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捕鯨の様は、古来より画材を提供しているように、古来人にとってクジラは巨大な食材として映るようですね♪・・・ツボが疼くので以下のとおり復刻して紹介します。*********************************************************図書館で『日本捕鯨史』という本を、手にしたのです。中を覗くと、思いのほか画像が多くビジュアルなのが・・・ええでぇ♪【日本捕鯨史】中園成生著、古小鳥舎、2019年刊<「BOOK」データベース>より2019年7月、日本は商業捕鯨を再開する。「日本には歴史と伝統がある」と語られるが、その実態をどれくらいの人が理解しているだろうか。「鯨と日本人の歴史」を再考し、見つめ直す一冊。<読む前の大使寸評>中を覗くと、思いのほか画像が多くビジュアルなのが・・・ええでぇ♪rakuten日本捕鯨史「第五章 古式捕鯨業時代後期」の中で、欧米捕鯨が興味深いので、見てみましょう。p101~103<2 欧米捕鯨の日本近海進出と開国>■アメリカ捕鯨業の発展 17世紀初頭に入植が始まった英領植民地アメリカでは、当初から漂着鯨が利用されていたが、17世紀中頃には沿岸捕鯨が始まり、次第に沖合へと進出していき、18世紀中頃には船上で製油する方法がおこなわれるようになっている(『クジラとアメリカ』)。 当時のアメリカ捕鯨業が主な対象としたのはマッコウ鯨だが、この鯨の頭部には、脳油と呼ばれる浮力の調節に役立つ油が詰まっていて、これが良質の機械油になることがわかったのである。当時のアメリカ捕鯨では、大型帆船を用いた母工船(普通「捕鯨船」と呼ばれる)に30人程度が乗り組んで航海したが、漁場が遠方に広がるにつれて長期の航海を余儀なくされ、母港に帰投するまでの航海日数が4年に及ぶこともあった。 母工船も次第に大型化し300~400トンに達したが、船主が資金を出して準備をおこない、乗組員には利益のなかから役割に見合った割合の報酬が出た。 当時の母工船には通常五艘ほどの捕鯨ボート積まれていて、それぞれに士官(櫂の舵を取る)、銛打ち、漕手四人が乗り込んだ。母工船のマストにいる見張りが鯨を発見すると漕ぎ出し、銛(ハプーン)を打ち込んでボートを曳かせて疲労させた後、木の葉形の刃先の槍(ランス)で突いて仕留めた。マッコウ鯨の場合、脳油を獲ったあと、皮脂だけ剝ぎ取って製油し、残りの肉や骨は投棄した。 18世紀前半、アメリカ船籍の捕鯨母工船は北大西洋での操業を主としていたが、後半にはアフリカ北西沿岸、カリブ海周辺、ブラジル沿岸に進出している。1791年にはホーン岬を太平洋に進出し、漁場の中心は大西洋から太平洋に映るが、漁場は次第に北上し、日本近海の漁場(ジャパングラウンド)も1820年に確認され重要な漁場となる。アメリカ船籍の捕鯨母工船は1846年には735隻に達し、母港のニューベットフォードやナンタケットは非常な活況を呈した。当時のアメリカの捕鯨業は、南部の綿花生産とならぶ重要産業であり、機械の潤滑油や街灯の燃料を供給する事で、欧米の産業革命の進展を支えたのである。■日本周辺漁場への進出と開国 アメリカの捕鯨母工船に救助された後、捕鯨に従事した経験がある中浜万次郎(ジョン万次郎)は、1848年ごろ中国と日本の間の海では、万次郎が乗り組んでいた船を含め50隻ほどの欧米の捕鯨母工船が創業し、小判240万両と想定される莫大な利益を上げていると幕府に報告している。 日本海を含めた北太平洋の捕鯨漁場は、欧米の捕鯨業にとって当時最重要の漁場と認識されていた。しかし同漁場の弱点は、近くに補給をおこなう港が無かった事だった。当時の欧米の捕鯨母工船は、何年間も航海を続けることができたが、水や食料、燃料の薪は補充する必要があり、ハワイ諸島は太平洋で操業する欧米の捕鯨母工船の補給港として栄えた。 しかしハワイは日本周辺を含む北太平洋の漁場からは遠く、補給港として最良の位置にあった日本の諸港は、オランダ・中国に対する管理貿易がおこなわれていた長崎などを除き、外国船に対して閉ざされていた。欧米の捕鯨母工船の船員の中には、日本の離島や海岸に無断で上陸して薪や水を入手したり、食料をかすめ取る者もいて、幕府も神経を尖らせていた。 日本を開国に導いたペリー提督の来航目的の一つには、アメリカ捕鯨母工船への物資補給の要請があった。日米和親条約の第二条には「伊豆下田、松前地箱館の両港は、日本政府に於てアメリカ船薪水食料石炭の欠乏の品を日本にて調候丈は、給し候為め、渡来の儀差免し候(後略)」とあり、特に函館は日本海で操業する母工船の補給基地として重視された。アメリカの駐日総領事ハリスは1857年の日米協約で、函館に入港する捕鯨母工船は年間300隻に達していると報告し、函館への副領事の駐在と、母工船などに物資補給を請け負うアメリカ商人の居留を幕府に承諾させている。さらに1858年に締結された日米就航通商条約では、日本海岸の新潟が開港場に盛り込まれたが、これも母工船の補給港としての役割が重視されてのことと思われる。『日本捕鯨史』4:アメリカ捕鯨業の歴史『日本捕鯨史』3:欧米捕鯨の日本近海進出『日本捕鯨史』2:鯨製品の流通『日本捕鯨史』1:こんにちの鯨食*********************************************************■2022.04.03XML『進化論はいかに進化したか』4https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202204030001/
2025.03.07
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日本語とか漢字文化圏という括りにはツボが疼くわけで、『日本古代語と朝鮮語』という本を読み直してみようと思い立ったのでおます。・・・ということで、以下のとおり復刻して紹介します。***********************************************************************昨今では、日中韓の歴史認識がトレンディであるが・・・ナショナリズムを静める意味でも、過去の日記(2012.5.24)から「漢字文化圏の成り立ちについて」を読み返してみようと思い立ったのです。***********************************************************************中華思想には反発するが、漢字文化圏という括りが好きな大使である。それでは「日本古代語と朝鮮語」という本で、漢字文化圏の成り立ちについて見てみましょう。【日本古代語と朝鮮語】大野晋編「日本古代語と朝鮮語」毎日新聞社、1975年刊<大使寸評>中国に過剰適応してしまった朝鮮が見えてくるが・・・つくづく日本という辺境の有りがたさが解りますね。Amazon日本古代語と朝鮮語この本の漢字文化のあたりを紹介します。<漢字文化>p120~121 いったい日本、あるいは朝鮮が、なぜ漢字文化を必要としたか。それはご承知のとおり、中国からこの政治の仕組みを学ぼうとしたのです。日本の各地にはたとえば紀の臣、葛城の臣、播磨の臣・・・などと呼ばれる豪族どもがおりました。それぞれの豪族がみな私民を持って独立支配をしているわけです。ところが、そのうちの有力豪族にかつがれた大君というのが起こってきて、各地豪族の持っている私民を取り上げて自分の直轄支配の中に置こうとする。あるいは朝鮮や中国から渡ってきた人たちを職業団体として受け入れ、それをまた朝廷の直轄支配のもとに置いて、品部(しなべ)とし、それから貢物を取り立てようとする。そういう時代になってきて、いよいよ政治の制度が必要になってくるわけです。行政制度が必要になった時代というのは、おそらく倭の五王のころでしょう。そこで倭の五王が、あれほど頻繁に中国に使いをやる。何を学ぼうとしたか。何はともあれまず、この官僚制度を学ぼうとしたのです。 それの具体的なあらわれは、後のトヨミケカシキヤヒメ(推古)のときに、いわゆる「十六階の官位」を制定し、そして「十七条の憲法」を発布して、「私民を廃して公民とせよ」「この世の中に二人の王があってはいけない、大君が全国を統一するのだ」そういう意図をはっきり「憲法」としてうち出します。さらに下って、「大化の改新」に至って初めて「律令制」を日本に取り入れるということになってくるわけです。だから中国の文化を必要としたというのは、要するにそういう全国支配の官僚体制、政治の知識がほしかったわけです。でなければ、万里の波濤を越えてあんなに頻繁に使いを出すものですか。漢字文化というのは、漢字文化というのは、徹底的に「政治的なもの」であるということを、日本の歴史のがわからもご理解いただきたい。 なお、ここでちょっと申し上げますが、「律令」の律というのは刑法のことです。漢の刑法のことを「漢律」と申します。そして令というのが、いまいいましたような、官庁の組織法です。ですから中国の律令制度は、秦の始皇帝に始まり、漢の時代に大躍進を遂げ、魏の時代に完璧になった。その律令制度を六朝の宗の国へ行って学んできた、これが倭の五王が使いを出した原因です。またそれを隋の王朝へ行って学んできた、それがトヨミケカシキヤヒメ(推古)のときに遣隋使が行った原因です。同じように、遣唐使を出した主たる目的も、やはり唐の行政組織と行政のやり方を輸入する、それが最大の目的でございました。 同じことは百済についてもいえます。百済が五世紀から六世紀にかけて、「郡県のごとし」(魏書にみえる言葉)といわれる地方の役所を置くようになります。それから宮廷の内部にも「内官」というものを置くようになります。それから冠位の制定も決めます。やや遅れて新羅も冠位の制定をする。そういう時期になって百済も新羅も盛んに中国の文化に取り入れるわけです。その主たる目的は、いうまでもなく律令制を取り入れるということにあったわけです。そのほかの、たとえば暦だとか、天文だとか、薬草・食品だとかは付随的に入ってきたのであって、主たる目的はあくまでこの官僚制を導入することにあったわけです。日本古代語と朝鮮語では、漢字をどう読んだのか?・・・・文献はあるがテープレコーダーが無かったので、学者の間で好き勝手な推論が飛び交っています。<漢字の訓読み>p159~161 鈴木:ところで、朝鮮では漢字の万葉仮名的な一時一音的な表記がありますね。それから、かなり早い時代に、漢字の意味をそのまま朝鮮語に当てはめたり、あるいは訓読みのような形で使ったりしていますが、これについてお話ししていただけませんか。大野:「郷歌」の文字の使い方は、「万葉集」の巻一、巻二などの古い書き方に非常によく似ていますよ。むしろ一時一音という「古事記」の表記は新しいんですね。そして意図的にきちっと整理して使ったものです。「万葉集」巻五は、大伴旅人の歌に、当時唐の都に留学したという山上憶良の歌などを収めたものですが、これは一時一音になっている。それから東国の歌を集めた巻十四--これがまた東歌で大和地方とは非常に言葉が違っているものだから、手直ししてある。これは時代にどうも問題点があります。 巻十五が新羅に遣使された人たちのもので、これも一時一音、巻十七~二十はそれぞれ用字法が違っているので、これはおそらくさまざまの書き方がしてあるのを四人の人に一時一音に直させたんだろうというのが私の見解です。ともかく「古事記」のほうが新しいんです。むしろ「万葉集」だけについていえば、巻一、巻二などは音もあり訓もあり、その他いろいろに当てて使う点で、郷歌の書き方と同じなんです。ともかく場合によっては、「万葉集」の古い時代の書き方は、朝鮮から習ったものであり、それを日本的に当てはめたものであると考えます。梅田:鈴木先生のおっしゃった一時一音表記というのは史読や吐のことだと思いますが、史読というのは文書類に用いられた表記法で文を書き表す時にその実質的な意味を表す部分は主として漢語で表記し、助詞や助動詞などの文法的要素に当たる朝鮮語を漢字の音や訓を借りて表したものであり、また、吐は漢文につける送り仮名のことでこれも漢字の音や訓を借りて表記されました。吐には漢字の略体も使われ、日本の片仮名と形が同じものもあります。 しかし、史読にしろ吐にしろ、いわば漢文表記の補助手段ですが、郷歌は朝鮮語の文全体を漢字を使って書き表している点でちがっています。おっしゃるとおり、成立は郷歌のほうが恐らく先行すると思います。ただ史読の前身ともいえるような漢字使用法が新羅の金石文に見られますが、これはかなり古いといえます。なお、史読と吐について言えば、それに含まれている語法から考えると、史読はかなり古い語法を含んでいてその成立が吐よりも古いことを思わせます。前述の郷歌式の表記法はその後用いられなくなりましたが、史読や吐は近世まで使われました。鈴木:そうすると、中国から朝鮮へ漢字が入ってきたときに、それを最初に表記したときは最初から一時一音と訓読みの両方が入っていたのかどうかということですが。大野:最初は漢文ですよ。鈴木:固有名詞の読み方なんですけれども、たとえば新羅の王子の名前が波珍(ハトリ)という形で出てきます。珍という字にトリという音を当てていて、これは三品彰英さんが訓読みだということをおっしゃっています。ですから、いわゆる訓読みのようなものと音読みとが、最初からごっちゃに使われたのか、それともどちらが先なのかということについてお聞きしたいのです。大野:それは中国語に習熟している人なら全部漢字音で、漢字で書くでしょう。ところが、十分中国語に習熟していない者は最初から混同して書きますよ。漢語に習熟するということはたいへんやっかいなことですからね。長田:『古事記』については成立上そういうことが考えられるかもしれませんが、いわゆる推古朝遣文の仮名書きは一時一音です。それから『古事記』の序文で例の有名な、一時一音で書くと趣旨が長くなるからやめるというくだりを見ると、一時一音のほうが先にあったというふうに考えられる。鈴木:『古事記』の序文は、日下(クサカ)とか帯(タラシ)はそのままで使って一時一音にはしないとも言っていますね。大野:一時一音にすれば、倭国の言葉を倭国の言葉としてはっきり書くことはできる。しかし、それは、今度は長々しくなるからわずらわしい、そういう意味じゃないですか、序文のあのくだりは。 ***********************************************************************2022.08.10XML日本古代語と朝鮮語(復刻)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202208100001/
2025.03.06
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日本語とか漢字文化圏という括りにはツボが疼くわけで、『だめだし日本語論』という本を読み直してみようと思い立ったのでおます。・・・ということで、以下のとおり復刻して紹介します。*********************************************************図書館で『だめだし日本語論』という本を、手にしたのです。漢字文化圏という括りは、大使のツボであるが・・・日本語をテーマにして古典の権威と社会学者が対談するという企画がいいではないか♪【だめだし日本語論】橋本治×橋爪大三郎著、太田出版、2017年刊<「BOOK」データベース>より日本語は、そもそも文字を持たなかった日本人が、いい加減に漢字を使うところから始まったー成り行き任せ、混沌だらけの日本語の謎に挑みながら、日本人の本質にまで迫る。あっけに取られるほど手ごわくて、面白い日本語論。<読む前の大使寸評>漢字文化圏という括りは、大使のツボであるが・・・日本語をテーマにして古典の権威と社会学者が対談するという企画がいいではないか♪rakutenだめだし日本語論最終章「漢字とナショナリズム」を、見てみましょう。p220~225<漢字とナショナリズム>・・・今、漢字を使っているのは漢民族と日本だけですね橋本:朝鮮半島もやめてしまいましたからね。朝鮮半島の人たちに「ハングルだけだと読みにくくないですか」と聞いてみたいです。橋爪:ハングル化は大失敗だと、私も思います。橋本:半島の人の名前は元は漢字ですが、ハングルで書くので、もはや当人も書き方を知らないかもしれません。日本語ではひらがなのなかに漢字の熟語が入ると、そこだけ凝縮されて浮かび上がってきますね。だから、平安時代の女房文学のように全部表音にすると長いだけで伝わらないように思えます。橋爪:表音文字のハングルだけにするのは、よいことは一つもないように思う。ナショナリズムに引きずられてそうなったのだろうけれども。使いづらさというコストを払っても「自分たちは中国ではない」ということを証明しなくてはならなかったのが、朝鮮半島の人びとです。 日本の場合は、その漢字を使ってナショナリズムを表すことに、なんの問題もない。漢字がナショナリズムに影響しないので、コストを払う必要がないのです。橋本:ナショナリズムが高揚する明治時代になるとやたら漢字が増えますもんね。西洋の言葉を漢字に置き換えて理解してね。橋爪:それが日本の近代化ですからね。それをなしにして、全部ひらがなにするというのはありえない。橋本:日本語はすごく手の込んだ織物みたいなものですね。中国から漢字が入ってきて、それに横糸を通してトントン、また新しいものが入ってきてトントンと織り込んで、織物の一部になってしまっているからもう取り除けない。 たとえば、漢字とひらがながあると、漢字をどう読むかという問題になるから振り仮名が生まれますよね。江戸時代の人はその振り仮名で遊び始めます。恣意的に振り仮名を振るのです。「銭」と書いて「おあし」と読ませる。すぐに逃げていくから、と。銭に「あし」という音はないけれど、解釈を入れて遊ぶのです。それが実は表現を豊かにしてきたのですが、今やそうは考えられないし、校閲者は統一したがりますね。・・・歌舞伎の題もダジャレが多用されていますもんね橋本:タイトルの文字数が奇数でなくてはならないのもおもしろいですね。漢字だけだとどうしても6文字になってしまうときには途中でひらがなの「の」とかを入れる。すべてご祝儀事ですから、変な題名をつけて観客が入らなかったらどうしよう、と縁起を担ぎます。3、5、7が縁起がいいからその文字数にしようとする。橋爪:中国と逆ですね。中国は偶数でなければいけない。中国では割り切れないのがよくないことです。(中略)橋爪:日本語というのは美しい可能性を多々秘めているけれど、まだまだ流動的で、変化の途上にあると思う。現代日本語がはじまってからまだ100年200年程度しかたっていません。 常日頃不満なのが、まず「ですます体」と「である体」。この二つがあることになっているけれど、いったいこれは何だ。英語にこんなものはない。橋本:「である体」は英語にあります。It~thatの構文がそれです。橋爪:うーん。そういう意味ではなくて、学校で習う、文末をどちらか片方に統一しなさいというあれです。どちらかにそろえなさいと言われても、それはないだろうと思っていた。ですから私はものを書くようになってから、よく、ですます/であるの混用体でやっています。 まず、ですます体や、である体があることになっていることが、おかしいと思う。橋本:文章を文章として成り立たせるための助動詞が日本語にしかないということですね。叙述が「・・・です」というかたちで終わるということは、その文章自体が「です」という行為をしていることになって、本当はへんなのです。 だから、平安朝の文章に「叙述自体を表す動詞や助動詞」は存在しません。「です」「ます」とか「である」という、叙述自体を管轄する助動詞は、丁寧の敬語の登場と関連すると思いますね。 平安時代の敬語は尊敬と謙譲だけで、丁寧はありません。だから『源氏物語』をそのまま現代語訳すると、乱暴に響いて響いてしまうのです。謙譲の助動詞だった「侍る」が、時代が下がるにつれて、叙述全体の丁寧化で「候(そうろう)」が大活躍するようになります。 漢文の書式に丁寧というものはないはずですが、徳川幕府の公式文書は、みんなで丁寧つきの候文です。命じになって口語文をつくろうとした作家たちはこの文末の「候」という丁寧をどう処理するのかで頭を悩ませす。二葉亭四迷は、「本当は丁寧の語尾を排除したいんだ」という趣旨のことを言っていますが、江戸時代を通して定着してしまった「丁寧」という生活習慣を排除するのは、もう無理なんです。『だめだし日本語論』4:漢字とナショナリズム『だめだし日本語論』3:江戸の印刷文化『だめだし日本語論』2:カタカナとひらがな『だめだし日本語論』1:中国風の律令制*********************************************************■2021.06.24XML『だめだし日本語論』4https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202106240002/
2025.03.05
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図書館で『人新世の「資本論」』という本を、手にしたのです。表紙に、2021新書大賞第1位と載っているように、一時期本屋に平積みとなっていた本であるが・・・4年も経てば図書館ですぐチョイスできたのです♪【人新世の「資本論」】 斎藤幸平著、集英社、2020年刊<「BOOK」データベース>より人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するためには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす。<読む前の大使寸評>表紙に、2021新書大賞第1位と載っているように、一時期本屋に平積みとなっていた本であるが・・・4年も経てば図書館ですぐチョイスできたのです♪rakuten人新世の「資本論」一気に最終章に飛ぶが・・・「第八章 気候正義という“梃子”」で晩期マルクスの視点が出てくるあたりを、見てみましょう。p325~331<マルクスの「レンズ」で読み解く実践> 脱成長コミュニズムの種が世界中で芽吹きつつある。本書の最後に、晩期マルクスの「レンズ」を通して、いくつかの都市を革新的な試みを見ていきたい。本書が発掘したマルクスの新たなレンズを使ってみると、そうした運動や実践のどういった側面をさらに発展させていくべきかが、おのずと浮かび上がってくる。晩期マルクスのおかげで世界は違って見えるのだ。ここにこそ理論の役割がある。 だが、理論家は現場の苦しみや抵抗の試みからも学んでいく。マルクスが進歩史観を完全に捨て、脱成長を受け入れるようになった拝啓には、グローバル・サウスへのまなざしがあった。そこに真剣なまなざしを向けたことが、彼の価値観を大きく変えたのだ。もしマルクスがヨーロッパ中心主義に固執したままだったら、、晩年の認識にたどり着くことは不可能だったろう。 こうした晩期マルクスのグローバル・サウスから学ぶ姿勢は、21世紀に、ますます重要性を増している。というのも、資本主義が引き起こす環境危機は、第一章でも見たように、転嫁や外部化のせいでグローバル・サウスにおいて、その矛盾が激化しているからである。<自然回帰ではなく、新しい合理性を> ただ、誤解のないように繰り返せば、晩期マルクスの首長は、都市の生活や技術を捨てて、農耕共同体社会に戻ろうというものではない。それは、もはや不可能である。また、その暮らしを理想化する必要もない。彼らの暮らしにもいろいろな問題があるのは自明だろう。一方、都市にも技術発展にも、評価すべき点はたくさんある。その合理性を完全に否定してしまう必要は、もちろんどこにもない。 しかし、現在の都市の姿は問題含みで、修正が必要なのも間違いない。コミュニティの相互扶助も徹底的に解体され、大量のエネルギーと資源を浪費する生活は維持可能でもないからだ。いわば、都市化が行きすぎてしまった状態にある。 その結果、二酸化炭素排出量の約7割を占めているのは都市である。だから気候危機に立ち向かい、相互扶助を取り戻すためには、都市生活を変えなくてはならない。都市を見捨てて、山奥に閉じこもっても、最終的に、地球全体が「大洪水」に呑み込まれてしまえば、元も子もなくなってしまう。 つまり、ここで必要なのは、都市という資本が生み出した空間を批判し、新しい都市の合理性を生み出すことである。 幸いにも、合理的でエコロジカルな都市改革の動きが、地方自治体に芽生えつつある。なかでも、世界中から注目を浴びているのが「フィアレス・シティ(恐れ知らずの都市)」の旗を掲げるスペイン・バルセロナ市とともに闘う各国の自治体である。 最終章では、バルセロナの試みを、晩期マルクスの視点から評価してみたい。そうすることで、バルセロナの革命的意義が、はじめて浮かび上がってくるはずだ。<恐れ知らずの都市・バルセロナの気候非常事態宣言>「フィアレス・シティ」とは、国家が押しつける新自由主義的な政策に反旗を翻す革新的な地方自治体を指す。国家に対しても、グローバル企業に対しても恐れずに、住民のために行動することを目指す都市だ。 さまざまな都市の政党や市民団体が「フィアレス・シティ」のネットワークに参加している。ひとつの自治体だけの試みでは、グローバル化した資本主義を変えることはできない。だから、世界中のさまざまな都市や市民が連携し、知恵を交換しながら、新しい社会を作り出そうとしているのだ。 なかでも、最初に「フィアレス・シティ」の旗を立てたバルセロナ市政の取り組みは野心的である。その革新的な姿勢は2020年1月に発表されたバルセロナの「気候非常事態宣言」にも表れている。 この宣言は、「気候変動を止めよう」という薄っぺらいかけ声だけに終わるものではない。2050年までの脱炭素化(二酸化炭素排出量ゼロ)という数値目標をしっかりと掲げ、数十頁に及ぶ分析と行動計画を備えたマニフェストである。大都市とはいえ、主都でもない地方自治体のこの政策策定能力の高さにまずは驚かされる。しかも、宣言は、自治体職員の作文でもなく、シンクタンクによる提案書でもない。市民の力の結集なのだ。 行動計画には、包括的でかつ具体的な項目が240以上も並ぶ。(二酸化炭素排出量削減のために、都市公共空間の緑化、電力や食の地産地消、公共交通機関の拡充、自動車や飛行機・船舶の制限、エネルギー貧困の解消、ごみの削減・リサイクルなど、全面的な改革プランを掲げている。 その内容は、飛行機の近距離路線の廃止や市街地での自動車の速度制限(時速30キロ)など、グローバル企業と対峙しなくては実現できないものも多く、「フィアレス・シティ」の闘う姿勢が表れている。ここには、経済成長ではなく、市民の生活と環境を守るという意思がはっきり読み取れる。 前章で見た、晩期マルクスの脱成長社会のエッセンスである「価値」から「使用価値」への転換をここには見出すことができるのだ。 事実、宣言の「経済モデルの変革」の項目には、脱成長社会を目指す姿勢が色濃く出ている。 既存の経済モデルは、恒常的な成長と利潤獲得のための終わりなき競争に基づくもので、自然資源の消費は増え続けていく。こうして、地球の生態学的バランスを危機に陥れているこの経済システムは、同時に、経済格差も著しく拡大させている。豊かな国の、とりわけ最富裕層による過剰な消費に、グローバルな環境危機、特に気候危機のほとんどの原因があるのは、間違いない。 資本主義における、終わりのない利潤競争と過剰消費が気候変動の原因であると厳しい言葉で強く批判しているのだ。このようなラディカルな主張が、市民のなかから生まれ、支持を集め、市政を動かすまでになっている。この一連の流れには、未来への希望がある。『人新世の「資本論」』4:グリーン・ニューディール『人新世の「資本論」』3:空間的転嫁、時間的転嫁『人新世の「資本論」』2:マルクスによる環境危機の予言『人新世の「資本論」』1:はじめに
2025.03.05
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。酷寒厳しき折りなんて思っていたが、週間天気予報は三寒四温となっており・・・いずれにしても、もうすぐ花見と浮かれている太子でおます。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、啓蟄のあたりを見てみましょう。和暦p9<啓蟄>冬ごもりの虫や蛇が、その生を謳歌し始める 啓蟄は、15日間の雨水の次に来る節気で、例年3月6日ころからになる。 啓蟄の語源には諸説あるが、「土中に冬ごもりしていた虫が、春の到来を感じて、土中から地上へと這い出して来る」という意味だ。「啓」には「開く」とか「解放する」、「夜が明ける」などの意味があり、「蟄」には「閉じこもる虫」という意味がある。 啓蟄はもちろん春の季語だが、同じような意味の季語に「蛇穴を出ず」というのがあり、冬眠していた蛇が暖かくなってきたので穴から這い出して来る状態を示している。 縦長の日本列島では、3月6日ころからの15日間を啓蟄とし、冬ごもりの虫や蛇が春の光のもと、その生を謳歌し始めるのだが、地域差が大きいことを知っておきたい。 かつて24節気は、京都の事象を中心として捉えられていたが、現行の太陽暦に改暦されてからは、関東、なかでも首都圏の事象を中心として捉えられるようになってきているようだ。 啓蟄のころになると、八百屋や食品店に各種の山菜が並び初め、一雨ごとに気温が上がり、気の早い人では桜情報もそろそろ気になるころでもある。この時期の七十二候は、次のようになる。 初候「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)」冬ごもりの虫が出て来る。 次候「桃始笑(ももはじめてさく)」桃の花が咲き始める。 末候「菜虫化蝶(なむしちょうとなる)」青虫は羽化して紋白蝶になる。 地中から虫が出てき始め、やがて桃の花が咲き、青虫は紋白蝶に羽化し、春本番へと季節は移ろう。二十四節季の啓蟄に注目(復刻2)二十四節季の立春に注目(復刻2)
2025.03.04
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若い頃にフランスに留学(あるいは放浪)することがあって、ちょっとだけドイツに渡ったことがあったのです。そのとき食べたドイツ料理(ソーセージに酸っぱいキャベツ)が忘れられないわけで・・・『食べる世界地図』という本を復刻して読み直してみようと思い立ったのです。このヴルスト&ザワークラウトには、すっかりはまってしまい、今でもスーパーで瓶詰めのザワークラウトを買い求めております。*********************************************************図書館で『食べる世界地図』という本を、手にしたのです。この本の腰巻にある、UK「食の紀行」部門グランプリ受賞!というコピーにキャッチされたのです。【食べる世界地図】ミーナ・ホランド著、エクスナレッジ、2015年刊<「BOOK」データベース>より世界の39の国と地域の料理と、その後ろに隠された歴史と文化。南インドのココナッツ・フィッシュカレー、刺激的なペルーのセビチェ、中東の茄子のペースト、デンマークのドリーム・ケーキ…。名前だけでも食欲を刺激する料理の数々に、塩漬けタラや唐辛子といった多くの国に共通する食材の秘密、移民がもたらす影響と変化。地理と歴史が複雑に絡み合う食文化の世界を読みとく、極上の食辞典。初心者にも作れる、それぞれの地域のレシピも掲載!グルマン世界料理本大賞2015 UK「食の紀行」部門グランプリ受賞!<読む前の大使寸評>この本の腰巻にある、UK「食の紀行」部門グランプリ受賞!というコピーにキャッチされたのです。heibonsha食べる世界地図ヴルスト&ザワークラウト北ヨーロッパを代表してドイツ料理を、見てみましょう。p171~177<ドイツ> イギリス人にとってのドイツ料理・・・それは、毎年冬になると街の広場を彩る。クリスマスマーケットのイメージだ。学生のころイギリスのリーズに住んでいた私は、仲間とミレニアム広場に繰り出しては、グリューワインとブラットヴルスト(焼きソーセージ)を両手に、北ヨーロッパのクリスマスに思いを馳せたものだった・・・真っ暗な夜と降り積もった雪、アコーディオンの音楽、木工芸品、それにたっぷりの料理。確かに幻想的ではあるけれど、うっとりしたのは食べ物ではなくて、その雰囲気のせいだろう。もちろん私にも偏見はある。しかしどう考えても、ホットドックを画期的な食べ物だと思う人がそんなにいるとは思えない。 そう、華やかな魅力に欠ける料理があるとすれば、それはたぶんドイツ料理だ。ソーセージに酸っぱいキャベツ、ライ麦パンにただの硬いチーズ・・・おかげで、ドイツの食べ物は重い、こっと言えば野暮ったいと世界じゅうで思われている。こうした食べ物には、もちろん大事な目的があった。この2世紀のあいだに急速に工業化したドイツで、大勢の肉体労働者たちを支えたていたのだ。 数年前、私は友人たちとロンドンからベルリンまで11日間の自転車旅行を計画した。無謀な試みだったが、どうにかやり遂げた。それもこれも、キャラウェイとジュニパーがたっぷり入った肉とじゃがいものシチューや、しっかりした味のソーセージとザワークラウトを毎晩、麦芽のビールで流し込んでいたおかげだ。 ただ、いまでもドイツじゅうのレストランで食べられるこうした伝統料理は、おれなりの店では確かにおいしいのだが、低脂肪、低炭水化物を良しとする現代の基準では、とてもバランスが取れているとは言えない。しかし、たとえ洗練されてはいなくても、ドイツという国と歴史を知れば、いっそう味わい深くなるにちがいない。 ここ黒い森のサクランボケーキ、そしてヘンゼルとグレーテルの国だ。グリム童話のこのきょうだいは、甘く危険な誘惑の森に迷い込む。“ミルクと砂糖をかけたパンケーキ、りんごやくるみ”、それに“本体はパン、屋根はケーキ、窓は白砂糖でできて”いる悪い魔女の家。キノコ、ビーツ、もぎたてのリンゴ、かぼちゃ、ひまわりの種・・・ ドイツ料理と聞いて思い浮かぶのは、いかにも森で探してきたり、地面から引っこ抜いてきたりしたものばかり。小麦やオーツ麦からライ麦まで、種子や穀物は、みっちりと味の凝縮されたドイツパンやプレッチェルになくてはならない材料だ。(中略) そして、最後にいよいよ主役の登場。熱いものも冷たいものも、ソーセージはすべて“ヴルスト”と呼ばれる。ドイツには何と1500以上もの種類があり、朝食には冷製ヴルストとチーズをパンにのせ、昼食にはホットドック、夕食にはザワークラウトやポテトサラダと一緒に食べるなど、とにかく朝から晩までヴルスト尽くし。『食べる世界地図』3:ドイツ料理『食べる世界地図』2:韓国料理『食べる世界地図』1:日本料理*********************************************************■2021.06.29XML『食べる世界地図』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202106290000/
2025.03.04
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図書館で『人新世の「資本論」』という本を、手にしたのです。表紙に、2021新書大賞第1位と載っているように、一時期本屋に平積みとなっていた本であるが・・・4年も経てば図書館ですぐチョイスできたのです♪【人新世の「資本論」】 斎藤幸平著、集英社、2020年刊<「BOOK」データベース>より人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するためには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす。<読む前の大使寸評>表紙に、2021新書大賞第1位と載っているように、一時期本屋に平積みとなっていた本であるが・・・4年も経てば図書館ですぐチョイスできたのです♪rakuten人新世の「資本論」「第二章 気候ケインズ主義の限界」でグリーン・ニューディールが出てくるあたりを、見てみましょう。p58~62<グリーン・ニューディールという希望?> 第一章では、資本主義が人間だけでなく、自然環境からも略奪するシステムであることを見た。そのうえ、資本主義は、負荷を外部に転嫁することで、経済成長を続けていく。そうした負荷の外部化がうまくいっていたあいだは、先進国に住む私たちは環境危機に苦しむこともなく、豊かな生活を送ることができた。だから、豊かな生活の「本当のコスト」についても、私たちは真剣に考えてこなかった。 だが、そのような資本主義システムこそ、環境危機をここまで深刻化させた原因である。負荷が不可視化されていることに甘えて、うすうす気づいていながら、現実から目を背けていた先進国の私たちのせいで、対策を打つのが遅れてしまったのだ。 そうこうしているうちに、「本当のコスト」はもはや無視できないものになりつつある。ポイント・オブ・ノーリターンに至るまでの残された時間がわずかになるなかで、前例を見ないような「大胆な」政策の可能性がついに先進国でも議論されるようになっているのである。 なかでも大きな期待を集めている政策プランのひとつが「グリーン・ニューディール」だ。例えば、アメリカでは、トーマス・フリードマンやジュレミー・リフキンといった識者たちが提唱し、その必要性を擁護している。世界中の名だたる政治家たちも、中身に決定的な違いはあるもののグリーン・ニューディールの看板を選挙公約に掲げていた。 グリーン・ニューディールは、再生可能エネルギーや電気自動車を普及させるための大型財政出動や公共投資を行う。そうやって安定した高賃金の雇用を作り出し、有効需要を増やし、景気を刺激することを目指す。好景気が、さらなる投資を生み、持続可能な緑の経済への移行を加速させると期待するのだ。 かつて20世紀の大恐慌から資本主義を救ったニューディール政策の再来を、という願いがここには読み取れる。危機の時代に、新自由主義はもはや無効だ。緊縮と「小さな政府」では対応できない。これからは、新たな緑のケインズ主義、「気候ケインズ主義」だ、というわけである。 だが、果たして、そのようなうまい話があるのか。グリーン・ニューディールは、本当に「人新世」の時代の救世主になれるのだろうか。第二章では、グリーン・ニューディールの問題点を検討していきたい。<「緑の経済成長」というビジネスチャンス> グリーン・ニューディールを掲げる人々のなかでも「経済成長」の部分に期待を大きく寄せるのが、経済ジャーナリストのトーマス・フリードマンだ。彼はそのような希望を「グリーン革命」と呼んで、こう述べる。「グリーン革命はまた、ビジネスチャンスと見なされなければならないし、私たちにとってはアメリカが再生するもっとも重要なチャンスなのだ」 ソ連崩壊後のグローバル化と情報技術の発展によって、世界は「フラット化」し、すべての人々はつながっていく、とフリードマンは長らく主張してきた。そこに、「グリーン革命」が新たに加わることによって、このフラットな世界が真に持続可能なものになるというわけだ。 フリードマンの発言からもわかるように、気候ケインズ主義が与えてくれるのは、気候変動を好機にして、これまで以上の経済成長を続けることができるかもしれないという「希望」である。別の言い方をすれば、気候ケインズ主義に依拠した「緑の経済成長」こそが、資本主義が「平常運転」を続けるための「最後の砦」になっているのである。<SDGs 無限の成長は可能なのか?> その「最後の砦」の旗印となっているのが「SDGs」だ。国連、世界銀行、IMF(国際通貨基金)、OECD(経済協力開発機構)などの国際機関もSDGsを掲げ、「緑の経済成長」を熱心に追及しようとしている。(中略) エリートたちが集う国際組織において、気候変動対策が新たな経済成長の「チャンス」とみなされているのが、はっきりとわかるだろう。 実際、フリードマンやリフキンの提唱する気候ケインズ主義が、さらなる経済成長を生み出すのは間違いない。太陽光パネルだけでなく、電気自動車とその急速充電器の普及、さらにはバイオマス・エネルギーの開発など、経済の大転回が必要になり、そのためには多くの投資と雇用創出が欠かせないからである。 そして、気候危機の時代には、既存の社会インフラ全体を丸ごと転換するような大型投資が必要だという主張も、まったくもって正しい。『人新世の「資本論」』3:空間的転嫁、時間的転嫁『人新世の「資本論」』2:マルクスによる環境危機の予言『人新世の「資本論」』1:はじめに
2025.03.03
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図書館で『人新世の「資本論」』という本を、手にしたのです。表紙に、2021新書大賞第1位と載っているように、一時期本屋に平積みとなっていた本であるが・・・4年も経てば図書館ですぐチョイスできたのです♪【人新世の「資本論」】 斎藤幸平著、集英社、2020年刊<「BOOK」データベース>より人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するためには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす。<読む前の大使寸評>表紙に、2021新書大賞第1位と載っているように、一時期本屋に平積みとなっていた本であるが・・・4年も経てば図書館ですぐチョイスできたのです♪rakuten人新世の「資本論」「第一章 気候変動と帝国的生活様式」で空間的転嫁、時間的転嫁が出てくるあたりを、見てみましょう。p46~48<空間的転嫁 外部化と生態学的帝国主義> 技術的転嫁に続く、第二の方法が、空間的転嫁である。この点についても、マルクスは、土壌疲弊との関係で考察している。 まだハーバー・ボッシュ法が開発されていなかったマルクスの時代に注目された代替肥料は、グアノであった。南米のペルー沖にはたくさんの海鳥がいて、その海鳥の糞の堆積物が化石化したものがグアノである。それが島のように積み重なっていたのだ。 このグアノは乾燥した鳥の糞なので、植物の生育にとって必要な多くの無機物が含まれており、取り扱いも容易であった。実際、現地の住民は伝統的にグアノを肥料として用いていたという。このグアノの効用に気がついたヨーロッパ人が、19世紀初頭に南米を調査旅行していたアレクサンダー・フォン・フンボルトであた。 その後、グアノは、土壌疲弊に対する救世主として一躍有名になり、大量に南米から欧米へ輸出されるようになっていく。グアノのおかげで、イギリスやアメリアの地力は維持され、都市の労働者たちの食料が供給されたのだ。 ところが、ここでも「亀裂」は修復されていない。大勢の労働者が動員されて、グアノが一方的に、奪い去られていったのだ。その結果は、原住民の暴力的な抑圧と9万人にも及ぶ中国人クーリーの搾取、ならびに海鳥の激減を伴うグアノ資源の急速な枯渇であった。さらには枯渇する資源をめぐって、グアノ戦争(1864~66年)や硝石戦争(1879~84年)が勃発することになる。 この事例からもわかるように、矛盾を中核部にとってのみ有利な形で解消する転嫁の試みは、「生態学的帝国主義」(ecological imperialism)という形を取る。生態学的帝国主義は周辺部からの略奪に依存し、同時に矛盾を周辺部へと移転するが、まさにその行為によって、原住民の暮らしや、生態系に大きな打撃を与えつつ、矛盾を深めていく。 <時間的転嫁 「大洪水よ、我が亡き後に来たれ!」> 最後の第三の転嫁方法は、時間的なものである。マルクスが扱っているのは森林の過剰伐採だが、現代において時間的転嫁が最もはっきりと現われているのが、気候変動である。 化石燃料の大量消費が気候変動を引き起こしているのは間違いない。とはいえ、その影響のすべてが即時に現れるわけではない。ここには、しばしば何十年にも及ぶ、タイムラグが存在するのだ。そして資本はこのタイムラグを利用して、すでに投下した採掘機やパイプラインからできるだけ多くの収益を上げようとするのである。 こうして、資本主義は現在の株主や経営者の意見を反映させるが、今はまだ存在しない将来の世代の声を無視することで、負担を未来へと転嫁し、外部性を作り出す。将来を犠牲にすることで、現在の世代は繁栄できる。ウーム 将来を犠牲にすることで、現在の世代は繁栄できるってか・・・皮肉ではあるが、これが資本主義の根幹なのか。『人新世の「資本論」』2:マルクスによる環境危機の予言『人新世の「資本論」』1:はじめに
2025.03.03
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折につけ見てみたい、つげ義春のマンガである。「紅い花」の原画などが載っている『芸術新潮1月号(特集:つげ義春)』を復刻して見てみようと思いたったのです♪*********************************************************『芸術新潮1月号(特集:つげ義春)』を図書館で借りて読んでいるのだが・・・・つげのロングインタビューとか、高精密写真による「紅い花」原画とか、なかなか精力的な企画である。【芸術新潮1月号(特集:つげ義春)】雑誌、新潮社、2014年刊<内容紹介>より本日12月25日発売の芸術新潮2014年1月号(新潮社)では、「大特集 デビュー60周年 つげ義春 マンガ表現の開拓者」が組まれている。特集には4時間に及んだという、つげのロングインタビューを収録。リアリズムを追い求めた作風のこと、好きな映画や音楽について、近頃の生活ぶりなど、幅広い話題が展開されている。聞き手は美術史家で明治学院大学教授の山下裕二が務めた。<大使寸評>大使の場合、つげ義春と言えば漂泊とか鄙びた温泉になるのだが・・・この特集号はそのあたりについても触れています。つげさんは25年以上の休筆・隠棲状態にあるそうだが…過去の遺産で食っていけるほど、すごいマンガ家だったんでしょうね♪natalie芸術新潮1月号(特集:つげ義春)大使の場合、つげ義春と言えば漂泊とか鄙びた温泉になるのだが・・・この特集号はそのあたりについても触れています。大使の過去のエントリーから、「鄙びた温泉」を復刻します。つげ義春ワールド☆湯宿温泉・湯本館によれば、『ゲンセンカンしゅじん』こそ、舞台は群馬・湯宿温泉大滝屋さんからイメージして描いた漫画なのだぁ~~そうです。かやぶき家屋などいい感じではあるが、営業的には成功していても、もう鄙びた温泉とはいえないのではないか?少なくとも、つげの追い求める「みすぼらしい景観」とは言えないだろう。つげ義春の温泉など参考にして、行く先を探すことにするが・・・・・やはり、行くならそこそこ綺麗な温泉宿にしたい大使である。*********************************************************■2014.06.05XML芸術新潮1月号(特集:つげ義春)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201406050001/
2025.03.02
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図書館で『すごいトシヨリBOOK』という本を、手にしたのです。老人の諸問題が綴られているが、どこか力が抜けているというか、ほっこりしてくるわけで・・・チョイスしたのです♪【すごいトシヨリBOOK】 池内紀著、毎日新聞出版、2017年刊<「BOOK」データベース>より人生の楽しみは70歳からの「下り坂」にあり。ドイツ文学者の楽しく老いる極意。リタイア後を豊かに生きるヒント。<読む前の大使寸評>老人の諸問題が綴られているが、どこか力が抜けているというか、ほっこりしてくるわけで・・・チョイスしたのです♪rakutenすごいトシヨリBOOK「第9章 老いの旅」で、老人の人生について、見てみましょう。p181~183<人生はされど麗し> 川柳に「オムツしてデートに出かける八十歳」っていうのがあって、いい川柳だと思ってメモをしました。これは年を取ればだれでもめぐってくること。知らない間は、馬鹿馬鹿しいと思っているけれど、実際非常に切実になってくる問題です。 自分の体の一部がままならない、反抗する、自分の意のままにならない、そういう状態というのは喜劇によくあるんですね。 だから、自分が、人生の喜劇の主役になっているぐらいに見なしたらいいんjyないかって思います。年を取って、自分の生きる状況がだんだん喜劇的になっていく。悲劇にすると非常に辛いけど、喜劇だと思えば笑って済むことです。 僕の伯父の一人ですが、町医者でね、ずいぶん面白い人でもう死んじゃいましたけど、若い時、よく遊びに行っていたんです。晩年は認知症になりましたけどね。 ちょび髭を生やして、円いメガネをかけて、「ゲーテ知ってるか、ゲーテって言うから、「ゲーテは知ってますけど」って言ったら、「ゲーテ曰く・・・」いつもの口癖でね、「ゲーテ曰く・・・」、「人生はされど麗し」。 最後はもうよれよれになって、そんな麗しの人ではなかったけれど、それでもそういうふうに考えて生きていた人でした。 伯父は最後は一人暮らしになりました。息子がやっぱり医者になって遠くの街にいたんです。一人住まいはかわいそうだっていうので、引き取ったら、徘徊が始まった。見知らない所へ連れて来られたから、不安で不安でしょうがなかったんでしょう。ちょっとでも記憶にある風景がありそうな所、それを探していたのでしょう。徘徊のもとを見落とし、かわいそうなことをしたと思います。 まあ、「人生はされど麗し」の、「されど」の一つで、想いもかけなかった状況に陥ることもある。それでも、悲劇を喜劇に、いろいろ工夫を凝らして面白い喜劇が出来ていいんじゃないかと思います。<べっぴんさん> 特急電車に乗るのは不安だから各駅に乗るとか、歩いていてふっと気がついて、「この辺にトイレがあるかどうか調べていなかった」と急に不安になったり、僕の体験では六十代までは、そういう問題はありませんでした。 七十代になってそういうのが始まって、自分なりの工夫をしています。面白いと言えば、面白いですけどね。『すごいトシヨリBOOK』2:老人の時間『すごいトシヨリBOOK』1:はじめに
2025.03.02
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図書館で『欧米人の見た開国期日本』という文庫本を、手にしたのです。この本をパラパラとめくると、異国人が描いた日本人画像が数多く見られるわけで・・・カメラのない時代における貴重な科学的資料だと思った次第です。【欧米人の見た開国期日本】石川栄吉著、KADOKAWA、2019年刊<「BOOK」データベース>よりケンペル、イザベラ・バード、モース、シーボルトほか、幕末・明治期に訪日した欧米人たちは豊富な記録を遺している。彼・彼女らが好奇・蔑視・賛美などの視点で綴った滞在記や研究誌を広く集め、庶民たちの当時の暮らしを活写。著名な日本滞在記の読みどころも一冊で掴める、人類学の巨人が「異文化理解」の本質に迫った比較文明論。<読む前の大使寸評>この本をパラパラとめくると、異国人が描いた日本人画像が数多く見られるわけで・・・カメラのない時代における貴重な科学的資料だと思った次第です。rakuten欧米人の見た開国期日本『第六章 庶民の飲食』で刺身なんかを、見てみましょう。p146~148<3 刺身はうまい> さて、日本食が欧米人の口にあったかどうかの問題である。開国機に来日した欧米人たちの中には、幕府の高官や役人に饗応されたばかりか、大君(徳川将軍)から食事を賜ったものがある一方、旅籠(はたご)や茶屋で庶民的な食事を味わったものもある。 しかし、料理法や味つけは料理人の腕次第であるし、好みにもまた個人差があるから、一般論としてこの問題を扱うことは困難である。人間は多年身についた味覚や食習慣をにわかに改めることができるほど柔軟にはできていないから、来日当初から毎日の食事を日本の食材や料理法だけで満足できるはずはなかった。 彼らがこの点でいかに苦しんだかは、すでに見たとおりである。であるから、以下は彼らがたまに口にした日本食の感想ということになる。 料理は目でも食べるといわれ、盛りつけの美しさは料理の重要な要素である。食べるのが勿体ないほど美しく、芸術的といいたくなるくらい見事な盛りつけの料理もある。これも板前の腕である。 ハリスは1856年(安政3)8月25日に下田で奉行の岡田備後守に初めて会い、その饗応を受けたときの印象を、日本の料理は立派なもので、見た目もいたって美しく、清潔なものであったと日記に記している。 1860年(万延Ⅰ)9月に江戸を訪れたプロシアのオイレンブルク一行は、幕府から届けられた日本料理の正餐を、日本人一流の趣味で非常に優美であると賞賛しているし、スエンソンは横浜の屋台の鮨屋で見た握り鮨に、何ともいえぬほど美しいと魅了されている。 見た目だけではない。食べてみて美味としている欧米人も少なくはない。近年のアメリカでは、ブームは大げさにしても、けっこう日本食がもてはやされており、鮨などは人気があると聞くが、従来われわれの先入主となっていた欧米人好みの日本食といえば、もっぱらスキヤキ、テンプラであった。 反対に欧米人が敬遠する日本食は納豆と並んで刺身であった。ところが開国期においてすでに刺身を美味とする欧米人がおり、彼らが生魚を嫌うというのはまったく私たちの迷信というか、勝手な思いこみに過ぎなかったことを実証してくれているのである。考えてみれば、ヨーロッパでも生鰊の酢漬けなどをよく食べているではないか。 フィッセルは、鰹を酒か醤油に浸し、「辛子」をつけて食べるとたいへんに美味であるという。「辛子」というのはもちろんわさびのことである。彼はまた、格別においしいものとして、「非常にたくさんの生焼けのビフテキのできるあの生の鰹」(訳文は庄司三男氏)をあげている。これは「生焼けのビフテキ」という表現からみて、刺身ではなく、鰹のタタキのことであろう。 彼は米も礼賛し、漬物やうまく料理した魚や鳥といっしょに食べるならば、米はあらゆる食物のうちでもっとも好ましい、もっとも無害な食物ということができると評価している。『欧米人の見た開国期日本』2:日本人の服装『欧米人の見た開国期日本』1:日本人の容姿
2025.03.01
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手元不如意なもんで、長いこと本を購入しなかったけど・・・久しぶりに『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』と言う本を購入したのです。去年の10月にスマホを購入・契約したのだが、操作が難しいわけで、タダ右往左往するだけで、いっこうに使いこなせないわけで・・・この本で系統的に学習しようと思い立ったのでおます♪【500円でわかるアンドロイドスマートフォン】ONE COMPUTER MOOK GetNavi編、 ワン・パブリッシング、2023年刊<「BOOK」データベース>よりムック本につきデータなし<読む前の大使寸評>24年の10月にスマホを購入・契約したのだが、操作が難しいわけで、タダ右往左往するだけで、いっこうに使いこなせないのでチョイスしたのです。rakuten500円でわかるアンドロイドスマートフォンあとさきになったが、基本操作(STEP1 基本操作を覚える)について見てみましょう。p14~17通知ドットを確認する通知があるとアプリのアイコン右上にドットが表示される。1 右上に通知ドットが表示されたアイコンを長押しする。2 通知内容が表示される。より詳しく確認した場合は、通知部分をタップする。3 アプリが起動して、通知内容が確認できる画面に切り替わる。ホーム画面で検索するホーム画面には、Googleアシスタントが配置されている。ここにキーワードを入力すると、端末内のアプリを探したり、インターネットを検索したりできる。Googleアシスタントを起動する「Googleアシスタント」は、知りたいことや困ったことなどの質問に音声で答えてくれる便利なサポート機能だ。質問は音声入力と文字入力に対応する。1 Googleアシスタントの右側にあるマイクのアイコンをタップする。2 音声の入力待ち状態になるので、質問を発話する。3 「今日の天気は?」と聞いてみた場合の画面。すぐに答えの天気予報が表示された。その下の「週末は?」「明日は?」などに質問を続け、会話のようにやりとりできる。カメラで検索、翻訳、文字認識する カメラでとらえた対象の検索のほか、画像内の外国語の翻訳や、文字を自動認識するコピーtぴった機能を持つのが「Googleレンズ」だ。建物にカメラを向けるだけで詳細を表示できるなど、とても便利な機能もある。●検索する1 ホーム画面下の検索ボックス右端にある「Googleレンズ」アイコンをタップする。2 起動したら、画面下の「検索」を選び、検索したい対象にカメラを向ける。画面の白い枠内に調べたい対象を入れ、シャッターボタンをタップする。3 検査悪結果が表示される。各検索結果をタップすると、より詳しい情報を閲覧できる。●外国語を翻訳する(省略)●文字認識を活用する(省略)●数式を計算する(省略)Googleアカウントを取得して設定するGoogleアカウントは、Googleの各種サービスを利用するための登録証のようなものだ。アンドロイドスマートフォンを使うには、Googleアカウントを利用するのが基本。アカウントがないと、アプリの追加やGmailなど、多くの便利なサービスを利用できない。ここで取得しておこう。取得済みの場合は、端末に登録する。1 ホーム画面を上方向にスワイプしてすべての画面を表示し、「設定」アプリをタップする。2 設定画面の「パスワードとアカウント」をタップして、次画面で「アカウントを追加」をタップする。3「アカウントを追加」画面が表示される。ここでは「Google」をタップする。4「ログイン」画面で「アカウントを作成」→「個人で使用」とタップする。すでにアカウントを取得済みの場合は「メールアドレスまたは電話番号」入力欄をタップして、メールアドレスを入力後に「次へ」をタップしてログインする。5 姓と名を入力して「次へ」をタップ。続いて、生年月日と性別をタップしてメニューから選択して「次へ」をタップする。6「自分でGmailアドレスを作成」をタップして選択し、「Gmailアドレスを作成」欄に希望するアカウント名(@より前の部分)を入力して「次へ」をタップする。7「安全なパスワードの作成」画面が表示される。半角英数記号8文字以上のパスワードを欄に記入し、「次へ」をタップする。8「電話番号を追加しますか?」画面が表示される。内容を確認し、登録する場合は、「はい、追加します」をタップする。通常は登録しておいたほうが利便性が向上する。9「アカウント情報の確認」が表示されたら名前とメールアドレス、電話番号を確認し、間違いがなければ、「次へ」をタップする。10「プライバシーポリシーと利用規約」が表示されるので内容に目を通し、「同意する」をタップする。11 表示される内容を読む。「」はオンのままにしておこう。最後に、「同意する」をタップする。⒓ 作成したアカウントが「」画面に追加されたら、Googleアカウントの登録は官僚だ。本人確認用の電話番号を登録する GoogleアカウントでGoogleの各種サービスにログインするとき、パスワードだけではセキュリティが心配だ。そこで、スマートフォンにショートメッセージで届くパスコードを入力して本人確認をするように設定しておこう。(本登録に関する1~5項については、コピペ省略)ウーム いろんな便利な機能やセキュリティがあるようだが・・・そのうち暇なときに設定することにしよう。『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』5:基本操作(STEP4 文字入力)続きp28~29『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』4:基本操作(STEP4 文字入力)p26~27『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』3:電源の入り切り、ロック画面、スリープp10~11『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』2:メッセージ/メールの送受信p38~39『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』1:電話の送受信p34~37
2025.03.01
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図書館で『人新世の「資本論」』という本を、手にしたのです。表紙に、2021新書大賞第1位と載っているように、一時期本屋に平積みとなっていた本であるが・・・4年も経てば図書館ですぐチョイスできたのです♪【人新世の「資本論」】 斎藤幸平著、集英社、2020年刊<「BOOK」データベース>より人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するためには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす。<読む前の大使寸評>表紙に、2021新書大賞第1位と載っているように、一時期本屋に平積みとなっていた本であるが・・・4年も経てば図書館ですぐチョイスできたのです♪rakuten人新世の「資本論」「第一章 気候変動と帝国的生活様式」でマルクスの「資本論」が出てくるあたりを、見てみましょう。p42~45<マルクスによる環境危機の予言> マルクスはこう強調していた。資本主義は自らの矛盾を別のところへ転嫁し、不可視かする。だが、その転嫁によって、更に矛盾が深まっていく泥沼化の惨状が必然的に起きるであろうと。 資本による転嫁の試みは最終的には破綻する。このことが、資本にとっては克服不可能な限界になると、マルクスは考えていたのである。 そうした資本主義の限界の所在を突き止めるべく、マルクスを参照しながら、技術的、空間的、時間的という三種類の転嫁について整理しておこう。<技術的転嫁 生態系の攪乱> 第一の転嫁方法は、環境危機を技術発展によって乗り越えようとする方法である。 マルクスが扱っているのは農業による土壌疲弊の問題である。その際、彼が参照したのは、同時代の化学者ユストゥス・フォン・リービッヒの「略奪農業」批判であった。 リービッヒによれば、土壌の養分、とりわけリンやカリウムのような無機物は、岩石の風化作用によって、植物が利用できる形になる。ただし、風化の速度は非常にゆっくりであるため、植物が利用可能な状態の土壌養分は限られている。それゆえ、地力を保つためには、穀物が吸収した分の無機物を土壌にしっかりと戻すことが不可欠だという。 リービッヒは、これを「充足律」と呼んだ。要するに、持続可能な農業のためには、土壌養分がしっかりと循環しなくてはならないというわけだ。 ところが、資本主義が発展して、都市と農村のあいだで分業が進むと、農村で収穫された穀物は、都市の労働者向けに販売されるようになっていく。都市で消費される穀物に吸収された土壌養分は、もはや元の土壌に戻ってくることがない。都市の労働者たちが摂取し、消化した後は水洗トイレで河川に流されてしまうからだ。 資本主義下での農業経営にも問題は潜む。短期的な視点しかもてない農場経営者は、地力を回復させるための休耕より、儲けのために連作を好む。土地を潤す灌漑設備への投資なども最低限にとどめる。資本主義では、短期的な利潤が最優先されるのである。こうして土壌の養分循環に「亀裂」が生じ、土壌に養分が還元されることなく、一方的に失われ、土壌は疲弊していく。 短期的な利潤のために、持続可能性を犠牲にする不合理な農業経営を、リービッヒは「略奪農業」と呼んで批判し、ヨーロッパ文明崩壊の危機として継承を鳴らしたのだった。 ところが、歴史的に見れば、リービッヒが警告したような土壌疲弊による文明の危機は生じなかった。なぜだろうか? 20世紀初頭に開発された「ハーバー・ボッシュ法」というアンモニアの工業的製法によって、廉価な化学肥料の大量生産が可能になったからである。 ただし、この発明によって、循環の「亀裂」が修復されたわけではない。「転嫁」されたに過ぎないというのがポイントだ。 ハーバー・ボッシュ法によるアンモニア(NH3)の製造は、大気中の窒素(N)だけではなく、化石燃料(主に天然ガス)由来の水素(H)を利用する。当然、世界中の農地の分をまかなうためには膨大な量の化石燃料が必要となる。 実際、アンモニアの製造に使われる天然ガスは、産出量の3~5%をも占めるのだ。要するに、現代農業は、本来の土壌養分の代わりに、別の限りある資源を浪費しているだけなのである。当然、製造過程では、大量の二酸化炭素も発生する。これが、技術的転嫁の本質的な矛盾である。ウーム 技術的転嫁の本質的な矛盾ってか・・・地球温暖化という危機にどう対応するか世界中の英傑たちがが思案している昨今であるが、アメリカのトランプさんがディールという極めて卑近な思考法で事足りるとしているわけで・・・開いた口が収まらないのです。『人新世の「資本論」』1:はじめに
2025.02.28
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トリ、恐竜、捕鯨などは私のツボ(動物系)であるわけで・・・以下の『トリノトリビア』という本を復刻して読み直してみようと思い立ったのです♪*********************************************************図書館で『トリノトリビア』という本を、手にしたのです。中を覗くと、4コママンガと解説の2本立てでビジュアルなのが・・・ええでぇ♪【トリノトリビア】 川上和人×マツダユカ著、西東社、2018年刊<商品説明>より鳥類学者と鳥好きマンガ家のタッグで贈る!読めば道ばたのスズメを素通りできなくなる、日本一オモシロイ野鳥の本<読む前の大使寸評>中を覗くと、4コママンガと解説の2本立てでビジュアルなのが・・・ええでぇ♪rakutenトリノトリビアアカゲラキツツキの衝撃が興味深いので、見てみましょう。p34、35<キツツキは脳に損傷を受けるほど木をつつく> 林の中で耳をすますと、タララララという木琴のような音色が聞こえてきます。これはキツツキのドラミングです。日本には、コゲラやアオゲラ、アカゲラなどがすんでいて、彼らは鳴くかわりに木を叩き、ほかの個体とコミュニケーションをはかっています。 また、キツツキは木をつつくことで穴を開け、木の中深くに隠れている昆虫を捕まえます。キツツキの舌はとても長く、口の中に収まりません。ふだんは口の中から首の横を抜けて、後頭部から頭上へ、くるりと頭蓋骨を1周しています。先端には粘着性の唾液とトゲが装備され、エイリアンの口吻のごとく伸びて虫を追い詰めるのです。 彼らは1秒間に20回の猛スピードで木をつつき、穴をうがちます。その衝撃は交通事故レベルともいわれ、キツツキが脳震盪を起こさないのはなぜか、興味をそそられます。 木とくちばしの接触時間が1000分の1秒と短くて衝撃が少ない、脳が頭蓋骨にピタリと収まって揺れにくい、頭蓋骨の一部がスポンジ状なので衝撃が分散される、顎や首のマッチョな筋肉が衝撃を受け止めて緩和する、などがその理由とされています。 しかし最近、キツツキの脳は、やはり衝撃による損傷を受けているという研究が発表されました。「タウタンパク質」という、アルツハイマー型認知症の主要原因物質ではないかといわれる物質が、ほかの鳥より多く溜まっているというのです。それでもなお、つつき続ける彼らは、ジョーカーやロッキー並みのファイターなのです。『トリノトリビア』7:キツツキの衝撃『トリノトリビア』6:カラスの嫌がらせ『トリノトリビア』5:日本のソウルバード『トリノトリビア』4:メジロの舌『トリノトリビア』3:シジュウカラの鳴き声『トリノトリビア』2:ツバメの渡り『トリノトリビア』1:コラム*********************************************************■2022年03月31日『トリノトリビア』7https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202203310000/
2025.02.28
