全31件 (31件中 1-31件目)
1
黒ねこちゃん私の心の拠り所は以前からずっと変わらない、小説と美術館。寺と神社も。(と、パートナー。)更に、写真を撮るようになってからは、自分で思っている以上にねこちゃんが私に幸せを与えてくれるらしいことに気付いた。本気で飼いたいなと目論んでいる。家にねこがいるってどんな感じなのだろう。動物を飼うってどんな感じなのだろう。夢が広がる。いつの日かねこちゃんと暮らすんだ。(もちろんのらねこちゃんを連れて帰るよ!)先日黒ねこちゃんに一日で4匹も会いました。黒ねこちゃんって他の色柄と比べて表情が豊かだと思う。
2020/01/31
コメント(0)
そうか、治ったのか乳輪の下にもう一つ乳輪があるんじゃないかというほど色素沈着がとんでもない状態だったが、3ヶ月、…白い。一気に白くなった。というか、何事もなかったかのように「元に戻った」。自分でも驚く。本当に一体何だったのだろう、この湿疹は。背中の湿疹とは明らかに種類が違い、しかも3ヶ月でほぼ治るなんてそんなこと今まででは考えられない。腕だって耳だって背中だって顔だって2年、3年と延々と続いていて、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら少しずつ治ってきている訳である。乳首の場合は、嵐が来て嵐が去った。3ヶ月という極めて短時間で。何年という単位で向き合うことを覚悟していたから、ちょっと拍子抜けした。そうか、一応乳首は治ったのか。皮膚はまだまだ薄っぺらいけど、兎にも角にもよかった。すごくうれしい。
2020/01/30
コメント(0)
珈琲とともに。で、私はと言うと。小説を読んで美術館へ行って精神沈静精神浄化、そして何らおもしろおかしくもない淡々とした地味で孤独な生活に戻る。珈琲とともに。
2020/01/29
コメント(0)
大わらわ一方、ママはと言うと、卒園式と入学式で何を着るかということに頭を悩ませているらしい。…えー、妹自身の。卒園式そして入学式たるものはママにとっても他のママたちへ晴れ着を披露する場であり、妹曰く、「下手に目立たない程度に、でもこぎれいにしたい」。ちょうど仕事用のスーツを新調したいと思っていたところだから、仕事にも使えるパンツスーツを買うことに決めたけれど、中に何を着ようか、靴はどれを履こうか、かばんは良いものを持っているからそれを持つ、コートは?、ヘアセットは美容院へ行った方がいいんだろうか、いやいや二度もセットしてもらうと結構な出費になる、云々。姉としてしっかりと相談に乗りましたよ。だって一大事だもの、子を持つ親にとっては。(因みにもんもんの服はメル◯リで安く手に入れたそうで、蝶ネクタイを付けたりなんかして笑いそうになった。)一生に一度だから、家族みんなでいい想い出になったらいいと思う。3月には旅行にも行くのだとか。いつもに増して大わらわな妹家だった。
2020/01/28
コメント(0)
ひたむきにもんたともんじは双子だけど、最初から双子のようではなかった。二卵性だから、顔も性格も似ているところを探す方が難しく、それぞれの名前もいわゆる双子だとすぐにわかるような名前ではない。体格もまったく違った。オギャーと生まれて初めて抱っこした時から、もんたはがっしり、もんじはふにゃふにゃ。やっぱりもんたは大きくなった。保育園で一番大きい訳ではないが、既に大きい方なんだとか。双子だから小さく生まれたのに、驚きの成長である。そして、まぁよく食べる。私などよりもよく食べる。声も大きいし、足のサイズも大きいし、これからもっと大きくなるんだと思う。単純な男の子という性格で体を動かすことが好きみたいだから、スポーツなんていいんではないだろうか。一方もんじは相変わらず小粒。もんたの目線の高さほどの背丈しかなく、子どもらしい食欲で、華奢で手も足もすべてが小さめ。だから、誰が見ても双子だとは思わないと思うし、兄弟、いえいえむしろ友達同士のように見えるかもしれない。が、負けてはいない。もんたより体は小さいが、意思はしっかりしていて気が強い。なんでも要領よく、ケンカをして必ず勝つのはもんじだし、上手くバランスが取れている双子らしい。もんじは生き物に興味がある。大きい動物も小さい動物も、魚も虫も、とにかく生きた物にそそられるようで、とりわけ恐竜が好きで将来は恐竜博士になるのだそうだが、なぜかって「恐竜は一番大きくてかっこいいから」。アニメの漠とした世界が大好きなもんたとは大違いである。おばさん、理系に進むような気がするな。早いもので保育園卒業である。まっさらなランドセルを背負って見せてくれた。ニコッと笑って二人ともお兄ちゃんになって、いいね、小学校が楽しみだね。
2020/01/27
コメント(0)
初めてのピアノレッスン昨日はもんもん邸へ遊びに行ってきた。少しだけピアノを教えてほしいということだったので、まったくの初めての「どれみふぁそ」の入門をしたら、二人ともぐったり疲れたようで、もんじはバクバク甘いものを食べて自分にご褒美をあげるわ、もんたはふと見ると寝っ転がって熱を測っていた…。そんな二人を見ておばさん絶句!
