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部屋に小ぢんまりしたキャビネットを置いている。いつだったかアンティークのものを購入した。私が唯一所有するの収納家具で、とっても気に入っている。財布やら印鑑通帳やら診察券やら、私の貴重品を管理している場所であり、失くしちゃいけない大事なものはすべてここへ。そして、このキャビネットは私の宝箱でもある。想い出の品々や時々眺めて楽しむ小冊子、大好きな映画のDVD、扉の背には某お寺の御守りを下げ、カレンダーも貼った。扉を開ければ私の趣味がギュッと詰まった空間が広がっている。じっと見入って一人ニヤニヤほくそ笑んでいる。今は家にいることが多いから、部屋を心地よくしておいて本当によかった。小さな小さな世界、輝いてます。
2021/01/31
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コーヒーを飲むのは午前中の内に、と自分で決めていたので、要するに午前中に喫茶店へ入ることが多かった。私は一日の中でモーニングコーヒーが一番おいしいと思っている。空気が澄んでいる朝に散歩すると清々しいのと同じように。夜の睡眠の為に午後からは神経を昂らせたくなかったからという理由もあり、自然とそういう習慣になっていた。が、もちろんその習慣も消え去り、ついでに甘いものも減った。よく考えると、この一年近くで、私大きく変わったな。コーヒーを辞めただけではない。いつの間にやら生活や食習慣までもが変わっていた。
2021/01/30
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「<謙遜は悪質な自惚れ> ラ・ロシュフコー」「部屋の敷物の同じ場所を擦りへらす、出不精な生活を送り始めた。最早外へも出ず、眼が疲れるのでもう殆ど読書もせず、大概は肱掛椅子に身を深く沈めた儘で、過ぎ去った昔を見返ったり、甦らせたりしてゐた」「ああ!こんな御時勢に生きてるってのはつらい事だ!」「もう此の世の中には頼りになるものはないものかね?」「人間は分相応に働けやァいいんだ」「先きの事は分らんさ、だから何時だって逃げ場所は拵えていかなくちゃアいけねえ」「そして運を天に委せて苦悩に悶えつつ、彼女は待つ気持になった、が一体何を待つのであらうか?」「ものの持ち方を考えることは、究極的には、「どう生きるべきか」を探すこと。その助けになってくれるのが「物」なのです」「さもなくば上の自分の部屋かに閉ぢ籠って、外出を嫌い、孤独に親しんでゐた。日曜日も、彼女は最早外出しなくなった。その家の女中達とも会うのを止めた、そして或る事に専念し、自己を忘れる為に、大々的な針仕事に身を打込むか、睡眠に身を沈めるかしてゐた」「“平安”は“幸せ"」
2021/01/29
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写真を撮ることは心から素直に楽しい。家へ帰ってから撮った写真を見返すのもまた楽しい。たった一枚でいい、上手に撮れた写真があれば大満足。ウキウキルンルン。春を感じますね♪
2021/01/28
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「<何事も最後は大団円> インドの諺」「倦まずたゆまず毎日少しずつの積み重ね…日々の研鑽を怠ればたちまち理解は遅れ遅れを取り戻すのにその倍の日数がかかりまする」「私は広い空さえあれば自分はどこまでも羽ばたいて飛んでゆけると信じていた…まさか己の翼が折れて飛べなくなる日が来ようとは思ってもみなかったのだ…」「慎み深さを保たないと」「毎日毎日こう雨模様ではくさくさするのう」「実際、俺はお前が俺を決して愛してゐなかったことをよおく知ってるぞ!」「彼女は、一人づつ、自分の愛してゐた人達が死んで行くのを、自分の一族の者が皆墓地への道を辿って行くのを、見てゐた。孤独が彼女の周囲に生じた、そして彼女は、自分は死ぬまいとしようともしなかったのに、とっくに墓の方へすっかり傾いてしまってゐるのに、そんな自分を死が忘れてゐるのであらうかと驚き、且つ悲しむのであった」「腹蔵なく心の底を打明けて縋り度いと云ふのが女性の本質であるからである。彼女の胸の裡には、言はずには居られない事が幾つも在り、そしてそれに就いて訊かれ、同情され、慰められたいと思ってゐる」「その生活に対する嫌悪感や、生きてゐることの怠(だる)くて、空虚で、意に満たないのは、」
