カツラの葉っぱ 大好き!

カツラの葉っぱ 大好き!

樹木のアート

<樹木のアート> 工事中
木肌フェチ、葉っぱフェチの大使にとっては・・・
樹木は個人的に重要なマチエールなんですね(サヨカ)

で、以下のとおり樹木のアートを集めています。
このあと家具とか民芸品を探す予定です。

・木肌フェチとでも
・天然木関連
・木彫に遊ぶ
・船越桂公式サイトより
・薮内佐斗司の世界より
・日本の森林と木の職人
・木工の世界
・職人かたぎ
・「手づくりの木の道具木のおもちゃ」



<木肌フェチとでも>
東急ハンズの木材売り場に行くと、各種唐木の木片を手にして、けっこう時間をつぶすことになります。
樹木大好きの大使には、つきつめると木肌フェチとでもいう性癖があるんでしょうね。

『工芸の博物誌』という本を図書館で借りて読んでいるところだが・・・・
「杢(モク)」の説明など載っていて、もろに大使のツボを突くわけです♪

玉杢玉杢 (たまもく)


如鱗杢如鱗杢 (じょりんもく)

杢の種類 より


<和木、唐木> よりp82~85
 日本では、『日本書記』などに大きな槻(ケヤキ)の木が登場する。蘇我馬子が創建した飛鳥寺の西には大きな槻の木があった。大化の改新後、孝徳天皇と中大兄皇子が、群臣を招集して一心同体の誓訳をさせた「大槻樹下の盟」は、この木の下で行われ、壬申の乱の際に近江方が軍営を設けたのも、蝦夷や隼人などの夷テキの服従儀礼を行わせたのもこの木の下の広場であった。 
 わが国は温暖湿潤気候の好条件に恵まれ、南北に細長い列島という土地柄のため、世界でもまれにみる多種多様な樹木が生育している。四季の移り変わりがはっきりしているため、春材と秋材の別が生まれて明確な年輪となり、木の表面にはさまざまな模様が現れる。この模様が木目や杢で、これが日本の木材の大きな特徴となっている。それはさまざまな木味を賞玩するという日本人の木に対する独特の感性をも育てることとなった。同時に豊富な樹種は、多種多様な木の利用法を生み出した。

 縄文時代には丸木舟・櫂・弓などの用具、椀・高杯などの容器、櫛・腕輪などの装身具など既に多数の木製品が使われていた。弥生時代には鉄製工具が用いられ、さらに各種の生活用具や生産用具が作られた。

<木の工芸的利用>
 樹木には針葉樹と広葉樹、また落葉樹と常緑樹という区分がある。工芸的利用の観点からは、国内産の木である[和木]と東南アジア・インドなどの南方産の硬質な輸入材である[唐木]に分かれる。唐木は、もと中国を経て渡来したのでこの名があるが、種類としては、紫檀・黒檀・鉄刀木・花梨などがある。和木は、桑・欅・柿などの硬木と、比較的軟らかい針葉樹の杉・檜、広葉樹の桐などの軟木がある。

<木を挽く人> よりp92~93
職人

 美しい杢を出すためには、どのように木割りをするかが問題となる。木理には、まっすぐな木理(直通木理)、波打つ木理(波状木理)、また特別な奇形の木理(杢)がある。杢には、円形(玉杢)、円が大きな波の中でうねるようになったもの(如鱗杢)、笹の葉のように揺れたもの(笹杢)、鳥の羽の模様のようなもの(鶉杢)などさまざまな杢があり、珍重される。この木割りによってどのような杢が出るかで、挽いた材の値が決まり、木挽きの技量も試される。「自分の木でもないのに、思い通りになれば、よかったなあと思う」と林さんは言う。木のソッポ(外力、全体の姿)を見、木口を観察する。木の癖を見抜いて、節や虫穴を予想し、最もよい木割りの方法を考えて木挽きをする。乞われて鹿児島まで屋久杉を挽きに行ったこともあるというが、将来は100%、チェーンソーで割る時代が来るだろうと予想する。林さんは「もったいないことだ」と言う。そこにある木を大事にして価値のあるものにしていくことがますますできなくなるからだ。