2020/01/26
コメント(0)
独自の面白がり方を身につけていなくてはならない「ほんとうにわかっているのは、わからないということだけかもしれない」「ひとが自分のためにはたらくときほど、見事なはたらきぶりを示すことはない」「流れには逆らわない方がいい。たとえそれが望みとは違っても」「足で鋤きかえして、そこに実りの種を蒔けばよい」「おれがいおうとしたのはそれだよ、坊や。窓の外を見たり、なにかほかのものを見るとき、自分がなにを見てるかわかるかい?自分自身を見てるんだ。ものごとが、美しいとか、ロマンチックだとか、印象的とかに見えるのは、自分自身の中に、美しさや、ロマンスや、感激があるときにかぎるのだ。目で見てるのは、じつは自分の頭の中を見ているのだ」「わしにも弱い尻はある。それを無理に割らせることはあるまいに」「善い行いをしようが悪い行いをしようが、この世の後にあたしたちを待っている運命は、何の係わりもないのだわ」「おお、不幸な人類よ、おまえの己惚れは何たる無軌道ぶりを発揮してしまったのだ!」「苦しみの多いこの世で、人間を最後に救うものは、何なのか」
2020/01/25
コメント(0)
もんもん邸へ明日は、すごーく久しぶりにもんもん邸へ遊びに行きます。前回行ったのは、確かもんもんの誕生日の「バナナの日」の辺りだったと思うから、半年ぶりぐらいかな?
2020/01/24
コメント(0)
管理徹底さて、どこからともなく「インフルエンザ」という言葉が風に乗って運ばれてくる季節だが、私は発病以来とにかく徹底している。徹底というのは、手洗いとうがいはもちろんのこと、何と言っても自己管理である。少ししんどいなとか疲れたなと思ったら体を横にし、たっぷり睡眠を取って、長めの半身浴を心がける。あるいは、敢えてお散歩に出かけたりもする。自分の身体のことはもうよーくわかっているので、頭で考えるのではなく、身体の声に耳を傾けてそれに従ってあげることが一番良いことを知っている。それは自分の為にであるが、家族の為にでもある。病院などで散々親が子の看護もしくは介護をしている光景を目の当たりにしてきたが、年老いた母に面倒を見てもらうなぞ、そんな親不孝なことはないと思っているから。70歳超えた一人親なのだし、何があってもそれだけは避けなければならない。パートナーにも迷惑はかけられない。私が健康で毎日るんるんとのらねこちゃんと戯れていることが、パートナーへの恩返しなのである。もんもん邸へ遊びに行くことになっていたが、もんたが熱を出したので延期になった。インフルエンザではないとのことだが、日頃バタバタと働き詰めの妹にもいい機会、身体をゆっくりと休めてもらいたい。12年半前の発病の引き金はインフルエンザだった。私の場合は、用心に用心を重ねるぐらいがちょうどいいのである。
2020/01/23
コメント(0)
甘いもの理由はわからないけど、ピタッと甘いものが欲しくなくなった。かれこれ数ヶ月になると思う。生クリームたっぷりのケーキを食べたら直後にクラクラし始めて、大量の砂糖に体が反応したと直感したのがきっかけだった。秋や冬は甘いものが食べたくなる季節だが、この季節にこういうことが起こったので、ついに砂糖とも距離をおく日が来たらしい。だんだん体が正常になっているので、自然な流れだと思う。辞めたいというより勝手にいらなくなったなんて、そんなうれしいことはない。だから私はそれに従うだけ。以前はパートナーにびっくりされるほど甘いものの中毒だった。チョコレートのお徳用の一袋なんてペロリ。自分でも体が変だったと今なら思える。また一つ進歩である。願わくば今後コーヒーをやめたいと思っているのだけど、そんな日もいずれ自然とやって来るのかもしれない。(でもコーヒーはやっぱりおいしいんだよね。)
