晴走雨読

晴走雨読

August 31, 2006
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カテゴリ: つれづれ・・・







”親は無くても子は育つ”という言葉には
生物的な身体の成長を意味するだけでなく精神的な成長を多分に含んでいる。



現代の日本ではもはやこの言葉は死語に近いのではと思わざるをえない。




僕の両親は僕が9歳のころ離婚した。
僕と妹は父親の元で生活をしていくことになるのだが、
父は毎晩残業続きで夜の9時近くに帰宅することも少なくない日々だった。
要するに一日の大半が親のいない状況で生活することになったのだ。
僕らの生活は一変した。
まず食べるものに不自由した。
お小遣いをそれほど持たされていなかったこともあり、いつもお腹が空いていた記憶がある。
冷蔵庫にあった1個の卵で玉子焼きを作り妹と分けるなどということは日常茶飯事だった。
もう時効だがスーパーで食べ物を万引きしたことも1度や2度ではない。


小学6年の頃だったと思う。

ある夏の日、長い間守っていたポジションを5年生の子に取られた。
僕とその子との差はわずかだったので彼がレギュラー確定という状況ではなかった。
ある日曜日の対外試合の日、僕は自分の気持ちの弱さから試合に行かなかった。
家を出たものの引き返して帰ってきたのだ。
家に戻り一人きりの部屋で荷物を降ろしながらほっとしたような後ろめたいような複雑な気持ちで居る中、

”こういう時に叩き出してくれる存在が必要なのではないだろうか”
と。



よくグレなかったものだ。
いっそグレてしまったほうがよかったような気もする。
でも小心者の僕には結局その器量もなかったわけなのだが。。。





厚生省の家族構成についての資料がある。
1955(昭和30)年には核家族と3世代世帯は同程度の45.4%であったが、
2002(平成14)年には核家族が60.2%、3世代世帯はわずか10%になっている。
単独世帯も倍増しており核家族と単独世帯を合わせると全体の83.7%にも上る。




”親が無くても・・・”という時代には祖父母や親戚、そして地域のコミュニティーが豊かだったと思う。
今、核家族で育った子供が親になる時代。
世知辛い世の中で親は不在になりがちだと思う。
そんな状況で子供におせっかいを焼き、目を配る親に代わる大人たちがどれだけいてくれるのだろうか。


柔らかく幼い子供の心は環境に準じて様々に変形していく。
いびつな形を矯正するなら柔らかいうちがよい。
固まってからそれを直すのは大変なことだから。








あの言葉、おそらく正確には・・・
”(祖父母や親戚、地域のコミュニティーがあれば)親は無くても子は育つ”
ではないだろうかと思うのだが。








omocha

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Last updated  September 4, 2006 05:16:28 PM
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