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ポケットに外国語ってか・・・下手の横好き外国語の私にとってはツボが疼くテーマである。・・・ということで、以下のとおり復刻して読み直してみましょう。*********************************************************このところ、ルーマニア語とかフランス語とか言語をテーマにブログにUPしているが・・・この際、『ポケットに外国語を』という本を復刻して読んでみようと思い立ったのです。*********************************************************図書館で『ポケットに外国語を』という文庫本を、手にしたのです。下手の横好き外国語といえば・・・俺のことか?と思う大使でおます♪【ポケットに外国語を】黒田竜之助著、筑摩書房、2013年刊<「BOOK」データベース>より世界に通用するために外国語を勉強しなければ!そんな気持ちを脱力させて、言葉本来の面白さを感じ取りたい。古本屋で知らない外国語のテキストを買ってみたり、時には現地にいってみたりとあちこち思考をめぐらした結果がこのエッセイに詰まっている。しかも、外国語をもっと楽しく勉強したい人へ向けたアドバイスとして読める。文庫化に際して未収録作品多数!<読む前の大使寸評>下手の横好き外国語といえば・・・俺のことか?と思う大使でおます♪rakutenポケットに外国語をロシア語へのアプローチが語られているので、見てみましょう。p211~215<モスクワ、シベリア> 友人の管啓次郎さんがエッセイ集を出した。『ホノルル、ブラジル』(インスクリプト、2006年)は、わたしにとって特別な本である。最後にわたしとの対談が収録されているからだ。 対談はかつて、雑誌「UP」2004年12月号に「夜明けのロシア語、黄昏のポルトガル語」と題して発表された。同じ職場で英語教師をしている二人が、ロシア語やポルトガル語の魅力、さらにことばと文化について話し合うといった企画だった。この対談が再録されたことにより、『ホノルル、ブラジル』はわたしにとって、自分の本ではないのだけれど、自分の本でもあるという、不思議な存在になった。 管さんはよき友人であるが、趣味や好みについてはわたしとだいぶ違う。それはこのエッセイ集の題名からも分かる。ホノルルにもブラジルにも、わたしは行ったことがない。さらに副題が「熱帯作文集」というのだが、これは気温40度のアリゾナが快適という彼にこそ相応しいが、暑いのが苦手な者には思いもつかない語結合だ。わたしだったら、きっと「ツンドラ作文集」になるはずである。 あるとき彼が「ボクのやっぱり好きなもの」として犬、ゴルフ、そして英語の三つを挙げた。これもことごとく違う。わたしは犬よりもウサギが好きだ。ゴルフはやったこともないし、スポーツだったらスキーのほうがいい。そして英語については、好きといえるほど素直になれない。 じゃあ菅さんの英語に対して、黒田はロシア語なのかと問われると、それも迷う。実のところ、これは長年悩み続けてきた問題なのだ。 それでも、対談はわたしがロシア語を語り、菅さんは英語ではなく、ポルトガル語を語ることから始まった。 そもそも、わたしのロシア語はまったくの偶然である。中学二年生のころ、テレビのロシア語講座を見ていて、こういう文字が書けるようになったらいいなあという、ごく軽い気持ちが始まりだ。 一方、菅さんはポルトガル語にたどり着くまでに少し時間がかかる。英語の大好きだった少年が、大学でフランス語、それからスペイン語を経て、ポルトガル語を始めるのは24歳のとき。だが年齢は重要ではない。それよりも彼が小学生の頃に持っていたポルトガル語のイメージが「葡萄のことば」だったというのが面白い。 ポルトガルを漢字で書けば葡萄牙となり、それは当て字で意味がないといえばそれまでだが、そういうイメージは大切にしたい。ロシア(露西亜)だって「露のことば」というイメーイが膨らむ。中学二年生でロシア語を始めたわたしには、そのときロシアという露がキラキラと光り、心に染み透っていたのかもしれない。 詩的な菅さんは詩人フェルナンド・ペソアにのめりこむが、散文的なわたしはキエフ・ルーシ史に興味を持つ。20代半ばでいきなりブラジルに飛びこんでいく菅さんは、中学生の頃すでにアメリカでホームステイを体験しているが、わたしはといえば海外長期滞在が未だに実現できていない。あまりにも違う二人の方向。 だが、奇妙な共通点がここで浮かぶ。菅さんもわたしも、活字の人なのだ。「簡単な本の多読は外国語学習の王道だよね」と語る菅さんに、わたしは百パーセント賛成。そう、ブラジルに行ったからって、それだけで言語が上達するはずがない。彼はむずかしくない本をせっせと読んだ。これはわたしも実践している。日本だけでなく海外でも、簡単な本をたくさん読んでことばを滑らかにしていく。ずいぶん違うように見えた二人の外国語へのアプローチ方法が、ここで接点を持った。 どうして活字なんだろうと疑問に思うわたしに、菅さんはある答えを示す。「人の心がことばでできている以上、生身の人間にもかならずその背後にはあるまとまったアーカイブ(文書群)がある。それには、文字に頼る以外の接近の仕方はない」。ことばを表面的なものとして軽視したがる人たちに対するこんな反論があったのかと、わたしは素直に驚く。彼のいう通り、人は表面に出ないものを、いっぱい抱えこんでいるはずではないか。 活字というのは本には限らない。新聞の家庭欄やCDの歌詞カードだって、外国語を楽しむために必用なアイテム。話題はさらに映画やインターネットへと広がる。インターネットは言語マイノリティーが主張するのに格好の手段なのだが、その際にどの言語で発信するか、つまり自らの固有言語を選ぶか、あるいは多くの人が分かるメジャー言語にするか、という問題に突き当たる。 ここで菅さんは「アンブレラ言語」という概念を提唱する。(中略) 「あるアンブレラ言語の中にいる小言語の使い手が、ひょいといたずら心で一つの傘を飛びだし、別の傘の下に身を移してみる。あるいは別の傘の下にいる誰かといきなり直接接触する。そういう無根拠な接続が、いちばんおもしろいと思う」 これはわれわれ二人のことだ。わたしたちが多言語に惹かれるのは、一つの傘を飛び出して別の傘の下に身を移してみたいという、ほんのいたずら心なのである。おもしろがっているのに過ぎない。何かがおもしろくなければ、外国語なんてだれも勉強しないはず。『ポケットに外国語を』3:ロシア語へのアプローチ『ポケットに外国語を』2:にぎやかな言語学『ポケットに外国語を』1:サマセット・モームの「外国語学習小説」*********************************************************■2023.12.08XML『ポケットに外国語を』(復刻)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202312080000/
2025.02.27
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図書館で『人新世の「資本論」』という本を、手にしたのです。表紙に、2021新書大賞第1位と載っているように、一時期本屋に平積みとなっていた本であるが・・・4年も経てば図書館ですぐチョイスできたのです♪【人新世の「資本論」】 斎藤幸平著、集英社、2020年刊<「BOOK」データベース>より人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するためには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす。<読む前の大使寸評>表紙に、2021新書大賞第1位と載っているように、一時期本屋に平積みとなっていた本であるが・・・4年も経てば図書館ですぐチョイスできたのです♪rakuten人新世の「資本論」まず、「はじめに」を、見てみましょう。p3~7<はじめに SDGsは「大衆のアヘン」であある!> 温暖化対策として、あなたは、なにかしているだろうか。レジ袋削減のために、エコバックを買った? ペットボトル入り飲料を買わないようにマイボトルを持ち歩いている? 車をハイブリッドカーにした? はっきり言おう。その善意だけなら無意味に終わる。それどころか、その善意は有害でさえある。 なぜだろうか。温暖化対策をしていると思い込むことで、真に必要とされているもっと大胆なアクションを起こさなくなってしまうからだ。良心の呵責から逃れ、現実の危機から目を背けることを許す「免罪符」として機能する消費行動は、資本の側が環境配慮を装って私たちを欺くグリーン・ウォッシュにいとも簡単に取り込まれてしまう。 では、国連が掲げ、各国政府も大企業も推進する「SDGs(持続可能な開発目標)」なら地球全体の艦橋を変えていくことができるだろうか。いや、それもやはりうまくいかない。 政府や企業がSDGsの行動指針をいくつかなぞったところで、気候変動は止められないのだ。SDGsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない。 かつて、マルクスは、資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる「宗教」を「大衆のアヘン」だと批判した。SDGsはまさに現代版「大衆のアヘン」である。 アヘンに逃げ込むことなく、直視しなくてはならない現実は、私たち人間が地球のあり方を取り返しのつかないほど大きく変えてしまっているということだ。 人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな時代に突入したと言い、それを「人新世」(Ànthropocene)と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である。 実際、ビル、工場、道路、農地、ダムなどが地表を埋めつくし、海洋にはマイクロ・プラスチックが大量に浮遊している。人工物が地球を大きく変えているのだ。とりわけそのなかでも、人類の活動によって飛躍的に増大しているのが、大気中の二酸化炭素である。 ご存じのとおり、二酸化炭素は温室効果ガスのひとつだ。温室効果ガスが地表から放射された熱を吸収し、大気は暖まっていく。その温室効果のおかげで、地球は、人間が暮らしていける気温に保たれてきた。 ところが、産業革命以降、人間は石炭や石油などの化石燃料を大量に使用し、膨大な二酸化炭素を排出するようになった。産業革命以前には280ppmであった大気中の二酸化炭素濃度が、ついに2016年には、南極でも400ppmを超えてしまった。これは400万年ぶりのことだという。そして、その値は、今この瞬間も増え続けている。 400万年前の「鮮新世」の平均気温は現在よりも2~3℃高く、南極やグリーンランドの氷床は融解しており、海面は最低でも6ⅿ高かったという。なかには10~20mほど高かったとする研究もある。「人新世」の気候変動も、当時と同じような状況に地球環境を近づけていくのだろうか。人類が築いてきた文明が、存続の危機に直面しているのは間違いない。 近代化による経済成長は、豊かな生活を約束していたはずだった。ところが、「人新世」の環境危機によって明らかになりつつあるのは、皮肉なことに、まさに経済成長が、人類の繁栄の基盤を切り崩しつつあるという事実である。 気候変動が急激に進んでも、超富裕層は、これまでどおりの放埓な生活を続けることができるかもしれない。しかし、私たち庶民のほとんどは、これまでの暮らしを失い、どう生き延びるのかを必死で探ることになる。(中略) 本書はそのマルクスの『資本論』を折々に参照しながら、「人新世」における資本と社会と自然の絡み合いを分析していく。もちろん、これまでのマルクス主義の焼き直しするつもりは毛頭ない。150年ほど眠っていたマルクスの思想のまったく新しい面を「発掘」し、展開するつもりだ。 この「人新世の『資本論』」は、気候危機の時代に、より良い社会を作り出すための想像力を解放してくれるだろう。
2025.02.27
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図書館で『欧米人の見た開国期日本』という文庫本を、手にしたのです。この本をパラパラとめくると、異国人が描いた日本人画像が数多く見られるわけで・・・カメラのない時代における貴重な科学的資料だと思った次第です。【欧米人の見た開国期日本】石川栄吉著、KADOKAWA、2019年刊<「BOOK」データベース>よりケンペル、イザベラ・バード、モース、シーボルトほか、幕末・明治期に訪日した欧米人たちは豊富な記録を遺している。彼・彼女らが好奇・蔑視・賛美などの視点で綴った滞在記や研究誌を広く集め、庶民たちの当時の暮らしを活写。著名な日本滞在記の読みどころも一冊で掴める、人類学の巨人が「異文化理解」の本質に迫った比較文明論。<読む前の大使寸評>この本をパラパラとめくると、異国人が描いた日本人画像が数多く見られるわけで・・・カメラのない時代における貴重な科学的資料だと思った次第です。rakuten欧米人の見た開国期日本『第五章 庶民の服装』の日本人の服装を、見てみましょう。p111~114 初めにとりあげるべきであった生活の基本というべき衣・食・住について、開国期に日本を訪れた欧米人たちが、当時の日本人のそれらをどのようにとらえたものか、それをここで順次点検してみることにしよう。 まず、衣から始める。<1 非活動的な日本の着物> 航空機などというものの無かった時代のことである。四面環海の日本を外から訪れる外国人の交通手段はとうぜん船であった。それで、彼らが日本に接近して最初に目にする日本人は、まず例外なしに、小船をあやつる漁師や舟子たちであった。漁師や舟子らは、季節を問わずこれまたほとんど例外なしに褌(ふんどし)一本だけのは裸姿であった。 冬には稀に短い半纏もしくは法被をはおっている姿を見ることもあったが、その下はやはり褌一本であった。 欧米人は、まず、この姿に驚かされる。 1853年7月8日(嘉英6年6月3日)に、日本に開国を迫るため浦賀沖に投錨したアメリカのペリー艦隊も、これにほぼ1ヶ月半遅れて長崎港に入港したロシアのプチャーチン艦隊も、ともに同様の驚きを経験している。プチャーチン提督の秘書官ゴンチャローフは、褌一本の舟子たちの姿を、「すべて均一の服装である。たいした趣味だ」(訳文は高野明・島田陽)と皮肉っぽく記している。 裸姿を無作法とする欧米人の来訪がふえるにつれ、漁師や舟子の服装が改まったかというと、なかなかそうはいかなかった。汐をかぶることの多い仕事がら、当然といえば当然であろう。1866年8月(慶応2年7月)、フランス軍艦サントバン号の一員として初めて横浜港に入ったスエンソンが見た日本人の舟子は、相変わらず褌だけの裸であった。その頃の横浜の外国人居留地は、すでにかなりの洋風の街づくりが進んでおり、スエンソンは、海から見る横浜は、完全にヨーロッパの町であると述べている。裸の舟子の姿は、町に似つかわしくなかったに違いない。 日本人が褌を人目にさらして意に介さなかったことについては、すでに第三章でとりあげたことであるが、服装の視点から欧米人がどうとらえたかということで、いま一度ざっと振り返ってみることにしよう。 欧米人から見て、ときに短い法被をはおることはあるものの、褌だけの裸をほとんど制服としている職業は、漁師・舟子のほかに、飛脚・馬丁・駕籠かき・荷役人夫・川越し人足・武家の槍持ち・折助といったところであった。 武家に仕える駕籠かきや槍持ち・折助は、さすがに褌だけということはなく、必ず対丈の法被を着用していたが、それでも外出時には高く尻はしょりをするので、下半身は褌だけの尻まる出しであった。 1864年(元治1)の池田築後守を正使とする訪欧使節団の折助連中が、見物のパリッ子の前を尻まる出しで練り歩くさまを見て、留学中の林研海が穴に入りたいほど恥ずかしい思いをしたという話は、すでに第三章で紹介した。 これよりはやく、1691年(元禄4)に江戸参府の途上しばしば大名行列を目撃したケンペルは、そうした駕籠かきや槍持ちの姿を、じつに笑うべきことであると評している。『欧米人の見た開国期日本』1:日本人の容姿
2025.02.26
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図書館で『欧米人の見た開国期日本』という文庫本を、手にしたのです。この本をパラパラとめくると、異国人が描いた日本人画像が数多く見られるわけで・・・カメラのない時代における貴重な科学的資料だと思った次第です。【欧米人の見た開国期日本】石川栄吉著、KADOKAWA、2019年刊<「BOOK」データベース>よりケンペル、イザベラ・バード、モース、シーボルトほか、幕末・明治期に訪日した欧米人たちは豊富な記録を遺している。彼・彼女らが好奇・蔑視・賛美などの視点で綴った滞在記や研究誌を広く集め、庶民たちの当時の暮らしを活写。著名な日本滞在記の読みどころも一冊で掴める、人類学の巨人が「異文化理解」の本質に迫った比較文明論。<読む前の大使寸評>この本をパラパラとめくると、異国人が描いた日本人画像が数多く見られるわけで・・・カメラのない時代における貴重な科学的資料だと思った次第です。rakuten欧米人の見た開国期日本『第一章 日本人の容姿』の冒頭から、見てみましょう。p13~15<1 日本人の身体特徴> 見なれね異人をはじめて目のあたりにしたとき、まず印象にきざまれるのは彼の外貌であろう。ところが、開国期に来日した欧米人で日本人の身体特徴についてまとまった印象を述べているものは意外に少ない。漁師や船頭の体のたくましさとか、娘さんが美しく愛らしいいっぽう、既婚女性はお歯黒と剃り眉とでグロテスクであるなど、断片的な印象を語るにとどまっているものが大半なのである。 その点、こんにちの自然人類学者の観察の精確さには及ぶべくもないにしても、エーメ・アンベールの観察はなかなか鋭く、しかもかなり行き届いたものである。 アンベールはスイスの衆議院議員。日本と修好通商条約を結ぶ使命を帯びて特派された使節団の首席全権として、1863年4月(文久3年2月)に来日、横浜のオランダ領事館に仮寓して交渉に当たった。条約が調印されたのは1864年2月6日(文久3年12月29日)のことである。 このおよそ10ヶ月の間に、アンベールは暇を見つけては江戸市中や近郊を散策し、その経験と観察を克明に記録した。これをもとに、ケンペルやシーボルトなど先人の日本研究も参照してまとめあげられたものが、『図解日本』全2巻(1870年刊)である。署名のとおりこれには多くの風景画や風俗画が添付されていて、読者の日本理解を大いに助けている。 下の著書の序文で、アンベールは、自分の著書の性格を率直に次のように述べている。「われわれの記事は、ひたすら、見たままの記述、まったく個人的な印象と経験の記録、議論抜きの判断の羅列に留めてある」(高橋邦太郎氏の訳文による。以下同)。しかし、「観察の真実さと、忠実な報告であることだけは」間違いない。しかも、われわれの日本滞在はこの探求の時期だけであったということを、読者は忘れずにいてほしい。 さらにアンベールは、当時は外交官であっても国内旅行は小うるさい役人の監視つきで、さまざまな制約を受け、「こういう状態では、日本研究が荒削りであり、断片的であるのもよんどころない」と無念さをもらし、「一言でいえば、ひどく制約を受けているから正確を欠く」と告白しているのである。 さて、そのアンベールの日本人の容姿の印象であるが、彼がかなり詳しく述べているところを要約すると、身体は中ぐらい、頭でっかち、胴長、短足、顔は扁平で眼窩浅く吊り目、頬骨突出、出っ歯、頭髪は黒色直毛、皮膚の色はオリーブ色のまざった褐色、ただし女性の顔は男性よりも白く、上流階級の女性には抜けるほどの色白のものも多く見うけられる。娘盛りの女性でさえ胸が小さい。
2025.02.26
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湊山温泉詣では今でも続いているわけで・・・月3回程度のペースで楽しんでおります。尚、当時630円だった料金は何回かの値上げを経て、現在は800円になっています。・・・ということで、以下のとおり復刻して紹介します。*********************************************************ドングリ国の名所めぐりで、湊山温泉を紹介したてまえ、湊山温泉に行かなあかんで、ということで・・・暇な大使は、久々に湊山温泉に行ってきたのです。それも、午前中という暇な時間帯で、お客も爺さん婆さんがチラホラというのが、ええでぇ♪中の造りは男湯と女湯を中央の壁が仕切る、銭湯スタイルそのものですね。温度の違う湯ぶねが並んでいます。熱いほうの湯は、47℃もあるので、たしかに熱いが・・・その横にある冷泉に避難するのも楽しみなんですな。この熱い、冷たいの繰り返しを3回ほど繰り返すと・・・堪能するというか飽きてくるわけで・・・・これも、この温泉のいいところでしょうね。(すっかり、爺さんになっています)加熱しているけど、とにかく源泉かけ流しで、自然水を浴びているのが、ええでぇ♪湊山温泉のホームページより引用します。清盛ゆかりというからには歴史は古いようです。湊山温泉よりその昔、平清盛も湯治した温泉といわれており、800年以上もこんこんと涌き続けている。営業時間/AM7:00~PM10:30(毎週水曜日はPM5~)※最終受付はPM10:00まで入浴料金/大人 630円今の外観です。同じアングルの昔の写真が飾ってありました。湊山温泉の運営継続♪*********************************************************■2013.08.07XML久々の湊山温泉https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201308070000/
2025.02.25
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図書館で『すごいトシヨリBOOK』という本を、手にしたのです。老人の諸問題が綴られているが、どこか力が抜けているというか、ほっこりしてくるわけで・・・チョイスしたのです♪【すごいトシヨリBOOK】 池内紀著、毎日新聞出版、2017年刊<「BOOK」データベース>より人生の楽しみは70歳からの「下り坂」にあり。ドイツ文学者の楽しく老いる極意。リタイア後を豊かに生きるヒント。<読む前の大使寸評>老人の諸問題が綴られているが、どこか力が抜けているというか、ほっこりしてくるわけで・・・チョイスしたのです♪rakutenすごいトシヨリBOOK「第1章 老いに向き合う」で、老人の諸問題を、見てみましょう。p22~24<老人の時間> 老人が多くの過去を持っているといっても、過去は終わった時間です。 終わったものは極端に言えばゼロ。未来もほとんどないわけだから、未来に関しても限りなくゼロに近い。そのうえ、現在は社会性をなくしていて、その現在は刻々と過ぎていく時間に過ぎません。 だから、あっという間にひと月が終わったりする。「年を取ると月日の経つのが早いねえ」なんて言いますが、多くの過去を持っていると思い込んでいるだけで、それは何の足しにもならず、未来は非常に乏しくて、それをケチケチと使おうとするから余計、早々と日が経っていくのでしょう。 若い頃、年寄りが縁側であくびなんかしているのを見ると、「トシヨリはノンビリしている。一日が長いんだなあ」と思っていました。 当人にとって、時間というのはその中身、出来事によって伸縮します。老人の時間は物理的には長いんだけど、実質は非常に短い。だからはっと気がついたらもう4月で、ちょっとしていたらもう8月で、「ええっ、もう今年、お終い?」となる。それは幼い者、子どもの時間と比べるとよくわかります。 子どもは、幼稚園ぐらいから時間の概念がはっきりしてくるようですが、限りなく一日が長い。朝、幼稚園に行って、午後、親と帰っていく。別れる時の反応を見ていると、面白いことに気がつきます。「タカハシくんバイバーイ」「また遊ぼうね」って、ものすごく真剣に言うでしょう。絶叫する子どももいる。親にすれば「明日また会うんじゃないの。明日遊べるんだからいいじゃないの」ってことだのに。 幼い子にとって、今日がすべてです。明日なんかないのです。「明日がある」というのは大人の判断で、子どもは自分の精一杯の時間を生きて、それが終わるのだから非常に悲しい。 僕の家の近所に幼稚園があって、午後になると、やっぱり子どもたちが呼び交わしています。泣きそうになっている子もいる。年より同士が呼び交わしている光景なんかないでしょう? まる一日一緒にいたって、せいぜい「また来週」。 子どもの時の長い一日は、いま思えば意味深い時間の使い方でした。 それが証拠に、年を取って思い出すとしたら、中年時代のことなんかほとんど思い出しません。みんなだいたい幼い頃のことを思い出します。 自分ってどんな子どもだったか、どんな先生で、どんな同級生だった。好んでそういう話をする。 人生を九十年生きたとしたら、実質的には幼い頃に持っていた時間が六十年。あとの生涯は、中身からいえば三十年に満たない。そんな割合でしょうか。 老いと向き合うと、カレンダーの時間は仮のもので、あんなふうに人間は生きていないことがわかります。自分のカレンダーを見ていくと、「一年はこんなにも短い」のも当然で、何かの拍子に心が幼年期に還っていくのは自然なことです。『すごいトシヨリBOOK』1:はじめに
2025.02.25
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図書館で『すごいトシヨリBOOK』という本を、手にしたのです。老人の諸問題が綴られているが、どこか力が抜けているというか、ほっこりしてくるわけで・・・チョイスしたのです♪【すごいトシヨリBOOK】 池内紀著、毎日新聞出版、2017年刊<「BOOK」データベース>より人生の楽しみは70歳からの「下り坂」にあり。ドイツ文学者の楽しく老いる極意。リタイア後を豊かに生きるヒント。<読む前の大使寸評>老人の諸問題が綴られているが、どこか力が抜けているというか、ほっこりしてくるわけで・・・チョイスしたのです♪rakutenすごいトシヨリBOOKまず、「はじめに」を、見てみましょう。p3~6<はじめに 自分の観察手帳> 昔の人は、人生わずか五十年と言っていました。 僕は、今でも、五十年というのはそんなに変わらないと思っています。 平均寿命がもう八十を超えて、九十、百歳の人がざらにいるわけですから、人生に行きと帰りがあると考えれば、行き帰りで百年。行きのいわゆる上り坂をあがっていく、いろいろなことが楽しい時期はやっぱり五十年ぐらいだと思います。 五十年も楽しく生きることができれば上等で、それから折り返し点を過ぎると、今度は長い下り坂になる。下り坂では自分の能力も見えているし、家庭でもいろいろな問題を抱えるし、いずれ老後に入って死に近づいていく。 リタイアした後の十年、二十年、あるいはもっと長い人生をどう生きるか。もしも、この下り坂が楽しくなければ、せっかく生きていることも非常につまらないものになる。下り坂の楽しみは、自分の老いと向かい合うことから始まります。 ちょうど七十歳になった時のこと。僕は市販の手帳を買ってきて、最初のページに「すごいトシヨリBOOK」と書きました。そういうタイトルをつけて、周りに七十の黄色い星をちりばめた。真ん中に描いた少ししぼんだ顔が、七十歳の自画像です。 自分が老いるというのは初めての経験で、未知の冒険が始まるのだから、「こういうことはこれまでになかった」とか、「これぞ年寄りの特徴」とか、日々、気づいたことを記録するための、「自分の観察手帳」を作ったのです。 さらに星を七つ書き加えて、「七十七には世の中にいない」という「予定」をってました。普通は生きていることを前提にして予定を立てるのでしょうが、僕はむしろ、「もういない」という前提のほうが行動しやすいと思った。 七十七の時にはもういないから、その前にコレをしておこう、億劫だけどアレもしよう、ちょっと贅沢してみよう・・・こんなふうに、「もういない」としたほうが、決断しやすいというのが自分の判断です。 年を取る中で、得るものよりもなくしたもののほうが多い。これから生きる時間よりも、生きてきた時間のほうがはるかに多い。そんな目に見えない「収支決算」も、気づくつど、すぐ書き込むことにした。記憶の切れ端がヒョッと浮かぶとメモをして、それだけだと何の記憶かわからなくなるから、小さな絵をつけて、暇な時にちょっと色をつけたりする。 これは過去の時間をもう一度生き直す「小さな復活劇」です。小さな復活劇は、喫茶店でコーヒーを飲みながらでもできる。気づいたことはすべて新しい発見になって、自分の精神生活に非常に刺激になります。 そんな、しぼんだ顔のある手帳をつけ初めてから七年。今年ちょうど七十七歳になるので、もういないはずの人がいることになる。そこで僕は、「満期が来たら三年単位で延長する」というルールに変えました。 自分の憲法だから国会とちがって簡単に改定することができるわけです。 いなくなる予定を三年ずつ延ばして、延長した時間の中で人生を生きていく。あとどれくらい延長がきくかわかりませんが、僕はこれからの人生を、三年延長説として考えています。 この本でお話しすることは、老人になって気づいたことを記録することで発見した、自分なりの「楽しく老いる秘訣」です。 タイトルも手帳と同じ『すごいトシヨリBOOK』としました。「すごい」(ひらがな)、「トシヨリ」(カタカナ)、「BOOK」(英語)と表記がばらばらなのは、老人自体がいろんなものの混成で、その内面にも、老人的なもの、老人らしからぬものが混在しているものです。年を取りながら、自分自身がそう実感しているからです。
2025.02.24
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「歴史」でしょうか♪<市立図書館>・欧米人の見た開国期日本・人新世の「資本論」・すごいトシヨリBOOK・残虐期<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************【欧米人の見た開国期日本】石川栄吉著、KADOKAWA、2019年刊<「BOOK」データベース>よりケンペル、イザベラ・バード、モース、シーボルトほか、幕末・明治期に訪日した欧米人たちは豊富な記録を遺している。彼・彼女らが好奇・蔑視・賛美などの視点で綴った滞在記や研究誌を広く集め、庶民たちの当時の暮らしを活写。著名な日本滞在記の読みどころも一冊で掴める、人類学の巨人が「異文化理解」の本質に迫った比較文明論。<読む前の大使寸評>この本をパラパラとめくると、異国人が描いた日本人画像が数多く見られるわけで・・・カメラのない時代における貴重な科学的資料だと思った次第です。rakuten欧米人の見た開国期日本【人新世の「資本論」】 斎藤幸平著、集英社、2020年刊<「BOOK」データベース>より人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するためには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。いや、危機の解決策はある。ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす。<読む前の大使寸評>表紙に、2021新書大賞第1位と載っているように、一時期本屋に平積みとなっていた本であるが・・・4年も経てば図書館ですぐチョイスできたのです♪rakuten人新世の「資本論」【すごいトシヨリBOOK】 池内紀著、毎日新聞出版、2017年刊<「BOOK」データベース>より人生の楽しみは70歳からの「下り坂」にあり。ドイツ文学者の楽しく老いる極意。リタイア後を豊かに生きるヒント。<読む前の大使寸評>老人の諸問題が綴られているが、どこか力が抜けているというか、ほっこりしてくるわけで・・・チョイスしたのです♪rakutenすごいトシヨリBOOK【残虐期】 桐野夏生著、新潮社、2007年刊<「BOOK」データベース>より自分は少女誘拐監禁事件の被害者だったという驚くべき手記を残して、作家が消えた。黒く汚れた男の爪、饐えた臭い、含んだ水の鉄錆の味。性と暴力の気配が満ちる密室で、少女が夜毎に育てた毒の夢と男の欲望とが交錯する。誰にも明かされない真実をめぐって少女に注がれた隠微な視線、幾重にも重なり合った虚構と現実の姿を、独創的なリアリズムを駆使して描出した傑作長編。柴田錬三郎賞受賞作。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten残虐期
2025.02.24
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手元不如意なもんで、長いこと本を購入しなかったけど・・・久しぶりに『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』と言う本を購入したのです。去年の10月にスマホを購入・契約したのだが、操作が難しいわけで、タダ右往左往するだけで、いっこうに使いこなせないわけで・・・この本で系統的に学習しようと思い立ったのでおます♪【500円でわかるアンドロイドスマートフォン】ONE COMPUTER MOOK GetNavi編、 ワン・パブリッシング、2023年刊<「BOOK」データベース>よりムック本につきデータなし<読む前の大使寸評>24年の10月にスマホを購入・契約したのだが、操作が難しいわけで、タダ右往左往するだけで、いっこうに使いこなせないのでチョイスしたのです。rakuten500円でわかるアンドロイドスマートフォンあとさきになったが、基本操作(STEP4 文字入力)の続きについて見てみましょう。p28~29キーの機能を理解する「Gboard」で日本語を入力できるキーボードは5種類あるが、ここでは「⒓キー」と「QWERTY」について解説する。端末に標準搭載されているメモリアプリ「Google Keep」を起動してキーボードの各キーの機能を確かめてみよう。●日本語(⒓キー)A 「戻す」キー:変換確定した文字をひとつ前の状態に戻す。B カーソル移動キー:入力位置を前後に移動する。C 絵文字、記号キーⅮ かな、英字、数字キーボードを切り替える。E バックスペースキー:カーソルの前の文字を削除する。F スペースキー:空白を入力する。G Enterキー:改行を入力する。●英字(⒓キー) 英字入力用キーボード。H 英字を入力後、確定前に大文字/小文字の返還キーに切り替わる。標準は小文字で入力され、この変換キーをタップすると大文字に、再度タップすると小文字になる。●数字(⒓キー) 数字入力用キーボード。フリック操作で記号を入力できる。Ⅰ 絵文字、記号キー:Cと同じ●日本語(QWERTY) ローマ字入力による日本語入力を行なうキーボード数字も表記されたキーは、長押しで数字を入力できる。かーそる移動、バックスペース、Enterキーなどの機能は「⒓キー」と共通だ。J シフトキー:タップすると矢印が黒色に変わり、大文字を1文字入力デキル。ダブルタップすると矢印の形状が変わり、連続して大文字を入力できる。タップすると元に戻る。K ローマ字、英字、数字キーボードに切り替える。Ⅼ タップで読点などの候補を表示。絵文字、ステッカー、GIFアニメ、顔文字、記号のメニューを表示する。Ⅿ スペースキー:空白を入力する。●英字(QWERTY) 英字入力用キーボード数字も表記されたキーは、長押しで数字を入力できる。N 絵文字、ステッカー、GIFアニメ、顔文字、記号のメニューを表示する。「日本語((⒓キー)」で文字を入力する「日本語((⒓キー)」でフリック操作を使い、かな入力で文字を射ち込んでいこう。漢字は、変換候補から選択して入力する。ここでは「あそび」と入力し、「遊び」と変換する。1 入力したい箇所をタッチして(カーソル)を表示し、「あ」キーをタップ。入力箇所に「あ」が表示される。2 「さ」キーを押したままにして候補が表示されたら、入力したい文字の方向にフリックする。ここでは「そ」を入力するので下方向にフリックする。3 「は」キーを左にフリックして「ひ」を入力する。続けて「大小」キーを1回タップすると、「ひ」が「び」に変わる。ここでEnterキーをタップして確定する。4 候補メニューのなかから変換したい候補をタップする。ここでは「遊び」をタップする。5 「遊び」と入力が確定する。先ほどの返還候補が「予測候補」に切り替わる。ウーム パソコンならローマ字入力でわりと簡単なんだけど、キーボードがないスマホの場合はこれほど難しいのか・・・もう練習する気が失せるようやで。『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』4:基本操作(STEP4 文字入力)『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』3:電源の入り切り、ロック画面、スリープ『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』2:メッセージ/メールの送受信『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』1:電話の送受信
2025.02.23
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<満州あれこれR17>『張学良の昭和史最後の証言』という本を読んでいるのだが・・・このところ集中的に満州関連の本を読んでいるので、その本やメディア情報を集めてみました。・ 映画パンフレット『ラストエンペラー』(1988年刊)・『韃靼漂流記』(1991年刊)・『張学良の昭和史最後の証言』(1995年刊)・『満州の誕生』(1996年刊)・『満州鉄道まぼろし旅行』(2002年刊)・『馬賊で見る「満州」』(2004年刊)・『東アジア「反日」トライアングル』(2005年刊)・『満州事変から日中戦争へ』(2007年刊)・『マンチュリアン・リポート』(2010年刊)・『カズオ・イシグロ』(2011年刊)・『絶滅寸前の満州語』(2013年9月朝日)・『「満州国化」する日本』(2014年1月朝日)・『太平洋戦争入門』(2016年刊)・『天子蒙塵(1)』(2016年刊)・『天子蒙塵(2)』(2016年刊)・『天子蒙塵(3)』(2018年刊)・『天子蒙塵(4)』(2018年刊)・『日中戦争前夜 絡み合う思惑』(2018年朝日)・『歴史講義満州事変』(2018年刊)・『火の鳥 54』(2020年朝日)・『満州国のラジオ放送』(2020年刊)・『地図と拳』(2022年刊)・『満州国グランドホテル』(2022年刊)南満州鉄道株式会社 経営施設概要R17:『満州事変から日中戦争へ』『満州国グランドホテル』『東アジア「反日」トライアングル』を追加*****************************************************************************<映画パンフレット『ラストエンペラー』>新開地の古書店で、このパンフレットを300円で買ったのだが・・・定価500円だからリーズナブルなんでしょうね。今時の映画パンフレットは、だいたい700円くらいするので手元不如意の大使は手がでないのです。【ラストエンペラー】ベルナルド・ベルトルッチ監督、1987年イタリア・中国制作<商品の説明>より映画パンフレット「ラスト・エンペラー」(1988年刊)、出演 ジョン・ローン/坂本龍一/ジョアン・チェン/ピーター・オトゥール/高松英郎/立花ハジメ<大使寸評>新開地の古書店で、このパンフレットを300円で買ったのだが・・・定価500円だからリーズナブルなんでしょうね。amazonラストエンペラー映画パンフレット『ラストエンペラー』2:幻影の王国とスペクタクル映画パンフレット『ラストエンペラー』1:関東軍によってつくられた「満州」という国*****************************************************************************【韃靼漂流記】園田一亀著、平凡社、1991年刊<カスタマーレビュー>より 17世紀の半ば、越前国新保村の竹内藤右衛門ら58名は、松前貿易のために三国浦を船出しますが、航海中暴風のため難破の憂き目に遭い、今の沿海州ポシエット湾の辺り、「韃靼」の地に漂着します。仲間の大半は現地民とのトラブルにより非業の最期を遂げますが、生き残った15名は瀋陽を経て北京に送られ、当局の保護の下、暫し北京滞在の日々を送ることとなります。<読む前の大使寸評>興味深い史実であるが・・・ぱっと見とにかく、漢字の密度が多い文章である。歴史的仮名遣いは丸谷才一さんほどではないけど、読みにくいことこの上ないのだ。amazon韃靼漂流記『韃靼漂流記』7:北京留置の理由『韃靼漂流記』6:北京の見聞談、満州語の紹介『韃靼漂流記』5:奉天官憲の取調べ『韃靼漂流記』4:韃靼国の都・奉天までの旅『韃靼漂流記』3:下手人の素性『韃靼漂流記』2:遭難の状況『韃靼漂流記』1:著者による序言*****************************************************************************【張学良の昭和史最後の証言】臼井勝美編、角川書店、1995年刊<「BOOK」データベース>より関東軍により爆殺された張作霖の長男、張学良。父を敬愛し、頭脳明晰であった彼はまた、プレイボーイと呼ばれ、西洋人と交流する一面も併せ持っていた。西安事件で蒋介石を監禁し国共合作を迫った張学良は、以来半世紀をこえる幽閉生活を送ってきた。そしてついに沈黙を破り、その数奇な生涯と日中に横たわる謎がときあかされた―。張作霖爆殺事件から西安事件までの日中秘話。<読む前の大使寸評>おお この本の発刊時(1995年)、張学良は生きていたのか・・・近代史の生き証人の感があるで♪amazon張学良の昭和史最後の証言『張学良の昭和史最後の証言』5:エピローグp254~257『張学良の昭和史最後の証言』4:満州の政治状況p88~90『張学良の昭和史最後の証言』3:張作霖死亡時の張学良の行動p71~74『張学良の昭和史最後の証言』2:日本訪問p41~44『張学良の昭和史最後の証言』1:プロローグp13~16*****************************************************************************【満州鉄道まぼろし旅行】川村湊著、 文藝春秋、2002年刊<商品の説明>より超豪華特急「あじあ号」でめぐる建国の旅大連、旅順、奉天……。特急「あじあ号」に乗って、満州全都市と三大温泉を巡る架空旅行記。昭和12年当時の資料を元に書き上げた。<読む前の大使寸評>追って記入amazon満州鉄道まぼろし旅行*****************************************************************************【満州の誕生】久保尚之著、丸善、1996年刊<「BOOK」データベース>より19泊20日にもわたる“満鮮支”修学旅行を体験し、卒業後は就職の場を求めて大陸へと渡っていった商業学校の生徒たち。満鉄総裁になった旧友・中村是公の招きで満州を訪れた夏目漱石が、その目でとらえ、書き残したもの。アメリカの鉄道王が日本政府とかわした満鉄共同経営の約束を電報一本で反古にされた「ハリマン事件」の真相など、日本の敗戦とともに消滅した“満州”にまつわる歴史と人の生きざまを掘り起こす。<読む前の大使寸評>副題に「日米摩擦のはじまり」とあるように・・・日本だけが悪者だったわけでもないようです(当然だけど)amazon満州の誕生『満州の誕生』4:ニッポンの帝国主義メカニズム『満州の誕生』3:中国の民族主義『満州の誕生』2:アメリカの陰謀『満州の誕生』1:児玉・後藤の移民政策*****************************************************************************【馬賊で見る「満州」】澁谷由里著、講談社、2004年刊<「BOOK」データベース>より馬賊が誕生した清末期。あるものは官憲の銃弾に倒れ、あるものは混乱を潜りぬけ略奪者から脱却し、軍閥の長として中原の覇権をうかがう。覇権に最も近づいた男=「東北王」張作霖とその舞台の激動の歴史をたどり、併せて日本にとって「満洲」とは何だったのかを考える。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(10/01予約、10/06受取)>rakuten馬賊で見る「満州」『馬賊で見る「満州」』5:間島地域『馬賊で見る「満州」』4:日清戦争の衝撃『馬賊で見る「満州」』3:清朝滅亡時の国家組織『馬賊で見る「満州」』2:中国最後の王朝・清朝『馬賊で見る「満州」』1:馬賊誕生の背景************************************************************【東アジア「反日」トライアングル】古田博司著、文藝春秋、2005年刊<「BOOK」データベース>より中華思想の本家・中国。小中華の韓国。遊撃隊国家の北朝鮮。彼らの「国是」である反日の起源をたどり、各国の主張を実証的に説得力をもって論破。東アジアに共生共存の可能性をさぐる。<読む前の大使寸評>朴大統領が辞意を表明し、日中韓サミットも遠のく感があるのだが・・・この際、滞韓歴6年の古田さんの目を通して、中韓を眺めてみたいわけです。rakuten東アジア「反日」トライアングル『東アジア「反日」トライアングル』1:中華思想『東アジア「反日」トライアングル』2:日韓の歴史認識『東アジア「反日」トライアングル』3:柳美里氏の小説**************************************************************************************************************************************【満州事変から日中戦争へ】加藤陽子著、岩波書店、2007年刊<「BOOK」データベース>より「満蒙の沃野を頂戴しようではないか」-煽動の背景に何があったのか。満蒙とは元来いかなる地域を指していたのか。1931年の鉄道爆破作戦は、やがて政党内閣制の崩壊、国際連盟脱退、2.26事件などへと連なってゆく。危機の30年代の始まりから長期持久戦への移行まで。日中双方の「戦争の論理」を精緻にたどる。<読む前の大使寸評>1931年の鉄道爆破作戦は、日本近代史のまったくエポックメーキングな事件ではないか…ということで借りたわけでおます。rakuten満州事変から日中戦争へ『満州事変から日中戦争へ』1:張作霖爆殺あたりの軍事的・政治的背景『満州事変から日中戦争へ』2:石原莞爾ら陸軍中堅の考え方『満州事変から日中戦争へ』3:陸軍の対ソ認識、対中認識*****************************************************************************************************************************************【マンチュリアン・リポート】浅田次郎著、講談社、2010年刊<「BOOK」データベース>より昭和3年6月4日未明。張作霖を乗せた列車が日本の関東軍によって爆破された。一国の事実上の元首を独断で暗殺する暴挙に昭和天皇は激怒し、誰よりも強く、「真実」を知りたいと願ったー。混沌の中国。張り巡らされた罠。計算と誤算。伏せられた「真実」。<読む前の大使寸評>追って記入rakutenマンチュリアン・リポート*****************************************************************************【カズオ・イシグロ】平井杏子著、水声社、2011年刊<「BOOK」データベース>よりデビュー作(『遠い山なみの光』)から最新作(『夜想曲集』)までの全作品をとりあげグローバルな作家の全貌にせまる。本邦初のイシグロ論。<読む前の大使寸評>カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞したのは2017年であるが、2011年にこれだけの本(本邦初のイシグロ論とのこと)が出ていたことに驚くわけでおます。amazonカズオ・イシグロ『カズオ・イシグロ』2:幻想の上海租界*****************************************************************************<絶滅寸前の満州語>6日の朝日新聞によれば・・・満州族は中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族であるが、漢族との同化が進み、母語の消失がもっとも進んだ民族だそうです。言語の消失は文化の消失とも言えるわけで、他国のこととはいえ、絶滅寸前の満州語の今後が気になるわけです。9/06消えゆく満州語守れ 中国・遼寧省で大学設立の動きより かつて中国大陸を支配した清朝の公用語だったが、今や絶滅の危機にある満州語を教える大学をつくろうと、遼寧省の大学教授が準備を進めている。満州語の文献を読み解ける人材を育て、まだ見えぬ歴史をひもとくのが目標だ。今月には全国の研究者を集めた会議を催し、建学への協力を訴える。 ■人材育て歴史解明目指す 瀋陽師範大学で満州族の歴史や文化を研究する曹萌教授(54)は3年前、遼寧省政府当局に満州語教育や文献保管を兼ねた大学の設立を提案した。満州語が消えゆく現状に強い危機感を抱いたからだ。 曹教授は2003年から東北地方を中心に、満州族の村での資料収集や満州語を話すお年寄りへの聞き取り調査を重ねてきた。清朝前期の公文書や民間史料は満州語だけで書かれている。満州語を操れる人材の育成が不可欠と感じるようになったという。 中国の満州族は10年の国勢調査で1038万人とされる。中国で暮らす55の少数民族のうち、チワン族、回族に次いで3番目に多い少数民族だ。 だが、1911年の辛亥革命による清朝崩壊後は排斥を受け、49年の新中国成立後も他の少数民族と異なり自治区や自治州は認められてこなかった。80年代に入ってようやく小規模な自治県や民族学校ができた。満州語を母語にする人々はすでに高齢化が進んでいた。漢族との同化も激しく、母語の消失がもっとも進んだ民族に数えられる。2009年にはユネスコから消滅の危機にある言語に指定された。 曹教授によると、国内で満州語を理解し、古い文献も読めるレベルの研究者は10人ほどに過ぎない。北京などに満州族文化の研究機関はあるものの、専門性の高い満州語を教える大学はほとんどないという。 曹教授は「満州語の文献は、多くが解読されぬまま朽ちていったものも多い」とも指摘する。清朝の前身の後金が都を置いた遼寧省撫順市では、山の洞窟に満州族の古い文献や家系図などがトラック5台分ほど保管されているが、軍事的な理由などで警備が厳しい。教授は「普段は閲覧も許されない」と嘆く。 昨年10月、教授が提案した大学設立のための調査研究費として1万5千元(24万円)の予算措置が認められた。今月20日から満州族に関係する企業家や研究者、政府職員ら120人を招いた初の会議を開き、協力を訴える。 曹教授は「満州語の継承も研究も、時間との勝負。日本の研究機関との連携も探りながら、若い人材を育て、貴重な民族文化の消失を防ぎたい」。 ■発祥地でも継承難しく 母語消失の危機は満州語発祥の地にも及んでいた。 清朝の発祥地をうたう遼寧省撫順市の新賓満族自治県(人口32万人)。現在、満州族の小学校は1校しかない。校長によると、全校児童約1300人の約94%が満州族だが、「愛新覚羅」など満州族固有の姓を使う児童はいない。 同校は1988年から、児童に満州語を教えてきた。現在も独自の教材をもとに、全学年で1週間に1回の授業を実施しているが、隣接する中学校では満州語を教えていない。校長は「継続性がない」と学習効果に限界を感じている。 満州族の研究者、李栄発さん(67)は、同校の依頼で子供たちに満州語を教えた。昔、生きた満州語が残る黒竜江省の地方都市で満州語の基礎を1カ月間、学んだ経験を買われた。 李さん自身、漢族の言葉「漢語」で育った。初めて出会った満州語は、自民族の言葉なのに全く理解できなかった。戦前に日本が作った満州語と日本語の辞典や、中国国内の満漢字典を使い、単語量を増やしていったという。 90年代には、清朝初代皇帝のヌルハチが後金時代の根拠地にした新賓の城跡「ヘトゥアラ」を観光地にするためのアドバイザーに選ばれた。展示品選びやガイドの育成を任された。 李さんらによると、満州語の母音は六つ。モンゴル語などと同じ、アルタイ語系の言語で、文字はモンゴル文字を改良し、文法は日本語にも似ている。研究者に必要な満州語能力を身につけるためには、少なくとも3年間の勉強が必要という。中国西部の新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族・シボ族は地理的な閉鎖性などから、今も満州語を話している。 李さんは「満州族の歴史や文化を学ぶには、満州語が不可欠だ。体系的な教育制度を設けるとともに、学習後の就職先を確保するなど、文化を守る態勢を構築する必要がある」と話した。(遼寧省撫順市=石田耕一郎) ◆キーワード <満州族> 中国東北地方の先住民族の一つで、かつては女真人とも呼ばれた。清朝をたて、17世紀から3世紀にわたり中国大陸を支配。映画「ラストエンペラー」で知られる最後の皇帝、溥儀は日本による満州国建国に協力した。遼寧省に人口の約半数が集中し、戯曲「茶館」などの作品で知られる作家の老舎も同民族の出身。 新疆ウイグル自治区に住む満州族の支族は今も満州語を話しているそうで、状況はまだ日本のアイヌ語よりは恵まれているわけですね。でも、満州語の継承も研究も時間との勝負とのことで・・・・待ったなしのようです。 満州は漢字文化圏に埋没しようとしているけど、漢字文化圏の外縁には文字を持っていた突厥帝国などがあったわけで、興味はつきないのです。絶滅寸前の満州語byドングリ*****************************************************************************<「満州国化」する日本> 京大人文科学研究所長・山室信一さんががインタビューで「一元的な政権が米国の傀儡の性格を強めている」と説いているので、紹介します。(2014.01.10デジタル朝日から転記) かつて中国の東北部に、13年間だけ存在した「国」があった。満州国と呼ばれたその国は、高い理想を掲げながら、矛盾と偽りに満ちていた。安倍政権の誕生から1年を経た今、山室信一さんは「いま進んでいることは、日本の満州国化だと思っています」という。2014年の日本は、あの国とどこが似てきているのだろうか(長くなるので省略、全文はここ) 「満州国化」する日本山室信一2014.01.10*****************************************************************************【太平洋戦争入門】洋泉社編、洋泉社、2016年刊<「BOOK」データベース>より満州事変からポツダム宣言受託まで太平洋戦争の全貌に迫る!15年にわたる「戦争の時代」を1年ごとに徹底解説!【目次】はじめに いまこそ知りたい「戦争の時代」の真実/第1章 なぜ開戦は避けられなかったのか?開戦目前!日米英中ソの思惑と世界情勢(日露戦争の勝利を列強はどう見たのか/第一次世界大戦参戦と拡大する領土 ほか)/第2章 満州事変から終戦までの15年間を1年ごとに徹底解説 1931-1945太平洋戦争の全貌(31年 満州事変、はじまる/32年 五・一五事件が起こした波紋 ほか)/第3章 建国から崩壊まで、その知られざる真実に迫る 王道楽土・満州帝国の実像(日本の大陸進出と日清戦争/日露戦争での勝利と満州への進出 ほか)/第4章 歴史を動かした日本の指導者たち 太平洋戦争人物列伝(石原莞爾/板垣征四郎 ほか)<読む前の大使寸評>日本はなぜ遅れながらも帝国主義を追い求めたのか? なぜ太平洋戦争開戦は避けられなかったのか?・・・という視点で読んでみようと思うわけでおます。rakuten太平洋戦争入門『太平洋戦争入門』3:拡大する日中戦争『太平洋戦争入門』2:満州事変後の日中戦争『太平洋戦争入門』1:張作霖爆殺事件あたり*****************************************************************************【天子蒙塵(1)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<商品の説明>より1924年、クーデターにより紫禁城を追われた溥儀とその家族。生家に逃げ込むもさらなる危険が迫り、皇帝は極秘に脱出する。「宣統陛下におかせられましては、喫緊のご事情により東巷民交の日本大使館に避難あそばされました」ラストエンペラーの立場を利用しようとさまざまな思惑が渦巻くなか、日本の庇護下におかれ北京から天津へ。梁文秀と春児はそれぞれに溥儀らを助けるが──。王朝再興を夢見る溥儀。<読む前の大使寸評>浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結したそうだが、2016年刊の第1巻にやっとお目にかかったわけでおます。<図書館予約:(1/24予約、2/02受取)>amazon天子蒙塵(1)『天子蒙塵(1)』3:天津の日本租界『天子蒙塵(1)』2:浅田治郎独占インタビュー『天子蒙塵(1)』1:序章の語り口*****************************************************************************【天子蒙塵(2)】浅田次郎著、講談社、2016年刊<「BOOK」データベース>より父・張作霖を爆殺された張学良に代わって、関東軍にひとり抗い続けた馬占山。1931年、彼は同じく張作霖側近だった張景恵からの説得を受け、一度は日本にまつろうがー。一方、満洲国建国を急ぐ日本と、大陸の動静を注視する国際連盟の狭間で、溥儀は深い孤独に沈み込んでいた。<読む前の大使寸評>この『天子蒙塵』の4巻シリーズは副本が多いわりに予約がすくないので・・・予約すると即、入手できるのが、ええでぇ♪、『蒼穹の昴』と比べて地味な印象を受けるのかなあ。<図書館予約:(2/07予約、2/10受取)>rakuten天子蒙塵(2)『天子蒙塵(2)』1:馬占山が張作霖を回顧するあたり*****************************************************************************【天子蒙塵・第三巻】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より運命に導かれ、それぞれの楽土を目指せ。満洲の怪人・甘粕正彦、男装の麗人・川島芳子、欧州に現れた吉田茂。昭和史最大の事件「日中戦争」前夜、大陸に野望を抱き、夢を掴もうとする者たちが動き出す。そして、希望の光をまとい、かつての英雄が中原のかなたに探し求めた男がついに現れた。その名はー。<読む前の大使寸評>おお 著者の『蒼穹の昴』に摂り付いて以来、ついに「日中戦争」前夜まで辿りつくことになるのか♪<図書館予約:(3/25予約、6/11受取)>rakuten天子蒙塵・第三巻『天子蒙塵(3)』2:ヌルハチ公神話を語る主人公『天子蒙塵(3)』1:ヌルハチの伝説*****************************************************************************【天子蒙塵(四)】浅田次郎著、講談社、2018年刊<「BOOK」データベース>より満洲でラストエンペラー・溥儀が皇帝に復位しようとしている。そんななか、新京憲兵隊将校が女をさらって脱走する事件が発生。欧州から帰還した張学良は、上海に襲い来る刺客たちを返り討ちにしていた。一方、日本では東亜連盟を構想する石原莞爾が関東軍内で存在感を増しつつあり、日中戦争突入を前に、日本と中国の思惑が複雑に絡み合う。満洲に生きる道を見いだそうとする正太と修の運命は。長い漂泊の末、二人の天子は再び歴史の表舞台へと飛び出してゆく。<読む前の大使寸評>この本は、どうゆう訳か図書館予約システムでは借りられなかったのだが・・・とうとう図書館内で手にしたのです、ラッキー♪rakuten天子蒙塵(四)『天子蒙塵(四)』1:冒頭の語り口************************************************************【歴史講義満州事変】 倉山満著、ベストセラーズ、2018年刊<「BOOK」データベース>より満洲事変は人類が不幸になっていく始まりの大事件である。世界最強の大日本帝国を滅ぼした要因!現代日本の病巣の全てがここにあった!<読む前の大使寸評>追って記入rakuten歴史講義満州事変************************************************************<日中戦争前夜 絡み合う思惑> 『浅田次郎さんの「蒼穹の昴」第5部が完結』という朝日の記事を、紹介します。(浅田次郎さんの記事を12/02デジタル朝日から転記しました)日中戦争突入を前にした中国を描く浅田次郎さんの『天子蒙塵(もうじん)』(講談社)の最新作が刊行され、全4巻が完結した。1996年から続く「蒼穹の昴」シリーズの第5部。満州国皇帝の座に就こうとする溥儀と、欧州から上海に帰った張学良。2人が歴史の表舞台に出ようとする激動の中、絡み合う日中の思惑があぶりだされる。 「第5部まできましたが、シリーズは続きます」。あと2部で5巻ほど、という見通しを立てている。「どこからでもいい。おもしろければ、最初から読んでいただけたら」 「蒼穹の昴」シリーズは、西太后が権力を握る清朝末期を舞台にスタート。『珍妃の井戸』『中原の虹』と続き、第4部『マンチュリアン・リポート』は1928年の張作霖爆殺事件を扱った。第5部では、欧州に向かった張学良が上海に帰還し、刺客たちを返り討ちに。清朝最後の皇帝溥儀は、満州国で再び皇帝の座に就こうとする。関東軍では東亜連盟を構想する石原莞爾が勢いを増していく。それを持つものは世を統率する力を持つ、とされる「龍玉」の伝説も、随所に織りこまれる。 シリーズ累計530万部超。第4部まで文庫本で10冊。第5部は単行本4冊、という破格の規模で、近代の中国と日本の分かちがたい関係を浮かび上がらせてゆく。中国には40回ほど渡った、という浅田さん。最初に取材目的で渡った20年ほど前は、いまほどの経済大国になるとは考えていなかった。「中国そのものが変わっていっている。いろんな意味で、このシリーズは早く書けません」「人も街も画一的ではなく、なぞが多く、奥が深い」と中国を評する。中学の頃から漢文の美しい言葉にあこがれるようになり、10代の頃からこつこつと通史などを学んできた。中国出身の担当編集者は「偏らない見方で、日本と中国が描かれている。知らなかったことも多く、読みながら歴史を知る思いです」と言い添える。■96年から刊行「シリーズ続く」「早くは書けない」 シリーズで一貫して描かれているのは不屈の人々。波乱の人生を送った張学良は、100歳まで生きた。最新刊では「嘆く間があるのなら、どうにかするのですよ」と、溥儀を幼い頃から支えてきた人物が語る最終盤の場面が印象深い。 そんな精神の強さは「負けず嫌い、ということで生きてきたようなもの」という自身の歩みとも重なる。 例えば、出版不況ということも安易に信じない。「時代のせいにしたら、終わりです。本が売れなくなった背景に、刊行点数が多すぎ、内容もよくない本が目立つようになったことがある。もっと、いい本をつくっていかなくては」。そのうえで「子供が最初に出合う本がつまらなければ、もう読まなくなります」と将来を見据える。 「いい小説というものは、分かりやすく、美しく、おもしろく」と3ヵ条を示す。根っこにあるのは、小説の神様の存在を信じる思い。小説とは考えて書けるものではなく、素材そのものが落ちてくるものという。それも若いからいただけるのか、と考えていたが、「意外とジジイになっても降ってくることが分かりました」と明かす。 もうすぐ67歳。「贈りものを受け止められるよう、一定のテンションに張り詰めていく努力はしております」(聞き手・木元健二)日中戦争前夜 絡み合う思惑2018.12.02*****************************************************************************<火の鳥 54>このところ新聞のスクラップとその記事のデジタル保存に勤しんでいるが・・・なにしろ、コロナウィルス対応の自粛で読む本に事欠いてきたので、連載中のこの「火の鳥」を読んでみようかと思い立ったわけでおます。デジタル朝日の記事をコピペしたので見てみましょう。2020年5月23日火の鳥 大地編:54より〈四章 東京 その七 赤い夕日の満州国〉の続き。要造は、火の鳥調査隊の4代目の隊長として、保の息子で陸軍少尉の緑郎を指名。家庭内のゴタゴタもあって、緑郎を自分と重ね、思い入れを強めるのだった。緑郎がタクラマカン砂漠に向かった後、石原莞爾、山本五十六とともに要造は「鳳凰機関」として、相談を重ねる。一方、日本国内では、軍部や右翼団体によるクーデターやテロが相次ぎ、不穏な空気が漂っていた。要造の継母・雪崩も標的となる。火の鳥 53この連載小説の背景ともいえる満州に関しては浅田次郎さんの日中戦争前夜 絡み合う思惑がお奨めです。***************************************************************************<『満州国のラジオ放送』>図書館に予約していた『満州国のラジオ放送』という本を、待つこと3ヵ月ほどでゲットしたのです。ぱらぱらとめくってみると、やたら箇条書きの多い本で読み物というよりは論文みたいで・・・やや読む気が失せるわけです。【満州国のラジオ放送】代珂著、論創社、2020年刊<商品の説明>より満州国のラジオ放送の実相に迫る。本邦初公開の資料なども駆使して、満洲国でのラジオ放送内容、番組構成、機能と効果、文化形成に対するラジオ放送の影響などを検証。メディアとしてのラジオの役割を当時の文化状況に迫りながらラジオ放送の機能とその効果の検証を試みている。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、やたら箇条書きの多い本で読み物というよりは論文みたいで・・・やや読む気が失せるわけです。<図書館予約:(2/26予約、5/20受取)>amazon満州国のラジオ放送**********************************************************************************【地図と拳】小川哲著、集英社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。<読む前の大使寸評>ゲッ! 分厚い本ではないか、読破できるかな? というのが第一印象でおました。<図書館予約:(2/01予約、副本6、予約175)>rakuten地図と拳*************************************************************************【満州国グランドホテル】平山周吉著、芸術新聞社、2022年刊<「BOOK」データベース>より「二キ三スケ」(東条英機、星野直樹、松岡洋右、岸信介、鮎川義介)だけで満洲は語れない。「一ヒコ一サク」(甘粕正彦、河本大作)が隠然たる影響力を行使する。再チャレンジ、前歴ロンダリングも許される自由の天地。「五族協和」の理想を信じた人たちの生と死。既存の満洲国イメージをくつがえす、満洲の土を踏んだ日本人の奇妙にして、真剣なる「昭和史」物語。<読む前の大使寸評>手に取ると、けっこう分厚い本であるが・・・全部読むわけでもないので、まあいいとしよう。<図書館予約:(12/20予約、1/20受取)>rakuten満州国グランドホテル
2025.02.23
