全100件 (100件中 1-50件目)
11月よりライブドアブログに引越しをします。すでに10月のものはそちらにも移植済み。いよいよ明後日から今年最後の4日間連続のイベント『9ステップ』だ。今回でスタッフとして10回目だが、今回ほど、ある意味リラックスして臨む9ステップは、過去なかった・・・。それほど、先日の『メガイベント』はスタッフにとってもストレッチになったんだな・・・と感慨深く思う。今回350人の参加者。 どんなパワフルな人がくるだろうか。 どんなパワフルな人に変えることができるだろうか。 そして、何人の人が涙をながすのか。。。(苦笑)私にとっては、最近、生活のリズムが狂っていたので、合宿状態のこのイベントは整えるのに丁度よい機会だ。
Nov 1, 2005
コメント(1)
地元、阿佐ヶ谷で8月の『七夕祭り』に続いて『ジャズストリート』を見に行った。パールセンター(商店街)は、このお祭りとハロウィンにかこつけてまたセールを実施していて、相変わらず『町興し』をがんばっている。パブリックステージで見るのもいいが、ガード下や古いビルの中にあるスナックや喫茶店が『生ジャズの聴ける店』に早がわり!すぐ目の前で演奏する臨場感は堪らない。実に43箇所の場所で生を聴くことが出来る。普段、中々立ち寄ることが出来ないままだった店に入ることが出来、二重の喜びだ。ふらっと寄る店は何処もカウンターと数席の客席。目の前で歌ったり、楽器を弾く人がいる。こんな風景は、中々ない。古くからある、小さい店が軒を連ねる中央線文化とアメリカのジャズが出会うとこんな光景になるのか。本場の人も想像出来まい(笑)ま、そんなジャズストリートの告知を1ヶ月ほど見ていた影響で最近、ジャズものを聴きたくなっていた。丁度、9月にリリースされていた『ハービー・ハンコック』とスターバックスのコラボレーションCDを思わず買ってしまった。 (※世界中のスターバックスを販路の一部として販売している。 今後、こういうものも増えるのかな。うまいなぁ~ 店でかかってたら思わず買いたくなるもの・・・笑)このアルバムは、数年前に一世を風靡したサンタナの『スーパーナチュラル』のように他ジャンルのアーチストとのプロジェクト・アルバムである。では、どんな人がいるかと言うと、クリスティーナ・アギレラ、スティング、ジョン・メイヤー、ポール・サイモン、サンタナ、そしてスティービー・ワンダー。あきれるほど、ビッグネームばかり。でも微妙にサンタナの例のものとは違う人選。これほど何のてらいもなく、真正面からコンセプトアルバムを作られると、音楽的な意外性はあまりないものの感心してしまう。一聴して、どちらかというとハービー自身がゲストに歩み寄り、作られた印象を受ける。これだけのアーチストが集まっているにも関わらず、1枚通して聴けば、1つの色を感じる。それは、やはり『ハービー色』なのだろうか。秋には、こんなアルバムも聴きたくなるものだ。
Oct 29, 2005
コメント(2)
年に2回(~3回)ほど集まる『予備校仲間=トフラー』で今月、2回目の集合だ。 ※トフルアカデミーと言うところに通っていたので トフラーと呼んでいる。普通、大学に入るための『たった1年』という予備校での人づき合いは長くは続かないだろう。事実、30人ほどいたクラスの全員が集まる訳はなく、氣のあう仲間で続いているのだ。ある意味、一生ものの友達なのかもしれない。要は何処で出会うかだ。その1年は、青春ドラマのようなドラマも起きたりして、その後の、大学生活よりも鮮烈でほろ苦い思い出がある。無論、大学入学後も一緒にキャンプに行ったり、スキーに行ったりとつるんでいたのも続いている理由の1つだろう。何より、目標となるものが一緒で、お互いが受験というものに対する『敵』ではなく、目標成就に向けて励ましあう『仲間』だった。予備校を休めば、「どうしたの?」 と電話がきたり、(勿論、当時は携帯はないので固定電話・・・笑)一緒に月例テストの点数に一喜一憂していた。長いようで短い浪人生活の1年を共に生き抜いた。今回の集合の趣旨は、 追記3年前に石川県の実家に帰った修ちゃんが上京してくるということで集まった。彼の『視点』は昔から面白く、仲間うちではスパイスとして効いている。今回の上京も来年から、また関東で働くための打合せを兼ねての上京だ。普通、大学を出て、『東京』で仕事をして何かの理由で実家(田舎)に帰る場合、その後、再び、上京して働く人はあまりいないだろう。私の見かけは、正直言ってあまり変わらない。予備校の仲間に会えば、予備校モードの私になる。どんな人でも、いくつかの顔を持っているように。それが1つになれば楽と思いつつ、何処かでそのペルソナを楽しんでいる自分もいる。どれも本当の自分だ。この数年、私の周りは、色々な意味で変化している。変化を恐れるつもりはなく、むしろ受けて立つつもりだが、振り返るとたった2~3年の出来事なんだな・・・。ということが多い。この仲間と会っても、 変わってないなぁ~ とか 変わらなさすぎる ともどかしく感じる時もあるが、修ちゃんを始め皆、変わっている手応えを感じた。そこを見るか、見ないかであるが・・・。彼の久しぶりの登場でトフラー達に良い刺激が生まれそうな氣配。これから数年、トフラー達はどんな風に変わっていくだろうか。そして私自身も・・・。楽しみである。
Oct 28, 2005
コメント(0)
来週の4日連続のイベントの後に、事務所が移動する。『移動』といっても2Fから1Fへの移動なので大したことはないのだが、イベントの準備と引越し作業が同時にやってくることもあり、ザワザワしている。整理を始めてみると、今のフロアに移ってわずか1年、しかもその間に1回移動があったのに、思った以上に資料の『垢』が溜まっていた。これではいい仕事が出来ないわけだ。常に必要のないものは捨てているつもりでも、いつの間にか溜まっている。これは、資料だけでもなく、仕事にも当てはまる。すぐにやるつもりでも後回しになっていること、結構ないだろうか。ほんの些細なことでも積み重なると面倒になっていく。些細なだけに忘れていくこともある。仕事も心もフットワークを軽くしよう。
Oct 27, 2005
コメント(0)
今の仕事では、営業の他にも印刷物制作やディレクションも担当している。来週末からイベント控えているので、営業用の販促資料を作らなければならない。今年の初めから、8日間のメガイベントは、カラーのパンフレットである。先日のメガイベントでプロのカメラマンに撮ってもらったために結構良い写真がある。改善のアイディアはあるものの、どうもイマイチ乗っていなかった。社内的に先週話をまとめ、デザイン修正しようと思っていたが、体調を崩したこともあり、気乗りしないまま週末を向かえ、氣がつけば、タイムリミットはあとわずか・・・。膨大に撮ってもらった中から、「これ!」と思える写真をピックアップする手間や、新しい制作物を作る作業に「飽きて」いた。私自身、今の職場の中でもいいものを作りたい欲求は人一倍強いと思えるが、私自身が手を動かしていては良いものは作り得ない。こんな時は、制約の中で、同じようなパッケージや、デザインを作り続ける商業デザイナーの偉大さを改めて感じる瞬間だ(苦笑)。そう、どうにもこうにも今月はキレが悪い。すべてを相続のせいにはしたくないが、中旬以降、仕事もプライベートも乗りきれていないのは確かだ。そういえば、夜寝るのは遅く、そして朝はギリギリまで寝て、このところ寝坊状態。どうにもこうにも拙いスパイラルだ。何処かでこの流れを断ち切らなければ・・・。早急に心身のリフレッシュが必要だ・・・。
Oct 25, 2005
コメント(0)
友人が6年越しの一級建築士の試験に合格が『当確』らしい。発表は年末なのだが、専門学校の評価ではどうやら合格ラインをクリアしているようだ。2次試験は、『製図』一本勝負で総合力とクリエイティビティが試される。社会人になり、何かに向けての試験勉強を続けていくことは難しい。私も一時期、試験勉強をしていたが、集中力がある時とない時のコントロールの難しさ。仕事の忙しさを理由に勉強から遠ざかっていく自分に腹立たしくなるものだ。 試験のための勉強は、『知識』や『概念』の詰め込みの部分も多く、日々の仕事の中で『学ぶ』ものとのギャップが大きい。そして、その『知識』が実際の現場で使えるようには、少し時間がかかる。使えるようになれば、または使っていることに氣づけば良いが、多くは単純な暗記や応用力をつけぬまま勉強を終えてしまう。彼も、過去6年間の勉強の中で、ただ『試験』のための勉強をしているわけだけでなく、色々なことを学んだようだ。そして応用力も身につけた。おそらく彼の人生で一番、苦労して、そして思い出深く手に入れたものに違いない。そこにいくには、周りの人の力があった。そして、まずそれに感謝していた彼が印象深かった。それまでの彼も決して独善的な男ではなかったが、 彼の奥さん そして実家の両親。義理の両親。 現場の仲間。。。周りの力を取り入れ、周りの人に助けられ、感謝することを覚え、ここ何年かで大きく成長した氣がする。決して長くかかったことは無駄ではなかった。そして今年合格することによって、手に入れたものははかりしれない。今の仕事にも影響し、これから彼が独立してやっていく上でも左右するだろう。おめでとう!ひとまず彼に乾杯♪
Oct 22, 2005
コメント(2)
平日、昼間の百貨店では、男性顧客率が圧倒的に低い。黒のパンツスーツを颯爽と着こなす女性スタッフを各ブランドに配置している伊勢丹のメンズ館も平日昼間はスタッフ人口の方が多い。先日、月曜の昼間の博多で、この秋冬用にジャケットを購入しようと思い、ブラブラと岩田屋を歩いてみたが、男性フロアは、物の見事に客がいない。あまり広くない店内をさらっと見て回った時には、私しか客がいなかった。ましては試着ともなると他のブランドのスタッフの視線まで感じてしまい、気軽にのぞけやしない。(笑)うまいスタッフというのは、丁度、程よいところで声をかける。ま、なかなかそんなスタッフのいる店(ブランド)があるわけではない。お客というのは、 何か興味があるから、 買ってもいいかもしれないからお店に行くのだ。声をかけるタイミングさえ間違えなければ、相手の得たいもの(感情)を満たしてあげられれば、相手が自己認識していないニーズを見つけてあげられれば購入する。結局、別の日、少し混み合った夕方の Zara 新宿店で伊勢丹や岩田屋で試着していたものよりもはるかにリーズナブルでデザインの良いジャケットを購入した。ここは、あまり声をかけない。店舗の広さに比べて、スタッフの数が少なく、こちらからスタッフに声をかけないと足りない感じだ。きっと一声かけることでよって購入する客もいるだろう。逃している客も多いに違いない。声をかけるタイミングって大事だ。
Oct 19, 2005
コメント(0)
お世話になっているコンサルタントの冨田氏の父上の告別式に行ってきた。車のメンテの悪さも手伝い、パワステがオモステに変身。細かい曲がり路が続く、近所から脱出するのに苦労し、予定していた出発時刻より遅れに遅れ、さらに雨の日の国道は渋滞だらけ。時間帯も悪かった・・・。出棺に間に合わず、ご遺族に失礼なことをしてしまった。私自身もまだ、父を亡くして1年たっていないこともあるが、気の利いた言葉をかけることが出来ない自分が情けない。彼や遺族の方々に挨拶もせず、帰るのも・・・久しぶりに会った友人たちとの会話も手伝い、思い切って親族が帰ってくるまで待つことにした。7月までは、彼の名前こそ知っていたものの、直接会うこともなかった。そんな彼の父親の告別式に出るようになっているとは・・・。何とも人の出会い、そして繋がりというのは面白い。まぁ、出会いというのはそんなものかもしれない。彼の周りには、強力な仲間がいる。それも昨年、私の会社の研修で出会い、意氣投合した信頼のおける仲間だ。多くは地方に住んでいるにも関わらず、彼との関係から通夜から駆けつけ、そして受付を手伝っていた。今はネットやスカイプ、メッセンジャーがるので距離は関係ない。飛行機で飛んでしまったり、新幹線に乗ってしまえば、都内近郊よりもいち早く会うことが出来る。そういえば、私の父親の時は、会社を休みにして職場の仲間が総出で手伝ってくれた(涙)仲間というのは本当にありがたいものだ。彼もきっとそのことを痛切に感じているに違いない。
