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こんにちは。隔週月曜日、今日の担当は㈱耳目社の百瀬です。まずはこちらの写真をご覧ください。(弊社、場内アナウンス担当・畠中聡美提供)船橋競馬場の新スタンドで実況する私。体をくねらせ、妙な体勢ですよね(苦笑)まあ、これには理由がありまして…座って実況すると、4コーナー付近がどうも見えづらく仕方なく中腰の姿勢になった訳ですが…。(先週、山中アナ更新の『船橋競馬場新スタンド実況席』をご覧頂くと、実況席からコースがどのように見えるか分かります。)これがツイッターに投稿されると、"こんな体勢で実況しているとは!""気合が入ってる!""なんとなくかっこいい!"などなど反響があり、皆さん中腰姿勢の中年男性が好きなんだな、としみじみ思いました(違うか)。旧スタンドとも、仮設スタンドとも違う、新しい実況席からの眺め。私を含め、耳目社実況陣全員が試行錯誤しながらの開催となりました。(私以外の実況中の様子もアップしているので、もし興味がありましたら弊社畠中のツイッターをご覧下さい)という訳で、"あまり知られていない競馬実況の舞台裏に迫る!"シリーズ、今回は『実況中の姿勢』について考察します。撮影は2月某日。浦和競馬場の実況席にて、弊社・鈴木努アナをモデルに実施。ところで実況席は、ベランダに放送機材などを出して行う場と、ガラス張りの部屋に機材据え置きで行うところと、2パターンあります。ちなみに船橋競馬場の新実況席は前者、浦和競馬場は後者です。実況席の机には放送機材の他、レース映像のモニター、手元には専門紙などの資料を置いています。こちらは先日、私がユングフラウ賞を実況した時。専門紙と、レース前に作成した出走馬ごとの資料。双眼鏡に出走表(通称"塗り絵")、双眼鏡下の紙はゴール時に着順を書き留める用です。続いて姿勢について。(これが基本姿勢)弊社実況陣の基本姿勢は、右手に双眼鏡、左手に出走表。ゴール時は右手はペンに持ち替えます。(右手は双眼鏡、左手は塗り絵)喋りながら双眼鏡を覗くので、クリアには見えませんが、慣れれば気になりません。右肘を机に付けると、少し安定します。(肘を付けた時。机の高さによりますが、少し猫背になります。)時には立って実況する時もあります。(少数派ですが、日頃から立って実況する人もいます)(立った時。手元は安定しませんが、座るよりも身体を動かしやすい)そして"塗り絵"と呼ばれる、騎手の服飾を書いた出走表は体を動かしたり見る方角を変えたりしても、すぐ確認できるように机に置かず、左手に持ちます。(双眼鏡を付けつつも、視線は塗り絵に)この写真で分かるでしょうか。双眼鏡は眼鏡にくっつけ固定しますが、視線は手元を見ています。このように遠くと手元を交互に見ながら、馬の名前を確認し実況しているのです。ちなみに、私のように眼鏡を掛けていない方は、双眼鏡上部を眉毛の辺りに押し当て、少し上目遣いで覗き、下部に塗り絵用の隙間を作ります。また双眼鏡は、隊列の長さを確認する時、ゴール前では適宜外し、双眼鏡で確認できない場合は、モニターを見ることもあります。(実況席の前を通る時、双眼鏡は外します)㈱耳目社では南関4場に金沢競馬場、笠松競馬場と6つの競馬場を担当していますが、コースの"見やすさ"の指標となる「高さ」「ゴール(決勝線)との位置関係」「外ラチとの距離」6場全て異なります。実況席がゴールから離れている事も、競馬場全域を見渡せる高い場所にない事もあります。また部屋やベランダの広さも異なることから、必ずしも紹介したような姿勢にならない事もありますが、これが"基本的な姿勢"ということでご理解頂ければと思います。(浦和競馬場の実況席はゴールにとても近いです)何かの教本のように、実況時の姿勢から、視線をどう動かしているのかを紹介しましたが、一番お伝えしたいことは、色んなところを"見ている"という事。もちろん実況アナは喋ることが仕事ですが、それと同じかそれ以上に見ることがとても重要なんですね。当ブログの読者の皆様、日々の競馬観戦の際は、実況アナがどんな体勢でどこを見ているのか、ほんの少し思いをはせて頂ければ幸いです。さて最後に告知を一つ。3月3日13時から年度内最後の『川崎競馬スパーキングトークLIVE』が川崎競馬公式YouTubeで放送されます。(番組URLはこちら)何と9Rには私の名前が入った「"テカテカ"百瀬大照典」が行われます!どうしてこんなレース名になったかは、前回放送を含む、これまでの番組のアーカイブをご覧頂ければと思います。是非、今週はYouTubeでも川崎競馬お楽しみ下さい!
2022年02月28日
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木曜担当のよこてんです。 今日は9月4日。2014盛岡JBCまであと2ヶ月を切った・・・という地点になりますね。という事で今回は12年前、2002年の盛岡JBCの前後の思い出・・・というネタで行きましょう。 本当は“あと1ヶ月!”くらいの所でやればいいんでしょうけども、その頃はその頃でまた別のネタがあるでしょうしね。 とは言いましたが、実は2002年11月4日、JBC当日の競馬場の思い出というか記憶、そんなに確かなものが残っていません。 というのも、当日はテレビ中継用のパドック解説を何レースか担当していたし、全10R編成の7Rが重賞オパールカップ、8RがJBCスプリント、9RがJBCクラシックと大きいレースが後半に続いて慌ただしかったり・・・で、朝は一般開場前に競馬場に入って夕方は全レースが終わるまで、ほとんど装鞍所近辺を離れる事ができなかったからです。 今の岩手のパドック解説は実況席近くから話すスタイルですが、当時は解説者一人がパドック脇に立ってヘッドセット越しにスタンド4階のブースにいる司会とやりとりする形でした。本当にパドックの横で話していたので迂闊な事を口走ると馬を引いている厩務員さんの耳にも入って、苦笑されたり睨まれたり・・・という事もあったものです。 それはそれとして、そんな状況のためスタンド方面は空いた時間に駆け足で回ったくらいで辛うじてJBCスプリントはスタンドから皆さんと一緒に見る事ができたという程度。大混雑だったという朝の開門時や窓口、ジャンボ焼き鳥のお店の大行列とかはほとんど見る事ができずじまいでした。 当日のイベントガイドを見ると場内では原良馬さん、井崎脩五郎さん、鈴木淑子さん、須田鷹雄さんらによる解説もあったはずなのですが、ああ、見た記憶がない・・・。他にも色々細々したイベントがあったんですけど、その辺も見に行く時間がなかった。 ゆえに「あの日は凄い混雑だったでしょう?」と聞かれても「あ~、そんな感じでしたねぇ・・・」と曖昧なお答えしかできないのが残念です。 辛うじて・・・の場内の光景がこの写真。2枚目はJBCスプリントのゴールシーン。優勝はスターリングローズ、2着はノボトゥルー、3着にはノボジャック。「ノボ」の2頭は5枠に同居したため染め分け帽を使用しております。 当日の解説メンバーの打ち合わせシーンです。BS・グリーンチャンネル用の中継チームで、こことは別途に地上波番組向けの中継チームも入っていました。 実況は及川サトルさんと山中寛さん。司会は小野寺直美さん。今となっては懐かしい感じがしますねえ。★中継スタート寸前の一コマ。山中さんは1Rの実況のため実況席に行っていたはず その時の台本が手元にあるのですが、自分は1R・2R時にJBC出走馬の紹介、3~5R、7Rではパドックサイドから解説していました。その後はレース取材があるので中継からは外して貰ったと思うのですが、しかしこれじゃあ外に出てぶらぶらする暇がない訳ですわね。 これも“今となっては・・・”かもしれません。JBCの約1ヶ月前、南部杯に併せてマスコミ向けのJBC直前会見をやっていました。 市内のホテルに地元のみならず在京のスポーツ紙などもお招きして、『JBC1ヶ月前』の取り組み状況を発表するというものでした。会見後には立食式のパーティーなんかもあって華やかでしたね。 JBCのレープロです。自分の手元には2部だけ残っております。 現在は「統一版」の様式で作られていますが、JBCが2001年にスタートしてから何年間かは各開催場が独自の様式でレープロを作成していました。 2002年の盛岡のはJRAタイプを意識した縦長のもの。全レースの馬柱入りはコンテンツとしては当然必要レベルですが、岩手発での作業工程としてはけっこうたいへんだったようです。 おまけに印刷後にミスが発覚して、そこに訂正シール貼りという手作業が入ったために、他県の遠隔地の場外発売所に飛行機→車の手渡しで送り届けた・・・という知られざるエピソードもあったと聞きます。★2万5千部だかに貼ったそうです。想像するだけでも恐ろしい・・・ このレープロにはJBCスプリント・クラシックに出走する馬の生産者の写真が掲載されていました。当日の場内でも同様に紹介されましたね。 JBCは生産者の祭典でもある・・・という狙いを形にしたいという事で、各馬の生産者の皆さんに顔写真をいただいて、ファンの皆さんにも生産者を知って貰おう。この中から勝馬が出た時、その馬を送り出したのはこの人なんだな・・・とファンの皆さんにも意識して貰おう。そんな企画でした。 “JBCの意義”みたいな大所高所の話だけでなく、馬産地・東北の一角で行われるJBCだからこそ生産者との繋がりも大事にしたい・・・という岩手競馬らしい企画だったと、今でもちょっと誇りに思っています。 馬産地繋がりでは、JBCの翌日の11月5日には青森県・八戸で11月市場が開かれました。JBCで盛岡まで来た関係者にそのまま八戸まで北上して貰おうという日程ですよね。 11月市場ながらその時は100頭近い上場馬がありました。これも若干隔世の感が否めない所ではあります。 その時の最高額馬は1050万円で落札された母カシワズプリンセス・父フォーティナイナーの牝馬。その馬自身は1戦0勝に終わりましたが、後に母としてネフェルメモリー、09年の浦和桜花賞と東京プリンセス賞を制し牝馬ながら東京ダービーで1番人気に推されたその馬を送り出しました。★後のカシワズメモリー、ネフェルメモリーの母です★東北新幹線が八戸まで伸びる1ヶ月ほど前でした 最後は2002年11月4日の朝、競馬場から見た岩手山を。 11月の頭にこれだけ雪が積もった姿は、近年はあまりないかもしれないですね。 その日の朝はグンと冷え込んで、競馬場に登っていく道には霜がおりていました。今年のJBCの日は、どんな岩手山が迎えてくれるのでしょうか。
2014年09月04日
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木曜担当のよこてんです。 いよいよ今週末からOROパーク盛岡競馬場での開催がスタートします。という事で今回は、それにちなんで旧盛岡競馬場の跡地をご案内してみようというお話。 1995年11月をもって閉場となった旧盛岡競馬場。その後の跡地利用でしばらくの紆余曲折がありましたが、ちょうど10年前ですね、2008年に「保健・福祉ゾーン」として保健センターおよび老人福祉施設が開所したのを皮切りに、2014年には「環境ゾーン」が、2015年には「公園ゾーン」がオープン。そして今年4月1日、旧競馬場で言えば“左半分”にあたる「自由広場ゾーン」が一部オープンして、これによってかつて競馬場だったエリアのほぼ全体が利用可能になりました。 そんな機会でもありますから、改めて旧盛岡競馬場跡地を訪ねてみようと思い立った次第。ただ、はじめにお断りしておきますが、旧競馬場のスタンドだとか施設だとかが残っているという事はありません。今はほぼ全面的に公園になった旧競馬場エリアに昔の面影を探ってみよう・・・みたいな方向性であります。★施設案内図。お手数ですがこれを見つつ、ここに戻りつつ下の話を読んでいただけると位置関係が分かりやすい さて、まずは昔と同じルートで向かってみましょう。国道4号から松園方面への県道に入り、盛岡三高前を右折。かつては右折すると真っ直ぐ正面に競馬場が見えましたが今は当然ありません。ただ、通りの左右の建物は以前のままらしきものも多くて、ちょっと懐かしい感じがします。この500mほどの道が混んで混んで。特に競馬が終わった後の帰りはこの部分を通過するのにもの凄く時間がかかったものでした。★競馬場への道だったところ ちなみにこの道ぞいにはかつて、競馬専門紙の事務所が並んでおりました。今でも「エイカン」社の看板が見えますね。 競馬場跡に行き当たったあたりでさっそく昔との違いが。かつては県道からの道が競馬場のスタンドに突き当たるところで右にカーブしながらスタンドの下をくぐり、内馬場の駐車場へ抜けるようになっていました。今はその辺が公園入り口の広場になっており、高低差の感じがだいぶ変わっております。★撮っている私が立っているあたりがスタンドだったはず。県道からの道はスタンドをくぐって内馬場へ抜けていた★「高松公園」の碑。文字を囲う楕円の意匠が、ここが競馬場であった事を連想させる 公園内を見ていく事にしましょう。最初は『高松公園』エリアから。旧競馬場では1~2コーナーサイド、右半分と言いますか。ここは芝生広場や遊具を備えた公園になっています。まだ木が育ってなくてやたら広々。でも少々走ろうが転ぼうがぶつかるものがないので小さなお子さんにも安心の遊び場になっているようです。 2コーナーから向こう正面に進んだあたりは『環境ゾーン』、「エコアス広場」として自然環境にふれあい学ぶエリアになります。ここには花畑、水路、湿地などが設けられ、将来はもっと木々も増えて、ちょっとした里山のようになる模様。★この辺は調教馬場だった部分なので、この湿地はもちろん後で作られたものです★花畑では陸前高田に植えられていた花を預かっているとの事★人工池。まだ水が張られてなかった。この池もいずれ木々に囲まれる予定 けっこう高低差があるんですが、それでも競馬場時代よりはだいぶかさ上げされているような感じ。 こちらはこの春オープンした『自由広場ゾーン』。今は3コーナー側にあたる「クレー(土)広場」と駐車場・休憩所がオープンした状態で、4コーナー側の施設(人工芝広場)は整備中。 『保健・福祉ゾーン』。「高松地区保健センター」と「ケアガーデン高松公園」(ケアハウス・デイサービス施設)が置かれています。最初に触れた通り旧競馬場エリアで一番最初にオープンした部分です。 さて。では“旧競馬場の面影”を探してみましょうか。最初に「施設等が残っているわけではない」と書いたんですが、“競馬場だったことを感じさせる”部分はそれなりに残っているのです。 まずこちらの写真。1995年11月、旧競馬場最後の日に来た時のものから、恐らくパドックあたりから2コーナー方向を眺めた構図になると思います。 「ん?なんかこんな感じの森がさっき出てきたな・・・」と思い当たった方がいたら鋭い。 こちらが現在の、ほぼ同じ位置を撮った写真。 そうなんです。背景の森は若干シルエットが変化しているもののほぼそのまま。そして左手にある家。95年の写真にもあるこの家が今もそのまま残っているのが分かるでしょうか。 この森のたもとには現在、『保健・福祉ゾーン』から高松の池方面に抜ける道路ができています。この家との位置関係、森にある擁壁の形状。これを比較すると分かる通り、現在の道路はかつてのコースにほぼ沿っていると判断できるわけです(と同時に公園部分がかつてよりかなりかさ上げされている事もうかがえます)。★上の、森のたもと付近の道路。道路~遊歩道部分くらいの幅の部分がかつてのコースだったと思われます コーナーの感じ、そして1コーナーからやや登りながらカーブしていったコース形状も良く残っていますね。 すると、さきほどの人工池のあたりに「12」のハロン棒が立っていた感じになるのかな。 ちなみに1コーナー部分のコースも、この遊歩道がほぼそれにあたると思われます(スタンド前からコーナーに入るまでの部分はかさ上げされていますが)。 旧盛岡時代に設定されていた1420mの距離。スタートしてすぐカーブ、そのうえ昇り勾配という極端に外枠不利だった鬼コースの面影が、結構残っているものですねえ。 次の写真。同じくスタンド前から向こう正面を見通したもの。向こう正面が坂になっているのは撮り方が悪いのではなくて本当に急坂になっていたから。“走る馬の背中が見える”希有なコース形態でした。!。 お!ここも以前と同じ建物が残っているじゃないか! ということでだいたい同じ角度から撮った現在の写真がこちら。かつてのコースの部分がそのまま道路になっているのがわかるでしょうか。 もっと広く撮った写真を比べてみましょう。上が95年、下が現在。 背景の山の形が同じ、かつてのコースと今の道路の勾配の感じも同じ。ただ、旧競馬場でいえば内馬場部分までかさ上げされて公園化されているため、昔と同じ見通しの場所は見つからなかったのが惜しい。 現在の“向こう正面部分の道路”、その場に立ってみるとはっきり分かる登り坂です。上で見てきた写真で分かるようにこの道路の勾配はほぼ旧コースそのまま。「旧盛岡の向こう正面の登りはハードだった」と言われたのが良く分かります。 3コーナー側、『自由広場ゾーン』のクレー広場横から駐車場部分へと通り抜ける歩道(ジョギング用?)もかつてのコースの形状そのままです。★3コーナー方向を★3コーナーから向こう正面方向を “旧競馬場由来の施設類は無い”と書きましたが、この歩道沿いにある色あせた塀、これはどうやら旧競馬場時代から残るもののようです。 コースとその外を仕切っていた塀は、かつては2コーナーあたりから3コーナーあたりまで向こう正面全体にあったことが写真から見てとれますが、現在残っているのは『自由広場ゾーン』のエリアだけです。 そしてこの「向こう正面方向」写真の左手、ブロック塀が残る部分。ここに注目してください。 下が95年の写真から同じ付近を拡大したもの。 ここの部分は、かつてパトロールタワーが立っていた所にあたる事が分かりました。★ここにパトロールタワーがあった! 塀の裏側にパトロールタワーの土台の跡のようなものでもあれば・・・と思いましたが残念ながら痕跡は無し。んー、道路の歩道部分が拡幅されたのかな。 ちなみに『自由広場ゾーン』からの出口部分。松内商店方向に向かって作られていますが、かつてこの辺に存在した「内馬場駐車場からの出口」はもっと左手のほうにありました。 旧盛岡競馬場では全レースが終わると3~4コーナ-中間あたりにあった門(鉄扉?)が開けられて、内馬場駐車場からコースを横切って外に出る事ができました。スタンド側からの出口よりはずっと空いていて早く出る事ができるので、よくそこを使ったものです。★4コーナーからスタンド前直線に入ったあたり。擁壁に見覚えあり 4コーナー側にあたるエリアは現在工事中なので近寄る事ができませんでしたが、人工芝広場と住宅地の間の空間、ここがかつてのコースに相当する部分ではないかと思います(ただしかさ上げされている気配)。★4コーナーの所にはコース用の砂の山があったので、工事中なのがむしろ昔と似通った景色になっている★かつてテレトラック棟があったところは空き地に 旧盛岡競馬場はスタンドとテレトラックと、大きく二つの建物がありました。スタンドの方はあまり広くなかったので自分はテレトラック棟の方にいる事が多かった記憶。 かつてのその場所は現在は空き地となっています。 計画ではここにミニバスターミナルが作られる事になっていましたが、それが取り止めになり現時点では活用方法を検討中。なのでまだしばらくは空き地のままなのでしょう。★95年11月、旧盛岡競馬場での最後のレースが終わった後、内馬場駐車場から見た岩手山 旧盛岡競馬場での最後のレースが終わった後、帰る間際に内馬場駐車場から見た岩手山の写真。これと同じアングルも探してみました。すると、現在「エコアス広場」駐車場になっている部分から見るとほぼ同じになる事が分かりました。上の写真を撮った時は「内馬場駐車場の奥の方、コース脇の土手を少し登った所から撮った」記憶があったので、確かにそんなあたりの場所でした。★現在 全く同じだろう場所からだと真正面に電柱が入ってしまうためだいぶ近い位置から撮っていますが方向はほぼ同様。4コーナーあたりにもかつてと同じ木や建物が残っている事も分かりました。 旧盛岡競馬場エリアである高松公園とその周辺には明確に「ここに競馬場があった」的な目印はありません。しかしこうして見てきたように、特にコースの名残の部分にかつての面影を色濃く残していたりします。★「黄金馬場公園」の名が付けられた小公園。かつてスタンド脇にあった空き地?そのままの形状と思われる。このすぐ近くに内馬場からスタンドに上がってくる階段があった★旧1コーナー付近、高松の池に続く小径。この辺のコース脇に通用口?のようなものがあった記憶が 旧コース部分はほぼ3/4周ちかくに渡り痕跡を辿って歩く事もできます。車でないと行きづらい場所なので遠来の方などには簡単では無いかもしれませんが、OROパーク盛岡競馬場開幕で盛岡においでになった際に、あわせて旧盛岡競馬場跡も訪ねてみてはいかがでしょうか。コース跡を辿ってみるにはちょうど良い季節ですから。
2018年04月26日
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日曜日担当の高橋華代子です。 中央の重賞で、南関東競馬で走っていた馬の子供たちの名前をよく目にします。 先ほど行われたオークスで3着になったウインマイティ―は、2001年から2004年にかけて南関東の重賞戦線で活躍したアオバコリンのお子様です。 アオバコリンは大井競馬場の菅原厩舎から2001年9月にデビュー。(大井の高岩厩舎、船橋の佐藤(賢)厩舎でも走りました)。 コツコツ走り続けながら東京プリンセス賞で重賞初挑戦すると(その時の勝ち馬はサルサクイーンで今はサルサディオーネが重賞ウイナーとなり頑張っています)、それ以降はダートグレード競走などにも挑戦してきました。 2003年のTCK女王盃とマリーンカップで3着、トゥインクルレディー賞は2着になるなど、重賞ウイナーとしての称号を手にすることはできませんでしたが、その当時を彩った1頭です。 当時の写真、撮ってはいるんですが、すぐに出てこない(涙)。なので、アオバコリンの娘でウインマイティ―のひとつ上のお姉さんでもあるリアルフェイスのお写真を(^-^) ウインマイティ―は似ているのかしら?(^-^) ちなみに、アオバコリンの新馬戦に騎乗したのが、当時騎手だった矢吹誠調教師補佐です。当時を思い出してもらうと、 「アオバコリンは乗りやすくて賢い馬でした。カイバは繊細な所があったので、当時担当していた佐野さん(現調教師)や嶋田さん(現調教師)がかなり気を遣っていたと思います」(矢吹調教師補佐)。 矢野調教師補佐の騎手時代の写真は出てきたのでこちらをどうぞ(^-^) オークスのウインマイティ―の走りは興奮しました。もうちょっとの所で涙を呑みましたが、13番人気ながらも3着(優勝はデアリングタクト)。アオバコリンの娘さん、すばらしい走りでした!!! 今日の京都競馬場で行われた鳥丸ステークス(芝2400m)では、船橋の佐藤賢二厩舎にいたミスマンマミーアが優勝しました!!! 相変わらず派手でしたが、 船橋時代ももちろん派手でした(^-^) とある日の朝、 向かって右から、キタサンミカヅキ、ヒガシウィルウィン、ミスマンマミーアの豪華な3ショット。↓ 懐かしいなぁ~。
2020年05月24日
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ミツオーです。目の下にくまができました。さて、竹之上さんが、桂枝雀師匠は…なんてことを書いてくださったおかげで、昔のことをいろいろ思い出してしまったのです。名を九郎判官、義経義経。桂枝雀というひとは、80年代から90年代前半の上方落語界で抜群の面白さと人気をほこった噺家さんですが、その桂枝雀師匠の落語を、わたしゃ、文字通り本人のツバがかかるくらい間近で見たことがあるんだもんね、へへん、と自慢しても、はたして何人のひとに「いいなあ、いいなあ、うらやましいなあ」と言ってもらえるもんなんだかわかりませんが、こりゃホントのことです。へへ~ん、だ。いいだろう(笑)。竹之上さんのおっしゃるとおり、桂枝雀師匠は言いました。「笑いは緊張の緩和から生まれる」具体的に言うと、たとえば「緊張」とは沈黙であり「緩和」とは言葉になります。もっと言えば、「息を止めた状態」が緊張で「息を吐く」ことでその緊張が緩和される。もちろんこのパターンだけではないのですが。なんでそんな知ったかぶりなことを言うんだ、と聞かれれば、そりゃわたしが昔、ちょっとばかし落語を演じるということをかじったことがあるからです。「ここぞ、というところでは、息を好き放題にスーハーしてはイカン。必ず止める。すると見ているお客が緊張する。で、その緊張を抜くようにボケれば客は緊張がとけて安心するから笑ってもらいやすいのだ」というのは当時教えてもらった理論ないし技術なのですが、そんなことを考えなくても面白いものは面白い。あるいは、面白いことを言うひとってのは、そんなことは考えてやっていない。自然にできる。今のわたくしは、競馬のレース実況ということをしております。その昔、わたくしがこの仕事を始める前、まだ目指しているだけだったころ、上山競馬場で実況を担当されていた與那覇豊和アナウンサーにいろいろ教えていただいたことがあります。與那覇アナウンサーがおっしゃるには、競馬の実況において最も難しいのは「いかにしゃべらないようにするか」ということである。…しゃべらない?「いかに速くしゃべるか」じゃなくてですか~?と、当時のわたしにはまるで不可解なお言葉ではあったのですが、與那覇さんご自身も「こう思えるようになるのに何年もかかったんだから、キミたちにはまだわからんだろうね」と笑っておられました。この仕事をして10年以上。今では、このお言葉の意味するところが、少しだけわかるようになりました。ま、実践は難しいんすけど。人間が一定時間内に聞き取れる言葉の数は、もちろん個体差があるでしょうが、誰にでも上限があるわけですから、それ以上のスピードでまくしたててもどうせ聞き取れない。まあ、カンタンに言えば、早口に聞こえているうちはダメなんですな、レース実況ってのも。でもゆっくりしゃべってたんじゃ、馬がどんどん先へ行っちゃう。ある程度のスピードを保ちつつも、誰にでも聞き取れるようにしゃべるためにはどうするか、というと。間をとる必要がある。スタートからゴールまで、行間なく言葉をならべたてたのでは、意味が伝わらない。適度に、改行・句読点の間をつくらなくては文章として成立しない。ですが、限られた時間の中にできるだけ多くの情報をつめこみたいと思うのはヤマヤマで、この「間をとる」というのはわれわれ実況アナウンサにとってとても難しい作業になります。でも聞き取りやすくするためですから、仕方がない。がんばって間をとりましょう。そして。それとは別に。「ここぞ!」というシーンでは、大きな声で何かを叫ぶだけでなく(いや、そういう手法でいけないってことは全然ないし、普通はそういうふうにすることが多いのですが)、うまく「間=沈黙」を使って聞くひとに緊張してもらえれば、そのあとにくる言葉の羅列によって緩和がおとずれる、ということになる…のではなかろうかなあ、と思っているんですけど…。これはさらに難しいことです。なかなか狙ってできるわけではない(試したことはある。けっこう勇気がいる。それに後で録音を聞き直したら、自覚よりずっと沈黙が短かった)。ありていに言えば、あんまし黙ってると、その間に馬がゴールしちゃうしね(←黙り過ぎ)。「いかにしゃべらないか、ということの難しさ」は、わかるようになってきましたが、「しゃべらないこと」の実践は、わたくし程度のモノにとっては、まだまだ手に余る課題となっています。「緊張の緩和」「緊張と緩和」というのは、実況アナウンサにとって、なかなかいいテーマになると思います。何も、沈黙だけが緊張ってわけでもないですし。しゃべりの中で、言葉を使いながらも、そこに「緊張と緩和」「緊張の緩和」を作り出すことも可能でしょう。ええと、それをメリハリって言うんでしょうなあ、普通。メリハリつけて、緩急つけて、レースの模様が聞くひとにしっかり伝わるよう、しゃべらなくてはイカンですなあ。…てなことを、竹之上さんの文章を読んで思ったりしたのでした。それから、わたくし、桂枝雀といえばやはり「質屋蔵」ですわ。それから「皿屋敷」「くっしゃみ講釈」。こんなこと書いてたら、久しぶりに米朝落語全集が見たくなりましたさ(注:桂米朝…人間国宝。桂枝雀の師匠)。
2009年02月26日