2021/01/27
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11月初めからずっと体調が芳しくないのだが、やっぱりまだ頭がスッキリしない。なんとなく毎日重たく、今日は少し痛むなという日は必ず吐き気も催す。どうにかならないかな。早く治らないかな。唯一、夏とは違い、ちゃんと食べられているのが救いである。
2021/01/26
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めでたいことがあった。一人だけピアノを教えてたいたRくんがなんと結婚した!お母さんが年賀状で知らせてくれた。初めて習いに来たのは小学校3年生の時。目のくりくりしたかわいらしい男の子だった。私は当時大学4回生。月日が過ぎるのはなんて早いんだ。我が身に染みた。もうこれは親心である。ほんの気持ち程度のお祝いを贈った。すると、またお母さんとのやり取りが始まった。大事にしよう、この繋がりを。Rくんの末永い幸せを心から祈ります。
2021/01/25
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まさかこの私がそうなるとはという出来事が発生した。私、あれだけコーヒーが大好きだったのに、最近ではコーヒーの香りが少しキツイと感じる。喫茶店からか漂ってくる芳しい香りに、以前ならばフラフラと引き寄せられるように扉を開けていたものだったが、それがツンと脳髄に刺さるというか、何かこれまでとは違う感覚を覚えるようになっている。化学的な芳香剤や柔軟剤と同じような種類の臭いのような、それは又、巨大な電気店へ入った時の一瞬にして陥る不快感にも似ているような、そんな気がしなくもない。うーん、まさか私がこうなるとはね…。ここまで体って変わるのだな。私自身が一番驚いている次第である。
2021/01/24
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あのね、たぶんね、数日前からもう花粉が飛んでると思う。目の違和感。そしてかゆい。
2021/01/23
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もし今父が生きていたらば。ふとそう考えることが増えた。父は毎日晩酌していた。実は私は酒がいけるクチなので、二人でヘベレケになって酌み交わしていたかもしれない。父は散歩が好きだった。二人肩を並べて公園をぐるぐると歩いていたかもしれない。父は大の本好きだった。きっと、本談義に花を咲かせていたことだろう。
2021/01/22
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鶯は肉眼で見ることは滅多にできないけれど、メジロは人懐っこいから間近で見られる。先日ツバキの花をついばんで戯れるメジロを二羽見かけた。惚れ惚れするほど美しい毛色。日本の美。春、だね。
2021/01/21
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半身浴をし始めて4年半。4年半ですって!?ほほぅ、なかなか長いじゃないか。ベテランになってきた感があり、何月にはこの場所に湿疹が出て、何月には体がだるくなる、吐き気、胃腸の調子が悪くなる、など、大体一年の流れが把握できるようになってきた自分に驚く。自分で自分をコントロールすることの難しさを痛感する一方で、自分の身体を知ることは案外おもしろいものなのだなとも感じるようになってきた。今まで私は自分の身体には悩まされ続けてきた人生だったから、おもしろいだなんて、そんな感情を抱くようになるなんてね。ここまで変わるとはね。年明け早々ヘルペスができてしまって、ようやく治ったけれど、うーん、またできると思うな。今年の記録更新は難しいだろうな。自分の身体だから薄々わかるよね。4月から化粧をしていない。なんなく1年達成できる見込みなので、この調子でこのまま化粧をしない生活を続けるつもりだ。いや、もう一生したくないなと思ってしまうけれどね。そしてそろそろ花粉が始まるよ。そう言えば、2ヶ月ほど前からだろうか、また膝に湿疹が出ている。500円玉大が右に2つ、左に2つ。笑えるほど左右対称にできた。レギンス4枚に順々に黄色い汁が染み渡るほどのひどさ。こりゃあ、しばらくかかるな。手のあかぎれがないことがない。大体いつも3つほどあって、血が固まっている。しつこいようだけど、妹家は年始に帰省すべきではなかったと思う。妹は露ほども気にしていないだろうけれども。むしろ、自分たちだけじゃない世間のみんなもそうした、しめしめ、また当分帰れそうにないから帰っておいてよかった、お〜くわばらくわばら、と思っていることだろう。妹の魂胆なぞ姉にはすべてお見通し。
