■昨日(7月24日)の夏季埼玉県大会・準々決勝、第2試合は川越東vs春日部共栄高戦が行われた。
(県営大宮球場、延長14回)
春共栄 000 000 000 000 00 =0
川越東 000 000 000 000 01X=1
(春)鎌田恭、(川)高梨
川越東・ 高梨雄平
と春日部共栄・ 鎌田恭彰
のエース対決は、延長14回に決着がついた。
この回、川越東の先頭打者は高梨。鎌田の3球目を空振りした時、疲労からかヒザをひねってしまう。直後にライト前に安打を放ったものの一塁を回ったところでしゃがみこみ、臨時代走が送られた。
その後、二死一・二塁のチャンスを迎え、女房役の 山田義和
が打席に立つ。そして鎌田のスライダーを叩いてレフトに安打を打ち二塁走者が生還、川越東がサヨナラ勝ちを決めた。
山田のコメント。
「高梨は14回までに200球近くを投げて限界に達していた。もうこれ以上投げられないことは分かっていたので、ぜひこの回に決めたかった」
先日、知り合いのMさんと川越東の試合を見ていた時、 阿井英二郎 監督がヤクルトの投手だったことは有名だけど、それはいつ頃のことだったんだろ? という話題になった。
「古田が監督の頃?」と聞かれ、「そんなに最近の話じゃないよ、もっと昔。武上とか松岡弘がいた頃じゃないかな」とボク。「いや、それじゃ、あまりに古すぎるかな?」と慌てて撤回した。
結局正解がわからず、気になってそのことを調べてみた。以下、wikipediaより。
・1964年生まれ、現在45歳。
・1982年、東京農大二高のエースとして甲子園に出場。
・同年秋、ドラフト3位でヤクルトに入団。(1位は荒木大輔)
・主に中継ぎ投手として活躍、現役は1992年まで(最後の2年間はロッテに在籍)
・通算成績は144試合、17勝17敗4S、防御率4.79。
そして阿井さんがヤクルトで最も活躍していた頃(1985~87年頃)、ヤクルトに在籍していた主な選手は次のとおり。※調べることができた選手のみ記載。
<投手>松岡弘(85年引退)、伊東昭光ら。
<野手>杉浦享、池山隆寛、広沢克己、 栗山英樹
、青島健太、小川淳司ら。
また、当時の監督は武上四郎(1980年~84年途中)、土橋正幸(84年途中~86年)、 関根潤三
(87年~89年)。
※尚、阿井さんはてっきり左腕だと思っていたけど、実は右腕だった。
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