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手元不如意なもんで、映画館でパンフレットを買うことがなくなって久しいのです。・・・で、以前に買ったパンフレットを復刻して見てみようと思い立った次第です(・_・;)。*********************************************************2本立て館で映画を観た帰り道で、古本屋の映画パンフを漁ってみたわけです。1冊の値段が100円、200円、300円と分かれていたけど、たぶんパンフレットの希少さで分けているんでしょうね。だけど、映画好きの基準は希少さとは違うわけで・・・・以下のとおり4冊で500円とわりとお得な買い物ができたのです。・ブラザーフッド・スターゲイト・onceダブリンの街角で・Shall weダンス?「Shall weダンス?」の表紙は山本容子のイラストになっていて、かなりオシャレ♪パンフレットをめくると、周防正行vs山本容子対談記事があったが、山本さんが熱烈な周防ファンを自認しているとのことでした。ところで、この4本を選んだ基準なんですが・・・・店内に置いてあるなかで、まったく個人的な好みと懐具合で選んだだけなんですが(笑)で、この4本について、goo映画を覗いてみました。【ブラザーフッド】カン・ジェギュ監督、2004年韓国制作<goo映画解説>より1950年、ソウル。ジンテ(チャン・ドンゴン)は、父亡き後の家計を支えつつ、愛するヨンシン(イ・ウンジュ)との結婚と、弟ジンソク(ウォンビン)の大学進学のために一所懸命働いていた。しかし6月25日、朝鮮戦争が勃発。ジンテとジンソクは韓国軍に強制徴用され、訓練を受ける余裕すらなく戦場に送られる。そこはまさに地獄絵図。ジンソクと同じ小隊に配備されたジンテは、弟を除隊させるために、自分は銃を取り英雄になって上層部への力を持とうとする。<大使寸評>テレビ放映の途中から見た作品であるが、通しで観てみたい作品である。この映画のパンフレットが史実、転戦の地図などを使っていて、よくできているわけです。goo映画ブラザーフッド【スターゲイト】ローランド・エメリッヒ監督、1994年米制作<goo映画解説>より古代遺跡から発見された巨大な環=星間移動ゲイトをくぐり抜け、遙か宇宙へ旅立った人々の冒険を描いたSFアクション。総製作費6000万ドルを費やしたというスペクタクル/SFX場面の量感や、創造された異世界の言語などが見どころ。監督はセントロポリス・フィルムを主宰し、初長編「スペースノア」以来、「MOON<ムーン>44」「ユニバーサル・ソルジャー」などSF映画に才を発揮する旧西独出身のローランド・エメリッヒ。彼が10数年来にわたる念願の原案を、パートナーであるディーン・デヴリンと共同で脚色。<大使寸評>映像のこだわり、戦闘シーンもなかなかのもので・・・・一万年前のエジプト文明と、はるか未知の星がスターゲイトを通して交錯するというSF映画の王道のような映画ですね(褒めすぎたか)。goo映画スターゲイト【onceダブリンの街角で】ジョン・カーニー監督、2006年、アイルランド制作<goo映画解説>より ダブリンの街角で、男(グレン・ハンサード)はストリート・ミュージシャンをしている。しかし、彼の前に足を止める者はいない。そこへ雑誌や花を売っている女(マルケタ・イルグロヴァ)が現れる。矢継ぎ早な質問を疎ましく思いながら、男は昼間の彼の仕事である掃除機の修理を約束させられる。翌日、女が壊れた掃除機を引きずってやってくる。彼は再会に驚きながら、その強引さに押され、彼女がピアノを弾かせてもらうという楽器店に立ち寄る。彼女のピアノの腕を確信した彼は、自分が書いた曲を一緒に演奏してみないかと持ちかける。 彼女は一人で家族を養っていたのだが、寂しさゆえ男の優しさに心が揺らぎ始めていたのだった。一緒にロンドンへ行き音楽をやろうと彼は誘うが、母を連れて行っていいかとの一言で、二人の間に沈黙が訪れる。完成したCDを受け取る女…。<大使寸評>大使はだいたいアイルランドという貧乏で、かつ文化的な国に好感を持っているのだが・・・この映画でも、貧乏でも素晴らしい歌を作りだすところが、ええでぇ♪それから、この映画の素晴らしいのは、主人公の本業がミュージシャンであり、作中に歌う歌が本物であるところでしょうね♪もちろん、しっかりした脚本で、映画としてもいい線いっていると思います。goo映画onceダブリンの街角でパンフレットの一部を紹介します。 アイルランド出身のバンド、といえば、まず思い浮かぶのがU2。そのU2次世代を代表するロック・バンドとして、本国で根強い人気を得ているのがザ・フレイムスだ。といっても残念ながら、日本での知名度はU2に比べると驚くほど低い。しかし、本国では出すアルバムのほとんどがベスト・セラーを記録している彼らは、まさに“アイルランドの秘法”というべきスーパー・バンドなのだ。 映画『ザ・コミットメント』の中で、アイリッシュたちは自らを「ホワイト・ニガー」、つまり「白い黒人」と呼んでいた。が、その呼称は、決して卑下してのものではなく、むしろ誇りさえ感じさせる。 そして、そうした背景には、アイリッシュの血と歴史の問題がある。アイリッシュの血とは、つまり彼らケルト人の末裔であるということだ。ケルト人は、既に紀元前3千年頃、ヨーロッパ大陸中西部を中心に居住していた、ヨーロッパの先住民族である。愚直なまでに勇猛果敢であると同時に、万物の中に精霊を見出すアミニズム信仰の厚い人々であり、また、歌や踊りに非常に秀でてもいたようだ。【Shall weダンス?】周防正行監督、1996年制作<goo映画解説>より「シコふんじゃった。」の周防正行監督のハートフル・コメディ。主演に役所広司を迎え、平凡なサラリーマンが社交ダンスと出会って生きる喜びを見出す姿を描く。日本トップ・プリマの草刈民代ほか、竹中直人、渡辺えり子ら個性派俳優が共演。<大使寸評>この映画のオーディションに応募した十代の子が、ダンスのイメージを「中年のエッチなおじさんが女の人に触れたいからやるやつ」と答えたそうだ。当らずといえど遠からずですね(笑)でも、この映画でかなりダンスのイメージが好転したのです。大使もやってみるか?・・・いや、やっぱマラソンやで!goo映画Shall weダンス?4冊増えたこの際、手持ちの映画パンフレットのリストを作ってみたのです。(ATG作品を除く)ざっと見渡したところ・・・・戦争映画が多いようですね。【日本映画】・あひるのうたがきこえてくるよ(1993年)・Shall weダンス?(1996年)・もののけ姫(1997年)・千と千尋の神隠し(2001年)・たそがれ清兵衛(2002年)【アメリカ映画】・スター・ウォーズ(1977年)・太陽の帝国(1987年)・ブラック・レイン(1989年)・ダンス・ウィズ・ウルブス(1990年)・スターゲイト(1994年)・エイリアン4(1997年)・プライベート・ライアン(1998年)・スター・ウォーズエピソード1(1999年)・ラスト・サムライ(2003年)・アレキサンダー(2004年)・父親たちの星条旗(2006年)・硫黄島からの手紙(2006年)【ヨーロッパ映画】・遠すぎた橋(1977年英)・Uボート(1981年独)・真珠の耳飾りの少女(2002年英)・戦場のピアニスト(2002年ポーランド、仏)・サンジャックへの道(2006年仏)・onceダブリンの街角で(2006年アイルランド)・エディット・ピアフ愛の賛歌(2007年仏、英、チェコ)【その他】・ブラザーフッド(2004年韓国)・牛の鈴音(2008年韓国)*********************************************************■2013.04.05XML古本屋で映画パンフをゲットhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201304050000/
2025.02.22
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鳥と恐竜は私のツボであり、ましてや鳥と恐竜の境目という領域は、ゾクゾクするくらい興味深いわけでおます♪・・・というわけで、以下のとおり復刻して読み直してみましょう。*********************************************************鳥は恐竜から派生したと言われているようだが、鳥と恐竜の境目あたりが大使のツボになっているのです。・・・で、そのツボのあたりを並べてみました。ミクロラプトル*********************************************************** 『大人のための恐竜教室』で、鳥と恐竜が語られているあたりを、見てみましょう。p178~181<羽毛だけでは鳥じゃない、鳥と恐竜の境目>山田:恐竜で見た目がほとんどダチョウなら、それはもう鳥なんじゃないかと思うのですが・・・。恐竜と鳥を区別する決め手は、どこにあるんでしょう?真鍋:今の動物だけで言えば、羽毛は鳥にしかない特徴です。だから昔は、羽毛を持っていれば鳥だと分類することができました。1861年、ダーウィンの時代に見つかった始祖鳥は羽毛を持っていたので、「これはもう鳥ですよね」とすぐに鳥に分類することができたんです。1996年まではそれでよかったんですけれど、羽毛のある恐竜が見つかったことで、羽毛を持っているだけでは鳥だと言えなくなっちゃったんです。 結局のところ、何をもって定義するかですから「羽毛を持っていたら全部鳥」という言い方もできなくはない。ですが、シルエットはどう見ても恐竜なのに、フリースみたいなふさふさの羽毛であれば、それを「鳥」と呼べるのか。そこで、翼を持っているものを鳥って言いましょうということに落ち着いた。山田:実にわかりやすく説得力のある基準ですね!真鍋:最初のうちは翼を持っている「羽毛恐竜」は見つかっていなかったので、しばらくの間は、翼は飛ぶために進化したものだから、翼があれば鳥だと呼べる。翼が出てくるのは始祖鳥以降ですよね、ってみんな安心していたら・・・。山田:安心していたら? 嫌な予感がしてきましたよ(笑)。真鍋:2003年に立派な翼を持ったミクロラプトルが発表されたんです。前あしに大きな翼、そして後ろあしにも大きな翼を持っているんですが、そのほかのさまざまな特徴からは鳥とは言えない。それで、ミクロラプトルは恐竜に分類されました。それ以降、翼を持っているだけでは、鳥とは言えなくなってしまったんです。山田:ほら始まった(笑)。じゃあ今度は、何をもって鳥と?真鍋:羽ばたける仕組み、竜骨突起という骨を持っているかどうかが、ひとつの指標になります。(中略) ところが、始祖鳥には竜骨突起がありません。竜骨突起と胸骨はあったけれど、それが軟骨だったために化石がのこらなかったという可能性もあります。軟骨だったとしたら、大きな筋肉をつけられないだろうから、翼はあっても枝から枝へ飛び移る程度で、十分に羽ばたくことはできなかった可能性が高くなります。山田:では、始祖鳥は今ではもう鳥とは呼べなくなったわけですね。つまり、始祖鳥は分類上は恐竜になったということでいいんですね?真鍋:竜骨突起で分類するとそうなのですが、新種の恐竜や鳥が出てくるたびに分類を変えると混乱するので、歴史的には1861年以来、始祖鳥をもって恐竜と鳥の境目にしてきたので、今のところそれを踏襲しましょうということになっています。 *********************************************************** ・2021.05.04 『38億年 生物進化の旅』1『38億年 生物進化の旅』1:恐竜巨大化の謎・2021.05.04 『38億年 生物進化の旅』2『38億年 生物進化の旅』2:鳥の起源・2021.12.08 『大人のための恐竜教室』1『大人のための恐竜教室』1:鳥は本当に恐竜なのか・2021.12.08 『大人のための恐竜教室』2『大人のための恐竜教室』2:2種類の恐竜・2021.12.09 『大人のための恐竜教室』3『大人のための恐竜教室』3:鳥と恐竜の境目・2021.12.09 『大人のための恐竜教室』4『大人のための恐竜教室』3:始祖鳥をもって恐竜と鳥の境目*********************************************************■2023年01月22日鳥と恐竜の境目https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202301220001/
2025.02.21
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手元不如意なもんで、長いこと本を購入しなかったけど・・・久しぶりに『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』と言う本を購入したのです。去年の10月にスマホを購入・契約したのだが、操作が難しいわけで、タダ右往左往するだけで、いっこうに使いこなせないわけで・・・この本で系統的に学習しようと思い立ったのでおます♪【500円でわかるアンドロイドスマートフォン】ONE COMPUTER MOOK GetNavi編、 ワン・パブリッシング、2023年刊<「BOOK」データベース>よりムック本につきデータなし<読む前の大使寸評>24年の10月にスマホを購入・契約したのだが、操作が難しいわけで、タダ右往左往するだけで、いっこうに使いこなせないのでチョイスしたのです。rakuten500円でわかるアンドロイドスマートフォンあとさきになったが、基本操作(STEP4 文字入力)について見てみましょう。p26~27画面上に配置できるキーの数は限られるので、入力したい文字の種類にあわせてキーボードを切り替えるのがポイントだ。「Gboard」の基本アンドロイドOSに標準で組み込まれている日本語入力システム。Googleの標準アプリ「Gboard-Googleキーボード」(無料)アンドロイドOS標準の「Gboard」を例に文字入力について解説する。A マイク:音声で文字を入力する。B テーマC 設定Ⅾ クリップボード:コピーした文字などを表示。E GIFアニメF ステッカーG カスタマイズH キーボード:入力する文字種にあわせてキーボードを切り替えて文字を入力する。日本語入力の基本 文字を入力するには、まず入力欄をタップしてキーボードを表示させる。キーボードは日本語用、英字用、数字記号用など複数が用意されており、入力したい文字にあわせて切り替えて使う。1 「メモ」アプリなどを起動する。入浴欄をタップしてキーボードを表示する。2 ひとつのキーに複数の文字が割り当てられている。キーをタップ(またはフリック)して任意の文字を入力する。3 「あa1」をタップするたびに「かな」→「英字」→「数字」キーボードに切り替える。「Gboard」の基本設定をしよう 標準では携帯電話での入力と同様の「⒓キー」しか使えないので、自分の使い方に合わせてキーボードを追加しておくことがポイントだ。 パソコンのキーボードと同様の「QWERTY」、手書きで文字入力ができる「手書き」、Google独自の「GODAN」、50音表の「五十音」が追加できる。【設定画面を開く】1 キーボードを表示し、上の「設定」ボタンをタップ。2 「Gboard」の設定画面が開く:A~Gについては説明省略 【必要なキーボードを追加する】1 「設定」画面で「言語」をタップ。「言語」画面が開いたら「キーボードを追加」をタップする。2 「日本語」をタップする。ほかの言語を使うには、その言語を選んで追加できる。3 追加したいキーボードをタップして選ぶ。その下に、選んだキーボードの設定内容が表示される。これらの設定は、ある程度使ってから、使い勝手にあわせて変更すればいい。選んだら「完了」をタップする。ウーム この本に表示されている画像を省略しているので、以上の説明をコピペした私でさえ、理解できない内容ではないか。『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』3:電源の入り切り、ロック画面、スリープ『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』2:メッセージ/メールの送受信『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』1:電話の送受信
2025.02.21
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手元不如意なもんで、長いこと本を購入しなかったけど・・・久しぶりに『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』と言う本を購入したのです。去年の10月にスマホを購入・契約したのだが、操作が難しいわけで、タダ右往左往するだけで、いっこうに使いこなせないわけで・・・この本で系統的に学習しようと思い立ったのでおます♪【500円でわかるアンドロイドスマートフォン】ONE COMPUTER MOOK GetNavi編、 ワン・パブリッシング、2023年刊<「BOOK」データベース>よりムック本につきデータなし<読む前の大使寸評>24年の10月にスマホを購入・契約したのだが、操作が難しいわけで、タダ右往左往するだけで、いっこうに使いこなせないのでチョイスしたのです。rakuten500円でわかるアンドロイドスマートフォンあとさきになったが、基本操作について見てみましょう。p10~11電源を入れるスマートフォンの電源ボタンを長押しして、電源を入れよう。ロック画面を解除すれば、ホーム画面が表示されて使える状態になる。スマートフォンを使い終えたら、電源を切らずに画面の表示を消す(スリープさせる)。次回からは、電源ボタンを短く押すだけですぐにロック画面がひょうじされる。1 電源ボタンを長押しして、電源を入れる。2 ロック画面が表示されたら、画面を上方向にスワイプ。指紋認証をしている場合はセンサーに触れ、顔認証を設定している場合は画面を見つめよう。3 ロックが解除されてホーム画面が表示される。ロック画面とは ロック画面は、電源を入れたとき、あるいはスマートフォンの画面消灯時に電源ボタンを押すと表示される画面のことだ。解除用のパスコードなどを設定することができ、セキュリテイ対策としても活用する。A ステータスバー:アプリの通知や端末の状態が表示される。下方向にスワイプすると、クイック設定と通知が表示される。B 通知:アプリからの通知が表示され、タップするとアプリで詳細な内容を確認できる。C ロック解除:上方向にスワイプしてロックを解除する。画面の表示を消す(スリープ) 電源ボタンを短く1回押すと画面の表示が消えるが、この状態をスリープと呼ぶ。スリープを解除して画面を表示させるには、電源ボタンを再度短く1回押す。電源を切る スマートフォンの電源を切るには、電源ボタンと音量ボタンの上側を同時に押す。不具合が発生して終了/再起動する場合などに必要となる匝瑳なので覚えておこう。1 電源ボタンと音量ボタンの上側を同時に押す。2 画面に「電源を切る」ボタンが表示されるのでタップすると、電源が切れる。「再起動」ボタンをタップすると、電源が切れた後、すぐに再び起動する。 電源を切らずに元に戻る場合は電源ボタンを短く1回押して一旦スリープにして、再度電源ボタンを短く1回押す。音量調整とマナーモード 着信音や通知音などの音量は、端末にある音量ボタンで調整する。画面に表示されるボタンからは、音量調整に加えてバイブレーションやミュートモードなどの切り替えもできる。1 音量ボタンの上側を押すと音量が大きく、下側を押すと音量が小さくなる。2 画面には音量調整スライダーが表示され、音量を確認できる。3 スライダー下部の設定ボタンをタップすると、メディア、通話、着信音と通知、アラームの音量を個別に調整することができる。調整したら「完了」をタップする。『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』2:メッセージ/メールの送受信『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』1:電話の送受信
2025.02.20
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「猫のしっぽ カエルの手」(NHK)で見たベニシアさんが良かったけど・・・旦那の梶山正さんが挑戦した英国の伝統的な料理・サンデーローストが美味しそうやでぇ♪*********************************************************サンデーロースト 山岳写真家の梶山正さん(65)が、ローストビーフづくりに挑戦していたのは、コロナ下の2021年夏のことだった。 妻でハーブ研究家のベニシア・スタンリー・スミスさんは、高齢者施設に入所していて、コロナのために面会禁止になっていた。京都・大原の自宅で、持てあました時間を埋めるように、料理に没頭していた。 ローストした肉料理に、ジャガイモなどの野菜と、シュー生地でつくったパンのようなヨークシャープディングを一皿にした「サンデーロースト」は、ベニシアさんの故郷・英国の伝統的な料理だ。 日曜日に、農民たちの労働をねぎらうためにふるまわれたことが起源とされ、日曜日のごちそうとして知られるという。 ベニシアさんも、この料理を愛した。 貴族の家系に生まれながら、自分の生き方を探していたベニシアさんは、19歳で英国を離れた。東洋に憧れ、たどり着いた京都で梶山さんと出会い、結婚。その後、大原で古民家暮らしを始める。 巡り来る季節に合わせるように表情を変える庭、育てたハーブを生かした料理のレシピ……。その暮らしぶりは09年にスタートした「猫のしっぽ カエルの手」(NHK)でも紹介され、人気番組になった。 梶山さんの記憶にあるのは、2人が結婚し、息子の悠仁さんが生まれて1年ほど経ったころ、英国のパブで食べたサンデーローストだ。当時、3人でキャンプをしながら車で英国をまわっていた。日曜日の午後のパブは、のんびりとした時間が流れていた。無心でローストビーフを食べていたベニシアさんの表情が忘れられない。 オーブン、ダッチオーブン、薪(まき)ストーブ……。いろいろと試したが、肉の焼き加減がうまくいかなかった。ミディアムをめざしているのに、どうしても焼きすぎてしまう。 試行錯誤を繰り返し、ある日、ネットの情報をもとに試したら、うまくいった。フライパンで牛肉の表面に焦げ目をつけ、二重のポリ袋で包む。大鍋に入れたお湯の中に、一定時間ポリ袋ごと入れて取り出す。 だが、そのローストビーフを、ベニシアさんに食べさせることは、できなかった。 進行性の脳神経の病気のため、ベニシアさんは視力が衰え、認知機能も低下していた。施設でコロナに感染してからは、急激に体が弱り、口にできるものは、高齢者用のゼリーだけだった。最後は慣れ親しんだ大原の自宅に戻り、在宅介護の日々を送った。23年6月、旅立った。 * ベニシアさんの友人で編集者の藤井文子さんは、弱っていくベニシアさんがあるとき、発した言葉が忘れられない。 「あのね、私、ひとつだけ思うことがあるねん。目が見えにくくなっても、なにか人のためにできること、あると思うねん」 それってどんな感じ? そう尋ねた藤井さんに、ベニシアさんは「本なら何か伝えられると思う」と答えた。 その言葉が忘れられなくて、ベニシアさんが生きた証しを残したくて、梶山さんに執筆を促した。ベニシアさんのために、好きな料理をつくる梶山さんの姿を見ていたからだ。 「ベニシアの『おいしい』が聴きたくて」。ベニシアさんの遺志も継いだ、そんなタイトルの一冊を、梶山さんは昨年、出版した。藤井さんが編集を担当した。 ベニシアさんの最後の日々をつづり、サンデーローストを含め、いくつかの料理のレシピも添えた。故郷の食べ物を囲み、友人とわいわい楽しむことを、ベニシアさんは好んだ。 ベニシアさんは幼少期、両親が離婚し、乳母に育てられた。「イギリスに帰りたい」。最後の日々、そう口にすることもあったベニシアさんの人生を、梶山さんは考えることが増えた。「生きていたときよりも、ベニシアの人生と向き合っている」と感じる。 ふらりと大原まで訪ね、花を手向けたり、線香をあげたり……。そんな人たちが多くいる。「愛情に飢えていたから、あんなに人に愛情を注ごうとしたんだなと思う。一生懸命生きたんだな、と思います」 梶山さんは、ベニシアさんが亡くなった後も、何回かローストビーフをつくった。失敗は一度もないという。(武田耕太)*********************************************************■2025年2月16日ベニシアさんの故郷の味、今も寄り添うhttps://digital.asahi.com/articles/DA3S16150595.html
2025.02.19
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朝日新聞デジタルでスクラップしているのだが・・・その「スクラップ一覧」と最新記事を紹介します。この一覧は、いわば我が関心事一覧ともいえるのです。*********************************************************■朝日出版社、NOVAが買収 経営陣「復帰」でM&Aトラブル解消へ2025年2月18日 (2025年2月18日登録)おいおい 大丈夫かいな? 大学向けの語学教材などで知られる中堅の朝日出版社(東京)が、英会話教室大手のNOVAホールディングス(HD、東京)に買収されたことがわかった。 朝日出版社は創業者の死後、株式を相続した遺族がM&A(合併・買収)をめぐるトラブルで経営陣を解任するなどして混乱に陥っていた。遺族からNOVAHDが株式を買い受け、元経営陣を復帰させる。 朝日出版社の株式は一昨年春に亡くなった創業者から妻子が相続し、都内の合同会社に売る譲渡契約を昨年8月に結んだ。経営陣は妻の意思確認ができないことなどを理由に反対。取締役6人全員が解任されたが、新役員は1カ月以上出社せず、労働組合がスト権を確立、株主総会決議の効力を争う法廷闘争にも発展した。 解任された取締役らが起こした訴訟は取り下げる方向だ。 複数の関係者によると、NOVAHD社長の稲吉正樹氏が朝日出版社の代表取締役会長に就き、元代表取締役社長の小川洋一郎氏が取締役社長となる。解任された役員6人のうち4人が復帰した。 新たな株式譲渡契約は2月14日に締結。創業者遺族に払われる買収資金は10億円を超え、その一部が解決金として当初の買い手側にも払われるとみられる。 NOVAHDは1994年に愛知県岡崎市で創業。2007年に経営破綻した旧NOVAを買収して事業を引き継いだ。学習塾や飲食事業も手がけている。 朝日出版社は1962年設立。月刊『CNN ENGLISH EXPRESS』を発行し、幅広いジャンルの書籍も手がける。売り上げは年約13億円。朝日新聞社との資本関係はない。(藤田知也)■ベニシアさんの故郷の味、今も寄り添う 夫の梶山正さん、本を出版 2025年2月16日 (2025年2月16日登録)旦那の梶山正さんが、最後の日々とレシピをつづったそうで・・・ええでぇ♪■一流の風刺と異文化への想像力 監修・原田範行さん 新連載小説『ガリバー旅行記』、⒓日スタート 2020年6月5日 (2025年1月22日登録)ダブリン生まれのアングロ・アイリッシュのスイフトが、アイルランドに愛を込めて綴った小説とのことで、興味深いのです。■「限りない悔しさと憤り」田中熙巳さんが平和賞スピーチで託した信念2024年12月10日 (2024年12月10日登録)素晴らしいスピーチでしたね。プーチンの威嚇やガザ地区の惨状にふれたのも良かった。■シリアのアサド政権崩壊 12月8~15日にあったこと2024年12月16日 (2024年12月9日登録)当分の間、無政府状態が続くわけだが・・・ロシアも絡むだけに、不透明感が怖いでぇ。■(一語一会)ドキュメンタリー映画監督・想田和弘さん 精神科医の山本昌知さんの言葉 2024年11月21日 (2024年11月22日登録)猫のドキュメンタリー映画ってか・・・面白そうである。■(はてなスコープ)星の誕生から最期まで 生まれた重さが運命の岐路 2020年4月25日 (2024年11月7日登録)■(ひと)ジャンバティスト・ムスニエさん パリで「TSUKIJI」を再現したラーメン店を営むフランス人 2024年10月8日 (2024年10月8日登録)おお 世界に愛されるラーメンではないか♪■車いすラグビー、日本が初の金メダル 米国を下す パラリンピック2024年9月3日 (2024年9月4日登録)2日にオーストラリア戦、3日に米国戦と続けて観たので昼夜逆転生活となった感があるのです。■ラグビー池「幸せここにあった」 パラ日本メダリストが会見2024年9月4日 (2024年9月4日登録)3日にオーストラリア、4日決勝はアメリカと薄氷を踏んで得た金メダルであるが・・・選手それぞれの思いが凄かった。■台風から離れた地域でも大雨 「水蒸気コンベヤーベルト」条件そろう2024年8月30日 (2024年8月31日登録)海水温の上昇が「水蒸気コンベヤーベルト」という気象を生んだようですね・・・それにしても暑いぜ■「初の女性大統領」めざしたクリントン氏の教訓 ハリス氏、訴え慎重2024年8月20日 (2024年8月20日登録)■明日への糧、忙しい読者に寄り添い 斎藤美奈子さん書評集「あなたの代わりに読みました」 2024年5月29日 (2024年6月7日登録)斎藤美奈子さんと言えば、書評のスペシャリストとして知られるが、それらの書評がまとめて見られる書評集とあれば・・・読むしかないでえ ♪■マクロン仏大統領、ウクライナに供与兵器でのロシア領土攻撃を容認2024年5月29日 (2024年5月29日登録)以降については朝日デジタルでスクラップブック(2024年5月29日)を参照ください。*********************************************************■2025.2.18保存済みの記事一覧https://digital.asahi.com/member_scrapbook/■2024.12.15XML朝日デジタルでスクラップブック(2024年12月12日)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202412150001/
2025.02.19
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。 暖冬と言われた今年の冬であったが、2月以降は強烈な寒気団が次々に到来したのです。要するに温暖化で熱くなった日本海の上を寒気が吹いたわけで・・・大雪や暴風雨なんかの様相は、この本とはかなり異なっているようです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたり春一番この本で、雨水のあたりを見てみましょう。和暦p8<雨水>農耕の準備を始める時期の目安とされる節季 雨水は現行の暦(太陽暦)では、2月19~20日ころから啓蟄(3月6日ころ)に入る前日までの期となる。節分から12日目が雨水の初日にあたる。 雨水の時期になると、それまで空から降るモノは雪だったが、このころから雨に変わることが多くなり、雪氷が溶け始め草木の芽吹きも始まるようになる。これが「雨水」の名前の由来となっている。 ただし雨水に入るころは、関東地区ではいちばん雪の降る時期でもある。二十四節季は中国の気候を基に作られた暦のひとつのため、実際の気候とのズレがあった。 以上のように、雪が雨に変わり、寒さも和らいでくる「雨水」は、長い間、農耕の準備を始める目安とされてきた。実際の気温も、「三寒四温」の言葉通り、3日寒い日が続くと4日暖かい日となり、日々「水温む」が実感できる気候となる。 立春後、初めての南からの風(春一番)が吹くのもこのころだ。やや強い風だが、冬の北からの空っ風と異なり、暖かさが感じられる風である。春本番がすぐそこまで来ていることを知らせる春一番は、春を待ち望む待春の心を最も強く表現した言葉だろう。ちなみに西洋占星術では、雨水を迎える日は魚座に入る日となっている。 この時期の七十二候は、次の通り。 初候 「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」雨が降って土が湿り気を含む。 次候 「霞始靆(かすみがはじめてたなびく)」霞がたなびき始める。 末候 「草木萌動(そうもくめばえいずる)」草木が芽吹き始める。 春雨に霞がかたむき、草萌えるころ二十四節季の立春に注目(復刻3)二十四節季の立春に注目(復刻2)二十四節季の大寒に注目(復刻)
2025.02.18
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手元不如意なもんで、長いこと本を購入しなかったけど・・・久しぶりに『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』と言う本を購入したのです。去年の10月にスマホを購入・契約したのだが、操作が難しいわけで、タダ右往左往するだけで、いっこうに使いこなせないわけで・・・この本で系統的に学習しようと思い立ったのでおます♪【500円でわかるアンドロイドスマートフォン】ONE COMPUTER MOOK GetNavi編、 ワン・パブリッシング、2023年刊<「BOOK」データベース>よりムック本につきデータなし<読む前の大使寸評>24年の10月にスマホを購入・契約したのだが、操作が難しいわけで、タダ右往左往するだけで、いっこうに使いこなせないのでチョイスしたのです。rakuten500円でわかるアンドロイドスマートフォンメッセージ/メールの送受信について見てみましょう。p38~39スマートフォンで利用できるメッセージ/メールの種類 スマートフォンは、携帯電話番号を宛先にメッセージするパソコンメール、携帯電話会社から提供されるキャリアメール(MMS)が利用できる。また、携帯大手3社が開発したメッセージサービス「+(プラス)メッセージ」にも対応する。 メッセージは会話するように簡単にやり取りができ、メールは多くの端末と送受信できる。ここではメッセージ(SMS)とパソコンメール(Gmail)を紹介する。 キャリア契約をしていないWi-Fi通信のみで使用しているタブレットなどの場合は、SMSは利用できないので注意。Googleの標準アプリ「メッセージ」(無料)で、メッセージの送受信について、見てみましょう。<「メッセージ」アプリを起動する>「メッセージ」は、メッセージ(SMS)を送受信するためのアプリだ。宛先には携帯電話番号を指示していする。A 戻る:「メッセージ」画面に戻る。B Meet:テレビ電話をかける。C 電話D 「その他」ボタンE 自分のメッセージ:送信した自分のメッセージF 相手のメッセージ:受信した相手のメッセージG その他H 添付:画像を添付する。I テキストメッセージ蘭J 絵文字K 録音:音声メッセージを送信する。<メッセージを送信する> 携帯電話番号を登録した相手にメッセージを送信しよう。1 ホーム画面で「メッセージ」のアイコンをタップし、「メッセージ」画面右下の「チャットを開始」をタップする。2 「連絡帳」で相手を選択する。または「宛先」をタップして電話番号を入力し、「(電話番号)に送信」をタップしても宛先を指定できる。3 メッセージを入力し、「送信」をタップすると、メッセージが送信される。4 自分の送信したメッセージを確認する。<受信したメッセージに返信する> メッセージのやり取りは、送信した内容と受診した内容が一つの画面に吹き出しで表示され、会話のようにやり取りが記録Sれる。受診したメッセージを確認して返信しよう。1 「メッセージ」を起動し、返信する相手をタップする。2 受信したメッセージを確認し、返信メッセージを入力する。最後に、「送信」をタップして返信する。3 自分の返信メッセージを確認する。『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』1:電話の送受信
2025.02.18
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手元不如意なもんで、長いこと本を購入しなかったけど・・・久しぶりに『500円でわかるアンドロイドスマートフォン』と言う本を購入したのです。去年の10月にスマホを購入・契約したのだが、操作が難しいわけで、タダ右往左往するだけで、いっこうに使いこなせないわけで・・・この本で系統的に学習しようと思い立ったのでおます♪【500円でわかるアンドロイドスマートフォン】ONE COMPUTER MOOK GetNavi編、 ワン・パブリッシング、2023年刊<「BOOK」データベース>よりムック本につきデータなし<読む前の大使寸評>24年の10月にスマホを購入・契約したのだが、操作が難しいわけで、タダ右往左往するだけで、いっこうに使いこなせないのでチョイスしたのです。rakuten500円でわかるアンドロイドスマートフォンp34~37Googleの標準アプリ「電話」(無料)で、電話のかけ方を、見てみましょう。<「電話」アプリの画面構成>「電話」アプリでは、電話番号をダイヤルキーで入力するほか、。不在着信や通話履歴からも電話をかけられる。A 検索B 「その他」ボタン:C 「ダイヤル」ボタン:ボタンをタップするとダイヤルキーが表示される。D 「お気に入り」タブE 「履歴」タブF 「連絡先」ボタンG ダイヤルキー:数字をタッチして電話番号を入力する。H 「発信」ボタン<番号を入力して電話をかける>電話番号を直接入力して電話をかけるには、ダイヤルキーを利用する。1 「電話」アプリを起動し、ダイヤルキーを表示して電話番号を入力。最後に「発信」ボタンをタップする。2 発信が始まり、「発信中」と表示される。3 相手が電話に出ると「発信」ボタンが「通話終了」ボタンに変わり、通話時間が表示される。通話を終えるには、「通話終了」をタップして電話を切る。<電話を受ける> ロック中に電話がかかってくると、呼び出し音が鳴って着信画面になる。1 着信画面が表示されたら、上方向にスワイプすると通話ができる。下方向へのスワイプでは着信拒否となる。2 電話に出られないときに、着信画面の「返信」ボタンをタップするとショートメッセージを送信できる。<不在着信から電話をかける>ロック時にかかってきて不在着信となった電話には、ロック画面から折り返し発信することができる。(中略)Googleの標準アプリ「連絡帳」(無料)で、よくかける相手にすばやく電話をかけてみましょう。<「連絡帳」アプリの画面構成>A「メニュー」ボタンB 検索ボックス:C 「その他」ボタン:D アカウント:Googleのアカウントを管理する。E 「登録」ボタン<「連絡帳」アプリに登録する>名前と電話番号を連絡帳に登録する。めーるあどれすも一緒に登録すると便利だ。1 「連絡帳」アプリを起動し、「登録」ボタンをタップする。2 「連絡先の作成」画面で姓名、よみがな、電話番号等を入力し、「保存」ボタンをタップする。3 登録した連絡先が表示される。「←」ボタンをタップすると連絡先の一覧画面が表示され、確認できる。<着信履歴から「連絡帳」に登録する>着信履歴から連絡帳に登録すると、電話番号が自動入力されるので、入力ミスを防げる。1 「履歴」をタップし、登録したい電話番号をタップする。2 メニューが開くので、「連絡先に追加」をタップする。3 「連絡先に追加」画面で、姓名とよみがなを入力し、「」をタップすると登録完了。<「連絡帳」アプリから電話をかける>登録した連絡先は「連絡帳」アプリに表示される。連絡を取りたい人を選択して発信するだけで電話をかけられる。(中略)<着信音を変更する> 着信音は、「設定」画面の「着信音とバイブレーション」から変更できる。かけてきた相手によって着信音を変える場合は、「連絡先」アプリのメニューから「着信音を設定」を選定して変更しよう。在職中は出張時には会社所有のガラケーを持たされたが・・・これがいやで、仕事が終われば即、電源を切るのがもっぱらでした。
2025.02.17
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トランプさんがウクライナのレアアースに目をつけたとか・・・やはり人権よりディールの人なのか、そういう主張は改めてほしいものです。そういうことで、『レアメタル レアアース(ニュートン別冊)』というムック本を復刻して読んでみましょう♪*********************************************************図書館に予約していた『レアメタル レアアース(ニュートン別冊)』というムック本を、手にしたのです。この本を読みかけた際、リチウムイオン電池開発に従事した吉野彰氏がノーベル化学賞受賞という朗報が飛びこんできたのです。【レアメタル レアアース(ニュートン別冊)】ムック、ニュートンプレス、2011年刊<「BOOK」データベース>よりムックにつき、データなし<読む前の大使寸評>この本を読みかけた際、リチウムイオン電池開発に従事した吉野彰氏がノーベル化学賞受賞という朗報が飛びこんできたのです。amazonレアメタル レアアース(ニュートン別冊)今、リチウムイオン電池でホットなリチウムを、見てみましょう。p40~41<電気自動車の普及により、需要が激増する> 携帯電話や電気自動車に必用な「リチウムイオン電池」。充電ができる電池の中では、現在、最も小型で軽く、高い電圧が得られる。 リチウムイオン電池の開発がはじまったのは、1981年ことだ。当時、すでにリチウムを使った使い捨て電池は普及していたが、リチウムを使った充電できる電池はまだ実現していなかった。 充電できるリチウムイオン電池を開発したのは、旭化成エレクトロニクス㈱の研究者、吉野彰博士である。「コバルト酸リチウム」と「炭素繊維」を組み合わせて、まったく新しい電池をつくりだしたのだ。現在では、世界で1年間に10億個以上のリチウムイオン電池が生産されている。 日本でもリチウムイオン電池は生産されているが、電極の原料となる「炭酸リチウム」は、すべて輸入品だ。2009年の輸入量は、8023トンだった。 世界のリチウム生産量は、年間約2万トン(リチウム単体の重さ)。電気自動車の普及により、2050年には年間40万トン以上のリチウムが必用になると予測されている。アタカマ塩湖のリチウム採掘次に独占的なリチウム生産を、見てみましょう。p42~43<埋蔵量は豊富だが、三つの会社がほぼ独占> リチウムの主要な生産国は、チリ、中国、アルゼンチンである。これらの3国では、主に「塩湖」からリチウムを取り出している。リチウムは鉱石からもとれるが、塩湖からの採取がふえる傾向にある。 塩湖とは、塩分濃度が1リットルあたり0.5グラム以上の湖のことだ。湖に入りこむ水の量より、蒸発する水の量が多くなると、塩分濃度が高くなる。地下にはさらに濃い塩水がある。リチウムを取りだすには、このかん水を採取し、蒸発させるなどして濃縮する。ここから不純物を取りのぞき、炭酸ナトリウムを加えて、炭酸リチウムを分離するのが一般的だ。 リチウムは海水中にも含まれているため、地球全体に存在するリチウムの量は膨大である。しかし、海水のリチウム濃度は0.18ppmと薄いため、現状では、海水から直接リチウムを採取することは行なわれていない。 なお、鉱石や塩湖に含まれるリチウムの量は豊富であり、すぐにリチウム資源が枯渇することはないただし、リチウムの生産は、チリおよびアメリカの三つの会社にほぼ独占されているため、突発的な生産の停止や価格の高騰が心配されている。このような理由からリチウムはレアメタルに分類されているのだ。 ノーベル賞受賞に沸くニッポンであるが、すでに基礎科学に割く予算は乏しく、第一、若者が海外留学を望まないんだって・・・もうおしまいかも。『レアメタル レアアース(ニュートン別冊)』2:リチウムイオン電池『レアメタル レアアース(ニュートン別冊)』1:世界中のレアアース鉱床*********************************************************■2019.10.11XML『レアメタル レアアース(ニュートン別冊)』2https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201910110001/
2025.02.16
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『上級国民/下級国民』という本を読み直してみたいと思い立ったのです。パラサイト・シングルについて触れているあたりを読みたいわけでおます♪*********************************************************図書館に予約していた『上級国民/下級国民』という本を、待つこと9ヵ月ほどでゲットしたのです。この本の「はじめに」で高級官僚の存在や神戸市営バスの運転手の事件が載っているので、見てみましょう。【上級国民/下級国民】橘玲著、小学館、2019年刊<「BOOK」データベース>より「下級国民」を待ち受けるのは、共同体からも性愛からも排除されるという“残酷な運命”。一方でそれらを独占する少数の「上級国民」たち。ベストセラー『言ってはいけない』の著者があぶり出す、世界レベルで急速に進行する分断の正体。<読む前の大使寸評>この本の「はじめに」で高級官僚の存在や神戸市営バスの運転手の事件が載っているので、見てみましょう。<図書館予約:(10/24予約、副本16、予約283)>amazon上級国民/下級国民「PART1 下級国民の誕生」の「令和で起きること」を、見てみましょう。p51~54パラサイト・シングルの“発見” パラサイト・シングルは「学卒後もなお、親と同居し、基礎的生活条件を親に依存している未婚者」のことで、社会学者の山田昌弘さんが1999年に『パラサイト・シングルの時代』(ちくま新書)で命名しました。 彼ら/彼女たちは当初、「社会人になっても親を利用して優雅な生活を送っている」とされ、新しい生き方としてもてはやされてもしましたが、たちまち“バッシング”の標的になっていきます。 パラサイト・シングルは独身者ですから、結婚して子どもをつくることがありません。これが晩婚化・少子化の原因とされたのが典型的な批判のひとつです。「親に甘えて大人になろうとしない」「社会人としての自覚がなく、責任も果たそうとしない」というのです。 もうひとつの批判は、パラサイト・シングルはフリーターが多く、「失業予備軍」でしかないというものです。フリーターは「正社員として会社に所属せず、アルバイトなど自由な仕事で自己実現を目指す」働き方として1980年代のバブル期に脚光を浴びましたが、90年代半ば以降の「就職氷河期」では、「正社員になれないからしかたなくフリーターをやっている」ケースが大半になりました。 それにもかかわらずこの時期、新卒の若者のうち3年以内に会社を辞める割合が、中卒で7割、高卒で5割、大卒でも3割に達することが大きな社会問題になりました。日本は労働市場の流動性が低く、転職が困難なので、正社員を辞めた若者の多くがフリーターになりました。それが、「最近の若者はこらえ性がない」「世の中をなめている」との批判につながっていきます。(中略) 「就職氷河期」の若者は賃金の低いフリーターや非正規になりやすく、自活するだけの収入を得られませんから、成人しても実家で暮らすしかありません。こうして1990年代末に「パラサイト・シングル」が“発見”されます。 アルバイト仕事はせいぜい20代までで、30歳を超えてフリーターをやっていると周囲から奇異な目で見られるし、職場にもいづらくなります。同窓会など、学生時代の友人と会う機会にも足が向かなくなるでしょう。 パラサイト・シングルのフリーターはやがて失業者になり、家から出ることのない「ひきこもり」になっていきます。このように、「フリーター→パラサイト・シングル→ひきこもり」という現象は、1990年代半ばを起点としって一直線につながっているのです。不都合なことはすべて若者の責任 玄田有史さんは『仕事のなかの曖昧な不安』の文庫版のあとがきで、「この本の最大の主張は、中高年の雇用という既得権が若者から仕事を奪ったというものである」とはっきり書いています。 そしてこの主張は、2004年にベストセラーになった『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』(玄冬社文庫)につながっていきます。ウン 我らが団塊の世代は、一時期アメリカの土地を買いあさったが・・・日本の若者から仕事を奪ったという面(嫌われもん世にのさばる)が有ったのかもしれませんね。*********************************************************『上級国民/下級国民』6:パラサイト・シングル『上級国民/下級国民』5:私の人生は私が自由に選択する『上級国民/下級国民』4:日本経済の成長率の低迷『上級国民/下級国民』3:急落したGDP成長率『上級国民/下級国民』2:日本のサラリーマン『上級国民/下級国民』1:はじめに*********************************************************■2020.09.09XML『上級国民/下級国民』6https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202009090002/
2025.02.16
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阿刀田さんの手引きもあってロアルド・ダールの存在を知ったのであるが、一方でダールの絵本に偶然めぐりあったこともあるわけで・・・そのあたりについて以下のとおり復刻して、読み直してみましょう♪*********************************************************図書館で『短編小説より愛をこめて』という本を借りて読んでいるのだが・・・阿刀田さんが、いかに短編小説を愛でているかよくわかります。阿刀田さんはダールの「女主人」という怖い短編小説にめぐりあったが、大使も図書館でダールの絵本に偶然めぐりあったのです。(手当り次第という大使の方法もたまには大当たりするのです)・・・ということで、ダール関連の本を集めてみました。・『The ROALD DAHL Treasury』・『キス・キス』・『短編小説より愛をこめて』【The ROALD DAHL Treasury】ロールド・ダール著、Puffin、1997年刊<カスタマーレビュー>よりこどもの本とくにロールドダールの本を多読したい大人向きです。英語はやさしくて、どのお話も短いので、ひとつひとつ読み進むと、読み応えがあります。挿絵もとってもかわいくて、いいですよ! 洋書を試したい初心者の大人の方にお勧めします。<読む前の大使寸評>この本は絵本でもあるわけで・・・当然、カラーの挿絵が満載で、見るだけでも楽しい本になっています。amazonThe ROALD DAHL Treasury【キス・キス】ロアルド・ダール著、早川書房、2005年刊<「BOOK」データベース>より予期せぬ出来事が日常の扉を開きあなたをさり気なく訪れる。<読む前の大使寸評>ロアルド・ダール著の短篇小説集であるが、阿刀田高さんが推薦していたので図書館に予約していたのです。巻末に阿刀田高さんの解説が載っていて、解説自体が面白い読み物になっています。<図書館予約:(5/08予約、5/12受取)>amazonキス・キス【短編小説より愛をこめて】阿刀田高著、新潮社、2008年刊<「BOOK」データベース>より読書はすばらしい。何より楽しい。安価で、どこでもいつでも一人で楽しめる。なかでも、読者に時間をとらせず負担をかけない短編は、「礼儀正しい文学である」。著者は作家デビューから30余年、手がけた短編は800編を超える、自他共に認める短編のスペシャリスト。「心中してもいい」とまで言う短編ファンによる、愛のこもったエッセイ集。“私の愛した短編小説20”を収録。<読む前の大使寸評>“私の愛した短編小説20”というリストがええでぇ♪もちろん、ダールの「女主人」もリストアップされています。なお、借りたのは2006年刊のハードカバーでした。rakuten短編小説より愛をこめて阿刀田高さんが『陽気なイエスタデイ』2でロアルド・ダールの短編小説の魅力を語っています。*********************************************************■2018.06.04XMLロアルド・ダールと阿刀田高の出会いhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201806040001/
2025.02.15
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歴史家・加藤陽子さんといえば信頼できる学者であるが、10年前のインタビュー記事を思い出したので、復刻して読んでみましょう。********************************************************* 歴史家・加藤陽子さんがインタビューで「国体を守るため周縁部を戦場に、膨らんだ残虐な死」と説いているので、紹介します。(加藤陽子さんへのインタビューを8/05デジタル朝日から転記しました) 「あの戦争」とは何だったのか。戦後の70年は日本人にとって、そう自らに問い続ける時代でもあった。そして、70年たった今も、戦争の原因や責任をめぐり、様々な論議が交わされている。私たちはこれから先も、あの戦争の意味を考え続けていくことになるのだろうか。歴史家として戦争を見つめてきた加藤陽子さんに聞いた。Q:あの戦争とは何だったのかを考えるとき、加藤さんが注目するポイントはどこですか。A:戦後50年にあたって出された村山談話(1995年)を読み返すとき、私が最も興味深く感じるのは主語の問題です。談話は『わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ……』と述べています。『国が』国民を存亡の危機に陥れたと語らなければならない戦争とは一体、何でしょう。 問題の核心は“残虐な死”が多発したことだと思います。国家の中心部を守るために(敵前方である)周縁部で戦う――そんな軍の防衛思想を国民に強いた戦争であったことが背景にありました。Q:帝国日本の周縁部で、何が起きたのでしょうか。A:戦場にされた周縁部には、満州(中国東北部)やビルマ(ミャンマー)、千島列島、フィリピン、太平洋の中部や西部の島々など、実に様々な地域が含まれます。それらの地では戦争終盤、指導部によって放棄された戦線で兵士の大半が餓死を強いられたり、現地に住んでいた日本国民が自国軍に置き去りにされて死傷したりする事態が相次ぎました。 戦没者310万人のうち実に240万人が『海外』で死亡した。それが先の大戦の実像でした。日本は、個々の兵士の死に場所や死に方を遺族に伝えることさえできなかった国なのです。Q:中心部とは何でしょう。A:日本は『神の国』であり、帝国の中心に『本土』がありました。戦争終盤には『皇土』とも呼ばれます。軍部は『代々の天皇が国を治めてきた』という歴史上の理念の擁護者を自認しており、本土そのものの防備を完璧にするより外縁部で守ろうとしました。Q:沖縄はその皇土の中に含まれていたでしょうか。A:いなかったでしょう。沖縄もまた周縁部だったのです。 ■ ■Q:当時の日本軍内部には、米国には国力でかなわないという冷静な計算もあったと聞きます。なぜ、勝算のない対米戦争を回避できなかったのでしょう。A:石油問題など様々な要素がありますが、最終的には日本は、中国問題が要因となって対米開戦に踏み切ったのだと思います。米国が重視したのは、中国市場を含めた東アジアの自由貿易体制を日本が承認するかどうか、でした。日本はイエスと答えられなかった。 日本は満州事変(31年)で中国内部に満州国を樹立しました。米国から見ればそれは、日本が中国での権益を独占しようとする行動に見えた。最終的に米政府は41年、日本に中国からの撤兵などを求めるに至ります。日本が対米開戦を回避するためには、妥協が必要な状況でした。しかし日本にとって満州は『譲れない条件』になってしまっていたのです。 背景には、満州は日清戦争(1894~95年)と日露戦争(1904~05年)で血を流して獲得したものだという考えがありました。英霊の死を無駄にするなという主張が力をふるったのです。加えて、中国に対する過小評価もありました。西欧化した日本が中国のためにロシアから満州を奪還した、とする自己中心的な見方です。 満州は日本のものであるとの歴史観が『この国のかたち』になったのでしょう。独占をあきらめて自由な貿易に道を開く妥協への道は閉ざされました。Q:敗戦の約1年前、44年の7月には、自ら「絶対国防圏」と定めたサイパン島が米軍の手に落ちました。なぜ、敗戦が確定的になったあとも早期に戦争を終えられなかったのでしょう。A:指導層が『どこかで敵に一撃を加えることによって講和の条件を少しでも有利にしよう』と考えたからです。一撃講和論です。 今から見れば、当時の日本軍には『有効な一撃』を放てる態勢はありませんでした。唯一の『勝てる方式』と自認していた『精鋭による短期決戦での勝利』の可能性がすでに消え、戦争は、勝てないと分かっていた『長期の持久戦』へ移行していたからです。Q:なぜ、合理的な見極めが出来なかったのでしょうか。A:合理性を貫徹できる軍隊を持つ国があるとすれば、それは戦史を正確に編纂できる国、戦争を美談にしない国です。日本は残念ながら、日露戦争がぎりぎりの辛勝だった事実を隠した国でした。Q:最終局面で、日本の指導部は何を守ろうとしたのでしょう。A:徹底抗戦を呼号した軍部にとって、守るべき『本土』とは『国体』を意味していました。万世一系の天皇が君臨し統治権を総攬すること、つまり天皇制です。Q:先の戦争で日本は、侵略をしたのでしょうか。A:満州事変は、日本軍の謀略に基づく侵略でしょう。37年からの日中戦争は発端こそ偶発的な要因でしたが、戦闘が本格化して以降は相手国の土地への侵略だと思います。対米英戦での真珠湾への奇襲も侵略にあたるでしょう。 日本人は侵略を認めていないという批判があります。しかし2005年の世論調査(読売新聞)によれば、日本と中国の戦争を日本の侵略だったとする人は68%でした。無回答やその他が22%で、侵略ではなかったという積極的な否定論は10%に過ぎません。 ■ ■Q:戦争責任をめぐる議論もまだ続いています。A:朝日新聞が今年春に行った世論調査では、日本がなぜ戦争をしたのか『自ら追及し解明する努力を十分にしてきたと思うか』という問いに、『まだ不十分だ』と答えた人が65%もいました。『まだ分からない、もっと追及するべきだ』が国民の意思でしょう。Q:分かりにくさが付きまとう理由は何でしょうか。A:戦争があまりに巨大で悲惨だったからだと思います。日本が41年12月に米ハワイなどで対米英戦を始めたとき、国民の間には『中国大陸で戦争をしていると思っていたのに、なぜ?』という疑問があったでしょう。 気づくと、日本軍はビルマでも太平洋西部のトラック島でも千島列島でも戦っていた。『こんなに広い領域に軍を展開させ、こんなに多くの国を敵とする戦争を、私たちはいつ始めたのか』。当惑するしかないような不可視感があったと思います。Q:日本の戦争を否定的にとらえる歴史観は米国によって占領期間中に押しつけられたものだ。そんな「戦後」批判があります。A:占領期の国民がどう考えていたかについては、最近、印象的な史料に出会いました。降伏直後の45年秋に幣原喜重郎内閣が、大東亜戦争調査会というものを設置しています。戦争の原因と実相を日本人の手で調査し、記録に残すことを目的にした機関でした。 幣原首相はその記録を『後世国民を反省せしめ納得せしむる』ものにしたい、と発言していました。戦勝国にせよ敗戦国にせよ戦争は引き合うものではないのが現実であり、その参考になる記録にする、とも。 また、戦前に鉄鋼増産の立案に携わった水津利輔は46年5月に調査会で、『来るべき平和的、文化的世界に対して日本は一つの贈り物がある』と語っていました。贈り物とは、自ら『失敗原因の報告』をすることである。水津はそう発言しています。 連合国側の意向で、後に調査会の試みは中止させられました。ただ私は彼らの発言を読み、身についた言葉だと感じました。日本国民が戦後に到達していた一地点を示すものだと思います。Q:戦後の日本は、戦前とは違う憲法を持つ国になりました。新しい憲法は「日本人と戦争の関係」を変えたでしょうか。A:変えたと思います。たとえば、戦争中に『残虐な死』が大量に生み出されたのは、『すべての個人の生』を国家に捧げるよう国民に要請する時代だったからです。 他方、戦後の憲法は『基本的人権の尊重』を明確に定めている。国民はもはや国家に利用されるだけの存在ではなく、国家に対してそれぞれの『個』の存在が確保される形に変わっています。国民である以上、戦争の苦悩は受忍すべきだ――そんな考えは現憲法の認めるものではありません。 *加藤陽子:60年生まれ。東大教授。「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」「満州事変から日中戦争へ」「徴兵制と近代日本」など戦争に関する著書で知られる。<取材を終えて> 満州事変は侵略だったのか――。多くの歴史家にとっては自明のこんな問いを正面から立てなければならない政治状況に、今の日本はある。安倍晋三首相が近く発表する戦後70年談話のためだ。 「(日本の)植民地支配と侵略」についての「反省」と「お詫び」。新たな談話からこれらの文言が削除されれば、国際社会への負のメッセージになりかねない。 加藤陽子さんの言葉からは、歴史研究者としての責務を果たそうとする意志が伝わってきた。(編集委員・塩倉裕)もうすぐ、安部さんが、謝罪抜きの、力強い「戦後70年談話」を出すことになるが・・・ニッポンの内外が注目しています。2015/8/09首相談話「積極平和主義」反映=北岡氏より 安倍晋三首相が今月発表する戦後70年談話に関する有識者会議で座長代理を務める北岡伸一国際大学長は3日夜、BSフジの番組で、「日本が世界の平和にもっと協力していこうという姿勢を『積極的平和主義』という言葉で出した。(首相は)そういうことを入れようとしているのではないか」と述べ、安倍政権が掲げる「積極的平和主義」の姿勢が盛り込まれるとの見方を示した。 「あの戦争」とは加藤陽子2015.8.05 *********************************************************■2015.08.09XML「あの戦争」とはhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201508090001/
2025.02.14
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図書館で『小さいおうち』という文庫本を手にしたのです。おお「小さいおうち」いう印象的なNHKドラマを観た覚えがあるでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。観るのが先か、読むのが先かというテーマで著作や映画、テレビドラマを集めているニッチなツボが疼いた次第なんですが。【小さいおうち】 中島京子著、文藝春秋、2012年刊<「BOOK」データベース>より昭和初期、女中奉公にでた少女タキは赤い屋根のモダンな家と若く美しい奥様を心から慕う。だが平穏な日々にやがて密かに“恋愛事件”の気配が漂いだす一方、戦争の影もまた刻々と迫りきてー。晩年のタキが記憶を綴ったノートが意外な形で現代へと継がれてゆく最終章が深い余韻を残す傑作。著者と船曳由美の対談を巻末収録。<読む前の大使寸評>おお「小さいおうち」いう印象的なNHKドラマを観た覚えがあるでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。rakuten小さいおうちこの本は8編の短編小説で構成されているのだが、そのうち<第五章 開戦>の冒頭を見てみましょう。P165~167<第五章 開戦> 祝い終わった、さあ働こう。 皇紀二千六百年の祝典が終わった後、町のあちこちには、そんな標語が立てられた。 けれども、わたしが覚えている限りの時子奥様は、働くのは、まるで不向きだった。お祝いとか、お祭りとか、お出かけとか、お客様とか、「お」のつくことをなさるのが似合う方だった。ほっぺたを桃色に上気させて、楽しく過ごされるのが似合っていた。「一家に一つ門松を立てるのは贅沢すぎる」だの、「年賀郵便の虚礼は廃止」だの、そんな話を聞くたびに、つまらなそうな顔をなさった。あのころは銘仙流行りで、百貨店はこぞって宣伝していたけれど、「銘仙は昔作ったものが、わりにいいから、新しいものを仕立てる気にならないわ」 そう、おっしゃる奥様は、かわりに洋装の生地を買われて、「ねえ、わたし、タキちゃんの作ってくれる、ブラウスヤワンピースや、スーツのほうがいいわ。その方が自分好みのものができるんですもの」 と、わたしをおだてる。ミシンの使い方は、奥様から習った。それに、まるで中原淳一みたいな褒め上手だったから、出来上がると大喜びで、いい、いいとおっしゃった。「タキちゃんは、見えないところに手を抜かないのね。それがお裁縫のいtばん大事なところねえ。わたし、見た目にきれいにするのは得意だけど、あんがい雑なところがあるから早くほころびが出てしまったりするのよ。やっぱり、タキちゃんに頼むのが正解だわ」 なんといったってモデルがいいから、わたしも仕上げたものを見るのが楽しかった。「タキさん、なんでもよくするのねえ」 と、ご近所の奥様たちにも褒められたものだ。いい働き手は工場に取られて、女中のなり手がない時代だったから、よくまあタキさんほどの人がみつかったものだと、奥様はしょっちゅう言われていたらしい。「あらだって、嫁入り前から、もうずっといっしょなんですもの。そんじょそこらの女中さんとは、年季が違ってよ」 とびきりいいお召し物や宝石をほめられたときのように、自慢げに目を細める奥様を見るのは、自惚れをくすぐられるひと時であった。 また正月がやってきて、奥様は美しいお着物をお召しになったけれど、地味に、地味にと、世の中が言うものだから、柄の大きいお召し物は極力控えていらしたように覚えている。それでも奥様のお着物は上品で、上質な雰囲気があった。アレ この5章の方が最終章「小さいおうち」よりテレビ放映の「小さいおうち」に似ているがな。どないなってんねん。*********************************************************『小さいおうち』1:「小さいおうち」の冒頭■NHK「小さいおうち」https://www.nhk.jp/p/ts/QPN1RW1PYW/episode/te/M2N2KKG85N/
2025.02.14
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私の好物は一貫してカレーであり、幼少期はいわゆるライスカレーで、昨今ではインドカレーとなっております。街中のインドカレー屋の経営はどういうわけか、ネパール人となっているが、なんでや?と思うわけです。・・・ということで、以下のとおり復刻して調べてみます♪*********************************************************図書館に予約していた『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』という本を、待つこと7ヵ月ほどでゲットしたのです。我が町にもカレー移民「インネパ」が数軒あるので、日本全土なら数千軒あるだろうことは・・・考えられるわけで、興味深いのだ。【カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」】 室橋 裕和著、集英社、2024年刊<「BOOK」データベース>よりいまや日本のいたるところで見かけるようになった、格安インドカレー店。そのほとんどがネパール人経営なのはなぜか?どの店もバターチキンカレー、ナン、タンドリーチキンといったメニューがコピペのように並ぶのはどうしてか?「インネパ」とも呼ばれるこれらの店は、どんな経緯で日本全国に増殖していったのか…その謎を追ううちに見えてきたのは、日本の外国人行政の盲点を突く移民たちのしたたかさと、海外出稼ぎが主要産業になっている国ならではの悲哀だった。おいしさのなかの真実に迫るノンフィクション。<読む前の大使寸評>我が町にもカレー移民「インネパ」が数軒あるので、日本全土なら数千軒あるだろうことは・・・考えられるわけで、興味深いのだ。<図書館予約:(4/27予約、副本1、予約48)>rakutenカレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」「おわりに」でネパール人の温かさが報告されているので、見てみましょう。p316~322<カレー移民はどこへ行くのか> 京王井の頭線、浜田山駅。駅前の小さな商店街の一角に「まいた」はある。ふしぎな店名だが、「Maita」とはネパール語で「結婚した女性の故郷、実家」を意味するのだそうだ。これをカタカナではなく柔らかみのある平仮名で表記するあたり、日本人の心根をわかっているんだなと感じさせる。 きれいで明るい店内に入ると、店主の妻、サプコタ・ジャムナさん(33)が出迎えてくれた。「温かくて居心地のいい、お客さんの実家のような店になればって」 その言葉になんだかほっとする。笑顔も日本語も柔和で、親しみやすい人だと思った。 メニューを眺めてみる。ランチタイムはバターチキンをはじめとするナンとカレーのお得なセットを軸にしつつ、ビリヤニやチョウメン(焼きそば)なども用意されている。もちろんハニーナンやチョコレートナンもごまナンだってある。 壁には飲み屋使いのお客に向けた貼り紙もあった。 «ドリンク新メニュー 日本酒辛口とっくり一合400円» «ホッピーセット500円 焼酎(なか)200円 金宮使ってます» 拙い日本語だけど十分に読めるし、なによりも懸命さが伝わってくる。どうにか日本人に来てもらおうという気持ちを感じる。浜田山の人々をよく見て、どんな店が求められているのか日々考えているのだろう。だからなのか、店は常連が多いのだという。「街を歩いてて、声をかけてくれる人もいるよね」 会社員や学生、ファミリーから子づれのママ友、1杯飲みに来たおじさんたちにも親しまれ、街の風景にもすっかりなじんでいる「まいた」だが、浜田山に来てまだ5年だ。(中略) 不便な山奥から日本へと出稼ぎに行った人々が、カレー屋で稼いだお金でハティヤや、さらにはポカラなどに立派な家を建て、移り住んでいく。僕が現地で見てきたことを、サプコタさんも教えてくれた。(中略) やがて多くのコックの家庭と同様に、サプコタさん夫婦も独立をする。お金や保証人や、さまざまな面でそれまで一緒に働いていた親戚がサポートしてくれた。やはり大阪に出店すると、すぐにけっこうな人気店になったそうだ。夫は16歳のころからインドで、それからはネパールのチトワンでコックとして腕を振るってきた。その実力もあってのことだろう。大阪にもすっかりなじんだ。「ちょっとバグルンみたいな感じだよね、大阪は。みんなよく話しかけてきてくれるところが」 だけど、きにかかっていたのは日本で生まれた2人の子供たちのことだ。日本語はよくわかるようになったけれど、ネパール語も学んでほしい。ネパールの文かも知ってほしい。それに、先々の将来のためにも、英語をしっかり身につけてほしい。(中略) 異国で子供を育てて、働く。そんな日々を「たいへんはたいへんですよ」と、いかにもこなれた日本語で表現した。ふだんから日本人とよく接していないと、こういう言い回しは出てこないように思った。ところで、中国由来のアヘン薬・フェンタニルを使って現代のアヘン戦争をしかけるトランプ政権が登場したが(トランプさんが東インド会社)・・・関税を武器に世界に脅しをかけるところが怖いのである。
