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ターナー川は、日本の川と同様にパブリックの川なので釣り券を買えば何処でも釣りができる(イギリス、スコットランド、ノルウェーの一部の川は川岸まで私有地になっており、その場所での釣りは土地所有者に予約をして釣りをする。大抵のプライベートゾーンはパブリックより良いポイントであり、半年以上前に予約を取らないと釣りはできない。(パブリックでも良いポイントはあるが、そこへ行き抽選で順番を取るか、朝一番に行って並んで順番を待つ)フィンランドとノルウェーの国境を流れて、その距離は約360㎞でバレンツ海に到達する。アトランティックサーモンが遡上する川として有名であり、1929年に36㎏(79lb)の当時の世界記録のサーモンが釣りあげられている。我々が行く場所はイヴァロからE75線を北上しUtsjokiを左折してE6号線で上流を目指す。宿泊は中流域にあるレンタルロッジで半自炊。ターナーは中流でも川幅が250m以上あり日本の本流域とはスケールが違う。川は大きくて、サーモンがいるポイントまでの距離があり立ち込んでも届かない。17ft/#12のダブルハンド竿で遠投してもポイントまでは遠い。ほとんどのポイントは左岸側のノルウェー寄りにある。地元の釣り師達は船外機付きボートで、ドバミミズをつけた仕掛けをゆっくりと引きながらの釣りである。 右岸からフライを必死に振っているフライマンは少ない。白夜なので日没は午後10時頃、夜が明け始めるのは午前2時過ぎ。暗くなる前まで川に浸かって、ロッジに戻り夕食、そして睡眠。空が明るくなり始めると起きて川へ直行、その繰り返しの1週間。平均睡眠時間は4時間位、食う寝る以外は川でフライを振りまくる。 若かったからできた。しかし、サーモンは釣れない。事前にターナー川の釣りを調べて来なかったのも良くない。
2022.05.15

フィンランドとスウェーデンがNATOに加盟申請のニュースを見て(フィンランドの首相は36才の女性、スウェーデンも女性の首相)、約1300㎞超の欧州で一番長い露との国境線を持つフィンランドが、拷問・女性への暴行・子供や年寄りも構わず大量殺戮の極悪非道の露軍を自国に侵入させることはできないと考えるのは当然でしょう。露が勝手な理由をつけてウクライナへ侵攻している今と同様に、1939年に「マイニラ砲撃事件」をでっち上げ、それを理由にしてソ連がフィンランドに侵攻した「冬戦争」の歴史がある。その時の露のやり方は今と何ら変わっておらず、ならず者国家・露の非人道的、利己的で且つ己がやっている違法行為を他人の仕業と言う常習犯であるのをフィンランドはよく知っています。 それで、ゆくりなく思い出したのはロシア・コラ半島のリバー・イオカンガでの釣りを終え、コラ半島を想定外の陸路で国境を越えて自由圏内のフィンランドのイヴァロへ抜けた1996年、そして翌年1997年フィンランドのターナー川へ10kgオーバーのサーモンを釣りたくて旅したことを。(認知症の治療に「回想療法」というのがあり、自分の過去の思い出を繰り返し咀嚼するというやり方です。色んな思い出は頭の中の引き出しに入っているが、しょっちゅう出したり入れたりしないと引き出しが錆びて動かなくなってしまうと、90歳になっても頭がクリアーな作家・五木寛之氏の話です)最近、始まりつつある小生のボケを少しでも遅らせるべく思い出話を今後少しずつ綴っていこうと思う。「ターナー川の思い出 Tana-river」北極圏限界線から北のフィンランド、ノルウェー、スウェーデン、ロシアのコラ半島を含む地方をラップランドと呼ぶ。 アトランティックサーモンの釣りに嵌まってしまった私は、コラ半島そしてフィンランドのターナー川を皮切りに観光など一切せず(バカでしょう!