2021/01/20
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「<湖水のスゲは枯れはて、鳥は歌わぬ> キーツ」「長い一日をどうやって過ごしたらいい?」「張り切らない、役に立たない、ものにならない、これが僕の考える猫の「3ない」」「やっぱり疲れた時は、疲れた顔を見せることができるのは家族だけです。弱い顔を見せることができるのは、家族だけです」「何もやる気がない、賀状も出さなかった、客も忘れた、友人も忘れた、家の方向も忘れることがある」「人は毎日目にするものでできている」「捨てることは得ること」「ものごとにはそれをやりこなすために「絶対的に必要な時間」と言うものが存在する」「速読家の知識は単なる脂肪である」「大人になったら分かった?いいや」「なぜ潮は引きまた満ちるのか」「そりゃ凶作の年も流行り病もあります。家族が全員無事な方がこの世じゃ難しいって事もよーく分かってます!」「皆死ねば神様に会える」
2021/01/19
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勘だ勘だと度々言っているが、私は霊感というものは持っていない。皆無。そういうものは感じたことがない。ただ、ある場所を除いては…。それは都会の駅前の大きな大きな交差点。うんざりするほどじっと待たなければならない交差点。数年前だったか、ここで信号待ちをしていると、急にどんよりとした気持ちに陥り、意に反してビュンビュンと走り去る車の列に身を投げ出したくなってしまったのだった。靴を脱いだら後ろから私をふわと前へ扇ぐうちわのような風が…。次に通りかかった時もそうだった。その次もまったく同じ現象が起こった。おそらく成仏されていない方がいらっしゃるのだろう。それ以来、この交差点は避けている。
2021/01/18
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地元の大きな公園に住みついているのらねこちゃんがいる。みんなで世話しているいわゆる地域猫ちゃん。通り過ぎる人が次から次から「あ、クロちゃん」と言ってぺろりんと撫でてゆく。私も何年も前から何回も会っていて、人馴れしているからずっと遊べる。か〜わいいなぁ。この日はおばさんにご飯もらってたよ。きれいきれいしてもらってたよ(笑)
2021/01/17
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高校受験の頃、チョコレートの中毒で、キッ◯カッ◯のお得用の大袋を夕食後に一人で一袋平らげるという毎日を過ごしていた。今考えると非常に恐ろしいが、おそらく当時の私は受験という耐え難いストレスを感じていたのだろう。なんとか志望していた高校には入学したものの、その後例のひどい結末を迎えることに相成ろうとはこの時は知る由もなかった。さて、コーヒーを飲むと、ちょこっと一口甘いものも食べたくなってしまう。これがまたとっても美味で、ひしと幸せを感じるのであった。が、コーヒーを飲まなくなると、甘いものに手が伸びることも少なくなり、今では、これまでおいしいと思って食べていた甘いものを「甘ったるいな」と感じるようになってきた。特に洋菓子がそのように感じるように思う。実は私はコーヒーと同じくいずれは甘いものも控えたかったのである。甘いものをというか、砂糖を。これはひた隠しにしていたが、胸の内では長年の目標であった。ただ、コーヒーも辞め、あれもこれも辞め、と同時にいくつもできっこない。一つずつ順番じゃないとストレスが溜まる。私はそんなに器用じゃないんだ。と思っていたのだが、コーヒーを辞めたら自然と甘いものも摂らなくなるものらしいことを知った。あっぱれ、味覚までもが変わる。私には一石二鳥だった。なぜか知らぬ間に目標が次から次へと淀みなく達成できてゆく自分を不思議に感じながらも、機が熟すとはこういうことを言うのかなと一人で合点している昨今である。ということは、つまりはこの流れに乗りなさいという意味だと捉えた。チョコレートも今やほとんど食べなくなっているので、砂糖を減らすという目標もきっといつかは達成できると思っている。