 木工芸の材料として杢を狙う場合は、こうした連達の木挽きのような眼と腕が必用となる。わが国において営々として蓄積されてきた、木を育て、木を読み、木の美しさを引き出す技量の総体の伝承によって、木工芸は支えられている。


最近、フリーマーケットで柿渋染めの布を見るが・・・なかなか渋い(まんまやんけ)のだ。

柿渋
柿渋染めは使い込むとこうなります より

<柿渋> よりp50~52
 かつて畑の畔をはじめ作物のできないやせた土地などには、小粒の渋柿がたくさん植えられていた。これは食用にするというよりも、柿から渋を取って柿渋を作るのが目的であった。
 柿渋の利用は弥生時代まで遡るといわれるが、防水・防腐剤として近年に至るまで日常生活に密着した利用範囲の広い生活必需品だった。
 近世、京都・大坂といった大消費地には、型紙、漆器、傘、合羽、ぼて(ざるやかごに紙を貼ったもの)などの需要に応えるため柿渋屋が何軒もあった。もちろん、こうした都市のみならずそれぞれの地域ごとに柿渋屋があり、製造にあたってはその地方特産の柿を使った。渋の産地では、都市を中心とする多くの需要に応えるのに、遠隔地から柿を求めなくても地元で充分供給し得るだけの柿が多く植えられていた。
 例えば京都近郊では、京都府南部の相楽郡一帯(木津町、加茂町、和束町など)が昔から柿渋作りが盛んで、こうした地域には最盛期の昭和初期に十数軒の柿渋屋があり、京都のみならず水運を利用して大阪の需要までもまかなっていたといわれている。

 現代の柿渋の需要は、大半が清酒やみりんの清澄剤としてである。これらの醸造品は、透明度の高さが求められるため柿渋を利用している。
(中略)
 柿渋は小型の渋柿から作られるが、このような柿は山野に自生することが多く、採取に労力がかかる上、量にも限界があるため、原料の入手は年々難しくなっている。




【工芸の博物誌】
工芸

日本工芸会編、淡交社、2001年刊

<「BOOK」データベース>より
伝統工芸は一つの総合芸術である。それは、さまざまな技術の連鎖に支えられ、その頂点に花開くものである。
【目次】
手わざの文化と現代/陶土/陶石/青花/烏梅/柿渋/布海苔/天蚕(山繭)/和木・唐木/漆/朱/胡粉/研炭/「土作りはやきものの基本ですね」

<大使寸評>
工芸品の素材は、つまりアートで言えばマチエールである。
市井のアートをつかさどる職人たちは、生活態度は慎ましいが・・・
職人たちの素材や道具に対するこだわりは、厳しいようです。

東急ハンズに行くと、樹木系の素材につい目がゆきます。(大使の場合)

rakuten 工芸の博物誌




<天然木関連>
木工や木彫をやっているわけではないが、木肌が好きな大使である。
東急ハンズで木切れを見るだけで嬉しくなるが、とにかく銘木は値段が高いで(泣)

木彫において・・・・
形にこだわる作家は、木の種類にこだわりはないようだが、質感にこだわる作家は木の種類にこだわりがあるようですね。
船越桂さんの木彫にはクスノキしか使わないが、木肌の質感にこだわるのでしょう。


天然木ギャラリー より

クスクス(楠)

木肌は緻密で、耐湿・耐久性に優れる。加工は容易。乾燥時には狂いが出やすい。根瘤が付きやすく、玉杢や葡萄杢などの美麗な杢が現れる。

コクタンコクタン(黒檀)
非常に重く硬い材で、加工は困難を極める。耐久性は非常に優れる。唐木の代表的なもののひとつ。本来は真っ黒な木材であるが、今日では見ることは少ない。磨けば光沢がでる。


天然木.net
天然木.netのブログ
木肌図鑑




【木彫に遊ぶ(創作市場13)】
木彫

ムック、マリア書房、1999年刊

<書籍紹介より>
木の息吹が感じられる木彫作品と作家を多数掲載。リアリティ溢れる木彫の“現在”に出逢ってください。

<大使寸評>
この本には多様な木彫が紹介されていて、見て楽しい本である。
木肌フェチともいえる大使のツボにヒットした本です。とにかく・・・
東急ハンズで木切れを見るだけで嬉しくなるのです。(サヨカ)

mariashobo 木彫に遊ぶ(創作市場13)





船越桂公式サイト より

船越1

船越2

船越3

<ひとりの人間の姿に宿る宇宙>
安東:舟越さんは彫刻家として、楠を素材とする人物像をつくり続けていますね。

舟越:木彫による半身像は、1980年に制作した「妻の肖像」が最初でした。

安東:人物像をつくるようになったのはどうしてですか?