Oct 18, 2005
コメント(0)
日曜~月曜で、再び母と博多へ行ってきた。今年はこれで4回目。母と、伯父叔母夫婦に会い、相続が終わった報告と両家で行ってるビジネスに関して今後のビジョンを話しあった。まぁ、今回の話しあいだけで全てが決まるわけではなく、まず第1回目と言ったところだ。今回の訪問で何が良かったかと言うと、夫婦揃って『長寿祝い』をした伯父がますます元氣になっていることである。喉の調子が良くなっていたのは、先日も感じたことだが、10年くらい前に、子供の時以来で再会した時よりも、しっかりとした足取りになってきていることである。人間の体の調子というのも長い目でみなければ分からない。 しかもビジネスの今後の展開を話している中で、どんどん熱氣を帯びてきた。自分のアイディアや意見をぶっけてくる姿は、今までの『歴史の生き証人』的なイメージから大きく変わるものになった。相変わらず、話がループするのはご愛嬌としても、饒舌になり、今まで垣間見ることのなかった伯父の新たな一面を見て楽しくなったのは事実である。私は、父方も母方も祖父・祖母を早くに全員亡くしている。これから生きていく上で、年長者の意見や生き様を教えてもらうのは非常に為になる。本当にもっと長生きをしてもらいたい!そう切に願った。
Oct 17, 2005
コメント(0)
夏からお世話になっているコンサルタント富田氏の父親がなくなった。つい1ヶ月半くらい前にも危険な状況があり、予断を許さない状況だっただろう。直接は存じ上げないが、彼の父親だったら、きっと熱い男だったに違いない。ご冥福をお祈りしたい。今年、知人・友人の父親が亡くなくなったのはこれで5人目。父親は、皆、同じ年代。定年を過ぎて数年というくらいの、それまでがんばって日本を牽引してきた男たちの死である。一抹の寂しさがつきまとう。男親の死は、その息子に何をもたらすだろうか。私も、父の死から10ヶ月。最後のそして最大のギフトは『心の成長』なのかもしれない。これは、お金や土地といったものではなく私の財産となるだろう。先日の『生かされている』にも書いたように生活に大きな変化はないように見えるが、父の死によって、『意識』が大きく変わった。普段、お客さまに言うこと。今の仕事に携わって2年半。言うは易し。今こそ、実践しよう。 起こった出来事に意味はない 解釈は『自由』である。 そしてその解釈をつけるのは『自分』である。 その時の自分の状態を管理し、 力強い解釈をしよう。
Oct 16, 2005
コメント(0)
今の仕事の『現場』(=研修会場)で、スタッフは赤いポロシャツを着る。年4回ある研修でも、献身的に動き回り参加者のサポートをする動き、言葉に感動していだいている。 『赤ポロ』=『何でも出来る状態にある人』と思われているふしがある。「普段から、赤ポロ着てるんですよね」 とか、「いつもハイテンションなんですか?」 とか。。。あいにく、普段着が赤ポロや、ハイテンションなやつはスタッフにはいない。(そんなやつがいたら恐いって・・・)研修会場で、赤ポロを着て、そして参加者がいる瞬間にスイッチが入ってしまう。そう、それはまさしく『自動操縦』それだけ、ユニフォームの力というのはスゴイ。板(4センチくらいの幅があるまつ材)を『手刀』で割った時も、先日、スタッフ間でパンパーポールを飛んだ時も、そして15メートルの火渡りをした時も(笑)スカイダイビングやバンジージャンプを平氣な顔で飛んだりする時も、目に見えない力を感じる。それは、ユニフォームの力だ。素の自分が「やれ!」と急に言われたらさすがにひるむようなことも、仕事中にユニフォームを着ている時は出来てしまう。でも、そんな状態になるのも、ユニフォームを着ていれば。。。実は、そう思っていた。が、それだけではなかった。慣れは恐い。ユニフォームは、いつしかアイデンティティに変化をもたらしていた。先日、参加したブランディングセミナーの2次会の席でも顧客と話すかのように、十分、テンションは高く、熱く語っていた。あれ、こんなやつだったっけ・・・。本当の自分って。。。
Oct 15, 2005
コメント(0)
父の相続の申告をした。今日が、亡くなって10ヶ月目。今日が締め切り日だ。『相続』は、亡くなった翌日くらいから、ず~っと頭にもたれかかっていたものだった。期限があるから人は動くものの、母と私はギリギリのタイミングまで動けず、なんとか滑り込みで間に合った感じだ。午前中に母と税理士の3人で最後の打ち合わせをし、税務署に行き、午後に母と銀行へ税金を納めに行った。言葉で書くとたったこれだけだが、心にのしかかっていたものは、かなり大きかったようだ。少し前までは、税務署に提出し、税金を支払った瞬間、 『やったー! 終わったー!!!』と開放され、元氣になると思っていたが、いざ銀行で支払ったら、一氣に脱力し放心していた。今日という日は、あくまでも一区切り。今度は、どう生かしていくかを考えなければ・・・。せっかく遺してくれたものが無駄になる。
Oct 12, 2005
コメント(0)
今週末は、大阪~名古屋の地方説明会。昨年より、大きなセミナー(=研修・イベント)のない月は行くようにしているので、大阪・名古屋、時には仙台と、かれこれ15回以上行っている。説明会で直接、話が出来ると相手の理解度が違う。そして、実際の現場(セミナー)でのサポートも変わってくる。無論、東京でも説明会は毎週のように開催しているが、他の仕事をやりながら臨むことが多いので、散漫なところがあるし、自分たちの事務所で行うこともあり、『安心領域』なのかもしれない。そして、大阪・名古屋とも、協力していただいている人たちと1年~1年半、接しているとそれぞれが、それぞれのフィールドで立派に変化・成長していることをヒシヒシと感じる。ある意味、それが励みになっているのは確かなのだが、自分自身も同じ年月が過ぎている。この6月まで開催していた経営者向けのプログラム『経営者育成塾』の塾生の方々にもそれは当てはまる。3年前、同じセミナーに参加していた仲間(塾生)が次々と進化・成長していく中で、私は、スタッフという道を選んだ。サービスを提供する側、与える側も、常に進化・成長しなければいけないことは身をもって学んだ。しかし、「わたし」という1人の人間で見たときに 常に変化・成長しているだろうか?出張に出る度に、考えさせられる。そろそろ自分も答え(結果)を出す番だ。そういえば、来週、友人が『一級建築士 二次試験』に臨む。その彼も来春、長年勤めた会社を離れ、転職する予定だ。元々やりたかった設計の仕事をするために。年齢的に一番、忙しい時期だが、今年こそ受かるだろう。来春、資格を取得して意氣洋々と船出が出来ることを祈っている。
Oct 2, 2005
コメント(0)
何か常に締め切りに追われているような氣持ちを感じながら身体がだるく、仕事へのノリもイマイチだった一日。所在なくテレビのチャンネルを変えている中で、『ニュース23』で父がなったALS(筋萎縮性側索硬化症)のミニ特集が組まれていた。ALSは、運動神経が障害されて筋肉が萎縮していく進行性の神経難病。10万人に2~6人の発症割合の稀少難病で、残念ながら現在のところ原因も治療法も分かっていない。患者は日本国内でも約7000人いる。特集の内容としては、前向きに原因不明の難病の進行と戦っている患者と、それを支える家族と言うもの。たった5分ほどのミニ特集だったが、忘れていたことを思い出した。思えば、相続の煩雑な手続きの中で、 「まったく、かんべんしてくれよ~」 とか、 「もっとちゃんとまとめておいてくれよ~」と父に対して心の中でぼやいていることが多かった。あたかも父が生きていた時のように。 でも忘れていた。 私は生かされている。あの時、父が亡くならなくとも父の病の進行を止めることは出来なかった。死に急ぐ父だったから、発症してわずか1年足らずで逝ってしまったが、テレビの中のALS患者たちは、今も必死に進行と戦っている。進行性の病氣だから、父のように一瞬で逝ってしまうことは余りない。長く戦う病氣なのだ。本人も、家族も、一緒に。たまたま、父は他のALS患者が最後の方に侵される呼吸器系を最初にやられただけだった。ほんの一年前には、『人工呼吸器を装着しなければ生き抜くことが出来ない』という難問をいきなり突きつけられたのだ。当然、ブラウン管に映っている家族の姿は、私かも知れなかった。父の介護を第一に生活を変えざろうえなかっただろうし、変えていただろう。母は、父の病氣と向き合い、進行と戦うと決意した時から家族を「船」に譬えていた。ALSという荒波に家族で乗ったのだと・・・。しかし本当の荒波がくる前に、父は自ら下船した。映画『タイタニック』でレオナルド・ディカプリオ扮するジャックが自らの命を犠牲にしてローズを助けたように。「24時間介護」や「呼吸器取付」を味わうことなく私たち家族のALSとの戦いは終わった。今の自分の生活。そして家族の生活が、あたかも前と同じようにあるのは、父の下船のおかげだ。それを久しぶりに思い出した。
Sep 30, 2005
コメント(0)
昨日、(水曜日)に『ファンタスティック4』を観に行った。『スパイダーマン』や『X-MEN』『ハルク』『デアデビル』など、マーベル社のアメリカンコミックの実写映画版。今まで知らなかったが、この『ファンタスティック4』が一番古い作品らしく、今まで映画化が難しいとされていたようだ。ま、実用性があるのかないのか不明な主人公4人の特徴を考えるとそれも頷ける。何度か映画化はチャレンジはされていたようで、テレビ版やらB級に甘んじた完成度のものがあると言う。が、本氣のハリウッドの『資金力』が入るとそこは違う。一級娯楽大作に仕上がり、続編へと繋がるエンディングはシリーズ化を意識して作られている。きっとDVDのオマケ映像も面白いだろう。関連商品も含めて、こういった映画は、一大マーケット映画だ。それにしても、映画本編よりも氣になったのは今時、映画館に見に行くと色んな割引があること。水曜日=『レディスデー』という事もあって、映画館のチケット売り場には女性が多い。さすがに開演間近の新宿で焦って窓口まで行ったのだが、考えてみれば、女性客が殺到するような映画でもない。事実、チケット売り場では『四月の雪』が一番人気のようだ。し か し、そんな女性グループに混じって、硬派な『コーチ・カーター』を買い求める女性の1人客もいるではないか! サミュエルずきなのだろうか・・・ 一度、お話してみたいものだ(笑)。さて、映画館の割引だが、『レディスデー』のほかに『映画の日』『ファーストショーオンフライデー』、『シルバー割引』を認識していたが、新たに『バースディ割引』や『高校生グループ割引』とか言う割引制度まで誕生していた。映画業界もあの手、この手で集客にいそしんでいる。でもシネコンが全国各地に広がり、一時期よりは観客は増えているんじゃないかと思う。しかし、新しい『高校生グループ割引』はいただけない。どうして男2人やら、女2人の2人では駄目なんだろーか。折角、集客しようと言う制度なのに、イマイチ弱氣なプラン。 映画館=楽しい と思わせてしまえばいいのになぁ~。 そして何といってもCMがいただけない!なんで今更、外人を使わなきゃいけないんだろうか。70年代や、80年代前半のアメリカ信仰が強い頃ならまだしも、この2005年にあれはないだろう。物凄いアフロのセーラー服着た女と格好良くない男2人。そしてポップコーン・・・。センスを疑う。何処の代理店なんだ、あんな企画通してOKなやつは・・・!映画本編よりも氣になってしまった・・・(苦笑)
Sep 29, 2005
コメント(0)
