書評日記  パペッティア通信

書評日記  パペッティア通信

PR

Calendar

Comments

山本22@ ブランド時計コピー 最高等級時計 世界の一流ブランド品N級の…
山本11@ 最高等級時計 店舗URL: <small> <a href="http://www.c…
よしはー@ Re:★ 小島毅 『近代日本の陽明学』 講談社選書メチエ (新刊)(09/26) 作者の独善性、非客観性をバッサリ切り捨…

Archives

Nov , 2025
Oct , 2025
Sep , 2025
Aug , 2025
Jul , 2025
Jun , 2025
May , 2025
Apr , 2025
Mar , 2025
Feb , 2025

Freepage List

Keyword Search

▼キーワード検索

Nov 21, 2005
XML
カテゴリ: 歴史


世界最初の国民国家同士の総力戦だった、日露戦争。
今では、第0次世界大戦という学者もいるくらい、それは激烈な戦いでした。

そこでは、8万名ものロシア人捕虜を暖かく迎えた、日本の紳士的な対応だけに注目が集まっていました。ところが、 実は2000名もの日本人捕虜が発生 していたのです。

どちらも、西洋に比べると 遅れた野蛮な国家 であることを自覚するもの同士の戦い。それは、 お互いに奇妙なまでの「文明」的な振る舞いを強いる ことにつながりました。本書は、日露戦争を「捕虜待遇」という裏面史から描きあげた、たいへん面白い作品に仕上がっています。

なによりも、「シベリア抑留」で大量の日本人捕虜を殺したソ連や、膨大なBC級戦犯と戦陣訓による大量自決者を生んだ、昭和ファシズム期の日本とはまったく捕虜の扱いが違うのです。

もともと ロシアは、軍縮と戦時国際法整備にとても熱心

そこで、ロシアの広大さを見せつけ、ロシアを侮らせないためにも、帝国の中心がある欧州に捕虜収容施設を!ということで、モスクワ北西、ノブゴロド近くのメドヴェージ村に、捕虜収容所が建設されたという。待遇は良好。将校クラスには、外出も認められ、捕虜が撮影した写真さえ現存しているという。 日本人捕虜も、意気消沈することなく、さかんに改善待遇を要求 して、外国大使館に働きかけさえおこなっていた。 明治政府も、捕虜になった将兵・軍属を公表していたし、捕虜になることを認め、帰還した捕虜将兵を咎めることがなかった 。旅順港閉塞作戦は、捕虜になることを前提に起案されたものであったらしい。

また、悲願の条約改正や有利な講和にもちこむため、明治政府も「文明国」と見られるように、細心の注意をはらっていたという。正教徒・カトリック・イスラム・ユダヤ教と多彩な民族構成をしていたロシア人捕虜。将校クラスでは、 料亭から洋食をとる者やコックを雇う者、野山で昆虫採集していた者がいた というから、驚く他はない。

むろん、 捕虜と収容所の間では、さまざまなイザコザ が生じています。それでも、ロシア人みたさの見物客が殺到したり、捕虜と地元民が水泳大会をひらいて交流をする話などには、暖かいものを感じさせてくれます。また、辺境へ逃亡した農民で編成されるコサック騎兵隊に捕虜にされたものの、勇敢な戦いぶりに免じて釈放された話。満州やシベリアではどうにもならないが、欧州部のロシアに着けばなんとかなる、と励ましたロシア人将校の話。反ロシア気運が高まる日本で、一部の日本人は、ロシア人捕虜に慰問金を送る運動をするなど、感動的な一幕もあったという。細かい話がさわやかな彩りを加えていて喜ばしい。

また国際人道法には、将校に関しては「宣誓解放」というものがあって、抑留国に対して再び武器を取らないとする旨、「誓約」することによって、本国に送還される慣習があったという。この西欧の伝統は、フランス革命期に失われたものの、1864年ジュネーヴ条約で確認され、 日露戦争では何千名もの捕虜が、「宣誓解放」 されているらしい。かの軍事史家半藤一利が、この宣誓解放のことをまったく知らず、「乃木の大度量」と讃えていた話も紹介されていて、思わず笑みがこぼれてしまいます。

とはいえ、日露戦争における 日本の紳士的な戦闘ぶりは、イギリスによって誇張されたもの というシニカルな見方も、やはり事実の一端であるらしい。 日本人捕虜は、他の国と違って脱走者がいなかった すでに捕虜=恥辱とする概念が強かった ものの、公式なものとなることはなかった。明治の論壇では、捕虜になることをめぐって、生きて帰って「再戦」することこそ報国という考え方も一部にはあったものの、昭和期になると完全に消えてしまう。公式の厚遇ぶりの裏には、日清戦争におきた「旅順大虐殺」の体質を連綿と引きついでいて、日露戦争でも捕虜イジメを自慢する風潮、トラブルなどを随所で引き起こし、やがてサハリンでの虐殺につながってゆくという。

とはいえ、他者からの目を異様に気にしていた当時の日本の姿は、戦後の日本社会とも通じていて、なにやらたいへん微笑ましいものがあります。日本は、視線を気にして卑屈になるか、その反動で傲慢になるかの、どちらか両極端しかないような気が。なにもかも「相対化」されてしまう日本では、「他者の視線」がないかぎり、手前勝手に暴走するだけなのかもしれないな、と考えさせられる著作になっています。個人的には、こうした「世間」という感覚は好きになれないのですけど。

日露戦争だけではなく、日本社会も考えさせてくれる、そんなお薦めの作品になっているといえるでしょう。



評価 ★★★☆
価格: ¥1,071 (税込)



←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Dec 22, 2005 07:00:41 PM
コメント(2) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:★ 日本にとって自己を律することの難しさ 吹浦忠正  『捕虜たちの日露戦争』 NHKブックス(11/21)  
Sanzo-  さん
 人の目を気にしてしまうという性質が現れているようです。しかし、日露戦争時の「日本の紳士的な戦闘ぶりは、イギリスによって誇張されたもの」というところは興味を引きました。ただ、悪く言われているわけではないので、そのままそっとしとこうと思ったりもします。 (Nov 21, 2005 08:01:01 PM)

Re[1]:★ 日本にとって自己を律することの難しさ 吹浦忠正  『捕虜たちの日露戦争』 NHKブックス(11/21)  
春秋子  さん
Sanzo-さん
> 日露戦争時の「日本の紳士的な戦闘ぶりは、イギリスによって誇張されたもの」というところは興味を引きました。

たしか、東京裁判で有名なレーリンク判事の発言だったはず。

どうです~面白く感じませんか?? (Nov 21, 2005 09:13:05 PM)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: