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さて。長い間親しんできたこの楽天ブログからアメバブログのほうにお引越しいたします。機能的に、慣れてるこの楽天でもよかったのだけど・・・足あと機能も勝手になくなり、掲示板も勝手になくなり・・・(笑)ちょっと物足りなくなったのであめばにお引越しです。(こちらは消すことなく残しておきますので。)次回の日記からあめばのみでの更新になりますので、こちらの日記を登録してくださっていた方は新しく、あめばのほうも登録してやってくださいませm(_ _)m新しいブログはこちらです♪ 『愛織~宇宙の愛と共に生きる~』http://ameblo.jp/manaoli/聖なるエロネタシリーズもまだ書き残していることもありますので、ぼちぼちとあめばのほうで語っていくつもりです。改めまして、今後ともどうぞよろしくお願いいたします(*^人^*)
2012.02.25
マイミク シャンタンさんの日記より同感&感動したOSHOの言葉転載です♪********************西洋医学の考えによると、人間は独立したユニット(単位)・・・ 自然とは別個のものだ。 これほど重大な過ちも他にないだろう。 人間は自然の一部だ。 人間の健康とは、他でもなく自然と共にくつろいでいることだ。 西洋の医療は、人間を機械的に捉(とら)えている・・・ 構造に支障がないところは問題ないというように。 だが人間は機械ではない。 人間は有機的なユニットであり、病んだ部分だけを 治療すればいいというようなものではない。 病んだ部分とは、他でもなく有機体全体が困難に陥っているということだ。 病んだ部分は、そこが一番弱いから目につくだけのことだ。 病んだ部分を治療すると、効き目があったように見える。 だが今度は別の場所から病気が現れる。 あなたは病んだ部分から病気が現れるのを防いだに過ぎない・・・ あなたはそこを強化した。でもあなたは、 人間がひとつのまとまりであることを理解していない・・・ 人間は、ひとまとまりの有機体として捉えるべきだ。 理解すべき重要な点は、身体は常にあなたに 耳を傾ける用意があるということだ・・・ でも、あなたは身体と語り合ったことも、 コミュニケーションを取ったことも全くない。 あなたは身体の中にいて身体を用いて来たが、 全く身体に感謝したことがない。 身体は可能な限り聡明に、あなたに仕え続けている。 ひとたび自分の身体とコミュニケーションを取り始めたら、 事はとても容易になる。 身体に無理強いする必要はない。 身体に語りかけるといい。 身体と闘う必要はない・・・ そしてあらゆる種類の葛藤は、ますます緊張を生み出す。 だからどんな葛藤の中にも留まらないこと・・・安らぎを心がけなさい。 また身体は神からのとても素晴らしい贈り物だから 、それと闘うことは神と闘うことになる。 身体は神殿だ・・・私達はその中に収まっている。 身体は寺院だ。 私達はその中で生きており、トータルに手入れをする必要がある・・・ それは私達の責任だ。 初めのうちは少し馬鹿々々しく思うかもしれない。 というのも自分の身体に語りかけるだなんて、 私達は教わったこともないのだから・・・ だが、それを通して奇跡が起こる。 私達が知らないうちに、奇跡はすでに起こっている。 私が話す時、話すにつれて私の手はジェスチャー(仕草)をする。 私はあなたに話している・・・何かを伝達しているのは私のマインドだ。 私の身体はそれに従う。 身体はマインドと協調関係にある。 手を挙げたい時、何かをする必要はない・・・ ただ単純に手を挙げるだけだ。 手を挙げたいと思うだけで身体は従う・・・それは奇跡だ。 ところが実のところ生物学も生理学も、 それがどんな風に起こるのか未だに説明出来ていない。 なぜなら思いは思いだからだ。手を挙げたいと思う・・・これは思いだ。 この思いはどんな風に手への物理的なメッセージに変容されるのだろう? しかも全く時間がかからない・・・ ほんのわずかな間合いか、時には全くギャップ(時間差)がない。 例えば私が話すと、私の手は一緒に動き続ける・・・時間差がない。 身体はまるでマインドと平行して動いているかのようだ。 それはとても繊細なことだ・・・ いかに自分の身体に語りかけるかを学ぶといい。 すると多くのことが起こるだろう。 身体に従いなさい。どんなやり方にしろ、 決して身体を支配しようとしてはいけない。 身体はあなたの礎(いしずえ)だ。 ひとたび自分の身体を理解し始めたら、 苦悩の99%はあっさり消えてしまう。 でもあなたは耳を傾けない・・・これまでのところ。 身体は言う。「やめて!食べないで!」あなたは食べ続ける。 あなたはマインドの言うことを聞いている。 マインドは言う。 「これはとても味わい深くて美味しい。もうちょっといこう」 あなたは身体の言うことを聞かない。 身体は吐き気をもよおし「やめて!もう充分だよ!疲れちゃうよ!」 と胃が言う。 しかしマインドは「味見してみよう・・・もうちょっとだけ」と言う。 あなたはマインドの言うことを聞き続ける。 もし身体の言うことを聞けば、 あなたの問題の99%は楽に解消されるだろう。 残りの1%は単なるアクシデントであり、真の問題ではない。 しかしごく幼いころから、 私達は身体から注意をそらされ、身体から引き離されて来た。 子供は空腹で泣いているが、母親は時計を見る。 医者は3時間後にしか子供にミルクを与えてはいけないと言ったからだ。 彼女は子供を見ていない。 子供こそ見るべき本当の時計なのに、彼女は壁時計ばかり見ている。 彼女は医者の言うことを聞くが、子供は泣いていて食べ物を求めている。 子供は今すぐ食べ物を必要としている。 今すぐ食べ物を与えないなら、あなたは子供の注意を身体からそらす。 あなたは子供に食べ物を与える代わりに、おしゃぶりを与える。 あなたは騙(だま)し欺(あざむ)ている。 あなたは偽物、プラスチックを与え、 身体への子供の感受性を惑わし殺そうとしている。 身体の英知は発言を許されていない。 代わりにマインドが介入している。 子供はおしゃぶりになだめられ眠り始める。 時計が3時間経過したことを告げると、 今度は子供にミルクをあげなくてはならない。 しかし今、子供はぐっすり眠っている。 子供の身体は眠っているのに、医者が 今ミルクをあげなさいと言ったからあなたは子供を起こす。 またしても、あなたは子供のリズムを壊してしまう。 あなたはゆっくりゆっくり子供の存在全体を掻(か)き乱す。 やがて子供は、自分の身体の経路を全て失ってしまう。 自分の身体が何を欲しているのか、子供は分からなくなっている・・・ 自分の身体が食べることを望んでいるのか否かも分からないし、 身体が愛を交わしたがっているかどうかも分からない。 全ては外側から、何かに操作されている。 彼は『プレイボーイ』誌を見て、愛を交わしているような気分になる。 馬鹿げたことだ・・・これはマインドであり、 マインドが信号を送っているに過ぎない。 その愛は本物にはならない・・・ただのくしゃみ、 重荷を降ろすこと以外の何ものでもない。 それは全く愛などではない。 どうして愛がマインドを通して起こるだろう? マインドは愛について何も知らない。 それは義務になる。 あなたは妻を持ち夫を持ち、愛を交わさねばならない。 生真面目に、規則的に、あなたは愛を交わす。 そこにはもはや自発性はない。 そしてあなたは心配する。 なぜなら、自分はそれに満足していないと感じるようになるからだ。 そして別の女性を探し始める。 「多分この女性は自分にふさわしい女性ではないのだ。 多分ソウルメイト(魂の伴侶)ではない。 彼女は私の為に創られたのではない。 私も彼女の為に創られたのではない。 彼女には気がそそられないのだから」と理屈をつけ始める。 女性が問題なのではないし、男性が問題なのでもない。 問題はあなたも身体の中にいないし、 彼女も身体の中にいないということだ。 身体の中にいるのなら、オーガズムと呼ばれる 美しさに気づかぬ人はいないだろう。 身体の中にいれば オーガズミックな体験を通して、 神の最初の一瞥を知るだろう。 身体に耳を傾け、身体に従いなさい。 マインドは愚かだが、身体は賢い。 そしてもし身体に深く入っていったら、 まさにその深みの中で、自分の魂を見出すだろう。 魂は、身体の深みの中にひそんでいる。 osho
2012.02.25