8日間のイベント終了のお祝いにささやかながらCDとDVDを購入した。CDは、視聴して、『耳』に付いた新譜を3枚。そしてDVDは、丁度昨日リリースされた The Police の『Synchronicity Concert』というライヴDVD。え~「お祝い」にDVD?と思われるだろうが、このライヴは、『DVD』というフォーマットが世に出て、そしてプレーヤーを所有してから、ず~っと ず~っと待ち望んでいたものだ!!今までは、ビデオとLDのみだったこのライヴ映像。ライヴCDがリリースされた時にも、すぐにでもDVDが出るんじゃないか!と期待だけさせておいて、待てど暮らせどリリースされる氣配はなく、数年の年月が流れていた。それが、ここにきて突然のリリースである。それもひっそりと・・・。たまたま偶然、ネットでリリースの報を知っただけだった。このDVDの概略を簡単に述べると、ワールド・ツアーで訪れた 1983年11月 2日 ~ 3日のアメリカ・ジョージア州アトランタでのライヴの模様を収めたもの。『I'm Not in Love』のヒットでも知られる元10cc のゴドレイ&クレームが映像の演出を手掛けたロック史の中でも屈指の名ライヴ映像として知られている。3人組とは思えない音のぶ厚さ、そして最初から映像としてリリースすることを意識した曲毎のカメラワーク。観客は当時の80Sファッション。クリアな映像とDTSサラウンドの臨場感で、真空パックが解凍されたようで面白い。まぁ、でもある意味、そんなことはどうでも良くて、昔、レンタルビデオをダビングして何度も本当に擦り切れるじゃないか、というほど見たライヴ映像。二度と見ることのない、脂の乗り切った3人の映像である。何度も恋焦がれたあの頃のライヴ。あの時、大人だったら。見に行くことが出来たなら。初めて見たときには、すでに The Police は、活動休止で、そのまま解散すると言われていた。スティングも今のように枯れていなくて、(勿論、良い枯れ具合だけど)フサフサ、ツンツンしている髪と開け放った胸元が格好イイ。そしてスチュワート・コープランドのドラミングは見事で、アンディ・サマーズも良く見りゃ若く、楽しそうだ。見れば見る程、あの頃の感情が一氣に甦る。アドレナリンがグングン出て、活力がみなぎっていく。ああ、五感(感覚)に訴えかけられたものは強力だ。それにしても4000円足らずで・・・安上がりな、そして簡単な自分・・・。
Sep 28, 2005
コメント(0)
ゲスト講師として8日間フル活動だった、エドウィンを東京まで連れて行く前に、仲間と数人で大磯駅周辺をブラブラした。 知らない街を地図もなく適当に歩く。 ある意味、すごい贅沢な時間。 日本テレビ系列で放送している『ぶらり途中下車の旅』 みたい(苦笑)どうやらエドウィンも缶詰状態に窒息していたようで、海まで歩く間にアンティークショップに立ち寄ってみる。意外な掘り出し物がありそうな風情。そして台風の影響のある海でしばし佇み、島崎藤村のお墓のある寺などを徘徊。これで漁船の辺で旨い魚でも食べれれば完璧なんだけど・・・。残念ながら、今日は日曜日。『逃避行』とまではいかない、まさに『ぶらり途中下車の旅』のんびりムードに包まれながら大磯をあとにする。明日は5時起きで博多行き・・・。再び多忙な1週間が始まる。
Sep 25, 2005
コメント(0)
今日のゲスト講師は、登山家の小西浩文さん。昨年に続いての登場だ。彼は、日本の登山家としては最多となる8000m級の山6座の無酸素登頂に成功している日本を代表するアルピニスト。8000m級の山を無酸素で登れる人は世界で3人しか存在しない中の1人で、ギリギリの線で生きる『漢』の中の『漢』である。否応なしに圧倒的な男性エネルギーが会場を包む。会場に入る前の氣合の入れ方も凄かった。一瞬、一瞬が勝負!という氣持ちが伝わってきた。熱い話の後は、こちらも昨年と同じように、彼の経験から来る『顔相』タイムが始まった。 額が淀みがないかどうか。 勿論、額は見せているほうが幸運を引き寄せる。 眉毛の形 女性は丸みを帯びている方がよい 耳の位置 目の高さよりも上か、下かで人の意見を聞くか 聞かないかが分かるらしい。女性も、額を見せて、耳を見せている方が良いらしい。そしてよく言われることだが 『口角』は引き上げておく印象も良いし、ポジティブになれる。昨年、聞いたときにも口角を上げようと思いつつ習慣化されていなかった。 口角を上げようとすると、 プラスの感情が心に広がる。あなたも、人に見られている時だけでなく、見られていない時も口角を上げてみてはいかが。
Sep 22, 2005
コメント(0)
火曜日に、同期の父親が亡くなった。今年、久しぶりの同期会で会った時、父親が入院していると聞いたもののあまりにも早い死だった。在職中、彼は、父親と折があわず反発し、会社倒産を期に加速していたような感じだ。会わないと平氣で何年も会わないようなやつで、しかも今年結婚する女性を紹介してもいなかった。折角の同期会。皆で、後悔しないように、いい機会だから父親に会わせるべきと助言した。それから4ヶ月。先輩の2次会の後に、不在の彼が氣になり電話をすると、自宅療養に入ったと言う。そして、何とか父親に彼女を会わせたと。それから数日で逝ってしまった。きっと、彼もこれから自分が譲れば良かった事や、聞いておけば良かったことなどを思うこともあるだろう。でも、彼女を会わせたのは、せめてもの救い。彼に限らず、最近、片親をなくしている友人・知人が増えてきている。普段の生活の中では、取り立てて自分の歳は感じない。氣付けば私も父を失っている。そんな歳になってしまったんだ。
Sep 17, 2005
コメント(0)
8日間連続研修の『メガイベント』で、参加者すべてに体験してもらう、『パンパーポール』をお先に体験した。パンパーポールとは、電柱ほどの高さの10mの丸太に登り、その上に立ち、宙に浮かぶバー目指して空中ブランコのようにジャンプするというもの。勿論、命綱をつけてチャレンジし、命綱はファシリテーターが安全確保者として握り、研修ではメンバー同士が握りあう。バンジージャンプやスカイダイビングを経験していることもあり、 『自分は大丈夫である』という確信はある。一番上に登るには、掴まっていた手を丸太から放し、両足で立ち上がらなけばならない。丸太を登る途中まで、自分の呼吸音が聞こえていた。私がここに要した時間はわずかなものであったが、他のメンバーの中にはココで躊躇する者もいた。丸太の上に立ち上がった瞬間、静かな空間になる。丁度、映画『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』の完全試合を目前にしたケビン・コスナー扮するピッチャーが、周りの歓声がシャットアウトされたような感じ。きっとこれがゾーンなんだろう。目の前のバーを見据え、思い通りにジャンプすることが出来た。眼前に広がるのは大磯ロングビーチ。静かな空間の中、私はぶらさがっている。次は、バーから手を放して地面に降りる。仲間が下で、命綱を握って待っている。はずである。しかし、バーから手を放すことが一瞬出来なかった。なぜ?特段、高所恐怖症ではないが、最後の一歩を踏み出すことには少し勇氣・度胸がいる。それはジャンプの瞬間か、丸太の一番上に立ち上がる瞬間か。私にとって、それはバーを放す瞬間だったようだ。丸太に登り、そして上に立ち上がるのは自分のパーソナルパワー。自分を信じれば出来ること。しかし、手を放すことは仲間を信頼すること。頭でそんな考えが浮かび、次の瞬間、皆の声が耳に入った。そして私は手を放した。想像していた重力の法則はなく、宙にゆっくり解き放たれた。腹話術の人形のように吊らされてフワフワと私は降ろされていく。仲間を信頼するって氣持ち良い。何処にでも学びは転がっている。
Sep 16, 2005
コメント(0)
今週末、メガイベントと言う8日間連続の研修が始まる。通常、年に3回、4日間連続の研修を販売・運営しているがその倍の日数をかけるのだ。そして、何と、今回集まるゲストは300名を越える。それだけ多くの人が8日間連続で参加する。3連休と3連休の合間という絶妙なスケジュールながら、それでも皆、仕事を休んだり、家族の元を離れて研修に参加するのだ。私が、3年前に参加者だった頃は、9日間の開催でフル参加したのは30名ほどだった。私が仕事として携わった2年半の間に、約10倍の人が参加するようになった。裾野は確実に広がっているのだろう。さて、今回のメガイベントでの、個人的な小さなチャレンジは、この日記の更新である。今まで5月、7月の4日間連続の研修の際には、研修前後の忙しさの中で、日記の更新の習慣づけが出来ないままに終わった。最近、やっと日記の更新の習慣が出来てきただけに、この研修中に何回更新出来るかが、チャレンジの1つ。何といっても、この研修は朝の9時から夜中の2時まで行われる。そして普段は営業ながら、研修になると顧客フォローの他に音響も兼任する。音響担当は、食事以外、休憩はとれない。当然、居眠りは厳禁だ。集中力も要求される。今回は、国内外からのゲスト講師も15人を越える予定。このゲスト講師は、各界で結果をだしている人ばかりで、参考になる心構え、考え方を知ることが出来る。そして、300人以上の顧客が、どんな変化を起こしていくのかそれが楽しみだ。何より9割方、4日間の集合研修を受けている。意氣込みやテンションも高く研修に臨んでくるに違いない。その意氣込みに負けないくらいの準備は進めているが、さて結果やいかに・・・。
Sep 14, 2005
コメント(0)
いざ相続の申請のための作業を始めたものの、父の書類は分からず、調べるのに一苦労。税理士に言われるがまま、区役所や税務署、都税事務所、登記所などを行ったり来たり。相続に必要なもの。常日頃、用意しておくものではないが、こちらも災害同様、備えあれば憂いなし。まとめておくこと。そして親と資産(負債も含む)の話をしておくことは必要だ。私は、父のマインドを『死』に向けたくなくて敢えて話をすることから逃げていた。税理士の話や、本を見ていると、二次相続というものが発生するらしい。父自身が10年以内に相続を行っているとそれに対して控除されるというもの。登記所で取り寄せた実家の土地は幾つかに分割されている。そう、一部分が7年前に亡くなった伯母の土地だった。控除出来るものは徹底的に行っておかないと・・・。近くの税務署でそのことを相談すると、申請してから閲覧出来るまでに7日~10日ほどかかると言う。勿論、税務署へ相続人全員の印鑑証明と私が閲覧するという委任状も添えて提出する。いざ、意気揚々と申請しに行くと、「管轄外です」と言われてしまった。そう、亡くなった伯母は博多に住んでいた。ということは、博多の税務署へ提出していることになる。目の前がクラクラするのを覚えながら、いつ行けるかを考える。かくして、今週末から開催する8日間連続のイベント終了翌日に博多へ行くことにした。
Sep 13, 2005
コメント(0)
海外にいる友人が妊娠した。その友人からメールが来るときは、転換点や迷いの時のようで、毎回、驚かされる。『妊娠』は、本当におめでたいことだったのだが、友人は、シングルマザーの道を選んだ。まぁ、それも今は珍しいことではないし、でも相手の男性に伝えるくらいは良いのではないかと思っていたら、『その相手とは、終わったことだから敢えて妊娠のことは伝えない』と、子供と2人の『道』を選んだ。元々、自分が子供を産んで育てるということを全然想像していなかったらしく戸惑いと喜びが次のメールから伝わってきた。一時帰国して、6月に会った時も元氣そうで、出産は日本で行うと弾んだ声で話していた。それから、数ヶ月、次に来たメールは、その友人からもらったメールの中で一番辛い告白が記された。 母体の血液に問題があるという。どうやら珍しい血液らしく、しかも今まで日本で血液検査をした時は分からなかったものが判明したようだ。そして、出産に耐えられるか分からないという内容だった。 子供はすくすく育っている。 それはチャットをした時にも述べていた。どんな言葉をかけても力を与えることが出来ない。自分の無力感にさいなまれながらも、体を整えて、また次の機会に・・・と自分の命を落として子供を産んでもその子供が可愛そうだし・・・私も出産を断念するかとも思っていた。そして、友人自身も子供を諦める道を選んでいた。はずだった。しかし、最終的に友人が選択したのは『子供を諦める』 まさにその日。あろうことか病院から逃げ出し、そして病院側を説得し出産する氣だと言う。しかも予定通り、日本に帰国して。日本に帰国する前に記された手紙の中で、友人は、『何か選択するとしたら、楽しいことを選べ!』という基準で、この選択をした。『2人で絶対幸せになれる!』と書いてあった。思わず、胸が熱くなる。そして今日、日本へ向かっている。子供と2人で生き残るために。