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こんにちは~高橋華代子です。今はちょうど3月12日(水)の東京シティ盃取材の真っただ中。今回は写真で、船橋と小向の様子を綴っていきます。 まずは、船橋! 東京シティ盃大本命のベルモントサンダー(船橋・出川克厩舎)は・・・こちらをご覧下さいね。お顔がごっつくて男らしいサンダーが、プリティーになっています(笑)。 ↑ちょうどナイキアディライト(船橋・川島厩舎)が本追い切りから帰ってきた時の様子。アディはいつも朝4時からトレーニングを開始するので、これは朝4時20分頃になるかな。時計は見なかったけど。まだ今の時期は真っ暗です。朝4時から馬場入りということは、朝3時頃から始動。南関東の重鎮アディは、毎朝早起きなんです。今年8歳を迎えて、重賞12勝馬がついに始動しますよ。 ↑ナイキアースワーク(船橋・川島厩舎)は金盃(2着)後、グンと調子を上げています。「一度使ったことで馬もピリッとしてきました」と調教パートナーの佐藤裕太騎手。何と言っても、前走はルースリンドに敗れはしたものの、内容が濃かったです。あのレースで、陣営サイドもアースワークの能力の高さを再認識しました。このまま無事にさえいってくれれば、いずれ南関東の大将格として引っ張っていく存在になってくれるでしょう。この後は3月30日(日)のマーチSを予定しています。 ↑ 目下2連勝中絶好調のジェイドロボス(船橋・佐藤賢厩舎)ですよ。モヒカンカットでもお馴染みのお馬さんです。「たてがみの長い方が牝馬にもてるってテレビでやっていた」(渡子厩務員)ということで、ボスちゃんは今現在たてがみを伸ばし中なんです(笑)。今回の大井開催でボスちゃんは登場予定。モヒカンが伸び伸び状態になっていると思いますが、大目に見て下さい(笑)。伸びるまで、もうちょい我慢。 こんなボスちゃんは、担当の渡子厩務員には甘えて噛み噛みするんですが、他の人には絶対噛み噛みしないで、人を見て行動する子。もしや、ボスちゃんは人見知り?極度の人見知りの私は気持ちがよ~くわかります(笑)。 ↑ナイトスクール(船橋・坂本厩舎)寝てます…。結構いつも寝てます…。そんなマイペースなところがかわいいです。この日はちょうど飯田厩務員がコーラスマスターでレース中。遊んでくれる人がいなかったから、ナイトーさんは暇だったみたいです。 ナイトーさんはいつもおしゃれにネックレス(笑)をしています。これは、人間でもつけていますよね?あれを巨大にしたものと、考えて下さっていいですよ!! あと、そうだ。芦毛はまつ毛も白いです。 そして、小向!!! 小向と言えば、厩舎地区から調教馬場に移動する時に、この横断歩道を渡ります。川崎所属のお馬さんたちは、みんなここを渡っているんですよぉ。この時は朝9時頃なのでお馬さんの頭数も少なかったんですが、混雑している時間は行きも帰りもみんな一列になって上手に渡ってます。信号も、ちゃんと青ですね!! ↑ブルーローレンス(川崎・足立厩舎)は東京シティ盃に参戦します。前走の報知グランプリカップで見事久しぶりの重賞制覇。脚元の不安、蹄の不安、一度はどん底のどん底まで落ち込んでいたローレンスが、ここまで復活した…。こんな感動的なドラマがあるからこそ、関係者も頑張れるんですよね。「ローレンスには頭が下がる」ということが、関係者の皆さんの共通の思いです。その後も順調に調整が進められていますよ!この時はお仕事を終えて、カイバをもりもり美味しそうに食べていました。 ↑東京2歳優駿牝馬の勝ち馬マダムルコント(川崎・田邊厩舎)っぽい。でも、こんなに大きかったっけ?それが、遠目から見ていた時の感想でした。近づいてみると、やっぱりそうでした。2月29日に放牧先から帰厩したそうです。「背も伸びたし、筋肉もついてきたよ」と深野厩務員も嬉しそう。こんな感じでどしっと堂々としているのが、マダムルちゃんのいいところですね。「何事にも動揺しない」と田邊調教師も言っていますが、これは3歳牝馬にとっては大きなセールスポイントでしょう。うん、うん。3月19日の桜花賞に向けて順調そうで良かった! ↑ぬぬぬっ。池田厩舎がそろって、乗り運動をしている!真ん中には池田調教師。お馬さんたちが集団で歩いている姿というのは、かなりかっこいいものです。池田厩舎と言えば、大将がアンパサンド。アンパもこの中にいるはず・・・もしや、手前にいる黒っぽい馬・・・ ↑ちと角度は違う写真ですが、やっぱりそうでした(祝)! 相変わらず気合満々に運動をしていて、元気そうで良かったです!アンパはフェブラリーSの後、1週間ほどリフレッシュ放牧に出て、今現在は帰厩して調整中です。次は大井のマイルグランプリを予定。ここにはフジノウェーブやトップサバトンも参戦を表明しているので、今からめっちゃ楽しみです。 そして、ラストになりますが。南関東史上初の牝馬3冠に輝いたチャームアスリープ(船橋・佐藤賢厩舎)の引退が決まりましたねぇ。写真は、まだ朝4時頃なので、チャームも眠そうです(苦笑)。この後は生まれ故郷でお母さんになります。チャームにつていは、来週日曜日のライターブログでたっぷりご紹介する予定です。それにしても、チャームの引退式って行わないんでしょうか?これだけの偉業をを成し遂げた馬なのに…。
2008年03月09日
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火曜日担当の太田です。6週にわたって行われたJRA夏の函館開催最後まで無観客の中の開催となりました。終わってみればあっという間でしたね。いつも以上に寂しさを感じながら函館とのお別れ。帰路に就いた次第です。今度の土曜日25日からは札幌開催函館同様に無観客での開催となります。札幌記念などもありますので楽しみですね。さて、先日18日(土)帯広競馬場で楽天競馬と帯広市がおこなっているばんえいアワードの表彰式が行われました。例年ゴールデンウィークのお客様が多くいる中で行われる表彰式ですが、今年はコロナの影響で延期となっていましたが、競馬場の開場にともない、実施する運びとなったようです。春先に発表なった時にお知らせしましたが、あらためて受賞者はこちらベストホースはオレノココロが選ばれました。4年連続の受賞。ベストジョッキーに選ばれた鈴木恵介騎手と共に4年連続受賞は、ばんえいを代表するにふさわしいコンビですよね。(主催者提供)今回騎手と調教師は表彰式に不参加となりましたが、来年はぜひ通常通り、ファンの皆さんから祝福されての表彰式となってほしいですね。ばんえいアワード表彰式の前には今回目玉の帯広市と楽天競馬がおこなう「ばんえい競馬」における競走馬の頭数維持・確保に向けて、帯広畜産大学との共同研究の記者会見が行われました。今年の4月からすでに始まっている研究。詳しくはこちらをご覧ください。とてもいい研究ですよね。この研究に関わっている畜大の矢野琳太郎さんは以前、競馬サークルのアレチクで所属しており、その際ばんスタ出演などもしてくださりました。大学院に進み、昨年、日本ウマ科学会第32回学術集会において発表した「飼料設計の差異が重種馬の消化管内環境に与える影響」が最優秀発表賞に選ばれ、受賞されました。若者の研究に大いに期待するところです。今年から3年間にわたっての研究。将来ばんえい競馬の発展に大いに貢献してくれる研究となることでしょう。(一番右が矢野さん)このような研究、また、ばんえいアワードについても皆さんからの馬券購入金額の一部が割り当てられております。楽天競馬で馬券を購入するとばんえい競馬への発展につながるわけです。ばんえい応援企画はあらゆることに貢献しております。もちろん、貢献するだけでなく、皆様への還元も行っております。楽天競馬での馬券購入がばんえい競馬発展への貢献そして、皆様にポイントやばんえいコインなどの還元。お得感満載です。ぜひ楽天競馬でばんえい馬券を購入していただき、ばんえい競馬への貢献、そして、ポイントや、色々なキャンペーンのグッズなどゲットして楽しんで頂ければと思います。19日(日)は古馬重賞第51回旭川記念BG2が行われました。今年は7月に移動し、BG2に格上げ。このレース4連覇がかかるオレノココロに注目が集まっておりました。勝利したのはミノルシャープでした。北斗賞に続き、重賞連勝。(主催者提供)障害をスムーズに上がって、一人旅。若い頃はゴールまでに苦しむところがありましたが、最後まで衰えることなく、力強い足取りでした。(主催者提供)ただ、ゴール前座り込んでしまったのにはファンの皆さんも驚いたことでしょう。レースを見た感じゴール前苦しそうにしていたようには感じませんでしたが、ゴールまで辛抱していたのでしょうね。精神的にも強くなっているように思いました。マラソンでゴール後倒れてしまうのと同じだと思います。ゴールして気持ち的にも安心して倒れてしまったのかもしれませんね。これは憶測ですが・・・ミノルシャープのゴール後のシーンを見ると本当によく頑張ったと。真面目な馬なんだろうと思いました。(主催者提供)果敢に攻めたオレノココロでしたが、障害の天板でやや苦戦した分2着と敗退。あれがスムーズにおりていたらどうだったか。おそらく、ミノルシャープと同じぐらいに下りていたので、平が強いオレノココロですので、勝利していたかと・・・ただ、珍しくオレノココロがゴール前苦しそうにしておりました。この辺りが年齢によるものかはわかりませんが、もしかしたらミノルシャープが競り勝ったというシーンもあったかも。ミノルシャープはトップハンデでも歩きでしたからね。いずれにしても、ミノルシャープの強さは光ったレースでしたね。今後はハンデなども厳しくなり、また、マークもきつくなることでしょう。次回は8月16日のばんえいグランプリ。真夏の重賞ですので、どれだけ馬たちが出てくるか未知なところがありますが、今年は暑さもそれほどではないので、ばんえいフルゲートでレースが見たいですね。翌20日(月)には5歳牝馬第8回白鳳賞が行われました。圧倒的な人気を集めていたミスタカシマ。世代牝馬では抜けた存在。ミスタカシマに追い付け追い越せのアフロディーテ。この2頭がこの世代では上位。ハンデ差は上と下とでは60キロ。このハンデでさすがにミスタカシマはつらいかと思った方も多かったのではと思いますが、それでもミスタカシマが圧倒的な人気になるところを見ると世代牝馬戦では力が違うと見たのでしょうね。実際レースではその通りになりました。このハンデ差でも最後は突き放しての快勝。格の違いを見せつけた戦いでした。この勝利でミスタカシマとコンビの鈴木恵介騎手が通算2800勝の達成。いよいよ3000勝にカウントダウンですね。例年、鈴木騎手は年間200勝近くあげるのですから、来年中には達成となる可能性が出てきました。ミスタカシマ管理の槻舘重人調教師は、まだ100%仕上がっていたわけではないとおはなしで、それでも勝利してしまうのですから、この馬の力はまだまだ計り知れない所がありますね。今は古馬オープンの中でなかなか厳しい所ですが、それでも悪いレースはしておらず、牝馬の中ではもちろんトップではありますが、牡馬たちとも混ざって、条件が合えば古馬重賞制覇ということもあるかもしれません。かつてのアンローズ、サダエリコ、フクイズミなどの名牝と肩を並べるぐらいの力はあると思います。ミスタカシマの動向にも注目です。今度の土曜日から十勝&ばんえい応援キャンペーンが始まります。詳しくはこちら8月3日までです。25日に特設ページが開設しますので、ぜひご参加ください。お待ちしております。
2020年07月21日
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メロディくんやりましたね。メインレースのしらかばステークスを完勝です。プラス12キロでの出走ですが、春は若干細めの体でしたからかなりプラス材料だったのでしょう。あのキレに力強さが加われば、さらに上のクラスとの対戦でも!放牧中に世話と調教をしてくれた牧場の方々のお力、函館に滞在している調教助手の頑張りのたまものです。この調子を維持してエルムステークスも頑張ってもらいたいですね。さてそんな札幌競馬ですが、今週の新馬戦は頭数が今ひとつ揃っていませんでした。土曜日には出馬投票5頭のところに一頭取り消しでなんと4頭立ての競走が。そのレースではルール上3連複が成立します。ということは、4頭立ての3連複・・・勝馬投票の名に反してしまいますが、つまり最下位を当てる馬券ですよね。名目上は3着までの馬を順不同に当てる馬券ですけど、実際のところは単負馬券。その3連複の一番人気のオッズは1.6倍。単勝一番人気は1.3倍ですから、どちらがおいしい馬券ということになるのでしょうかね(笑)見ているほうは物珍しさもあって、興味深く見させてもらいました。普段の調教とそんなに変わらないような内容になるので、やはり力の違いがはっきりと出てしまいましたね。多頭数の新馬戦は、普段の調教とは違ってお馬さんがたくさん一緒に走っているのでびっくりしたり怖くなっちゃったり。目を白黒させて走っている子をたくさん見かけます。でもあのくらいの頭数なら慣れっこです。平常心に近い精神状態で走ることができるので持っている力を出し切れますよね。ヨーロッパなどではよく見かける少頭数の競馬。G1でもたまに見かけます。先日行われたサセックスステークスも4頭立てでしたね。その中の一頭はフランケルのペースメーカーですから実質3頭立て。道中のごちゃつきや周囲のアンフェアなプレーもなく力をすんなりと発揮したフランケルが圧勝。そのような競馬でも場内のお客さんからの大歓声が聞こえていました。つまり強いお馬さんが、ぐうの音も出ないほど強い内容で勝つ姿は万国共通テンションが上がるものなのでしょう。そんなところに少頭数の競馬の楽しみ方もあるのかなと感じました。ちょっと頭数が少なめのレースが続いた札幌の新馬戦ですが、みなさんも楽しみ方を見つけて応援してあげてください!
2012年08月06日
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木曜担当のよこてんです。 さて今回は、昔の競馬場のお話の続きを。「小西重征調教師が旧水沢競馬場(現在地に移転前の駒形神社近くにあった頃)を知っている」というあたりから。★改めて厨川駅(現在はIGRいわて銀河鉄道) 現在は競馬開催時には盛岡市の盛岡競馬場と奥州市の水沢競馬場の間を馬運車でもって競走馬を輸送しているのですが、かつては、それこそ旧水沢競馬場があったような頃はどうやって馬を運んでいたのでしょうか? 答えは「鉄道」です。■鉄道で馬を運んでいた時代 小西調教師のお話を伺ってみましょう。「その頃(小西調教師がまだ若手騎手だった昭和30年代前半)は鉄道を使って水沢まで馬を運んでいた。(旧)盛岡競馬場から厨川駅まで馬を連れて行って、貨車に乗せて。水沢駅まで1日がかりだった。そういう仕事は新米騎手の役目。先輩騎手は普通の列車に乗って先に行ってしまうのさ」 旧盛岡競馬場から厨川駅まで、GoogleMAPで調べると約3km。ゆっくり歩いて小一時間くらいでしょうか。「馬に乗って行った(小西調教師)」というので人が歩くよりは速かったか。駅の方に行くのは下り、競馬場の方に行くのは登りかな。★旧盛岡競馬場から厨川駅への道のり(出典GoogleMap)「貨車1両に4頭分の仕切りがあって真ん中に飼い葉や水の桶を置いていた。馬は勝手に食べたり飲んだりしてればいいのさ。頭数が少ないんじゃないかって?昔はけいが速歩や騎乗速歩もあって駈歩のレースに出る馬が少なかったからこれくらいで良かった」 水沢競馬場移転直前の1963(昭和38)年の開催日数は盛岡競馬24日、水沢競馬が36日の計60日。今の約半分ですね。 昭和20年代には40日前後だった開催日数は徐々に増やされ、年間54日から60日になったのが1962(昭和37)年。時はいわゆる「高度経済成長」時代。その後も毎年のように開催日数が増やされていき、1976(昭和51)年には年間100日の大台を超えます。 とはいえそれはまだ少し後の事。話を昭和30年代に戻せば開催日数は今の半分、出走頭数も一開催6日間でだいたいのべ400~450頭前後だったようなので2/3くらいでしょうか(連続で出走する馬もいたはずなので実際の頭数はもっと少ないと思われます)。 貨車というのはワム3500とかでしょうかねえ?イメージとしては、2軸で、片開きの扉が車両の真ん中にあって・・・という感じ?仕切りを作ったりとったりするのはすぐでしょうから専用の貨車が常時厨川駅にあったという事では無いと思います。 1970年代に入る頃には馬運車による道路輸送に替わっていたと思われ、大ベテランである小西調教師(当時は福田重征騎手)くらいの世代までが鉄道輸送の経験者なのではないでしょうか。■三々五々と競馬場に集まる馬たち さて、貨車に乗って水沢駅までやってきた競走馬や福田重征騎手のような若手はそれからどうしたのでしょうか? ここで以前にもこのブログで掲載した旧水沢競馬場の航空写真を見てみましょう。★旧水沢競馬場の航空写真(出典/国土地理院航空写真) 何かが足りないと思いませんか?今の地方競馬場ならまず大体あるもの。 そう。厩舎が無い。 競馬場に隣接した所に厩舎が無いのです。 では馬はどこに行っていたかというと、市街地の各所に点在していた厩舎・・・というか厩に入っていたのだそうです。 水沢在住の調教師さんたちは自分の馬を入れる厩を自宅に併設していたりしていました。それは現在地に移転してからもしばらくそうで、競馬場近くに厩舎地区が整備されるのは移転して数年経った1971(昭和46)年になってからです。★1968(昭和43)年、移転間もない頃の現水沢競馬場。今の厩舎地区は田んぼ(出典/国土地理院航空写真) 小西調教師のお話を続けましょう。「水沢駅に付いたら馬を街の中にある厩へ連れて行った。昔、馬検場があったあたりや立町のあたりにたくさんあったな。競馬の時はそこから競馬場(※旧の水沢競馬場)に歩いていくのさ」 水沢市(現奥州市)にあった馬検場は今は水沢武道館と秋葉公園になっていて馬検場の頃の面影は残っていません。しかし、隣接する秋葉神社には馬櫪神がありました。この地区周辺が馬との繋がりが深かった事を伝える一つの証拠と言えるでしょう。★水沢武道館。かつてはここに水沢の馬検場がありました★秋葉神社★馬櫪神は厩の神様であり馬の守護神。これがあるという事は近隣と馬のつながりが深かったという事 立町にはかつて宿場もあったそうですから、昔から、各地から馬が集散する中心だったはずです。細長い敷地が連なる街並みはいかにもかつての街道筋のそれを思わせるものですね。★1976(昭和51)年の馬検場~立町周辺の航空写真。短冊状の敷地の建物はまさしく旧街道沿いの街並み(出典/国土地理院航空写真) ここから競馬場に向かう時に通ったのは大手通かあるいは大町の通りか。水沢で競馬がある日は、街の中に点在する厩を出た馬たちが三々五々と駒形神社を目指し、そしてレースが終わればまた街の中を歩いて厩に帰って行く姿を見る事ができたのではないでしょうか。各地から集ってきた馬や人が行き来し、関係者の鞍祝いの歓声があちこちから聞こえてくる・・・。競馬の日の水沢の町はさぞ賑やかだったことでしょう。■馬と貨車、もうひとつのエピソード “貨車で馬を運んだ話”。もうひとつのエピソードがあります。 佐藤浩一調教師は水農馬術部時代の1972年、鹿児島国体の馬術競技に出場しました。その時に競技の馬を岩手から鹿児島まで、貨車で運んだのだそうです。 その時の貨車も普通のそれに仕切りを付けたりしただけのもので、貨車の半分に3頭分の仕切りを、残り半分には道具や荷物類と、出場する選手(!)が一緒に乗り込んで行ったとのこと。「昔の貨物列車はあちこちで停まり停まりしながら進むからえらく時間がかかったな。行きは7日、帰りは少し早くて5日だったか。その頃の貨物列車には車掌が乗っている車両が必ず付いていたから、長く止まりそうな気配の時はどれくらい停まっているか聞きに行って、長ければ弁当を買いに出たりしていた」 今のコンテナだけになった貨物列車と違ってかつてのそれは、主だった駅や操車場に停まりながら貨車を付けたり外したり、離合集散しながら進んでいくものでした。長く停まるからと聞いて買い物に出たところが、乗っていた貨車が入れ替えで全く違う線路に移動してしまい、場所が分からなくなった先輩が乗り遅れてしまった事もあったそうです(その先輩は旅客列車で先回りして事なきを得たとか)。「入れ替えの時が大変で。坂を転がって連結したり、機関車で貨車を押しながら加速を付けてバッと切り離して別な線路に入れたりな。全くモノ扱いだった」 ここは非常にマニアックな体験です!貨車を外したり付け替えたりする際、大きな操車場だと「ハンプヤード」という坂を利用した入れ替え線があって、機関車で貨車を坂の頂上まで押し上げそこで切り離す。すると貨車は下り坂で加速を付けながら次の行き先に向かう貨物列車が待つ線路へと転がって(転がされて)いくわけです(余談ですがかつて北上にあった北上操車場はリニアモーター式のヤードで貨車の入れ替えを行う最新式の操車場でした)。 そしてハンプヤードが無い操車場の場合は、機関車で貨車を押して加速を付けて、スピードを付けてから切り離して押し出す・・・という方法が採られていました。専門用語では「突放(とっぽう)」とかいうんですけども、若き日の佐藤浩一選手はそれを何度も体験しながら旅していたんですね。まあ、まさしく荷物扱いではありますが、レア体験、ちょっと羨ましい気も・・・。 そういえば「山の手前で列車の後ろにも機関車が付くのな(※補機の事ですね)。登り切ったら走りながら切り離されて行くんだ(佐藤浩一調教師)」なんて話も。いや、羨まし過ぎるですよ。 少し時間が戻って1970(昭和45)年。その年に行われた岩手国体の際、水沢競馬場(移転後の現在の競馬場)が馬術競技の会場になりました。その年はまだ下級生だった佐藤浩一少年は、全国から水沢駅に貨車で(!)到着する各地の選手・馬を駅から競馬場まで案内する役をやらされたそうです。「1日に5回かな、往復したが、なかなか大変だったな(佐藤浩一調教師)」 ゆるゆる歩けば片道40分くらいかかりますからね。それを5往復もするとなると1日中ずっと歩いているようなものです。 それはさておき、競走馬や競技馬であっても貨車で運ぶのが珍しく無かった時代。今となっては遠い歴史の1ページとなってしまいました。 ところで佐藤浩一調教師は旧の方の水沢競馬場で騎乗した経験はもちろん無いのですが行ったことはあるそうです。 「小学生の遠足で行ったよ。秋だったから内馬場の田んぼに刈り取った稲を干してある光景を覚えている(佐藤浩一調教師)」 往時の写真を見てもその通り、旧の方の水沢競馬場の内馬場は一面の田んぼ。秋頃は掛け干しされている稲の間を馬が駆け抜けるような光景が見られたのでしょうね。これもまた歴史の1ページ。
2020年07月02日
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木曜担当のよこてんです。 溜まってる分がありますがまず今回は帝王賞のお話。メイショウハリオが“帝王賞史上初の連覇達成”な話題から。★帝王賞優勝/メイショウハリオ 史上初と聞いて実は「あれ?そうなんだ」と思ったりしました。歴代成績を見てみるとフリオーソ(08年と10年)やホッコータルマエ(13年と15年)のように隔年で2勝している馬こそいるものの「2年連続の連覇」は確かに初めて。 同じコース・距離の東京大賞典の方は、オメガパフュームのように4連覇もした馬を筆頭にアジュディミツオー、スマートファルコン、ホッコータルマエと連覇を達成した馬がいます。東京大賞典→帝王賞→東京大賞典のような流れで連勝している馬も珍しくないんですけどね。 余談ですが、アブクマポーロって何もかも勝ちまくったような記憶しかないですが、意外にも帝王賞も東京大賞典も1勝ずつ、そもそもそれぞれ2回しか出走してないんですね。 そうかと思うとボンネビルレコードみたいに6回も出走している馬もいる。 閑話休題。帝王賞に連覇した馬がいなかったのはどうしてなのか?と考えてみました。結論らしき結論までは行き当たりませんでしたが、ここでは敢えて時期的なものを主張してみたい。 冬の東京大賞典は“冬の傾いた陽が当たる、乾いた馬場でのレース”の印象が強いように状態のいい馬場で行われることが多い。一方の帝王賞は梅雨時期で重・不良になることが多いですよね。表面が乾いて見えても下はじっとり・・・という馬場状態は、自分の経験からも多かったと感じます。そんな馬場状態の違いからの合う合わないの影響が、あるいはレース展開自体に与える影響が、結構あるんじゃないかなと思ってみたり。帝王賞はキレ、東京大賞典は息長いパワー、みたいな。 ローテーションの影響も確かにあるのでしょう。だから来年の川崎記念が4月に、名古屋グランプリが5月に移動してこの辺のラインを強化するんだと思います。 メイショウハリオについては、やっぱり馬が充実していると感じますね。かしわ記念の時もパドックを見ていて思いましたが去年の帝王賞どころか秋頃に比べてもだいぶ印象が変わった。★↑去年の帝王賞でのメイショウハリオ ↓今年。トモ周りのボリュームがひとまわり増した印象 今回のレース後、岡田調教師に“イメージに対してどれくらいの完成度ですか?”と訊ねてみたのですが答えは「ほぼほぼ完成形」。今が一番いい時期なのだろうと思って見ていて良いんだと思います。 コリアカップ参戦の話は今後の目標の話の中で出てきたもので、これも岡田師の話をひけば「JRAG1も勝ちたいが、海外にも遠征したい。韓国は近くて遠征しやすいから“海外慣れ”するにもいいんじゃないか」という意。そんな流れであれば来春の中東遠征組の中にこの馬の名前が入っている可能性は十分にあるという印象でしたし、何よりそうしていろいろな路線に行けると陣営が感じているくらいメイショウハリオが力を付けている・・・ということを覚えておきたいですね。 さてふたつ目の話題は“もうひとつの馬像”。 OROパークのゲートを入るとすぐ正面にある馬像。競馬場のシンボルとしても親しまれているアントワーヌ・ブールデル制作のこの馬像なのですが、日本にもうひとつあることをご存じでしょうか? ・・・というお話。 群馬県の高崎駅からバスで20分ほど。郊外の森の中にある『群馬県立近代美術館』にそれはあります。建物正面の広場に置かれた『巨きな馬』と題された馬像がそれ。★1990年寄贈とあるのでOROパークのよりは先に設置されていたのか こちらもやはりアントワーヌ・ブールデル制作。台座の有無の違いとそれによる見え方の違いはあるものの、そして周りの景色の違いもあるとはいえ、自分には親近感しかない姿。★木立に囲まれているのと台座が低いのでぱっと見の印象はずいぶん異なります 群馬県のWEBサイトによればこちらの馬像のサイズは高さ450cm・長さ400cm・幅185cm(※台座除く)とあります。OROのは正確なサイズを記載した資料が見つからなかったですが、見た感じ同じサイズだと思いました。 OROのは台座上にあって見上げる形になります。群馬のものは実質地上にある形なので非常に近い。そんな違いはあるものの、表情や馬装、身体の筋肉のうねりまで何もかも見慣れた感覚ですねえ。★↑群馬 ↓ORO★↑群馬 ↓ORO 種明かしをすると、この馬像は元々はアルゼンチンのカルロス.M.デ.アルヴェアル将軍の記念碑制作コンペに参加したアントワーヌ・ブールデルが、記念碑用の像を10年近くかけて構想する中で制作した“馬部分の習作”。同型の馬像は、やはり群馬県のWEBサイトによれば「この作品は他に、フランスに1点、アメリカに3点、韓国に1点の合計5点あります」(https://www.pref.gunma.jp/page/12103.html より)とされています。 ネットでざっと探してみたところ、フランス・パリにある『ブールデル博物館』の1点、アメリカ・ダラスの公園にある1点、そして韓国の『湖岩美術館』というところにある1点が見つかりました。アメリカのもうひとつのものの画像は見つかったものの場所がよく分からない。残念。 日本にも、盛岡にもあるよね~というところはさておき、ブロンズ作品には同型のものが複数あったりして、ブールデルの作品で有名な「弓を引くヘラクレス」などは計18点制作されたとのこと。鋳造なので同じ型から同じものを作ることができる。 ちなみに「本体」というべきカルロス.M.デ.アルヴェアル将軍記念碑はアルゼンチンはブエノスアイレス市のフリオ・デ・カロ広場にあるそうですが、それは馬だけでなく将軍本人も乗った状態でして、高い台座の上に立っていることもあって印象がだいぶ違います(参考/https://en.wikipedia.org/wiki/Monument_to_General_Carlos_M._de_Alvear )。 その記念碑の画像を見ると、OROや群馬の馬像にある首のところの線(?)は手綱が首に接している部分を作ってあったんだな・・・と分かったりしますね。★こちらは巨きな馬の近くに置かれているブロンズで、群馬県の彫刻家・分部順治作『飛翔』。日本の馬だな、という感じがする。巨きな馬はいかにもヨーロッパの馬 群馬県にある“兄弟”馬像。お時間があればぜひ一度ご覧になってみてください。群馬県立近代美術館のWEBサイトはこちら。★群馬県立近代美術館(群馬の森)に向かうバス『ぐるりん』は旧高崎競馬場跡地(現「Gメッセ群馬」)の近くも通ります。こちらもお時間があれば