アメブロのほうがだいぶ記事が追いついてきました。今週中か来週にはアメブロのほうにお引越しできそうです。と、先週、311の震災がきっかけで関東・東北から岡山に非難してきている方たちと関わる機会をいただいて、カードを引いたり、メッセージをお伝えさせていただいたりしてきました。小さなお子さんを抱えるお母さんたちが数名集まってくださったのだけど、ほとんどの方が旦那さんとは離れ離れで、「そろそろ帰って来いと言われているのだけど、子どもたちのことを思うと放射性物質が心配で、どうしたらいいのかわからないんです・・・」と仰っていて、ほんとに、切実な想いで皆さんのお悩みを聞きました。お子さんを連れて、誰も身寄りのない知らない土地に来るなんて、ものすごく勇気がいっことと、本当にすごいなぁって、母の愛だなぁって、母は強いなぁって涙が出そうになりました・・・。でも皆さん、「本当にこれでよかったのか、これからも、これでいいのか」ってずぅっと悩んでいらっしゃる。。。相談できる人も居なくて。ちゃんとした答えも見出すことも出来なくて。さぞ心細く、お辛かったことでしょうね・・・。・・・女は、どうしても、子ども第一ですよねぇ・・・。自分より何より、子どもを守りたい。だからできるだけ安全な土地に行きたいと思う。もうそれは本能に近い衝動だと思います。女は、自分を犠牲にしてでも、子どもを、家族を守りたいんです。でも男性は・・・家族も大切だけど、仕事も大切・・・なんですよね。家族を養うのに、お金を稼がなきゃならないから・・・だから仕事は辞められない。といって、新しい土地に移ることを拒む。だけど男性も、自分を犠牲にしてでも家族を守りたいと思う気持ちは女性と一緒なんですよね・・・。なのに、選択する行動が、悲しいかな、すれ違う・・・。想いは同じなのに・・・このジレンマ。辛いですよね・・・。でもね、仕事はね、どこででもできると思うんですよ。稼ぐ額は落ちてしまうかもしれないけれど、仕事は、どこでもあると思うんです。貧しくても、家族で支え合って力を合わせてみんなで笑って食卓を囲むことは出来るはず。それができるか否かは自分たちの気持ちひとつ。・・・ですよね?今、自分が居る場所を天国にするも地獄にするも、すべて自分の意識次第。気持ちひとつでどちらにでもできる。そして昨日も書きました。それこそ、古い体制にしがみつくのか、それとも、新しく生まれ変わるチャンスとして前向きにこの機会を捉え、思い切って新しい環境に飛び込むのか・・・どちらを選ぶのか、その選択が今後に大きく関わってくる、今はとても重要な時期です。従業員を抱えている方は簡単に、そうはいかないかもしれないけれど・・・でも、従業員まとめて他県にお引越しすることもありえない不可能な選択肢ではないと思います。仕事を理由に、家族や従業員とその家族たちの命を縮める危険性がある方を選ぶのか、それとも家族や従業員、その家族の命と健康を最優先に考え自分にできる、新たな未知の選択肢を探すことを選ぶのか・・・それこそ経営者としての柔軟性、手腕、真の力量が試されるところであるかもしれませんね。そしてね。被災地から非難してきたお母さんご本人の考え、そして旦那さんの考え、お姑さんや親戚もろもろ・・・皆さんそれぞれのお考えがあるとは思いますがでも、大事なのは、結局、みんながそれぞれ「自分はどうしたいか」しかありません・・・。何を大切にしたいのか、何を守りたいのか・・・自分の内側が何と言っているか・・・です。そしてそれも人それぞれ。学びも人それぞれ。夫婦といえども、意見が食い違うことだってあります。守りたいものも違う事だってある。それはそれで、いいんです。お互いの大切にしたいものを尊重しつつ、家族として、お互いが重なり合えるところを大切にすればいい。お互いの意思を尊重し合い、そして家族として、各々が提供出来るもの、持ち寄れるものをお互いが出来る範囲で大切にしていけばいい。どちらかが自分の想いを押し殺して、我慢して、どちらか一方に添わせてあわせる必要なんてありません。。。そんなの、長くは続きません。そんなの頑張ったって、必ずどこかにしわ寄せが来て、病気になったり、問題が起こったりします。だから今こそ、発想の転換です。新しい家族の在り方を、柔軟に、それぞれの家庭で取り入れていってください。古い家族の在り方にしがみつかないでください。新しい家族の在り方、あなたの家族だけのオリジナルな在り方、ユニークな在り方を家族みんなで見つけていってください。そしてまずは自分がそうなること、その選択をすることを自分自身に全面的に許可することです。そこに自分自身の抵抗があると、環境的に、周りから抵抗を受けますからね。あとは家族みんなで、よく話し合うことです。本音で。・・・家族の絆は「戸籍」じゃない。カタチじゃない。大切なのは魂のつながりです。気持ちです。家族といえども、誰も家族の誰かの所有物ではないし、支配したりされたりできる関係ではありません。戸籍に甘んじない家族戸籍やカタチに縛られない家族そして各々にフィットする柔軟な新しい家族の在り方を今こそ、それぞれでクリエイト(創造)して行くときです。世界を変えるのもまずは個、そして家庭から・・・です。楽しみましょう!!(*^^*)v
2012.02.23
ここ最近なんだか3次元的に忙しく、目の前のことに追われ、なかなかパソコンに向かえませんでした~今日は222。しかも新月ですね。「2」という数字は陰と陽の陰、太陽と月の月、女性原理などを表します。性エネルギーを司る第2チャクラの「2」でもあり、パートナシップを表したりもます。改めてどんなパートナーシップを築きたいか・・・また、女性ならどんな女性になりたいと思っていてどんな女性に憧れているのかなど、自分の内側に問いかけて自分の正直な気持ちを確認してみるのもいいかもしれませんね。今日は大切な人と、しっかりコミュニケーションを図り、スキンシップもしっかり取って、素直に日頃の感謝の気持ちを伝えたり、お互いの絆を確認しあうのにとってもいい日だと思います。また、なりたい女性や憧れている女性がある場合は、その憧れている女性の質って、実は自分の中にあったりもするので、それにちゃんと気付いてあげさえすれば自信にも繋がりますしね。また、自分の中の闇をしっかり抱きしめて肯定してあげる日としても適しているかもしれません。そして今更ですが、この節分を境に、随分、何かが変わったなぁと感じています。最近、わたしが興味を持っている“バカボン一家の山田さん”もブログでこんなことを書かれていました。“私昨年8月5日から我家の同じ場所で同じ方位磁石を使い、毎日磁極を計っているのです。昨年10月末までは最大西に3度ズレていました。11月から翌1月5日まではほぼズレはありませんでした。1月10日を過ぎると今度は東に傾きはじめました。日によってはバラツキますが、大体3度はズレています。2月3日からはそのズレが更に増し、現在4度平均と見て取れます。”何がどう変わったのか、はっきりは分らないですが、逆転が起こったといいますか、闇軸に傾いていたシーソーが、光軸と平行になり、ついに光軸のほうに「カタン!」と傾いた・・・そんな感覚です。アセンションが本格的に軌道に乗ったとでも言えばいいのでしょうか?先日の朝陽の光などは2月の太陽の眩しさではなく、夏並みの光を放っていました。太陽から降り注ぐ太陽の光(情報の光ですが)の量が一気に増えているので、自身が持っている才能がポン!と開花したり、覚醒が起きたり、何らかの新しい変化が起こる人も多いのではないかと思います。これからはますます、自分の内側との対話が必須になってくるし、直観を信じること、ちゃんとそれにそった選択をすることで、どんどん良い方向に展開して行く・・・もちろんその流れは今までもあったのだけど、その振り幅・その影響力がものすごくものすごく大きくなってくると思います。思ったことが現実化するスピードもますます速くなってくるでしょうし、人類の振り分けもすでに始まっているので(いいわるいではなくて。)アセンションに拍車をかける大きなポイント地点が2012年にも何度かあるようなのですがその度に、振り分けがドン!と進むので自分が関わってくる人たちや自分がいる世界もその都度大きく変わっていくかもしれません。とにかく古い流れ、古いパターンにしがみつかないこと。これからは新しい流れがどんどんやってきます。今までのパターンや対処法では通用しないことが多くなってくると思います。進むべき方向や対処の仕方は自分の内側がちゃんと知っているし、それに従って歩いてさえいれば楽に進んで行けます。それに逆らうとしんどくなったりストレスになっちゃったりすると思うので、立ち止まって感じればすぐにわかると思います。そして道に逆らってしまうことがあったとしても、どんな状況、どんな感情、どんな自分がそこに居たとしても責めないこと、否定しないことです。どんな過程も必要だったんです。どんな経験も体験も必要だったんです。あーそうそう。こないだ、「COLOR」っていうDVDを観ました。アニメです。いいこと言ってました。「自分の色は1つじゃない。いろんな色を持っていていいんだ。」ってね。・・・でも、ほんとは、自分だと思っているものは自分じゃないし、自分の感情だと思っているものも自分の内側に在る(自分が持っている)感情ではなく、外側から引っ張ってきているものでしかないので、自分も感情も同じところに留まり続けること自体が不可能です。本来、人は、変化し続けている存在です。感情も然り。だからずっと同じであることなんて難しい。1色であることなんて難しい。わたしたちは光。虹色の光です。赤の時もあれば青の時もあり、緑の時もあり黄色の時もある。その変化を楽しめばいい。赤が良くて青がダメで、緑は良くて黄色はダメなんて誰が決めるんですか?(笑)楽しめばいいんです。ぜーんぶ。どんな自分も。“自分”なんて、そもそも、ないんですからって、おーっと。今日も調子に乗って長くなってきてしまったので、今日はこれぐらいにしときます(笑)最後まで読んでくださってありがとうございました充実した222をお過ごしください
2012.02.22
