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国際連合人権理事会の理事国にサウジアラビアが含まれていることに批判的な人は少なくないだろう。この国には奴隷制があり、人権活動が認められていない。死刑の数が多いだけでなく内容に問題があり、IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)と同じように斬首だ。アメリカの支配層は自分たちの意に沿わない国に対しては人権を理由に軍事侵攻を繰り返してきたが、サウジアラビアや自分たちの利益に叶う軍事独裁国家の人権侵害には寛容だ。 WikiLeaksが公表した文書により、サウジアラビアが理事国に選ばれた選挙でイギリスが協力していたことが明らかになった。サウジアラビアもイギリスの当選に協力、工作資金としてイギリスへ10万ドルを渡したともいう。 さまざまな人権侵害で問題になっているサウジアラビアだが、昔からアメリカとは友好的な関係にある。最大のファクターは石油だが、アメリカ経済の破綻を受け、1971年にリチャード・ニクソン大統領がドルと金の交換を停止した後、ドルの基軸通貨としての地位を守る役割を果たし始めている。基軸通貨を発行する特権をなくすとアメリカは支配力を失い、破綻してしまうわけで、両国の関係はそれまで以上に強く結びつくことになる。 ドルを守るために考えられた仕組みのひとつがペトロダラー。アメリカはサウジアラビアに対して決済をドルにするように求め、集まったドルでアメリカの財務省証券や高額兵器などを購入させ、だぶついたドルを還流させようとしたのだ。生産力が衰えても基軸通貨を発行でき、その流通量を抑えられれば、際限なく物を買うことができる。一種のマルチ商法。 1970年代にはミルトン・フリードマンを「教祖」とする新自由主義が世界に広がり、規制緩和で投機市場へドルが流れ込む仕組みが作られた。人間の住む社会でハイパーインフレが起こることは抑えられた替わりに投機市場でバブルが発生、その結果、富豪たちが保有する帳簿上の資産は肥大化していく。 1977年にアメリカではジミー・カーター政権が始まり、大統領補佐官にズビグネフ・ブレジンスキーが就任する。ブレジンスキーはデイビッド・ロックフェラーと親しく、このふたりにカーターが目をつけられたのは1973年のこと。つまり、カーター政権で最も強い力を持っていたのは大統領ではなく補佐官だった。 ソ連に「ベトナム戦争」を味合わせるというブレジンスキーの計画に基づき、1979年7月にカーター大統領はアフガニスタンの武装勢力に対する秘密支援を承認、目論見通り、同年12月にソ連の機甲部隊がアフガニスタンへ入って来た。そのソ連軍と戦わせるためにブレジンスキーが編成したのがイスラム武装勢力。資金はサウジアラビアが出し、兵器の提供や戦闘員の訓練はアメリカの情報機関や軍が担当した。 こうして訓練を受けた戦闘員、いわゆる「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルが「アル・カイダ」だとロビン・クック元英外相は明らかにしている。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われる。つまり、オサマ・ビン・ラディンなる人物が率いる戦闘集団ではない。 オサマ・ビン・ラディンはサウジアラビアの富豪一族に属し、サウジアラビアのアブデル・アジズ国王大学にいたとき、アブドゥラ・アッザムなる人物から誘われて秘密工作の世界へ入り、ふたりは1984年にパキスタンで礼拝事務局を設立、それがアル・カイダの基になったようだ。 アル・カイダやオサマ・ビン・ラディンという名前を世界へ広めたのはジョージ・W・ブッシュ政権。2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎が攻撃された直後、調査もしていない段階でアル・カイダが実行したという宣伝を始めたのだ。 この攻撃に関する報告書を議会は出しているのだが、調査は行われていない。しかも報告書のうち28ページは削除されているのだが、そこにはサウジアラビアに関する記述があるという。実行犯とされる19名のうち15名はサウジアラビアの出身なので当然だが、この「ハイジャッカー」はアメリカ軍の訓練を受けていたとも報道された。 この「ハイジャッカー」をイスラエルの情報機関が監視していたとする話もあるが、イスラエルの情報機関員も攻撃の前後に逮捕されている。60名以上のイスラエル人が9月11日以降に逮捕され、テレグラフ紙によると、その前にも140名が逮捕されている。合計すると逮捕者は200名だ。 2001年1月にDEA(麻薬捜査局)はイスラエルの「美術学生」がDEAのオフィスへの潜入を試みているとする報告を受けて捜査は始まった。その過程で多くのDEA職員の自宅をイスラエル人学生が訪問している事実が判明、どこかでDEAに関する機密情報が漏れていることが推測された。 また、9-11でビルが崩壊する様子を白いバンの上で喜びながら撮影していた5名を逮捕したところ、イスラエル人だということが判明。そのうち少なくとも2名はイスラエルの情報機関、モサドの工作員だったと言われている。このバンを所有していたのはアーバン・ムービングという会社で、イスラム過激派を監視する目的でイスラエルの情報機関によって設立されたのだという。 1980年代に「イラン・コントラ事件」、つまりイランへの武器密輸とニカラグアの反革命ゲリラへの違法支援が発覚し、CIA、サウジアラビア、イスラエルの連携が明らかになるが、この事件はアフガニスタンでの工作を含むプロジェクトの一環だった。この時、コントラは資金調達にコカインが、アフガニスタンではケシ系のヘロインが密輸されている。ベトナム戦争では東南アジアの山岳地帯、いわゆる「黄金の三角地帯」が違法ヘロインの最大供給地だったが、アフガン戦争が始まるとパキスタンやアフガニスタンの山岳地帯に移動する。アフガニスタンからヨーロッパへ運ばれる主要中継地がコソボ。親アメリカ派、KLA(コソボ解放軍)の資金源になっている。 アメリカ、イスラエル、サウジアラビアの三国同盟は2007年にも浮上する。この年、ニューヨーカー誌(3月5日付け)に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したとしている。 工作の中枢にはリチャード・チェイニー米副大統領、ネオコンのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官、ザルメイ・ハリルザド、そしてサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタンがいたようで、サウジアラビアがムスリム同胞団やサラフ主義者と緊密な関係にあるとする話も伝えている。 2012年8月にDIA(アメリカ軍の情報機関)が作成した文書によると、2011年3月に始まったシリアの体制転覆プロジェクトで政府軍と戦っている戦闘員の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIであり、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。本ブログでは何度も書いてきたが、ISはAQIから派生した軍事勢力だ。
2015.09.30
アメリカの環境保護局(EPA)は9月18日にフォルクスワーゲンが販売している自動車の一部が排ガス規制を不正に回避するためのソフトウエアを搭載していたと発表した。碌でもないことだが、自動車業界に限らず、こうした不正の話は耳にする。アメリカの金融業界は露骨で、不正が明らかにされても「大きすぎて潰せない」、役員も「大きすぎて処罰できない」という愚にもつかない理由で「容疑者」が野放しにされ、「焼け太り」の状態。 そうした容疑者たちを野放しにしている責任を負うべき人びとの中に歴代の財務長官も含まれているが、そのうちの3人が今年4月、マイケル・ミルケンが主催した会議で不公正な収入の問題を笑い飛ばしている。 3人の元長官とは、在任期間が1995年から99年までのロバート・ルビン、2006年から09年までのヘンリー・ポールソン、そして09年から13年までのティモシー・ガイトナーで、ルビンとポールソンは長官に就任する前にゴールドマン・サックスの重役だった。つまりルビンは1990年から92年にかけて上席パートナーシップ兼共同会長、ポールソンは98年から2006年まで会長兼CEO(最高経営責任者/1998年は共同)。ガイトナーは1985年から3年間、キッシンジャー・アソシエイツで働いている。 司会者から不公正な収入について質問され、ポールソンはゴールドマン・サックス時代からその問題に取り組んでいると答えたのだが、そこでガイトナーは「どっちの方向?」と皮肉る。そこでルビンが割って入り、「君はそれを拡大させた」と言うのだが、そこで司会者を含む全員が大笑いしたのだ。ポールソンは「建前」を話そうとしたのだろうが、話の流れで本音が出てしまった。言うまでもなく、彼らに莫大な収入をもたらす源泉は庶民にある。大多数の人間を貧困化させることで彼らは肥え太ってきたのだ。 ところで、フォルクスワーゲンの問題は2013年から指摘されていたが、これまでは封印されてきた。そうした中、9月4日からフォルクスワーゲンはロシアでエンジンの生産を始め、ドイツはウクライナやシリアの問題でアメリカと一線を画そうとしている。フランスもそうだが、経済界の中にはアメリカの好戦派に辟易としている人たちがいるのだ。アメリカの傀儡であるアンゲラ・メルケル首相としてもそうした意見を無視はできないのだろう。 昨年10月20日、モスクワ・ブヌコボ空港で事故死したフランスの大手石油会社、トタルのクリストフ・ド・マルジェリ会長兼CEOはその3カ月前、石油取引をドルで決済する必要はなく、ユーロの役割を高めれば良いと主張していた。その頃、フランス金融機関、BNPパリバはアメリカに89億7000万ドルの罰金を支払わねばならなくなっていた。 フォルクスワーゲンの話を聞いて、2009年に浮上したトヨタの問題を思い出した人もいるだろう。トヨタ車は意図しない加速をするというもので、運転者の死に直結する可能性があった。会社側の対応も問題だったが、曖昧な形で幕引きになっている。 勿論、機械である以上、誤作動の可能性はあるのだが、自動車にしろ航空機にしろ、コンピュータ制御が進んでいる最近の乗り物はハッキングされる可能性もある。2013年6月にローリングストーン誌のマイケル・ヘイスティングスは「自動車暴走事故」で死亡したが、その自動車もハッキングされたと疑う人も少なくない。ヘイスティングスは、アフガニスタン駐留米軍/ISAF(国際治安支援部隊)の司令官だったスタンリー・マクリスタル大将を退役に追い込む記事を書いたことで有名な記者だ。 トヨタの問題が浮上したタイミングもアメリカにとって都合の良いものだった。2009年9月に総理大臣となった鳩山由紀夫は基地問題で「最低でも県外」と主張しただけでなく、東シナ海を「友愛の海」にしようと提案、それに対して中国の胡錦濤主席がその海域を平和、友好、協力の海にしようと応じたと報告されている。日本と中国の接近はアメリカの支配層、特に好戦派であるネオコンにとって許しがたいことだ。マスコミの総攻撃を受けた鳩山は2010年6月に辞任、トヨタの問題は11年の初めに終息した。鳩山の次に首相となった菅直人政権から日本は中国との関係を悪化させる道を選び、安倍晋三政権は中国との戦争を想定した「安全保障関連法」を強行成立させる。 コンドリーサ・ライス元国務長官がFOXニュースのインタビューの中で、控えめで穏やかに話すアメリカの言うことを聞く人はいないと語っているが、今後、ドイツ政府がどのように動くのか、興味深い。
2015.09.29
9月19日に「安全保障関連法案(戦争法案)」を強引に参議院で成立させ、安倍晋三政権は日本をアメリカの戦争マシーンに組み込んだ。アメリカの好戦派から命令されていた「課題」のひとつをクリアーして一安心、戦争に反対する意思を明確にしている学生や市民を恫喝、運動の沈静化を図るとともに、自分たちが周辺国との友好を望んでいるかのようなイメージを広めはじめた。そのプロパガンダを実行するのは、勿論、マスコミだ。 ニューヨークにある国連本部で韓国の朴槿恵大統領と安倍首相が数分間にわたって立ち話をしたとか、ロシアのウラジミル・プーチン大統領の訪日を実現するために調整作業を続けていると大きく報道されているが、中身はない。単なるイメージの流布。9月20日にロシアを訪問した岸田文雄外相に対し、セルゲイ・ラブロフ露外相が平和条約締結の前提として日本政府は歴史的な事実を認めるべきだと釘を刺したが、朴大統領も、そして中国の習近平中国共産党中央委員会総書記も同じ気持ちだろう。 周辺国との関係を悪化させたなら、文化的にも経済的にも日本人に益はない。例外は戦争ビジネスだろうが、その戦争ビジネスを儲けさせるために庶民は塗炭の苦しみをなめさせられることになる。 しかし、2010年6月に鳩山由紀夫が首相の座を降りてから日本政府は中国との関係を悪化させ、東アジアの軍事的な緊張を高めてきた。首相が菅直人に交代してから3カ月後、尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まるが、漁業協定に従うなら、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行うことになっていると自民党の河野太郎議員は指摘している。 この出来事を切っ掛けにして、1972年に田中角栄と周恩来の間で決めた尖閣諸島の領有権問題を棚上げにするという取り決めは御破算になり、中国と日本との関係は悪化していく。この棚上げは日本側に実利があり、菅政権は日本の利益に反することを行ったと言える。(尖閣諸島の領有権問題は、『日本の国境問題』(孫崎享著、ちくま新書)に詳しい。) 2011年3月8日付けのインディペンデント紙に掲載された石原慎太郎のインタビュー記事で彼は中国、朝鮮、ロシアを敵国と位置づけ、外交力は核兵器だとしている。話し合いではなく、核兵器で恫喝して自分たちの望みを達成したいというチンピラ的、あるいはネオコン/シオニスト的な発想だ。彼によると、日本は1年以内に核兵器を開発でき、核兵器を日本が持てば、中国は尖閣諸島に手を出さないだろうとしている。 その記事が掲載された3日後、2011年3月に三陸沖で巨大地震が発生、東電福島第一原発で過酷事故が起こった。この大きな出来事で2010年9月の事件は日中関係を悪化させるという効果がなくなる。そうした中、2011年12月に石原伸晃はネオコン系シンクタンクの「ハドソン研究所」で行った講演で尖閣諸島を公的な管理下に置いて自衛隊を常駐させ、軍事予算を大きく増やすと発言した新たな火付けを試みた。2012年4月には伸晃の父親である石原慎太郎がやはりネオコン系の「ヘリテージ財団」が主催したシンポジウムで講演、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示し、中国で反日運動が広がる。 福島第一原発が過酷事故を起こした時点で、日本は約70トンの兵器級プルトニウムを保有していたとジャーナリストのジョセフ・トレントは主張している。1980年代からアメリカの一部勢力の支援を受けて核兵器を開発、「平和的宇宙探査計画」は高性能核兵器の運搬手段として開発していたという。以前からCIAは日本が核兵器を開発していると確信、プロトニウムの動きを監視するためにバックドア付きのシステムを日本の政府機関に導入させていた疑いがある。 本ブログでは何度も書いてきたが、日本と中国との関係が悪化、東アジアの軍事的な緊張が高まることをネオコンは喜んでいる。1991年12月にソ連が消滅して以降、彼らは新たな脅威として中国を攻撃してきた。ネオコン系シンクタンクのヘリテージ財団でアジア研究所北東アジア上席研究員を務めていたブルース・クリングナーは2012年11月14日に発行されたレポートの中で、「日本国民のあいだに中国への懸念が広がりつつあるという状況」を歓迎している。 1992年にアメリカの国防総省でポール・ウォルフォウィッツ国防次官を中心に作成されたDPG、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」は、ロシアの属国化と中国エリートの買収を前提として、潜在的なライバルを潰してエネルギー資源を支配するという戦略。要するに世界制覇プロジェクトで、潜在的なライバルと考えられているのは旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなど。エネルギー資源が眠る西南アジアを支配するともしている。 本ブログでは何度も書いているように、安全保障関連法や特定秘密保護法もその戦略に基づいて生み出された。ウォルフォウィッツ・ドクトリンが機能し、日本の支配層がそれに従っている限り、日本が周辺国と友好関係を結ぶことはできない。首相時代に東シナ海を「友愛の海」にしようと提案した鳩山由紀夫がどのようになったかを考えるだけでもわかるだろう。今、日本のマスコミは「大東亜共栄圏」的な宣伝を始めようとしているのではないだろうか?