笑)、ラップランド(ノルウェー側)のアトランティックサーモンの釣りへ、10㎏オーバーを目指してほぼ毎年通うことになりました。私が信奉したHSHL(フライキャスティングの方法)を提唱したシャルル・リッツ(Charles Ritz、パリのリッツホテルのオーナー)の著書「A Fly Fisher's Life」にラップランドの釣りの章があり、その中に印象に残った一文がある。以下に翻訳版より引用します。"ノルウェー、あらゆる釣り人の憧れの国、北極圏の中の野生のパラダイス。魚は多く釣り人は少ない。これが総計何百キロもの長さのフィヨルドに流れ込む川や無数の湖のある地図を見た時に、ほとんどの釣り人が想像する世界である。私(シャルル・リッツ)の友人の一人・ヴァイキングの国の2千キロに及ぶ水の流れのほとんどの場所で釣り糸をたれたことのある男がその旅行について語った時、言った。『僕は、まったく未開な土地の中を流れる川を探して北極圏に足を踏み入れた。リンゲンのフェリー乗り場へ行くストルスティンの道路を走っていた時に、やっと車が通れるくらいの道を見つけた。地図によると、この道はラップランドから来ている一本の川にぶつかっているようだった。そこで僕はこの道へ入ってみることにしたんだ。ひどく荒れた道を10㎞ほど行くと行き止まり。そうこうしているうちにさっき言った川へ通じているに違いない小径を見つけた。さぁ、いよいよこれで人っ子一人いない川で釣ることができる。友人と僕は長靴を履き、竿を繫いだ。2時間歩いて我々は川岸の開けた場所に着いた。そこには透明な水晶のような水が流れていた。右側の上流には大きな岩があって川は見えなかった。心臓が高鳴ったよ。何しろ三千キロの旅行をしてやっと理想の場所を見つけ、これから最高の瞬間が訪れるという期待があったから。僕はフライを選び、幾つかの確実なライズに向かってプレゼンしようと身構えた。その時だ、突然ぼくは夢を見てるんじゃないかと思った! こんな筈はない! そんなことは不可能だ!僕は友人に聞いてみた。「ここまであの小さいラジオを持ってきたのかい?」「いいや、車の中に置いてきたよ」 僕は幻覚でも見ているのだろうか? 僕は友人の顔を見た。彼の顔も狼狽していた。耳をすます。間違いない。[第三の男]のメロディが岩の向こう側から聞こえてきていた。岩を回って行ってみると、そこには十歳位の男の子がミミズのついた糸を棒切れに結び付けて岸辺に座っていたんだよ。彼の横の苔の上には脇腹の赤い鱒が何匹か置いてあり、彼は当たりを待ちながら、口笛を吹いていた。それは有名なメロディで冬の夜の間にラジオで覚えたのに違いなかった』、、、、、、”この話はリッツが、1950年代前半にスウェーデンの北のマルセルブ川のマラングフォスに釣りへ行った時に友人から聞いた話。当時、パリからストックホルムまで飛行機(プロペラ機)、ストックホルムから中継点のナルヴィックまで汽車を乗り継いで12時間の待ち時間を入れて丸二日。ナルヴィックで1泊、翌日ナルヴィックを出てマラングフォスの近くまでに4時間を要している。(今でも日本から北欧の辺地へ行くのは最短でも2泊3日を要する)三千キロも旅してやっと辺境の地に着き、釣り人は一人もいない!とワクワクドキドキしながら、さぁ釣るぞとフライをポイントにプレゼンするその時、「第三の男」の口笛が聞こえきたらそれはショックです(笑) さて、長い前置きはここまでにして、1997年パリ経由でヘルシンキへ、ここで一泊、そして懐かしいイヴァロへ。イヴァロ空港から2台のレンタカーでラップランドの道をターナーに向けて走ります。
2022.05.14