続きです。・・・この宇宙版人生ゲームという表現を、少し違った表現に変えますと、「旅行」に例えることもできるでしょう。わたしたちは、肉体という重ためのボディスーツをまとい、『地球』というかなり大型の遊園地のようなところに旅行にやって来たようなものです。しかも、この旅行はかなり長期間の旅行です。そしてわたしたちは『地球』という遊園地で、自分の内面を映し出す様々なパビリオンやいろんなアトラクションでいろんな体験をし、いろんな感情を味わいます。この遊園地で感じたり味わったりする体験や感情は、私たちにとってはなにひとつとして無駄なものはなく、すべてが宝物になります。わたしたちは肉体というボディスーツを通して、出来るだけたくさんの体験をすること・出来るだけいろんな感情を経験することがこの旅行の大きな目的なのです。 わたしたちはせっかくの地球遊園地旅行を楽しまない手はありません。楽しまなくては損だとは思いませんか?わたしたちがこの旅行で体験する“すべて”が貴重な宝物でありギフトであり、それらを体験することは、わたしたちがどれだけパビリオンやアトラクションをこなしたかという証のようなものであり、わたしたちはスタンプラリーのように、廻れるパビリオンやアトラクションはすべて廻り、できるだけ多くの体験をしようとしています。そしてこの長期の旅行の中で、幾度にもわたる輪廻転生を繰り返し、地球上のいろんなところへ生まれ出でて、あるときは男性、あるときは女性として、いろんなパターンの人生を経験して、その経験を通して様々なことを学んできました。実際にあなたがどこか旅行に行った時、どこにも行かずに、宿でじっと過ごすこともあるかもしれませんが、できれば興味のある場所や体験へは積極的に参加したいと思うことでしょうし、できるだけ、その地に居る時間内に、ひとつでも多くの場所や体験を経験しようと、スケジュール調整などをしたり、優先順位などをつけたりして、様々な工夫を試みて、体験しようとすることと思います。それと一緒です。そしてその『地球遊園地』内のパビリオンやアトラクションは、すべて自分の潜在意識が映し出される鏡のような造りになっていて、しかも、そのアトラクション内で何を体験したいかという設定も自由で、自分が体験したいことを体験できるような仕組みになっています。つまり、そのパビリオンやアトラクションで体験することはすべて自分が望んで創り出している体験・・・ということでもあります。 でもわたしたちはその設定を自分自身がしたことすら忘れるようにセッティングして来ているのです。また、この旅行での体験がよりエキサイティングで学び多き旅行になるように、この『地球』という遊園地は、『罪悪感』と『無価値感』という最強のアイテムを使ってわたしたちに様々なものを体験させてくれてきました。そしてまさに、“今”が、この地球遊園地での最もエキサイティングな出来事が起ころうとしている“その時”で、この地球遊園地に旅行に来たほとんどの人が体験するようセッティングされたビッグイベントで、それは次元上昇とも呼ばれていますが、地球遊園地の衣替え、バージョンアップです。アトラクション、乗り物、遊び方など、体験できること、その楽しみ方が今までとは全く異なる遊び場になります。そして、その過程の中に、「宇宙版人生ゲーム」という人生ゲームを上から眺めている本体の自分自身に気付く体験が待っていて、テレビゲームで例えるなら、画面の外でゲームをプレイしている自分に気付く体験であり、その自分自身がはたまた、宇宙そのものでもあると気付く体験がその流れの中に組み込まれていたりします。このビッグイベントを経験しようと、苦労してはるばる遠くの惑星からやって来たわたしたち。 このビッグイベントの醍醐味を味わうために、今まで長い時間をかけて、わたしたちは様々な体験をしてきたのです。そしてね、わたしは上に尋ねたことがあります。この経験をすることに、何の意味があるのだと。わたしたちは結局、ゲームのような幻想世界に在って、本体まで別に居て、何故こんな大変な想いをしなきゃいけないんだと。次元上昇をして、こんな経験を繰り返して、進化して、いったい、何の意味があるのだと。上は言いました。「あなたたちの経験が、本体の自分が居る世界の進化に貢献しています。イコール、太陽系の惑星の進化にも貢献し、宇宙全体の進化にも貢献しているのです」と。つまり、この世界の自分と、本体の自分は繋がっていて、自分が経験値を上げることによって、本体の自分の経験値もアップし、自分が経験値を上げることによって今、自分がいるこの地球の進化も促すし、本体の自分がいる世界の進化も促すことになっていると。イコール、宇宙全体の進化にも繋がっているということらしいのです。そしてなぜ、わたしたちのいる世界が幻想と言われるのか。この宇宙は、世界は、すべて、陰と陽、表と裏(どちらがいいわるいはなく)で成り立っていて「幻想」と言われているこの私たちの世界は、その「表」ではないということなのですね。どうやら表は別にあるようです。(そこから先はまだ私も確信を持てていなくて、これから情報と理解をもたらされるようです。)でも、わたしは、深いところで中途半端にそれを知っていたがためにこの世界で経験すること、はたまた存在することそのものに、意味を見出せなかった時期があったのだけれども、それこそ、山田さんのブログでいろんなことが繋がったのですが、この宇宙における次元世界は ∞ のループで繋がっており、下の次元が上を支えている、そしてそれらはすべて繋がっているということを知り、この3次元物質世界におけるわたしたちの経験や存在は、「幻想」だからといって何も無意味ではないし、何一つ無駄にはならないのだと理解できたのです。「さぁ、そろそろ目覚めるときですよ・・・」そろそろもう一人のあなたの存在に気付くときです。この世界をゲームとして自由に楽しむときです。さらに、これからがこのゲームの山場ですから・・・
2012.02.13
聖なるエロネタシリーズを終えて、アメバブログが追いつくまでのんびりしようと思っていたのですが、上から催促されるので、書きます・・・「そろそろ、目覚める(種明かしの)時間です」・・・皆さんは、「人生ゲーム」というボードゲームで遊んだ経験はおありでしょうか?ルーレットを回し、すごろくの要領で、人生における様々なイベントを体験していくボードゲームですよね。会社を設立することもあれば、倒産したり、借金をすることもあれば、大金持ちになったり・・・結婚、出産もイベントの内容に含まれています。まさに、山あり谷あり、笑いあり涙ありの人生を体験するゲーム。私たちは、実は今、そのリアル版とも言える「宇宙版人生ゲーム」の中にいるようなものなのですね。わたしたちはそろそろ気付いてもよい時期にやってまいりました。わたしたちは、その、宇宙版人生ゲームの中の主人公でありながら、実はそれが自分のすべてではなく、そのゲームを上から眺めている“もう一人の自分”がいることに、そろそろ気付いてもよい時期がやってきました。イメージすることはできますか?今まで、その宇宙版人生ゲームの中の主人公として、あなたは様々な体験をしてきました。でも、もう一人のあなたが、そのゲームを上から眺めているところを、あなたはイメージできますか?そのどちらもが“あなた”です。分かりにくければ、テレビゲームをしているところをイメージしてみてください。わたしは“マリオ”で育った世代なので、例えとして、スーパーマリオを使ってご説明いたしますが、まず、あなたはゲーム機のスイッチを入れ、テレビ画面を見ながら、まず自分は誰としてそのゲームをプレイするのか決めますね。スーパーマリオで言うなれば、“マリオ”にするのか、“ルイージ”にするのか、はたまた他の登場人物にするのか・・・“自分”としてプレイさせるゲームの中のキャラクターを選びます。次に、ゲームの中のコースやレベル、水中のコースなのか、地下のコースなのか、野山のコースなのか・・・レベルは“簡単・中ぐらい・難しい”の中から自分の能力にあったレベルを選択したり。この時間は、地味ですが意外と楽しかったりしますよね。同じゲームでも、キャラによって持っている性質や得意不得意が違ってくるので、キャラを変えて何度でも同じゲームでいろんなパターンを楽しむことが可能ですもんね。そして、いざゲームをスタートさせてプレイを楽しんでいるのは誰でもない、画面を外から見ている自分自身なのですが、ゲームに夢中になっていくと、画面の中の“マリオ”そのものになりきってプレイしているような感覚になっていたりすることはありませんでしたか?私は“マリオ”が死ぬと、すごく残念だったし、悔しかったし、敵キャラにやっつけられると、その敵キャラが非常に憎たらしく思えたりしていました。実際、もし、自分自身が、テレビゲームの中の“マリオ”だとしたら、水に潜ったり、落とし穴に落ちそうになったり、敵キャラに火を投げつけられたり、空を飛んだり逆に空から落っこちたり・・・たまったものではありませんね。生傷が絶えません・・・(;= =)だけど、あなたは、自分がその“マリオ”ではないことを知っているから、例えやられても、ダメージを受けても、痛くもないしかゆくもない状態で、ゲームを楽しむことができていました。だけれども、今、そこにいてこのメッセージを読んでくださっている“あなた”はまさに、今までは、そのゲームの中の“マリオ”として、自分の人生をプレイしてきたのですね。