あま野球日記@大学野球

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2012.03.11
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カテゴリ: 近鉄バファローズ

佐々木信也 さんは、その昔、フジテレビ「プロ野球ニュース」の総合司会を12年間にわたり務めた名物スポーツキャスター。「こんばんは、プロ野球ニュース」で始まるフレーズは今も懐かしい。

この佐々木さん、湘南高、慶應義塾大を経て、高橋ユニオンズ、大映ユニオンズ、大毎オリオンズで活躍(1959年引退)した、れっきとした元プロ野球選手である。

wikipediaによると、高橋ユニオンズに入団した56年は、新人ながら154試合に全イニング出場しシーズン試合出場の日本タイ記録を達成した。また新人での全イニング出場は史上初。後に 長嶋茂雄 さんも記録するが(59年)、新人選手の全イニング出場は、現在も佐々木さんと長嶋さん2人だけ。


■佐々木さんは自著『「本番60秒前」の快感』(ベースボールマガジン社)に、大毎オリオンズの監督だった 西本幸雄 さん(故人)にわだかまりがあったことを吐露している。

その理由は今から50年以上前、1959年に遡る。この年、シーズンを終えた佐々木さんは球団代表から突然呼びだされ、自由契約を言い渡された。まさに青天の霹靂。だれが自分のクビを決めたか問い詰めたところ、来季から就任する監督であることを知った。

その新監督が西本さんだった。後に佐々木さんと西本さんは「プロ野球ニュース」でキャスターと解説者という関係で一緒に仕事をすることになったが、佐々木さんは怒りをグッとこらえ、常に大人の対応をしていたが・・・。

ところがある日(80年頃)、ラジオ番組で佐々木さんと西本さんが対談する企画が持ち上がった。この番組中、佐々木さんの、それまでこらえていた西本さんへの怒りが爆発する。

佐々木「これまで黙ってましたけれど、私のクビを切ったのが西本さんだというのは知ってました。なんで私のクビを切ったのですか?」
西本「一度、キミに謝ろうと思っていたんだよ」
佐「遅い! 冗談じゃない。ちゃんと理由を教えてください」
西「当時、オリオンズには八田正、 須藤豊 、平井嘉明、小森光生、そして佐々木信也と、力が拮抗した内野手が5人いたんだよ。そうなると、どうしても人数が合わない。内野手をひとりやめさせなきゃいけなかったんだ」
佐「なんで、そのなかで私を選んだのですか?」
西「クビにしても、一番食いっぱぐれがなさそうなのを選んだんだ」

自由契約の真相にカッとなり、「そんなバカな話はないでしょう!」とまくしたてたことを覚えています。ただこの日をもって私の胸の奥に潜んでいた、西本さんへのわだかまりが氷解しました。

このことは西本さん自身も日経新聞『私の履歴書』で、同様のことを述懐している。球団から選手削減をつきつけられた事情があったことも告白していた。


■まだ佐々木さんの心にわだかまりがあった頃のエピソード。
1960年、日本シリーズ第2戦でスクイズを敢行し失敗した西本さんの采配を、新聞各紙が一斉に叩いたことがあった。中には「ペース乱れた? 西本作戦 とにかく打つこと 併殺が恐くてスクイズ」という記事があった。「併殺が怖くて」という表現に悪意すら感じるが、実はこの記事は、引退後に評論家になった佐々木さんの署名記事である。

西本さんへの当時のわだかまりを表した、せめてもの佐々木さんの抗いだったのかもしれないと、ボクは思っている。 

大笑いウィンク

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Last updated  2012.03.16 21:57:22
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