2023年06月29日
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水曜日の担当は、坂田博昭です。 北海道の地域の場外発売所のありように、地域における競馬の存在感とその意義を見出す旅を、今年に入ってから続けてきました。様々な場所でそれぞれの競馬のありように触れ、そこにそれを支えるひとびとの力があるということを、肌で感じてきています。 支える力を与えてくれているのは、主に競馬の外にいるひとびと。 今日お伝えするのは、そんな話。札幌に隣接する石狩市にあるAiba石狩を訪れる旅の、今回は3回目です。 Aiba石狩。 ホッカイドウ競馬を中心とした地方競馬のほか、JRA・競輪・オートレースの全4競技を楽しむことが出来る、まさに公営競技の「楽園」 今回、取材で話を伺ったのは、Aiba石狩を運営する「有限会社サテライトいしかり」の社長・玉澤秀貞さんです。 玉澤さんは、大規模小売店舗を展開する大手企業から転じて、いまの職につかれました。マーチャンダイジングのエキスパートとしてのご経験をフルに活かしながら、公営競技の発売所の運営にあたっておられます。 『2008年の12月にAiba石狩として競馬の発売をし始めました。当時まだ民間型の場外発売所の仕組みは確立しておらず、収益と経費の配分の問題は勿論、運営自体も一から形を作っていく必要がありました。』 経費だけで言えば、勿論競馬主催者が直接場外発売所を作って馬券を売るのが、競馬主催者にとっては最も効率的な形。 しかし「官」の一部である競馬主催者が、またはその発想を受け継いで出来た団体が、営業推進も含めた運営面でその力を発揮できるかどうかは、先週も申し上げたように「非常に」微妙な問題。そこで民間の力と発想をどのように活かすことが出来るかということが問われるわけです。 Aiba石狩はその典型的なケースのひとつだったと言えます。 『長期的に物事を考えることが出来るかどうか。ここが決定的な違いだと思います。「官」にはその発想は基本的にありませんから。あとは例えばコストを削るとしても、一律にカットするような考え方ではうまくいきません。見えないところを削り、見えるところは極力経費をかける。こういうメリハリも、民間だからこそ出来ることなんです。』 場内の様子。複数の競技のエリアが無理なく、そしてお客様方にわかりやすく配置され、相互に楽しみやすい工夫がされている。 そう考えると、法律上「官」しか行うことが出来ないという「非常に難しい制約」がある競馬というものを経済的に続けて行くことが出来るのかどうかということのカギが、見えてくるような気がします。 2013年3月のJRAの発売開始は、Aiba石狩にとっては大きな転機だったようです。それまでは競輪の発売所の一角にすぎなかった競馬の発売エリアを大幅に拡大して、いわゆる「主客逆転」。 JRAの発売開始とともに、大きく拡大された競馬エリア 大きなビジョンとともに広々と競馬を楽しむ環境が整っている 週末はこのように朝からJRAの競馬を中心に楽しむお客様方で賑わう 『勿論、従来の関係者の理解も十分に得る必要がありました。それでも、競馬を売っていくというのは、北海道という場所の「地域性」も考慮すれば、自然な考え方なんですよね。北海道以外の地域と比べれば、競馬の身近さとか、競馬に注目するひとたちの多さは、かなり大きいと思います。』 そんな「地域性」にも配慮しつつ、競馬に触れることが出来る場所として今日に至る、Aiba石狩。運営においても「地域」ということを重視し、手を打ってきています。それは、この場所で行われる数々のイベント。 公営競技そのものと直接の関係あるイベントは勿論のこと、それとは全く関係なく地域の方々が集まるイベントも多数実施してきました。 人々が集まり、駐車場エリアでフリーマーケットなど 2006年のトリノオリンピック開催中 石狩市出身でスノーボード日本代表の國母和宏選手を応援するパブリックビューイングを実施 『私たちの商売は、悪いことをしているわけではありません。営業は堂々と行えばいい。ただし、それを「地域の同意」をもらって運営しているということは、決して忘れてはいけないんです。』 玉澤さんが「施設を知ってもらうための取り組み」というふうに説明する数々のイベントは、公営競技の集客には殆ど繋がらないものばかり。しかしそういうことが「地域に対して必要」と、玉澤さんは説きます。 日高物産市 場内でも可能な限り地域のイベント設営に努める 『私たちのところでは、4つの公営競技それぞれを売り始める都度、4回に渡って地元の同意をとっています。それは、地元に貢献しているという「事実」が認識されていればこそだと思っています。これまでも地域に対して知ってもらうための取り組みは、これからも定期的に、そして永遠に続いていきます。』 その一方で、公営競技の営業に繋がるようなイベントの実施については、全く別の考え方を持ちつつ行っていると、玉澤さんは話します。 『直接収益を上げるかどうかは微妙でも、競技を知ってもらうためのものだと位置づけて、イベントを行うべきだと思っています。この「競技を知る」ということが、いずれ収益が上がるかどうかという意味では必要になってくるはずですから。』 「お客様方に競技を知っていただく」そのためにこのAiba石狩で熱心に行っているのが、騎手や選手のトークイベント。 今年2月 川崎記念当日には五十嵐冬樹騎手が来場してトークショーを実施 普段直接目にすることが出来ないジョッキーの姿に、多くのお客様が目を奪われ、言葉に耳を傾けた。 複数の公営競技を取り扱うこの場所らしく、それら競技を組み合わせたイベントも実施出来るのが、このAiba石狩の強みと言えるかも知れません。 公営競技界では話題沸騰! ガールズケイリン選手によるトークライブ 競輪ファンだけではなく、その場にいる競馬ファンの興味も惹き、大いに盛り上がる。 同時にMCによる競馬の予想トークも実施され、競馬への貢献も意識されたイベント運営が特徴的 10月の天皇賞秋前日に行われた、競馬女子会 初心者向け競馬教室と馬券を買いながらの競馬観戦 そしてAiba石狩内食堂のシェフによる季節の食材を使った昼食を楽しみながら、競馬とともに過ごす一日 JRA札幌競馬場の協力も得ながら、多くの参加を得て盛況 最後に、競馬のこれから、について、玉澤さんに伺ってみました。 『お客様方を、どれだけ大事にするか。それに尽きるのではないでしょうか。』 とてもシンプルな答えでした。 『競馬というひとつの趣味に向けて、これだけの人数のひとびとが楽しんでいるということは、すごいことですよ。あり得ないぐらい多くの人数が、競馬に触れています。 でも、その人たちはそれぞれが黙っていても勝手に競馬をやってくれるわけではありません。それだけのひとびとに支えられているということ、それがあっての競馬だということを、競馬に携わるひと一人ひとりが常に思っていなければいけないと思います。』 これを聞いて思ったんですけれども…結局のところ、この発想が「官」には苦手な発想なんだと思うんですよね。 お客様方をどうしても客観化して見てしまう。お客様から距離があるところで、どうしようかと考えている。それがこれまでの競馬やその他公営競技の「お客様方の取り扱い」だったのではないかと、私はこの話を聞いて気づかされました。 『何か形のある「もの」を売っているわけじゃないんです。 だからこそ、お店屋さんで何かものを売って頭を下げて…という以上に、お客様方に支えられていると言うことを意識しなければいけない。これは私の前職での経験も踏まえての思いです。』 大規模小売店舗の会社で、形のある「もの」をずっと売ってこられた玉澤さんから出た言葉だけに、いままで感じたことのない重みをズッシリと感じました。 皆さんは、どのように感じられますでしょうか。 競馬がこれからずっと続いていくための、お客様方との関係というものを。
2016年11月23日
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金曜日は、古谷が担当します。 ビッグレッドファームを巣立った後、浦河で育成場を立ち上げた内田ステーブルの内田裕也代表から、朝に電話が掛かってきました。ホッカイドウ競馬のクラスに関する話をした流れで、岡田繁幸さんの話題にもなり、「めちゃくちゃ怖かった」「元気あった時は確かに迫力あったもんね」などと、不思議に盛り上がって電話を切りました。それは、今日は繁幸社長の誕生日だったことがあったかもしれません。 地方競馬の騎手、調教師の合格発表を目にし、繁田健一騎手が調教師に合格し、何気に電話帳で「繁」の字を検索した時、岡田繁幸の名を普通に目にしたのが昼前。もちろん、この段階では何も知らずに帯広へ向かっていました。知り合いから昼過ぎに電話が掛かってきて出ると、繁幸社長の訃報を耳にしました。「知らない。本当なの!?」と、ショックで頭が真っ白になり、ハンズフリーの電話を切って、パーキングに入ると、LINEでも色んな人からそのニュースが入ってきていました。1人、2人の話じゃないから、「マジか…」と言葉を失い、某スポーツ紙がネットニュースで訃報を伝えていたことで、改めてショックを受けました。 繁幸社長と出会ったのは、ホッカイドウ競馬のパドック解説を始めた2001年。この年、開幕前に北海道競馬運営改善対策室の神谷氏と、サポーターズクラブの取材で色々と話をした流れで、パドック解説の話が出て、「あなたの馬の見方、ちょっと面白そうだから、もし可能だったら解説者として掛け合ってみますよ」と、神谷氏が話し、25歳の若造で無名の人間が、解説なんて…と思いながら2、3日経って、その話が実現する運びとなりました。 当初から解説者は、岡田繁幸氏、社台ファーム調教主任の東礼治郎氏と斉藤孝氏、馬産地ライターの後藤正俊氏でした。豪華メンバーの中に、僕が入って大丈夫なのか…と不安はありましたが、札幌開催中は2人体制で皆さんに支えられながら、喋り慣れしていきました。旭川開催になり、牧場から旭川へ行くのが辛いとなり、「もう古谷くんで良いんじゃないか」と話してくれたのが、繁幸社長でした。旭川開催中は、ほぼ出ずっぱりで、ホッカイドウ競馬の解説者として認知され、門別開催でも牧場の方々も出る日がありながら、旭川からの流れで解説者としての日数を多く頂きました。その経験が、北海道=古谷のイメージをつけ、翌年にはグリーンチャンネルからも声が掛かりました。 繁幸社長のパドック解説と言えば、血統と馬体の融合です。種牡馬の血統からの解説だけでなく、馬体の特徴を細かく説明する話術は、当時では画期的だったと思います。その年の秋、門別開催になった時ですが、ホッカイドウ競馬の広報に、ファンから電話が来ました。その内容は、「『馬産地の競馬だから、もう少し血統の話をして欲しい』というお願いが来たので、考慮しながら説明してもらえないか…」というものでした。でも、パドック解説だから、どのように話せば良いのか、色々と模索しましたが、繁幸社長が話していたようなことを、同じには伝えられないけど頑張って種牡馬を特徴立てて説明しようと心に決めました。そうなると、市場に行ってあらゆる馬を見て、クラブのツアーに足を運んで、とにかく馬を多く見て、特徴を自分なりに掴む努力をしていきました。その時、繁幸社長と知り合ったからには、ラフィアンの会員になろうと思い、2001年には会員になって、ケリーバッグの仔を早速申し込み(競走馬名はマイネフランシー)、繁幸社長のツアーでの話術で、馬をどう見たら良いかということも聞けたことは、今でも財産になっています。 コスモバルクが、クラシックに挑戦した時が2004年。この年、道新スポーツ道営担当となったこともあり、様々な経験をさせて頂きました。「弥生賞」に挑戦する前、繁幸社長から声を掛けて頂き、五十嵐冬樹騎手や田部調教師、河村清明さんらと静内で食事をしました。追い切りやレースの打ち合わせが主な内容でしたが、ちょうどシービスケットが映画でヒットしていた時であり、「勝ったら、シービスケットみたいにファンに向かって五十嵐くんがヘルメットを取って挨拶したら、感動するよなー」と繁幸社長が話し、皆で笑っていました。それが現実となり、GII勝ちながらGⅠに勝ったような喜びようで、涙を流す人たちが多かったのは、自分にとっても良き思い出です。 コスモバルクが古馬となり、思うように結果が出なくなった時、GI挑戦に否定的な声も囁かれる時もありました。その時も、取材に来るメディアに対し、「地方の関係者は、厳しい労働環境の中で頑張っているんだよ。大きな舞台に挑戦する機会が得られ、それに挑戦することに問題があるのか!同じ日本で行っている競馬なのに、国際競走と謳っていながら、海外の馬が出走できて、地方馬が出走できないっていうレースが大半なことを、君たちはもっとおかしいと思わないのか!問題提起をもっとしてくれよ!」と、強く訴えていたのも、自分の中で強く印象に残っています。ホッカイドウ競馬のみならず、繁幸社長が若かりし頃にお世話になったという、川崎の河津厩舎から、その息子さんである河津裕昭厩舎から、プレイアンドリアルやトラストなどで挑戦したのも、地方競馬からJRAへ挑戦する流れを、当たり前のようにし、地方競馬から夢を現実のものとする思いの強さがありました。少しずつ改善されているとはいえ、まだまだ課題は多い状況です。だけど、日本の競馬が、1つになることは無理だとしても、賞金を獲得している馬たちが、使いたいレースに挑む機会が、もっと増えるために、1人でも多くのメディアが強く謳っていくべきだと考えています。 そして、この20年の中で、最も大きい出来事は、「岡田繁幸のRun for the Classic」を、村本浩平さんとともに携わることができたことです。2歳戦がスタートした6月から、開催毎にコスモヴューファームに訪れ、繁幸社長とともに、パドック映像やレース映像を見ながら、放送していない部分でも色々と解説して頂き、楽しい話を1年間聞けたことは、大きな財産となりました。イスラボニータをデビューから高い評価を与え、その考えはクラシックが始まろうかという時期になっても変わらなかったのは、視聴者の方なら覚えているのではないでしょうか。そして、プレイアンドリアルが挑戦していた年でもあり、その動向を細かく説明してくれた1年でもありました。「お前が諦めても、俺は諦めない」という名言を、手拭いにして人気がありました。 話したいことはヤマほどあります。常に、ファンを大切にし、競馬を愛する人でした。ラフィアンの会報誌で、10年以上もコラムを書かせて頂き、対談も何度かさせて頂きました。2月の種牡馬展示会で挨拶をしたのが最後となりましたが、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。
2021年03月19日
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土曜日担当は園田・姫路競馬実況アナウンサーの鈴木セイヤです。先週のオフ日は日刊スポーツの松本健史記者と寄席を観に行ってきました。なんばグランド花月には何度か足を運んでいましたが、天満天神繁昌亭は初めてでした。開始から笑いっぱなしであっという間の2時間半でした。競馬場の話は特に面白かったですよ(笑)。今週の園田競馬は3日間とも薄暮レースでした。普段より2時間遅い出勤になるので朝はラヴィットを観ながらのんびり準備。9時台の電車は通勤ラッシュも過ぎているので移動も楽でした。入場門付近では「そのたん」がお出迎え。水曜日は豪雨だったけど、木曜日は晴れてよかったね。ー ー ー ー ー ー そ の だ け い ば ト ピ ッ ク ス ー ー ー ー ー ー☆嵐の祝日開催☆11月23日は勤労感謝の日で祝日開催。開門から多くのお客様が来場し、場内の飲食店も馬券売り場も混雑していました。前半レースが終了すると西側の空から不気味な雲が競馬場に接近。しばらくすると激しい雷雨になりました。7レースは返し馬が終わっていましたが、悪天候で発走見合わせに。協議の結果7レースは競走取りやめとなり全返還となりました。※11月23日(祝水)の園田競馬 第7レースの投票券はすべて返還ですので、お捨てにならないようにお願いします(注)賑わう祝日開催に水を差す悪天候となりましたが、お客様、関係者の皆様の命を守ることが最優先です。30分ぐらい経過すると雷雨は東へと遠ざかり8レースから再開となりました。メインの「いい味だしてる 淡路ビーフA1特別」はコウエイアンカが上がり36秒台の豪脚を披露し勝利。今年は佐賀のサマーチャンピオンで2着。秋の重賞は前有利な馬場傾向に泣きました。前2走の悔しさを晴らす勝利でした。この後は休養に入り来年に備えます。☆稲田厩舎 通算500勝!☆11月24日(木)の第4レースで稲田彰宏(いなだ あきひろ)厩舎が地方通算500勝のメモリアル勝利を達成!1996年の開業から地道に勝ち鞍を積み上げ、節目の勝利は厩舎所属の小谷周平騎手で決めました。グランプリシップやウォニーなど後方から豪快に差し切るレースをする個性的な馬を多数管理しています。☆名馬への登竜門 兵庫ジュニアグランプリ☆11月24日(木)のメインは2歳馬のダートグレード競走、第24回兵庫ジュニアグランプリ(Jpn2)。前日の豪雨で開催前に馬場内側全周に砂を補充。馬場状態「重」で行われました。過去にはラブミーチャン、テイエムサウスダン、デルマルーヴルが勝った舞台。昨年の優勝馬セキフウはサウジダービー2着、ユニコーンステークス2着、コリアカップ3着。2着馬のコンバスチョンは全日本2歳優駿2着、ヒヤシンスステークス1着。3着馬のプライルード(大井)は全日本2歳優駿3着。今年に入って短距離重賞2勝。4着馬のバウチェイサー(兵庫)は兵庫ダービー制覇など重賞3勝を挙げる活躍をみせています。全日本2歳優駿の前哨戦でもあり出世レースとしても注目度が高い一戦です。JRAからは無敗のトレド、エーデルワイス賞1,2着のマルカラピッド、エコロアイ。ダート無敗のオマツリオトコ。地方で2勝し中央へ移ったラブミーモナコ。レベルの高い道営からはスペシャルエックス、デステージョ。大井からジンステージが出走。各地から将来有望な若駒が揃いました。地元からは兵庫若駒賞2着のジョイブラック。バウアーズ、ジョウショートニー、スターキーが挑戦しました。今回から重賞生ファンファーレが再開。2019年の兵庫ゴールドトロフィー以来およそ3年ぶり。ブラスバンドH.B.Bの生演奏が競馬場に響き渡りました。レースは北海道のスペシャルエックスが果敢にハナを奪います。JRAのエコロアイが2番手で折り合うと落ち着いたペースになります。スタートを決めたオマツリオトコは好位3番手追走。以降はラブミーモナコ、マルカラピッド、デステージョと続きます。後方追走の1番人気のトレドは1コーナー付近で故障発生。競走中止となり場内は騒然となりました。トレドの状態が心配されます。道中3番手につけていたオマツリオトコは、外に持ち出すと前の二頭に迫ります。3角付近でさらに加速すると残り200m手前で先頭に立ちます。最後は後続に4馬身差をつける快勝で重賞初制覇。2着は逃げて最後まで渋とく粘った北海道のスペシャルエックス。3着は中団から追い上げた北海道のデステージョ。道営馬2頭が馬券圏内に入りました。※撮影 斎藤寿一氏 ※三宅アナウンサー撮影JRAのオマツリオトコはヴィットリオドーロ産駒の2歳牡馬。祖母に交流重賞8勝のプリエミネンスがいる血統です。母のマツリバヤシは2010年の兵庫ジュニアグランプリに出走し6着。12年後に息子のオマツリオトコが母の雪辱を果たしました。夏は芝の函館2歳ステークスでも好走したオマツリオトコ。幼い面を見せるなど課題もある中でダート戦は負け無し3戦全勝。来月の全日本2歳優駿でG1制覇を目指します。※撮影 斎藤寿一氏 鞍上のJRA横山武史騎手は兵庫重賞初制覇。園田は2年ぶりの騎乗でしたが、抜群のポジショニングで勝利を掴みました。★横山武史騎手インタビュー動画https://youtu.be/5T5Xu70qZ84管理するJRA美浦・伊藤圭三厩舎は兵庫重賞2勝目。2017年の兵庫ジュニアグランプリ以来5年ぶりの勝利でした。※三宅アナウンサー撮影今回初めてダートグレードの実況を担当しました。普段の重賞とは違う独特な緊張感。喉が渇きすぎてペットボトルのウーロン茶があっという間に無くなりました(笑)。トレドの競走中止でかなり焦ってしまいましたが、何とか最後まで喋り切ることが出来ました。「競馬に絶対は無い」その言葉を強く感じた1日でした。ダートグレード当日は全レースで勝ち馬を映すスーパースロー映像が流されました。昨年のJBC競走(金沢)でもされていましたね。山口シネマ様にはいつもお世話になっております(土下座)。10レースはアヴォカドが勝利し、笹田知宏騎手は復帰後の初勝利となりました。先月の落馬で一時は危ない状態でしたが、およそ1か月で復帰。所属する新子厩舎の馬で復活Vとなりました。☆山本咲希到騎手 兵庫へ移籍☆北海道所属の山本咲希到(やまもとさきと)騎手(26歳)が兵庫県競馬に移籍することが11月25日に発表されました。所属は西脇の石橋満厩舎。園田・姫路は過去2度の期間限定で騎乗。2020年11月24日~2021年1月28日の期間で15勝、2021年11月23日~2022年1月27日の期間で13勝を挙げています。今年は年間54勝。(他地区勝利数含む)盛岡の重賞、第49回南部駒賞をエイシンケプラーで勝利し同レースを連覇しています。現時点の地方通算成績:2975戦252勝。移籍日は12月1日ですが、兵庫では「移籍騎手は3ヶ月間の研修期間が必要」となっているため、騎乗開始は来年3月1日以降となります。☆次週は4日間、兵庫のGPレース☆来週の園田競馬は月跨ぎの4日間連続開催。11月29日(火)、30日(水)。12月1日(木)、2日(金)。開門時刻は午前10時です。12月1日の木曜日には兵庫県競馬のグランプリレース。第65回園田金盃が行われます。◎主な出走予定メンバージンギ(橋本忠明厩舎)エイシンニシパ(橋本忠明厩舎)ラッキードリーム(新子雅司厩舎)タガノウィリアム(新子雅司厩舎)スマイルサルファー(渡瀬寛彰厩舎)クリノメガミエース(石橋満厩舎)アワジノサクラ(北野真弘厩舎)ケンジーフェイス(中塚猛厩舎)など園田金盃初の3連覇を目指すジンギ。姫山菊花賞を制したラッキードリーム。姫山菊花賞逃げて2着のタガノウィリアム。園田金盃4年連続2着のエイシンニシパ。昨年ダービー2勝のスマイルサルファー。3歳馬のクリノメガミエースなど豪華な顔触れが揃います。※なお、出走馬は変更になる場合があります。ご了承ください。
2022年11月26日
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水曜日の担当は、坂田博昭です。 明けましておめでとうございます。 新たな年が、人々や馬たちにとって幸福な1年になるよう、心から祈っております。 この稿の新春の話題は、やはり名古屋競馬から。1月1日から開催が始まっていましたが、私は今日4日に訪れることが出来ました。 曇り空、寒空の中でも、10時の開門前からこのような行列。 正月1日2日は、この倍ぐらい列が伸びていたんだとか。 入場門では、獅子舞の獅子がお出迎え。 いつもの場所に、お正月らしさの演出のアクセント。 最初の話題は1月1日 新年最初の1レース(920m) 現役最高齢競走馬・ヒカルアヤノヒメが出走。10頭立て9着でした。 最高齢出走記録も、ついに明け19歳に突入しました。(2枚の写真ともに、愛知県競馬組合提供) 主戦の尾崎章生騎手に話を聞きました。「今回は特に馬が元気で、レースが終わった後久しぶりにキャンターで帰ってくるぐらいでビックリしました。新年から自分のレースをしてくれて良かったです。」 「こうなるともう、ヒカルアヤノヒメと(調教師試験を受けている)自分の、どっちが先に引退するかですね(笑)。勉強も難しいのですが、頑張ります。」 それは是非、ヒカルアヤノヒメより先に引退を、と申し上げておきました。 昨日1月3日 4レース 細川智史騎手がクレールフォルムに騎乗して勝利 デビューから通算100勝を達成しました。(この写真は、愛知県競馬組合提供) 今日4日には、さらに1勝を加えて101勝となり、見習騎手の減量も今開催までで終了。丁度今日100勝達成のセレモニーが行われました。 「(減量が終了となり)これからは対等の条件で戦えるので、楽しみです。先輩たちを超えられるよう、頑張ります。」 「楽しみ」と来ました。 その言や良し。この一言で、見ているこちらの方も、彼のことが一層楽しみになりました。 レース間に行われた、獅子舞の演舞 次の話題 名古屋競馬の「冠協賛レース」 絶賛実施中! こんな風に、馬や騎手と一緒に、記念撮影が出来るんですよ! 勝利騎手が目の前で書いた直筆サイン色紙が手づからプレゼントされ、大興奮の協賛者の皆さん 受け取っておられるのが、今回お仲間から誕生日を祝われた、かちはるひさん あまりにも楽しい特典の数々に、祝われたご本人も特製ゼッケンを持ちノリノリ みなさん高校の時からずっと仲良しの同級生(プラス一人は大学の先輩らしい)なんですって。みんなそれぞれの場所に散らばって暮らして、日々頑張っていて、年末年始のこのタイミングで集まることが出来るので、こういう形で誕生日を祝ってあげようってなったんだとか。 なるほど、お正月に競馬の開催があって、それがいいタイミングだったんですね。みんなでこうして盛り上がるのに。 仲間の方々で集まれる貴重な時間に、こうして競馬場を使って頂けるとか、本当に胸アツ。競馬場で過ごした時間が、みなさんの「絆」を確かめ合う機会になっていれば、こんなに素晴らしいことはないと思います。 ちなみに、この協賛レースの「首謀者」は男性陣ではなく、右から2番目の女性の方。この方が、大の競馬好きでいらっしゃるんだとか。 競馬場で集まれた記念のひとコマ 素敵女子2ショット また是非、お仲間みんなでここを訪れてください。 お待ちしています! 今日のメインレースは、新年最初の重賞・名古屋記念(1500m) 一昨年の三冠馬・トミケンシャイリや、充実期を迎えようとしているブンブンマル、力をつけてきて重賞初挑戦となったメイショウシルトといった5歳勢に加え、JRA3勝の実績をひっさげて、岩手経由で名古屋にやってきた6歳馬スズカゴウケツが参戦。充実したメンバー構成になりました。 スタートして最初のゴール板前。 予想通りエッシャーが先手を取ったその後ろ トミケンシャイリ(桃帽の芦毛)が好位を取り その直後にブンブンマル(右から2頭目赤服)やメイショウシルト(桃服)といった有力どころがつける展開になりました。 ところが…… エッシャーが3コーナーで早々に後退してしまい、トミケンシャイリが押し出されるように先頭に立つと、直後からブンブンマルも勢いに任せて上昇。他の馬たちもこれについていき、終いまで淀みのない厳しい展開になりました。 直線入り口。写真中央のトミケンシャイリが先頭 がしかし、すでに余力は感じられず。 外を回ってブンブンマルやメイショウシルトが襲いかかるが… 更にその外に、後方から凄い脚で捲り上がって来たメルト(一番外) ブンブンマルも、直線半ばでは「やったか!?」というシーンがあったのですが…外からメルトの脚色が優っていました。 メルト 重賞初制覇!! 岡部誠騎手のお手馬が差し合い、今回乗っていたのが笠松の渡邊竜也騎手。レースの前には「今年は重賞を3つは勝ちたい」と話していましたが、年の初めに早くも1つミッションクリア! 勝利騎手インタビューは、名古屋競馬オフィシャルYoutube映像でご覧下さい。「12月初旬のレースを競走除外になったときが一番出来が良くて、前走はそこまでではなかったけれども強い競馬。前走を勝った後すぐに、このレースへの挑戦を決めました」 …と話す、角田輝也調教師「メンバーは粒ぞろいだったけれど、飛び抜けたライバルも見当たらなかったので、メイショウシルト(結果3着)とこの馬、どちらもチャンスはあると思っていました。勝ったメルトに関しては、まだこれから自在性というか、レース振りに幅が持てるようになっていく必要があると思っています。当面は東海桜花賞(4月)を意識しながら、それまでに使うレースを見極めていきます。」 最後には、笑顔でこう話しました。「まあ何より、年の最初の重賞を勝てて、こんな気持ちいいことはありません。」 やっぱり、正月って、そういう季節ですよね。 物事どんなことでも、やっぱり初手が肝心。 その意味では、見ているこちらも気持ちいい綺麗な差し切り、実に痛快なレースを見せて頂きました。 明けて4歳。まだまだ伸長が見込めるメルト。 その動向から目が離せません。 みなさま、今年もよろしくお願いします!