2020/01/22
コメント(0)
逆回り「書」や「巻物」などというものは、右から左へ読み進めるものである故、順路は必然的に左回りになる。美術館へ行くと、なんでそうなったのか不思議でならないが、必ずと言っていいほど逆回りしている人がいるものであり、絵巻物を尻から見ていらっしゃる。もっともらしい顔付きをしてこちらへ向かって来るが、その様がもうおかしくってしょうがない。笑っちゃいけないが笑いそうになる。いえ、それでいいんです。いいんです、いいんです。楽しみ方は人それぞれですから。
2020/01/21
コメント(0)
自分治療「更新」のお話半身浴をし始めて3年半。…まさかの3年半とは…長過ぎやしないだろうか(苦笑)手の平は一時期よりかは落ち着いた。まだ水ぶくれはところどころあるけど、一見至って普通の手の平に見える。乳首の湿疹はかさぶたが無事に全部取れた。ということでうつ伏せに寝てみた(うつ伏せ寝が大好きなんです)。至福だった…!耳のめがねを置くところはまだまだ時間がかかりそう。黄色い汁が止まらないこともあり、耳が布団に触れないようにと寝る時に気を遣ってしまう。耳の中は本当に良くなった。まだ少しかさぶたはあるものの、黄色い汁は完全に止まったから長らく綿棒も使っていない。たぶん腫れが引いたからだと思うけど、耳かきってこんなに奥まで入るんだということがわかった。背中は、もうやっていられない。3割ほど悪化。かゆくてかゆくてボリボリかく日々が続き、また背中が日の丸である。四六時中ヒリヒリ、下着もシミだらけ。顔、腕、股には相変わらず湿疹が残る。そして、もうそろそろ花粉の季節が始まる…。
2020/01/20
コメント(0)
“ショーは私の望む結末で終わらせる”「わが子よ、おまえもわたしのように、木の椅子にすわり、奢侈からはなれ、奢侈のむなしさを知り、なんら重大な良心の呵責なしに死んでいくだろう」「このごろは、人はなんでも優雅に表現することは知っていても、心は語るべき何物ももっていない」「旅とは何か。≪家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト≫」「才能は天賦のものだが、これほどこわれやすく、挫折しやすいものはない。自分の才能に甘えるか、きびしく鍛えあげるか、これが分れ目である」「忍従に我と我が身を屈せしめるべく、」「羞恥心なんて、根も葉もない感情です。いわゆる習慣というものの一形態にすぎないのですからね」「あたしの哲学の第一歩はね、世間の思惑など物ともするな、ということよ。だいたい、卑しい俗物たちの意見が、あたし自身の幸福をどう左右することができて?」「いったい他人と同じように行動しなければならない理由がどこにあろうか?」「すべての生きものは生れたときは孤独であり、互いにいかなる必要も持ってはいない」「<男児あり二十にして 心已(すで)に朽ちたり>」
2020/01/19
コメント(0)
ねこちゃん!新年早々、ねこちゃんにたくさん会いました。ある日はなんと1日で7匹も(内飼い猫4匹)!すぐ近寄ってくるねこちゃん、すやすや眠っていて微動だにしないねこちゃん、顔の表情がそれはそれは豊かなねこちゃん、私という陳腐な人間の行動を少し離れたところからじっと座って傍観しているねこちゃんなど、それぞれ個性があって、写真を撮っていると、なんだか私ねこに振り回されてるんじゃ…なんて思ってしまいますよ。白ねこ2匹、黒ねこ1匹、キジねこ2匹、長毛1匹、こねこ1匹。夢のような1日でした(笑)人懐っこいねこちゃん。ちょっと足は短いね!
