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今日は夏の強い日ざしが残したまま、冷たい風が吹きぬけ、秋の気配を感じる一日でした。そんな夜にムショ~に聴きたくなったのがチャーリー・パーカーの「「BIRD AND DIZ」。チャーリー・パーカー(as)ディジー・ガレスピー(tp)セロニアス・モンク(p)カーリー・ラッセル(b)バディ・リッチ(ds)爽快!!カッコイイねぇ(笑)このCDは高校生のときからのお気に入り。買ったきっかけは。。。高校生のときドラマで真田広之、桜井幸子主演の「高校教師」の主題歌、森田童子の「ぼくたちの失敗」の歌詞に 「ぼくがひとりになった部屋に きみの好きなチャーリー・パーカーみつけたよ ぼくをわすれたかな」というのがあり、チャーリー・パーカーって何者??という疑問から即調べてCDを購入した。「ぼくたちの失敗」のメロディーや歌詞の持つ世界観からはかけ離れた爽快な掛け合いと泥臭くなく洗練された音楽にギャップを感じ笑ってしまった記憶があります(笑)【YOUTUBE】Charlie Parker: Celerity
September 8, 2008
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小学校の頃、その日の授業を終えて下校するときに1年に2度ぐらいかな?怪しいおじさんが変わったトランプやら手品セットやらひよこやら子供の好奇心を引くようなものを持って校門の辺りで下校する子供たちを待ち構えていた。怪しいのは見た目でわかるのに、そのおじさんの持っている一風変わったおもちゃたちに子供達は群がった。群がればまたあとから来た子供達が集まり、子供達はおじさんの変わったしゃべりっぷりとトランプをすべらすように滑らかにめくる器用な手元にくぎづけになった。すご~い!っとおじさんの鮮やかな手品に目を輝かせた。夢は突然終わる、騒ぎを聞きつけた先生たちが校門から飛び出して来ておじさんに厳しく注意をし今すぐここから立ち去らないと警察に連絡しますよ、と。私達もはっと気付く、ああこのおじさん怪しいもんね早く家に帰ろう帰ろうって。大人になり子供の親となった今、こんなおじさんがいたらどこかに子供を連れて行ってどうにかしてしまいやしないかとても心配。不審者がいたから注意と幼稚園や小学校ですぐに連絡網がまわるかもしれない。ただ今と違うのは、この怪しいおじさんと子供達の間には暗黙のルールみたいなものがあったように思う。大人になってから行ったTHE BOOMのLIVEで「ウキウキルーキー」という曲を聴いたとき、この小学校のときのおじさんを思い出して、なんだか好奇心旺盛で見るもの聴くものすべて純粋に受け止めていた懐かしいあの頃を思い出した。『ウキウキルーキー』 THE BOOM近頃うちの町内に おかしな車がやってきたなんの変哲もないけれど カタツムリの絵が書いてある近所じゃヒソヒソうわさする カタツムリのおじさんの事仲間はずれの子供たちを 不思議な旅に連れてくちいさなうそついて かあさんに叱られた日おじさんのエスカルゴがむかえにきたうそじゃないよウキウキ 僕のいかしたルーキー誰にも秘密ウキウキ 百万力さルーキー車の中に仕掛けられた いろんな秘密がオモシロイ魔法瓶にはおじさんのブレンド味噌汁かくれてるトランクの中あふれだした ヘンテコロリンな空想を少しづつ 紙袋につめ いつも持たせてくれたある朝新聞におじさんが載っていた漢字で読めないけど きっとこれでお別れなんだねウキウキ 僕のいかしたルーキー誰にも秘密ウキウキ 百万力さルーキー大きくなった今でも ヘビィな夜が来た時も僕はヘラヘラへっちゃらさ 口笛ふくから飛んできてねウキウキ 僕のいかしたルーキー誰にも秘密ウキウキ 百万力さルーキー
May 18, 2007