Sep 12, 2005
コメント(2)
倒産した最初の会社の先輩が結婚し、2次会に参加した。連休にも6年ぶりくらいの同期会を行い、変わった部分と変わらない部分を感じとれた。今の仕事について2年半、ひたすら時間の拘束を受けていて、会う機会を逸していたので時間を都合してはせ参じてみた。昨年末に亡くなった父の交友の広さを肌身で感じ年初の書き留めた目標に『人との縁を大事にしよう』と挙げている。その中には彼らのことも大事にしたいという氣持ちがある。そう思っていたら、彼らに会える年になっている。小さいことだが、思考は現実化するな・・・。今回会った中には、倒産して以来、7年半ぶりの上司もいた。同期と同じように、皆の中に、変わらない部分、そして変わった部分を感じた。彼らの中に入ると、まるで毎週繰り広げられていたいつもの光景に見えるが、それぞれに確実に7年の年月が経っている。年とったな・・・と感じるものも。自分はどうだろうか。後輩2人が来ていなかったこともあり、久しぶりに、『下っ端』になった。それはそれで悪くない感じ。半分の自分は3次会まで付き合いたいと思ったがもう半分の自分は確実に変わってしまった。 「3次会まで付き合うべきではない」前だったら、久しぶりということもあり付き合っただろう。 でも・・・仕事も残っていたし、当時から『付き合いが悪い』というキャラを利用して3次会はぶっちぎってしまった。また機会があれば会いたい。それは以前よりも強く思う。彼らのことは大好きだ。しかし、ノスタルジーを胸に今日は帰るとしよう。考えや行動などは、日々の生活の中では、ほんの少しの違いかもしれないが、積み重ねると大きな違いになる。それを実感した。彼らが立ち止まっているわけではない。方向性は変わってきている。7年半前の『倒産の日』から私の仕事に対するくすぶっていた氣持ちが開放された。そんな氣がする。『倒産』は、それはそれでショックだったが、私は、あの日から自由になった。私も変わったのだ。
Sep 10, 2005
コメント(0)
今年は台風の当たり年。しかも台風の進路コースは、明らかに以前と変わってきている。日本自体が『熱帯雨林』化している感じがする。そして東京に豪雨をもたらした雲も停滞して、ゆったりとした進路だった。停滞の1つの要因が、東京が『ヒートアイランド』化しているためと思われる。エアコンや排氣ガスなでの大氣汚染で大氣が変わっている。そして、汐留・品川・お台場などのビル施設の建設ラッシュが相次ぎ、海風が都内に入らないことも原因に挙げられる。海風を遮断していることで大氣の状態は以前と比べて停滞するようになった。大氣の流れが山梨側の山と東京のビルの谷間になってしまい停滞するのだ。なぜ海側にビルを乱立するのだろうか。ここに緑を多く植栽出来るならば、風が吹き、大氣も変化し氣温も下がるはずなのに・・・。大学の時、なぜか『人口問題』のゼミを履修していた私だったが、氣がつけば、卒業論文は人口問題を軽く扱った『都市論』になっていた。欧米のように都市の地下にライフラインをもっていけるとすると緑をもっと植栽することが出来る。地震国の日本で、地下にライフラインを集中させるのは難しいのかもしれないが、地上に電線があったって地震の時、先日のような水害でも被害を受ける。大学の時以上に、ライフラインの整備と緑を多く出来たら・・・と思う。卒業論文にも述べた記憶があるが、都心にもっと緑を!
Sep 8, 2005
コメント(0)
心配だった台風14号の襲来を受けずに終わった。空から入道雲は一掃され、秋の空模様。そしてトンボの群れ。茅場町の事務所に向かう都会の真ん中でトンボの群れにお目にかかるとは思っていなかった。それにしても、台風14号は凄かった。ほんの数日前に局地的な豪雨に見舞われたため、宮崎や山口の映像を見るたびに同調してしまう。ここ数年、日本の天氣は両極端になっている。日照りかスコールか。雨が降らないと心配し、降りすぎると災害を心配する。この台風の前には、宮崎県や四国地方の水がめは、ちょっとやそっとの雨量では回復しないと聞いていた。確かに被害も大きかった台風だが(どこのニュースも述べないけど)水不足は解消されただろう。雨乞いをしていたとも言う。ある意味、皆の願いは叶えられたのかもしれない。 ただ「雨を降らせて下さい」 ではなく、 もっと明確に、 「どの位の水量で、 被害がないように・・・最高最善に・・・」とでも願わない限り、天は細かなニュアンスは分からないかもしれない。あ、人間同士のコミュニケーションも同じだ。たとえ、同じ日本語を話しているとしても、言葉の定義・受け取り方が違うことがある。ひとつの言葉を聞いて、プラスと取るかマイナスと取るか。言葉の解釈は、その人の生きてきた道によって異なる。どこまで共通の言葉を使うことが出来るか。課題だ。
Sep 7, 2005
コメント(0)
先日、日記で書いたイタリアンレストランの『コメ・スタ』。心憎いことに『こめすた瓦版』なるニュースレターも作っている。無論、定期的に発行していて、手書きのものが多そうだ。そんな中で、『イイ男』『イイ女』シリーズなるものが書いてあった。うなずけるものもあれば『?』な所もある。多分に、おじ様、おば様の作った標語のようだが、ワイワイみんなで笑いながら見るには面白い(笑)■男性から見たイイ男 1つを聞いて4つぐらいを提案出来る男 時間その他の約束事を守れる男 好きな女性を紹介出来る男 不得意分野を教えてくれる男 一緒に飲むと湧き出るエネルギーを相互に与えることの出来る男 非まじめ男 電話一本で事足りる男 非常とか行動だけでは判らない「男氣」の持ち主 いくつになってもロマンを語る男 裏を見せ、表を見せて散る男■女性から見たイイ男 思い通りにならない男 いつまでも怒っていない男 人を許すことが出来、懐が深く、時としてイニシアチブを握れる男 教養(文学・美術・音楽など)を教えてくれる男 頑強で腹が決まっている男 男にもてる男 人の悪口を言わない男 行動する寡黙な男 体験を積み重ね、常に研鑚意欲の旺盛な男 キレイだね、かわいいねといつも言ってくれる男■男性から見たイイ女 ごちそうさま、ありがとう、ごめんなさい ブランドを追っかけない女 元氣で楽しく肯定的、しかもしっとりしている女 (?) カラーセンスのいい女 あまり電話をかけない女 5回のうち1回ぐらい食事代を払う女 教養(文学・美術・音楽など)をほどほど知っている女 時にはワタクシ(正式日本語)を言える女 5000円以内で価値のあるレストランを紹介してくれる女 自然と別れられる女 (?)■女性から見たイイ女 歳を積み重ねてもおちゃめな女 おいしいものをおいしいと言える女 ごめんなさいと言える女 ほどほどに控えめで自分をあまり出さない男 大胆で繊細な女 他人からみて、まだまだイケると思う女 (?) 1つ以上得意な技能を持つ女 (?) しぐさが粋な女 キリリとしているけれども人に優しい女 芯は強く、生命力がある女
Sep 6, 2005
コメント(0)
東京都や埼玉、神奈川県で、4日夜から5日にかけて1時間あたり100ミリ前後の猛烈な雨が襲った。東京でも大雨は別に珍しいことではない。何年かに一度、大雨は降り、地下街や地下鉄が水浸しということが起こる。今回、何が一番凄かったかと言うと、その降り方。そして雨雲がずーっと停滞していたことにある。しかも、東京都ではこれまで、おおむね3年に1回は起こるとされる1時間75ミリの降雨を想定して、治水計画を進めているらしいが、今回の雨は、計画よりもはるかに多い水量が4時間近くも局地的に降ったのだ。気象庁によると、私が住む杉並区では1時間に112ミリ。20時頃から降りが強くなり、24時を回っても雨足は強かった。特に私の実家の辺りは、ニュースで放映されたような被害の出たマンションに近い。子供の頃の台風でよく近くの善福寺川や神田川は氾濫していた。その後、地下に地下調節池が完成し、ちょっと位の大雨であれば冠水することはない。しかし、今回の雨は凄かった。杉並区にある『神田川・環状7号線地下調節池』も満タンになったようだ。家族を迎えに行こうにも、川が増水し、氾濫し始め、橋が通行止めになっていく。この道も、そしてこの道も、次から次へと分断されていく。土地勘のない車はパニックだ。一方通行の道をお構いなしに迂回する車もあり、事故になる可能性も高くなっていく。その姿は、川に囲まれた地域を孤島化させ、分断していく。『旧 ルパン三世』の『七番目の橋が落ちるとき』という話に出てくるような感じだった(苦笑)私の実家のそばの橋も次々と通行止めになり、車1台が通れる幅の実家の前の道も1台、また1台と迂回してくる。こうなると普段、ナビの情報のままに車に乗っている人は辛いだろう。土地勘や地図を読む力は大事になってくる。そして、咄嗟の判断力が生死を分けることもある。圧巻だったのは、環状八号線(環八)のアンダーパス(立体交差のトンネル)が水没していったこと。約2~3Mはあるはずのアンダーパスが波々とダムのようだ。その中で車も浮かんでいた。避難勧告も出され、停電している地帯が広がる。叔父の住む家の一帯も停電と床上浸水は免れなかったようだ。林や森、山が真っ暗で不気味なのは分かるが、暗くて当たり前の場所。しかし、東京という都会で、ある地域一帯だけが『停電』というのは何とも不気味な光景だった。吸い込まれていく、そして吸い込まれたい衝動にかられていく。以前『震災時帰宅支援マップ』の話を日記に書いたが、おそらく多くの人と同じように『災害』=『地震』と考えていたふしがあった。しかし『災害』には『火災』や『水害』もある。そういう視点での家探しや家作りも大切だ。事実、水害には『緊急避難通路』に指定されている環八のようなアンダーパスが多い道が使えないことはよ~く分かった。家族の救出(苦笑)も終わり、実家に車を待機させ、雨足が弱まる深夜1時過ぎの地元の駅で、40分ほど遅れた最終電車を待ちながら、つらつらと考え、私以外の家族のためにまず『災害マップ』を購入しようと心に誓ったのだった。
Sep 5, 2005
コメント(1)
出来れば『先延ばし』にしたいと思っていたことも着手しなくてはならない時がくる。 あなたには何があるだろうか?私には年初から、氣にかけていながら『先延ばし』にしていたことがある。父の突然の死から間もなく9ヶ月。そう『相続』は10ヶ月以内にしなければならないのだ。この数ヶ月、分かっていても始めることが出来なかった。世間の人はどうなのだろう。病氣だったとは言え、突然亡くなった人に対して会社の事務作業のように処理していけるものではない。ましてや父のことや、父の行っていたことは、確定申告以上に知らないことだらけでどう進んで行くのかも手探りだ。はっきり言って母や姉を鼓舞させていくのも自分自身を鼓舞させていくのも考えていた以上に出来なかった。母の体調が優れなかったとはいえ、調べたりすることは出来たのだが、それも仕事の忙しさを理由にしていなかった。反省するくらいなら、行動しよう。 『期限』というものが迫ってきて始めて着手した。『期限』がなければ、自分に甘え出来れば『先延ばし』にしたいと思っていた。そんな自分に『喝』である。 (日曜日のTBSサンデーモーニングの大沢親分&張本の感じ・・笑)ということで、やっと本で調べたり、人に会うようになった。果たして間に合うのか。と言うか間に合わせないと・・・ね。出来れば『先延ばし』にしたいと思っていて着手していないもの あなたには何があるだろうか?