ゲームの中の自分である“マリオ”が自分だと信じて疑わなかったし、その自分以外に自分がいるなんて予想だにしなかったし、“マリオ”として一生懸命、与えられたコースをこなし、全力でコースをクリアしてきたのです。でも、実は、もう一人のあなたが、ゲームの外・・・画面の外にいるのです。しかも、そのゲームの様々な設定をしたのは、その“自分自身”なのです。宇宙版人生ゲームの例えも、これと同じです。まさに、わたしたちは今まで、その、宇宙版人生ゲームの中の主人公として、人生ゲームを楽しんでいたようなものです。宇宙版人生ゲームの中での体験というものも、あらかじめ、自分自身が設定しておいたものであり、自分が決めたものでもあります。そして、その人生ゲームの中で様々なイベントを体験している“自分”が本当の自分なのではなく、その体験・ゲーム進行を上から眺めている自分が本体の“自分”であることを、その“自分”がいることを、あなたはイメージすることができるでしょうか?この宇宙版人生ゲームをスタートさせるにあたって、ゲームを上から眺めるあなたはまず、キャラを決めました。性別を決め、どんな容姿をしていてどんな肉体をまとい、どんな性格をしていて、何が得意不得意で、どんな両親の元に生まれ、生涯を通してどんな人と出逢い、どんな学び・体験をしていくかという、大まかなコースを、自分自身であらかじめ設定するんです。人生の途中途中で、試練やハプニング、とびきりのサプライズなどもセッティングするかもしれません。でも、クリアできないような、レベル違いのとんでもないハプニングは設定しません。すべてクリアできる、自分のレベルに合った試練やハプニングを設定します。そして、いざ、ゲームスタートとなったとき、それらを設定した自分の存在は、すっかり忘れてしまうようにも設定してゲームを始めます。なぜなら、そのほうがゲームが面白くなるからです。クリアする喜びが倍増するからです。そして、人生ゲームを上から眺めているあなたは、ひとつのコースが終わると、毎回毎回すべてをリセットしながら、何度もキャラとコースを変えて、人生ゲームの中の主人公として、何度も何度もこの人生ゲームを楽しんできたのです。でも、その人生ゲームを上から眺めている自分は、誰をプレイして、どんなコースをクリアして、どんな宝物をゲットしてきたかということは、すべて把握できています。この人生ゲームのなかにおける「宝物」とは、経験・体験であり、気付きや学びです。人生ゲームの中の自分がどんな出来事を体験し、どんな感情を味わい、どんなことを学んだか、そのすべてが「宝物」です。さらに、このゲームの中での最もエキサイティングな体験は、このゲームの流れ・コースを設定した“もう一人の自分”の存在を思い出し、今まで生きてきた人生全体を、上から眺めている自分・・・まさにボードゲームの流れのように眺めることが出来る位置に居る“自分”に気付くことです。まさに私たちは、そのエキサイティングな体験をする時にやってまいりました。もちろん、ゲームを上から眺めている自分に気付くための“きっかけ”は、このメッセージ以外にもたくさん与えられているはずですので、これからもその自分に気付くための機会がたくさん与えられることでしょう。そして、わたしたちがこの宇宙版人生ゲームを繰り広げると決めたその舞台がまさにこの、『地球』であるわけです・・・。この『地球』というステージの中の、日本であったりインドであったりアメリカであったりフランスであったり・・・あなたはいろんな土地へ生まれでて、その土地でしか経験できないいろんなことをさんざん楽しんできたことでしょう。その人生の中には、クリアできなかったテーマや、ゲットできなかった宝物なども存在するので、あなたは自分のキャラ設定を変えて、生まれ出る場所を変えて、クリアできなかったテーマをクリアしようと、ゲットできなかった宝物をゲットしようと、何度も何度もリトライしてきたのです。そして、何度も何度もリトライしながらクリアできなかったものをクリアし続けて、このゲーム上で“宝物”と設定されているものもほとんど集め、わたしたちはもうほとんど、この宇宙版人生ゲームを完全制覇しそうなところまでやってきていて、多くの人が、完全クリアに近い状態にまでなってきているのです。それが、“いま”なのです。続く。。。
2012.02.13
目まぐるしく慌ただしく過ぎていくここ数日・・・落ち着いてブログ更新できる時間も取れず、うかうかしていたら上(ハイヤーセルフ)から催促される伝えるべきメッセージが聖なるエロネタシリーズから次に移ってしまいました。。。(;= =)(笑)まだエロネタシリーズ、伝えたいこと全部書ききってないのにぃぃぃ・・・上の展開する流れが思ったよりも早くって、「ちょっと待ってよぉぉぉ~~~」ってな感じです。。。トホホ。。。まぁ、でも残りの内容は時期とタイミングを見ながら、アメバブログのほうに完全に引越ししてからお伝えしようかなぁと思います。なので、ひとまず、エロネタシリーズはここでいったん一区切りしますね。そして昨日一昨日では、お金のことについて書いてくださいって、催促がありました。「お金のこと、嫌わないで」っていうメッセージ。お金たちの意識体と、ハイヤーセルフからのメッセージです。わたしが受け取ったメッセージはこんな感じ・・・お金をこの物質世界から排除しようとしないでください。お金を憎まないでください。目の敵にしないでください。「お金」の存在自体が問題なわけじゃないんです。それらを悪用している人間が問題なんです。仕組みが問題なんです。お金を憎めば、その仕組みの悪循環に拍車をかけることになります。お金を愛することでその悪循環は断ち切ることが出来ます。って。・・・お金も「愛」なんですね・・・。お茶碗やコップやペンや机とおんなじ・・・愛でできている、宇宙のいち物質。そこに、意味づけしたり、いろんなエネルギーを乗っけるのは全部人間。今のこの理不尽な意味のわからないピラミッド社会の仕組みを根底から覆すためには私たちのお金に対する見方、意識も変えてあげなければなりません。お金ちゃん(くんでもさんでもいいんだけどw)を憎むのではなくて、お金ちゃんという物質、存在に愛を注いであげてください。その存在を、慈しんであげてください。その存在に感謝してあげてください。多くの人がお金に愛を注げば注ぐほど、お金は悪用されることができなくなっていきます。お金も生きているんです。意識があるんです。お金に使われ方よる貧富の差をなくすためにもみんながお金を愛し、お金に感謝し、慈しみながら使ってあげてください。お金ちゃんが嘆いています「僕たちを嫌わないで~・・・」って(笑)・・・・・そう・・・・・わたくしごとですが、とうとうお金とも繋がる(話ができる)ようになってしまったと感心しています(爆)もともと、鉱物(パワーストーン)とは会話ができていたのですが・・・最近は、木の声を感知したり、物からの声を感知したり、最初は自分自身の中でも、半信半疑。うそ臭いなぁ自分・・・って思ってました。でも、物や空間にも意識があるんだということを、山田さんのブログ『どこに行くのか?バカボン一家』 『森の魔法』のおかげもあって確信がしっかり持てましてね節分前に、熊山遺跡に初めて行くことが出来たのですが、そこでもまた久々に、木々から話しかけられまして、(積極的に話しかけてきてくれたのは、熊山神社の階段の両脇の木々たちでした)みんなが一斉に、わぁーーーーーーってしゃべるので、その数の多さにもちょっとびっくりして、どの声に耳を傾けていいやら自分の中の整理もつかず、熊山の歴史的なものとか、パワーとか、アバウトにしか聞き取れなかったのですが、いろいろ教えてもらえたりもしたんですよ。このように動植物はもちろんのことですが、同様に、“物”も生きているんですね。意識もあります。しようと思えば(意識とハートを開けば)誰だって会話もできます。お金も然りなんですね。だからお金の存在を否定せずに肯定してあげてください。お金も自分自身と繋がっています。わたしたちはひとつです。お金を否定することは、自分を否定することと同じです。だから、お金も愛してあげてください。この社会の経済的な仕組みの改革を起こすためにも、そこは外せないようです・・・。以上お金ちゃんたちと私のハイヤーセルフからのメッセージでした今日も最後まで読んでくださってどうもありがとうございましたP.Sエロネタシリーズを一人でも多くの方に読んでいただきたくてブログランキングに参加していましたがエロネタシリーズも一区切りついたのでこちらのブログランキングからはいったん自由になります。(*^^*)今までポチっとな☆にご協力いただきました皆様、どうもありがとうございましたアメバブログのほうでは引き続き、ランキング参加していきますのでまたそちらでも応援どうぞよろしくお願いいたしますね
2012.02.11
