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図書館で『ギャバンの帽子、アルヌールのコート』という本を、手にしたのです。ヨーロッパ映画のアンソロジー集ってか・・・興味深いのである♪【ギャバンの帽子、アルヌールのコート】川本三郎著、春秋社、2013年刊<「BOOK」データベース>より「追憶の名画座」へ、ようこそ。心にしみいる暗さと魅力にあふれた、いにしえのヨーロッパ映画。戦争映画から、詩情をたたえた悲恋物語、シニカルな喜劇まで、永遠の映画少年が50~60年代を中心に、今ひとたび酔いしれたい傑作をふりかえる。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenギャバンの帽子、アルヌールのコート「ドイツ映画」、「戦争映画」というツボが疼く『橋』という作品から、見てみましょう。p191~197<少年たちの戦いと死 『橋』> 戦争末期、敗色濃いドイツでは、兵隊が足りなくなり、十代の少年たちを徴兵し、戦場に送るようになった。 1959年に作られ翌60年に日本で公開されたドイツ映画『橋』は、七人の十代の少年たちが自分たちの住む小さな町の橋を守るため、アメリカの戦車隊と戦い、1人を残して無残に死んでゆく戦争映画。15、6歳で死んでいった少年たちへの静かな鎮魂歌になっている。 高校一年生の時、ちょうど少年たちと同じ年齢で見たので、胸が痛くなる感動を覚えた。 ナチスという絶対悪を生んだ国だけに、戦後のドイツ(旧西ドイツ)では、戦争を自分たちの側から描く映画は数少なかった。 戦争の圧倒的な加害者だったから、自分たちも悲惨な目にあったとは語りにくかったのだろう。 わずかにオーストリアとユーゴの合作映画で、ドイツ人のヘルムート・コイトナーが監督した『最後の橋』(54)が、戦争を内側から描いた作品として記憶に残るくらい。敵であるユーゴのパルティザンに捕らえられ、その負傷兵を診ることになったドイツの女医が、「祖国愛か人間愛か」の板挟みに苦しむ物語で、ヒロインを演じたマリア・シェルがカンヌ映画祭で女優演技賞を受賞するなど、国際的に高い評価を得た。 この『最後の橋』でパルティザンの隊長を演じたのがベルンハルト・ヴィッキで、のち監督に転じ作ったのが『橋』。ドイツ人と思われがちだがスイス国籍で戦争体験はないという。それだから冷静に少年たちの敗戦直前の死を描けたのかも知れない。 少年たちはほとんどが素人。従って本稿では俳優名を記さず、役名だけにする。 1945年4月。中部ドイツの小さな町。連合軍(主力はアメリカ)が刻々と迫っている。それでも町にはまだ日常生活が静かに営まれている。 町の高校では普通に授業が行われている。日本と違って敵国の英語の授業もある。シェイクスピアを読む。前半は、七人の少年と、その親たちがスケッチされてゆく。 戦争がそこまで迫っているとは思えないほど一見、平穏に見える。少年たちにとってはまだ戦争は身近に感じられていない。 4月、米軍の飛行機がその町にはじめて爆弾を落としたが、たいした被害はなかったので少年たちは、「どうせ爆弾を落とすなら、学校に落としてくれればよかったのに」「嫌いな数学の授業の前にな」と笑い合う。「爆撃のあとを見に行こう」とピクニック気分もある。 少年たちにとっては、戦争はまだリアルなものというより、どちらかといえば戦争ごっことしてしか理解されていない。だからみんな楽天的だし、勇ましい。後半の悲惨な戦闘をまったく予想していない。無邪気に「敵をやっつける」といいあう。(中略) 七人の少年たちに召集令状が来る。 まだ戦争の現実を知らない少年たちは喜ぶ。国のために戦うことに誇りを覚え、喜んで兵隊になる。戦争ごっこが戦争になる。 前半、高校生だった彼らは、半ズボン姿。英語の恋愛詩を読んだり、恋をしたり、将来の夢を語ったりしている。恋をする者もいる。 それが一転して招集されると、鉄かぶとをかぶり、銃を持つ。「少年」が「兵隊」になる。 七人の少年の先生は、彼らのことを危惧し、以前、先生をしていたという大尉に、何とか危険の少ない部署につかせてくれと頼みに行く。善意からのこの行為が、結果として仇になってしまう。 大尉は少年たちを町はずれの橋の護衛にあたらせる。どうせ、アメリカ軍が進軍してきたら爆破してしまう小さな、小さな橋。大尉としては、少年たちを安全なところに配置したつもりだったが、それが不幸なことになる。 アメリカ軍が橋に近づいて来た時、少年たちは、本気で、橋を死守しようとする。そこから悲劇が始まる。 橋の上に、七人の少年がぽつんと立つ姿を俯瞰でとらえる。大人たちから取り残されたように見える。突然、爆音と共に敵機があらわれる。橋めがけて機上掃射する。少年たちはあわてて地に伏せる。静けさが戻る。少年たちが起き上がる。しかし、1人だけそのままの少年がいる。撃たれていた。最年少のジギー。少年たちは、はじめて戦場の恐怖を知る。 完全に夜が明ける。向こうから米軍のせんしゃがあらわれる。戦闘が始まる。ヴィッキはそのむごいさまをリアルに、そして、感情をこめず、無表情にとらえていく。 たたかわなくてもいい戦いに少年たちは入り込んでゆく。おざなりな軍事訓練を受けてだけの十代の少年たちが、アメリカの精鋭部隊と戦って勝てるわけがない。 最年少のジギーをはじめ、ユルゲン、ワルターと、次々に死んでゆく。それまで戦争ごっこ気分だった少年たちが、戦場のすさまじさに恐怖し、銃声に怯える。小便をもらす。恐怖のあまり錯乱してしまう者もいる。「戦争は格好いい」「国のために命を捧げる」といっていた少年たちが現実の戦闘に直面し、幻想を吹き飛ばされてしまう。その姿が、非情に描かれてゆく。 全編、白黒。音楽もほとんどない。時折り金属音が入るだけ。あとは銃声、戦車の音、叫び声、泣き声といった現実音。画面は墨絵のように黒っぽく、勇壮な戦争映画の雰囲気は微塵もない。 七人の少年たちのうち五人までが死んでしまう。昨日まで元気だった仲間がいまはもういない。生き残ったリーダーのハンスとアルバートが疲れきり、とぼとぼ家へと帰る。そこにドイツ兵がやって来て二人にいう。「橋をこれから破壊する。もともと壊す予定にあったのに余計なことをした」。ドイツ軍はアメリカ軍の侵攻を防ぐためライン河をはじめいくつもの河にかかる橋を破壊した。この橋もそのひとつだった。少年たちに同情した大尉があえて危険の少ない橋の警備にあたらせたのだが、その温情がかえって仇になってしまった。 自分たちの必死の戦いは無駄な戦いだった。仲間の死は無駄死にだった。それを知ってそれまで終始冷静だったハンスが激情にとらわれる。そして橋を破壊しようとするドイツ兵を撃ち、もう一人の兵に撃たれて死んでしまう。 ハンスを助けようとドイツ兵を殺してしまったアルバートが一人、ハンスの死体を引きずりながら「家へ帰ろう、家へ帰ろう」と狂ったようにいうところで、映画は終わる。ここで、くだんの映画鑑賞フォームでこの映画のデータを見てみましょう。【橋】ベルンハルト・ヴィッキ監督、1959年独制作、1960年頃観賞<Movie Walker ストーリー>より敗戦前夜の中部ドイツ。高等学校の最上級生は十六歳。それより上はすでに戦場に狩り出されていた。こんなある日、はじめての空襲警報が鳴った。連合軍の飛行機が町はずれの橋に爆弾を落したのだ。ここは生徒たちの遊び場であり集会所であった。最上級生--母ひとり子ひとりの洗濯屋の息子ジギー、理髪店の息子カール、代々軍人の地主の息子ユルゲン、ナチの地区指導者の息子ヴァルター。疎開して来たクラウス、父を戦場に送ったアルバートと彼の家に同居しているハンスそれとクラウスと仲のいい女生徒フランツィスカの八人は早速出かけていった。橋は無事だった。翌日とぼしい材料を集めてボートを作っていた一同のところに召集令状が来た。親たちの心配をよそに少年たちは“祖国のために”雄々しく入隊していった。その夜突如として非常召集が発せられた。アメリカ軍が近接したのである。少年たちは勇んで出陣した。彼らの守備位置は橋だった。少年たちを戦火にまき込みたくない--と願う隊長のせめてもの思いやりだった。ところが意外にもここに戦車が来た。やがて戦略的に破壊される橋とも知らず少年たちは勇敢に戦った。その反撃は一時的に敵を後退させるほどだった。しかしやがて橋はドイツ軍のため爆破されようとした。生き残ったハンスとアルバートは呆然とするとともにはげしいいかりにかられた。アルバートの銃口がドイツ兵に向けられた。“橋”は残った。あとにはハンスの死体をひきずって町に向うアルバートの姿があった。<大使寸評>追って記入Movie Walker橋
2024.11.01
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図書館で『ノイエ・ハイマート』という本を、手にしたのです。池澤夏樹さんが著した本で、ウクライナやガザの戦闘もテーマとなっているようで、興味深いのである♪【ノイエ・ハイマート】池澤夏樹著、新潮社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりある日、難民になる。「新しい故郷」を求めて、歩きだす。そんなに遠い世界の話ではないのです。シリアで、クロアチアで、アフガニスタンで、満洲で、生きのびるために難民となった、ふつうの人たち。その姿と心を、てのひらで触れるようにして描きだす。<読む前の大使寸評>池澤夏樹さんが著した本で、ウクライナやガザの戦闘もテーマとなっているようで、興味深いのである♪<図書館予約:(6/29予約、副本?、予約?)>rakutenノイエ・ハイマート「ノイエ・ハイマート」の続きを、見てみましょう。p159~164<13 ノイエ・ハイマート> 前の方から音楽が聞こえてきた。 何十年も聞いていなかった懐かしいメロディーで、まるでそれに糸が結ばれた言葉がずるずると引き出されるように、日本語の歌詞が脳裏によみがえった。これだから歌は厄介なのだ。思い出したらスイッチが切れない。 ああ、「ワルシャワ労働歌」。軍歌まがいの低俗な左翼の歌の中にいきなり登場したあの美しい節・・・ 起て はらからよ ゆけ闘いに 聖なる血にまみれよ 砦の上に我らが世界 築き固めよ勇ましく 人間、そんなに勇敢に戦えるものではないよ、と老いた私は思いながら(つまり私は風に乗って流れてくるメロディーに日本語の歌詞を重ねて60年代の自分に戻っていたのだが)、しかしシリアの反政府側の人々は今こそこの思いで戦っているのではないかとも思った。戦前の鹿地亘訳詞のこの言葉の列はたった今の世界に繋がっているのではないか。あまりの死者の数にシリアを逃れる者が多くいるとしても(例えばラヤンのように)誰もきみを非難することはない。君は充分に戦った。 道を歩く私が持ったカメラは録音もしている。歌の音声は後でも補える。今ここでこれを聞いたことにこそ意味がある。 私たちは橋を渡った。 オーバーバウムブリュッケ(木の上の橋?)、とても立派な橋だ。橋の途中で話かいバンドが騒々しく演奏していた。もっぱらTシャツにスニーカー、せいぜいゆるいワンピースなどの服装に似合わず、打楽器主体の音色はここでもずいぶん古風だった。 ロッテは橋に続く大通りをずんずん歩いて、少し先を右に曲がった。数メートルの段差を下る。角に小さなカフェがあったがそれは無視。 広い道というか広場に近いところに倉庫めいた建物が並んでいる。その壁を飾るグラフィティのいろいろ。右側の建物の背後には川があるはずだがここからは見えない。人の数は少ない。 しばらく行くと大きな建物が両側から迫って道が狭くなったその入口に横断幕が掲げられていた。ロープのネットで作られていて、そこに文字が貼り付けてある・・・ NEUE HEIMAT 風にわずかに揺れるその言葉。 それくらいのドイツ語は私でもわかった。「新しい故郷」だ。 そんなものかと思っただけで先を行くロッテについて歩いた。 次の角を川の方に曲がると小さな広場があって、低い建物が囲んでいて、人がたくさんいた。そこがノイエ・ハイマートらしい。 何か歴史的な意味がありそうな円筒形の石の塔があり、その壁にはフリー。クライミング用の手がかり足かがりが埋め込んであって、数名の男女が登っていた。腰に着けたハーネスに上から安全索が結ばれている。 青空カフェのテーブルに腰を下ろした。 ここでもカメラを回した。 幼い子供が何人も周囲を駆け回っている。 ロッテがビールを買ってきた。「さっきのあれ、見たでしょ?」「ん?」「ノイエ・ハイマートっていう横断幕」「見た」「この町のボランティアの人たちがここを難民定住のセンターとして使おうと市に交渉して、あるところまでは話が進んだの。でも、なんだかうまくいかなかった」「きみも関わったの?」「あんまり力になれなかった」 「思うんだが、ノイエ・ハイマートって、それ自体が矛盾ではないのかな。新しい故郷って」「もちろんそうよ。それはわかっている。故郷というのは先祖代々で古いはずのもの。長い歴史があるはずのもの。それが新しいというのはおかしいわ。でもね、それを承知で新しい故郷を作らなければならない場合もある。そういう事態が迫ってくることがある。そういう人たちに手を貸すという義務も生じる」「ロッテ、きみは魔女だよ」 「どういう意味?」「きみのような、きみたちのような、自立して自分の思想を持った女は昔から魔女と呼ばれた」「あはは、火炙りね」 「その際は私が消防車で駆けつける」「ありがとう。ノイエ・ハイマートは仰るとおり矛盾です。でもね、そこをなんとか越えなければいけないの。誰にとっても生きるとはそういうこと」 「わかる」 そういったけれど、実は私は彼女のほとんど知らない。今、道案内をしてくれる人というだけ。いずれこれが仕事としてまとまった時には(そうなったとして)、エンド・ロールの一人になるはずの人というだけ。 この大陸では建物というものはよほどのことがないかぎり壊さないのではないだろうか。ロッテが言うように空いた建物にスクワッターが入れたということは、そこは使ってないままに放置されていたということだ。もちろんこの都会の街区の多くは先の大戦の爆撃で消尽したのだから、今こうして見るのはみな戦後になって再建されたものだけれど、それでも不便を承知で使い続けられている。大工の仕事の多くは新竹ではなく改築か改装、町で見る看板もそちらへと客を誘っている。不細工に壁の外に配管や配線を巡らしても、なんとか使うのが、石の建築の伝統なのだろう。 戦争の最後の段階でヒトラーは「パリは燃えているか?」と問うたが、しかし彼の殿軍にはパリを燃やす勇気はなかった。 今の都会にはスクワッターが住む余地は充分にある。 そこが新しい故郷にもなる。『ノイエ・ハイマート』2:13 ノイエ・ハイマート『ノイエ・ハイマート』1:失われた子供たちの海岸
2024.10.31
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図書館に予約していた『しんがりで寝ています』という本を、待つこと6ヶ月半ほどでゲットしたのです。三浦しをんの最新&爆笑エッセイ集ってか・・・面白そうである♪【しんがりで寝ています】三浦しおん著、 集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>より雑誌「BAILA」での連載4年分に、書き下ろしを加えた全55編!三浦しをんの沼にどっぷりハマる、最新&爆笑エッセイ集。<読む前の大使寸評>三浦しをんの最新&爆笑エッセイ集ってか・・・面白そうである♪<図書館予約:(4/12予約、10/27受取)>rakutenしんがりで寝ていますまず、刊行経緯やステマに触れている「まえがき」から、見てみましょう。p8~10<まえがき> 本書は、雑誌「BAILA」に連載したエッセイをまとめたものの第二弾だ。「エッセイ集なのに続編?」「ということは、第一弾を読まないと話がわからないの?」と、疑問や不安を覚えたかたもおられるだろう。大丈夫だ。なんてことのない日常を書いたエッセイばかりが収められているので、いきなり本書からお読みになっても、なにも問題ない。 どうしても予習をしてから物事に取り組みたい派のかたや、本書をお読みになったのち、第一弾にも興味を抱きはじめたという奇特派かつ善良派のかたに、朗報がある。本書の前日譚にあたる『のっけから失礼します』、集英社文庫から堂々発売中です(ステマ)。 最近、商品などを提供してもらったうえで、宣伝だとわかりにくい感じで宣伝する場合には、「PR」と明記しないといけないよと、法律かなにかが変わったと仄聞した(ぼんやり情報)。インフルエンサーのひとも対応が大変だなと思うが、私はSNSに疎いため、正直なところインフルエンサーがなにをインフルエンスしているのかよくわかっておらず、ということは、知らぬまにインフルエンサーにインフルエンスされていることもあるのかもしれないので、まあPRなら「PR」と言ってもらったほうが安心だ。SNSを見てないくせに、どうやって知らぬまにインフルエンスされるつもりなんだよ。ずうずうしいな自分、という気もするが。 私自身は以前から、ステマ(ステルスマーケティング)のときは「ステマ」と明記する方針です。ステマの意味がわかってない感がありありと・・・。 問題は第一弾の『のっけから失礼します』をお読みいただいたとしても、やっぱありなんてことのない日常が書かれているため、前日譚なのかどうかすら定かじゃない、ということだ。十年一日ぶりが極まっていて、時空を歪ませるほどの力に満ちたSF的エッセイシリーズ(誇大ステマ)。あ、これはあくまでも自称なので、ちゃんと明記しました。 とにかく、第二弾の本書を話は通じるので、なにも心配はいらない。憂いなく、本書を本屋さんのレジに持っていっていただきたいと願う。おしゃれな女性向けファッション誌「BAILA」の巻頭ページで、好き放題、おしゃれじゃない日常や、たまにシモの話や、(主にEXILE一族への)愛が高じてしばしば様子がおかしくなってるさまを書き綴っているのに、十年ぐらい連載続行させてもらえている奇跡のエッセイ(誇大ステマ)。この基本情報さえ把握しておいていただければ、大丈夫である。 なぜ本書のタイトルが『しんがりで寝ています』なのかについては、少々説明が必要だろう。第一弾『のっけから失礼します』のあとがきを書く過程で、「はっ。もしかして、内容によりふさわしいタイトルは、『のっけから失礼します』ではなく『しんがりで寝ています』だったんでは?」と気づいたのだ。 しかしそのときには刊行予告が出てしまっていたので、第一弾のタイトルに流用、いやいや、活用した次第だ。SDGsの実践。流行りの言葉で誤魔化すのやめろ。「しんがり」ってなに?と思うお話かいかたもいらっしゃるかもしれないが、「最後尾」という意味です。大河ドラマなどを見ていると、「拙者がしんがりを務めます(退却する軍の最後尾で、追ってくる敵を食い止めます)」と羽柴秀吉が申し出て、「サルめ、よく言った・・・!」と信長さまが感極まるシーンがあるが、あれです。そういう重要な最後尾においても寝てしまう胆力。起きて。 十年一日の日常エッセイを、いつまで書きつづけられるんだろう。現に戦争が起きてしまったし、本書にもコロナ禍の日々が収録されている。「なんてことのない日常」を、どうすれば全世界レベルで実現できるのか、真剣に考え、行動していきたいと思っているのは本当なのだが、本書からその思いを汲み取れるかたはエスパーだろう。なにかべつの本の感想と混同している可能性もある。 いくらなんでもアホすぎる一冊に仕上がってしまったが、本書をお読みになるあいだ、もし少しでも楽しい気持ちになっていただけたら、うれしいです。
2024.10.31
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日本語とか外国語、つまり言語にツボがあるわけで、下手の横好きとでも言いましょうか。・・・ということで『日本語えとせとら』という本を復刻して読んでみます。*********************************************************図書館で『日本語えとせとら』という本を手にしたのです。なんか、読んだことのありそうな本であるが・・・ま いいかということで借りたのです。帰って、日記を調べてみると、3ヶ月前に借りた本であることが判明しました(イカン イカン)この日のタイトルを『日本語えとせとら』2としたのは、2度目という意味でもあるのです(汗)【日本語えとせとら】阿刀田高著、時事通信出版局 、2010年刊<「BOOK」データベース>より阿刀田高が綴る、日本語にまつわるエッセー。日本語への深い愛着が感じられる一冊。<読む前の大使寸評>日本語に関する言語学的エッセイか・・・・大使のツボでんがな♪第2部が和洋書籍の書評集になっているが、これも、良さそう。rakuten日本語えとせとら『日本語えとせとら』1byドングリ阿刀田高さんは、内外の短篇小説に造詣が深いとのことです。どうりで・・・この本の各エッセイが短いわりに印象的な切り口を見せています。その切り口を一つ、二つ紹介します。p17~19<言葉で喜ぶ> 「“ことほぐ”って知ってる?」 若い人三人に尋ねてみた。 一人が「知らない」と首を振る。二人が「お祝いすることでしょ」と答えてくれた。 「じゃあ、友人の結婚を聞いてひとり静かにことほぐ、これ、正しい?」 重ねて尋ねると、ジロリとにらむ。わざわざ聞かれるのは「正しくない」からだろうけれど、どこがどう違うかわからない、そんな心境に違いない。 その通り、正しくない。“ことほぐ”は“言葉を告げて祝う”こと。ひとり静かに黙って祝うのは、ことほぐではない。ただ、ほとんどの場合、祝うと言えば「おめでとうございます」とか「よかったねえ」とか言葉を発して祝うから、“ことほぐ”と“祝う”とが同義語に思われてしまうのだろう。屁理屈をこねれば、お祝いのプレゼントだって、なにかしら言葉をそえて贈る。言葉なしでただ贈るのは、失礼、と、これが良識だろう。やっぱりことほいでいるのだ。 だが、これとはべつに、ある日、ふと気がついた。文学というと、少し大げさかもしれないが、私たちが詩文を楽しむ理には、・・・この“ことほぐ”が含まれているのではあるまいか・・・ つまり言葉に出してすばらしさを称えるわけだ。たまたま歳時記の夏の部をのぞいていると、高浜虚子の句が、“新潟の初夏はよろしや佐渡も見え” 私はあのあたりの海岸風景をよく知っているから、・・・ふーん、いいね・・・ と感動を覚えてしまう。うれしくなってしまう。 しかし、つらつら考えてみると、新潟の海岸から佐渡が見えて、なにがよろしいのか、よくわからない。それが春ではなくて初夏だと、どうして特によろしいのか、さらにわからない。 もちろん、そういう理屈を言っちゃあ、いけないよ。初夏の日本海の風景に接して卓越した俳人が詠み、・・・自然の風景は、すばらしいじゃない・・・ と、ことほいでいるのだ。言葉で告げて祝福しているのだ。共感を呼びかけ「そうだ、そうだ」とみんなで喜びあおうとしているのだ。 実際には月並みで、取るにもたりないことのようでも巧みな言葉で表現して、その真価を訴えたりする。「すばらしいじゃない」と応援を送る。文学の原点は、このあたりにあったのかもしれない。“山は青きふるあと、水は清きふるさと” なんのことはないけれど、日本の自然を歌って「そうだよなあ」と、しみじみ共感させてくれる。言葉で喜ばせてくれる。 喜びばかりではない。慰めもある。いたわりもある。 昨今、はやりの“千の風になって”も、内容は非科学的、中学生の詩のような文言だが、巧みに綴られているからこそ、人々の胸を打つ。あたりまえのことや人間の素朴な心情を言葉で的確に、美しくとらえて共感を創ること、これは文学の存在理由の一つだろう。歌謡曲の歌詞も巧みなものはこの例外ではない。“わかっちゃいるけど、やめられない”と、これは植木等さんの尊父なる和尚によれば仏教の本源的観点なのだ、とか。文学の原点と来たか・・・阿刀田さんのおっしゃる通りなんだろうね、さすがに元ペンクラブ会長やで♪p136~138<初めが肝心> "国境の長いトンネルを抜けると雪国であった" "親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりして居る″ "私が自分に祖父のある事を知ったのは、私の母が産後の病気で死に、その後2月程経って、不意に祖父が私の前に現れて来た、その時であった" "死者たちは、濃褐色の液に浸かって、腕を絡めあい、頭を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている" "安田辰郎は、1月13日の夜、赤坂の割烹料亭「小雪」に一人の客を招待した" "堀川の大殿様のような方は、これまでは固より、後の世にも恐らく二人といらっしゃいますまい" "指先から煙草が落ちたのは、月曜の夕方だった" "越後の春日を経て今津へ出る道を、珍しい旅人の一群が歩いている" "まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている" "「おい、地獄さ行ぐんだで!」" 思いつくままに日本の名作小説十篇の冒頭を抜き出してみた。まるでクイズみたい。どれが、だれの、どの作品か、おわかりだろうか。 読者はなにげなく読むケースが多いけれど、作者のほうは冒頭の一節に神経を使う。熟慮する。こう書こうか、ああ書こうか、少なからず思い悩むのが通例だ。私自身の場合を述べれば、原稿用紙を前にして、・・・よし、これでいい。これで行こう・・・ 冒頭がきっちりと決まれば、・・・今日の仕事はこれでおしまい・・・ へへ、呑気だね。酒を飲もうと、遊びに出ようと、いっこうにかまわない。 「たった一行でもいいんですか」 と聞かれそうだが、冒頭をきめるということは、どんなタイプの作品か、ミステリーなのか、歴史小説なのか、私小説なのか、方向をはっきりと定めている。それがなければ一行とて書けない。おそらく主人公のイメージもできているだろうし、ストーリーのあらましも心中にある。逆に言えば、そういう構想があって初めて第一行目が書ける。終日酒を飲んでいても "よし、明日から"でさしつかえない。 小説家の場合はやや特殊かもしれないけれど、一般論としても、文章を書く時には、同様の方法を保持したほうがよいのではあるまいか。報告書であれ、マニュアルであれ、手紙であれ、なにから書き起こすか、用件全体を展望し、どう訴えるのがよいか、吟味することが絶対に必要だろう。 簡潔がいい。単刀直入のほうが、わかりやすいだろう。 十のことを訴えるのに「一、ニ、三、四・・・」と順を追って説明する方法もあるが、まず端的に結論を提示し、こまかいことは後から、という方便も有効だ。たとえば、色合いを言うのに、 「ひとことで言えば玉虫色です。が、緑が濃く金を殺して深め、曖昧な印象ではありません。そのためには、薄い染料を使い・・・・・」という表現だ。 もちろんケース・バイ・ケース。ただし第一行目の持つ重要性はつねに忘れてはなるまい。 "初めが肝心"は文章を、言葉を、操るための金言でもある。大使の文章の冒頭は、阿刀田さんに言われるまでもなく、つっけんどんというか単刀直入でおます♪*********************************************************■2023.08.13XML『日本語えとせとら』(復刻)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202308130002/
2024.10.30
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手あたり次第」でしょうか♪<市立図書館>・しんがりで寝ています ・水木しげるのラバウル従軍後記・ギャバンの帽子、アルヌールのコート・ざんねんな筋トレ図鑑<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【しんがりで寝ています】三浦しおん著、 集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>より雑誌「BAILA」での連載4年分に、書き下ろしを加えた全55編!三浦しをんの沼にどっぷりハマる、最新&爆笑エッセイ集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/12予約、副本?、予約111)>rakutenしんがりで寝ています【水木しげるのラバウル従軍後記】 水木しげる著、中央公論新社、2022年刊<「BOOK」データベース>より“トペトロとの50年”は、奇妙な楽しみに満ちた50年だった。豊富なカラーイラストと現地撮影写真で彩る、戦地で出会った生涯の友人との奇妙な交遊録。戦地ラバウルの情景や復員後の日々を描いた貴重な作品をカラーで掲載。ラバウルでの交流を記録した文庫版未収録写真を多数収録。エッセイ「娘よ あれがラバウルの灯だ」、マンガ「トペトロの葬式」を特別収録。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten水木しげるのラバウル従軍後記【ギャバンの帽子、アルヌールのコート】川本三郎著、春秋社、2013年刊<「BOOK」データベース>より「追憶の名画座」へ、ようこそ。心にしみいる暗さと魅力にあふれた、いにしえのヨーロッパ映画。戦争映画から、詩情をたたえた悲恋物語、シニカルな喜劇まで、永遠の映画少年が50~60年代を中心に、今ひとたび酔いしれたい傑作をふりかえる。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenギャバンの帽子、アルヌールのコート【ざんねんな筋トレ図鑑】 小島央著、マキノ出版、2020年刊<「BOOK」データベース>よりついやってしまいがちな「ざんねんな筋トレ30」を、ざんねんなイラストとともに筋肉ドクターが一刀両断!<読む前の大使寸評>追って記入rakutenざんねんな筋トレ図鑑
2024.10.29
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・絲山秋子『神と黒蟹県』(3/02予約、副本3、予約63)現在21位・カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」(4/27予約、副本1、予約48)現在5位・前田和男『昭和街場のはやり歌』 (5/10予約、副本?、予約8)現在3位・小倉ヒラク『アジア発酵紀行』 (5/14予約、副本2、予約5)現在5位・内田樹『勇気論』(7/07予約、副本?、予約?)現在11位・有田芳正『誰も書かなかった統一教会』(7/27予約、副本?、予約?)現在3位・消費者金融ずるずる日記(8/27予約、副本6、予約112)現在89位・パッキパキ北京(8/29予約、副本9、予約111)現在77位・転がる珠玉のように(9/05予約、副本7、予約87)現在66位・原爆裁判(9/11予約、副本?、予約133)現在110位・沈む日本4つの大罪(10/10予約、副本?、予約?)現在10位・官僚国家 日本の闇(10/28予約、副本2、予約47)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・井上ひさし『本の運命』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・「中国」はいかにして統一されたか・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・猫社会学、はじめます:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・闇の中国語入門・奪還 日本人難民6万人を救った男:・ぜんぶ、すてれば:延滞本返却後に予約する・こぐこぐ自転車<予約分受取:7/27以降> ・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、7/27受取)・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、7/27受取)・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、8/06受取)・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、8/27受取)・パンとサーカス(8/28予約、9/01受取)・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、9/12受取)・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、9/22受取)・池澤夏樹『ノイエ・ハイマート』(6/29予約、10/13受取)・三浦しおん『しんがりで寝ています』(4/12予約、10/27受取)**********************************************************************【神と黒蟹県】絲山秋子著、 文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より「黒蟹とはまた、微妙ですね」。日本のどこにでもあるような「地味県」の黒蟹県。そこで暮らす、そこを訪れる、名もなき人々や半知半能の神がすれ違いながら織りなす、かけがえなく、いとおしい日々。まだ名付けられていない人間関係を描き続けてきた著者真骨頂の連作小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/02予約、副本3、予約63)>rakuten神と黒蟹県【カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」】 室橋 裕和著、集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりいまや日本のいたるところで見かけるようになった、格安インドカレー店。そのほとんどがネパール人経営なのはなぜか?どの店もバターチキンカレー、ナン、タンドリーチキンといったメニューがコピペのように並ぶのはどうしてか?「インネパ」とも呼ばれるこれらの店は、どんな経緯で日本全国に増殖していったのか…その謎を追ううちに見えてきたのは、日本の外国人行政の盲点を突く移民たちのしたたかさと、海外出稼ぎが主要産業になっている国ならではの悲哀だった。おいしさのなかの真実に迫るノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/27予約、副本1、予約48)>rakutenカレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」【昭和街場のはやり歌】前田和男著、 彩流社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「はやり歌」から、明日の日本の姿が見えてくる…。歌とともに時代を共有した「団塊」といわれるベビーブーマー世代が、エピソードを交え描く歌謡社会文化論!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/01予約、副本?、予約8)>rakuten昭和街場のはやり歌【アジア発酵紀行】小倉ヒラク著、文藝春秋、2023年刊<出版社>よりアジアの巨大な地下水脈をたどる冒険行。「発酵界のインディ・ジョーンズ」を見ているようだ!ーー高野秀行(ノンフィクション作家) 自由になれーー各地の微生物が、奔放な旅を通じて語りかけてくる。ーー平松洋子(作家・エッセイスト)発酵はアナーキーだ! チベット~雲南の「茶馬古道」からインド最果ての内戦地帯へーー前人未到の旅がいま幕をあける! 壮大なスケールでアジアの発酵文化の源流が浮き彫りになる渾身作。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/14予約、副本2、予約21)>rakutenアジア発酵紀行【勇気論】内田樹著、光文社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりモヤモヤを抱えた編集者との“カウンセリング”往復書簡。ジョブズ、フロイト、孔子、伊丹万作、河竹黙阿弥、大瀧詠一、パルメニデス、富永仲基…話頭は転々として奇を極めー。いまの日本人に一番足りないものは何だろうか?読めば心が軽くなるーウチダが綴る9通のメッセージ。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/07予約、副本?、予約?)>rakuten勇気論【誰も書かなかった統一教会】有田芳正著、集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>より2022年7月の安倍元首相銃撃事件後、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と政界の癒着を中心に多くの報道があった。だが、メディアが報じたのは全体像のごく一部だった。教団をめぐる多くの問題が残されたまま事件の風化を憂慮したジャーナリストが、教団の政治への浸食の実態、霊感商法の問題はもちろん、「勝共=反共」にもかかわらず北朝鮮に接近していた事実、教団の実態を早くから認識していたアメリカのフレイザー委員会報告書、教団関係者による銃砲店経営、原理研究会の武装組織、「世界日報」編集局長襲撃事件、公安が教団関係者を調査していた事実等、その全貌を公開する。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約(7/27予約、副本?、予約?)>rakuten誰も書かなかった統一教会【消費者金融ずるずる日記】 加原井末路著、三五館シンシャ、2024年刊<「BOOK」データベース>より1990年代の半ば、30歳のときに足を踏み入れ、50歳で退職するまでの20年を私はこの業界ですごし、お金にまつわる悲喜こもごもを目撃した。私が在籍した期間は、消費者金融業界が栄華を極めてから、2010年の法改正施行を経て、没落していく年月でもあった。-本書にあるのはすべて私の実体験である。「お客を追い込む仕事」。サラ金社員が経験した、貸し手と借り手のお金の修羅場。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten消費者金融ずるずる日記【パッキパキ北京】綿矢りさ著、集英社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりコロナ禍の北京で単身赴任中の夫から、一緒に暮らそうと乞われた菖蒲。愛犬ペイペイを携えしぶしぶ中国に渡るが、「人生エンジョイ勢」を極める菖蒲、タダじゃ絶対に転ばない。過酷な隔離期間も難なくクリアし、現地の高級料理から超絶ローカルフードまで食べまくり、極寒のなか新春お祭り騒ぎ「春節」を堪能する。街のカオスすぎる交通事情の把握や、北京っ子たちの生態調査も欠かさない。これぞ、貪欲駐妻ライフ!北京を誰よりもフラットに「視察」する菖蒲がたどり着く境地とは…?<読む前の大使寸評>追って記入rakutenパッキパキ北京【転がる珠玉のように】ブレイディみかこ著 、中央公論新社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりLike A Rolling Gem。大人の山あり谷ありライフを越えていけ!結婚するゲイの友人、職人魂を燃やす父、イギリスで、日本で、社会の底を支える労働者たちの人生劇場。泥くさい毎日を“宝石”に変える著者3年ぶりの最新エッセイ集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約(9/05予約、副本7、予約87)>rakuten転がる珠玉のように【原爆裁判】山我浩著、毎日ワンズ、2024年刊<商品説明>より日本初の女性判事・三淵嘉子が昭和三十年代に裁判官を務めた「原爆裁判」に焦点を当てた書き下ろし。原爆を巡るアメリカの闇を追及すると共に三淵嘉子の半生を紹介、さらに、世に名高い「原爆裁判の判決文」も付載した一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/11予約、副本?、予約133)>rakuten原爆裁判【沈む日本4つの大罪】 植草一秀×白井聡著、ビジネス社、2024年刊<「BOOK」データベース>より捏造と欺瞞、狡猾と策略で、夢も希望も失った日本人に告ぐ!奴隷国家に堕した日本の国難に打ち勝つ再生への処方箋。経済学の論客と気鋭の政治思想家が日本のタブーに斬り込む!LGBTQ、SDGs、コロナワクチン、政権と大企業の罠、メディア腐敗etc。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約 (10/10予約、副本?、予約?)>rakuten沈む日本4つの大罪【官僚国家 日本の闇】泉房穂著、 集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>より2002年10月、右翼団体代表を名乗る男に襲撃され命を落とした政治家・石井紘基。当時、石井は犯罪被害者救済活動、特殊法人関連の問題追及等で注目を浴びていた。その弱者救済と不正追及の姿勢は、最初の秘書・泉房穂に大きな影響を与えた。石井は日本の実体を特権層が利権を寡占する「官僚国家」と看破。その構造は、今も巧妙に姿を変え国民の暮らしを蝕んでいる。本書第1部は石井の問題提起の意義を泉が説き、第2部は石井の長女ターニャ、同志だった弁護士の紀藤正樹、石井を「卓越した財政学者」と評する経済学者の安冨歩と泉の対談を収録。石井が危惧した通り国が傾きつつある現在、あらためてその政治哲学に光を当てる。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/28予約、副本2、予約47)>rakuten官僚国家 日本の闇【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.10.29
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探検家といえば、高野秀行さんとか角幡唯介さんが思い浮かぶわけで(私の場合)・・・『間違う力』という本を、復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『間違う力』という新書を、手にしたのです。 おお 高野秀行さんの「間違う力」ってか・・・これは間違いなくホンマモンではなかろうかと思うわけです。帰って調べてみたら、この本を4年前に借りて読んでいたのです(またか)・・・で、今回の記事を(その4)とします。【間違う力】 高野秀行著、文藝春秋、2018年刊<「BOOK」データベース>より人生は脇道にそれてこそ。ソマリランドに一番詳しい日本人になり、アジア納豆の研究でも第一人者となるなど、間違い転じて福となしてきたノンフィクション作家が、間違う人生の面白さを楽しく伝える!!破天荒な生き方から得られた人生訓10箇条!<読む前の大使寸評>おお 高野秀行さんの「間違う力」ってか・・・これは間違いなくホンマモンではなかろうかと思うわけです。rakuten間違う力はじめに「はじめに」の冒頭を見てみましょうp3~6<はじめに>「オンリーワンになる方法をについて本を書いてほしい」 編集者のN氏からそんな依頼を受けたとき、「何だ、そりゃ?」と思った。オンリーワンという言葉はあちこちで見聞きするが、正直言って意味はよくわからないし、ましてや自分がそうだと思ったこともない。 困惑したまま黙っていると、N氏は私が企画に対して乗り気でないと受け取ったようで、熱心に話し出した。「ima、若い人たちは大変なんです。私たちのような昭和世代とちがって、彼らは個性的な人間になれとか好きなことを仕事にしろとか言われて育ったきているんです。要するにオンリーワンですね。でもなかなかオンリーワンなんかなれないでしょう?『さあ、これがオンリーワンになる方法ですよ』なんてものもないですし。ある意味、『みんなと一緒にやれ』より『オンリーワンになれ』と言われるほうが難しいんですよ」 N氏の熱弁により、なんとなくオンリーワンが「個性的な素晴らしい人間」を指すようだとわかってきたが、でもなぜ私にそれを依頼するのか。確かに辺境ノンフィクション作家などと名乗り、人とは全くちがう仕事をしているが、それは数的に「たった一人(オンリーワン)」というだけで、「個性的な素晴らしい人間」ではまったくない。だいたい、私は人間的にはごく普通だ。 正直に「僕はオンリーワンなんて思ったこともないですよ。どうして僕にそんなことを頼むんです?」と言うと、N氏は目を丸くした。「だって、高野さんのホームページに『オンリーワンの偏狭冒険作家』って書いてあるじゃないですか!」「え・・・?」 そういえば、以前、私があまりに「売れない、売れない」と嘆いていたら、親切な友人たちがホームページを作ってくれた。そのとき何かそういうキャッチー(かどうか不明だが)なコピーをつけてくれたような覚えがある。だが、いかんせん、自分のホームページなんてほとんど見ないのですっかり忘れていた。「ああ、そういえば・・・」と遠い目をしていたら、N氏は「ほら、見なさい」と勝ち誇ったような笑みを見せた。しかも話をよく聞けば、別にオンリーワンには「素晴らしい」という概念は含まれていないらしい。単に「個性的な人間」という意味のようだ。 この辺で私のアドバンテージ(?)は崩れ、なんとなくN氏の「困っている若い人のために」という説得に乗ってしまい、本を書くことに同意してしまった。 私はときどき、こういうふうによく知らない人の誘いにうかうかと乗ってしまい、痛い目を見ることがある。今回もまさにそうで、時期がたてばたつほど、「オンリーワン」というものがわかなくなっていった。 困り果てて、インターネットで検索してみた。すると、何十万件という数字がヒットして、ブログの類いぞこぞこ出てきた。最初の二十件くらいしか読まなかったが、どうやらオンリーワンの定義には大きく分けて二種類の解釈があるらしい。 一つは「あなたはもともとあなたであって、ほかの誰でもない。だからただ生きているだけでいいんです」というもの。典型例はSMAPのヒット曲「世界に一つだけの花」にある。「No.1にならなくてもいい。もともと特別なOnly one」というやつだ。 もう一つは、「人とはちがう個性や存在感をもって、その世界で独特な立場を築いている」というもの。こちらは主に仕事や社会活動にかかわっていくようだ。 前者のオンリーワンは、極端な話、生きているだけでいいのだから、とくに何もすべきことはない。「大般涅槃経」という経典では「人はみな生まれながらに仏になる素質をもっている」とされ、浄土真宗をひらいた親鸞は修行も何もせず、ただただ念仏を唱えれば極楽浄土に行けると教えたらしいが、それに似ている。何も考えず、SMAPの歌をカラオケで繰り返し歌うのがいちばんよい方法かもしれない。 となれば、私が考えるべきは後者のオンリーワンだろう。 だがしかし、存在感とか個性という言葉はあまり好きではないのだ。もちろん、私も考えたことがないわけじゃない。というより、「個性とは何か」をかなり長く考えていた時期もある。だが、個性的かどうかなんてことをうだうだ考えていたのは調子の悪いときで、乗っていたときはそんな抽象的なことは考えなかった。 だいたい、個性がよく「感性」と結びつけられているのが気に入らない。そんな曖昧模糊としたことを考えてどうするのだろう。私にとって個性なんてものがもしあるとするなら、それは「ネタ」じゃないかと思う。人とはちがう体験や過去みたいなものが要するに個性じゃないのか。『間違う力』4:はじめにp3~6『間違う力』3:高野さんの戦略p168~172『間違う力』2:就職しないで生きる方法を探すp42~46 『間違う力』1:高野さんの輝かしい業績p211~213
2024.10.28
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図書館で『遊牧民、はじめました。』という新書を、手にしたのです。モンゴルといえば、今では大相撲で幅をきかせている民族であるが・・・大草原で遊牧民として暮らしてきた民族であり、興味深いのである♪【遊牧民、はじめました。】 相馬拓也著、光文社、2024年刊<「BOOK」データベース>より地平線の先までずっと続くモンゴルの大草原。そこに生きる“悠々自適”な遊牧民。大自然に囲まれた彼らの暮らしを想像して、一度は憧れたことがある人もいるだろう。しかし、彼らの暮らしは本当に“悠々自適”なものなのだろうか。一度で150㎞にも及ぶ遊牧、マイナス40℃を下回る極寒の冬、家畜という懐事情をご近所に曝け出した生活ー。本書では、そんな遊牧暮らしのリアルを、長年、彼の地でフィールドワークを続けてきた著者が赤裸々に綴る。ときに草原を馬で駆け、ときに大自然に牙を剥かれ、ときに遊牧民たちにどつかれる日々の中で気づいた、草原世界で生き抜くための「掟」とはー?<読む前の大使寸評>モンゴルといえば、今では大相撲で幅をきかせている民族であるが・・・大草原で遊牧民として暮らしてきた民族であり、興味深いのである♪rakuten遊牧民、はじめました。「第5章 ゴビ砂漠の暮らしを追う」で、過酷な砂漠暮らしを、見てみましょう。砂漠は大使のツボでもあるわけだし。ラクダ遊牧民をもっと知りたいと思うようになった理由が述べられているので、見てみましょう。p286~289<5-1 砂漠の暮らしを求めて>■〝ゴビ〟の意味するところ ゴビ砂漠とラクダ遊牧民をもっと知りたいと思うようになった理由は、「ラクダが単純にかわいかったから」と「砂漠の暮らしが知りたかったから」の2つだけである。 ただし、それだけだと科研費は採択されないし、研究計画書も書けないので、「極限環境に暮らすラクダ遊牧民の環境適応術」だとか、「砂漠の持続型コミュニティにおけるラクダ飼育の伝統知」だとか、「ヒトとラクダの関係性のエスノグラフィを探る」とか、もっともらしい理由をつけなくてはならなかった。 新しい研究テーマのはじまりになんて、いつだってご大層なストーリーがあるわけでもない。ご大層な理由なんてないほうが、知的要求への純粋な反応なのだから、むしろ歓迎されるべきなのだろう。 大人になってくると、研究者なんてやりたいことをして、行きたいところへ行くための理由づけの修辞術なのだ、と気づかされる。純粋な「これを知りたい」という知的要求ほど、失われやすく、もろく傷つきやすく、はかなく消えてしまうものはない。たくさんの言い訳や理由の渦巻くなかで、純真無垢な思いほど貴ばれないものはないのだから。 少し話が逸れてしまった。元に戻そう。モンゴルの南部にはドント・ゴビ県、マンダル・ゴビ市、ウムヌ・ゴビ県など、「ゴビ」と名のつく地名が多い。「ゴビ砂漠」の名でも知られているが、ゴビとはもともと「乾燥性ステップ草原」を示すモンゴル語で、砂しかない砂漠を必ずしも意味していない。黄みを帯びた乾燥した土壌で、わずかに植生があるような土地が「ゴビ」と総称される。 遊牧民と暮らしていると、この「ゴビ」の語法にはなかなか難しい部分があることに気づかされる。比較的草の生えた山岳草原なども、「ゴビ」と言ったりするからだ。モンゴルでは、単調な草原が大部分を占めるために、わずかでも地形や植生が変化した場所には、それに対応した地形名称が与えられることも多い。 たとえば、見晴るかす平原のゴビでは、ちょっとした小丘や丘陵を「ハイルハン」と言い表すが、西部モンゴルの人間に話してみると、「おいおい! こんなただの低い丘が『ハイルハン』なわけねーだろ!」と吹き出す人もいた。ハイルハンとは、2000mを超えるような高山や霊峰を指す言葉として使用されるからだ。ただ、平野で地物に乏しいゴビの遊牧民たちが、ほんの数百メートルもないような丘陵を「ハイルハン」と呼ぶようになったのにも筆者はうなづける。■ラクダ祭りを目指して ゴビで砂漠といえばラクダ、と考える人も多いだろうが、砂漠にはヒツジもヤギもいるし、ヤクが飼育されていることもある。 西部モンゴルの調査では、ラクダはまれに駄載用に飼育されてはいるものの、数十頭という多頭飼育群を目にすることはなかった。サグサイ村の宿営地では、ラクダ所有者は一人のみで、その数は9頭だけ。アルタイ最奥地のダイン地方でも、ラクダの多頭飼育者は1家族のみで、こちらも15頭ほどであった。おもに駄載利用で、積極的にミルクを取ったり、食用にしたりしているところも観察できなかった。『遊牧民、はじめました。』5:モンゴルでもっとも〝辛い〟土地『遊牧民、はじめました。』4:遊牧暮らしのイロハ『遊牧民、はじめました。』3:遊牧民の心『遊牧民、はじめました。』2:遊牧民の心模様『遊牧民、はじめました。』1:第一章の冒頭
2024.10.27
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シルクロードのイメージといえば、ラクダの背に乗って砂漠をゆくというのが一般的かと思うのだが・・・このイメージそのもののような『シルクロード 1万5000キロを往く』という本がええので、以下のとおり復刻してみます。*********************************************************図書館で『シルクロード 1万5000キロを往く』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、地形のカラー画像が多く、やや専門的な本であるが・・・面白そうである。【シルクロード 1万5000キロを往く】今村遼平, 中家惠二編著、古今書院、2021年刊<出版社>よりタクラマカン沙漠の南北を通る中国シルクロードの3つのルートおよび河西回廊(西安?敦煌)の旅行記。地形・地質の専門家が中心だけに,一般の観光ツアーでは訪れない珍しい風景を求めて南へ北へ。上巻には,タクラマカン沙漠の北縁に沿って西へパキスタン国境に至る「天山南路」の旅(2011年)および,天山山脈の北側,ジュンガル盆地を横断する「天山北路」の旅(2014年)を収録。どこまでも続く沙漠,氷河,大草原,そして五色に輝くヤルダン地形に言葉を失う。新疆ウイグル自治区に暮らす人々との交流も楽しい。中国の厄介なトイレ事情も。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、地形のカラー画像が多く、やや専門的な本であるが・・・面白そうである。rakutenシルクロード 1万5000キロを往くトルファンのカレーズ沙漠で生き抜くインフラともいえるカレーズを見てみましょう。p46~48<トルファンのカレーズ> トルファン盆地は内陸感想地域に位置していて、夏季の最高気温50℃、冬季の最低気温マイナス30℃と年較差が著しく大きい。「朝は毛皮の服をまとい、昼間には薄ものの服に着替え、日が暮れるとストーブを囲んでスイカを食べる」のことわざがあるように、日較差もきわめて激しい。 年平均気温は約14℃であるが、年間降水量は最高でも50㎜、平均は約17㎜であり、最低記録は2.9㎜であるが、蒸発量は2838㎜にも達するため、灌漑用水の果たすカレーズの役割はきわめて大きい。 私たちはトルファンのカレーズ博物館を見学した。カレーズは中国だけでなく、乾燥地帯で山岳地から伏流してくる地下水を地下水道に流し、さらにそれを導水するシステムである。 中東地域ではガナート(ghanat)と呼ぶようだが、もともとはアラビア語のカナートの転訛したペルシャ語で、さらにそれがカフレーズとかカレーズに変わった。中国語・カンアールチンのカンは穴とか窪地といった意味である。カレーズはペルシャには5千年ほど前からあったといわれている。その後、北アフリカやイベリア半島から西トルキスタン(現在の中央アジア)などに広まり、東トルキスタン(西域・新疆ウイグル地域)に広がったと言われている。 シルクロードのオアシスは、①カシュガルやホータンのように地上河川の水を利用したオアシスと、②自然湧水を利用したオアシス、それと③トルファンの生命線であるカレーズの地下水路を利用したオアシスの3つのタイプに分かれる。 カレーズの建設は中国における三大土木事業の一つとされる。残りの二つとは、①万里の長城、②李ヒョウが建設した都江堰、秦の始皇帝の時代、皇帝の命を受けて史禄が建設した山脈越えの運河霊渠のなかのいずれかであろう。 一つ一つのカレーズの建設は、これほどの大規模な土木事業ではないが、これら①~③よりも古くから営々と築かれている。トルファン市から2㎞のところにあるカレーズ博物館で見るように多数建設され、いまなお命の水として利用されている。この土木事業は、やはり中国古代土木事業の偉大な遺産である。<カレーズと地下水> カレーズは新疆ウイグル地域での呼び名で、中国語ではカンアールチンと呼ぶ。トルファンのカレーズは、天山山脈に降った雨や雪融け水が地下へ浸透し、伏流して地下水となってトルファン盆地へと流下する地下水をうまく取水してきたものなのである。『シルクロード 1万5000キロを往く』1*********************************************************2021.11.28XML『シルクロード 1万5000キロを往く』2https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202111280001/
2024.10.27
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図書館で『ノイエ・ハイマート』という本を、手にしたのです。池澤夏樹さんが著した本で、ウクライナやガザの戦闘もテーマとなっているようで、興味深いのである♪【ノイエ・ハイマート】池澤夏樹著、新潮社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりある日、難民になる。「新しい故郷」を求めて、歩きだす。そんなに遠い世界の話ではないのです。シリアで、クロアチアで、アフガニスタンで、満洲で、生きのびるために難民となった、ふつうの人たち。その姿と心を、てのひらで触れるようにして描きだす。<読む前の大使寸評>池澤夏樹さんが著した本で、ウクライナやガザの戦闘もテーマとなっているようで、興味深いのである♪<図書館予約:(6/29予約、副本?、予約?)>rakutenノイエ・ハイマート「13章」はこの本のタトル「ノイエ・ハイマート」となっているので、見てみましょう。p153~<13 ノイエ・ハイマート> たまたま着いた日の翌日が5月の1日だった。 ロッテと町へ出ると地下鉄の車内に既にもう祝祭感がみなぎっていた。 派手な姿の人々。その色合いの彩度が他の都市に比べて一段と高い。北欧の人たちは冬になるとこれでもかと言わんばかりに原色を身に纏う。白一色の雪の風景に対抗したいという意図がありありと見える。ここは北欧ではないけれど帰ってきた陽光をブルゾンやセーターやTシャツがその色で歓待しているようだった。あるいは薄い生地の半袖のワンピース。実際、その日、陽光は地に満ち溢れていた。 夏の最初の日を祝う。 主要な道路は車を入れず、広い道いっぱいに人があふれ、ゆっくり歩いたり、ただ立ち止まっていたり、誰かと話していたりする。『ノイエ・ハイマート』1:
2024.10.26
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図書館で『ノイエ・ハイマート』という本を、手にしたのです。池澤夏樹さんが著した本で、ウクライナやガザの戦闘もテーマとなっているようで、興味深いのである♪【ノイエ・ハイマート】池澤夏樹著、新潮社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりある日、難民になる。「新しい故郷」を求めて、歩きだす。そんなに遠い世界の話ではないのです。シリアで、クロアチアで、アフガニスタンで、満洲で、生きのびるために難民となった、ふつうの人たち。その姿と心を、てのひらで触れるようにして描きだす。<読む前の大使寸評>池澤夏樹さんが著した本で、ウクライナやガザの戦闘もテーマとなっているようで、興味深いのである♪<図書館予約:(6/29予約、副本?、予約?)>rakutenノイエ・ハイマート「01章」の冒頭から、見てみましょう。p9~12<01 失われた子供たちの海岸> もう15年も前に小さな映画祭で見た映画のタイトルが私の記憶に残っている。映像もおぼろに脳裏にたゆたっているのだが、それもモロッコの砂浜に流浪の子供たちがいるというだけ。まるで空を行く薄い雲の断片のように頼りない。 その映画のタイトルが「失われた子供たちの海岸」。 海岸はわかるとして、なぜあの子たちは「失われた」のか。 探してもDVDなどは手に入らない。 子供たちが帰ってきた。 瀬戸内海のある島の砂浜に、たくさんの子供の像が並んでいる。現実の生きた子供よりはだいぶ小さく、行儀よく真っ直ぐに立っていて、砂と同じ色。砂でできているように見える。埴輪を連想することもできるだろう。 整列しているわけではなく、互いに間を空けて、二百名近くがそれぞれ違う方向を向いている。 みな同じ顔。幼い仏のような柔和な顔。そこに悲しみを読み取ることができるかどうか、それは見る者の心の姿勢による。その意味では彼らの顔は鏡である。 彼らは世界のすべての国からこの海岸に漂着した。 いや、正確には日本と国交のあるすべての国から。しかし、それはともかく、彼らはそれぞれの国で辛い思いをしながら生きている子供たちの代表である。だからみんな体に一連の数字が書かれており、背中の数字は出身国の首都の緯度経度を、胸の数字はそこまでの距離を表わしている。顔はそれぞれの故国の方を向いている。 国の名は記されていない。なぜならば今は国の名、国々を隔てる境界線、国と言うシステムによる保護、などという概念が意味を成さない時代だから。それゆえの子供たちの受難なのだから。(どうして西洋の言葉では「受難」と「情熱」がpassionという同じ単語で表わされるのだろう? 明治期の日本の誰がそれを二つの意味に訳し分けたのだろう? キリストの生涯に関りがあるらしいけれど、私は今それを知らない) 子供たちの像は見た目どうり砂でできている。砂に他の素材を混ぜ、型に詰めて作られた。最後までしっかり立っていられるように、中心には鉄の芯が垂直に通っている。まるでお菓子みたいに米粉と砂糖を混入した砂で作られた彼らの身体は風の強い日には海水のしぶきが飛び交う砂浜にあって少しずつ浸蝕されて表面から剥離してただの砂に戻ってゆく。彼らは数週間に亘って下半身から砂の肉体を失いつづけ、最後には一本の鉄の棒になる。その胸のあたりに取り付けられた鉄のプレートに刻印された文字によってようやく一人一人の身元が知れる。それぞれの出身の国の名が現れる。そして頭があったところには一輪の石膏のバラの花が残る。 こんなに具体的に書けるのには理由があって、これは現代台湾のアーティスト林舜龍によって2016年の瀬戸内国際芸術祭のために小豆島に作られたインスタレーションをそのまま記述したものだからだ。私はその場に行って、砂を踏んで、自分の目で見た。渚に近いあたりの子の下半身はあらかた消滅していた。時間というものの作用が素材と気象の組み合わせによって表現されていた。ものは消えてゆく。しかし生きるものはみなそれに逆らう。生きるというのは時間に消されまいとする意志だ。その意思の主体が個体と呼ばれる。更に個体の意思を超えて種の意思がある。(中略) 渚にはたくさんの力が働く。 国境と同じように。 林舜龍にこれを作らせたきっかけは、トルコの海岸に流れ着いた子供の遺体だった。海を渡ることを試みて失敗した難民の子供の遺体。2015年9月、トルコの海岸に漂着した三歳の男の子の写真が世界を震撼させた。彼の名はアイラン・クルディ。クルド系シリア人の難民でギリシャのコス島を目指した船が難破したのだった。 それは十字架の上のキリストと同じ意味で受難の象徴だった。 たくさんの子供たちが住むところを失ってさまよっている。海路にも陸路にも、砂漠にも深い森にも、あるいは都市の街路、スラムの一室、彼らは座り込んで、じっと待っている。食べるものを、暖かさを、荒々しい抱擁を、言葉を。つまりは普通の生活を。しかし彼らに与えられるのは飢えであり、寒気であり、時にはカラシニコフだ。
2024.10.26
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図書館で『遊牧民、はじめました。』という新書を、手にしたのです。モンゴルといえば、今では大相撲で幅をきかせている民族であるが・・・大草原で遊牧民として暮らしてきた民族であり、興味深いのである♪【遊牧民、はじめました。】 相馬拓也著、光文社、2024年刊<「BOOK」データベース>より地平線の先までずっと続くモンゴルの大草原。そこに生きる“悠々自適”な遊牧民。大自然に囲まれた彼らの暮らしを想像して、一度は憧れたことがある人もいるだろう。しかし、彼らの暮らしは本当に“悠々自適”なものなのだろうか。一度で150㎞にも及ぶ遊牧、マイナス40℃を下回る極寒の冬、家畜という懐事情をご近所に曝け出した生活ー。本書では、そんな遊牧暮らしのリアルを、長年、彼の地でフィールドワークを続けてきた著者が赤裸々に綴る。ときに草原を馬で駆け、ときに大自然に牙を剥かれ、ときに遊牧民たちにどつかれる日々の中で気づいた、草原世界で生き抜くための「掟」とはー?<読む前の大使寸評>モンゴルといえば、今では大相撲で幅をきかせている民族であるが・・・大草原で遊牧民として暮らしてきた民族であり、興味深いのである♪rakuten遊牧民、はじめました。「第5章 ゴビ砂漠の暮らしを追う」で、過酷な砂漠暮らしを、見てみましょう。砂漠は大使のツボでもあるわけだし。p281~285<5-1 砂漠の暮らしを求めて>■モンゴルでもっとも〝辛い〟土地 長年付き合いのあるモンゴル人助手に、「モンゴル国内で一番、環境が厳しくて辛いところに行ってみたい!」と尋ねてみると、「オブス県のテス村ってとこがあるよ」と教えてくれた。オブス湖の東側には、広大な砂漠が広がっており、少なく測っても1万km2、レバノンやキプロス島くらいのゴビが広がっている。しかも「テス」とは「辛い」という意味らしく、これは期待できそうだとなって、2016年7月に訪れることになった。 モンゴルの砂漠というと、南方のゴビ砂漠が思い浮かぶ人も多いと思うが、モンゴル全土で砂漠のような場所はかなり多い。オブス県、ザブハン県、ゴビアルタイ県も、じつは面積の大部分が砂漠だったり荒野だったりする。モンゴルでの研究では、「人類の極限環境への適応」をテーマにしていたので、砂漠や礫砂漠への適応などの解明に期待が膨らんだ。 そしてテス村に着いて、この場所の本当の辛さがわかることになった。テス村の北側を流れるテス河から「蚊」の大群が無数に生み出されるのだ。ロシア国境に近いオブス県は、「酷寒県」としても知られているが、まさか全国有数の蚊の大発生地帯でもあったとは、当初の意図した「辛い場所」とは、少々趣の異なる生活困難地にくることになってしまった・・・。 この土地での暮らしは本当に辛いことがよくわかる。シベリア圏特有の見たこともないくらいの巨大な蚊が飛び回り、服の上からでも平気で刺してくる。テス村の中心集落に着いたのは17時頃だったが、車輛を降りた瞬間から蚊の大群に取り囲まれて、鼻の穴にも口のなかにも飛び込んできて、薄明薄暮の時分にはとても外で滞在できるものではなかった。全体的に辛い場所が多いモンゴル国内にありながらも、「人間と家畜の双方がもっとも生活困難な場所」と形容されるわけである。 蚊の活動が活発となる早朝や夕暮れ時には、畜糞をいぶした蚊よけや虫よけから立ち上がる煙があちこちで見られた。家屋の入口や窓、ゲルの入口にすら網戸が設けられており、夕刻にはその網戸にも外が見えなくなるほどの蚊が張りつくようになる。 現地では「白いヒツジが黒くなっていたが、よく見ると蚊の大群がヒツジにとまっていた」という冗談まである。ただ、これはあながち冗談とも言えず、蚊の飛来期である7~8月には、まるで黒い煙が漂っているかのように、蚊の大群が草原の空を埋め尽くす。白いゲルも蚊の付着で、くすんで見えてしまうこともある。そして、蚊は人間と家畜の双方を刺すため、家畜への影響も深刻であるのだ。「テスの夏牧場じゃあさ、家畜が蚊を嫌がってあちこちに歩き回るもんで、すっかり体力を使い切ってぐったりしていくんだよね。とくに(蚊の来ない)風が吹いている場所とか、風上を目指して勝手に移動したがるんだよ」 ゆえに、小家畜たちの群れの統制がきかなくなり、とくに夕暮れの集約のときには群れがつねに蚊で攪乱されているような状態に陥る。蚊を厭がって歩き回るヒツジとヤギの群れを、頻繁に宿営地付近へとどめる牧童たちの叫び声や騎馬放牧も、コミュニティのあちこちで見られた。『遊牧民、はじめました。』4:遊牧暮らしのイロハ『遊牧民、はじめました。』3:遊牧民の心『遊牧民、はじめました。』2:遊牧民の心模様『遊牧民、はじめました。』1:第一章の冒頭
2024.10.25
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図書館で『遊牧民、はじめました。』という新書を、手にしたのです。モンゴルといえば、今では大相撲で幅をきかせている民族であるが・・・大草原で遊牧民として暮らしてきた民族であり、興味深いのである♪【遊牧民、はじめました。】 相馬拓也著、光文社、2024年刊<「BOOK」データベース>より地平線の先までずっと続くモンゴルの大草原。そこに生きる“悠々自適”な遊牧民。大自然に囲まれた彼らの暮らしを想像して、一度は憧れたことがある人もいるだろう。しかし、彼らの暮らしは本当に“悠々自適”なものなのだろうか。一度で150㎞にも及ぶ遊牧、マイナス40℃を下回る極寒の冬、家畜という懐事情をご近所に曝け出した生活ー。本書では、そんな遊牧暮らしのリアルを、長年、彼の地でフィールドワークを続けてきた著者が赤裸々に綴る。ときに草原を馬で駆け、ときに大自然に牙を剥かれ、ときに遊牧民たちにどつかれる日々の中で気づいた、草原世界で生き抜くための「掟」とはー?<読む前の大使寸評>モンゴルといえば、今では大相撲で幅をきかせている民族であるが・・・大草原で遊牧民として暮らしてきた民族であり、興味深いのである♪rakuten遊牧民、はじめました。「第2章 草原世界を生き抜く知恵」で、遊牧暮らしを、見てみましょう。p119~122<2-3 遊牧暮らしのイロハ>■束の間の安らぎ こうして移動してきたツンヘル・ノール夏牧場には、およそ40世帯が方々からやってきて、ひと夏を過ごす。この場所にはウリャンカイ、トルグート、カザフの3民族が混在する、西モンゴルでも珍しい民族複合の大夏牧場である。毎日、美しい霊峰ムンフハイルハンの南麓を眺めながら、家畜と遊牧民の行動調査に終始する生活が、それからおよそ4ヶ月続いた。 毎朝家畜とともに家を出て、その後ろをついてゆき、高原でカバンにしまっていた揚げパン(ボールツォグ)と乾燥チーズ(アーロール)、チョコレート、クッキーなどで昼食を済ませ、18時前後には宿営地へと戻ってくる。ウマが借りられればありがたいのだが、つねに借りられるわけではない。遊牧民とウマは切っても切り離せないイメージがあるが、乗用できるウマがつねに宿営地付近にいるとは限らない。 馬群は夏のあいだはたいてい、高原や遠方の草地に勝手に草を食べに行ってしまうからだ。また、単純に貧困層で乗用のウマを持っていないことも多い。 モンゴル西部の草原暮らしとは、本当に気の休まらないことばかりである。遊牧民にしても、心にも、体にも、堪えるものがある。しかし、夏牧場で過ごす日々は、遊牧民にとって特別の意味を持っている。 7月の全国各地で開催されるナーダムも、遊牧民たちが心待ちにしている祭りで、県や村レベルだけではなく、集落やコミュニティごとでも開催される。夏牧場で出会う牧童たちの顔はほころび、普段は人当たりが悪く険しい顔つきの人たちも、どことなくその険が顔から抜けてほころんでおり、言葉や態度にも軽やかさがある。 それでも、夏牧場での滞在は短く、調査地で調べてみたところ平均滞在日数は77.1日(21.1%)でしかなかった。つまり、この心穏やかになれる貴重な時期は、1年間のうちたった1/5しかない。かじかむ寒さや、家畜が行き倒れる不安や、せわしない労働や喧騒から解放される束の間の憩いとして、遊牧民の精神文化のなかでは、なくてはならない癒しと救いの安寧の地として理想化されている。 都市や集落に暮らす定住者たちも、夏になるとわざわざ軒先に天幕を建てて、アパートや家屋の部屋から暮らしを移すことがいまもよく行われている。これは、すがすがしい夏牧場の暮らしを再現した、ささやかな伝統への回帰を意味しているのである。■遊動の極意 草原での生は五感をフル活用する生き方が求められる。「なぜほかの遊牧民がいた場所にわざわざ移動してきたのだろう?」「なぜ、定まった日に移動するのではないのだろう?」。かつて遊牧民の移動に「合理性」を見いだせずに疑問を抱いていた遊牧民研究者には、おそらくその五感を用いた知覚は伝わらなかったようだ。 遊牧には、日本でいうヤマザクラ、コブシ、タムシバのような農諺木があるわけではない。移動のタイミングや移動地は、それまでの天候や雨量、雲行きや家畜の行動など、さまざまな日々の森羅万象に耳目を研ぎ澄まして決められる。 他人が放牧していた牧草地にわざわざきて幕営するというのも、ある意味では合理的な戦略でもある。その地点の牧草でヒツジやヤギの腹をふくれさせるというよりも、風雪をしのげる、蚊がこない、オオカミが少ない、草中毒を起こす草が少ない、ほかの牧童たちがいたから安全なはずだ・・・など、たくさんの理由が遊牧民目線だと見えてくる。 家畜自身が、そこに移動したがったからというのも十分にあり得る。家畜の行動そのものが、季節移動の判断に大いに影響することがあるのだ。「ウマの行った方角に移動する」「シカやアイベックスが移動してきたら、その場所は暖かい冬になる」「晩夏にヒツジが幕営地から斜面を降りていったら、上空は寒くなる」「ニガヨモギが草原に増えて高く成長すると、その冬は大雪の予兆」「木の葉が樹木の下方から紅葉すると、その冬は非常に寒くなる」 彼らの言葉からは、自然環境に加えて家畜や野生動物の行動をつぶさに観察し、自らの行動判断に落とし込んでいるのがよくわかる。『遊牧民、はじめました。』3:遊牧民の心『遊牧民、はじめました。』2:遊牧民の心模様『遊牧民、はじめました。』1:第一章の冒頭
2024.10.25
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図書館で『遊牧民、はじめました。』という新書を、手にしたのです。モンゴルといえば、今では大相撲で幅をきかせている民族であるが・・・大草原で遊牧民として暮らしてきた民族であり、興味深いのである♪【遊牧民、はじめました。】 相馬拓也著、光文社、2024年刊<「BOOK」データベース>より地平線の先までずっと続くモンゴルの大草原。そこに生きる“悠々自適”な遊牧民。大自然に囲まれた彼らの暮らしを想像して、一度は憧れたことがある人もいるだろう。しかし、彼らの暮らしは本当に“悠々自適”なものなのだろうか。一度で150㎞にも及ぶ遊牧、マイナス40℃を下回る極寒の冬、家畜という懐事情をご近所に曝け出した生活ー。本書では、そんな遊牧暮らしのリアルを、長年、彼の地でフィールドワークを続けてきた著者が赤裸々に綴る。ときに草原を馬で駆け、ときに大自然に牙を剥かれ、ときに遊牧民たちにどつかれる日々の中で気づいた、草原世界で生き抜くための「掟」とはー?<読む前の大使寸評>モンゴルといえば、今では大相撲で幅をきかせている民族であるが・・・大草原で遊牧民として暮らしてきた民族であり、興味深いのである♪rakuten遊牧民、はじめました。「第2章 草原世界を生き抜く知恵」で、遊牧民の心を、見てみましょう。p74~77<2-1 遊牧民のふるまいと流儀>■遊牧民の心をつかむ 草原世界にはかつて、季節移動している見ず知らずの遊牧民を、ゲルに呼んでお茶をふるまう牧歌的な文化があった。しかし、この20年間でそうした文化も変わり、モンゴル人と田舎の〝フドゥ〟を調査で巡っていて、遊牧民に道を聞いたり、訪問したりするときにも、お茶をふるまってくれるような草原の礼節に接することはめっきり少なくなった。 遊牧民訪問にもそれなりの流儀があり、気難しい彼らの心をつかむ手順がある。・手土産・酒盛り・一芸披露 まるで早大時代の飲み会へ遅れて参加していくような準備であるが、大真面目な話なのだ。モンゴル社会には癖の悪い飲酒文化があるため、どうしても酒席を避けて通ることはできない。 手土産は、県庁所在地〝アイマグ〟の街のスーパーに売っているジュースやチョコレートが喜ばれる。夏牧場や冬牧場からだと、小さな商店に赴くのもなかなか難しいからだ。 そして厄介なのが、必ずウォッカ数瓶が必要となることだ。好まれるのはハラーやチンギスのような手堅い銘柄だ。ただ、こうした贈呈酒は、酒席が始まれば結局は自分自身で飲まなければならなくなる。ウォッカの美味さや味がわかるほど酒飲みでもないので、正直言ってどうにも購入に気が進まないことが毎回であった。 日本からの土産では、どういうわけかチョーヤの梅酒が大人気で、わざわざ向こうからお土産に持ってきてくれと指定されることもある。わかりやすい甘みが、モンゴル人の嗜好に合うようだ。文房具や駄菓子など、子どもへのお土産も歓迎される。 フィールド調査で100世帯以上を回るようなときは、キャンディー数種類を箱買いして、小袋に分けてインタビューの訪問時に手渡したものである。初日の宿での仕事はたいてい、助手たちと箱買いキャンディーを袋に小分けする作業から始まる。女性と子どもを味方につけられるかが、調査の成否に関わる何よりも重大な事柄であるので気は抜けない。ここで手を抜くと、その後の調査やラポール構築を円滑に進められなくなってしまう。 筆者の調査は基本的に「ドラクエ式」なので、まったく見ず知らずの遊牧民に話しかけ、道端で捕まえて、家にお邪魔し、通りすがりの車を停めて・・・といった具合にランダム・サンプリングしている。そもそも草原の遊牧コミュニティは人口密度が低く、現在でも1km2にせいぜい2人足らずといったところだ。東京23区の人口密度が1km2あたり1万5591人なので、約7000分の1ということになる。 そのため、社会調査のデータ・サンプル数を増やす観点からも、偶然の出会いがフィールド調査では欠かせない。どんな偶然の出会いだろうと逃がさず、疎まれながらも遊牧民を捕まえ続けて、結局10年間で3000人くらいには話を聞くことができたと思う。かつて川喜田先生が、「民族誌(エスノグラフィ)とはご縁で記すもの」と語っていたことが思い起こされる。 エスノグラフィとは、比較的小さな民族や社会集団の、さらに特定の文化や行為や信仰などについての叙述かつ、陳述を交えた生き様の記述だ。偶然に出会った人々の、暮らし、文化、態度、言動、馴れ初めといった生活世界を体感したエスノグラファー個人の記述こそが、民族誌そのものなのである。 すべてのエスノグラファーには、すべて異なるエスノグラフィがある、そもそも、エスノグラフィを標準値や中央値として扱うことには無理があり、エスノグラフィを民族集団や社会全体の傾向ととらえようとすることも、いわばナンセンスなのである。『遊牧民、はじめました。』2:遊牧民の心模様『遊牧民、はじめました。』1:第一章の冒頭
2024.10.24
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図書館で『遊牧民、はじめました。』という新書を、手にしたのです。モンゴルといえば、今では大相撲で幅をきかせている民族であるが・・・大草原で遊牧民として暮らしてきた民族であり、興味深いのである♪【遊牧民、はじめました。】 相馬拓也著、光文社、2024年刊<「BOOK」データベース>より地平線の先までずっと続くモンゴルの大草原。そこに生きる“悠々自適”な遊牧民。大自然に囲まれた彼らの暮らしを想像して、一度は憧れたことがある人もいるだろう。しかし、彼らの暮らしは本当に“悠々自適”なものなのだろうか。一度で150㎞にも及ぶ遊牧、マイナス40℃を下回る極寒の冬、家畜という懐事情をご近所に曝け出した生活ー。本書では、そんな遊牧暮らしのリアルを、長年、彼の地でフィールドワークを続けてきた著者が赤裸々に綴る。ときに草原を馬で駆け、ときに大自然に牙を剥かれ、ときに遊牧民たちにどつかれる日々の中で気づいた、草原世界で生き抜くための「掟」とはー?<読む前の大使寸評>モンゴルといえば、今では大相撲で幅をきかせている民族であるが・・・大草原で遊牧民として暮らしてきた民族であり、興味深いのである♪rakuten遊牧民、はじめました。「第一章 遊牧民に出会う」で、モンゴル人の心模様を、見てみましょう。p50~53<1-3 遊牧民の心模様>■口にしてはいけない言霊の呪縛 モンゴル人の心模様をより深く掘り下げてみると、これまでの苦行にも似た経験には、筋道だった理由もあるように見えてくるようである。たとえば、モンゴル人は現在でもとても信心深く、超自然的現象を大真面目に信じている。暮らしのなかにたくさんの禁忌(タブー)があるのもそのせいなのだ。なかなか、ついて行きにくいものもあるが、たとえば次のSNS禁忌は、若者たちにかなり真面目に信じられている。「知ってる? FacebookやInstagram に載せた写真から、指紋や虹彩が読み取られて、銀行口座やスマホの生体認証が突破されるから、気をつけなね」 そのため、瞳の写った顔のアップや、指先が明確に写るような写真は撮ったらダメで、もちろんピースもしないほうがいい・・・と教えてもらったことがある。ほかにも、モンゴル全国にはパワースポットとされているところが多いが、その「霊力」は電話越しに伝達するとも考えているらしい。「パワースポットから親族や友人に電話をかけると、電話越しにそのパワーを受け取れるんだよ。お前いろんなとこ行ってるじゃん。オトゴン・テンゲル山やハムリーンヒード寺院に行ったら、俺に電話をかけてくれよ!」 こうした畏れと信仰の現代的解釈は、日常会話で頻繁に話題に上がる。彼らはデジタル化社会をモンゴル流の世界観から再解釈しており、これらは日々新たな信仰と忌避の体系が再生産されている一例といえる。つまり、一般に「迷信」とされる信仰や畏れが、現在でもモンゴル人の行動指針や判断に大きく影響していることがわかる。 その例をほかにもいくつか紹介しよう。オブス県の夏牧場では、干ばつによって牧草地がカラカラに乾燥して劣化してしまった理由が、次のように説明されていた。「ヒャルガス湖の北の草原じゃあさ、道路を作るときに中国人の技術者や労働者が、工期中に雨が降らないよう、ブタの頭をアスファルトの下に埋めたんだよ。だからこの地方はそれ以来、日照りが続くようになっちまったんだ。道路の下じゃもう掘り出せもしないし、まったく中国人どもは憎たらしいぜ・・・」 ムンフハイルハン山麓では、次のようなこともつぶやかれていた。「昔な、山で鳥葬にされた老婆のシャーマンがいたんだよ。その老婆の脊椎や骨盤には特別な力があってねぇ。それを知ったオブスの若衆がきて、こっそりみんな地元に持ち去ってしまったんだよ。すさまじい霊力の宿る遺骨だったんだがね・・・。オブス県のドゥルブド氏族のあいだでは、強いブフ(力士)が輩出されるだろう。初代大統領もオブス出身だろ。みんなシャーマンの老婆の遺骨のせいなんだよ。それ以来ね」 ほかにも、口にすることが憚られる禁忌語彙の使用には、老若男女でかなり神経質な一面が見られる。遊牧コミュニティで暮らしていると、次のようなタブーを口にすることが、日常生活ではとくに戒められる。「霊峰ムンフハイルハンの山名を口にしてはいけないよ。〝ツァスト・オール(雪山)〟と呼びなさい」「ここじゃ〝イルビス(ユキヒョウ)〟とは口に出しちゃいかんよ。〝ツオーホル・バル(斑のあるトラ)〟と言わんかね」「チョン(オオカミ)なんて口にすんなよ。とくに夜はさ。やつらが家まできちまうんだからな」「(ゴビのラクダ遊牧民は)ラクダを食べますなんて決して言わないよ。〝ウンドウル・ヤマー(背の高いヤギ)〟を食べる、と表現するんだ」「お前いまなんて言った? 〝ホニーナエル(家畜同士の混合事故)〟なんて言ってなかったか? やめてくれよな~。うちで起こっちまったならどうすんだよ!」 言霊による超自然現象の発声は、かなり真面目に信じられており、それは生活の中に深く、深く、溶け込んでいる。遊牧民の皆さんから言わせると、筆者はフィールドでは湿原ばかり、ということになるわけで、草原の暮らしではよく戒められた。 とくに田舎の牧夫(「夫」とあるが、以下、女性も含む)にとって、禁忌表現は極度に忌避されている。草原には、草原なりの礼儀や作法があるのだ。筆者がよくトラブルに巻き込まれたことも、こうした禁忌を犯した言動によって、彼らを怒らせてしまったのが原因とも十分に考えられるわけである。『遊牧民、はじめました。』1:第一章の冒頭
2024.10.24
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?残暑厳しき折りなんて言っていたが・・・このところの夜間の暑さにかまけていて、霜降という節季に気づくのが遅れていたのです。『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたり小春日和この本で、霜降(そうこう)のあたりを見てみましょう。和暦p26<霜降>冬隣りの節気。木枯らし一番も吹き始める 「霜降」は、現行の暦では10月23日ころ第1日目を迎え、「立冬(11月6日ころ)」に入る前日までの期間を言う。 「霜降」に入るころは、朝晩の冷え込みが厳しくなり、暮れる時間が早まってくる。さらに早朝の散歩を楽しませてくれた露は、寒気により霜となって降り始める。この情景を『暦便覧』では、「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆえ也」と説明している。 「霜降」から立冬過ぎまでは、恒例の年中行事が目白押しだ。「酉の市」、「七五三」、「十三夜」、「紅葉狩り」など。 これに加えて、節気末から立冬にかけては、冬の到来を告げる「木枯らし一番」が吹き始める。 一方、陰暦10月の異称のひとつに「小春」というのがある。冬の季語にもなっている言葉だ。これは、冷気が一段と強まり、「冬隣り」の感じの気候が続くなか、晴れた日に春のように暖かい日になることがあり、ここから、「小さな春」の意味を持たせ付けられた名である。「小春日和」ともいう。同じ意味合いで「小六月」も陰暦10月の異称だ。「霜降」の期間の七十二候には、「霜始降(しも、はじめて、ふる)」霜が降り始める「霎時施(こさめ、ときどき、ふる)」小雨がしとしと降る「楓蔦黄(もみじ、つた、きばむ)」もみじや蔦が黄葉する、がある。 また西洋占星術では、「霜降」の第1日目が天蠍宮(さそり座)の始まりとなっている。ウーム 「小春日和」というのは、10月よりは、2月、3月の方がよりぴったりするんやけどなあ。二十四節季の寒露に注目(復刻)二十四節季の寒露に注目
2024.10.23
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『宮崎駿の雑想ノート』(復刻2)飛行機や戦記ものに造詣が深い宮崎駿さんであるが・・・以下のとおり、以前の日記を復刻してみます。*********************************************************軍事関係オタクのような宮崎駿さんは、オタク的作品を雑草と呼んで謙遜するがいやどうして、それらこそが主要テーマなのかもしれないですね。・・・ということで、以下のとおり復刻してみます。*********************************************************図書館に予約していた『宮崎駿の雑想ノート』という本を、図書館に借出し予約して4日後にゲットしたのです。なかを覗くと、これが全ページ漫画、それも戦記ものというレアなつくりでおます♪【宮崎駿の雑想ノート】宮崎駿著、大日本絵画; 増補改訂版、1997年刊<「BOOK」データベース>より宮崎駿の、目も眩む雑学と妄想の世界!アニメ映画風の谷のナウシカ、となりのトトロ、もののけ姫の監督、宮崎駿が、その豊富な知識と妄想で構築した超趣味的世界!兵器と人間が織り成す、バカバカしい狂気の情熱を描いた、珍奇なる物語13編。大ヒット映画「紅の豚」の原作、「飛行艇時代」を収録。<読む前の大使寸評>なかを覗くと、これが全ページ漫画、それも戦記ものというレアなつくりでおます♪<図書館予約:(7/07予約、7/11受取)>amazon宮崎駿の雑想ノート1ダースもの高射砲塔が見られる場所を、見てみましょう。p43~46第7回 高射砲塔 第二次大戦中に建設されたベルリンの高射砲塔は有名である。しかしリュースベルクという聞いたこともない町に建てられ、連合軍のパイロット達に『ど田舎のトゲ』と憎しみをもって語られた高射砲塔について知る人は少ない。 リュースベルク・・・人口3万にもみたない平和な小都市が、Uボートの魚雷のエンジンとホーミング装置のすべてをまかなう工場をもったために、重要な戦略目標になってしまったのであった。 折りしも1943年、英国の夜間爆撃は次第に激しさを増し、魚雷生産の確保は重要課題のひとつになった。しかし、城壁にかこまれた同市と工場は、森におおわれた低地に突出した台地の上にあり、防空部隊が何処に砲座をすえても、射角がいちじるしく制限されてしまう。この難問にとり組んだのが左の男(エルンスト・ジグラー博士)であった。 高射砲塔の建設が彼の答である。彼はドイツ式完全主義で、この小さな町を1ダースもの高射砲塔と射撃管制塔ですき間なく固めるというプランを提出した。 おどろくべきは、この土建屋万才的計画が承認され、しかも、建造中止となった新造艦のための最新式砲が、このど田舎にふりわけられたことであった。『宮崎駿の雑想ノート』2:高射砲塔が見られる場所『宮崎駿の雑想ノート』1:序文*********************************************************■2024.01.06XML『宮崎駿の雑想ノート』(復刻)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202401060002/
2024.10.23
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図書館で『サル化する世界』という本を、手にしたのです。内田先生の著書は数多く読んできたが・・・外れが少ないのが売りなので、興味深いのである♪【サル化する世界】内田樹著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より現代社会の劣化に歯止めをかける、真の処方箋!堤未果氏との特別対談も収録。【目次】1 時間と知性/2 ゆらぐ現代社会/3 “この国のかたち”考/4 AI時代の教育論/5 人口減少社会のただ中で/特別対談 内田樹×堤未果 日本の資産が世界中のグローバル企業に売り渡されるー人口減少社会を襲う“ハゲタカ”問題<読む前の大使寸評>内田先生の著書は数多く読んできたが・・・外れが少ないのが売りなので、興味深いのである♪rakutenサル化する世界堤未果との対談で「老後2000万円」問題が語られているので、見てみましょう。p283~287<「老後2000万円」問題に隠された思惑>内田:人口減少社会で年金制度が持続できるか不安視する声が高まっています。最近、金融庁が発表した「老後2000万円不足」問題がネット上でも話題になりました。麻生(太郎・財務)大臣は「報告書読まない、受け取らない」として問題をもみ消そうとしていますが、そもそも「100年安心」を掲げていたことに無理があった。この先の人口減少を考えたときに、よくこんな嘘をつけたなと思います(笑)。 とりあえず「向こう15年くらいは安心」あたりを目指し、状況が変わったら、そのつど新しいファクターを取り込むことのできる、フレキシブルで復元力のあるシステムを作った方がよほど現実味があったんですけどね。堤:現行の年金制度は、経済成長し続けることが前提で設計されている上に、当初より平均寿命も20年以上伸びている。あのとき予想していなかった少子高齢化など、状況が大きく変わっているのにどの政権も触りたがらず、ずっと後回しにしてきましたね。 恩恵を受けている高齢世代が高投票率で、しわ寄せを受ける若年層の投票率が低い状況が、この問題をさらに悪化させています。選挙前のこの時期に触るなと言わんばかりに、大臣が報告書を受取拒否して炎上する姿はまさに象徴的でした。 本当は今のライフスタイルも社会制度も根本的に考え直さなければいけない、この国にとってとても重要なテーマなのに、政治的にごまかされてしまう。2007年の選挙では「消えた年金」問題が争点になりましたが、あれもうやむやのままですよね。内田:消えた年金といえば、僕が大学を退職するときに総務に年金の資料をもらいにいったら、神戸女学院時代の21年分しか記録がなくて、それ以前の、会社で5年間、都立大の助手を8年間やっていた期間の支払いがすべて消えていたのには驚きました。自分で会社をやっていた5年間の年金記録が消えていたのはわからないでもないけれど、公務員時代の年金記録まで消えていたのにはびっくりしました。「どうすればいいの?」って訊いたら、「在職して年金を支払っていたという証明書をもらってきて、手続きしないとダメでしょうね」っていうんです。「でも、僕の勤めていた大学、もうなくなっちゃったんですけど・・・」(笑)。 そういう場合はどこに行ったらいいのか訊いても、「さあ・・・」と言われて。冷たいもんですよ(笑)。めんどくさいので、僕、年金貰ってないんです。堤:ひどい・・・信じられない話ですね。最後の結論が潔いけれど(笑)。「記録が消える」「統計ミス」などは国の機関にとって重大な欠陥ですが、その後の年金データの処理が下請けの外国企業に委託されるなど、ずさんな扱いをしているのが気になります。 2000万円問題に戻ると、あの報告書を読むと、高齢夫婦無職世帯の平均貯蓄額は2484万円と書かれていますが、平均だから当然その中に格差があり、2000万円という数字だけ見るとゾッとしますよね。厚生年金加入者が2000万円なら国民年金加入者は5000万円以上足りなくなるなど、国民が不安になったところに金融庁から「とにかく早い段階から資産形成を」と促されている。金融庁の本命はあのぶぶんでしょう。内田:今の高齢者はある程度の個人資産を持っているかもしれませんけれど、現役世代が普通に働いて2000万円貯めるのは難しいと思います。定期預金の金利はほぼゼロですから、貯金してたら資産形成なんてできない。だから、あれは要するに「株や不動産を買って、投機的なふるまいをしろ」って国民を脅しつけているってことですよね。一般市民を賭場に引きずり出して来て、「さあ、張った張った」と煽っている。『サル化する世界』2:フランスのヴィシー政府『サル化する世界』1:中国が怖い
2024.10.22
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図書館で『遊牧民、はじめました。』という新書を、手にしたのです。モンゴルといえば、今では大相撲で幅をきかせている民族であるが・・・大草原で遊牧民として暮らしてきた民族であり、興味深いのである♪【遊牧民、はじめました。】 相馬拓也著、光文社、2024年刊<「BOOK」データベース>より地平線の先までずっと続くモンゴルの大草原。そこに生きる“悠々自適”な遊牧民。大自然に囲まれた彼らの暮らしを想像して、一度は憧れたことがある人もいるだろう。しかし、彼らの暮らしは本当に“悠々自適”なものなのだろうか。一度で150㎞にも及ぶ遊牧、マイナス40℃を下回る極寒の冬、家畜という懐事情をご近所に曝け出した生活ー。本書では、そんな遊牧暮らしのリアルを、長年、彼の地でフィールドワークを続けてきた著者が赤裸々に綴る。ときに草原を馬で駆け、ときに大自然に牙を剥かれ、ときに遊牧民たちにどつかれる日々の中で気づいた、草原世界で生き抜くための「掟」とはー?<読む前の大使寸評>モンゴルといえば、今では大相撲で幅をきかせている民族であるが・・・大草原で遊牧民として暮らしてきた民族であり、興味深いのである♪rakuten遊牧民、はじめました。「第一章 遊牧民に出会う」の冒頭で、著者の体験したひどい時代を、見てみましょう。p21~25<1-1 「荒くれ者のモンゴル人」は本当か?>■ダークエイジに学者を目指す 学者を志した90年代のはじめは、本当にひどい時代だった。 小学校の頃に、世界中を旅できる仕事は何かと考えていたときに、考古学者だとか、地理学者しか思い浮かばず、親や先生にそれとなく相談してみると、「やめときなさい!」「お前になんて無理だから!」「バカな夢を思い描きなさんなっ!」「公務員が一番だよ!」 と、一刀両断で反対されるという・・・子どもの人格陶冶が完全にあと回しにされる余裕のない時代だったものだと振り返る。 のちに「失われた〇〇年」とか「ロスジェネ」だとかと呼ばれる、バブル崩壊にはじまる日本の暗黒期の黎明である。大人の悲壮感がひしひしと子どもにも伝わってくる、そんな時代だった。子どもながらに現世はただ事ではないぞ、と。そもそも、中学生が終わる頃になると、先生からも、両親からも「お前たちは大学出ても就職なんてできないから、覚悟しておけよ!」としばしば言われたのを憶えている。いま思い返すと、心ない言葉である。 80年代後半から90年代にかけては学校にも、家庭にも、社会にも優しさのない、「ダークエイジ」といってよかった。小学生が終わる頃には天安門事件で罪のない人々の無情な死を新聞で見せつけられ、90年には湾岸戦争が連日テレビで放送された。それからも、阪神・淡路大震災が起きたり、地下鉄にサリンがまかれたり、山一證券や日産生命がつぶれたり、まったく大人は物騒な経済話しかしていなかったと記憶している。 なるほど、『ベルセルク』のガッツのような不幸まみれのキャラや、堤シンジ訓のような、絶え間ない人格の肯定と否定を繰り返す不安定なキャラが生み出されるわけである。90年代で唯一の救いといえば、漫画版の『風の谷のナウシカ』が完結したことだろうか。まったくひどい時代だった。 学者を目指すことは、きっとどんな時代にも制限や制約があったに違いない。それでも、90年代に学者を目指すことほど、社会があと押ししなかった時代もなかったのではないだろううか。とくに人文系の地理学者のような仕事には・・・。■いまなお変わらないモンゴルの印象 はじめてのモンゴルとの出会いは、高校一年生のときだった。1993年の夏に、鳥取大学名誉教授(当時)の遠山正栄先生が実施していた「緑の協力隊」(確か第3次隊)で、中国内モンゴル自治区のオルドス砂漠に植林のボランティアに赴いたのが最初だ。母親に勧められての渡航で、正直言うとあまり気の進まない旅だったと記憶している。 それから十数年を経て、モンゴルでの研究を着手しはじめてからも、やはり気の進まないと黄河多く、高校生のときからの変わらぬ印象と不思議な縁を感じることがあった。 はじめて自力でモンゴル調査に乗り出した2000年代初めには、ありとあらゆる暴力が渦巻く世紀末のような世界だったことをいまも忘れていない。それはまさに90年代に日本で経験した、社会を渦巻く悲壮感と近しい雰囲気も感じられた。筆者の目にしたモンゴル遊牧民とは、次のような印象だった。 大柄でがさつな反面、心は繊細でもろく、よくしゃべるかと思うと、自分のことばかりで面白みのない口下手で、「現代的な」人間付き合いが苦手な上に、寂しがり屋で人に甘えてばかりいる・・・。 そして、フィールドでモンゴル人たちとの付き合いが深まるほどに、「どうしてそこまでガリガリ亡者になれるのだろう? どうして話し合いができないのだろう? どうしていきなり実力行使なのだろう?」と思うことも多々あった。当時はむしろ、そんな風に思わないほうがおかしかったのだ。
2024.10.21
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朝日の(三谷幸喜のありふれた生活)シリーズをスクラップしているのだが・・・デジタルデータとダブルで保存するところが、いかにもアナログ老人ではあるなあ。三谷さんが、三谷映画の脚本苦労話を語っているが・・・興味深いのです。2024.10.17より 興行通信社調べによる十月最初の週末の映画動員ランキング。一位と十位がアメリカ映画。三位、五位、七位、八位、九位がアニメ。四位が韓国のドキュメンタリー。そして二位と六位が邦画の実写映画。この六位が「スオミの話をしよう」である。 * 累計で動員が百十万人。興行収入は十五億円に到達。大掛かりなロケもない地味な台詞劇ではあるが、大勢の方に楽しんで貰(もら)えて感謝しかない。もちろん二位の「ラストマイル」は超大ヒット。「スオミ~」の何倍ものお客さんが入っている。とはいえ、十億を突破すれば成功といわれている今の邦画界で、「スオミ~」は大健闘だと思う。 なにより嬉しいのは、「ラストマイル」も「スオミ~」もオリジナル脚本だということ。小説や漫画の原作があるわけでもなく、テレビドラマのスピンオフでもない。「ラストマイル」は同じ脚本家が書いた別のドラマの登場人物が登場することが売りの一つになっているが、これはシェアード・ユニバースと呼ばれる手法で、スピンオフとは別物。しかもそれは「ラストマイル」の売りの一つでしかない。 動員トップテンに映画のオリジナル作品が二つも入っていることを、脚本家として心から誇りに思う。自分の作品の方が上位だったらもっと良かったけど、それは忘れることにする。 * 複数の作品と世界観を共有する、このシェアード・ユニバースという言葉。僕は最近知りました。十九世紀のフランスの文豪オノレ・ド・バルザックは、一つの小説の登場人物が別の作品にも現れて、多くの小説がモザイクのように結びつく「人間喜劇」と呼ばれる壮大な世界を作りだしたが、これなどはシェアード・ユニバースの走りだろうか。 この種の趣向は僕も大好きで、だいぶスケールは小さくなるけど、自作のドラマ「振り返れば奴がいる」の重要な登場人物の一人、天真楼病院外科部長の中川先生は、「古畑任三郎」で殺人を犯して古畑警部補に逮捕された。「ラストマイル」の成功でポピュラーとなったこの手法、いつか僕もまた使ってみたいです。 さて、「ラストマイル」の脚本家は野木亜紀子さん。僕より下の世代の脚本家で、これまでも「逃げるは恥だが役に立つ」や「アンナチュラル」といった数多くの名作、話題作を発表している。僕は自分のことを脚本家と名乗ってはいるけれど、作品数でいえば彼女の足元にも及ばない。野木さんは原作ものも手掛けるけれど、オリジナルが多いのが素晴らしい。初めて観た彼女の作品は「逃げ恥」。台詞とドラマとしての話の運びの巧さに驚愕した。 * 一度、何かの授賞式でお会いして、連絡先を交換。話が合いそうだったので食事をしようということになったけど、お互いのスケジュールが合わずにそれっきり。ぜひ実現しましょう、野木さん。僕にとっては、大石静さんと井上由美子さんに続く、脚本家友達になれそうな気がします。 ちなみに僕はまだ「ラストマイル」は観てない。悔しいから観ないかもしれません。(三谷幸喜のありふれた生活1083)広常と泰時、不思議な偶然>2022.04.21(三谷幸喜のありふれた生活984)答えのない問いの中で2022.03.31
2024.10.20