2021/01/16
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図書館がずっと臨時休館している。更に年末年始は例年よりも長い休館だった。ネットで予約した本のみ借りられるとは言え、本の虫である私にとっては悲しいの一語に尽きる。要するに図書館に行けばついつい長居してしまうから、借りたらサッサと出てくださいねという意味である。4月の時は完全に休館で予約した本さえも借りられなかった。さて二度目の自粛だが、借りられるだけよかった。それだけで幸せ。
2021/01/15
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こちら関西も二度目の自粛に突入。一度目はコーヒーを断った。Well done!我ながらよくやった。じゃあ今回は?…特に何も勘が働かない。
2021/01/14
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近くに散歩へ出かける大きな公園が3つある。いずれも真ん中に大きな池があり、回遊式になっているので、ぐるぐるとジョギングやウォーキングをする人や、釣りを楽しむ人がいる。3つのうちどこへ行くかはその日の都合によって決まる。図書館で借りている本を抱えて出る時は、先に返却してからあの公園へ、今日は青空に浮かぶ雲とのコントラストが美しいから良い写真が撮れそう、あの公園のあのアングルで撮りたい、今日はのらねこちゃんに会える気がするからあの公園、今日はあんまり人に会いたくないからあの公園のあそこのベンチでゆっくりしたい、などなど。私はいつもゆっくりぶーらぶら一周歩く。都会のオアシスを一周し終えた頃には気分がスッキリしていて、なんて爽快なんでしょう!頭から雑念も消えている。先日行った時はちょうど池が凍っていて、平気な顔して氷の上を歩く鳥たちがほんに愛らしかった。そして純白の梅が3輪だけ楚々と咲いていた。夜には半身浴をしてたっぷり汗をかいて、朝までぐっすり眠る。じわりじわりと心身の疲労が積もり積もってゆく中、これと言って何もない日々だけど、淡々と、ブログだけは毎日書こう、そして自分だけは見失わないようにしよう、そう自分に言い聞かせる日々です。
2021/01/13
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久しぶりに美術館へ行った。館の年間スケジュールを見たときから早々と予定していたので、中止にならずとてもうれしい。作品を見ていると胸に熱いものが込み上げて来、思いの外感動した。丁寧に生きようと思った。私は私。他人は他人。自分の心にだけは真面目でいようね。
2021/01/12
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「なんとかなるさ」。この言葉が、以前は大嫌いだった。なぜって、あまりになんとかならない理不尽なことが多過ぎたから。ところが、あんなことやこんなことを一つまた一つと乗り越え、一つまた一つと歳を重ね、いつの間にか私も40歳を越えた。今は、この言葉の意味をようやく知ることと相成る。実はとっても重みのある言葉。これほど的を射ている言葉は他にないと思う。なんとかなる。そう、人生なんとかなるのです。正真正銘この私がそうだから。
2021/01/11
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「あたしが信じていることを信じさせないようにはできないわ」「ああ!死んでからのことがはっきり分ったら、どんなに晴々するでしょう。でも、今のところ、なんにも分りはしない。誰ひとりたよりをもって帰ってきた人はないのだから」「死して語らず」「どうして危険な方へ向かうのですか」「そんなわけで、ここには、この冬の終りのありとあらゆる贅沢が、一家の主婦がかりそめの交際(つきあい)から拾い集めた気随気儘な享楽の世界が、名門の人々と汚辱にみちた人々とが、同じように快楽を求めてひしめき合う社会があった」「ねえ、あなた、自分が許してもらいたければ、他人(ひと)にもできるだけ許してあげねばいけませんわね?」「どうしてそんなにお嘆きになるのです?神さまは一切がおしまいだとみえるときに、はじめておあらわれになるのですよ」「なんでもこわれなければ、商売はあがったりになるじゃないの。なんだってこわれるようにできてるのよ」「下らない、もう一度、あっさりやりなおさなけりゃ」
