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ジョニー・デップ


2004年07月09日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
『エリザベス』 (1998) ELIZABETH
ジャンル ドラマ/歴史劇
ソニー・ピクチャーズエンタテインメ エリザベス
ゴールデングローブ賞(1998年)第56回 主演女優賞(ケイト・ブランシェット)

【ストーリー】カトリックとプロテスタントの争いが激化する、16世紀のイングランド。エリザベスは、腹違いの姉、彼女をロンドン塔に幽閉したメアリー女王の崩御後、若干25歳の若さでイングランド女王に即位する。エリザベスには恋人ダドリーがいたが、隣国との政略結婚の話が持ち上がる。謀略渦巻き、絶えず命を狙われる。カトリックの最高権力・ローマ法王による謀反計画を知ったエリザベスは……。冷酷な女王へと成長していく物語。ロマンス悲劇の要素がかなり強い史劇。同じ年代に扱った「恋におちたシェイクスピア」(98年のアカデミー争いをした)「アンナと王様」がある。



【感想】
誰が、だれなの~。
登場人物が多くって、始め覚え切れません。
分かるのは、K・ブランシェットと、J・ファインズ「恋におちたシェイクスピア」と、
V・カッセル「ジェヴォーダンの獣」「ドーベルマン」。


ちょっと待て。
J・ファインズと、J・ラッシュ「パイレーツ・カリビアン」は、二人して、「」恋に落ちた~」と「エリザベス」に出ているんですね。 
頭がこんぐらがりそうです。
おんなじ様な衣装着てるし。。
製作費2、500万ドルのうち、なんと2、000万ドルが衣装代だとか。

エリザベス女王のお話という事で、歴史のお勉強になるのかな~っと
思いましたが、即位して後、結婚相手をどうするこうするというのが
メインのよう。それに、女王として在位存続がなるかどうか、命を狙われもする。彼女の失脚を狙う者を粛清して、在位45年の基礎を固めるというものだった。「バーリー卿、わたくしは結婚します。英国と」ラストが見せ場ですかね。
関係ないけど、エリザベスの眉毛がとても薄かったのですごく気になった。わざわざ脱色したんだって。
エリザベス女王って眉毛薄いのかなぁ?

キャラクターは、各国の持ち味をたっぷり持った方のようですね。

ジェイムズ・フレイン(スペイン大使)。あなたも濃すぎですが、スペインって感じにぴったりです。
楽しみにしていたのが、V・カッセル。アンジュー公、なかなか、楽しませていただきました~。♪

ただ、J・ラッシュのウォルシンガムが、なんで、エリザベスに忠実だったのか、始めのほうの若者を首切るとこも腑に落ちないし。。
メアリーに寝返ったの?っとおもたら、ちがったり、もしかして、女のスパイをあちこち配して、政敵を探らせ陥れていたのかな? 
監督 シェカール・カプール 

ケイト・ブランシェット    エリザベス1世
ジェフリー・ラッシュ     フランシス・ウォルシンガム
クリストファー・エクルストン ノーフォーーク公
ジョセフ・ファインズ     レスター伯ロバート・ダドリー
ヴァンサン・カッセル     アンジュー公 フランソワ
リチャード・アッテンボロー  サー・ウィリアム・セシル 
ファニー・アルダン      メアリー・オブ・ギース
キャシー・バーク       メアリー女王
エリック・カントナ      仏大使ド・フォア
ジェイムズ フレイン     スペイン大使アルヴァロ
ジョン・ギールグッド     ローマ法王



【エリザベス1世】のおさらい

1533年9月7日、イギリスのエリザベス1世が誕生。

エリザベス1世のお父さんはヘンリー8世(在位1509-1547)ですが、この人は、はっきりいってとんでもない人でした。

最初1509年6月にイスパニア王女カザリン(Catherine of  agon,1485-1536)と結婚し、二人の間にはメアリー王女(Mary,1516-1558.11.17)が生まれますが、王はそのカザリンの侍女アン・ブーリン(Anne Boleyn,1507-1536.5.19)と恋に落ちてしまいます。そして、これと結婚するためローマ法王クレメンス7世に離婚の許可を求めますが法王はこれを不道徳なこととみなして拒否しました。

するとヘンリー8世はこれを不服として、イギリスの教会のカトリックからの独立を宣言。1533年自分の意志通りにカザリンを離婚してアン・ブーリンと結婚し、翌年、英国国教会(Anglican Church)を設立しました。

そしてこのアン・ブーリンとの間に生まれたのがエリザベス王女です。しかし王はこれだけ大騒ぎして結婚したアンをあっさりと捨ててしまいます。

1536年今度は王はジェーン・シームア(Jane Seymour)という女性を好きになり、これと結婚するため、邪魔になったアン・ブーリンを姦通したという名目で処刑してしまい、そのシームアと結婚。二人の間には翌年1537年エドワード王子
(1537.10.12-1553.7月)が生まれましたが彼女はこのお産で亡くなってしまいました。(エドワードはマーク・トウェインの「王子と乞食」のモデルのようです)