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「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、西加奈子さんは♪で区別します。今回表示分は*)*自由の森学園創立40周年記念講演「教育と自由」*「パンとサーカス」解説・共感ベース社会の陥穽・死ぬってどういうことですか?・2024年度寺子屋ゼミのテーマは・箱根の温泉で感じた中国のリアル・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その70):『自由の森学園創立40周年記念講演「教育と自由」』を追記2024-10-11自由の森学園創立40周年記念講演「教育と自由」より 僕は長く神戸女学院大学というところの教師をしておりました。神戸女学院は中学から大学まである女子校ですが、ここも卒業生たちの愛校心に驚かされました。ほんとうに小さい学校なのですが、歴史が長いので同窓会員が3万人ぐらいいます。この3万人の方たちが学校のあり方に大きな影響力を発揮している。 僕は同窓生が母校の教学や経営に関して発言することは決して悪いことだとは思わないんです。むしろ好ましく思っていました。というのは、同窓生は「母校が変わらないこと」を願うからです。自分が卒業した学校がそのあとどんどん変わって、キャンパスが移転し、カリキュラムが変わり、卒業した学科や学部がなくなる...ということを同窓生は望まない。学校経営者はビジネスマン的なセンスに従って、そういうふうに「時流に合わせる」ことをしたがるんですけれど、同窓会の人たちは変化に抵抗するんです。 そりゃそうですよね。自分が卒業した学部学科がなくなるということは、「あなたが受けた教育は意味がなかった。もう時代遅れなんだ」と卒業生に向かって宣告するに等しいわけですからね。卒業生に対して「あなた方が受けた教育はもう社会的有用性を失った」と告げることは、教育機関としては本来恥ずべきことだと思うんですよね。たしかに学科・学部を廃止したり新設したりということは避けられないことではあると思うんですけれど、それに対して学校側はある種の「疚しさ」を感ずべきだと思うんです。 学校というのは宇沢弘文先生が言うところの「社会的共通資本」の一つです。「社会共通資本」というのは、集団が存続していくために絶対に必要なもので、これは専門家によって専門的知見に基づいて、安定的に管理・運営されなければならない。大気、土壌、海洋、河川、湖沼、森林とかいう自然環境。それから社会的インフラ。上下水道、交通網、通信網、電気ガス。これらも安定的に管理されなければいけない。そしてもう一つ、司法、行政、医療、教育といったシステムですね。これらもまた集団が存続していくためになくてはならないものです。社会的共通資本は急激に変化してはいけないんです。もちろん変化はするんですけれども、ゆっくりとしか変化しない。 政治や経済は急激に変化するものです。政治や経済は「複雑系」ですから仕方がありません。「複雑系」というのは、わずかな入力変化によって劇的な出力変化が生じるシステムのことです。「北京で蝶が羽ばたくとカリフォルニアでハリケーンが起きる」という喩えがよく使われますけれど、わずかな入力変化が劇的な出力変化になる。だから政治や経済はおもしろいわけです。みんな夢中になる。個人のコミットメントによって、場合によっては状況や市場が一変することがあるんですから楽しくないはずはない。政治や経済は「そういうもの」なんです。それを楽しむ人たちは楽しめばいい。 けれども、それ以外の人間の営みは必ずしも政治や経済と同じような複雑系ではないし、複雑系であってはならない。わずかな入力変化によって劇的にシステムが変わってしまっては困るものが僕たちの周りには多々あるわけですよね。行政とか司法とか医療とか教育はそういうものです。政権交代したから司法判断が変わるとか、株価が下がったので教育カリキュラムが変わるとか、そういうことがあっては困る。極端な話、革命が起きても、戦争が始まっても、水道からは水が出るし、地下鉄は時間通り来るということが望ましいんです。ほかのセクターではあってもいいことがあってはならないという分野があるんです。2024-08-27 「パンとサーカス」解説より 僕の(頼りない)文学史的知識に基づくなら、『パンとサーカス』は『愛と幻想のファシズム』以来40年ぶりの「日本で革命が起きる話」です(「それ、オレも書いたぞ」という方がいたらお詫びします)。 寵児と空也とマリアが仕掛ける政治的動乱の目的は「アメリカの属国身分からの脱却」、そして「国家主権の奪還」です。(中略) そもそもの大前提として、アメリカは決して中国との戦争には踏み切らない。アジア太平洋地域における軍事的影響力が一気に低下し、ハワイまで奪われかねず。その損失は計り知れないからです。」(223-224頁) 米中戦争にかかわるミュートのこの見通しに僕は全面的に同意します。アメリカは米中戦争をする気がありません。全面戦争になれば核戦争になります。核戦争をすれば米中共倒れになることが確実である以上、アメリカが選択できるのは中強度の通常兵器による戦闘までです。 人民解放軍は中越戦争以来、45年間実戦経験がほとんどありません。海戦経験はほぼゼロ。装備はハイレベルですが、実戦能力は不明。やってみないとわからない。でも、そんなリスクの高い賭けにアメリカは応じられません。ですから、台湾に中国が軍事侵攻してもアメリカがコミットしないという可能性はかなり高い。現に「台湾のためにアメリカがリスクを取ることはない」と公言する政治家、政治学者はアメリカ国内には少なくありません。 それに、米中戦争の帰趨はどう転ぶか分かりません。いささか旧聞に属しますが、2017年にランド研究所は「妥当な推定を基にすれば、米軍は次に戦闘を求められる戦争で敗北する」というレポートを発表しています。同年、ジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長も「われわれが現在の軌道を見直さなければ、量的・質的な競争優位を失うだろう」と警告を発しています。つまり通常兵器による戦争ではアメリカは中国に敗けるかも知れないということです。もちろん「このままでは大変なことになる」という軍人からの警告は多少割り引いて聴く必要があります。リスクを過大評価して、国防予算の増額を要求するのは軍人の本務の一部ですから。 それでも、「中国と戦ったら敗けるかもしれない」とシンクタンクや軍高官が明言するというのは、かなりシリアスな状況だと考えてよいと思います。アメリカは「対中戦争はできるだけしたくない」と思っている。それは確かです。 とはいえ、中国が台湾に侵攻した時にそれを放置すれば、西太平洋におけるアメリカの軍事的優位も外交的信頼も失われます。日本と韓国は、アメリカが台湾を見捨てれば、アメリカと自分たちの間の軍事同盟も「実は空文かもしれない」と思い始めるでしょう。日韓の信頼を失うことがもたらすリスクと、中国との全面戦争にコミットすることがもたらすリスクのどちらが「致命的」であるとホワイトハウスは考えるでしょうか。ことは信義の問題ではなく、損得の問題です。そして、算盤を弾いた末に、アメリカは米中戦争を回避することを優先させると僕は思います。 ですから、台湾有事になったら、自衛隊の尻を叩いて「存立危機事態なんだから、まずは日本人が戦え」と命じておいて、在日米軍主力はとりあえずグアムまで後退すると思います。 アメリカにとって必要なのは時間を稼ぐことです。そして、AI軍拡で中国に対してアドバンテージを持つことです。中国はこれから人口減と経済成長の鈍化を迎え、遠からず国力はピークアウトします。それに中国共産党は「海外からの侵略リスク」より「国内における反乱リスク」の方を重く見ています(だからこそあのような徹底的な国民監視システムを構築しているのです)。ということは、いずれ文化大革命や天安門事件のような壊乱的事態が出来するかも知れない(北京はそうならないことを願い、ホワイトハウスはそうなることを願っています) いずれにせよ、アメリカにとって必要なのは時間です。日本や韓国を見捨ててもそれで時間が稼げるなら、アメリカにとっては帳尻が合う。 中国が台湾や韓国や日本に軍事侵攻した場合、かなりの抵抗が予測されます(特に台湾と韓国では。日本ではそれほどの抵抗はないと中国共産党指導部は考えているはずです。というのは日本人は「外国軍隊に蹂躙されることに対して特段の心理的抵抗を感じない国民」だと国際社会からは思われているから)。 それでも日本を実効支配するためには、長期にわたって数十万規模の軍隊と行政官を常駐させなければなりません。これは中国にとってはできれば負担したくないコストです。ですから、中国は日本を勢力圏に置く場合、直接統治するよりは、華夷秩序以来長い歴史を持つ「辺境の属領には高度の自治を許す」という使い慣れた「一国二制度」を持ち出してくるはずです。「かつての香港」程度の政治的自由を許せば、日本の支配層は簡単に「中国シフト」に切り替えて延命を図ります。日本の「被支配層」は久しく「長いものには巻かれろ」とだけ教えられてきたので、レジスタンスを戦うなどということは思いつきもしないでしょう。「アメリカに支配されるのも中国に支配されるのも、国家主権がない点では変わりがないからね。ははは」と寂しく笑って人々はこの事態をやり過ごすはずです。 アメリカに見捨てられ、中国の辺境の自治州となった日本は、その後どうなるのでしょうか。「アメリカ憎し」の一念で中国をバックにした「反米の尖兵」となるでしょうか。そんなことはないような気がします。だって、あまりにも愚かで腰抜けだったせいでアメリカに「いいようにされた」だけの話ですから。日本人がいくら「自分たちは被害者だ。日米安保条約ひとつであれだけ日本から収奪しておきながら、肝心のときに置き去りにするなんて・・・アメリカは80年分の『みかじめ料』を返せ」と泣訴しても、日本に同情して、ともにアメリカ批判に加わってくれるような親切な国は国際社会にはたぶん一つもないと思います。国連総会決議(アメリカは日本に謝罪して、金を返せという決議)もたぶん行われないと思います(それって自己責任でしょ・・・と言われるだけで)。以降の全文は内田先生かく語りき62による。
2024.10.19
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拡大する中国覇権にさらされる台湾海峡とか東シナ海海域などが気になるわけで・・・以前の記事を読み直してみたいと、以下のとおり復刻してみます。*********************************************************図書館で『東アジア中世海道』という本を、手にしたのです。おお 古来、良しにつけ悪しきにつけ東シナ海あたりは気になる海域でおます。【東アジア中世海道】民博編、毎日新聞社、2005年刊<民博サイト>より世界の海は、それを共有する多くの国と地域を結びつけ、人、もの、文化、技術などの相互交流の場として、歴史の揺籃となり、原動力となってきました。この展示では、特に12世紀から16世紀の東アジアの海を舞台にして、中国、高麗・朝鮮、日本、琉球などの国や地域、人々が相互に影響を与えながら育んだ交流の歴史と文化の煌めきを、考古、文献、美術、民俗資料など、多様な展示品を通して描こうと企画しました。<読む前の大使寸評>古来、 良しにつけ悪しきにつけ東シナ海あたりは気になる海域でおます。rekihaku東アジア中世海道倭寇と明官兵との接戦東シナ海海域の中世の歴史を概観してみましょう。p52~53 <海に生きた地域と人々>■中国人海商の活躍 中世の東アジア諸地域の交流は、海商や僧侶たちが主導したことに大きな特徴がある。 9世紀以降、大宰府の管理下にあるコウロ館には新羅や唐の商人が来航し貿易をおこなった。11世紀中頃にコウロ館が衰退すると、貿易の中心地は博多に移る。宋の海商が来航して、白磁や青磁などの中国陶磁器や銭貨などが持ち込まれた。博多には、中国人が居住する唐房がつくられ、中国人が海外の港において、倉庫・店舗・住居を構えて貿易をおこなう住蕃貿易が展開した。 また商船に同乗して宋に渡る巡礼僧もおり、13世紀には日本や南宋・元の禅僧が、商船に便乗して頻繁に往来した。2度の蒙古来襲で博多は大きな打撃を受けるが、その後に復興した。14世紀前半、鎌倉幕府や建長寺・称名寺などの寺社が、中国商船をチャーターして、寺社の造営費用を調達することを目的とする寺社造営料唐船を派遣した。新安沈没船は、東福寺と箱崎宮が派遣した寺社造営料唐船とみられる。■前期倭寇と海禁 14世紀後半になると、このような活発で平和的な民間の交流を抑制する動きが起きた。民衆の内部からは倭寇(前期倭寇、14~15世紀の倭寇)が出現し、朝鮮半島や中国大陸で米や人などを掠奪した。対馬・壱岐・松浦地方の人々がその主力とみられ、高麗の支配に抵抗する人々や賎民も加わっていたとの見解もある。明や高麗・朝鮮は、倭寇を軍事的に制圧するのとあわせて、日本に倭寇の禁圧や被虜人の送還を求めた。 1368年に明を建国した朱元請ショウ(洪武帝)は、一般の中国人が海上に進出することを一切禁止する海禁政策をとった。その一方、洪武帝は周辺諸国の国王に朝貢を呼びかけた。貿易は、明皇帝の冊封を受けた国王使のみに許した。こうして国家間で使節を派遣し、あわせて貿易をおこなう通交関係が形成されていく。■通交関係の展開 日本では、南朝の征西将軍懐良親王が洪武帝によって日本国王に封じられた。だが、九州探題今川了俊に博多を制圧され、実質的な交渉はほとんどなされなかった。1401年、足利義満は、祖阿・肥富を明の建文帝に派遣し、翌年日本国王に封じられ、日明貿易が開始された。1404年、義満は永楽帝から「日本国王之印」と勘合を与えられた。兵庫・境や博多は、遣明船の出航地としても栄えていく。 足利氏は、朝鮮や琉球との交渉を行っているが、朝鮮に対しては、ほかに守護や国人、商人・僧侶やもと倭寇だった人々などが、おれぞれ使節を派遣した。琉球船は畿内のほか、博多や薩摩にも来航いている。使節は京都五山などの禅僧が多く、外交文書の作成も彼らが担当した。商人は使節一行に加わることで、明や朝鮮との貿易をおこなった。日本海交通の発達により、中国陶磁器や蝦夷島などの産物が交易され、安藤氏の拠点である十三湊が栄えた。■後期倭寇の登場 国家や地域権力による通交関係は、16世紀になると衰退する。朝鮮における三浦の乱(1510年)や、明における寧波の乱(1523年)が、その契機になった。 かわって台頭するのが、中国人を中心とする後期倭寇(16世紀の倭寇)であり、彼らは密貿易をおこなった。16世紀になると、日本列島内では、石見銀山をはじめとする鉱山の採掘が進んでいた。倭寇は、銀の獲得を主たる目的として来航し、中国産の生糸や鉄砲などを日本に持ち込んでいる。このような倭寇のルートに、ポルトガル人、スペイン人も加わり、南蛮貿易がおこなわれ、境や豊後府内には、ベトナム産の陶磁器など東南アジアや中国の製品が持ち込まれた。■対馬と琉球 14世紀以降、上記の通交関係の中で台頭したのが対馬と琉球である。 朝鮮半島にもっとも近い対馬は、古くから朝鮮との関係が密接であった。朝鮮の成立後、対馬からは島主の宋氏らが多数の使船を送り、図書を入手したり、宋氏が文引の発行権を得るなど、さまざまな通交特権を得た。島民の中には、朝鮮半島南岸の海域において漁業をしたり、三浦の恒居倭のように朝鮮領内に居留する者も多かった。 対馬にとって、朝鮮との関係は命綱であり、15世紀後半~16世紀、宋氏らは偽使を派遣し、通交権の維持・拡大に腐心する。 明の朝貢要請にいち早くこたえたのが琉球である。按司たちがグスク(城)をつくり抗争している中で、沖縄本島では、中山・山北・山南という三つの勢力が形成されつつあった。1377年、中山王察度が明に朝貢したのを皮切りに、山南王・山北王が相次いで朝貢使を明に派遣した。その後、三山を統一した中山王尚巴志にはじまる第一尚氏や、クーデターによって国王になった第二尚氏の使節が頻繁に明に入貢し貿易をした。 このように明との密接な関係を背景に、琉球は、高麗や朝鮮・日本、シャム・マラッカなどの東南アジア諸国にも使節を派遣し、中継貿易によって栄えていく。 15世紀後半には彼らによる偽の琉球使節が朝鮮を訪れて貿易をしている。16世紀には後期倭寇やポルトガル人の台頭により、東南アジア諸国との交渉は衰退し、明や島津氏との貿易に依存するようになる。対馬・壱岐・松浦地方の民衆から、このような荒っぽい前期倭寇が生まれたのか。現在のこの海域には、日中韓それぞれが主張する領土問題があるが・・・国境を線引きするのが、どだい無理な話であり、棚上げしておくのがよいのでしょうね。*********************************************************■2017.04.12XML『東アジア中世海道』https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201704120001/
2024.10.18
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図書館で『開国前夜、日欧をつないだのは漢字だった』という本を、手にしたのです。漢字をテーマとした歴史的な研究書ってか・・・興味深いのである♪【開国前夜、日欧をつないだのは漢字だった】 小川誉子美著、ひつじ書房、2023年刊<「BOOK」データベース>よりペリーは日本に開国を迫るとき、日本事情を中国語文献で予習した。吉田松陰は密航をくわだて、漢文で交渉した。中国語を通して世界にアクセスした、交流の歴史。<読む前の大使寸評>漢字をテーマとした歴史的な研究書ってか・・・興味深いのである♪rakuten開国前夜、日欧をつないだのは漢字だった「第一章 日欧の出会いと中国」で漢字の表意性などが述べられているので、見てみましょう。p19~21<四・一 ザビエル、中国布教の意義を見つける 中国の文物は日本の権威!?> ザビエルは、1542年にインドに到着してから、ポルトガル商人らから情報を得ながら、布教の地を探していた。インドやモルッカ諸島での布教が進まず、海禁政策をとる明朝中国は入国のすべもなかった。そんな失意の中でポルトガル語を話すお尋ね者のヤジロウとの出会いはまさに福音であった。 日本滞在中、ザビエルは、日本社会が中国の文物を権威とし、中国への志向性が高く、崇拝していることに気づいた。また、仏教はそもそも外来のものであるが、インド発祥の外来の仏教が中国を経由して入り日本で根付いていることから、日本人の信仰の源である中国でキリスト教を広めることは、日本人を改宗させるのに有効な手当てだと確信するようになっていった。 日本人から「あなたが、神、神、というが、中国人が知らないのはなぜか」と問われた経験は、ザビエルに中国布教の想いを一層強くしたという。<漢字の表意性発見!> ザビエルは、日本を去ったあと、ローマのイグナチオ・デ・ロヨラ神父宛て書簡の中で、日本と中国の言語について書き送っている。注目に値することは中国人と日本人とでは話し言葉が非常に違うので、会話はお互いに通じません。中国の文字を知っている日本人は(中国人の)書いたものは理解しますが、話すことはできません。漢字を日本の大学で教えているからです。そして漢字を知っている坊主は、学者として人々から尊敬されています。中国の漢字はいろいろな種類があって、一つ一つの文字が一つのことを意味しています。それで日本人が漢字を習う時は、中国の文字を書いてからその言葉の意味を書き添えます。(・・・)日本人がこの文字を読む時には日本語で読み、中国人であれば中国語で読みます。そのために話す時には互いに通じないのですが、書く時には文字だけで理解し合います。彼ら同士、話し言葉は違っていますけれども、字の意味は共通でそれを双方ともに知っているからです。私たちは天地創造とキリストのご生涯の全ての奥義について日本語で書きました。そののち、私たちは同じ本を漢字で書きました。それは中国に行った時に中国語が話せるようになるまで私たちの信仰を理解してもらうためです。 (1552年1月29日の書簡) 表意文字に初めて出会ったザビエルは、表意文字の特質を知り、漢字によって日本人と中国人の間で意思疎通が図れることに気づいていた。漢字の持つ力を知ったことにより、教議書の翻訳も日本人向けだけではなく中国人向けのものも作成していた。わずか2年の日本滞在の間にすでに中国宣教の準備を始めていたことになる。さらに、中国宣教の意義を次のように報告している。中国は大変大きく平和であり、優れた法律によって支配されている国でたったひとりの国王に完全に従っています。たいそう豊かな王国で、あらゆる種類の生活必需品が十分にあります。中国人は優れた才能を持ち、よく勉強し、特に国家を統治する諸法律をよく研究し、知識欲が旺盛です。彼らは白人で、あご髭がなく、眼はとても小さいです。彼らは自由を愛する国民で、特に平和を愛し、国内では戦いがありません。中国でも日本でも主なる神への大きな奉仕を成し遂げることができるように、私は中国へ行きたいと思っています。中国人が神の教えを受け入れるようになったと日本人が知れば、中国から渡来した宗旨を信じている日本人は、自分たちの信仰をすぐさま捨てるに至るでしょう。 (同書簡)『開国前夜、日欧をつないだのは漢字だった』1:鉄砲伝来など
2024.10.17
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図書館で『開国前夜、日欧をつないだのは漢字だった』という本を、手にしたのです。漢字をテーマとした歴史的な研究書ってか・・・興味深いのである♪【開国前夜、日欧をつないだのは漢字だった】 小川誉子美著、ひつじ書房、2023年刊<「BOOK」データベース>よりペリーは日本に開国を迫るとき、日本事情を中国語文献で予習した。吉田松陰は密航をくわだて、漢文で交渉した。中国語を通して世界にアクセスした、交流の歴史。<読む前の大使寸評>漢字をテーマとした歴史的な研究書ってか・・・興味深いのである♪rakuten開国前夜、日欧をつないだのは漢字だった「第一章 日欧の出会いと中国」の冒頭で鉄砲伝来などが述べられているので、見てみましょう。p1~5<一 ジパングの言語> ヨーロッパの人々のアジア観に影響を与えた『東方見聞録』は、マルコ・ポーロの東方旅行(1271~1295)をもとにつづった冒険譚であり、日本が初めてヨーロッパに紹介されたことでも知られている。この書に記されたジパング伝説は、当時のユーラシア大陸で活動していたイスラム商人やイスラム社会の役人たちが語る噂話をマルコ・ポーロが中国で伝え聞いたものだという。 英語の「ジャパン」は、ジパングを起源とし、ジパングという発音は、中国語の近古音(中世の中国語で発音した音)で「日本国」を発音したものが語源というから、現在の日本の国名、ジャパン、ジャポン、ヤーパン、ヤポーニア、ヤパニ、ハポンなどいずれも、この中国語の近古音を起源としているということになる。 ジパング伝説には、黄金や宝石、香辛料、偶像崇拝者など冒険家を駆り立てる素材とともに、人食い人種説など恐怖心を植え付ける伝説もちりばめられている。こうした話題性に満ちた物語の起源については、多くの研究が行われているが、本書が注目したいのは、次の部分である。ジパングの言葉では、チナと呼ぶが、これはマンジ(モンゴル支配時代の南中国をさす)のことである。 ジパングが、固有の言語を持つことも記されているのだ。 ヨーロッパには、古くから、太陽がのぼる東の果てには、地上の楽園や黄金卿があるという伝説があった。未知のアジアの地理、社会、習俗を紹介する『東方見聞録』は、各国語に翻訳され、当時の人々に大きな影響を与えた。クリストファー・コロンブスはその影響を受けた一人である。地球球体説を確信するコロンブスに、インド航路の開拓に向かわせたのは、イスラム商人やヨーロッパの地理学者、Tン問学者らの情報であった。 コロンブスと同時代の地理学者で、ニュールンベルグ出身のマーティン・ベハイムは、現存する最古の地球儀(1492年)を制作したことで知られている。ちなみに、ベハイムは、太陽の高度で緯度を図る方法を確立するための数学委員会の一人であり、科学的知識を有し、航海者に推挙されたこともあるほどの人物である。 さて、彼の地球儀には、当時広く知られていたトスカネリの世界地図と同じく、ヨーロッパの西には、アメリカ大陸はなく、中国やジパングが描かれている。ベハイムの地球儀はそれだけではない。その土地についての説明が細かい字で記され、ジパングについては、黄金伝説意外に、「ジパング島は王と自身の言葉を持っている」ことも記されている。 未知の土地を紹介するのに、言語に関する情報も、冒険家に必要だったのだろう。ジパングに関心のある人には、黄金伝説とともに固有の言語を持つこともはっきりと記憶に刻まれたに違いない。<二 日欧の出会い、鉄砲伝来の立役者は?> ジパング島にヨーロッパ人が足を踏み入れるのは、その250年後の1543年、ポルトガル人を乗せた船が種子島に漂着した「鉄砲伝来」まで待たなければならない。すなわち、鉄砲がもたらした西洋と日本の初めての会合は、「漂着」であり、これまでの冒険家のように、用意周到に目的地をめざした航海ではなかった。このとき、ポルトガル人は、種子島の人々に、どのように意思を伝えたのだろうか。 ポルトガル人が乗ってきた漂着船は、明の倭寇が所有する船であった。また、このときの鉄砲はポルトガルで作られたものではなく、当時ポルトガルの支配下にあったマラッカ王国で作られた銃であった。船主は「大明儒生五峯」と名乗っていたが、実はこの人物、本名を王直という倭寇の大頭目だった。このとき種子島の領主、種子島時尭は、この王直と砂の上に書いた漢字による筆談にって意思疎通を図ったのである。 二挺の火縄銃をもたらした三人のポルトガル人たちは、何らかの理由からシャム王国のアユタヤでポルトガル船からの脱走を図り、王直に拾われたのであった。一方、王直は、その後、佐賀に屋敷を持ち、密貿易を行うようになる。 海禁政策をとっていた明で銀が不足し、これを日本からの輸入で補っていた。日本には明の禁制品である硝石などを輸出していた。この硝石こそ、硫黄とともに火縄銃の火薬に必要な材料であり、日本では算出されない物質であった。ポルトガル人たちが持ち込んだ銃は、倭寇にとって、戦国日本に火薬製造に不可欠な硝石を売り込む大きな商機でもあったのである。「鉄砲伝来」とは、ポルトガル人が本国から船でやってきて、火縄銃を「伝えた」のではなく、脱走したポルトガル人を乗船させた倭寇が、種子島の人々と意思疎通をはかり、取引を成立させたという出来事であった。すなわち、ヨーロッパと日本との初めての出会いは、マラッカで製造した「銃」を媒介とし、そのときの意思疎通は、密貿易を行っていた儒者でもある中国人と筆談で行われたのであった。 さて、エンリケ王子によってすすめられたポルトガルの海洋戦略は、アフリカ最南端から、インド洋に出てアジアに進出すると、インドやマラッカを支配下に置き、次々と交易の拠点を築いていった。こうして、ヨーロッパの最西端にあるポルトガルから、ユーラシアの東端、さらにその東にあるジパングに到達するのである。 日本に関する情報は、到達前に、地理書『東方諸国記』(1515)に記されていた。「鉄砲伝来」の28年前のことである。この書は、1511年ポルトガル人が占領したマラッカで、翌年到着したトメ・ピレスが著したものである。ジパング島は、この中で「ジャンポン島」と呼ばれた。 全六部からなるこの書の中の「第四部 シナからボルネオにいたる諸国」の「二 琉球、日本」、「ジャンポン島」という項目は、次のように始まる。すべてのシナ人のいうことによると、ジャンポン島はレキオ(琉球)人の島々よりも大きい。国王はより強力で偉大であり、商業には熱心でない。その国民もそうである。国王は異教徒で、シナの国王の臣下である。かれらがシナにおいて取引するのはごく希であるが、それは遠く離れていることと、かれらがジャンクを待たず、また海洋国民ではないからである。 トメ・ピレスの記述も、中国人からの電文として記されている。その内容は、マラッカ王国とも交易をしていた琉球に関する説明は詳しく、日本については中国人の語る情報として短く添えられている。 この『東方諸国記』は、海のシルクロードを渡ってアジア進出はアジア征服以外の何ものでもないこと、その事業はイエス・キリストの名において行われ、カトリック教を昂揚させ、イスラム教を滅ぼすことにあるとし、この書が紹介するエジプトから中国に至る地域は、ポルトガル王の征服の対象となると記している。すなわち、この書は、征服対象国の一蘭であった。
2024.10.17
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『読書画録』という本で著者の安野さんが「大利根月夜」という唄を語っているが・・・こんな古い演歌を語るアナログの安野さんがええでぇ♪ということで、以下のとおり復刻して読んでみましょう。*********************************************************図書館で『読書画録』という本を借りたのだが・・・水彩画の淡い色彩がええな~♪著名な小説の舞台を、スケッチとエッセイで織りなした絵本のような画録になっています。【読書画録】安野光雅著、講談社、1995年刊<「BOOK」データベース>より檸檬を一顆、美術書を積みあげた上にそっと置いてきた梶井基次郎のあとをたどって描く京都河原町丸善の面影。樋口一葉「たけくらべ」の吉原大門あたりから幸田文「おとうと」の向島まで、こよなく読書を愛しむ画家が描く小説の舞台。懐かしい日本の三十六の風景をスケッチとエッセイで織りなす珠玉の画文集。<大使寸評>安野さんの水彩画は、淡い色彩がええな~♪著名な小説の舞台を、スケッチとエッセイで織りなした絵本のような画録になっています。安野さんのエッセイに人柄が表れていて、これもええな~♪rakuten読書画録安野さんのエッセイに人柄が表れているが、大使好みのあたりを一つ紹介します。(「大利根月夜」という歌は、カラオケの持ち歌でんがな♪)<中山義秀『平手造酒』>p112~114より「大利根月夜」という歌がある。演歌の中でも、もはや古典に入る名作であろう。わたしにもあの歌の平手造酒を、自分のこと、という思い入れで歌うと何だか気分の良くなる年頃があった。 ~男平手ともてはやされて 今じゃ浮世を三度笠 の平手に、自分の名前を換えて歌うのである。「もとを正せば侍育ち」以下は、ざっと次のような気分となる。「もとはと言えば勝負師の出だ。何しろ千葉道場で碁を学び、師範代にまでなって、男平手よと知らぬものもなく、すれちがう娘さんはみんなふりむいたもんだ。あのころの仲間は皆、立派な碁打ちになっているのに、俺はやくざな三文絵かきだ。故郷じゃ妹が待つものを。何?世をすねた理由は何なのかと? いや、聞かないでもらいたい。武士の情だ・・・」 なりはやくざにやつれていても、まだ碁では誰にも負けないぞ、という、空想的プライドに酔うのである。あれはアウトロウの歌である(わたしは、むかし、専門棋士になるのを止めた、書いたことがある。わたしを知る人は誰も信じないが、本気にした人もある。断っておくがこれらは冗談である)。 このような替歌の実験をいちどやってみてもらいたい。きっと何ほどかの感慨を持たれることと思う。 ところで『平手造酒』が中山義秀の作だと知る人は意外にすくない(昭和29年「オール読物」)。ころは幕末という騒々しい時代である。笹川は利根川べりの宿場、飯岡は外海に面した宿場で、地図によれば20キロメートルと離れていない。博徒新興勢力の笹川の繁蔵と飯岡の助五郎とは縄張りが接しているため小ぜりあいがつづくが、天保13年夏、諏訪神社の奉納相撲が仇になって、出入りが必至となった。天保が15年で終わって弘化と変わる。 そのころ、酒と女で道場をしくじり旅人になって流れ渡る平手造酒の腕を見た繁蔵は、礼を尽して造酒を食客に迎えた。子分に剣を教える他は、駈け落ちの相手の芸者増次と二人で酒をのんだり魚を釣ったりして遊ばせてもらう毎日である。 胸を病んでいるがやけになって大酒をのむ。その日も喀血した上、酒と熱で寝込んでいたところへ、早朝、助五郎一家がなぐりこみをかけてきた。助っ人を頼む使いが八方へ飛ぶ、繁蔵は報せるなというのに、子分は造酒のところへ駆けて行った。「先生、大変だ。飯岡の野郎どもが、百人以上押しよせてきた」 造酒は飛び起きたが足元はそうろうとしている。 増次は刀をかくして、「病気だものしかたがないじゃないか、行かないで」とすがりつく。「男がすたる。増次、刀をだしてくれ」とうなるように言う。 かれなりに死期を悟り、冷酒をあおって丸腰のまま表に出る。凄惨な闘いとなり、助五郎を追って竹薮の中に入り、また喀血したところを後から横腹をえぐられる。〔付〕後日、知友、永井滋から、平手造酒は中山義秀の創作ではなく、遊侠伝中の人物であるとの御教示をいただいた。安野さんがあとがきで読書の奨めや創造の源泉を説いているので、紹介します。<あとがき>p152~155より ところで、もうひとつ別の対談の宿題がある。これは「アナログを見直そう」というテーマなのだそうだ。 時計を例にするとよくわかるが、古来の長短針のある時計がアナログで、このごろはやりの数字であらわされる時計がデジタルにあたる。 では文章はそのどちらかというと、文字のひとつひとつは記号で、それが直線的に並んでいるわけだからデジタルと考えたほうがいい。これに対して映画は平面的な画面が時間的にならんだものだからアナログと考えることができる。 地図はアナログだが、「地図はアナログ」というときの地図という言葉は「地」と「図」というふたつの記号がならんでいるだけでデジタルにほかならない。しかし、「地図」という言葉から、たとえばあの平面の世界地図を思い浮かべたとしたら、その地図はアナログである。 とまあ、宿題をまえにしてそんなことを考えていた。 文章で書いたものは、どんなに優れたものでも記号の直線的な連続にすぎない。しかしそれを読むものの心の中には「」はおろか、時間空間を越え映画もおよばぬ世界を描き出すことができる。このように言葉が喚起する世界をうまく言いあらわす言葉を知らないから、ここでは文章世界と言うことにしておこう。 このあたりから話は我田引水になるが、たとえば、「中勘助、銀の匙」とわずか六字を見ただけで、人それぞれに、ある思いが喚起されるはずである。それを読んだことのある人は勿論、そのほか中勘助の他の作品を読んだことがある人はなおのこと、もてあますほどの文章世界があらわれてくることだろう。 文学のおもしろさとは、それを書いた者と読んだ者との文章世界がどのように重なるか、その重なりぐあいだと考えていいと思う。 (中略) この本は、たとえば漱石とか『平家物語』などの作品によってひきおこされる、わたしの文章世界から、わたしの泣き言や、自慢話を抜き出して書いたものである。 以上に弁解がましいことを書いたのは、この本の目次を見ただけでおわかりいただけるように、喚起性の多い、字句記号が沢山ならんでいるから、読む人の文章世界の責任において、どんなにでもおもしろくなるはずだ、と(責任回避の気分がないでもないが・・・)申しあげたかったのである。(中略) わたしは「絵を勉強するのにはどうすればよいか」と聞かれて困ったとき、「本を読むのが一番いい、濫読でいい」という返事をすることにしている。これは絵を志す者だけでなく、科学者も政治家も商売をはじめる人も、およそだれでも、創造的な生きかたがしたければ、本を読まなければならないと言いたいのである。 さきに文章世界という言葉でしか言えなかった頭の中の世界こそが、創造の源泉だろうと思うからである。*********************************************************2014.11.02XML読書画録https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201411020000/