2025.02.13
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「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、西加奈子さんは♪で区別します。今回表示分は*)*『沈む祖国を救うには』まえがき*『知性について(仮題)』まえがき・これだけは確かなもの・兵庫県知事選とメディアの役割・自由の森学園創立40周年記念講演「教育と自由」・「パンとサーカス」解説・共感ベース社会の陥穽・死ぬってどういうことですか?・2024年度寺子屋ゼミのテーマは・箱根の温泉で感じた中国のリアル・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他・安倍政治を総括する・選挙と公約・無作法と批評性・徒然草 訳者あとがき・勇気について・病と癒しの物語『鬼滅の刃』の構造分析・「アウトサイダー」についての個人的な思い出とささやかな感想・コロナ後の世界 ・格差について・『コロナ後の世界』まえがき・紀伊田辺聖地巡礼の旅・成長と統治コスト・『日本習合論』中国語版序文・日本のイデオクラシー・後手に回る政治・倉吉の汽水空港でこんな話をした。(目次全文はここ)(その74):『沈む祖国を救うには』まえがきを追記2025-02-05 『沈む祖国を救うには』まえがきより 本書は主に2024年に書いた時評的な書きものを集めて一冊にまとめたものです。 時事的な文章をこれまで長く書いてきましたけれど、やはりだんだん危機感が募ってきているのを感じます。2008年に出た本のタイトルは『こんな日本でよかったね』でした。2010年の高橋源一郎さんとの対談本のタイトルは『沈む日本を愛せますか』でした。『沈む祖国を救うには』という今回のタイトルと比べると、この頃はまだずいぶん余裕があるのがわかります。 今の日本は「泥舟」状態です。一日ごとに沈んでいるし、沈む速度がしだいに加速している。 もちろん、どんな国にも盛衰の周期はあります。勢いのよいときもあるし、あまりぱっとしないときもある。それは仕方がありません。国の勢いというのは、無数のファクターの複合的な効果として現れる集団的な現象ですから、個人の努力や工夫では簡単には方向転換することはできません。歴史的趨勢にはなかなか抗えない。 勢いのいいときに「どうしてわが国はこんなに国力が向上しているのだろう」と沈思黙考する人はいません。そんなことを考えている暇があったら、自分のやりたいことをどんどんやればいい。でも、国運が衰えてきたときには、「どうしてこんなことになったのか?」という問いを少なくとも、その国の「大人」たちは自分に向けなければいけません。 自分でゲラを読み返してみて思いましたけれど、本書は「快刀乱麻を断つ」というタイプの書き物ではありません。取り上げているトピックはさまざまですが、実際には同じ一つの難問の周りを、視点を変え、言葉を替えながらぐるぐると回っている。そんな感じがします。 たしかにこの本を読むと、「どうして日本はこんなにダメになってしまったのか」については、それなりに理解が進むと思います。でも、「じゃあ、その問題をどう解決するか」「どうやってダメじゃない国にするのか」については解が示されていない。 僕にもわからないんです。 沈む祖国のために身銭を切ってくれる「大人」の頭数を増やすということしか思いつかないんです。 ですから、読み終えて胸のつかえが下りて、爽快感を覚えた...というようなことはあまり期待しないでくださいね。それよりは読者の中には、読んでいるうちに「自分こそが祖国に救いの手を差し伸べる『大人』にならないといけないのかな...」と思って、唇をかみしめるというようなリアクションをする人が出て来るような気がします。そういうふうに救国の使命感をおのれの双肩に感じる読者を一人でも見出すために僕はこれらの文章を書いたのかも知れません。「救国」ってすごい文字列ですね。自分で今書いてびっくりしました。久しぶりにこの文字を見ました。自分の文章の中でこの熟語を使った記憶が僕にはありません。そんなふうに使ったことのなかった言葉まで動員しないと、この現実に対する解を手探りすることができないくらいに現実は危機的だということなのだと思います。2025-01-20『知性について(仮題)』まえがきより そうやってメールでのやりとりが始まりました。最初の方の質問はYuYu出版社の編集者の方たちからのものです。途中からは、僕の著作のほとんどを翻訳してくれて、僕の韓国講演旅行のときの通訳である朴東燮先生が質問係りになりました。 一年くらいやりとりがあり、2024年に韓国語版が出版されました。タイトルは『無知の楽しさ』というものでした。どうして、そんなタイトルを付けたのか、僕にはよくわかりませんでした(そんなことについては別に書いてないんですけどね)。でも、先方がそうしたいというのなら、仕方がありません。 ところが意外なことに、この本が僕の本としては例外的に韓国ではよく売れました。ちなみに僕の韓国語訳はこれが51冊目だそうです。点数だけは出ているのですが、どれもそれほど売れません。でも、2024年に出た『図書館には人がいないほうがいい』と『無知の楽しみ』の二冊は(どちらも韓国語版がオリジナル)よく売れたそうです。これまで僕の本を手に取ったことのない新しい読者を獲得したと朴先生がうれしそうに知らせてくれました。 その本の日本語版を出したいというオファーがあったときに、大丈夫かなとちょっと心配に思いました。というのは、想定読者が韓国の読者だったからです。日本人なら当然知っているはずだけれども、韓国の人は知らないかも知れないことっていろいろありますよね。それについては、日本人読者には不要な「説明」をいろいろしなければならない。そういう説明は果たして日本人読者にとって「リーダブル」であり得るだろうか、考え込んでしまったのです。でも、改めて読み返してみたら、そういう説明って必ずしも「不要」ではないということがわかりました。 本書の中で「ローカルな限界から出られない書物」についての言及があります。それは「文化的バックグラウンドを異にする読者たちに対して説明することをしない書物」のことです。同じ母語話者で、かつ特定の趣味や政治性を共有する読者にだけ通じればいいという態度で書かれたものは、どれほど豊かな情報や深い知見を含んでいても、「ローカルな限界」がある。その限界を超えて海外に読者を獲得することはできない。 僕はできることなら、海外の、母語を異にする人たちにも自分の書いたものを読んで欲しいと思って本を書いています。その態度は30代で学術論文を発表するようになってずっとから変わりません。僕はフランス文学・哲学が専門でしたから、論文を書く時は「これをフランス語に訳した場合に、フランス人読者に意味がわかるかどうか」という問いがつねに念頭にありました。そういう「縛り」はフランス語に訳す必要がないものについても、ずっと感じていました。今でもそれは変わりません。だから、僕の本を例えば英語やフランス語に訳すということがあったら(今のところ一度もオファーが来たことがありませんが)、その作業はずいぶん楽なものだと思います。以降の全文は内田先生かく語りき62による。
2025.02.13
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石破さんとトランプさんの対談で、両者は同じ仲間として認識し、とりあえず、日米は中露という敵に対して共同歩調をとるようですね。だけど、今後、トランプさんという大きな難問に対して、どう対応をすべきかということで・・・以下のとおり12年前の状況と比較してみようと思った次第です。*********************************************************大富豪になる自由もあるが、貧乏人には過酷なアメリカ。地方の自治体にとっても、当然として、国は甘いわけではないようです。WEDGEからデトロイトの惨状を見てみるが、日本はどんな教訓を得るべきでしょうね?12/4破産法適用 「犯罪都市」デトロイトを歩くより 今年7月に連邦破産法第9条による更正申請を行ったデトロイト市。米連邦破産裁判所は12月3日、その適用を認める判断を下した。デトロイトでは殺人、レ〇プはそれぞれ1日1件のペースで発生し、強盗は日常茶飯事である。 デトロイトに到着後、市中を車で走っていると、「異形」と形容するに相応しい何とも薄気味悪い巨大建造物が目に飛び込んできた。地図を広げてみるが特に記載はない。近寄ってみると、それは1988年に廃駅となったミシガンセントラルステーションであることが分かった。1913年に建てられ、世界一の高さを誇る駅として名を馳せた。旧ミシガンセントラルステーション 窓ガラスはなく、有刺鉄線を上部に巻き付けたフェンスで囲まれていることから、駅に立ち入ることはできない。周辺はスラム化しており、人の気配はない。駅前にポツンと建っていた一軒家は放火された影響からか黒く焦げ、屋根は朽ちていた。<荒廃した「自動車の都」 デトロイト> 「トキョー」。オリンピック開催地決定の報せに東京は歓喜した。一方、吉報の届かなかった都市は大いに落胆した。イスタンブール、マドリッドでなく─デトロイトの話である。 もっともこれは2020年の夏季オリンピック招致を巡る話ではなく、遡ること約半世紀、1964年の夏季オリンピック招致の話である。ウィーン、ブリュッセルも最終選考に残っていたが、東京にとって最大のライバルと目されたのがデトロイトであった。 激しい誘致合戦を展開していた50年代、デトロイト市とその周辺地域はビッグスリーと呼ばれるGM(ゼネラルモーターズ)、フォード、クライスラーが本社を構える「モーターシティ」として栄華を極めていた。市の人口は180万人を超え、自動車関連の産業が雇用を創出、目抜き通りのウッドワードアベニューはニューヨークのフィフスアベニュー(5番街)のライバルと目される、大国アメリカを象徴する都市であった。 しかし─。今年7月、デトロイト市は約180億ドル(約1兆8000億円)というアメリカの地方自治体として最大規模の負債を抱え、裁判所に連邦破産法第9条(チャプター9)による更生申請を行った。日本で地方自治体財政破綻と言えば夕張市の事例が有名だが、第3セクターや公社を含む負債総額は600億円程度である。180億ドル(1兆8000億円)というデトロイト市の負債規模に改めて驚く。 デトロイト市内の路地。こうした光景は市内の至るところで見ることができる。 「市内は凶悪犯罪が多くとても危険。移動はタクシーを使うなど、極力歩かないほうがいいよ」。住民はそう教えてくれた。ダウンタウンの中心部には、GM本社やマリオットホテルなどが入居するルネッサンスセンターがあるが、その周辺わずか数百メートル四方のエリアを除けば、市内は廃墟となった家屋やビルが目立つ。公園にはホームレスがたむろしており、とても子どもが遊ぶ環境には見えない。 デトロイト到着日の夕刻、レストランを探しに市内を歩き回ったが、営業している店舗が見付からず、夕飯にありつくのに苦労した。治安が極端に悪いことから、夜は早々に営業を終える店舗が多いという。廃屋はギャングのたまり場や麻薬取引の場になっており、かつて全米を代表する都市であった「自動車の都」の姿はなかった。 デトロイト市にまつわる統計データは悲惨だ。〇人口68万人(最盛期は185万人で60%超の減少)◯失業率18.3%(全米平均8.0%)◯暴力犯罪率は全米一で国内平均の5倍(20万人以上の主要都市)◯年間13万件超の犯罪が発生し、検挙率はわずか8.7%◯1年間で殺人344件、〇姦426件、放火958件、強盗・窃盗・盗難4万8735件◯街灯の40%が故障◯警察官は通報してから到着するまで平均58分(全米平均11分) ふつう住みたいとは思わないだろう。<取り残された?黒人貧困層> デトロイト市の人口動態を分析すると、面白い現象に気付く。下の図を見ると一目瞭然だが、デトロイト市内の白人比率は年々低下してきた一方で、黒人比率は年々上昇した。50年代の白人比率は80%を超えていたが、現在では完全に逆転し、80%超が黒人となっている。 デトロイト市が華やかなりし頃、「デトロイトに行けば職がある」とアメリカ国内から多くの労働者がやってきた。海外からの移民もおり、実際、取材をしている中でギリシャ、バングラデシュ、パキスタン、ポーランド系のアメリカ人と出会った。だが、移住者の圧倒的多数はアメリカ南部で差別に苦しんでいた黒人であった。彼らは市内に居を構えた。 しかし、白人優位の差別政策に黒人が反発し、67年に大規模な黒人暴動が発生した。以来、「ホワイトフライト」と呼ばれる白人の郊外移住が加速した。「モーターシティ」らしくデトロイト周辺地域にはハイウェイが整備され、郊外とのアクセスは良好であったが、皮肉にもこれが郊外化を助長した。企業も安価で広い土地を求め、郊外へ去っていった。(中略) デトロイト市の破綻は複数の要因が絡み合った結果である。「自動車産業の凋落」も要因の1つであるが、これを最大要因とする声は少ない。 ミシガン大学のマーティン・ジマーマン教授は「デトロイト市は人口が減り続ける中、インフラを往年の規模のまま提供し続けた。そして公務員OBの年金や医療保険もそのままにしておいた。つまり、市は縮小する状況に対して、有効な手を打たなかった。これが大きな要因」と説明する。 市の負債180億ドルの約半分は年金、医療保険の支払いといったいわゆる「レガシーコスト」である。現在、退職して年金をもらっている市の元職員の数が現職の約2倍、2万人もいる。デトロイト市の破綻手続きに関する今後の裁判では、いかにレガシーコストを引き下げるかが焦点となっているが、公務員OBは引き下げに反対し、市内でデモを行っている。強力な労働組合と州憲法の規定もあり、改革は一筋縄でいくものではない。市債の償還と利払いも大きな負担としてのしかかっている。市債の負担軽減は破産手続きを経る必要があり、投資家との交渉という難題も待ち受ける。 前出のジマーマン教授は「自動車産業だけに頼るのではなく、ハイテク産業を誘致するなどして、税収を増加させるとともに、治安や教育レベルを向上させ、働きたくなる、住みたくなるような町づくりを推進すべきであった」と続ける。「デトロイト市の破綻原因は行政の怠慢」と言い切る人も多くいた。まあ 酷いほどの惨状ではないか。多民族国家、連邦制など日本とベースが違うので、日本向けにフィットする教訓はあまり無いように思うのだが・・・つまり、日本の場合、こうなる前に都道府県や国家が介入するだろうと思うが、それが(ほぼ)単一民族のまとまりなんだろう。でもデトロイト市の惨状から以下のような教訓を見出すことができるのではないでしょうか?・企業城主に頼らない町づくり・地方自治体の財政(既得権益システム)の甘えを許さないこと。・日本には、夕張市の予備軍のような地方自治体が多いとか。・中央官庁を真似たような市債経営は破綻の危険をはらむ。・アベノミクスは投資家優遇、企業優遇、地方切捨てを目指している。*********************************************************2013.12.12XMLデトロイトの惨状https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201312120000/
2025.02.12
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図書館で『韓国の変化 日本の選択』という新書を手にしたのです。おお 日韓の比較ってか、これは興味深いテーマではないか♪以前は日本が強く、今では日韓で拮抗しているレベルではあるが。・・・ということでチョイスしたのです。【韓国の変化 日本の選択】道上尚史著、筑摩書房、2022年刊<「BOOK」データベース>より従軍慰安婦や「徴用工」問題をめぐる歴史認識、経済、教育からコロナ対応まで。日本と韓国の溝がますます深まっている。日本が経済成長を遂げ、アジアを牽引した時代はすでに過去のものとなった。一方、韓国はグローバリゼーションに適応し、飛躍的な変化を見せている。この現実から目を背けず、近くて遠い隣国とどう向き合うべきか。長きにわたり韓国に駐在し現地事情に精通した外交官が、韓国市民の本音や日本観を冷静に分析。中国や世界も視野に、日本の進むべき道を提言する。<読む前の大使寸評>このところインフラ劣化などのせいで、ガタツキが目立つニッポンであるが・・・この際、韓国や中国を睨みながらニッポン復活を期すべきではないかと思いチョイスしたのです。rakuten韓国の変化 日本の選択「第2章 韓国の日本観」で南北統一について、見てみましょう。P102~106<5 安保意識の日韓「逆転」と北朝鮮>■安保意識の「逆転」 前章で、1990年を境に、前後を「古くよくない時代/新しいよい時代」と二分する韓国の時代感覚を紹介し、そこには対外関係も含まれると述べた。実は1990年頃まで、米国との同盟関係について、国民レベルの指示においては、日本より韓国のほうが優等生だった面がある。韓国国民は、北朝鮮からの現実の脅威を何度も経験し(最たるものは1950年からの朝鮮戦争)、安全保障の厳しい現実をよく理解していたからだ。 かたや当時の日本の世論は、戦争絶対反対を叫ぶ一方で、ソ連や中国、北朝鮮からの脅威認識は薄かった。「一国平和主義」と言われるほで、海外からの脅威認識は弱く、世界各地で戦争や内乱が発生している現実感覚も薄かった。新聞では「米国一辺倒」を戒める論調も多かった。「平和憲法があれば日本の安全は大丈夫」とでもいうような、ややユートピア的な状況さえあった。(中略)■北朝鮮に対する韓国の感覚 90年代末のソウル勤務時に気付いたことがある。北のミサイル発射に韓国政府は一応の公式見解を発表するものの、国民はまるで他人ごとなのだ。韓国の軍の船舶が攻撃され死者が出れば、一事は北への非難の声も上がるのだが、程なく消えてしまう。この「安保不感症」「他人ごと」傾向を嘆く。軍出身の年配の知人は、こう解説した。「昨今の韓国民は、北から武力攻撃を受けても、南北連絡事務所を爆破されても、現実感覚があまりない。あ、またやってるなとゲーム感覚で観ているようです。一つは北を実態以上に見くびってるのです。装備が古くても制服がボロくても、田舎のやくざではなくれっきとした国軍だと、私はいつも言うのです。互いにゲームをしているだけだと若い連中は見ているようですが、これは非常に危うい」 2017年に北朝鮮が核実験を行った時、私が載ったタクシーの運転手は、「北はよくやっている。経済は我々韓国が一歩前をいくかもしれんが、世界を向こうにまわし堂々と立ちまわってるのは、北だね」と称賛していた。これを米国人の大学教授に話すと、「そうなんだ、北の核・ミサイルが素晴らしいと言わんばかりの韓国人が多いのには驚く。きたがいいと思ってる人などいない、むしろ北を憐み見下しているのに、なぜ拍手するのかね。米韓同盟はどこへ行ったのかと思うね」とうなずいていた。 日本人は「南北統一は民族の熱い願い」と考える。だが、北朝鮮に対する韓国国民のホンネは、日本の想像より冷めている。幾度となく聞いた話を紹介したい。「北はできの悪い遠くの親戚みたいなもの。顔も知らないしあまりに評判が悪くて関わりになりたくない。家に転がり込んでくるなんてとんでもない、勘弁してほしい。親戚だから、あまり突き放した様子は見せられないだけ」ウーム 北の核・ミサイルを今もこんなに見ているのだろうか?・・・それはないで。*********************************************************『韓国の変化 日本の選択』2:韓国の変わり様『韓国の変化 日本の選択』1:韓国社会の現在
2025.02.12
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図書館で『韓国の変化 日本の選択』という新書を手にしたのです。おお 日韓の比較ってか、これは興味深いテーマではないか♪以前は日本が強く、今では日韓で拮抗しているレベルではあるが。・・・ということでチョイスしたのです。【韓国の変化 日本の選択】道上尚史著、筑摩書房、2022年刊<「BOOK」データベース>より従軍慰安婦や「徴用工」問題をめぐる歴史認識、経済、教育からコロナ対応まで。日本と韓国の溝がますます深まっている。日本が経済成長を遂げ、アジアを牽引した時代はすでに過去のものとなった。一方、韓国はグローバリゼーションに適応し、飛躍的な変化を見せている。この現実から目を背けず、近くて遠い隣国とどう向き合うべきか。長きにわたり韓国に駐在し現地事情に精通した外交官が、韓国市民の本音や日本観を冷静に分析。中国や世界も視野に、日本の進むべき道を提言する。<読む前の大使寸評>このところインフラ劣化などのせいで、ガタツキが目立つニッポンであるが・・・この際、韓国や中国を睨みながらニッポン復活を期すべきではないかと思いチョイスしたのです。rakuten韓国の変化 日本の選択「第1章 韓国社会の変化」で韓国の変わり様について、見てみましょう。P48~52<4 韓国社会の現在>■コンプライアンス社会と同調圧力 韓国社会は変わったと私が肌で感じたのは、2020年のソウル、家の近くのコンビニでの小さなできごとだった。店に入ろうとすると10歳ぐらいの男の子が大声で泣きながら、真っ赤な顔で店を出て行くのだ。若い店員にどうしたのかと聞いた。 その子はお父さんに言われて煙草を買いに来たのだった。店員いわく、「そうだとわかってはいますが、規則で子供には売れないと答えました。頭の回る子だったようで、スマホでお父さんを呼び出し、私(店員)に説明するのです」。「でも同じことで、私はうれません。非難されるのは私ですから。ダメと言ったら、泣いて出ていったんです」と。 これは、1980年代以来韓国で暮らして来た私に大きなショックを与えるできごとだった。かつての韓国は「ケンチャナー」(かまわん、気にしない、大丈夫)という便利なことばで、ルールを気にしない、自分のやりたいようにやることを誇る国だった。臨機応変、融通無碍を得意げに語る人も多く、「規則にとらわれるのは男がすたる」という発想だった。「まじめだけど、細かいことにこだわって融通が利かないのは日本のよくないところですね」とよく言われた。それが今の韓国は、このようなコンプライアンス社会なのだ。 新型コロナの感染拡大が始まった2020年2月の夜、私は町の語学学校で英語を勉強していた。建物に入るとき、体温とQRコードをチェックし、氏名等の書類記入を全受講生に求めていた。20代の学生も40~60代の社会人受講生も、誰一人面倒がらずにおとなしく従っているのが印象的だった。私の知るかつての韓国なら、「毎日来てるんだ、おれの顔覚えてるだろう」と、書類など書かずに入ろうとする(暴れる)中高年が何人かきっといたはずだが。 豊かな社会となって人も角が取れ、ルールどおり、皆が周りの人と同じくずるずると流れる。なんと従順なことか。 ここから先は私の想像も含むが、「邪悪な日本、帝国主義の残渣」「日本は過去を謝っていない。軍国主義が残っている。いあんふがいたことを否定している」などというよくある誤解・偏見についても、それが社会の大勢だとして順応する人が多くなってしまったのではないだろうか。首をかしげても、ことを荒だてず受けいれるのではないか。 コロナ対策を現地で見た際にも、韓国は「同調圧力」がとても強い社会になっていると痛感した。これは後で述べることにする。 ■変わらないこと 親切、近い距離感、勝ち馬に乗る 韓国社会の変わらない特徴を三つ書いてみる。 一つは、人が親切なこと。日本に住む外国人が口をそろえて日本人は親切だと言うし、私も同感だが、韓国人も親切だ。子供が小さい頃、アパート近くの公園でまわりの親子や行き交う人たちがよく話しかけてくれ、ものを教えてくれた。小さな子供がいると特に親切にしてくれる。 世界各国で生活体験がある日本人はこう言っていた。「イギリス人は、人種の平等には神経を使うが、目の前の外国人家族には無関心だった。イタリア人は人なつっこく話しかけてくれるが、面倒なことには関わりたくない様子だった。韓国人はイタリア人に似ているが、より親身になってくれる」。私もそう思う。 なお、「置き忘れたものがしばらくしてもそこにある。電車に忘れ物をしても戻ってくる」というのは日本のよいところだが、近年の韓国はそれに近い現象がある。 日韓比較で、「日本が世界の標準でない」ことを留意したほうがいいと思う。親切さや社会の規律について、日本は例外なのだ。韓国は世界の中で十分に高い水準だと思う。 二つ目は、友人間の距離感の近さ。隔意なくつきあうし、悪く言えばお節介で人の領域にずんずん入ってくる。日本生活が長く韓国に来たばかりというアメリカ人女性の話が面白かったので、紹介しよう。「日本でも韓国でも、女友達と一緒に買い物に行った。どの洋服を買うべきか迷って私が聞くと、日本の友達は、あなたがいいとおもうものにしなさいと言う。韓国では、まだ親しくもないのに、あんたこの服絶対だめよ太って見えるとか、そんな靴やめなさいなどと、聞く前に言ってくる。日本人と韓国人は見た目は似ているのに、人の性質は正反対ですね」。 韓国のやり方は日本では顰蹙(ひんしゅく)。日本人は冷たいと韓国人は感じるだろう。 1980年代の下宿時代、学生3、4人共同のシャワー兼トイレがあった。自分のしゃわーやせっけんの減りが早い。手元にある友人のものは構わず使うのが当然だったのだ。これは今では少し変わったと聞く。 三つ目。年長の知人の話だ。韓国の経済社会を深く知り、日本通でもある識者だ。「日本人は本を10冊読んでもよく知らないと言い、韓国人は1冊読んだだけで、すべて知っているかのように話す、と昔言われました。その差は今もある気がします。ただ、韓国でより深刻なのは、時々の空気や流行に要領よく合わせて勝ち馬に乗ってしまい、長期的な視点を持てないことです」。ウン 似ているが微妙に(あるいは全く)違う韓国♪ 今まで途切れずにフォローしてきたが、興味は尽きないですね。*********************************************************『韓国の変化 日本の選択』1:韓国社会の現在
2025.02.11
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図書館で『日本を壊した霞が関の弱い人たち』という本を手にしたのです。昨今のニッポン停滞30年の原因は何だったのか?という疑問が、常に頭の隅にあるわけで・・・この本に即食いついて借りた次第です。*********************************************************【日本を壊した霞が関の弱い人たち】古賀茂明著、集英社、2020年刊<「BOOK」データベース>より失敗だらけのコロナ対策、モリ・カケ問題、公文書改ざん…官僚の変わらない性と長期政権で生まれた新しい生態。菅政権でも続く霞が関腐敗の本質を読み解く!<読む前の大使寸評>昨今のニッポン停滞30年の原因は何だったのか?という疑問が、常に頭の隅にあるわけで・・・この本に即食いついて借りた次第です。rakuten日本を壊した霞が関の弱い人たち「第2章 官僚とは何か」で生々しい「官僚の限界」例を、見てみましょう。P75~77<「弱い人の集団」がしでかす、とんでもないこと> 多くの官僚は普通の人と同じで「弱い人」だと聞くと、少し安心するかもしれない。しかし、官僚が必ずしも悪人ではなく、強い人でもないから大きな問題が出ないかというと、そうではない。「弱い人」が役所に蔓延る(はびこる)と、どうなるのか。 森友学園問題については後でまた詳述するが、この事件は、弱いけれどなまじ知恵の働く人々が集まると、どんな悲劇が起きるのかということを如実に示している。 現場の職員に改ざんを強要し、改ざんした文書を堂々と行使する。しかも、一連の不正に多くの職員が関与しながら、また、何回もその不正を止めるチャンスがあったのに、結局誰もそれを止められず、次の項で書くが、正義を貫こうとした職員、赤木俊夫さんを自殺にまで追い込んでしまった。 実は、役人が中途半端に「優秀」だから傷が深くなるという面もある。なまじ頭が働くために、複雑な理屈(客観的にはタダの屁理屈)で、自分たちの行為を正当化したり、なんとか隠し通すための悪知恵を働かせたりできるのだ。頭が働かなければ、簡単に諦められたのに、ということになる。「弱い人」の集団では、前例を破って自分たちの代から正しい道を選ぶという「勇気ある決断」はできない。もともと、森友学園に格安で土地を譲渡したのが諸悪の始まりだったが、その交渉に当たったのは、改ざんを主導した佐川宣寿理財局長(当時)の前任者・迫田英典氏である。佐川氏は、迫田氏の不当な行為を正当化するために自ら信じられない不正に手を染めてしまったわけだ。 あれだけの不正を働いた背景には、もうひとつ、キャリア官僚の任期が1年か2年の短期だということがある。その期間だけなんとか無難に過ごせばよいという意識もその判断を後押しする。現に、佐川氏は在任中にはその不正はバレず、めでたく国税庁長官に昇進した。 朝日新聞のスクープで改ざんの事実が暴露されたら、普通は諦めるのではないかと思うかもしれない。だが、表に出て謝罪し、自ら責任を取るという勇気がなかった。彼も弱い人間だったのだ。その結果、現場でひとりでその責任を押しつけられようとした職員が、自らの死をもって真相を告発するという結果を招いてしまった。「弱い人」の集まりである官僚たちは、一度悪の泥沼にはまると、自力では決してそこから抜け出せない。一度そうなってしまった集団には性善説も性弱説も通用しない。残念ながら、その場合は「性悪説」で臨むしかないということになる。ウーム 官僚たちは「弱い人」の集まりと言わざるを得ないのか?・・・時の政権党の方針に忖度するばっかりではあかんでぇ。*********************************************************『日本を壊した霞が関の弱い人たち』3:官僚の限界『日本を壊した霞が関の弱い人たち』2:「外交の安倍」ブランド『日本を壊した霞が関の弱い人たち』1:安倍政権のコロナ対策
2025.02.11