2023年01月04日
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昨日、JRAの年度表彰式典であるJRA賞にお邪魔してきました。 表彰の中で、受賞馬が展開してきた数々の戦いのシーンが思い出されるにつけ、そんな馬たちの素晴らしい活躍の姿と、昨年一年間をそんな馬たちの姿を見ながらスゴしてきた自分と、そういったものが一気に頭をよぎって、そして過ぎ去っていきました。 過去を振り返りつつ、一つの区切りをつけて、また未来に向かっての期待に包まれる。やはりこうしたイベントというのは、毎年のことでも必要なものだと感じますし、毎年同じようでも、同じように感動を味わうことが出来るものです。 2月4日には、都内でNARグランプリの表彰式も行われます。地方競馬でも数々の馬たちの活躍があり、恐らくその式典の場は、そんな感動のシーンを一つひとつ思い起こす貴重な機会になるのではないでしょうか。 今年は残念ながら取材に出かけることが出来ないのですが、受賞馬のリストを眺めながら、また春以降の新たなドラマに思いを馳せたいと思っています。 さて、その昨日の夜。 表彰もさることながら、その後の記念パーティの席では、お集まりの様々な方々にご挨拶&情報交換。丁度、今回の受賞馬のうちの何頭かが、春の目標の一つにドバイを掲げていたことから、そんなドバイの話も会話の中ではそこかしこに出ておりました。 とりわけウオッカがドバイワールドカップを目指すという話になり、そういえば新しいメイダン競馬場はダートからオールウェザーに変わるんだよねという話になり、更にメイダンのオールウェザーはタペタって素材なんだよねと。 タペタってのは、多くの方々にとってはまだ聞き慣れない名前かも知れません。 タペタってのは、これなんですわ。 見てもようわからんと思いますけど(笑)。 美浦・栗東両トレセンで使われているポリトラックが… …こんな感じですから、質感なんかは大分違うような気がしますけど。 安全性が強調されている人工馬場ですが、いざレースとなれば、どんなレースになるのか、どんな馬が向くのかということが重要になってきます。 そんな事がわかるかな?と思い、タペタトラックの開発元のHPを訪問してみました。 しかし… なんもわからん! レースを行う競馬場のトラックで使われているのが、アメリカで2ヶ所ということはよくわかったのですが、安全性が大きなテーマということで、レースでどうというのはあまり強調されていないようですね。 一方、アメリカで採用している競馬場のうちの1ヶ所、ゴールデンゲートフィールズ競馬場のサイトで、タペタトラックでの調教時計を見ることが出来ます。 ザッと見渡したところ、3ハロンで36秒台の時計も頻発しているようですし、4ハロンは47秒台という馬もざら。やはり、かなり時計が出る馬場であるというのは、他の人工馬場の特性と変わらないようです。 ただ、時計の掛かり具合と力の要し具合は、全くイコールと言うことでもないでしょうから、その辺は実際に走っての感触も知りたいところです。 これから、メイダンでのインターナショナルカーニバルのレースが進むにつれて、そうしたことも明らかになってくるのかも知れません。 ウオッカにとっては3度目のドバイ遠征。場所自体は慣れたものなのかも知れませんが、今回はまた馬場という新たな課題にも直面することになります。日本から遠征する馬たちにとっては初めて走るタペタでしょうから、そういったところにも注目して、応援していきたいところですね。
2010年01月26日
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日曜日担当の高橋華代子です。 台風18号と強風の影響で、高知開催も3レース以降は取り止めになってしまいました。 被害が出ないことを祈ります。 さて、先日の東京記念では、東京ダービー馬バルダッサーレ(大井・中道厩舎)が脚部不安からの久しぶりの実戦で、楽しみにしていた方も多かったと思います。 しかし、左前ざ石のために出走取消となりました。本当に残念。 その数日後、厩舎におじゃましました。 中道調教師のお話しでは、もう馬自体は元気で、10月3日の準重賞ムーンライトカップ(大井1600m)に向けていくということでした。 自分も体調が悪い時にカメラを向けられるのは嫌なので、馬に対しても撮らないのですが、今は元気になっているということだったので、写真を撮らせてもらいました。 おやつの乾草をむしゃむしゃ食べていました。 バルダッサーレとコンビを組むことになっていたのが、御神本訓史騎手。 御神本騎手は厩務員の間、バルダッサーレの追い切りに騎乗していたんですよね。 (その頃の中道厩舎は小林分厩舎にあったんですが、今は大井競馬場にお引越ししています) このコンビでレースも見てみたかったですが、この後のお楽しみにしたいと思います。 御神本騎手は9月11日に復帰後初勝利と2勝目を挙げ、この大井開催は通算5勝を挙げました。 制限していた騎乗数もだいぶ増えてきました。 復帰したばかりの時は、「レース勘も早めに戻りそう」(御神本騎手)と。 数日前に聞いた時は、 「だいぶ戻りました」(御神本騎手)といううれしい言葉が返ってきました。 復帰した頃は、前より鐙が長く重心も後ろだったそうですが、 この数日前から、鐙の長さも戻り、重心もだいぶ戻ってきたそうです。 「(復帰後初勝利は)競馬の内容的にはいいものではありませんでしたが、馬に助けられて勝たせてもらいました。2勝目は自信を持って乗ることができました。 初勝利を挙げられたのはとてもうれしいことなんですが、それよりも、これから先のことを考えていきたいです。レースに向かうためのプロセスなども大切に考えていきたいですね」(御神本騎手)。 やっぱり、はながあるんですよね~☆ 明日18日に中山競馬場で実施されるセントライト記念にはブラックロード(船橋・矢野厩舎)とともに参戦。 この日は全部で7鞍騎乗です。 来年の南関東騎手リーディング争い、どんな展開になっていくのでしょうか。 ワクワクドキドキ(*^-^*)
2017年09月17日
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木曜担当のよこてんです。 7月30日の第12Rの騎乗をもって齋藤雄一騎手が騎手を引退、調教師に転身しました。騎手としての通算成績は9853戦1078勝でした。★ラストランとなった7月30日の第12R南昌山賞。パートナーはシーザーバローズ 引退セレモニーの時に山本聡哉騎手が「俺、30ですよ・・・」と言いつつ齋藤雄一騎手を見つめておりました。 そうか。兄の山本政聡騎手が33歳になったばかりで年齢では齋藤雄一騎手と同じなんですね。山本政聡騎手も山本聡哉騎手も今まさに脂が乗ったバリバリの頃だよな・・・と思って見ると、齋藤雄一騎手の転身の“早さ”を改めて感じたりしますね。★引退セレモニーにて記念写真 しかしながら、現調教師の皆さんから見ると案外そうでもないようです。というのも以前は30代で調教師に転ずる騎手が珍しくなかったんですよね。 例えば新田守調教師。「俺も調教師になったのは若い時だったぞ」と言われていましたが、調べると確かにそうで34歳で調教師デビューしています。 現役最後の頃までリーディングトップを争いながら全盛期に騎手を引退した村上昌幸調教師も34歳に転身。伊藤和調教師は35歳、菅原右吉調教師も35歳ですね。齋藤雄一騎手の師匠である小西重征調教師は調教師としての初出走日が36歳の誕生日だったので、転身した時点では35歳ということになります。 石川栄調教師は37歳、平澤芳三調教師も37歳。佐藤浩一調教師は38歳。畠山信一調教師は39歳。板垣吉則調教師が37歳で騎手を引退した時には「早いなあ」と思ったものでしたが、それくらいで調教師に転身した騎手はたくさんいたというわけですな。 ちなみに菅原勲調教師は48歳、小林俊彦調教師は50歳。佐藤雅彦調教師や鈴木七郎調教師が40歳、三野宮通調教師は41歳、関本浩司調教師が43歳で転身されています。 では齋藤雄一騎手より若くして転身した騎手はいなかったのかというと、これがおられるんですねえ。 村上実調教師は32歳で調教師デビュー。佐藤敏彦調教師も32歳です。もっと若い方は、記録で分かる分では佐々木恒元調教師。調教師デビューした時点で31歳と2日。小野寺敏元調教師も同様に31歳と7ヶ月でした(※これらはいずれも調教師デビュー日基準)。 こうした年齢は地全協のデータベースあるいは岩手競馬が過去に出版していた記録誌などで分かる範囲のものですので、記録類が整備される以前にはもっと若くして騎手から調教師になった方もおられたかもしれません。20代のうちに調教師になっていたという方も、もしかしたら・・・。 続いては5回盛岡開催終了時点の騎手・調教師リーディングの動向です。 本当は次の6回盛岡開催終了時点がシーズンのちょうど半分になるのですが、その辺はクラスターカップ直後だったり変則開催が続いたりで慌ただしいので今のうちに触れておきます。 まず騎手リーディングTOP10、7月30日終了時点から。■第5回盛岡競馬・7月30日終了時点の騎手リーディングTOP101-山本聡哉 364戦(92-63-45-164)勝率25.3% 連対率42.6%(96↓)2-村上 忍 398戦(81-52-56-209)勝率20.4% 連対率33.4%(77↑)3↑山本政聡 389戦(46-52-54-237)勝率11.8% 連対率25.2%(48↓)4-菅原俊吏 361戦(43-41-45-232)勝率11.9% 連対率23.3%(50↓)5↑齋藤雄一 363戦(41-43-41-238)勝率11.3% 連対率23.1%(16↑)6↑菅原辰徳 394戦(40-31-42-281)勝率10.2% 連対率18.0%(20↑)7↑鈴木 祐 383戦(40-28-36-279)勝率10.4% 連対率17.8%(28↑)8↓高松 亮 306戦(38-35-39-194)勝率12.4% 連対率23.9%(64↓)9↓阿部英俊 350戦(31-43-35-241)勝率8.9% 連対率21.1%(38↓)10-小林 凌 385戦(31-34-45-275)勝率8.1% 連対率16.9%(27↑) 順位の横の矢印は昨年同期(2017年の5回盛岡終了時点)比での順位の上下、右端のカッコ内は同じく勝利数の上下となります。 現1位の山本聡哉騎手と2位の村上忍騎手は、山本聡哉騎手が4勝減で村上忍騎手が4勝増と奇しくも白星4つ分が移動した形です。 興味深いのが3位以下で、山本政聡騎手は2勝減っているんだけども順位は上昇、菅原俊吏騎手も7勝減っていて順位は横ばいとなっている部分。 この辺は、例えば昨年のこの時期に16勝だった齋藤雄一騎手が今年は41勝を挙げていたり、あるいは20勝だった菅原辰徳騎手が40勝と倍増させていたり、はたまた昨年はこの時点で35勝していた高橋悠里騎手が今年は韓国遠征で不在だったりの影響でしょうし、既に26勝を挙げている新人・岩本怜騎手の存在の影響もあるでしょう。 昨年の山本聡哉騎手は6回盛岡競馬前半で、村上忍騎手は秋の7回盛岡競馬前半で、それぞれ100勝突破しました。今の感じだと山本聡哉騎手は1開催遅れ・村上忍騎手は一開催早くの、それぞれ100勝突破になりそうです。 続いて調教師リーディングのTOP10。■第5回盛岡競馬・7月30日終了時点の調教師リーディングTOP101-板垣吉則(水沢)260戦(46-38-44-132)勝率17.7% 連対率32.3%(52↓)2↑飯田弘道(盛岡)234戦(36-42-31-125)勝率15.4% 連対率33.3%(20↑)3-千葉幸喜(水沢)134戦(29-12-14- 79)勝率21.6% 連対率30.6%(33↓)4-櫻田康二(盛岡)199戦(28-23-21-127)勝率14.1% 連対率25.6%(31↓)5↓村上 実(水沢)220戦(25-17-24-154)勝率11.4% 連対率19.1%(41↓)6↑小西重征(盛岡)206戦(24-21-26-135)勝率11.7% 連対率21.8%(16↑)7↓晴山厚司(盛岡)220戦(23-22-22-153)勝率10.5% 連対率20.5%(26↓)8↑佐藤雅彦(水沢)156戦(23-21-16- 96)勝率14.7% 連対率28.2%(18↑)9↓伊藤 和(水沢)215戦(22-30-32-131)勝率10.2% 連対率24.2%(24↓)10↑菅原右吉(水沢)257戦(22-23-29-183)勝率8.6% 連対率17.5%(18↑) 板垣吉則調教師が首位をキープしているのは変わらずとして驚かされるのが飯田弘道調教師の大活躍です。昨年同期に対し16勝増。ちょうど先週、板垣吉則調教師が6勝もの固め打ちをしたことで勝ち星数の差が開いたところなのですが、それまでは1位2位の差は3勝~6勝の間。春の盛岡開催の時には飯田弘道調教師がトップに立っていた期間もありました。 ここに来て少しずつ差が拡がってきている気配ではありますが、飯田弘道調教師がどこまで食らい付いていけるか?はこの先も注目。 とはいえ調教師リーディングは激戦です。3位の千葉幸喜調教師はここ3開催ほど勝ち星が少なかったために離された格好ですがそれまでは2位飯田弘道調教師に僅差でしたし、それは4位櫻田康二調教師も同様です。 TOP10に入ってくるような調教師は、1週6勝とまではいかないまでも2勝3勝くらいの固め打ちは普通に有り得る厩舎ばかり。まだしばらくは毎週のように順位が変動するのではないでしょうか。
2018年08月02日
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日曜日担当の高橋華代子です。 今日の関東は冷たい雨が降り続いております。 この週末は小林牧場取材を入れたかったので、昨日と今日のどちらで行こうかなと思っていたのですが、小林牧場は短期のリフレッシュ放牧気分も味わえる素敵な場所なので、晴れている昨日行ってきました(^^)/ ここでは、小林牧場にお住いのたくさんのお馬さんたちのフォトを中心にご覧頂きましょう。 先ほど3月6日に実施するフジノウェーブ記念(大井・1400m)の枠順が発表されました。出走馬16頭中、小林からは6頭も登場します。 荒山厩舎は3頭出し! 鎌倉記念の勝ち馬で前走の1400m戦がとても強かったリコーワルサー↓ ワルサーは少し前からカメラを向けると、ちゃんとポーズを撮ってくれるようになりました(^^) ハイセイコー記念の勝ち馬トロヴァオ↓ お水を大量に飲んでいるところをパチリっと(^^) 去年のフジノウェーブ記念は移籍初戦で2着だったオメガヴェンデッタ↓ 金山厩務員と午後のお散歩中(*'▽') 優駿スプリントの覇者クルセイズスピリツ(大井・荒井厩舎)↓ 中央7勝馬アルタイル(大井・堀厩舎)は前走の多摩川オープンで2着になり、まだまだやれることを示したばかり。↓ 中央4勝馬で移籍初戦となるのがマッチレスヒーロー(大井・橋本厩舎)↓ 担当の高田厩務員は数年前にこのコーナーで橋本厩舎厩務員募集をした際、ちょうど応募して合格した方なんだそうですよ。高田厩務員にとって重賞初挑戦!記念にパチリ! マッチレスヒーローさんのあごっぱりがすごかった(*^_^*) 友情出演ですが、マッチレスヒーローの目の前には、サングラスポテトがいました。名前もかわいいけど、お顔もかわいい。 性格を聞いてみると、外では大人しいそうですが、お部屋の中では元気なタイプだそう。ご飯は残したことがないくらいに食欲旺盛な仔だそうですよ。 田中厩舎には、アジュディミツオーの代表産駒候補のアジュディカグラがいます。西啓太騎手を背に目下3連勝中!!!この上半期最大目標が優駿スプリントだそうです。ほんと、楽しみな馬が出てきました! この世代のミツオーっ仔は、アジュディカグラとネコシリーズの2頭。その数少ない中から、こういう仔が登場してきたということに感動しますね。。。 アジュディカグラについては、まだ別のメディアなどで紹介させて頂こうと思っています。ちょっとねっとりした感じの目つきが、ミツオーパパに似ているような?!(^^) こういうのも、すごく楽しい瞬間です。競馬の魅力のひとつ! 田中厩舎には重賞戦線に出走しているペイシャゴンジセもいます。↓ 田中厩舎に初勝利をプレゼントしてくれた厩舎の功労馬ワタリセイユウもいました。気は強いけど、レースでは気まぐれさんという……。おとぼけ具合を出さずに全力で走ったら、どのくらい強いのかな?! おじいちゃんがタマモクロスの芦毛というのもたまらんですね。 若い頃に比べたらものすごく白くなっていてびっくりしました。 白くなったと言えば、オニパンダ(大井・小野寺厩舎)も、若い頃に比べるとすごく白くなりました。ちょうど通路を移動している際にあまりにも白い仔がいたので、「どなたですか?」と厩務員さんに聞いてみると、「オニパンダ」と。 おぉぉぉぉ、小林牧場にやって来てブレイク中の山崎良騎手と2連勝している馬ではありませんか!!!ちょうどお食事中だったので、お口をモグモグしているところ↓ 大トリは、小林名物?!番猫さんたちに締めて頂きましょう。 開催に向けて、番猫さんたちもしっかりスタンバイ。チビ番猫も仲間入りしていました(^^)
2019年03月03日
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木曜担当のよこてんです。 姫路競馬再開、おめでとうございます。おめでとうと言うのも変か?でも実質的に久しぶりの“新競馬場”オープン。SNSのタイムラインにも現地からの楽しそうな投稿が多く見られて何よりです。 京都に住んでいた頃は園田にはちょいちょい通っていましたけども姫路はちょこっと行くには少し遠くて、実は一度も行ったことがありません。そうこうしているうちに岩手に来てしまったし姫路競馬も工事休止になってしまったので寄る機会がないままで。もうちょっと落ち着いた頃に行ってみよう。 時に、1月17日は阪神大震災が起きた日ですね。 1995年のその時、実家の親が京都の自分の家に来ていまして、17日の伊丹発の飛行機で帰る予定だったんですよ。京都市内は全く平穏そのものでしたが鉄道もバスも動いていない。ただ、翌日になれば阪急が動き出すから、ということを聞きつけて、慌てて街中の旅行代理店に行って予約を変更したりして。 翌18日に大阪に出ました。空港行きのバスを待つ間に駅の近くでお昼でも、と探したのですが、どの店も開いていない。普段なら他の人を避けずには歩けない梅田の地下街も、東大通の商店街も、歩いている人がほとんどいない。真っ昼間にあんなガランとした梅田の周辺を見たのはあの時だけです。 その阪神大震災から25年も経ちました。当時神戸に住んでいて震災を生き延びた友人の中には、既に自分より先に世を去ってしまった人もいます。 震災の日の京都の、人通りが少なくてガランとした河原町の通りにパチンコ屋の音楽ばかりが響き渡っていた光景。あるいは普段の深夜よりも人気が無かった梅田の街の光景。今でもはっきりと記憶に残るあの時を思い出すにつけ、時間が過ぎる速さを改めて感じさせられます。 さて、今回は数字のお話。岩手競馬の1月7日までのシーズンの発売額が360億円を超えた、というところから始めましょう。■2019シーズンの発売額は360億円。21世紀最高額突破も夢ではない 平成に入った1990年頃には700億円にも迫った岩手競馬の発売額でしたが、その後は後退基調が続いて2002年(盛岡での最初のJBCが行われた年)は442億円、廃止問題で揺れた2007年には233億円に。そして東日本大震災が発生した2011年には146億円にまで減少しました。 しかしそこからは上昇基調に入り、2014年、二度めのJBCが行われた年に252億円、翌年は反動で一旦下がったものの2016年には264億円まで上昇。そして2019年が360億円超えが確実になっていますので、その2016年よりも100億円ほど増加した・・・という事になりました。“21世紀最高”は2001年の457億円。来シーズンはその突破が、21世紀最高の更新も夢ではないところまで来ました。岩手競馬的な“失われた20年”もようやく克服できそうな手応えです。■しかし他主催者と比較するとかなり心もとない 売上が伸びることは良い事です。良い事ですが、他地区の状況に目を向けると安穏としていられないのが分かってきます。★表1/地方競馬各主催者の年間発売額推移(単位:億円)★表2/同、1日あたり発売額の推移(単位:億円) この表の数字はNARウェブサイトで公開されている「地方競馬開催成績」から暦年(1月から12月)の成績を過去5年間で比較したものです。岩手は年度で発表するので若干の差異がありますが、「2019年度」の数字がまだ分からないのでここでは暦年の数字で表を作っています。★表3/年間発売額の伸び率★表4/1日あたり発売額の伸び率 この辺は、元々の発売額のマスが大きい南関東の主催者だと大きめの数字が出にくいという事を念頭に置いて見ていただけたらと思います。また、2015年の数値を出したいので2014年の数値も使っております。 岩手競馬は2015年から2019年で年間約127億円・1日あたり1.35億円が増加してはいますが、他の主催者のそれと比較すると心もとないですよね。 伸び率にしても他の主催者が15%増・20%増を普通に出しているのに岩手はまだそういう年がありません。 以前にもこのブログで触れましたが、年間伸び率の10%と15%、15%と20%の差は利子の違いのようなもので、あっという間に差が付いていきます。つい最近まで年間100億円以上の差があった門別や帯広にいまや追い越されそうなのはこの伸びの差の部分の影響です。■“ナイター化”の流れに乗り遅れたのが要因ではないか★表5及びグラフ/2014年を1とした時の年間発売額の伸び★表6及びグラフ/2014年を1とした時の伸び・1日あたり発売額 表とグラフを見比べていただきます。高知の伸びがダントツですね。岩手は、2014年がJBCの影響で高めに出ているので数値上不利になる部分がありますが、それでも年間発売額の伸びで全主催者中最下位です。 1日あたりにしても、元々が大きいために伸び率が小さくなる南関東4場以外では下から2番目。 細かい数字が多くて申し訳ないですがちょっと見ていただくと、岩手の数値の中で2016年と2017年の伸び率が悪いのがおわかりでしょうか。去年や一昨年も決して良いとは言えないですが、この2年がダントツに低い。 これはおそらく“ナイター化”の流れに乗り遅れたせいではないかと想像します。 門別と高知が通年ナイター化したのが2009年、園田の「その金ナイター」が2013年。船橋競馬のナイター化が2015年。この表の中で目につく伸びを見せているのはこれらの主催者です。 岩手にしても実質的に秋シーズンだけの照明利用ながらも、2018年以降の発売額には好影響が出ています。 JRAと競合する週末は特に「地方競馬はナイター」という認識が定着したのがこの2016年・2017年頃ではないか?何度か計画の俎上には上がりながらも照明設置が遅れた岩手はこの2年間で出遅れたのではないか?というのが容易に想像できる比較になっているのではないでしょうか。■売上増が望めるのであれば恐れずナイター化に舵を切ってもいいのではないか 週末に限れば帯広と高知がナイター開催をしており、佐賀もこれに加わるでしょう。そのうえ“パイ”が残っているのか?は当然心配な事項です。 ただ、岩手競馬とJRAの開催が重なる土日、早い時間帯の岩手は1レースあたり1000万円とか1500万円とかしか売れていません。それがJRA終了後の時間だと、重賞でもなんでもない一般戦でも4000万・5000万と売れるわけです。 高知なんかも同様です(引き合いに出して申し訳ない)。JRAとかぶる時間帯は1000万円を下回ったりする。これだけ売上が伸びている今でもです。そして遅い時間ほど増えていく。 高知で一番売れるのは最終レースだったりします。つまりその日の最後のレース、「最後のひと勝負」を狙うファンが殺到する。岩手がより遅い時間帯にレースを移すにしてもそんな「当日最終」を獲れなければ、高知のような伸びは望めないでしょう(ミッドナイト競馬とかまでいけば別かもしれませんが)。 しかし、今の土日の1R・2Rで足して3000万円も売れないのが、例えば全体に1時間遅くすることで(遅い時間のレースが増えることで)5000万・6000万に変わるとすれば、岩手的に“負け”では無いと言えるはずです。物足りないかもしれませんが今よりは増える。 開催がかぶる点についても、考えてみてください。かつてJRAが3場同時発売を始めた頃は「同時に3場なんか慌ただしくて買えない」という声が多かったのが、いまや「2場では少ない・物足りない」といって3場開催が待ち望まれるくらいではないですか。 岩手の場合は冬季間のナイターは非常に厳しいでしょうから、さしあたり春秋のJRAG1シーズンに“できる限り遅めの時間帯まで展開”という事にして、なんとなれば1~2年間の試行という形でも良いと思います。真夏の間は完全ナイターにもして、東北の夏祭りを見に来た観光客に「さんさの後は岩手競馬を」というアピールをする・・・というのも良いんじゃないでしょうか。■体力をつけるために少しでも“稼ぐ”事を 少しでも稼いだほうが良いと思うのは、構成団体からの融資返済ももちろんですが、これからの競馬は「働く人集め」が重要になると考えるからです。 例えば騎手不足は慢性的ですし、厩舎で働く厩務員さんなんかも現時点ですでに高齢化が進んでいる。 それは岩手に限らないでしょう。「働く人が足りなくて競馬開催が満足にできない」という状況になってしまうのもそんなに遠い将来の話では無いのではないでしょうか。 それに対しては賞金・手当の増額も重要ですが、例えば古い厩舎を建て替える、ウォーキングマシンやトレッドミルを導入する事で労働環境を改善したり、古くなった宿舎や関係施設を改築改修する事で“働いてみたい環境”を作っていくことも重要だと思います。もちろん“馬を預けたい環境”もです。 今の岩手は「ここに馬を置きたい」「ここで働きたい」という魅力に欠ける。ただでさえ常時輸送競馬で拘束時間が長くなるわ、冬は寒いわ、冬休みがあって収入が減るわでハンデが大きい競馬場なのですから、他以上の魅力がないと人集めで負けてしまいます。 ナイター化で、あるいは薄暮延長でも良いのです。売上を伸ばせる可能性があるのならそれをとって、売上を増やして体力を付け、岩手競馬の魅力に変えていく。そういう明るい未来が見える2020年になってほしいと願います。
2020年01月16日
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火曜日担当の太田です。ばんえい競馬令和3年度の開催が終了いたしました。過去最高を更新する500億円を超える売り上げとなり、これもファンの皆様のおかげ、本当に感謝申し上げます。一時は1日の売上5000万を切るようなときもあったことを考えると、この数字は夢のようです。これからもこれに驕らず、一層ファンの皆さんに楽しんでもらえるように、頑張っていかなければと改めて思った次第です。新年度からのばんえい競馬も皆様引き続き、何卒よろしくお願い申し上げます。正直最終週はいつも以上にバタバタとした週でした。まずは、土曜日の2レースから5レースまでの取りやめについて。映像配信システムのトラブルとのことでした。この日は大雪の予報が出ており、前日からもしかすると中止になるかもしれないという話もありました。雪は降りましたが、何とか開催にこぎつけてよかったよかったと思っていたところのトラブル。皆様には本当にご迷惑をお掛け致しました。特に雪の中本場にお越しの方には、寒い中お待ちいただくことになり、最後まで残ってくださった方には、本当に感謝申し上げます。イレギュラーな開催となりましたが、レース中断終わりの第6レースのパドック前から、今季最後のばんスタ延長戦が行われました。この日ゲストには目黒貴子さん。これまで延長戦のゲストはリモートでのゲスト出演でしたが、今回は初めて、競馬場にお越し頂いてのゲスト出演。しかしながら、ここでもイレギュラーなことがおこっておりました。本来羽田から帯広空港に飛んでくる予定でしたが、雪の影響で前日に欠航が決定。一か八か千歳周りで帯広へ向かうことに。たとえ千歳についたとしても、公共交通機関の欠航で、帯広へ向かうことができるかどうかという所もありました。遠回りになりましたが、無事帯広に到着することができて本当に良かったです。また、雪の影響で帯広の開催自体が中止になる可能性もあり、とりあえず向かってくださったわけなのですが、無事開催が行われることになったので、本番までに到着でき、胸をなでおろしました。関係者の皆さん本当にありがとうございます。さて、そんなバタバタとする中、今回の延長戦は「あなたが選ぶベストレース」ということで、多くの皆さんにご応募頂きました。ありがとうございます。今季も本当にいろいろなレースがありましたね。皆さんそれぞれ想いがあるかと思います。すべてご紹介は出来ませんでしたが、メールで熱い思いがひしひしと伝わってきました。一番応募の多かったベストレースは、銀河賞でした。ヤマトタイコーに騎乗の渡来心路騎手が重賞初制覇を上げたレース。その後の渡来騎手の活躍はご存じの通り。11年目でようやく重賞初勝利でしたが、ばんえい菊花賞、ドリームエイジカップ、ばんえいオークス、黒ユリ賞とポンポン重賞制覇。あれよという間今季重賞5勝。すごいですね。近年の活躍から、いつ重賞勝利してもおかしくはなかったのですが、今季の渡来騎手のブレークは印象的でしたね。今季延長戦お楽しみいただき、本当にありがとうございました。また、来季も延長戦を配信する予定です。皆様ぜひまたご視聴ください。また、何かこんな企画してほしいというものがありましたら、メールをお寄せいただければと思います。頂いたメールも参考にしながら企画を考えていきたいと思っております。翌20日は今季最終日。ばんえい記念デー。本当に多くのゲストの皆さんにお越しいただきました。楽しいトーク。面白かったですね。そして、内輪のことで申し訳ありませんが、最後は今季でばんスタMC卒業の田中亜紀さんと江畑咲良さんの挨拶。涙涙だったようで。私は取材中でいなかったので、涙のシーンは見れませんでした。涙といえば、2年前卒業した堀越君を思い出しますね。田中亜紀さんは、十勝青空レディーというキャンペンガールを務めていた相方、ばんスタMCの金谷未来さんの紹介でばんスタの一員になりました。番組をご覧の方はご存じだと思いますが、テレビそのままの明るさと面白さで、ファンにも人気でした。クリスマスなどのコスプレを始めたのも亜紀さんでしたね。ばんスタを面白くしてくださいました。ホッカイドウ競馬のMCもお手伝いくださり、いろいろとお助けいただきました。江畑咲良さんは、帯広畜産大学の学生で今年無事卒業。先輩の堀越宏基君の紹介でばんスタの一員に。しっかりしているようで、時にあれっというぐらいの天然を発揮。そこが彼女の愛されキャラ、妹キャラというのでしょうか。画面の向こう側にも伝わっていたのではないかと思います。そして、堀越君から続いている学生MCをちゃんとつないでくださいました。今、徳田新之助君がそのあとを継いでくださり、また、もう一人デビューに向けて練習中です。お二人には感謝しかありません。本当にありがとうござました。新たに歩む人生、お二人を皆さん暖かくお送りいただければ幸いです。そして、チャンスがあれば、また戻ってきてくださーい(笑)慌ただしく、あっという間の最終週でした。次年度開幕までおよそ1か月。すでに来年度準備で動いておりますが、少しだけ英気を養い、また、次年度へと向かっていきたいと思います。
2022年03月22日
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関東地方は今日も快晴。全国的に大荒れの天気となっているようですが、美浦はお湿り程度の雨もなく異常なほどに乾燥しております。もちろんこの時期に大雨や大雪に見舞われるよりは救われているのですが、この乾燥もなかなかお馬さんたちにはやっかいなものです。人間も水仕事などが多い方はこの時期手の皮が硬くなり、ひどくなるとパックリと割れ激しく痛むことがありますよね。お馬さんたちの脚元にも同様のことが起こるのです。激しい調教の後など、大きな負担のかかった腱や骨に激しく熱を持つため、流水を使ってアイシングを施します。当然冷水といえども若干は皮脂も取れてしまいます。それが連日繰り返されたところに、この極度の乾燥状態が続くと、人間の手と同じ乾燥肌になり硬くなった皮膚が割れ痛みます。そこにきて、調教馬場に使われているウッドチップも乾燥が激しくなり、パサパサ。お馬さんたちの脚元の皮膚に刺さってきます。あっ、みなさんお馬さんが調教や競馬などで走るとき、蹄だけが地面と接しているって思ってますよね?実はクッションの効いた馬場になればなるほど、蹄のやや上にある球節と呼ばれる関節も地面に擦りつけられてしまうんです。球節の作りが極めて柔らかくスナップの効いた走りをするお馬さんなんて、球節の裏側の皮膚がベロッと剥がれ、激しく流血して競馬から帰ってきます。一般的に「クモズレ」と呼ばれるのですが、ひどいものになるとバンテージを巻いてもその下の皮膚が破れてしまいます。このようなお馬さんたちにはクッションの良いウッドチップは逆効果。ましてや脚元とウッドチップの乾燥が激しくなるこの季節はなおのことなのです。じゃあポリトラックやダートで調教すればいいじゃないとなりますが、冬場のポリトラックは含まれた油分が硬くなり、多くのお馬さんたちが走って踏み固められるとどんどん硬い馬場へと変化してしまいます。ポリトラックを使用するときは、他のお馬さんが走っている蹄音を聞いて、大きな音がしていたら硬いと判断し利用することを控えます。ダートは不凍剤を使用して管理されていることもあり、ほぼ一年を通して良い状態が保たれているのですが、砂の下にある地盤の堅さはどうすることもできないので、やはり多用すると骨に響いてくることが多く、ソエを発症するケースが増えてきます。このように冬場の調教馬場選びは暖かい季節に比べ一苦労。さらにはこのような乾燥が続くと、呼吸器への影響もあるのではないかとの獣医さんからの指摘もあります。当然のどは粘膜ですし、その奥にある肺も乾燥に強いものではありません。この時期「鼻出血」・・・つまりは運動誘発性肺出血が多くなっているとの声も耳にします。極度の乾燥によって肺胞の空気と触れる部分が硬くなり、割れやすく出血を起こしやすいのではないかと。この超乾燥状態から早く抜け出せることを切に願うばかりです。