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THE BOOMのヴォーカル、宮沢和史という人のことをなんだか書きたくなったので書いてみる。私がちょうど中学生から高校生にかけての時期、日本の音楽界ではバンドブームが到来。BOOWY、レベッカ、ユニコーン、ジュンスカ、レピッシュ、ジッタリンジン、プリプリ、リンドバーグ、バービーボーイズ、爆風スランプ、ブルーハーツ。。。そしてTHE BOOM。THE BOOMといえば今だと「島唄」でしょうか、デビューしたての頃にTHE BOOMが好きだと言うと必ず「星のラブレター」いいよね~、と返って来た。私もそうだったもの。そうこの「星のラブレター」っていう曲は赤い羽根共同募金CMソングで確か少しの期間TVで流れただけだったのにもかかわらず耳に残るとっても素敵な曲だったのです。友人に誘われデビュー1年目ぐらいのブームのライブへ。。。「ダーリン」っていう曲でMIYA(宮沢さん)に魂を奪われたようなうまれてはじめて不思議な感覚に帰りの環状線のなかではボ~としていた記憶がある。MIYAって結構小柄なのだけれどステージに立つと客席すべてを抱きかかえるような、そんなライブをみせてくれた。その後も年に3度ぐらいあるライブやイベントにはすべて参加した。MIYAは貪欲というかTHE BOOMの音楽ジャンルはいろんなものを取り込み、色を変えて行く。。。スカ、テクノ、オキナワ、レゲエ、、サンバ、ボサノバ、ジャズ。。。初期のファンもついていけなくなって離れていったり新たなファンがついたりとめまぐるしい。そのときMIYAは強気だった。離れていくものは行けばいいって、今をいいと思ってくれる人がいるからと。90年代はじめにアルバム『思春期』のなかの曲「島唄」が大ヒット、ライブに行けば「島唄」のイントロで大きな拍手が巻き起こる、肌で新しいファンが増えたことを感じる。一方、ステージのMIYAは冷ややかだった。にわかファンに対して明らかに「俺はこれだけじゃない」っていうオーラがでている。その後、昔の音楽はライブでは歌わなくなり(もちろん「星のラブレター」も)はじめてライブへ行ったときのようなステージから心を抱きかかえられた感じのライブに出会うこともなかった。そしてファンをやめたのです。なんだかステージから見下されているような気がして。そして何年か過ぎ、私ももう高校生ではありません。1999年デビュー10周年のライブの知らせが、以前ファンクラブに入っていた私にも届いたのです。嫌になってやめたけどあのあとMIYAすぐに活動休止したよね、何年ぶりだろうライブ行ってみようかな、昔のようにはいかないけど、いつも一緒にライブに行っていた友人に電話してみたら彼女のところにも知らせが届いていて、行ってみようかっていうことに。1999年春、お洒落して大阪城ホールへ向かった、久しぶりにブームに会いに。うるさいほどの大音響のスピーカーからピタっと音が止み、ライトに照らされたMIYAがステージに現れた、シンプルな服装にアコースティックギター、私が見た最後のブームは装飾でごちゃごちゃしていたのに。歌いはじめるとちょっと鳥肌がたった。あれ?MIYAちょっと歌い方変わったね、とか細かいことまで気付いてしまう。一曲一曲聴いているうちに明らかに何かが変わっている。あったかいTHE BOOMの音楽が戻ってきている気がした。もちろん「星のラブレター」「島唄」、ヒット曲がじゃまになっていた時期があったようだけれどそのみんなが好きな曲こそ大切に、大切に歌っているのがこっちまで伝わって来た。そして客席に向かってMIYAが感謝の気持ちを口にした。最後まで言い終わらないうちにMIYAがステージで泣いた。あのプライドの高い男がみんなの前で泣いた。。。そしてアルバム「No Control」からの曲「ありがとう」をギターで熱唱。CDで聞いたときには気付かなかったけど、これって私達ファンへの歌?ってそう思うともう涙が止まらなかった。 君が選んだ道がどこへ進もうと僕を連れて行けばいい 僕の手を振りほどき歩く日が来たら僕を置いて行けばいい 昨日より幸せになることは 簡単じゃなかった でも神様、ありがとう僕はひとりぼっちじゃない 僕はひとりぼっちじゃない 「No Control」から「ありがとう」より
October 3, 2007
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