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カテゴリ: 映画・外国

チェ・スンヒ(リュ・ヒョンヒ) と幼い息子の チャンホ(キム・パク) 。夫が逮捕され、母子2人でこの地にやってきたが、未来への展望は暗い。同じ朝鮮族ということで自動車工場の技術者と心を許しあうが、男の妻とトラブルに。結局、男に裏切られた スンヒ は売春容疑で留置場に入れられる。
留置場でも顔見知りの警官に、見逃す代わりに肉体関係を強要されるなど追い詰められていく。世の中に憎悪を募らせた スンヒ はついに一線を踏み越えてしまう…。

産経新聞ENAK より)



救いがない、とはこういうことを言うのでしょうね。
観終わったあと、ド~ンと気持ちが落ち込みました。


後ろ盾が全くない女は搾取され続けるしかない、という現実。
それを受け入れるしかないない、という現実。
それでもそういった様々な理不尽を呑み込んで呑み込んで生きてきたのは、守るべき息子の存在があったから。


出演者はほぼ素人さんや無名の俳優さんばかりのようです( スンヒ 役の リュ・ヒョンヒ
人物の顔がアップになることはほとんどなく、自らの心情を台詞で表現することもありません。
カメラは固定されており、登場人物はその前を通り過ぎていくだけ。人物を追いかけることは、たった一回の例外を除いてはありません。
それがなんというか、「どうしようもなさ感」みたいなものを痛いほど感じさせます。誰にも気にしてもらえていない存在を表しているような、とでも言ったらいいのでしょうか。


男は自分を利用するだけ。
女とは、長屋の隣に住む娼婦たちと心を通い合わせられそうだったのに、彼女たちの逮捕によって繋がりは断ち切られてしまう。
親切にしてくれた婦警さんとは、たった一度同じ時間を過ごしただけ。
本当に孤独です。
哀しい時、辛い時、怒りが込み上げる時、大声で泣き喚く相手もいないその孤独。
そんな時 スンヒ がどんな表情をしているのかもカメラは写しません。
どんどん負の感情が滓のように積み重なっていく。息が詰まるような感じです。



貧しい生活の中でもきっちりアイロン掛けをする スンヒ 。生活を投げ出しているわけではないんです。
息子の チャンホ(キム・パク) は元気で明るく、お母さんの手助けもする優しい子に育ってる。
そんな息子のために苦しい生活のなかでもテレビを買ってあげる。

婦警さんの半分社交辞令の言葉もまともに受け取ってしまう生真面目さ。
朝鮮族としての誇りもあり、息子にもハングルを勉強させていたのに、理不尽な目に会い続けるうちに「もう勉強しなくていい」といい始める。
一所懸命生きているのに悪い方へ悪い方へと流されていってしまう。
その流れに抗うだけの力はない。無力感…。


全く何にもない田舎の風景が寂寥感を増幅させます。
音楽を一切使用していないのも緊張感を高めます。


たった一人、心の支えだった息子の身に起こった出来事に直面した時から、 スンヒ は静かに静かに壊れていきます。
本当に静かに…。


重い映画ですけれど、ちょっと心に引っかかって忘れられない作品です。




『キムチを売る女』2005年(韓国/中国)
監督・脚本:チャン・リュル
出演:リュ・ヨンヒ、キム・パク、ジュ・グァンヒョン、ワン・トンフィ、他


他、受賞多数





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Last updated  2009.07.29 17:56:13
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こんにちは  
RAKUとび さん
こんにちは。
みたことはありませんが、こういう作品はやはり映画祭ならではなんだろうなと思いました。
多分映画祭でこれを見た誰もが淡紫さんと似たような感想を持つのではないかと想像されます。(途中までの展開での範囲ですが)
そして最後まで見て、重くて、だからこそ記憶に残るということなのでしょうね。
きっと私も見たらそうなると思います。
でも、これを見た人の殆どすべての人が、自分の生活とはあまりにかけ離れていて、しかもその世界に近づきたくないと思うのではないでしょうか。
そういう世界を敢えて映像で発信する意図はどこにあるのかなって思いました。
ただ、時代によって、場所によって女性が理不尽な扱いを受けているということを示し、男女差別をいましめようというのか、中国の辺境で起こっている理不尽な世界を世界に見てもらい、中国の辺境自治の非道さを訴えたいということなのか、こういう映像を作る意図がイマイチ分かりません。
淡紫さんは、どのあたりにこの映画の存在価値があると思われたのか、聞かせていただけたらと思います。
くだけた言い方だと、何で我々の日常とかけはなれた世界を描くことでこんな気分が重くなってしかも重い気分がずっと澱のように記憶に残る、或る意味不快なものを作ったのか?ただ重くて考えさせられるような「作品」で賞を獲りたかっただけなのか?他に世界に発信する意図があるのか?
という疑問でした。
作品のための作品というものが各ジャンルに多数存在しているような印象を常日頃持っているので、この映画もその類なのか、そうではなくて、こういう意味で見てよかったというところがあるのか、そのあたりはどう思われたのかなって、ふと思いました^^(長すぎましたね^^;) (2009.08.01 08:43:00)