2011年01月31日
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先週もこちらに書かせて頂きましたが、今週もその続きです。 あっ。竹之上さん、コメント読みました!この仕事をしているのに極度の人見知り&場所見知りのために、緊張してしまうもので……。でも、次に園田競馬場へおじゃまする際はご連絡させて頂きますね。タコ天もまた食べたいし(^.^) あと、ツイッターのアカウントは???次のコラムで教えてください。 そんな訳で兵庫県にある姫路競馬場に行ってまいりました。 姫路と言えば、姫路城。 今は姫路城大天守保存修理期間中のために、こんな感じでした(^^ゞ わたしは時間がなくて観光はしませんでしたが、修理期間ならではの観光もあるみたいです。詳しいことは姫路市のホームページで確認してくださいね。この時期だけなので貴重かも。 姫路駅を姫路城側の出口から歩いて5分くらい?の所のりそな銀行前に無料バス乗り場がありました。時間などは園田&姫路競馬場のホームページで確認してください。無料バスに揺られて15分ほどで姫路競馬場に到着!!! 入場しようと思ったら、すぐ近くに、1400mのスタート地点がありました!緊迫した瞬間をこっそり?覗けて、かなりお得な気分(^.^) 姫路競馬場は1周1200mの右回りコース。4コーナーからゴール板までの距離は230m。フルゲートは12頭です。ものすごく明るい雰囲気できれいな競馬場です。 南関東の卒業生たちをじっくり見たくって、ほとんどパドックにはりついていました。 手書きの出走表がとても味わい深かったんですが、さらに文字がとてもキュ~ト。↓ スタンドのゴール寄りの階段を上がってみると、こんな素敵なスポットを発見\(^o^)/ 装鞍所も見えるし、パドックからコースに向かう馬たちが上から眺められちゃう場所がありました。こういう裏側を覗けちゃうのってうれしいですよね(*^_^*) コースよりもお客さんエリアのほうが高くなっていて、とても見やすかったし写真も撮りやすかったです。コースがすごく近いので、よりスリリングなレースを観戦できました。 そんな訳でお楽しみの南関東卒業生。 大井デビューのナムトラオー(兵庫・黒田厩舎)↓ 大井デビューのフラッグハンター(兵庫・三宅厩舎)↓ 大井デビューのキセキノカゼ(兵庫・溝橋厩舎)↓ 船橋デビューのハイベットタイム(兵庫・黒田厩舎)↓ 4頭とも南関東でデビューして、長きに渡って南関東を盛り上げてきた面々です。ここでは紹介しきれないくらい、他にもたくさんの南関東卒業生たちがいて感動しました。これからもいつまでも元気に過ごして欲しいと思います。同じ南関東卒業生サンポウについては前回のコラムに書かせて頂きました!(こちら) さて、今回は姫路にある日本で唯一?というキティちゃんカフェに行くこともお楽しみのひとつでした。キティちゃんは女子の永遠のアイドルなんです。何か文句ありますか(^_^;)? それが……いろいろ写真を撮ってきたのに、携帯のSDにうまく保存されていなかったみたい(+_+) なんてこった(>_
2012年08月05日
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こんにちは!高橋華代子です。今週は、ちょろっとお休みをしていた牧場巡り特集をお届けします。 南関東でもお馴染みの、むかわ町にあるフラット牧場さん。国道235沿いを、門別方面へ右手に進むと、この看板が見えてきますね↓ 大井の大将格として存在感をあらわにしてきたドラールアラビアン。00年の帝王賞は、砂の女王ファストフレンドにタイム差なしの2着。そして、翌年の大井記念で悲願の重賞初制覇。98年から03年までの長年に渡って現役生活を送りました。あの後方からの追い込みスタイル、好きだったぁ。 引退後はこのフラット牧場さんで種牡馬入りして産駒を送り出し、今はオーナーさんの功労馬として悠々自適な毎日を送っていますよ。アラビアンも早いもので、もう13歳になったそうです。 伊藤場長は「種馬を経験している馬だから、すごい元気ですよ。いい体もしているし」と言っていましたが、たしかに目をギラッとさせていて、引退生活を送っている感じは微塵もしませんでした。元気にしているんだなぁということが、ビンビン伝わってきましたよ。 アラビアン、これからもずっとずっと長生きしてねぇ~。 95年戸塚記念の勝ち馬ドラールクラウンは、今年16歳になりました。すでに産駒は送り出していますが、今年誕生したのは女の子(父バランスオブゲーム)。「人懐っこくて利口な馬です」と伊藤場長にとねっこちゃんは褒められていましたよ。写真はクラウンととねっこちゃん↓ クラウンの子育ては、過保護ではないほどにちゃんとかわいがっていて、ちょうどいいスタイルなんだそうですよ。 そうそう。ドラールアラビアンとドラールクラウンの愛の結晶ボールドレジェンドという女の子。去年まで大井で走っていたんですが、今は北海道で頑張っていますね。アラビアン産駒として、唯一の現役競走馬だったりします。なんとか、1勝目指して頑張ってほしいなぁと遠くから応援しています! そして、ここで悲しいお知らせです。 92年の東京大賞典を優勝したドラールオウカン。南関東の重賞戦線で大活躍しました。生まれ故郷のフラット牧場さんで長年に渡って繁殖生活を送っていたんですが、昨年産駒を誕生させた後に腸捻転を起こしてしまい、残念ながら亡くなってしまったそうです。まだ19歳…。 今は愛娘ボールドグレイン(父トーホウエンペラー)が園田で大活躍中ですね。20戦10勝2着2回と素晴らしい成績を残しています。今後の活躍を期待したいです。そして、最後の産駒は今年1歳。アジュディケーティングとの間の男の子です。 「いろんなドラマのあった馬でした。繁殖としても、扱いやすいいいお母さんでした」(伊藤場長)。 この写真はちょうど3年前におじゃました時に撮影しました。これが、最後のオウカンになってしまいました↓ ドラールオウカンのご冥福を心よりお祈り申し上げます。オウカン、安らかに・・・
2008年07月13日
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土曜日担当は、園田競馬実況の竹之上次男です。 浜松旅日記は今回で終了。 打ち上げと、うなぎ。そして三井忍さんの謎に迫ります!(謎などではなく、立派な方です) 三井忍さんは浜松在住のフリーアナウンサー。 馬券の買い方があまりにも男前なので、男性と思わせてしまっていたかも知れませんが、立派な女性です♪ そんな三井さんを交えて、仕事の打ち上げ。 残念ながら、競馬エイトの津田さんは翌日出演する番組の資料作りで参加できませんでした。 そして、エクセル浜松の所長も、体調不良のため不参加となってしまい、なんとも寂しい打ち上げとなってしまいました。 それでも、三井さんのバイタリティ溢れるトークで盛り上がるのです♪※写真中央が三井さん。右はイベントスタッフの方 実は三井さん、お酒は一滴も飲まない。 実際のところは飲めるのですが、あえて飲まないのだそうです。 事務所の代表を務められていて、いつ何時車で出かけなければならないか分からないからだそうです。 また、喋る仕事をしている以上、喉をケアするためでもあるのです。 すごいプロ意識です!! ぼくにとっては、まったく耳の痛い話です(;>__
2015年06月13日
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木曜担当のよこてんです。 さて今回は。根岸の「馬の博物館」で6月10日から公開が始まった『やまとなでしこ 女性騎手の先達と変遷』展を見てきましたというお話。 横浜市中区にあるJRA馬の博物館。自分にとってはなかなか訪れる機会が無くて、来たのは13~4年ぶりくらいになるでしょうか。前に来た時もたしか根岸駅からバスに乗ったような記憶がありますが、今回もバスを使ってみて記憶に一致したのは駅を出てすぐ登り始めるつづら折りの急坂だけだったから、確かに10年以上来ていないんだなあと改めて思ったりした次第。あー、でも前は桜木町からバスに乗ったかも。いや根岸から博物館に来て桜木町に降りたのか?うーん。 閑話休題。この『やまとなでしこ 女性騎手の先達と変遷』展は日本の女性騎手の歴史を改めて掘り起こしつつ今を追うという企画展です。現役騎手だけでなく過去の騎手にまつわる資料も多くあり、ですので高橋クニ・高橋優子という伝説級の女性騎手を輩出した岩手競馬に関わるものも多く展示されております。 なお、本稿に使用している写真画像は博物館様の許可を得て撮影したものです。企画展内は撮影できませんのであらかじめお断りしておきます。 また、展示されている資料には著作権・版権等の関係でここで掲載できないものも多数ありました。画像でなく文章で説明する部分が多くなります事をご了承ください。 さて、展示が始まってすぐの所にある高橋クニ騎手のパネルの中に勝負服のイラストがあります。岩手競馬の、ちょっと昔のファンの方ならピンとくるかもしれません。高橋クニ騎手が使用した勝負服は渡邉正彦騎手が使用したのと同じ服色になっています。 今回の企画展に先立つ調査の際、博物館から「高橋クニ騎手の勝負服の服色が分からないか?」という質問が来まして、こちらでは最終的に高橋クニ騎手のお孫さんにあたる高橋純調教師から「渡邉正彦騎手と同じです」という回答を得て答えとしたのですが、それを聞いて自分も以前、渡邉正彦騎手(元騎手。現在は佐藤祐司厩舎で厩務員)に「自分の勝負服は高橋クニさんのものを受け継いだ」というお話を聞いていた事を思い出しました。 今回改めて渡邉正彦厩務員にそのお話をうかがったところ、次のようなエピソードを教えていただきました。 高橋クニさんの夫である高橋武さんも岩手で騎手、調教師として活躍されましたが(父・高橋武、母・高橋クニ、娘・高橋優子の親子3人が同時に現役騎手だった時期があったりしました・・・というお話は以前のこのブログでも書いた事があります)、新人・渡邉正彦騎手はその高橋武厩舎からのデビューでした。 自分の勝負服の服色を決めるにあたって調教師と相談していた若き日の渡邉正彦騎手。と、「こんな勝負服もあるよ」とタンスの中から出されたのが高橋クニ騎手の、実際に使っていた勝負服で、渡邉騎手は「はい、この柄でお願いします!」という事になったのだとか。 色や模様を引き継いだというだけではなく、高橋クニ騎手が使用していたまさしくその勝負服をそのままのデザインで使用する事になったわけですから、渡邉正彦騎手は正真正銘、高橋クニ騎手の勝負服を引き継いだ・・・というわけなのです。 そして、こうして書くと簡単な話のようですが、高橋クニ騎手が引退したのは1971年、渡邉正彦騎手がデビューしたのは1987年なのですから、15年ほども大事に保管されていたんですよね勝負服を。 高橋優子騎手の勝負服は西康志騎手へ(西康志騎手も高橋武厩舎からのデビューで渡邉正彦騎手の兄弟子)、そして西啓太騎手に引き継がれていきました。高橋クニ騎手の、渡邉正彦騎手の勝負服も、いつか誰かに引き継がれてほしいものですね。★渡邉正彦元騎手(高橋クニ騎手→渡邉正彦騎手)★西康志元騎手(高橋優子騎手→西康志騎手→西啓太騎手)。西康志さんも野馬追でこの勝負服を使用★新田(吉田)弥生騎手の勝負服や優勝時写真パネル 高橋優子騎手に憧れて岩手に来たもののデビューは高橋優子騎手が早世されたあとになってしまって大変悔しがったという新田弥生騎手。展示されている勝負服は新田家に保存されていたもので、新田守調教師からも「うちで大事に保存していたから綺麗だよ」とお墨付き(?)のお話を聞いております。失礼ながら結構昔のものになるはずですが、確かに新品のように綺麗ですねえ。 新田弥生騎手の時代はインターナショナル・レディスジョッキーのような女性騎手招待競走が華々しく行われていたりしていて、新田騎手や吉岡牧子騎手の所には外国の女性騎手と肩を並べて撮られている写真が多くあるのが印象的です。 それに比べると90年代、2000年代序盤の頃の女性騎手たちは、ちょっと陽があたらない時期にあったのかもしれません。 岩手だと石川夏子騎手や佐々木亜紀騎手がいましたし、ちょっと時期がずれた頃には千田和江騎手もいました。駒子賞や卑弥呼杯といった女性騎手招待競走が行われてはいたけれど、例えば今の藤田菜七子騎手のフィーバーぶりほどには伝えられる事がなかったですからね。その頃は南関東にも複数の女性騎手がいたのですが、彼女たちの名や活躍ぶりをすぐに言うのは、よほどのファンの方でも難しいのではないでしょうか。★2007年LJSでの集合写真 なのでその頃の女性騎手の資料の現物の展示はやや少ないようにも感じます。例えば元女性騎手だった方でご自分の勝負服だとか大きなレースを勝った時のトロフィーのような資料を保管されていたりされたなら、馬の博物館に連絡を取られてみてはいかがでしょうか。展示の中に加えていただく事もできるかもしれませんし、そうなれば展示の厚みも増すのではないかと思います。★鈴木麻優騎手の勝負服もこの並びに追加されたはず★2008年LJS・金沢ラウンド。増澤騎手優勝のシーン そうそう。恥ずかしながら今回の展示で「2008年LJS金沢ラウンドで増澤由貴子騎手がこの勝負服を着ていた理由」を知りました(^^;)。★太田騎手や中尾騎手の展示であります! ここは特に気を遣う事無く写真を掲載できます。なんせこの私が提供させていただいたものですから! 岩手競馬をつうじて「太田騎手が岩手で騎乗した時の写真を」という依頼がありまして、その際に、なんでしたらオーストラリアで騎乗している太田騎手の写真もありますよ、それからあちらにはもう一人日本人の女性騎手がいまして、その写真もありますよ、とこちらから売り込んだ事で実現した部分なのであります。 オーストラリアで騎乗しているけども“やまとなでしこ”には違いないですものね。 という事で太田騎手と中尾騎手の騎乗写真や騎乗時のレースブック(日本で言うレーシングプログラム的な冊子)を展示していただいております。 展示の中には「日本初の平地女性騎手」とされる斉藤澄子騎手や戦後すぐの上山競馬で騎乗したという岩田富子騎手に触れた展示もあります。その頃の日本では女性は騎手になれないか、なったとしても男性騎手からの激しい差別にあったといわれ、斉藤澄子騎手も結局実戦に騎乗する事無く終わりましたし岩田富子騎手も自由に騎乗できなかったそうです。 しかし、例えば今や“女性騎手大国”になった感があるオーストラリアも、実際の所はほんの30~40年前には女性には正式なライセンスが下りないとかの差別が存在していて、騎手を諦める、あるいは他の国に行って騎手を目指す・・・そんな女性も少なくなかったのだとか。 そんなオーストラリアは今では新たに騎手を目指す人の半分以上が女性になったとされ、女性騎手のG1ウイナーも珍しくありません。日本風に言う“ママさんジョッキー”も多いですよね。 未来の日本の競馬がそんな風な状況になるかどうか・・・は自分にはちょっと想像が付きませんが、過去から今、そして未来へ、日本の中だけでなく世界にも拡がる“やまとなでしこ騎手”たちの活躍ぶりを、大きく想像を膨らませながら思い描いてみたいとも思いますね。何かのきっかけでガラッと変わるかもしれないですし。 この『やまとなでしこ 女性騎手の先達と変遷』展は今年9月3日まで続く予定です。お近くの方、お時間がある方、是非一度足を運んでみてください。
2017年06月29日
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ミツオーです。レスラーに技をかけられたことがない成人男性なんて存在するんですか!?…と言ってみる。わたしの場合は打撃系でした。吹っ飛びました。さて、夏です。いや、梅雨明け前ですけども。が、これだけ暑い日が続けば、もう夏でしょう。金沢競馬場ではセミも鳴きはじめましたし。夏と言えば。ビールです!!いや、わたしは年中ビールですけども。春夏秋冬、いつだってビールはおいしいのです。けど、暑い日にはより一層、ビールはおいしくなるのです。夏、競馬場でビール片手に観戦・応援するのは、大人の醍醐味というものです(そうか?)。川崎競馬場に、ビアガーデンがオープンしました!!わたくしさっそく、様子を見に行ってきました。本来ならば、見るだけではその様子を十全に知ることはできず、したがってリポートもうまくできません。ここは絶対に「潜入取材」というやつをしなくてはなりません。つまり、お客さんになりきってビアガーデンを体験しなくてはならないところです。が、残念ながらわたくし川崎競馬のレース実況をしている合間に取材を敢行しましたので、見て、関係者に話を聞くだけという、実に不足な取材となってしまったことを、まずもってお詫びいたします。ああ、こんなことでは川崎競馬場ビアガーデン「ビアマルシェ」の良さや本当の姿がみなさんに伝わらないなあ。申し訳ないなあ。くそう。すみません。取り乱しました。川崎競馬場のほこる、広大な内馬場広場。ご覧のように、芝生がひろがり、ここでは日夜、大勢の方々が競馬ピクニックを楽しんでいらっしゃいます。もちろんビールを飲みながら競馬という方も大勢あることでしょう。が、ビールを買いにいくのがタイヘンです。馬券を買いにいくのも、ややタイヘンです。何しろ川崎の内馬場広場は広いのです。GO馬くんも、そう歌っています。http://www.keiba.go.jp/gokeiba/gallery_song.htmlそこで、ゆっくりビールを楽しみながら、馬券購入も手軽にできる場所として、「ビアマルシェ」が作られたのです。場所はココ(赤矢印)。「サンサン広場」という場所に、テーブルと椅子、ビールや食べ物を提供するスタンドを設置。ここは内馬場でもすこし端のほうにありますから、レース観戦をしやすくするために、大型モニタがビアガーデンをとりまくように置かれました。(画面が真っ白に写ってしまいましたが、パドックの模様を放映中でした。右はオッズ表示中)昨年リニューアルした、真新しい投票所も近くにありますから、馬券を買いに行くのも手間なく便利。午後5時開店、8時半までの3時間半、飲み放題で2500円!(ラストオーダー8時)500円のフード券つき。ビアマルシェ内のお店でお食事を買うことができます。つまり。ビール代は2000円ってことですよ。安い!はっきり言って、そこいらへんのお店に入って生ビールを注文すれば、500円を下回ることはまず、ありません。中には平気で700円とか800円とかとるクセに、出てきてみたらジョッキというより大きめのグラス、なんてことだってあります。ビールってのは高いお酒です。わたくしビール飲みですから、それを痛いほど知っています。飲む側にしてみると、コストパフォーマンスのよろしくないお酒なのです。その高いビールを3時間飲み放題で2000円です!!カンタンに元をとれます!!(そういう考えはヤメたほうがいいぞ)いいなあ。ウチの隣に川崎競馬場があればいいのに…(考え方がおかしいだろう)。なお、川崎競馬場のビアガーデン「ビアマルシェ」では、日本でここだけ、ってことは世界でここだけ、ってことは宇宙でここだけ、「Tap Marche」を展開中です。これは、何種類もの全国から集めたクラフトビールをあれこれ楽しめるものです。いろんなビールが楽しみたい、という方にはもってこいの「Tap Marche」、いろいろ試して好みの味を見つけるのも楽しいですよ、きっと。そして、川崎競馬場でビールと言えば。すでにおなじみ、あの名牝の名がつけられた、「クラフトビール ロジータ」が大人気です。毎開催、重賞実施日などに、2号スタンド1階のロジータホールにて販売されています。そしてこのロジータホールでは、同じく重賞日に「女子トーク ROSITAバル」として、馬女さんたちによるトークとビール販売がおこなわれています。(7月6日出演の栗林さみさんと秋田奈津子さん)いいですねえ、これ。競馬にくわしいお姉さんたちがビール売ってくれて、競馬トークも展開して、予想まで披露してくれるんですよ。ビアガーデンもいいけど、こっちもいい。先週(7月6日)も、大勢の方で盛り上がっていました。ちなみにクラフトビール・ロジータのお味ですが、ご覧の3種類をご用意しています。わたしも以前飲んだことがあります。わたくし、ビールは国内のメジャーメーカーの有名ブランドが旨いと思っているビール飲みですが、そういう種類の舌にもマッチする、適度なコクを持ちながらスッキリした味わいです。このロジータを、馬女さんたちがコップに注いで販売してくれて、なおかつトークまで楽しめるのが「女子トーク ROSITAバル」です。アレですわ。こういうのを見るたびに、ビール飲みながら競馬雑談をして、それでギャラのもらえる仕事ないかなあと思うのです(「売りながら」じゃなく「飲みながら」というところがおかしい)。お姉さんたちじゃなくても、オッサンでもいいんじゃないか(ダメだ)。いや、オッサンの話も聞いてみたいっていうファンもいるんじゃないか(いてもごく少数だ)。そういうひとたちを集めて、ビアガーデンの一角で、一緒に飲みながら楽しむというのはどうか(プライベートでやるしかないな)。竹之上さんと一緒に企画書どこかへ出そうかな(なぜひとを巻き込む?)。七夕のお願いをしなかったけれども、コレを短冊に書いてつるしておけばよかった(実行しなくてよかった)。競馬場でいったいどのくらいの方々が、どのくらいのビールを消費したんだろう…と、非建設的なことを考えていたら、こんな文になってしまいました。すみません。川崎競馬場では七夕にあわせて、毎年、騎手をはじめ関係者のお願いが書かれた短冊を飾っています。森下博騎手。いいですね。お星さまにお願いしているというより、ファンのみなさんへのメッセージになっていますけども。藤江渉騎手。「楽しく」というのが藤江騎手らしいところなのですが。藤江騎手は、調教中の事故で大ケガをして手術・入院していましたが、先日、退院されたと聞いています。たいへんなケガだったと聞きますが、経過は順調のようで、まずは一安心。藤江騎手が、そしてケガで休養中のすべての騎手が、楽しく騎乗する日が早くきますように。…少し遅くなりましたが、わたしの七夕のお願いです。
2017年07月10日
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青森・東北町にある荒谷牧場。はじめて訪れたのは2003年、いや2002年だったかも。当時既にウォーキングマシーンを設置されていて、早い時期から新しいものを取り入れている牧場という印象がありました。★2003年5月の登録検査の際におじゃました時の一コマ。左に立つのが荒谷栄一さん。奥は先代と松橋さん 最近は直接牧場にお邪魔する機会がなく、しばらくおうかがいできずにいたのですが、荒谷牧場の生産馬・サルサディオーネが日本テレビ盃Jpn2を制しJBCでも有力馬として出走するという機会に、久しぶりに訪ねてみようと考えた次第。 お邪魔するのはもう10年ぶりくらいかもしれない。という事で荒谷牧場・荒谷栄一さんに、牧場の事やサルサディオーネ、お母さんのサルサクイーンの事を話していただきました。★荒谷さん近影。すらっとした体つきは昔と変わらないというと「もうちゃんちゃんこ背負う年だぞ~」と笑われた今更ながら改めてなんですけども、荒谷さんがここで牧場を始められて何年くらいになるんですか「自分は高校を終わってすぐ働き始めたんだけど、その頃は『南部牧場』といったの。オーナーさんが居て、祖父の代からですけども場長という形。自分は牧夫として勤めた。その後、オーナーさんが手放すという事になった時に、なら買い取りますよと。それが荒谷牧場の最初だね。法人化したのが確か平成の元年だった」とすると、約50年を最近というとあれですが、比較的新しい方になるんですね。「そうそう。第1回のダービーグランプリに生産馬が出てさ、自分も水沢まで見に行ったけど、その馬も『南部牧場』の名義だったんだよ(※笠松所属のタカシマリーガル。1番人気に推されたが8着)」昔はアラブの生産が多かったんですか?「いや、昔からサラブレッド。サラブレッドがほとんどだったよ。この辺(七戸)近辺がサラの生産の本場だったのさ。アラブは八戸、あとは十和田・五戸とかの方。この辺は盛田さん(盛田牧場。帝室御賞典時代からの活躍馬多数)、諏訪さん(諏訪牧場。タムロチェリー、ミライヘノツバサなど)、東北牧場(トーホクキングなど岩手にも活躍馬多数)さんはオーナーが変わっても名前はそのままだし、浜中さん(浜中牧場。フエアーウインなど)。この辺はサラブレッドばかりだったね。アラブは預かった馬がいくらかいたくらい」★岩手に戻って4連勝中のスカイルークも荒谷牧場の生産馬サルサディオーネのお話にいきたいのですが、お母さんのサルサクイーンはどういういきさつで荒谷牧場に?「サルサクイーンの馬主さんは、ディオーネも同じですけども、今はJRAの馬主資格も取られているが元々は南関東中心で、サルサクイーンもここに休養に来ていたりしたんです。東京プリンセス賞を勝ったりする力のある馬だったけどそれだけじゃなくて、自分が乗って凄く背中の感じの良い馬だなと思っていたんだよね。繁殖になったらいい仔が出るだろうな・・・とも思っていた。そういう馬だったから繁殖にあがる時にここで、と。もう一頭、アネストという馬、これも同じ馬主さんなんだけど、その馬と一緒にね」ということで荒谷牧場で繁殖生活を始めた「最初の種付けの時は、これだけの馬なんだからヘタな馬は付けられないとアグネスデジタルを選んだ。受胎は上手くいったんだけど次の年に鼻肺炎で流産してしまってね。その後3年くらい受胎しなかったんだよね。北海道の牧場に頼んで種付けしてもらってもダメで。それで、七戸種馬場にキャプテンスティーヴが来た時に当時種馬場にいた獣医さんと相談しながらなんとか受胎させたいと考えて、発情よりも少し早いけど種付けしてみよう、と試してみたところがそれが受胎した(※のちのトガミサクラ)。 つまり普通の馬よりも排卵のタイミングが早い馬だったんでしょうね。普通の馬のつもりで行くとサルサクイーンには遅かったんでしょう。 そして連続で仔がとれないんですね。胎盤の落ちが遅いのでしょう。それで1年おきになってしまう事も分かってきた。それが分かってきて安定して仔が取れるようになりました」そしてゴールドアリュールを付けて生まれたのがサルサディオーネですね。アメリカンなダート血統ですよね「仔は恐らく南関東で走る。だからダートに合う血統。サンデーも入っていないといけないと考えた。お母さんの能力・素質は高いものがあるとずっと思っていたし、それに見合う仔が出るとも思っていた。そこにちょうどゴールドアリュールが、その頃に種付け料が安くなったんですよね。この馬もダート競馬が見直されてきた頃の活躍馬だったでしょう。それで配合して生まれたのがサルサディオーネでした」生まれた頃のサルサディオーネはどんな印象の馬でした?「生まれた時から良い馬だと思ったよ。牧場仲間の間でも評判になるくらいでね。出産の時がね、普通のお産なら肩まで出れば後はすんなり出てくるのさ。でもディオーネの時は腰の所で引っかかってね。へその緒が圧迫されると酸欠になってしまうから介助してお産を済ませたんだけど、腰が引っかかる馬はあまりいないからね」あー、骨量があるというか骨格がしっかりしていたと?「そう。今なんか520~30kgあるからね。それだけになると思った仔だったね」お母さんはどんな馬だったんですか?「サルサクイーンは、人には悪さをしないけど、何か普段と違う事をしようとするとすぐ警戒する馬だった。そして馬に対しては悪い。半端じゃなく悪い。あれだけ放牧地のリーダーじゃないとダメだっていう馬は初めて見たね。 だから最初の仔が生まれた時は、これだけ他の馬にキツく当たる馬が子育てできるんだろうか?と心配したね。もしかしたら子育てを放棄するんじゃないかとまで心配したけど、いざ生まれたら仔を可愛がってよく面倒を見るお母さんだったから安心したよ」そのサルサディオーネが金沢のJBCに出走しますね「見て分かるとおり、成績は“サウスポー”だからね。右回りではどうなのかとは思うけど、これだけ活躍してくれている馬だし、頑張って、そして無事に走ってほしいね」------------------------------------------ 昨年もJBCレディスクラシックに出走したサルサディオーネでしたが、荒谷さんは門別・JBC2歳優駿に出走したオタクインパクトの方へ、門別競馬場の方に行っていたそうだ。「両方から招待状が来たんだけど去年は門別に行ったんだよね。今年はどうなのかな。金沢に行く事も考えてみようかな」 その今年の金沢・JBCレディスクラシックには当初サルサディオーネの半妹サルサレイアも登録がありましたが残念ながら回避。“姉妹出走”はかなわなくなりました。しかしサルサディオーネは地方勢の主力としてJRA勢に挑む事になるでしょう。 今年の金沢JBCには自分も行く予定。現地で荒谷さんにお会いできたならば、サルサディオーネのレースぶりについておうかがいしてみたいですね。 荒谷牧場編はもう少し続きます。既に青森から活躍馬を送り出しているウインバリアシオンと今年から青森にやってきたオールブラッシュ、この二頭の種馬とその産駒への期待。次週はJBCのお話になるでしょうから“荒谷牧場・後編”は再来週をお待ちください。
2021年10月28日
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木曜担当のよこてんです。 12月になりました。11月22日をもって今季の盛岡開催が終了。27日からは冬の水沢開催がスタートして、そして今季の岩手競馬(のレギュラー開催)も残すところ1ヶ月ほどということに。今年は雪で取りやめとかありませんように・・・。12月に入って急に寒くなったんだよなあ・・・。 さて。水沢に移った初日の27日ですが、自分は水沢ではない別の競馬場におりました。JRA東京競馬場。リッジマンが出走したジャパンカップを見るためです。 今回はそのジャパンカップに出走したリッジマンのお話。 JRAの競馬場に行くのは久しぶりだなと思って考えてみると、2019年12月、YJSファイナルラウンドで中山に行って以来でしたね。東京は2018年の1月、ラブバレットが出た根岸ステークス以来。なので東京競馬場はほぼ5年ぶり。その時は関東方面に積雪があった直後で、寒くて、スタンドのお客様もまばらでしたね。 今回はG1・ジャパンカップ。府中本町に近づくにつれ競馬場に向かうであろう人の数が増えるのを体感。駅から競馬場への通路も以前のG1日ほどではないかもですがなかなかの混雑具合でした。★府中本町駅からの通路にあった出走馬紹介バナー。もちろんリッジマンのもありました★芝が綺麗でええなあ・・・ 何より暖かいですよねえ。基本外にいるし風がそこそこありそうだし・・・と上着を多めに持ってきましたが結局1枚いらなかった。 むかーしジャパンカップを見に来た時はスタンドが底冷えして寒くて、日向を探して歩いていたような記憶が。11月下旬にしては暖かい今年のジャパンカップだったのでは。★自分はジャパンカップは21年ぶり。上に書いた「むかーし」はもう少し前のレガシーワールドが勝った時の事です。2001年はもうメモリアルスタンドできてた さて今回は取材証ではない一介のスマートシート民なのでしたが、リッジマンに集中すればいいと思えば気が楽でもある。 4階の自分の席からパドックへの道筋を確認しつつパドックの場所取り。競馬場で会った知人曰く「つい先日の天皇賞・秋の日よりも断然人が多い」とのことでしたので2時間前からパドックにいて少しずつ良さげな場所を探す。いわゆる“地蔵”ってやつだったりしますが、こういうの慣れてるので。★外国人騎手の写真を撮ったりしつつ。ダミアン・レーン騎手★H・ドイル騎手。もっと勝てていいと思うんだけどなあ★B.ムルザバエフ騎手。カザフスタン出身とあってかパンツの騎手名に気づかなければ日本人騎手だと思ってしまう とか思っているうちに15時。ジャパンカップの出走馬がパドックに現れました。★パドック内の馬主・調教師ポジションを示すプラカード。すぐ馬も来るのかとパドックで座っていた人たちも立ち上がったのだけど、なかなか来なくてまた座る・・・みたいな。結局馬が来たのはプラカードチームの10分後★リッジマンだ!田嶋さ~ん! リッジマンは前日の土曜日に水沢から移動。いわゆる前日輸送での出走でした。馬体重472kg、前走の岩手県知事杯OROカップ比で-6kg。長距離輸送があってこの数字なら特に問題はなさそう。輸送も順調だったのでしょう。★フランス・シムカミル★フランス・オネスト★フランス・グランドグローリー★ドイツ・テュネス 馬もそうですが、曳いているストラッパーさんの姿がまちまちなのがいかにも“国際レース”な感じですよねえ。★この30分くらい後に今年のジャパンカップ馬となるヴェラアズール この頃になるとパドック周りは大混雑。スタンドに近いあたりは立錐の余地無しな感じでしたね。自分がいたあたりは局地的にいくらかスペースがあったようです。 騎手が騎乗する前にパドックを切り上げスタンドへ。リッジマンの本馬場入場。 「水沢から世界に挑む。16番リッジマン」。実況の山本直也アナはあの1999年フェブラリーSを実況された方なんですよね。あの時も「水沢の雄メイセイオペラ」と言われていました。今回の本馬場入場で「水沢」と読んだ際、心なしか力が入っていたような気がしました。★発走が迫るスタンド前。こんな混み具合久しぶりに見た★ゲート裏で輪乗りをするリッジマンと田嶋厩務員 スタート。レースは実況動画もあるので細かい所はそちらをご覧ください。 リッジマンはまずまずの好発から徐々に控える形で1コーナーでは最後方近くに。道中も最後方追走、3~4コーナーで仕掛け始めた時は手応えにまだ余力があるように見えましたがそれ以上は差が詰まらず、ただ大きく離されることもなくゴールまで走り切りました。 結果18着・前の馬から4馬身差ではありましたが、自分よりずっと年下の、今年の重賞で勝ち負けしたような馬達とのこの差ならお世辞抜きで健闘と言いたいですね。 千葉幸喜調教師のジャパンカップ後コメント『2年ぶりの平地重賞がG1で馬も息が入らなかったか、最後の一ハロンで離されてしまいましたが馬は頑張って走っていた。現状の力は出し切れたと思います。 出たいと思ってもなかなか出ることができないジャパンカップという舞台に出ることができたのは素晴らしい経験でした。本馬場入場の時に「水沢のリッジマン」と紹介されて拍手が起こったのにもグッときました。世界の舞台に立って、得がたい経験をさせてもらったリッジマンには感謝ですね』 リッジマンがジャパンカップに出走意思を見せていると報じられてから同馬を管理する千葉幸喜調教師には度々お話を伺いました。出走枠に入るかどうか・・・という頃よりも実際に出走できるとなってからの方がより悩まれたというか苦労が増えたというか、そんな感じもありました。 一方で、いざ出走となって、そして実際に走り終えて、応援であったり声援であったりの声が、例えばJRA時代からリッジマンのファンだったというような方の応援の声が多くて、それは非常に心強かったし安心もしたとも言われていました。 ジャパンカップに出走した地方所属馬は、ダーリンググラス・ロッキータイガー・ジュサブロー・ガルダン・ロジータ・ジョージモナーク(2回)・ハシルショウグン(2回)・コスモバルク(6回)・ハッピーグリンの9頭。リッジマンは10頭目となりました。いやあコスモバルク6回出走か。凄いな。 ジャパンカップはじめJRAの芝G1に地方馬が出走するハードルはかなり高いので今回のリッジマンのような例はあくまでも“レアケース”。ただ、岩手には芝コースがあって、リッジマンのような芝実績が厚い馬でも地方で活躍するチャンスがある・・・という方向につながってくれれば良いなあと思ったりします。 どうでしょうね、盛岡の芝にグレードレースとか。芝の状態が良い7月頃で1700mくらいで。地方の馬はなかなか勝てないでしょうけどもいずれはそこから芝G1に羽ばたいていく馬も出てくる・・・とか想像してみたいですね。