舟越:僕の場合は、何かをつくりたいという対象として、初めから人物にしか興味がなかったんですよね。だんだん見る目は広がってきていろんな傾向のものが理解できるようになったけれども、自分がつくるとしたら、今でも人物に関わる作品しか思い浮かびません。やっぱり人間の姿に興味があるし、もしいい作品ができ上がれば、それは人間の姿だけにとどまらない、もっと広いものを内に宿すことができるんじゃないかなと思います。何かを表わすには何かの形をとるしかないわけで、大げさに言えばひとりの人間の姿を通してでも、この世界の成り立ちというか宇宙のようなものを表現できるんじゃないかと思うんですけどもね。

安東:作家として早い時期からそう考えていたんですか?

舟越:いえ、若い頃はそんなふうに考えていたわけではないですよ。その頃はたぶん、こういう雰囲気の、こういう空気をもった人物像をつくり出したいと思っていただけで。長年制作してきて、小さな石の中にもひとつの宇宙があるという言葉があるように、作家がやろうとしていることは誰しもそういうことなんだろうなと感じるようになりました。

<船越桂:木彫に遊ぶp18>
 木彫に彩色。これは日本の彫刻の伝統的な手法だ。多くの日本の彫刻家たちが意識する仏師にしても、かつての極彩色に彩られている。現存する仏像の木肌を剥き出しにし、木の造形をそのままに見せる姿も木彫の本質だろうが、かつての極彩色も木彫の本質である。仏師たちは日本での仏教の意味を具体化しようとした。木を通して仏教の心を象徴的に高めたのである。船越桂さんの作品も木彫に彩色。その意味では決して新しい技法ではない。1988年にはベネチア・ビエンナーレに出品。92年には現代美術の祭典である第9回カッセル・ドクメンタに招待され、多様な表現と並陳されても違和感はなかった。国内外の評価は現代の彫刻として定まっている。
 かつては南青山のコム・デ・ギャルソンに展示され、若者たちにファッションと彫刻の調和を気づかせたこともある。表現の普遍的な国際性と洗練された現代性に注目されるのは当然かもしれえないが、日本の彫刻の長い歴史を直裁に受け継ぐ彫刻家の一人であるのも間違いのない事実だ。





薮内佐斗司の世界 より

キリンキリン

トラトラ

イヌ犬も歩けば

童子童子


演題「木の文化は日本のこころ」 より
 木で作られたものは、物理的にきわめて脆弱です。私たちが、受け継ぎ守り育てていかなければ消え去るものです。そしてそれは私たちにしかできない責務なのです。現在、「木の文化」は、日本人のこころの分野から日常生活全般に亘り消え去る寸前にあります。また「木の造形」は、技術者の保護育成にとどまらず、林業から消費者までの総合的な大計を緊急に必要としています。

 日本人が、「森林の恵み」を放棄して「石油と鉄」を資源にしたことは、20世紀後半に経済的な大繁栄を齎しましたが、同時に「日本の文化」と「日本人のこころ」を捨て去ることにもなりました。今、私たちは「コンクリートと合成樹脂の文明」から「木の文化」へと回帰すべき時期にあると思います。天と地のあいだに介在した山と森の木々のたいせつな役割を思い出すことは、日本の文化といにしえ人の知恵を取り戻すことにほかなりません。

 さて時間も頃合いとなりましたので、お話はこの辺で終わります。今回の私の話を通じて、ひとりでも多くの人たちが、木の文化について真剣に考えて頂けるきっかけになることを願っています。







【日本の森林と木の職人】
森
西川栄明著、ダイヤモンド社、2007年刊

<「BOOK」データベースより>
芳香漂うクスノキの小箱、柾目が通った秋田スギの弁当箱、森の王者ミズナラのテーブルと木目も美しいカラマツの椅子。日本の銘木を操る熟練の木工職人と作家。豊かな森が育んだ木の文化、生活を潤す自然の手触り。