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図書館で『日本を壊した霞が関の弱い人たち』という本を手にしたのです。昨今のニッポン停滞30年の原因は何だったのか?という疑問が、常に頭の隅にあるわけで・・・この本に即食いついて借りた次第です。*********************************************************【日本を壊した霞が関の弱い人たち】古賀茂明著、集英社、2020年刊<「BOOK」データベース>より失敗だらけのコロナ対策、モリ・カケ問題、公文書改ざん…官僚の変わらない性と長期政権で生まれた新しい生態。菅政権でも続く霞が関腐敗の本質を読み解く!<読む前の大使寸評>昨今のニッポン停滞30年の原因は何だったのか?という疑問が、常に頭の隅にあるわけで・・・この本に即食いついて借りた次第です。rakuten日本を壊した霞が関の弱い人たち「第2章 官僚とは何か」の冒頭で「官僚の限界」を、見てみましょう。P64~66<「官僚は優秀」という神話>「優秀」で「青雲の志を持った」若者が官僚になるが、出世の階段を上るにつれてしがらみにからめとられ、省益,自己益優先の堕落した幹部になっていく・・・そんなストーリーを聞いたことのある人は多いのではないか。私も、そんな風に思っていた時期があった。 しかし、役所を辞めて数年たったところで、どうもこの説は間違っていると考えるようになった。 まず第一に、官僚は世の中でいわれるほど「優秀」ではない。官僚、とりわけキャリア官僚(国家総合職試験に合格し、中央省庁に採用された幹部候補の国家公務員)たちが一般に「優秀」だといわれる根拠は何かと考えると、その根拠の9割は一流大学卒だということになりそうだ。それ以外にはあまり有力な理由が見当たらない。強いて言えば、あとの1割はおそらく政治家に比べて頭がよさそうだということではないだろうか。 政治家自身が仕事を通じて官僚は自分よりも頭がよいと認め、地元などで官僚は優秀だという話をする。それを聞いた一般の人やマスコミの人たちは、官僚は優秀で頭がいいらしいと思い込んでいるのかもしれない。 確かに、キャリア官僚は東大をはじめ一流といわれる大学卒であることが多い。しかし、学校教育は小学校から大学まで合わせても16年間だ。一方、一流大学を出た後、幹部になるまで30年以上役所で生活している。30年前に優秀だったから、今も優秀だという保証はまったくない。 しかも、「優秀」とは、特に幹部官僚についていえば、「30年も前のことだが、ペーパーテストなどの試験はよくできた」という意味でしかない。 今、日本が置かれている環境は非常に厳しい。しかも、直近では、「ポストコロナ」の社会をどうつくるのかという世界中の賢人たちでさえ答えを出し切れれないような課題に対応していかなければならないのだから、気が遠くなるような難題である。そのための政策を立案するのは官僚の仕事だが、ここで問題になるの、「秀才」の限界だ。 彼らは、筆記試験にはめっぽう強いが、この筆記試験の最大の特徴は、「正解は決まっている」ということだ。この世界では、主に過去問を解くことでスキルアップができる。官僚が前例を大事にする習性を持っているのは、過去問を解くのと同じく前例をヒントとすることで答えをつくろうとするからだ。 ところが、「ポストコロナの社会づくり」という課題の答えを書こうと考えたとき、そこにはあらかじめ決まった正解などどこにもない。個別の制作など、社会保障をどう維持するのか、貧困と格差の問題をどう解消していくのかなどは過去の延長線上で答えを書くのではなく、白紙に絵を描くときのように、自らの発想力が試されるのだ。ところが、こうなると多くの秀才たちはお手上げ状態になる。官僚の能力の中核というべき「政策立案能力」において、彼らは決して優秀とはいえないのである。<「青雲の志」も神話> そして、幹部官僚たちがどうしてその地位に上り詰めることができたのかを考えたとき、より深刻なことに気づく。それは、「官僚として国民の役に立つ」からというよりも、「所属する役所のためにどれだけ役に立つのか」で評価されたからということである。つまり、幹部官僚は役所から見れば優秀かもしれないが、国民から見れば、優秀とはかぎらないのである。 この点は、後に述べる官僚の「性弱説」に密接に関連するのだが、官僚の能力として、最も重要なのは、実は政策立案能力ではない。それ以前に、自らを律する能力において、一般人よりも高いものがもとめられているということを忘れてはならない。官僚には大きな権限がある。正しく使えば国民のためになるが、、誤った方向に使えば、とんでもなく大きな害悪をもたらす恐れがある。 だからこそ、国民の利益と省益あるいは自己の利益がぶつかるときに、自己の利益を犠牲にして国民の利益を優先する強い自己規律能力が求められるのだ。しかし、東大を出たからといって、この面で優れているという保証はまったくない。実際には、通常の人よりも自己規律力が弱い人さえいる。ウン まったくの正論であるが・・・この程度のことはお役人と関わった人にとっては「常識」でおまんがな。*********************************************************『日本を壊した霞が関の弱い人たち』2:「外交の安倍」ブランド『日本を壊した霞が関の弱い人たち』1:安倍政権のコロナ対策
2025.02.09
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何を読むか、あるいは何を書くかに戸惑ったときは、そうだ!村上春樹やで(私の場合)・・・で、以下のように復刻しようと思い立った次第です。*********************************************************『村上春樹(BRUTUS 21年10/15号)』という雑誌が最寄の本屋で売り切れだったので、三宮に出かけた際に購入したのです。買った後で中を見たのだが「翻訳家として何がすごいのか?」とか「私的読書案内 51 BOOK GUIDE」とか色んな切り口があって・・・楽しめそうでおます。【村上春樹(BRUTUS 21年10/15号)】雑誌、マガジンハウス、2021年刊<商品説明>より1979年に『風の歌を聴け』でデビュー後、文芸の本流を担ってきた村上春樹。同時代を生きるブルータスが、ついにこの稀代の作家に向き合います。村上春樹と読み、村上春樹を読む。村上さんが手放せない51冊の本について28ページにわたって書き下ろし。著作から時代を読み解く年表や、早稲田大学<村上春樹ライブラリー>案内も。【目次】より・村上春樹の私的読書案内。51 BOOK GUIDE ・特集「ドイツの『いま』を誰も知らない!」・年表で探る。文芸・社会学・カルチャーで振り返る、村上春樹の時代。・翻訳家として何がすごいのか?<読む前の大使寸評>買った後で中を見たのだが「翻訳家として何がすごいのか?」とか「51 BOOK GUIDE」とか色んな切り口があって・・・楽しめそうでおます。rakuten村上春樹(BRUTUS 21年10/15号)翻訳家としての村上春樹が語られていいるので、見てみましょう。(対談者:辛島デイヴィッド×小野正嗣)p91~93<翻訳家として何がすごいのか?(続き)>■精読に精読を重ねて最適な言葉を選びとる。辛島:日本語としての滑らかさに関して、僕は一人称の訳し分けが達者だなあと思います。ここではチーヴァーの短編『再会』から例を挙げました。カーヴァー作品などでも“僕” “俺” “私”といった一人称の揺らぎは頻出します。小野:つまり翻訳した先の日本語のリアリティに寄せているんですね。僕らも普段、それがフォーマルな場か、カジュアルな場かといったTPOに合わせてほとんど無意識に一人称を変えるわけだから。辛島:村上訳はその精度が高い。微妙な差をすくい取って訳し分けていると感じます。もう1ヵ所挙げたカーヴァー『風呂』は、できれば音読してみてほしいです。 日本語は主語を省いても成立する言語ですが、この部分を“The birth-day boy”という主語を「誕生日を迎えた子供」という、英語の語感より長く、耳につく単語に訳し出したうえで、あえて省かず残している。それによって日本語がリズムを持って立ち上がり、シーン全体がより印象深いものになっています。小野:精読を重ねて最適な日本語を導き出しているんですね。村上さんの翻訳の多くを、翻訳者でアメリカ文学者の柴田元幸先生がチェックしているのはファンならよく知っていること。 柴田先生には僕も昔からお世話になっていますが、翻訳とはどのような行為なのかについて、こんなふうに話しているのを聞いたことがあります。「自分だけが踏み台の上に乗っていて、壁の向こう側の庭で起きている面白いことが見えている状態で、そこで何が起きているのかを壁の手前側にいる友達に実況中継してあげること」であると。村上さんは、その “実況中継”がとても上手。実際にその場に身を置いて描写している感じです。 音が聞こえ、匂いまで漂ってくる、そんな訳文が多いですね。それは一つには、豊富な語彙力と卓越した描写力があるということだと思います。自身の書き手としての優れた力が翻訳でも生きている。辛島:言葉の引き出しがとてつもなく多いのでしょうね。そういう語彙力と描写力を示す一つの例として、僕は『グレート・ギャッピー』から例を挙げました。フィッツジェラルドの原文ももちろん美しいですが、訳文もそれを損なうことなく写し取っている。会話体より地の文に力が発揮されることが多い気がします。小野:(中略)それから“ritually humble”の「表向き謙遜」という訳は、なにげないけど、僕には出てこない言葉遊びです。どれも原文と比較しながら訳文を読むと「ああなるほど!」とは思うものの、もし自分で訳したら絶対に思いつけない(笑)。Q:翻訳作品が村上さんの小説に生きている、あるいはその逆はあると思いますか?辛島:うーん、何かしらはあると思います。なんせ翻訳作業は高校生のときから好きでやっていたと言っているくらいだし、『騎士団長殺し』は『グレート・ギャッピー』へのオマージュだったりするし。小野:翻訳を通じて小説を学んだ感じはあるんじゃないかなあ。小説家としてデビュー時にもアメリカ現代文学の影響は指摘されましたし。ただしさすがだなと思うのが、好きな作家のように書いてみようと思ったところで、普通はそううまくはいかないことです(笑)。■“村上さんの訳”が読めるのは日本語で読むことの特権。辛島:あとは、小野さんと二人で「やれやれ」という訳語を拾ってみたのですが(point5)、想像以上に意味のレンジが広かった。小野:引き出しという点では「やれやれ」の引き出しだけ異様に大きい(笑)。小説の「やれやれ」を知る手がかりにもなるのかもしれない。<point5>【原文】“My God, I believe the man's coming,”said Tom.【村上訳】「やれやれ、あいつほんとうに来るみたいだな」とトムは言った。***********************************************************【原文】Someone yelled, “Bingo!”“Christ,”James Packer said.【村上訳】誰かが叫んだ、「ビンゴ!」「やれやれ」とジェームズ・パッカーは言った。『村上春樹(BRUTUS 21年10/15号)』5:翻訳家としての村上春樹『村上春樹(BRUTUS 21年10/15号)』4:51冊からマンガに関する2冊『村上春樹(BRUTUS 21年10/15号)』3:村上さんの書棚『村上春樹(BRUTUS 21年10/15号)』2:冒頭のインタビュー『村上春樹(BRUTUS 21年10/15号)』1:辛島デイヴィッド×小野正嗣による対談*********************************************************■2021.11.20XML『村上春樹(BRUTUS 21年10/15号)』5https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202111200002/
2025.02.09
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図書館で『韓国の変化 日本の選択』という新書を手にしたのです。おお 日韓の比較ってか、これは興味深いテーマではないか♪以前は日本が強く、今では日韓で拮抗しているレベルではあるが。・・・ということでチョイスしたのです。【韓国の変化 日本の選択】道上尚史著、筑摩書房、2022年刊<「BOOK」データベース>より従軍慰安婦や「徴用工」問題をめぐる歴史認識、経済、教育からコロナ対応まで。日本と韓国の溝がますます深まっている。日本が経済成長を遂げ、アジアを牽引した時代はすでに過去のものとなった。一方、韓国はグローバリゼーションに適応し、飛躍的な変化を見せている。この現実から目を背けず、近くて遠い隣国とどう向き合うべきか。長きにわたり韓国に駐在し現地事情に精通した外交官が、韓国市民の本音や日本観を冷静に分析。中国や世界も視野に、日本の進むべき道を提言する。<読む前の大使寸評>このところインフラ劣化などのせいで、ガタツキが目立つニッポンであるが・・・この際、韓国や中国を睨みながらニッポン復活を期すべきではないかと思いチョイスしたのです。rakuten韓国の変化 日本の選択「第1章 韓国社会の変化」で韓国の強さの秘密について、見てみましょう。P39~42<4 韓国社会の現在>■まわりに気をつかう、マネー志向 先に1980~90年代の社会について紹介したが、その後、韓国社会には大きな変化があった。経済と社会の発展はめざましい。心から敬意を表したい。職業や男女、人種の差別意識は、眼に見えるところでは少なくなった。日本の一部には誤解もあるが、韓国人は周囲の目をとても気にし、学歴や宗教、ときに出身地の話題には神経を使う。「差」「色分け」が現れるのを恐れるのだ。 ソウル大学のビジネスマンの知人は、初めて会った人たちとの間で出身大学が話題にならないか、いつもびくびくするそうだ。自分だけがソウル大卒だとわかると気まずいからだという。 もう一つの例。記者出身の知人から「毎月十数人集まって懇談会をする。道上さん、今度来て日本や中国の話をしてください」と声をかけられ、「いいですけど、参加者はどういう人たちですか。保守とか進歩とか?」と聞くと、一笑に付された。「いやそんな、政治が絡む話などしませんよ。考えの違いが出て気まずくなりますし」と。「豊かな成熟社会」を物語る話なのだろうか。政治の「あるべき論」を熱く議論する、私の知る韓国でなくなったようで、物足りなさも感じた。 いい意味での成熟社会というより、「金持ち喧嘩せず」「人の顔色を見て波風立てない」、小市民的な大勢順応なのか。20年前、「成熟社会だから日本を合理的に見る。非理性的な感情はコントロールできる」と言っていた、その成熟とは違うような気がする。 さて、80年代と違い今の私は、高校生や大学生のホンネに接する機会があまりない。そこで、韓国の大学院で学んだ後、大学で教鞭をとり学生たちに日々接する日本人の先生方から話を聞いてみた。―親の経済力と社会的地位で自分の人生(進学、就職、結婚)もほぼ決まるという思いを、学生は強億持っている。「親の経済力は別の話」が基本である日本とはちがう。決定論と絶望とあきらめがある。大人の世界では、不動産投機の情報、一流デパートやホテル、ゴルフ場等の大幅割引クーポン、海外留学・移住の具体的情報、政財界人脈やゴシップ・・・。これらが一部富裕層に集中していて情報格差が大きい。それと、子供の頃から外見の良し悪しを過剰に気にする。特に女子は日本の比ではない。 ―大学で教え始めたとき、学生を一個人として尊重し丁寧に応対していたら、学科長から叱られた。強く指示・命令し、学生をこき使うくらいでないとだめだと言われた。幼い頃は家庭で、ついでガッコ、軍隊でと、支配・服従関係が二本より強い。大学の授業で<両親が結婚に反対したら、あなたはどうします?>という質問に、ほぼ全員が両親に従うと答えた。二本とはだいぶ違う。外見ではそういう古い体質には見えないんですよ。軍隊からもどって耳にピアスの穴をあけている男子がクラスに二人いて、彼女に言われてそうしたというんです。「韓国のマネー志向、何でもカネカネという悪弊は、二本より強い」と嘆いたのは。国会議長まで務め引退した元政治家である。 韓国に住む日本ビジネスマン夫婦が言った。「韓国の有人も多く、仲良くしています。でも、息子が子供の頃から昆虫が好きで大学は生物学部。大学院に進んで昆虫を勉強すると言ったら、もな声をあげて笑うんです。無視だって、馬鹿じゃない。そんなのカネにならない、どこにも就職できないじゃないと」―ご夫人は憤慨していた。 なんでもカネという風潮、それで人を判断する傾向が、たしかに強いと思う。 私の見るところでは、勉強でもビジネスでも、目の前の目標に向かって集中力を発揮し達成する能力が韓国は高い。日本より高い場合もあると思う。しかし、中長期なこと、目に見えないことは後回しだ。 日本人のノーベル賞受賞者が多く(2000年以降20人)、韓国は科学部門でまだゼロなのも理由があると韓国の有人はいう。「化学の基礎研究は20年30年やっても成果が認められる保証はない。認められてもそれが生きているうちか死後かはわからない。カネや個人・組織の名誉ではできないことです。日本のように人類のため科学の発展のため、自分の損得でなくコツコツと励む姿勢が韓国にはまだ少ない。目端が利いてしまう」のだと。
2025.02.08
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オーストリア人ジャーナリストが見た日中戦争レポートが興味深いわけで・・・その「日中戦争見聞記」という本を読み直そうと思い立ったので以下のとおり復刻してみます。*********************************************************歴史認識で中韓と対立する昨今であるが…「日中戦争見聞記」という本を図書館で借りた一番の理由は、当時の中韓を知りたかったわけです。オーストリア人の著者は日本社会の要人と会見できるなど、わりと親日的スタンスではあるにしろ…とにかく、1939年当時の東アジアの雰囲気と著者の息吹きが伝わってくるレポートになっています。(読み足した分を追記して、その2としています)【日中戦争見聞記】コリン・ロス著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>より盧溝橋での軍事衝突に始まる日中戦争。それは、軍国日本が東アジアに影を落とす時代の象徴的な事件である。1939年、この緊張高まる日本・朝鮮・中国・モンゴルをドイツのジャーナリストが訪れた。彼は、各地で会見した要人の人物像を犀利に語り、過酷な時局を生きる庶民の姿にそれぞれの民族性を洞察する。太平洋戦争前夜の極東を描く貴重な記録。<読む前の大使寸評>第二次世界大戦勃発時期の日中戦争をドイツ人ジャーナリストはどう見たか?尖閣沖紛争がいつ起きても不思議でない昨今ですが、過去の日中戦争の実相が知りたいわけですね。rakuten日中戦争見聞記今では漢族にほぼ同化された満州族であるが、その満州族および満州語のレポートが興味深いのです。動物の絶滅危惧種が気になるが、絶滅危惧言語も気になるわけです(大使の場合)<北風が勢いに乗る 新京>よりp114~118 星野直樹は「満州国」の総務長官に1937年に就任する前の職務上の地位は枢密院の書記官長のようなものであった。しかしスターリンの称号もやはり単に書記長である。それと同様、星野の影響力と権力分野は彼の称号をはるかに上まわっていた。いやそればかりか多くの外国人は彼こそ「満州国」内閣官房の指導者であると見ている。 星野は満州人ではなく日本人である。それにもかかわらず、彼を「満州国」人とするのは正しい。彼は血統では中国人である国務総理と同じように「満州国」人である。新生「満州国」のかかえる難題は、人類学的意味では満州人などいないということだ。 それは実用面で満州語あるいは満州文字が使用されていないのと同じである。この間の事情はアイルランド語と似ている。現在アイルランド自由国の国語、ゲール語が文化の中心部ではほとんどすでに死滅しており、辺境の村落で事実上わずかに残されているのにすぎない。北満、東満においてもトルキスタンと同様、今や数万の満州族の「満州国民」がいるだけだ。 彼らは有名な八旗とともに南方に馬を進め、1644年、北京に入った満州族の子孫ではない。かつてはあのように名声があったこの種族の血統正しい後継者は、今日では半遊牧民としてロシア人や中国人からも嫌われている辺境で暮らしている。彼らは互いに大いに食いちがった様々な方言を用いている。したがってこうした方言は「満州国」のような近代国家の国語としては、まったく不適当であろう。 今はポツポツと家族単位で中国本部から元の故郷に戻ってきた満州族は、ずっと故郷に留まっていた同人種と共通するものを何ひとつ持たない。彼らは中国征服(清による明の征服)とともに中国の言語と文化を受け入れた。彼らはその種族の帝王と同様に中国人になりきってしまった。清の初代皇帝の任務は中国人女性を後宮から排除し、満州族は血統的ひも満州族のままに留まることであった。しかし清朝の君主たちは竜の王座にのぼったあとは、しだいに中国人になってしまった。 たとえ血筋からいえば、中国人であり、使用されている言語は中国語、文字は漢字であるにせよ、「満州国」では満州人、満州語という表現を用いるのがしかるべきならわしとされている。事実上、「満州国」の人口の90%が、血筋でいえば純粋の中国人である。 すでにこうした理由からも、アイルランドの実例をまねて、完全な死語を復活させることはできない。それにこうした試みは、ただでさえ容易ではないこの国の行政を、まったくどうしようもないほで困難にさせることであろう。かくして、中国語というところを満州語といって満足しているのが実情である。 それにもかかわらず、たとえ血筋、言語、文化からいっても中国人であるとしても、この国の居住者は満州人と呼ぶのは、政策や宣伝を超越した正当性がある。 またちょうど同じことが、日本人についてもあてはまる。日本人はどんなに彼らに適さない土地においても、おのれの風俗、習慣に信じられないほど執拗にしがみついている。しかしわたしがここで知り合いになった日本人は、ある意味ですべて満州人である。 わたしの真向かいに座った異常なほど彫が深い顔立ちで賢明そうな人物星野についてもこのことがあてはまる。それも単に彼がこの国の高級官僚であり、指導者の一人であるからばかりではない。たしかに彼は日本列島に住む日本人に比べて、けっして遜色のない心身両面において完全な日本人である。もしかすると、彼は大日本帝国の帝国主義的目標にまったく個人的に固執している並の日本人以上に日本人的かもしれない。しかし、それにもかかわらず彼の全体の調子は、すでに列島に住む日本人とはかなりかけ離れていた。そのことはおそらく特別の雰囲気をかもし出す満州の気候や土地の影響ばかりではなく、ここでは日本人がもともと不得意であること、すなわち迅速に決意し、かつ速やかに行動する、ということが必要となって形成された気質であろう。 そうしたことからして、ここ満州では西欧風の概念によれば、行き過ぎとさえ思われる日本のやかましい礼儀作法の大部分が放棄されてしまった。あらゆる業務上の会談に先立って行われ習慣化してしまった無限の敬礼や上品な挨拶の交換は、この土地では無用であった。そのことはとくに官僚相手の会談の際にあてはまる。会談の調子は、まさにアメリカ流、書生流である。わたしは「満州国」外務部の官僚と、まもなく「ハロー、ビル」といったアメリカ式の挨拶を交わすようになった。なお、消えゆく満州語については、朝日デジタルに現状が報道されていました。チンギスハンの偉大さを知る著者は、当時の大草原を、モンゴルをどう見たんでしょうね。<チンギスハンの後継者 ホンホ>よりp154~159 モンゴル人は数の上では極めて弱体化した民族である。いったいどのくらいいるのだろう?正確な統計は存在しない。300万といったら多すぎるくらいだ。彼らが世界帝国をつくていた時代でも、あまり大勢いたようには思われない。 それにほとんど互いに争ってばかりいたこの小さな騎馬民族あるいは騎馬軍団の小集団が、すべての時代を通じて最大の世界帝国を建設することができた理由は、永遠に完全にはけっして解明できない大草原の謎として残るであろう。 大草原はこうした謎を秘めている。そもそもなぜ人間がその中に住むのであろうか?大草原の中でくりひろげられる生活はきびしく、貧しく、しかも危険がいっぱいである。どこにその大きな魅力があるのか? 偉大な征服民族が登場してきたのはつねに砂漠であり、大草原であった。このアジアの奥地の大草原から一体何が出現したか?わたしが今通過している国土からはモンゴル人の他にフン族、アヴァール族、トルコ人、それにタタール人がいる。彼らはすべての人数の上ではあまり多くはなかったかもしれない。大草原は広々としているが、少数の人間にしか居場所を与えなかった。大草原に強いて手を加え牧草地を畑に変えたりしても、遅かれ早かれ大嵐が吹き、あまりにも貧弱な畑の土壌を空中に吹き飛ばしてしまう。これが大草原の復讐なのだ。 アメリカ人や、オーストラリア人も、青い山脈を越えて耕地を大草原の中につくろうとしたとき同じ目にあった。モンゴルでも、あまりにも広い大草原の中に漢民族移住者が開拓をしたとき、一部の者は同じ運命をたどった。 数千年を通じ、つねに繰り返されてきたのは大地にどっかりと腰をおろした農民と、遊牧民との間の根の深い闘争である。耕作者は大都市を建設し、彼らの文化をますます奥地にまで広げてゆくと、ついに大草原の遊牧民が立ち上がり、畑をこぼち、都市を破壊し、定住者の国を支配下におくようになる。 勝った遊牧民は、支配はするけれども、やがて安逸な生活に慣れ親しむようになり、今度は別の新しい、きびしくきたえあげられた種族が、大草原から出現し、彼らを駆逐するようになる。こうした動きはいつになったら決着がつくのか?新しい時代のまったく別種の生活条件によって終わってしまうのか?大草原の壮大さを縮小できる技術の力によって、少なくともこうした動きは止まるのではなかろうか? しかし他方では、大草原や砂漠の居住者も馬の飼育、調教が彼らに広い空間を制圧する可能性を与えたとき、はじめて世界征服者となった。 カラハリ砂漠のサン・クァも、北アメリカのネイティブ・アメリカンと同様に、世界帝国を樹立し得なかった。しかし馬を新大陸に持ち込んだヨーロッパ人の植民者は、アパラチア山脈を超え、プレーリー(大草原)に入りこむや否や世界帝国を世界帝国をつくりあげた。広い空間を短時間で克服できる自動車は、広い土地に巨大な世界帝国をつくる上で、相当な刺激となるであろう。しかしこのあたりの大草原は、自動車、鉄道、いやそればかりか航空機が出現しても依然として広すぎる。 大草原はやはり魔力があり、魅力を備え謎を秘めている。大草原の秘密はその中にまどろんでいる力であり、星をつかみ、無限の不可能をとらえようとする力と衝動である。単に世界帝国ばかりでなく、世界宗教の創設者、キリストやマホメットらも荒野から出現した。(中略) ソ連と日本が、かの偉大なるチンギスハンの墓があり、彼の記憶がいまだに生々しいモンゴルを分割したのは、おそらく偶然以上の因子があるのではなかろうか? 外モンゴルと新疆ウイグルをおのれの勢力下に置くことにより、ソ連は以前よりもはるかに強力にアジアの大国となった。モスクワなどは辺境になった。今や中央アジアにどっしりと腰を据えたこの国にとって適当な首都は、チンギスハンに次ぐモンゴルの英雄チムール大帝の遺骨が納められているサマルカンドであろう。 ソ連のアジアの中心部への進出と併行してかつてはアジアで唯一、勝利に酔うモンゴルつまりかつての元に抵抗し、打ち破った国日本が第二の勢力として登場してきた。 日本はあらゆる時代を通じ最大の世界帝国建設者の衣鉢を継ぐべく定められているのか、またそのような能力をもっているのか? たしかに日本列島にいる日本人は慎重で抑制しているかもしれない。しかし、大草原の精神、無限追求の意欲をもちつつここ満蒙の前哨にいる日本人は、彼らの最終目標が「チンギスハンの国」、アジアの世界帝国建設にあたることを隠そうとしない。ここまで著者の夢想につきあってくると、やや危ないと思いはじめるのだ(笑)とにかく、大草原にはそんな夢想まで誘う魅力があるようです。いくらジャーナリストであっても、戦闘場面に立ち会うほどの義理はないわけで…この本では戦時体制とか戦争のからくりを主にレポートされていました。だけど日中紛争前夜にも似た今のご時世にこそ、意義深いレポートと言えるかもしれないですね。独ジャーナリストが見た日中戦争(その1)*********************************************************■2013.12.15XML独ジャーナリストが見た日中戦争(その2)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201312150001/
2025.02.08
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図書館で『小さいおうち』という文庫本を手にしたのです。おお「小さいおうち」という印象的なNHKドラマを観た覚えがあるでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。観るのが先か、読むのが先かというテーマで著作や映画、テレビドラマを集めているニッチなツボが疼いた次第なんですが。【小さいおうち】 中島京子著、文藝春秋、2012年刊<「BOOK」データベース>より昭和初期、女中奉公にでた少女タキは赤い屋根のモダンな家と若く美しい奥様を心から慕う。だが平穏な日々にやがて密かに“恋愛事件”の気配が漂いだす一方、戦争の影もまた刻々と迫りきてー。晩年のタキが記憶を綴ったノートが意外な形で現代へと継がれてゆく最終章が深い余韻を残す傑作。著者と船曳由美の対談を巻末収録。<読む前の大使寸評>おお「小さいおうち」いう印象的なNHKドラマを観た覚えがあるでぇ♪・・・ということでチョイスしたのです。rakuten小さいおうち「最終章 小さいおうち」で「小さいおうち」の冒頭を、見てみましょう。P292~295<1> バージニア・リー・バートンが、絵本『The Little House』を出版したのは、1942年のことで、ちょうど太平洋戦争の始まった翌年にあたる。 日本で、石井桃子訳の『ちいさいおうち』の初版が出たのは、それから12年も経った、1954年のことだ。イタクラ・ショージの書斎に残っていたのは、英語の原書で、見つかった当時はかなり読み込まれていた上に、おそらくは彼自身による、背表紙の修復がなされていたという。彼がその本を、いつどんな形で手に入れたのかは、まったく不明だそうだ。 しかし、キュレーターの説明によれば、イタクラ・ショージが彼自身の不思議な作品『小さいおうち』を制作していたのは、独特のタッチから類推して、1950年代初頭だと考えられているらしい。あきらかに、『The Little House』の構成を模して描かれていることを勘案すると、おそらくかなり早い時期に、彼はその原語のテキストに出会ったのだろう。 イタクラ・ショージは乾いたブラックユーモアを滲ませる作品で知られた昭和の漫画家で、キャリアの初期には紙芝居を描いていた。ちょうど、『小さいおうち』の制作期にあたり、従って、この奇妙な作品も、紙芝居の形をとっている。けれども、子供用に制作された初期の作品とはまるで趣が違い、商業用に作られたものでないことはあきらかだった。 後半に進むにつれて殺伐としてくる内容は、彼の従軍経験と無縁ではないと、多くの批評家がしてきしている。実際は、この紙芝居は、イタクラ・ショージが亡くなるまで封印されていて、一般に知られることはなかったのだが、遺産管理を引き受けた弁護士が、遺言を発表し、それに従って東京都西部の土地が買われ、家が建ち、イタクラ・ショージ記念館がオープンすることになって、キュレーターが雇われ、彼の遺した物が捜索される、といった経緯を経て、発見された。 イタクラ・ショージは人気のある漫画家だったし、朔風にはマニアックなファンもついていたから、記念館が建ったときはずいぶんと話題を呼んだ。そして、しばしば噂になったのは、遺言によって建てられた記念館の建物が、『小さいおうち』の洋館と、あまりにも似ていたことだ。それまで知られていなかった初期の紙芝居がにわかに脚光を浴びたのは、彼自身が語ることの少なかった半生と、深く関係しているに違いないと、誰にも思わせたためだろう。 バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』は、あくまでも家が主人公で、そこに住む人が描かれることはないが、イタクラ・ショージの『小さいおうち』には、三人の人物が人物が登場する。二人の女と、一人の少年だ。家の中に彼らがいるところが描かれるだけで、会話がない。そして、この紙芝居にはナンバーが振られているだけで文章がまったくないので、三人の関係性も不明だ。 ウーム、いくら読んでも バージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』とイタクラ・ショージの『小さいおうち』のお話しばっかりで、NHKドラマで観た『小さいおうち』のお話しが出てこないのです。・・・著作と映画、テレビドラマがこんなにも違うことも有りなのか。*********************************************************■NHK「小さいおうち」https://www.nhk.jp/p/ts/QPN1RW1PYW/episode/te/M2N2KKG85N/
2025.02.07
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昨今の埼玉県八潮市の陥没事故発生時には、これは長引くという不安を感じた訳で、案の定、今だに先が不透明な状況が続いています。 このように、下水道管、橋梁、トンネルなど社会的インフラの検査、補修についてホンキで取り組む時期となっていることだけは確かなようです。 在職中にはプラント設計・施工に従事していたので、下水処理装置も取りまとめていたのですが・・・先の予想より受注・施工優先の行け行けドンドンとなっておりました(汗)。ということで、jbpressの記事を紹介します。*********************************************************下水管に起因する陥没事故は年2600件、20年後に40%に達する耐用年数オーバーの老朽下水管にどう対処すべきか?老朽化した下水管の更新だけでなく、地方公共団体ごとに分かれている上下水道の一体的なマネジメントが不可欠 埼玉県八潮市の交差点で起きた道路の陥没事故。その規模の大きさもあり、注目を集めているが、下水管の老朽化に起因する陥没事故はこれまでにも起きている。社会保障費が膨らむ中、老朽化したインフラを効率的に維持管理・更新していくにはどうすればいいのだろうか。(植村 公一:インデックス代表取締役) 埼玉県八潮市の交差点で起きた道路の陥没事故は、発生から1週間が経過した。転落したトラックに残された運転手の救助活動は進展しておらず、周辺では下水道の使用が制限されるなど、市民生活への影響が続いている。 原因はまだ特定されていないが、硫化水素による下水管の破損が影響した可能性が高い。下水管を流れる汚水から発生した硫化水素が管の中で滞留。その硫化水素がコンクリート表面に付着している細菌の働きによって硫酸に変化し、コンクリートを劣化させるのだ。 そして、下水管に空いた穴から汚水があふれて周囲の土砂を流し、陥没が拡大したとみられている。*********************************************************■2025.2.4下水管に起因する陥没事故は年2600件、20年後に40%に達するhttps://jbpress.ismedia.jp/articles/-/86406
2025.02.07
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