2022年12月01日
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こんにちは。隔週月曜日、今日の担当は耳目社の百瀬です。皆さん、『協賛レース』ってご存じですか?地方競馬のレースで時々目にする「〇〇ちゃん3歳お誕生おめでとう記念」「〇〇&〇〇結婚記念」など、これがいわゆる協賛レースです。これはいくつかの地方競馬主催者で実施されており、個人と企業単位で募集を行っています。特に個人協賛であれば、1万円程度から行うことができます。何と言っても一番の魅力は、レースタイトルを付けられることでしょうか。思い思いに付けられたレース名は、出走表や専門紙などの各媒体に掲載されるのはもちろんのこと、レースの時、本馬場入場の時にアナウンスされ、その様子は競馬場内に限らず、全世界にインターネットを通して配信されます。また勝馬投票券(馬券)にもレース名が印字されるので、出走全馬の単勝馬券を買って、思い出の品にする方も多いのではないでしょうか。馬券の一例。友人提供。本日、金沢競馬場で友人の親戚の結婚記念の協賛レースがありました。私も以前、友人の結婚記念に協賛レースを行った事がありますが、普段競馬を見ない友人も、記念にと馬券を買って楽しんでくれました。(実況も私がしました(^_^;))またレースタイトル命名以外にも、主催者ごとに特典があり、今回は個人協賛レースを行っている競馬場主催者ごとの募集要項ページのリンクと、特典をまとめてみました。この協賛レース、思った以上に簡単で手軽に申し込む事ができます。もし検討されている方には、本稿が参考になれば幸いです。また協賛レースの事を知らなかった方には、競馬観戦の楽しみに一つになればと思います。現在、個人協賛を受け付けている主催者は5つ。その一覧は下記の通りです!ばんえい帯広協賛金:1万円特典:勝利騎手のサイン色紙プレゼント表彰式プレゼンターとしての参加は、現在休止中。金沢競馬協賛金:1万円分の商品券特典:勝利騎手のサイン色紙、 レース映像(DVD/BR)プレゼント場内案内所でも募集要項を配布しています。笠松競馬レース映像及び記念ゼッケン(有料)名古屋競馬協賛金:2万5千円特典:優勝騎手サイン色紙、当日の専門紙、優勝馬、優勝騎手との記念撮影冠レース名入りゼッケンプレゼント(2枚目以降有料)高知競馬協賛金:1万円特典:当該レースのゴール写真に 優勝騎手のサインをプレゼント岩手競馬、船橋競馬、佐賀競馬では企業協賛を、佐賀競馬では企業協賛に加え、ファンクラブに入会することで、レースタイトルは付けられないものの優勝馬関係者への表彰ができるようです。協賛レースの申し込み方法など、詳細はリンクの各主催者の協賛レースページをご確認下さい!最後に今年金沢競馬場で行われた個人協賛の『冠レース』、どんな記念の協賛レースがあったのか。レースタイトルから分類・集計してみました!1位:誕生日 28レース(〇〇さん誕生日記念、〇〇生誕記念など)2位:結婚関連 19レース(〇〇&〇〇結婚記念、〇〇夫妻金婚式記念など)3位:ファンの方から"推し"への記念競走 18レース(〇〇さん配信2周年記念、結成20周年記念など)4位:卒業、就職など"門出・節目" 13レース(〇〇部長昇進記念、〇〇ちゃん高校卒業記念など)5位:周年記念 7レース(居酒屋〇〇20周年記念)6位:知人への感謝 6レース(〇〇さんいつもありがとう記念など)7位:来場記念 5レース(祝・金沢競馬初来場記念など)(その他は7レース)(レースタイトルのCGは場内大型ビジョン、ネット中継でも放映されます)皆さんはどんな時、記念の協賛レースをしたいと思いますか。是非お気軽にご参加頂ければと思います。
2023年08月14日
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耳目社の山中です。皆さん、大型連休はいかがでしたか?競馬にドップリ浸かりましたか?僕は船橋→金沢と、地方競馬三昧のゴールデンウィークでした。船橋競馬場では1日にかしわ記念。雨の中、シャマルの逃げ切り。表彰式での川須騎手の晴れやかな顔も印象的でした。(結果は→こちら)おなじみの船橋ジョッキーズフェスティバルが今年も始まりましたよ。こちらのシリーズの行方にもご注目ください!金沢競馬の大型連休シリーズの後半戦も実況を担当しました。4日のメインは重賞・利家盃。圧倒的人気のハクサンアマゾネスがここも逃げ切って優勝。後続に8馬身差をつけました。利家盃は4連覇、22個目の重賞タイトル獲得!2着エイシンアンヴァル、3着ベニスビーチとハクサンアマゾネスの相手は比較的人気のなかった馬が健闘を見せました。(結果は→こちら)金沢競馬場のウィナーズサークルにてファンに向かって記念撮影タイムこの日は金沢競馬としては珍しい土曜日開催でしたが、吉原寛人騎手の地方競馬通算3000勝&全場重賞制覇達成記念表彰式も行われ、たくさんのファンの方々で盛り上がりました。金沢競馬、次回の「土曜本場開催日」は6月15日です。土曜日なら行ける!というファンの皆様、ぜひご来場下さい。次回の更新からは、楽天競馬 Uma+(ウマプラ)内「競馬マスターズ」で、装い新たに現場からの情報をお届けします。関わる人が一体となって、楽しく暖かい気持ちで競馬を見られるように。そんな環境をこれからはみんなで作っていきましょう。このコラムなどでも頑張っていきたいと思っています。引き続き、よろしくお願いいたします。
2024年05月13日
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金曜日は、古谷が担当します。 今週、とても信じられない連絡が…。トウケイニセイの生産者として知られる田中哲実さんが13日、大動脈解離で亡くなられたとのこと。その前週の木曜、門別競馬場で普段の記者席の感じで、「早い者勝ちなー」といつものように差し入れを持ってきてくれて、翌日に千葉セリがある関係で僕は先に記者席を後にすると、「また来週!」と挨拶した哲実さん。それが最後の会話になってしまうとは、今でも信じられません。 この写真は、1月の冬季繁殖馬セールが終わった後、静内の居酒屋で馬産地のメディアが集まった新年会。「ホッカイドウ競馬のメディアが、打ち上げをしないってのが不思議に思うから、今年はやろうよ」と昨年、哲実さんがお話してくれたことがきっかけで、その年のうちというよりは、繁殖馬セールで静内に集まると思うので、そこでやりましょうとなった宴でした。「また近々!」と哲実さんから言われたのに…。残念でなりません。 この写真は2年前、「懐かしい写真が出てきました」とメールで頂いたものです。2009年サマーセールの時のワンショット。この年は、セレクションセールで売却率が50%台、サマーセールは40%弱という厳しい時代でした。その中で、須田鷹雄さんと何を話していたかは覚えていませんが、何人かで談笑している時に哲実さんがパシャっと撮っていたものだと思います。 ただ良い写真だったから…というだけの理由だけではなく、そのメールには「この時から10年以上経過しているのに、メディアの顔ぶれが全然変わっていない業界を危惧する」と付け加えられていました。 馬産地で仕事をしているライターは、僕より下がほぼいない状況です。カメラマンでも、数人しかいません。牧場に至っても人材不足が何年も言われています。競走馬の市場や馬券の売上は右肩上がりであっても、働く環境に対しての不安や課題が改善されている訳ではありません。 哲実さんは、セレクトセールに上場を申し込む青森の牧場へ出向き、写真撮影も行ったばかり。今週も、夏に日高育成牧場で行われる「シンザンフェスティバル」の会議を控えていました。68歳でもバリバリ働いていた哲実さんには、改めて凄さと尊敬の念を抱きます。 ブリーズアップセールに向けた、日高育成牧場での展示会では毎年、調教供覧の時に談笑していました。今年は雨で、例年より人も少なかったんですが、その翌日にアップしたスポーツ報知のコラムを見て頂いた上で「あの雨の中、正直そのカメラでよく撮れていたなぁと感心したよ」と、門別競馬場で会った時に哲実さんから言われた時は、本当に嬉しい思いでした。まだ活力ある中で旅立たれたことは、哲実さんにとって志半ばだったと思います。まだ、色々とお聞きしたいこともたくさんありました。今まで本当にお世話になりました。ただただ、感謝です。御冥福をお祈り申し上げます。
2024年05月17日
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今日は皆さんもよく耳にされるかと思います競走馬の病気についてお話させてもらいますね中でも特によく使われる言葉の疑問にお答えしようと思います。ソエソエとは通称で本来は管骨骨膜炎と言います。競走馬の病気やけがの中で最も多く聞く言葉ではないでしょうか?ソエとは競走馬の両前脚に多く見られるものです。それも両前脚の前面に多く、状態によっては激しく痛みを伴います皆さんの中には、両前脚の前面がボッコリ腫れて膨らんだようになっているお馬さんを見たという方もおられるかもしれません。しかしこのソエ、見た目では腫脹がなくても痛むことがあります。というより、ソエ発症直後は見た目に何ら変わりはないことが多いのです。しかし、患部は強烈に熱を持ち痛みを伴い、中には激しく歩様を乱すお馬さんもいます。ではそのソエの正体とは・・・?両前脚の骨の前面に微細な亀裂骨折が起こっているのではないかとも言われていますが、強度の運動負荷によって骨を覆う骨膜という組織に炎症を起こしている状態のようですこの状態が治癒したのちに両前脚の前面にボッコリと骨が出っ張って跡が残ってしまうケースもあるようです。パドックなどで気になられた方は、きっとこの治癒した後の脚を見たのではないでしょうか?またソエは若馬に多くみられます。まだ体が成長しきっていないところに来て、競走馬として強度のトレーニングを課されることで起こってしまうようですね。程度が軽ければ、クッションの利いた馬場(特にウッドチップコース)や前脚に掛かる負担を軽減できる坂路コースなどで調教し競馬まで向かうことも可能ですもちろん調教後や、午後などに念入りに冷却するなどのケアは重要ですけどね次に多く耳にされるのが屈腱炎ではないでしょうか?カネヒキリがこの病気から復帰し大活躍しているのは周知のとおりですよねこれは屈腱炎罹患馬の患部の写真です。この屈腱炎も多くが前脚に発症します。もちろん後ろ脚にも屈腱はあるので発症することはあります。屈腱炎の通称はエビ。写真でもわかるように患部がエビの背中の部分のように腫れあがることからそう呼ばれているようです。屈腱炎は数年前まで不治の病と言われていましたよね。しかしここ最近の研究や獣医さんたちの努力によってその治療法も確立されつつあります。とはいっても軽度のものでも数カ月以上の休養や手術などを経て、仮に復帰にこぎつけても再発の危険性は非常に高いのも事実競走馬としての維持費用などの経済的な事を考えると、諦めたほうがいい場合が多いようですカネヒキリの例はまだまだ稀なんですね。ではこの屈腱炎とはどのような病気なのでしょうか。両脚の裏側にある屈腱と呼ばれる腱が部分的に断裂したものなんです。小さな断裂が原因で腫れや痛みをおこし、歩様に乱れをもたらします。屈腱炎の診断には人間のお母さんのお腹の中の赤ちゃんの様子を見る時に使われる超音波診断装置(エコー)をもちいます。これが屈腱炎罹患馬のエコー像。わかるかな?黒くなっている部分が断裂を起こしている部分です。断裂を起こしているのですから、その後競走をするというのは難しいというのは分かってもらえますよね今日は2つの重大な競走馬の病気についてお話ししましたが、また機会を見て紹介しますね。
2009年10月12日
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土曜日担当は、園田競馬実況の竹之上次男です。 来週から園田競馬の年末年始シリーズがスタートします! まず26日、27日。28日はお休みで、29、30、31日と年末は大晦日まで。 そして新春は1月2、3、4日の3日間です! 連日イベントなどで大いに盛り上がりそうです♪ 詳しくはコチラ>>> おっ!我らが“ポッ”の人、まりなるが来るのねん♪ また来週にも詳しくお伝えしますが、濃ゆいファンには1月3日の山田雅人&吉田勝彦新春トークショーは必見ですよ♪ さぁ、あすはいよいよ有馬記念♪ そしてそのあとも競馬が怒涛のように続きます!我々、仕事をする側としても忙しいですが、何と言ってもファンの皆さんが休まるところがありません! 競馬三昧の年末年始をお楽しみください!!〓Weeklyトピックス〓★松浦政宏騎手が引退… 玄人ファンを唸らす渋い騎乗で1216勝を挙げた松浦政宏(まさひろ)騎手が、12月21日の園田競馬で騎手生活にピリオドを打ちました。 決して派手さはありませんが、コンパクトでブレのない騎乗が多くのファンを魅了しました。 1991年にデビューし、2006年には一度引退して競馬界を離れていました。その後に厩務員として戻ってきたあと、2010年から再びジョッキーとして活躍していました。 確かな技術で、ブランクがなければ2000勝に達していただろうと関係者が口を揃えるほどの実力者。惜しまれつつの引退です。 今後は厩務員として、兵庫県競馬を支えて行きます。彼の手腕でスターダムに上り詰める競走馬が出現することを期待しましよう。 ホンマに渋い騎乗で楽しませてくれました。 ついでに、まっちゃん(松浦騎手の愛称)との初めてのツーショット! ぼくにしては上手に撮れた胴上げ写真♪ 中田騎手がめっちゃ嬉しそう(^^;) それにしても、最後の勝利となった12月19日の最終レース(単勝万馬券)はシビれたなぁ♪★ホープフルは浜松で♪ 今年は有馬記念のあとにもJRA開催が!そしてG1が! 2歳重賞『ホープフルステークス』がG1に昇格! 来年のダービーを狙う精鋭が集います♪ さて、わたくしはまたまた浜松に行きます! エクセル浜松でトークショーに出演します! 詳しくはコチラ>>> いつものように競馬エイトの津田照之さんとのコンビ。 さらに、今回のゲストはグリーンチャンネルなどでお馴染みの山口実香ちゃんです♪ 山口実香ちゃんとは、2014年12月7日の阪神競馬場でのイベント以来のお仕事。 あのときは、そのたんも一緒にイベントに出演しました♪ 川原騎手や田中騎手を加えての『チャンピオンズカップ』予想トークショーでした。 浜松初参戦の山口実香ちゃんの予想やいかに!! お近くの方は是非っ!!!★新聞社訪問からの有馬記念イベント きのうは大阪新聞社訪問をしたあと、ウインズ梅田で有馬記念トークショーというハードで楽しい一日でした♪※SKNメンバー。左から青山ハル、大場まりあ、神崎まなみ、小田ゆりえ いやぁ、みんなしっかり年末年始開催をアピールしてくれました! ウインズのイベントはご覧のメンバーで開催! 神崎まなみちゃんと青山ハルちゃんも前説&アシスタントで支えてくれました♪(おハルが後ろに写ってる♪)◆出演者の本命馬鈴木由希子さん◎シュヴァルグラン細江純子さん◎キタサンブラック田中学騎手◎キタサンブラック鴨宮祥行騎手◎キタサンブラック竹之上次男◎サトノクラウン ぼくだけサトノクラウン… からの…。 忘年会でした♪ もう何年も続いている、おっさんだらけの忘年会! 不健康を自慢をしながらも、身体の健康を考えないといけないですなぁ、という話に終始しました。 でも、こんな会話を20代の人たちがするようになったら日本も終わりですな(^^;)★マレーシア旅日記 久々のマレーシア旅日記! いよいよイポー競馬場に到着です♪ ところが、競馬場に入る寸前警備の人からストップがかかります!! 推定196cmはあろうかという坂口征二バリの体格をした強面の警備員が現れ、なにやら運転手と喋っています。 イポーの荒鷲と呼ばれているとかいないとか…。 どうやら「オマエタチ、ココハイルトコジャナイ!アッチマワレ!」的なことを言っていたようです。 そして、「オレガツレテッテヤルカラ、ツイテコイ!」的なことを言って誘導してくれたのです。 意外に優しい坂口征二! バイクちっちぇ~(>_<) どうやらUターンをしないといけないようです。 先にUターンをして、ついて来るを待っている心優しいイポーの荒鷲。 そして無事にイポー競馬場に到着するのです♪ かなり広い競馬場で、青々とした芝コース! と言いながら、よく見たらなかなかの雑草感…(>_<) 日本の芝コースとは違う…。 こんな感じ… と思いきや、コチラは高速道路のサービスエリアの雑草…。 競馬場と一緒やん(;≧Д≦)/ そんなイポー競馬場に、地球人として初めてそのたんグッズを持ち込みました♪ つづく…。 なにしろ写真がいっぱいあるので、旅日記は小出しにするじぇ~!◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ 鴨宮騎手はキタサンブラックとヤマカツエースとの2頭軸マルチで、総流しをかけると意気込んでいました♪ 果たしてどうなることやら…。 ぼくはサトノクラウンから馬連流し! にしようと、いまのところは思ってます!ムーア様!! 競馬の予想と言えば、園田随一の予想家、永島太郎騎手! この永島騎手が、12月20日の競馬で落馬、負傷してその後は乗り替わりとなりました。 容体を訊いてみると、痛み(脇腹や足などが痛む)は当然あるものの骨折の疑いはなかったとのことです。 「木馬に乗って身体を動かしてみたんですが、きのうと比べても痛みがマシになっています。あとは馬に乗ってみてどうかということですね。気持ちは来週から騎乗するつもりです。それでも痛みが酷ければ、迷惑をかけてしまうので乗らないし、そうでなければ乗ります」と来週へ気持ちは前向きになっているようです。 そんな太郎ちゃんの有馬記念の本命は? 「やっぱり、この枠を引いたらキタサンブラックでしょう。豊さんから電話があって、公開抽選観とけよって言われて、観てたらホントに2番を引くんですから、やっぱり持ってますよ」 相手候補は? 「1番を引いたヤマカツエースもいいですよね」 おっ!鴨宮と一緒やん!! 「それから牝馬のどれかが馬券に絡んで来そうに思いますね」 なるほど、ええこと聞いたがな!そのまま乗ってもええかも! 「最後ですからバシッと当てたいですね。では、良いお年を♪」 って、来週休む気マンマンやんけ(;≧Д≦)/
2017年12月23日
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金曜日は、古谷が担当します。 いよいよ「有馬記念」を迎えます。残念ながら、ホッカイドウ競馬のハッピーグリンは、出走を叶えることができませんでした。最終追い切りを行った19日、単走で落合玄太騎手が騎乗し、3F36秒2-2F23秒8-1F12秒0(馬なり)をマークし、良い追い切りでその時を待っていましたが、残念ながら除外…。来年は「大阪杯」を目指し、「中山記念」から始動することになると思います。 古馬になれば、「指定」と表記されたレースしか出走できず、その中で芝中距離となると、挑めるレースは限られてきます。このような現実を、コスモバルクの時も問題提起した思いはあったんですが、改めてハッピーグリンのような存在が出なければ、メディアも動くことはなく、ルールは変わっていきません。外国馬に開放している「国際」競走が、同じ日本にいる地方馬に参加する権利すらないレースが多いことは、ちょっと腑に落ちません。この辺りのルールに関し、古馬となるハッピーグリンがレースに出走する際に、来年はもっと声が上がることを期待したいと思います。(ジャパンCのハッピーグリン) ハッピーグリンの遠征はなくなりましたが、ホッカイドウ競馬勢の遠征はまだまだ続きます。24日(月・祝)の「名古屋グランプリ」には、ハッピースプリントが出走します。ハッピーグリンと同じ時間帯に、坂路で2歳牝馬のスズカユースと併せ、3F34秒8-2F23秒8-1F12秒5を叩き出しました。ハッピースプリントクラスなら、34秒台はマークするのは楽なことですが、門別の坂路で35秒を切る時計で走る馬は、そういません。「道営記念」が早めに動かざるを得ない展開となり、自身の末を甘くする結果となってしまい、陣営も納得いかないレースに、早々と続戦を決めました。「今度は、JRA勢で先行馬もいて、流れもある程度速くなると思いますから、じっくり溜めてどれだけの脚を使えるか、状態の良さを生かしたいと思います」と、田中淳師は話していました。そして、「道営記念」を制し、今年のホッカイドウ競馬では無敗の重賞5連勝を飾ったスーパーステションは、「東京大賞典」を目指し、17日に1週前追い切りを行いました。厩務員が騎乗し、坂路の外側を単走で走り、3F36秒1-2F23秒1-1F11秒8(馬なり)をマークしました。「追い切る前は512キロあり、道営記念から約20キロ増えていますが、あと1本追い切りを行い、大井への長距離輸送を考えれば、前走ぐらいの馬体重で出走できると思います。順調ですよ」と、角川師は話していました。充実の4歳、JRA勢の豪華メンバーを相手に、どんな走りを見せてくれるか…。今からワクワクしますね。(坂路から見る、門別競馬場の厩舎地区) 17日は、門別競馬場に寄った後、坂東牧場に行きました。27日の「兵庫ゴールドトロフィー」を目指して調整されていたソイカウボーイが、右前に軽い骨折線が見られることから回避を決め、放牧に出ました。レントゲンも見せて頂きましたが、小指の爪の長さぐらいの線が入っている程度で、軽くてホッとしました。まだ脚元も固まっていない状況から、来シーズンも坂路のあるホッカイドウ競馬で何戦かする方向で、まずはしっかり治していく方針とのことでした。(ソイカウボーイ) そして、オータムセールで岐阜県馬主会の抽選が通り、補助馬対象として購入したソトーグラシオの17(父ストロングリターン)も見てきました。乗り運動を始め、セールの時より馬体重も少し減りましたが、ここから筋肉もつき、成長もしていくことを考えれば、現時点で430キロ台の馬体なら立派な方かなと思いました。来春には笠松に移動し、早いデビューを目指して育成されていくと思いますが、こちらも楽しみです。(父ストロングリターン、母ソトーグラシオの牝馬) 「有馬記念」はもちろんですが、地方競馬も年末に向けてビッグレースが目白押し!「有馬記念」当日は、佐賀で「中島記念」、帯広は「ばんえいダービー」もあります。ぜひ、楽天競馬でお楽しみ頂ければと思います!
2018年12月21日
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土曜日担当は、園田競馬実況の竹之上次男です。 今週からレース映像にちょっと変化が…。 これまでなかったのが不思議なぐらいだったのですが、ゴール前のリプレイのとき「ここがゴ~ル(吉田勝彦風)」となる線が画面にあって、その優劣を見分けるのに役立つのです。 ↑こんな風に 実は園田にはこの線がなくて、これまでリプレイを放映していました。 画像も高精細となり、ファンの皆さんにもゴール前がより確認しやすくなっただろうと思います。 ただ、この画像で着順を判定するものではなく、あくまで確認のための参考画像です。 それが、より確認しやすくなったということ。 というのも、以前の映像では判定写真を行うカメラとは少しズレた位置から撮影していたので、全く並んでいるように見えて、あるいはどちらかが抜けているように見えて、そうじゃなかったりしたわけです。 この度の変更で実況するわたしたちにとってもすごく喋りやすくなったことは間違いありません。 素晴らしい♪〓Weeklyトピックス〓★ヒダルマ連勝タイ記録 木曜日(11日)のメインレースでは、先月に10連勝を達成したヒダルマが、初めてオープンに挑戦しました。 結果は、オープン2勝の実績馬ゴールドスーク以下を9馬身ちぎって捨てる圧勝だったのです。 これでトータル11連勝。兵庫県にサラブレッドが導入された1999年以降では、史上3頭目の最多連勝タイ記録となったのでした。 オープンに昇級しても気後れすることなく、好スタートからハナを奪ったヒダルマ。直線で2番手を追走したゴールドスークを楽々と突き放すレースぶりは、これまで以上の強さで、連勝新記録や、今後の重賞路線での活躍へと期待が膨らみます。★永島、西川騎手が調教師へ 地方競馬全国協会から調教師試験合格者が発表され、2000勝ジョッキー永島太郎騎手と、前騎手会長の西川進也騎手が合格。8月1日付けで調教師免許が交付されるため、7月いっぱいで騎手を引退することが決定しました。 惜しまれつつ引退する両ジョッキーの引退式の日程については、後日お伝えすることにします。★遠征情報 来週の月曜日、7月15日に名古屋競馬場で行われる重賞レース『名港盃』に兵庫から4頭が大挙遠征します。 6月12日に行われた『六甲盃』で連覇を成し遂げたタガノゴールド、そのときの2着、3着だったタガノヴェリテ、メイショウオオゼキの新子厩舎の3頭が揃って参戦します。 またメイショウヨウコウも出走を予定していて、これが園田でのキャリア93戦目にして初めての遠征競馬となります。 またこの日には、ジャパンジョッキーズカップが盛岡競馬場で行われ、吉村智洋騎手が参戦します。ご注目ください。 7月17日は、船橋競馬場で行われる1000mのスーパースプリント戦『習志野きらっとスプリント』にタガノカピート、キングクリチャンの2頭が参戦。 18日に笠松競馬場で行われる『サマーカップ』にはエイシンエンジョイ、キクノステラが遠征予定で、来週は遠征ラッシュとなります。 その中で、下原理騎手は全てのレースにフル参戦。暑い時期に連日の移動とレースで過酷な一週間となりますが、体調を崩すことなく、好結果をもたらすことができるよう期待しましょう。★鴨宮騎手がケガで戦線離脱… 7月10日の早朝、調教中に馬とともに転倒(人馬転)し、足の小指(中足骨)を骨折してしまいました。 全治一ヶ月との診断だそうです。 イケメン見たさに訪れるファンも多いというのに、なんとも残念…。 足はギプスを巻いて移動が大変らしいけど、できれば毎日競馬場に来て、ファンサービスしてくれてもええで♪◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ あぁ、ポッ娘の真彩さまに会えなかった…。楽屋に挨拶に行くタイミングを逃しちまった…。 ということで、写真は小田ゆりえちゃん♪
2019年07月13日
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今日は耳目社山中が担当します。無観客開催中も、皆さんお聞きの通り、レースの実況をしています。それに備え、普段と変わらず、出走表に勝負服の塗り絵をしています。この期間の出走表は、貴重な資料?先週の水曜日(3/18)、大井競馬メインレースの京浜盃では、同じ勝負服の馬が同じ7枠に入り、珍しい染め分け帽が発生しました。11番ブリッグオドーンと12番ファルコンビーク。12番ファルコンビークが染め分け帽を着用して出走しました。激戦となったレースは、ブラヴールが差し切って優勝。父セレン×母チャームアスリープの血統馬が南関東クラシック戦線の今年の主役に躍り出ました。(結果は→こちら)実況の時には気づきませんでしたが、ゴールは8着ブリッグオドーンクビ差9着がファルコンビークだったんですね。僕らが担当している競馬場では、JRA1勝クラスとの交流競走で、同じ勝負服の馬が同じ枠に入ることがたまに(数年に1度くらい)ありますが、重賞では珍しい出来事です。(古い写真ですが2013年3月14日・船橋競馬9Rベストビット特別)京浜盃の塗り絵には、間違いのないように「染分け」と書いてみたり。今回は、冬休みが明け、先週から開催がスタートした金沢競馬場に来ています。開幕をファンの皆さんと共に迎えたかったところですが、今般の状況により、残念ながら無観客での競馬開催が続いています。記者の皆さんがいつもの位置から馬を見ているものの、ファンの皆様の姿はなし。ファンの皆さんの話し声もなく、静かな場内。早く賑わいが戻って欲しいなと思うばかり。新聞を見て馬券を買いながら、ああでもないこうでもないと友人と話しながら、レースを観戦したいですね。好きな馬や騎手を目の前で応援したいですね。(こちらは船橋競馬場)こういう「場」がとてもかけがえのないものなんだ、ということを今回の無観客開催で改めて感じています。無観客開催がラストランとなってしまった森下博騎手の引退セレモニーは4月の川崎競馬で予定されています。競馬場で声援を送りたいですよね。
2020年03月23日
