8月26日に行われた東都リーグ交流戦で、学習院大(3部)が日本大(2部)
にスコア3-1で勝利したらしい。学習院には悪いが、日大を相手に勝利した
のは、それなりに大ニュースじゃなかろうか。例えそれが、公式戦ではない
交流戦(いわばオープン戦)に過ぎないものだったとしても・・・。
ただ、学習院大野球部の歴史を紐解くと、そこには「輝かしい野球部史」が垣間
見える。
まず伝統がある。創部が1889年(明治22年4月6日)と他の大学野球部と比較
すると群を抜いて古い。そして、この(明治)時代においては、一高(現・東京大)
ほどではないものの、学習院は強豪の一つに数えられる存在だった。
1904年(明治37年)10月の早稲田との一戦、当時は学習院が「格上」であり、
それを示すエピソードが面白い
。
※1904年と書きましたが、1901年の誤りです。 こちら
を参照ください。
中学校(当時の学制)ですでに腕に覚えのある猛者たち(郁文館、青山学院、麻布、
水戸中などの出身者)たちが集い創部された早稲田野球部。 「天下の覇権我にあり」
と威張ってみたものの、だれも早稲田に野球部があることさえ知らない始末。
そのため 「我が部の存在を知らせねばならぬ」
と探しあてた相手が、当時の強豪・
学習院だった。学習院からすれば、「早稲田野球部???、どうせ取るに足らぬ敵」
と見て、気軽に応じたに過ぎなかったが。試合は意外や意外、たいへんなシーソー
ゲームになり、ついにはスコア7-6でついに早稲田が学習院を破ってしまった。
■以下、『日本野球史』(国民新聞運動部編、昭和4年刊)より。
「学習院選手が皆ボンヤリした以上に早稲田のものも茫然とした。「勝った」「勝った
のだ」。早稲田では、学校の掲示場に戦勝の報告をデカデカと張り出した。更に祝勝
の晩餐会を開くやら記念撮影をやるやら大騒ぎ」
「勝てば官軍となって、更に 一高横浜への挑戦
(※)
を考え、一方部員を集めて
雄飛すべく計ったのである」
※「一高」は、もちろん現・東京大のこと。
※「横浜」は、横浜在住のアメリカ人から組織されたアマチュアチーム「横浜倶楽部」
のこと。当時、国内で最も強いと評されていた。
◇ 日米大学野球対決
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「日米野球初戦、一高が圧勝す」
(2009.6.29) →
こちら
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