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これはウルトラマンのイントロでしたっけ? 何と これがロマンとか叙情詩でなく、科学的な根拠のある現実的なものとして理解していただく日記であります。 何時も貴重な情報をくださっているRyu-KIさん、みっちー1975さんと私の三人だけで共有するには いかにも惜しいので、以下 転載させていただきます。 もとはと言えば <我々はみんな星屑からできている> カールセーガン氏の言葉から始まるのです。http://www.marimo.or.jp/~daiken/resources/gorin.html 私が嬉しいのは、これが日本の密教でとりあげられていることでまさに核融合ならぬ 神仏と科学の融合であります。思い出すのはアインシュタインが「真の科学者は 神をも信じる」と明言された文章を読んだ記憶があります。関連サイトで「星の一生」が図解されております。http://www.t3.rim.or.jp/~star/star/livestar/05_sekisyoku.html 人類が 月や火星に科学のメスをいれ、少しずつ宇宙の神秘が解明されて行くのを否定はいたしません。それはそれとして どんなに解明されようと やはり月や星は美しく「星に願いを」の曲も永遠なるものと信じます。私達のふるさとを本能的に察知して美しく感じ願いをかけるのも 美しい人間の姿であると思います。 私達にこんなにも沢山の夢を教えてくださった偉大な天文学者カール セーガン氏の ご冥福をお祈り申しあげます。http://www.sspc.jpn.org/ufo/book/ufobook004/ufo230.html
2004年09月22日
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Dさん お久しぶりです。近々上京のおり、浅草に立ち寄れるとのこと嬉しいです。浅草寺と仲見世の他に何を見ればとのこと・・ 先ずは浅草寺は何故あんなに有名か? 昔から身分・格式・宗派にしばられず(身分の差別が無いから多くの庶民信仰の対象になる、武士から乞食に至るまで)誰でもが気楽に お参りできたこと,吉原の行き帰りの願いごと詫びごと(気が引けたり・心配したり)は男達、女性の おか惚れ浮気願望に至るまで、要するに何でも願いごとありの お寺さんだったらしい。周りの住民達は あらゆる職業・階層、偉い人・悪い人ダメな奴(なにしろ吉原あったから)つまりダウンタウンのサンプルできちゃったわけ。清濁合わせのむよりもっとひどい Hもいい加減もとにかく全部集まっちゃたから、浅草の気安さはそこにあるのかも。 だから観音様も あれはダメでこれはいいとか言ってるヒマ無くて「何とか してみるか」になっちゃったんじゃないかと思えるのです。(ちょいと脱線) 寺の右手に浅草神社があります。片隅に小さな石碑があって「竹馬や いろはにほへと ちりじりに」と久保田万太郎の句碑があります。私は彼のこの句が一番好きです。絵画とか俳句のいいところは、自分なりの理解のしかたが許される世界です。・・彼が大人になって ふと神社の境内に立ち寄ったとき、竹馬時代の幼き日を回想して ほのかな初恋を感じた女友達もちりじりになって 今は何処にいるのだろうか追想を詠んだ詩かと思います。それが いろは匂へどちりぬるを、の無常感がベースにあるだけにこの句は無常の中にも人情味のある 絵だったらダブルイメージ、歌だったら二重唱のニュアンスが濃くなります。(また脱線ですいません) さて、食い処ですが甘いものなら観音を背にして仲見世右側の裏通りの「梅園」(聞けばすぐ解る)軽い食事なら江戸前のそば、仲見世入り口の大堤燈の右横に交番があります。そこで「並木のやぶ」と聞けばすぐ解る。そこの日本酒(樽酒で少し高い)と つき出しにでてくる そば味噌は天下一品、そばは天ざる(芝えび 唯江戸前のそばつゆは味が濃いから関西の方はどっぷりつけないで)少し間があれば隅田川より駒形橋際の六角堂 そこで二人の漁師の網で観音様があげられたと言う伝説。更に少し戻ると松屋の向かい側角に戦前からある有名な「神谷バー」今でも昔の雰囲気少しあります。私が小学生の頃(昭和16・7年)母と映画を見てるまに親父は あの一角を遠巻きに並んでデンキブランをワンショット呑めたそうです。もう一杯呑みたい人はまた並んだそうで、まもなく戦も激しくなり酒どころかあらゆるものが無くなり 浅草の灯も消えました。 戦時中 デンキブランの懐かしく いっとき並んで ワンショット呑み 次回は別コース ご案内します。またの機会お待ちします。お友達にもよろしく。 浅草頑爺。
2004年09月16日
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Mr浅草魂さんことがんじーさんに代わって、彩佳☆がご報告します。Mr浅草魂さんはちょっと足の具合が悪いそうで、入院されております。お電話では、「たいした~ことはない、あと1週間で退院できる」とのことでしたが、お歳もお歳なので、少し心配でもありますが、とても元気あるお声でしたので大丈夫かと思います。病院ではたいくつなのでネットがしたいそうです・・どうしてもこのサイトを見てくれる方に伝えて欲しいということなので、代理でお伝えします。Mr浅草魂は健在でおります☆ご心配なく!不完全元気主義の皆さんよろしくです。浅草がんじいより・・追伸:Kimu-kimuさん、メールをありがとうございました。
2004年09月07日
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先日 楽天広場で迷子になって、合気の森(合気道346)にまぎれこんで あっちこっち見回してうちにKさんのメールにはいっちゃいました。文中 植芝先生(二代目師匠)の訃報を知りました。以下、その一文を転載させていただきます。 合気の郷に迷いこんだら 貴方の日記にぶつかりました。植芝先生の お名前を見て 思わず息をのみました。45年前合気をやってた私は、植芝・藤平両先生の指導を受けて当時25歳の 青春真っ只中のイメージ蘇ってきました。平成6年に他界されたご様子、ご冥福お祈り申し上げます。有楽町サンケイ道場の思い出の数々、今日はふれずに筆をおきます。浅草がんじい。(2004年08月31日 21時20分) 後日 またKさんからメールいただき三代目植芝先生の、ご消息お知らせいただき ありがとうございました。45年前に合気をやめた私は 乱取りはやりませんが、生活の中に合気をどう取り入れて行くか老人合気生活とでも言いますか、私なりにまとめて見ました。幸いここ46年目に若い方がたと合気の話しができるなんて夢にも思いませんでした。「70にして合気仲間に会う」・・・・・何とも不思議な感激であります。Kさんありがとうです。
2004年09月04日
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