2015.09.29
9月19日に安倍晋三政権は「安全保障関連法案」、いわゆる「戦争法案」を強引に参議院で成立させたが、その5日後に警視庁公安部公安1課は法案に反対していた学生が出入りしていたシェアハウスを家宅捜索、その様子を警察が連れてきたテレビ局のクルーが撮影していたという。部屋の中には学生を取材中だった日刊ゲンダイの記者が居合わせ、記事にしている。 日刊ゲンダイの記者によると、シェアハウスのドアを警官が叩いた直後、住人たちの反応も待たずに警官が網戸をこじ開け、土足で踏み込み、玄関に回り鍵を開けて数人の警官を中に入れ、令状を見せることも弁護士への連絡も拒否したという。令状を瞬間見せ、写真撮影して令状をしまうということもしなかったようで、警察側は裁判も学生からの法律的な反撃も想定していないのか、裁判所を見下しているように感じられる。 戦争法案はアメリカの好戦派が要求していた集団的自衛権と密接に結びついているわけだが、本ブログでは何度も書いているように、出発点は1992年にアメリカの国防総省で作成されたDPGの草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。ソ連の消滅でアメリカが「唯一の超大国」になったと考えたネオコン/シオニストは世界制覇を実現するため、潜在的なライバル、つまり旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配しようとした。 このドクトリンが作成される前年、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていた。これはヨーロッパ連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官だったウェズリー・クラーク大将の話。アメリカ支配層への忠誠度が足りないと考えられたのだろう。 このドクトリンに基づき、1995年にジョセフ・ナイ国防次官補が「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」を発表、1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」、2000年にはナイとリチャード・アーミテージのグループによって「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」が作成された。この報告で集団的自衛権を要求されている。 2002年になると小泉純一郎政権が「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案が国会に提出され、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明、05年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名され、12年にはアーミテージとナイが「日米同盟:アジア安定の定着」を発表している。2012年の報告だけを問題にするのは間違いだ。 この間、アメリカにとって好ましくない事態が生じていた。小泉政権の政策が国民の利益に反することに国民が気づき、小沢一郎が率いていた民主党の政権ができそうな状況になったのだ。そして2006年から東京地検特捜部とマスコミが小沢攻撃を始める。この攻撃は小沢と近い関係にあり、首相になった鳩山由紀夫が2010年6月に辞任するまで続く。 菅直人が新首相になって3カ月後、尖閣諸島(釣魚台群島)の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、その際に漁船が巡視船に衝突してきたとして船長を逮捕する。1972年に田中角栄と周恩来の間で「棚上げ」を決めていた尖閣諸島の領有権問題に火をつけ、中国との関係を悪化させる方向へ動き始めた。 こうした状況を喜んだのがアメリカで、ネオコン系のヘリテージ財団でアジア研究所北東アジア上席研究員を務めていたブルース・クリングナーは2012年11月14日に発行されたレポートの中で「日本国民のあいだに中国への懸念が広がりつつあるという状況」を歓迎している。その後、政府とマスコミは二人三脚で中国との関係を悪化させるキャンペーンを展開、少なからぬ国民が踊らされてきた。「良いマスコミ」と「悪いマスコミ」が存在するというのは戯言だ。 菅直人の後を継いだ野田佳彦首相は2012年に自民党や公明党と手を組み、消費税の税率を引き上げる法案を可決、同年11月に衆議院を「自爆解散」して惨敗、自民党と公明党で衆議院の3分の2を占める事態になった。2013年に行われた参議院選挙でも自民党が改選121議席の過半数を上回る65議席を獲得、「安保関連法案」を成立させる準備はできあがる。 この段階で安保法や特定秘密保護法は成立、日本がアメリカの戦争マシーンへ組み込まれることは決定的。アメリカの好戦派から見ると「詰み」だ。そうした段階でマスコミの一部が安倍政権を批判し始めたわけで、「アリバイ工作」にしか見えない。 ところが、最終局面で予想外に反対の声が高まった。学生がこれほど反対の意思を示すとは思っていなかったに違いない。そうした流れを断ち切るため、戦争に反対する人間は逮捕し、関係する場所は家宅捜索すると脅したつもりなのだろう。わざわざテレビ局を連れてきたのも、そうした「権力の意思」を広く知らせるためだとしか考えられない。 安倍政権が服従しているアメリカの好戦派は1992年に世界制覇戦争を始めたのだが、その前提はロシアが属国化し、中国のエリートは買収済みということ。その前提がウラジミル・プーチンによって壊された。ロシアを再独立させ、中国と関係を強化してドル体制からの離脱を進め、中東、北アフリカ、ウクライナの軍事制圧に外交で対抗している。 そこで打ち出されたアメリカの政策を見ると、1970年代や80年代に実行して成功したものばかり。予想外の展開になっているため、カビの生えた昔の戦術を持ち出しているのだが、いずれも裏目に出ている。今回の家宅捜索もそうした類いの戦術に見える。 追い詰められたネオコンは全面核戦争で脅そうとしているが、それにロシアや中国が屈するとは思えない。人類は非常に危険な状況に陥っているわけで、ドイツなども危機感を感じてアメリカからの離反を始めている。そうしたとき、アメリカにとってタイミング良くフォルクスワーゲンのスキャンダルが発覚した。
2015.09.28
アメリカはサイバー・スパイ国家であり、電子的な破壊活動も行っている。その規模や悪質さは中国の比でない。電子的な情報活動を行うため、アメリカの支配層は1949年に秘密裏のうちにNSA(国家安全保障局)を創設した。その3年前にアメリカはイギリスと協定を結び、UKUSA(ユクザ)という連合体を組織している。 協定が結ばれた年にイギリスはGCHQ(政府通信本部)を組織、NSAと連携することになる。この2機関の下でカナダ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国の機関が活動、各国政府ではなく、アメリカやイギリスの命令に従って動いている。つまり、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドでは国家内国家だ。 NSAの存在が明るみに出たのは1972年のこと。この年、ランパート誌の8月号に掲載された記事の中でNSAの元分析官はNSAが「全ての政府」を監視していると内部告発している。西側の「友好国」もターゲットだということであり、自身の電話が盗聴されていたことを知ってドイツのアンゲラ・メルケル首相が驚き、怒るのは不自然だということ。そんなことは知っていたはずだ。 GCHQの活動をジャーナリストのダンカン・キャンベルとマーク・ホゼンボールがタイム・アウト誌で暴露したのは1976年。その結果、アメリカ人だったホゼンボールは国外追放になり、キャンベルは治安機関のMI5から監視されるようになる。 キャンベルは1988年にECHELONという全地球規模の通信傍受システムの存在を明らかにした。アメリカの上院議員、ストローム・サーモンドの電話をNSAが盗聴していたとロッキード・スペース・アンド・ミサイルの従業員だったマーガレット・ニューシャムが内部告発、その話が基になっている。盗聴に使われたのはイギリスにある巨大通信傍受基地メンウィズ・ヒル。(Duncan Campbell, 'Somebody's listerning,' New Statesman, 12 August 1988) このシステムについてはニッキー・ハガーが本(Nicky Hager, "Secret Power," Craig Potton, 1996)にまとめ、ヨーロッパ議会も報告書を出している。報告書の中で監視のターゲットとされているのは反体制派、人権活動家、学生運動指導者、少数派、労働運動指導者、あるいは政敵だとしている。巨大資本やそうした組織に巣くう人びとの利益に反する可能性がある人たちだ。 アメリカでは通信傍受だけでなく、1970年代から情報の蓄積と分析をするシステムの開発も急速に進歩している。その一例がPROMISで、アメリカの司法省や情報機関だけでなく、日本の法務省も注目している。(日本の場合、マスコミや「市民運動家」はこの問題に興味を示さなかった。例外は山川暁夫氏のみ。) このシステムを開発した会社に接触したのは後に名古屋高検の検事長になる敷田稔で、その当時、駐米日本大使館に一等書記官として勤務していたのが原田明夫。原田は後に法務省刑事局長として「組織的犯罪対策法(盗聴法)」の法制化を進め、事務次官を経て検事総長に就任した。PROMISに関する報告は1979年と80年に「研究部資料」として公表されている。 アメリカでは学歴、銀行口座の内容、ATMの利用記録、投薬記録、運転免許証のデータ、航空券の購入記録、住宅ローンの支払い内容、電子メールに関する記録、インターネットでアクセスしたサイトに関する記録、クレジット・カードのデータなどあらゆる個人データを収集し、分析するシステムが開発されている。 さらに、どのような傾向の本を買い、図書館で借りるのか、どのようなタイプの音楽を聞くのか、どのような絵画を好むのか、どのようなドラマを見るのか、あるいは交友関係はどうなっているのかといった情報を集め、「潜在的テロリスト」を見つけ出そうともしている。 電気、ガス、水道などの使用状況を警察は昔から調べてきた。ミスがあるから役に立たないと言うことはできない。最近ではIC乗車券(PASMOやSUICAなど)、GPSが組み込まれたスマートホン、街中に設置されたCCTVなどで個人を追跡することは容易になった。「住民基本台帳ネットワーク」は個人情報を集め、分析して国民を監視するベースになるだろう。 教育の崩壊も原因しているのだろうが、日本の巨大企業では技術/研究部門に入ってくる新人の能力が急速に低下、中国やインドの若者の採用を増やしたいという声を10年以上前から聞くようになった。アメリカも生産力や開発力をなくしている。アメリカのライバル企業の技術情報を盗むこともNSAの役割だろう。 内部告発者のエドワード・スノーデンはCIAで働いた後、ブーズ・アレン・ハミルトンという会社にいた。この会社は情報機関と関係が深く、LIBOR(ロンドン銀行間取引金利)の不正に関わっているという噂がある。エネルギーや為替の相場をアメリカは操作しているとも言われている。NSAがイスラエルの8200部隊と手を組んでサイバー攻撃を仕掛けていることも知られている。その一例がイランの核施設を攻撃したウイルス、スタックスネット。 アメリカがサイバー問題で他国を批判するというのは茶番、その茶番をもっともらしく伝えるメディアは救いがたい。スパイ機関とメディアは情報操作、洗脳の仲間であり、仕方がないのかもしれないが。
2015.09.27
アメリカでは2大政党に否定的な人が多いようだ。9月9日から13日にかけて行われたギャロップの調査によると、60%が第3の政党が必要だとしている。民主党も共和党もカネを提供してくれる人物や団体の言いなりで、「民意」などは気にしていない。そのスポンサーは基本的に同じで、両党の政策には大差がなく、事実上の一党独裁体制。庶民には「選択の自由」すらない。 しかし、2000年の大統領選挙でこの体制が崩壊する可能性があった。1999年の前半に実施された支持率の調査で共和党のジョージ・W・ブッシュや民主党のアル・ゴアより人気のあった人物がいたのである。ジョン・F・ケネディ・ジュニア、つまり1963年11月にテキサス州ダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の息子だ。JFKジュニアが出馬するなら民主党でも共和党でもないはずで、2大政党以外の候補が大統領に選ばれる可能性があったということである。 そうしたことが話題になり始めた1999年7月16日、JFKジュニアが操縦する単発のパイパー・サラトガが墜落、本人だけでなく同乗していた妻のキャロラインとその姉、ローレン・ベッセッテも死亡している。 墜落した位置から考えてパイパー機は自動操縦で飛んでいた可能性が高く、操縦ミスとは考え難い。搭載されていたボイス・レコーダー「DVR300i」は音声に反応して動く仕掛けになっていたのだが、その装置には何も記録されていなかったという。緊急時に位置を通報するために「ELT」という装置も装着されていたのだが、墜落から発見までに5日間を要したことになっている。 墜落のタイミング、事故に関する疑惑などから何らかの工作があったと疑う人は少なくない。自動車でも同じことが言えるのだが、コンピュータ化が進んだ航空機はハッキングされ、外部にいる人物が乗っ取ることもできる。 こうした可能性は2001年3月4日にアメリカで放送されたドラマ「パイロット」にも取り入れられている。このドラマは人気シリーズ「Xファイル」のスピンオフ、「ローン・ガンメン」の第1話で、旅客機がハッキングされてコントロール不能になり、世界貿易センターへ突入させられそうになるというストーリーだった。このドラマでは危ういところでビルを避けることができたが、放送の半年後、そのビルへ航空機が突入している。 大統領にしろ議員にしろ、選挙で当選するためには内外の富豪や大企業のカネが必要。勿論、カネを出す以上は「政策」という見返りを要求するわけだ。現在の議会をコントロールしているのは「イスラエル第一派」、つまりシオニストであり、その影響が中東、北アフリカ、そしてウクライナなどで現れている。 イスラエルの核兵器開発に必要な資金を提供していた富豪のひとり、エイブ・フェインバーグはハリー・トルーマンやリンドン・ジョンソンのスポンサーとして知られている。最近はラスベガス・サンズを所有する富豪、シェルドン・アデルソンが有名。2013年10月、イランを核攻撃で脅すべきだと発言した人物で、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相とも親しい。シオニストはAIPACというロビー団体も持っている。 日本で8月に行われた各マスコミの政党支持率調査を見ると、支持政党なしが24.5%から61%。質問の仕方で数字は左右され、中には数字を書き換えることもあるようなので数字の信頼度が高いとは言えないが、投票したい政党がないと感じている人が少なくないとは言えるだろう。 安倍政権に対抗するためだとして共産党の志位和夫委員長は「国民連合政府」の実現を呼びかけ、民主党の岡田克也代表と会談したというが、民主党の現執行部は安倍政権の露払い的な役割を果たした連中であり、共産党はアメリカが行ってきた体制転覆プロジェクトの看板を受け入れ、事実上、軍事侵略を支持してきた。そのうえTPPも農業問題に矮小化していた。 安倍政権などは捨て駒にすぎない。国民連合政府が成立したとしても、安倍政権の後ろ盾であるアメリカの好戦派と対峙できるのだろうか?
2015.09.26
アメリカの好戦派が描く戦略に基づいて安倍晋三政権は政策を打ち出し、秘密保護法や安全保障関連法を強引に成立させた。TPPは参加国からアメリカの巨大資本が主権を奪うことになる。巨大な私的権力が国を上回る力を得ることになるわけだ。 本ブログでは何度も紹介したが、フランクリン・ルーズベルト米大統領は1938年4月29日、ファシズムを次のように定義している:「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」 アメリカの支配層は世界をファシズム化しようとしている。日本の支配層がアメリカの支配層と共通の価値観を持っているとするならば、日本側もファシズムを目指しているということになる。その価値観を宣伝してきたのがマスコミだ。 今回、安倍政権が強行成立させた安保関連法は集団的自衛権、つまりアメリカの戦争に日本も参加するための法律だ。アメリカが侵略戦争を始め、反撃された段階で集団的自衛権は行使できることになる。 安保関連法の内容が2012年に発表された報告書の要求に酷似しているとされている。アメリカのシンクタンクCSISから発表された「日米同盟:アジア安定の定着」で、執筆者はリチャード・アーミテージとジョセイフ・ナイ。CSISは1962年にジョージタウン大学の付属機関として創設されたのだが、CIAとの緊密な関係が問題になり、1987年に大学から分離された。今はネオコン/シオニストとも関係が深い。 2012年には、ヘリテージ財団アジア研究所北東アジア上席研究員のブルース・クリングナーが「日本国民のあいだに中国への懸念が広がりつつあるという状況」を歓迎している。ちなみにヘリテージ財団もネオコンが拠点にしている。 勿論、アメリカは2012年より前から軍事戦略に絡んで日本へ「要求」を突きつけている。アーミテージとナイが日本に対して武力行使を伴った軍事的支援を求め、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している」と主張、「この禁止を解除すれば、より緊密かつ効果的な安保協力が見込まれる」と書いたのは2000年に発表された報告書「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて」だ。 その2年後に小泉純一郎政権は「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案が国会に提出され、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明、05年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄された。そして2012年の報告書につながる。 しかし、日本への要求は2000年より前から始まっている。最初は1995年の「東アジア戦略報告」。国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンらの要請でナイが書いたものだ。1997年には「日米防衛協力のための指針」が作成され、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになる。1999年には「周辺事態法」が成立した。 こうした要求のベースになっているのが「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」。1991年12月のソ連が消滅、アメリカは「唯一の超大国」になり、自分たちに逆らえる存在はなくなったと考えたネオコンは世界制覇プロジェクトを始める。それを文書化したものが1992年初めに作成されたDPGの草案、いわゆるウォルフォウィッツ・ドクトリンだ。ネオコンのポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が中心になって作成されたことから、こう呼ばれている。 ウォルフォウィッツは1991年にイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしている。これはヨーロッパ連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官だったウェズリー・クラーク大将の話。2001年にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された直後、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺では攻撃予定国リストが作成され、そこにはイラク、イラン、シリア、リビア、レバノン、ソマリア、スーダンの名前が載っていた。 こうした国々を破壊するために使われているのがアル・カイダ系武装集団やIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)。こうした武装集団の背後にアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールなどが存在していることは本ブログで何度も書いてきたこと。 1997年から2001年までイギリスの外相を務めたロビン・クックによると、アル・カイダとはCIAから訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アル・カイダはアラビア語で「ベース」を意味、「データベース」の訳としても使われている。 そのムジャヒディンを編成したのはズビグネフ・ブレジンスキー。パキスタンのバナジル・ブット首相の特別補佐官を務めていたナシルラー・ババールによると、アメリカは1973年からアフガニスタンの反体制派へ資金援助しはじめ(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)、79年7月にジミー・カーター大統領はアフガニスタンの武装勢力に対する秘密支援を承認、同年12月にソ連の機甲部隊がアフガニスタンへ入って来た。 2011年3月に始まったシリアの体制転覆プロジェクトで政府軍と戦っている戦闘員の多くは外国人だと見られている。2012年8月にDIA(アメリカ軍の情報機関)が作成した文書によると、反シリア政府軍の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。 アル・カイダ系の武装集団としてアル・ヌスラという名前が出てくるが、この名称はAQIがシリアで活動するときに使っていたとDIAは説明している。AQIは2004年に組織され、06年にISIが編成されたときにはその中心になり、今ではISと呼ばれている。 最近、デービッド・ペトレアス陸軍大将は「穏健派アル・カイダ」をISと戦わせるために使うべきだと主張しているが、勿論、そのようなものは存在しない。アメリカが武器を提供、軍事訓練した戦闘員は武器を携えて「過激派」へ「投降」することになっている。最近もそうしたことがあった。 中東や北アフリカ全域にこうした状況は広がっているが、ウクライナではネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が使われ、イスラム武装勢力も入り込みつつある。中国ではウイグル系の戦闘集団が似たことを始める可能性がある。こうした状況を作り出したのが1992年に作成されたウォルフォウィッツ・ドクトリンであり、安保関連法もそのドクトリンによって生み出された。日本もアメリカの世界制覇戦争に参加するということだ。
2015.09.25