Sep 4, 2005
コメント(0)
千葉県野田にあるイタリアンレストラン『コメ・スタ』に車で行ってきた。数ヶ月前の同僚の「ピザが美味かった」という一言で、行ってみようということになり、やっと実現した。(あれよあれよと言う間に6人で行く事になった)野田といえば、キッコーマンのお膝元。元々、この『コメ・スタ』の創業メンバーは元キッコーマンレストランのスタッフだったらしい。そんな強みを生かしたキッコーマン醤油の『もろみ』で牛挽肉を煮込んだ、通称「野田ソース」でトッピングした『野田市のピッツァ』、しょうゆコロッケの具にチーズを加えた包み焼きの『長多田さんちのピッツア』は、日伊融合の落ち着く美味しさが口の中で膨らむ。他にも『パルメジャーノ・レッジャーノ・リゾット』など皆で「美味いね~」を連呼して食べてしまった。大人数でワイワイと食べるのは、美味しさを倍増させる。『野田=醤油』だけではなく『野田=醤油=ピッツァ』に認識を新たにした夜だった。そんなキッコーマンの醤油を生かしたお味はすこぶる良い。でもお味以上に、スタッフ1人1人を見ていて氣持ち良かった。スタッフ1人1人に自然な笑顔が溢れ、それでいてキビキビ動いている。店先に『感動するレストラン』を目指していると書いてあった。ついついチェックするような目で見てしまうが、今のようにホスピタリティ溢れ、サービス満点なるまでは、さぞ紆余曲折があったんだろうなぁ~と伺える。予約をして入ったゲストには、ペーパークロスに予約者の歓迎の意を表した言葉が並べれられている。各テーブルには、担当がつき『御用命カード』なるものが担当者から手渡される。なんとこのカードには、顔写真、出身地、生年月日、血液型や趣味、信条、自己PRまで書いてある。ついつい、内容を読みその担当をからかい、さらには違うスタッフのものまで見たくなる内容である。これは担当スタッフとゲストが親密になるツールの1つでもあるし、スタッフ側も「このテーブルを担当している」という責任が増すので非常に効果的だ。また言葉遣いにも氣をつかっているのが伺えた。「~でよろしかったでしょうか?」と言われていつも不愉快になる私だが、ちゃんと「~でよろしいでしょうか?」という言葉をつかっていたり、「ありがとう存じます」「かしこまりました」を言うことにスタッフが自然だった。そして3回ほど行ったトイレの清掃が常にゆき届いているのにも感心した。私は、比較的トイレにはよく行くほうだが、トイレが奇麗にゆき届いている店はまた行きたくなる。 これは重要!我々が行ったのは18時半~21時、最もお客様が賑わう時間帯。ましてや当日は、結婚式の2次会もあったり、少なからず酔っ払っている客もいたり、多くは小さな子供もいる家族連れ。そう子供は、水周りや紙を使いすぎたり汚しがちだ。にも関わらず清掃がゆき届いているのは見事である。どーりで年配客だけのグループが数組いるはずだ。ただ味が良いだけでは、またリーズナブルなだけでは、お客様は定着しない。味は良くて当たり前。目の前のお客様に、まず楽しんでもらう喜んでもらう笑ってもらうそこに打算はなくただ全力投球する目に見えない細かい『心配り・心づかい』が出来る。そういった所に客は感動し、口コミが生まれる。基本を教えてもらったような氣がした。
Sep 3, 2005
コメント(0)
3年前に参加した研修で仲良くさせてもらった研修仲間の浩太郎くんに会った。彼に会うのは、昨年の春以来、約1年半ぶり。その間、彼は、神奈川の座間キャンプ~大分のある施設まで約1320キロを虐待撲滅を念じて行脚。そして熊本で修行生活に入っていた。彼のブログやメールを通じて活躍は確認していたもののじかに会えるのは嬉しい。また忙しくなるだろうから会える時に会っておかないと人と人の縁が薄くなってしまう。今回、これまでの数々の事情があって、修行の半ばで帰郷した。でも、ネイチャーランド(子供達の学遊の場)づくりの夢はあきらめていない。それどころか、以前よりも数段パワーアップしている。色々な人を吸い寄せるパワーをさらに磨いて熊本から帰ってきた。彼との1時間半位の話の中で 因果応報 日々ベストを尽くす! 目の前のことに手抜きしない そうすれば結果はついてくるということを再認識した。ありがとう、浩太郎!彼は、この9月から千葉で『黄色い車のパン屋さん』(!)で働くことになった。彼の愛くるしいキャラクターは、きっと子供たちや、そのお母さん方にウケルに違いない!今から活躍が楽しみだ。彼の今後も応援していこうと思う。
Sep 1, 2005
コメント(0)
東野圭吾の『時生(トキオ)』を読んだ。この2~3年、ビジネス系の本ばかり読んでいたので、ほ~んと久しぶりの小説である。昔はよく通勤途中に小説を読んでいた、しかも読みやすく重くない東野圭吾の作品は、ほとんど持っている。彼は、学園を舞台にした本格推理小説『放課後』でデビューしてから、コミカルなものまで、ミステリーのあらゆる分野を手がけている。今回の『時生』は、死んだ息子が過去にタイムトリップして父親の窮地を救うという、時間移動を機軸にした物語。著者の作品の中では、母と娘の心が入れ替わる大ヒット作『秘密』に通じるファンタジー小説に分類されるだろう。 推理小説ではなく、ミステリーと言っていいのか、SFと言っていいのかわからないような感じの作品だが、相変わらず彼の作品はどこか男くさい・男目線。遺伝的な難病におかされ、その命が尽きようとしている時生。そんな息子を目の前にして、父・拓実は若き日に出会ったある青年のことを思い出す。うまいよなぁ。作品の形としては、『秘密』なんかと同じような、SF系の流れを汲む作品だけど、70年代の高度成長期の一方で泥臭さを残していた日本の状況を背景にした物語。自堕落であり、自分に甘いけれども正義感(?)は人一倍強い若き日の拓実と、その拓実をなんとか良い方向へと導こうと一生懸命になる時生。何故だかなんだか温かいものを感じたり何か通じるものがあると感じて、時生を無意識に守ろうとしたり、時生の前だと変わったりしてしまう。方向性は違うんだけれども、どちらも「若い」とか「青い」とか言われそうなどこか似ている2人。読者としては、時生が将来からやってきた拓実の息子だと知っているから、時生の言い分も理解できるし、一方で、拓実の考えることにも共感できる部分がある。そのあたりのさじ加減が相変わらずうまい。そして、現代に戻ってきて、父親となった拓実の最後の台詞。この台詞を読むために全部読んだ感じ。そして、何度か繰り返される 「明日だけが未来じゃない」という時生の言葉に代表される、登場人物のセリフも物語に厚みを出している。この言葉の意味や重みがラストになるに近づいてひしひしと伝わってくる。体中を駆けめぐる感じ。ダメ男は『男』になっていく。『息子』との出会いによって。人それぞれにとっての『未来』『大人』になるということを考えさせられた。
Aug 31, 2005
コメント(0)
廉価版になったこともあり、ビル・マーレイ主演の『恋はデジャヴ』を購入した。日本語だとコミカルなイメージがあるが、原題は『Groundhog Day (ウッドチャックの日)』。結構、考えさせられ、面白い映画なのだが、主演の2人の日本での知名度や地味な設定も響き、あまり評判にはならなかったと記憶している。舞台が”片田舎”ということもあったが、日本は世が世だった。公開された1993年、アメリカでは、クリントンがブッシュ(父親)を破り大統領に就任して何かが変わる氣配を感じていたたり、日本はバブル末期だったが、まだまだバブルだった。丁度、Jリーグが開幕されたり、相撲では曙、若貴兄弟なんかが人氣だった頃だ。最近でこそ、ビル・マーレイも『チャーリーズ・エンジェル』や『ロスト・イン・トランスレーション』で ”第一級” という感じだが、どんな映画に出ても、つかみ所のない、何処かすっとぼけている楽しいところは変わらない。人気気象予報士フィル・コナー(ビル・マーレイ)は、田舎町(ペンシルバニア州パンクスタウニー)へ地域番組のロケに来た。毎年2月2日に、ウッドチャック(リス科のビーバーみたいなもの)が、自分の影を見て冬眠するかどうか決定し、その結果によってその年の「豊作」を占う、という彼には退屈で耐えられない田舎行事の取材。当然身も入らない。嫌々ノルマを果たし都会へ帰ろうとしたが、天候の急変により悪態をつきながらも、その町に泊まることになった。そして翌日、彼が目を覚ますると、そこに待っていたのは昨日と何ひとつ変わらない「2月2日」であった。異常に気づいているのは本人だけという悪夢のような設定。ある1日を繰り返すことになってしまった男の喜悲劇の中から「今」この瞬間が大切であるかを伝えてくれ、また本当の「自分らしさ」を知ることの大切さも描かれている。私たちは日々同じ行動を繰り返している。しかし本当の自分に気づいた時、大きなシフトが起こり、次に必要な出来事がどんどんと起こってくる。 必要な時に必要な出来事や人はやってくる。この映画は、そのことを再認識させてくれる。ピアノの上達具合をみると、一体、何回同じ朝を迎えたんだろうか。「2月2日」を繰り返し生きることによって、自己中心的で身勝手な男が、周りに優しくなったり人助けをしたり・・。変化のない毎日を充実させるのは、自分の行動次第。その日の自分の取り組み方で、同じ1日が、素晴らしい1日になる。相変わらず、この映画は地味だなぁ~と悪態をつきつつそう思う今日このごろ。最後に、ヒロインのアンディ・マクダウェルがビル・マーレイに言う言葉。(近代歴史小説の祖と言われるウォルター・スコットの詩) 自分のことしか考えられぬ者よ この世を虚しく生き 命絶えたあかつきには 穢れた土くれと成り果てて 挽歌を歌う者もなく 涙する者もなし詩には含蓄があります。
Aug 27, 2005
コメント(0)
任天堂の商売は昔から面白い。ハードもソフトも開発する稀な会社であり、今も第一線はさすがの一言。その大きな原動力にもなった『マリオ』シリーズの原点とも言うべき『スーパーマリオブラザース』から20年だと言う。一昨年のファミコン生誕20周年の頃には、ゲームボーイアドバンスに『ファミコンカラー』まで登場し、1年に数回しかゲームに見向きもしない私の触手が伸びそうになった。そして、今度発売される『ゲームボーイミクロ』は、なんとファミコンのコントローラーカラーまである心憎い演出。丁度、コントローラーのセレクトボタンやスタートボタンがあった場所に2インチのカラー液晶が付いている感じだ。価格は、昔のファミコン本体が買えるほどの価格ながら、購買層である20代後半から30代前半には、確実に魅力的な価格。さて、私は、それこそ小学校~中学校の頃にゲームセンターに通い、ゲームをやりつくしまった感がある。無論、その後のゲームの方が高度であり、体感型も増え、難易度も高い。しかし、ビデオゲーム黎明期にしかないアイディアやチャレンジを今のゲームに感じない。ある意味、焼き直しでしかない。次から次へと新しい『発想』のゲームが開発されていた良い時代だった。黎明期のビデオゲームは、ほとんど把握している。そして、ゲームセンターは、今のような健全な遊び場ではなくいかがわしい感じのお兄さん方の溜まり場だった。外から中が見えないその空間、そして扉が開いたときに聞こえる電子音は私と友達を魅了した。タバコとトイレの据えた匂い。私のゲームセンター原体験である。でもその『いかがわしい』感じが好きだった。何となく出入りしている内に、怖そうなお兄さん方も顔馴染みになって、仲良くなっている自分がいた。あとから聞いたら、隣町の高校の結構やばい人だった人もいるし、バイクで死んじゃった人や、捕まった人もいる。高校の1年の頃であろうか、それまで行っていたゲームセンターにぱたりと足を向けなくなった。ゲームセンターが『健全な遊び場』として変わり始めた頃だった。そして私も、いかがわしいお兄さん方と会わなくなっていった。話を戻して、任天堂の発想力には驚かされる。昨年末に発売された『ニンテンドーDS』は、無論『いかがわしい』感じはないけれどアイディアが一杯詰まったゲーム機だと思う。CPUのスピードや、表示ポリゴンというハードスペック競争から抜け出し、面白さを別の側面から見つけ出そうという意氣込みを感じる。次にこんな試みをする会社はどこだろう。