<大使寸評>
職人の目で見る樹木、材木としての樹木・・・・
木の肌、匂いが感じられるこの本は大使のツボにクリーンヒットしました。
木工職人と作家によるコラボレーションなんでしょう♪

Amazon 日本の森林と木の職人




<木工の世界> 工事中

 丹波の森ウッドクラフト展:受賞作品

木地師のふるさと

職人File

仏像と仏師の世界

仏像の見方と尊格

高句麗の弥勒菩薩



<職人かたぎ>
文明開化時の職人かたぎを「士農工商/仕事と暮らし」という本に見てみましょう。
とにかく、日本は世界でもまれに見るほど職人が評価された国だったようです。


【士農工商/仕事と暮らし:太陽コレクション】
表紙

ムック、平凡社、1979年刊

<内容紹介より>
古書なので、ネットにデータなし
目次目次

<読む前の大使寸評>
ゼロサム志向の米中に押されて、やや形勢が良くないけど・・・
日本人の気質をもっとよく表しているのが、職人気質だと思うのです。
江戸期、明治期の職人について、見てみましょう。


この本の巻頭にあるお話です。

<職人の心:奈良本辰也>p6
 だいたいにおいて11,2歳が徒弟奉公の始まりであるが、最初からその業種の仕事につくということは極めて稀である。子守りをさせられたり、掃除に使われたり、主人の道具をかつがされたりで、その第一歩が始まる。
 そうしているうちに、主人の眼にかなうと、さていよいよその業の手伝いとなり、技術の方も教えられる。一人前になるには10年が必要とされていた。一人前になったところで、さらに1ヵ年の御礼奉公をする。
 主人は、こうして一人前に育てた職人に道具の一式を買い与えて、彼らを実社会に送り出すのである。11,2歳から10年、そしてさらに1年と言えば、22,3歳で職人は一人前になることができるのだった。
 ここに面白い話がある。高村光雲が弟子入りしたときのことだ。江戸の下町に生まれた光雲は幼名を光蔵と言ったが、初めは大工になるつもりだった。当時、大工は職人の王と言われたものである。
 ところが、いよいよその大工の棟梁のところへ出かけることが決まっていた前日に、近所の床屋から仏師のところへ弟子入りしないかと誘われる。そして連れていかれたのが、高村東雲という立派な腕のある仏師だった。
 光蔵はまず師匠から簡単な口頭試問をうける。まず聞かれたのが人物の彫物で、
「これを知っているか」
と問われる。ひげをはやして剣を握っているので、
「関羽でしょう」
と答えると、次に、
「お前は手習いをしたか」
と問われる。「否」と答えると、
「そうか、手習いはしなくともよい。字は要らない。職人はそれで好い」
と、師匠はいう。次は、
「算盤は習ったか」
と問われる。「否」と答えると、
「算盤も要らぬぞ、職人が銭勘定をするようじゃ駄目だ。彫刻師としてえらくなれば、字でも算盤でもできる人を使うこともできる。唯、一生懸命に彫物を勉強せい」
と言って、それが入門の許可となった。後で聞くと、師匠は彼が入口に立ったときからその動作をみていたのだ。光蔵が下駄を揃えて上がってきたので、この子なら自分のところで修業が続けられると思ったという。
 字も算盤も要らぬという言葉に、江戸時代からの職人の心をみることができよう。 



<職人の世界:奈良本辰也>p17~19
 「工は緒職人なり」という言葉は、江戸時代の通念であった。西川如見の『町人嚢』という本にも、士・農・工・商の四民を説明して「士は…諸国之内の緒侍なり、農は耕作人なり、今は是を百姓と号す。工は緒職人なり、商は商売人なり」というように記している。