2020/01/18
コメント(0)
いつもと違う毎年、冬にたくさん食べて蓄えておいて夏に備えるのだけど、今年はいまいち食欲が戻らない。年末に嘔吐してからというもの、本調子とは言い難い日々が続いていて、要するに夏と同じだけしか食べられない。こんな調子で夏を迎えるのは少し不安なので、食べようとするも、胃が小さくなって明らかに小食になってしまったらしい。同時に食への関心も失せる。うーん、ちょっと良くない傾向のような…。今年の冬はいつもと違う。
2020/01/17
コメント(0)
うんと事前に予約して見学へ行く。それ相応の妥当な金額を支払ってガイドを聞く。私、9割方理解できている、ってことに気付く。さすがに専門用語などはまだわからないこともあるのだけど、大体はうんうんと頷ける。あるいは、あまりに簡潔な説明だともう少し詳しく聞きたいんだけどと思う。これも美術館や寺社へ通い詰めている賜物である。知らぬ間にうんと知識は深まっているのかもしれない、私。
2020/01/16
コメント(0)
お散歩歌を口ずさみながら、私だったらこうするなぁと自由に編曲してその場限りの一曲を作る。のらねこちゃんに会ったら、ご挨拶して遊ぶ。晴れていたら空を仰ぎ、雲の流れを感じる。だからお散歩大好き。
2020/01/15
コメント(0)
道はどこまで続くのか。今年は40歳か。成人式ってもう20年も前だし、20歳は私の半分の年齢か。39歳から40歳になるって、どんな心境なのか?うーん、たぶん何にも変わらない。29歳から30歳になった時も何ら変わらなかった。人は結局子どもの頃から何一つ変わってなんかないんだと思う。だけど、だんだんと背負うものは増えてゆく。知らず知らずの間に歳月という荷を背負って、経験という年輪を着込んでいって、それが貫禄となっていく。年々妥協が増えていって、我慢も増えていって、望みの光も煌々とは灯されなくなっていって、それでも日々生きていかなければならない。逃げたくても自分という人間は一生付き纏う。みんなそう。みんな世界でたった一人の自分。幸も不幸もそんなものみんな一緒。生まれたのなら必ず死ぬ。人生楽しまなきゃ損、ってよく言う。だけど、私には昔からそういう感覚はあまりない。人生は試練だと思っているから。人生なんて面倒くさくてうんざりするものだと思っているから。だから淡々と一日一日を生きるのみ。死に向かって歩むのみ。道はどこまで続くのか。
2020/01/14
コメント(0)
取れたえー、左の乳首の下の乳輪にへばり付いていた砂利のようなかさぶた。1ヶ月半ほど付いたままだったが、最後の一つがようやく取れた、無事に。よくこれだけ長くびくともせずに引っ付いていたものである。ひとまずは安心した。が、油断はできない。湿疹はいつどこに出るかほんっとにわからないからね。
2020/01/13
コメント(0)
今年の読書は今年40歳を迎えるが、この10年は、つまり30代は、読書に明け暮れた。寝ても覚めても読書だった。かなりの数読んだと思う。そのほとんどは海外文学で、いわゆる純文学というものに時間を費やした。精神擦り減らしながら、のめり込んだ。知らなかった世界をたくさん知った。私はなんにも知らなかったな、と改めて思う。発病後の私という人間を形作ってくれたのも本だった。これからの生きる方向を示してくれた。死ぬまでに読みたい小説リストなるものを作っているが、8割方読んだと思う。さて、私の例の直感で、一区切りかなと感じる。もちろんまだリストには残っているので、このまま地道に読み進めていくが、少し今までに読んだことのない本も読んでみたくなってきた。趣味「読書」はこれからも続く。だけど、今年は少しだけ違うジャンルへ目を向けてみてもいいかな。
2020/01/12
コメント(0)
