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2021年05月15日
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Paris France, 1977
Photo by Jürgen Schneider
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>前回


 昨年じゅうに世界で起ったハイジャック事件は三十件に迫った。
 事実の多くは関係当局がマスコミに伏せたが、ハイジャックされた当事国が払った身代金は合計して二億ドル、釈放されたテロリストは百五十人を越えた。


 その年の十月    、ルフトハンザ機をハイジャックし、身代金千五百万ドルと西ドイツとトルコに拘留中のテロリスト十三名の釈放を要求した犯人たちを射殺して強救出することに成功した西独対テロ特殊部隊GSG9のカール・ミューラー隊長は、過激派取締りの凄腕(すごうで)と呼ばれている西独連邦検事総長ペーター・ハウスマンの招待を受けてボンの高級レストランで会食した。

 御機嫌(ごきげん)になった二人が検事総長のボディ・ガード四人に護られてレストランを出たところを、急停止した三台の車から突き出された六丁の軽機関銃が射ちまくった。
 それぞれが五百発以上の七・六二ミリ・ナトー弾をくらったカールとペーターとボディ・ガードたちの死体は、人間の形をとどめてなかった。


 その年のクリスマス前日、パリ。
 片山健一は妻の晶子、もう少しで三歳になる息子の亜蘭(あらん)、一年ほど前に生まれた娘の理図(りず)を乗せた中古のプジョー五〇四のハンドルを握って、買物客でごったがえすグラン・ブールバール通りをゆっくり走らせていた。
 六月から十月一杯までの乾期をザンビアのサヴァンナで、二月から五月までを高温多湿の中央アフリカやスーダンのジャングルでプロフェッショナル・ホワイト・ハンター、つまりアフリカの狩猟会社と契約して狩猟の職業案内人として働く片山にとっては、妻と子供たちと一番長く過ごせる真冬は、身も心も一番休まる季節だ。
 スコットランド系の米空軍士官の父と、駐留P・Xに勤めていた日本人の母とのあいだに生れた片山は、三十一歳にして地獄を見すぎた男であった。父は朝鮮戦争で殺され、母は八年後に事故死していた。実の兄弟はいない。
 それだけに、やっと摑(つか)んだ家庭の安らぎは、今の片山にとっては、何としてでも守りぬかねばならぬものであった。晶子以外の女と寝るのは平気だが、ほかの女に心まで移すことはない。
 冬の休みにはパリ右岸のペール・ラシェーズ墓地の近くに持っているアパルトマンか北米コロラド州デンヴァー郊外のロッジに妻子を呼び寄せ、春の休みには片山が日本に戻るのがここ数年のパターンであった。
 今日は、マドレーヌ寺院に近い高級食料品デパートのフォルチンで、イヴの御馳走(ごちそう)を買うのだ。カスピ海のキャヴィアやストラスブールの松露(トリュフェ)入りのフォアグラが目に浮かび、片山は生ツバを呑(の)む。













 六階建てのフォルチンの近くにプジョーを二重駐車させた片山は、トランク・ルームから、携帯用ショッピング・カートと乳母車が組合わされているものを出し、それを組立てた。

 細っそりとしてはいるがバストとヒップが優美に突きだした晶子は、フランス娘もたじろぐほどスタイルがいい。腹は二人の子を産んだとは信じられぬほど引きしまっている。
 晶子は整いすぎとも言える美貌(びぼう)を持っていた。しかし滅多なことでは絶やさぬ微笑(ほほえ)みと、無邪気そのものの瞳(ひとみ)の光が、生き生きとした表情を与えていた。
 人混みのフォルチンの店に入ると、片山は、
「じゃあ、三十分後にここで」
 と、晶子の頬(ほお)に軽く唇(くちびる)を当てた。