NATOに非加盟の中立国のフィンランドとスウェーデンがウクライナに武器を供与するニュースを見て、昔のことを思い出した。(年寄りの話は昔の思い出ばかりだと言われるだろうけど、笑)「彼らは、よく知っている」1995年、初めてのAtlantic Salmon釣りはコラ半島(ロシア)のIokanga riverを選択した。 私のアトランティックサーモンの釣りはこれがスタートとなり、95年以降ノルウェーはガウラ4回・ナムセン2回・アルタ2回・エイビーそしてレイサチュア、フィンランドはターナーと毎年出かけて、10㎏オーバーを釣りたくて、多い時は年に2回行くほどにアトランティックサーモンに魅了されてしまった。コラ半島は、ソ連が原爆実験をして放射能で汚染されている噂を聞いていたが、釣りたい欲を抑えられず行ってしまった。 翌年の'96年も同じイオカンガ川にチャレンジした時、滅多に経験できないことがあった。コラ半島へ行くにはヘルシンキから原潜基地があるムルマンスクに週1便のフィンエアーで飛び、ムルマンスク空港からチャーターされたヘリコプター(これがロシア軍の払い下げみたいなボロボロのヘリで客室にむき出しの燃料タンクがある)で目的の川へ行く。 コラ半島にはリンダ、カフカロフカ、リスタ、ポノイ、ヴァルジナ、ウンバ、イオカンガ等々のアトランティックサーモンが遡上する川があり、我々はバレンツ海に注ぐイオカンガ川へ釣行した。イオカンガ川以外の川はどちらかと言えばセレブ様御用達(主に米国等からの釣り客)なので宿泊するロッジも立派であった。 当時のイオカンガ川はノルウェーのエージェントが主催する安い釣りツアーの為か、ボロボロのテント泊だった。6月末のコラ半島は残雪が多く朝夕は寒く、テントの中心には古い薪ストーブがあり暖をとるのだが、このストーブの火のつきが悪く薪も湿っていて、なかなか燃えない。着火に失敗してテント中に煙が広がり、寝ていた友を燻製状態にしてしまったこともある(笑)低い灌木と岩だらけの残雪が残る野原を吹き抜けてくる風は強くそして冷たい、釣り終わってテントに戻ると中心にあったストーブが風で動いており、雨の時は雨漏りがしてバッグを動かさなければならなかった。1996年、1週間の釣りを終えて迎えのヘリを待つ最終日。身支度をしてヘリを待つが飛んで来ない!どうもヘリコプターの手配が間に合わなかったのか?セレブ御用達の川を優先して、一番安いイオカンガ川は後回しにされたようだ。とんでもなく遅刻して迎えのヘリに乗り込み、やっとムルマンスク空港に着くと週1便しかないフィンエアーは飛び立った後であった(+o+)さて、どうするのだ!当時のムルマンスク空港はうす暗くボロボロで、待合室の天井は穴が開いたままだった。1991年ソ連が崩壊してロシアの経済は落ち込み国民は貧困に喘いでいた。 鉛色の空の下、来た時に泊まった安ホテルにマイクロバスで連れて行かれる。当時のムルマンスク市内の道行く人々の表情は、暗く職もないのか?暇つぶしにブラついているように見える。バスでホテルに向かう道中、路肩に立つ女性がバスの我々に向けて自分のスカートを捲って見せるのだ。たぶん街娼だろう(・.・;)。何時間か待つほどに、ランクルがやって来て陸路でフィンランドに行くとのこと。車にぎゅうぎゅう詰めにされてフィンランドのイヴァロまで約400㎞。灌木類が生える山間の道を走りロシアの検問所を抜けて国境を越えるとフィンランド。やっとイヴァロ空港へ到着。しかし一緒に行った関西の3人は予定のフランクフルト発のJAL便には間に合わなかった。ムルマンスクからフィンランドへ抜けるルートで大変印象に残っているのは、国境を越えてフィンランド領に入った途端に、それまでロシア領を走っている時は1匹も見かけなかったトナカイがたくさんいるのだ。野生の動物達も、どちらのほうが安全なのかをよく知っているということです。
2022.05.12
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