2024.10.16
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図書館で『日本の異国』という本を、手にしたのです。この本の目次を見ると以下載っていて興味深いのです♪足立区のフィリピンパブ、埼玉県川口市の多文化共生、西葛西のリトル・インディア、新大久保の未来など。【日本の異国】室橋裕和著、晶文社、2019年刊<「BOOK」データベース>より2017年末で250万人を超えたという海外からの日本移住者。留学生や観光客などの中期滞在者を含めれば、その数は何倍にもなる。今や、都心を中心に街を歩けば視界に必ず外国人の姿が入るようになったが、彼らの暮らしの実態はどのようなものかはあまり知られていない。私たちの知らない「在日外国人」の日々に迫る。<読む前の大使寸評>探検家・高野秀行さんがこの本を高く評価しているので、きっと面白い本なんでしょう♪rakuten日本の異国拡大中の中国人コミュニティが報告されているので、見てみましょう。p218~222<御殿場市 絶賛拡大中の新しいコミュニティ、中国>■富士と雪の街にあるインバウンドの最前線 バスタ新宿を出て2時間弱。御殿場の駅前でバスを降りる。東京よりも明らかに寒い。冷たい風が吹き抜けてきて、コートの襟もとを合せた。ここはもう、富士山の麓なのだ。 小さな駅舎には立ち食いそば屋が併設されていた。「御厨そば」というのが地元の名物らしい。そばのつなぎに山芋を練りこんであって、腹持ちがいいのだとか。根菜と鶏肉がたっぷりで、とりあえずは胃袋から温まった。 駅の西側にはささやかな繁華街が広がり、ホテルや居酒屋が立ち並んでいるが、ちらほらと外国人の姿を見る。中国人、欧米人、東南アジア系の人々・・・駅前の刊行案内所で聞いてみると、「富士山を見に来る人が多いですね。東京からそれほど時間がかからないので、旅程は短いけれど富士山は見ておきたいというかた。それと最近は冬場になるとマレーシアとかタイ、フィリピンの方も増えますが、雪が目的のようです」 熱帯の人々にとって雪そのものがレジャーのひとつとは聞くが、御殿場は東京から気軽に日帰りできる、富士山と雪の街として外国人観光客に知られているのだ。 案内所の係員に「日本人はさっぱり行かないけど、外国人に人気の場所」とリクエストしたところ、即答していただいたのが市街東部の山腹に位置する平和公園だ。 釈迦の骨が納められているという仏舎利塔がそびえているが、まばらにいるのはたしかに外国人だけだった。ツアーバスやタクシーでやってくるのだ。塔を背にして振り向けば富士山と御殿場の街とが一望できることで人気なのだが、あいにくこの日は雲がかかっていた。 だが御殿場には、富士の眺望よりも集客力を持つ、これぞインバウンドの最前線というべき場所がある。御殿場プレミアム・アウトレットだ。 広大な敷地に、服やアクセサリー、スポーツ用品、雑貨などなどブランドショップの店舗が200以上も並ぶ。年間の売り上げは900億円を超える日本最大のアウトレット・モールである。この日は土曜日とあってかたいへんな人出で、静岡の山の中なのに東京のターミナル駅のごとき混雑なのである。 日本人客もたくさんいるが、外国人がとにかく多い。特に目立つのは中国人だ。ヒジャブをまとったイスラム女子や、インド系の家族連れも見るし、僕にとっては懐かしいタイ語の響きが聞こえてきたりもするが、圧倒的に多いのは中国人観光客だ。 御殿場プレミアム・アウトレットにはいまや年間40万人をはるかに上回る外国人が訪れるが、そのうち大部分が中国人と見られている。 そして高級ブランドの品々を惜しげもなく買っていく。もうこれ以上は持ちきれない、というところまで買いまくると、今度は同じアウトレット内でスーツケースを買って荷物を詰め込める。爆買いというやつである。中国人客の増加に伴って、アウトレットの売上げも右肩上がりなのだとか。 と、なれば当然、施設側に求められるもの。それは中国語のわかる人材である。中国人客に対応するために、中国人の店員が一気に増えたのだ。およそ200の店舗にたいていひとりかふたり、中国人スタッフがいる。 つまりアウトレット全体で300人前後の中国人が働いているようなのだ。これはもう、ひとつの「中国村」ではないか。富士の裾野の小さな街に、中国人コミュニティができつつあるのだ。「私が来たときは、中国人はもちろん外国人のお客様なんてほとんどいなかったんですよ」 朱孔静さんは言う。女性向けブランドのショップを仕切って6年ほどだ。32歳のやたら元気な女性で、日本人とほとんど変わらないイントネーションの日本語を話す。僕の言葉に「そうそう、だよねー」と日本語で頷き、ときに「やっべー」と声を上げ、けたけた笑う様子はなんだか親しみやすいクラスの中心女子という感じだ。 生まれ故郷の黒竜江省・佳木斯(チャムス)を出てきたのは2007年のこと。京都の日本語学校で2年間ほど学んだ後に、大阪国際大学に入学した。「だからいまでも関西弁が混じる」と笑う。 大学に通いながら日本人と同じようにシューカツをし、内定をもらい、卒業後は入社研修を受けて、配属された先が御殿場アウトレット店だった。2013年のことだ。以来ずっと、ショップを切り盛りしている。「でも、その頃って中国人のスタッフは私と、近くの中華料理屋のコックだけ。休憩室でもぽつんとふたりだけでゴハン食べて。なんでまた私、御殿場なんだろう。中国人である私の役割ってなんなんだろうって、けっこう悩みました」 会社としてはもしかしたら、日本人も中国人も関係なかったのかもしれない。日本語がネイティブレベルにわかって、仕事も任せられそうだと判断したから、御殿場アウトレット内の店舗という「旗艦店」に朱さんを配属したのだとも思える。(中略)「3、4年くらい前じゃないかなあ」 朱さんは振り返る。 中国人観光客を乗せたツアーバスが、日に日に目立つようになってきたのだ。そしてばんばんブランドものを買い込んでいく。2013年に130万人ほどだった訪日中国人は、2014年に240万人、2015年にはなんと500万人と、倍々ゲームのように増えていく。中国国内の急激な経済発展が旅行熱と買い物熱を後押しし、豊かになった中国人は世界各地で「爆買い」に走った。中国から近く訪れやすい日本は格好の旅先であり、その恩恵を大きく受けることになる。 2017年には730万人を突破した訪日中国人たちが、まず楽しんだのは「ゴールデン・ルート」の旅である。 中国から成田もしくは羽田に降り立って、東京を敢行する。近郊のディズニーランドや鎌倉あたりも定番だ。そしてツアーは西に向かう。東名高速道路をかっ飛ばし、ここ御殿場にやってくるのだ。富士山の眺望を楽しみつつ、アウトレットで心ゆくまで買い物を満喫すると、大量の戦利品とともに関西に上陸。大阪・京都・奈良を観光して、関空から帰国の途へ・・・。 リピーターも続々と増えているが、「初めての日本」であれば、このルートをたどる中国人が多いのだ。 東京と関西を結ぶ線上にあり、富士山というキラーコンテンツも持っていた御殿場には、こうしておおぜいの中国人が殺到するようになったのだ。 朱さんも慌ただしい日々を送るようになる。仕事はもう、いろいろだ。「接客全般に、在庫管理、それに私のほかにも中国人のスタッフがいるから、その教育も」 日本人の社員も従えて、バリバリ働く朱さんに舞い込んできたのは、店長にならないかという話だった。もちろん中国人に対しては初めてのオファーだった。快挙なのだろうと思う。しかし、朱さんは申し出を断ったのだ。「その頃ちょうどダンナと結婚したこともあったし、子供をつくりたいとも思っていたし、悩んだんですが・・・」 ■御殿場アウトレット初の中国人店長 同じくらいの時期に、やはり店長に推され、引き受けたのは〇必燕さん、32歳の男性だ。海外雄飛を目指す若者が多いことで知られる福建省の福清市出身。これは埼玉・西川口の中華レストラン『福記』の店長、林さんと一緒だ。 朱さんとは同じ32歳で、やけに仲がいい。そしてお調子者である。しょうもない冗談を言っては朱さんのつっこみを待つ。この夫婦漫才のようなやりとりも日本語なんである。御殿場アウトレットでは筆記具や腕時計、革製品を扱うブランドショップで働いている。店長としてアウトレットの全体会議にも出席し、インバウンドの現場を支える。おちゃらけているように見えるが、なんといっても御殿場アウトレット初の中国人店長なんである。『日本の異国』1:竹ノ塚 魅惑の癒しスポット
2024.10.16
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朝日デジタルの好書好日が『老耄と哲学―思うままに[著]梅原猛』を取り上げているが、この本の評者が横尾忠則となっているが、これがええわけです♪以前の記事をひっくり返して、以下のとおり復刻して読んでみましょう。*********************************************************老耄と哲学―思うままに [著]梅原猛 有象無象、森羅万象、永久不変の造化を著者の驚異の好奇心に巻き込んで、ぐるぐる回転させる万華鏡を覗いているような言葉と思想を、23年間、新聞のコラムに連載し、今年90歳を迎えた著者の、このシリーズ⒑冊目の本。 僕はこの目眩(めくるめ)く言語空間の中で常に想像的刺激を養ってきた読者の一人で、このシリーズを哲学の書であると同時に芸術の書として、「ドラクロアの日記」と共に愛読してきた。 西洋哲学では人類を導けないと直観した著者は、40歳を過ぎてから日本文化の中核思想として「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」なる仏教思想で、西洋の人間中心の思想を脱し、「新しい人類哲学」を打ち立てながら、西洋の哲学体系に挑むべく、その対決のさまは本書にも随所に見て取れる。 以上の理念に発心し、すでに年月が経つが、その間にも著者は小説、戯曲をはじめスーパー歌舞伎、スーパー狂言、スーパー能などを書き、芸術家の顔を貫きながら、その絶えざる意欲と好奇心は、すでに「老耄(ろうもう)」の域を飛び越えており、想像力は神がかり的で天の助力によってか霊力が増す一方。「古都に棲(す)む怪物」以外の何者でもない。 著者の数々の名著は本人の言葉を借りるまでもなく「天から降りてきた霊感によって書かされたもの」である。普遍的な芸術はおおむね霊感によって生まれるもので、従って芸術家は予言者であると同時に、霊媒的な資質を有する。 そして驚くのは著者が長命であることだ。夫人の「仕事をやめて!」という願いを無視。健康を心配される夫人だが、創造エネルギーが燃焼を止めない限り、精神的肉体的にも長寿を約束される。 著者の場合、創造的行為に内在する遊びと自由と笑いがその原動力で、また夫婦円満の秘訣でもある。梅原哲学が笑いの絶えない家庭薬であり、家庭こそが哲学の生まれる場所なのかもしれない。 ◇評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2015年04月12日*********************************************************■2018.06.06梅原猛「老耄と哲学」書評https://book.asahi.com/article/11595008
2024.10.15
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図書館で『サル化する世界』という本を、手にしたのです。内田先生の著書は数多く読んできたが・・・外れが少ないのが売りなので、興味深いのである♪【サル化する世界】内田樹著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より現代社会の劣化に歯止めをかける、真の処方箋!堤未果氏との特別対談も収録。【目次】1 時間と知性/2 ゆらぐ現代社会/3 “この国のかたち”考/4 AI時代の教育論/5 人口減少社会のただ中で/特別対談 内田樹×堤未果 日本の資産が世界中のグローバル企業に売り渡されるー人口減少社会を襲う“ハゲタカ”問題<読む前の大使寸評>内田先生の著書は数多く読んできたが・・・外れが少ないのが売りなので、興味深いのである♪rakutenサル化する世界「Ⅲ 〝この国のかたち〟考」でフランスのヴィシー政府が語られているので、見てみましょう。なんか読んでいるうちに、暗澹たる気持ちがしてくるようです。p140~143<対独協力国だった歴史的事実の否認> フランスの場合は、ヴィシーについてはひさしく歴史的研究そのものが抑圧されていました。先ほど名前がでましたベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』はヴィシーに流れ込む19世紀20世紀の極右思想史研究ですが、この本が出るまで戦後44年の歳月が必要でした。 刊行されたときも、保守系メディアはこれに集中攻撃を加えました。「なぜせっかくふさがった『かさぶた』を剥せて、塩を塗り込むようなことをするのか」というのです。それからさらに30年近くが経ちますが、ヴィシー政府の時代にフランスが何をしたのかについての歴史的な研究は進んでいません。 ナチスが占領していた時代のフランス人は何を考え、何を求めて、どうふるまったのか。いろいろな人がおり、いろいろな生き方があったと思います。それについての平明な事実を知ることが現代のフランス人には必要だと僕は思います。ド・ゴールが言うように「自分自身に対して抱く評価」を基礎づけるために。でも、それが十分に出来ているように僕には思えません。フランスの場合は「敗戦の否認」ではなく、対独協力国だったという歴史的事実そのものが否認されている。その意味では、あるいは日本より病が深いかもしれない。 本来なら、ヴィシー政府の政治家や官僚やイデオローグたちの事績を吟味して、「一体、ヴィシーとは何だったのか、なぜフランス人は民主的な手続きを経てこのような独裁制を選択したのか」という問いを徹底的に究明すべきだったと思います。でも、フランス人はこの仕事をネグレクトしました。ヴィシー政府の要人たちに対する裁判もごく短期間のうちに終えてしまった。 東京裁判やニュルンベルグ裁判のように、戦争犯罪の全貌をあきらかにするということを抑制した。ペタン元帥や首相だったピエール・ラヴァルの裁判はわずか1ヶ月で結審して、死刑が宣告されました。裁判は陪審員席からも被告に罵声が飛ぶというヒステリックなもので、真相の解明というにはほど遠かった。この二人に全責任を押しつけることで、それ以外の政治家や官僚たちは事実上免責されました。そして、この「エリートたち」はほぼそのまま第四共和政の官僚層に移行する。 レヴィによれば、フランスにおいて、ヴィシーについての歴史学的な検証が進まなかった最大の理由は、ヴィシー政府の官僚層が戦後の第四共和政の官僚層を形成しており、彼らの非を細かく咎めてゆくと、第四共和政の行政組織そのものが空洞化するリスクがあったからだということでした。 事情を勘案すれば、フランス政府が、国家的選択として対独協力していたわけですから、それをサボタージュした官僚はうっかりするとゲシュタポに捕まって、収容所に送られるリスクがあったわけです。組織ぐるみの対独協力をせざるを得なかった。だから、一罰百戒的に、トップだけに象徴的に死刑宣告を下して、あとは免罪して、戦後の政府機構に取り込むことにした。それは当座の統治システムの維持のためには、しかたなかったのかも知れません。 ですからヴィシーについての歴史学的な実証研究が始まるのは、この官僚たちが現役を引退した後になります。1980年代に入って、戦後40年が経って、ヴィシー政府の高級官僚たちが退職したり、死んだりして、社会的な影響が亡くなった時点ではじめて、最初は海外に流出していたヴィシー政府の行政文書を持ち出して、ヴィシー研究に手を着け始めた。 フランス人自身によるヴィシー研究は『フランス・イデオロギー』が最初のものです。戦争が終わって44年後です。「ヴィシーの否認」は政治的に、意識的に、主体的に遂行された。でも、そのトラウマは別の病態をとって繰り返し回帰してきます。僕はフランスにおける「イスラモフォリア」(イスラム嫌悪症)はそのような病態の一つではないかと考えています。 フランスは全人口の10%がムスリムです。ニースで起きたテロ事件で露呈したように、フランス社会には排外主義的な傾向が歴然として存在します。大戦後も、フランスは1950年代にアルジェリアとベトナムで旧植民地の民族解放運動に直面したとき、暴力的な弾圧を以て応じました。結果的には植民地の独立を容認せざるを得なかったのですが、独立運動への弾圧の激しさは、「自由・平等・博愛」という人権と民主主義の「祖国」のふるまいとは思えぬものでした。 そんなことを指摘する人はいませんが、これは「ヴィシーの否認」が引き起こしたものではないかと僕は考えています。「対独協力を選んだフランス」、「ゲシュタポと協働したフランス」についての十分な総括をしなかったことの帰結ではないか。 もしフランスで終戦時点で自国の近過去の「逸脱」についての痛切な反省がなされていたら、50年代におけるフランスのアルジェリアとベトナムでの暴力に積極的に加担した国なのだ、少なくともそれに加担しながら反省もせず、処罰も免れた多数の国民を今も抱え込んでいる国なのだということを公式に認めていたら、アルジェリアやベトナムでの事態はもう少し違うかたちのものになっていたのではないか。あれほど多くの人が殺されたり、傷ついたりしないで済んだのではないか。僕はそう考えてしまいます。『サル化する世界』1:中国が怖い
2024.10.15
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図書館で『サル化する世界』という本を、手にしたのです。内田先生の著書は数多く読んできたが・・・外れが少ないのが売りなので、興味深いのである♪【サル化する世界】内田樹著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より現代社会の劣化に歯止めをかける、真の処方箋!堤未果氏との特別対談も収録。【目次】1 時間と知性/2 ゆらぐ現代社会/3 “この国のかたち”考/4 AI時代の教育論/5 人口減少社会のただ中で/特別対談 内田樹×堤未果 日本の資産が世界中のグローバル企業に売り渡されるー人口減少社会を襲う“ハゲタカ”問題<読む前の大使寸評>内田先生の著書は数多く読んできたが・・・外れが少ないのが売りなので、興味深いのである♪rakutenサル化する世界「Ⅱ ゆらぐ現代社会」で中国の脅威が語られているので、見てみましょう。この本の発刊当時(2020年)は、好中・嫌韓だったようで・・・情勢は変わりつつあるようです。p49~54<China Scare 中国が怖い> 日韓関係が「史上最悪」である一方で、かつて排外主義的なメディアの二枚看板だった「嫌中」記事が姿を消しつつあることにみなさんは気づかれただろうか。 なぜ嫌韓は亢進し、嫌中は抑制されたのか。私はそれについて説得力のある説明を聞いた覚えがない。誰も言ってくれないので、自分で考えた意見を述べる。たぶん読んで怒りだす人がたくさんいると思うが許して欲しい。『フォーリン・アフェアーズ・リポート』はアメリカの政策決定者たちの「本音」がかなり正直に語られているので、毎月興味深く読んでいるが、ここ1年ほどはアメリカの外交専門家の中に「中国恐怖(China Scare)」が強く浸透していることが実感される。 かつて「赤恐怖(Red Scare)」といわれる現象があった。1950年代のマッカーシズムのことはよく知られているけれど、1910年代の「赤恐怖」についてはそれほど知られていない。 1917年にロシア革命が起きると、アメリカでもアナーキストたちによる武装闘争が始まった。1919年の同時多発爆弾テロでは、パーマー司法長官の自宅まで爆破された。政府はこれによって「武装蜂起は近い」という心証を形成した。 今聞くと「バカバカしい」と思えるだろうけれど、その2年前、まさかそんなところで共産主義革命が起きるはずがないと思われていたロシアでロマノフ王朝があっという間に瓦解したのである。未来は霧の中である。アメリカでだって何が起きるかわからない。 なにしろ、1870年代の「金ぴか時代」から後、アメリカは政治家も司法官も腐敗の極にあり、資本家たちの収奪ぶりもまた非人道的なものであったからだ。レーニンは1918年8月に「アメリカの労働者たちへの手紙」の中で「立ち上がれ、武器をとれ」と獅子吼し、1919年3月には、世界30ヵ国の労働者組織の代表者たちがモスクワに結集して、コミンテルンの指導下に世界革命に邁進することを宣言していた。 十月革命時点でのロシア国内のボルシュヴィキの実数は10万人。1919年にアメリカ国内には確信的な過激派が6万人いた。そう聞けば、アメリカのブルジョワたちが「革命近し」と言う恐怖心に捕えられても不思議はない。(中略) 私が言いたいのは、アメリカ人は意外に「怖がり」だということである。 アメリカ人は久しくソ連を恐れていた。冷戦が終わった後はイスラムを恐れていた。そして、今は中国を恐れている。 もちろん中国を恐れるには十分な理由がある。 最大の理由はAI軍拡競争において中国に後れを取っているのではないかという懸念が政府内部に広がっているからである。 中G区では、党中央がある国防戦略を採択したら、命令一下全国民資源をその一点に集中できる。軍も企業も大学も党中央には逆らえない。だが、アメリカではそうはゆかない。政府が「国家的急務」とみなすプロジェクトがあったとしても、そこに民間の人材や資源を集中するためにはしかるべき手続きが要る。民主国家だから当然である。 仮にGoogleやÀmazonに個人情報にかかわる企業秘密を政府に差し出せと言っても、おいそれとは聞いてもらえない。グローバル企業である兵器産業が自社利益を優先して(F35のような)不良在庫を軍に売りつけようとするのも止められない。 そして、本当のことを言うと、もうミサイルも空母も戦闘機も軍略的にはそれほどの緊急性がないのである。 AIが戦争概念を一変させた。 AIは人間よりも、大量の情報を瞬時に判断できるので、リアルタイムで複雑な戦況で最適解を出す仕事には人間より適している。AIシステムは戦場でも人間より迅速かつ正確かつ組織的に移動することができる。一方、システム攪乱のためのディープフェイク技術も進化している。 アメリカの兵器システムにサイバー・セキュリティ上の抜け穴が存在し、「比較的単純なツールと技術」で、これを利用できることを2018年にアメリカ政府監査院が指摘した。 ミサイルや空母や戦闘機のような兵器の装備がいくら充実していても、それを統御するコンピュータシステムが攪乱されたら、戦争はできない。だから、本当は戦闘機や空母を作る金があったら、サイバー・セキュリティの精度を高める方が優先するのである。ところが、アメリカではそれが遅れている。 この点では中国は明らかにアドバンテージがある。中国は独裁国家だから、AI技術の軍事転用に抵抗する勢力は国内にはいない。顔認証システムやカメラによる国民監視システムでは中国はすでに世界一である(パッケージしてシンガポールやアフリカの独裁国家に輸出しているほどである)。 遠からずアメリカはAI技術における相対優位を失うだろうとアメリカの軍事の専門家たちは警告している。
2024.10.14
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手あたり次第」でしょうか♪<市立図書館>・サル化する世界・遊牧民、はじめました。・開国前夜、日欧をつないだのは漢字だった・ノイエ・ハイマート<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【サル化する世界】内田樹著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より現代社会の劣化に歯止めをかける、真の処方箋!堤未果氏との特別対談も収録。【目次】1 時間と知性/2 ゆらぐ現代社会/3 “この国のかたち”考/4 AI時代の教育論/5 人口減少社会のただ中で/特別対談 内田樹×堤未果 日本の資産が世界中のグローバル企業に売り渡されるー人口減少社会を襲う“ハゲタカ”問題<読む前の大使寸評>内田先生の著書は数多く読んできたが・・・外れが少ないのが売りなので、興味深いのである♪rakutenサル化する世界【遊牧民、はじめました。】 相馬拓也著、光文社、2024年刊<「BOOK」データベース>より地平線の先までずっと続くモンゴルの大草原。そこに生きる“悠々自適”な遊牧民。大自然に囲まれた彼らの暮らしを想像して、一度は憧れたことがある人もいるだろう。しかし、彼らの暮らしは本当に“悠々自適”なものなのだろうか。一度で150㎞にも及ぶ遊牧、マイナス40℃を下回る極寒の冬、家畜という懐事情をご近所に曝け出した生活ー。本書では、そんな遊牧暮らしのリアルを、長年、彼の地でフィールドワークを続けてきた著者が赤裸々に綴る。ときに草原を馬で駆け、ときに大自然に牙を剥かれ、ときに遊牧民たちにどつかれる日々の中で気づいた、草原世界で生き抜くための「掟」とはー?<読む前の大使寸評>追って記入rakuten遊牧民、はじめました。【開国前夜、日欧をつないだのは漢字だった】 小川誉子美著、ひつじ書房、2023年刊<「BOOK」データベース>よりペリーは日本に開国を迫るとき、日本事情を中国語文献で予習した。吉田松陰は密航をくわだて、漢文で交渉した。中国語を通して世界にアクセスした、交流の歴史。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten開国前夜、日欧をつないだのは漢字だった【ノイエ・ハイマート】池澤夏樹著、新潮社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりある日、難民になる。「新しい故郷」を求めて、歩きだす。そんなに遠い世界の話ではないのです。シリアで、クロアチアで、アフガニスタンで、満洲で、生きのびるために難民となった、ふつうの人たち。その姿と心を、てのひらで触れるようにして描きだす。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/29予約、副本?、予約?)>rakutenノイエ・ハイマート
2024.10.14
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・絲山秋子『神と黒蟹県』(3/02予約、副本3、予約63)現在24位・三浦しおん『しんがりで寝ています』(4/12予約、副本?、予約106)現在10位・カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」(4/27予約、副本1、予約48)現在8位・前田和男『昭和街場のはやり歌』 (5/10予約、副本?、予約8)現在3位・小倉ヒラク『アジア発酵紀行』 (5/14予約、副本2、予約5)現在6位・内田樹『勇気論』(7/07予約、副本?、予約?)現在13位・有田芳正『誰も書かなかった統一教会』(7/27予約、副本?、予約?)現在4位・消費者金融ずるずる日記(8/27予約、副本6、予約112)現在97位・パッキパキ北京(8/29予約、副本9、予約111)現在84位・転がる珠玉のように(9/05予約、副本7、予約87)現在71位・原爆裁判(9/11予約、副本?、予約133)現在120位・沈む日本4つの大罪(10/10予約、副本?、予約?)<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・井上ひさし『本の運命』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・「中国」はいかにして統一されたか・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・猫社会学、はじめます:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・闇の中国語入門・奪還 日本人難民6万人を救った男:・ぜんぶ、すてれば:延滞本返却後に予約する<予約分受取:7/18以降> ・椎名誠『続 失踪願望』(5/31予約、7/18受取)・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、7/27受取)・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、7/27受取)・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、8/06受取)・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、8/27受取)・パンとサーカス(8/28予約、9/01受取)・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、9/12受取)・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、9/22受取)・池澤夏樹『ノイエ・ハイマート』(6/29予約、10/13受取予定)**********************************************************************【神と黒蟹県】絲山秋子著、 文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より「黒蟹とはまた、微妙ですね」。日本のどこにでもあるような「地味県」の黒蟹県。そこで暮らす、そこを訪れる、名もなき人々や半知半能の神がすれ違いながら織りなす、かけがえなく、いとおしい日々。まだ名付けられていない人間関係を描き続けてきた著者真骨頂の連作小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/02予約、副本3、予約63)>rakuten神と黒蟹県【しんがりで寝ています】三浦しおん著、 集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>より雑誌「BAILA」での連載4年分に、書き下ろしを加えた全55編!三浦しをんの沼にどっぷりハマる、最新&爆笑エッセイ集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/12予約、副本?、予約111)>rakutenしんがりで寝ています【カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」】 室橋 裕和著、集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりいまや日本のいたるところで見かけるようになった、格安インドカレー店。そのほとんどがネパール人経営なのはなぜか?どの店もバターチキンカレー、ナン、タンドリーチキンといったメニューがコピペのように並ぶのはどうしてか?「インネパ」とも呼ばれるこれらの店は、どんな経緯で日本全国に増殖していったのか…その謎を追ううちに見えてきたのは、日本の外国人行政の盲点を突く移民たちのしたたかさと、海外出稼ぎが主要産業になっている国ならではの悲哀だった。おいしさのなかの真実に迫るノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/27予約、副本1、予約48)>rakutenカレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」【昭和街場のはやり歌】前田和男著、 彩流社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「はやり歌」から、明日の日本の姿が見えてくる…。歌とともに時代を共有した「団塊」といわれるベビーブーマー世代が、エピソードを交え描く歌謡社会文化論!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/01予約、副本?、予約8)>rakuten昭和街場のはやり歌【アジア発酵紀行】小倉ヒラク著、文藝春秋、2023年刊<出版社>よりアジアの巨大な地下水脈をたどる冒険行。「発酵界のインディ・ジョーンズ」を見ているようだ!ーー高野秀行(ノンフィクション作家) 自由になれーー各地の微生物が、奔放な旅を通じて語りかけてくる。ーー平松洋子(作家・エッセイスト)発酵はアナーキーだ! チベット~雲南の「茶馬古道」からインド最果ての内戦地帯へーー前人未到の旅がいま幕をあける! 壮大なスケールでアジアの発酵文化の源流が浮き彫りになる渾身作。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/14予約、副本2、予約21)>rakutenアジア発酵紀行【勇気論】内田樹著、光文社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりモヤモヤを抱えた編集者との“カウンセリング”往復書簡。ジョブズ、フロイト、孔子、伊丹万作、河竹黙阿弥、大瀧詠一、パルメニデス、富永仲基…話頭は転々として奇を極めー。いまの日本人に一番足りないものは何だろうか?読めば心が軽くなるーウチダが綴る9通のメッセージ。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/07予約、副本?、予約?)>rakuten勇気論【誰も書かなかった統一教会】有田芳正著、集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>より2022年7月の安倍元首相銃撃事件後、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と政界の癒着を中心に多くの報道があった。だが、メディアが報じたのは全体像のごく一部だった。教団をめぐる多くの問題が残されたまま事件の風化を憂慮したジャーナリストが、教団の政治への浸食の実態、霊感商法の問題はもちろん、「勝共=反共」にもかかわらず北朝鮮に接近していた事実、教団の実態を早くから認識していたアメリカのフレイザー委員会報告書、教団関係者による銃砲店経営、原理研究会の武装組織、「世界日報」編集局長襲撃事件、公安が教団関係者を調査していた事実等、その全貌を公開する。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約(7/27予約、副本?、予約?)>rakuten誰も書かなかった統一教会【消費者金融ずるずる日記】 加原井末路著、三五館シンシャ、2024年刊<「BOOK」データベース>より1990年代の半ば、30歳のときに足を踏み入れ、50歳で退職するまでの20年を私はこの業界ですごし、お金にまつわる悲喜こもごもを目撃した。私が在籍した期間は、消費者金融業界が栄華を極めてから、2010年の法改正施行を経て、没落していく年月でもあった。-本書にあるのはすべて私の実体験である。「お客を追い込む仕事」。サラ金社員が経験した、貸し手と借り手のお金の修羅場。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten消費者金融ずるずる日記【パッキパキ北京】綿矢りさ著、集英社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりコロナ禍の北京で単身赴任中の夫から、一緒に暮らそうと乞われた菖蒲。愛犬ペイペイを携えしぶしぶ中国に渡るが、「人生エンジョイ勢」を極める菖蒲、タダじゃ絶対に転ばない。過酷な隔離期間も難なくクリアし、現地の高級料理から超絶ローカルフードまで食べまくり、極寒のなか新春お祭り騒ぎ「春節」を堪能する。街のカオスすぎる交通事情の把握や、北京っ子たちの生態調査も欠かさない。これぞ、貪欲駐妻ライフ!北京を誰よりもフラットに「視察」する菖蒲がたどり着く境地とは…?<読む前の大使寸評>追って記入rakutenパッキパキ北京【転がる珠玉のように】ブレイディみかこ著 、中央公論新社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりLike A Rolling Gem。大人の山あり谷ありライフを越えていけ!結婚するゲイの友人、職人魂を燃やす父、イギリスで、日本で、社会の底を支える労働者たちの人生劇場。泥くさい毎日を“宝石”に変える著者3年ぶりの最新エッセイ集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約(9/05予約、副本7、予約87)>rakuten転がる珠玉のように【原爆裁判】山我浩著、毎日ワンズ、2024年刊<商品説明>より日本初の女性判事・三淵嘉子が昭和三十年代に裁判官を務めた「原爆裁判」に焦点を当てた書き下ろし。原爆を巡るアメリカの闇を追及すると共に三淵嘉子の半生を紹介、さらに、世に名高い「原爆裁判の判決文」も付載した一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/11予約、副本?、予約133)>rakuten原爆裁判【沈む日本4つの大罪】 植草一秀×白井聡著、ビジネス社、2024年刊<「BOOK」データベース>より捏造と欺瞞、狡猾と策略で、夢も希望も失った日本人に告ぐ!奴隷国家に堕した日本の国難に打ち勝つ再生への処方箋。経済学の論客と気鋭の政治思想家が日本のタブーに斬り込む!LGBTQ、SDGs、コロナワクチン、政権と大企業の罠、メディア腐敗etc。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約 (10/10予約、副本?、予約?)>rakuten沈む日本4つの大罪【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.10.13