EUへ「難民」が殺到している最大の問題は中東や北アフリカで展開されてきた体制転覆(レジーム・チェンジ)プロジェクトにある。仕掛けたのはアメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールといった国々。イギリスやフランスはエネルギー利権、トルコは新オスマン帝国という妄想、イスラエルは大イスラエル構想や地中海東岸に眠る天然ガス田の支配、サウジアラビアやカタールは石油パイプラインなどだろう。アメリカの目的は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」に示されている。 このドクトリンは1992年に国防総省で作成されたDPGの草案。ソ連が消滅してロシアがアメリカの属国になったことに浮かれたネオコン/シオニストは潜在的なライバルを潰し、エネルギー資源が眠る西南アジアを制圧しようと考えたのだ。1991年の段階でソ連の消滅を見通していたのか、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はその段階でイラク、シリア、イランを5年から10年で殲滅すると口にしていた。 ネオコンが考える潜在的ライバルとは旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジア。勿論、東アジアには中国が含まれるが、日本も例外ではない。「唯一の超大国」になったアメリカが世界を支配、そのアメリカを自分たちがコントロールするというプランだ。 アメリカにはNSAという電子情報機関が存在、イギリスのGCHQとUKUSA(ユクザ)なる連合体を組織している。その下で活動しているのがカナダ、オーストラリア、ニュージーランド。この5カ国は「ファイブ・アイズ」とも呼ばれている。この連合体はNSAとGCHQの指揮で動く。自国民を監視していないという弁明も聞くが、その代わりにファイブ・アイズの別の国が監視するだけのことだ。 NSAの存在と活動内容が広く知られるようになったのは1972年。この年、ランパート誌の8月号にNSA元分析官の証言が掲載され、その中でNSAは「全ての政府」を監視していると語っている。「敵」も「味方」もということだ。内部告発支援サイトのWikiLeaksが公表した文書によると、アメリカの電子情報機関NSAが日本の政府や企業をターゲットにしていたことも再確認された。 日本の場合、明治維新と呼ばれる長州藩や薩摩藩によるクーデターを操っていたのはイギリス。関東大震災からアメリカの巨大金融資本、JPモルガンの影響下に入ったことは本ブログで何度も書いてきた。この従属関係が崩れたのはウォール街と対立していたニューディール派のフランクリン・ルーズベルトが1932年の大統領選に勝利してから。1945年4月にルーズベルトが執務中に急死して関係は復活する。そうした関係を象徴する人物がジョセフ・グルーだ。 ソ連ほどではなかったが、第2次世界大戦で戦場になった西ヨーロッパは疲弊、アメリカの影響が強まる。1949年4月に創設されたNATOはソ連に対抗することが目的だとされたが、当時のソ連には西ヨーロッパに攻め込む能力はなかった。ドイツとの戦闘で2000万人以上の国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、惨憺たる状態だったのである。 NATOは西ヨーロッパを支配する仕組みとしての役割があった。その内部には破壊活動を行う秘密部隊が存在する。コミュニストが強かったイタリアでは「グラディオ」と呼ばれ、1950年代から1980年頃まで「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、軍事クーデターも計画している。 グラディオの存在は1990年にジュリオ・アンドレオッチ首相は公式に認めているが、その前から知られてはいた。1972年にイタリア北東部の森で子供が偶然、兵器庫を発見したことが切っ掛け。 その直後にリシアのアンドレア・パパンドレウ元首相もNATOの秘密部隊が同国にも存在したことを確認、ドイツでは秘密部隊にナチスの親衛隊に所属していた人間が参加していることも判明した。オランダ、ルクセンブルグで、ノルウェー、トルコ、スペインなどでも秘密部隊の存在が確認されているが、こうした秘密部隊の設置はNATOへ加盟するための条件になっていて、全加盟国に存在しているはずだ。(Daniele Ganser, “NATO’s Secret Armies”, Frank Cass, 2005) 現在、グラディオと同じような役割を果たしているのがアル・カイダ系武装集団やIS。そうしたグループに参加している戦闘員が難民に混じってEUへ入ろうとしている可能性はきわめて高い。すでに1980年の段階でドイツにはトルコからそうした集団が入り、ネットワークを作っていた。今後、EUが自立の道を歩こうとしたなら、「EUの春」が始まるかもしれない。その先には「管理された混沌」がある。国、社会、文化、歴史といったものは破壊され、富は奪われるだろう。ISが行っていることはアメリカの支配層が欲していることだと思うべきだ。
2015.09.24
原発の周辺に住む人びとに健康被害が出ていると指摘されてきた。原発を推進している国の支配層は核ビジネスと深く結びついていることもあり、そうした主張を否定してきたが、アメリカでは2010年にNRC(原子力規制委員会)がNAS(国家科学アカデミー)に委託して調査を始める。その当時、NRCの委員長がグレゴリー・ヤツコだったことも調査の開始に影響したかもしれないが、カネがかかりすぎるという理由でその調査は今年9月に中止されてしまった。なお、2011年3月に東電福島第一原発が過酷事故を起こした後、原子力産業からの圧力もあり、ヤツコは2012年5月に委員長を辞めている。 2008年から12年にかけてフランスやドイツでも原発周辺に住む人びとの発癌リスクが調べられているが、5キロメートル圏内に住む2歳から4歳の子どもの場合、白血病にかかる確率は2倍になるという。また、イギリスでの調査された3原発では、乳癌の発生率がひとつは5倍、ほかの2原発は2倍だったと伝えられている。 1979年3月に起こったアメリカのスリーマイル島原発にしろ、1986年4月に起こったロシアのチェルノブイリ原発事故にしろ、国の機関は被害を隠そうとし、調査は私的な形で行われ、実態が明らかにされてきた。経済活動では「私有化」を叫ぶ人びとも、こうした問題では国という「権威」を振りかざす。広島や長崎に投下された原爆の影響、あるいはビキニ環礁でアメリカが行った核兵器の実験による被害も調査らしい調査は行われず、実態は隠された。 放射線の影響は20年から30年後に本格化するともいわれているが、チェルノブイリ原発事故から23年後の2009年に詳細な報告書『チェルノブイリ:大災害の人や環境に対する重大な影響』がニューヨーク科学アカデミーから発表されている。まとめたのはロシア科学アカデミー評議員のアレクセイ・V・ヤブロコフたちのグループ。1986年から2004年の期間に、事故が原因で死亡、あるいは生まれられなかった胎児は98万5000人に達し、癌や先天異常だけでなく、心臓病の急増や免疫力の低下が報告されている。 福島第一原発ではチェルノブイリ原発より早く影響が現れている可能性がある。一般に放出された放射線物質の量は福島第一原発の方が圧倒的に少ないかのように言われているのだが、実態は違うようだ。福島のケースでも圧力容器は破損、燃料棒を溶かすほどの高温になっていたわけで、99%の放射性物質を除去することになっている圧力抑制室(トーラス)の水は沸騰状態で機能しなかったはず。水が存在したとしても、解けた燃料棒や機械が気体と一緒に噴出、水は吹き飛ばされていたと推測されている。つまり、圧力容器内の放射性物質はダイレクトに放出されたということ。原発の元技術者であるアーニー・ガンダーセンは少なくともチェルノブイリ原発事故で漏洩した量の2〜5倍の放射性物質を福島第一原発は放出したと推測している。(アーニー・ガンダーセン著『福島第一原発』集英社新書) 2011年4月17日に徳田毅衆議院議員は「オフィシャルブログ」(現在は削除されている)で次のように書いている:「3月12日の1度目の水素爆発の際、2km離れた双葉町まで破片や小石が飛んできたという。そしてその爆発直後、原発の周辺から病院へ逃れてきた人々の放射線量を調べたところ、十数人の人が10万cpmを超えガイガーカウンターが振り切れていたという。それは衣服や乗用車に付着した放射性物質により二次被曝するほどの高い数値だ。」 12日に爆発したのは1号機で、14日には3号機も爆発している。政府や東電はいずれも水素爆発だとしているが、3号機の場合は1号機と明らかに爆発の様子が違い、別の原因だと考える方が自然。15日には2号機で「異音」、また4号機の建屋で大きな爆発音があったという。 こうした爆発が原因で建屋の外で燃料棒の破片が見つかったと報道されているのだが、2011年7月28日に開かれたNRCの会合で、新炉局のゲイリー・ホラハン副局長は、発見された破片が炉心にあった燃料棒のものだと推測している。 NRCが会議を行った直後、8月1日に東京電力は1、2号機建屋西側の排気筒下部にある配管の付近で1万ミリシーベルト以上(つまり実際の数値は不明)の放射線量を計測したと発表、2日には1号機建屋2階の空調機室で5000ミリシーベル以上を計測したことを明らかにしている。一種のダメージコントロールなのだろう。 福島で働く医療関係者の間から作業員などの死者が出ているという話が漏れてくるが、国や東電はそうした事実を認めていない。徳田毅のブログはその禁を破るものだと言えるだろう。その徳田の姉などを徳洲会グループ幹部6人を東京地検特捜部は2013年11月に公職選挙法違反事件で逮捕、徳洲会東京本部や親族のマンションなどを家宅捜索した。2006年11月に行われた沖縄県知事選との関連を指摘しているが、原発事故の問題も関係していた可能性がある。 事故当時に双葉町の町長だった井戸川克隆は、心臓発作で死んだ多くの人を知っていると語っている。福島には急死する人が沢山いて、その中には若い人も含まれているとも主張、東電の従業員も死んでいるとしているのだが、そうした話を報道したのは外国のメディアだった。 この井戸川元町長を作品の中で登場させた週刊ビッグコミックスピリッツ誌の「美味しんぼ」という漫画は、その内容が気に入らないとして環境省、福島県、福島市、双葉町、大阪府、大阪市などが抗議、福島大学も教職員を威圧するような「見解」を出し、発行元の小学館は「編集部の見解」を掲載、この作品は次号から休載すると決めたという。 福島県の調査でも甲状腺癌の発生率が大きく上昇していると言わざるをえない状況。少なからぬ子どもがリンパ節転移などのために甲状腺の手術を受ける事態になっているのだが、原発事故の影響を否定したい人びとは「過剰診療」を主張している。手術を行っている福島県立医大の鈴木真一教授は「とらなくても良いものはとっていない」と反論しているが、手術しなくても問題ないという「専門家」は、手術しなかった場合の結果に責任を持たなければならない。 事故直後、福島の沖にいたアメリカ海軍の空母ロナルド・レーガンに乗船していた乗組員にも甲状腺癌、睾丸癌、白血病、脳腫瘍といった症状が出ているようで、放射線の影響が疑われ、アメリカで訴訟になっている。カリフォルニアで先天性甲状腺機能低下症の子どもが増えているとする研究報告もある。
2015.09.24
9月に入り、西側メディアはシリアからの難民を大きく取り上げるようになった。国連の推計によると、今年中にヨーロッパへ逃れてくる人数は40万人近く、来年は45万人に達する。これだけで85万人。これだけ難民が殺到する切っ掛けはトルコ政府が難民のヨーロッパ行きを認めたことにあるという。意図的に作り出した「危機」だということだろう。難民の殺到を宣伝する材料に使われたのが3歳になる子どもの遺体。流れ着いたのではなく置かれたのではないかという疑惑があるほか、子どもの父親、アイラン・クルディが難民の密航を助ける仕事をしていたという話が出ている。 シリアで体制転覆プロジェクトが始動したのは2011年3月のことだが、そのときからトルコは反シリア政府軍に拠点を提供している。同国にあるアメリカ空軍のインシルリク基地では、アメリカのCIAや特殊部隊、イギリスやフランスの特殊部隊から派遣された教官が戦闘員を訓練、シリアへ送り出している。 プロジェクトが始まった翌年の8月、反シリア政府軍の実態をDIA(アメリカ軍の情報機関)が報告している。それによると、シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。 また、シリアではアル・ヌスラというアル・カイダ系の武装集団が活動していることになっているが、この名称はAQIがシリアで活動するときに使っていたとDIAは説明している。AQIは2004年に組織され、06年にISIが編成されたときにはその中心になり、今ではISと呼ばれている。アル・カイダ系武装集団とISは基本的に同じとうことだ。 ロビン・クック元英外相が明らかにしたように、アル・カイダとはCIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われる。つまり、「オサマ・ビン・ラディンが率いる戦闘集団」というわけではない。この仕組みを作り上げたのはズビグネフ・ブレジンスキー。当時、ジミー・カーター政権で大統領補佐官を務めていた。 ブレジンスキーはソ連軍をアフガニスタンへ誘い込むための秘密工作を実行、1979年12月に思惑通り、ソ連の機甲部隊がアフガニスタンへ入った。そこからアフガン戦争が始まるのだが、ソ連軍と戦わせるためにアメリカの情報機関や軍はイスラム武装勢力を編成したわけだ。 アフガン戦争から最近までアル・カイダ系武装勢力やISを雇っていたのはサウジアラビアで、責任者はバンダル・ビン・スルタンだと言われている。バンダルは1983年10月から2005年9月まで駐米大使を、2012年7月から14年4月まで総合情報庁長官を務め、ブッシュ家と親密な関係にある。かつて、チェチェンでジョハル・ドゥダエフ元ソ連空軍少将やシャミル・バサーエフらが「国際イスラム旅団」を組織したが、その時の調整役もバンダルだった。 しかし、ここにきてISと最も緊密な関係にあるのはトルコ。例えば、イラクの首相だった当時、ヌーリ・アル・マリキはペルシャ湾岸産油国がISを支援していると批判していたほか、昨年10月2日にはジョー・バイデン米副大統領がハーバード大学でISとアメリカの「同盟国」との関係に触れている。ISの「問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦だ」と述べ、その「同盟国」はシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すために多額の資金を供給、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は多くの戦闘員がシリアへ越境攻撃することを許してISを強大化させたと語っている。 ISにとって最も重要な兵站ラインはトルコからシリアへ延びているもの。昨年10月19日に「自動車事故」で死亡したイランのテレビ局、プレスTVの記者、セレナ・シムはその直前、トルコからシリアへ戦闘員を運び込むためにWFP(世界食糧計画)やNGOのトラックが利用されている事実をつかみ、それを裏付ける映像を入手したと言われている。ドイツのメディアDWも昨年11月、トルコからシリアへ食糧、衣類、武器、戦闘員などの物資がトラックで運び込まれ、その大半の行き先はISだと見られている。 ISは資金調達のためにイラクで盗掘した石油を密輸しているが、その石油を扱っているのはレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の息子が所有するBMZ社だと伝えられている。ISの負傷兵はトルコの情報機関MITが治療に協力、秘密裏に治療が行われている病院はエルドアン大統領の娘が監督しているとされている。しかも、トルコ政府のロビーとしてCIAの秘密工作部門の所属していたポーター・ゴスが加わったともいう。 また、イスラエルもアサド体制の打倒を目指し、その事実を隠そうとしていない。例えば、マイケル・オーレン駐米イスラエル大使は2013年9月、シリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。このオーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近として有名で、これはイスラエル政府の意思だと考えて良いだろう。イスラエル軍はISを助けるための空爆を繰り返してきた。 ネオコン/シオニストはイスラム武装勢力をウクライナでも使うつもりで、8月1日にはウクライナの外相、トルコの副首相、そしてタタール人の反ロシア派代表がトルコのアンカラで会い、タタール人、チェチェン人、ジョージア(グルジア)人などで「国際イスラム旅団」を編成してクリミアの近くに拠点を作ることで合意したとされている。 そうした中、ロシア/CSTO(集団安全保障条約機構)がアル・カイダ系武装勢力やISと戦う姿勢を強めている。9月15日にCSTOの幹部がタジキスタンで会合を開いてシリアやイラクでのテロ活動を批判、国連の下で軍隊を派遣する容易があるとする声明を出している。 これまでアル・カイダ系武装勢力やISを使ってきた勢力はこうしたロシアの動きに慌てているようだ。高性能兵器の提供に加え、ラタキアにロシアの拠点ができることを嫌っているとする人もいる。ISを守っているイスラエル領内の戦闘機が押さえ込まれ、兵站ラインを潰されたなら手駒の武装勢力が壊滅、自分たちの世界制覇プロジェクトも崩壊してしまう。最後はイスラエルが得意にしている核兵器を使った恫喝をするのだろうか?
2015.09.23
ロシアを訪問した岸田文雄外相に対し、セルゲイ・ラブロフ露外相は平和条約締結の前提として、日本政府が歴史的な事実を認めることを求めた。日本は歴史を直視していないと言われたわけだ。南千島を議題にすることも拒否された。今回、岸田がこれまでと同じような話を繰り返したとするならば、ロシア訪問という事実が欲しかっただけで、端から交渉する意思はなかったと言われても仕方がない。日本のマスコミはロシア訪問の「成果」を宣伝しているように見える。 今年、ロシアは5月9日に「対独戦勝70周年」を祝う記念式典を、また中国は9月3日には「抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年」を祝う記念式典を開催した。ロシアはドイツの降伏、中国は日本の降伏を祝っているのだが、いずれも日本を含む西側の首脳は出席を断った。アメリカ政府の意向が影響しているのだろうが、日本の支配層としても行きたくはなかっただろう。 日本では8月15日を「終戦記念日」だとして式典が開かれているが、実際に降伏したのは1945年9月2日。この日、政府全権の重光葵と軍全権の梅津美治郎が東京湾内に停泊していたアメリカの戦艦、ミズーリで降伏文書に調印したのだ。降伏したということはポツダム宣言を受け入れたことを意味する。ポツダム宣言が発表されたのは7月26日。アメリカ、イギリス、中国の共同声明という形だった。 ポツダム宣言は「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」と定めている。「カイロ宣言」の条項を履行し、日本の主権は本州、北海道、九州、四国と連合国が決める周辺の小さな島々に限定するとしているのだ。確定しているのは本州、北海道、九州、四国だけである。 そのカイロ宣言には「千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国ガ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト竝ニ満洲、台湾及膨湖島ノ如キ日本国ガ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト」とある。 1946年1月に出された連合軍最高司令部訓令によって、連合国は日本に帰属する小さな島々を決めた。その小島は「対馬諸島、北緯三〇度以北の琉球諸島等を含む約一千の島」で、「竹島、千島列島、歯舞群島、色丹島を除く」とされている。国後島と択捉島は千島列島の一部であり、ポツダム宣言に従うと、「北方領土」という主張はできない。 現在、アメリカを支配している勢力はウォール街の巨大資本が含まれている。つまり、フランクリン・ルーズベルト大統領を中心とするニューディール派を排除し、ファシズム体制を樹立しようとしていた人たちで、戦前も戦後も日本の支配層をコントロールしてきた。ただ、1933年からルーズベルトが執務室で急死した1945年4月12日までの期間が例外なだけ。 アメリカは世界各地で「レジーム・チェンジ」を目論んでいる。どのような看板を掲げようと、目的は巨大資本のカネ儲け。つまり略奪。安倍晋三首相は「戦後レジームからの脱却」を主張しているが、これも一種の「レジーム・チェンジ」なのだろう。戦前も戦後も日本は基本的にウォール街の支配下にあり、違うのはルーズベルト政権の時代。ニューディール派的なものを捨てたいということなのだろう。 ルーズベルトがJPモルガンをはじめとするウォール街の巨大資本と対立関係にあったことは本ブログで何度か書いた通り。1932年の大統領選でウォール街が支援していたのはハーバート・フーバーだった。 スメドリー・バトラー海兵隊少将やジャーナリストのポール・フレンチが議会で行った証言によると、JPモルガンをはじめとする巨大資本は33年から34年にかけてクーデターを計画、ルーズベルトなどニューディール派を排除しようとした。こうしたグループに話を持ちかけられたバトラー少将はカウンタークーデターを宣言、議会で明らかにしたわけである。バトラー少将の議会証言後、ルーズベルト政権は金融資本を摘発したりしていないが、そうしたことを行えば金融システムが麻痺、内乱になる可能性もあった。 1932年にはJPモルガンを緊密な関係にあった井上準之助が血盟団に暗殺され、モルガン財閥の総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアと結婚した女性のいとこにあたるジョセフ・グルーが駐日大使として赴任してきた。またジョセフの妻、アリス・ペリーは少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)で九条節子(後の貞明皇后、つまり昭和天皇の母)と親しい関係を築いている。 1920年の対中国借款交渉を通じてJPモルガンと深く結びついた井上は「適者生存」を主張する人物で、最近の用語を使うならば、新自由主義的な政策を推進、庶民の貧困化が進んで失業者が急増、農村では娘が売られるなど耐え難い「痛み」をもたらすことになった。こうした社会的弱者を切り捨てる政策が血盟団を刺激したわけだ。 1939年の段階でも「日本・アングロ(米英)・ファシスト同盟」を結成してソ連と戦うという案が米英支配層の内部にあり(Anthony Cave Brown, ““C”: The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988)、ドイツが降伏した直後、ウィンストン・チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対してソ連へ軍事侵攻するための作戦を立案するように命令、「アンシンカブル作戦」が作成された。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたが、参謀本部に拒否されて実行されていない。チャーチルは7月26日に退陣した。7月の段階でソ連との戦争を始めたなら、ソ連と日本が手を組むことも懸念されたようだ。 こうしてみると、アメリカやイギリスの支配層にはソ連と中国の勝利を認めたくない人もいて、歴史を書き換えようとしてきた。ハリウッドのプロパガンダ映画も効果があったようだ。そうした動きに日本の支配層も同調しているが、今回、ロシア政府はそうした態度を許さないと釘を刺したわけだ。アメリカのそうした勢力と手を組んでいることに対する警告とも言えるだろう。
2015.09.22
岸田文雄外相が9月20日からロシアを訪問、ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相やウラジミル・プーチン大統領らと会談しているようだ。何を話し合い、決めたところでアメリカ支配層の意向には逆らえない。訪問自体、アメリカの許可を得てのことだろう。まして彼らの意向に反することを決めても後で取り消すことになるだけ。ロシアとしても日本の外相が来たということが大事なのだろう。 当初の計画では8月の下旬にロシアを訪問する予定だったようだが、延期されていた。岸田外相が20日にロシアを訪れると報道された後、9月18日に岸田外相は未定だとしていた。訪問を認めたのは安倍晋三政権が「安全保障関連法案」を強引に参議院で成立させた19日のことだ。 本ブログでは何度も書いてきたが、今回の安保法にしろ、あるいは特定秘密保護法にしろ、TPPにしろ、アメリカの戦略に基づいている。現在の戦略は1992年に国防総省で作成されたDPG(国防計画指針)の草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配すとしていたが、ソ連が消滅したことから中国が最大のターゲットになり、東アジア重視が言われるようになった。 その後、ロシアがプーチンらによって再独立、中国と緊密な関係を結んだ結果、アメリカの支配システムは揺らいでいる。軍事力もさることながら、経済的に押されている。今のアメリカは生産能力を失い、基軸通貨を発行するという特権と軍事力による威嚇で支えられているだけ。ロシアや中国を中心に貿易をドルで決済しなくなり、アメリカの財務省証券も手放しはじめ、金を買い込んでいる。 日本経済もロシアや中国を抜きには成り立たない。ここにきて戦争ビジネスへの参入を財界は言い始めているが、それで何とかなる会社は少ない。日本を支配し、アメリカでも強い影響力を持つネオコン/シオニストはアメリカ/NATOの軍事力だけでなく、アル・カイダ系武装集団、IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュなどとも表記)、ネオ・ナチ(ウクライナのステファン・バンデラ派)などを使って世界制覇プロジェクトを推進、日本もその戦争マシーンに組み込まれようとしている。少しでも思考力があれば、日本の企業経営者も自らが危険な状況に陥っていることがわかるだろう。 安保法制に反対するデモや法案の強行採決などは国外でも取り上げられ、日本は「平和主義」を放棄するのではないかと言われている。日本の経済界にも不安を抱いている人はいるだろう。岸田外相が訪ロした目的のひとつは、安倍政権は平和にも努力しているという宣伝なのかもしれない。
2015.09.21