マイミク シャンタンさんの日記より転載させていただいてます。ぜひ皆さんにもシェアリングさせていただきたいと思ったOSHOの言葉です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・自然は律動的な調和だ。 ところが、人間が自然に押し付けた人工的なもの、 自然に反してつくられたたもの、 生の流れの中に人間が投げ込んだ機械文明は、 多くの場所に障害を生み出し、その流れを止めてしまった。 そして川が犯人にされる。 「人間が悪い。種に毒がある」とひとは言う。 私は、基本的な障害は人間によって作られた。 人間自身によって生み出されたのだという事実に、 あなたの注意を促したい。 さもなければ、愛の川は自由に流れ、神の海に行き着いていたに違いない。 愛は、生まれながらにして人間の内部にある。 もし障害が自覚を伴って取り除かれたら、愛は流れることが出来る。 そうなれば、愛は神に触れるほどに、 至上の存在に触れるほどまでに高まることが出来る。 これら人工的な障害とは何だろう? まず第1に、最も明らかな障害は、 セックスへの反対、情熱に対する非難だ。 この障害が、人間の中の愛の誕生の可能性を破壊して来た。 単純な事実は、セックスが愛の出発点だということだ。 セックスは愛に至る旅の始まりだ。 その起源、愛と言うガンジス河の源、ガンゴトリは、セックス、情熱だ。 が、誰もがそれが敵であるかのように振る舞う。 あらゆる文明や宗教、あらゆるグル(導師)、 見者はこのガンゴトリ、この本源を攻撃して来た。 そして川は抑えられたままになっている。 犯人を追う叫び声はいつもこうだった。 「セックスは罪だ。セックスは非宗教的だ。セックスには毒がある」 私達は、旅をして愛の内なる海に行き着くのは、 最終的にはセックスエネルギー自体であることを理解しない。 愛は、セックスエネルギーの変容したものだ。 愛の開花は、セックスという種からやって来る。 ・・(略)・・セックスエネルギーだけが、愛へ開花することが出来る。 ところが、人類の偉大な思想家を含めて、誰もがそれに反対している。 この反対がある為に種の発芽は許されず、 愛の宮殿はその根底から破壊される。 セックスに対する敵意は、愛の可能性を打ち砕いて来た。 その為に石炭はダイヤモンドになることが出来ない。 基本的な誤解がある為に、セックスを認め、 それを発展させる過程を通過する必要性を誰ひとり感じない。 その敵である私達、それに反対しそれと絶えず争っている私達に、 いかにしてセックスを変容させることが出来ようか? 人間は、自分のエネルギーと闘うことを強いられて来た。 人間は自分のセックスエネルギーと闘うように、 セックスの衝動に反対するようにと教えられて来た。 マインドは人間の中に存在し、セックスもまた人間の中に存在する。 しかもなお人間は、内側の葛藤から自由になることを期待されている。 調和ある存在となることを望まれている。 彼は闘わねばならず、その上に仲直りもやらねばならない。 それがこの社会の指導者達の教えだ。 一方で人間を狂気にかりたて、もう一方では治療する為の収容所を開く。 彼らは病気の元になる細菌を広め、 そうしながらその病気を治す為の病院を作る。 もうひとつ考慮すべき重要な事柄は、 人間をセックスから切り離すことは出来ないということだ。 セックスは人間の原初の地点だ。 彼はそこから生まれた。 神が創造の出発点としてセックスというエネルギーを創った。 そして偉大な人間達は、神自身それを罪と 見なさなかったものを罪深いと言う! もし神がセックスを罪と見なすのなら、その時にはこの世界において、 この宇宙において、神ほどの罪人は他にいない。 あなたは、花が開いているその状態は情熱の表現だということ、 それは性的な行為だということを理解したことはないだろうか? 目にも鮮やかな美しさに満ちた孔雀のダンス、 詩人はそれを歌い、聖人もまた喜びに満ち溢れる。 だが彼らは、そのダンスもまた情熱の公然たる表現であり、 本来、性的な行為だということに気づいているだろうか? 誰を喜ばすために孔雀は踊るのだろう? 孔雀はその愛する者、その連れ合いを呼んでいる。 ヒバリが鳴いている、カッコウが鳴いている。 少年は青年になり、少女は女へと成長する。 この全ては何だろう? 何という遊び、何というリーラだろう? これらは全て愛、性的なエネルギーの現れだ。 この愛の現れは変容されたセックスの表現だ。 それはエネルギーで溢れ、セックスを肯定している・・ 人の全生涯を通じて、愛のあらゆる行為、愛のあらゆる態度とその衝動は、 原初的なセックスエネルギーの開花としてある。 宗教と文化は、セックスに反対するという毒を人間のマインドに注ぎ込む。 それは葛藤を、戦争を生み出す。 それらは人間を、自身の原初エネルギーとの闘いに従事させる。 その為人間は弱くなり、鈍感で粗野、愛がなく虚無に満ちた存在になった。 敵意ではなく、セックスとの友情が創り出されるべきだ。 セックスは、より純粋な高みへと引き上げられるべきだ。 ・・・結婚したばかりのカップルを祝福しながら、聖者が新婦に言った。 「あなたが10人の子供達の母親となるように。そして最後には、 あなたの夫があなたの11人目の子供となるように」 もし情熱が変容されたら、妻は母親になれる。 もし性欲を超えることが出来たら、セックスは愛になり得る。 セックスエネルギーだけが、愛の力へと開花することが出来る。 だが私達は人間を、セックスに対する敵対心でいっぱいにしてしまった。 その結果、愛は花開かなかった。 その後に来るもの、来るべき形態は、 セックスを受け容れることで初めて可能になる。 愛の流れは、強い抵抗の為に流れ進んでゆくことが出来ない。 一方においてセックスが内側でかき立てられたまま、 人間の意識は性的な状態で泥まみれになっている。 人間の意識はますます性的になってゆく。 私達の歌、詩、絵画、そして寺院にある像は全て、 セックスを巡って創られている。 なぜなら、私達のマインドもまたセックスの軸の周りを 思い巡っているからだ。 この世界のどんな動物といえども人間ほど性的ではない。 人間はどこにいても性的だ。 起きていようと眠っていようと、その振る舞い、その作法がまた性的だ。 瞬間ごとに人間は、セックスにつきまとわれている。 このセックスに対する敵意のゆえに、この反対と抑圧のゆえに、 人間は内側から腐敗しつつある。 人間はその生の根源そのものであるものから、 自分を自由に出来ないでいる。 そしてこの絶え間ない内側での葛藤の為に、 人間の存在全体がひどい神経症にかかってしまった。 人間は病んでいる。 人類に明らかに見られる、この歪められた性的状態は、 いわゆる指導者や聖者のせいだ。 その責任は彼らにある。 人間が、そういった教師や道徳家や宗教的な指導者から、 そして彼らの偽りの教えから自分を自由にしない限り、 人間の内部に愛が現れる可能性は全くない。 この段階で、私は最初の原則をあなたに与えたい。 もしあなたが、愛についての基本的な真実を知りたいなら、 まず第一に必要なことは、セックスの神聖さを受け容れることだ。 セックスの神性を、神の存在を受け容れるのと同じように、 ハートを開いて受け容れることだ。 開かれたハートとマインドでセックスを充分に受け容れれば、 それだけあなたは自由になる。 が、抑圧すればするほど、サラリーマンが背広の奴隷になったように それに縛られる。 あなたは受け容れる分だけ解放される。 生を全面的に受け容れたら、生の中で自然なこと全て、 生の中で神によって与えられている全てを受け容れたら、 それはあなたを神性の最も高い領域、未知の高み、 崇高な高みへと連れてゆく。 そして、神によって与えられたものへのこの信頼は、解放へと向かう扉だ。 私は生の中の自然なもの、神の計画の中の自然なものを、 人間に受け容れさせないような教えを神に敵たいしていると見なす。 「これに反対しろ、あれを抑圧しろ。 自然は罪深く邪悪だ。 欲望に満ちている。 これを捨て、あれを捨てろ」 私の理解する限り、これら全てが神に敵たいしている。 放棄を説く者達は神に敵たいしている。 生を、その純粋で自然な形のまま受け容れなさい。 そして、その豊かさの中で満たされるることだ。 満ち溢れること自体が、あなたを一歩一歩、上へ引き上げてくれる。 まさにこのセックスの受容そのものが、あなたが想像も出来なかった、 雲ひとつない高みへとあなたを引き上げてくれる。 もしセックスが石炭だとしたら、それがダイヤモンドとして 姿を現す日が来るのは確実だ。 osho押していただけると嬉しいポチっとなにほんブログ村
2012.02.09
アメーバブログを始めてみました実はブログをお引越ししようかどうしようかと考えておりまして・・・とはいっても、ここは閉鎖するつもりはなくって、残しておくつもりでいますが、アメバに慣れるまでしばらくは、アメバにはこちらの【聖なるエロネタシリーズ】からコピーしたものをアップしていきながらここ楽天ブログとアメーバブログの両方で平行していくことに致しました。アメバがこちらの記事に追いつくまで少々時間はかかりますが、記事が追いついたら、メインをアメバに移そうかなと考えております。まぁ、またその時は改めてお知らせさせていただきますのでニューフェイスアメバブログ『愛織~宇宙の愛と共に生きる~』http://ameblo.jp/manaoli/こちらもよかったら覗いてやってください今後ともどうぞよろしくお願いいたします
2012.02.06