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水曜日の担当は、坂田博昭です。 今週は、まず佐賀競馬場の風景から。(取材日は8月20日日曜日) 九州だから、暑いのは当たり前、と思っていたのですが…… この日の佐賀競馬場は、ひときわ湿気が重たくて、暑く感じられたみたいで。 地元の方々が「今日はひときわ」とこぼすほど。 もう8月も後半に入っているのですが、まだまだ空の色も雲の姿も、夏模様。 JRAが札幌記念当日だったこともあり、馬券を買いに来たお客さま方も含め、日中から結構賑わっていました。 プレイヤーの横顔。まずはこの人から。 青海大樹(おうみだいき)騎手 24歳 2021年10月にデビューして、間もなく2年になりますか。 この夏、1週間(開催日3日)だけ、門別に来ていました。 私が取材に出かけた日にはうまく行き会えなくて、話も聞けなかったんですが…… 3日間で5鞍に騎乗していました。「全然形態の違う競馬場での騎乗は、新鮮でした。」 去年の7月末からずっと佐賀に短期移籍で来ていて、今年の春には正式に移籍。佐賀で真島元徳厩舎の所属騎手になりました。今季これまで307戦して10勝。通算で25勝。 いまはとにかく数多く乗って、結果はこれから、ですね。 いま、仕事の上で一番意識していることは?と、尋ねてみました。「攻め馬ですね」 レースの中身云々よりも、「攻め馬」っていう答えでした。「いま、大井の真島大輔調教師が(開業前の研修の一環で自厩舎に)来ているんです。大輔さんから色んな話を聞いて、試してみたりもしています。」 それは確かに、願ってもなかなかない機会、なのかも。 この場所でやっていくと決めた、彼。 この場所とか状況にフィットしていけば…… 自ずとやるべきことは見えてくるよね、きっと。 来年、デビュー3年になったときに、また少し話をしてみたい。 短い時間の会話で、そんな風に思えました。 つづきまして。先日念願の重賞を勝てた、こちら。 金山昇馬騎手 21歳でデビュー4年目 今年6月11日の佐賀がばいダッシュでスーパースナッズを駆り、初めて重賞を勝ちました。 随分以前から、重賞制覇を当面の目標に掲げ、それを公言もしていました。 しかし、産みの苦しみといいますか、惜敗が重なってここまで来ました。 前回、12月にこのブログで彼を取り上げた時の様子がこちら。 仕事について思い悩むこともあったみたい。 6月の重賞勝利は、そんな中での「会心の」勝利と言えるでしょう。 「重賞をひとつ勝つことが出来て、気持ちの持ち方は明らかに変わりました。周囲がよく見えるようになって来たように感じます。」 彼は衒いなく、このように話します。「同じ負けるにしても、いい騎乗をしての負けなのか、それとも自分が失敗しての負けなのか。それをきちんと割り切って考えられるようになっていると思います。」 確かに。 勝つことよりも、負けることの方が圧倒的に多いのが、競馬の仕事。 その中でまず「負ける」ということについて具体的に掴むことが出来るかどうかと言うことは、もしかしたら競馬の仕事で成功していくためのひとつのおおきなポイントなのかも知れません。 8月20日 4レースのロウレイロ 断然の注目を集めた自厩舎の馬を、しっかりと勝利に導く ズボンに記されているのは「可能性の獣」の文字。 ユニコーンガンダム由来のキーワード。 「ガンダム好き」という以上に、このワード選択には思うところがあるのでしょう。 今年は、8月のこの時期まで終わって、39勝 去年よりは、若干ペースは落ちているのかも知れませんが…… ここからきっと、逆襲が始まる。その準備は、きっと整ってる。 そんな気がしました。 通算200勝まで、先週末の開催が終わった時点で、あと15勝です。 この日のメインレースは、重賞の九州チャンピオンシップ(1750m) なかなかの銘柄どころが登場しました。 コースを1周半するレース 最後の4コーナーで、番手から前を交わし出て行ったミスカゴシマ(赤帽)に 外からドゥラリュール(黄帽)もつれて追撃 後ろの方から脚を使ってやってきたヒストリーメイカー(橙帽)も、勢いは互角…… ゴールの瞬間このガッツポーズ、そして表情を見よ! そして「可能性の獣」の歓喜の雄叫びが響き渡りました。 ミスカゴシマが半馬身、ヒストリーメイカーを振り切って優勝! 勝利は今年1月のオープン特別以来 重賞勝利は、2年前の12月のウィンターチャンピオン以来9つめ。 2~3歳時に大活躍して、ファンも多いこの馬。 私も久しぶりにこの馬の勝利を見ることが出来、驚きと共に感激していました。 金山昇馬は、つくづく「アツい」男だ。 気持ちが入ると、喜びも、そしてたぶん苦しみも悲しみも、こんなふうに表情豊かに表現する。いや、してしまう。 取材陣にも、この表情でガッツポーズ「返し馬の時から馬がグッと行く感じがあって、状態がとても良いと感じていました。(北海道出張で不在の平山調教師とは)2番手につけて行こうと事前に打ち合わせをしていたのですが、その通りのレースになりました。」 レースの振り返りも、実に冷静でした。 レースが見えてる。だから勝利に結びつく。 負のスパイラルに落っこちそうになっていた、去年の冬から 一段グレードアップした彼が、そこにいました。 来週8月31日木曜日には、ダートグレード競走のサマーチャンピオン(Jpn3)が行われます。 どんなドラマが待っているかな。 またこの場所を訪れるのが楽しみです。 続きまして。まだあります。 昨日の名古屋競馬場でのお話。(取材日8月22日火曜日) 実は、今週の名古屋は連日雨予報。 しとしと降る雨の予報ではなく、突発的に降る雷雨の確率が50%、みたいな。 昼前に1レースが始まる時点での空模様はこんな感じでした。 海に向かっているこの方向は青空が広がっているのですが、遠くの方では低い雲がもくもくと立ち上っているのがよくわかります。 重賞レースの騎乗依頼を受けて、この人が名古屋競馬場に初登場! 大井所属の西啓太騎手 29歳でキャリア10年目 最近は、各地の重賞レースで騎乗依頼を受けて、スポット参戦することが多くなってきています。先月も門別で1つ勝っていたな。 「懇意にしてもらっている調教師やオーナーに声をかけてもらって、声がかかれば出かけるようにしています。競馬場によって、レース全体の流れも違いますし、何よりいつもいる南関東と違う環境で仕事をさせてもらえるのが、刺激になりますね。」 いまは厩舎の所属を離れ、東京都騎手会所属、つまりフリーの立場で仕事をしています。「以前から、他場でも乗りたいと考えていたのですが、フリーになる前はどうしても自厩舎の仕事のこともありますから。いまはフリーになって、むしろ積極的に外に出ることを考えています。」 いまの立場で、いまの立場だから出来ることをする。 それがチャレンジの原動力になっているようです。 話を聞いている中で、何度も彼から出た言葉があります。「南関東は恵まれている」 そのことを感じるからこそ、外に出て行くのだと彼は話します。「コロナの前には、この名古屋からも岡部さんとか、高知の赤岡さんとか、金沢の吉原さんとかが、短期移籍で南関東に来ていたじゃないですか。当時はその傍らで『トップジョッキーが来たんだな』ぐらいの認識だったんです。でも、自分が実際に、そのトップジョッキーが普段仕事をしている場所に来て、強く感じました。」 それが『南関東は恵まれている』の意味。「彼らが、南関東に来て活躍しようという、そのもの凄いモチベーションの中身が、自分が彼らの場所に来てみて、わかりました。」 興味深い見方でした。 そうして「敵を知る」こと。それも途轍もない実力と実績の持ち主の気持ちの部分まで理解することを、自分自身のモチベーションにも結びつけている。その考えに触れて、私はハッとさせられました。 この日は、全部で5鞍に騎乗。 3レースのハッキヨーヨーで、名古屋での初騎乗に初勝利を飾りました。「自分は、先々大きなレースを勝ちたい、と思うよりも、目先一つひとつの与えられたことをやっていくことにより、大きなことも実現していく、と考えるタイプです。ですから意識するのは『技術の向上』ですね。」 ともすると控えめにも取れるこのような考えを語ることに、彼もまた全く衒いがありませんでした。 「南関東にはいい馬が入ってきています。いまは3歳のレースも、門別出身の馬ばかりではなく大井から強い馬が出る時代。1頭1頭向き合って自分で馬を仕上げていきたいですね。」 その面で自身なりに取り組めているという、自負もあるようだ。「自分は小林(分場)所属なので、ノンコ(ノユメ)とか、モジアナ(フレイバー)とか、サブノジュニアとか、本当に強い馬の調教に乗せてもらって、経験を積んできました。そういう経験を生かして、強い馬を自分で作っていきたいです。」 そして、その仕上げた馬に、今度は彼が実戦で乗る番。 それが当たり前になるときは近いのだと思うし、そういうときが来なければいけないのだと思います。「競馬の質を、上げたい。それを、自分たち若手がしていかないと」 話の最後に、彼はそう話しました。 この世代が、ひとつ上のいま活躍している世代を乗り越えていく日も、それほど遠くはないかも知れません。 話は名古屋に戻って。 昨日のメインレースは、920mの重賞・ベイスプリント 東海北陸交流の重賞です。 前哨戦に当たる、名古屋での前開催のオープン特別・スフェーンオープンで好走したアオイスイセイやウェーブメジャー、去年のこのレース惜敗の雪辱を期するヒロシゲウェーブが注目を集めました。 が、しかし。 金沢から意欲を持って遠征してきた馬たちは、速かった!! 格では下だった金沢のアルカウンが、外枠から一気の逃げ! ゴールまで止まりませんでした。 12頭立て12番人気の馬の勝利で、馬券的には波乱の決着 乗っていたのは、船橋所属の澤田龍哉(さわだりょうや)騎手 今年なんと!重賞4勝目!! 今年は、昨日までの段階で早くも昨年一年間の勝利数に迫る32勝をマーク。 ブレイクしてます!!!「ゲートの中での立ち方が良くなくて、出はあまりよくありませんでした。でもそこからがグンと速くて、3~4コーナーではやれそうな感じでした。」 更に、勝利騎手インタビューの模様は、名古屋競馬オフィシャルYoutube映像でご覧下さい。 井樋一也(いびかずや)調教師(馬の左)は、このレースに3頭を送り込み、勝利をものにしました。「とにかく先手が取れないと前走(読売レディス杯)のように全然ダメな馬。スターオブケリーの方が速いと思っていたのですが、アルカウンは外枠が良かったですね。距離は1400mとかでも大丈夫。とにかくこの馬は、先手が取れるかどうかです。」 南関東の澤田騎手を起用したことについては……「いつも金沢に来て乗ってもらってて、勝つのが難しそうな馬ばかり依頼していて申し訳ないと思っていたのですが……今日は勝ってくれて、本当に良かったです。」 そのあたりのこと、澤田騎手にも聞いてみました。「今年の冬に、井樋厩舎の厩務員の方とか、安藤勝己さんとかも交えて食事をさせてもらう機会があって、そこで懇意になって縁が出来ました。」 傍らにいた大ベテラン記者が、あとで一言。「ここで、彼からアンカツの名前が出るとは思わなかった……」 本当に、縁、ですよね。 世界は、狭いといえば狭い。 その中で、いろんなことが巡り巡ってる。「そこで、機会があったらよろしく、みたいな話になって、その言葉通り本当に依頼をして下さったので、いまこうして乗せていただくようになっています。他場での騎乗は、騎手としてのモチベーションを高めるために、意識しています。声がかかったら、どんな馬でも状況でも、基本行くようにしています。今回はその中で結果を出せて本当に嬉しいです。」 ここでも、「騎手としてのモチベーション」という言葉が出ました。「自分は、レースは全部『運』だと思っているので。」 最後、こんな風に話をまとめました。「展開、天候、その他色んなことが全て揃わないと、馬の力や騎手の力量だけでは勝てませんから。」 その「色んなこと」の中には、間違いなく「縁」ということもものすごくある。 彼の今年の活躍の理由が、わかるような気がしました。 私もまた、今日はそんな競馬の「縁」に恵まれて、いい一日を過ごせたな。 来週は、多分、名古屋と門別のお話になるかな。 夏ももうすぐおわるね。
2023年08月23日
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田原さん・・・競馬に関わる人々全体の印象を著しく悪化させていますよね。残念で仕方ありません。関与禁止や停止は当然ですが、お願いだからもう競馬に一切かかわらないでもらいたいものです。みんなやっていいるんだろ?みたいな風潮になってしまうのでしょうか??でしたらこれを機に関係者全員の検査をしてでもその風潮を打ち消す努力ををしなくてはなりませんね。トレセンにそんなものはありませんから!どうぞみなさん信用なさってください!!さて今日もみなさんにお馬さんの病気について知ってもらいましょう。自分が一競馬ファンだったころ、その二つの病気について中々区別が付きにくいものがありました。今日はその二つのお話し。みなさんもきっとわかりにくいと思いますので。コズミとスクミ。双子の姉妹ではありません。自分はこの二つの病気、コズミの延長上にスクミがあると思っていました。しかし今では自分の経験でまったく異なるものであることが理解できます。まずはコズミから。コズミというのは、筋肉痛や筋肉疲労、腱や靭帯の痛みなどが原因で起こる歩様の違和感。多くは筋肉疲労で硬化した筋肉が肩の動きや後肢の動きのスムーズさを阻害していることが多く感じられます。人間でもそうですが、激しい運動を行う方々にとって筋肉痛で動きづらいのは病気ではないですよね。お馬さんも一緒です。コズミは病気という認識ではないので、筋肉注射やマッサージ、マイクロウェーブや電気針などの治療によるメンテナンスで乗り越えてもらいます。もちろん、あまりに酷いようならば休養となってしまいますけど・・・ではスクミです。休養明けの激しい運動などの直後に突然歩様を乱してしまうのが一般的な症状。麻痺性筋色素尿症(まひせいきんしきそにょうしょう)というのが本当の名前。一般的にスクミと呼ばれています。スクミはまだまだ謎に包まれた未知の病気なんです。なぜ起こるのかがほとんど解明されていないそうです。スクミを起こしたお馬さんの筋肉組織を顕微鏡で観察すると、筋肉組織が溶けてしまっているらしいのですが・・・溶けてしまった筋肉の筋色素が尿中に混じることから麻痺性 筋色素 尿症となったようです。つまり先程のコズミとは全くの別物。このスクミも完全な病気とは言い切れず、お付き合いしながら競走馬として鍛えていかなくてはなりません。しかしスクミはあまりに酷い症例では命を落としてしまうこともあるので十分に気をつけながらの調教となります。では一体、スクミを起こすお馬さんとはどのようなお馬さんなのでしょうか?コズミはどのお馬さんにも起こりえますが、スクミを起こすお馬さんはほぼ決まっているのです。ここからは私の経験的な話になりますが、特に多いのがお母さんがスクミ持ちだったお馬さん。つまり遺伝ですね。そして性格が真面目でしかも周囲に気を使って走る、でも暴れたりしないで内面に感情を押し込め我慢してしまうお馬さん。このようなお馬さんは走っているときに体を硬くすることが多く、スクミ持ちの子も多いように感じています。まだまだ説明不足で分かりにくいかもしれませんが、また機会を見つけてお話しさせてもらいましょう。それでは今週は天皇賞です。オールカマー3連覇の偉業を達成したゴッホくんの登場です。鞍乗は待ってました!!の蛯名騎手!!!楽しみに見ていてくださいね。
2009年10月26日
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川崎競馬場で初めて行われた人前結婚式、その主役が増田充宏騎手ご夫妻。いろんな所で話題になりましたが、今日はそのときのフォトをご紹介していきますね。 今回の人前結婚式の計画を立ち上げのときからお手伝いされていた川崎競馬倶楽部さん。当日もたくさんのスタッフさんたちがサポートされていましたよ。写真もたくさん撮影していて、最初から最後までとても詳しく紹介されていました(こちら)。 ここでは、私流にご紹介したいと思います(^^ゞ 仕事の関係で人前結婚式は遅れて参加したんですが、すでにファンの皆さんとのふれいあのお時間でした。たくさんの方々が来ていて祝福していましたよぉ。お天気が心配されたんですが、晴れて本当によかった。新郎新婦の祈りがお天気の神様に通じたんでしょうねぇ。 至る所に手作り感が満載で、とても温かいお式でしたよ。 なんと、誘導馬君たちもお手伝いをしていました。 向かって右がユウ君で、向かって左はジョイ君です。ユウ君は男子担当で、ジョイ君は女子担当^m^↓ ミニチュアちゃんたちも大人気でした↓ 川崎ジョッキーズもズラリと勢ぞろいして非常に豪華~(*^。^*) 人前結婚式後は、親族、友人、関係者たちで行われた披露宴。 この日は川崎競馬場が誇るドリームビジョンもピンク(*^。^*) 入場の際は馬に乗って登場するという競馬場ならではの演出もありました。 今野忠成川崎騎手会長の乾杯の音頭↓ 村田六郎調教師が恒例の祭りを熱唱↓ 地方競馬の女帝中川明美さんと川崎のトラックマンの皆さんです↓ 笠松の元騎手だった冨島政俊さん。現在は船橋の佐藤賢二厩舎の調教専門厩務員として働いているそうです。増田騎手とは騎手時代の同期ということで列席されていました。↓ 耳目社の山中寛アナウンサーが丸一日司会をしていました。この写真は、直前まで電話で打ち合わせをしたり忙しくしていた山中アナの様子。でも、本番はしっかり決めて、さすがプロだわぁ~。 12時半からスタートして18時過ぎにお開きとなった内容の濃い結婚式でございました。 増田騎手、怪我には十分に気をつけて末永くお幸せに~(^O^)/ かけ足になりましたが、増田騎手の結婚式フォトをご紹介しましたm(__)m
2010年10月10日
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今日はここ最近見たものを、写真で綴らせて頂きます。いろ~んなことがありましたぁ。 久しぶりに、大井競馬場所属馬がお住いの小林牧場に行ってきました。すると、暖かいお天気だったからかな。あくびをしているお馬さんたちの姿が。 その中には、夏休みを終えて埼玉栄冠賞に復帰予定のモエレラッキー↓ 安定度抜群のリワードアルビオン↓ めっちゃ気持よさそうです。っていうか、ラッキー、さすが草食動物だけど肉食ちっくさんらしいあくびだわ(笑)。ここ、参照。 ちなみに、アルビオンはお馬さんダイスキっこで、いつもぶひぶひ鳴いています。この時は眠たかったみたいで、あくびをしたら、目を細めていました。 眠くなる季節なのかしら・・・その後、船橋に行ってみると。 05年スパーキングサマーカップの勝ち馬マクロプロトンです。これだけ見ると、マックはめちゃ怖そうですが(笑)、馬房の中ではこんなに人懐っこい子はいるの?っていうくらい本当にかわいい子なんですよ。外では燃えるタイプだけど、中ではとってもおとなしい。メリハリのあるお馬さんです。勝ち星から遠ざかっている昨今ですが、何とか復活して欲しいです。マック、頑張って! だんだん暖かくなると、午後乗り(正午からの調教)のお馬さんもちらほら見受けられるようになってきます。ちなみに、東京盃を制したばかりのフジノウェーブは、午後乗りで仕上げられてきました。暖かい時間帯に調整することによって、体も動かしやすいし、汗もかきやすいですから。また、各陣営いろんなお考えによって行っています。 わたしのようなマスコミは、今回の東京盃の本追い切りを例に出すと、朝は船橋のディープサマーを見て、午後から大井のフジノウェーブを見て。有力どころの動きを、ちゃんと見ることができました。普通はバッティングしちゃうものなので、ドラえもんにどこでもドアを出して欲しいっていつも願ってますもん(笑)。ただ、関係者さんたちは大変ですよね。一般的にその時間は休憩中ですから(朝2時や3時に起きて、夕方も3時や4時までお仕事しているわけなので、お昼寝をしないと大変です)。 ちょうど、その午後乗りの取材に行くと、 中村護調教師と佐々木学調教専門厩務員の姿が!ちなみに、学さんは元ジョッキーですね。あの佐々木竹見さんの甥っ子さんとしても知られていますよん。 お昼からお疲れ様です!なお、中村護厩舎のホームページはこちら。 多くて週1くらいのペースで行われている南関東の重賞レース。取材回りをしていて感じることは、重賞レースに担当馬を送り出すことって本当に本当に大変なことだよなぁと。もちろん勝負の世界ですから勝つことが一番ですが、送り出すことだけでもすごいことだなぁって。 東京盃に出走した重賞常連のシルヴァーゼット。担当の藤田健厩務員はこの道29年の大ベテランさんですが、初めて担当馬を重賞レースに送り出したんです。担当馬も癒されながら過ごしているんだろうなぁと感じるくらい、いつもすっごく優しい厩務員さんです。 前を行くのはシルヴァーゼットと藤田厩務員、後ろを歩くのがフジノウェーブと金成昭厩務員。レース翌日に、藤田厩務員に感想を聞いてみたら、「重賞レースでも、いつもと気持ちは変わらなかったですよ。ただ、馬が無事に帰ってきてくれたからよかった~って思うだけですね」(藤田厩務員)。 東京記念に出走したブルーラインは重賞初挑戦でした。担当の茂木浩幸厩務員はこの世界に入って約3年。「厩務員になって初勝利がこの馬だったから、すごく思い入れがあるんです。今回も一緒に(重賞に)出走することができて本当にうれしいです!」と、ニコニコ話しをしていたのが印象的でした。 今回は8着でしたが、今後に向けていいお勉強になったでしょう。ちなみに、ブルーラインはツンデレタイプなんだそう(笑)。甘えて欲しいような仕草を見せたかな?と思って近寄ると、急に強気なところも見せたり。まぁ、Sタイプではない茂木厩務員にはお似合いのカップル?だと思いますよ(笑)。 7月に、初出走初勝利というど派手なパフォーマンスで厩舎デビューを果たした山中尊徳調教師。開業するまで大変なことも多かったでしょうから、関係者たちもみんな「よかった、よかった」って大喜びしていました。そんな、山中調教師は東京記念で初めて管理馬を重賞レースに送り出したんです。メジャーワールド↓ お顔にポチポチっと特徴のある子なんですねぇ。ちなみに、ポチポチっとしたマークのある子で活躍していたのは、ケイアイミリオンやイブキオネストがいましたよ。 さてさて。重賞レースとは言っても平常心で臨んだという山中調教師。厩舎の強みは、騎手時代に多くの重賞ウイナーにかかわってきた山中調教師自らが、調教をつけてレースに送り出せるということでしょうね。 東京記念を優勝したルースリンド。そういえば、ウイナーズサークルで共同インタビューが終わった後に、ファンからサインを求められた矢野義幸調教師。「久しぶりで忘れたぞ(笑)」と言いながら、しっかり、「39」という文字も。 矢野調教師と言えば、阪神好きでも有名ですからねぇ。私は野球って詳しくないんですが、阪神にいる矢野選手が39番なんですってね? ルースリンドが優勝した喜びの翌日には・・・巨人が優勝しちゃいましたね。矢野先生、残念(涙) ノボジャックの愛息アポロジャック。懐っこくてすっごいかわいい子なんです。しばらく放牧に出るということで、お別れの挨拶をしに行くと・・・↓ 昔、こういうドラマがありませんでしたっけ?冬彦さん・・・(苦笑)ジャック、いい味出してました。 そしてラストは、川本裕達騎手に飾って頂きましょ。ちょうど納谷騎手の引退式を終えて帰るところ。 さすが、ブログ王子としてはどんな時でもカメラを持参。またブログのアップ楽しみにしていますよん。
2008年10月12日
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水曜日の担当は、坂田博昭です。 まず。週末日曜日・24日のばんえい記念。 私も「セルフィー」なるものに参加させて頂きました。 みんなそれぞれで撮影する、っていう趣向が面白かったですね。 楽天競馬のばんえい記念キャンペーンページからご覧下さいね! 今年は私も晴れてばんえい記念に参加できる身になりましたので(笑)、帯広競馬場で参加させて頂きます。仕事もあるので完全に観戦…とはいきませんが、いい一日になるような気がしています。 仕事の合間に場内も見て回るつもりなので、多くの方々とお目にかかれればと思っています。 それより前。明日! 先週の私の稿でお知らせしたように、北海道のサテライト石狩で「的場祭」…やります! ご案内はこちらから。 多くの方々のお越しを、お待ち申し上げております。 さて、ようやくここからが今日の話題。 大井競馬場で一日時間をつぶすという珍しい用事が出来たので…指定席に入ってみました。 正門を入ってすぐの所にあるスタンド「G-FRONT」 指定席売り場も洗練された感じで、期待感十分 なぜかこの状況で、あの古いスタンドの「穴場」にお金出して指定席券を買い求めていた風景を、思い出しました。隔世の感がありますよね。 プライムシート3000円也 ふんぱつ… 案内されるがままに3階まで上がってきたところ、またこのような素晴らしい受付完備のフロアになっておりました。 フロアの色合いから醸し出される雰囲気が、いかにもプライムな感じ。 月曜日の昼間でしたが、このあともお客様が訪れて盛況でした。 座席は革張りで、ちょうどいい弾力があって座り心地良好 テーブルの大きさも文句なし これで電源が来ていれば…ネットカフェがわりにここで仕事しながら過ごせるのだけれど。残念ながら通常電源はなし。USBケーブルは写真中央の白い部分にささります。 大井競馬場のHPの案内には「ゴール直前の興奮」って、正確に書いてあります。直線が見渡せるし、騎手も馬も頑張りながら目の前を過ぎていくし、いいロケーションです。 今回、この席に入ったのは、試したいものがあったから。 はい!入場と同時に渡されましたよ。 キャッシュレス投票用のカード このG-FRONT3階は、専用端末によるキャッシュレス投票専用フロアになっています。 席にあるでっかい液晶モニターは、様々な情報が映し出せる上に、このモニターに触って入力するだけで投票(つまり馬券を買うこと)も出来ます。 要するに、席を一切立つことなく馬券を勝ってレースを楽しめると言うこと。 便利です。私のように指定席をネカフェ代わりにして遊びたいひとには(笑)。 実際、プライムシートのお客様の行き来は本当に少なくて、フロア自体がすごく落ち着いた感じになるのはそのこともあるのだと思います。 どうしても席を立たなければならないのは、ここに来る必要が生じたとき。予め入金しておいたお金を使い切ってしまったら、ここで補充します。一見券売機のように見えますが、全部入出金機でした。 私が使ったのは、その日限り拝借する「当日用」のカードでした。 登録して、自分だけの会員カードを持てば、このようにポイントがたまって還元されるみたい。次来たときにはカード作ります、必ず。 3000円っていう値段をどう考えるか、なのですが。 私はいま大井競馬場の近所に住んでいるので、気分転換に競馬場に行ってこの場所使うのはありかなと。 勿論、普通に競馬場に遊びに来て、この場所でゴージャスに楽しむというのもいいのですが… 「居場所」ですから。 このプライムシート、居場所としては悪くないと思いました。 例えば、この場所に1冊本を持って行って、競馬たまにやりながらあとは読書、で半日過ごす。 贅沢でいいじゃありませんか。 競馬場は、そういう場所でもあるべきだと、私は常々思っています。 この日不満に感じたことがあるとすれば、パソコン用の電源がなかったことと、食事。 どちらも、競馬観戦という意味では絶対必要というわけではないものなのかも知れませんが、「居場所」と思えば充実させて欲しいところ。 食事はむしろ1階の一般フロアにいろいろあるので、それを買って持ち込めば良かったかなと思いました。(競馬場外からの持ち込みは出来ません) 馬券を当てれば、席代の3000円ぐらいはすぐに…とは思わない方がいいかな(苦笑)。 一本かぶりの「ナニスンネン」がスタート直後に落馬して、本当に「何すんねん!」となってこの日の勝負を終えたことは、内緒。そのレース、一点勝負したもう一方の馬が勝ちました(泣)。 次は、夜の時間帯にぶらりと来てみたいと思います。
2019年03月20日
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土曜日担当は、園田競馬実況の竹之上次男です。 遂に実現しました!吉田勝彦アナウンサーの名フレーズを散りばめた、吉田節Tシャツが発売の運びとなりました♪ 実は、以前にも『吉田勝彦グッズ』を作る計画があったのですが、本人の強い希望により、NGとなった経緯がありました。サンプルまで作ったのに中止となったのです。 なので、今回は先に作ってから事後報告しようと考えていました。 だから吉田さんに伝えたのはきのうのこと。ほな、意外にも喜んでくれて、一体前の出来事どないやってん?となったのでした。 それでも、計画から話していると、反対していた可能性大でしたので、やっぱり正しかったのだと思う。 サイズはM、L、XL カラーは白と黒の2色です。 限定300枚の商品で、9月23日の『そのだけいばフェスタ2019』から発売を開始します! そのたんショップで販売。インターネットでの販売はなく、園田競馬場のみとなります。ご了承くださいm(_ _)m〓Weeklyトピックス〓★吉村騎手が一日6勝のタイ記録! 現在リーディングをひた走る吉村智洋騎手が、一日6勝の兵庫県タイ記録を樹立しました。 きのうのその金ナイターで8鞍に騎乗した吉村騎手は、第2レースの2歳戦で、単勝元返しとなる断然人気のイチライジンに騎乗して2着馬に3秒1の大差をつけて圧勝。この勝利を皮切りに第3レース、第4レース、第5レースと4連勝を果たします。 次に騎乗した第7レースでは、1番人気のタイセイスキャットに騎乗して、中団から直線鋭く伸びて快勝!騎乗機会5連勝としました。 続く第8レースでは、2番人気のロングフェアリーに騎乗。道中好位の内で上手く立ち回っていましたが、4コーナーでは前の馬から少し遅れてしまいピンチを迎えます。それでも直線に入って外に持ち出すと、素晴らしい決め手を発揮して差し切り、騎乗機会6連勝で、一日6勝の兵庫県タイ記録を達成しました。 新記録がかかった第9レースでは、スタートで後手に回り後方からとなり、直線で追い上げましたが届かず3着に。最後の騎乗となぅたメインレースでは、積極的に先行する競馬で粘り込みを図りましたが、結果は4着。残念ながら新記録はなりませんでした。それでもリーディング断然トップ吉村騎手の凄さが光る一日でした。 兵庫県競馬では、騎手の騎乗数は8鞍と限定されています。そんな中での一日6勝は、凄いのひと言で、これまで達成した岩田、小牧太(いずれも現JRA)、木村(現調教師)、大山、田中、下原といった騎手たちは、達人中の達人というわけです。名だたる面々に、肩を並べた吉村騎手も凄いのです! そう言えば、最初に一日6勝を達成した岩田騎手は、当時は6鞍制限があった中での達成だったので、さらに凄いですけど(^_^;)★ウインズなんばに杉浦騎手! あすの日曜日、22日にはウインズなんばで、予想トークショーを開催します。杉浦健太騎手が登場して、当日阪神競馬場で行われる神戸新聞杯を徹底予想! 現役騎手ならではの予想は必見です!どうぞお集まりください! わたくしが司会を担当します♪ SKNフラッシュ8からは、初本瑞穂ちゃんと、まなちゃんが参戦します!◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ ◆◇◆◇◆ ◇◆◇◆◇ あさって(9月23日)は、そのだけいばフェスタ2019の開催です! ほとんどの騎手や調教師も参加して、ファンの皆さまをおもてなしします♪ どうぞお越しください♬
2019年09月21日
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今日は耳目社山中が担当します。昨日のかよこさんも書かれていたように、栃木県・那須塩原にある地方競馬教養センターで、4月にデビューを迎える第105期騎手候補生の騎手養成課程修了記者会見が行われました。当日は会場に伺うことができませんでしたが、デビューを控えた新人ジョッキーの姿を画面で拝見させてもらいました。先日、教養センターにお邪魔して、ジョッキーの卵たちにちょっとお話を伺いました。今回はその時に伺った話も交えながら、新人ジョッキーの勝負服をご紹介します。(写真は、地方競馬全国協会よりご提供いただきました)藤田凌駕騎手(ふじた りょうが。北海道・小野望厩舎)黄色・胴青たすき・袖青一本輪色は好きな色。柄は騎手を目指したときから憧れていたものに。厩舎研修中にお世話になった福原杏騎手のデザインも参考に。坂井瑛音騎手(さかい えいと。岩手・菅原勲厩舎)胴青・胴白玉あられ・袖白・青一本輪色は菅原勲調教師の騎手時代と同じ色に。玉あられと両袖の輪を足して、自分の名前「エイト(8)」になるように。千野稜真騎手(ちの りょうま。浦和・小久保智厩舎)胴茶・胴青一本輪・袖青胴の色はお世話になっている厩務員さんと相談しながらかっこいいと思った茶色に。青は厩舎カラーです。この茶色は海老茶だそうです。山本大翔騎手(やまもと つばさ。船橋・佐藤裕太厩舎)桃色・胴白うろこ・袖白一本輪佐藤裕太調教師の騎手時代の色を使わせて欲しいとお願いした。柄は自分で決めなさいと言われ、南関東では他の騎手が使用していないものを選びました。高橋優騎手(たかはし ゆう。大井・鈴木啓之厩舎)胴黄色・赤縦縞・袖白・赤一本輪黄色と赤は、実家(高橋ファーム)のJRAの勝負服で使われているのと、鈴木啓之調教師の騎手時代の勝負服にも使われている。袖の白は爽やかでファンの方にも明るい印象を与えられると考えて。憧れの笹川翼騎手の勝負服にも近いですね。鈴木啓之調教師の現役時代の勝負服は皆さん覚えてますか??加藤雄真騎手(かとう ゆうま。川崎・山崎尋美厩舎)青色・胴水色たすき・袖水色縦縞ジョッキーベイビーズの時に着ていた勝負服をモチーフに→当時は十字たすき・袖三本輪佐野遥久騎手(さの はるく。川崎・鈴木義久厩舎)胴白・赤縦縞・袖青・赤一本輪ジョッキーベイビーズの時に着ていた勝負服と同じデザイン→ドリームパスポートの勝負服を参考に明星晴大騎手(みょうじょう せいだい。笠松・後藤佑耶厩舎)胴黒・黄星散らし・袖黄・黒一本輪名字が明るい星と書くので、黄色の星散らしに。胴の黄色い星が目立つように、自分の好きな色でもある黒に。父は競輪の明星晴道選手。望月洵輝騎手(もちづき じゅんき。愛知・井上哲厩舎)水色・胴黄菱山形一本輪・袖黄色二本輪自分の好みの色。水色は冷静に集中力を高められるように。黄色は明るくポジティブな自分の性格を表している。柄は名前の「月が輝く」から黄色のダイヤモンドにしました。名古屋のジョッキーでは水色は珍しいかな?塩津璃菜騎手(しおつ りな。兵庫・長南和宏厩舎)胴白・胴桃十字たすき・袖桃・白一本輪桃が有名な地元岡山の桃色。兄弟子の石堂騎手のたすき柄を自分は十字たすきに。袖に一本輪を加えました。新庄海誠騎手(しんじょう かいせい。兵庫・柏原誠路厩舎)白・水色鋸歯形名前の由来でもある新選組をイメージし、調教師からもシンプルで覚えやすいものがいいとアドバイスされて。高橋愛叶騎手(たかはし まなと。兵庫・栗林徹治厩舎)白・胴緑二本輪・袖緑一本輪自分の好きな色と好きな柄。好きなキセキの勝負服をモチーフに、それに緑一本輪を足しました。土方颯太騎手(ひじかた そうた。兵庫・高馬元紘厩舎)胴青・水色ダイヤモンド・袖白・青一本輪誰も使用しておらず、厩舎のメンコと同じ柄。色は騎手を目指していた時にかっこいいと思っていたものです。城野慈尚騎手(しろの ちかなお。高知・工藤真司厩舎)緑・胴白たすき・袖白二本輪デザインは憧れの兄弟子のもの。色は厩舎カラーで自分の好きな色でもある緑。勝負服姿が初々しい新人ジョッキーたち。デビューが待ち遠しいですね。4月になったら、ぜひぜひ競馬場で暖かいご声援をよろしくお願いいたします!
