マムの素 *             青カバ・ウィリアムはかく語る

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2010.08.21
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カテゴリ: 和歌山
その1


2010年08月14日_DSC_0026
2010年08月14日慈尊院拝殿と宝来





この慈尊院を一躍有名にしたのは有吉佐和子さんの小説「 紀ノ川

でしょう。この小説の冒頭で祖母の豊乃が結婚直前の

主人公・花を連れて向かった先が慈尊院です。




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以来、日本中から女性の参拝客がおとずれ、

女人高野としての本来の子授け・安産・育児・授乳に

拍車がかかり「乳絵馬」の奉納が盛んになったようです。



2010年08月14日_DSC_0016



じゃあ、この絵馬がいつの頃からはじまったのかなあ?

って調べたんだけど、わからないっ。

ということで、慈尊院に電話したら・・・。

慈尊院さんもしどろもどろで、「江戸の末から明治では」

という御返事でした。



2010年08月14日_DSC_0017




2010年08月14日_DSC_0018
賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)





さあて、

マムはこの慈尊院で楽しみにしていたのが

品のよい多宝塔です。

どれどれ、多宝塔はどこじゃいなっ。







ここです、ここです、





シートの中!







2010年08月14日慈尊院多宝塔
慈尊院多宝塔



ショ~ック!



と、いうことで

写真でがまんネ。



2010年08月14日_DSC_0057




ク~。

気を取り直して、


この慈尊院の裏手から町石道、高野山奥の院への

参道がはじまるわけです。




2010年08月14日_DSC_0029
2010年08月14日丹生官省符神社


丹生官省符神社、にうかんしょぶじんじゃと読みます。

この石段の鳥居脇から、町石道(ちょういしみち)は

はじまります。




2010年08月14日_DSC_0036
百八十町石



一町(109メートル)ごとに、この石の卒塔婆が建てられています。


昔は木造の卒塔婆が建てられていましたが、1265年に高野山遍照光院の

覚きょう上人が石造の町卒塔婆建立を発願してこんにちにいたります。



蛇がでたり、イノシシやシカがでても道にまようことはありませんっ。



参道を行く人々はこの石塔を見つけると合掌し、道標として高野山大門をめざし、

力をふりしぼり朱色の高野山大門に辿りつき、その大門を起点にまたも

奥の院、弘法大師ご廟へと向かうわけです。



                                つづく





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Last updated  2010.08.21 22:59:08
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