8月31日発表された「日本学生野球憲章」の第1次改正案。主要ポイントの一つ
には「プロとアマとの練習や試合を、一定の条件のもとで容認されるようになった」
こと。
■では具体的にどう変わるのか、そしてその問題点は何か。9月1日付の日刊ゲン
ダイが以下のとおり、解説している。
これまで禁止されていた現役のプロ選手による高校・大学生への直接指導や、
「巨人対早大」「楽天対東北福祉大」などの練習試合も可能になる。ある現役の
大学監督はこう言う。
「むしろこれまでが異常でした。OBのプロ野球選手が母校に自主トレに来ても、
学生と接触を避けるように隅っこでコッソリやる。2005年まではキャッチボール
はもちろん、話すことすら許されなかったのですから。堂々と指導できるようになる
のは、現役にとってもプラスです」
ただ、大学関係者からは不安視する声も聞かれる。
「プロの関係者は大学の野球部員に堂々と接触できる。その気になれば『ウチの
球団はいいよ』と歓誘や交渉することができる。特定選手の囲い込みの手段に
使われないか心配です」
(以上、日刊ゲンダイ)
まだ懸念を残すものの、プロとアマの関係は「雪解け」に向かっているようだ。
そもそも両者が冷戦関係になったキッカケは、1961年(昭和36年)に起きた
この事件にあった。
柳川事件
発端は、シーズン途中に社会人選手の引き抜きを禁じる協定があったにも関わらず、
同年シーズン開幕直後の4月、中日が日本生命の 柳川福三
選手を入団させたこと
にある。怒った社会人協会は協定違反として態度を硬化。5月13日、これまでプロ
野球退団者を受け入れてきたが、「今後は一切受け入れない」と声明を出し、プロ野球
との絶縁を宣言した。
これに対し 鈴木竜二
セ・リーグ会長(当時)は、「職業選択の自由を奪う社会人野球
協会の決定はおかしい」と言い放ち、プロ・アマの確執が始まった。以来、さまざまな
紆余曲折はあるものの、いまだ奇妙な関係が続いている。
◇ 鈴木竜二
の関連記事「あま野球日記」バックナンバーより。
「戦後・職業野球の復活、東西対抗戦の背景」
(2009.8.1) →
こちら
へ。
さて、大きな事件に発展した「柳川事件」。だが当の柳川、成績は芳しくなかった。
通算成績は実働5年、144試合、2本塁打、11打点、打率.202の成績。
入団時に事件に巻き込まれると、その選手は大成できないといったジンクスが球界
にはあるのかもしれない。 荒川 尭
とか・・・。
◇ 「ボクにとっての日本野球史」
(2009.7.1)、INDEXは こちら
へ。
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