9月20日に行われたギリシャの総選挙でシリザ(急進左翼進歩連合)が300議席のうち145議席を獲得した。1月25日の選挙より4議席減らしたが、第1党だということに変化はない。変化したのはシリザの立場。1月にはIMF(国際通貨基金)、ECB(欧州中央銀行)、EC(欧州委員会)、いわゆるトロイカが要求していた「緊縮財政」を拒否していたのだが、今回は受け入れている。この政策でギリシャの財政は悪化し、返済不能な状態になっているのだが、シリザはトロイカに降伏したのだ。問題が解決されたわけでなく、経済破綻は不可避で、選挙後も波乱はありそうだ。 アメリカ支配層の意に沿わない動きがあると活発に動く人たちがいる。そうしたひとりがビクトリア・ヌランド国務次官補で、昨年2月のキエフで実行されたクーデターの際には現場で指揮していた。彼女の夫はネオコン/シオニストの中核グループに属しているロバート・ケーガン。 ヌランドは今年3月17日にギリシャを訪問してアレクシス・チプラス首相と会談しているが、友好的なものだったとは考えられない。7月5日にはネオコンのルパート・マードックが所有するイギリスのサンデー・タイムズ紙が、ギリシャで軍も参加したネメシス(復讐の女神)という暗号名の秘密作戦が用意されていると伝えている。西側の支配層は緊縮財政を続けるように脅している。ギリシャの金融機関もシリザ政権と敵対関係にあった。 7月5日にはギリシャでトロイカの政策をめぐる国民投票が実施され、61%以上がトロイカの要求を拒否する結果が出た。トロイカの要求によって年金や賃金がさらに減り、社会保障の水準も一層低下、失業者を増やすことになり、利益を得るのは巨大資本や富裕層だけだからだ。富裕層はオフショア市場のネットワークなどを使って資産を隠し、課税も回避している。 ギリシャの財政問題を考える場合、ドイツ、アメリカ、イギリスによる支配や内政干渉を無視することはできない。第2次世界大戦の際にはドイツが占領、1944年にドイツ軍が撤退するとレジスタンスの主力だったEAM(民族解放戦線)が主導権を握るのだが、これを嫌ったイギリスはEAMを弾圧、内乱を経てアメリカやイギリスの意向に添う体制、つまり傀儡政権をつくることに成功する。平和運動の参加、米英両国にとって邪魔な存在だった政治家のグリゴリス・ランブラキスが1963年5月に暗殺された。 そして1967年に軍事クーデターがあり、秘密警察のトップだったディミトリオス・イオアニデス准将の軍事政権が成立。NATO加盟国で軍事クーデターがあったにもかかわらず、アメリカは反応しない。1968年に行われたアメリカの大統領選挙ではギリシャの軍事政権からリチャード・ニクソン陣営に資金が提供されたとも言われている。ギリシャの軍事独裁は1974年に終わるが、その影響はその後も続き、軍備への出費が財政を圧迫する一因になった。 2001年にギリシャが通貨をユーロに切り替える、つまりギリシャは通貨の発行権を放棄したのだが、本来なら財政状態の問題で認められないはずだった。そこで登場したのがゴールドマン・サックスで、財政状況の悪さを隠す手法を教え、ギリシャの債務を膨らませたわけだ。こうした状況を欧州委員会は遅くとも2002年に気づいていたと言われているが、問題は放置された。ちなみに、2002年から05年にかけてゴールドマン・サックスの副会長を務めていたマリオ・ドラギは2011年、ECBの総裁に就任し、今でもその職にある。 2004年にはアテネ・オリンピックというカネのかかるイベントがあり、軍事費も重くのしかかっていたが、ギリシャの債務が急増したのは2006年頃から。この頃、国内で開発がブームになっていた。中には、建設が許可されていない場所で、違法な融資によって開発しようとして中止が命令されていたケースもあり、このブームで業者と手を組んだ役人の中には賄賂を手にしたものが少なくなかったと言われている。 IMFはアメリカの巨大金融資本に操られているが、この勢力はターゲット国の腐敗した支配層(軍事クーデターで国を乗っ取った独裁政権のことが少なくない)と手を組んで国家財政を破綻させ、緊縮財政を押しつけてきた。庶民から富を奪い、資源やインフラなどを奪うわけだ。 それに対し、こうした要求を拒否して経済を立ち直らせた国もある。アイスランドやロシアだ。前にも書いたように、ロシアの場合は1991年7月にロンドンで開催されたG7の首脳会議で幕が開く。 この会議に出席したミハイル・ゴルバチョフに対し、西側の首脳は巨大資本にとって都合の良いショック療法的、つまり新自由主義的な経済政策を強要するのだが、ゴルバチョフは難色を示す。そこで西側支配層に目をつけられたのがボリス・エリツィンだ。この時もロシア国民は西側の要求を望んでいない。例えば、1991年3月、ロシアと8つの共和国(人口はソ連全体の93%)で行われた国民投票の結果、76.4%がソ連の存続を望んでいた。(Stephen F. Cohen, “Soviet Fates and Lost Alternatives,” Columbia University Press, 2009) エリツィンは1991年7月にロシア大統領となり、8月には「保守派のクーデター」を口実とした「反クーデター」を成功させて実権を握る。12月にはウクライナのレオニード・クラフチュクやベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチとベロベーシの森で秘密会議を開き、そこでソ連からの離脱を決め、ソ連消滅へ導いた。西側の傀儡エリツィンが率いるロシアはアメリカの属国になった。 エリツィン政権は新自由主義経済を導入、私有化と規制緩和を推進して国の資産を奪い始める。当時、ロシア政府を支配していたのは飲んだくれのエリツィン大統領ではなく、その娘であるタチアナ・ドゥヤチェンコ。その人脈と結びついた一部の人間が不公正な手段で国民の資産を私物化、巨万の富を築き、「オリガルヒ」と呼ばれるようになった。その象徴とも言える人物が、少なくとも一時期はロシアとイスラエルの二重国籍だったボリス・ベレゾフスキーだ。 この略奪構造を壊し、ロシアを再独立化させたのがウラジミル・プーチンを中心とするグループ。だからこそ、西側の支配層はメディアを使ってプーチンを口汚く罵るわけだ。盗んだ資産を奪い返され、怒っている。 しかし、プーチンの時代にロシアが立ち直ったことは否定できない。そこで理由を経済政策でなく石油相場に求める人たちがいる。そうした人びとの「理屈」によると、今年の石油相場急落でロシアは破綻するはずだが、実際は違った。この値下がりで深刻な事態に陥ったのはアメリカのシェール・ガス/オイル業界。イギリスの北海油田も厳しい状況だろう。巨大金融資本が支配するアメリカの連邦準備制度理事会がゼロ金利政策を続ける大きな理由はここにある。
2015.09.21
中国共産党中央委員会総書記、つまり中国の最高責任者である習近平が9月21日から22日にかけてアメリカを訪問するという。その直前、9月19日未明に安倍晋三政権が「安全保障関連法案」を強引に成立させたのは偶然なのだろうか? 交渉の際、アメリカの支配層は軍事力で威圧することも珍しくないが、習総書記はウラジミル・プーチン露大統領と同じように外交的な解決を目指していることをアピールしているように見える。ネオコン/シオニストのような好戦派は実際に軍事力で決着をつけようとしている。控えめで穏やかに話すアメリカの言うことを聞く人はいないとコンドリーサ・ライス元国務長官はFOXニュースのインタビューで語っている。脅さなければ誰も言うことを聞かない、つまり信頼されていないということだ。 ネオコンだけでなく、ロシアや中国を中心とする勢力がドルでの決済を止めようとしていることに危機感を持つ人たちも両国を軍事力で屈服させようとしてきた。支配システムの崩壊を恐れ、経済活動の発展を望む余裕がない。 経済面でロシアや中国に押されているアメリカは軍事力で世界を制覇して経済も支配しようとしているが、思惑通りには進んでいない。BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(上海協力機構/中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)を中心にドル離れが進み、AIIB(アジアインフラ投資銀行)や新開発銀行(NDB)は、アメリカの金融資本が支配する国際通貨基金(IMF)や国際復興開発銀行(IBRD/世界銀行)の体制が揺らいでいる。IMFと世界銀行は欧米の金融資本が世界の富を略奪する仕組みの中枢であり、アメリカの支配層は中露の動きに神経を尖らせている。 アメリカ経済の破綻が明確になったのはリチャード・ニクソン大統領はドルと金の交換を停止すると発表した1971年。その後、アメリカは1974年にサウジアラビアと協定を結び、石油取引をドルで決済させて利益はアメリカ財務省証券などの購入に使わせることに成功する。ドルを人間が生活する世界から回収する流れを作り上げたわけだ。 その代償としてニクソン政権がサウジアラビアに提示したのは、同国と油田地帯の軍事的な保護、必要とする武器の売却、中東諸国からの防衛、そしてサウジアラビアを支配する一族の地位を永久に保障するというものだった。似た協定をほかのOPEC諸国とも結んだようだ。これがペトロダラーの仕組み。 この仕組みには懸念材料もあった。サウジアラビアのファイサル国王がPLOのヤセル・アラファト議長を支援していたのだが、1975年に国王は甥に暗殺されてしまう。その後の国王は親米派が続く。 アラファトには別の後ろ盾もいた。エジプトのガマール・ナセル大統領だ。ヨルダン軍に攻撃されたアラファトを匿ったナセルが52歳の若さで急死したのは1970年9月のことだった。 その間、1973年にペトロダラーの仕組みを強化することになる出来事があった。ファイサル国王の腹心で、石油鉱物資源相を務めたシェイク・ヤマニによると、1973年5月にスウェーデンで開かれた秘密会議でアメリカとイギリスの代表が400%の原油値上げを要求、オイル・ショックにつながったというのだ。この秘密会議を開いたのはビルダーバーグ・グループだということがわかっている。 1973年10月の第4次中東戦争の際、OPECに加盟するペルシャ湾岸の6カ国が原油の公示価格を1バーレルあたり3.01ドルから5.12ドルへ引き上げると発表しているが、その背後にはキッシンジャーがいたということ。 このキッシンジャーはチリのサルバドール・アジェンデ政権を第4次中東戦争が勃発する直前、1973年9月11日に軍事クーデターで倒している。その時に使ったチリの軍人がオーグスト・ピノチェト。後に設置される「チリ真実と和解委員会」によると、軍事政権の時代に殺されたり「行方不明」になった人は少なくとも2025名、一説によると約2万人が虐殺され、新自由主義の導入に反対するであろう勢力は壊滅状態になる。ピノチェトは議会を閉鎖、憲法の機能を停止、政党や労働組合を禁止、メディアを厳しく規制する。 そしてピノチェトは新自由主義経済を導入、社会や福祉の基盤を私有化し、労働組合が弱く、低インフレーションで、私的な年金基金の、低賃金で輸出型の小さな国を目指す。1979年には健康管理から年金、教育まで、全てを私有化しようと試みている。その政策を実行したのはミルトン・フリードマンの弟子たち、いわゆる「シカゴ・ボーイズ」だ。この新自由主義経済が投機市場を肥大化させていくわけで、ペトロダラーと同じ機能を果たしている。 チリでは巨大資本の利益に反する主張をする人びとが弾圧され、多くの犠牲者が出ている。そうした後、反対勢力が崩壊してから新自由主義が導入されたわけで、軍事独裁と新自由主義は車の両輪だと考える人もいる。この両輪でアメリカの支配層は他国の庶民から富を奪ってきたが、ロシアや中国に対しても同じことをしようとしている。その先にあるのは世界大戦にほかならない。それを「ハルマゲドンでの最終戦争」だと考え、待ち望んでいる人もアメリカには少なくないようだ。ナチスと同じように、アメリカはカルトの強い影響下にあることを忘れてはならない。
2015.09.20
安倍晋三政権は9月19日未明、「安全保障関連法案」を強引に参議院で成立させた。18日にすると柳条湖事件(注)と月日が重なるためにずらしたとも言われているが、こうした種類の法案が成立することは2013年の参議院選挙が終わった段階で確定的だった。そこへたどり着くまでに果たしたマスコミの「功績」は大きい。 6月1日に開かれた官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安倍晋三首相は「安保関連法制」について、「南シナ海の中国が相手」だと口にしたと週刊現代のサイトが紹介していた。そうしたことを安倍首相に言わせているのはアメリカの好戦派だ。 アメリカの国防総省系シンクタンクRANDはアメリカと中国との軍事衝突が起こった場合の分析を発表している。想定されている舞台は台湾と南沙(スプラトリー)諸島。兵器を近代化、ロシアのジャミング・システムやミサイルを導入している中国をアメリカは警戒している。 2013年9月3日、地中海の中央からシリアへ向かって2発のミサイルが発射されたことをロシアの早期警戒システムが探知している。アメリカがシリア攻撃を始めると言われていたタイミングだったので開戦かと思われたのだが、2発とも海中に落ち、その直後にイスラエル国防省はアメリカと合同で行ったミサイル発射実験だと発表している。 しかし、事前に周辺国(少なくともロシア)へミサイルを発射すると通告されない。攻撃のつもりだったのだが、ジャミングでGPSが狂って墜落したとする話もある。2014年4月には、黒海に入ってロシア領へ近づいたイージス艦の「ドナルド・クック」の近くをロシア軍の電子戦用の機器だけを積んだスホイ-24が飛行、その際に船のレーダーなどのシステムが機能不全になり、仮想攻撃を受けたと言われている。 すでに中国はロシアの高性能地対空ミサイルS-300を購入、自分たちでも改良版を生産している。シリアでアメリカやイスラエルが神経を尖らせているのがこのミサイルだが、それを上まわる能力を持つS-400が中国に提供されるという話が今年の春に流れた。このミサイルにはいくつかのタイプがあり、40N6の射程距離は400キロメートル、48N6は250キロメートルだが、速度はマッハ6.2。アメリカや日本の航空兵力にとって脅威になることは確か。 ここにきて中国はロシアと合同演習を実施、日米が中国を攻撃すればロシアも出てくるというメッセージだろう。中国とアメリカにしろ、中露と日米にしろ、沖縄の嘉手納空軍基地は早い段階で弾道ミサイルの攻撃を受け、2週間ほどで壊滅すると見られているが、嘉手納以外の基地が無事だとは考えられず、沖縄全域が大きなダメージを受けるだろう。アメリカ軍はアラスカ、グアム、ハワイなどから出撃することになる。 沖縄ほどではないにしろ、日本全域が無傷でいられるとは考え難く、少なからぬ原発が破壊される事態も覚悟すべきだ。そうなると影響は太平洋、そしてアメリカへも及ぶ。状況によっては、そのアメリカもミサイルで攻撃される可能性がある。 アメリカで好戦的な戦略を立てているのはネオコン/シオニスト。そのシオニストはソ連が消滅した直後、1992年に世界制覇を目指すプロジェクトを始めた。本ブログで何度も書いたようにDPG(国防計画指針)の草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配すとしていたが、ソ連が消滅したことから中国が最大のターゲットになり、東アジア重視が言われるようになった。 1991年1月にアメリカ軍はイラクを攻撃するが、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領はサダム・フセインを排除しないまま停戦、80年代からフセインを排除してイラクに親イスラエル国を作る計画を立てていたネオコンは怒る。そうしたひとりのポール・ウォルフォウィッツ国防次官はイラク、シリア、イランを5年から10年で殲滅すると口にしていたというが、その一方でアメリカがイラクを軍事侵攻してもソ連が出てこなかったことにほくそ笑んでいる。 1991年3月、ロシアと8つの共和国(人口はソ連全体の93%)で行われた国民投票の結果、76.4%がソ連の存続を望んでいた(Stephen F. Cohen, “Soviet Fates and Lost Alternatives,” Columbia University Press, 2009)のだが、西側の支配層は違う方向を目指す。 この年の7月にロンドンで開催されたG7の首脳会議に出席したミハイル・ゴルバチョフは西側から巨大資本にとって都合の良いショック療法的、つまり新自由主義的な経済政策を強要され、難色を示した。そこで西側支配層に目をつけられたのがボリス・エリツィンだ。エリツィンは1991年7月にロシア大統領となり、12月にウクライナのレオニード・クラフチュクやベラルーシのスタニスラフ・シュシケビッチとベロベーシの森で秘密会議を開き、そこでソ連からの離脱を決め、ソ連消滅へ導いた。西側の傀儡エリツィンが率いるロシアはアメリカの属国になった。 その一方、アメリカ支配層は中国対策も進めていた。1980年代初頭から中国では新自由主義が導入され、アメリカへ留学したエリートの子どもたちは強欲な価値観を洗脳されている。そうしたこともあり、ウラジミル・プーチンがロシアを再独立させた後、中国とロシアが手を組むとは想定していなかったようだ。 何度も書いていることだが、アメリカ支配層はソ連の消滅、冷戦の終結を見て、1992年から世界制覇を目的とする戦争を始めた。ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリアなどを攻撃してきたのだが、ここにきてロシアや中国と直接対決する段階に来ている。 安保法にしろ、特定秘密保護法にしろ、TPPにしろ、そうした状況の中で出て来たということを忘れてはならない。今後、アメリカの戦略に都合の悪い動きが日本で現れないようにマスコミは宣伝を始めるだろうが、それでも駄目なら「偽旗作戦」が実行される可能性もある。(注)柳条湖事件:偽旗作戦の一種で、1931年9月18日に奉天北部の柳条湖で南満州鉄道の線路が爆破された事件。日本軍は奉天軍閥の張学良らによる破壊工作だと主張、中国東北部を占領する口実にする。実際は石原莞爾中佐や板垣征四郎大佐の計画に基づき、奉天独立守備隊に所属していた河本末守中尉らが実行した。張学良の父親、張作霖は1928年6月4日、河本大作大佐らによって爆殺されている。
2015.09.19
2003年3月、アメリカ軍はイギリス軍などを引き連れ、イラクを先制攻撃してサダム・フセイン体制を倒した。攻撃の口実にされたのは大量破壊兵器。イギリスのトニー・ブレア政権は2002年9月に「イラク大量破壊兵器、イギリス政府の評価」というタイトルの報告書、いわゆる「9月文書」を作成、その中でイラクは45分でそうした兵器を使用できると主張、03年1月にアメリカのコンドリーサ・ライス国家安全保障問題担当補佐官は、キノコ雲という決定的な証拠を望まないと語っている。今にもフセインが核攻撃するかのような発言。安倍晋三政権流に言うなら「存立危機事態」だ。 しかし、イラクに大量破壊兵器は存在しなかった。そうした事実をイギリス政府もアメリカ政府も承知していたが、イラクを攻撃してフセインを排除するため、嘘をついたのである。日本の政府もマスコミも大量破壊兵器話を事実であるかのように主張していたが、本気で信じていたわけではないだろう。この件について、政府もマスコミも「説明責任」を果たしていない。 フセインの排除は1980年代からイスラエルやネオコンが主張していた。1991年1月にアメリカ軍はイラクに侵攻したが、ジョージ・H・W・ブッシュ政権はサダム・フセインを排除しないまま湾岸戦争を終わらせている。これに怒ったポール・ウォルフォウィッツ国防次官はイラク、シリア、イランを5年から10年で殲滅すると口にしていたという。 1992年に作成されたDPGの草稿、いわるゆ「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」は世界制覇計画と言える代物。前年12月にソ連が消滅、アメリカの支配層はロシアを属国化することに成功、中国のエリートも手なずけ、アメリカは「唯一の超大国」になったと考え、潜在的ライバルを潰すことにした。旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアだが、それだけでなく、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアも支配しようとする。 1999年にアメリカはNATO軍を使ってユーゴスラビアを攻撃、その際にスロボダン・ミロシェビッチの自宅や中国大使館も爆撃している。中国大使館を爆撃したのはB2ステルス爆撃機で、目標を設定したのはCIA。3基のミサイルが別々の方向から大使館の主要部分に直撃している。 ウォルフォウィッツがイラク、シリア、イランを殲滅すると発言してから10年後、つまり2001年、アメリカにはネオコンが担ぐジョージ・W・ブッシュが大統領に就任した。ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのは、その年の9月11日だった。 調査もしない段階でブッシュ政権は「アル・カイダ」が実行したと宣伝、アル・カイダ系武装集団とは敵対関係にあったフセインを攻撃する口実に使う。論理は破綻しているのだが、2003年にイラクは攻撃された。2011年にNATO軍はアル・カイダ系のLIFGと手を組んでリビアのムアンマル・アル・カダフィ体制を破壊、カダフィを惨殺した。 同時にシリアでも傭兵を投入して体制転覆を図る。DIA(アメリカ軍の情報機関)が2012年8月に作成した文書によると、シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けている。アル・カイダ系武装集団にはサラフ主義者やムスリム同胞団が多く、シリアの反政府軍はアル・カイダ系だということだ。 細かくは書かないが、アメリカは侵略戦争を続け、ロシアや中国を恫喝してきたが、そうした脅しに屈する相手ではない。当初は世界制覇を目指す戦争だったが、その過程でロシアと中国の関係が緊密化、両国を中心とする国々が同調してアメリカは存亡の危機に直面している。今では自らの生き残りをかけた「世界大戦」だ。 アメリカの支配層があくまでも世界制覇を目指すなら、ロシアや中国と軍事衝突、つまり核戦争に発展しても不思議ではない。「存立危機事態」かどうかを判断するのは日本政府でなくアメリカ政府だろうが、そうなると1983年1月に中曽根康弘が言ったように、日本はアメリカの「巨大空母」として、原発を抱えながら戦うことになる。戦争は動き始めたら止めることが困難。 週刊現代のサイトによると、6月1日に開かれた官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安倍晋三首相は「安保関連法制」は「南シナ海の中国が相手」だと口にしたという。この情報が正しいなら、安倍首相は事態を理解した上で、戦争の準備を進めていることになる。
2015.09.18