Aug 26, 2005
コメント(0)
6月に出会ったお客さまから教えてもらった本、「セアロ108の言葉」を思い出した時に開いている。この本の中にある108の言葉は、短い文章で簡潔・明快に語りかけてくれる。紹介してくれた人が言うには、普通に最初から『読む』のではなく、毎日、適当にページを開いて見てみるのがいいよと。タイトル通り、108つの言葉が綴られているので、108通りあるわけだ。時には同じ言葉かもしれないし、違うかもしれない。なので中々、全部読むことが出来ない。このセアロさんは、ミャンマーの上座仏教日本人僧侶である。 『私には宗教はない。 あなたが幸せになればそれでいい。 幸せになるのに戒律はいらない』と説く。 ミャンマーで日本人? 日本人でセアロ?という所で、少し混乱するのだが、セアロさんはミャンマーの聖地チャイティオで上座部仏教に得度した日本人僧侶らしい。仏教の世界でも・・・と言ったら変だが、日本で普通に寺をひらくのではなく修行の旅に出て、向こうで定住する寺を持たず自らの道『慈悲の旅』を歩んでいる。仏教僧侶でありながらも『セアロ』として親しまれ、宗旨、宗派にこだわらない人の道の真理を説いているようだ。愛とは、正しい道とは、生きるとは何かを、1人1人と関わり、伝え続ける。アメリカ、日本などでは心と体の癒し、精神性の向上を促し、ミャンマー、カンボジアでは物資支援、寄付を行っているらしい。 へ~そういう活動をしている人もいるんだ~ そして、どんな世界でも本場が存在するんだな~。 というのが正直な感想。108つの言葉は、どれも氣づきであったり、癒しを与える言葉である。日本語と英語の両方を掲載しているので、簡単なものは英語で覚えているのも良いかもしれない。その手の本は多いのだが購入する機会はあまりない。愛とか正しい道というものを真正面から捉えると言うのは何処かこっぱずかしいと思ってしまう自分の思考パターンは陳腐だなと思いながらもページをめくる。 『分かろうとしなくていいんだ。 ただ、それを感じればいい。 感じたことを分かろうとしたり理由をつけないと 感じたことにならないと思っている。 これは、感じたフリをしているだけだよ。 理由づけはいらない』
Aug 23, 2005
コメント(1)
よく出張や旅行でホテルに泊まると、夜中、普段はあまり見ないテレビを見てしまう。多くは映画だったりするのだが、たまに地方ローカル局のクイズ番組とか見てしまい、何とも言えない氣分のまま寝不足で翌日を迎えることが多い。内容はくだらなくとも、全国ネットにない『ゆるい』感じが良かったりするのだ。先日も博多のホテルで、よせばいいのに、夜中にテレビをつけてしまった。チャンネルを変えていくと、BS2で『ガンダム 劇場版』が放送されていた。てっきり3部作の1作目だけの放送かと思っていたら3作連続、そして合間には関係者などのインタビューが入り9時間(朝の5時過ぎまで)の放送だと言う。 明日の長寿祝いは昼から・・・ とは言え、朝の5時まではちと辛い・・・ 朝は母親と朝食を食べる約束をしていたし。。。などと心の中で葛藤しつつ、結局4時近くまでみてしまった。本編よりも面白かったのは、ガンダムの生みの親である、富野由悠季氏のロングインタビュー「富野、吠える!」 であった。勿論、裏話好きのオタクの人なら既に知っているような話なのだろうが、私はそういった裏話的なことはあまり知らないので、これが結構楽しめた。テレビ版の制作時に、どうやってキャラクターに名前を付けたかという話や『モビルスーツ』という言葉がスポンサーに却下され、タイトルにも付いている『機動戦士』を使わざろうえなかったことなどだ。(しかし劇中1回も『機動戦士』という言葉は使われていない)特に面白かったのは、富野氏自身、氣に食わないキャラの名前がけっこう多かったということ。スポンサーやTV局、広告代理店とのミーティングの中で相手は子供向けを作っているいるという意識であり、彼が作りたいものを理解してもらえず、陳腐な名前を付けてやろうという氣持ちだったようだ。主人公のアムロだけは、こだわりを持って名前を付けたら却下されそうになったことが笑える。当時は、漢字の名前、日本人であることなどが重要だったようだ。しかし、氣に食わない名前のキャラクターだからからこそ、『昇華させる(!?)』と言うのだろうか、その陳腐な名前を凌駕する位、中身をより良いものにしようとしたらしい。 (でも今となっては、名前と性格にアンバランスさを 感じることは全くないのだが・・・)このこだわりが、様々な名セリフ、名シーンを生み出したのかもしれないと感心してしまった。何でも好き勝手に作っていい、という環境は案外つまらないもので、思うようにならない色々な制約があるからこそ、人は想像以上のチカラを発揮するのかもしれない。自分は、仕事にそこまで『こだわり』を持っているだろうか。夜中にそう考えながら『哀・戦士』を口ずさむ私だった。
Aug 22, 2005
コメント(1)
長寿のお祝いに便乗して、最近行っていなかった福岡県南部の柳川に行ってきた。世間的には、柳川は水郷風景(川下り)と文豪 北原白秋の故郷として知られているだろうが、 私の中では、『柳川』=『せいろ蒸し』の町である。今回、さすがに川下りは遠慮したが、お目当ての『せいろ』と白秋の生家には行ってきた。せいろ蒸しの老舗『元祖本吉屋』に行くのは、子供の頃から数えて、4回~5回目だと思うのだが、行く度に心がワクワクする。前回は5年ほど前の5月だったが、その時も暑い日だった。今回も東京よりも低い位置の入道雲が立ち込める柳川に降り立った時には日差しも強く、セミの鳴き声があたり一面に鳴り響いていた。この『元祖本吉屋』は、柳川の旧街道筋から一本入った静かな一角に、萱葺きの落ちついた佇まい。創業300有余年を誇る歴史を感じることが出来る。『ウナギのせいろ蒸し』を作ったという老舗で、江戸時代から受け継がれる秘伝のタレを使い、創業当時と同じ製法で作っているらしい。また玄関や木造りの店内に入ると、木の暖かみが迎えてくれる。座敷は個室と大広間とあり、今回は2階の広間だったが、ゆったりと寛げる座敷は、やっぱり氣持ち良い。タクシーが最後の曲がり角を曲がるや否や、蒲焼の良い香り!13時を過ぎる頃に行き、無事「特せいろ蒸し」にありつけたのが14時くらい。特せいろ蒸しは、朱塗りの木箱に、表面はこんがり焦げ目がついて香ばしく、中はふっくらと柔らかい。そしてこの店は本当にタレが絶品!甘すぎず甘辛のバランスがちょうどいい。そして2段重ねなのに、ウナギが脂っこくなく、またご飯の味付けがまた絶妙で、全体にたれが染みこんでいるにも関わらず、たれのしつこさはなく、上品な炊き込みご飯のような微妙な味加減が見事です。たっぷり1時間待たされた私のお腹も大満足の内容。我々が並んだ直後にもどんどん客が増えてきて、14時半になろうかと言う頃にも待ち人が溢れていた。相変わらずすごい繁盛ぶり。絶えず新しいこと・もの・サービスは出てきても本物は残る。ここでしか味わえないものがある。歴史を持つ重みと伝統が脈々と生きているのを痛感した。博多から西鉄特急で45分、タクシーに乗りかえ5分の時間をかけてもわざわざ来る価値のあるお店である。次に、駆け足で白秋の記念館にも立ち寄ってみた。北原白秋と言えば、文豪と言うより小学校の時に歌う童謡の作詞家という認識が大きい。その分、他の文豪よりも身近な存在だが、決してそれだけの人ではなく、日本文学に及ぼした影響は大きい。白秋に限らず、大人になって記念館や歴史建造物に行ってみると、子供の頃には分からなかった時代背景や流れが分かってくる。ここ白秋の生家も子供の頃に一度、訪れたことがあるが、改めて行ってみて、白秋に限らず、激動の中で生きた人の人生は重みがあることを認識した。自分の人生と比べてきると、いかに自分が平べったい生活をしていると感じる。『せいろ蒸し』で満たされたお腹でふとそんなことを思い、もっともっと今の自分を全力投球しようと決意した。
Aug 21, 2005
コメント(0)
4年前に金婚式を行った父方の伯父伯母が、それぞれ『米寿(べいじゅ 88歳)と傘寿(さんじゅ 80歳)』を迎えた。この週末は、その祝宴のために博多にやってきた。最近は、60歳の『還暦』なんて、まだまだ現役で若く、枯れて欲しくない人の方が多い。平均寿命が延びた今では70歳の『古希』のお祝いが最初の長寿祝いと言ってもいいかもしれない。事実、そう思ってきた。だが、父は還暦のみで終わってしまったし、祝える時にちゃんとお祝いをしたり、親戚で集合することは良いことなんだと思う。医者をしていた伯父は、見事にIT化にも対応し、80歳から始めたPCやデジカメを駆使してコミュニケーションも図っている。また東京で行われる学会にも度々参加することもありフットワークも軽い。勿論、郵船クルーズの『飛鳥』に乗ってのんびり海外旅行をしたりもする。しばらく呼吸器系が苦しそうで話が聞きずらかったが、今回その部分も少し良くなったようで、いつもより話がしやすかった。伯母も最近始めたことがあると言う。やはり趣味は必要だし、励みになることは良いことだ。2人とも、年々若くなっている氣がするし、時代に対応している所がイキイキとしている秘訣だろうか。お祝いの席で、ケンカが多いということを子供や孫たちから言われていたが、いまだにケンカ出来る幸せということも改めて噛みしめているに違いない。
Aug 20, 2005
コメント(1)
『アルマゲドン』や『ザ・ロック』など、これまで数多くのアクション大作をヒットさせてきたマイケル・ベイ監督の『アイランド』を観てきた。SF映画は、その設定がごく近い未来になっていることもあるし、人類に向けての警鐘になる場合もある。この映画がどちらになるかは分からないが、人間の『永遠なる生』への欲望を考えると、この映画のようなクローン人間が存在する未来は近いかもしれない。クローン羊の『ドリー』から科学の世界では、クローン技術がどんどん追求されている。『ドリー』は妊娠し、子羊も出産した。クローン羊も他の羊と同様に生殖能力を持つことが証明されたわけだ。 人間への適用は、各国共に禁止しているはずだが、この映画のように、臓器移植を目的として創られてしまうことがあるかもしれない。そして、映画のようにオリジナルの人間(ホスト)に黙って生育させていたら・・・この映画を見るまで、クローン人間の『人権』というものを考えてみたことはなかった。 「あなたは複製人間です。 オリジナルの人間(ホスト)がお金で注文したコピー にすぎません。 クローンは人間ではないのです」なんてことを突然、認識したら・・・。考えて見ると複雑である。映画の最初はクローン側の立場になって、主役の2人を応援してしまう。 「あ~人間で良かった。 実際に恵まれてる中で生きている人間は、大切に生きなくて はいけない」とでも思えば素直な観客だろう。が、ちょっと待て、2人の逃亡劇の中でどれだけ人間が巻き込まれ被害にあっているんだろうか?そしてホストの立場は・・・。そんなこと考えないでノンストップ映画をただ楽しんで見れればいいのだろうが、色々なことを考えさせられた。純粋に『生』への欲求を満たすために主役の2人は逃げまくる。そして逃げおおせた主役の2人は、ご丁寧に施設をぶっ壊し、仲間のクローンを解放する。 『解放』の先にあるものは何だろう。これは、古くは『新・猿の惑星』にも当てはまるし、最近では、『アイ・ロボット』にもあった。突然、解放されても解放されたものの立場がない。でも映画はそこまで語らない。解放の先には、混乱があり、新しい秩序が生まれるのだろうか。パーマンのコピーロボットは良かった。『鼻』さえ押してしまえば、人形に戻るし、誰のコピーにもなれたっけ。
Aug 19, 2005
コメント(0)