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図書館で『日本の「中国人」社会』という本を、手にしたのです。著者・中島恵は中国人関連本ばかり書いている人で、中国を探るには欠かせない人のようです♪【日本の「中国人」社会】中島恵著、日本経済新聞出版社、2018年刊<「BOOK」データベース>より日本の中に、「小さな中国社会」ができていた!住民の大半が中国人の団地、人気殺到の中華学校、あえて帰化しないビジネス上の理由、グルメ中国人に不評な人気中華料理店ー。70万人時代に突入した日本に住む中国人の日常に潜入したルポルタージュ。<読む前の大使寸評>著者・中島恵は中国人関連本ばかり書いている人で、中国を探るには欠かせない人のようです♪rakuten日本の「中国人」社会「第2章 日本に持ち込まれた〝コミュニティ〟の構造」から中国人コミュニティを、見てみましょう。p55~58<血縁がなければ、地縁に頼る>「30年近く前、来日したばかりのころは、空港から直行で友人のアパートに転がり込み、そこで暮らしながら、徐々に日本の生活に慣れていったものです。だからそのあとも友人のアパートの近くに住みました。他に頼りになる人は誰もいなかったので」 川口市や横浜市の話を、ある50代前半の中国人に話したところ、彼は「うん、うん」と深くうなづきながら、自らの来日当時のことを懐かしそうに振り返った。六畳の木造アパートで友人と将来の夢を語り合ったという。「両親への国際電話はテレホンカードを使って月に一度だけ。事前に時間を決めて公衆電話から掛けました。週に一回くらい手紙も書きました。携帯電話もない時代でしたから」 当時、日本と中国の精神的距離はとても遠かった。そんな時代から現在まで、彼らは常に独自ルートで、生活や仕事が潤滑が回るようにお互いに協力してきた。 中国人のコミュニティといえば、まず血縁、そして地縁(同郷、土地に基づく縁故関係)やビジネスの縁(仕事関係、同業など)、学縁(学閥や子弟関係)などがあり、これらを日本人以上に重視するといわれる。中国国内だけでなく世界中どこに住んでも同様だ。 これを華人・華僑ネットワークと表現することもある。 血縁とは、家族や親戚関係のことだ。鄧小平氏の改革・開放政策により、1980年代から本格的に来日するようになった留学生にとって、見ず知らずの国に親戚がいたら、何よりも心強かったに違いない。 といっても、留学生がそれほど多くなかった時代は、冒頭の男性のように、親戚はおろか同胞自体も少なく、中国人の間に明確な「コミュニティ」は存在しなかったし、人間関係も今よりシンプルだった。 法務省入国管理局の統計によると、1984年の在日中国人総数は、留学生を含めて約7万人。それが90年になると一気に約15万人にまで拡大した。その後、95年には約22万人、2005年には約52万人、17年の73万人へと伸びていく。 日本で中国人の数が増え、目立つようになってきたのが地縁による結びつき。中国の同じ地域から来日した人同士のつながりだ。本国では知り合いではなかったケースも多い。 北京人、上海人同士など大都市出身者はそうでもないが、それ以外の地方都市、とくに内陸部の中小都市の出身ならば、来日する人数が少ないので欠測はより強くなる。海外で東京都の出身者同士が会ってもそれほど感慨はないが、それ以外の地方都市や市町村の出身者同士などが出会うと、かなり親近感が湧くのと同じだ。 広大な中国には無数の方言があり、生粋の上海人は上海語を使う。上海に留学した日本人には「みんな上海語を話すので、中国語が上達しなかった」という人もいるほどで、外来者に話を聞かれたくない場合には、あえて上海語で話すこともある。 広東省や香港で使われる広東語も同様で、都市ごとに方言があるといってもいい。自分の方言が通じるだけでも心を開き、海外ではとくにその縁を重視する。私が知るかぎり、東京在住の中国人の多くが、同郷会のような少しオフィシャルなものや、カジュアルな同郷人同士のコミュニティに参加している。 東京生まれ天津育ち、北京大学卒業後に来日し、現在は都内の大手ホテルに勤務している佐々木芳邦氏によれば、都内には天津同郷会、吉林同郷会など、地方ごとにたくさんの同郷会が存在するという。佐々木氏が参加する天津同郷会の会員は約400人。20年ほどの歴史があり、毎年春節の時期に新年会を行っている。『日本の「中国人」社会』3:埼玉県のケース『日本の「中国人」社会』2:プロローグの続き『日本の「中国人」社会』1:プロローグ 日本の中国人は、高知県民とほぼ同数
2024.10.13
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図書館で『日本の「中国人」社会』という本を、手にしたのです。著者・中島恵は中国人関連本ばかり書いている人で、中国を探るには欠かせない人のようです♪【日本の「中国人」社会】中島恵著、日本経済新聞出版社、2018年刊<「BOOK」データベース>より日本の中に、「小さな中国社会」ができていた!住民の大半が中国人の団地、人気殺到の中華学校、あえて帰化しないビジネス上の理由、グルメ中国人に不評な人気中華料理店ー。70万人時代に突入した日本に住む中国人の日常に潜入したルポルタージュ。<読む前の大使寸評>著者・中島恵は中国人関連本ばかり書いている人で、中国を探るには欠かせない人のようです♪rakuten日本の「中国人」社会「第1章 なぜ、この街にばかり集まるのか」で埼玉県のケースを、見てみましょう。p24~27<アヒルの首やカエル 本場の料理に腰が引ける> 不動産店を出て3分ほど歩くと、十数軒の中華料理店が立ち並ぶ光景は見慣れているが、レインボーカラーの電飾がチカチカと点滅する看板は、あまり見かけない。これだけでも、観光地化された「日本の中華街」とは趣がかなり異なると感じる。 どの店でも、アヒルの首、ザリガニ、サナギ、モミジ(鶏の足)、カエル、羊肉の串焼き、内臓料理、鉄鍋料理など、日本人に馴染みがない〝本場の味〟を提供している。私が見たかぎり、さすがにヘビや犬肉のメニューは見かけなかったが、もしかしたらメニューにある店もあるかもしれない。 私の取材に同行した中国人女子留学生は山東省出身。大連の大学で学び、来日して1年近くになる。「アヒルの首」の看板に目が釘付けになり、ちょっと腰が引けている私の横で、「これ知っていますか? まるで中国にいるみたい。食べたい!」といって小躍りした。 私たちは中華料理店のひとつ『橋頭私家菜』に入ってみた。店内は広く、ソファ席もゆったりしている。全店員が中国人だったが、日本語でも注文できる様子だ。客も9割は中国人で、平日の夜7時前だったが、すでに5~6人の家族連れがいた。私以外の日本人は、若い中国人女性連れの男性客一人だけ。テイクアウトをする会社員風の中国人がレジ前で何人も待っていた。 日本語と中国語で書かれたメニューを開くと、東北地方と福建省の料理が並んでいた。ふと壁に目をやると、手書きで「福清炒米粉」「福清蕃薯丸」「福清雑湯」と書いてある。値段は一品が1000~2000円程度で、スープや主食系の料理のようだ。 福清とは福建省福清市のこと。店員に聞くと、福清市出身の客が多いから、彼らの故郷のメニューを増やしたという。 日本ではあまり知られていないが、福清といえば、中国では華僑を数多く輩出している地で、「僑郷」(華僑のふるさと)とも呼ばれている。海に面した県級市(県クラスの市)で人口は約135万人。 中国では、100万人でも大都市とはいえないが、かつて「蛇頭」(スネークヘッド。密入国を斡旋するブローカー犯罪組織)の拠点として、数多くの中国人がここから日本に送り出された。一方、東南アジアで成功した華僑の多くも福清の出身である。 それにしても、こんな中国の一地方都市でしか食べられていない郷土料理が、ここ西川口チャイナタウンでは、ごく自然に食べられている。そのこと自体、私には新鮮な驚きだった。『日本の「中国人」社会』2:プロローグの続き『日本の「中国人」社会』1:プロローグ 日本の中国人は、高知県民とほぼ同数
2024.10.12
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図書館で『日本の「中国人」社会』という本を、手にしたのです。著者・中島恵は中国人関連本ばかり書いている人で、中国を探るには欠かせない人のようです♪【日本の「中国人」社会】中島恵著、日本経済新聞出版社、2018年刊<「BOOK」データベース>より日本の中に、「小さな中国社会」ができていた!住民の大半が中国人の団地、人気殺到の中華学校、あえて帰化しないビジネス上の理由、グルメ中国人に不評な人気中華料理店ー。70万人時代に突入した日本に住む中国人の日常に潜入したルポルタージュ。<読む前の大使寸評>著者・中島恵は中国人関連本ばかり書いている人で、中国を探るには欠かせない人のようです♪rakuten日本の「中国人」社会「プロローグ 日本の中国人は、高知県民とほぼ同数」の続きを、見てみましょう。p8~⒓<「不法滞在者ばかり」は、もはや昔の話> 驚くのは人口の多さだけではない。取材を進めてみると、彼らの実像は、多くの日本人がイメージする「中国人像」とは大きくかけ離れ、変貌を遂げている。 これまで、日本人が思い描く中国人像といえば、アルバイトに明け暮れる留学生、不法滞在者、単純労働者や中国料理店の店員、マッサージ師などではないだろうか。事実、そうした人々は多かった。 老華僑を除き、中国人が本格的に日本に住むようになったのは、中国が改革・開放したあとの1980年代からであり、彼らは新華僑(80年以降に来日した中国人)と呼ばれる。 新華僑の第一陣は中国政府から選抜された国費留学生や各省の公的費用などを活用したエリート留学生が中心だった。 その後、留学生ビザの緩和、中曽根康弘元首相の下での「留学生10万人計画」などを背景に、留学生が急増する。90年代には、不法就労を目的にする偽装留学生や就労生も現れるようになり、失踪者や不法滞在者、犯罪に手を染める者も増えてきた。 当時、日中間には著しい経済格差があった。多くの日本人には、そのころ(80~2000年代初頭)の記憶が強く印象に残り、そのまま時が止まっている。中国人による犯罪などのニュースが流れ、悪いイメージを形成する要因にもなった。 むろん、今でもそうした人々がいなくなったわけではないが、日中の経済格差が縮まり、GDPで拮抗し、中国が日本を追い越していく過程で、中国国内の影響を強く受け、日本に住む中国人の実像は大きく変わってきた。 親の勧めに従って来日する富裕層の留学生、日本に留学後、そのまま銀行や商社、メーカーなどに就職して働くホワイトカラー、大学教授、シンクタンクの研究員、高度な技術を持つエンジニア、医師や看護師、行政書士など、さまざまな職業に就くようになってきた。経営・管理ビザを活用し、日中を頻繁に往復しつつ、新規事業を行う起業家も増えている。 法務省などの「高度外国人在の受け入れ・就労状況」によると、国籍・地域別不法滞在者として日本で働く全外国人のうち、65%が中国人で、圧倒的多数を占める(ちなみに、二位は米国人、三位はインド人だ)。「高度外国人在とは、専門的な技術や知識を持つ外国人のことで、高学歴で職歴、収入など多数のチェック項目をクリアしたわずかな人材だけが取得できるビザのこと」(行政書士の張建紅氏)である。 張氏によると「昔は不法滞在者や、ビザを取得するために日本人と結婚する人がいたのは事実だが、今は非常に少ない。むしろ財産があり、日本国内に法人を設立する経営管理ビザの取得者が増えている」という。こうしたことから、日本ではハイレベルな中国人の人材が増えていることがわかる。 中国人の居住地域は、日本全国に広がっているベトナム人などと比べて、東京都(約20万人)、神奈川県(約6万5000人)、埼玉県(約6万3000人)などの大都市圏に集中しているのが特徴で、勤務先や生活拠点も主に首都圏である。 外国人犯罪の国籍別検挙数は全体的に右肩下がりになっており、なかでも中国人の検挙数は2010年ごろから劇的に下がっている。 男女比では、6対4で女性が多く、構成比では20~39歳が全体の58%を占めている。 高知県民にもさまざまな人がいて、さまざまな職業に就いて社会を構成しているように、日本の中国人社会も多様化が進んでいるのだ。<どの街で、どのように暮らし、何を考えているのか> 中国は2010年にGDPで日本を追い越し、18年には日本の約3倍の規模にまで到達しようとしている。本国ではITを活用したビジネスやキャッシュレス化が進み、街並みも人も急速に洗練されてきている。多くの日本人がイメージしている中国像との乖離はますます進んでいる。 本国の猛烈な勢いを追い風にして、日本に住む中国人一人ひとりの存在感も増している。在日中国系企業が多く加盟する「日本中華総商会」の会員企業を見ても、貿易、製造、IT、サービス業まで業種の幅が広がっており、日本の経済界とのつながりも太くなってきている。 在日中国人の〝変化〟が大きくなってきたのは、私の認識では「爆買い」が始まった2014年ごろからであり、中国の躍進とピタリと連動している。中国社会が大きく変わるとき、在日中国人社会も変わっていくのだ。 人口14億人を擁する中国はあまりにも巨大で、多様で、奥が深い。社会の変化のスピードも尋常ではなく、人々は常に流動している。そんな「よくわからない国」を理解するのは至難の業だ。『日本の「中国人」社会』1:プロローグ 日本の中国人は、高知県民とほぼ同数
2024.10.12
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図書館で『中国人は見ている。』という新書を、手にしたのです。中国といえば、中国共産党政権の脅威に日々脅かされている昨今であるが・・・日中の異文化ギャップが述べられていて興味深いのである♪【中国人は見ている。】 中島恵著、日本経済新聞出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より日本人の「あたりまえ」が、中国人にはこれほど異様に映る!飲み会で豹変する上司にいら立ち、会議後の同僚の「ある行為」に感心。大阪に親しみを覚え、寿司店の「まかない」に衝撃を受けるー。日本を訪れた中国人は、この国の何に戸惑い、何に感動するのか。日中の異文化ギャップを多くのエピソードから探る。<読む前の大使寸評>中国といえば、中国共産党政権の脅威に日々脅かされている昨今であるが・・・日中の異文化ギャップが述べられていて興味深いのである♪rakuten中国人は見ている。「第5章 日本人の中国観」でイメージカラーとしての紅色を、見てみましょう。p193~195<なぜ「紅色」がイメージカラーなのか> 昔ながらのラーメン店や町中華でよく見かけるものといえば、赤いちょーちん、赤いテーブル、赤い丸椅子だ。すべてが赤いわけではないが、赤を基調とした内装や装飾が多い。 メニューはたいてい壁に貼ってあり、しょうゆラーメン、味噌ラーメンなどの麺類のほか、麻婆豆腐、酢豚、八宝菜、餃子、チャーハン、冷やし中華などだ。 中華料理店以外でも、中国に関連するものは同じように赤い。書店の中国本コーナーに行くと、赤い表紙や帯がやたらと目につく。赤と白、赤と黒、赤と黄色という配色の表紙が圧倒的に多い。 実際に書店の書棚を眺めてみると、赤は表紙だけでなく、本のタイトルやサブタイトルにも使われていた。『紅い帝国』『紅い中国』『紅い皇帝』『紅い人脈』『紅い魔女』・・・。ざっと調べただけでもこれだけあり、まだ他にもありそうだ。 中国語では赤は紅色という。赤にたとえられる国といえば、日本人はそれが中国だとすぐに理解できる。 日本人が作曲した不思議な中華風BGMとは違い、中国とえば赤と私たちが連想するのには、明確な理由がある。 まず、赤は中国共産党の建国からのシンボルカラーだからだ。中国国旗は「五星紅旗」といい、赤地に五つの黄色い五ボウ星を配したもの。赤色は共産主義革命を、黄色は光明を表わす。 さらに、中国で赤といえば昔から吉祥や財運を表わす「おめでたい色」であり、さまざまな場面で多用されてきた、というのが最も大きな理由だろう。 春節、結婚、開店など「ハレの日」は必ず赤いもので壁や柱を飾りつける。結婚は「紅事」、結婚式で配る赤い包み紙の飴は「喜糖」、お年玉やご祝儀の袋は「紅包」。子どもが生まれたときに親族や同僚などに配る卵があるが、それは「紅蛋」と呼ばれる。 赤には古くから太陽の力、血液の力が宿るとされ、邪気を払い、パワーをつける意味がある。 中国から日本に伝わってきた風習として、日本人に身近なものといえば、還暦のときに着る赤いちゃんちゃんこがある。干支が60年で一巡し、再び赤ちゃんに戻る、邪気を払うという二つの意味があるとされる。『中国人は見ている。』1:日中のラーメン
2024.10.11
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30℃以上の真夏日が終わってやっと涼しくなりましたね♪町行く人たちの服装も長袖、半袖が入り交じって混乱しています。ここで、サウジアラビアの酷暑を思い出すわけで、以下のエントリーを復刻しようと思ったのです。*********************************************************<なに? サウジの海水淡水化事業ってか>ネットを巡っていたら「サウジアラビアが挑む次世代型海水淡水化事業」というのがヒットしたのです。なに? サウジの海水淡水化事業ってか、それもシュケイクに設置されたとか、これは(多分)私が地獄のように苦しいめに喘いだ現場ではないか・・・ということで、以下のとおり紹介します。サウジアラビアが挑む次世代型海水淡水化事業より サウジアラビアは、国土の大部分が砂漠であり、川がないために水資源が限られた国である。この厳しい環境を原動力にし、同国は海水淡水化事業で世界をリードしてきた。淡水化技術を従来の蒸発法から特殊な膜を用いて淡水を生産する逆浸透法(RO)へと進化させたことで温室効果ガス排出量を削減し、再生可能エネルギーの使用によりさらなる環境負荷の低減にも取り組んでいる。 また海洋生態系への影響を懸念し、2030年までに逆浸透法で生成される濃縮海水の海洋放出ゼロを目指す。サウジアラビアがけん引する次世代型海水淡水化事業の可能性について、現地在住リサーチャーがレポートする。■サウジアラビアの水資源事情と海水淡水化事業の重要性 サウジアラビアは、世界でも特に水資源が乏しい国の一つである。そのため、国の水供給の大部分は海水淡水化に依存している。環境・水資源・農業省(MEWA)によると、2030年までに都市部の水供給の90%(現在は約70%)を海水淡水化によって賄う計画が立てられており、未だ達成していない上水道の普及率100%を目指している。 政府は、ビジョン2030の枠組みの中で経済の多様化と公共サービスセクターの発展を推進しており、海水淡水化はその中核的な役割を果たしている。*********************************************************地獄のようなサウジレポートを、過去の日記で見てみましょう。・2009.07.22死の場所・タクラマカン・2009.07.21sauji dassyutu・2009.07.17帰国近し・2009.07.16約1ヶ月ぶりの休日・2009.07.15夏が来~れば 思い出す・2009.07.10「必死のパッチ」で・2009.07.08「挽歌」の聴き比べなど、如何?・2009.07.04刑期再延長・2009.07.01サウジの空港職員・2009.06.28サウジのテレビ事情・2009.06.24ノー プロブレン・2009.06.21焼酎を持ってこんかい!・2009.06.18刑期延長(地獄のサウジレポート3)・2009.06.14地獄のサウジレポート2・2009.06.12紅海が見えた ・2009.06.10地獄のサウジレポート(第1報)・2009.06.05急遽 サウジアラビアに出張
2024.10.10
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図書館で『中国経済の属国ニッポン』という新書を、手にしたのです。表紙に「マスコミが言わない隣国の支配戦略」とあるが・・・私のツボが疼くわけでおます♪【中国経済の属国ニッポン】加谷珪一著、幻冬舎、2021年刊<「BOOK」データベース>より2030年にも、中国はGDPで米国を抜き、世界一の経済大国になる。2021年、中国共産党は歴史的な政策転換を提示。それは中国を中心にブロック経済を構築し、米国や日本抜きでも成長するという内容だ。さらに、テクノロジーや軍事力でも、米国に取って代わる日が近づく。一方、近年の日本経済は「爆買い」など、中国に大きく依存してきた。隣国の覇権獲得は、日本が今後、中国の土俵での外交やビジネスを強いられることを意味する。このまま日本は中国の属国に成り下がるのか?データで示す中国の現状と、我が国の生き残り策。<読む前の大使寸評>このところ、鼻息の荒い中国と意気消沈の日本を対比しながら、著者の説く生き残り策とは?rakuten中国経済の属国ニッポン「第1章 2030年、米中の覇権が逆転する」の冒頭を、見てみましょう。p17~21<GDPトップになれば外交・軍事でも支配的に> 近年、中国がめざましい経済発展を遂げ、日本を抜いて世界第2位の経済大国になっていることは多くの人が認識していると思います。そして中国と米国の経済状況を冷静に分析すると、近い将来、もう少し具体的にいうと2030年頃には米中のGDP(国内総生産)が逆転し、中国は世界最大の経済大国になる見込みです。 中国は日本にとっては隣国ですが、地政学的な利害関係が一致せず、基本的な価値観も共有していません。こうした国が世界の頂点に立つということは、日本にとって極めて深刻な事態といってよいでしょう。 第1章では、中国の経済規模が今後どのように推移するのかについて分析していきますが、その前に、経済規模が大きいということが国家覇権(ヘゲモニー)という観点において、どれほど有利なことなのか解説しておきたいと思います。この原理原則が理解できると、今の日本が置かれている状況をより的確に把握できるからです。 皆さんよくご存じのように、国の経済規模というのは通常、GDPで表わされます。GDPはその国の経済力を端的に示す指標ですが、GDPが大きいことがそのまま国民の豊かさにつながっているとは限りません。 GDPの数値が大きくても、人口が多く、1人あたりのGDPの数値が小さければ、国民は豊かな生活を享受できません。1人あたりのGDPはおおよそ国民の平均年収に近い値となりますから、国民生活の豊かさという点では、GDPの絶対値ではなく、1人あたりのGDPを用いて比較するのが適切でしょう。 2020年における日本人の1人あたりGDPは3万9000ドルでしたが、米国は6万3000ドル世界でもっとも豊かな国のひとつである欧州の小国ルクセンブルグは何と10万ドルを超えています。 米国は日本の1.5倍ほど豊かということになりますが、米国における大卒社員の初任給は日本の1.5倍から2倍ですから、1人あたりのGDPの違いとほぼ同じです。物価の違いを考慮した購買力平価の為替レートでドル換算しても近い値なので、米国人は日本人の1.5倍、ルクセンブルグに至っては2.5倍豊かな生活を送っていると考えて差し支えありません。(中略) 一方、中国の1人あたりGDPは市場レートで日本の約4分の1、購買力平価の為替レートでは約半分です。 中国は人口が多く、貧しい地方と裕福な都市部の格差が激しいといわれています。中国沿岸部の大都市は、香港に近い経済水準があると考えられますが、香港の1人あたりのGDPは購買力平価のレートで日本の1.4倍もあります。したがって中国は日本並み、あるいはそれ以上に豊かな都市部と貧しい地方の数値が平均され、現在の1人あたりのGDPが算出されていると見てよいでしょう。全体を平均すれば、中国は日本よりも貧しい状況にあることが分かります。(中略) 一方で、外交や軍事力、ビジネスなど、対外的な交渉力や国家覇権という点では、1人あたりのGDPではなく、GDPの絶対値がモノを言います。この理屈は、圧倒的な経済力を持つ米国が、世界の中心であったことからも直感的に理解できると思います。 戦後の国際社会はすべて米国を中心に回ってきたといっても過言ではありません。そして、米国が世界のリーダーとして君臨し続けることができたのは、ひとえにその巨大な経済力のおかげです。米国はGDPの規模において他国を圧倒しており、これが諸外国に対するパワーの源泉になってきたのです。 一般的に国家が成熟してくると、製造業中心の輸出主導型経済から、個人消費中心の消費主導型経済にシフトしていきます。米国はGDPの約7割が個人消費という典型的な消費主導型経済ですが、米国はその旺盛な購買力を利用して、各国から猛烈な勢いで商品を購入(つまり輸入)してきました。 戦後の全世界的な貿易の流れを見ると、基本的に日本や中国、そして欧州も米国に対して輸出超過となっています。米国は巨大なブラックホールのように世界中からモノを吸い込んでいるわけですから、各国から見れば米国は最大のお客さんということになります。
2024.10.09
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図書館で『中国人は見ている。』という新書を、手にしたのです。中国といえば、中国共産党政権の脅威に日々脅かされている昨今であるが・・・日中の異文化ギャップが述べられていて興味深いのである♪【中国人は見ている。】 中島恵著、日本経済新聞出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より日本人の「あたりまえ」が、中国人にはこれほど異様に映る!飲み会で豹変する上司にいら立ち、会議後の同僚の「ある行為」に感心。大阪に親しみを覚え、寿司店の「まかない」に衝撃を受けるー。日本を訪れた中国人は、この国の何に戸惑い、何に感動するのか。日中の異文化ギャップを多くのエピソードから探る。<読む前の大使寸評>中国といえば、中国共産党政権の脅威に日々脅かされている昨今であるが・・・日中の異文化ギャップが述べられていて興味深いのである♪rakuten中国人は見ている。「第1章 食文化」から日中のラーメンを、見てみましょう。p50~52<中国人が日本で食べたい、もう一つの「別もの」> 多くの日本人も知っているだろうが、中国人が絶賛しているもう一つの「別ものが日本のラーメンだ。漢字表記すると「拉麺」。「中華そば」などと書くこともあり、中国との関係が深いことは誰でも知っているだろう。 中国では小麦粉などの材料を麺のように延ばしたものはすべて麺条と呼び、拉麺はその一種。その呼び名は陝西省、甘粛省などのシルクロードに近い地方で伝統的に食べられるラグマンという料理に由来するという説もある。 日本人が想像するのとまったく同じようなラーメンは、もともと中国には存在しない。 近年、東京にも出店が相次ぐ蘭州拉麺のように「拉麺」という同じ呼び名の料理もある。 しかし、中国人は日本のラーメンを「日式拉麺」と呼び中国のラーメンとは違う食べ物だと思っている。 ラーメンは日本で独自に進化、発展を遂げていくうちに日本を代表する料理となり、今や中国人観光客をも魅了、熱狂させるほど特別な存在になった。彼らは日本のラーメンのどこにそれほど魅力を感じるのだろうか。 日本に住む中国人や、観光でやってくる中国人の多くが口を揃えるのは「日本のラーメンはスープがおいしい」という点だ。 ラーメンを食べるとき、まずスープを一口飲むという日本人は多いが、中国人観光客もそれを見習って同様の行動を取る。「あの濃厚な豚骨スープの味がたまりません。中国でも地方によって似た味はありますが、日本の豚骨はとにかく深みが違う。ラーメン職人がスープの出汁づくりに丁寧に時間をかけているところが中国との違い。まさに中国人が憧れる職人の技、匠の仕事です」 こう絶賛するのは上海在住の40代男性だ。彼は大のラーメン好きで、4、5日程度の日本旅行の際、少なくとも三回はラーメンを食べ歩く。豚骨ラーメンが大好きで、来日した際に行くのは東京・新宿の『一蘭』や銀座の『一風堂』だ。 彼が育った上海には「陽春麺」という「中国ラーメンの一種」はあるが、「ネギを乗せたしょうゆベースのあっさり系の麺で、朝食のときなどにさっと食べたりするもの。日本のような一品料理のラーメンとは違う」という。 私は陽春麺を食べた経験はわずかしかないが、上海のスーパーで半生の麺が売られているのを見かけたことはある。過程で作る以外、比較的安い食堂で食べられる軽食だ。 中国各地には日本でも最近よく名前が知られるようになった山西省名物の刀削麺や、同じく山西省のオーツ麦を使ったヨー麺、北京や山東省などでよく食べられる炸醤麺、字画が58画もあり中国で最も難しい漢字を使うビャンビャン麺、四川省の担々麺など、実にさまざまな麺料理があり、麺の材料の違い、麺の延ばし方や切り方、調理法の種類を見ると、日本より圧倒的に多い。 都内に住む30代の中国人男性も「日本のラーメンは大好き」といいつつも、中国との違いを冷静にこう分析する。「日本人はスープと具に異常にこだわりますよね。でも中国では麺にこだわります。地方によって材料や切り方に特徴があり、上に乗せる具や料理で数十倍のバリエーションが生まれます。 日本では具のチャーシューの作り方にもとことんこだわりますが、中国ではそこまで具にはこだわりません。中国人から見ると、日本人の餃子やラーメンに対する拘り方は〝本末転倒〟。中国人とは全然違うところを重視しています。 でも、日本のラーメンはとにかくおいしいから、これはこれでいいんですが・・・」デジタル朝日に、世界に愛されるラーメンが載っていたので紹介します。パリで「TSUKIJI」を再現したラーメン店を営むフランス人より 元民間航空会社のパイロット。15年ほど前、社員割引で航空券を購入して、初めて訪日し、人生が変わった。 「この素晴らしい食べものは何だ!」 東京で食べた豚骨ラーメンのスープのうまさに衝撃を受けた。 以来、毎年4回ほど、家族らと日本を訪れてはレンタカーで地方のラーメン店を回り、平らげたラーメンは300杯に上る。知人を介して、東京や大阪の店舗のシェフから作り方を習い、パリで店を開くことを決めた。 東京の築地市場も毎回訪れた。歴史を感じさせる古い店構えや、働く人々の息づかいが好きで、閉鎖を知り、市場の雰囲気を残したいと思った。 5年前、ルーブル美術館から歩いて5分の古びた建物の一階に「KODAWARI RAMEN TSUKIJI」を開店した。テーブル席やカウンター席が30以上ある店内には、来日時に集めた「築地場外市場」の文字が入ったポリ袋や、魚を入れる発泡スチロール、軍手などが所狭しと飾られている。市場で録音した競り人の声や鐘の音、ウミネコの鳴き声をBGMとして流し、自家製麺に、イワシやタイなど魚介ベースのラーメン(約2200円)が人気だ。 6日で市場の閉鎖から6年が過ぎた。「とても恋しいけど、築地のエスプリはパリに残っている」。TSUKIJIには一日約650人が訪れ、行列が絶えない。
