■ 佐々木信也
さん、 西本幸雄
さん、 三原脩
さん。その昔、この3人に起きた事件がある。
それは1960年の日本シリーズ開幕2日前のこと。対戦カードは、当時新米監督だった西本さんが率いる大毎オリオンズと、知将・三原脩さんの大洋ホエールズ。
テレビや新聞は日本シリーズを控え、競って両監督の対談を企画した。NETテレビ(現・テレビ朝日)もそのひとつ。司会者として佐々木さんがブッキングされていた。
■生放送当日、西本さんは予定通りの時間にスタジオに現れたものの、三原さんが来ない。対談の一方が現れないまま放送が始まった。そして西本-三原の対談企画が、西本-佐々木の対談という、片落ちの状態のまま番組は終了した。
西本さんの怒るまいことか。ギャラも受け取らず、顔を真っ赤にして、タクシーに乗って帰って行った。佐々木さんも怒り心頭、翌々日、三原さんに理由を尋ねた。以下『「本番60秒前」の快感』(佐々木信也著、ベースボールマガジン新書)より引用。
佐々木「一昨日はどうなさったんですか?」
三原「気が向かなかった、行きたくなかったんだよ」
佐「それはないでしょう。スポーツマンとして、どうなんですか」
三「じゃぁ、はっきり言おう。プロ野球の発展に貢献している会社が3つある。NHK、読売新聞、そしてベースボールマガジン。この3つから頼まれたらワシは出る。他はよろしい」
後年、佐々木さんは、三原さんの欠席の理由が、別の意図的なものだったことに気づく。それは西本さんの感情を高ぶらせることで、日本シリーズを有利に進めようとした心理戦を企てたこと。戦いは球場内のみにあらず、場外も戦う。まさに知将・三原さんの真骨頂だった。
結局日本シリーズは、三原さんの仕掛けた心理戦が効を奏し、大洋が4連勝して日本一を決めた。
■西本さんの述懐。以下、『魔術師<下>三原脩と西鉄ライオンズ』(立石泰則著、小学館文庫)より。
「忘れるなんてことはまさかないと思うんですけどね。まぁ何ちゅうかね、厳しさちゅうか、もっと厳しい言葉でいえば、えげつなさと言うか、そんなものを『ふ~ん』と思って感じました。三原さんにすれば、もう戦いは始まっているという感じだったんでしょうね。僕はそんな感じじゃなく、監督が試合をするわけじゃないと思っていました。三原さんのことは事前に聞かされていましたから『あ、これか』とも思いました。でも『もう、クソッ!』と思った。ま、そこらへんも三原さんの戦法だしね」
■もし歴代の監督で好きな人を挙げよ、と言われたら、ボクは西本さんと三原さんの名前を答えると思う。(そんなボクから見れば)この2人の薫陶を受けたラッキーな投手がいる。元・近鉄の 鈴木啓示
さんがその人。
三原さんは1968年~70年、西本さんは74年~81年、それぞれ 近鉄バファローズ
の監督を務めた。この2人が監督だった時代、両者をまたがってエースの座にいたのが鈴木さんだった。鈴木さんの2人に対する比較評が面白い。
途中ですが、 続きは次回
に。
PR
Keyword Search
Calendar
Comments