日本の支配層は自国をアメリカの戦争マシーンへ組み込もうとしている。「安全保障関連法案」もそのために成立させようとしているわけで、「日本は平和」で「侵略された場合に備える」ための法案だとする説明は根本的に間違っている。日本の同盟国だというアメリカが1992年に始めた世界規模の戦争に参加することになる。 アメリカはユーゴスラビア、アフガニスタン、イラクを先制攻撃、リビアやシリアはアル・カイダ系戦闘集団やIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュなどとも表記)、ウクライナはネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)を利用して体制転覆を図ってきた。ラテン・アメリカやアフリカでも秘密工作は続いている。 週刊現代によると、安倍晋三首相は6月1日、官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安保法案は「南シナ海の中国が相手」だと語ったという。オフレコという約束を守って懇親会に出席したマスコミのキャップたちは報道しなかったようだが、週刊誌が伝えた。これまでの流れを見て、安保法案が中国との戦争を想定していると考えている人は少なくないはずで、矛盾はない。 アメリカのネオコン/シオニストは1991年12月にソ連が消滅すると、自国は「唯一の超大国」になったと信じ、潜在的なライバルを潰すと同時に新たなライバルを生み出すエネルギー資源が眠る西南アジアを制圧しようと考えた。そうした発想が国防総省で作成されたDPGの草稿に反映されている。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だが、支配層の内部にも危険だと考えた人がいるようで、有力メディアにリークして広く知られるようになった。 問題になったことでこの時は書き換えられたようだが、考え方は消えず、2000年にはネオコン系シンクタンクのPNACがDPGに基づく報告書「米国防の再構築」を発表している。DPGはリチャード・チェイニー国防長官の下、ポール・ウォルフォウィッツ次官、I・ルイス・リビー、ザルマイ・ハリルザドらが書いたというが、PNACの報告書の執筆陣の中にウォルフォウィッツ、リビーは含まれている。そのほか、ウクライナのクーデターを現場で指揮していたビクトリア・ヌランド国務次官補の結婚相手であるロバート・ケイガン、イラクへ軍事侵攻する前に偽情報を流していたOSPの室長だったエイブラム・シュルスキー、さらにステファン・カムボーン、ウィリアム・クリストルといったネオコンの大物たちが名を連ねていた。 2001年に発足したジョージ・W・ブッシュ政権は、その報告書に基づく政策を推進することになるが、それを可能にした出来事がある。2001年9月11日に引き起こされたニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)に対する攻撃だ。 この攻撃を口実にしてブッシュ・ジュニア政権は2003年にイラクへ軍事侵攻するのだが、サダム・フセイン政権は「9-11攻撃」と無関係だった。攻撃の直後、アメリカ政府は調査もせずに「オサマ・ビン・ラディンが率いるアル・カイダ」が実行したと宣言するが、そもそもアル・カイダは戦闘員の登録リストであり、戦闘集団ではない。イラクが「大量破壊兵器」を保有、あるいは製造しているとする話も嘘だった。日本の政府やマスコミもアメリカ政府の主張が嘘だということぐらいわかっていただろう。 本ブログでは何度も書いているように、ロビン・クック元英外相によると、「アル・カイダ」とはCIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイルで、アラビア語で「ベース」を意味、「データベース」の訳語としても使われる。 このオサマ・ビン・ラディンはサウジアラビアの富豪一族に属し、ズビグネフ・ブレジンスキーの秘密工作でソ連軍をアフガニスタンへ引き込んだ際、ソ連軍と戦う戦闘員を集める仕事をしていたとされている。彼を工作の世界へ誘ったアブドゥラ・アッザムはサウジアラビアのアブデル・アジズ国王大学で教えていたことがあるのだが、そこでの教え子のひとりがオサマ・ビン・ラディンだった。その教え子は戦闘集団を指揮した事実もないようだ。 アメリカ軍はイギリス軍などを引き連れてイラクを先制攻撃したのだが、戦闘は泥沼化してアメリカ国内でも反発が強まる。それ以降、体制転覆をアル・カイダ系の武装集団が仕掛けることになる。 リビアへの軍事侵攻ではアル・カイダ系の戦闘集団LIFGとNATOとの同盟関係が明白になり、ムアンマル・アル・カダフィが2011年10月に惨殺された直後、ベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられた(その1、その2)のは象徴的だ。 リビアでカダフィ体制が崩壊した後、アル・カイダ系の戦闘員はシリアなどへ移動、武器も運ばれた。DIA(アメリカ軍の情報機関)が2012年8月に作成した文書によると、シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールといった国々は「テロ支援国」だと指摘されているが、DIAも基本的に同じ見方をしている。 シリアではアル・ヌスラというアル・カイダ系の武装集団が活動していることになっているが、この名称はAQIがシリアで活動するときに使っていたとDIAは説明、そのAQIは2004年に組織され、06年にAQIが中心になって編成されたのがISI。今ではISと呼ばれている。本ブログでは何度も書いているように、このISは現在、トルコ政府に操られている。 キール・リーバーとダリル・プレスがロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)に書いた2006年当時、アメリカの好戦派はまだ自らの軍事力を過信していたのだろうが、08年にその鼻っ柱をへし折られる。 この年の7月10日にアメリカのコンドリーサ・ライス国務長官がジョージア(グルジア)を訪問、8月7日に同国のミヘイル・サーカシビリ大統領は南オセチアを奇襲攻撃するのだが、ロシア軍の反撃で惨敗する。何年にもわたってイスラエルやアメリカから兵器を供給され、将兵の訓練を受けていたジョージアだが、ロシア軍の敵ではなかった。作戦はイスラエルが立てたとも推測されている。この段階でアメリカの好戦派はロシア軍に正規戦を挑むことは得策でないと判断しただろう。 アメリカはすでに生産能力がなく、富の集中で大多数の国民は疲弊、ロシアと中国を中心とする国々はドル離れを明確にし、ロシアにダメージを与えるはずだった石油価格の急落はアメリカのシェール・ガス/オイル業界を崩壊させようとしている。軒並み倒産しても不思議ではない状況なのだが、ゼロ金利政策で経営破綻が表面化していないだけだという。そこで、連邦準備制度理事会が9月に金利をどうするかが注目されてきた。こうした問題を伏せ、中国経済の先行きは暗いというプロパガンダをマスコミは繰り返しているが、救いがたい連中だ。 基軸通貨のドルを発行できるという特権で生きながらえてきたアメリカ。その特権をアメリカは失おうとしている。あらゆる手段を使い、ロシアと中国を屈服させなければアメリカは破綻国家になるということでもある。アメリカの覇権戦争は自らの生き残りをかけた「世界大戦」へ変質している。その大戦へ日本も参戦しようとしているわけだ。
2015.09.17
安倍晋三政権は「安全保障関連法案」を今週中に参議院で成立させるつもりだという。すでにアメリカの好戦派へ約束した期日は過ぎているわけで、安倍首相も必死だろう。本ブログでは何度も書いているように、この法案を生み出した大本は1992年にアメリカ国防総省の内部で作成されたDPGの草案。アメリカを「唯一の超大国」と位置づけ、世界制覇を目指すという宣言で、「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。 前にも書いたことだが、この法案の山場は2006年から10年6月にかけて、つまり民主党を率いることになると見られていた小沢一郎に対してマスコミと東京地検特捜部が冤罪で攻撃を開始してから鳩山由紀夫が首相の座を降りるまでだ。安保法案(戦争法案)にしろ、特定秘密保護法にしろ、TPPにしろ、日米の支配層はその段階で見通しが立ち、一息ついただろう。 首相が菅直人に交代してから3カ月後、尖閣諸島の付近で操業していた中国の漁船を海上保安庁が「日中漁業協定」を無視する形で取り締まり、その際に漁船が巡視船に衝突してきたとして船長を逮捕する。この海上保安庁は国土交通相の外局で、事件当時の国土交通大臣は前原誠司。事件の直後、中国との交渉を担当する外務大臣に就任している。漁業協定に従うなら、日本と中国は自国の漁船を取締り、相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行うことになっていると自民党の河野太郎議員は指摘している。 アメリカ政府が鳩山首相を嫌っていたことはWikiLeaksが公表した文書でも明らか。中国との友好関係を発展させようとする姿勢が嫌われた大きな理由だ。鳩山首相が東シナ海を「友愛の海」にしようと提案、それに対して胡錦濤主席はその海域を平和、友好、協力の海にしようと応じたと報告されている。アメリカの支配層にとって許しがたいことだ。 ヘリテージ財団アジア研究所北東アジア上席研究員のブルース・クリングナーは2012年11月14日に発行されたレポートの中で「日本国民のあいだに中国への懸念が広がりつつあるという状況」を歓迎しているが、これはアメリカ好戦派全体の気持ちだろう。こうした状況を作り上げる上でマスコミが果たした役割は大きい。ちなみにヘリテージ財団は現在、ネオコンが拠点にしている団体のひとつだ。 中国との経済関係が緊密化している日本にとって日中関係の悪化は避けねばならないのだが、アメリカ支配層に服従することで自らの地位と収入を守ろうとする日本の「エリート」はアメリカの命令に従うだけ。「長い物には巻かれろ」、「勝てば官軍」といったところだろう。そこに「思考」は介在せず、情報も軽視する。ただ「強うそうな人間」に従うだけだ。中国との関係悪化でビジネス面に深刻な悪影響が出ることは避けられないが、その代償として提示されているのが武器輸出原則の緩和による戦争ビジネスへの参入なのかもしれない。 2012年に民主党の野田佳彦政権は自民党や公明党と手を組み、消費税の税率を引き上げる法案を可決、同年11月に衆議院を解散して惨敗、自民党と公明党で衆議院の3分の2を占める事態になった。2013年に行われた参議院選挙でも自民党が改選121議席の過半数を上回る65議席を獲得、「安保関連法案」を成立させる準備はできた。こうした流れを作る上でマスコミは重要な役割を果たしている。 この段階でアメリカの支配層は「王手」どころか「詰み」だと認識しただろう。マスコミの一部が安倍政権を批判し始めたのはそうした段階になってからという印象だ。安心して「アリバイ工作」を始めたように見えるが、最終局面で予想外に反対の声が高まっている。学生がこれほど反対の意思を示すとは思っていなかったかもしれない。傲慢さを隠そうとしない安倍政権が詰めを間違ったとも言えるだろうが、保身のためには力尽くでも法案と通そうとするはずで、今は法案成立後にどうするかを考える段階だ。 ところで、イギリスで9月12日に行われた労働党の党首選で党幹部の妨害工作やメディアからの攻撃にもかかわらず、労働党を本来の姿に戻そうと考えているジェレミー・コルビンが勝った。投票したい政治家がいないことから離れていた人びとがコルビンの登場を見て戻ってきたと考えられている。
2015.09.16
このブログを維持するため、皆さまの御協力をお願い申し上げます。多くの方が感じていられると思いますが、残念ながら、日本には「言論界」が触れようとしない「聖域」があります。そこへ足を踏み入れることは許されず、その禁を破る人間は彼らの世界から排除されます。放送局であろうと、新聞社であろうと、出版社であろうと、名のある会社は決して禁を犯そうとはしません。つまり、「右」もなければ「左」もなく、「保守」もなければ「革新」もないのです。プロレスの善玉と悪玉のようなものにすぎません。このブログではそうした禁に拘束されず、事実を追求していこうと思っています。是非、力をお貸しください。【振込先】巣鴨信用金庫店 番 号:002預金種目:普通口座番号:0002105口 座 名:櫻井春彦
2015.09.15
難民を生み出す最大の要因は戦争にある。現在、EUへ殺到している人びとも例外ではなく、直接的には2011年に始まったアメリカ/NATO、イスラエル、ペルシャ湾岸産油国によるリビア、シリア、イランに対する攻撃が原因だ。 中東に戦乱が拡がる切っ掛けは2001年のアメリカ軍によるアフガニスタン攻撃。2003年にはイラクへ軍事侵攻した。つまり、一連の戦争は「内戦」でなく軍事侵攻。攻め込んでいるのはアメリカを中心とする勢力であり、開戦の口実は嘘だった。アメリカに楯突きたくないという保身がこの侵略行為を「内戦」だと言わせるのだろう。 何度も書いてきたが、軍事侵攻プロジェクトの出発点は1992年に作成されたDPGの草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」。ソ連の消滅を受け、潜在的なライバルを潰し、エネルギー資源を支配しようとしたのである。ネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が中心になって作成されたことから、こう呼ばれている。 現在、イラクからシリアにかけての地域ではIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)が破壊と殺戮を続けている。大きな目的のひとつがシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すことで、これはウォルフォウィッツたちの戦略に合致している。 ネオコン/シオニストでCIA長官も経験したデービッド・ペトレアス陸軍大将は「穏健派アル・カイダ」をISと戦わせるために使うべきだと主張しているが、勿論、そのようなものは存在しない。ISを攻撃するという口実でシリア政府を倒そうとしていると見られている。 故ロビン・クック元英外相も説明していたように、アル・カイダとはCIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われる。いわば「派遣戦闘員」の登録リストのようなものであり、「オサマ・ビン・ラディンが率いる戦闘集団」というわけではなかった。ペトレイアスの主張を善意に解釈すれば、ISと戦う傭兵を雇うということになるだろうが、その前にやるべきことがある。兵站ラインを断つということだ。 ISについてジョー・バイデン米副大統領は昨年10月2日にハーバード大学で次のように語った: ISの「問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦」であり、その「同盟国」はシリアのアサド政権を倒すために多額の資金を供給、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は多くの戦闘員がシリアへ越境攻撃することを許してISを強大化させた。 戦争を続けるためには武器や弾薬だけでなく食糧は絶対に必要。その兵站をシリアの前線へ運び込むルートをISはいくつか持っているが、中でも重要な兵站ラインがトルコからのもの。例えば、ドイツのメディアDWは昨年11月にトルコからシリアへ武器や戦闘員だけでなく、食糧や衣類などの物資がトラックで運び込まれ、その大半の行き先はISだと見られていると伝えている。 また、ISは資金調達のためにイラクで盗掘した石油を密輸しているが、その石油を扱っているのは、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の息子が所有するBMZ社であり、ISの負傷兵はトルコの情報機関MITが治療に協力、秘密裏に治療が行われている病院はエルドアン大統領の娘が監督していると伝えられている。しかも、トルコ政府のロビーとしてCIAの秘密工作部門の所属していたポーター・ゴスが加わったという。もし、アメリカ政府が本気でISを叩こうとしているのだとしても、トルコから情報はISへ伝えられてしまう。 シリアとリビアで体制転覆プロジェクトが始動したのは2011年3月のことだが、そのときからトルコは反シリア政府軍に拠点を提供している。同国にあるアメリカ空軍のインシルリク基地では、アメリカのCIAや特殊部隊、イギリスやフランスの特殊部隊から派遣された教官が戦闘員を訓練、シリアへ送り出している。 イスラエルでの報道によると、シリア国内にはイギリスとカタールの特殊部隊が潜入、ウィキリークスが公表した民間情報会社ストラトフォーの電子メールによると、アメリカ、イギリス、フランス、ヨルダン、トルコの特殊部隊が入っている可能性がある。すでにイギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、ISの服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動しているとも最近、報道された。 西側の政府やメディアはシリアへの軍事介入を正当化するため、シリア政府が民主化運動に対して「流血の弾圧」を行っていると宣伝していたが、現地にいたジャーナリストは事実でないと語っていた。当時、シリア駐在のフランス大使だったエリック・シュバリエによると、バシャール・アル・アサド政権が暴力的に参加者を弾圧しているとアル・ジャジーラやフランス24などの報道は間違いだと主張している。同国外務省の調査団が調べたところ、実際は限られた抗議活動があっただけで、すぐに平穏な状況になったことが判明したというのだ。 この報告を読んで怒ったのがアラン・ジュッペ外相。EUへの加盟支援を餌にトルコをリビアやシリアに対する軍事作戦へ引き込んだのはこのジュッペで、シリアとイラクにクルド国を作るというプランを持っていたという。ジュッペは調査団の報告を無視、シリアのフランス大使館へ電話して「流血の弾圧」があったと報告するように命じた。 また、DIA(アメリカ軍の情報機関)は2012年8月に作成した文書の中で、シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてアル・カイダ系武装集団のAQIで、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。その当時、アル・カイダ系武装集団の戦闘員は大半がサラフ主義者やムスリム同胞団。シリアではアル・ヌスラというアル・カイダ系の武装集団が活動していることになっているが、この名称はAQIがシリアで活動するときに使っていたとDIAは説明している。 AQIは2004年に組織された武装集団。2003年にアメリカを中心とする軍隊がイラクへ侵攻し、アル・カイダ系武装集団を弾圧していたフセイン体制を倒したことが大きいだろう。2006年にAQIが中心になってISIが編成され、今ではISと呼ばれている。 中東の難民を考える場合、忘れてならないのは1948年5月14日の「イスラエル建国」だ。歴史を振り返ると、1882年にエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドはユダヤ教徒のパレスチナ入植に資金を提供し、91年にはウィリアム・ブラックストーンなる人物がアメリカで「ユダヤ人」をパレスチナに返そうという運動を展開している。 そして1948年4月4日、「民族浄化」を目的として「ダーレット作戦」を発動、9日未明にデイル・ヤシン村を襲撃して254名を虐殺した。住民の多くは石切で生計を立てていたことから、その時間に男は仕事で村を離れていた。犠牲者の多くは睡眠中だった女性と子どもで、35名は妊婦だった。 襲撃したのはイルグンとレヒ(スターン・ギャング)という武装組織だが、ハガナ(後にイスラエル軍の中核になる)と連携していた。ハガナはイギリスの情報機関MI6や破壊工作機関SOEの訓練を受けている。 この虐殺を見て多くのアラブ系住民が避難、約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザ地区やトランスヨルダン(現在のヨルダン)に移住、その後、1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人。この難民問題は未だに解決されていない。それどころか、イスラエルは今でもパレスチナ人を虐殺し続け、それを「国際社会」は傍観してきた。
2015.09.15
イスラエルのテレビ局「チャンネル2」の取材に応じたとして、同国の警察と治安機関シン・ベトはモルデカイ・バヌヌを9月10日に逮捕した。バヌヌは1977年から8年間、技術者としてイスラエルの核施設で働いた経験があり、その経験に基づいて86年に同国の核兵器開発を内部告発した人物だ。 内部告発後、イスラエルはイギリスの治安機関MI5とのトラブルを避けるため、ロンドンにいたバヌヌをローマへ誘き出し、そこで拉致する。バヌヌの居場所は、彼が接触したオーストラリアやイギリスのメディアからイスラエルへ通報されていた。イスラエルで1988年に懲役18年を言い渡され、すでに出所しているバヌヌだが、現在でも「自由の身」にはなっていない。イスラエルの支配層が恐れる秘密をバヌヌはまだ持っている、少なくともイスラエルの当局はそう考えているのだろう。 ディモナにある核施設でバヌヌが担当していたのは原爆用のプルトニウム製造。生産のペースから計算するとイスラエルは150から200発の原爆を保有していることが推定されるとしていた。水爆に必要な物質、リチウム6やトリチウム(三重水素)の製造もバヌヌは担当、別の建物にあった水爆の写真を撮影したという。また、イスラエルは中性子爆弾の製造も始めていたとしている。 イスラエル軍情報局のERDに所属した経験があり、イツハーク・シャミール首相の特別情報顧問を務めたこともあるアリ・ベン・メナシェもイスラエルは水爆を保有していると語っている。彼によると、1981年頃にイスラエルはインド洋で水素爆弾の実験を実施、その時点で同国が実戦配備していた原爆の数は300発以上だったという。イスラエルが保有する核弾頭の数は400発だとする推測もある。 ディモナを含むネゲブ地方の地質調査が始まったのは1949年で、52年にはIAEC(イスラエル原子力委員会)が創設されて核兵器の開発が始まる。この開発で重要な役割を果たしたひとりがフランスのCEA(原子力代替エネルギー委員会)で1951年から70年まで委員長を務めたフランシス・ペリン。1956年にはシモン・ペレスがフランスでシャルル・ド・ゴールと会談し、フランスは24メガワットの原子炉を提供することになった。 イスラエルの核兵器開発には欧米の富豪、例えばエドモンド・アドルフ・ド・ロスチャイルドやアブラハム・フェインバーグが資金を提供していたと言われている。いずれもシオニストで、フェインバーグはハリー・トルーマンのスポンサーとしても知られている。 1958年になるとアメリカの情報機関もイスラエルが核兵器を開発している可能性が高いことを認識する。CIAの偵察機U2がネゲブ砂漠のディモナ近くで何らかの大規模な施設を建設している様子を撮影、それは秘密の原子炉ではないかという疑惑を持ったのだ。 そこで、CIA画像情報本部の責任者だったアーサー・ランダールはドワイト・アイゼンハワー大統領に対してディモナ周辺の詳細な調査を行うように求めたのだが、それ以上の調査が実行されることはなかった。ランダールが大統領へ報告する場合、通常はアレン・ダレスCIA長官やジョン・フォスター・ダレス国務長官が同席したようで、両者も調査の続行を要求しなかった可能性が高い。この時期、アメリカではソ連に対する先制核攻撃の準備が始まっていた。 核兵器の開発には重水が必要だったのだが、この重水をイスラエルはノルウェーからイギリス経由で秘密裏に入手する。その取り引きについてノルウェーのアメリカ大使館で筆頭書記官だったリチャード・ケリーは1959年の段階で国務省へ報告している。この書記官はアメリカの国務長官を務めているジョン・ケリーの父親だ。 コラムニストのチャールズ・バートレットによると、フェインバーグは1960年の大統領選でジョン・F・ケネディに対し、中東の政策を任せてくれるなら資金を提供すると持ちかけている。現在ほどではないにしろ、当時でも選挙戦は多額の資金が必要で、資金力のある個人や組織に頼らざるを得ない仕組みになっている。その提案をケネディは呑み、任期の途中、約束は守られたとされている。(Seymour M. Hersh, “The Samson Option,” 1991, Random House) しかし、ケネディ大統領はイスラエルの核兵器開発には厳しい姿勢で臨んだことも事実のようだ。同国のダビッド・ベングリオン首相と後任のレビ・エシュコル首相に対し、半年ごとの査察を要求する手紙をケネディ大統領は送りつけ、核兵器開発疑惑が解消されない場合、アメリカ政府のイスラエル支援は危機的な状況になると警告している。(John J. Mearsheimer & Stephen M. Walt, “The Israel Lobby”, Farrar, Straus And Giroux, 2007) 1960年には西ドイツのコンラッド・アデナウアー首相もイスラエルの核兵器開発に手を貸している。この年の3月、アデナウアー首相はニューヨークでダビッド・ベングリオン首相と会談、核兵器を開発するため、1961年から10年間に合計5億マルク(後に20億マルク以上)を融資することを決めた。その後、ドイツは5隻のドルフィン型の潜水艦をイスラエルへ提供、あと1隻の契約も成立しているという。この潜水艦は核ミサイルを搭載でき、ドイツは中東の不安定化に貢献していると言える。 アデナウアーとベングリオンが会談する前月、1960年2月にイスラエルの科学者はサハラ砂漠で行われたフランスの核実験に参加、その直後にはイスラエル自身が長崎に落とされた原爆と同程度の核兵器を所有している。1963年にはイスラエルとフランス、共同の核実験が南西太平洋、ニュー・カレドニア島沖で実施された。1967年の第3次中東戦争、つまりイスラエル軍がエジプトとシリアを奇襲攻撃、エルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ヨルダン川西岸、ゴラン高原などを占領した。 戦闘の最中、イスラエル軍は偵察飛行を繰り返した後、アメリカが派遣していた情報収集船「リバティ号」を攻撃、乗組員34名が死亡、171名が負傷した。リバティ号の通信兵は寄せ集めの装置で第6艦隊に遭難信号を発信、救援のために戦闘機が離陸するのだが、ロバート・マクナマラ国防長官は第6艦隊に対し、戦闘機をすぐに引き替えさせるようにと叫んでいる。そのため、救援は大幅に遅れた。(Alan Hart, “Zionism Volume Three”, World Focus Publishing, 2005)。 ここにきて注目されているのはイスラエルの中性子爆弾。1980年代にイスラエルが中性子爆弾を製造していたとバヌヌは証言しているが、最近では小型化が進み、実戦で使われていると主張する核兵器の専門家もいる。例えば、2013年5月や14年12月におけるシリアであった爆発や今年5月にイエメンであった爆発。天津のケースも疑い濃厚だと見られている。CCDカメラに画素が輝く現象(シンチレーション)があったり、爆発の状況から可能性は高いとされている。
2015.09.14