その3年後、1540年王は4番目の妻を娶ります。画家ホルバイン(Hans Holbein)が描いた絵の中の女性アン(Anne of Cleves)でした。しかし彼女には絵で恋しただけで、実際に会って結婚してみるとそんなでもなく、何事にも無感動な性格であったため、すぐに飽きてほんの数ヶ月で離婚してしまいます。

その次の妻は最初の妻と同じ名前のカザリン(Katherine Howard)と言いましたが、この人はすぐに処刑されてしまいました。

そして1543年、とうとうヘンリー8世は6番目の妻と結婚しますが、彼女もまたまたカザリンという名前でした。しかしこの3人目のカザリン、ことカザリン・パー(Catherine Parr)という女性はヘンリー8世と対等に渡り合える強い女性でした。

カザリン・パーの方もこれが3度目の結婚でした。彼女ははっきりとした性格で、彼女の行動に反感を持った家臣たちが彼女を不実などの罪で告発しても、彼女は真っ向からそれに対峙して反論、自分の疑いを晴らしてしまいました。かくして彼女はヘンリー8世が亡くなるまでその妻の座を守り通します。

さて、ヘンリー8世が亡くなった後は、シームアの産んだ王子エドワードが9歳で即位してエドワード6世(在位1547-1553)となります。彼の治世は国教会プロテスタントとしての教義を固めていきます。しかし彼は病弱な王でした。
彼がもし亡くなってしまうと、本来の王位継承順序からいくと姉のメアリーが後をつぐことになるのですがメアリーは熱烈なカトリック信者でした。彼女に即位されてはたまらないと考えた側近たちの助言により、エドワードは死ぬ前に、王位はヘンリー8世の妹の孫にあたり、先王の最後の妻であるカザリン・パー(この時は既に亡くなっている)が後見人をしていたジェーン・グレイにすると遺言しました。なおカザリン・バーは実は、複雑になりすぎるので下記の系図には書きませんが、エドワードの母であるジェーン・シームアとも縁のある人です。

  【Royal Tree of Tudor】          Henry 7(1)
                         |
             +-----------+--------+
             |           |        |
  Charles Brandon===Mary         Henry 8(2)    Margaret
          |              |        |
      Lady Francis=Henry Grey  +---+---+   +-+-+
            |       |   |   |(3)  |   |
          Jane Grey(4)    Mary Elizabeth Edward Margaret James
                   (5)    (6)      |   |
  ※数字は王位が継承された順序                Henry=Mary
                                   |
                                  James (7)

しかし血筋的に見て、やはりジェーン・グレイの即位には無理がありすぎました。この譲位は国民の合意を得ることができず、その世論を背景にしてメアリは王宮に乗り込み、ジェーン・グレイを拘束して王位を奪取しました。ジェーンが王位にあったのはわずか9日間のことでした。そして彼女はエドワード王の側近達が心配していた通りカトリック復帰の政策を強行します。この結果、それに抵抗するプロテスタント達が多数殉教することになり、このためメアリは「血のメアリ(Bloody Mary)」と呼ばれました。

メアリはフランスとの戦争に破れ、その疲労から1558年亡くなります。そしてその後を受けて、とうとうチューダー王朝最後の王となるエリザベスが王位につくのです(在位1558-1603)。当時彼女は25歳。母が処刑された時は王室の一員
としての資格も剥奪されました。その後その地位を回復したとは言え、メアリの治世化では危険人物とみなされて長らくロンドン塔に幽閉されていました。その逆境が彼女を素晴らしい名君にしたのでしょうか。

彼女は政治的問題と絡む男女関係に煩わされることを嫌って、一生結婚をしないことを宣言したため「処女王(Virgin Queen)」と呼ばれました。彼女が即位するとメアリ1世の治世下にびくびくした暮らしをしていた民衆は彼女を熱く歓迎し、カトリックの人もプロテスタントの人もまた清教徒(ピューリタン)の人も彼女を愛しました。

彼女の治世は45年間もの長期に及びましたが、この時代イギリスは華やかな繁栄を経験することになります。

国内では国教会を整備、宗教の混乱を収め、貨幣制度の統一、ロンドン取引所の創設、経済活動の為の基盤整備、国情が安定します。

その安定の上に文芸が栄え、多数の演劇脚本を書いたシェイクスピア、新思想の詩人スペンサー、近代科学の基本思想を開拓した哲学者ベーコンなどが活躍しました。

また海外活動では、海賊ドレークが怪我の功名で世界一周を成し遂げたあと、その海賊たちをうまく海軍として編成、国家の統制下に置いてこの集団によりスペインの無敵艦隊を撃破。これにより世界の制海権がスペインからイギリスに移り始めます。さらには東インド会社が設立され、この後「日の沈まぬ帝国」が作られる基礎ができた時代でした。

1603年3月24日、一応平定できたものの2年前にアイルランドで起きた反乱のことに心を痛めながら死去。70歳でした。(資料より)








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最終更新日  2006年03月01日 10時47分22秒


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