2021/01/10
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足を冷やしたくないから、先月、スニーカーブーツなるものを新しく下ろした。中は爪先までボアが付いていてふ〜わふわ。なんてあったかいんでしょう、これは私のためにあるみたいね!などと大満足だった。なのに、どうやら私の体には合わず。想定外の出来事であった。ふわふわに包まれて機嫌良く散歩から帰宅し、ぐっすり就寝。そして朝、どことなく腰が痛かったが、まさか靴が原因とは思いも寄らず。またふわふわと散歩へ出る。翌日、やっぱり腰が痛む。そうなのである、まさかのスニーカーブーツで腰痛になってしまったのである。私は腰痛は持っておらず、履かなければすぐに治るので、これはこの靴が原因なのだと履くのを辞めた。サイズはぴったりなのに、靴って難しい。
2021/01/09
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パートナーは、こんな私でも否定したことは一度もない。どんなに卑屈になっても必ず寄り添ってくれる。それは出会ってから今日まで、ずっとずっと。
2021/01/08
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このご時世が、という意味ではなく、私自身、ここ数年燻って苦しいなと感じる歳月を過ごしているように思う。まだ下半身のしびれは遺っているものの(たぶん一生遺るんだろうけど)、身体は大幅に良くなり、長年続いている湿疹もだいぶん下火である。日々実に穏やかに暮らせているし、文句など一つもない。ただ、どこか心が沈むことが多く、何と言えばいいのか、とにかく少し暗闇にいるのである。5、6年前になんとなく変わる時を迎えている気がし、まさしくそうだった。それ以来、一段下がったところへ、それまでとは違う落ち窪んだところへ体が挟まって身動きが取れなくなってしまった。ちょうどその頃、大好きだったおねえさんのカフェが閉店した。年齢によるものだろうか。年齢によるものだという気分、によるものだろうか。今年はどうなのだろう。ご時世関係なく私個人の事。良くなる前にいっとき悪くなる、などと言うけれど、上向きになり闇がサーッと晴れる日はいつのことか。人生とはことのほか長く厄介な道のりである。
2021/01/07
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例年ならば、正月明けは美術館は穴場である。年明けた、じゃあ美術館へ行こうかとはならないから。みんな初詣やバーゲンに行く。美術館へ行きたい。そう、私は美術館へ行きたい。事前予約制になったり、料金があまりに高くなってしまったりして、気の向くままに行けなくなった。時間の制限は私にとっては限りなくつまらないものであり、いつもあの手この手を使って格安で手に入れていた紙のチケットもそもそも出回らなくなっていて、そりゃそうだ、電子チケット制なのだから、こんなにも行きづらいと感じることは初めてである。私の趣味を大きく占めている美術館。今年も我慢の日々になること必至。あゝ行きたいな行きたいな。美術館へ行きたいな。
2021/01/06