中東や北アフリカからEUへ向かう難民を西側のメディアが取り上げ、その「悲劇」の象徴として、トルコの海岸に横たわる3歳の子どもの遺体を撮した写真が使われている。その子どもの父親、アイラン・クルディは難民の密航を助ける仕事をしていたという話が出て来た。沈没した船を操縦していたのはクルディだと乗船者は証言しているのだ。 さらに、難民の中には戦闘訓練を受けたIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュなどとも表記)のメンバーが潜り込んでいるとする情報も流れている。難民を送り出しているトルコはアル・カイダ系武装集団やISの拠点があり、トルコ政府からの支援を受けている。難民の中にそうした組織の戦闘員を紛れ込ませることは容易だ。以前からIS、あるいはアル・カイダ系武装集団をEUからロシアにかけての地域で活動させようとしていると推測する人はいた。すでにカフカスやウクライナとはつながっているが、EUへの工作が現実味を帯びてきたと言えるだろう。今後、EUの支配層がアメリカに対してどのような行動を取るかで、彼らの腐敗度がわかる。(勿論、日本の場合は腐りきっている。) 違法難民の問題に関しては今年4月にECIPS(情報政策安全保障欧州センター)が警鐘を鳴らしていた。ところが西側の政府やメディアはそうした警鐘を無視。ここにきて突然、難民問題が脚光を浴びたことに胡散臭さを感じる人は少なくないだろう。 ECIPSがこうした警鐘を鳴らした理由は明白。アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールといった国々がアル・カイダ系武装集団やISを使い、リビアに続いてシリアを攻撃し、破壊と殺戮が続いているからである。最近、アメリカではISと戦わせるために「穏健派のアル・カイダ」を使うという話が出て来たが、笑止千万。修飾語で庶民を騙せると思っているのだろう。そこまで私たちは愚弄されていると言うことだ。 シリアが攻撃されている理由はいくつかある。ひとつはイランとペルシャ湾岸産油国のパイプライン問題、地中海東岸の天然ガス田の利権、対ロシア戦略など。アメリカでは特にネオコン/シオニストが好戦的だ。 ネオコンはアメリカ支配層の中で大きな影響力を持ち、ソ連が消滅した直後の1992年から世界制覇プロジェクトを始動させている。そのベースになっているのが国防総省で作成されたDPGの草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」。その当時の国防長官はリチャード・チェイニー、草案作成の中心には国防次官だったポール・ウォルフォウィッツがいた。 このウォルフォウィッツは1991年、ジョージ・H・W・ブッシュ政権がサダム・フセインを排除しないまま湾岸戦争を終わらせたことに怒り、イラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていた。ヨーロッパ連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官だったウェズリー・クラーク大将がそのように語っている。ネオコンはイランと核問題に関して協議することに反対、シリアやウクライナを軍事力で制圧しようと計画したが、目論見通りには進んでいない。 ウォルフォウィッツ・ドクトリンでは、旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジア、そしてライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアも支配することを決めている。イラク、イラン、シリアの3カ国だけがターゲットだというわけではない。 このドクトリンが作られてから10年ほどするとロシアが再独立、最近では中国がそのロシアとの関係を緊密化、EUの内部でもアメリカを警戒する声を無視できなくなっている。「エリート」を「飴と鞭」でコントロールするだけでは支配システムを維持できなくなっている。 すでにロシアに対してはチェチェンなどカフカス、最近ではウクライナで工作を進め、中国では新疆ウイグル自治区や香港を中心に揺さぶりをかけ、日本と朝鮮という不安定要素も東アジアにはある。EUには以前から難民に紛れて戦闘員がへ入っていると言われているが、その流れが強まる可能性がある。 ウクライナのケースでは安全なロシアへ難民は向かったが、中東や北アフリカのケースではEUへ向かっている。本来なら、難民を生み出す原因を作った国々、つまり、アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、イスラエル、サウジアラビア、カタールなどが責任をとる義務があるのだが、事態は違う。奇妙な話だ。
2015.09.13
9月12日に行われたイギリス労働党の党首選でジェレミー・コルビンが勝ったという。この人物は労働党を本来の姿に戻そうと考えている人物で、党の幹部はコルビンに投票しそうなサポーターを粛清、つまり投票権を奪うなどの妨害活動を続けていたが、それを上まわる力が働いたということだろう。 党内でコルビンと対立関係にある勢力とはトニー・ブレアと結びついていた勢力。イスラエルを資金源にしていたブレアはメディアの支援も受けていた。内政では新自由主義、外交では親イスラエルという立場、つまり社会的な弱者を痛めつけてイスラエルの破壊と殺戮を支持するという人びとだ。今後、コルビンはこうした勢力からの攻撃に立ち向かわなければならない。 1980年代に入り、アメリカでは好戦的なロナルド・レーガン政権がスタート、その政策への反発からイギリスでは反米感情が高まり、イスラエルのパレスチナ人に対する攻撃への批判も強まっていた。1982年にイスラエルがベイルートのキリスト教勢力と手を組んでレバノンを攻撃して1万数千人の市民を虐殺、さらにファランジスト党の手を借りて無防備のサブラとシャティーラ、両キャンプへ軍事侵攻、その際に数百人、あるいは3000人以上の難民を虐殺している。 そうした動きを懸念し、メディア界に君臨していた親イスラエル派のルパート・マードックやジェームズ・ゴールドスミスは1983年にレーガン米大統領と会談、「BAP(後継世代のための米英プロジェクト)」を組織した。この団体にはメディア関係者が多く参加、プロパガンダを展開することになる。ブレアを労働党の党首、そして首相へと押し上げた勢力とBAPを作り上げた勢力は同じだ。 コルビンが労働党の党首になってもこの仕組みは崩れない。前途多難だが、イギリスでも新たな動きが出て来たことは確か。ギリシャ国民が巨大金融資本の政策に抵抗、日本で学生が声を上げ始めたことも同じ流れと言えるだろう。国際的な動きでは、ロシアと中国が連携してドル離れを明確にし、ドルが基軸通貨の地位から陥落する可能性が強まっていることもあり、近い将来にアメリカの支配システムが崩壊しても不思議ではない。そうした流れをアメリカは買収と暴力で乗り切ろうとしているが、ロシアや中国に脅しは通じないだろう。
2015.09.12
ソ連が消滅した後、アメリカの軍、情報機関、戦争ビジネスなどはカネ儲けの仕組みを維持するため、新たな敵を必要としたことは間違いないだろうが、それは軍事的な緊張を高めるひとつの理由にすぎない。その理由だけで軍事的な緊張を高めているとするならば、自分たちの利益のために新たな敵が必要なだけで、ソ連や中国と実際に戦争するつもりはないということになるが、歴史を振り返れば、イギリスやアメリカの一部支配層は実際にソ連を攻撃するつもりだったことがわかる。これは本ブログで何度も書いてきたことだ。日本では支配層だけでなく、「反体制風」の人びともアメリカの暗部を直視しようとせず、高をくくっている。 第2次世界大戦の終盤、フランクリン・ルーズベルト米大統領が急死した後、イギリスのウィンストン・チャーチル英首相はアメリカやドイツと連合してソ連を奇襲攻撃しようと目論み、JPS(合同作戦本部)は5月22日に「アンシンカブル作戦」を作成した。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団が「第3次世界大戦」を始める想定になっていたのだが、参謀本部の反対で実行されなかっただけである。 チャーチルは7月26日に退陣するが、翌1946年3月5日にアメリカのミズーリ州フルトンで、「バルト海のステッティンからアドリア海のトリエステにいたるまで鉄のカーテンが大陸を横切って降ろされている」と演説、「冷戦」の幕開けを告げている。それだけでなく、1947年にはアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員と会い、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたという。冷戦をカネ儲けのための演出だと思い込むのは危険だ。 アメリカにもソ連との戦争を望む人たちがいた。ドイツ軍はソ連侵略に失敗したが、ソ連を疲弊させることには成功した。ドイツ軍との戦いで2000万人以上のソ連国民が死亡し、工業地帯の3分の2を含むソ連全土の3分の1が荒廃に帰している。ソ連の破壊を望む人びとは攻撃の好機だと考えただろう。 1948年に「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ」(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)、翌年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とす(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)という内容が盛り込まれていた。 1952年11月にアメリカは水爆の実験に成功したが、この当時、核兵器の輸送手段は爆撃機で、その任務を負っていたのがSAC(戦略空軍総司令部)。1948年から57年まで司令官を務めたカーティス・ルメイ中将は日本の諸都市で市民を焼夷弾で焼き殺し、広島や長崎に原爆を落とした責任者だった。後にソ連に対する核攻撃をめぐってジョン・F・ケネディ大統領と激しく対立したひとりだ。勿論、ルメイは攻撃を主張した。 核戦争を想定、アメリカの支配層は避難のためにトンネルを掘っている。中でも有名なものがアレゲーニー山脈(アパラチア山系の一部)につくられたグリーンブライア・バンカーだ。1959年に着工、62年に完成している。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、ルメイを含む好戦派は1957年初頭にソ連を先制核攻撃する計画をスタートさせ、63年の終わりに奇襲攻撃を実行する予定にしていた。その頃になれば、先制核攻撃に必要なICBMを準備できると見通していたのだ。ソ連は中距離ミサイルで対抗するしかなく、そのためにアメリカとソ連が注目したのがキューバで、ミサイル危機につながる。 ソ連を攻撃する予定になっていた1963年の後半、11月22日にケネディ大統領はテキサス州ダラスで暗殺され、CIAはキューバやソ連が黒幕だとする情報を流すが、FBIがこの話を否定している。暗殺の5カ月前、大統領はアメリカン大学の卒業式でソ連との平和共存を訴える演説を行っていた。 第2次世界大戦後、アメリカ軍は「防衛戦争」を行ったことはない。全て侵略戦争。冷戦も例外ではない。1963年に戦争を始められなかった好戦派は冷戦を続けるしかなかった。1970年代、ジェラルド・フォード政権で好戦派はデタント派を粛清した。この子機にネオコン/シオニストが台頭、新たな好戦派を形成した。そして始まったのがCOGプロジェクト。ソ連が消滅した直後、1992年にネオコンは世界制覇を目指すプロジェクトを始める。これも本ブログでは何度も書いたが、DPG(国防計画指針)の草案。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。 1992年当時、ネオコンはロシアを属国化することに成功、中国のエリートは懐柔済みだと思い込んみ、あとは意に沿わぬ国を潰していけばいいと考えたのだろう。そこで、ソ連消滅の直前、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官はイラク、シリア、イランを殲滅すると口にしたわけだ。 この段階で2001年9月11日以降の展開を見通していたということになるが、この間にロシアは再独立し、中国と経済的にも軍事的にも密接に結びついた。こうした状況の中、ウォルフォウィッツ・ドクトリンに執着すれば、全面核戦争が勃発することは十分に考えられる。そのための、つまりロシアや中国と戦争するための「安全保障関連法案」だ。
2015.09.12
14年前の9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された。この出来事を利用してアメリカの支配層は憲法が保証する諸権利を庶民から奪い、軍事侵略を本格化させていく。 アメリカの支配層が憲法の機能を停止させる準備を始めたのは1982年。「NSDD(国家安全保障決定指示)55)」が出されて「COG(政府継続)プロジェクト」が承認されたのである。その翌年に署名された「NSDD77」によって相手国を偽情報で混乱させ、文化的な弱点を利用して心理戦を仕掛けるという「プロジェクト・デモクラシー」もスタートした。 当初、COGは核戦争への準備が目的だった。本ブログでは何度も書いているように、アメリカは1950年代からソ連に対する先制核攻撃を計画していたが、その際に本来の政府が機能しなくなった場合に備えて「秘密政府」の閣僚候補8名が選ばれていた。それが1979年にFEMAとして浮上する。 その延長線上にCOGはあるのだが、1988年に出された「大統領令12656」によって核戦争だけでなく、あらゆる「国家安全保障上の緊急事態」に対応するようになった。これによって政府が主観的に緊急事態だと判断すれば、憲法を停止、「地下政府」を設置することができるわけだ。 2001年9月11日の出来事をジョージ・W・ブッシュ政権はそうした緊急事態だということにしたようで、「愛国者法(テロリズムの阻止と回避のために必要な適切な手段を提供することによりアメリカを統合し強化する2001年法 (注))」を成立させている。1980年代から始まった憲法の機能を停止させるプロジェクトが始動したわけだ。 軍事侵略は1992年に国防総省で作成されたDPGの草案、いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」が基盤になっている。ネオコン/シオニストの中核的グループに属するポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)たちが作成したことから、こう呼ばれている。1991年12月にソ連が消滅し、ロシアがアメリカの属国になったことを受け、旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジアなどの潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアを支配するとしている。 2001年9月11日の前後で不可解なことが起こっている。その一例が軍事演習。事件の当日、NRO(国家偵察局)は航空機がビルに突入した場合の対応をテスト、NORADの「ノーザン・ビジランス(北の警戒)作戦」ではレーダー・スクリーン上に偽のブリップ(光点)を表示させていたという。 NORADが2001年5月31日から6月4日まで実施した「アマルガム・バーゴ01」では、地形に沿って飛行する巡航ミサイルでアメリカの東海岸が攻撃されるという設定になっていたが、演習のシナリオが書かれた文書の表紙にはオサマ・ビン・ラディンの顔写真が印刷されていた。このほかにも演習、訓練があり、当日は実際の出来事と演習/訓練が混同されてパニックになったとも言われている。 攻撃の直後、ブッシュ・ジュニア政権はすぐにアル・カイダが実行したとする情報を流しているが、ロビン・クック元英外相が明らかにしたように、このアル・カイダはCIAに雇われ、訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アル・カイダとはアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われる。オサマ・ビン・ラディンがアル・カイダを率いているわけではないということだ。 このオサマ・ビン・ラディンはサウジアラビアの富豪一族に属し、ズビグネフ・ブレジンスキーの秘密工作でソ連軍をアフガニスタンへ引き込んだ際、ソ連軍と戦う戦闘員を集める仕事をしていたという。オサマ・ビン・ラディンの活動を指揮していたのはサウジアラビアの総合情報庁長官を務めていたタルキ・アル・ファイサルだった。 ビン・ラディンを工作の世界へ誘ったのはアブドゥラ・アッザムなる人物。サウジアラビアのアブデル・アジズ国王大学で教えていたことがあるのだが、そこでの教え子の中にオサマ・ビン・ラディンもいた。1984年にアッザムとビン・ラディンは礼拝事務局をパキスタンに設立、アル・カイダを生み出す。 ところで、9月11日の攻撃当時、オサマ・ビン・ラディンは重度の腎臓病で治療を受けていた。攻撃の2カ月前にはドバイの病院に入院、フランスのフィガロ紙(2001年10月11日付け)によると、CIAの人間が会いに来ているという。そのほか、サウジアラビアやアラブ首長国連邦の著名人が訪問している。CBSニューズのダン・ラザーによると、攻撃の前日、2001年9月10日にオサマ・ビン・ラディンはパキスタン軍の病院に入院していた。この報道が正しいなら、アメリカ政府はオサマ・ビン・ラディンがいないことを承知でアフガニスタンを攻撃した可能性が高まる。 そして、2001年12月26日付けアル・ワフド紙(エジプトで出されている新聞)には、オサマ・ビン・ラディンの死亡記事が掲載されている。その10日前、肺の病気が原因で死亡し、トラ・ボラで埋葬されたというのだ。 そのトラ・ボラは2001年11月にアメリカ軍のB-52が空爆しているのだが、病人がそこにいて殺されたとは考えにくい。アル・ワフド紙の記述が正しいなら、病院で死亡した後、そこで埋葬されたということだろう。2011年5月、パキスタンでアメリカ海軍の特殊部隊「NSWDG(通称、DEVGRU、またはSEALチーム6)」にオサマ・ビン・ラディンが殺されたという話は嘘だということにもなる。実際、アメリカ政府が宣伝しているオサマ・ビン・ラディン殺害ストーリーを否定する証言があり、殺害の証拠も示されていない。単に「アメリカ政府を信じろ」と言っているだけだ。(注)「Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001」のイニシャルをとってUSA PATRIOT Act)
2015.09.11
安倍晋三政権が「安全保障関連法案」を成立させようとする一方、野党は抵抗、法案に反対する人びとの抗議活動が続いている。よくできた構図だが、この法案の山場は2006年から10年にかけての頃。つまり、小沢一郎に対してマスコミと東京地検特捜部が冤罪で攻撃を始め、鳩山由紀夫が首相の座を降りるまで。安保法案(戦争法案)にしろ、特定秘密保護法にしろ、TPPにしろ、日米の支配層はその段階で一息ついたはず。小沢と鳩山を攻撃したマスコミが安保法案に反対するというのは一種のマッチポンプであり、民主党の現幹部や共産党なども同類だ。 何度も書いてきたが、一連の流れは1992年の初頭から始まる。前年12月にボリス・エリツィンのクーデターでソ連が消滅、ロシアはアメリカの属国になった。アメリカ支配層は自国が「唯一の超大国」になったと認識、潜在的なライバルを潰し、ライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアも支配することを決めている。そして作成されたのがDPGの草案。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。ネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が中心になって作成されたことから、こう呼ばれている。 そうした流れの中、1994年には「国際平和のための国連の機能強化への積極的寄与」を掲げる「日本の安全保障と防衛力のあり方(樋口レポート)」が出される一方、武村正義官房長官が排除された。アメリカの意向だったと言われている。 しかし、樋口リポートを読んだアメリカの好戦派は「日本が自立の道を歩き出そうとしている」と反発、国防大学のスタッフだったマイケル・グリーンとパトリック・クローニンがカート・キャンベル国防次官補を介してジョセフ・ナイ国防次官補やエズラ・ボーゲルに会い、1995年には「東アジア戦略報告(ナイ・レポート)」が発表された。 1997年には「日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)」が作成され、「日本周辺地域における事態」で補給、輸送、警備、あるいは民間空港や港湾の米軍使用などを日本は担うことになる。「周辺事態法」が成立した1999年にはNATOがユーゴスラビアを先制攻撃した。 アメリカで大統領選があった2000年、ネオコン系シンクタンクPNACがDPGの草案をベースにして「米国防の再構築」という報告書を発表した。作成にはウォルフォウィッツやビクトリア・ヌランド国務次官補の夫であるロバート・ケーガンなどネオコンの大物たちが参加しているが、実際に執筆したのは下院軍事委員会の元スタッフ、トーマス・ドネリー。2002年からロッキード・マーチンの副社長に就任している。この報告書は戦争ビジネスの意向でもあったわけだ。 2000年にはナイとリチャード・アーミテージのグループによって「米国と日本-成熟したパートナーシップに向けて(通称、アーミテージ報告)」も作成されている。この報告では武力行使を伴った軍事的支援が求められ、「日本が集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約している」と主張、「この禁止を解除すれば、より緊密かつ効果的な安保協力が見込まれる」としている。ナイ・レポートで日本をアメリカの戦争マシーンに組み込む第一歩を踏み出し、アーミテージ報告で集団的自衛権を打ち出したわけだ。こうした報告書や新ガイドラインなどの危険性を理解、警鐘を鳴らす研究者やジャーナリストもいたが、マスコミからは無視されていた。 劇的な変化を迅速に実現するためには「新パール・ハーバー」が必要だと主張する「米国防の再構築」が出された翌年、アメリカを劇的に変化させる出来事が起こる。9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されたのだ。これを利用してアメリカの好戦派は国内で憲法の機能を停止させ、国外では軍事侵略を本格化させた。 日本では2002年に小泉純一郎政権が「武力攻撃事態法案」を国会に提出、03年にはイラク特別措置法案が国会に提出され、04年にアーミテージは自民党の中川秀直らに対して「憲法9条は日米同盟関係の妨げの一つになっている」と言明、05年には「日米同盟:未来のための変革と再編」が署名されて対象は世界へ拡大、安保条約で言及されていた「国際連合憲章の目的及び原則に対する信念」は放棄された。2012年にもアーミテージとナイが「日米同盟:アジア安定の定着」を発表している。 「アジアの安定」とはアジアからのライバル排除、つまり中国を屈服させるということだろう。「未来のための変革と再編」と「アジア安定の定着」の間に小沢と鳩山が攻撃されたことになる。 「未来のための変革と再編」が公表された翌年、2006年の段階でアメリカの好戦派が考えていたことを示している論文がある。外交問題評議会が発行しているフォーリン・アフェアーズ誌に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスのもので、ロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できるとしている。「神風が吹いて神州日本は勝つ」という次元の思考だ。 シーモア・ハーシュがニューヨーカー誌の2007年3月5日号に書いた記事によると、その時点でアメリカ、イスラエル、サウジアラビアはシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を始めていた。 そして2008年8月、ジョージア(グルジア)の大統領だったミヘイル・サーカシビリは南オセチアを奇襲攻撃したが、ロシア軍の反撃で惨敗した。ジョージアの背後にはアメリカとイスラエルが存在、軍事物資を提供、将兵を訓練していた。イスラエルが作戦を立てたという情報もある。いずれにしろ、ロシアを甘く見すぎていたことは明白だ。 2003年にアメリカ軍はイラクを自らが攻撃、事前に統合参謀本部や退役軍人らが懸念した通りに泥沼化、そうした反省もあったのだろう、11年からはアル・カイダ系武装集団やIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)を使ってリビアとシリアを攻撃、14年にはネオ・ナチを使ってウクライナでクーデターを実行、東部や南部で民族浄化作戦を展開している。つまり、アメリカの好戦派は傭兵を使い始めた。 こうした動きと「安全保障関連法案」は密接に結びついている。中東、北アフリカ、ウクライナの情勢を直視せず、アメリカの好戦派が発信している偽情報に飛びついている人びとが「安保法案」の本質を理解しているとは思えない。安保法案の目的は、日本を守るためでもアメリカの新たな戦争に協力することでもない。1992年にアメリカの好戦派が始めた世界制覇プロジェクトの戦争マシーンへ日本を組み込むことにある。
2015.09.10

