書評日記  パペッティア通信

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Oct 22, 2005
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どちらも、サブ・カル作家として、本業をこえた成功をおさめたこと。
そして、
たいへん厄介な存在
であることが。

「俺は、銀英伝でファンやめたね」
「俺はアルスラーン戦記で止めたんだけど、終わんねえんだよ…」
「てか、読んでいない」

「俺は、『戦争論』書いてからファンやめた」
「ええ?オウム真理教騒ぎのとき、宅八郎から逃げたときにやめたぜ」
「てか、おぼっちゃま君の頃から、絶対読んじゃダメだろ…」


いずれも、たいてい、下に行けば行くほど、ふんぞり返られる傾向にあるようだ。その意味で、たいへん難儀な作家なのであろう。ちなみに私はいずれも「真ん中」であった。かれらとひと時を共有できたことが、私にとって幸せであったかどうかは分からない。

そんなこんなで、ファンを止めてから10年。
古本屋に転がっているので、手にとることにした。

読んでみた。
案の定、えんえんと、パッションだけは、



まあ、間違いを指摘し始めたら、どうしようもない作品にすぎないことは、確かでしょう。世の中には、立派というか奇特な人がいるもので、 東アジア文史哲ネットワーク『〈小林よしのり『台湾論』〉を超えて』(作品社 2001年) なる親切な本が出されている。AMAZONコムで、便乗商売などの批判で叩いた気になっている可愛らしいおバカさんの信者たちがいるものの、出版社は便乗できても、執筆者は便乗する意味ってあんまりないんだよね。抜刷代・出費・時間を考えれば、「学術書は執筆者にとって出すと損するもの」だということは、あまり理解されていない。

まあ、真面目に書いてみましょうか。台湾の経済発展は、戦前と戦後、資本家層に断絶があることを考えれば、基本的に「植民地支配とは無関係」に近い。台湾の成功は、 国民党の「輸出指向工業化」の功績であることは、現在の中国、韓国、香港、シンガポール、マレーシアなど、NICS・ASEAN諸国の成功をみても、あまりにも明らか でしょう。とっくに開発経済学では、結論は確定済。だいたい、無理なんですよ。戦前の重工業化と戦後の軽工業化をごっちゃにして関係付けようなんて。てか、ご存知、中・韓・北朝鮮のみならず、ながらくイギリス植民地であった香港でも反日感情は極めて高いことを考えれば、国民党支配への反感以外、親日・台湾は説明がつかない、なんてそれ以前に何度いわれたことか。まあ台湾の年寄連中の「親日」を真に受けるのはバカ。一部台湾人の幻想と妄想、と片付けてしまうのは、あまりにも正しいことでしょう。他にも アイデンティティなんてもの自体、幻想にすぎない 台湾への移民は、大陸より日本人の方がずっと多い …。う~ん、言い出せば、本当にキリがないぞ。アカデミズムから見れば、 『〈小林よしのり『台湾論』〉を超えて』(作品社 2001年) でとっくに片ついているんじゃないのか? 実は後者は読んでないんだけど。

おまけに フィクサーの許文竜まで独立反対派に転向 しちゃったんだから、今となっては、何の意味もない愚作。 
以上、おしまい。




結構、面白く読ませていただいたのは、確かなのである。
いや、そのギトギトした情念では、これくらい面白い本はないのではあるまいか。

執拗なまでに回帰される、「日本人は良いことをした」というファンタジー。「昔の素晴らしい○○」を「今のダメな○○」と対比させ、「失われた栄光」への回帰をもとめるのは、政治的ロマン主義、そしてナショナリズムの常套手段にすぎない、という批判は可能でしょう。適当に選び出された事象は、あくまでその人個人の業績に過ぎない。「台湾農業の父」八田与一は、たしかに日本人だ。が、それとはまったく無関係の日本人ナショナリストになぜ「誇り」にされなければならないのか。それって、言うならば、自分の親父が金持ちであることを誇る、子供のやることと似ていないか? ましてや、その事象から日本人の「本質」を抽出するのは、無意味な旅以上に、単なる間違いにすぎない。