性エネルギーに関係する食のお話もご紹介しておきますね。わたしは、男性も女性もともに肉食より野菜食が良くて、濃い味付けは控えめにしたほうがいいに決まってる・・・って思っていたのだけど、実はそうでもないようなのです。男性は陽(火)の気で、女性は陰(水)の気で出来ているのだから、摂取するべきエネルギーが違って当然なようですね。ご参考までに。『陰陽のバランスを達成するために男女それぞれが取るべきステップ』 ◆女性◆ ・塩を少なくする ・野菜を多くする ・調理時間を長くする ・緑色の野菜の葉を多くする ・魚はほとんど(まったく)食べない ・動物性食品はほとんど(まったく)食べない ◆男性◆ ・塩をやや多めにする ・穀類を多くする ・調理を長くする ・根菜類を多くする ・魚は控えめに(少なく)する ・動物性食品は控えめに(少なく)する 陽の食べ物(肉類・卵・乳製品など。下記参照)を多く摂りすぎると、女性は固く鈍感に成ります。 陰の食べ物を多く摂りすぎると、男性は柔らかになり、ぼっきすることができなくなることがあるそうです。 食例)◆極めて陰・・・(薬物)、砂糖、アルコール、果物 ◆陰・・・豆類、野菜類、穀類、魚、根菜類、繊維類、球根など地中で育つ食べ物 ◆陽・・・鶏肉、獣肉、卵、塩 ◆極めて陽・・・ニンニク、ショウガ、赤唐辛子 「極めて陰」のエネルギーの食べ物を過剰に食べた男性は、その後しばらくすると、性的な活動が弱くなります。 陽エネルギーが使い尽くされて、消失してしまうためなんだとか・・・。 「極めて陽」な食べ物を過剰に摂取した男性には、強い、さらには暴力的な、性的欲求が育まれることがあります。 この欲求は、自己中心的、鈍感で、持続時間が短いのが特徴です。 陰と陽、両極端の食べ物を摂ると、性的な活力や欲求が変動し、ついたり消えたりするそうです。 ◆男性のための『性器のための食べ物』◆メイクラブの際、大量の「熱い気」が放出されるので、この熱い気を補えれば、どんなものでも大変役に立つと考えられます。 つまり、極端に冷たい食べ物は、肉体における気の比率を下げるので避けるべきです。 一方、腎臓は性器を統括しており、したがって性的に刺激されているので、 冷たくても腎臓を刺激する食べ物は、食べても良いことになります。 避けるべき極端に冷たい食べ物としては、ココナッツミルク、メンソール入りのワイン、キク茶、氷で冷やした水があります。 メイクラブの後は、組織全体に栄養を与える食品が望ましいでしょう。 たとえば、肉や内臓類、ショウガ、ナツメヤシ、フカヒレ、ツバメの巣、ナマコなどです。 これらは肉体のエネルギーを築くので、強壮食品とされています。 あと、これは男性の性エネルギーを確保するための、タオイストの文献からの抜粋ですが、“「春には3日ごとにしゃせいしてよい。(←引っかかるもので、ひらがな表記であいすみませんw)夏と秋には月に2回、冬の季節にはせいしを温存して、まったくしゃせいしてはならない」と語っている同志があるように、 冬の放出で陽のエネルギーが失われることは、春に1回放出するときの100倍もよくないと考えられます。 自然の摂理に従って、冬はエネルギーの貯蔵、蓄積の季節だと信じられてきました。 男性で言うと、冬季にはせいしを保存し、からだを温め、強化する熱い食べ物を摂ることで、「熱い」エネルギーを増すことを意味します。 夏にはより冷たい食べ物を摂ります。 ”など・・・しゃせいは男性にとって大きなエネルギーの消費になるみたいですね。メイクラブでも、しゃせいを極力しない方向で行うことは男女共にメリットがあるようですあと・・・ちょっと飛躍しちゃうけど、「食」から「プラーナ(気)」への意識転換もぜひオススメしたいこの宇宙はわたしたちが生命維持に必要なエネルギーはすべて有しています。ですから、空気中のプラーナから必要な栄養素・エネルギーも得ることも可能なのですね。わたしたちは、今までは食べ物から生命を維持するエネルギー(振動)を取り込んで自分の振動に加えて自分のエネルギーに変えていたけど、これからは徐々に、プラーナからも栄養を吸収できるカラダになっていきます。食物から必要なエネルギーを吸収しなくても空気中の気から必要なエネルギーを摂取できるようになれば内臓は消化のためにエネルギーを消費しなくて済むようになりますので、内臓は老化せず、いつまでも若くあれ、結果、寿命が延びることにも繋がったりもします。「仙人は霞を食べる」と言われますが、頑張って山にこもって仙人にならなくても普通にそれが可能になる時代がとうとう来ましたよーーーブラボーーーヽ(´▽`)ノ(笑)そのやり方は「わたしは健康維持に必要な栄養素、必要なビタミン、必要なエネルギー源すべてをプラーナから摂取できる」と深い潜在意識から認識し、「プラーナからそれらを摂取する!」と意図すればよいだけです。そしてできるだけ、日光浴をしてください。これは食と健康、そして老化に対する完全なる認識・意識の書き換えです。この世界は自分の思い込みが現実になるから食べなくては死ぬ・・・と思っている人は、食べなくなったら死んじゃいます。食べなくても死んだりしないと潜在意識の深いところから完全に信じることができている人は、食べなくても死なない現実をつくり出せる。それを理解すればわたしたちの現実は、いかに無限に満ちていることか・・・今のわたしたちではまったく予想すら出来ないほどに、いくらでも未知の現実を作り出していくことが出来るんですね。そして、「食べなくてはいけない」という思い込みから解放されますと、「何時だから食べなければならない」という、時間の拘束からも自由になります。お腹が空いたら食べればいい。これ基本。基本的に、今の現代人は、食べ過ぎなのですよね~(⌒o⌒;Aまずは、時間に合わせて食事を摂るのではなく、お腹が空いたら食べるようにするだけでも随分、身体が軽くなってきます。しか~し、人間は、ストレスを抱えていると必要以上に食べてしまう傾向にありますあ、こないだマイミクさんが紹介してくださったブログにおもしろいこと書いてありました。人間って、歯と指先で怒りを発散するんですって。『過食・喫煙する人の心理』http://plaza.rakuten.co.jp/newtral343/diary/200712020000/?__from=mixiさすがOSHOでーすヽ(´▽`)ノ(笑)お腹がいっぱいなのに、何かを食べたくて仕方ないという欲求に駆られる場合は、自分の中にあるストレス・・・満たされないものがいったいなんなのか、何の欠乏感を食で埋めようとしているのかに気付かなければなりません。そういうときはしっかり自分と向き合って、どんなストレスを抱えているのか探ってみましょう。わたしたちは食べ物を食べなくても生命維持は可能なのだということを知れば、生命維持のために食べ物を食べる必要がなくなり、「食べなければならない」という義務感から解放されます。実際に、不食の人も世界中には何人もいらっしゃいますし、平均寿命と言われている年齢をはるかに超えて存在した方も何人もいらっしゃいますしね。火の上を歩いても火傷しない人がいたりもしますが、その人は、火の上を歩いてもやけどしないと信じ込んでいるから火傷しないのです。わたしたちの思い込みというものは、それほどまでに強力なんですねー「食べなくては死ぬ」というこの思い込みを外すことは、ひとつの自由を手にすることにも繋がりますし、老化へ向かおうとする生理からも自由になることができます。歳を取れば老いる・・・これも思い込みのひとつですから、この思い込みを手放して、自分自身に「わたしは老化しない」と完全にプログラムしてしまえば、老化からも自由になれますヽ(´▽`)ノ歳をとって行くことを楽しむことも素敵なことだと思うけど・・・でも、女性ならいつまでもプリプリぴちぴちでいたいですよね~?(笑)だから年齢を重ねれば老けると思っている人はどんどん老けるし、栄養を吸収するために食べるのであれば、身体は食べ物から栄養を吸収しようと機能するでしょうし、プラーナから栄養を吸収しようとすれば、身体はそのように機能し始めますので、意図すること、自分自身にプログラミングしてあげることは非常に有効ですだから自分自身のために、そして大好きなパートナーのためにもいつまでも美しくピチピチで在りたい女性たち、いつまでも若く元気モリモリでありたい男性たちはぜひとも、「わたしは生命維持のために食べるのではなく、楽しみのために食べるのだ」と意図しちゃってください。そして「わたしはプラーナ吸収によって、完璧なるバランスを保ち、完璧なるスタイルで、ベストな体重で、完璧なる健康状態で存在している」と自分自身の肉体とエネルギー体(オーラ体)に再インプットし直してあげましょう。そしてそれを疑うことなく深いところ(潜在意識)でちゃんとそう信じきることが出来ていること。これはわたしの場合ですが、最近、第6チャクラ(第三の目ですね)がものすごく太陽エネルギーを欲しがるので、朝昼夕方に関わらず、おでこを出して第6チャクラに太陽エネルギーを吸い込んでそれを第2チャクラ(丹田)に降ろしたり←身体がそうしたいと欲するのでね・・・あと、午後から夕方にかけて、日射しが少し柔らかくなってくる頃に太陽を気が済むまで凝視したりもします。(笑)なんか、お腹が膨れるというか・・・エネルギー充電される感じでいい感じなんですよね。皆さんもご自分の体としっかり対話しながら自分なりの肉体(&エネルギー体)管理、楽しんでくださいね押していただけると嬉しいポチっとな☆にほんブログ村
2012.02.06