トルコの海岸に横たわる3歳の子どもの遺体を撮した写真をメディアが流している。アメリカをはじめとする西側の国々、イスラエル、ペルシャ湾岸の産油国などが中東や北アフリカの国々を破壊してきたひとつの結果。その子どもはクルド系ということなので、トルコ軍やIS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISISやダーイシュとも表記)の攻撃を受けたと考えられる。 しかし、今回の報道に疑問を持つ人も少なくない。西側の有力メディアが報道しているということ自体、胡散臭いということだ。ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナなどアメリカの支配層が戦争を仕掛けた地域の状況を西側はまともに伝えず、プロパガンダに徹してきたからだ。 シリアに限っても、2011年3月に戦争が始まった原因として西側メディアが伝えた内容は嘘だった。この月に反政府行動があったことは事実だが、シリア駐在フランス大使だったエリック・シュバリエによると、バシャール・アル・アサド政権が暴力的に参加者を弾圧しているとするアル・ジャジーラやフランス24などの報道は間違い、あるいは嘘。同国外務省の調査団が調べたところ、実際は限られた抗議活動があっただけで、すぐに平穏な状況になったことが判明したのだ。 この報告を読んで怒ったのがアラン・ジュッペ外相。EUへの加盟支援を餌にトルコをリビアやシリアに対する軍事作戦へ引き込んだのはこのジュッペで、シリアとイラクにクルド国を作るというプランを持っていたという。ジュッペは調査団の報告を無視、シリアのフランス大使館へ電話して「流血の弾圧」があったと報告するように命じた。 その後も市民虐殺や化学兵器の使用といった嘘を西側メディアが流してきたことは本ブログで何度も書いてきた。その西側メディアが難民問題を取り上げ、水死した子どもの写真を掲載している。突然、彼らが改心したとは思えない。この問題を戦争拡大、シリア侵略の口実にしようと目論んでいると見る人もいる。波に対して垂直な形で子どもの遺体が横たわっているのも不自然だと主張する声も聞こえてくる。何者かがそこへ遺体を置いたのではないかというのだ。 ウクライナにおける嘘のひとつがロシア軍の介入。クリミアが軍事侵攻されたと西側メディアは大々的に宣伝していたが、1997年にウクライナと結んだ条約に基づいてロシアが駐留させていた1万6000名の部隊を侵略軍だと主張していたことがすぐ発覚している。クリミアのセバストポリは黒海艦隊の拠点で、基地の使用と2万5000名までの駐留がロシア軍に認められていた。 これ以外にも西側メディアは「ロシア軍の侵攻」を伝えていたが、根拠を示さなかったり、示した「証拠」が嘘だったりしている。もしロシア軍が本当に介入していたなら、南オセチアのケースのように、キエフ軍は蹴散らされていたはずだ。ウクライナ情勢を少しでも自分で調べたなら、西側メディアの嘘はわかるはず。勿論、存在しない軍隊が撤退することもありえない。
2015.09.09
シリアのバシャール・アル・アサドは議会選挙を実施する用意があるとロシアのウラジミル・プーチン大統領が発言したようだ。反アサド派も含む選挙だとしているが、現在、シリア軍と戦っている戦闘員の大半は外国人で、選挙には参加できない。つまり、反政府軍がこの提案を受け入れるとは考え難く、アメリカ政府も拒否するだろう。 シリアのアサド体制を倒すために軍事作戦を始めた結果、現在の建造物だけでなく遺跡も破壊され、多くの人びとが殺され、難民も膨らんでいる。そうした破壊と殺戮の黒幕はアメリカの好戦派。そうしたグループのプランを作成している勢力に属している言われているのがブルッキングス研究所だ。 この研究所はAEI、ヘリテージ基金、ハドソン研究所、JINSAといった団体と同じように親イスラエル派。国連大使を経て安全保障問題担当大統領補佐官に就任したスーザン・ライスの母親、ロイスはブルッキングス研究所の研究員だった。その縁でスーザンはマデリーン・オルブライト(ユーゴスラビアを軍事侵攻したときの国務長官)と親しい。オルブライトの師はアフガニスタンで戦争を仕掛けたズビグネフ・ブレジンスキー。ロシアを支配、略奪するため、ウクライナを制圧すべきだとも主張してきた人物である。 今年6月にブルッキングス研究所のマイケル・オハンロンはシリアに緩衝地帯(飛行禁止地帯)を作り、国を「再構築」、つまり分解し、「穏健派」が支配するいくつかの自治区を作るべきだと主張している。(ココやココ) シリア政府がオハンロンのプランに賛成するとは思えないが、アメリカ、イギリス、サウジアラビア、トルコ、ヨルダンなどが支援するとオハンロンは想定している。こうした自治区を広げることでシリア政府は存在するが、国をコントロールできない状況を作り上げて政権を締め上げようというわけだ。 実際、すでにイギリスの特殊部隊SASの隊員120名以上がシリアへ入り、IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ダーイシュなどとも表記)の服装を身につけ、彼らの旗を掲げて活動していると伝えられている。通信支援のために250人以上のイギリスの専門家が関与、アメリカも同じようなことをしていると見られている。アメリカがISを壊滅させようとしていない現実から考えて、こうした特殊部隊は自治区を建設してアサド政権を揺さぶることが目的だろう。 本ブログでは何度も書いているように、シリアの反政府軍に「穏健派」は存在しない。DIA(アメリカ軍の情報機関)は2012年8月に作成した文書の中で、シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団)で、西側、ペルシャ湾岸諸国、そしてトルコの支援を受けているとしている。当時、アル・カイダ系武装集団の戦闘員は大半がサラフ主義者やムスリム同胞団だったようだ。リビアでもアメリカ、NATO諸国、湾岸産油国などはアル・カイダ系の武装集団と手を組んでいたが、シリアでも構図は同じだということ。文書が作成されたときにDIA局長だったマイケル・フリン中将は文書が本物だと認めた上で、そうした勢力をアメリカ政府が支援してきたのは政府の決定だと語っている。 分割統治は支配の常套手段で、西側支配層はイラクやリビアも分割しようとしている。シリアの周辺では1916年にイギリスとフランスが結んだ「サイクス・ピコ協定」も分割が目的だった。フランスのフランソワ・ジョルジュ・ピコとイギリスのマーク・サイクスが中心的な役割を果たしたことからこの名前がついている。 この協定によると、ヨルダン、イラク南部、クウェートなどペルシャ湾西岸の石油地帯をイギリスが、フランスはトルコ東南部、イラク北部、シリア、レバノンをそれぞれ支配することになっていて、後に帝政ロシアも参加するが、協定の存在は秘密にされていた。 協定が結ばれた翌月にイギリスはオスマン帝国を分解するため、アラブ人の反乱を支援しはじめる。工作の中心的な役割を果たしたのはイギリス外務省のアラブ局で、そこにサイクスやトーマス・ローレンス、いわゆる「アラビアのロレンス」もいた。 ロレンスが接触、支援したアラブ人がフセイン・イブン・アリ。この人物にイギリスのエジプト駐在弁務官だったヘンリー・マクマホンが出した書簡の中で、イギリスはアラブ人居住地の独立を支持すると約束している。これが「フセイン・マクマホン協定」。そのイブン・アリはライバルのイブン・サウドに追い出され、1932年にサウジアラビアが作られる。 「サイクス・ピコ協定」が締結された翌年、1917年の11月にイギリスのアーサー・バルフォア外相がウォルター・ロスチャイルドに宛てに出した書簡の中で、「イギリス政府はパレスチナにユダヤ人の民族的郷土を設立することに賛成する」と約束している。 パレスチナに「ユダヤ人の国」を作ろうという運動を繰り広げたのがシオニストで、その人びとの信じる教義がシオニズム。エルサレムにある丘「シオン」へ戻ろうという意味からシオニズムと呼ばれるようになった。 近代シオニズムの始まりは1896年、セオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』という本を出版したときだとされているが、その14年前にエドモンド・ジェームズ・ド・ロスチャイルドはユダヤ教徒のパレスチナ入植に資金を提供、イギリス政府は1838年にエルサレムで領事館を建設している。 サイクス・ピコ協定はオスマン帝国を解体し、フランスとイギリスで利権を分かち合うことが目的だったが、現在、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は新たなオスマン帝国を作ろうとしている。シオニストは旧約聖書に書かれた「約束の地」、つまりナイル川とユーフラテス川に挟まれた地域をイスラエルの領土にしようという「大イスラエル」構想を持っている。 シリア乗っ取りに成功しても、どこかの時点で対立が生じることは不可避だが、その前にロシアがそうした事態を容認するとは思えず、アメリカの好戦派は危険な道を歩もうとしていると言える。ただ、1991年の湾岸戦争以来、ネオコンはアメリカのいかなる軍事行動に対してもソ連/ロシアは動けないという前提で動いている。「狂犬理論」を今でも信奉している可能性が高い。 ウクライナでロシア軍は動かなかったが、2014年4月にはアメリカ軍を震撼させる出来事があったと言われている。ロシア領へ近づいたイージス艦の「ドナルド・クック」の近くをロシア軍の電子戦用機器だけを積んだスホイ-24が飛行、その際に船のレーダーなどのシステムが機能不全になり、仮想攻撃を受けたようだ。その直後、ドナルド・クックはルーマニアへ緊急寄港、それ以降、ロシア領の近くへアメリカの艦船は近づかなくなったという。 2006年にフォーリン・アフェアーズ誌(CFR/外交問題評議会が発行)で、キール・リーバーとダリル・プレスはロシアと中国の長距離核兵器をアメリカの先制第1撃で破壊できると主張していた。その思い込みが事実に反することをドナルド・クックの出来事は示している。この経験からネオコンが何かを学べるかどうかは不明だ。事実ではなく妄想を優先し、同じ間違いを繰り返す点でネオコンは日本人と似ている。アメリカの好戦派には「神の国」を信じ、自分たちは選ばれた人間だから特別だと考えている人たちがいるが、かつて日本人も自国を「神州」だと表現していた。
2015.09.08
IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ダーイシュなどとも表記)の兵站ラインには無頓着なアメリカ政府だが、ロシアがシリアへ支援物資を運ぶためにギリシャ領空を飛行することには敏感に反応、拒否するようにギリシャ政府に対して圧力をかけているようだ。 ロシアが2007年に結ばれた契約に基づいてシリアへ6機のミグ-31要撃戦闘機を引き渡したとする情報が8月に流れ、ロシア軍がシリアへ入りという話も流れたが、ロシア政府は否定した。その否定された情報をアメリカ政府は空輸拒否を要求する理由にしているらしい。 何度も書いているように、シリアをイラクやイランと同じように殲滅するとネオコン/シオニストのポール・ウォルフォウィッツが口にしたのは1991年のこと。その年の12月にソ連が掃滅すると、翌年の初めには国防総省の内部でDPGの草稿が作成された。アメリカが「唯一の超大国」になったと認識、潜在的なライバルを潰して覇権を確たるものにするため、西ヨーロッパ、東アジア、旧ソ連圏などがライバルに成長することを防ぐとしている。ソ連のようなライバルを生む出すのに十分な資源を抱える西南アジアも支配の対象にしている。 このドクトリンをベースにしてネオコン系シンクタンクPNACが2000年に「米国防の再構築」という報告書を公表、2001年にアメリカ大統領となったジョージ・W・ブッシュはその報告書に基づく政策を打ち出していく。そして2001年9月11日、彼らにとって好都合なことに、ニューヨークの世界貿易センターやワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、国内のファシズム化(憲法の機能停止)と国外での軍事侵攻が始まる。 攻撃直後、詳しい調査が行われていない段階でブッシュ・ジュニア政権は「アル・カイダが実行した」と断定するが、故ロビン・クック元英外相も説明していたように、アル・カイダとはCIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われる。アル・カイダとはオサマ・ビン・ラディンの私兵ではなく、「派遣戦闘員」の登録リストのようなものであり、派遣先によって名称や雇い主は違ってくる。この指摘をした次の月にクックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて急死した。享年59歳。 こうした実態をアメリカ政府も熟知しているはずで、アメリカ政府が「アル・カイダ」を持ち出すこと自体が不自然だ。それ以外にも「9/11」には謎が多いのだが、アメリカ政府を擁護する人びとは疑問を「謀略論」という「御札」で封印しようとしている。そうした人びとにかかると、スポーツの作戦や情報収集活動について語ることも「謀略論」になりそうだ。 2007年3月5日付けニューヨーカー誌に掲載されたシーモア・ハーシュのレポートによると、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始したという。その工作の中枢にはリチャード・チェイニー米副大統領、ネオコンのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官、ザルメイ・ハリルザド、そしてサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタンがいたようだ。 現在、ISはいくつかの兵站ラインを持っているようだが、中でもトルコからのものが重要。ドイツのメディアDWは昨年11月、トルコからシリアへ武器や戦闘員だけでなく、食糧や衣類などの物資がトラックで運び込まれ、その大半の行き先はISだと見られていると伝えているが、トルコからシリアへ兵站ラインが延び、それをトルコの軍隊や情報機関が守っていることは公然の秘密。 昨年10月2日にはジョー・バイデン米副大統領がハーバード大学で講演した際、ISの「問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦だ」と述べ、その「同盟国」はシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すために多額の資金を供給、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は多くの戦闘員がシリアへ越境攻撃することを許してISを強大化させたと語っている。 そのISは資金調達のためにイラクで盗掘した石油を密輸しているが、その石油を扱っているのはエルドアン大統領の息子が所有するBMZ社だと伝えられている。ISの負傷兵はトルコの情報機関MITが治療に協力、秘密裏に治療が行われている病院はエルドアン大統領の娘が監督しているとされている。しかも、トルコ政府のロビーとしてCIAの秘密工作部門の所属していたポーター・ゴスが加わったともいう。 集団的自衛権を行使するということは、こうしたアメリカの戦争マシーンに組み込まれることを意味し、アル・カイダ系武装集団、あるいはISと仲間になるということだ。その事実から目を背けて「戦争法案反対」と叫んでも空しい。
2015.09.07
アメリカとロシアの間でトルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が好戦的な政策を進めている。IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ISIL、IEIL、ダーイシュとも表記)を支援してシリアのバシャール・アル・アサド体制を倒そうとし、その一方でクルド勢力を攻撃、占領地を拡大して「新オスマン帝国」を作り上げたいと妄想しているようだ。 バラク・オバマ米大統領も本気でISを倒そうとしているとは思えない。IS対策の責任者になったジョン・アレン海兵隊大将はイランとアメリカが核問題で討議することに反対していた人物で、リビアの時と同じようにシリア領内に飛行禁止空域を設定することを要求している。つまり、シリア軍をアメリカ主導の軍隊が空爆、地上のISを支援してアサド体制を倒そうということだろう。 イランの核問題ではイスラエルやアメリカのネオコン/シオニストも話し合いに反対、軍事攻撃するように求めていた。マイケル・オーレン駐米イスラエル大使は2013年9月、シリアのアサド体制よりアル・カイダの方がましだと語っている。このオーレンはベンヤミン・ネタニヤフ首相の側近として有名で、これはイスラエル政府の意思だと考えて良いだろう。実際、イスラエル軍はISを助けるための空爆を繰り返してきた。 シリアでアサド体制の打倒を目指す軍事作戦が始まったのは2011年3月だが、翌年の8月にDIA(アメリカ軍の情報機関)は、シリアにおける反乱の主力はサラフ主義者、ムスリム同胞団、そしてAQI(アル・カイダ系武装集団)であり、反シリア政府軍を西側(アメリカ/NATO)、湾岸諸国、そしてトルコが支援していると報告した。アル・カイダ系武装集団のメンバーにはサラフ主義者やムスリム同胞団が多い。文書が作成されたときにDIA局長だったマイケル・フリン中将は文書が本物だと認めた上で、そうした勢力をアメリカ政府が支援してきたのは政府の決定だと語っている。 AQIは2004年に組織された武装集団で、06年にAQIが中心になってISIが編成され、現在のISへつながる。シリアではアル・ヌスラというアル・カイダ系の武装集団が存在しているが、この名称はAQIがシリアで活動するときに使っていたとDIAは書いている。 2012年5月にホムスのホウラ地区で住民が虐殺された際、西側はシリア政府に責任があると主張していたが、現地を調査した東方カトリックの修道院長は反政府軍のサラフ主義者や外国人傭兵が実行したと報告、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている。」と語っている。ロシアのジャーナリストやドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙も反政府軍が実行したと伝えていた。 本ブログでは何度も書いてきたが、アル・カイダは戦闘集団でなく、ロビン・クック元英外相によると、CIAに雇われて訓練を受けた数千人におよぶ「ムジャヒディン」のコンピュータ・ファイル。アル・カイダとはアラビア語で「ベース」を意味し、「データベース」の訳語としても使われる。要するのアル・カイダとはオサマ・ビン・ラディンの私兵ではなく、一種の「派遣戦闘員」であり、派遣先によって名称や雇い主は違ってくるということだ。この指摘をした次の月にクックは保養先のスコットランドで心臓発作に襲われて急死した。享年59歳。 2007年3月5日付けニューヨーカー誌で調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュは、アメリカ、イスラエル、サウジアラビアがシリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラに対する秘密工作を開始した書いている。工作の中心にはリチャード・チェイニー米副大統領、ネオコンのエリオット・エイブラムズ国家安全保障問題担当次席補佐官、ザルメイ・ハリルザド、そしてサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタンがいたという。その手駒として活動することになるのがアル・カイダ系の武装集団だ。 しかし、現在はトルコの存在が大きい。昨年10月2日、ジョー・バイデン米副大統領はハーバード大学でISとアメリカの「同盟国」との関係に触れ、ISの「問題を作り出したのは中東におけるアメリカの同盟国、すなわちトルコ、サウジアラビア、アラブ首長国連邦だ」と述べ、その「同盟国」はシリアのバシャール・アル・アサド政権を倒すために多額の資金を供給、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は多くの戦闘員がシリアへ越境攻撃することを許してISを強大化させたと語っている。 2011年の春以来、反シリア政府軍はトルコを拠点にしてきた。アメリカ/NATOはトルコにある米空軍インシルリク基地で反政府軍を訓練、その教官はアメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員。兵站の多くはトルコから運び込まれ、その兵站ラインはトルコ軍が守ってきた。 ISは資金調達のためにイラクで盗掘した石油を密輸しているが、その石油を扱っているのはレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の息子が所有するBMZ社だと伝えられている。ISの負傷兵はトルコの情報機関MITが治療に協力、秘密裏に治療が行われている病院はエルドアン大統領の娘が監督しているとされている。しかも、トルコ政府のロビーとしてCIAの秘密工作部門の所属していたポーター・ゴスが加わったともいう。 トルコはロシアと天然ガスを輸送する新たなパイプラインの建設で合意、アメリカ政府から計画を破棄するように強く求められていたようだ。そうした中、ウクライナの外相、トルコの副首相、そしてタタール人の反ロシア派代表が8月1日にトルコのアンカラで会い、タタール人、チェチェン人、ジョージア(グルジア)人などで「国際イスラム旅団」を編成してクリミアの近くに拠点を作ることで合意したという話が流れた。 伝えられているところによると、ウラジミル・プーチン露大統領はモスクワ駐在トルコ大使を呼び、シリアでISを支援するのを止めなければ外交関係を断つと通告しただけでなく、ISのテロリストと地獄へ落ちろと言い放ったという。「国際イスラム旅団」の話は、ロシア軍をシリアへ引き込むアメリカ好戦派のトラップだという説もある。
2015.09.06