お出かけ癖小学生になったら諸々の料金が高くなるから今のうちにいろんなとこへ出かけておくんだ、と言う。ここにもあそこにも行っておこう。いやいや、もんもんが小学生になったからと言ってお出かけ癖が急に治まる訳がない。間違いなく今と同様に、いえ、今以上に出かけることだろう。その情熱には感服する。それを維持し続けられるのは、ある意味すごい。
2020/01/11
コメント(0)
今の世界や生き様に絶望せず、別の世界にも目を転じて、飛躍しようと努力することが大切「楽しみというものは偶(たま)にあってこそ値うちがある、年寄でも子供でも、毎日面白い事に出会っていては、その値うちが分からなくなるものだ」「何よりも大事なのはその相互関係なのである」「悲劇を書いたり演じたりすることは、喜劇で完璧を期するよりも遥かに容易だという」「利得は、君、数字に現われるだけではないのだよ」「傷つけられた心臓をそう手っとり早く治すことは、」「人間は自分の置かれている境遇に大抵は満足しないものなんです!人間はいつでも他人のことを羨ましがる、その他人は又同じように自分の境遇から抜け出したがっている」「ある能芸に対してある才能を持って生れた人間は、その能芸の中に自分の最も美しい存在を見出す筈だ!」「どんなに大勢の人間がこうして道に迷うか分からない!自分の願望と自分の力量との矛盾に、早く気がつくものは幸福だ!」「願望されたものの来ようが遅すぎるという」「かく夜となく日となくわが孤独に忍び寄るは苦しみ、忍び寄るは悩み。ああわれいつの日か一人墓にあらばその時ぞわれ一人ならめ」
2020/01/10
コメント(0)
竹美術館で撮ったのだけど、実はこれ、竹細工なのです。竹をお湯で温めて柔らかくしてから形を作っていくのだとか。最後には漆を塗って仕上げます。なかなか良いもの、見た。どうやって編むのかしら?すごく興味ある。
2020/01/09
コメント(0)
予約先月、人数制限がありなかなか予約が取れないとかで、早々と2週間ほど前から予約を入れ、ある庭園へ行ってきた。本当は午前中が希望だったのだが、既に埋まっていた為、14時というこれまた私には中途半端な時間に予約を入れることと相成った。とても楽しみだった。ずっと行ってみたいと思っていたから、前日はそれはそれはウキウキし、早く明日にならないかなーとうずうずしていた。当日、朝起きる。今日の予定を頭の中で考え、まずはおいしいコーヒーでも飲みに行こうかとあれこれ計画を立てた。が、いかんせん、私は時間というものに拘束されるのが大の苦手なのだった。例えば、待ち合わせをしていたら、1時間ほど前には到着して近くの喫茶店で読書をしながら休憩しておくぐらいがちょうどいい。遅れるということは決してあってはならず、相手が遅れることに関しては、まったく気にならない。見学予約は、私にとっては拷問だった。その時間に遅れてはいけないというよりかは、その時間に「そこにいなければならない」。早くに着いていたのだが、しまいには、だんだんとここを離れて他の場所へ行きたくなってきてしまい、どうにもこうにもどうやり過ごしたらいいのやら、辛くて堪らなかった。が、幸か不幸か、案内してもらって説明を聞くと、俄然知識は深まる。ほほぅ、そういうことか。つまりは次はあそこへ行ってみよう。実に良し悪しである。
2020/01/08
コメント(0)
七草粥年末年始は大の苦手だが、今年は珍しくヘルペスができていない。あっぱれ。こんなことあるんだな。が、その代わりなのか何なのか、歯茎があちこち腫れていて歯を磨いたら血が出るし、更には口内炎までできてしまい、口の中が大炎症を起こしている。冬には必ずできるあかぎれ。今、右手の人差し指の第一関節のところが割れていて、まぁ痛い。まっすぐ伸びず、かと言ってグーもできない。常に人差し指をかばって手を使うから、次々と物を落とすわ、親指と人差し指で何かを摘むなんてことはできないわ、ただがあかぎれされどあかぎれ。背中の湿疹がもう驚くほどにぶり返し、血まみれ黄色い汁まみれである。四六時中ヒリヒリしているし、布団に入ると温まって異様にかゆくなる。一時かなり良くなっていたのに、恒例のぶり返し。別にまたかという感じだが、そろそろうんざりしてきたことは否めない。連休が終わり、ようやく日常が戻った。今日は七草粥を食べた。大好き♪
