横浜に在籍する 工藤公康
(愛工大名電高)が球団から戦力外通告を受けた。
だが現役続行を諦めない工藤は、次の移籍先を懸命に模索している。当年
とって46歳。「日本プロ野球史上最年長勝利」の記録更新を目指し(?)、
新たな挑戦はまだまだ続く---。
現在、「最年長勝利」の記録保持者は 浜崎真二
氏(広島商中退-神戸商-
慶應義塾大)。その記録は48歳4か月27日。
浜崎真二
氏。
wikipedeiaには、こう記されている。
1948年(昭和23年)に阪急の監督に就任した浜崎。2年後の1950年、
「若い投手には任せてられない」
とばかりに5月7日に自らが登板し勝利した
ことが、現在にいたるまでの最年長勝利記録になっている。(以上、wikipedia)
■慶應義塾大時代はエース。そして「天国と地獄」を大いに経験した投手だった。
「地獄」。1925年(大正14年)、19年間にわたり中止になっていた早慶戦が
復活した第1戦(10月19日)、慶應先発はこの浜崎だった。とても名誉な役回り
だったが、試合はスコア0-11の大敗。浜崎は敗戦責任を一身に背負う屈辱
を味わった。
※当時人気絶頂だったと早慶戦ゆえ、現在とは比較しようがない。その「屈辱感」
の大きさはまるでわからない。現在に例えるなら、何らかの事情で巨人・阪神戦
が19年間も中止し、やっと復活した19年後の復活第1戦でメチャメチャに打ち
込まれた先発投手といえば、まだわかりやすいかもしれない。
そして「天国」。「地獄」から2年後の1927年(大正2年)秋、汚名返上とばかりに
早慶戦に先発。被安打3、奪三振10の快投で早稲田を降し、大いに留飲を下げた
ものだった。
■大学を卒業してからの浜崎、毒舌家としても名を馳せた。こんなエピソードがある。
以下、『早慶戦百年 激闘と熱狂の記憶』(富永俊治著、講談社刊)より。
戦後すぐ、浜崎は社会人野球の新興・熊谷組監督に誘われ、一度は就任を承諾
する。だが、浜崎監督とは別に、(早慶戦復活第1戦で早稲田の先発だった)
竹内愛一を総監督に招く構想がチームにあると知るや、熊谷組に断りを入れ、
プロ野球の世界に進路を変える。その理由がふるっていた。
「竹内といえば、生家である京都の仏具屋を呑みつぶしたことで知られる大酒呑み。
それに対してオレは一滴も呑めん。そんな男と一緒に野球をやれと言われても、
できっこないわ」
◇ 「ボクにとっての日本野球史」
(2009.7.1)、 INDEXは こちら
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