2024年03月18日
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木曜担当のよこてんです。今回はJRA福島競馬場に遠征したザブルースのお話。 実は自分も久しぶりの、少なくとも震災以降は初めての福島競馬場でした。そもそも前に行った時にはまだ岩手競馬発売コーナーがあったような・・・。改装されてから初めてな気がする・・・。★春の福島競馬開催を伝えるバス広告。福島は競馬シティ★スタンド周辺や4コーナーの桜も満開から場所によっては散り気味。岩手よりも少し早い感じでした★春と言うよりは初夏の陽気 さて雪うさぎ賞、ザブルース。前走は昨年12月、やはりJRA・中山の2歳特別「黒松賞」でした。結果は11頭立て11着だったのですが序盤でハナに出ると直線に向くまで先頭を守り続けるというなかなかの快速ぶりを見せていました。坂のない平坦コースならもっと粘れるかも・・・と思わせるくらいのスピードを見せたのは、結果はともかく見せ場は十分だったと感じさせてくれました。 今回は、中山よりは坂の勾配が小さい福島。ただしその黒松賞以来の休み明け、この間には育成牧場でも乗り込んできていて体勢としては整っているが・・・という臨戦過程。 レースの結果としては、休み明けもあってパドックからイレ込み気味、ちょっと出遅れて前走のような形にならず・・・の16着。こういうタイプの馬でもあり、自分の形にならなければ余計に苦戦するのは仕方ないですね。★パドックを周回するザブルース 翌日に飯田弘道調教師に振り返っていただきましたが、イレ込みが気になった面はあるがJRAの馬たちも成長しているという点(ザブルースは雪うさぎ賞が4戦目、対して例えば勝ったモズトキキは7戦目・・・とかの実戦経験の差)、そして馬体重が思った以上に輸送で減ってしまったのも影響したかな・・・というお話でした。★出遅れからマクって追い上げたザブルースでしたが結果は16着 特に馬体重。+10kgくらいでは出せると考えていたのだそうで、福島の後は新潟に転戦したいというプランも言われていましたが、馬体重面を考慮して次戦は地元戦へ・・・ということになるようです。 遠征では結果が出せなかった形に終わりましたが地元では2戦2勝、それも7馬身差・4馬身差で勝っているザブルースです。遠征の経験を活かして、そして芝シーズンが始まる頃には・・・。今後の巻き返しに期待しましょう。★雪うさぎ賞を制したのはモズトキキ★雪うさぎ賞に出走したもう一頭の地方馬・浦和のビコーズウィキャン。鞍上は及川烈騎手 さて福島競馬場。自分は福島で学生時代を過ごしまして、福島の街は非常に懐かしいところになっています。 競馬場は学生時代には行った事がない(これはホント!)。競馬との接点はなきにしもあらずで、例えば夏の福島開催ころには競馬場の飲食店でのバイトの話が良くあったんですが、「もの凄く忙しい」という経験者の話を聞いて近づかないようにしていました。 それから地元の新聞。一般の新聞が福島開催時には競馬新聞かと見まがうくらいに競馬面が増える!通常の倍くらいに厚くなるのが結構ね、当時は始末が大変だと思っていましたね。今ならご褒美ですけども。 もうひとつは、吾妻通りの東北電力の前にあった「満月苑」という焼き肉屋さんでバイトをしていた時期があったんですが、そこのマスターが馬主さんだったのかな?今思うと口取り写真を店内に飾ってありました。これも今になってみれ馬のお話をいろいろ聞いておけば良かったと思うところ。 競馬場にはその後何度か足を運んだのですが、大改装前のそれも秋とかで。昔をご存じの方なら分かると思いますが、“秋の福島”は1レースから9レースくらいまでが未勝利戦でメイン前後だけが条件戦。それを寒い寒いスタンドから見続けているのは、何か修行でもしているのかという気分になったものです。★94年頃かなあ。福島競馬場。こういう景色はあまり変わってないかも しかし街の景色はずいぶん変わりました。13号線から東側、競馬場の方はそれほど変わってない感じですが、駅の方はガラッと変わった。 先ほど触れた吾妻通りは大きく拡幅されたし並んでいたお店もすっかり様変わりしました。「満月苑」があった建物は今でもあるのですがお店自体は震災前に閉業していたようです。吾妻通りと13号線の交差点あたりには小さな八百屋と本屋があって時々お使いを頼まれたのですが、ここも大分前に駐車場になっていました。 そもそもが駅前通りですよ。ごっそり無い!無くなってる!かつては中合、山田と並んでいた百貨店エリアから駅前の商店街があったあたりまでが更地!★無い!無くなってる!(旧長崎屋前あたりから駅方向)★再開発計画ですが、昨今の費用高騰の影響から期間延長・規模縮小等を検討というニュースも 中合はちょっと高級、山田はだいぶリーズナブル。そして13号線の交差点あたりには長崎屋とコルニエツタヤ、エンドーがあって、この辺を往復するだけでも割と用が足りたものでしたねえ。 駅西口のイトーヨーカドーも5月6日で閉店とのこと。福島に住む事になって、新しい街ではまずスーパーマーケットを探すのですが、駅のすぐ近くに大きなスーパーがあって良かったし便利だし・・・と安心した思い出。★福島駅西口のイトーヨーカドー。福島に住み始めて初めて買い物に行ったスーパーなのでした 福島競馬場もまた改修に入るという噂もありますね。自分が住んでいる頃とはあちこち変わってしまって、変わらないのは街から見える吾妻連峰と安達太良山の景色・・・になるのかも。 ちなみにザブルースが出走した「雪うさぎ賞」、レース名は春の雪解けの頃に吾妻小富士に浮かび上がる“雪うさぎ”の姿にちなんだものです。岩手で言うと「岩手山の山頂部に見える鷲型(岩鷲)」のようなもの。この雪うさぎが見える頃になると春の訪れ、田んぼに水を入れたり畑に種をまいたり・・・の時期になるとされています。レースの日にも見えていましたよ。★雪うさぎ。二本の長い耳と丸い尻尾がウサギっぽいでしょう?
2024年04月18日
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土曜日担当の園田、姫路競馬実況アナウンサーの鈴木セイヤです。楽天ブログの日替わりライターブログが閉鎖される前にご挨拶をさせていただきます。2022年の2月から2年3ヶ月弱でしたが、園田競馬と姫路競馬のレポートを中心に情報を発信してまいりました。その期間にイグナイターがJBCスプリント制覇という歴史的快挙などの嬉しいニュース。最高齢誘導馬のアイスバーグ号との別れをお伝えするなど様々な経験をさせていただきました。短い期間ではありましたがありがとうございました。今後は楽天競馬 Uma+(ウマプラ)内で「競馬マスターズ」として引き続きレポートを投稿いたしますので宜しくお願いします。
2024年05月18日
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ひさびさのミツオーです。レンチンしたカレードーナツで口の中やけど。さて、競馬場で入手できる、「競走番組表」というモノを見てみます。地方競馬では、JRAの競馬場のように主催者発行の「レーシングプログラム」というモノがないことが普通なので、基本的には、無料で入手できて出走メンバーのわかるものというと、この「競走番組表」しかないことになります(非常に大きなレースのときなどに、特別にレーシングプログラムを発行することもありますが、それは例外)。第○競走、レースの条件、距離、発走時刻、賞金額などが書いてあって、枠番、馬番、馬名、斤量、騎手名、性齢、毛色、血統(父母)、馬主、調教師名などが表にしてあります。その一部分を写したものがコレ↓。馬の名前に下に(中同名)と書いてあるものがあるんですが、わかりますか?これは、「過去に、中央競馬(JRA)に登録されていたことがある馬なんだけど、そのときもこの名前でしたよ」という意味です。「中央時代と同じ名前で走ってます」ということ。ということは…、と気づいたひとは偉いです。っていうか(っていうかって言わないの。一応、アナウンサなんだから)普通は気づく話ですが、つまり。「競走馬は現役中に名前を変えることがある」ということです。一旦つけられた名前が金輪際変わらないんだったら、いちいち「(中同名)」と表記する必要はないわけですよ。で、実際に改名されたパターンがコレ↓。アイファーマリアンの下に(中ブルーミネルバ)と書いてある。「JRAに登録されていたときの名前はブルーミネルバでした」ということ。こうして、改名した馬については、ちゃんと昔の名前も表記されます。馬の顔カタチなんてシロウトにはそう区別できるものではないし、たとえできたとしても、「お、あいつこんなところに移籍していたのか」と思って番組表を見たのに違う名前だったなんてことになれば、「気のせいか。よく似た馬もいるもんだな」ということになりかねない(←冗談ですよ。正気で言っているわけではない。念のため)。だから(だからじゃないってば)、改名した馬についてはちゃんとその旨がわかるようになっておるのですよ。なお、競走馬が改名できるのは、1回だけ。………、だと教わった覚えがありますのでたぶんそうだと思うんですが。どこかにルールとして書いてあることでしょう。今週のTCK大井競馬、初日から3日目までの番組表を見ると、改名した馬がそれなりにたくさんいることがわかります。以下列挙するとダブルダイヤモンド(旧ポピュラスマイル)マヤノムテキオー(中グレートギャッツビー)キタノボス(中ソウルビヴァーチェ)ペンズクン(旧テンズクン)オイラセウインク(旧オイラセウイック)カスミダンサー(旧ハタノクレバー)ブラックタイフーン(旧ブラックゾロ)スズランコマンダー(旧エタニティ)リッチロード(旧ピッコロ)フレンドウィン(旧ナイトサンデー)アイファーマリアン(中ブルーミネルバ)グレースモアー(旧ワタシワマケナイ)トニーアルメイダ(旧ビーチボーイ)13頭いました。「中」と「旧」とありますが、「旧」ってのはたぶん地方に所属していたんだけど違う名前で走っていた、ということですね。んなことわかるって?ま、そうでしょうな。馬に名前をつけるのは、馬主さんの権利です。競走馬育成シミュレーションゲームなどをやったことのある方はよくおわかりでしょうが、自分の馬に名前をつけるのは実に楽しいもので、カッコいい名前、強そうな名前、かわいい名前、たまには面白い名前、など、きっと知識を総動員して命名されているものと推測されます。命名作業は楽しみだ。だから、競走馬の持ち主が変わったとき(カンタンに言うと買い取られたとき)に、「こいつは自分の馬になったんだから、自分が名前をつけなおしちゃる」と考えるオーナーさんがいるのは全然不思議じゃない。上の例の中にも、明らかにそういうパターンだとわかるものがたくさんあります。でもよく見ると。たぶんそうじゃないよなあ、という例もあったりして。それから、この名前がこの名前に変わったのか…、というものもあったりして。改名の事情を勝手に想像するのも、番組表を見る上でちょっとだけ楽しみなことであったりする、とわたしは思っておるのですが、まあこういう楽しみ方はかなりヘンタイ的であることは認めざるをえないですわなあ。でも想像しちゃうんだもんね。
2008年03月13日
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ミツオーです。足の親指のツメが割れました(痛)。さて、金沢で最近おこなわれた2つの重賞レース、第1回加賀友禅賞(8月31日)と第49回サラブレッド大賞典(9月14日)の2重賞にそれぞれ優勝した騎手に、話を聞くことができましたのでご紹介します。加賀友禅賞は、新設の重賞で、3歳牝馬による距離1300メートルという、金沢だけでなく全国的に見ても、この時期としては珍しい条件のレースです。勝ったのは、4番人気のエトワールドロゼ。手綱をとった田知弘久騎手は、この10月で、デビューまる10年。初めての重賞制覇となりました。その田知騎手が、デビュー前から調教を手がけてきたエトワールドロゼ。「もともと身体の強いコじゃないので、追い切りも、デビュー以来一度もかけたことありません。軽め、軽めの調整だけで、とにかく体調だけ悪くしないようって感じです」ということですが、「ここまで身体が弱いコも、あんまりいません。ここまでだと、普通はレースで走れないですよ。なのに、このコはレースだけは変わるんです。レースだけはがんばってくれる。今回もがんばりだけで、カバーしてくれました」「体質が弱くて、去年も新馬戦に間に合わなかったぐらいで、でもデビュー戦も体調不十分でも勝てたんです。冬場は牧場にあげて、春先の競馬でいきなり勝ってくれて、これで良くなってくれると思ったんですけど、正直、攻め馬の感触なんかは何も変わってなくて。馬が、勝手にレースだけ成長してくれてるんです」自身が手がけてきた、そして手間のかかる馬だからこそ、エトワールドロゼへの思い入れが強いようで、とにかく「レースでがんばってくれた」を連発。思い入れの強い馬での初重賞制覇、さぞかし感慨深いものがあるのだろうと思うと、「いや、普段と変わらないです。もうホントね、何も変わらない。周りが、予想外に、ボクが初重賞だからっていうんで騒いでくれましたけど、自分でもおそろしいほど、淡々としてますね。レースでも、ゴール前で『ガッツポーズでも…』って思ったけどね、考えてたらゴールしちゃったからね(笑)。あ、終わっちゃった、みたいな(笑)」「まあ、勝って喜ぶ乗り役よりは、勝つのに慣れた乗り役になりたいと思うんで。親が喜んでるからいいんじゃないですか」という田知騎手。大喜びの親御さんに、馬主さんが「1回目だからあげる」と言ってくれた、優勝の肩掛けをプレゼントしたそうです。「馬主さんが理解のある方で、休んでいいですか?って聞いたら、いいよ、って言ってくれるから、ここまで来られました。大事に使ってこられたからこそ、この結果が出せたんじゃないですか」と、馬主さんへの感謝の言葉も忘れず。レースについては、ファーストキス(3着)との先行争いとなりつつも、引くことなくハナを獲りきり、ファーストキスのマークを受けながらの逃げ。「ファーストキスに乗ってたひとたちに話を聞くと、馬をイヤがるところがあって、だからハナに行ったほうがしぶとい。それを聞いてたんで、ゆずって外に切り替えたりしてたら、あっちが残ったような感じかもしれません。ボクのも、うまくゲート出たし、引く必要ないなと思って行きました」「3コーナーでむこうが苦しくなって、予想外に早く消えたから、『オレ、どうしたらいいの?』って(笑)。ハイペースすぎたから、もう追っつけても馬もしんどいし、いつ後ろがくるかな、って感じでしたけど、直線に向いてビジョン見たら、思った以上に差があるな〜と」「やっと重賞1個勝てたんでね、これからも、ポンポンと、1頭の馬だけでなく、たくさんの馬で勝ちたいし、応援してくれたらありがたいです」↑ずっとこの格好で話してくれたんですが…なんでその姿勢?まあいいけど(笑)。田知弘久騎手と直接話したのは、今回が初めてでしたが、意外に(失礼!)真面目で丁寧で、あまり浮ついたところのない感じをうけました。ただ、自分のことを評して、「しゃべるの苦手なんです。聞かれたことには答えますけど」というのは、だいぶん割り引いた自己申請のような気がします(笑)。今回も、コチラの聞きたいことを、どんどん自分から話してくれました。もうひとり、談話をご紹介するのは、東海ダービー馬・ケージーキンカメと2度目のコンビを組んで、3歳重賞・サラブレッド大賞典を制した、平瀬城久騎手です。騎乗した2回(8月26日、古馬と対戦したイヌワシ賞:2着と、今回のサラブレッド大賞典)のケージーキンカメの状態をくらべると、「1回目のほうが良かったですね。今回のほうが動きが悪かったんで、ちょっとヒヤっとしました。レース中、ずっとですよ。スタートしてから、もうちょっとラクについていけると思っていたんですけど、それが行きっぷりも悪かったんで」「思ったより、吉田くんの(デューイ:逃げて2着)も手応え良さそうだったんで、ああこりゃマズいな、という感じでしたけど。ボク的には、もっと楽勝するつもりで挑んだんですけど、結局そうはいかなかったんで、わからないもんだな、とは思いました」セイカアレグロに、わずかにおよばなかったイヌワシ賞については、「古馬と3歳の違いかな、とは思うんですけど、でも勝ちたかったですね。くやしかったです。最後の直線も、全然、止まってなかったんです。それでも負けてしまったんですけど」ケージーキンカメはどういう馬ですか?と聞いてみると、「レースはスゴく乗りやすいですね。素直ですし。飛びの低い馬ですね。これまで、もまれたことがなかったんで、それだけは心配だったんですよ。こないだ、砂をかぶってイヤがってたんで。…まあ、金沢の砂、痛いんで、余計ですけど(笑)。でも、ほかには全然クセがなくて、乗りやすいです」今後については、「まだまだ伸びシロ、あると思いますよ。これからもいい成績残せると思うので、応援よろしくお願いします」という話でした。なお、平瀬騎手は、今年6月8日のレース中、アクシデントで頭部にケガをして心配されましたが、今はすっかり負傷前と変わらず騎乗できています。ケージーキンカメについては、他地区へ移籍してしまうかも…という心配の声も聞かれますが、今のところ、金沢に在籍して、各地の重賞に挑戦することも視野に、出走するレースを慎重に見極めていく、という話を聞いています。個人的には、やはり、ダービーグランプリを目指してもらいたいと思いますが、どうでしょうか。金沢競馬では、10月7日に、大一番・白山大賞典(Jpn III)がおこなわれる他、2歳重賞戦線が従来より充実して、古馬戦線ともども、大いにお楽しみいただけそうです。ぜひ、秋シーズンの金沢競馬にご注目ください。
2014年09月22日
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日曜日担当の高橋華代子です。 梅雨が長引いていますが、南関東もいよいよ暑くなってきました。 現在、南関東は川崎開催中。 川崎競馬場の空↓ 最近の南関東は青空を見ない日が多かっただけに、青空って気持ちがいいなぁと改めて実感。 でも、暑い(^^; まぁ、夏ですから(^^; 日本のよさは四季があることですから(^^; ということで、今日は涼し気な話題をお届けしていきます。 川崎開催中には、毎年恒例の三浦市のイベントが行われました。三浦市の物産展も毎年楽しみで、今年もスイカを美味しく頂きましたぁ。 スイカ大好物!!!甘くてみずみずしくて、1皿100円もうれしいです。 ジャンボスイカも展示~。 コスプレ誘導馬さんも、スイカのコスプレ~☆ この川崎開催中のコスプレ誘導馬さんは、 浴衣バージョン↓ 花火バージョンも↓ 装鞍所のミストも始動しました。ジ~ッとしていると、かなり涼しく感じます。↓ 初々しいマルコメくんたちも発見! 教養センターから競馬場実習で来ている騎手の卵たちです。 向かって左が、古岡騎手候補生(岩本厩舎)、向かって右は池谷騎手候補生(内田厩舎)です。いろんなことを吸収して欲しいですね! さて、プライベートでは……。 我が東北楽天ゴールデンイーグルスは、何とか食らいつきながら、まだまだ優勝チャンスも十分です。今年は則本投手&岸投手の戦線離脱からはじまり、去年の野手陣の希望だった田中和基選手の不調などで前途多難だったのですが、ホント頑張っていると思います。 昨日は神宮球場で行われたファーム戦に行ってきました。巨人から来た和田恋選手を、一軍に上がる前にナマで見てみたいなと思ったのと、たまにはお酒を飲みながらの野球観戦してみたいなと思って。一軍戦の時はアルコール一切なしにしているので(^^; 和田選手の2本のホームランや、今季初となる西巻選手&松本選手のホームランなどで、楽天の勝利~。 競馬と一緒で野球もナマ観戦は最高だなぁと思いました。 これからホント暑くなるみたいなので、各自十分に気をつけて、これからの季節を乗り切りたいですね。
2019年07月21日
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ミツオーです。2週間前にできたキズが、まだ治りません。さて、あらかじめ断っておきますと、今回は、競馬の話ではありません。馬も騎手も調教師も、出てきません。かろうじて、競馬場は出てきます。というより、むしろ競馬場の話、競馬場を舞台とした話ではあるのですが。今回の主役は…セミです。セミ、ご存知ですね?漢字で書くと、蝉。昆虫の、セミです。セミってのは分類上は、カメムシの仲間なんだそうですな、どうでもよろしいが。今回の話、論旨をカンタンに言うと、「金沢競馬場には、全国でここにしかいない、珍しいセミがいる!!」です。…それ、競馬場じゃなくて、「石川県には」でしょ?と思われるかもしれません。けど。本当に、日本国内では、金沢競馬場(と、その周辺ごく狭い範囲)にしかいないのですよ、そのセミは。石川県内や金沢市内の各所に生息しているわけではなく、競馬場にしかいない。(金沢競馬場正門入ってすぐの、ケヤキの木立。ここにそのセミがいるのです)名前を「スジアカクマゼミ」というこのセミ、朝鮮半島から中国・台湾、東南アジア北部まで広く分布しており、済州島にも生息しているのに、済州島に近い対馬・壱岐・五島を含め、日本国内には全くいないのだそうです。…金沢競馬場を除いては。この、楽天競馬日替わりライターブログに、わたしが以下のようなことを書いたのを覚えている方はあるでしょうか?「金沢競馬場でさかんに鳴いているセミ、アレって何ていうセミですか?ご存知の方、いますか?」2011年8月11日に更新された記事の、冒頭に書いています。ここでわたしは、このセミについて、なかなか詳しく説明しています。いわく、「かなり大きい」「一匹鳴くと他も鳴きはじめて合唱になる」「調べた範囲では、鳴き声はアカエゾゼミに似ている」「北関東でも関東でも東海でも関西でも聞いたことがない」わたしがこのセミの存在に気づいたのは、おそらくコレを書く数年前、たぶん、2007~09年頃でしょう。このセミ、何?地元・金沢の方々はじめ、数人に尋ねたところ、「アブラゼミでしょ?」とか、「クマゼミね」などという、全く論外な答しかもらえず、世間のひとってセミの声に無頓着なんだな、と思い知るだけで、肝心のセミの正体についてはまるで手がかりナシ、であったのでした。(アブラゼミ。珍しくもなんともない。撮影もカンタン)(一方で、問題のセミは、高い位置にとまることなどから、姿を見るのも難しい。けど、撮影に成功!)(ワカラン?赤丸の中に、その姿が写ってますでしょ?)以来、ず~~っっっと、一人で、コレ、何ゼミなのかな~?と思いつづけてきたわたくし。時折思い出しては、「北陸のセミ」「石川県 セミ」で検索してみたりしましたが、収穫ゼロ。ところが近年になり、どうやらコレは、広く北陸地方に分布するモノではなく、それどころかその版図は石川県全体にも金沢市レベルにも、遠く及ばないことに気づきました。カンタンに言うと、このセミの声、金沢競馬場でしか聞かない。わたし自身が、北陸では金沢競馬場に最も長く滞在するため、いかにも北陸地方や石川県全体にそれがいるように錯覚していただけだったのです。そこで、ネットでの検索ワードを、「石川県 セミ」から、「金沢競馬場 セミ」に変えてみたところ…。ヒットしました!金沢競馬場とその周辺ごく狭い地域に、外来種のセミが大量発生している、という記述が出てきたのです(中には、大量に捕まえて、食べたという記事も)。名前も「スジアカクマゼミ」だとわかりました。嬉しい、やっと判明した。…っつか、コレ、ホントに国内でこの競馬場にしかいなかったんだ!詳しく知りたい!というので、わたくし先日、石川県ふれあい昆虫館という施設へ行き、詳しいお話をうかがってきました。(白山市にある、石川県ふれあい昆虫館)(金属製の巨大なクワガタが迎えてくれます)おずおずと、「金沢競馬場にしかいないセミについて、お聞きしたいのですが…」と言うと、お忙しい中、学芸員の福富宏和さんが、たくさんの詳しいことを教えてくださった上、石川むしの会会報「とっくりばち」に掲載された調査報告のコピーまでくださったのでした。福富さん、その節は大変お世話になりました。ありがとうございました!この調査報告・研究発表小論文(『日本初記録のスジアカクマゼミ、金沢市八田地区に発生』徳本洋・大串龍一・松井正人・富沢章)によると、金沢競馬場のスジアカクマゼミは、2001年夏、発見されました。この年、競馬場周辺にエゾゼミがいるとの情報がよせられ(やっぱりエゾゼミに似てるんだな!)、石川県ふれあい昆虫館職員さんが現地で採集したところ、エゾゼミではなく、クマゼミによく似たセミだったと。この標本が専門家によって同定され、日本にいないハズのスジアカクマゼミであると判明したのだそうです。この年の調査で、このセミの生息域・幼虫発生場所・セミと樹木との関係などがある程度明らかになりました。初めにエゾゼミがいるとの話を寄せた方は、石川県ふれあい昆虫館の元職員さんで、つまり素人ではありません。この方がこのセミの存在に気づいたのは、この時より8年ほども前のことだそうで、その他の証言などからも、このセミが金沢競馬場周辺に現れたのは、少なくとも90年代前半か初頭までさかのぼるらしいこともわかりました。(ふれあい昆虫館では、こんなキレイなチョウとたわむれることもできます)(間近で見られますし、いかにもカンタンに触れそうですが、触ってはいけません。念のため)一方で、このセミが外来種だとすると、その侵入経路が問題になるわけですが、これが全くわからない。福富さんのお話によると、金沢競馬場のスジアカクマゼミは、DNA検査によって、台湾方面のものではなく朝鮮半島方面のものだと判明していますが、競馬場に朝鮮半島から植物を大掛かりに輸入した記録はないそうです。経路がわからない以上、たまたま気づかれなかっただけで、古来、ここに生息していたという可能性は否定できず、そういう意味で外来種だと特定することはできないのだそうですが、福富さんいわく、「セミって鳴きますからね。その性質上、気づかれずに古くから…というのは、ないでしょう」とのことで、まあコレは、外来種だと思っていいらしいのです。(ふれあい昆虫館にある、侵入昆虫の展示。ここにスジアカクマゼミも紹介されているのでした)スジアカクマゼミは、生木に産卵します。クマゼミなんかは、枯木に産卵するんだそうですが。ということで、たまたま産卵された植木か何かが持ち込まれたか、幼虫が鉢植えに潜んでいたか、風に乗って来たということも考えられるそうです。けど、発見されてから18年、わたしが気づいてからでも10年以上、認識されてからだと30年近くたっているにも関わらず、金沢競馬場のスジアカクマゼミは、その生息域を、ほとんど広げていません。いや、徐々に広がっているらしいのですが、羽を持ち、自由に飛び回れる生き物にしては、広がり方がめちゃくちゃ鈍い。そんな生き物が、風に乗ったとは言え、日本海を越えて来るというのは、ちょっと考えにくい…と思うんですが、どうでしょうか。それに、実はこのセミが産卵した木は、その部分が枯れるのです。植木を輸入するのに、不自然に枯れた部分があったら、取り除きませんかね、普通?(競馬場のケヤキにも、このように不自然に枯れた部分が。まさしくスジアカクマゼミ産卵の証拠)それから、みなさんセミってどういう生態だと思ってます?聞いたことありませんか?幼虫として土の中に7年、成虫として一週間、とか。さすがに成虫として一週間ということはなく、けっこう長いこと成虫の状態で生きるそうですが、幼虫として何年も土の中というのは本当だそうで。卵が成虫として地上で鳴くまでには、数年間が必要なのです。一年では大人にならない。…それが毎年出ている。ですが、コレも、福富さんのお話では、「7年ということはなく、3~4年じゃないかと言われてます。17年ゼミというのもいますけどね。この長さは、幼虫時代の栄養状態によって、1年くらいは前後します。17年ゼミも前後の年に、全く出ないということはないらしいですよ」というのです。つまりですね、ある年、どうやってか金沢競馬場へやってきたスジアカクマゼミは、この地で繁殖し、数年後、3年後か4年後か7年後か17年後か、とにかくこのセミ固有のサイクルにしたがって、子供たちが地上へ出てきた。さらに繁殖し、数年後に子供たちが…というのを繰り返すうち、栄養状態などの条件により、サイクルから外れる者がある程度以上現れ、それがまた繁殖し、そうこうするうちに、毎年、相当数のスジアカクマゼミが競馬場で鳴くようになった、ということなのです。福富さんは、「実際、金沢競馬場のスジアカクマゼミも多い年と比較的少ない年があります。が、現在、毎年セミが現れている以上、そういうズレが定着するだけの年数、たぶん何年・何十年、このセミは競馬場に生息しているわけで、見つかったのは近年でも、侵入はかなり昔のことじゃないかと考えられます」とおっしゃっています。そんな昔に(きっと昭和だ)、誰かが意思をもって連れてきたわけでもない虫が、どうやって侵入したのかなんて…まあ同定できませんな。(スジアカクマゼミを紹介するパネル)(コレがスジアカクマゼミだ!)(腹がわ。クマゼミとはだいぶん違いますね!…なに?知らないって?)(抜け殻も展示されています)(競馬場のケヤキで見つけた抜け殻。お腹がわを見ないと、区別できません)現状、金沢競馬場のスジアカクマゼミは、積極的に駆逐の対象になっているわけではありません。が、積極的に広めたいとも思われていない。また、厳密に、国内の他の場所には全然いないのかどうかについても、今のところ確認されていない、という言い方になるそうです。とにかく国内では金沢競馬場(とその周辺のごく狭い地域)にしか生息しない、非常に珍しいこのセミが、生息範囲を広げつつあるのか、そうでもないのか、広がるとするとどのあたりまで広がっているのか、「地元の方や、よくここを訪れるひとに関心をもってもらって、どんな具合なのか見守ってもらいたい」と、福富さんはおっしゃっていました。金沢競馬場には、国内では他のどこにもいない、スジアカクマゼミというセミがいます。毎年夏になると、その鳴き声を響かせます。説明などには、「ジー」と鳴くと書かれていることが多いのですが、わたしとしては、「イ」に濁点をつけた感じの音に独特のビブラートをくわえ、単調に長く、「イ(濁点)ーーーーーーーーーーー」または、「ジュヴァーーーーーーーーーー」と鳴いているように聞こえます。一匹が鳴きはじめると周囲も合唱する、「つれ鳴き」が特徴的です。毎年、9月上旬くらいまで、競馬場正門からスタンドまでの間にあるケヤキの林立する広場を中心に、他のセミを圧倒する音量で鳴き続けるスジアカクマゼミ。今週末くらいまでは、なんとかその声を聞くことができるのではないかと思います。金沢競馬場へ夏にお越しの際は、ぜひその、国内の他の場所では聞くことのできない声に関心をもってみてください。このセミの声、けっこう迫力ありますよ。それに。全国でここでしか聞かれないと思うと、なんとなく不思議な感慨を味わうこともできますし。(この木立に、わんさかスジアカクマゼミがいるハズなのです。姿を見ることは難しいですが)金沢競馬場の名物として、定着しないもんでしょうかねえ。んで、「国内でここだけ!スジアカクマゼミ賞」というレースをやってみるとか。
2019年09月02日
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木曜担当のよこてんです。 遅くなってすいません&また地味なネタですいません。あの「赤字12億」というニュースが衝撃的で、その事に触れるのにいろいろ考えていました。本当はもっとのんびりしたネタを書こうと思っていたのですが・・・。 とりあえず見出しになって目を惹いた『今年度収支12億6000万円の赤字』は、その報道の中でも触れられているように「ごく機械的に試算した」数値だろうとのこと。 ここからは自分の手元での計算です。 今年度予算の詳細資料が手元にないので一昨年度の決算資料を見直してみるに、「広域受託協力金」(※岩手で発売する他場の場外発売の利益。平日にやっている方の他場発売)を年度で12億円ほど見込んでいると思われまず。まずひとつはこの「広域受託協力金」の部分。これが「無くなる」という想定。 プラス、『当初の発売計画をもとに』ともあるように、年度の発売計画額約400億円をベースに自場分や他地区委託分が無くなり全部ネットになったらという仮定で計算すると手数料増加でだいたい10億円の利益減。 「広域受託協力金」の12億と手数料増の分の10億は通年での計算なので、半期だとすれば11億。細かい金額や比率が違うだろうからきっちりは合いませんが、だいたいこういう“機械的試算”なのではないかと。ここまで計算終わり。 また、繰り返しになりますが『当初の発売計画をもとに』ともあるように、12億円分を引いたであろう元の部分はあくまでも“年度当初の収支計画”からの金額で、現在の(手数料分が多いとはいえ)対前年比150%になる発売額や無観客開催で不要になった経費の部分などは考慮されていないだろう、とも。 ゆえに『今年度収支12億6000万円の赤字』は現実的な数字ではなく、それよりは「仮にネット発売が好調に推移した場合でも3億6000万円の赤字となる見通し」という話の方がより起こり得るだろう数字。 しかしそれにしてもあくまでも『9月一杯無観客が続いた場合』、『当初の発売計画をもとに』ですから、例えば当初の予算に入っていた設備更新を保留する等でカバーできるものになるようですし、9月一杯無観客という前提条件も”岩手競馬の年度の半期分”という区切りで想定した条件です。 という事で、賞金手当削減とか、さらには存廃危機とか、現時点ではそういう状況では無いと言えます。自分がTwitterとかで「数字が独り歩き」と書いたのはそういう事で、見た目のインパクトが強すぎる数字が前に出てしまったのでまたしても「廃止か!?」みたいな印象が先に広まった。 もちろん、広域受託協力金の部分が無いのは痛手には間違いないですし、長期的に考えて今の「自粛バブル」の売上増がいつまでも続くとは思えない。さらにはこの先の不況の影響も出てくるでしょう。その時はまた状況が変わって来ます。が、現時点では廃止問題には直結しません。 ところで、ネット発売のおかげで好調だけど「実際どれくらい売れたら良いの?」という話を耳にします。 凄くざっとですが岩手の場合は昨年比125%~130%で“手取り部分”が釣り合うのかなと。反対に言えば8掛けですね。なので、ネット発売オンリーなら1日平均5億売れたらな、売れるようにしないとな・・・というのが正直なところではあります。
2020年05月21日
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