【イランと話し合う米国の事情】 アメリカの目の前に新たなライバルが出現しつつある。言うまでもなくロシアと中国を中心とする国々で、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(上海協力機構/中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)といった連合体を作り上げ、存在感を強めてきた。 1992年にネオコン/シオニストはアメリカの潜在的なライバルを潰すという戦略を立てたが、イラクを手始めに中東や北アフリカを侵略しているうちにアメリカを中心とする支配ステムを脅かす存在になってしまった。そこで、アメリカの支配層はロシアと中国を破壊すべく動き始めている。 イスラエルの反発を無視する形でアメリカのバラク・オバマ政権は「P5+1」(アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスの国連安保理事会の常任理事国にドイツを加えた6カ国)の一員としてイランと核問題についてジュネーブで協議を続け、昨年11月に合意に達したというが、その理由はロシアとイランとの分断を図るため、あるいは中国との戦いに集中したいからだと見る人たちがいる。 ネオコンを中心とするアメリカの好戦派は昨年2月にウクライナでクーデターを成功させ、アメリカの巨大資本と密接な関係にあるオリガルヒ(一種の政商)やネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)で構成される政権を樹立させ、東部や南部でロシア語を話す住民を虐殺、追い出す民族浄化作戦を展開してきた。 中国に対する軍事的な圧力も強めている。日本をその手先として使うために安倍晋三政権は「安全保障関連法案」を成立させようとしているわけだ。6月1日に開かれた官邸記者クラブのキャップとの懇親会で安倍晋三首相は「安保関連法制」は「南シナ海の中国が相手」だと口にしたという。この話は週刊現代のサイトで紹介された。アメリカの戦略や動きを見るだけでも、日本を中国と戦わせようとしていると推測できる。 アメリカは経済戦争も仕掛けている。原油価格が急落した一因は産油国ロシアを揺さぶるためだったとも言われ、EUなどを巻き込んだ理由なき「制裁」も攻撃の一環。ただ、この「制裁」で最も大きなダメージを受けたのはEU。個人的利益を国の利益より優先させるEUの政治的なリーダーはアメリカに協力してきたが、EU内で懸念する声は強まっているようだ。 中国の場合は相場を使った攻撃を仕掛けられている可能性がある。これは投機家として有名なジョージ・ソロスの得意技。現物取引だけならまだしも、1980年代から世界的にデリバティブが広がり、投機色、マネーゲーム色が急速に強まった。大がかりな仕手戦が展開されているとも言える。現在の取り引きはコンピュータを駆使したもので、通信を支配しているアメリカの情報機関が相場操縦に関与しているようだ。 NSAの内部告発者、エドワード・スノーデンが働いていたブーズ・アレン・ハミルトンは情報機関と緊密な関係にあり、LIBOR(ロンドン銀行間取引金利)の不正操作でも名前が噂されている。NSAは世界規模でカネの動きを監視していると言われ、その情報が入手できれば相場を動かすことも容易である。【破綻している米国経済】 ベトナム戦争でアメリカの戦争ビジネスは潤っただろうが、その間に国の財政は破綻した。そしてリチャード・ニクソン大統領は1971年にドルと金の交換を停止すると発表したわけだ。基軸通貨だという利点を生かし、ドル紙幣を刷って物を買い、そのドルを回収するという仕組みを作り挙げた。 前にも書いたように、ペトロダラーはそうしたシステムの一部。サウジアラビアなどの産油国に対して貿易の決済をドルにするように求め、集まったドルでアメリカの財務省証券などを購入させ、だぶついたドルを還流させようとしたわけだ。 サウジアラビアの場合、その代償としてニクソン政権が提示したのは同国と油田地帯の軍事的な保護、必要とする武器の売却、イスラエルを含む中東諸国からの防衛、そしてサウジアラビアを支配する一族の地位を永久に保障するというものだった。ほかの産油国とも基本的に同じ取り決めをしたと言われている。 1962年から86年までサウジアラビアの石油相を務めたザキ・ヤマニによると、ニクソン・ショックの2年後、「スウェーデンで開かれた秘密会議」でアメリカとイギリスの代表は400パーセントの原油値上げを要求したという。 その会議を開いたのはビルダーバーグ・グループで、アメリカのバージニア州で5月31日から6月3日にかけて開かれた。値上げを要求した中心人物はヘンリー・キッシンジャーだったとされている。この値上げにはいくつかの理由があるだろうが、石油の総取引額が膨らめば、ペトロダラーの機能は強化されるということもある。 1973年9月11日にキッシンジャーを黒幕とする軍事クーデターがチリであり、民主的に選ばれたサルバドール・アジェンデ政権が倒されている。クーデターの最中にアジェンデは死亡、実権を握ったオーグスト・ピノチェトは議会を閉鎖、憲法の機能を停止、政党や労働組合を禁止、メディアを厳しく規制した。それから数年の間、アジェンデの支持者と見なされた3000名以上が殺され、数万人が拘束/拷問されている。 さらにチリ政府は社会や福祉の基盤を私有化し、労働組合が弱く、低インフレーションで、私的な年金基金の、低賃金で輸出型の小さな国を目指した。その作業を約400名のCIA顧問が支援、イギリスの首相だったマーガレット・サッチャーも助けている。 サッチャーと親しかったフリードリッヒ・ハイエクはミルトン・フリードマンと同じように新自由主義を信奉していた学者で、その弟子である「シカゴ・ボーイズ」たちがチリの経済政策を立案することなる。 このグループは投機の規制を緩和して「金融ビッグバン」なるものを演出、カジノ経済を出現させた。投機市場へドルが吸収される仕組みが作り上げられたのだ。ロンドン(シティ)を中心とするオフショア市場/タックス・ヘイブンのネットワークが整備されたのも1970年代。【天安門事件と新自由主義】 1980年にはミルトン・フリードマンが中国を訪問し、新自由主義は中国へも広まる。1988年には妻のローザと再び中国を訪れ、趙紫陽や江沢民と会談している。その頃にはその趙紫陽を支持するグループと親米派を結合させる形で中国に揺さぶりをかけ始めていたようで、1989年6月には天安門広場で大規模な示威活動が実行された。 これも何度か書いた話だが、このときに広場で虐殺があったとする話は嘘だった可能性が高い。2001年に公表された中国共産党の内部資料によると、学生のリーダーで2010年にノーベル平和賞を受賞した劉暁波は広場から撤退するよう学生に指示、学生が南東の角から外へ出る様子が目撃されている。 当時、学生をひきいていたひとりの吾爾開希は200名の学生が射殺されるのを見たと発言していたが、その出来事があったとされる時刻の数時間前、彼も広場から引き上げていたことが後に判明している。 イギリスのテレグラフ紙によると、事件当時、BBCの特派員として現場にいたジェームズ・マイルズは自分たちが「間違った印象」を伝えたと2009年に認めたという。治安部隊が広場へ入った段階で残っていた学生は外へ出ることが許され、天安門広場で虐殺はなく、死者が出たのは広場から5キロメートルほど西の地点で、数千人が治安部隊と衝突したと語っている。 衝突した現場は天安門広場から1.6キロメートルほど西だとする証言もあるのだが、いずれにしろ天安門広場の外。そこでは暴徒化した人びとに火炎瓶で焼き殺された兵士もいて、その写真もインターネット上では流れている。「民主化弾圧」の象徴として使われている戦車の前にひとりが立っている写真/映像は、近くのホテルから事件の翌日に撮影されたもので、戦車は広場から出ていくところだったとも言われている。 1998年には、ワシントン・ポスト紙の北京支局長だったジェイ・マシューズも、広場に到着した軍隊は残っていた学生が平和的に立ち去ることを許したとコロンビア大学で出されている「CJR(コロンビア・ジャーナリズム・レビュー)」(1998年9/10月号)に書いている。 2011年6月にウィキリークスが公表した北京のアメリカ大使館が送った1989年7月付けの電信文によると、チリの外交官は群集に対する一斉射撃はなく、広場に入った部隊の大半は棍棒を持っていただけで、武装した兵士はそのバックアップ部隊だったという。 学生や市民の抗議活動を装って体制を転覆させるという手法を考え出したのはジーン・シャープなる学者で、天安門事件の際には中国にいた。混乱が始まった直後、そのシャープを中国政府は拘束、国外追放にしている。ロシアと同時に中国を属国化することには失敗したようだ。 その後、ロシアも再独立し、中国との関係を強化しているのだが、この両国をアメリカの支配層は潰そうと必死だ。その支配層とは「私的権力」で、国を上まわる力を獲得している。1938年4月29日、フランクリン・ルーズベルト大統領(1933年から45年)は次のように語った。 「もし、私的権力が自分たちの民主的国家より強くなるまで強大化することを人びとが許すなら、民主主義の権利は危うくなる。本質的に、個人、あるいは私的権力をコントロールするグループ、あるいはそれに類する何らかの存在による政府の所有こそがファシズムだ。」
2015.09.05
今年は第2次世界大戦が終わって、つまりドイツと日本が連合国に降伏してから70年目にあたる。そこで5月9日にはモスクワで「対独戦勝70周年」を祝う記念式典が、また9月3日には北京で「抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年」を祝う記念式典が開催されたのだが、いずれの式典も西側主要国の首脳は出席を断った。アメリカ政府の意向が大きく影響しているのだろうが、歴史を振り返れば必然だと思える。 アメリカの巨大資本は1930年代の前半から親ファシズムで、反ファシズムのフランクリン・ルーズベルト米大統領と対立していたのだが、そのルーズベルト大統領が1945年4月に急死、巨大資本が主導権を握ったアメリカでは反ファシストから反ソ連へ戦略を大きく変更した。実際、戦後にはナチスの元幹部、科学者、協力者などの逃走をアメリカ政府は助け、保護し、雇用している。その後、ジョン・F・ケネディ大統領もウォール街と対立したが、これは例外。しかも任期の途中で暗殺された。それ以降の大統領は全て親ウォール街だ。 1932年の大統領選挙でルーズベルトが勝利したことを受け、JPモルガンをはじめとする巨大資本は33年から34年にかけてニューディール派を排除し、ファシズム体制を築くためにクーデターを計画した。これはスメドリー・バトラー海兵隊少将の議会証言で明らかにされている。1939年の段階でも「日本・アングロ(米英)・ファシスト同盟」を結成してソ連と戦うという案が米英支配層の内部にあったという。(Anthony Cave Brown, ““C”: The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988) 大戦中、ドイツと最も激しく戦ったのはソ連であり、侵略してきた日本と戦ったのは中国。ソ連と中国は戦争に勝利したものの、国土は破壊され、多くの人が殺された「惨勝」だった。それだけに、勝利に対する思いは強いだろう。それに対し、事実上、アメリカは自国が戦場にならず、巨大資本は軍需で潤い、ドイツや日本が占領地で略奪した財宝、いわゆる「ナチ・ゴールド」や「金の百合」の相当部分を手に入れた可能性が高い。しかも巨大資本は親ファシストだ。 ドイツのソ連侵攻は1941年6月に始まっている。「バルバロッサ作戦」だ。7月にはレニングラード(現在のサンクトペテルブルク)を包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点まで迫り、1942年8月にはスターリングラード(現在のボルゴグラード)の攻防戦が始まる。当初はドイツ軍が優勢だったが11月からソ連軍が反撃、約25万人のドイツ将兵は包囲され、翌年1月にドイツ軍はソ連軍に降伏、ソ連軍が西へ向かって進撃を始める。その間、1941年12月に日本軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃、アメリカも参戦するのだが、ソ連に対するアメリカの具体的な支援はなかった。 ソ連に攻め込んだドイツ軍が崩壊するのを見たアメリカは行動を起こす。1943年7月にシチリア島へ上陸、9月にはイタリア本土を制圧、44年6月にはノルマンディー上陸作戦を敢行し、パリを占領した。ウクライナのヤルタでアメリカ、イギリス、ソ連の首脳が「戦後」について会議を開いたのは1945年2月のことだ。 バルバロッサ作戦の失敗が明確になっていた1942年冬、ドイツのSS(ナチ親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探るため、ある実業家を特使としてスイスにいたOSS(アメリカの戦時情報機関)のアレン・ダレスの下へ派遣している。 1944年になると、ドイツ陸軍の情報部門、参謀本部第12課(東方外国軍課)の課長を務めていたラインハルト・ゲーレン准将がダレスたちと接触し、ドイツが降伏した後の協力関係を築き始めている。その際、ゲーレンたちは自分たちが持っているソ連情報を売り込んだ。1945年初頭になると、ダレスたちはゲーレンたちと北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密裏に会談、そうした中でのシチリア島上陸やノルマンディー上陸だった。 ダレスやゲーレンをはじめとする人びとにとって好都合なことに、反ファシストのフランクリン・ルーズベルト米大統領が1945年4月に執務室で急死、5月にドイツは無条件降伏する。ゲーレンは米陸軍対敵諜報部隊(CIC)に投降、マイクロフィルムに収められたソ連関連の資料がアメリカ側へ渡されている。 ドイツが降伏した直後、イギリスのウィンストン・チャーチル首相は合同作戦本部に対し、ソ連を攻撃する計画を立てるように命じた。そしてできあがったのが「アンシンカブル作戦」。7月1日に米英軍数十師団とドイツの10師団がソ連を奇襲攻撃するというシナリオだったが、参謀本部が反対して実現せず、首相は下野することになる。 そのチャーチルは1946年3月にアメリカのミズーリ州で「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の幕開けを宣言、その翌年にはアメリカのスタイルス・ブリッジス上院議員に会い、ソ連を核攻撃してクレムリンを消し去るようにハリー・トルーマン大統領を説得して欲しいと頼んでいたという。 本ブログでは何度も書いているが、日本とアメリカとの関係を読み解くキーパーソンはジョセフ・グルー。ウォール街を後ろ盾にしていたハーバート・フーバー大統領は1932年にグルーを駐日大使に指名したが、この人物はJPモルガンときわめて親密な関係にある。つまり、彼のいとこにあたるジェーン・グルーはJPモルガンを率いていたジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥の総帥の妻。しかも、ジョセイフの妻、アリス・ペリーは少女時代を日本で過ごし、華族女学校(女子学習院)で九条節子(後の貞明皇后、つまり昭和天皇の母)と親しい関係を築いている。大戦後、ウォール街は日本を自分たちにとって都合の良い国にしていくが、そうした工作を推進したジャパン・ロビーの中心人物はジョセフ・グルーだった。 グルーが来日した1932年には浜口雄幸内閣で大蔵大臣を務めていた井上準之助が血盟団に暗殺されている。この人物は20年の対中国借款交渉を通じ、JPモルガンと深く結びついていた。井上は「適者生存」を主張、最近の用語を使うならば新自由主義的な考え方を持ち、社会的弱者を切り捨てる政策を打ち出していた。この時代、庶民の世界で景気が悪化、失業者が急増して農村では娘が売られるなど耐え難い「痛み」をもたらしている。 JPモルガンの日本への影響力が圧倒的に強くなったのは関東大震災の後だが、思想統制のシステムが整備された時期と重なる。震災の直後、数千人とも言われる朝鮮人や中国人が自警団などの手で虐殺されているが、その背後には警察が存在していた。東京の亀戸では警察署に連行された労働運動の活動家が殺され、アナキストの大杉栄が妻の伊藤野枝や甥でまだ7歳だった橘宗一とともに殺害されている。 その後、1925年には治安維持法が制定されて思想や言論を統制する体制が強化されていくが、そうした法律を運用したのが特高や思想検察、そして判事たち。そうした人たちは戦後も要職に就き、最高責任者の昭和天皇も残った。戦前も戦後も支配体制に大きな変化はなかった。こうした体制が許された一因は、日本の庶民が「国体護持」を容認したことにあり、琉球併合から始まった日本のアジア侵略への反省がないことにある。ルーズベルトが大統領でなければ、と思っている人も少なくないだろう。
2015.09.04
ニューヨークのダウ工業株30種平均が8月後半に大きく値下がりし、その後の反発も弱い。以前にも書いたように相場を動かしているのは売り注文と買い注文の綱引き。そうした綱引きの力関係を何が決めていたかを庶民が知ることは難しい。日本の証券界では昔から「不景気の株高」ということが言われるが、生身の人間が住む世界で不景気になり、行き場を失った資金が証券市場へ流れ込んで買い注文が増えるからだ。つまり、「好景気だから株式相場が上昇する」というものではない。 しかし、「不景気」を通り越して倒産が続発するような事態が予想されてくると資金を引き揚げる人は増えるだろう。現在、アメリカはそうした状況にある。この問題はアメリカの経済構造そのものに根ざし、その深刻度は中国の問題の比ではない。 これも以前に書いたことだが、アメリカではシェール・ガス/オイル業界の崩壊が懸念されている。石油相場は1年前に1バーレルあたり約100ドルだったWTI原油価格が40ドル近くへ値下がりし、若干戻したとは言うものの、46ドル程度。採算がとれる水準ではなく、軒並み倒産しても不思議ではないのだが、ゼロ金利政策で経営破綻が表面化していないだけだとも言われている。そこで、9月に連邦準備制度理事会が金利をどうするかが注目されている。 さらに大きな問題は、1971年にリチャード・ニクソン大統領がドルと金の交換を停止すると発表して以来、続けてきた経済システムが破綻しつつあるということ。この決定でアメリカは無制限にドルを発行することが可能になり、物を買うことができるようになったのだが、単に通貨を市場へ大量に供給すればハイパーインフレになってしまう。そこで考えられたのがドルの回収システムだ。 ペトロダラーはそうしたシステムの一部。サウジアラビアなどの産油国に対して貿易の決済をドルにするように求め、集まったドルでアメリカの財務省証券などを購入させ、だぶついたドルを還流させようとした。 サウジアラビアの場合、その代償としてニクソン政権が提示したのは同国と油田地帯の軍事的な保護、必要とする武器の売却、イスラエルを含む中東諸国からの防衛、そしてサウジアラビアを支配する一族の地位を永久に保障するというものだった。ほかの産油国とも基本的に同じ取り決めをしたと言われている。日本がアメリカの財務省証券を買い続けてきた理由もその辺にあるのだろう。 1970年代からアメリカは新自由主義を世界へ広める。その伝道師がミルトン・フリードマンだった。ドルを吸収する投機の仕組みを築き上げ、「金融ビッグバン」だと宣伝していた。1970年代には富の偏在が進み、社会は不景気に苦しみ、企業は資金を投機で運用しはじめていたが、そうした流れを新自由主義は加速させて「カジノ経済」を出現させた。 1980年代の中国も新自由主義を導入、アメリカは自らが生産することを放棄する。当然、社会に歪みが生じ始めたが、その責任を押しつけられてバッシングされたのが日本。そして、日本も新自由主義の世界へ引きずり込まれていった。 投機化が進んだ現在、通貨の流通量を増やそうとしても、その大半は投機市場へ流れ込み、「バブル」を肥大化させるだけ。日本やアメリカで「金融緩和」が推進されたが、それで実体経済が良くならないことは政策の立案者もわかっていただろう。バブルの収縮を恐れていたのかもしれない。 こうしたドルを基軸通貨とする仕組みが今、崩れようとしている。ロシアと中国が関係を強化、ドル離れを図っているのだ。両国を中心とするBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やSCO(上海協力機構/中国、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン)もそうした方向へ動いている。アメリカがAIIB(アジアインフラ投資銀行)や新開発銀行(NDB)を恐れているのも、ドルを中心とするシステムが崩壊する可能性があるからだ。 投機市場へ多額の資金を投入している代表格はサウジアラビアなど産油国の支配者だろうが、原油価格の急落でそうした資金を引き揚げる兆候が見られる。ロシアはアメリカの財務省証券を売却、その一方で金を買い込んでいる。中国も同じ動きを見せている。こうした動きを止めないと、アメリカは「唯一の超大国」どころか破綻国家になってしまう。あらゆる手段を講じて止めようとするだろう。
2015.09.03
ロシアがシリアへ6機のミグ-31要撃戦闘機を引き渡したとする情報が8月に流れたが、ロシア政府は否定した。最初に流れた話の情報源はシリアで、8月31日に伝えたイスラエルのYnetはアメリカの外交筋だとしていた。 シリアは戦略的に重要な位置にあり、IS(イラクとレバントのイスラム首長国。ISIS、ダーイシュなどとも表記)やアル・カイダ系武装集団がウクライナなどロシア周辺へ移動する可能性があることから、ロシアがシリア政府を軍事的に支援しても不思議ではない状況だということも話が広がる一因。ミグ31の場合、2007年に契約は成立している。それをロシア側がこれまで履行していなかった。ロシア政府の主張が正しいとするならば、その理由はロシア国民の反対、アフガニスタン戦争の記憶だろうと言われている。 もっとも、ISを壊滅させることは難しくない。兵站ラインを断ちきれば良いだけのことだ。その兵站ラインの中心はトルコからのもの。トルコとシリアの国境地帯はトルコが管理、トラックが大量の物資を運び込める理由はトルコ政府が容認しているから。それどころか、物資の輸送を守っている。 ISはイラクで盗掘した石油で資金を調達しているとも言われているが、その石油を扱っているのは大統領の息子であるビラル・エルドアンだとされている。ウィリアム・イングダールによると、ビラルの所有する海運会社、BMZ社がレバノンのベイルートやトルコ南部のジェイハンにある秘密の埠頭から日本へ向かうタンカーで運んでいるという。エルドアン大統領の娘であるスメイー・エルドアンはISの負傷兵を治療している秘密の病院を運営しているとされている。現在、トルコからシリアへつながる兵站ラインを最も脅かしているのはクルドの武装勢力のようだ。
2015.09.03
ウクライナが混迷の度合いを深めてきた。国内ではネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)の右派セクターが警官隊と衝突、国外では戦乱を望むアメリカの好戦派と停戦の維持を望むEUが対立している。東部ではアメリカの好戦派の後押しを受け、キエフの送り込んだ武装集団が攻撃を繰り返しているが、それに対してドイツのアンゲラ・メルケル首相とフランスのフランソワ・オランド大統領は電話でロシアのウラジミル・プーチン大統領と話し合い、停戦の維持を確認したと言われている。 EUの幹部たちは賄賂や恫喝でアメリカに操られているようで、EUの利益に反することを平気で推進してきた。個人的な利益を公的な利益より優先しているわけだが、そうした政策に反発する人はEUのエリート内にもいる。 例えば、IMF専務理事だったドミニク・ストロス-カーンは2011年4月、失業や不平等は不安定の種をまき、市場経済を蝕むことになりかねないとし、その不平等を弱め、より公正な機会や資源の分配を保証するべきだとブルッキングス研究所で演説している。進歩的な税制と結びついた強い社会的なセーフティ・ネットは市場が主導する不平等を和らげることができ、健康や教育への投資は決定的だと語り、停滞する実質賃金などに関する団体交渉権も重要だと話している。なお、ストロス-カーンは演説の翌月、アメリカで逮捕される。レイプ容疑だったが、限りなく冤罪に近いようだ。 また、フランスの大手石油会社、トタルの会長兼CEOだったクリストフ・ド・マルジェリは2014年7月、石油取引をドルで決済する必要はないと言い切っていた。ちなみに、その3カ月後、ド・マルジェリを乗せたビジネス機がモスクワの滑走路で除雪車と激突して彼は死亡した。 ズビグネフ・ブレジンスキーによると、ウクライナはロシアを征服するための要石で、ロシアを征服すれば世界の覇者になれる。そのウクライナを乗っ取るため、アメリカの支配層は2004年から05年にかけて「オレンジ革命」を実行、ウクライナの東部や南部を地盤とするビクトル・ヤヌコビッチを排除し、自分たちがコントロールしているビクトル・ユシチェンコを大統領に据えた。 ユシチェンコ政権は新自由主義的な政策を打ち出し、政府の腐敗勢力と手を組んだ人物が巨万の富を築いていくのだが、そうした略奪の途中で再びヤヌコビッチが大統領になった。そのヤヌコビッチを昨年2月のクーデターで再び排除したわけだ。 クーデター以来、キエフ政権の治安部門や軍部を統括しているのはネオ・ナチで、政治経済を動かしているのはアメリカの巨大資本と深く結びついている「オリガルヒ」。右派セクターを動かしているのはクーデター政権であり、街頭での衝突は混乱を演出しているのか、あるいはネオ・ナチの黒幕であるアメリカの好戦派がペトロ・ポロシェンコ大統領を排除したがっているのかもしれない。 その一方、ウクライナの周辺、ロシアの近くでNATOが軍事演習を繰り広げて挑発しているが、暴力を使ってウクライナを制圧し、ロシアに圧力を加えるのがアメリカ好戦派の戦術だった。 そこで、クーデターの前から話し合いで混乱を収めようとしていたEUをビクトリア・ヌランド次官補は苦々しく思っていた。そこで、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を転覆させる前、彼女はウクライナ駐在のジェオフリー・パイアット米大使と電話で「次期政権」の閣僚人事について話し合った際に「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしたのである。 ウクライナの東部、ドンバス(ドネツクやルガンスク/ナバロシエ)における停戦は今年2月11日からベラルーシの首都ミンスクで開かれたドイツ、フランス、ウクライナ、そしてロシアの首脳会談で決まった。つまり、アメリカは参加していないのだが、5月12日にキエフを訪問したアメリカのジョン・ケリー国務長官はペトロ・ポロシェンコ大統領と会い、クリミアやドンバスの奪還を目指す作戦を実行してはならないと言明している。 それに対し、ケリーより2日後にキエフ入りしたネオコン/シオニストで好戦派のヌランド国務次官補はポロシェンコ大統領、アルセニー・ヤツェニュク首相、アルセン・アバコフ内務相、ボロディミール・グロイスマン最高会議議長らと会談、ケリー長官に言われたことを無視するように釘を刺したと言われている。 昨年2月にクーデターを成功させた後、アメリカの好戦派はキエフ政権に軍事的なテコ入れを続けてきた。アメリカの傭兵会社、アカデミ(旧社名はブラックウォーター)系列のグレイストーンはクーデター直後に数百名の戦闘員を派遣、今年初頭にアカデミはウクライナ政府の要請で射撃、市街戦、接近戦、兵站などの訓練をする準備を整え、アメリカ政府は訓練のためにCIAやFBIの専門家数十名を顧問として派遣、国防総省は戦略と政策の専門家チーム、つまり軍事顧問団をキエフへ送り込んでいる。4月20日にはアメリカの第173空挺旅団の兵士290名がネオ・ナチを主力とする部隊に対する訓練を7月から開始した。 8月1日にはウクライナの外相、トルコの副首相、そしてタタール人の反ロシア派代表がトルコのアンカラで会い、タタール人、チェチェン人、ジョージア(グルジア)人などで「国際イスラム旅団」を編成してクリミアの近くに拠点を作ることで合意したとされている。また、ここにきてキエフ政権は約90輌の戦車や装甲車をドンバス(ドネツクやルガンスク/ナバロシエ)の前線へ新たに配備、軍事的な緊張を高めようとしている。 現在、ウクライナは経済が破綻、街は暴力が支配する国になっている。そうした国に住む人びとが最も信頼できる政策を推進していると考えているのはロシアのプーチンだと考えているのは全体の84%に達するという。
2015.09.01
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