2020/01/07
コメント(0)
頭痛えー、年末に割れるように頭が痛くなって嘔吐したとこのブログにも書いたが、それ以降どうも頭が重い。毎日鈍痛という言葉がぴったり当てはまる。大丈夫かしら、私。
2020/01/06
コメント(0)
自分治療「更新」のお話半身浴をし始めて3年と5ヶ月と半月。2020年、新しい年が始まった。いよいよ未知の40代へと突入する。秋が来て、ピタッとヘルペスができなくなった。やっぱり夏は私にとってしんどいのだなと証明しているかのようである。ただ、私の苦手な年末年始、年末には嘔吐というこれまた想定外の出来事が起こり、30代最後の年は根こそぎ「出して」終わった。まぁ、良いことだったかもしれないけれど、体力奪われ、ぐったりしたこと甚だしい。乳首の湿疹はかなり楽になった。乳首の下の乳輪に、砂利のようなかさぶたがびっしり付いていたのだが、特にかゆくもないし、ただただ付いていた。次第に一つまた一つと取れていき、現在、最後の砂利一つとなった。皮膚は火傷の後のケロイドのようで、まったく治っていないけれど、一時はどうなることかと焦ったので、ホッとしている。顔と手の平は少し落ち着いてきた。耳のめがねを置くところは治る気配がない。背中はなぜかびっくりするほどぶり返していて、また下着はシミだらけである。とにかくめちゃくちゃかゆい。至って普通の日常を過ごし、あまり年末年始という感覚のないまま年を越した。今年はどんな一年になるのかしら。特に望みはない。穏やかであることだけを、切に願います。
2020/01/05
コメント(0)
人間は感動するために生まれてきていると思うから「誰かが直ぐに駆けつけて彼を陸(おか)へ引き上げてくれさえすれば、彼は一度濡れただけでことが済む、然し彼が自力で上がりは上がったが、然し向う岸に上がったりすると、彼は難渋で遠い廻り道をして目的地につかなければならない」「してみると、幸福は初老のころになって逃げこんできたのかしら」「私達はいつかは悟性の光に到達することができます。ただ心臓の豊富を私達に授けてくれる者はどこにもありません」「あまり利口だと眠れないし、あまり権力をもつと散歩もできない」「いつまでもつづくと思っていたものが、ずいぶんほろびてしまったんですもの!」「残りの人生を楽しくすごし、早く老いこんでしまわないようにするには、思いきった決断が必要です」「あの青年の笑顔はじつに魅力的だ!のびのびした青春の喜びを周囲に発散し、ひとの心に幸福を生む」「筋道を立てて考えているつもりで、すこしも筋道など立ってやしない。すこしでも楽な立場をみつけようとして、ぐるぐる回っているだけだ」「今日の終わりにも同じように私に感謝してるかどうかはわからないわよカトリーヌ ・ドヌーヴ」
2020/01/04
コメント(0)
9連休昨日は毎年恒例の逃亡日。妹家族が帰ってきていたので、私はそそくさと出かけた。映画を見に行って、自由気ままな一日を過ごした。…早く休日が終わらないかしらね。世間は9連休なのね。
2020/01/03
コメント(0)
Let it be年末、今年も終わるなぁ、来年は40歳になるのかぁ、早いなぁ、と感慨深くなりながら喫茶店に入り、あるエッセイを読んだ。店内にはビートルズのLet it beが流れていて、そのエッセイと妙に相まってうるうるとしてしまった。とても素敵な時間だった。
2020/01/02
コメント(0)
あけましておめでとうございますあけましておめでとうございます。いよいよ2020年のスタートですね。今年も何ら変わりません。かわいい黒ねこちゃんと共に、今年もよろしくお願いします。
2020/01/01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1