お待たせしましたm(_ _)mメイクラブでエネルギー交感をするといろんなチャクラが活性化するのですが、いったいそれって、どんな感じになるのか(あくまでわたしの体験を交えながらのお話ですが)私なりにお伝えしてみようと思います。って、ちょっとマニアックな話になりますけど、でもまぁ気にせず、いっちゃいますね(笑)男性は陽(+)のエネルギーを帯びていて、女性は陰(-)のエネルギーを帯びているのですが、男性と女性が触れ合うことによって、プラスエネルギーとマイナスエネルギーの中和が起こります。これには年齢は関係ありませんので、赤ちゃんやお子さんとの触れ合いでも起こりますし、動物に対してでも同じように作用します。自分が女性なら、男の子やオスの動物の頭をなでたり、触ったり、手を繋いだりするだけでも、このエネルギーの交流(中和現象)は起こります。何かしら、自分がイライラしたり、怒りっぽくなったり、落ち込み易くなっている状態が続いていたら、自分の「性」が持っている陰陽のエネルギーが帯電している可能性も考えられますので、そういう時には、異性や異性の動物に触れるように意識してみると、エネルギーの中和が起こり、イライラが解消されたり、落ち込みが解消されたりすることもありますそして、ことにメイクラブは、このエネルギー交流がとてつもなくダイナミックに行われる場老子で有名なタオイストたちが行ってきたメイクラブや、ポリネシアンセ☆クスは、しゃせいに向かう激しい動きを抑制して、挿入して繋がっている時間を長くすることを提唱しているメイクラブで長く繋がっていればいるほどお互いのエネルギー交流がたくさん行われるので、二人の絆も深まり、お互いに愛情で満たされるうえに、健康になったり、若返ったりもする、一石二鳥ならぬ、たくさんの恩恵がある素晴らしい行為なのだとそれらは伝えています。ポリネシアンセ☆クスは最低28分間繋がっておくことと言っています。長ければ長いほどいいそうですから別に28分間以上、挿入したまま動き続ける必要もなくて、動きたければ動けばいいし、休みたければ繋がったまま休めばいいし。休んでいる時に、座位でも正常位でも測位ででもいいので抱き合ってエネルギーを流しあっこして二人でぐるぐる廻しちゃうのもいいかもしれませんねエネルギー交流で得られる快感は、わたしは男性じゃないから、男性にとってそれがどんな快感なのかは表現できないけれど、たぶん、女性がくりとりすでイクのと同じような比較的浅い一時的な快感が男性のしゃせいと一緒なのではないかなと想像します。エネルギー交流で得られる快感はそれで得られる快感の何倍も何十倍も深い深い別次元の快感。しかもエネルギー交感では男性も女性のように何度もイク(しゃせいするのではなくね)ことができるんです。肉体の摩擦を通して得ることが出来る快感とはまた違った快感をそこで味わうことが出来ます。そしてエネルギー交感が起こると、各チャクラが活性化したり、お互いのチャクラ同士が反応し合ったりして、その際にまたとてつもない強烈なエクスタシーをもたらすのですが・・・エネルギー交感・エネルギーのメイクラブと言っても、表面上(見た目?)は普通のメイクラブとなんら変わりはなく、普通に、身体を合わせます。でも、エネルギーを流す際は、AVとかで観られるセ☆クスのように激しい動きをしながらエネルギーを流すのってけっこう集中できなくて難しいとは思うので、最初はじっとしたまま流したり、一突きした際にエネルギーを流してしばらくじっとしているとか、いろいろ試されたらいいとは思います。そして心から愛する人と繋がり、愛する人のすべてを全身全霊で感じようとすることでエネルギー体どうしの活発な交流が起こりますが、わたしたちの肉体の中心部分に位置する性器同士が結合するということは、第1~第7までの全チャクラに通るエネルギーセンターとも一気に繋がるので、非常にパワフルなエネルギー活性・エネルギー交流をもたらします。エネルギーの交流は第4チャクラであるハートチャクラどうしであったり、第3チャクラどうしであったり、第2チャクラどうしであったり、第2・第4と連動することもあったり、様々です。肉体が結合しなくても距離に関係なくエネルギーの交流は可能ですが、やはり肉体を交えるのは威力が違います(笑)肉体が結合していようがしていまいが、最も繋がりやすいのはまずはハートチャクラかなぁ?わたし個人的には、表のハートチャクラ(胸側)と裏のハートチャクラ(両肩甲骨の間)が両方ともに非常に反応しやすい箇所だと思います。お互いに自分をさらけ出し、正直になり、お互いをこれ以上ないほどに愛し、大切に想い、心と心がしっかりと繋がると、ハートチャクラ同士が反応してハートチャクラ同士のエネルギーの交流が活発に起こります。そのエネルギーの交流の感覚は、胸の真ん中のあたりから見えない太い管が伸びていて、その管が相手のハートチャクラと繋がり、その太い管の中をお互いのエネルギーが、電流のように激しく行き来するような感覚です。胸がきゅーっと締め付けられるような、切ない気持ちになるかもしれません。胸や背中が温かくなり、ハートチャクラにどんどんエネルギーが流れ込んで、胸の中心で何かが大きく大きく膨らんでエネルギーが放射状にあふれ出していくような感じです。そしてそれに伴い、強い快感を得られることもあります。また、生殖器や性エネルギーを管轄している第2チャクラも、エネルギーの交流が非常にダイナミックに行われるチャクラなので、結合してしばらくすると、相手のエネルギーがその結合部分を通して自分の中に入ってくるのが分かると思います。さらに、チャクラ同士が繋がってチャクラが活性化を始めると、それはまるで、電気がショートしているかのような激しいもので、いったん、エネルギーの交流が始まると、肉体の結合部分が外れても、肌と肌が触れ合っていればチャクラ同士はしっかりと結びつき、エネルギーの交流をやめることはありません。自分をあるがまま認め、自分を表現することを楽しみ、相手の自己表現をも心から受け入れ尊重できている場合は、第3チャクラ同士も反応してエネルギー交流が起こったり、おでこをくっつけて、第6チャクラに意識を向けて、結合部分からのエネルギーを第6チャクラにまで上げるイメージをしていると、第6チャクラも交流を起こしたりします。第6チャクラ同士のエネルギー交流は、第三の目と呼ばれる眉間の真ん中が開いて、脳みそがとろけるような感覚になることでしょう。そして、チャクラの箇所に関わらず、性器からも肌からも相手のエネルギーが自分の中に入って来るときにやってくるエネルギーの波がとてつもない快感をもたらすのですが、それは骨の髄まで染み込み、体の末端の細胞ひとつひとつにまで深く深く広がり、その時の感覚は、全神経、全細胞、全身全霊がそのエネルギーの波によって歓喜しているかのようです。このように、エネルギーの交流により、様々なチャクラが活性化しそれに伴い強烈なエクスタシーも生じるし、チャクラやチャクラ以外の部分にも大きな官能の波が何度も何度も押し寄せます。男女ともにね。それこそマルチオーガズムといって全身が性感帯になっちゃう。何もわたしだから、そんな体験ができるのではありませんよ。わたしたちみんな、誰でもその体験は味わえるように造られているのだから。昔は一部の人しか、その体験もできなかったかもしれないけれど、もうこれからはみんなが体験できるときにやってきたんだと感じています。エネルギーでのメイクラブがあることを知り、エネルギーを感じる感覚を磨き、心と体をちゃんと開き、パートナーと深い安心感と信頼感を築ければ誰にだって、エネルギーのメイクラブでスペシャルな官能を体験することは可能ですでも、感じ方は人それぞれ。私と同じような感じ方をする必要はまったくありません。みんな違って、みんないい。みんな、それぞれの快感の世界を、自分なりに楽しんでもらえたらそれが一番です。だからチャクラの位置や働きなど分からなくても全然構いません。(笑)ただ、わたしたちは肉体とは別の部分でも快感を得ることができるのだという事実を知っておいていただけたらいいし、エネルギーでのメイクラブでは、男女共に、肉体から得られる快感よりもはるかに深くて強烈な快感が得られるのだということも一人でも多くの方に知っておいていただけたら嬉しいです。もちろん同時に、一人でも多くの方に肉体を持っているうちに、一度はそのメイクラブにチャレンジして今まで感じたことのない快感を味わってもらいたいっていう気持ちもあるけど。でも、エクスタシーを追いかけることでそれは逆に遠のいていく可能性もあって。頑張りすぎても追いかけすぎてもダメなんですよね。w特に女性にとってエクスタシーは完全に無防備になり、すべてをゆだねたときにやってくるから・・・(悟りと一緒ですね♪)だから何より大事にしていただきたいのは無になってメイクラブを心から楽しむ気持ち、お互いを慈しみあう、あふれんばかりの愛。そのベースがしっかり根を張っていれば肉体のエクスタシーを探究しに行ってもエネルギーのメイクラブでのエクスタシーもしっかり探究しに行っても神聖なる大切なものを見失うことなく必ず中心に戻って来れますし、それを何より大切にすることが、結局未知なるエクスタシーを得る一番の近道になるとも思うので肩に力を入れすぎることなく、誰とも比較することなく、そして快感を追いかけすぎることなく・・・ご自身なりのエネルギー交感の世界を楽しく探究していっていただけたら嬉しいなぁと思っています・・・今日も長々と最後まで読んでくださってどうもありがとう感謝押していただけたら嬉しいぽちっとな☆にほんブログ村
