あま野球日記@大学野球

あま野球日記@大学野球

2009.01.11
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カテゴリ: 大学野球

さきほどフジテレビ系『すぽると』を見ていた。番組中、「アスリートたちの
成人式」というコーナーがあり、成人式を迎えたアスリートたちの人気ラン
キングが報じられていた。


1位  田中将大 (現・楽天、駒大苫小牧高)
2位  斎藤佑樹 (現・早稲田大、早稲田実)
3位  坂本勇人 (現・読売、光星学院高)


「3位・坂本」の名を聞いて、ボクは光星学院高時代のチームメイトだった
現・國學院大の 村松伸哉 のことを思い出した。07年、村松は大学入学早々
に東都・春季リーグ戦では開幕投手を務め華々しいデビューを飾った。しかも
同年行われた日米大学野球では斎藤佑樹と2人、1年生ながら日本代表チー
ムに選出され、斎藤佑樹を押し退けてMVPを獲得するほどの逸材だった。


ところが2年目(08年)に突然つまずいた。春季は「投げれば負け」が定着し、
秋季はわずか3試合だけリリーフでマウンドに立っただけだった。「2年目の
ジンクス」と言ってしまえば簡単だけど、なぜそうなってしまったのか今をもって
ボクはその理由を知らない。


何らかの理由があるのだろうけれど、長身から投げおろす速球やスライダーで、
ビシバシ相手打者を打ち取る雄姿を再び見せてほしいものだ。


村松伸哉、 動画 は2種類あります。
(1)2007年7月「日米大学野球」は こちら
(2)2005年7月「夏季青森県大会・決勝、対青森山田高戦」は こちら



村松伸哉

高校2年生の時に甲子園を賭けて、青森山田高と決勝戦を戦った(上記2)。
背番号「18」をつけた村松は3番手で登板したが、結局甲子園へのキップを
手に入れることはできなかった。


チームメイトには4番の主砲・坂本勇人や、エース・ 桑鶴雄太 (現・東北福祉大)
がいたし、相手の青森山田高にはエース・ 柳田将利 (元・ロッテ)や主将だった
加守田隆介 (現・青山学院大)がいた。


そして翌06年、高校3年生の時、センバツ甲子園に背番号「10」をつけて
出場が叶ったが、一回戦で ダース・ローマシュ・匡 (現・日本ハム)を擁する
岡山・関西高と対戦し4-6で敗退した。



■ボクが村松の名を知ったのは07年6月のこと。翌7月に開催される日米大学
野球の日本代表メンバーに村松の名前を見つけた。だけど國學院大・村松
とはいったいどんな選手なのか、その時は全く知らなかった。
→  「日本代表エースへ、村松伸哉」(2007.6.25)



■日米大学野球ではMVPを獲得した。「斎藤はスライダーなど変化球を主体に
ボールゾーンで勝負するのに対し、村松は直球の角度とキレがあるため、スト
ライクゾーンで勝負ができる」との評価も受けた。斎藤佑樹に強烈なライバル心
を持つ村松にとっては最高に嬉しい言葉ではなかったろうか。 
→  「MVP獲ったぞ、村松伸哉」(2007.7.10)



■187センチ、77キロ。最大の武器は、長身から繰り出す剛速球。今春の東都
大学リーグ戦では同リーグ史上最速となる153キロをマークした。 竹田利秋 監督
は「(宮城・東北高での教え子だった元マリナーズの) 佐々木主浩 に通じる思考力
を持っている。順調に育てば大きな花を咲かせてくれると思う」と、村松に期待した。
→  「斎藤佑樹、村松伸哉。開幕!」(2007.8.30)



■07年秋季、対東洋大3回戦の9回に事件が起きた。村松の投球を東洋大の
打者が空振りした後に、(打者の足に)球が当たった。当然ストライクをコールされ
るはずが、なぜか「デッドボール」の判定。それを聞いた村松、マウンド上で激高
した。グラブを叩きつけて主審に歩み寄ったのだ。慌ててベンチを飛び出した
國學院大・竹田利秋監督は、村松を後ろから抱きついて抑え、どうにか事態は
収束した。(その後に審判団が協議し、「ストライク」に判定が変更された)
大学野球では珍しい 「退場処分」 に発展しそうな雲行きだった。
 「大場翔太10連勝、村松伸哉は激高!」(2007.9.4)



■青山学院大第3戦。村松は2回からのロングリリーフを見事に果たし、チームを
勝利に導いた。面白かったのは、高校時代のライバル・加守田隆介との対戦。
フィニッシュではスライダーで空振り三振に斬って取ったものの、途中肩に力が
入り過ぎて、直球が大きく外れるシーンがあった。見てくれは冷静そうに見える
けど、心の内には相当に熱いものがあるようだ。
 →  「村松伸哉、青学大・加守田へのライバル心?」(2007.9.21)



■07年の秋季リーグ戦。事実上の最下位決定戦となった対立正大戦で、 痛恨の
サヨナラ暴投をした村松、その場に突っ伏して泣きじゃくった。竹田利秋監督は
「勝っては泣き、負けても泣く。感情をそのままむき出しにするのは、最近の選手
では珍しい」と語った。もちろん最大の称賛の言葉である。
→  「見どころ満載、東都大学リーグ」(2007.10.13)



■華々しい活躍が目立った昨年。だが08年に入り、村松は不調を極めた。
「投げれば負け、投げれば負け」が続き、まさにボロボロの状態だった。
→  「國學院大・村松伸哉の不調」(2008.4.23)



■ま、焦ることはないよね。こういった「負のスパイラル」に陥ることは誰にでもある。
大事なのは、この時期にエネルギーと技術をどれだけ蓄えることができるか、なのだ
→  「武内久士と村松伸哉に幸運を!」(2008.7.2)

■村松が在籍する國學院大が10日、入替戦で日本大と戦い1部昇格を決めた。
今年2008年、春は何度か登板したものの、ガンガン打たれてK・Oが続き、
秋のリーグ戦では実力を発揮することはなかった。國學院大に注目しつつも、
村松が本調子ではなかった優勝にボクはイマイチ喜べなかった。
→  「岸孝之、坂本勇人、村松伸哉」(2008.11.12)





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Last updated  2009.01.13 00:13:08
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