2024.10.08
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地球温暖化が毎年続き、その影響が過酷になってきた現状に鑑み、以下のように(復刻2)を取りまとめたので紹介します。(丸ごとコピペとなりますが)なお、今年の寒露は10月8日となっております。***********************************************************************このところ、蒸し暑い日が続いたが、やっと涼しく(寒く)なりましたね。彼岸花もやっと開花したが、今年の開花は遅れたようです。***********************************************************************<二十四節季の寒露に注目>早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、寒露のあたりを見てみましょう。和暦p25<寒露>五穀の収穫時期であり、収穫感謝祭のお月見も 現行の暦では10月7日ころ第1日目を迎え、次の節季「霜降(10月22日ころ)」に入る前日までの15日間が「寒露」となる。『暦便覧』では、寒露のころの気候を「陰寒の気に合って露結び凝らんとすれば也」と説明している。 寒露に入るころは、大気の状態が安定してくるため、秋の長雨が終わり晴天が続く。五穀の収穫に適した天候となる。露が霜に変わる直前の時期で、地域によっては紅葉が色づき始めるころでもある。俳句の季語に、「薄紅葉」、「初紅葉」という言葉もある。山野が紅葉に染まり始めた情景を、巧みにとらえた言葉である。 また、「流れ星」や「流星群」が鮮明に見え始まる季節でもある。 10月の異称に「神無月」がある。陰暦の10月の呼称だったが、現在では陽暦10月の呼び名になっている。神様のいない月という意味で、「神の留守」とも呼ばれている。 これは、10月は出雲大社に全国の神様が一堂に集まるため、各地では神が留守になることから付けられた名前。逆に出雲国(現在の鳥取県)では、10月は「神在月」「神有月」と呼ばれている。 寒露の期間の七十二候には、 初候「コウ雁来(こうがんきたる)」冬の渡り鳥・雁が飛来し始める。 次候「菊花開(きくのはな、ひらく)」菊の花が咲く。 末候「蟋蟀在戸(きりぎりす、とにあり)」きりぎりすが戸の辺りで鳴く、となっている。「蟋蟀」は現在の「こおろぎ」のこと。二十四節季の寒露に注目(復刻)二十四節季の秋分に注目(復刻)二十四節季の処暑に注目(復刻)
2024.10.07
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図書館で『日本の「中国人」社会』という本を、手にしたのです。著者・中島恵は中国人関連本ばかり書いている人で、中国を探るには欠かせない穂とのようです♪【日本の「中国人」社会】中島恵著、日本経済新聞出版社、2018年刊<「BOOK」データベース>より日本の中に、「小さな中国社会」ができていた!住民の大半が中国人の団地、人気殺到の中華学校、あえて帰化しないビジネス上の理由、グルメ中国人に不評な人気中華料理店ー。70万人時代に突入した日本に住む中国人の日常に潜入したルポルタージュ。<読む前の大使寸評>著者・中島恵は中国人関連本ばかり書いている人で、中国を探るには欠かせない穂とのようです♪rakuten日本の「中国人」社会「プロローグ 日本の中国人は、高知県民とほぼ同数」の冒頭、見てみましょう。p3~7<中国人の、中国人による、中国人のための料理店> 2018年7月。東京・高田馬場駅で下車し、早稲田大学方面に向かって少し歩いたところにある真新しい中華料理店『沙県小吃』に入った。 メニューは数種類しかなく、中華系ファストフード店といった感じだ。「ねぇ、中国の人ってさ、毎日こんなにおいしいものを食べているの? うそー、ヤバーい」「すごく大勢並んでいるね。ここは中国でも人気のあるお店なの?」 券売機で一杯480円の看板メニュー、ワンタンのチケットを購入し、狭いカウンター席に座ると、大学生らしき女性数人の会話が聞こえてきた。その発音から、一人だけ中国人らしいことがわかる。「こんなにおいしいもの」という言葉を掛けられて、ちょっとうれしそうな表情を浮かべている中国人女性は「パンミョン」と呼ばれる和え麺について、流暢な日本語で解説していた。 高田馬場といえば都内屈指の学生街だ。早稲田大学をはじめ、日本語学校は40校以上あり、専門学校も多い。近年はミャンマー人街と呼ばれ、ミャンマー料理店が多いことで有名になったが、ここ1~2年は急速に中華料理店の勢力も増しつつある。 その新興勢力の多くは中国人経営による店だ。私が見たかぎり、店員はすべて中国人、客も多くが中国人。店内の会話もほとんど中国語だった。 私が訪れた『沙県小吃』は、中国福建省三明市沙県という人口約30万人の()小さな街で発祥した料理を出す店だ。沙県小吃集団という地元企業がチェーン展開し、その店舗数は中国全土で約6万店にも及ぶ。中国国内ではよく見られる平凡な軽食店だが、この高田馬場店は同チェーンの海外進出第一号店だった。 高田馬場の店は福建省福清市出身の起業家、王遠輝氏が経営する。1987年に来日してITビジネスなどを手掛ける王氏は、「中国文化を日本に伝えたい」と沙県小吃集団に持ち掛け、フランチャイズ方式で開業した。看板のロゴやレシピも本国と同じだ。 オープン当初から、日本の中国人社会の間で情報が駆け巡ったせいか、周辺の留学生らが押し寄せ、連日行列ができていた。その噂を聞きつけて、私もオープンから1ヶ月後に足を運んでみたのだが、そこはまさしく〝中国〟だった。 近隣を歩くと、『張亮麻辣湯』『本格熊猫』『蘭州牛肉麺』など、以前は見かけなかった中国語の看板が目立つ。いずれも2017年以降にオープンした料理店だ。 おそらく王氏のような人が、日本に増え続ける〝同胞〟の需要を見込んで開店したのだろう。取材を進めていくにつれ、中国人による中華料理店が東京に増えているのには、他に私が創造もしていなかった理由があった。<急カーブで増え続ける中国人たち> 高田馬場だけではない。今、中国人コミュニティが日本社会にすっぽり入り込んでいるかのような地域がいくつもできている。 東京でいえば、新宿、池袋、亀戸、錦糸町、葛西あたり、大阪では西成地区など。これらの街のある一角に足を踏み入れると、自分のほうが異邦人になったかのような感覚にとらわれる。中でも象徴的なのは埼玉県川口市と神奈川県横浜市だ。 詳細は第1章で紹介するが、人口約60万人の川口市には約2万人の中国人が住み、その多くが西川口と蕨というJRの駅周辺に集中している。自治体別の在留中国人数では、川口市は全国で第五位。東京都、大阪市などの大都市を除くと、川口市の多さはひときわ目立つ。 西川口には新興のミニ中華街が出来上がっており、蕨には芝園団地という中国人率が圧倒的に高い集合住宅もある。 一方、横浜市にある横浜中華街は神戸や長崎と並び「日本三大中華街」と呼ばれ、古くから〝中国人比率〟が高かった。そこには老華僑(1978年の中国の改革・開放以前に来日した中国人)が住み、何世代にもわたって中華料理店を営んできた煌びやかなストリートがある。いわば観光客向けのチャイナタウンだ。 しかし、そこからわずか数キロ離れた横浜市南区にある〝ごく普通の住宅地〟には、近年になって新たに流入してきた若い世代の中国人が集住している。その学区内にある小学校は、児童の約四割が中国人なのだという。その学校を訪れ、休み時間に廊下を歩くと、元気よく響く児童たちの多くが中国語だった。 なぜ、この二つの地区に中国人が集まるようになったのか。 近年、とくに2000年以降、日本に住む中国人の数は急カーブで増え続けている。総務省の統計によると、2017年末時点で、約73万人(台湾、香港を除く)に上り、在日外国人全体(約256万人)の約三分の一を占める。
2024.10.07
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図書館で『日本の異国』という本を、手にしたのです。この本の目次を見ると以下載っていて興味深いのです♪足立区のフィリピンパブ、埼玉県川口市の多文化共生、西葛西のリトル・インディア、新大久保の未来など。【日本の異国】室橋裕和著、晶文社、2019年刊<「BOOK」データベース>より2017年末で250万人を超えたという海外からの日本移住者。留学生や観光客などの中期滞在者を含めれば、その数は何倍にもなる。今や、都心を中心に街を歩けば視界に必ず外国人の姿が入るようになったが、彼らの暮らしの実態はどのようなものかはあまり知られていない。私たちの知らない「在日外国人」の日々に迫る。<読む前の大使寸評>探検家・高野秀行さんがこの本を高く評価しているので、きっと面白い本なんでしょう♪rakuten日本の異国足立区のおじさんたちに愛されるフィリピンパブが報告されているので、見てみましょう。p13~19<竹ノ塚 魅惑の癒しスポット、リトル・マニラ>■リトル・マニラは朝5時から営業「足立区のおじさんたちは、口は悪いけど目が優しいんだよね」 アニーさんはそう言って笑う。「『このヤロ』『バカヤロ』でまず始まるけど、言っていることは正しかったりする。接客のマナーや態度についてよく怒られたけど、勉強になりましたよ」 そんな足立区を拠点に、日本で働くこと25年以上。アニーさんはいま、東武スカイツリーライン竹ノ塚駅のそばにあるフィリピンパブ「カリン」のママだ。 店はなんと朝5時から営業している。「タクシーの運転手たちから、夜勤が明ける朝方に店を開けてほしいって言われて」 運転手たちだけではない。夜の仕事を終えた日本人のホステスやホストたちも飲みにくる。夜が明ける頃になると、今度は年金暮らしのおじいちゃんたちが訪れる。雑多というか、もはや意味不明な客層かもしれない。朝方に飲める店はほかにもあるだろう。でも、足立の人々は老若男女、ここにやってくるのだ。 朝5時から11時までは、飲み放題、歌い放題で、さらに和定食がついて3時間2000円。一般的なアジアンパブだと、1時間3000~5000円というところが多いだろうか。早朝だからか、やたらに安いのである。それにフィリピン人がパブの台所で和食を仕込むという姿もまた足立区ならでは、かもしれない。「あまりお金がなくても、ここに来れば友達がいて会話して、好きな歌を歌って楽しめる。朝や昼のお客さんは増えてますよ」 店内に漂うのは、南国そのままのほどよい脱力感だ。扉を開けたとたんに、ゆるい空気に包まれる。そして出迎えてくれるのは、熱帯の花のような笑顔。いきなり温度と湿度が上がったような気さえする。 そして妙に距離が近いのだ。エッチな意味ではない。お店のフィリピーナたちは、会ったとたんに友達感覚というか、やけに気安いというか、ぜんぜん気を遣わせてくれないのである。かっちり身構えて緊張感すら漂わせながら接客する日本スタイルとはぜんぜん違う。テキトーにがちゃがちゃ水割りをつくり、ほかのフィリピーナとタガログ語でなにやらバカ笑い」をして、かと思ったらじっと目を見つめてきて「オツカレサマ」なんて言ったりする。くだらない冗談ひとつにケタケタと笑い転げてお腹を抱えたり、「ほらほら」とスマホで故郷の農村や家族の写真を見せてきたりする。 どのテーブルもこんな感じで、なんだか女子高の教室にお邪魔しているようなかしましさなのである。彼女たちももちろん仕事だからこうやって接してくれるのだろうが、それにしたって距離が近い。仕事とプライベートの区別がぜんぜんついていない。「みんな一緒に遊んでいるだけだから」 とアニーさんは笑うが、脚とホステスという垣根を取っ払ったような友達感覚は日本のキャバクラやガールズバーとはまったく違う。 客もだんだん、染まってくる。 明るいうちから泥酔して寝込んでいるおじさん。外出したかと思ったらハンバーガーとチキンを買ってきて店にいる人々に振る舞う人。流暢なタガログ語でカラオケを熱唱しては、ギャルたちをどっかんどっかん盛り上げているおじさん。そして家で作ってきたという故郷の料理を持ち寄るフィリピーナたち・・・。 いい意味で弛緩したアットホームな空気と、常連でなくともすぐになじめる親しみやすさは、アジアそのものだ。ひと昔前の淫靡なフィリピンパブのイメージは、あまりない。 フィリピンパブというと誤解されがちだが、お客の多くが求めているのは性的なサービスではない。フィリピーナの大らかさと、ホスピタリティに甘えに、癒されにやってくるのだ。彼女たちとひとときバカ騒ぎをして、腹の底から笑うことで、救われている日本のおじさんたちがいる。■黎明期は1980年代 昭和の昔に一世を風靡したフィリピンパブ。その黎明期は1980年代初頭であったといわれる。当時はまだ貧しかったフィリピンなどの東南アジアから、高度経済成長に沸く日本を目指す女たちの流れがあったのだ。彼女たちは「じゃぱゆきさん」と呼ばれた。 背景はいくつもある。まずフィリピンでは「海外への出稼ぎ」というものが一般的であったこと。アメリカの植民地だった経験もあって英語力が高く、フィリピン人の労働力は世界中で歓迎された。男は建設現場などの肉体労働、女は飲食やメイド。そして夜のサービスに従事する(あるいは十字させられる)こともあった。 国外で働くフィリピン人はOFW(Overseas Filipino Workers)と呼ばれ、現在では一億の母国人口のうちおよそ一割を占める。彼らからの送金は貴重な外貨獲得源であり、故郷の家族を支える。フィリピン人にとって、海外で働くハードルはもともと低いのだ。
2024.10.06
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図書館に予約していた『イラク水滸伝』という本を、待つこと8ヶ月半ほどでゲットしたのです。著者の高野秀行という人は、角幡唯介さんとともに今の日本ノンフィクション界の先陣を走るような人なんですね。「探検本あれこれ」という括りを設けているんですが、高野秀行さんの作品を5作ほど取り上げていて・・・個人的には探検家トップの地位を築いておるわけです♪*********************************************************【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>この民族誌的記録は“現代最後のカオス”ってか・・・ワクワクするでぇ♪<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝イラクのマーシュアラブ刺繍布「第7章 謎のマーシュアラブ布を追え」で謎の刺繍布を見てみましょう。p376~379<3 謎の刺繍布の作り手と会う> ホドルの街中にあるセルマさん宅に到着したのは正午近かった。街中にもかかわらず、周囲には生ゴミが投げ捨てられたドブとも水たまりともつかない「湿地帯」が広がっており、すさまじい悪臭がする。チバーイシュ町の今日の最高気温は41度と予測されていたが、ここはもっと高いだろう。悪臭と猛暑で耐えがたい。 夫は姿を現さず、黒いアバーヤをまとったセルマさんが直接迎えてくれた。ついにアザールの謎が明かされるのかと私はさっきとは別種の興奮にとらえられた。 居間兼客間には彼女の作った布が置いてあった。観光のお土産として買う分には可愛らしくてよいのだろうが、どうにも粗い作りで、コレクションの対象になるような作品ではない。私はひそかに、現在でもアザールの技術が連綿と伝えられていることを期待していたのだが、あっさり打ち砕かれた。しかし嘆く暇はない。ジャーシム宋江が倒れる前に訊くことを訊かねば。 早速インタビューを始めた。セルマさんは本名セルマ・エドベ・ダメジェ・ターイー。1959年ホドル生まれ、良心ともターイーという氏族である。彼女は布作りのグループを束ね、ワークショップを主宰するだけのことはあり、判断が早く、頭のよさそうな人だった。 布作りを始めたのは11歳のとき。つまり1970年頃で、習ったのは近所の人だった。母は作り方を知らず、セルマさんが上手になると逆に教えてあげた。習い始めた理由は「お金になるから」。当時、住んでいた地区には250人ぐらい女性がいたが、そのうちアザールを作れるのは5、6人だけだった。しかも彼女たちは「プロ」だったようだ。ただ、職人というより「内職」という感じではないかと思う。 なんと、今から50年前の時点で、新婦もしくは新郎の母親がアザールを作るという習慣はとっくに失われていたことになる。彼女の母親までは知っていたそうだから、女性の誰もがアザールを作る習慣が残っていたのはせいぜい1950年代くらいかもしれない。 セルマさんは18歳で結婚したが、そのとき自分で新婚用のアザールを作った。 氏族は関係なく、ホドルではみんな同じスタイルのアザールを作っていた。 布地と染料は市場で買い、羊毛はベドウィン(遊牧民)から買っていた。自分で糸を紡いで染めていた。作るのは一人。というのは、刺繍のリングは大きくて同時に二人で仕事はできないし、アイデアもちがうから。 セルマさんに刺繍のやり方をほんのちょっと実演してもらった。 やり方は基本的に日本や世界の他の国で行われている刺繍と同じだ。まず、刺繍したい箇所に丸い「刺繍枠」をはめて、布をピンと伸ばす。日本ではこの輪は大きくても直系30センチ程度のようだが、セルマさんが使っていたのは直径60~70センチもある自転車の車輪フレーム。(中略) 刺繍枠が巨大であることを除けば、特に変わった作り方ではないようだ。セルマさんは体を揺らしながらスピーディーに同じ作業をくり返す。思ったより早く刺繍が布の上に展開していく。刺繍の密度は低く、図案も単純なものが多いので、これなら一枚の布を仕上げるのにさほど時間はかからないだろう。 アザール作りの概要はだいたいわかった。次は「本物のアザール」、つまり伝統的な用途で作られたアザールについて訊きたい。と思ったら、また障害が現れた。 イラク名物、不滅のホスピタリティ。インタビューは突然中断され、なんと昼食になってしまった。もちろん鯉の円盤焼きだ。1秒でも時間が惜しいこのときに。「イラク食、怖い!」という気持ちが久々に甦った。だがジャーシム宋江はセルマさんの手前、辛そうな顔を一切せず、楽しそうに食事をする。ほんとうにこの人はすごい。尊敬する。 ようやく食維持を終えてから、私の布を見せた。セルマさんは思わず息を飲んで、一言「カディーム(古い)・・・」。続いて「ヘロー(素晴らしい)」。 質の高さに驚きを隠せないようだ。 いつ頃のものかと訊くと「わからないけど、70年から90年前のものじゃないかな」。作られた場所は「ホドルかもしれないが、よくわからない。」。 やはり、そんなに古いのか。できれば、この布の製作者を探し出したいと思っていたが、ほぼ不可能だろう。『イラク水滸伝』6:マーシュアラブ刺繍布『イラク水滸伝』5:イラン国境の水滸伝(続き)『イラク水滸伝』4:イラン国境の水滸伝『イラク水滸伝』3:続き(その2)『イラク水滸伝』2:続き(その1)『イラク水滸伝』1:はじめに
2024.10.05
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漢字文化圏に属する日本語と韓国語だから似ていて当然であるが・・・『日本語と韓国語』という新書を持っていたので、以下のとおり復刻して読み直してみましょう♪*********************************************************図書館の本を手当たり次第に、借りている大使であるが・・・・なんか慌しいので、この際、積読状態の蔵書を再読しようと思い立ったのです。・・・再読シリーズの一貫として、以下のとおり取り上げてみます。【日本語と韓国語】大野敏明著、文藝春秋、2002年刊<「BOOK」データベースより>二千年の交流関係をもつ日韓両国には同じことばが少なくない。むかしから共通だった固有語(たとえばカマ)、近代に生み出された漢字語(たとえばヤクソク)、日本統治時代に残してきたことば(たとえばワリバシ)、そして近年、韓国から流入して日本に定着したことば(たとえばキムチ)。その一方、韓国に行って安易に「朝鮮」ということばを使うと、とんでもない目にあいかねない。なぜ南は「朝鮮」を忌避し、北は「朝鮮」に固執するのか。そこには、十九世紀末から二十世紀初頭にかけて存在した「大韓帝国」に対する認識の差があった…。日本と韓国の同質性と異質性をことばを通して、多角的にあぶりだす。 <大使寸評>図書館の本を手当たり次第に、借りている大使であるが・・・・なんか慌しいので、この際、積読状態の蔵書を再読しようと思い立ったのです。Amazon日本語と韓国語日露戦争当時の朝鮮を見てみましょう。p101~103 <大韓帝国と日露戦争> 閔妃暗殺から二年後の明治30(1897)年、李氏朝鮮は国号を大韓帝国と変え、王は皇帝を名乗りました。朝鮮は当初、明、次いで清の藩屏であり、明、清の皇帝のみが陛下で自らは王殿下と称していました。 それが日清戦争における清の敗北で、清の支配力が無に等しくなり、いわば清の呪縛から解放された形で「帝国」「皇帝」「陛下」を名乗ることになったのです。国号に「」の字をつけたのは「大清帝国」「大日本帝国」にならったもので、「朝鮮」を「韓」としたのは、かつての「朝鮮」からの訣別を意味しました。日本とも清とも対等の独立国であるとの認識がうかがわれます。 日本は日清戦争で朝鮮の独立を主張したことから、直ちにこれを承認しますが、これも日本が、朝鮮を清から完全に切り離し、実質的な支配権を確立するための政策の一環だったとみることができます。 明治37(1904)年、かねてから朝鮮を支配して南下しようと企んでいたロシアと日本は激突します。日露戦争の勃発です。この戦争はご承知の通り、日本の辛勝で幕を閉じますが、大韓帝国にとっては日本による支配を決定的にするものとなったのです。 明治37年4月、日本は韓国を保護するという名目の「韓国保護権確立」を閣議決定します。翌38年には伊藤博文が韓国を訪れ、日韓協約を結んで、韓国を正式な日本の保護国としてしまいます。そして漢城を京城(ソウル)と名前を変え、そこに統監府を置き、実質的な韓国の主として君臨することになったのです。 初代総督は伊藤博文。ですが、この時点では日本は大韓帝国、皇帝、陛下という呼称を認めていました。表面上は日韓対等という形をとっていたのです。 そして明治43(1910)年、第三代統監、寺内正毅と大韓帝国内閣総理大臣、李完用(イ・ワンヨン)の間で日韓併合条約(韓国では韓日合邦といいます)が調印されます。その時から昭和20年の日本の敗戦まで、足かけ36年、満35年弱の日本による韓国支配が始まります。 調印した李完用の名は韓国人の間では文字通り売国奴の代名詞となり、現代でもその名を聞くと韓国人は顔をしかめます。李完用の子孫は先祖の墓参りすらままならないといった報道もありました。 また、伊藤、寺内の名は豊臣秀吉、加藤清正と並んで、悪しき日本人の代名詞とされました。いまも韓国のやくざ映画に出てくる悪い日本人の姓は伊藤、寺内、加藤、黒田などが多いのです。『日本語と韓国語』3:日露戦争当時の朝鮮p101~103『日本語と韓国語』2:韓国演歌「カスマプゲ」p44~46『日本語と韓国語』1:儒教民族の先祖p82~85*********************************************************■2020.05.15XML『日本語と韓国語』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202005150001/
2024.10.04
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「中国」でしょうか♪<市立図書館>・中国経済の属国日本・日本の「中国人」社会・日本の異国・中国人は見ている<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【中国経済の属国日本】加谷珪一著、幻冬舎、2021年刊<「BOOK」データベース>より2030年にも、中国はGDPで米国を抜き、世界一の経済大国になる。2021年、中国共産党は歴史的な政策転換を提示。それは中国を中心にブロック経済を構築し、米国や日本抜きでも成長するという内容だ。さらに、テクノロジーや軍事力でも、米国に取って代わる日が近づく。一方、近年の日本経済は「爆買い」など、中国に大きく依存してきた。隣国の覇権獲得は、日本が今後、中国の土俵での外交やビジネスを強いられることを意味する。このまま日本は中国の属国に成り下がるのか?データで示す中国の現状と、我が国の生き残り策。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten中国経済の属国日本【日本の「中国人」社会】中島恵著、日本経済新聞出版社、2018年刊<「BOOK」データベース>より日本の中に、「小さな中国社会」ができていた!住民の大半が中国人の団地、人気殺到の中華学校、あえて帰化しないビジネス上の理由、グルメ中国人に不評な人気中華料理店ー。70万人時代に突入した日本に住む中国人の日常に潜入したルポルタージュ。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten日本の「中国人」社会【日本の異国】室橋裕和著、晶文社、2019年刊<「BOOK」データベース>より2017年末で250万人を超えたという海外からの日本移住者。留学生や観光客などの中期滞在者を含めれば、その数は何倍にもなる。今や、都心を中心に街を歩けば視界に必ず外国人の姿が入るようになったが、彼らの暮らしの実態はどのようなものかはあまり知られていない。私たちの知らない「在日外国人」の日々に迫る。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten日本の異国【中国人は見ている】 中島恵著、日本経済新聞出版社、2019年刊<「BOOK」データベース>より日本人の「あたりまえ」が、中国人にはこれほど異様に映る!飲み会で豹変する上司にいら立ち、会議後の同僚の「ある行為」に感心。大阪に親しみを覚え、寿司店の「まかない」に衝撃を受けるー。日本を訪れた中国人は、この国の何に戸惑い、何に感動するのか。日中の異文化ギャップを多くのエピソードから探る。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten中国人は見ている
2024.10.03
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・絲山秋子『神と黒蟹県』(3/02予約、副本3、予約63)現在25位・三浦しおん『しんがりで寝ています』(4/12予約、副本?、予約106)現在15位・カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」(4/27予約、副本1、予約48)現在9位・前田和男『昭和街場のはやり歌』 (5/10予約、副本?、予約8)現在3位・小倉ヒラク『アジア発酵紀行』 (5/14予約、副本2、予約5)現在8位・池澤夏樹『ノイエ・ハイマート』(6/29予約、副本?、予約?)現在1位・内田樹『勇気論』(7/07予約、副本?、予約?)現在16位・有田芳正『誰も書かなかった統一教会』(7/27予約、副本?、予約?)現在5位・消費者金融ずるずる日記(8/27予約、副本6、予約112)現在97位・パッキパキ北京(8/29予約、副本9、予約111)現在88位・転がる珠玉のように(9/05予約、副本7、予約87)現在73位・原爆裁判(9/11予約、副本?、予約133)現在123位<カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ・カズオ・イシグロ『夜想曲集』・沢木耕太郎『深夜特急』<予約候補>・中野翠『ほいきた、トシヨリ生活』・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・井上ひさし『本の運命』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・「中国」はいかにして統一されたか・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・猫社会学、はじめます:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・闇の中国語入門・奪還 日本人難民6万人を救った男:・沈む日本4つの大罪:延滞本返却後に予約する・ぜんぶ、すてれば:延滞本返却後に予約する<予約分受取:7/07以降> ・三浦しおん『墨のゆらめき』(8/9予約、7/07受取)・米番記者が見た大谷翔平(5/16予約、7/07受取)・椎名誠『続 失踪願望』(5/31予約、7/18受取)・『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(9/18予約、7/27受取)・堤未果のショック・ドクトリン(8/25予約、7/27受取)・吉岡桂子『鉄道と愛国』(12/04予約、8/06受取)・原田ひ香『図書館のお夜食』(10/04予約、8/27受取)・パンとサーカス(8/28予約、9/01受取)・川上未映子『黄色い家』(7/24予約、9/12受取)・高野秀行『イラク水滸伝』(1/06予約、9/22受取)**********************************************************************【神と黒蟹県】絲山秋子著、 文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>より「黒蟹とはまた、微妙ですね」。日本のどこにでもあるような「地味県」の黒蟹県。そこで暮らす、そこを訪れる、名もなき人々や半知半能の神がすれ違いながら織りなす、かけがえなく、いとおしい日々。まだ名付けられていない人間関係を描き続けてきた著者真骨頂の連作小説集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(3/02予約、副本3、予約63)>rakuten神と黒蟹県【しんがりで寝ています】三浦しおん著、 集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>より雑誌「BAILA」での連載4年分に、書き下ろしを加えた全55編!三浦しをんの沼にどっぷりハマる、最新&爆笑エッセイ集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/12予約、副本?、予約111)>rakutenしんがりで寝ています【カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」】 室橋 裕和著、集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりいまや日本のいたるところで見かけるようになった、格安インドカレー店。そのほとんどがネパール人経営なのはなぜか?どの店もバターチキンカレー、ナン、タンドリーチキンといったメニューがコピペのように並ぶのはどうしてか?「インネパ」とも呼ばれるこれらの店は、どんな経緯で日本全国に増殖していったのか…その謎を追ううちに見えてきたのは、日本の外国人行政の盲点を突く移民たちのしたたかさと、海外出稼ぎが主要産業になっている国ならではの悲哀だった。おいしさのなかの真実に迫るノンフィクション。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/27予約、副本1、予約48)>rakutenカレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」【昭和街場のはやり歌】前田和男著、 彩流社、2023年刊<「BOOK」データベース>より「はやり歌」から、明日の日本の姿が見えてくる…。歌とともに時代を共有した「団塊」といわれるベビーブーマー世代が、エピソードを交え描く歌謡社会文化論!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/01予約、副本?、予約8)>rakuten昭和街場のはやり歌【アジア発酵紀行】小倉ヒラク著、文藝春秋、2023年刊<出版社>よりアジアの巨大な地下水脈をたどる冒険行。「発酵界のインディ・ジョーンズ」を見ているようだ!ーー高野秀行(ノンフィクション作家) 自由になれーー各地の微生物が、奔放な旅を通じて語りかけてくる。ーー平松洋子(作家・エッセイスト)発酵はアナーキーだ! チベット~雲南の「茶馬古道」からインド最果ての内戦地帯へーー前人未到の旅がいま幕をあける! 壮大なスケールでアジアの発酵文化の源流が浮き彫りになる渾身作。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(5/14予約、副本2、予約21)>rakutenアジア発酵紀行【ノイエ・ハイマート】池澤夏樹著、新潮社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりある日、難民になる。「新しい故郷」を求めて、歩きだす。そんなに遠い世界の話ではないのです。シリアで、クロアチアで、アフガニスタンで、満洲で、生きのびるために難民となった、ふつうの人たち。その姿と心を、てのひらで触れるようにして描きだす。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(6/29予約、副本?、予約?)>rakutenノイエ・ハイマート【勇気論】内田樹著、光文社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりモヤモヤを抱えた編集者との“カウンセリング”往復書簡。ジョブズ、フロイト、孔子、伊丹万作、河竹黙阿弥、大瀧詠一、パルメニデス、富永仲基…話頭は転々として奇を極めー。いまの日本人に一番足りないものは何だろうか?読めば心が軽くなるーウチダが綴る9通のメッセージ。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(7/07予約、副本?、予約?)>rakuten勇気論【誰も書かなかった統一教会】有田芳正著、集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>より2022年7月の安倍元首相銃撃事件後、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と政界の癒着を中心に多くの報道があった。だが、メディアが報じたのは全体像のごく一部だった。教団をめぐる多くの問題が残されたまま事件の風化を憂慮したジャーナリストが、教団の政治への浸食の実態、霊感商法の問題はもちろん、「勝共=反共」にもかかわらず北朝鮮に接近していた事実、教団の実態を早くから認識していたアメリカのフレイザー委員会報告書、教団関係者による銃砲店経営、原理研究会の武装組織、「世界日報」編集局長襲撃事件、公安が教団関係者を調査していた事実等、その全貌を公開する。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約(7/27予約、副本?、予約?)>rakuten誰も書かなかった統一教会【消費者金融ずるずる日記】 加原井末路著、三五館シンシャ、2024年刊<「BOOK」データベース>より1990年代の半ば、30歳のときに足を踏み入れ、50歳で退職するまでの20年を私はこの業界ですごし、お金にまつわる悲喜こもごもを目撃した。私が在籍した期間は、消費者金融業界が栄華を極めてから、2010年の法改正施行を経て、没落していく年月でもあった。-本書にあるのはすべて私の実体験である。「お客を追い込む仕事」。サラ金社員が経験した、貸し手と借り手のお金の修羅場。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten消費者金融ずるずる日記【パッキパキ北京】綿矢りさ著、集英社、2023年刊<「BOOK」データベース>よりコロナ禍の北京で単身赴任中の夫から、一緒に暮らそうと乞われた菖蒲。愛犬ペイペイを携えしぶしぶ中国に渡るが、「人生エンジョイ勢」を極める菖蒲、タダじゃ絶対に転ばない。過酷な隔離期間も難なくクリアし、現地の高級料理から超絶ローカルフードまで食べまくり、極寒のなか新春お祭り騒ぎ「春節」を堪能する。街のカオスすぎる交通事情の把握や、北京っ子たちの生態調査も欠かさない。これぞ、貪欲駐妻ライフ!北京を誰よりもフラットに「視察」する菖蒲がたどり着く境地とは…?<読む前の大使寸評>追って記入rakutenパッキパキ北京【転がる珠玉のように】ブレイディみかこ著 、中央公論新社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりLike A Rolling Gem。大人の山あり谷ありライフを越えていけ!結婚するゲイの友人、職人魂を燃やす父、イギリスで、日本で、社会の底を支える労働者たちの人生劇場。泥くさい毎日を“宝石”に変える著者3年ぶりの最新エッセイ集。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約(9/05予約、副本7、予約87)>rakuten転がる珠玉のように【原爆裁判】山我浩著、毎日ワンズ、2024年刊<商品説明>より日本初の女性判事・三淵嘉子が昭和三十年代に裁判官を務めた「原爆裁判」に焦点を当てた書き下ろし。原爆を巡るアメリカの闇を追及すると共に三淵嘉子の半生を紹介、さらに、世に名高い「原爆裁判の判決文」も付載した一冊。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/11予約、副本?、予約133)>rakuten原爆裁判【月と不死】N・ネフスキー著、平凡社、1971年刊<出版社>より著者は日本民俗学界の異色の存在として知られるロシア人学者で,柳田国男,折口信夫らと親交を結び,沖縄,東北などの民俗を採録した。本書は日本語で発表された論文・書簡を網羅した唯一の著作集。<読む前の大使寸評>ロシア人にして、日本民俗学界の異色の存在が気になるのです。<図書館予約:(とりあえずカートに入れておこう)>heibonsha月と不死図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。予約分受取目録R26好書好日トップ図書館情報ネットワーク 蔵書検索