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半身浴をし始めて4年と5ヶ月と半月。至って普通の平日の連続、だった年末年始。鬱鬱、くさくさ。例年のごとく、年末年始はどうしてもこうも病むのか。いえね、11月初めからどことなく体調がスッキリしないのである。それは今も続く。毎日鈍い頭痛で気分は下向き、吐き気を感じる日もちらほらあり、ストレッチを習慣付けたかったのにそれどころじゃあない。ちゃっかりヘルペスもできた。妹ストレス也。私の身体はわかりやすいのである。今一番ひどいのは相変わらず背中。少し日の丸が広がってしまい、広範囲に及んでいる。それでも四六時中ヒリヒリしていることはなくなった。次に手のあかぎれ。あちこち切れていて、まるであかぎれのCMのよう。手の湿疹も水ぶくれに始まり、かなり長い。次は右耳の中か。黄色い汁は激減したものの、かさぶたが引っ付いたままで、かゆくて耳かきでむしり取ってまたかさぶたになるということを何年も繰り返している。綿棒もまだまだ必要。後は顔、首、腕、股かな。顔は、化粧をしていないから、もうびっくりするほど良くなった。乾燥する冬にこれだけ調子が良いことは実に初めてである。塗らない、触らない、擦らない、洗わない、っていうだけなのに、私にはこれこそが治療なのだなと痛感している。皮膚がふんわりしてきて、血色も良くなったような気がしなくもない。マスクの荒れは仕方ないものの、分厚く丈夫な皮膚ができつつあるのだと思う。腕もだいぶん治った。左腕は十分半袖が着られる状態にまで回復。だが、右腕がとにかく汚い。まだ残る湿疹と色素沈着とシミがたくさんできてしまい、なんとなく全体的に茶色い。うーん、この皮膚を紫外線に晒すことは躊躇われる。私の場合、半袖が着たいという意味は、単に半袖という服を着ることだけでなく、紫外線に皮膚を晒せるかという意味になるのである。湿疹の出ていない皮膚はますますツルツルになった。きめ細やかな肌、と自分で言うのも何だが、本当に生まれてから今が一番きれいな皮膚だと思う。こうなって欲しいんだ、顔も手も背中も腕も。時間はかかるだろうけど、きっとそうなると信じて日々がんばる。先の見えない日々だけど、とにかく希望だけは見失わないようにと我が心に言い聞かせる年明けです。
2021/01/05
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主治医が3月末で異動する為、今年は主治医が変わる。私は主治医の異動先の病院には付いて行かず、今の病院に留まることに決めた。発病した時にたまたま紹介してもらったのがこの病院だったが、私はこの病院は好きである。何の違和感も感じない。誰が次の主治医になるかわからないので、不安はないと言えばそれは嘘になるが、この病院へ通っていれば大丈夫だろうという確信は得ている。さて、2021年からの主治医事情はどうなるでしょうか。良い先生だったらいいな。本音では以前の主治医に戻してほしいけど。と言っても通院は10月だからうんと先の話なんだけどね。
2021/01/04
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妹家族がしれっと帰省。もう私には帰省するという連絡も寄越さなくなった。なぜって、妹自身は帰ることに決めているのに帰って来ないでと言われるのがわかっているから。年間行事という予定が狂うから。母は自分の言いなりになるけど姉はならないから。ぷ、笑える。私と妹の価値観は平行線を辿る。
2021/01/03
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あけましておめでとうございます。みなさん、1年お付き合いくださってありがとう、今年もよろしくね。地元がきれいです。たくさん歩いてます。別荘地みたいでしょ!?
2021/01/02
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「貴方様には分からへんのや…親って生き物が子供のためにはどれほど愚かしうなってしまうのかを…」「そやろ私は人の親になった事があらへん世の中には私の知らん事ばっかりや」「誰でも若いときには馬鹿なことをするものだ。だが今度こそは眼を開かなければならない」「それに、実は退屈するのがこわかったんで、わしは思ったんだよ、出かけようと…」「列車に乗り損ねても大丈夫、歩けばいい」「たかが部屋、されど部屋です。お金持ちの部屋には人生哲学を感じます」「食べ物は、未来の自分への投資」「いくら立派な家を当てがわれても、気がすすまなけりゃ、嬉しくもなんともないことよ」「<勇気こそ救いなり> ゲーテ」「万事は、もってゆき方次第よ…そういうわけよ、あなた、これを忘れちゃ駄目よ」「世の中理不尽だよな」「二度目は無いと思え」「丑年へ安寧祈願」
2021/01/01
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