 晶子は片山を仰ぎ見た。
「分ってるが、ついつい・・・・・・ 」
 片山は苦笑した。
 乳母車を押してオードゥブルの売り場に向う晶子と別れ、亜蘭と理図のバイバイ、という幼い声に振り返って手を振ってから、片山は地階の酒の売り場に向った。あまり背が高いとは言えぬパリの住人たちより耳から上だけ抜きんでている。
 家族と別れると、片山の表情から穏やかさが消えた。ヨーロッパの血と極東の血がミックスし、アフリカの陽焼けがまだ消えぬ片山の顔は、西アジアとヨーロッパの接点のアフガンの騎馬騎士のように精悍(せいかん)であった。口髭(くちひげ)は黒褐色(こくかっしょく)だ。黒い目は大胆にきらめき、笑うと特殊陶器のコーティングでタバコのヤニを防いだ真っ白な歯が光って、底抜けに陽気な見せかけになる。
 その片山が発散するセックス・アピールの磁力に引きこまれ、売り子の娘や中年女は、片山の瞳の奥を覗きこもうとしながら、思わず唇をエロチックに舐(な)めたり、カウンターの中段の棚に下腹をこすりつけたりする。
 爆発が起ったのは、片山がシャンペーンの売り場でドン・ペルニヨンの辛口を二本買い、コニャック売り場に移って、ブロンドの売り子と軽口を叩きあっている時であった。
 凄(すさ)まじい爆発と共に地階の天井の一部が吹っ飛び、噴射してきた爆風で酒棚の酒壜ごと吹っ飛んだ。閃光で盲目になりそうになり、耳はツンボになりそうになる。
 爆風で吹っ飛ばされながら片山は、片山にかれてゴリラのような腕に触っていたブロンドの売り子を両腕で抱えこんでいた。
 壁ぎわの酒棚に叩きつけられる寸前、片山は空中でブロンドの娘と位置を変えた。
 娘の頭がマテールのコニャックの壜数本に叩き砕かれ、血煙をあげる。
 娘を抱えたまま崩れ折れた片山は、床に仰向けになると意識を失った娘を自分の上に乗せて楯とした。
 そこに吹っ飛んできた酒壜が次々に落下した。砕けたガラスの破片がブロンドの娘に深々と突き刺さる。
 電灯はショックで消えていた。天井からコンクリートの破片が落下してくる。
 その時、再び爆発が起った。激しいショックで片山は意識を失う。
 血も凍るような女の叫び声で片山は意識を取戻した。自分の上でぐったりとなっている血まみれの女の体を押しのけようとして、何が起ったのかを思いだした。
 女の頭に触れ、砕かれた頭蓋骨(ずがいこつ)から脳がはみだしていることを手さぐりで知った片山は、思わず呻(うめ)きながら失禁した。
 立ち上る。爆薬の刺激臭と壜から流れたアルコールの強烈な匂(にお)いが血の匂いを消していた。
 片山はライターに火をつけようとして思いとどまった。あたりじゅうで揮発しているアルコールに火が移ったら逃げることができない。
 片山は、ボールペン型の小さな懐中電灯を持っていることを思いだし、内ポケットから抜いて点灯した。思うように体が動かせないのは、鎖骨が折れているせいらしい。
 まわりを細い光で照らしてみる。地階の百名近い男女は死体でなければ重傷者であった。
 片山は階段に向けて、死者や重傷者を跳び越しながら走った。肺から悲鳴をほとばしらせている。
 爆発が起ったと思われる一階に、妻と子がいるのだ。
 階段は半分ほど崩れていたが、片山はしゃにむに隙間(すきま)をくぐって一階に這(は)い登る。頭や背中に落ちてくるコンクリートの塊りを次々に受けたが失神せずに持ちこたえた。
 一階には吹っ飛んだ窓から昼の光が射しこんでいた。
 煙とコンクリートの粉末のヴェールを通して、潰(つぶ)れた罐詰(かんづ)めのあいだにバラバラになった人間の体が散乱していた。血の海だ。原色の臓腑(ぞうふ)ものたくっている。
「晶子・・・・・・亜蘭・・・・・・理図!」
 血まみれの鬼神のような片山は、絶叫しながら一階の奥に突っこもうとした。
 その時、地階からの爆発で床が持ちあがった。炎が階段や一階にあいた穴から吹き出してくる。地階のアルコールに火が移ったのだ。
 妻子の姿を求めて狂気のように走りまわった片山も、炎と熱と酸素不足に耐えかねて窓の外に転げ落ちた。左肩と頭を強く打って再び意識を失う・・・・・・。
 晶子の死体も亜蘭と理図の死体も、爆発によって原型をとどめてなかったことと、病院のベッドでギプズにくくりつけられていた片山は知った。片山は絶叫を放ちながら、ギプスから逃れようともがいたが、左の鎖骨と肋骨(ろっこつ)が七本も折れた体は自由にならなかった。
 フォルチン・デパートは、アルジェリア奪還同盟と名乗る極右団体から、毎月二百万フラン、すなわち約一億円の運動資金をカンパするように脅迫されていたことが分った。クリスマス・イヴの日だけでも一千万フランの売上げがあるのだから、不幸な事件が起る前に要求を呑んだほうが利口だ、と犯人たちは言っていた。
 要求を蹴(け)ったフォルチン・デパートに対してアルジェリア奪還同盟は時限爆弾による無差別殺人で応えたのだ。
 しかし、パリ警察やフランス国家保安警察の捜査では、アルジェリア奪還同盟が実在するとは確かめられなかった。
 強靭(きょうじん)な体力によって一週間で強引に退院した片山は、プラチナのボルトでつないだ鎖骨や左の肩の痛みをこらえながら、爆破捜査の刑事を買収しては情報を取り、その情報にもとづいて自分でも捜査に熱中した。
 妻と子を肉塊に変えた奴等をなぶり殺しにしてやる・・・・・・片山は荒っぽい手段を使って見えない敵に迫ろうとした。
 だが肉体の傷は半月もたたぬうちに癒(い)えたが、三月(みつき)たっても敵の姿をかいま見ることさえ出来なかった。
 アルジェリア奪還同盟は、フォルチン・デパートを脅迫したあとは完全に活動を停止しただけでなく、それ以前にも何の活動も行ってないことが分った。
 アルジェリア奪還同盟の実体をさぐる間に、片山は三十人近くの旧O・A・S    アルジェリア独立阻止軍事秘密組織    グループ員を拷問で痛めつけ、その組織の戦友会が傭った殺し屋三人を血祭りにあげた。
 ついにフランス秘密情報機関S・D・E・C・Eが乗りだした。片山は逮捕されて裁判に掛けられるか、国外追放をくらうか、それとも自分の意思でフランスを出るか・・・・・・の三つの途(みち)の一つを択ぶように強制された。
 アフリカの狩猟会社のほうからは、とっくにクビを言い渡されていた。そうでなくても政情不安で客が減っているのに、今の片山のような精神状態の男と契約を続けるわけにはいかない、というわけだ。

 (つづく)





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Last updated  2021年05月17日 02時47分26秒


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