグ戦。事実上の最下位決定戦となった対立正大戦で、 痛恨の
サヨナラ暴投をした村松、その場に突っ伏して泣きじゃくった。竹田利秋監督は
「勝っては泣き、負けても泣く。感情をそのままむき出しにするのは、最近の選手
では珍しい」と語った。もちろん最大の称賛の言葉である。
→ 「見どころ満載、東都大学リーグ」(2007.10.13)
■華々しい活躍が目立った昨年。だが08年に入り、村松は不調を極めた。
「投げれば負け、投げれば負け」が続き、まさにボロボロの状態だった。
→ 「國學院大・村松伸哉の不調」(2008.4.23)
■ま、焦ることはないよね。こういった「負のスパイラル」に陥ることは誰にでもある。
大事なのは、この時期にエネルギーと技術をどれだけ蓄えることができるか、なのだ
→ 「武内久士と村松伸哉に幸運を!」(2008.7.2)
■村松が在籍する國學院大が10日、入替戦で日本大と戦い1部昇格を決めた。
今年2008年、春は何度か登板したものの、ガンガン打たれてK・Oが続き、
秋のリーグ戦では実力を発揮することはなかった。國學院大に注目しつつも、
村松が本調子ではなかった優勝にボクはイマイチ喜べなかった。
→ 「岸孝之、坂本勇人、村松伸哉」(2008.11.12)
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