RAKUとびさん 1  
淡紫  さん
こんばんは。
わたしにとって非常に重い問いかけです。
普段あんまり深く考えて映画を観ているわけではないものですから…^^;

「作品のための作品」というのは、一般的には(かどうかはわかりませんが、わたしにとっては)作者の自己満足のための作品、というふうに捉えられるのかな、と思っています。
しかし、あえて言えば、何かを作りたいと作者が思った時、その理由とか意味とかいうものは本質的には作者本人にしか解らないし、観る側はそれを忖度する必要はないのではないか?と思っています。好きに観ていいというか…。
ちょっと無責任に聞こえますかね…^^;

この監督が何かイデオロギーや思想を伝えたかったとしても、ただ自分の芸術性を誇示したかっただけだとしても、また別の意図があったとしても、どちらでもわたしは構わないと思うのです。
作品から何を受け取るかというのは、観る側が決めていいのではないか?ということと思っています。

(続きます)
(2009.08.02 15:48:54)

RAKUとびさん 2  
淡紫  さん
(続きです)

「男女の差別」「権力に抗えない苦しみ」といった社会的メッセージと受け取ることも可能ですし、監督はそれを訴えたかったのかもしれない。そうでないかもしれない。
私自身はそのようには受け取りませんでした。

この作品で言えば、確かにまったくわたしたちの日常とかけ離れている世界ですし、主人公の置かれた状況を我が身と重ね合わせることには無理があるんだろうと思います。
にも関わらず観ている間、「わたしとは関係ない」とか「辺境の地で生きるって大変だね」「かわいそうに」みたいな外側から観ている感じではなく、自分に引き寄せて観ていたと思います。
自分の中で呼応するもの、例えば自分ではどうすることもできないという無力感、漠然とした孤独感、といったもの(もちろんこの作品ほど重いものではないのですが)が、この作品とわたしを近づけたのかな、と思います。
内容そのものでなくても、撮り方が好きとか風景に心惹かれる、空気感がいいなとか、そういうところが好みであるということもありますね。自分がそこに居るかのように感じられた気がします。

個人個人が置かれた状況というのはそれぞれですから、作品の中に全く響くところがない、ということもあります。今回は何か引っかかるところがあった。そういうことかなと思っています。

有意義なメッセージ・高邁な思想・高いエンターテインメント性があると言われるような作品でも自分の中にそれらとつながる何かがなければ面白いと思えないという作品、すごく辛すぎるけど好きだという作品、どちらもわたしにはあります。
また、単に知らない世界を知ることができた、ということが好きになる要因であることもわたしにとっては有り得ますし、逆に、かけ離れすぎて好きになる要因が見つけられないということもあります。

(続きます)
(2009.08.02 15:50:45)

RAKUとびさん 3  
淡紫  さん
(続きです)

辛く不快な現実を描き発信することにどんな意味があるのか?
そういう中にも何か自分に投影されるものがあったり、その不幸に憤りを感じたり、共感できるものがあったり…。人によって感じ方は様々でしょうが、そうして心に残れば、それはわたしにとっては意味があると思えます。
作品を発信することによって現実の何かが変わるということはあまりないかと思いますし、その意味では自己満足に過ぎないかもしれませんが、わたし個人は映画にそういう働きを期待しているわけではないのであまり気にならない、というのが正直なところです。

作り手は「撮りたいから撮る」、観る側はいろいろな立場からどのように観てもよい。
その上でその作品に普遍性があれば、より多くの人の支持を得られるということのように思います。

わたしのなかにちょっとぐらいは「こういう映画も観たりするんだよ」という自慢(?)めいたものがあったかもしれません。
そのせいかこれは必死に言い訳してるような文章になってるかもしれません^^;
RAKUとびさんの問いかけにきちんと応えられているかどうか不安ですが、長文にお付き合い下さりありがとうございます。

とても考えさせられるコメントありがとうございました。
(2009.08.02 15:52:14)

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