2012.02.04
今日は節分ですねーまた今日から変わりますねー!!楽しみです!!と、前回の日記で、「次はエネルギー交感によるチャクラの活性化についてお話します」と言っていたのですが、今日の気分で、なんとなくこっちの記事をアップしたくなったので先にこちらをアップします。チャクラ活性化の話を楽しみにしてくださっていた方は、ごめんなさいね今日のお話は呼吸から得られるエクスタシーについてです皆さんは、息をしていて、快感を感じたこと、ありますか?(笑)呼吸は、当たり前のように毎日、毎瞬、行っているものですね。起きている時も寝ている時も、休むことなく行われています。呼吸は、わたしたちの意思でコントロールできるもののようでいて、実は、コントロールできないものでもありますね。わたしたちは自分の力で呼吸をしているのではないことに、お気付きでしょうか?わたしたちは、呼吸をしているのではなく、呼吸させられているのですね~これは、わたしたちが自分の力で生きているのではなく、生かされているということでもありますそして、この呼吸こそが、わたしたちと宇宙を繋いでくれている最も大切なパイプとなっています。・・・宇宙ってね、呼気と吸気のリズムを繰り返してる。わたしたちも同じ。呼吸はもちろんのこと、この、魂の成長の流れにおいても。わたしたちは、宇宙との分離を味わいたくてこの地球にやってきて、その分離の幻想は風船のようにどんどんどんどん大きくなって広がって拡大し、もう最大マックスのあたりにまで到達したんですね。そしてこんどは収縮を始めるわけです。わたしたちはとことん、宇宙と分離したので(幻想だけどねw)今度は宇宙に戻る・・・宇宙とまたひとつに統合して行く流れに入ったのです。おもしろいですよね。呼吸って、実はすごく神秘的な、深~い現象なんですね。だから宇宙を知りたければ、自分を知りたければ、呼吸を知ること、感じることです。呼吸に潜っていくことは、自分自身を深く探っていくことと同じです。呼吸が浅いとき、深いときとの違いで、自分自身の肉体や精神状態の違いに気付くこともできるでしょう。一人のときや、メイクラブ時におけるエネルギーの循環においても、呼吸は欠かせない同伴者、お供さんです。お供さんが、「いま」とか「無」に深く入ることや自分が快感そのものもになることを手助けしてくれたりもます。呼吸をコントロールせず、ただありのままに見つめることができるようになれば、自分自身のこともコントロールせず、ありのままに見つめることができるようになります。吸う息、吐く息に、いいもわるいもありませんよね。同じように、自分の中で感じることにもいいわるいはありません。呼吸が浅いときは、「ああ、今は浅いんだな」で、その呼吸をただ見つめればいい。そしてその呼吸をただ感じていればいい。その呼吸とひとつになっていればいい。深い呼吸をしているときは「ああ、今は深く呼吸しているんだな」と、ただその深い呼吸の中に在ればいい。呼吸を感じているときに、頭の中にはいろんな思考が浮かんでくるかもしれませんが、それはそれでよくて、思考している自分に気付いたら、何にもジャッジせず、再び、意識を呼吸に向ければよいだけ。そして、呼吸をただ観察して感じていると、身体が呼吸の仕方を要求してくることがあります。「もっと深い呼吸をしてほしい」「もっと浅くて速い呼吸をしてほしい」とか、身体が呼吸の在り方を求めてくるのです。それは、「なんとなくこうしたくなった」という感覚でもあります。その、身体が求めるままに、頭でコントロールすることなく、呼吸をしていると、そのうち心身の解放が起こってきます。溜め込んでいたり、見て見ぬフリをして蓋をしてしまっていた感情たちがわーーーーっと沸き上がってきたり、滞っていたエネルギーのブロックを解放しようとして身体を動かしたくなったり、様々な現象が起こってくることもあると思います。感情が沸きあがってきた場合は、ただひたすらそれを感じて、それが例えどんな感情だったとしてもジャッジすることなく、その存在を許してひたすら感じて感じて思う存分噛み締めます。悲しくなったら泣けばいい。思い切り、気が済むまで泣いてください。どうして悲しいのか、探れそうなら探ってもよいし、分かりそうになければ探らずに、ただ泣きたい気持ちに集中する。怒りたくなったら思いきり怒りを感じましょう。何に対する怒りなのか、誰に対する怒りなのか、分かるようなら探ればよいし、分からないようならただ、怒りを感じてあげましょう。気の済むまで、思い切り怒りを感じましょう。しかも、そのときに「あ~~~・・・これは自分が感じたくて、自分が引き寄せて味わった感情なんだな~」って思えたらもうこっちのもの(笑)そうこうしているうちに、その感情たちは浄化されて昇華され消えてゆきます。未消化の感情たちはしっかり感じてあげることで癒され消化されていきますので、しっかり感じきってあげた後はとてもスッキリして心身が軽くなっていることを感じられるでしょうそれはあなたの中に在った重たいバイブレーションのエネルギーを解放したということであり、あなたの振動数が軽くなって楽になったということ。それって、ものすごい快感です呼吸を感じているうちに、動きたくなるのも同様です。重たいバイブレーションを解放するために起きている現象なので、動きたいと感じる動きをそのまま行動にしてください。客観的に見て、「自分、明らかにおかしいよな~(笑)」と思われるような、変な動きもあるかもしれませんが、そこは誰が見ているわけでもないので!!(笑)気にすることなく、身体が欲するままに動いてください。身体が欲している動きをあなたの頭がジャッジして変に抑制したりコントロールしたりしようとすると、解放しようとしている重たいエネルギーがうまく解放されないのでとにかく身体が欲するままに動いてください。そうすることで、あなたの振動数を鈍らせていた重たいエネルギー体があなたの肉体から剥がれ落ちたり、あなたの肉体に詰まっているブロックが解消されたりして、軽さとスッキリ感を実感することができるでしょう。そうして心身の浄化・解放が起こり、本来のあなたの振動数がそこで取り戻されます。それは、本来のあなたらしさを取り戻すことでもあり、あなたの持っている力・能力を存分に発揮できる状態にもなるということです。現代には様々なヒーリングが存在していますが、呼吸は、最もパワフルでなおかつ簡単で自分で出来る自己ヒーリングだと思うし、自分との一体感、自分自身との統合を促してくれるものであり、宇宙との一体感・統合をもたらしてくれるものでもあると思います。わたしたちの進化は、自分自身との統合をなくしてはあり得ません。自分自身との統合とは、自分の中が分離していないこと。自分の内側が自分自身と闘っていない状態のことです。そして呼吸を感じれば感じるほど、自分を感じることが出来るようになっていきます。相手を感じることが出来るようになっていきます。宇宙を感じることができるようになって行きます。相手を知るためにはまず、自分を知らなければなりません。相手を感じるためには、まず自分自身を感じられる自分でなければなりません。自分のことは自分が一番わかっていてもちっとも不思議ではないのに、わたしたちは自分のことが一番見えにくかったり、分からなかったりしますね。でも、呼吸と向き合い、呼吸を感じれば、あなたは自分と向き合うことが出来、自分で自分を感じることが出来、自分を知ることができるようになります。そして自分を知ることは、相手を知り、果ては宇宙を知っていくことに繋がる。「阿吽の呼吸」という言葉がありますが、「阿吽」とは出す息と吸う息、始まりと終わりを表していて、息そのものがぴったりと合っているという意味の言葉です。あいうえおの50音の始まりである「あ」、そして最後の「ん」・・・阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉ともされています。ですから、メイクラブ時にも、意識してパートナーと呼吸を合わせてみるのもよいでしょう。呼吸を合わせることによって、相手のいろんなことをさらに感じることができるでしょうし、さらなる一体感を感じることもできるでしょう。呼吸を通して、あなたは、あなたとの「ワンネス」を体験することができるでしょうし、それが出来るようになればパートナーとの「ワンネス」も、宇宙との「ワンネス」だって、体験できちゃう。それを味わうことが出来ることそまさに、最高のエクスタシーですよね!!呼吸って、すごいでしょ。呼吸ひとつで至福感に悶えられちゃうんですから(笑)人間の機能?ってすごいですよね~・・・。ほーんと、よく造られてる。(笑)皆さんも呼吸すること、呼吸をさせられていること、楽しんでみてくださいねそしてぜひぜひ、呼吸しながら悶えてください(笑)呼吸しながら身悶えながら肉体をもって生きてる快感肉体をもって生かされてる快感そして肉体を超えて宇宙とひとつになる快感をどうぞいっぱい感じて味わってくださいそれこそ“人間やってること”の醍醐味だと思うから・・・押していただけると嬉しいポチっとな☆にほんブログ村
2012.02.03
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