2024.10.03
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日本は世界に冠たる漫画・アニメの大国であるが、ベルギー発の『タンタンの冒険』もなかなかのもので・・・以下のとおり復刻して読み直してみようと思い立ったのです♪*********************************************************図書館で『タンタンの冒険 その夢と現実』という大型本を手にしたのです。ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪【タンタンの冒険 その夢と現実】マイクル・ファー著、ムーランサール ジャパン、2002年刊<商品の説明>より本書では「タンタン、ソビエトへ」から未完成の最後の物語「タンタンとアルファアート」までの物語を 順に解説しています。 現実世界を想像の世界に取り込んだエルジェのクリエイティビティ、 完璧なものへの彼の追求など、エルジェの創作のすべてを語っています。 慎重なリサーチが もたらす各ストーリーの詳細の正確さは、エルジェの作品の大きな特長です。 実際にエルジェが参考にした資料写真とその反映されたシーンを対比させながら 解説されているので、より深く「タンタンの冒険」の世界を知る事が出来ます。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくると、漫画の画面とそのシーンの元になった写真が載っているし・・・なにより丁寧な解説に好感を持つわけでおます♪amazonタンタンの冒険 その夢と現実訳者の想いを「訳者あとがき」に、見てみましょう。<訳者あとがき>p204~205タンタンとエルジェと私:小野耕世 私がタンタンの生みの親、エルジェに会ったのは1972年11月3日のことだった。私はイタリアのルッカ市で開催された第8回国際コミックス=アニメ大会(LUCCA8)に、日本からの初めての代表として招待されて来ていた。 初めてタンタンのマンガを手にしたのは、1960年のことで、東京・神田の古本屋で「レッド・ラッカムの宝」の英語版(1959年にロンドンで刊行されたもの)を見つけて買ったのである。現行の版と同じハードカバーだが、背中の部分が赤色だった。 読み始めると、すぐに夢中になってしまった。こんなにおもしろく深みがあり、楽しく美しい品格のあるコミックスがあったのか。それから私は「タンタン」の英語版を次つぎと洋書店(丸善)に注文しては、届くのを楽しみにしたものだ。 この本を訳しながら、タンタン・シリーズのなかでも、この「レッド・ラッカムの宝」が最も売れていると知ったのだが、私は偶然、最も人気のある本を最初に読んだことになる。それは幸いだった。私はまっさきに、大酒飲みのハドック船長が大好きになってしまったのだから・・・。 ルッカのホテルでエルジェに会ったとき、私はあこがれの人を前にして、すっかり緊張していた。(中略) そのとき私は、手に小型カメラを持っていたのだが、なんだか恐れ多いような気がして、写真をとらせて下さいと言うことができなかった。いまにして思えば、もちろんエルジェは喜んでカメラに収まってくれたにちがいないのに。その代わり私は、スケッチブックをさしだした。 たいていの人がエルジェニサインを頼むとき、タンタンとスノーウィの絵を描いてもらうのだろうが、「ぜひ、ハドック船長もいれて描いてください」と私は頼んだ。彼は、そうしてくれた。その絵のなかでハドック船長は「コンニャローのバーロー岬!」と(フランス語で)言っている。 私はこの年の10月、東京からまずサンフランシスコに行き、1960年代の末から70年代初めにかけて西海岸を中心に盛んだったアンダーグラウンド・コミックスの旗手ロバート・クラムに会っていた。クラムは最新作のマンガ「フリッツ・ザ・キャット」の原画16ページ分を私に託してくれた。それで私は、さらにニューヨーク、ロンドン、パリ、バルセロナをまわってルッカに至る旅のあいだ、ずっとその16枚の原稿をスーツケースにいれていた。 その話を私がすると、エルジェは身をのりだすようにした「その原稿、いま持っているのかね?」「持っています」「見せてくれないかね?」「もちろんですとも」私はすぐに原画をとりだして、エルジェに渡した。彼は1枚1枚、ゆっくりと目を通していった。「おもしろいね。実におもしろい」と彼はつぶやいた。「クラムは偉大だね。すばらしいよ。いいねえ」。 私はエルジェの反応に感激していた。タンタンのマンガとクラムのいわゆるとは、いわば正反対の描法である。エルジェは保守的だと批判されていたという話も、私は読んだことがあった。そのエルジェが、新しい価値観をひっさげて登場した時代の最先端を行くロバート・クラムのマンガに目を輝かせている・・・。 ああ、そうだ、これが本当のエルジェなのだと、私はそのときさとったのだった。『タンタンの冒険 その夢と現実』5:訳者あとがき『タンタンの冒険 その夢と現実』4:紅海のサメ『タンタンの冒険 その夢と現実』3:燃える水の国『タンタンの冒険 その夢と現実』2:金のはさみのカニ『タンタンの冒険 その夢と現実』1:青い蓮*********************************************************■2019.04.29XML『タンタンの冒険 その夢と現実』5https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201904290002/
2024.10.02
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図書館に予約していた『イラク水滸伝』という本を、待つこと8ヶ月半ほどでゲットしたのです。著者の高野秀行という人は、角幡唯介さんとともに今の日本ノンフィクション界の先陣を走るような人なんですね。「探検本あれこれ」という括りを設けているんですが、高野秀行さんの作品を5作ほど取り上げていて・・・個人的には探検家トップの地位を築いておるわけです♪*********************************************************【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>この民族誌的記録は“現代最後のカオス”ってか・・・ワクワクするでぇ♪<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝イラクのマーシュアラブ刺繍布「第6章 呪われた水滸伝の旅」からマーシュアラブ布を見てみましょう。p292~295<1「エデンの園」から追放されてへ> 時は流れる。ハイダル君はルーマニア人の彼女と東京で結婚式をあげ、念願の博士号を取得し、奥さんの生まれ故郷であるルーマニアの地方都市へ移住していった。 一時は極めて身近に感じていたアフワールは、今や遥か彼方にある夢の土地「ガンダーラ」のようだった。いや、「エデンの園」と言うべきか。リンゴを食べたわけでもないのに追放されてしまったのだ。 絶望も通り越し、「いつかまた行ける日が来ればいいなあ・・・」とぼんやり思うだけだ。唯一悔やまれるのはタラーデである。ほんの少しでもいいから乗っておくべきだった。どうせ半年後に来て旅するのだからと試乗もしなかった。あれはどんな乗り心地だったのだろうか・・・。 だが、この長い〝煉獄〟の期間は私に意外な発見をもたらした。2020年10月のある日、暇に任せて、イラクの湿地帯関連のいろいろな単語をグーグルで検索していた。「マーシュアラブ」とカタカナで入れたところ、「失われたイラクの手仕事 マーシュアラブの刺繍布」というブログ記事がヒットした。葦の中を進む小舟や葦のムディーフという見慣れたアフワールの写真とともに、布の写真が掲載されていた。 ・・・なんだ、これは・・・。 鮮やかな赤やオレンジ、ピンク、黄色といった暖色系の糸で、うねうねとうねる曲線や円や菱形に混じって、花、家、人、動物などが自由奔放に描かれている。このブログによれば、これらはマーシュアラブ、すなわちマアダンによってかつて作られていたものだという。 仰天するしかない。湿地帯は単調な世界だ。春に行けばエデンの園に見えると言っても、あくまで青い水と空、緑の葦に彩られた青系のシンプルな自然の風景である。なのに、この布の華やかさといったらどうだろう。そして私はこんな布を現地で一度も見た記憶がない。湿地帯の中に住むマアダンの人たちの家でも、チバーイシュ町やアマーラの家やゲストハウスでも。 私の目は節穴だから単に見逃しているだけかもしれないが、絵心があり観察力の鋭い山田隊長に訊いてみても「観たことないなあ」と首を捻った。隊長はマーシュアラブ布の図柄を見て「クリムトとかミュシャの絵を思い出すなあ」とも言った。たしかに19世紀末オーストリアの画家グスタフ・クリムトの色鮮やかで不思議な模様を描き込む画風や、チェコの画家ミュシャの装飾的なポスターは、マーシュアラブに似た感じもする。 いずれにしても、私たちが知るアフワールのイメージではない。 自分たちはまだアフワールの核心を何も見ていないんじゃないかという恐ろしい疑念にとらえられると同時に、「本当にアフワールのものなのか?」という疑いも覚えた。 いっぽうで「どこの布であっても、こんなに面白い模様のものは見たことない」という感嘆もあった。何だろう、この布は。ところで、10月に入り初めて彼岸花を見つけたが、かなり遅れたのではないか・・・異常気象が当たり前だもんね。『イラク水滸伝』5:イラン国境の水滸伝(続き)『イラク水滸伝』4:イラン国境の水滸伝『イラク水滸伝』3:続き(その2)『イラク水滸伝』2:続き(その1)『イラク水滸伝』1:はじめに
2024.10.01
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図書館に予約していた『イラク水滸伝』という本を、待つこと8ヶ月半ほどでゲットしたのです。著者の高野秀行という人は、角幡唯介さんとともに今の日本ノンフィクション界の先陣を走るような人なんですね。「探検本あれこれ」という括りを設けているんですが、高野秀行さんの作品を5作ほど取り上げていて・・・個人的には探検家トップの地位を築いておるわけです♪*********************************************************【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>この民族誌的記録は“現代最後のカオス”ってか・・・ワクワクするでぇ♪<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝「第2章 イラン国境の水滸伝」の冒頭を見てみましょう。p69~72<1ディープサウスへ> 真っ暗な庭先に出て、星の瞬く下でひそやかに荷物を三男アサム兄さんの車に積み込むと、私たちは人気のないのを確認してから素早く出発した。吐く息は白い。午前5時前、まるで夜逃げのようだ。 ガラージュと呼ばれる乗り合いタクシーのたまり場へ行く。アサム兄さんが交渉してくれて、私たちはうさんくさそうな中年男の運転するタクシーに乗り込んだ。バグダード滞在もハイダル君の家(ラダー家)での生活も終わりだ。私たちはアフワールのある「南」へ向けて出発した。 今回の旅では舟旅まで求めていない。まずは湿地帯をこの目で見ること、舟大工を見つけること、将来的に舟旅ができるかどうか調べること・・・つまり偵察が主目的だ。何もかも手探りなので、ある意味ではこの偵察が最もリスクが大きく、難しいとも言える。 まず目指したのはマンダ教の舟大工がいるというイラン国境近くの町アマーラである。 イラクはティグリス川とユーフラテス川という二つの大河が南北に流れている。ティグリス川はトルコ東部を源流とし、イラク・イラン国境の山岳地帯に水源をもつ支流からも水を集めながらイラクの東側を流れる。かたやユーフラテス川は同じくトルコ東部を源流としつつ、いったんシリアを通ってからイラク西部を流れ、イラク南部でティグリス川と合流し、シャトル=アラブ川と呼び名を変えてペルシャ湾に注ぐ。 アマーラはティグリス川沿いの町だから、私たちはティグリス川経由で湿地帯に向かっているわけだ。ちなみに「メソポタミア」とはギリシャ語で「二つの川の間」を意味し、ティグリス川=ユーフラテス川の流域を指す。そのうち面積で言えば、ざっと八割がイラクで、残りがシリアとトルコだと考えるとイメージしやすい。 こんな時間帯でもけっこう車は走っている。アメリカ車が多い。その他はヨーロッパ製、韓国製、中国製。日本車は影が薄い。アフワールの玄関口であるアマーラへ向かうハイウェーに乗ると、一般車の大半がアメ車となった。アメリカ以外でこんなにアメ車の多い場所は初めてだ。 米軍侵攻後にアメリカ産品が無理やり入ってきたのかと思いきや、「昔からそうだった」と助手席のハイダル君は言う。 ハイダル君!! バグダード滞在後、いったい誰を頼って湿地帯へ向かったものかと思い悩んでいたが、なんとハイダル君が同行してくれることになったのだ。彼は人格と知性が抜群でしかもハンサム。(中略) 彼によると、中でも人気があるのはイラクで「オバマ」と呼ばれる車。車種まではわからないが、クライスラーのセダンだ。私たちもオバマのタクシーに乗りたがった、見当たらず、似たような、でもGMの車に乗ったのだった。 しかし、このGMは食わせ物だった。30分あまりでプスプスという景気の悪い音を立てて止まってしまった。エンジントラブルらしい。「こいつはオバマじゃないどころかトランプだ」と罵りながら、車を降りた。しかも運転手は「アマーラまでの料金の半額をよこせ。俺も車が壊れて災難だよ」などと要求するので、しばらく講論。「車だけじゃなくてこいつもトランプだ」と温厚なハイダル君もさすがに怒った。結局、要求の半額ぐらいを支払う。 東の方の地平線から大きな赤い太陽が昇ってくるのを見ながら、通りがかった別のアメ車を捕まえて、再スタート。ドライバーは無造作にアクセルを踏み込み、速度計の針がぐーんと回る。 猛スピードでエンドレスに続く平坦な一本道を突っ走っていると、なぜこの国にアメ車がこんなに多いのかうっすらと察せられた。国土の大半が平坦だからだ。車はスピードを出す。アメ車は車体が重くて頑丈なので、舗装状態のよくない道路で150キロ以上出しても安定感は抜群。直線ばかりだから細かいハンドルの操作性は必要ない。しかも産油国だからガソリンが安く、燃費の悪さもあまり気にならない・・・。 南部の人が住むエリアはティグリス川とユーフラテス川およびその二つの河川が合流したシャトル=アラブ川の流域で、川が1億年以上もかけて運んで来た土砂が堆積した沖積平野である。皇帝さ派ひじょうに少ない。バグダードから海(ペルシャ湾)まで直線距離にしてざっと570キロあるが、標高差はたったの34メートルである。わかりやすく言えば、東京の十階建てのマンションから大阪湾まで水を流したような感じだ。ほとんど流れなどない。そこが湿地帯になるのも容易に想像できるだろう。『イラク水滸伝』4:イラン国境の水滸伝『イラク水滸伝』3:続き(その2)『イラク水滸伝』2:続き(その1)『イラク水滸伝』1:はじめに
2024.09.30
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図書館に予約していた『イラク水滸伝』という本を、待つこと8ヶ月半ほどでゲットしたのです。著者の高野秀行という人は、角幡唯介さんとともに今の日本ノンフィクション界の先陣を走るような人なんですね。「探検本あれこれ」という括りを設けているんですが、高野秀行さんの作品を5作ほど取り上げていて・・・個人的には探検家トップの地位を築いておるわけです♪*********************************************************【イラク水滸伝】高野秀行著、文藝春秋、2023年刊<「BOOK」データベース>よりアフワールーそこは馬もラクダも戦車も使えず、巨大な軍勢は入れず、境界線もなく、迷路のように水路が入り組み、方角すらわからない地。権力に抗うアウトローや迫害されたマイノリティが逃げ込む、謎の巨大湿地帯。中東情勢の裏側と第一級の民族誌的記録ー“現代最後のカオス”に挑んだ圧巻のノンフィクション大作!<読む前の大使寸評>この民族誌的記録は“現代最後のカオス”ってか・・・ワクワクするでぇ♪<図書館予約:(1/06予約、副本3、予約86)>rakutenイラク水滸伝まず「第1章 バクダード、カオスの洗礼」の冒頭を見てみましょう。p23~26<1有田焼のお土産が困惑を呼んだ理由> ドバイ経由のエミレーツ航空でバグダードの国際空港に降り立ったのは2018年の年明けだった。 幸いなことに、前年の7月、イスラム国最大の拠点だった、イラク北部の中心都市モスルを政府軍が奪還し、イラク国内においては内戦が終結していた。心配の種は一つ減ったことになる。ただ、ISの残党はイラク各地に潜伏しているとされ、予断を許さない状況だ。 内戦中だったり治安が極度に悪かったりする国では、玄関口となる国際空港にはピリピリした空気が流れていたり、不安をかき立てる喧騒が巻き起こっていたりするのが普通だ。だが、バグダードの空港はちがった。敷地も建物も規模が小さく、田舎くさい。銃をたずさえた警備の兵も見えない。「岩みたいな歩とが大勢おるな」と山田隊長が土佐弁の抑揚で言う。たしかに取りつく島もなさそうな、強面風のアラブ人のみなさんが入国審査の列に並んでいる。でも彼らは物静かだった。 驚いたのはイミグレーションの係官たちがろくに英語を話さないことだ。私に応対した全身黒づくめの服を着た若い女性係官はえらく態度が悪く、誰彼となくアラビア語で怒鳴り散らしている。こういう係官は二、三十年前にはアフリカ辺りでときどき出会ったが、最近では皆無だ。他の係官のところへ回されたが、彼も英語は片言のみ。アラビア語を少しでも習ってきてよかったと思った。スタンプを押してもらい、これでイラクに30日滞在できるとのことだった。 荷物をもって外に出ると、想像以上に寒かった。東京ほどではないにしても、ダウンジャケットがふつうに必要である。兵隊や警察の姿はなく、ヤシの木が立ち並び、のどかな風景だ。モロッコかチュニジアの地方都市に降り立ったような錯覚をおぼえる。 バクダードの治安は劇的に回復したのだろうか。首をひねりながらミニバスに乗って、迎えに来ているハイダル君と待ち合わせした場所へ向かった。 ハイダル君は私たちを見つけると、「ウェルカム!」と言うと同時にホッと胸をなで下ろす仕草をみせた。「遅いからすごく心配になったんだ」 彼のお兄さん、アサムさんの古い三菱パジェロに乗り込んだ。今回はこのお兄さんの家に世話になると聞いていた。「バグダードはどう?」とハイダル君に訊くと、「あまりよくない」と彼はため息をついた。 実は治安が回復しているわけでは全然なかった。空港が過激派によるテロの最大のターゲットになりうるため、空港から5キロぐらいの地点で一般の車両および人の立ち入りを禁止していたのだった。さらにその地点から町へ行くときはいいが、町から空港方面に向かうときには検問が5ヵ所以上あり、金属探知機やシェパード犬、Ⅹ線などを総動員した、爆発物がないか荷物をチェックしているとのことだ。 垢抜けない茶色やベージュ色・・・つまり土色をした低層の建物が並ぶ埃っぽい道を20分ほど走ると住宅街に入った。後で知ったが、現在この辺りはすべてシーア派の住民が住んでいる。車は一軒の家の前で止まった。ハイダル君の生家だ。両親が亡くなった現在は、家を半分に区切り、二人のお兄さんとその家族がそれぞれ住んでいるという。彼らもまたシーア派だ。 私たちは右側の入口から中に招き入れられた。イラクでは靴を脱いで入る。立派なソファが並んでいたが、私たちはみな、ふかふかした絨毯の上にじかに腰を下ろした。アサム兄さんは正座をしていた。意外なことに、イラクの人たちは床にじかに座るばかりか、ふつうに正座もするのである。当然、私たちも正座だ。『イラク水滸伝』3:続き(その2)『イラク水滸伝』2:続き(その1)『イラク水滸伝』1:はじめに
2024.09.30
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<老人力あれこれR4>赤瀬川原平著『老人力』のインパクトは大きかったわけで…その後、相次いで老人絡みの本が刊行されたのです。で、大使が読んだ類書を集めてみました。・還暦筋トレ(2019年刊)・老人のライセンス:村松友視(2018年刊)・九十歳。何がめでたい:佐藤愛子(2016年刊)・オレって老人?:南伸坊(2013年刊)・魔がさす年頃:嵐山光三郎(2012年刊)・老年力:三浦朱門(2012年刊)・働くアンナの一人っ子介護:荻野アンナ(2009年刊)・完全無敵の老人学:和田×大月(2001年刊)・老人力自慢:赤瀬川原平(1999年刊)・日本ジジババ列伝:清水義範(1995年刊)R4:『還暦筋トレ』を追記***************************************************************************【還暦筋トレ】坂詰真二著、毎日新聞出版、2019年刊<「BOOK」データベース>よりまだ間に合う!中高年からの超簡単筋トレ!今流行りの筋トレ、ダイエットがあなたの健康寿命を縮める。【目次】1 還暦を迎える中高年の体事情/2 まずは体のチェックから/3 これだけでOK還暦筋トレプログラム/4 認知機能の向上につながる日常トレーニング/5 ウォームアップ&クールダウン/6 人生100年時代に備える<読む前の大使寸評>現金払い、アナログ志向、ジムで筋トレと、老人ぶりが板についてきている昨今であるが・・・還暦筋トレとなるともう完璧に老人である♪rakuten還暦筋トレ『還暦筋トレ』1【老人のライセンス】村松友視著、河出書房新社、2018年刊<「BOOK」データベース>より老成を極めた人間力にせまる66篇。【目次】第1章 老人って何?(老人って何?/「若返り」対「老成」の構図 ほか)/第2章 老猿に道をゆずるの巻(老猿に道をゆずるの巻/蓮っ葉な女の読書に翻弄される ほか)/第3章 理想ではないが、妻である(文鎮の安心と重みよ、今いずこ/右と左に泣き別れる老人の心もよう ほか)/第4章 何しろ、人間の舌は器用なもんでしてね(何しろ、人間の舌は器用なもんでしてね/鮨ネタの栄枯盛衰 ほか)/第5章 今日は、絶好の雨日和(黒鉄ヒロシという謎の生命体/病んだヨーロッパ人、伊丹十三 ほか)/第6章 涙をさそう唐辛子の焼香(極め付きの無表情/上り坂と下り坂はどっちが多い? ほか)<読む前の大使寸評>かつて赤瀬川原平が老人力を提唱した頃は微笑ましい感じだったが・・・今「老人のライセンス」と聞くと、なにやら恐れ入るのである。rakuten老人のライセンス『老人のライセンス』1*****************************************************************************【九十歳。何がめでたい 】佐藤愛子著、小学館、2016年刊<「BOOK」データベース>より御年92歳、もはや満身創痍。ヘトヘトでしぼり出した怒りの書。全28編。【目次】こみ上げる憤怒の孤独/来るか?日本人総アホ時代/老いの夢/人生相談回答者失格/二つの誕生日/ソバプンの話/我ながら不気味な話/過ぎたるは及ばざるが如し/子供のキモチは/心配性の述懐〔ほか〕<読む前の大使寸評>図書館に予約して、待つこと11ヶ月でようやくゲットできました♪ この手の売れ筋の本は購入すべきだったのかも?<図書館予約:(12/14予約、11/07受取)>rakuten九十歳。何がめでたい 『九十歳。何がめでたい』1 byドングリ*****************************************************************************【オレって老人?】南伸坊著、みやび出版 (2013年刊)<カスタマーレビュー>より南伸坊のエッセイ集で、連載中のみやび出版『myb』の「日々のシンボー」と毎日新聞『本の時間』の「じじの時間」を軸に、『文藝春秋スペシャル』『うえの』『室内』の各誌に注文されて執筆した文を集めています。そのさい、年寄りがよくする懐旧談、自分が老化に直面したことについての文章を選んだという。<読む前の大使寸評>『仙人の壷』という南さんの(マンガ)本を読んで良かったので、その勢いで予約していたのです。<図書館予約:(11/20予約、11/25受取)>amazonオレって老人?『オレって老人?』3 :肺ガンの危機p194~198『オレって老人?』2 :近頃のツバメp22~25『オレって老人?』1 :アノホラ検索p38~40『仙人の壷』1*****************************************************************************【魔がさす年頃】嵐山光三郎著、新潮社、2012年刊<「BOOK」データベース>より著者の人生、いつも「つい魔がさしたとき」が次のステップになった。「不良定年」その後の人生全開的日々実録。【目次】序章 魔がさす年頃/第1章 魔がさす気配/第2章 いらいら/第3章 自律神経出張中/第4章 蝉時雨<読む前の大使寸評>魔がさす年頃とは何やねん?・・・・魔がさすように借りた次第でおま♪rakuten魔がさす年頃『魔がさす年頃』2 byドングリ*****************************************************************************【老年力】三浦朱門著、海竜社、2012年刊<「BOOK」データベース>より人間はおおよそ八十年はもつようになっている。自分の本当にやりたいことをやりながら生きてほしい。【目次】はじめに 人間はおおよそ八十年はもつようになっている/第1章 充実した第二の人生を生きようー歩ける体力/第2章 第二の人生に備えて何をしたらいいのか?-頼らずに生きる力/第3章 親を看取るー一人で生きる力/第4章 人生は二度あるー過去を活かし創造する力/第5章 第二の人生では自分が主体になるーささやかな自立力/おわりに 第二の人生の生き甲斐は与える喜び<読む前の大使寸評>追って記入rakuten老年力*****************************************************************************【働くアンナの一人っ子介護】荻野アンナ著、グラフ社、2009年刊<「BOOK」データベース>より現在、父94歳、母85歳、二人とも要介護4。「嫁入り前」の働く一人っ子はテェーヘンです。【目次】1 船乗りパパとお絵描きママ/2 あっぱれアンリ闘病記/3 働くアンナのドンブラコ半生/4 不死身アンリの人生は続く/5 パワフルママも老いる/6 アンナ流・介護のコツ<大使寸評>船乗りパパとお絵描きママの介護に明け暮れたアンナさんには、逆境を笑い飛ばすような精神的なバネがあるわけで・・・・落ち込んだときに読むと、いいようです♪rakuten働くアンナの一人っ子介護*****************************************************************************【完全無敵の老人学】和田秀樹×大月隆寛著、講談社、2001年刊<「BOOK」データベース>より気鋭の老年内科・精神科医と民俗学者が、それぞれ気魄に満ちた論稿を執筆、その論稿をもとにさらに対談を重ねた異色の「生き方」「老い方」「死に方」研究。<読む前の大使寸評>おお 精神科医と民俗学者との対談ってか・・・・かなり異色の企画がいいではないか♪amazon完全無敵の老人学『完全無敵の老人学』3byドングリ*****************************************************************************【老人力自慢】赤瀬川原平著、筑摩書房、1999年刊<「BOOK」データベース>より本書は、赤瀬川原平著『老人力』に寄せられた読者からの「読書カード」から、面白いものを選びました。その一部の方には、加筆をお願いしました。また「ちくま」1999年3月号に掲載した原稿募集の呼びかけに応じた方たちの原稿からも選択しました。【目次】老人力エッセイ(老人力の波紋/無償の勉強をするチャンス ほか)/老人力インタビュー(老人力とは何か?/老人力は腹の力)/読者からの便り(私の老人力自慢)/老人力座談会 のんびり元気術(赤瀬川原平/南伸坊/渡辺和博)/老人力インポジウム 老人力VS.不良中年(赤瀬川原平/嵐山光三郎/ねじめ正一/南伸坊)<大使寸評>赤瀬川さんは模型千円札事件を起こしたりいろいろあったが、晩年に「老人力」という概念をぶちあげたことが大きいと思うわけです。とにかく、この概念はイグノーベル賞級のオリジナリティだと、大使は高く評価するのです♪rakuten老人力自慢老人力自慢byドングリ*****************************************************************************【日本ジジババ列伝】清水義範著、中央公論社、1995年刊<「BOOK」データベース>よりしみじみおかしい長生き百態。孫に片思いのお祖母ちゃん、夜な夜な洋食屋に出没するホラ吹き爺さん、海外旅行の達人の老女―。不安や悲哀を抱えつつもどこかたくましい老人達を、ユーモラスに描く12編。<大使寸評>図書館で『日本ジジババ列伝』という本を手にしたのです。おお、清水義範のジジババ列伝なら、例のドタバタが期待できるでぇ♪ということで借りたのだが、読み進めると、まっとうな老人小説なので拍子抜けの感もあったのです。少子高齢化の話題で盛り上がる前に、ちょっと先走りして刊行されているのだが・・・この老人列伝が、いい味出しているだけに、この路線で押して行けば良かったのにと思ったのである。今からでも遅くないので、シリーズ第二弾を期待したいものです。Amazon日本ジジババ列伝
2024.09.29
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