先月23日に千葉県を中心とした地震が起きたと思ったら宮城県沖でも地震が発生した。幸い、仙台の知り合いも大事にはいたらなかったようでほっとしている東京は、じんわりと冷や汗をかきそうないやぁ~な感じの横揺れだった。次に大きい地震が『がくっ』と来てもおかしくないほどじっくり長く揺れていた。都心部は、幸いなことに深刻な被害は少なかったが、交通機関はそれでも混乱。もっと大きな地震で、しかも昼時だったら・・・。多かれ少なかれ、惨事は免れない。ビルの1階と2階を使用していることもあるが、今の職場が借りているビルは、かなりの直下型がこない限りは倒壊しないだろう。新しいビルは耐震設備はあるはずだ。多くの働き人は建物の中にいて助かったということになるだろう。だが、『帰宅する』となるとどうだろうか。大きな地震が起きた時の盲点である。電車がとまり、道路も封鎖されていたら、歩いて帰るしかない。もし、昼の12時に直下型の大地震が発生した場合、都内で400万人以上の人が帰宅難民(!)になると言われている。大きな幹線道路は、右往左往している人でごった返すというわけだ。そこで最近、『震災時帰宅支援マップ』という種類の地図が、地図コーナーにはびこっている。ビルの破損、家屋の倒壊など自宅までの道のりは危険が一杯。都内には震災時の緊急避難通路として16本の幹線道路が帰宅支援対象道路に認定されているようだ。この緊急避難通路から、いち早く倒壊した建物の撤去を行い帰宅支援ステーションが出来ると言う。私は、電車で30分、ほとんど直線だし、この緊急避難通路沿いに帰れば、ほとんど帰れる自信がある。土地勘もあるので外出していても、国道と都道もわかる。でもその時、家族は大丈夫だろうか。携帯も使えなくなり、お互いに心配だけが募るだろう。せめて家にいる時間であれば、いいなぁと思う。まず、「毎日を悔いなく生きよう」さて、いざという時のためとはいえ、『震災時帰宅支援マップ』を常備させた方がいいのか。迷いどころである(笑)
Aug 18, 2005
コメント(0)
16年前 それは夢のまた夢の話12年前 それは掴み損ねた記憶 8年前 それはもがき苦しみ、何とか手にしたキップこれは、そう蹴球W杯最終予選での日本代表の話。正直、4年前は開催国として予選免除があり、昨年から長い予選を戦い抜くにあたってどうしても8年前、そして12年前の記憶がよぎる。今回は・・・なんと最終試合を残して今日の試合の結果で堂々の1位通過。それもアジアの中でも屈強なイランを下してなしえた。直前の東アジア選手権の結果が芳しくなくたって、何だかんだ言って、『ココだけは負けられない』という試合を何度も拾ってきた。その中で確実に強くなってきている。期待からくる苦言はいくらでも言うことが出来るだろう、また批判しようと思えば批判出来るが、今日は素直に勝利を喜びたい。DNAに刻み込まれた『進化への欲求』は確実に受け継がれている。まだ指揮官に不安は残っても色々な選手が出てきた。昨日の試合、3年前に『黄金のカルテット』と称された、なかばレギュラーを約束された4人もそこにはいなかった。4人がいなくとも勝てる。国内のメンバーにも浸透している。あとは、4人(あるいは3人)がどう組織の中で機能するかである。ここから1年の間に、それぞれの選手が進化していく中でどう組織として磨くことが出来るのか。楽しみである。
Aug 17, 2005
コメント(0)
先週、横浜の佐々木主浩が引退を表明した。公私共に色々あった昨年、彼はマリナーズのユニフォームから再びハマの大魔神としてマウンドに上がった。私は横浜ファンではないが、あのストレートとフォークは小気味良くて好きだった。その日の佐々木の速球は全盛期とは程遠い130キロ台後半ではあったが、清原との対決を三振でしとめた。その清原も左ひざ痛で出場選手登録を抹消され、桑田も今日の阪神戦に先発、1回表に、3安打2四球を与えた挙句、阪神 矢野の頭に危険球で退場。またも今季初勝利ならずに5連敗。制球が身上の桑田が危険球とは・・・。このまま桑田・清原のKKコンビの歴史も終わるのかな、と寂しさを感じてしまう。そろそろ、一時代を築いた人や印象に残ったプレーをした野球やサッカー選手が引退を決める時期になってしまった。さて、今年の5月に元日本代表の前園も引退を表明した。かつては鋭いドリブルが持ち味のいい選手だった。私にとって思い出深いのは、アトランタオリンピック予選だ。その時、彼は英雄であり、光っていた。当時のオリンピック代表のエースは中田ではなく、小倉だった。小倉は、実績もリーダーシップも群を抜いていた。その小倉を怪我でなくしたあと、前園がエースでありキャプテンだった。すべての負担が、前園に降りかかってきた。もちろんアトランタと言えば『マイアミの奇跡』が有名だが、あのチームにとっては、予選こそが真骨頂だった。タイ戦に始まり、大怪我した親友の小倉をアトランタ五輪本大会に出場させると言って、走る事もままならなかった状態で痛み止めをうって出場し前園は2ゴール。五輪出場を決めたサウジアラビア戦こそが奇跡だったかもしれない。予選を突破し、うなぎ登りにあがっていく世間の評価に比べて、前園にとってアトランタオリンピック本大会は、「すでに輝きを失うことが見えた」大会だったかもしれない。それだけ疲労困憊もしたのではないだろうか。この大会後、彼のサッカー選手としての評価は急落した。今年の東欧への挑戦も不発に終わり、昨季のKリーグが最後となった。日清のラ王では中田を、脇役にCMで輝いていたのも、今は懐かしい思い出。7月に神戸を追い出されJ2横浜FCに渡ったカズ、そしてJ2でがんばるアトランタ組の小倉や城。鉄人と称され、首位を走る阪神の金本や最下位 広島を引っ張り続ける野村。華々しい全盛期に引退することに比べれば、長く続けることは格好悪いことかもしれない。でもそこに美学を感じてしまう自分がいる。引退の時期は、人それぞれなるも、残された現役生活。これからどんな生き様を見せてくれるだろうか。
Aug 14, 2005
コメント(2)
先月、イベント会場付近で紛失したiPod だったが捜索活動もままならず2代目を購入した。(正確には4台目)普段、音楽を聴くことで息抜きしたり、氣分転換をする私にとって音楽なしの生活はこの上なく苦痛だった。そして数日、MDを携帯したものの、ディスクを取り替えるまたは持ち歩くのはもう出来なかった。正直、手持ちでない曲が急に聴きたくなったりする。その時、その場でアクセス出来るのがいい。今回のiPod は、クリックホイールの4G(4th Generation)。しかもアップルがiPod のラインナップを一新し全機種、写真対応モデルになった。音楽を聴いている時に殊更、ジャケットを見ようとは思っていないのが、お氣に入りの写真を入れておくのはいいかもしれない。携帯にも待ちうけ画面があるしなぁ。さて、以前の日記でも記したように車でもiPod で音楽を聴く。普段はオーディオのAUX端子に接続する『Belkin Auto Charger』を使っている。今年になってレンタカーを借りる機会が何回かあり、そのまま音楽環境を移植出来るのは面白いと思い、FMトランスミッターを使用する『iTranser iPod Transmitter&Charger MIPTC-C08』も購入してみた。『iTranser』の効果はバッチリで、どんな車に乗ってもシガレットライターの端子があればたちまち自分のiPod 環境に早代わり。友人のiPod でもOKだ。 こういう所もiPod って他社に比べて強いんだよね~と独り言。さて、FMトランスミッターを使用するものはiPod に限らず古くはCDチェンジャー、MDチェンジャーでも存在した。 一体、電波ってどれくらい届くのだろうか?携帯型のラジオで実験してみたところ10m前後は、電波を拾うようだ。という事は、車が近ければ電波を拾うだろう。そのうち 『おまえ、今、周波数いくつ?』 『78.2』とか言って2台で走って試してみようと思う。またトランスミッターによっても電波の強さが違ったりするかもしれない。ということは、みんながiPod +FMトランスミッターで電波を飛ばし合ったら・・・渋滞中は、色々なものが聴けるかもしれないし、混線しっぱなしという状況が起こるかも・・・。な~んてね。
Aug 13, 2005
コメント(0)
今年もまた8月12日が来た。 毎年、テレビではまるで夏の風物詩のように日航機事故の慰霊登山の様子を映している。もうあれから20年。あの年に産まれた子供が『ハタチ』になるくらいの歳月が過ぎた。幸い、あの飛行機に私の親戚・知人が乗ることはなかったが、固唾を呑んでニュースの情報を追った覚えがある。その頃のワイドショーは『ロス疑惑~三浦和義』で持ちきりで、テレビ、雑誌、スポーツ新聞を含めた芸能マスコミは、綻びの出始めた三浦氏を執拗に追いかけていた。私はと言えば、高校受験を控えており、昼間は学習塾へ、そして合間をぬって友人と遊び、また今よりも音楽を聞き漁っていた。バース・掛布・岡田を擁した阪神が21年ぶりに優勝したことやライブエイドがあったり、神田正輝と松田聖子が結婚したり、『スーパーマリオ』が発売されたり、自分にとっては子供から大人へと変わりつつある懐かしい思い出が詰まっている年。その時間もアニメ『ダーティペア』を見ていた呑氣な受験生だった。自分の身近で起きたなら、安穏としてはいなかっただろう。誰の立場であっても、こんな事故2度と起こしてはいけない。事故原因については、諸説があり、真相は闇の中のまま。そして今年、20年という区切りの年に色々な本が出版されている。すべてに目を通す訳にもいかず、パラパラと見ているだけだが、あの当時の日本航空の官僚的企業体質や、性急な利益追求姿勢、経営陣の現場軽視といった背景があったようだ。あるがままの歴史を受け止め、教訓にしていかなければならない。航空各社の相次ぐトラブルやJR尼崎線の脱線事故などの大惨事が起こる度、風化されてはならないと思う。世界に向けての飛行機事故の教訓として、語り継がれるべきだ。20年経ってもいまだこの大惨事の事故原因が究明されていないということは本当に恐ろしい。亡くなられた520名の方々、そしてご遺族の方々にとっては決して終わらない夏。真相を明らかにすべきであるという課題は、企業を越えて社会レベルのシステム改善が必要なのだろう。謹んで犠牲者のご冥福をお祈り致します。
Aug 12, 2005
コメント(0)
残暑お見舞い申し上げます。。。8月7日は『立秋』。暦の上では秋になる。この日を境に、日の長さが短くなり、暑中が残暑に変わる。そう、『立秋』は夏の折り返し地点。今年の東京は、昨年や一昨年ほどの酷暑ではなく、普通に『夏している』という感じ。どちらかと言うと私の頭の中の思考パターンは、 甲子園が始まる=夏本番であり、いわゆるお盆休みと終戦(敗戦)記念日が終わると、甲子園も終わり、日本テレビで24時間テレビが放映され、夏休みが終わる・・・。それが、私の頭の中に出来ている夏休みだ。今年も体調を崩さずやっていこうと思う。 が、そう思った矢先に体調を崩した。思うに、エアコンと扇風機漬けで身体に負担が来ていた。アスファルトの照り返しが例年ほどでない今年の夏はイマイチ、夏という氣がしない。酷暑でもないもののジワジワと暑さの疲れは出てくる。嘔吐もあり、全身がだるかった。じんわりと汗をかき、胃の中を空っぽにしたら楽になった。家で少し休んでいる間に、窓から空を見上げると、空にはもくもくと沸き上がる夏の雲の代名詞、『入道雲』。8月は、夏と秋との入れ替わりの時期で、雲の種類の変化も面白い時期である。夏に見る雲は垂直に発達するのが特徴で、熱い太陽に熱せられた地面から激しい上昇気流が起こり、大きな雷雲を作る。それに対して、秋の雲は水平方向の雲が特徴で、水平に流れるような雲が多く、ほとんど低気圧が接近した時にできる雲である。今日あたり夕立がくるかもな・・・。かさの準備をしながら遅めの出勤(苦笑)
Aug 11, 2005
コメント(2)
