ヨセフィーヌの マンマルメゾン♪

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2008.02.29
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昨日の日記への温かいコメントありがとうござました。
温かいお気持ちやおことばも良薬・・・元気の源となります。
大好きな方々からのメッセージ、本当にうれしかったです。

金曜日は、そんなこともあり、元気なく病院へ向いましたが
診察を終え、薬局に処方箋をだし、近くのモスバーガーに行く頃には
おでかけを楽しもうモードに切り替わりつつありました。

席をみつけて座リ 食べ始めると、なんだか気になる隣の会話。
語尾の感じが「韓国語」です。

周りをぐるりと見渡すとあちこちで「韓国語」が聞こえてきます。
で、運んできてくれた店員さんんもどうやら「韓国人」のアルバイトさん。
そういえば、近くに東京韓国学校がありました。

この日の診察はとてもスムーズで、予想したよりかなり早く帰路につけたので
両国で途中下車して江戸東京博物館に寄りました。
NHK大河ドラマに合わせ、篤姫ゆかりの品々を集めた特別展
天璋院篤姫 展」をやってることを思い出したので。

 篤姫は1835年、薩摩生まれ、21歳で徳川13代将軍家定に嫁ぎますが
わずか1年半で家定が死去してしまいます。
その後、天璋院と称して 終焉に向う江戸幕府を守り抜いたのだそうです。

展示では、篤姫が戊辰戦争時に、官軍隊長あてに徳川家の家名存続を嘆願した手紙の写しも公開され、
江戸城無血開城への貢献がうかがいしれました。

生家のある薩摩が結婚した徳川家を討とうとしたんですから
本当に辛いお立場だったと思いますが 
ご自身の信念を守り通した篤姫の生き方に、胸がきゅんとし感動しました。

実際薩摩が篤姫を幕府から連れ出す計画も示されたようですが
それは断固固辞され、幕府と運命をともにしつつ ご自身の安泰を望むことなく、
江戸城の無血開城による徳川の存続を願い実現させました。

また展示では徳川家の葵の御紋があしらわれた婚礼道具一式や大奥の調度品、
幕末の動乱を伝える史料など、計約200点が紹介され、
篤姫の波乱の生涯に思いを馳せる事ができました。

実はこのごろ、主人と日曜8時にはNHK大河ドラマ篤姫みてるんです。

今日の放送も楽しみ、楽しみ♪

天璋院篤姫(上)新装版







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最終更新日  2008.03.02 10:55:36
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