ところが、『台湾論』は、こんな批判など食い破る凄さも、確かに持ちあわせているのである。圧倒的な密度でせまる、日本人の偉業伝。「即自的」「充足」された ナショナリズムに付き従う動物・スノッブたち にとって、 居心地がいいホンモノの楽園 フロイトの「快感原則によって死に向かう動物=人間」の喜び ではないのか。この私ですら、一瞬、いつまでも囚われていたいとすら願ったほどの、甘美な世界であったことを告白せねば、フェアな態度とはいえないだろう。


この本は、台湾では発禁処分さえ食らったことは有名だ。
あまりにも喜劇的、かつ悲惨な結末。それは、あたり前であろう。「台湾人アイデンティティ」などというのは、日本人アイデンティティと同様、その中身は存在していない。むしろ、存在してしまったら困る厄介なものだ。台湾なら台湾人、日本なら日本人が、 その記号に勝手に「自分の幻想」を投影できることが、連帯が生んで機能する することにつながるのだから。みなさんも、飽きることなく幾多の「日本人論」が上梓され、しかもその中身はそれぞれバラバラであることを不思議に思ったことがあるでしょう。それは「中身」がないからなのです。ところが、アイデンティティの神話を真に受けた人が現れた。他ならぬ小林よしのりである。「台湾人」アイデンティティの中身を勝手に埋めようとすれば、激烈な抵抗が引きおこされるに決まっている。ましてや著者は、台湾人でもない日本人。反発を食らったのは、親中派の策謀でもなんでもない。俺たちを勝手にラベリングするんじゃない!。それは、あまりにも正統な、実存からくる要求にすぎまい。その点からすれば、この「台湾論」騒動は、たんなる喜劇にすぎない…ように見える。

しかし、本当にそうなのだろうか。その視点は、何か大切なことが抜け落ちているのではないか。それでも台湾は、「台湾論」を犠牲にして、確実にアイデンティティ形成へむけて足を踏みしめていく。このことが考えられていないのではないか。

ナショナリズム、アイデンティティは、抵抗によってたちあげられる。
いや、 アイデンティティは、抵抗それ自体 である。日本人のアイデンティティは、明治期において「中国の鏡像」として、意図的に作りあげられたものであることを思いおこそう。また韓国人の、中国人のアイデンティティは、戦後~戦中期の日本の鏡像として立ち上げられたものであることを考えてほしい。所詮、今現在復興しつつあるようにみえる日本ナショナリズムは、「中国や韓国」への「反発と鏡像」すぎないように、台湾独立派のもとめる台湾のアイデンティティも、社会主義中国への「反発と鏡像」にすぎまい。台湾独立派のスポークスマンとしての小林よしのりは、これを捉え損なってしまった。あろうことか、「日本植民地支配礼賛」の漫画を書いて、強烈な反発さえ引き起こすことにさえなった。しかし、どうだろう。抵抗それ自体、アイデンティティであることを考えれば、社会主義中国への反発に、あたらしく日本への反感がすこしばかり加わっただけにすぎないのではないか。いずれにせよ、アイデンティティという獲得という道のり――――それは所詮、誤認に過ぎないのだが――――の一里塚にすぎまい。やがて、いつの日にか、台湾人の手にはアイデンティティが握り締められているだろう。だれにとって幸せなことなのかはわからないが。

失敗することで復活するであろう、『台湾論』。
その道筋は、あまりにも面白い。読んでいなかった保守には薦められない。あまりにも甘美な麻薬の世界にすぎないからだ。むしろ左翼こそ、この様々な面白さを堪能してほしいとおもう。なぜなら、戦うべき戦場は、事実をめぐる争いではなく、こちらのエリア、「歴史構成主義」にあることは、あまりにも明らかなのだから。

評価 ★★★
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Last updated  Dec 3, 2005 08:40:08 PM
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