今日は地元、杉並の『阿佐ヶ谷七夕まつり』に行ってきた。700mにもわたる阿佐ヶ谷の商店街『パールセンター』が七夕の飾りもの(張りぼて?)で鮮やかに賑わう。パールセンターは、JR中央線 阿佐ヶ谷駅から南に続く商店街で各店の出店が並んだりとお楽しみがたくさん。子供のころ、親に連れられてきた覚えがあり、なぜか毎年顔を出したくなる。商店街もまつりに合わせて安売りをしています。七夕の飾りものは、その年の人気者キャラクターなどがモデルになるので、その年のブームが読み取れたりするのが面白い。 今年目に入ったのは『リラクマ』や『Mr.インクレディブル』(しかもインクレディブルファミリー)やディズニーものそして、松平健もまだ健在だった(苦笑)出店は、それぞれの特徴を生かしたものが多い。中でも目を引くのは、酒屋の『パエリアのパスタ~マルガリータ付』1000円である。大体が、から揚げやイカ串、焼き鳥なのに対して、ココは毎年、この不思議なパスタで長蛇になっている。ちょっと味を変えたいのに最適。さて、杉並の商店街は、高円寺といい阿佐ヶ谷といい都内の中でも頑張っている商店街だと思う。所謂、「父ちゃん母ちゃんの店」らしきものが頑張っているのだ。これが、お隣の武蔵野・吉祥寺あたりの商店街になるとこじゃれてしまっていけない。(笑・・でも吉祥寺は大好き!)また、何処か昭和40~50年代前半のノスタルジック漂う中野のブロードウェイも捨てがたい。阿佐ヶ谷は「パール商店街」そして高円寺は、ねじめ正一でお馴染みの「純情商店街」と南口の1キロ近く続く商店街。今ではすっかり東京の夏の風物詩として定着した「東京高円寺阿波おどり」は、本場徳島県からの応援も加わる3日間のまつりで、高円寺の知名度アップに一役買っている。「父ちゃん母ちゃんの店」の中には、婦人服屋も多く、ココでやっていけるのかなぁ~と思う。外窓にクレジットカードのシールが貼ってあるということは、カード払いも出来るのだろう。個人で仕入れてくるブティックは、洋服は買取、そしてカードの利率も店にとって厳しいものであるにも関わらず、頑張って営業している。郊外の商店街は、ロードサイド型の大型店が進出、または切り開いていく部分が強い。確かに、シネコンを併設しているような大型店は魅力だ。しかし、東京の商店街の中には交通が不便ながらもロードサイド型の大型店に劣らず、依然として客で賑わうところが少なくない。阿佐ヶ谷や高円寺の他にも、戸越銀座、武蔵小山、大山などが当てはまるが、この商店街のノウハウが衰退していく商店街の活性化に繋がらないかな~と思っている。(一応、中小企業診断士の勉強したからね・・・(笑))
Aug 9, 2005
コメント(0)
なんとアップルが 100%出資の子会社「アイチューンズ株式会社」を東京都内に設立した。音楽配信サービス「iTunes Music Store(以下iTMS)」の日本国内サービスを本格的にスタートするためだ。昨年からいつ開始されるのだろうと言われていたアップルの音楽配信のiTMSだが、8月6日に正式にスタートした。別会社を設立するところに以前のニュースでは伝わってこないアップルの本氣度が伝わってくる。また同時に、エイベックス・グループ・ホールディングスが子会社のエイベックスネットワークを通じ iTMS へ楽曲を提供することでアイチューンズ(株)と最終合意したと発表している。国内大手レコード会社が iTMS への楽曲提供で合意したのはこれが初で、エイベックスはシングル、アルバム曲に加えて iTMS 限定曲も提供する模様。 しかし、東芝EMI、ソニー・ミュージックエンタテインメントなど他のレーベルからの発表は現時点でまだない。1曲あたりの販売価格は、ほとんどの曲が150円で、決済方法はクレジットカード、もしくは、プリペイド方式の「iTunes Music Card」(2,500円、5,000円、10,000円)を利用する。このカードは、大手家電量販店やアマゾンなどで販売されている。CDシングルのレンタルがおよそ100円で借りられることを考えると、150円という価格設定は非常に微妙なところだ。しかし、この価格が安いか高いかは、日本の音楽配信の価格と比較してみるとよくわかる。このiTMSが日本に上陸した波及効果で、すでに日本国内においてサービスを開始していた他の音楽配信サービスが軒並み iTMSと合わせる形で値下げをしている。オリコンが「ORICON STYLE」で提供している音楽配信サービスでは、一部レーベルの楽曲料金値下げを実施。値下げの一例として「240円⇒150円」などとしている。また、USEN が運営する音楽配信サービス「OnGen USEN MUSIC SERVER(OnGen)」では、これまでシングル楽曲の中心価格帯が270円だったのを 150円に値下げしている。これらの値下げは楽曲を提供しているレーベル各社より料金改定方針が示されたことを受けての値下げだそうだ。150円でも高いと思う私が、今まで国内配信サービスに目がいくわけがない(笑)150円が適正価格とは言わないが、iTMSはいい意味で今後も牽引役になってくれそうだ。私は海外ものがメインなので、今のところiTMS日本版での購入はあまりないだろう。ただ今回、日本がiTMSに増えたことによって、初めて私は 「購入してみよう!」という感情が湧き起こった。 これは大きなことだ。人は感情が動かないと商品・サービスを購入したり利用したりすることはない。そう、アップルやソニーはこの感情を動かす部分が非常に上手い。パーソナルな部分を刺激することによって購買訴求をしている。実際、検索してみると、予測どおり私の欲しい楽曲はまだ登録されていないのだが、普段使用しているiTunesのインターフェイスそのままにアクセス出来たりするのは便利だ。サービス自体は、日本以外の各国ですでに始まっていて、購入することも出来たはずなのにあまりアクセスすることがなかった。実際、iTMS日本版が立ち上がってみると自分も一員に加わったような氣持ちで早速アクセスしてしまった。日本版で欲しいものがなければ、じゃあアメリカやUKを覗いてみようという氣持ちになる。事実、同じ日、普段iPod Shuffle を使用する私の姉もiTMS日本版にアクセスしたようだ(笑)相手の心をどこまで刺激するか、勉強になります m(__)m
Aug 8, 2005
コメント(0)
1日にヒプノセラピーを受けてきた。カタカナではなく言うと『催眠療法』になるだろうか。『催眠』そして『療法』と言うと、聞こえは非常に悪いのだが、催眠状態とは、ごく自然な心理状態で、聞くところによると誰でも1日に10回程度催眠状態に入っているらしい。 それも知らず知らずの内に自分から。例えば、目が覚めて意識がハッキリするまでの時間、読書、音楽、映画、テレビなどで我を忘れて夢中になっている時、ぼんやりして時間感覚がなくなっている時だと言う。人間の意識は『顕在意識』と『潜在意識』で構成されている。よく言われるように、氷山の一角と言われる、海面の上に出ている部分が顕在意識、その下、海面下に大きく存在するのが潜在意識とされる。顕在意識は、理性・理論的な部分を司り、潜在意識はいわゆる無意識といわれる部分である。映画で、夢中になっている状態、まどろんでいる状態で悪者が、マインドコントロールをして自在に操るという設定があるが、誇張し過ぎとは言え、悪事に使えば使える。また広告の世界に存在する『サブリミナル効果』もこの1つだ。直接、メッセージを潜在意識に刷りこむことが出来る。さて、この催眠療法では、催眠誘導により心身をリラックスさせ、自発的に様々な事柄、記憶を蘇らせ、様々な感情を感じ取ることが出来る。人間の状況に様々な影響を及ぼしている潜在意識の心的外傷・トラウマ・感情に働きかけ、問題を解決し、解放してやることにより、深い癒しが得られるようだ。私自身は、人から「あなたの前世は○○です」と言われることにあまり興味はなかった。今回、受けようと思ったのは、7月に別のセミナーを受け、その中でビジュアライザーション(視覚化)を学び、実際見たように感じたことが大きい。インストラクターの人とはそのセミナーで会っており、ちゃんとした心理療法士であることも分かっていたので安心して身を任せてみた。最初は催眠に入っていても 「そんな事は、分からないだろう。 それでも、なんとなく思いつくのはなぜなのだろう」という状態がしばらく続いた。そして、物語を創っている感じがしつつも否定出来ない何かがそこにはある。 そう、リアル。湧き出してくるイメージの連続の中で次第にリアリティーを感じ始める。完全に意識がなくなっているわけでもなく、また理性や、意識を失っているわけではない不思議な感覚。これが 『催眠に入っている』ということなのだと次第に分かってきた。
Aug 2, 2005
コメント(0)
『神宮外苑花火大会』を見に行った。よっぽどの事がない限り、ほぼ毎年外した事がない花火大会である。自分で言うのも何だが、私は花火が好きである。『花火』と聞くだけで胸が躍る。そんな人は、日本人の中でも結構多いはずだ。夏の夜空に咲く丸い大輪の花火を、日本人はこよなく愛していると言っても過言ではないだろう。誰に教えてもらったか今となっては分からない、日本人なら誰でも知っている 「た~まや~(玉屋)」 「か~ぎや~(鍵屋)」と言うお決まりのかけ声。それは、きっとDNAレベルに落とし込まれた記憶・・・。花火は、見るものの顔を明るく照らし、幸せな氣持ちにさせる。そう、見渡せばそこにはみんなの笑顔。何がここまで花火に日本人を惹きつけるのだろうか。儚さであろうか。それとも日本人ならではの繊細さと精巧さにより開発・研究された言わば『美の伝統』であろうか。打ち上げ花火のお腹に底に響く音を聞くと、何をしていてもひとまず手を止めて辺りを見渡してしまう。その音が何処から聞こえてきたのか、夜空を見上げる。老若男女問わずに一瞬にして、上を向かせてしまう。打ち上げ花火が行われている側で下を向いているままでいられる人は少ないだろう。さて、『神宮外苑花火大会』に話を戻すと、今回初めて特設会場なるもので花火をじっくり見てみた。やはり障害物のない場所での花火は美しい。そして立ち見や人の熱氣が渦巻く一般道路や歩道で見るものとはまた一味違う、優越感も味わえた。主催が日刊スポーツそして協賛企業が10社ほどついているこの花火大会は、花火だけでなく歌手のミニライヴが前座に含まれている一大エンターテーメント。協賛は分かるが、まとまった花火毎に協賛のCMがビジョンに映される様は興ざめであった。例年、外で見ていた時には、花火の準備かな?なんて事を考えていたが、甘かった。。まぁ、これも会場に入らなければ分からないことだが、入場料を払っている人に対してCMばかり見せる姿勢はどうなのだろうか?非常に残念な氣持ちが膨らんだ。少し憤りを感じつつも色が何色にも様変わりする花火や、夜空の空に大きく開く壮大な花火は、そんなことを一瞬で吹き飛ばしていく。何より、1発の花火が完成するまでに約半年かかるというその手作業を考えると尊い何かを感じずにはいられない。そう花火に罪はない。
Aug 1, 2005
コメント(0)
今、住んでいる部屋の傍は、割と軒先が近く、古い町並みであるため、夏の夜はテレビの音が聞こえたり、話し声が聞こえたりする。音に紛れて鼻には蚊取り線香の匂い。蚊取り線香の匂いを嗅ぐと、小学校の夏休みに行っていた寺子屋スタイルの学習塾を思い出す。勿論、子供の頃は、エアコンではなく扇風機そして蚊取線香。その学習塾は、元々小学校の先生だった夫婦がリタイアして運営していたので、教え方は古くても丁寧だった。わら半紙で作られたテキスト。わら半紙特有のすえた香りの他に、なぜかメンソレ-タムの匂いもしていた。夏休みの宿題で万華鏡を作った時もあった。違う小学校の友達が出来、自転車で川沿いを遠征し、駄菓子屋のゲームが大好きな夏だった。台風が過ぎ去り暑くなってきた。蚊取り線香の匂いでふっと思い出されたセピア色の夏の一日だった。
Jul 30, 2005
コメント(0)
全100件 (100件中 1-50件目)