(中略)
 近世、城下町が営まれるに及んで、多くの職人たちは城下町に居住することを要求された。そして、それらは一つの集団となって街並を作ったものである。今日でも、多くの城下町には、その職人名の街がある。
 金沢には加賀百万石の城下だったが、大工町・鍛治町・大鋸町・紺屋町・桶町・白銀町・象嵌町・石伐町などの名が残り、津軽四万七千石の城下弘前には、桶屋町・銅屋町・鞘師町・鉄砲町・紺屋町などの名が残る。
 ついでに言うと、伊予の松山十五万石の城下には、鍛治屋町・畳屋町・紺屋町・細物町・樽屋町・檜物屋町等々の町名があった。職人の名称を言えば、塗師もあれば筆師もある。石細工もあれば、鎧師もある。それらのすべてを町の名があらわしていたとは言えないであろう。
(中略)
 そこでいま、この松山城下において、どのくらいの職人が家を構えていたかを見よう。これは天明四(1784)年2月のものであるが、そのなかに鍛治屋以下50種類を越える職人の住居兼仕事場がある。その主なものを列挙してみると。
 鍛治屋 67軒   大工 180軒
 屋根屋 18軒   左官 7軒
 樽屋  74軒   指物師 10軒
 塗師  28軒   畳屋 32軒
 紺屋  81軒   檜物屋 10軒
 傘屋  36軒   筆師 11軒
 鞘師   9軒   表具師 7軒
 紙漉  14軒   指物屋 10軒
 木挽  26軒   小細工人 6軒
 等々。
となっている。職人たちは、そこで家内労働をしていたわけだ。この職人たちにも、百姓と同じように肝煎役がいた。すなわち、庄屋にあたるようなものである。




<「手づくりの木の道具木のおもちゃ」>
 暇になったので、マラソン以外にも何か始めたいと思っているのだが・・・
水彩画とか木工なんかもいいなあ♪

 図書館で「手づくりの木の道具木のおもちゃ」という本を借りたのは、そういう下心もあったわけだが・・・
とりあえず、この本で見られるおもちゃとか道具をながめているだけで楽しいのです。


【手づくりの木の道具木のおもちゃ】
木

西川栄明著、岩波書店、2004年刊

<「BOOK」データベース>より
実力ある作家のオリジナリティあふれる作品を紹介。ユーモラスな靴べら、からくり箱、オブジェ…遊び心あふれたクラフト、小物入れ、匙、灯り、一輪挿し、鞄、耳かき…こだわりの日常道具、白漆の皿、朽ちたような皿、木の葉の器…個性豊かな皿と器、たたく、音が出る、からくり、組み木…ユニークなおもちゃの世界、古材の器、流木クラフト…素材のおもしろさを形にする。

<大使寸評>
木の葉っぱフェチの大使は、木工作品それもどちらかといえば、木目とか木肌そのもののフェチなわけです。

rakuten 手づくりの木の道具木のおもちゃ


この本に出てくる職人さんの作品、HPを紹介します。

<ユニークなクラフト>
「自分の楽しめるものを作る。それを作り続ける。それを人が楽しんでくれるとうれしいし、自分が面白くないものはよくないんだ。自分が鈍ってくるとダメなんだ」
島添さんは第25回文芸春秋漫画賞を受賞している。造形作家が漫画賞というのは異例のことだが、作品を見ていると受賞するのも十分納得できる。

ニンフ黒いニンフ

パカパカぱかぱか1980

ぬえ工房:島添昭義



<オブジェと小箱>
花塚作品の特徴は、色鮮やかな木の配置である。着色しているわけではない。木が持っている地の色合いをデザインとして成り立たしているのだ。

ブローチブローチ

時計時計

あづ木クラフト:花塚光弘




<一輪挿し>
「それまでは、ものを作る際には形から入っていたんですよ。まずはスケッチしてからと。それ以来、木目から入っています。その木目を生かすためには、どんな形があるのかと、自分が木に合わせていくのです」

ペンペンスタンド


一輪一輪挿し

トゥレベルク工房:国本貴文



<からくり箱>
世界中のパズル蒐集家たちにとって、カメイの新作は垂涎の的です。欧米からカメイの最新作を求めて訪日する蒐集家も数多く、カメイのからくり箱は、これまでにパズル界が出会ったことのない、まさに最高峰なのです。

本本型からくり箱

リボンリボン箱

からくり箱の世界:亀井明夫



<からくりおもちゃ>
西田さんは作家活動以外に、博物館運営や若手作家育成などプロデューサー的な仕事で忙しい。一木工作家という枠ではなく、経営者やリーダーとしての力もパワフルに発揮している。
(西田さんは2009年永眠(享年63歳)したが、この本は2004年刊行なので現在進行形となっている、合掌)

アーリーバードアーリーバード

有馬玩具博物館:西田明夫
西田明夫事務所




© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: