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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館に予約していた『言ってはいけない中国の真実』という文庫本を待つこと8日でゲットしたのです。同じ著者の『上級国民/下級国民』という本を予約しているが、なかなか巡ってこないので、ちょっと前に刊行されたこの本を予約したら、即入手できたのです。【言ってはいけない中国の真実】橘玲著、新潮社、2018年刊<「BOOK」データベース>より崩壊説を尻目に急速な経済成長を遂げた人口13億の大国・中国。満州からチベット、内モンゴルまで、その隅々を旅した著者は、至るところで不動産バブルの副産物で「鬼城」と呼ばれるゴーストタウンに出くわす。高層ビルが林立する超モダンな廃墟が建てられる元となった「錬金術」の仕組みに着目し、日本と異なる国家体制、組織のあり方、国民性を読み解く新中国論。<読む前の大使寸評>同じ著者の『上級国民/下級国民』という本を予約しているが、なかなか巡ってこないので、ちょっと前に刊行されたこの本を予約したら、即入手できたのです。<図書館予約:(1/18予約、1/26受取)>rakuten言ってはいけない中国の真実人口ボーナスと人口オーナスが語られているので、見てみましょう。p193~196<生産年齢人口が減少するとバブルがはじける?> 日本は敗戦後にアメリカの占領下で経済の復興を成し遂げたから、アジアの国々のなかではもっとも早く人口ボーナスを享受することになったが、その分だけ人口ボーナスが終わるのも早かった。 団塊の世代がリタイアするようになると、若者よりも高齢者の数が多くなる逆ピイらミッド型の人口構成になる。そうなれば、働き手一人あたりの社会的な負担は重くなって可処分所得は減り、そのうえ将来の増税や社会保障の削減を見越して消費を控えるから景気が悪くなる。 人口が減れば必用な住宅の数も数なくなって、と院など一部を除けば地価も下落するだろう。このように人口構成が経済成長の重荷になった状態を「人口オーナス(負荷)」という。 長期的に見れば、人口ボーナスというのは需要の先食い(前借り)であり、人口オーナスでその儲けを吐き出すことになる。『老いていくアジア』で大泉氏は、日本の高度経済成長が人口ボーナスで説明できるように、1990年代以降の「失われた20年」は人口オーナスで説明可能だとしたうえで、東アジアの国々でも、いまや遅れてきた人口ボーナスが終わりつつあると述べる。 人口ボーナスの時期にちがいがある理由は、それぞれの国の現代史を見ればすぐにわかる。韓国は朝鮮戦争が、中国は膨大な餓死者を出した大躍進政策と文化大革命が、ベトナムはアメリカとの長い戦いがあって、本格的なベビーブームの時期が日本より「」と呼ばれた韓国、台湾、香港、シンガポールは日本からほぼ20年遅れて人口ボーナスが始まり、1980年代に「東アジアの奇蹟」を起こしたがこれらの国の出生率は日本よりも低く高齢化が急速に進んでおり、この1~2年で人口オーナスの時期に入ることになる。 文化大革命後にベビーブームの起きた中国は日本からほぼ30年遅れて人口ボーナスが始まり、1990年代からの改革解放による爆発的な経済成長につながった。中国の成長が他のアジア諸国を圧倒したのは、多産少子から少産少子への移行から生じる人口ボーナスとともに、農村から沿海部の都市への労働人口の大規模な移動が生産年齢人口の急増をもたらし、人口ボーナスの効果にレバレッジをかけたからだ。 しかしその中国も、一人っ子政策などの影響で少子高齢化が進むのも速く、2010年代からは人口ボーナスの効果はほとんどなくなり、早晩、人口オーナスの停滞期を迎えることになる。『言ってはいけない中国の真実』1:鬼城(ゴーストタウン)のメカニズム
2026.09.07
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『図説不思議の国のアリス』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると・・・この本にはアリスとキャロルのポートレート、キャロル自筆のイラスト、ジョン・テニエルの挿絵、アーサー・ラッカムの挿絵などがてんこ盛りであり、まさにビジュアル本という感じでおます。【図説不思議の国のアリス】桑原茂夫著、河出書房新社、2013年刊<「BOOK」データベース>よりおかしな住人の出自を探り、奇妙な論理を読み解く、魅惑のワンダーランドの完全ガイド。【目次】序章 不思議の国への招待(『不思議の国のアリス』の成立/地下の国こそ不思議の国 ほか)/第1章 アリスの「不思議の国」へー『不思議の国のアリス』を読む(ウサギ紳士に誘い込まれたアリス、深い穴を落下/いきなり小さくなったアリス ほか)/第2章 アリスの「鏡の国」へー『鏡の国のアリス』を読む(アリス、鏡の国でチェスの駒を驚かせる/鏡を通して見ればちゃんと読める文字 ほか)/第3章 アリスとキャロルと写真術(キャロルにとっての写真術/キャロルの時代の写真術 ほか)<読む前の大使寸評>この本にはアリスとキャロルのポートレート、キャロル自筆のイラスト、ジョン・テニエルの挿絵、アーサー・ラッカムの挿絵などがてんこ盛りであり、まさにビジュアル本という感じでおます。rakuten図説不思議の国のアリスジョン・テニエルの挿絵を、見てみましょう。p37<ドードー> このドードーの姿は、作者キャロルも、また少女アリス・リデルもともに親しんでいたであろう。クライスト・チャーチにある自然史博物館に掲げられたドードー像に生き写しである。すでに幻の絶滅動物に対するキャロルの哀惜の思いがこの登場の仕方からも伝わってくる。それにしてもうしろのほうからのぞき込むようにしているサルの存在も気になるところだ。物語にはまったく登場してこないのだから。アーサー・ラッカムの挿絵を、見てみましょう。p62~63<法廷は大荒れ。アリスは叫んだ!> 「平気よ! あなたたちみんな、ただのカードじゃないの!」 このとたん、すべての登場人物や動物たちはカードとなって空中に舞い上がり、アリスの上にふりかかった。そしてこれこそが、不思議の国での冒険のフィナーレであった。 夢はおわった。キャロル自筆のイラスト、見てみましょう。p57<ウミガメモドキ>(ルイスキャロル直筆のオリジナル原稿のイラスト絵より)キャロル自筆のウミガメモドキ。いわくいいがたいおかしさと不気味さがある。ウン いわくいいがたいというか、シュールやなあ♪『図説不思議の国のアリス』1
2026.09.06
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************<仏文書籍あれこれR1>最近、図書館で借りた本と、古い蔵書なんですが、仏文書籍について適当に集めてみます。なお、辞書や専門書は除外します。・『Voyage au centre de la Terre』2009年刊・『Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil』2008年刊・『Apres le tremblement de terre』2002年刊・『KAFU Le Bambou nain』1998年刊・Polaroids de Jeunes Filles(1994年刊)・LE JACASSIN(1970年)・Le Petit Prince(1968年)・L'histoire vecue de la seconde guerre mondialeII:Le siege(1963年)R1:『Voyage au centre de la Terre』を追加【Voyage au centre de la Terre】Jules Verne著、Livre De Poche、2009年刊<商品の説明>よりFollows Professor Lidenbrock, his nephew Axel, and their guide Hans as they venture deep into a volcanic crater in Iceland on a journey that leads them to the center of the earth and to incredible and horrifying discoveries<読む前の大使寸評>なんと言っても、l'edition originale の挿絵が大量に載っているのが嬉しい♪amazonVoyage au centre de la Terre***********************************************************************【Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil】村上春樹著、Distribooks、2008年刊<カスタマー・レヴュー>よりEcrit alors que Murakami est toujours en exil (a Princeton aux Etats-Unis), "Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil" n'est publie que quatre ans apres son predecesseur, le tres fumeux "Danse, danse, danse".En lisant la quatrieme de couverture, je prends peur: on craint le Murakami sentimentaliste qui avait a mon sens completement echoue dans "Norwegian Woods/La ballade de l'impossible".Heureusement, "Au sud..." n'a rien a voir.D'abord parce que le style est profondement resserre, et la chronique des 37 ans de la vie de cet homme, Hajime, ne prend que 200 pages environ. Pourtant on sait beaucoup de choses de lui a la fin du roman, et le lecteur est devenu, un peu, son intime.<読む前の大使寸評>おお 村上春樹作品の仏訳版ではないか・・・ということで借りたわけでおます♪尚、太子の借りたペーパーブックは、BUSSIERE CAMEDAN IMPRIMERIES社、2002年版のものでした。amazonAu sud de la frontiere, a l'ouest du soleil【太子注】この本の日本語原題は「国境の南、太陽の西」で、村上春樹の7作目の長編小説です。***********************************************************************【Haruki Murakami-Apres le tremblement de terre】Haruki-Murakami著、10*18、2002年刊<カスタマー・レヴュー>より①Un simple battement d'aile de papillon en Amazonie peut-il declencher par une reaction en chaine un tremblement de terre au Japon ? Cela tombe bien, Murakami nous le prouve dans cette suite de nouvelles, toujours aussi subtiles, profondes et surnaturelles ! Oui, un evenement peut bouleverser votre vien comme la lecture de mon commentaire et l'achat de ce roman que vous ne regretterez pas !②この短編小説集は、阪神淡路大地震の闇と少なからず孤独な心が通ずる主人公達の魂の再生の物語だと私は理解しました。最後の「蜂蜜パイ」の淳平は西宮市夙川出身で早稲田の文学部を卒業した短編専門の小説家、つまりそれはもう一人の有り得たかもしれない村上さんの姿でした。本書は読者の人生経験に即して深いメッセージを伝えることが出来る優れた短編小説だと思います。<読む前の大使寸評>「神の子どもたちはみな踊る」が含まれた短篇集であるが、「Apres le tremblement de terre」(大震災後)という書名の日本版なんてあったかな?amazonHaruki Murakami-Apres le tremblement de terre『Haruki Murakami-Apres le tremblement de terre』2:「蜂蜜パイ」の冒頭『Haruki Murakami-Apres le tremblement de terre』1:「神の子どもたちはみな踊る」の冒頭***********************************************************************【KAFU Le Bambou nain】Ccatherine Cadou訳、Picquier poche、1998年刊<「BOOK」データベース>よりデータなし<読む前の大使寸評>この本をチョイスしたのは表紙の浮世絵がキレイだったこと、それと錆びつきかけたフランス語のブラッシュアップになると思ったからです。amazonKAFU Le Bambou nain***********************************************************************【Polaroids de Jeunes Filles】Jean-Philippe Delhomme著、光リン社、1994年刊<商品の説明>よりフランスのイラストレーター、ジャン・フィリップ・デロームの作品集。1988年から1992年の4年間にわたり、フランスのファッション雑誌『グラムール』に連載された中から後半に掲載された作品95点をショートストーリーとともにまとめた一冊です。<読む前の大使寸評>日本の新書より大きくて細長い特殊サイズである。各ページの構成は。上半分にカラー画像、下半分にストーリー文章となっていて、これまた独特でおます。なお、私が借りた本の表紙はモノクロ(左側)の方です。yahooPolaroids de Jeunes Filles『Polaroids de Jeunes Filles』1***********************************************************************【LE JACASSIN】Daninos Pierre著、Le Livre De Poche、1970年刊<大使寸評>皮肉、かつお笑いの辞典であるが、この本だけで仏語を修めるものではありません(当然です)本屋ではHacshtte社のLE LIVRE DE POCHEシリーズがすぐ目に付くが、このシリーズは日本の角川文庫、岩波新書などよりもっとシェアが大きいシリーズなんでしょう。AmazonLE JACASSIN***********************************************************************【Le Petit Prince】Antoine De Saint-Exupery著、HEINEMANN EDUCATIONAL、1968年刊<「BOOK」データベースより>ふるさとの星を出発した星の王子さまは、命令好きの王さまの星や、うぬぼれ男の星などを旅します。最後に地球にやってきて、サハラ砂漠で飛行機を修理中のパイロットに出会います。心をとらえて離さない不思議な物語。<大使寸評>私が買ったのはHEINEMANN EDUCATIONAL社(英国)のハードカバーであるが、さすがにこの本はアマゾンで出なかったので、アマゾンのMariner Books社の情報を載せました。AmazonLe Petit Prince『星の王子さまのはるかな旅』2:砂漠の王さま『星の王子さまのはるかな旅』1:星の王子さまが生れたところ***********************************************************************【L'histoire vecue de la seconde guerre mondiale II : Le siege】Marabout社、1963年刊<裏表紙説明>よりEn 500 photos et 100 000 mots, cet ouvrage uni-que en son genre nous presente la -guerre 1940/45 comme une experience humaine complete, tant a l'echelle des nations que des individus. Chacun des quatre volumes forme un tout, mais, ensemble, ils tentent une exploration en profondeur de l'epoque contemporaine. L'histoire vecue de la seconde guerre mondiale donne une vision immediate et saisissante des divers aspects de la plus complexe, la plus tragique et la plus heroique epopee que l'humanite ait enduree.Ce deuxieme tome de l'histoire vecue de la seconde guerre mondiale s'ouvre sur la resistance acharnee de la Grande-Bretagne contre les as-sauts de la machine de guerre nazie. II se pour-suit par les hostilites dans l'Atlantique Nord et la Mediterranee, l'invasion des Balkans et de la Grece, le combat-poursuite dans les deserts d'Afrique, l'attaque-suicide de l'Allemagne contre la Russie et l'inhumaine cruaute des batailles d'hiver. Pearl Harbour et la suite des victoires japonaises en Extreme-Orient terminent le volume.<大使寸評>第2次世界大戦シリーズで日本にも言及しているので、軍事オタクにとって見過ごせない本である。フランスの書籍ECは古書に関しても、いけてるやん♪bibliopocheL'histoire vecue de la seconde guerre mondiale II : Le siegeフランス語リンク集/All Aboutフランス関連の蔵書
2026.09.05
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)このところ、早朝や夕刻にツバメが飛んでいるのを見かけるが・・・彼らの季節感は温暖化の影響で乱れていないだろうか? 我ら人類の季節感は既に壊れているのだが。*********************************************************今日は我が町のツバメたちが見えないぞ・・・どうやら昨日、旅に出たようです。とにかく温暖化のせいで、七十二候の「玄鳥去」から、実態が1ヵ月ほどズレているようです。ということで、以前の日記から復刻します。***********************************************************************日に日に、群れで飛ぶツバメが少なくなっているような、このごろですね。七十二候に「玄鳥去」というのがあるけど・・・どうも我が町生れのツバメたちは、もう飛び去っていて南の地域を移動中ということのようです。ネットでこんなサイトがありました。七十二候「玄鳥去(つばめさる)」。巣立ったヒナは、どんな旅に出るのでしょうかより■もう帰る巣のない幼鳥たち。「渡り」を前に、集団で暮らします 食糧や繁殖のため定期的に長距離を移動する『渡り鳥』。日本でもいろいろ見られます。ツバメなどの「夏鳥」は、春に来て子育てし、秋になると南の国に去っていきます。オオハクチョウなどの「冬鳥」は、越冬するために北の国から日本にやってきます。チドリなどの「旅鳥」は、北国で繁殖し南国で越冬するため、中継地点として日本を通りかかります。 人間の世界では、転々とする苦労人を「渡り鳥」と表現したりしますが、『渡り』の旅はまさに苦労の連続。嵐や天敵など危険もいっぱいです。ツバメたちも、毎回命がけで種の楽園をめざします。 5月下旬。生まれてからおよそ20日で巣立った一番子のヒナたち。ツバメは2回子育てをする親が多く、生まれた巣は、これから育つ弟妹(二番子)たちのもの。巣立った子の居場所はありません。 そこで、幼鳥たちは集まって、出発の日まで水辺のアシ原や大きな樹木などで集団生活をします。早く一人前にならないと、南の国に渡っていけません。渡り鳥としての自覚を高める寮生活といったところでしょうか。幼鳥は、尾が短いので遠くからでもよくわかります。 夏になると、2回目の子育てが終わった親鳥たちも集団に加わります。夕方、空にたくさんのツバメたちが集結して、日が沈むと一斉にねぐらに入っていきます。「集団ねぐら」は毎日少しずつ移動するうえ、夜明けにはツバメたちはもう飛び立っているので、なかなか見つけにくいようです。集団はだんだん大きくなり、秋には数千~数万羽もの大群になるといいます。■歩かないツバメ。渡り鳥を見送れる場所をご存じですか? ある日の明け方前に小グループで出発。親鳥から先に南へと旅立ち、幼鳥は渡る体力がつくのを待ちます。連れて行ってはもらえません。7月後半になると、ねぐらは親の割合が少なくなってきます。それでも10月頃までには、皆出発するようです。 渡りにはいくつかのコースがあるようです。まだ一度も通ったことのない何千キロもの空の道を、親もいないのに、幼鳥はどうやって迷わずに行けるのでしょう? ツバメには、目印のない海の上でも目的地に向かって飛び続けられるよう、太陽や地磁気によって方角を知る能力があるといいます。さらには、目的地に近づくと地形や目立つ建造物をたよりに正しい場所を見つけるのだそうです。生まれながらに「渡る力」が備えられていたのですね。 ツバメの体は、空中生活用にできています。食事はもちろん、水浴びすら下に降り立つことなく水面すれすれを飛びながら一瞬で(カラスもびっくりの瞬間行水で、水飲みとの区別がつかないくらいです)。大きな翼は長距離飛行に耐える丈夫さなのに、退化した足は弱くて歩くのが苦手。他の小鳥と比べて巣立ちまでの日数が長いのは、巣立ったらすぐ飛ぶ必要があるためです。 高速で飛びまわりながら小さな虫を見分ける目。飛んでいる昆虫をくわえとりやすいように大きく深く開く、嘴。上嘴には左右5本ずつくらいヒゲがあり、虫取りアミの役割をします。 飛行速度は時速45km、最高時速は200kmともいわれます。また、長い尾や翼のひと振りで、急旋回・急降下・停止飛行も思いのまま! 多くの渡り鳥が、気流が安定していて天敵に襲われにくい夜間に渡るなか、飛翔力に優れたツバメは、昼間に堂々と渡っていくのです。体力のついたツバメたちは南の地域を移動中のようだが・・・来年の春にまた帰っておいで。
2026.09.04
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『飛行士たちの話(新訳版)』という文庫本を、手にしたのです。おお この本は旧訳版で見た覚えがあるで・・・ということで、再度借りたのです。【飛行士たちの話(新訳版)】ロアルド ダール著、早川書房、2016年刊<「BOOK」データベース>より偵察飛行に向かってから二日後に帰投したパイロットは、その間の記憶を失っていた。だがある戦闘中、仲間が撃墜されたのを見た彼は不可解なことをつぶやき、何もかも思い出したと叫び出す。彼が見たこの世のものとは思えない光景とは?後世の作品に多大な影響を与えた幻想譚「彼らに歳は取らせまい」をはじめ、従軍経験をもとにしたデビュー作など、著者のストーリーテラーぶりを存分に味わえる10篇収録の処女短篇集!<読む前の大使寸評>おお この本は旧訳版で見た覚えがあるで・・・ということで、再度借りたのです。amazon飛行士たちの話(新訳版)ハリケーン「カティーナ」の続きを、見てみましょう。p173~176<カティーナ> 夕食後、われわれ三人はモンキーと一緒に格納庫に行った。モンキーが言った。「機銃掃射が気にはなるけれど、ドイツ軍は絶対に格納庫を攻撃してこない。なぜなら、格納庫の中には何もないってことを知ってるからだ。で、今からわれわれ4人で4機運んで、第二格納庫に隠しておこうと思うんだが」 いいアイデアだった。通常、ハリケーンは飛行場の周囲のあちこちに分散して駐機させる。ずっと飛ばしておければいいのだが、そういうわけにもいかない。その結果、一機ずつ敵に狙い撃ちされていた。われわれ4人はそれぞれハリケーンに乗り込み、タキシングして第二格納庫に入れた。全機格納すると、4人で力を合わせて巨大なスライドドアを閉めて鍵をかけた。 翌朝、太陽が山の背後から姿を見せるまえにユンカース87の一群が襲来し、第二格納庫は吹き飛ばされ、あっさりと地表から消え去った。彼らの爆撃は正確で、両脇の格納庫は被弾すらしなかった。 その日の午後、ピーターがやられた。ハルキスという村がユンカース88に爆撃されているという知らせを受けて彼が出撃したのだが、そのあと二度と彼の姿を見ることはなかった。陽気で笑顔を絶やさない男だった。ケント州の農場にいる母親が送ってくる淡いブルーの細長い封筒をポケットにしまい、それを肌身離さず持っているような男だった。 この中隊に配属されて以来、私はいつもピーターとふたりで同じテントを使っていたのだが、その夜も私がベッドにはいったあと、ピーターがテントに戻ってきた。信じてくれなくてもいい。そもそも信じてもらえるとは思っていない。それでもこれはほんとうの話だ。 いつも私のほうが彼よりさきにベッドにはいっていた。というのも、われわれが使っていたのは、ふたりの人間がすれちがうこともできないほど狭いテントだったからだ。ピーターは毎晩2分か3分ぐらい遅れてテントに戻ってきた。その夜、私はベッドに横になって考えた。(中略) まったくいつもと変わらなかった。どさっという音、簡易ベッドの木製の脚が軋む音。フライングブーツを片方ずつ脱いで地面に放る音。いつも片方を脱ぐのにもう一方を脱ぐ三倍の時間がかかる。そのあと毛布をめくるかすかな音と、ちゃちな造りのベッドが男ひとりの体重を支えて軋む音。 毎晩そういう音を聞いていた。同じ音を同じ順番で。その夜はベッドの上で上体を起こして声をかけた、「ピーター」暗いテントの中、私のその声はやけに大きく響いた。「やあ、ピーター。今日はついてなかったな」返事はなかった。 私は気味悪くも怖くもなかったが、指で自分の鼻に触れて、ちゃんと自分がそこにいるのを確かめたのを覚えている。そのあとは疲れていたので眠りに落ちた。 翌朝、隣りのベッドを見ると、人が寝た跡が残っていた。しかし、私はそのベッドをフィンにも見せなかった。ただ毛布をもとの位置に戻して、枕をふくらませた。 われわれがアテネ防空戦を戦ったのはその日、1941年4月20日のことだ。今後あれほど激しい格闘が繰り広げられることはないだろう。最近では、飛行機は航空団や飛行中隊といった編隊を組んで飛び、攻撃も指揮官の指令どおりに整然と系統だっておこなわれるからだ。戦闘機乗りがひとりで激しい空中戦を繰り広げるなど、今日ではまずありえない。しかし、アテネ攻防戦では、15機のハリケーンが30分にわたり、150機から200機のドイツ軍爆撃機と戦闘機を相手に美しくて長い空中戦を繰り広げた。『飛行士たちの話(新訳版)』1:カティーナこの本もロアルド・ダールがつなぐ輪R2に収めておきます。
2026.09.03
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館に予約していた『韓国むかしの味』という文庫本を、待つこと4日でゲットしたのです。カラー写真満載のビジュアル本であるが・・・どれもが味わい深い小さな店のレポートになっているのがええでぇ♪ 10年前の本なので、今その店があるかどうかは定かではないが。【韓国むかしの味】平松洋子著、新潮社、2011年刊<ブログのレビュー>より韓国全土を30年近く旅した著者の、むかしの味の記録。ガイドブックには載っていない、華やかではない、それでいて味わい深い庶民の味が紹介されています。それは大都市ソウルでも。「食べる旅は人に出会う旅でもある」との著者の言葉のとおり、出会った料理の作り手たちの、引き継がれた味、歴史、想いは、料理の味わいに深い感慨を与えています。<読む前の大使寸評>カラー写真満載のビジュアル本であるが・・・どれもが味わい深い小さな店のレポートになっているのがええでぇ♪ 10年前の本なので、今その店があるかどうかは定かではないが。<図書館予約:(7/05予約、副本3、予約0)>rakuten韓国むかしの味">仁寺洞 智異山の家庭式韓定食(二人前)韓国料理で意外だったのは、生野菜やナムルが美味しかったことです。そのナムルが気になるので、求禮の「ドンウォン食堂」を見てみましょう。p38~40野生であればあるほどナムルはおいしい「とびきりナムルがおいしい」と韓国全土に名を馳せる土地、それが全羅南道・求禮(クレ)だ。毎月3と8のつく日に開かれる求禮の五日市には、霊峰・智異山のふもとで採れた野草がいっせいに集まると聞き、市の立つ日に合わせて一路求禮に向かった。 早朝、市に入るなり目を見張った。トゥルプ(タラの芽)、コサリ(わらび)、コグマスン(さつまいもの茎)、カジュク(ニワウルシ)・・・露店にあふれている葉っぱ、野草、山菜は切り口まできりっと立って新鮮そのもの、豊富な量にも圧倒される。 長年、おなじ場所で露店を出しているソンさんに頼んで、うっすら霧の残る翌朝、自分の摘み場所に案内してもらった。市で偶然知りあったソンさんだが 「わたしの大学生の息子も調査研修で日本に行ったとき、ずいぶんお世話になったから」と、こころよく案内を引き受けてくれた。 ソンさんは63歳、夫のキムさんは65歳。智異山のふもとに代々譲り受けた土地があり、農薬も肥料も使わず、夫婦で野草(ナムル)を何十種類も栽培している。市場へ売りに行くのは妻のソンさんの役目だ。「ナムルは野生であればあるほどおいしい。野菜も人も、たっぷり陽を浴びて自然のなかで育ったものに勝るものはないから。農薬や肥料を使うと確実に育つけれど、からだによくないし、味もおちる。子どものころから土といっしょに育ちながら学んできました」 土地の手入れを引き受ける夫のキムさんが言う。「苦いものこそからだにいいから、ナムルも毎日かならず食べなくちゃいけないよ」 青空の下で味わった智異山のナムルはえぐみ、ほろ苦さ、噛めば噛むほどいろんな味わいが滲み出てくる。その求禮の「ドンウォン食堂」(現在は閉店)にとびきりの「ナムル名人」のハルモニがいると小耳にはさんだ。イ・ナムドクさん、68歳。もともとイさんは20年にわたって求禮一と評判を取った食堂の女主人だった。 名士や政治家までイさんの味を求めてやってくるうち、イさんの手は「ミウォンの手」つまり「味の素の手」と呼ばれ始めた。「おいしさが湧き出る」、そんな特別の手というわけである。『韓国むかしの味』2:生野菜やナムル『韓国むかしの味』1:普州式ピビムパプ
2026.09.02
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『ポケットに外国語を』という文庫本を、手にしたのです。下手の横好き外国語といえば・・・俺のことか?と思う大使でおます♪【ポケットに外国語を】黒田竜之助著、筑摩書房、2013年刊<「BOOK」データベース>より世界に通用するために外国語を勉強しなければ!そんな気持ちを脱力させて、言葉本来の面白さを感じ取りたい。古本屋で知らない外国語のテキストを買ってみたり、時には現地にいってみたりとあちこち思考をめぐらした結果がこのエッセイに詰まっている。しかも、外国語をもっと楽しく勉強したい人へ向けたアドバイスとして読める。文庫化に際して未収録作品多数!<読む前の大使寸評>下手の横好き外国語といえば・・・俺のことか?と思う大使でおます♪rakutenポケットに外国語をロシア語へのアプローチが語られているので、見てみましょう。p211~215<モスクワ、シベリア> 友人の管啓次郎さんがエッセイ集を出した。『ホノルル、ブラジル』(インスクリプト、2006年)は、わたしにとって特別な本である。最後にわたしとの対談が収録されているからだ。 対談はかつて、雑誌「UP」2004年12月号に「夜明けのロシア語、黄昏のポルトガル語」と題して発表された。同じ職場で英語教師をしている二人が、ロシア語やポルトガル語の魅力、さらにことばと文化について話し合うといった企画だった。この対談が再録されたことにより、『ホノルル、ブラジル』はわたしにとって、自分の本ではないのだけれど、自分の本でもあるという、不思議な存在になった。 管さんはよき友人であるが、趣味や好みについてはわたしとだいぶ違う。それはこのエッセイ集の題名からも分かる。ホノルルにもブラジルにも、わたしは行ったことがない。さらに副題が「熱帯作文集」というのだが、これは気温40度のアリゾナが快適という彼にこそ相応しいが、暑いのが苦手な者には思いもつかない語結合だ。わたしだったら、きっと「ツンドラ作文集」になるはずである。 あるとき彼が「ボクのやっぱり好きなもの」として犬、ゴルフ、そして英語の三つを挙げた。これもことごとく違う。わたしは犬よりもウサギが好きだ。ゴルフはやったこともないし、スポーツだったらスキーのほうがいい。そして英語については、好きといえるほど素直になれない。 じゃあ菅さんの英語に対して、黒田はロシア語なのかと問われると、それも迷う。実のところ、これは長年悩み続けてきた問題なのだ。 それでも、対談はわたしがロシア語を語り、菅さんは英語ではなく、ポルトガル語を語ることから始まった。 そもそも、わたしのロシア語はまったくの偶然である。中学二年生のころ、テレビのロシア語講座を見ていて、こういう文字が書けるようになったらいいなあという、ごく軽い気持ちが始まりだ。 一方、菅さんはポルトガル語にたどり着くまでに少し時間がかかる。英語の大好きだった少年が、大学でフランス語、それからスペイン語を経て、ポルトガル語を始めるのは24歳のとき。だが年齢は重要ではない。それよりも彼が小学生の頃に持っていたポルトガル語のイメージが「葡萄のことば」だったというのが面白い。 ポルトガルを漢字で書けば葡萄牙となり、それは当て字で意味がないといえばそれまでだが、そういうイメージは大切にしたい。ロシア(露西亜)だって「露のことば」というイメーイが膨らむ。中学二年生でロシア語を始めたわたしには、そのときロシアという露がキラキラと光り、心に染み透っていたのかもしれない。 詩的な菅さんは詩人フェルナンド・ペソアにのめりこむが、散文的なわたしはキエフ・ルーシ史に興味を持つ。20代半ばでいきなりブラジルに飛びこんでいく菅さんは、中学生の頃すでにアメリカでホームステイを体験しているが、わたしはといえば海外長期滞在が未だに実現できていない。あまりにも違う二人の方向。 だが、奇妙な共通点がここで浮かぶ。菅さんもわたしも、活字の人なのだ。「簡単な本の多読は外国語学習の王道だよね」と語る菅さんに、わたしは百パーセント賛成。そう、ブラジルに行ったからって、それだけで言語が上達するはずがない。彼はむずかしくない本をせっせと読んだ。これはわたしも実践している。日本だけでなく海外でも、簡単な本をたくさん読んでことばを滑らかにしていく。ずいぶん違うように見えた二人の外国語へのアプローチ方法が、ここで接点を持った。 どうして活字なんだろうと疑問に思うわたしに、菅さんはある答えを示す。「人の心がことばでできている以上、生身の人間にもかならずその背後にはあるまとまったアーカイブ(文書群)がある。それには、文字に頼る以外の接近の仕方はない」。ことばを表面的なものとして軽視したがる人たちに対するこんな反論があったのかと、わたしは素直に驚く。彼のいう通り、人は表面に出ないものを、いっぱい抱えこんでいるはずではないか。 活字というのは本には限らない。新聞の家庭欄やCDの歌詞カードだって、外国語を楽しむために必用なアイテム。話題はさらに映画やインターネットへと広がる。インターネットは言語マイノリティーが主張するのに格好の手段なのだが、その際にどの言語で発信するか、つまり自らの固有言語を選ぶか、あるいは多くの人が分かるメジャー言語にするか、という問題に突き当たる。 ここで菅さんは「アンブレラ言語」という概念を提唱する。(中略) 「あるアンブレラ言語の中にいる小言語の使い手が、ひょいといたずら心で一つの傘を飛びだし、別の傘の下に身を移してみる。あるいは別の傘の下にいる誰かといきなり直接接触する。そういう無根拠な接続が、いちばんおもしろいと思う」 これはわれわれ二人のことだ。わたしたちが多言語に惹かれるのは、一つの傘を飛び出して別の傘の下に身を移してみたいという、ほんのいたずら心なのである。おもしろがっているのに過ぎない。何かがおもしろくなければ、外国語なんてだれも勉強しないはず。『ポケットに外国語を』2:にぎやかな言語学『ポケットに外国語を』1:サマセット・モームの「外国語学習小説」
2026.08.31
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館に予約していた『ドードーをめぐる堂々めぐり』という本を、待つこと5週間ほどでゲットしたのです。ざっとめくってみると、カラー画像が思いのほか多くて・・・ええでぇ♪【ドードーをめぐる堂々めぐり】川端裕人著、岩波書店、2021年刊<「BOOK」データベース>より江戸時代初期のこと。『不思議の国のアリス』や「ドラえもん」にも登場する絶滅鳥ドードーが、日本に来ていたらしい!400年の時を超え、その後の行方を追って、四国へ長崎へ、チェコ、イギリス、オランダへ…ついにはモーリシャス島に這いつくばり生命のワンダーに分け入る!日本史と西洋史、博物学と生物学の間を行き来する旅に、ご一緒しましょう。<読む前の大使寸評>ざっとめくってみると、カラー画像が思いのほか多くて・・・ええでぇ♪<図書館予約:(1/09予約、副本4、予約6)>rakutenドードーをめぐる堂々めぐり『第1章 日出づる国の堂々めぐり』でドードーの出島上陸を、見てみましょう。p27~29<「ラスト・ショーグン」の孫が可能性を指摘していた> ドードーの生息地だったモーリシャス島は、オランダ船がアジアに来る祭の中継点であり、途中でドードーを載せてきても不思議ではない。事実、オランダ船はしばしば動物を伴って来日した。 蜂須賀は、この書簡に言及した上で、「当時の日本において、ヨーロッパの船が来たのは長崎が最も確からしい。そこで、長崎図書館のⅯr.R.Ⅿasudaに問い合わせたところ、ドードーについてのいかなる情報も追跡不可能と回答があった」と報告した。 そして、日本人である蜂須賀が調べてもわからなかったのだから、この件はきっと「迷宮入り」だろう、と多くの関係者が思ったまま、半世紀以上が過ぎた。2014年の「論文」の著者の一人である当のヒューム自身も、2006年の時点でドードーの歴史を振り返った論文では「バタヴィアから日本へと生きたドードーが送る準備がされていたが、それが実行されたのかどうかは今となっては確かめようがない」と書いている。 しかし、それが確かめられた! というのが、今回の発見だ。<「商館長日記」や会計帳簿に記される> さて、「論文」によると、オランダ商館長が代々、書きつないだ“daghregister(日記)”、“facturen(目録)”、“negotie journaal(会計帳簿)”といった文書の中にドードーが記載されていた、という。蜂須賀が長崎県立図書館に問い合わせてもわからなかったのも当然だ。ドードーの受け取り手は、日本人である前に、まずは現地の東インド会社の社員だったわけで、その記録は日本の図書館ではなく、本国に回収されて保管されていた。 最も需要な文献である「商館長日記」(daghregister)の書き手は、商館長フルステーヘン。彼が所属するオランダ東インド会社が派遣したヨンゲン・プリンス(Jongen Prins)号が長崎にやってきて、それを受け入れるところから話が始まる。この船には時期商館長であるフレデリック・コイエット(Fredrik Coyet)が乗っていた。フルステーヘンにとっては自分がバタヴィアに帰任する時に使う船でもある。 「論文」では、ヨンゲン・プリンス号がやってきた1647年8月29日からフルステーヘンの日記を日毎にまとめたり、ときには訳出して引用している。以下、その時系列に沿って紹介するが、逐語的に訳して示す場合は「論文」からの重訳ではなく『日本関係海外史料 オランダ商館長日記 譯文編之十』(東京大学資料編纂所)の訳を採用する。(中略) この時、舟に載せた物品の「目録」と「会計帳簿」の双方にドードーの記述があるというのが、ウィンターズらの最初の大きな発見だ。 いずれの場所でもドードーは他の一般的な荷物とは別枠として扱われている。(中略) もう一方の「会計帳簿」の方にも、シカとドードーが挙げられて、例外的に値段が記入されていない。つまり、商取引の材料というよりも、むしろ、高い地位の人に贈る目的だったと考えられる、と「論文」では述べている。『ドードーをめぐる堂々めぐり』3:出島ドードーの「発見」『ドードーをめぐる堂々めぐり』2:『不思議の国のアリス』のドードー『ドードーをめぐる堂々めぐり』1:絶滅鳥類の代表
2026.08.29
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『星の王子さまのはるかな旅』という本を、手にしたのです。ちょっと古い大型本であるが・・・美しいヴィジュアル版で、内容も充実しています。【星の王子さまのはるかな旅】山崎庸一郎監修、求龍堂、1995年刊<「BOOK」データベース>より物語の忘れられない場面の数々に、作家であり飛行家だった著者サン=テグジュペリの、ロマンに満ちた感動的な生涯を重ねあわせながら、『星の王子さま』の世界を旅する一冊。フランスとモロッコに取材した撮り下ろしの写真と、魅力的な執筆陣により、読者の〈夢〉を裏切らない美しいヴィジュアル・ブックが完成した。 <読む前の大使寸評>ちょっと古い大型本であるが・・・美しいヴィジュアル版で、内容も充実しています。amazon星の王子さまのはるかな旅序章「星の王子さまへのオマージュ」を見てみましょう。p9~12<星の王子さまへのオマージュ:池澤夏樹> まず、簡単な疑問からはじめよう。『星の王子さま』は本当に子供の本だろうか? 作者のサン=テグジュペリがこの本を子供の読者のために書いたことはまちがいない。語り手であるパイロットが登場してウワバミに呑まれたゾウの絵をはじめる前に、この本をレオン・ウェルトにささげるという言葉があり、その後には、献辞の相手が子供ではなく友人とはいえ一人の大人であるわけを子供たちに説明する文章が続いている。 本当は子供たちの本なんだけれど、いろいろ事情があってこういうことになったと言った上で、献辞は「子どもだったころのレオン・ウェルトに」と書き改められる。あくまでも子供の本、大人は入ってはいけませんと言わんばかり。 しかし、この本はずいぶんむずかしいのだ。これは、むずかしいから子供にはわからないという意味ではない。この本の中には子供にわからない言葉、子供が知るべきでない話は何一つない。 だが、これは退屈な子供が夢中になって読んで、わかったと思って、そのまま忘れるような本でないことはまちがいない。読み捨てるわけにはいかない本。これを読んだ子供は何度となくこの本へ帰ってくる。それを繰り返すうちに少しずつ大人になってゆく。(中略) こうして、星から星への旅をつづけてきた王子さまは地球に降りたつ。その場所は砂漠、サン=テグジュペリが最もよく知っている地形である。彼は一度アジアへの長距離飛行の途中、リビア砂漠に墜落した体験がある。その時のことがそのまま王子さまとの出会いの場面に使われている。そう、彼ら二人は共にこの砂ばかりの地へ「天から」来たのである。 この本の中の地球はどこかおかしい。だいたい人がほとんど出てこない。王子さまが降りたところが砂漠だった以上、ヘビが言うように「砂漠にゃあ、だあれもいない」のは当然だろう。その後で彼が会った花は、人間は6、7人はいるだろうと言う。「かれこれ20億人の大人」が住んでいるはずの地球なのに、寂しいかぎりだ。 そして、この印象は最後まで変わらない。王子さまは1年の間この大きな星に滞在したけれども、その途中で人がたくさん住んでいる地域で暮らした形跡はまったくない。サン=テグジュペリは都会が好きでなかった。がらんとした何もない地形の上を飛びつづけた飛行士が都会に帰ってきた時の雑踏の中の寂寥感を、彼は『南方郵便機』に書いている。『星の王子さまのはるかな旅』2:砂漠の王さま『星の王子さまのはるかな旅』1:星の王子さまが生れたところ
2026.08.28
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************このところ、デジタル庁の河野大臣がマイナンバーカードの不調について毎日のように謝罪しているが、想定内なのでいっこうに驚かないのです。・・・ということで、『デジタル・ファシズム』を復刻して読み直してみたい。*********************************************************図書館に予約していた『デジタル・ファシズム』という新書を、待つこと3ヶ月半ほどでゲットしたのです。堤さんは、新設された「デジタル庁」を利権の館と喝破しているが・・・現在の政府と官僚が主導するなら、さもありなんと思うわけです。【デジタル・ファシズム】堤未果著、NHK出版、2021年刊<「BOOK」データベース>より行政、金融、教育。国の心臓部である日本の公共システムが、今まさに海外資本から狙われていることをご存知だろうか?コロナ禍で進むデジタル改革によって規制緩和され、米中をはじめとする巨大資本が日本に参入し放題。スーパーシティ、デジタル給与、オンライン教育…いったい今、日本で何が起きているのか?気鋭の国際ジャーナリストが緻密な取材と膨大な資料をもとに明かす、「日本デジタル化計画」驚きの裏側!<読む前の大使寸評>堤さんは、新設された「デジタル庁」を利権の館と喝破しているが・・・現在の政府と官僚が主導するなら、さもありなんと思うわけです。<図書館予約:(10/04予約、副本5、予約40)>rakutenデジタル・ファシズム「第4章 本当は怖いスマホ決済」でベーシックインカムが語られているので、見てみましょう。p136~140<Go Toトラベルとデジタル給与の共通点> デジタル給与は選択制だ。最初はそれほど普及しないだろう。 だがそれは入り口に過ぎない。 最初は選択制でも、キャッシュレス比率80%という目標を達成するために、政府が今後様々な分野をキャッシュレス化して外堀を埋めていく中で、デジタル給与を選ぶ人の割合は増えてゆくだろう。 思い出して欲しい。 日本の規制緩和の合い言葉が、「小さく生んで大きく育てる」であることを。 あらゆる分野のルール変更が、全てをデジタル化するという政府の目標に向かって着々と進んでいるのだ。 デジタル給与はトップバッター。 次に控えているのは「〇〇ペイ生活保護」や「〇〇ペイ年金」あたりだろう。 ATMで並ばずに済む程度の利便性と引き換えに、私たち国民の大切な資産や個人情報、この国を支える中小企業や飲食店、地域を支える地方銀行などを差し出すほどの価値は、果たしてあるだろうか?<危険すぎる竹中平蔵式「ベーシックインカム」>「毎月7万円ほど支給すればいいんですよ」 2020年9月にパソナグループの竹中平蔵会長がテレビでこう発言し、ネットで大炎上したのが、毎月決まった額を全国民に給付する「ベーシックインカム論」だ。「7万円で生活できるのか」という疑問や「一定以上の収入がある人から後で回収するならベーシックインカムではない」などの指摘に加えて、そもそもベーシックインカムを入れること自体の是非を問う声が出たが、問題の本質はこの制度を今の日本に入れることで一体何をめざしているのか、という政府の青写真にあるだろう。 中国を訪問した時に大きな感銘を受けたという竹中氏は、スーパーシティとキャッシュレスをセットで日本に導入するために尽力中だ。以前からあちこちで提唱している、この「竹中平蔵式ベーシックインカム論」の先にあるイメージもまた、中国の成功例が色濃く反映されている。 国全体のデジタル化を急速に進める中国では、前述した「信用スコア」の点数によって、受けられる公共サービスに差がつけられる。政府が好ましくないと判断した人物は、デジタル化した中国社会でまともに暮らせなくなると党幹部が公言するほどに、信用スコアは完全管理型社会のツールとして効果が高い。 デジタルは、ボタン一つで簡単に人の行動を止めることができる。 現金ではないのでタンス預金もできない。それゆえデジタル化とベーシックインカムがセットになると、国民は生きる術を政府に強く依存することになってしまう。蛇口を開けるのも閉めるのも政府が握ることになるので、反政府の暴動は減ってゆくだろう。 現に中国では、政府が導入した信用制度とキャッシュレスの組み合わせを導入して以来、国民の“お行儀”が格段に良くなったと言われている。信用スコアが落ちると社会的サービスへのアクセスが経たれ、まともに暮らしていけなくなるからだ。 日本でもPayPay銀行が個人の信用スコアを企業に販売し始めており、2021年5月に成立したデジタル改革関連法では個人情報保護法が緩められ、これからは思想信条や犯罪歴、病歴などのセンシティブな個人情報も次々にデジタル化されてゆく。『デジタル・ファシズム』4:忘れられる権利『デジタル・ファシズム』3:第4次産業革命『デジタル・ファシズム』2:デジタル庁、三つの特徴『デジタル・ファシズム』1:利権の館「デジタル庁」
2026.08.27
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************挿絵とか挿絵本が好きなので・・・『アール・デコの挿絵本』という本を復刻して読み返してみようと思ったのです。*********************************************************図書館で『アール・デコの挿絵本』という本を手にしたが・・・版画と造本に触れていて、大使のツボをクリーンヒットしているのです。それになにより、彩色挿絵の頁が多くて、きれいな本になっています。【アール・デコの挿絵本】鹿島茂著、東京美術、2015年刊<商品の説明>より■1920年代前後に登場したアール・デコの豪華挿絵本は、モード・ジャーナリスム隆盛を背景に、優れたイラストレーターや版画職人、裕福な購買層に支えられ、手間暇かけて少部数出版されたため、今日では稀覯本としてコレクター垂涎の的となっている。■本書は、イラスト、活字組版、複製技術、アート・ディレクションが一体となって生まれる総合芸術の魅力を、さながら実際にページを繰るがごとく、表紙から奥付まで、造本上の部位毎に項目をたて、役割や特色を、名作から厳選した実例を添えて解説。また、バルビエ、マルティ、マルタン、ルパップの挿絵本の中から、その世界観をじっくり味わえる傑作をテーマ別に多数紹介。<読む前の大使寸評>版画と造本に触れていて、大使のツボをクリーンヒットしているのです。それになにより、彩色挿絵の頁が多くて、きれいな本になっています。Amazonアール・デコの挿絵本挿絵本といえば版画との関係が深いが、そのあたりにふれたところを見てみましょう。<ポショワールと板目木版>よりp92~94 アール・デコの挿絵本を支えた二つの版画技術ポショワールと板目木版。一流のイラストレーターと卓越した技術をもつ職人との幸福な出会いが、後世まで語り継がれる見事な挿絵を生み出した。■ポショワール 現代のように写真製版によって、原画を複製する技術が未熟だった20世紀初め、一流のイラストレーターたちが多用したのがポショワール技法だった。版画職人ジャン・ソデによって完成されたこの技術によって、鮮やかな色彩表現となめらかで均一な彩色が可能となった。■板目木版 木材を縦割りにした板を使う板目木版は、木目を効果的に生かして、シンプルながら大胆な表現が可能な版画技法。1922年、ジョルジュ・バルビエが初めて板目木版による複製技法で制作した『チビリスの歌』は、浮世絵の研究によって独自の技術を開発した彫り師であり刷り師のF=L・シュミットの手によって、造本芸術史上に残る大傑作となった。この本でもジョルジュ・バルビエの挿絵を多数紹介しているけど・・・ええでぇ♪ネットでジョルジュ・バルビエの画像を探してみました。ジョルジュ・バルビエの画像より
2026.08.26
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『恋する文化人類学者』という本を、手にしたのです。副題が「結婚を通して異文化を理解する」となっているが、著者の鈴木さんは如何なる恋をしたのか?・・・興味深々である♪【恋する文化人類学者】鈴木裕之著、世界思想社、2015年刊<「BOOK」データベース>よりこれは恋の物語であり、異文化交流の物語である。アフリカで、著者は彼の地の女性アイドル歌手と恋に落ちた。結婚式は、8日間にわたる壮麗なものだった。激しい異文化の渦に巻き込まれた著者が、自らを素材に語る体験的入門書。ラヴ・ロマンス風文化人類学入門。<読む前の大使寸評>副題が「結婚を通して異文化を理解する」となっているが、著者の鈴木さんは如何なる恋をしたのか?・・・興味深々である♪rakuten恋する文化人類学者「第6章 結婚式」で著者の派手婚を見てみましょう。p148~150<1 長ーい結婚式>■1—1 派手婚のはじまり 地味婚、派手婚、パーティー婚・・・結婚式にもいろいろあるが、私が望んだのは地味婚であった。それには理由がある。 当時、私はアビジャンのストリート文化の調査をしていたのだが、ひとつ不安に思うことがあった。ストリート・ボーイにもさまざまなタイプがある。いきなり現れて自分たちの生活について根ほり葉ほり質問してくる私を、極東からわざわざ来てくれた友人として迎え入れてくれる者もいれば、正体不明の怪しげなアジア人としてこころよく思わない者もいる。 もし後者のタイプのストリート・ボーイが私の結婚のことを知ったら、「いっちょ、邪魔してやろうか」などという邪悪な考えにとりつかれ、結婚式を妨害したり、あるいは花嫁の親族に危害を加えかねないのではないか。そのことをニャマの父親に相談したところ、たしかにそのとおりだ、ということで、親しい親族だけに声をかけ、できるだけ地味婚にしよう、という話に落ちついた。だが、私は大切なことを忘れていた。そう、アフリカ人の人々はおしゃべりなのだ。とりわけグリオは。 それから数日後、アビジャンの街を闊歩していると、ある新聞の一面が私の目に飛びこんできた。アビジャンでは通りに面したキオスクなどで新聞が売られることが多い。その際、日本の駅の売店に並ぶスポーツ新聞のように各紙の一面を目立つ目立つようにずらりと並べる。通行人は一面の大見出しや写真を見て、読みたい新聞を買っていくのだ。 それらのなかの一紙にニャマのグループ<レ・ゴー>の写真が載っていた。「またコンサートでもあるのかな」と思いつつ見出しを拾い読みした私の顔から血の気が引いてゆく。なんとそこに書かれていたのは、「ニャマが日本人と結婚 その名はスズキ」というものであった。 つまりはこういうことである。花嫁の側が親族会議を開き、結婚の申し込みから受諾までの経緯と結婚式の日取りが伝えられた。各人はその日に向けて準備を開始するのだ。親族会議の最後に地味婚についての説明があったのだが、もうかれらの気持ちは結婚式に飛んでいってしまっている。 あのアイドル歌手のニャマが、結婚、しかも国際結婚なんだって。各人が自宅に戻って家族に、隣近所に、友人知人に吹聴する。それを聞いた者が同じことを繰り返す。三日もすれば、もうアビジャン中のジュラ社会の隅々にまで話がゆきわたる。当然そのなかにはジャーナリストもいるだろう。彼らがこんな特ダネを放っておくはずがない。かくしてわれわれの結婚に関する第一報が報じられ、私の地味婚作戦は見事に失敗。ここに派手婚の膜が開かれたのである。■1—2 八日間のセレモニー 前章で述べたように、私の結婚式は8月19日の月曜日から8月26日の月曜日まで、なんと八日間もかけてとりおこなわれた。本章では、この長い結婚式のプロセスを紹介し、それを人類学的に解釈してみようと思う。祖のまえに、結婚式会場について説明しておこう。 会場の中心となるのは花嫁の実家とその前の道路。結婚式のあいだ道路は通行止めとなり、即席の屋外結婚式会場となる。ここで太鼓にあわせて出席者が踊り、グリオの歌声が響きわたる。家の中庭では女たちが炊きだしに精をだし、主だった出席者や遠路はるばるやってきた親族などに食事が振る舞われる。そして家のなかでは花嫁を中心とした儀礼がとりおこなわれる。 ここで一つ、結婚式会場に関する驚くべき決まりを紹介しておこう。それは、花婿はけっして会場に近づいてはいけない、というものである。万が一、隠れて近づいたのがみつかたりしたら、罰金ものだという。主役の片方が排除されるとは、いかなる結婚式なのだろう。『恋する文化人類学者』3:結婚にいたる道『恋する文化人類学者』2:いかにして文化人類学者になるか『恋する文化人類学者』1:恋人の素性
2026.08.25
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『タンジール・海のざわめき』という本を、手にしたのです。モロッコのタンジールという町にカスバがあるわけで・・・大使にとって、とてもエキゾティックに響くわけです。ジブラルタル海峡に面した町であるが、砂漠が感じられるのがまた、ええでぇ♪【タンジール・海のざわめき】ダニエル ロンドー著、河出書房新社、1993年刊<「BOOK」データベース>より地の果ての夢の町、タンジール紀行。ボウルズ、バロウズ、ジュネ、ケルアック、ギンズバーグ、カポーティ、そしてドラクロワ、マティスなど、欧米の数多くの芸術家たちを魅了したモロッコの港町タンジール。この「生者たちの国」の魅力を、人々の簡素な暮らしぶりと美しい自然の描写のなかに描く。<読む前の大使寸評>モロッコのタンジールという町にカスバがあるわけで・・・大使にとって、とてもエキゾティックに響くわけです。ジブラルタル海峡に面した町であるが、砂漠が感じられるのがまた、ええでぇ♪amazonタンジール・海のざわめきモロッコのラクダボウルズやこの本の著者ロンドーの魅力について「訳者あとがき」を、見てみましょう。p203~205<「訳者あとがき」> ボウルズが「生者たちの国」と呼んだアフリカの港町タンジールは、18世紀中葉に完全にアラブの支配下に入って以来、もっとも近いオリエントとして西欧の人びとを魅了してきた。 ヨーロッパ社会のモラルを逃れ、エキゾティズムを求めてやってきた作家や貴族、大富豪たち。「一度人を見失ったら二度と見つけられない」強烈な光線、それに引きつけられてきたのは画家ばかりではない。ロンドンの有名な探偵社ピンカートンは尾行訓練のために新人をタンジールに送りこんだ。地中海の入り口というタンジールの地の利のよさは海賊と密貿易人を呼び集め、国際管理地帯の存在がスパイに活躍の場を与えた。そこはまたいかがわしい金融取引の舞台ともなった。 画家たちはタンジールを絵画にし、作家たちはタンジールを背景に小説を書き、旅行記を残した。タンジールに関する著作は数限りなくある。 そんな多くのタンジール本のなかで本書に際立つ特徴は、見方によっては西欧中心主義、あるいは新植民地主義とも取られかねない視点を完全に脱し、なおかつ第三世界への甘ったるい思い入れにも流されていない点である。タンジールに移り住んだ欧米の文化人や富豪のエピソードは、彼らが多かれ少なかれ自分の文明によって傷つき、そこからはみ出した人たちであるだけに、確かに興味深いし、考えさせられるところも多い。 しかしそれはまた、彼らの奇矯な振る舞いに関心を集中させることにもなり、歓楽と悪徳の都タンジールという過去のイメージばかりが強調される。ロンドーは、こういった人びとについては最小限の言葉で語るに留め、現在へと眼を転じて、市井のごく普通の人びとを登場させる。「ここは百の歌、二百の歌がある」という郵便配達員、荒れ果てたヨーロッパ人墓地の管理人、笛の音で客をもてなすジャジューカの楽士・・・・彼らの簡素な暮らしぶりと自然の描写のなかに、「生者たちの国」の魅力が生き生きと浮かびあがる。 本書はまたフランス人好みの理屈が出てこず、長々と薀蓄を傾けるところもないという点で、まったくフランス的ではない紀行文である。この二百ページあまりの中で、ロンドーは自分の感情をあからさまに示すことが一度もない。有名無名の人びとの小さなエピソードの積み重ねと美しい風景描写だけで「ドリーム・シティ」タンジールの夢の雰囲気をみごとに創りあげているところに、本書独特の味わいがあり、ロンドーという書き手の非凡さがある。ウン この本はフランス人の書いた本にしては読みやすかったが・・・訳者がいうようにフランス的でないからであり、それは著者がジャーナリストだったからなんでしょうね。『タンジール・海のざわめき』2:タンジールの歴史『タンジール・海のざわめき』1:ナザレびとモラン
2026.08.23
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『タイワニーズ』という本を、手にしたのです。温又柔、余貴美子、陳舜臣、蓮舫など、この本が取り上げている在日台湾人がええわけです。【タイワニーズ】野嶋剛著、小学館、2018年刊<「BOOK」データベース>より日本は台湾を二度も捨てた。それでも彼らがいたから、強く、深くつながり続けた。在日台湾人のファミリーヒストリー。<読む前の大使寸評>温又柔、余貴美子、陳舜臣、蓮舫など、この本が取り上げている在日台湾人がええわけです。rakutenタイワニーズ陳舜臣は以前から気になる作家であったが、第5章でその足跡(つづき)を、見てみましょう。p242~245<二つの祖国> ジャーナリズムの人物考察においては生い立ちをたどっていくのがセオリーであるが、陳舜臣には、自らの過去や内面に関する内容が含まれる著書は少ない。 参考となるのは2003年に発売された単行本『道半ば』と、日経新聞で2004年6月に連載された「私の履歴書」である。ただ、いずれも前半生を語ったのみで、作家として大成してからのことは含まれていない。 この二つの文献資料に加えて、陳舜臣の長男で、フォトグラファーとして活動している陳立人と、陳舜臣の姪にあたり、兵庫県立大学で華僑研究を手がけている前出の陳来幸に、それぞれインタビューを行って彼の人生を辿ろうと思う。 陳立人は、現在、神戸にある「陳舜臣アジア文藝館」を主宰している。インタビューも陳舜臣の主な作品の現物や遺品などを展示している同館で行った。 陳来幸には、同じ神戸の華僑歴史博物館で話を聞いた。彼女がこれまでに発表した陳舜臣と陳家に関わる貴重な文献資料も提供してもらった。 陳舜臣の一族はもともと中国・河南省〇川に源を発する一族で、福建省から台湾に渡った移民の家系だった。陳家は、台北郊外の新荘というところで小作をやっていた。 陳舜臣の父・陳通はこの陳家32代にあたる。 陳通は、台北に支店があった神戸の商社「西村商店」の職員として働いていた。事務能力の高さが買われて1919年に神戸に転勤した。陳通にとっては、高齢となった父・陳恭和や妻を連れての来日であるから、それなりに「落地生根(移り住んだ土地で根を張って生きていくという意味)」の覚悟をもった渡日だったと思われる。 のちに陳通が独立して立ち上げた会社は泰安公司という名前で、神戸の華僑としては最も古い老舗に属している。 陳通は、9男3女と子沢山だった。それが男の存在価値を証明する時代でもあった。長男は早逝し、陳舜臣は小説を志し、前述のように、泰安公司は陳来幸の父で四男の迎臣が継承した。 記録上、陳舜臣は神戸で1924年に生まれたとされるが、陳立人によれば「日本に行く船の中で生まれたかもしれないとおばあちゃんが言っていました」という。子供の多い家庭には、当時の時代情勢もあり、あやふやなことも多かった。「私の履歴書」で陳舜臣は〈私は1924年に日本の神戸で生まれた。生まれた時から私はマイノリティの道を選んだ〉と書いている。〈家で使うことばと外で使うことばが違うのはなぜか? おまえは台湾人だからだ。では台湾人とは何か?〉〈作家としての原点がそこにあると思う〉 この点に対する陳来幸の解釈はこうだ。「幼いころから家の『中』でしゃべる言葉が通じない『外』の世界、つまり『二つの世界』の存在を意識し、差別には敏感であったのでしょう」 鋭敏な感性を持つ子供は、得てして寡黙になる。陳舜臣も子供のころは口数も少なく、引っ込み思案だった。本人も「小さいときから体が弱く、運動するとすぐ骨を折ったりしてましてね、それで外に出るのが嫌いで、本を読むのが好きだった」と述べている。 神戸市立諏訪山尋常小学校に通った陳舜臣は教師から「日本語わかるね?」と尋ねられたこともあった。そのころに陳舜臣はすでに日本語のほうが台湾語より上手かった。 ただ父の陳通は、幼い陳舜臣に対して、中国の古典をひたすら声を出して読み上げる「素読」を命じている。つまり漢学の素養を身につけていた。のちに作家として中国語の原典にあたるうえでどれだけ有益だったかは想像に難くない。 戦前の神戸には、中国大陸系と台湾系が両方、日本社会の一部として混じわりながら暮らしていた。生まれた環境がすでに、台湾、中国、日本という複雑性に包まれていたのだ。複雑な環境での成長は、時に人の才能を刺激する。 複雑な社会のマイノリティである「台湾人」の真実を問いかける思いが、自分の作家人生の根っこにあることを、陳舜臣も明確に意識していたことがわかる。『タイワニーズ』2:陳舜臣『タイワニーズ』1:温又柔
2026.08.21
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************「ブレード・ランナー」や「スター・ウォーズ」なんかのSF映画が私のツボなので・・・『SF映画術 』という本を以下のとおり復刻して読み直してみましょう。*********************************************************図書館で『SF映画術』という本を、手にしたのです。副題が「ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座」となっていて興味深いのだが・・・創作講座というよりもSFが大好きな巨匠たちによるSF賛歌になったような本になっています。画像も多くてビジュアルなところもいけてます。【SF映画術】ジェームズ・キャメロン著、DU BOOKS、2020年刊<「BOOK」データベース>より映画『月世界旅行』(1902)からドラマシリーズ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』まで。映画、小説、ドラマ、神話…各巨匠が自身のインスピレーション源を語り尽くす。知られざる「フォース」の正体とは!?ここでしか語られていない、驚愕の映画制作の舞台裏も。<読む前の大使寸評>副題が「ジェームズ・キャメロンと6人の巨匠が語るサイエンス・フィクション創作講座」となっていて興味深いのだが・・・創作講座というよりもSFが大好きな巨匠たちによるSF賛歌になったような本になっています。画像も多くてビジュアルなところもいけてます。rakutenSF映画術「LESSON5 美しきモンスター」でリドリー・スコットとジェームズ・キャメロンが「ブレード・ランナー」、「エイリアン」などについて語っているので、見てみましょう。p234~237<雨の中の涙のように> 広告業界で数多くのCMを制作していたリドリー・スコットは、映画監督に転向後、1979年のスペースホラー映画『エイリアン』でSFジャンルに大改革をもたらしたが、それ以前に撮った長編映画は、1977年の『ヂュエリスト/決闘者』のたった1作だった。 美大出身の画家的な視点を持つスコットは、宇宙船ノストロモ号の天井の低さや通路の狭さを、平面も角度も細部まで手を抜かずに表現したのだが、そこには、ある計算があった。悪夢のような捕食者が解き放たれ、何も知らない乗組員に忍び寄る前に、閉所恐怖症的な感覚をしっかりと観客の中に植えつけていたのだ。 エイリアンの成体ゼノモーフが黒い身体を怪しく光らせ、新たな獲物を求めてさまようとき、シガニー。ウィーバー演じるエレン・リプリーは勇気を奮い起こす。その危険な存在に対峙するため、そして生き延びるために。 スコットの次なる作品は、未来の捜査官リック・デカード役にハリソン・フォードを起用した1982年の『ブレードランナー』だったが、彼は再び、SF映画のスタンダードのレベルを引き上げてしまう。そのアイデアはあまりにも時代を先取りしていたため、『ブレード・ランナー』の精神はその後何年も経ってようやく評価されることになった。それでも、スコットはハリウッドを象徴する存在であり続けた。 彼は、驚くほど多才かつ多産なフィルムメーカーで、視覚芸術家としての素晴らしい才能を思い存分作品に注ぎ込み、誰も見たことないほど美しい銀幕の映像を創り上げていく。しばらくSFから離れていたスコットだったが、『プロメテウス』(2012)と『エイリアン:コヴェナント』(17)で、最近同ジャンルに戻ってきている。この2作は、彼が誕生させた『エイリアン』ワールドの前日譚。さらに、『オデッセイ』(15)は、火星に取り残された宇宙飛行士が生き延びる様を綴ったアンディ・ウィアーの小説「火星の人」(11)が原作で、アカデミー賞7部門にノミネートされた。 このインタビューで、スコットとジェームズ・キャメロンは、AIの危険性、映画史上最も偉大で息の長い人気を誇るモンスターであるエイリアン、『ブレードランナー』の最高に印象的なシーン(レプリカントのロイ・バッティが「雨の中の涙のように」と語るモノローグ)のメランコリックな美しさなどについて語り合う。■アッシュとレイチェル・・・理想的人造人間JC:私は年齢を重ねたら、あなたのようになりたいと思っているのです。今日も、その気持ちに変わりはない。あなたのように、エネルギーと映画に対するパッションを維持したい。あなたはひとつの作品が終わると、すぐに次の作品の撮影に入る。それが終わると、また次の作品・・・というように。そして、信じられないほど審美眼の持ち主だ。RS:結果として、たまたま、そういう道を歩んできただけだよ。私の人生プランは、プランがないことだからね(笑)。JC:今日ここに私たちが揃っているのは、ふたりともSFというジャンルが大好きだから。そして、私と同じく、あなたも子供の頃にありとあらゆるSF作品を観てきたはずだ。そもそもは、デザイナーとしてキャリアを始めたんでしたよね? 大学はロイヤル・カレッジでしたよね。RS:そう。ロンドンのロイヤル・カレッジ・アートでね。当時は娯楽といっても、我が家にテレビはなかった。1954年に初めて、イギリスの自宅にテレビが届いた。しかも、白黒テレビがね。だから、私は本をたくさん読んでいた。SF小説に夢中になったね。初めてのお気に入り作家は、H・G・ウェルズだった。宇宙ものには食指が動かなかったから、アイザック・アシモフに傾倒することはなかった。JC:アシモフは初期に、ロボット工学やロボット三原則に関する本を結構書いていた。あなたは『ブレードランナー』を作り、『エイリアン』シリーズでは第1作の他、『プロメテウス』と『エイリアン:コヴェナント』を監督した。それら全てに人造人間が登場するから、人造人間が出てくるあなたの監督作は4作品だ。RS:『ブレードランナー』のロイ・バッティはAIだが、大陸間弾道ミサイルだってAIだよ。あれがコンピュータで管理された爆弾だということを皆は忘れているようだけどな。コンピュータの美しさは、感情を持っていないということ。否定的な感情も肯定的な感情も、何も持っていない。『エイリアン』の1作目で、自責の念を持たないアンドロイドのアッシュが出てくるが、彼は、なかなか素晴らしいテーブルスピーチを行える、完璧なAIだ。自身の決断や選択を変えてしまうような感情的なものが全くない。JC:だが、あなたは『ブレードランナー』でレイチェルという感情を抱くAIを取り扱った。あれはラブストーリーだった(最後にはラブストーリーだとはっきりする)わけで、そう成立させるためには、彼女は感情を持っていなければならなかった。RS:レイチェルはパーフェクトなネクサス6型(レプリカントの最新モデル。安全装置として寿命は4年に設定されていた)だった。まあ、人間がそう呼んでいるわけだが。とにかく、エルトン・タイレル博士(タイレル社社長で、レプリカントを開発した科学者)が誇る最高傑作だった。彼女は白紙の自慢の種で、博士は、彼女がどこに行こうと誇らしげに見ている。JC:レイチェルは、“人間であることの意味”を常に学び、吸収し続けているという印象を受けました。彼女が人造人間だという結論を下すのに、デカードはすごく時間がかかっている。他の物ごとを決めるときの5倍の時間はかかっているんじゃないかな。だが現実の我々は、AIについての最も重要な問題をのらりくらりとかわしているような気がしてなりません。もし機械が人間に十分近づき、人間同様に複雑な思考をするようになったら、どの時点で、我々は彼らと人間の区別がつかなくなると思います?RS:AI開発を行う人間が本当に優秀であれば、絶対に機械に組み込まないもののひとつとして感情を選ぶはずだ。プログラムの方程式から、感情を除外する。感情は実に多くの様相を導く。愛情と同様に、欺瞞、憤怒、憎悪といったものまでもね。H・R・ギーガーが描くエイリアンについては『リドリー・スコットの世界3』がお奨めです。『SF映画術』3: 美しきモンスター 『SF映画術』2:錆び付いた「未来」『SF映画術』1:『スター・ウォーズ』という革命*********************************************************■2023.06.18
2026.08.18
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『三蔵法師が行くシルクロード』という本を手にしたが・・・・国名をドングリスタンとした大使は、この本が説くような西域に憧れるわけでおます。ちょっと、ジャンルは異なるが諸星大二郎が描いた西遊記の世界もええなぁ。【三蔵法師が行くシルクロード】菅谷文則著、新日本出版社、2013年刊<「BOOK」データベース>より「西遊記」の舞台をめぐるユニークな歴史発掘紀行。【目次】序 日本とシルクロード/1 玄奘三蔵(三蔵法師)とシルクロード/2 シルクロード探訪(東ローマの金貨/アフガニスタン/中央アジア/キルギス/シリア、イラク、イラン、ロシア/中原と匈奴/インド/ソグド移民/海の道)/3 シルクロード研究の今後<読む前の大使寸評>国名をドングリスタンとした大使は、この本が説くような西域に憧れるわけでおます。ちょっと、ジャンルは異なるが諸星大二郎が描いた西遊記の世界もええなぁ。rakuten三蔵法師が行くシルクロード西域記の日本への来着を見てみましょう。<死後も旅する玄奘三蔵>p18~20 1942(昭和17)年12月に日本軍が南京で玄奘の頂骨の納められた石棺を掘り出した。翌年2月23日に時の親日政権である汪兆銘・南京政府に引き渡され、その一部が2年後に日本側に分骨された。そしてさいたま市の慈恩寺に、玄奘の舎利塔として十三重石塔が建立され、丁重に祀られた。 玄奘が長安に帰着後に、太宗李世民の命により、インド・西域に関する書物を執筆し、646年7月13日に完成したものが、『大唐西域記12巻』である。玄奘が詳しく足跡を残した111国、伝聞した28国などに関する最新の状況を提供したものである。ちなみに『西遊記』はこれらを基に書かれた。 『大唐西域記12巻』が日本に伝来したのは、日本に戒律を伝えた鑑真(688~763年)が、754年に来着した時に持参した『玄奘法師西域記1本12巻』が最初であった。 玄奘の求法の経過と、その仏典の翻訳などの事蹟を記述した『大唐大慈恩寺三蔵法師伝10巻』があり、奈良の法隆寺、興福寺には古い写本が伝えられている。法隆寺には、法師などの足跡を知るための地図さえ残されている。 シルクロード地図、なかでも中央アジアの東部は、玄奘の足跡が色濃く残された地域である。私たち考古学徒は、そのルートを出土品や遺構からさぐり、玄奘がたどった以外のルートをもさがすことを目的に、中国から中央アジアを研究調査している。そのシルクロードから日本に伝えられたさまざまな文物をひもときながら、絹の道がもたらした文化を考えてみたい。玄奘さんの功績の一端を見てみましょう。<シャカの教えを広めた人々>p28~30 入竺、つまりインドの仏蹟に向かう僧の目的は、玄奘までの多くの僧は、経典の将来であったようである。もちろん、天竺や西域の経典は漢文ではなく梵語(サンスクリット)や、その他の多くの言語で書かれていたので、いわゆる語学の修得も大きい目的であった。 中国の仏教に関するテキスト、つまり経典は、先に記したクラマンジュー・鳩摩羅什などが翻訳した35部300余巻の旧訳経典に、玄奘が翻訳した74部1335巻の新訳がある。その違いの一例を記しておくと、観世音菩薩が旧訳で、観自在菩薩が新訳である。このためよく知られている般若心経の冒頭の経文は、『南無観自在菩薩・・・』である。ただし、観世音菩薩、略して観音は世に広く知られていたので、それが習慣的に用いられ、現在に至っている。(中略) 玄奘が伊吾(現在の新疆ウイグル自治区ハミ市)に至った日に、伊吾の仏寺に泊めてもらった。すると寺には漢人の僧が三人もいて、そのうちの老僧は、唐僧が来寺したことを知って、僧衣に帯も結ばず、裸足で飛び出してきて、玄奘に抱きついて、この年になって、再び漢人に会えるとは夢にも思わなかったといい、号泣した。 この伊吾は、のちに唐領となるが、この時は、高昌国と関係が深い胡国の国であった。 玄奘が伊吾に到着したのは628年と推定されている。唐朝の成立は、618年であるので、この老僧は隋か、あるいはその前の北周に中国から西に向かった僧であった。隋と唐は異境への旅を厳禁していたが、北周はかなりゆるやかであった。著者の菅谷さんが、白馬寺を訪ねています。<明帝の感夢と仏教伝説>p158~159 中国大陸の北部では儒の思想が孔子により誕生し、のちの宗教として儒教となる。一方、中部から南部では神仙説などが各地に種々のかたちで生まれ、のち道教となっていく。 現在の日本や韓国の仏教は、ともに漢文に翻訳された経典を用いているが、本来は北インドからネパールにおいて説法していたシャカの教えである。仏教がパミール高原を越え、あるいはヒマラヤ山脈やヒンズークシ山脈を越えて中国に、いつ、どのように入ってきたかは定説がない。 仏教の中国初伝について正史の記述は『後漢書』である。ただし、後漢書の編述は南北朝の宋(420~479年)の歴史家ハンヨウであるので、それ以前のさまざまな伝承が混在している。『後漢書』の記述は、後漢・明帝の感夢求法説といわれている。この記述と白馬寺伝説が結びつく。 「明帝が夢の中で神人が身体から光を放ち宮殿の前に飛来してくるのを見た。帝は大いに喜び、翌日群臣に、この神は何であるかと問うた」と『後漢書』にある。続いて明帝は使者を大月氏国に遣わして『42章経』を写させたという。そして宮外に寺を建て、洛陽城の城門の上に仏像を安置した。こうして国豊かに民はやすらかとなり、夷人も中国(後漢)を慕ったとある。最後は、儒の教えの帝徳を美化する場合の常套表現である。 白馬寺は、この時に建てられたという。白馬寺伝説では、42章経と仏の画像を白馬に載せて帰ったという。そこで寺を建て白馬寺といった。 仏教の確実な中国での始まりは、文献研究を中心とした研究法、磨崖に彫られた彫像の研究、石窟の壁画や題記からの研究、経典の漢文への翻訳史からの研究など、多方面で論じられているが、最終結論には至っていない。 実は、仏教を始めたブッダは、歴史上に存在したガウタマ・シッダールタの称号である。漢訳では釈迦牟尼と表現され、シャカといいならわされている。シャカは著述を残しておらず、弟子や信者の質問に答え、大衆のために説法をした。その亡くなったすぐあとから、その説法がまとめられ、現在の経典に受け継がれていく。 私が初めて白馬寺を訪れたのは1980年2月の寒い日で、ロウ海鉄道の白馬寺駅で下車して、寒々とした道をたどった。現在では参詣者のための食堂や土産店が軒を並べ、寺内にも香煙がたえることがない。 白馬寺の大門の左右には、赤く塗られた焼成レンガのセン積みのハの字に開く高い壁がある。よく見ると、すべて後漢の画像碑である。70年代の文化大革命期に古代書が破壊されて大量に出た墓セン(レンガ)の再利用であった。西遊妖猿伝西域編公式サイトより
2026.08.18
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.rtfデータには往生こいているので、画像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、画像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************<『キトラ・ボックス』>図書館に予約していた『キトラ・ボックス』という本を、待つこと3ヶ月ほどでゲットしたのです。新疆ウイグル自治区とキトラ古墳天文図とが、どう繋がるのか興味深いのである。【キトラ・ボックス】池澤夏樹著、KADOKAWA、2017年刊<「BOOK」データベース>より奈良天川村ートルファンー瀬戸内海大三島。それぞれの土地で見つかった禽獣葡萄鏡が同じ鋳型で造られたと推理した藤波三次郎は、国立民俗学博物館研究員の可敦に協力を求める。新疆ウイグル自治区から赴任した彼女は、天川村の神社の銅剣に象嵌された北斗が、キトラ古墳天文図と同じであると見抜いた。なぜウイグルと西日本に同じ鏡があるのか。剣はキトラ古墳からなんらかの形で持ち出されたものなのか。<読む前の大使寸評>新疆ウイグル自治区とキトラ古墳天文図とが、どう繋がるのか興味深いのである。<図書館予約:(4/19予約、7/05受取)>rakutenキトラ・ボックスキトラ古墳天文図この本の語り口を、ちょっとだけ見てみましょう。p19~20 讃岐大学文理学部の藤波三次郎准教授は院生を相手の「考古学演習2」の授業を終えて自分の研究室に向かった。 テーマは2年前に瀬戸内海のいくつかの島で行った高地性集落の発掘調査で出た遺物の分析と同定だった。 瀬戸内から畿内にかけて、定住には適さない標高2百メートル前後の高地に弥生時代中期の居住の跡が見つかっている。軍事的な目的と言われるがそのわりには長期の滞在が可能なように設備が調っている。時には槍が刺さったままの兵士の死体などという生々しいものが出てくる。 しかし藤波准教授が学生と分類しているのは兵庫県家島諸島男鹿島の遺跡の出土品で、もっぱら土器の破片という平和的な性格のものだった。残念ながら大発見の見込みは薄い。 自分の部屋に戻る途中、藤波准教授はエレベーター・ホールで社会学の宮本美汐にばったり出会った。研究室は同じ建物の3階と4階だからすれ違うのは珍しいことではない。 「三ちゃん、元気?」と美汐は気安く声を掛けた。 「ちょっと、それは軽すぎないかい、宮本先生」 「そうか。たしかに学内で三ちゃんはまずいか。では、その後いかがお過ごしですか、藤波先生?」 「それもわざとらしい」 この二人、しばらく前には恋仲だった。男の方が他に気を移して仲は壊れ、しかも彼は新しい相手にさっさと捨てられたのだが、だからと言って美汐との仲を回復させてもらえる筈がない。顔を合わせるたびにからかわれるのが関の山。それでも三次朗の私生活でもなく、彼の研究にまつわる話。なにしろ美汐は好奇心が強くてどんな話題にでも首を突っ込んでくる。専門は社会学で最近は「人間の安全保障」という分野に力を注いでいるらしいが、それが社会学とどう繋がっているのか三次朗には皆目わからない。いずれにしても美汐の社会学はずいぶん広い範囲の好奇心に駆動されるもののようだ。 「男鹿島の遺跡から・・・」 「その話はこのまえ聞いたよ。その後ですごい展開があった?」 「いや、そういうわけでもないが」 正直に言うと三次朗は美汐が苦手だ。元気がありすぎて、気が強くて、相手をしていても追いたてられるような気がする。ところで、この本を読んでいてわかったのだが・・・この本は『アトミック・ボックス』の続篇になっているのです。アトミック・ボックスより<原発と原爆の違い:永江朗> サラリーマンを辞めて漁師になった父が、臨終にあたって娘に託したのは国家機密だった……。 池澤夏樹の『アトミック・ボックス』は、機密ファイルを持った娘が公安警察に追われながら、父の秘密と謎を解いていくという冒険小説である。 スピード感あふれる展開が気持ちいい。読んでいるうちにヒロインの美汐とともに自分も駆けたり泳いだりしている気分になる。 追われる者と追う者という古典的な枠組みのなかで、扱われていることは今日的かつ壮大だ。 美汐の父は大学で数学を専攻し、コンピューターの専門家になった。メーカーで設計の仕事をしていたが、上司からの命令である極秘プロジェクトに参加する。それは国産の原爆をつくるシミュレーションだった。ところがプロジェクトは突然中止、チームも解散する。前後して父は自分が胎内にいるとき広島の原爆で被爆していることを知る。被爆者である自分が新たな原爆をつくろうとしていたという事実にショックを受けた父は、故郷に戻って漁師になっていた。やがて福島で原発事故が起き、父は癌になった。そして、原爆開発計画の証拠ファイルを、娘に託す決意をする。 登場人物たちの口を通じて語られる、核に関する情報や見解が、「考えろ」とぼくたち読者の背中を押す。「ずっと運転しつづける発電所に比べたら、出番を待って眠ったままの爆弾の方が作る方が気が楽さ」と極秘計画のスタッフがいう。核の連鎖反応をずっと続ける原発の方がコントロールが難しいのだ。 アメリカのスリーマイル島原発事故が1979年、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故が86年、そして東電福島第一原発事故が3年前。大きな事故だけでも、すでにこんなに起きている。「安全が確認されたものから再稼働」という言葉がいかに無意味であるか、ちょっと考えただけでもわかる。それなのに……。 ◇『アトミック・ボックス』池澤夏樹著、毎日新聞社、2014年刊<「BOOK」データベースより>28年前の父の罪を負って娘は逃げる、逃げる…「核」をめぐる究極のポリティカル・サスペンス!<大使寸評>池澤夏樹が、これほど面白く読める活劇をものにするとは、意外でした。ほぼ同時期に読んだ「コラプティオ」、「やっちゃれ、やっちゃれ!」と比べてみると、この本がいちばん面白く読めたのです。この3作品の優劣を比較するのはどうかとも思うが(笑)、ストリーテラーとしては池澤夏樹が優れているということでしょうね。rakutenアトミック・ボックスこの本も池澤夏樹の世界に収めておきます。
2026.08.13
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.rtfデータには往生こいているので、図像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、図像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『明治の世相:ビゴー素描コレクション2』という大形本を手にしたのです。パラパラとめくると、日本人にとって辛辣なイラストに見えるが・・・どことなくユーモラスで優しいところもあるのです。【明治の世相:ビゴー素描コレクション2】ジョルジュ・ビゴ-, 芳賀徹著、岩波書店、1989年刊<「BOOK」データベース>より明治20年から23年まで、横浜居留地で刊行された『トバエ』は、当時の日本の世相を冷徹な眼力で描いたもので、その辛辣な政治諷刺は、ビゴーの諷刺画の最高傑作といわれている。『トバエ』を中心に220余点収録。<読む前の大使寸評>パラパラとめくると、日本人にとって辛辣なイラストに見えるが・・・どことなくユーモラスで優しいところもあるのです。rakuten明治の世相:ビゴー素描コレクション2p149~150<フランスから来た浮世絵師:芳賀徹> 『トバエ』を中心としたこの素描集を繰ってゆくと、ジョルジュ・ビゴーというのはまことに才気活発、あらゆる意味で「達者な男」だったことに、あらためて気がつき、感心する。 彼自身、『トバエ』では第一号の表紙にピエロ姿で登場するのをはじめ、ときどき思いがけないところに自分の顔を出している。他に水彩の自画像などもある。 それらを見ても、この絵師は日本人の生活と社会にぶしつけなほどの好奇心を向け、そのなにげない細部にまで鋭敏な眼を走らせ、日本人との少々のトラブルなどは持ち前の陽気さとフランス人としての優越感によってまたたくまに乗りこえてしまったにちがいないと思われる。少なくても画中に見えるところではそんな風な男だ。 18年の日本滞在中、後半になるとさすがに少し太ったようではあるが、それでも背は高くて高すぎず、顔は面長で眉は濃く、黒っぽい眼は丸く大きくれ、よく動きよく笑う。長くて高い鼻の下には濃い口ひげを生やしたり、剃ったりしている。艶のいい頬やもみあげのあたりからはいつもオー・ド・コローニュのいい匂いなどさせていたのではなかろうか。そんな風にも思われるほど、こざっぱりとして、身奇麗だ。(中略) 明治15年(1882)4月、来日して3ヶ月目に横浜で撮ったという侍姿の写真も残っているが、なかなかハンサムな優男に写っている。これではビゴーの身辺にさまざまな日本女性が出入りしたというのも、もっともだと思われる。作品から推しても彼自身かなりの色好みだったと思われるが、女のほうから眺めてもちょっと惚れたくなるような洒落者だったのだろう。 口にくわえている曲がったパイプをちょっとはずすと、たちまち軽快な早口のフランス語が飛び出し、それに片言の面白おかしい日本語や、ときに英語も混じったのにちがいない。男の眼は愉快そうにまた皮肉っぽく、いきいきと輝きながら・・・・。 このようなパリ生まれのパリっ児の才人が、1870年代の後半、ジャポニスムがいよいよさかんになるパリで、フェリックス・ビュオやエドモン・ド・ゴンクール、フェリックス・レガメなどと知り合いになり、日本に憧れてついに明治15年(1882)1月末、22歳の若さで横浜にやって来たのである。 そしてそれから明治32年(1899)6月、39歳で帰国するまで、前に記したように実に18年の間を日本で暮らした。 いわゆる文明開化時代の終りの頃から、自由民権と鹿鳴館の時代、そして憲法発布と日清戦争、またなによりも条約改正へと、内にも外へも揺れ動き、急速に変転する明治半ばから後半の日本列島の情景を、あのよく動く眼で上から下から、表から裏から、外国人の治外法権の特権を生かしながらも大概は斜めから、ほとんど絶え間もなく観察し、記録し、風刺をこめて描いていったのである。ビゴーのこの漫画集、石版素描集が面白くないはずがない。 ビゴーの作品は、『トバエ』などの石版画のみならず、その水彩や油彩の作品も含めて、まだまともにフランス美術史のなかに位置づけられてはおらず、フランス・ジャポニスム運動の一環に名をとどめるにすぎないという。それは無理もないことである。 ビゴーは才気ある絵師にはちがいなかったが、同時代のマネヤモネやルノワールやゴーガンとならぶような第一流の独創の天才ではもちろんなかった。第二流でさえなかったろう。しかし、この異国における風刺の絵師をそのように同時代母国の画壇にすぐさまひきもどして格付けをしてみようというのは、たとえば徳川美術史の上で淋派や南画派と浮世絵師とを直接にならべてどちらが偉いかと問うのにも似て、あるいはそれ以上に、ジャンル、技法、また職分の別を故意に無視してしまうことになりかねない。 ジョルジュ・ビゴーにはジョルジュ・ビゴーの、19世紀後半の東西美術・文化交流史、また明治日本社会史の上における「分」、役割というものがあったのであって、彼はそれを十分に立派に果たした。おそらくはドーミエの風刺画の流れに北斎漫画の刺激が加わった画環境のなかから出てきて日本に渡来し、その資質と境遇とさまざまの偶然とから、明治日本の世態風俗を独自の見方で思うさまに描き批評するのが、その生涯の主要な仕事となってしまった画家。 彼はみずから「仏国の江戸っ子なりと自称」していたそうだが、まさにフランス生まれの浮世絵師、パリからやってきた明治の浮世絵師として、河鍋暁斉、チャールズ・ワーグマン、小林清親ら、日本における先輩・同僚の向こうを張ることとなったのであった。私たちはそのような日本なりの評価を添えて、いつか彼をフランスの近代美術史、美術社会史の分野に一時帰国させてやればよいのであろう。■ビゴー漫画のプロンプター ところが、明治の世相風刺の絵師としても、ビゴーの独創性はどの程度であったか、どのあたりまでが彼自身のものといえるのか、一応は疑ってみる必用のある作も少なくない。 とくに『トバエ』を中心としたこの「明治の世相」の巻で、日本語の文章を長短さまざまに書き入れた政治風刺の作については、かならずや日本側の協力者がいたにちがいない。達筆で書かれたその文字はもちろん、ときに中国の故事や漢詩の数句を織りこんだりする文章も、日本人でかなり学のある者でなければ書けないものであることは確かである。さらには風刺の発想そのものも日本人協力者から来ているのではないかと思われる例もある。トバエの数枚を見てみましょう。
2026.08.12
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.rtfデータには往生こいているので、図像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、図像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争』という本を、手にしたのです。終戦記念日が近づくと、メディアもこぞって戦争特集を掲げるので・・・私もあの戦争は何だったのかと思うわけです。【秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争】井上祐子著、みずき書林、2018年刊<「BOOK」データベース>より戦時下の日本とはどういう場だったのか。そして大東亜共栄圏のもとで各国の人びとはどのように暮らしていたのかー。陽の目を見ることなく眠っていた写真2万点のなかから200点を精選し、詳細な解説とともに紹介。陸軍参謀本部傘下の写真工房“東方社”の実像に迫るとともに、当時の日本・中国・東南アジア各国の変動していく社会をとらえる。<読む前の大使寸評>終戦記念日が近づくと、メディアもこぞって戦争特集を掲げるので・・・私もあの戦争は何だったのかと思うわけです。rakuten秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争「はじめに」で東方社とか宣伝誌『FRONT』が紹介されているので、見てみましょう。p6~8<東方社と「東方社コレクション」>■東方社とは 東方社とは、陸軍参謀本部傘下の特殊機関として、主に対外向けの写真宣伝物を制作していた団体である。同社は1941年春に設立されたが、設立のきっかけはその2年ほど前にさかのぼる。 当時陸軍は、張鼓峰やノモンハンにおいて、ソ連との紛争に敗北していた。そのため参謀本部第二部第五課(ロシア課)と第八課(情報・宣伝・謀略)では、ソ連への宣伝・謀略の強化によって日本の威信を回復することを考え、ソ連の国家宣伝のためのグラフ雑誌『USSR in Construction(ソ連邦の建設)』に対抗しうるような雑誌の制作を、後に東方社の初代理事長となる岡田桑三にもちかける。 岡田は映画俳優でもあったが、映画や演劇だけでなく、写真や写真宣伝物に対しても造詣が深く、当時、国際報道写真協会の同人であった。国際報道写真協会は、写真家木村伊兵衛、グラフィックデザイナー原弘、美術評論家伊奈信男らが運営していた中央工房に併設された対外写真配信機関であり、ここを拠点に彼らはソ連やドイツなど海外の雑誌や宣伝物に学びながら、写真宣伝物の研究を進め、実績も積んでいた。 東方社は、この中央工房・国際報道写真協会を軸に、評論家の林達夫、民族学者の岡正雄・岩村忍などが加わって設立された。(中略) 当初の運営資金は三井や三菱など財閥からの寄付に仰いだ。陸軍参謀本部の音頭取りで作られた東方社は、資材は陸軍から支給され、制作品もすべて陸軍が買上げるという陸軍と深く結び着いた団体であったが、あくまでも民間会社で、前述のように参謀本部の特殊機関という位置づけであった。気鋭の知識人やクリエーターたちが集まって、対外宣伝物という一種の“軍需品”を参謀本部の下で制作していた、特殊な民間写真工房だったといえば、少しわかりやすくなるだろうか。(中略) 1941年5月に作成された設立趣意書によれば、東方社は『東亜建設』という一冊一テーマの月刊グラフ雑誌の刊行を業務の中心に据えていた。同誌が予定していたテーマには、「産業戦士」、「高等専門教育」、「駐日留学生」、「働く日本女性」などがあり、「日本海軍」、「日本陸軍」もあったものの、必ずしも軍事宣伝を優先したものではなかった。しかし、世界情勢が変転する中で、その性質を変えざるを得なくなっていく。 つまり、40年9月に日独伊三国同盟が結ばれ、41年4月に日ソ中立条約が結ばれる一方で、同年6月に独ソ戦が始まり、日本政府・軍部は南進に舵を切り、対米英戦争が必至となった。そのためにソ連を主たる対象とした国家宣伝誌『東亜建設』は、中国や東南アジアを主たる対象とした軍事宣伝誌『FRONT』へと切り替えられることとなったのである。『秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争』2:占領初期の華北地方『秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争』1:占領初期のマラヤ・シンガポール
2026.08.10
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.rtfデータには往生こいているので、図像を入れるには旧日記のデータに文章を追記してお茶を濁してきているのだが・・・・今回もその手で、図像入りデータを復刻したのです(汗)*********************************************************図書館で『フランス語っぽい日々』という本を、手にしたのです。どこを開いても・・・夫の描くマンガの頁、妻の述べる説明の頁がセットになっていてわかり易くて興味深いのである♪【フランス語っぽい日々】じゃんぽ~る西×カリン西村著、白水社、2020年刊<「BOOK」データベース>より外国語を愛する、外国語に苦しむすべての人に。日仏夫婦が漫画とコラムでつづる、異文化・外国語学習・子育ての悲喜こもごも!<読む前の大使寸評>どこを開いても・・・夫の描くマンガの頁、妻の述べる説明の頁がセットになっていてわかり易くて興味深いのである♪rakutenフランス語っぽい日々カリンが新旧のシャンソンについて述べているので、見てみましょう。p78~79<35 シャンソンで Èn chanson> 外国語の学習法でつい忘れがちなものに「歌 chanson」がある・・・息子が日本語で童謡を歌っているのを聞くたびそう思います。それまでは知らなかったけれど、日本のちびっ子たちがみんな知っている節回しのおかげで自然と覚えることができた言葉が童謡にはたくさんあります。 息子は歌でアルファベットを覚え、フランス語で10まで数えることもできるようになりました。言語にはその言語固有のメロディーというものがあって、たとえ何も理解できないとしても、よく聞いてそのリズムやイントネーションを覚えることが肝要。子どもは見事にそれをやってのけます。 日本人にとって「シャンソンchanson」といえば特定のカテゴリーを思い起させます。それは、必須の作詞家や歌い手の名とともに刻まれた1940~80年代のフランスの流行歌。シャルル・トレネ、ジョルジュ・ブラッサンス、ジャック・ブレル、セルジュ・ゲンズブール、エディット・ピアフ、ジュリエット・グレコ、シルヴィ・バルタン、ジェーン・バーキン、フランソワーズ・アルディ・・・以下略。 日本にはフランス好きの小さなアマチュア歌手グループが数多くあり、みなこうしたアーティストたちのシャンソンを覚え、たがいに感染力の強い熱心さで分かち合っていることにいつも驚かされます。 想像してみてください。パリのあちこちで演歌のリサイタルを開く、何十ものフランス人集団があるでしょうか。 いっぽうで、これらアーティストの全盛期以降もフランスの歌謡曲はかなり進化しているのに、残念ながらバンジャマン・ビオレ、ドミニク・A、ブリジット、ケレン・アン、クリスティーヌ・アンド・ザ・クイーンズといった才能豊かな彼らの後継者たちは、日本ではほとんど知られていません。 バンジャマン・ビオレに「東京の椅子 Une shaise a Tokyou」という歌がありますが、最近のアーティストたちはまだまだ日本では人気の座を獲得できていません。ぜひ一度聞いてみてください。きっと耳に残るはずです。イヴ・モンタン、ジャック・ブレル、エディット・ピアフ、シルヴィ・バルタンなどをよく聞いたが・・・最近のシャンソン歌手はさっぱり知らないのです。1940~80年代以降のシャンソンについては聞く機会がなくなったのだが、メディアが取り上げないためか、フランコフォニーの意気消沈のためか?『フランス語っぽい日々』1:言葉とは思考の方法
2026.08.09
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?暦の上では立秋であるが実際は蒸し暑い盛夏であり、高校野球でも足をつる選手が頻発しているが・・・今年は各地で、40度超えの気温を記録する有り様で、まったく季節感が狂ってくるよなあ。『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon日本のならわしとしきたりこの本で、立秋のあたりを見てみましょう。和暦p20~21<立秋>過ぎてしまえば朱夏、また楽し秋立つ己 現行の暦(太陽暦)では、8月07日ころ「立秋」を迎える。この日から立冬(11月7日ころ)の前日までが「秋」の季節となる。立秋は1日だけでなく、次節気「処暑」の前日までを立秋としている地域もある。 しかし一般的には、立秋に入った日を「秋立つ日」とし、次節までは「立秋を迎え~」とか「立秋を過ぎて~」のような使い方をされている。 立秋を過ぎるころはまだまだ残暑が厳しく、体感的には「夏」の感じが濃厚だが、日一日と深まる朝晩の涼しさや空の高さに「秋の気配」を感じることがある。俳句では、立秋から立冬前日までの期間は秋の季語が用いられるが、秋に入ったばかりのころの微妙な気候を言い表した季語に「新涼」という言葉がある。 炎暑、猛暑の季節から小さな秋を見つけ、ホッとする風情がにじみ出ていて、言い得て妙な季語となっている。ちなみに『暦便覧』では「初めて秋の気立つがゆえなれば也」と説明している。 また「立秋」から、時候の挨拶は「秋」となり、「暑中見舞い」は「残暑見舞い」となる。さらに全国高等学校野球選手権大会も立秋のころが開幕となる。こうした定例行事や約束事が消化されつつ季節は移ろい、秋が深まっていくのである。 一方、旧暦で暮らした時代の人々に大きな影響を与えた概念に「陰陽五行思想」がある。中国の春秋時代の成立で、わが国には仏教、暦法などと共に5~6世紀に伝えられた。陰陽と五行の概念を合わせて、複雑な事象の解明が目指された思想である。「陰陽五行思想」によると、季節は春夏秋冬と中央の5つに分類され、内訳は、春は、「青・青龍・東」、夏は、「朱・朱雀・南」、秋は、「白・白虎・西」、冬は、「黒・玄武・北」、中央は、「黄・麒麟・真ん中」となっている。 神獣はいずれも想像上の動物で、朱雀は鳳凰に似た鳥、玄武は亀に蛇が巻き付いたもの、麒麟は市販のビールのラベルに同じ、青龍の絵は縁起物としてわが国でもふだんに見ることができる。わが国へのこの思想の影響は大きく、たとえば「会津の白虎隊」の名の出典にも影響があるようだ。 西欧の古典の理解には「聖書」の素養が必用なように、わが国の古典をひも解く場合や旧暦の理解に、知っておくと便利な概念ではある。 また七十二候には「涼風至(すずかぜ、いたる)」「寒蝉鳴(ひぐらし、なく)」「蒙霧升降(ふかき、きり、まとう)」がある。いずれも一読で風景がわかる候となっている。 ちなみに、蝉は夏の季語だが、蜩(ひぐらし)は秋の季語、また、霧は秋の季語である。霧と霞は良く似た事象だが、霞は春の季語となっている。「大暑」は、現行の暦では7月23日ころに初日を迎え、立秋(8月7日ころ)の前日までがその期間である。快晴が続くなか気温は上がり続ける。『暦便覧』では「暑気いたりつまりたるゆえんならばなり」と記されている。二十四節季の大暑に注目(復刻)*********************************************************■2022.08.07二十四節季の立秋に注目(復刻)https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202208070003/
2026.08.07
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*********************************************************図書館で『陽気なイエスタデイ』という本を、手にしたのです。国立国会図書館に勤めていた阿刀田さんは、図書館の権威とも言える存在でもある。・・・ということで図書館を活用するノウハウが見つかるかも♪【陽気なイエスタデイ】阿刀田高著、文藝春秋、2001年刊<「BOOK」データベース>よりオクラから聖骸布まで…作家の好奇心は尽きない。日々の出来事をちょっと変わった視点から見つめ、紡ぎだしたエッセイ集。そこには新しい発見がある。<読む前の大使寸評>国立国会図書館に勤めていた阿刀田さんは、図書館の権威とも言える存在でもある。・・・ということで図書館を活用するノウハウが見つかるかも♪amazon陽気なイエスタデイ阿刀田さんの「資料の利用法」を見てみましょう。ややアナログではあるが、情報活用のヒントが見つかるかも。p157~159<蔵書の整理・活用法> 資料の利用法について、私は二段階あると考えている。そう考えるほうが、結局便利なのだ。 第一のステップは、今、自分がやっている仕事について、どんな資料が役立つか、それを知ることである。たとえば、人間の死についてエッセイを書いていて、―えーと、臨終のときの言葉を集めた本があったな。そう、山田風太郎さんの「人間臨終図鑑」。二巻本で・・・。あれが役に立つぞ、きっと― と、過去の読書の記憶から必用なものを思い出すわけだ。 第二ステップは、それを自分の手元に持って来て、見られるような状態にすること。もちろんパソコンの画面に映るのでもかまわないけれど、普通のイメージで言えば、机の上にその本がそろうことである。山田風太郎著「人間臨終図鑑」の上下2冊が手もとに置かれることである。 自分の蔵書を充実させるということは、この二つのステップを、一つにまとめてしまうことなのだ。「あの本が役に立つはず」「はい、それがここにあります」という姿である。 これが便利であることは言うまでもないけれど、たくさんの資料を利用しなければならない立場では・・・まったくの話、現代では専門的に資料を利用するとなると、ほとんどの場合“たくさん”を想定しなければならないのだが、この便利が逆にあだになる。将来の便利のため、つね日頃からやたら資料を抱えておかなければうまく機能しない。 二段階に分けて・・・第1ステップをクリアーしただけでも、うれしいではないか。なにが役立つか、わかっただけでもすばらしいではないか、と考える。これがわかればしめたもの、有利なポジションに立ったと考えればよい。 そして、次にそれをどう手元に引き寄せるか。よい資料に気づいたことを喜びとしてから第2ステップを踏めばよい。この道を踏まず、第1ステップと第2ステップを一緒にしていたりすると、 -なんで、あの本がみつからないんだ、確か持っていたはずなのに- と、やたら苛立ってしまうのである。 具体的に記そう。 私はと言えば、たとえば雑誌を読んだときには目次を開き、読んだ記事に丸印、読んでおもしろいと感じた記事に二重丸をつける。そのあと、その目次を切り取り、本体は捨ててしまう。目次だけを雑誌のタイトルべつに綴じておく。そういうシステムを採用していた。 後日、なにかの折に、 -えーと、確かこれに関連すること、前に読んだな。「文芸春秋」の・・・5年くらい前の- と思い出して、目次の束をながめる。「文芸春秋」か「中央公論」、記憶がはっきりしないことはあるけれど、「図書館雑誌」だったか「プレイボーイ」だったか、とまちがえることはありえない。5年前か10年前か、これもごっちゃになることは、まあ、ない。目次の束を捜せば、簡単に見つかる。ここまでが第1ステップだ。 次に「文芸春秋」の平成3年5月号とわかったなら、それを図書館かどこかで借り出せばよい。すなわち第2ステップである。私の場合、近所の区立図書館の分館に訴えれば翌日の午後に入手できる。ウン この記事は参考になったでぇ♪ でもね、雑誌の目次を切り取って保管するというようなアナログ作業は、とても真似することは、出来へんで。ところで、阿刀田さん一押しのロアルド・ダール著『キス・キス』という短篇集を、当市の図書館に借出し予約しているので、近日中に紹介いたします♪『陽気なイエスタデイ』3:読書こそが青春の道しるべ『陽気なイエスタデイ』2:<女主人>:運命をかえた1冊『陽気なイエスタデイ』1:図書館と貸し本屋のちがい
2026.08.01
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恐竜と鳥類との進展の境目当たりが、私の目の付け所になるわけで・・・ということで、ネット情報や書籍から古代生物に触れた個所を以下の通り復刻して見ましょう♪******************************************************************図書館で『古生物たちのふしぎな世界』という新書を、手にしたのです。ぱらぱらとめくると、とにかく、想像力を加味したカラー画像がええでぇ♪・・・ということで、ネット情報や書籍から古代生物を集めてみます。・(科学)魚類の化石に「指」の骨、前肢へ進化途中?(2020年)・古代生物のオオスナモグリか(2019年)・古生物たちのふしぎな世界(2018年刊)***********************************************************************(科学)魚類の化石に「指」の骨、前肢へ進化途中?より魚類の化石に「指」の骨、前肢へ進化途中? カナダ・ケベック州で10年前に発見された約3億8千万年前の魚類の化石の胸びれに、「指」にあたる骨が隠れているのが見つかった。魚類から陸で暮らす四肢動物への進化段階とされる化石はいくつか知られるが、前肢(手)の指に関わる骨がはっきり確認できたのは初めて。 化石は、四肢動物に近いとされるエルピストステゲ・ワトソニのもの。長さ1・57メートルのほぼ全身の化石から、カナダと豪州の研究チームが胸びれ部分をCT検査したところ、指にあたる2本の骨と、指の可能性がある3本が見つかった。 両生類や爬虫類につながる四肢動物が現れたのはデボン紀(約4億1900万~3億5900万年前)の後期。エルピストステゲはこれまで、最初期の四肢動物に最も近い魚類の一種と考えられてきたが、研究チームは指の発見により、エルピストステゲがこれらの魚類のなかでも最も四肢動物に近かったと位置付け、「魚類と四肢動物の境界をひくことさえ難しくなってきた」としている。 魚類化石に詳しい城西大大石化石ギャラリーの宮田真也学芸員は「外見上は胸びれだが、前肢へ変わる過程で指がつくられていたことがはっきりした。ただ、エルピストステゲそのものが四肢動物の祖先になったのかは、まだ分からない」と話した。(米山正寛)四肢動物に最も近い魚類ってか、なんかやや薄気味悪い生物である。***********************************************************************<古代生物のオオスナモグリか>『古生物たちのふしぎな世界』という本を読んで以来、古代生物が気になる大使であるが・・・絶滅の甲殻類 オオスナモグリが発見されたという、このたびの衝撃的なニュースには驚いたのです。2019/06/05“絶滅”の甲殻類 オオスナモグリか 干潟で発見より■スナモグリ 日本の海辺では主に3種類日本の海辺に生息するスナモグリの仲間は「二ホンスナモグリ」など主に3種類が知られています。いずれも干潟などに穴を掘ってその中に潜り込んで生活し、ハサミの部分は固いものの、ほかの部分は白っぽく柔らかい体をしています。一方「オオスナモグリ」は、50万年から8万年前の地層から化石として出土していて、現在生息しているスナモグリよりもハサミが大きいことなどからこの名前がつけられました。すでに絶滅したと考えられていましたが、おととしの1月、熊本県天草市の海底の堆積物から「500年から400年ほど前のハサミの殻が見つかった」と日本古生物学会で報告され、現代でも生きている可能性があると考える研究者もいました。今回「オオスナモグリ」の可能性が高いとみられている個体は、一般的な「二ホンスナモグリ」と比べるとひとまわり大きく、今後、生息域や生態の研究を進めていきたいとしています。千葉県立中央博物館の駒井智幸主任上席研究員は「スナモグリの仲間は深い巣穴を掘るため、特殊な機材を使い、潮がひいて海底が現れるような場所で捕獲することがある。オオスナモグリの場合はさらに深く、発見しづらい環境で暮らしていた可能性があるのではないか」と話しています。***********************************************************************【古生物たちのふしぎな世界】土屋健, 田中 源吾著、早川書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より恐竜だけが古生物じゃない!前恐竜時代にもさまざまな古生物が生きていた。三葉虫が繁栄し、アノマロカリスがカンブリア紀の覇者となる。デボン紀にはアンモナイトの仲間がまっすぐのびた円錐形からしだいに丸くなり、ティクターリクが“腕立て伏せ”をはじめる。古生代最後のペルム紀には、イノストランケヴィアをはじめとする単弓類が覇権をにぎる!ダイナミックかつドラマチックな古生代の物語。100点に及ぶ精緻なカラーイラスト&化石写真で解説!<読む前の大使寸評>とにかく、想像力を加味したカラー画像がええでぇ♪rakuten古生物たちのふしぎな世界ティクターリク『古生物たちのふしぎな世界』3:脊椎動物の上陸作戦『古生物たちのふしぎな世界』2:脊椎動物の祖先『古生物たちのふしぎな世界』1:アロマリカリス
2026.07.31
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*********************************************************図書館で『ロシア・ナショナリズムの真相』という本を、手にしたのです。世界の大迷惑とも言えるロシア・ナショナリズムが述べられているので、チョイスした次第です。【ロシア・ナショナリズムの真相】植田樹著、彩流社、2019年刊<「BOOK」データベース>よりソ連崩壊後の混乱と怒りと屈辱感は、今から150年前のクリミア戦争の敗北から農奴解放、革命へと向かう一大転換期の時代と類似点が極めて多い。ドストエフスキーはこの時期、大作の執筆の傍ら、雑誌に連載した『作家の日記』の評論で、スラヴ派の論客として政治、社会評論家として精力的に活動したが、その主張や当時の対ヨーロッパについての屈折した視点や感情は、現代のロシアの行動を理解する上では不可欠である。プーチンに率いられる現代ロシアの強力なナショナリズム、大国意識の底にあるスラブ主義の本質に迫る。<読む前の大使寸評>世界の大迷惑とも言えるロシア・ナショナリズムが述べられているので、チョイスした次第です。rakutenロシア・ナショナリズムの真相「あとがき」で、ロシア人の本質が述べられているので見てみましょう。p301~303<あとがき> 歴史を鳥瞰すると、現代のロシアとドストエフスキーが生きた19世紀後半の帝政ロシアとは実線ではないが、幾つもの粗い点線でつながっているように見える。それを本書では試みに「ロシア・ナショナリズム」という一本の線でつないでみた。それは普段は目に触れることのないロシアの大地とロシア人の心の奥深くに時代を超えて脈々と流れている。 本文で記したように、同時代のロシアには「スラブ主義者」だけでなく「西方主義者」もいたし、 スラブ主義者の陣営にもドストエフスキーとは違う傾向の思想家も大勢いた。従って本書ではドストエフスキーだけでなく彼を囲んだ、それらの知識人の群像や肉声を通して ロシア・ナショナリズムの輪郭と本質をつかむことをめざした。 何事にも「変わるもの」と「変わらぬもの」があるのはロシアも同じである。例えば、現代のロシアの知識人や若者の関心は時代を反映して教会よりも社会思想、ソビエト時代には政治イデオロギーに向けられていた。しかし、昔も今もロシア人の心の中では西のカトリックやプロテスタントではなく、「東の正教」への帰属意識が決定的に強いことには変わりない。 皇帝はいなくなっても民衆が「強い国家指導者」に依存する体質も変わっていない。市民としての個々人の自由や権利よりも民族や国歌を重要視する「共同体」を志向する思想も根強い。 現代の中央アジアをめぐるロシアと中国の勢力圏争い、中東のシリア、トルコをめぐるロシアと欧米のNATOとの綱引きなどの構図は、19世紀のバルカン半島をめぐる「東方問題」と重なって見える。 クリミア半島やウクライナ、グルジア(ジョージア)問題などをめぐる欧米諸国によるロシアに対する不信感や制裁も、 19世紀のバルカン半島やコンスタンチノープルをめぐる西ヨーロッパ列強諸国との緊張関係と対比できるだろう。時代は違っても「ロシアとヨーロッパの間の距離感」は本質的に縮まっていない。「歴史の縦の時間軸と地政学の横軸に ロシア・ナショナリズムが絡み合う三次元の立体的構図」の中で現代の変貌する様々な事象が生起している。 とは言え、現代のロシアの政治も外交も、帝政ロシアの19世紀のそれとは同じでないことは言うまでもない。国家体制は違っているし、歴史体験や文明の進化によって生じた人々の意識の変化、内外の環境も諸条件も全く違う。歴史は繰り返されることはない。ソビエト体制は多くの弊害をもたらしたが、科学技術や産業を飛躍的に発展させた。そして今ではロシア人としての自覚も自信も一層深まっている。 しかし、現在、未来の事象が過去と断絶して全く無関係に起こることも稀である。 変わるものと変わらないものが絡みあって螺旋状に動いている。(中略) 国家や民族も現在を生きるにあたって過去を全くは無視できない。現代のロシア人の考え方や政策の深層にも、そうした意味での「ナショナリズム」の因果律を読みとることが出来るだろう。 本書の上梓にあたっては 彩流社の社長、竹内淳夫氏に重ねて多大のご尽力とご支援を賜りました。末尾ながら、ここに心からの御礼と感謝を申し上げます。 2019年2月『ロシアナショナリズムの真相』1:ロシアナショナリズム『ロシアナショナリズムの真相』2:ロシアナショナリズムの本質
2026.07.29
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*********************************************************著名な絵本作家といえば、私の場合ショーン・タンが筆頭になるわけで・・・『ショーン・タンの世界』という本を復刻して読み直そうと思ったのです。油彩画や彫刻まで手掛けているようだが、モノクロの線描画が一押しでおます♪*********************************************************図書館で『ショーン・タンの世界』という本を、手にしたのです。ぱらぱらとめくってみると、油彩画や彫刻まで載っていてショーン・タンのすべてが見られるわけで・・・ええでぇ♪【ショーン・タンの世界】ショーン・タン著、求龍堂、2019年刊<出版社>よりオーストラリアの作家ショーン・タン(1974年~)は、1999年に刊行した初めての絵本『ロスト・シング』を元に、2010年に短編アニメーション映画を発表し、同年の第83回アカデミー賞の短編アニメ賞を受賞しました。2006年に発表した文字なし絵本『アライバル』は大きな反響を呼び、各国で刊行されています。本書は、2019年5月に開催される日本初の展覧会『ショーン・タンの世界 どこでもないどこかへ』展の図録兼書籍として刊行。<読む前の大使寸評>ぱらぱらとめくってみると、油彩画や彫刻まで載っていてショーン・タンのすべてが見られるわけで・・・ええでぇ♪rakutenショーン・タンの世界『ロスト・シング』原島恵さん(ちひろ美術館主任学芸員)の解説を、見てみましょう。p178~179<ショーン・タンのまだ語られていない物語をもとめて:原島恵> 2019年1月、私はショーン・タンに会いにメルボルンへ行った。案内されたアトリエは、コロニアル風の建物が建ち並ぶ静かな住宅街の一角にあった。うっそうとした緑に囲まれた小さな平屋建ての家は、100年以上前にたてられたものだという。終始穏やかな彼は、幼い子供たちの世話のために度々中座しては、私たちの要求や質問に根気よく応えてくれた。 笑うと少年のような表情になるこの作家の内側に、創作への妥協のない情熱が持続していることがはっきりと感じられた。そして常に公正に意見を受け止め、面白いことを共有しようとする態度は、彼の作品から感じられるものと同じだった。(中略) 彼が初めて原稿料を手にしたのは1990年16歳のとき、SF雑誌の表紙絵である。公表されていない作品であれば、さらに時を遡る。幼いことからアニメーションやSF映画に親しんでいたタンは、11歳のときに絵入りのSF長編物語を自作している。大学では美術と英文学を学ぶ傍ら、SF雑誌にイラストレーションを描き、同人誌に短編小説も発表している。 タンにとって、物語をつくることと、それを視覚的にとらえることは、当初から分かちがたき結びついているのだろう。その後、ヤングアダルト向けのホラー小説シリーズに絵を描き、本格的にイラストレーターとしてデヴューする。 彼が初めて取り組んだ絵本は、ゲアリー・クルーと組んだ『ヴューワー』(1998年)だ。物語は、少年がゴミ捨て場で見つけたのぞき眼鏡のような道具を通して、戦争や災害の歴史を目の当たりにするという内容である。(中略) 絵を中心に場面が展開し、文章も画面のなかの視覚的効果を考えて配置している。翌年、ふたりは、第一次世界大戦に従軍したオーストラリアの男を描いた絵本『思い出』で再び共同する。男の人生に沿って、1本の樹の変遷が見開きページで挿入され、過去の出来事を表す場面では、ひとつの場面にいくつかのコマを配置して、そこに写真を元にシタモノクロームの絵を描いている。コマや写真を使い、時空間を移動する表現は後の『アライバル』へつながっていく。(中略) タンが初めて絵と文を共に手がけた絵本は『ロスト・シング』(2000年)だ。彼は、絵とことば、それぞれが語るものと欠落部分を読者に意識させるように場面を構成している。 文で「そいつ」または「迷子」と呼ばれる生き物は、絵では、異形の生き物として描かれている。「迷子」には顔がないため、煙突のような部分から吐き出される煙や、ストーブのような体から出ている触手から感情を推測するしかない。 背景には、威圧的な建物や規格品のような家や電車に乗る無表情な人々が描かれ、そこは管理主義的な社会であることが読み取れる。絵本そのものに貼られた「国家書籍管理局」による検閲済みのラベルがその推測7を確かなものにする。「迷子」はこの社会からはみだした存在だ。語り手である少年は紆余曲折の末、「迷子」に適していそうな場所を見つけるが、「この話の教訓はなにかなんて、聞かないでほしい。」と書かれている通り、結末をどうとらえるかは私たちに委ねられている。 物語の筋立てとことばは単純だが、絵にはいくつもの視覚的要素が織り交ぜられ、多くのことW語りかけてくる。例えば、表紙はオーストラリアの画家、ジェフリー・スマートの絵を下敷きにしている。他にも、エドワード・ホッパーやヒエロニスム・ボスの絵、物理の教科書、1930年代の機械、メルボルンのトラム、チャールズ・シーラーの写真など多岐にわたる。視覚的要素が参照や引用されている。 だが、「迷子」は何者で、どこに帰属するのか、その正解は描かれていない。目には見えているけれど、感嘆に名前をつけたり、置き場所を決めたりできないものを前に、私たちは途方に暮れ、自分の記憶を探る。タンはその意味をこう語る。「最終的に物語は意味を持ち、私たちが広い心を持って日常の中にある曖昧さを積極的に受け入れることの大切さを思い出させます。こうして私たちは、閉ざされた意味の忘れられた状態、息詰まったリテラシーから救われるのです」『ショーン・タンの世界』4:夏のルール『ショーン・タンの世界』3:ロスト・シング『ショーン・タンの世界』2:インタビューQ3『ショーン・タンの世界』1:インタビューQ1、Q2
2026.07.22
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『雑草はなぜそこに生えているのか』 (復刻)*********************************************************図書館に予約していた『雑草はなぜそこに生えているのか』という新書を、待つこと5日でゲットしたのです。いま森絵都著『カザアナ』という小説を読んでいるところだが・・・その小説では「病によき種をあてる草読」となっています。とにかく、野草あるいは雑草に目がいく昨今でおます。 【雑草はなぜそこに生えているのか】稲垣栄洋著、筑摩書房、2018年刊<「BOOK」データベース>より「抜いても抜いても生えてくる、粘り強くてしぶとい」というイメージのある雑草だが、実はとても弱い植物だ。それゆえに生き残りをかけた驚くべき戦略をもっている。厳しい自然界を生きていくそのたくましさの秘密を紹介する。<読む前の大使寸評>いま森絵都著『カザアナ』という小説を読んでいるところだが・・・その小説では「病によき種をあてる草読」となっています。とにかく、野草あるいは雑草に目がいく昨今でおます。<図書館予約:(3/17予約、3/22受取)>amazon雑草はなぜそこに生えているのか ホトケノザ「第五章 雑草の花の秘密」を、見てみましょう。 p86~88■紫色の花が選んだパートナーは? この優秀なパートナーを惹きつけるために、ハチを呼び寄せる花は、たっぷりの蜜を用意してハチを出迎える。 ところが、これには問題があった。 蜜をたくさん用意してしまうと、ハチ以外の他の虫も集まってきてしまう。せっかく奮発して用意した蜜を他の虫に奪われてしまうのだ。 紫色の花は、どうやってハチだけに蜜を与えることができるのだろうか。 人気のある学校に入るためには、「入学試験」というものがある。 じつは、紫色の花も、蜜を与える昆虫を選ぶための「選抜試験」を行うのである。 紫色の花は、複雑な形をしているのが、特徴である。この複雑な形が、まさに入試問題である。 身近な雑草であるホトケノザの花を観察してみることにしよう。■ホトケノザの花の秘密 ホトケノザは、スミレやタンポポほど知られていないかも知れないが、小学校の生活科の教科書でも紹介されるほど、身近に見られる雑草である。 ホトケノザは小さな花だが、よく見ると、なかなか美しい花を咲かせている。 下の花びらには、斑点のような模様がある。これが、蜜のありかを示す「蜜標」と呼ばれるものである。蜜標はガイドマークや、ネクターガイドとも呼ばれている。この蜜標を目印にして、ハチはこの花びらに着陸する。下の花びらはまるでヘリポートのような役割を持っているのだ。 ホトケノザは、ミツバチが訪れるのには小さいが、小さなハナバチが訪れる。そして、花びらに着陸すると、ちょうど着陸した飛行機を誘導するラインのように、花の奥に向かって蜜標が続いている。この道しるべに従って、花の奥深くへと進んでいくと、花の一番深いところに蜜があるのである。 横からホトケノザの花を見ると、花の形が細長く、花の中が奥深くなっている。じつは、この狭い中に潜り込んで行って、後ずさりして出てくるというのが、普通の昆虫は得意ではない。これに対して、ハチは花の奥深くへ潜っていくことを得意としているのである。 蜜標が蜜のありかを示すサインだということが理解できる頭の良さ、そして花の奥へと入っていくことのできる勇気と体力を持った虫だけが、蜜にありつくことができる。 こうしてホトケノザは、知力テストと体力テストによって、パートナーとしてふさわしいハチだけに蜜を与えることに成功しているのである。 ホトケノザだけでなく、紫色をした花は、どれも蜜標や奥に深い構造をしている。『雑草はなぜそこに生えているのか』3:「第三章 播いても芽が出ない」の冒頭『雑草はなぜそこに生えているのか』2:「第二章 雑草は強くない」の続き『雑草はなぜそこに生えているのか』1:「第二章 雑草は強くない」の冒頭 *********************************************************■2020.03.28『雑草はなぜそこに生えているのか』4https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202003280000/
2026.07.10
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『懐かしい!1960年~1970年代に流行ったフレンチ・ポップスやカンツォーネを楽しむ!』というサイトがええわけで・・・性懲りもなく以下のとおり復刻して読み直してみましょう♪*********************************************************おっちゃん音楽館の『懐かしい!1960年~1970年代に流行ったフレンチ・ポップスやカンツォーネを楽しむ!』というサイトがええわけで・・・他人のサイトではあるが、以下のとおり復刻、そして加筆させていただきました。(チョット、厚かましかったか)*********************************************************いつもご視聴いただきありがとうございます。今回は1960年代中頃から1970年代始めにかけて大ヒットした懐かしいフレンチ・ポップス、カンツォーネを特集してみました。00:00 アイドルを探せ(シルヴィ・バルタン)01:21 そよ風にのって(マージョエリー・ノエル)03:03 夢見るシャンソン人形(フランス・ギャル)04:22 オー・シャンゼリーゼ(ダニエル・ビダル)05:43 シェリーに口づけ(ミッシェル・ポルナレフ)07:15 ほほにかかる涙(ボビー・ソロ)09:06 花のささやき(ウィルマ・ゴイク)10:38 雨(ジリオラ・チンクェッティ)11:57 夢みる想い(ジリオラ・チンクェッティ)今想えば、これらの曲はなぜか1960年代中頃から1970年代始めまで大ヒットして、その後はさっぱりという状況ですが、時代の流れだったんでしょうかねえ。いい曲が多く、ラジオ番組などでもしょっちゅう取り上げられてよく聴いた記憶があります。また、日本の歌手がカバーして、それもヒットすることも多く、楽しませてくれましたねえ。イタリアのサンレモ音楽祭は有名で、日本からも布施明や伊東ゆかりなども参加していました。この音楽祭からヒットした曲が多く、やはり聴かせてくれます。全体的にやっぱり時代がのんびりしていたというかある意味のどかやったんやなあと感じさせられますな。今の世の中はやかましい(笑)フレンチ・ポップスは、従来のフランスの曲というとシャンソンになるわけですが、それと区別するように名付けられたそうです。本当は欧州系の音楽ということでイギリスの曲も入れようと思ったのですが、さすがに時間的に無理なのでイギリス系はまた改めて。ペトゥラ・クラークの「恋のダウンタウン」とか、ザ・シーカーズの「ジョージー・ガール」とか取り上げたい曲があるんですけどねえ。まあ、おいおいということで。***********************************************************************ウン 私の好きな以下をとりあげている(&言及している)のが、ええでぇ♪・シルヴィーバルタン「アイドルを探せ」・雨(ジリオラ・チンクェッティ)・The Seekers - Georgy Girlそれから『1960年代のアメリカン・フォークソングもたまには聴いてみよう』、『今夜は懐かしい映画音楽ピックアップをどうぞ』に見られるようにおっちゃんの渋い選曲には痺れるのでおます♪*********************************************************■2020.03.02XML懐かしい!1960年~1970年代に流行ったフレンチ・ポップスやカンツォーネを楽しむ!https://www.youtube.com/watch?v=6Uc97cirp9Q
2026.07.07
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昨日書いた「個人情報・パスワード等」を読み返したのだが・・・冗長なヵ所、意味不明なヶ所があったので、削減しております。<font color="brown"><個人情報・パスワード等></font>■気になる言葉、課題■難読漢字をどう書くか■恨500年に基づくカルト集団=統一教会、日本の警察をあざ笑うようなハナロシステム■.rtfデータの操作性向上について■デジタル朝日のスクラップブック https://digital.asahi.com/member_scrapbook/?iref=pc■2008年新潟のスナックで歌った曲■新しいBingへ質問:闇バイトへの勧誘、スマホ比較、文体例、■OneDriveの設定■「青木の法則」:自民党の経験則■オキシトシン=絆のホルモン、戦争への誘惑■携帯電話ポータルサイト(政府系)■ポール・ジャクレーの木版画■中国人の団体観光客の容認はオーバーツーリズム、スツケースの不法投棄、中国人の経済感覚はエグイ■インド発の個人認証システム■小松左京『大震災’95』、『復活の日』、核酸兵器(むきだしの核酸)、アメリカ文化センターで最新情報を入手■地域ネコがお友達■ペロブスカイト太陽電池:薄くて軽い、中国で量産工場が稼働開始、積水化学工業の次世代型太陽電池■大型蓄電池:玉野市の電池工場は自社の電力を賄う、EVの急速充電所に採用済み、電気運搬船を2025年船出を目指す■元田の教育勅語は朱子学に基づいていたので、伊藤博文は嫌っていた。軍部が統帥権を持ち出して機密文書「統帥参考」は終戦前に焼却処分された。■腸内細菌:短鎖脂肪酸でT細胞を生み老化防止、食物繊維(バナナ、納豆など)で育菌、バナナ状のウンチが目安■超減圧蒸留の米焼酎(只見町)■高架下の活用:レタス工場、ホテル、学生寮など、神戸元町は先行例■フィルターバブル&エコーチェンバー:個人のネットに反対意見が見えなくなる</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">太字<b></b><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/"><戻る></a>*********************************************************<hr size=3 color=green> <気になる言葉、課題>・魚肉たんぱく:消化吸収率が高い、かまぼこ、ちくわ・ワークマンがユーチューバーを社外取締役に採用・「赤缶」カレー粉スティック ・AI作画イラスト・地雷系・エレファント・マザー(NHK)・zakzak 夕刊フジ・NHKスペシャル「国家主席・習近平」、台湾統一、https://plus.nhk.jp/watch/ch/g1・大規模言語モデルの驚異と脅威 https://www.youtube.com/watch?v=PUuk4Cv-ycg・元町香美園のカレー・アニサキスアレルギー:魚介類の生食は要注意・マイクロソフトBingはミニ版のチャットGPTである。・水彩絵の具とガラスペン・免疫チェックポイント阻害薬・ニジェールからフランス人の脱出、危険な脱出には慣れている、ニジェールのウラン産業・国立国会図書館ギャラリー展示 https://rnavi.ndl.go.jp/jp/gallery/gallery-exhibitions/index.html・謎の承認とウラン争奪戦 サンジェの手記とコンゴのウラン鉱石 ウラン鉱石の在庫をニューヨークに出荷 1942年9月米軍に売却契約・Ⅹ社(旧ツイッター社)の恣意的な運用開始にともなって、日本の自治体はⅩ社のSNSを廃止さかん。・京都試作ネット:小さな組織が世界を征する。・西野亮廣の公式ブログ。 https://chimney.town/blog-all/<hr size=3 color=green> <インターネットラジオ><a href="https://freesoft-100.com/web/netradio.html">無料インターネットラジオ一覧</a>インターネットラジオとはネットラジオとも呼び、インターネットで楽しむことができるラジオです。AMやFMなどのラジオ放送局などが提供していたり、個人でネットラジオ局を開設して放送している番組もあります。ネットラジオには音楽番組を扱ったり、トーク中心だったりラジオ番組によって内容は異なります。配信形態も録音したものを放送する「オンデマンド配信」だったり、リアルタイムに番組を放送する「ライブ配信」だったり、ネットラジオ放送局によって様々なカラーが出ています。ポッドキャストでも配信されているので、あわせて確認しておくとよいかもしれません。NHKプラスが見えるので、テレビの必要性は薄い<hr size=3 color=green><フランス関連>・ゴダールの「中国女」 2012.11.10・『星の王子さまのはるかな旅』(復刻) 2022.11.30・『フランス語の綴り字記号とアクセント』 2022年10月01日・『フランス仕込みの暮らし術』2 2023年04月15日・Le dictionaire multifonctions TV5が提供する便利サイト。仏仏辞書、同義語辞典、動詞活用検索等・在日フランス大使館 https://jp.ambafrance.org/-Japonais-・『Au sud de la frontiere, a l'ouest du soleil』 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202007260001/・2011.05.02XML ずっこけフランス滞在記 (2) https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201105010000/<hr size=3 color=green><中国の地方行政区分>安徽省福建省甘粛省貴州省黒竜江省河南省湖北省湖南省江蘇省江西省吉林省遼寧省青海省陝西省山東省山西省浙江省台湾省 (実効支配していない)<hr size=3 color=green><YOU TUBE>・YOU TUBEで好きな歌を 2022.12.27・ジャンヌ・モローがきれいだった頃 2008.08.08・「サチコ」も「Adoro」もあるでよ~♪ 2008.08.12・恐ろしい軍楽隊? 2008.10.03・韓国トロットを巡ってみます 2008.11.28<a href="https://www.youtube.com/watch?v=EKe9ybFDQ1A">Du hast den farbfilm Vergessen</a><a href="https://www.youtube.com/watch?v=FcVoVojY-qA">テレサ・テン/ 想いで迷子</a><a href="https://www.uta-net.com/movie/1045/mHv34c73sCI/">踊り子 村下孝蔵</a><a href="https://www.youtube.com/channel/UC9mUAcbBdLJa-CRZ7FKgA5w">シシドカフカ</a><hr size=3 color=green> <楽天ブログのデータ>・腑抜けの闘病記 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/7031/・沈黙の艦隊 https://silent-service.jp/・「業務スーパー」創業者の地熱発電:自社工場で得た資金でパッケージ型発電所を設計・施工する。大手建設企業とフランチャイズ契約して運営、地産地消の町おこしエネルギー、<a href="https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2023-07-27/RY9XYDT0G1KW01">業務スーパー創業者が描く日本の地熱発電の未来</a>2015.12.16XMLキムチチゲを作ってみるか https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201512150000/2023.08.07XML『キャッシュレス進化論』3 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202308070000/2020.10.03XML『KAFU Le Bambou nain』 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202010020001/2013.08.06XML『ガロ』を見ずに過ごしてきた 2017.05.24XMLhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201308050000/2020.09.20XML『メーター検針員テゲテゲ日記』2 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202009190001/2020.02.19XML『死なないつもり』3 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202002180000/2018.01.04XML『アジア辺境論』8 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201801040001/2020.01.20XML『文学的商品学』3 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202001200000/2023.06.22XML今お騒がせ中のチャットGPTであるが5 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202306210000/2021.11.02XML『日本語の乱れ』2 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202111020002/2018.03.09XML『日本語のこころ』3 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201803090002/2019.03.03草木国土悉皆成仏の繋ぐ輪 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201903030001/2014.08.30XML種田陽平の世界 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201408300000/2019.10.20XML我が町のツバメはいずこ(復刻) https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201910190002/2018.02.02XML『鉄の文化誌』5 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201802010001/2019.02.12XMLサピエンス全史(上)4 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201902110002/2023年02月23日『宇宙はなぜ美しいのか』3 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202302230001/2013.06.24XMLベトナム語の悲哀 (4) https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201306220001/2021年12月07日『さえずり言語起源論』42023/10/04XML森林公園 コルチカム (1) https://plaza.rakuten.co.jp/hirugaonotubuyak/diary/202310040000/2016.02.03XML『ハトはなぜ首を振って歩くのか』2 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201602020001/2016.01.29朝日デジタルの書評から84 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201601290000/ 越境者の政治史・<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201509070000/">ベン・シャーンを追いかけて3</a>・<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201509050000/">ベン・シャーンを追いかけて2</a>・<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201508260000/">ベン・シャーンを追いかけて1</a>・<a href="https://tabelog.com/hyogo/A2801/A280101/28032866/party/">コパ・カバーナ</a>:ブラジル料理・<a href="https://www.jma.go.jp/bosai/#pattern=rain_level&area_type=class20s&area_code=2810000">キキクル神戸</a>:気象庁・<a href="https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_693/">中華料理屋なのになぜかカレーが人気!?神戸「香美園」の中華カレー</a>・<a href="https://www.cyzo.com/2023/06/post_348881_entry.html">『どうする家康』の瀬名は政治に深く関わる?</a>・<a href="https://www.youtube.com/watch?v=Yr0wVaCxwLI">宮脇淳子 朝鮮半島と満州の「なぜ」</a>・<a href="http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress014/%e6%88%a6%e4%ba%89%e3%83%bb%e8%b2%a0%e3%81%ae%e9%81%ba%e7%94%a3/%e6%98%a0%e5%83%8f%e8%b3%87%e6%96%99%e3%81%ae%e8%aa%ad%e3%81%bf%e6%96%b9/3785-2/%e6%ba%80%e6%b4%b2%e5%9b%bd%e3%81%ae%e3%80%8c%e7%90%86%e6%83%b3%e3%80%8d/">満洲国の「理想」</a>・<a href="https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/27390">新版画に挑んだフランス人。ポール・ジャクレーは何が異質だったのか?</a>・ぼっけえ きょうてえ 2008.06.17・『コロンブスの図書館』4 2021.02.27・辛亥革命って 2012.12.14・『打って出る 京都府立植物園』 2015.08.30・『牧子、還暦過ぎてチューボーに入る』3 2020.12.23・離婚の危機を乗りこえた 2014.03.10 ベニシアさん・絶滅寸前の満州語 2013年09月09日・誤算続きの「プーチンの戦争」 2022.12.08 ・『フェイスブックの脆弱さ』 2018.10.29・『実録アヘン戦争』3 2018.07.28・「麦の穂をゆらす風」 2012.01.16・(一語一会)雨宮処凛さん 2016.11.13・キャット・ギャラリーあれこれR3 2018.12.22・『フーテンのマハ』1 2018.12.26・『いしいしんじの本』7 2019.01.04・「釜山港へ帰れ」 2011.04.17・ベ-シックインカムがつなぐ輪R1 2019.01.16・安藤サクラあれこれ 2019.01.23・無頼の輩たちR1 2019.01.27・周防正行の世界R1 2019.01.28・縄文人の世界 2019.01.29・(異論のススメ)GAFAの市場支配 2019.02.01・『ルイス・キャロル小辞典』3 2018.12.21・『本気で考える火星の住み方』2 2023.01.10 ・「アナログ共和国」日本 2020.05.05・司馬遼太郎の中国観 2013.06.01・『ベン・シャーンを追いかけて』 2015.08.26・『デジタル終活のすすめ』 2023.01.24・八百万の神様が世界を救う (2) 2012.06.20・『馬の世界史』2 2022.02.14・『頭に来てもアホとは戦うな!』5 2018.06.22 ・『殺し文句の研究』2 2017.11.05・『パリ散歩画帖』 2017.03.26・ジャック・プレヴェール『鳥への挨拶』 2014.10.26・『藤田嗣治パリを歩く』3 2022年02月12日・『客家民居の世界』1 2018.09.08・『日本人が知らない日本の戦争史』4 2021.08.14・鳥と恐竜の境目 2023.01.22・『居候としての寺山体験』2 2019.06.02・小野正嗣のあれこれ 2020.08.05・中国が海を支配したとき2 2014.01.01・「全国アホ・バカ分布考」読書レポート#6 2012.07.29・『デューン 砂の惑星』が公開されたが 2021.10.19・高野秀行の世界R6 2021.11.06・『ぼくの翻訳人生』8 2019.06.23・漢字文化圏あれこれR2 2018.04.27・漢字文化圏あれこれR11 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/13010/・吉岡桂子記者の渾身記事32 2019.11.24 https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201911230001/・温又柔『魯肉飯のさえずり』3 2021.12.19・『猫が歩いた近現代』1 2022.01.13・『もっと知りたい ミュシャ』3 2022.01.21・クリント・イーストウッド監督作品集R1 2022.01.22・堤未果『デジタル・ファシズム』5 2022.02.07・ブレイディみかこ『他者の靴を履く』5 2022.02.11・『日本捕鯨史』3 2022.04.06・『ショーン・タンの世界』5 2022.05.18 ・『Voyage au centre de la Terre』3 2022年05月08日 ・『The Constant Gardener』復刻 2021.05.11・老人力あれこれR4 2022.07.29・通訳、翻訳についてR23 2022年07月21日・『ダチョウはアホだが役に立つ』2 2022年08月19日・『アラビアのロレンス』(復刻) 2022.09.26・『もっと知りたいゴーギャン』3 2022.09.26・『台湾生まれ 日本語育ち』4 2022年10月31日・『水素社会入門』5 2022.10.22・『資源争奪の世界史』5 2022.11.28・小川洋子『HOTEL IRIS』 2022.11.18・『映画の巨人たち リドリー・スコット』3 2022年12月30日・『女のいない男たち』5 2023年01月20日・『なぜデジタル政府は失敗し続けるのか』3 2022.12.17・韓国料理あれこれR3(復刻) 2022年12月01日・NHK「半導体 大競争時代 第1回」 2023年01月31日・宇宙への関心R6 2023年03月31日・『高野秀行の世界R7』 2023年02月19日・『太陽諸島』4 2023年03月23日・砂漠の映画あれこれ3 2023年03月14日・バンクシーあれこれR4 2023年03月03日・村上春樹『夜のくもざる』4 2023.04.10・『いっとかなあかん神戸』3 2023年05月31日・『タイワニーズ』5 2023年05月18日・勝手に関西遺産12 2016年11月19日・Bernard et Bianca au pays des kangourous・映画でボクが勉強したこと・THE BONNIE & CLYDE BOOK<hr size=3 color=green><復刻済みのデータ>・『鳥と世界の意外な関係』(復刻) 2023.01.11・『本気で考える火星の住み方』(復刻)2023.05.・『『Shall weダンス』アメリカを行く』(復刻)・『ジャポニスムとスーパーフラット』(復刻)2023.04.05・映画パンフレット『ラストエンペラー』(復刻)2023.04.03・『鳥への挨拶』(復刻)2023.03.25・『腐敗と格差の中国史』(復刻)2023.02.13・『三谷幸喜 創作を語る』(復刻)2023.02.07・『頑張れ、製造業!』(復刻)2023.02.01・『古今東西エンジン図鑑』(復刻)2023.01.28・『食は韓国にあり』(復刻)2023.01.21・「サチコ」も「Adoro」もあるでよ~♪(復刻)2023.01.14・『鳥と世界の意外な関係』(復刻)2023.01.11・『ウニはすごい バッタもすごい』(復刻)2022.12.04・韓国料理あれこれR3(復刻)2022.12.01・『一冊でわかるロシア史』(復刻) 2023年01月12日・NHK 「ロックが壊した冷戦の壁」(復刻) 2023年05月26日・『星の王子さまのはるかな旅』(復刻) 2021.11.19・福岡伸一『生命海流』6 2021.12.05・『尾野真千子の世界』(復刻) 2022.09.11・『タンタンの冒険 その夢と現実』(復刻) 2023年01月06日・『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』(復刻) 2023年04月02日・『恐ろしい軍楽隊?』(復刻) 2023年05月30日・『本気で考える火星の住み方』(復刻) 2023年05月07日・「韓国トロットを巡ってみます」(復刻) 2023年05月02日・『探偵!ナイトスクープ』の世界(復刻) 2023年06月07日<hr size=3 color=green><お奨めサイト><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201812190002/">難読漢字をどう書くか</a>より<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/13022/">方言あれこれR3</a><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【君が異端だった頃】<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/124a6d9b3049a12dedc57a5e15ff92718c8ba98f.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />島田雅彦著、集英社、2019年刊<「BOOK」データベース>より3月生まれの幼年期から、めくるめく修業時代を経て、鮮烈なデビューへー。戦後の文学を彩った、文豪たちとの愛憎劇と、妻がある身の最低男の、華麗なる遍歴と、不埒な煩悶と。最後の文士・島田雅彦による自伝的青春私小説!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(9/30予約、副本12、予約252)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/15949262/">君が異端だった頃</a></td></tr></tbody></table><hr size=3 color=green><2008年新潟のスナックで歌った曲>・長崎は今日も雨だった・釜山港へ帰れ・ノラ・愛人・雪国・踊り子・ブランデーグラス・for you・サチコ・愛の終着駅・さそり座の女<hr size=3 color=green><OneDriveの設定>・重要情報「個人用 Vault」を設けた<hr size=3 color=green><予備>*********************************************************この日記はブログにUPできたのだが、OneDriveの設定かなんかの関係で一部は不調である。
2026.07.05
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『おいしゅうな~れ 』 (復刻)このところ、パソコンのこの日記が雑音にまみれて重くなってきたので・・・過去の日記を復刻してUPすることにしています。*********************************************************女三代の100年物語、回転焼のあんこ、おいしゅうな~れ、be delicious、京都太秦の撮影所、ジャズトランペッター、ルイ・アームストロング、殺陣の虚無蔵、撮影所の休憩室、英語学習放送、ハリウッドのチャンバラ映画、岡山弁の安子さん、ひなたのアメリカ留学 ・・・何でもありのてんこ盛りのドラマが同時進行のように続いてきたが、その最終回が今日終わったのです。最終回では、直近の10年間ぐらいの出来事が突風が吹くように描かれていて、なんじゃこれという作りになっていたが・・・まあいいか♪『カムカムエヴリバディ』キャスト・出演者一覧、相関図【2021年後期連続テレビ小説】を見てみると、なんとたくさんの役者が出ているものかと、驚くのです。*********************************************************■2022.04.08おいしゅうな~れhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202204080002/
2026.07.01
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『タンジール・海のざわめき』(復刻)*********************************************************図書館で『タンジール・海のざわめき』という本を、手にしたのです。モロッコのタンジールという町にカスバがあるわけで・・・大使にとって、とてもエキゾティックに響くわけです。ジブラルタル海峡に面した町であるが、砂漠が感じられるのがまた、ええでぇ♪【タンジール・海のざわめき】ダニエル ロンドー著、河出書房新社、1993年刊<「BOOK」データベース>より地の果ての夢の町、タンジール紀行。ボウルズ、バロウズ、ジュネ、ケルアック、ギンズバーグ、カポーティ、そしてドラクロワ、マティスなど、欧米の数多くの芸術家たちを魅了したモロッコの港町タンジール。この「生者たちの国」の魅力を、人々の簡素な暮らしぶりと美しい自然の描写のなかに描く。<読む前の大使寸評>モロッコのタンジールという町にカスバがあるわけで・・・大使にとって、とてもエキゾティックに響くわけです。ジブラルタル海峡に面した町であるが、砂漠が感じられるのがまた、ええでぇ♪amazonタンジール・海のざわめきモロッコのラクダボウルズやこの本の著者ロンドーの魅力について「訳者あとがき」を、見てみましょう。p203~205<「訳者あとがき」> ボウルズが「生者たちの国」と呼んだアフリカの港町タンジールは、18世紀中葉に完全にアラブの支配下に入って以来、もっとも近いオリエントとして西欧の人びとを魅了してきた。 ヨーロッパ社会のモラルを逃れ、エキゾティズムを求めてやってきた作家や貴族、大富豪たち。「一度人を見失ったら二度と見つけられない」強烈な光線、それに引きつけられてきたのは画家ばかりではない。ロンドンの有名な探偵社ピンカートンは尾行訓練のために新人をタンジールに送りこんだ。地中海の入り口というタンジールの地の利のよさは海賊と密貿易人を呼び集め、国際管理地帯の存在がスパイに活躍の場を与えた。そこはまたいかがわしい金融取引の舞台ともなった。 画家たちはタンジールを絵画にし、作家たちはタンジールを背景に小説を書き、旅行記を残した。タンジールに関する著作は数限りなくある。 そんな多くのタンジール本のなかで本書に際立つ特徴は、見方によっては西欧中心主義、あるいは新植民地主義とも取られかねない視点を完全に脱し、なおかつ第三世界への甘ったるい思い入れにも流されていない点である。タンジールに移り住んだ欧米の文化人や富豪のエピソードは、彼らが多かれ少なかれ自分の文明によって傷つき、そこからはみ出した人たちであるだけに、確かに興味深いし、考えさせられるところも多い。 しかしそれはまた、彼らの奇矯な振る舞いに関心を集中させることにもなり、歓楽と悪徳の都タンジールという過去のイメージばかりが強調される。ロンドーは、こういった人びとについては最小限の言葉で語るに留め、現在へと眼を転じて、市井のごく普通の人びとを登場させる。「ここは百の歌、二百の歌がある」という郵便配達員、荒れ果てたヨーロッパ人墓地の管理人、笛の音で客をもてなすジャジューカの楽士・・・・彼らの簡素な暮らしぶりと自然の描写のなかに、「生者たちの国」の魅力が生き生きと浮かびあがる。 本書はまたフランス人好みの理屈が出てこず、長々と薀蓄を傾けるところもないという点で、まったくフランス的ではない紀行文である。この二百ページあまりの中で、ロンドーは自分の感情をあからさまに示すことが一度もない。有名無名の人びとの小さなエピソードの積み重ねと美しい風景描写だけで「ドリーム・シティ」タンジールの夢の雰囲気をみごとに創りあげているところに、本書独特の味わいがあり、ロンドーという書き手の非凡さがある。ウン この本はフランス人の書いた本にしては読みやすかったが・・・訳者がいうようにフランス的でないからであり、それは著者がジャーナリストだったからなんでしょうね。『タンジール・海のざわめき』2:タンジールの歴史『タンジール・海のざわめき』1:ナザレびとモラン*********************************************************■2018.08.04『タンジール・海のざわめき』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201808040001/
2026.06.23
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画像表示アプリのWebPが表示されないのでイライラする思いに悩まされてきたが、さすがにこれじゃーあかんでということで・・・以下の「WebPが表示されない原因と解決策」を読んで解決する気になったのです。*********************************************************【2026年版】WebPが表示されない原因と解決策|サーバー設定・CDN対応完全ガイド2025/12/21WebPが表示されない原因を開発者向けに解説。MIMEタイプ設定・CDN配信・Safari/iPhone対応まで網羅し、確実に解決する方法を紹介します。目次【2026年版】WebPが表示されない原因と解決策|サーバー設定・CDN対応完全ガイドWebPが表示されない主な原因(開発者視点)サーバー設定:MIMEタイプの不備CDN・画像配信の落とし穴Safari / iPhone対策(2026年版)WebP配信の正しい設計(重要)「とりあえず直したい」場合の現実解変換で即解決するケース無料で使えるWebP変換ツール関連ツール画像形式変換ツール画像圧縮ツール****************************************************************************************************************: WebPが表示されない主な原因(開発者視点)WebPの非表示は、以下の3レイヤーで発生します。ブラウザ対応(クライアント)サーバー設定(MIME・レスポンス)配信制御(CDN・キャッシュ・分岐)特に重要なのは後者2つです。現代のブラウザはほぼ対応しているため、“配信のミス”が原因の9割です。 正しい対応 方法①:Acceptヘッダで分岐Accept: image/webp対応ブラウザだけWebP配信 方法②:CDN設定を見直す代表的なCDN:CloudflareAWS CloudFront設定ポイント:WebP自動変換のON/OFF確認キャッシュキーにAcceptヘッダを含める画像フォーマットごとにキャッシュ分離 方法③:キャッシュクリア Safari / iPhone対策(2026年版)現在のSafariはWebP対応済みですが、以下は例外です:古いiOS(特にiOS13以前)アプリ内WebViewキャッシュ不整合つまり「完全対応」ではありません ベストプラクティスpictureタグでフォールバックを実装<picture> <source srcset="image.webp" type="image/webp"> <img src="image.png" alt=""> </picture>WebP配信の正しい設計(重要)最も安全で推奨される構成① WebPを用意 ② PNG/JPEGも用意(フォールバック) ③ pictureタグで分岐 ④ CDNはAcceptヘッダで制御この4点で“表示されない問題”はほぼ消えます 「とりあえず直したい」場合の現実解開発コストを抑えるなら👇WebPをやめてPNG/JPEGに戻す重要画像だけフォールバック対応完璧を目指さないのも戦略です 変換で即解決するケースWebPの問題は、形式変換だけで解決するケースが多いです。特に:外部配信で制御できない環境依存を避けたいとにかく確実に表示したいこの場合はPNG/JPEGに変換が最速です 無料で使えるWebP変換ツールPixBirdでは、無料登録不要ブラウザ完結でWebP → PNG / JPEG変換が可能です。開発中の検証やトラブル対応でもすぐ使えます。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【私労働小説 ザ・シット・ジョブ】webp画像につき開示できずブレイディみかこ 著、 KADOKAWA 、2023年刊<「BOOK」データベース>よりシット・ジョブ。店員、作業員、配達員にケアワーカーなどの「当事者」が自分たちの仕事を自虐的に指す言葉だ。他者のケアを担う者ほど低く扱われる現代社会。自分自身が人間として低い者になっていく感覚があると、人は自分を愛せなくなってしまう。人はパンだけで生きるものではない。だが、薔薇よりもパンなのだ。数多のシット・ジョブを経験してきた著者が、ソウルを時に燃やし、時に傷つけ、時に再生させた「私労働」の日々、魂の階級闘争を稀代の筆力で綴った連作短編集。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17625224/">私労働小説 ザ・シット・ジョブ</a></td></tr></tbody></table>
2026.06.20
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図書館で『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』という本を手にしたのです。おお、ブレイディみかこの小説ってか・・・元気印のような彼女自体が興味深いのでチョイスしたのです。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【私労働小説 ザ・シット・ジョブ】webp画像につき開示できずブレイディみかこ 著、 KADOKAWA 、2023年刊<「BOOK」データベース>よりシット・ジョブ。店員、作業員、配達員にケアワーカーなどの「当事者」が自分たちの仕事を自虐的に指す言葉だ。他者のケアを担う者ほど低く扱われる現代社会。自分自身が人間として低い者になっていく感覚があると、人は自分を愛せなくなってしまう。人はパンだけで生きるものではない。だが、薔薇よりもパンなのだ。数多のシット・ジョブを経験してきた著者が、ソウルを時に燃やし、時に傷つけ、時に再生させた「私労働」の日々、魂の階級闘争を稀代の筆力で綴った連作短編集。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17625224/">私労働小説 ザ・シット・ジョブ</a></td></tr></tbody></table>主人公・喜和子と周りの友人たちの生活が興味深いので、ちょとだけ見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p26~29「ねえ、なんで雑貨屋を開きたいの?」ある日、あたしはいつもの駐輪場への道で喜和子に聞いてみた。「自分がかわいいと思うものに囲まれて毎日を過ごしたいから」と喜和子は答えた。「田舎の子だったから、『Olive』とか『an/an』とかでかわいい雑貨を見て、ああいうものに囲まれて暮らす毎日をいつも思い描いてた。だから、小さな雑貨屋をやるのは究極の夢」「ふうん」でも喜和子はそういうひっそりとしたことではおわらないんだろうなと思った。九州全土に展開する雑貨店チェーンの経営者になり、別の業界にも進出したりして、一大ビジネス・エンパイアを築きそうな感じである。二十歳で中洲のママと間違われるほど、喜和子はナチュラルに商売がうまいからだ。「チホちゃんは、なんでロンドンに行きたいの?」「…ロンドンの音楽が好きだから。ロンドンの服が好きで、ロンドンの建物や風景が好きで、何もかも大好きだから、好きなものに囲まれて暮らしたい」「じゃあ、あたしとまったく一緒じゃない」喜和子がそう言うのであたしも笑った。「ねえ、あたしたちっていま夢のために生きてるのかな」「まあ、そういうことになるんじゃない」「なんか、ちょっとあたしたち、かわいいね」「うん、かわいいかも」とは言え、喜和子の客あしらいはそんなにかわいいものではなかった。 副島さんはぱったりお店に来なくなったが、ある日、彼の弟が店にやってきた。細身で神経質そうな副島さんとはまるで違い、弟は日焼けしたサーファーみたいなタイプだった。彼は自分の素性を明かさず喜和子を指名した。隣のテーブルについていたあたしは、副島さんの弟の話を断片的に聞いていた。「兄が離婚することになったんですよ。若い水商売の女性と不倫して」「義姉は兄の会社の共同経営者だったので、会社のほうも畳むことになりそう」「義姉は不倫相手の職場に行ったらしいんですが、若いのにしたたかな女性だそうで」 喜和子はまったくの他人の話を聞いているように「そうなんですか」「たいへんですね」と相槌を打ちながら、水割りを作ったり、水滴で濡れたグラスの下半分をおしぼりで拭いたりしていた。喜和子の落ち着き払った態度に苛立ったのか、副島さんの弟が吐き捨てるように言った。「まったく。中洲のホステスなんかに夢中になるから」 喜和子はぴんと背筋を伸ばして微笑し、やんわりと副島さんの弟に言った。「で、お兄様たちにお子さんはいらしたんですか?」「いませんでした。なかなかできなくて、それで義姉も悩んでいた」「よかったですね」「は?」「お子さんがいないほうが、離婚は楽でしょう? それに、中洲のホステスなんかのせいでダメになるなら、いずれそうなっていたんじゃないですか」 喜和子は涼しい顔でそう言うと、ボルドー色の口紅を塗ったぽってりした唇に冷酒を流し込んだ。副島さんの弟は薄い唇を半開きにしてじっと彼女の顔を見ていた。</TD></TR></TABLE> このあと中洲を舞台にしてドタバタ騒ぎが続くのだが、長くなるので以降省略します。
2026.06.20
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『いつもにこにこ現金払い』(復刻)近所のスーパーに行けば、レジでキャッシュレス払いしている人が多いと実感するが、私は現金払いを続けているわけで・・・なぜそうなるのか、以下のとおり過去の日記を覗いてみましょう。*********************************************************AUスマホの不具合が解決されて一安心であるが、巷では熱中症が猛威をふるっています。一方、コロナ感染では驚きの増加が見られます。第7波と言うんですか。保健所の応援体制が整わないのに国家公務員に夏のボーナスとは・・・政権党が悪いのか? 行政システムが悪いのか?日本維新の会に勢いがあるので、政権党にお灸をすえてもらおうか。と、参院選挙前に、報道にはこのあたりを追及してもらいたいものである。 ところで、イオンモールの清算の列にならぶと・・・昨今のキャッシュレス増加に驚くのです。「いつもにこにこ現金払い」と、アナログ志向の大使は、かねてより(筋金入りの)現金払いなのでおます。『キャッシュレス化が進んでいるが』*********************************************************■2022.07.07いつもにこにこ現金払いhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202207070001/
2026.06.19
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画像表示アプリのWebPが表示されないのでイライラする思いに悩まされてきたが、さすがにこれじゃーあかんでということで・・・以下の「WebPが表示されない原因と解決策」を読んで解決する気になったのです。*********************************************************【2026年版】WebPが表示されない原因と解決策|サーバー設定・CDN対応完全ガイド2025/12/21WebPが表示されない原因を開発者向けに解説。MIMEタイプ設定・CDN配信・Safari/iPhone対応まで網羅し、確実に解決する方法を紹介します。目次【2026年版】WebPが表示されない原因と解決策|サーバー設定・CDN対応完全ガイドWebPが表示されない主な原因(開発者視点)サーバー設定:MIMEタイプの不備CDN・画像配信の落とし穴Safari / iPhone対策(2026年版)WebP配信の正しい設計(重要)「とりあえず直したい」場合の現実解変換で即解決するケース無料で使えるWebP変換ツール関連ツール画像形式変換ツール画像圧縮ツール 【2026年版】WebPが表示されない原因と解決策|サーバー設定・CDN対応完全ガイドWebP画像が表示されない問題は、ほぼサーバー設定と配信方法で決まります。特に、Safariで画像が表示されないiPhoneでWebPが壊れるCDN導入後に画像が表示されなくなったといったトラブルは、MIMEタイプ・User-Agent判定・キャッシュ制御のミスが原因です。この記事では、Web制作者向けに、WebPが表示されない原因を技術的に整理し、サーバー設定・CDN対応・フォールバック設計まで含めた解決策を解説します。 WebPが表示されない主な原因(開発者視点)WebPの非表示は、以下の3レイヤーで発生します。ブラウザ対応(クライアント)サーバー設定(MIME・レスポンス)配信制御(CDN・キャッシュ・分岐)特に重要なのは後者2つです。現代のブラウザはほぼ対応しているため、“配信のミス”が原因の9割です。 サーバー設定:MIMEタイプの不備 よくある問題WebP画像が正しく表示されない最大の原因は、MIMEタイプの設定ミスです。本来は以下で配信される必要があります:Content-Type: image/webpしかし実際には:image/jpeg として配信されているapplication/octet-stream になっている未設定(サーバーが自動判定失敗)この状態だと、Safariなどで表示に失敗します 対処法(Apache / Nginx)Apache(.htaccess)AddType image/webp .webpNginxtypes { image/webp webp;}まずはここを疑うのが最優先です CDN・画像配信の落とし穴 よくある事故パターンCDNを使うと、WebP問題は一気に増えます。SafariにもWebPを配信しているUser-Agent判定が壊れているキャッシュが古い形式を保持している自動最適化機能が誤動作
2026.06.12
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図書館で『小説新潮1月号』という本を、手にしたのです。表紙にあるとおり、新春短編玉手箱という軽くて読みどころが多い(ような?)コピーに惹かれたわけです。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【小説新潮 1月号】webp画像につき開示できず雑誌、新潮社、2026年刊<「BOOK」データベース>より雑誌につきデータなし<読む前の大使寸評>追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17361998/">小説新潮 1月号</a></td></tr></tbody></table>山脇りこさんの「ソロソロ、ひとり」というエッセイ集の途中から、見てみましょう。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">p243~245<font color="brown"><80の手習い></font> 85歳、ひとり暮らしの叔父が、ふるさと長崎にいます。叔母が亡くなり、子供もいないので、70代後半からひとり暮らしになりました。世代的になのか、九州だからなのか、それまで、家事一切、ほぼやったことがなかったと思います。 ひとりになってしばらくは、ごはんは炊けるので、なにかおかずを買ってきたり、冷凍食品を温めたり、あるいは姉である私の母のもとに食べに行ったりしていたよう。たあ、朝だけは自分流にいろんな健康情報をもとに食材を組み合わせて、自分で用意していたそう。 りんごと小松菜、豆乳をミキサーにかけたスムージーのようなもの、ヨーグルトにはちみつ、トーストにジャム、そしてコーヒーか紅茶。これを聞いて、うーむ、なかなか素晴らしいじゃないかと思いました。 そこに気力とやる気を感じ、以前出版したひとり分のおかずを集めた本や、減塩料理の本をプレゼントしました。 東京のような都会と違う、長崎のこと。近所にいい感じの定食屋さんもありません。お酒もあまり飲まない。となれば自分で作るのがいいのではないか、と思ったのです。 なにしろ80歳になっても、1ミリもボケを感じさせない人で、コミュニケーションもスムーズだし、歩いてどこへでも行ける。つまり買い物も問題なし。買ってきて食べる“中食”にも飽きたのか、叔父は少しずつ料理をするようになりました。 肉を焼く、魚を焼く、青菜をゆでてポン酢で和える、といった簡単なものから始めて、様々な具のみそ汁、肉じゃがやカレーも作るように、キャロットラペやポテトサラダが得意料理になって、母のところに持ってきてくれるまでになったのです。(中略) これは叔父だけの特性なのか、男性にありがちなのか、細かく教えてもらう=指導ととらえがちで、好きじゃないようでした。だから、料理はおおむね本やネットやテレビを見ての独学。うまくいかなかったときに、ぽろっと出る疑問に答えると、なるほどーと。そしてまたやってみる。ひとりで、家で、コツコツとやるのがとても楽しいようでした。(中略)「料理は、もっと大変かと思っていたけど、そんなことはない。楽しいことじゃないか」とやや威張り気味で言う叔父を見て、自分が食べるものを、自分で作れる、それって自信につながるのかなと、思うようになりました。<font color="brown"><ラインで料理報告></font> 83歳になったとき、周囲の反対を押し切って、ものすごく心配させながら、1ケ月半、タイとラオスをなわるひとり旅へ、そしてこれを見事に楽しみ、無事に帰国し、周りを驚かせました。私は自分はこんな風に80歳を過ぎても旅ができるだろうかと思い、叔父から話を聞きながらただただ感動しました。 それが、85歳の今になって、肺に病が見つかり、これまでより外出が制限されるように。要介護認定も受け、掃除や食材の買い出しはヘルパーさんにお願いすることが増えたそうです。それでも「料理するのは自分だよ」とのこと。 高血圧などいくつかの持病もあるので、最近は自分の料理に加えて、宅配の塩分控えめおかずも活用しているようです。 宅配のおかずに、自分で作ったサラダといった具合。そんな、今日はなにを作ったか、どんな献立にしたかという話をラインで1日1回交わしています。(中略) 彼にとって残された身内が私ともうひとり、つまりふたりの姪だけ、という事情もあるけど、私は「料理」でそれまでにも増してつながった気がしています。 私が旅を愛するようになったのは、若いころから世界を旅していた彼の影響が大きく、これまでは主に旅の話をしていましたが、彼が旅に出るのが難しくなった今はもっぱら料理話。</td></tr></tbody></table>
2026.06.12
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今回借りた3冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は強いていえば、「手当たり次第」でしょうか♪<市立図書館> ・バラ色の未来・私労働小説 ザ・シット・ジョブ・小説新潮 1月号<大学図書館>(ただいま市民への開放サービスを休止中)図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)***********************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【バラ色の未来】webp画像につき開示できず真山仁著、光文社、2017年刊<トップレビュー>より最近に国会議員が、IRを巡って収賄で逮捕された。金額は、あまりにも小さく、なんとも微笑ましいなぁと思っていた。中国人相手で、そのショボさは、日本の貧困を示している。中国と日本の富裕層の富の格差が明らかになってきている。小説になると、やはり賄賂の金額のスケールは大きくなる。IR(カジノつき総合リゾート)の誘致を 青森県円山町のスズキイチロー町長が、熱心に、推進する。IR誘致で、地方再生になるって、幻想で、誰がバラ色の夢になるわけでない。結局 スズキ元町長は、ホームレスになって死体で発見される。カジノつき総合リゾートが、起こす問題は、ギャンブル依存症だけでなくその利権を巡っての、利益を貪る奴がいるのは明確で、それを政治家が さらに貪っていく。貪りの構造である。(中略)新聞記者は、「権力の監視」をすることが使命だという。事実を隠蔽する仕組みや文書の改ざんなど平気で行いマスコミや新聞社のトップをてなづけてしまう時代への警鐘である。ギャンブル依存症の怖さが、もう少しリアルになるといいのだが。真山仁らしい 本で、タイムリーな作品だった。<読む前の大使寸評>追って記入amazon<a href="https://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%A9%E8%89%B2%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5-%E7%9C%9F%E5%B1%B1-%E4%BB%81/dp/4334911455#">バラ色の未来 </a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【私労働小説 ザ・シット・ジョブ】webp画像につき開示できずブレイディみかこ 著、 KADOKAWA 、2023年刊<「BOOK」データベース>よりシット・ジョブ。店員、作業員、配達員にケアワーカーなどの「当事者」が自分たちの仕事を自虐的に指す言葉だ。他者のケアを担う者ほど低く扱われる現代社会。自分自身が人間として低い者になっていく感覚があると、人は自分を愛せなくなってしまう。人はパンだけで生きるものではない。だが、薔薇よりもパンなのだ。数多のシット・ジョブを経験してきた著者が、ソウルを時に燃やし、時に傷つけ、時に再生させた「私労働」の日々、魂の階級闘争を稀代の筆力で綴った連作短編集。<読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17625224/">私労働小説 ザ・シット・ジョブ</a></td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【小説新潮 1月号】webp画像につき開示できず雑誌、新潮社、2026年刊<「BOOK」データベース>より雑誌につきデータなし<読む前の大使寸評>追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17361998/">小説新潮 1月号</a></td></tr></tbody></table>
2026.06.11
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『ベン・シャーンの回顧展 』 (復刻)ベン・シャーンといえば、やや古くなったので覚えている人は多くないだろう。でも、社会派のアーティストというシブいスタンスがいいではないか♪・・・ということで以下の通り復刻して読み直そうではないか。*********************************************************「芸術新潮」最新号にベン・シャーン特集が載っていました。社会派の画家とでも言う変ったジャンルの画家であるが、作品はいけてるわけでまさに・・・・クロスメディア・アーティストである。反米の大使であっても、アメリカ絵画は別であり、粟津潔が強烈な影響を受けたそうだから、実力は推して知るべしなんでしょう。ベン・シャーンの回顧展が国内4ヵ所巡回で開催されているが、残念、阪神地区はすどおりです。 ベン・シャーン クロスメディア・アーティストよりアメリカの画家ベン・シャーン(1898-1969)は、二つの世界大戦を経てめまぐるしく、しかも大きな変化を遂げた20世紀社会を見つめ続けた画家でした。コヴノ(現在のリトアニアのカウナス)からのユダヤ人移民であったシャーンは、数多くの社会の不正義に厳しく迫るとともに、人々の怒りや哀しみ、痛み、そして喜びに深い共感をよせました。彼の引く、ためらいを含んだような表情豊かな線には、そうした思いが重なっています。シャーンが亡くなって40年が過ぎた今を生きる私たちにとっても、それは充分に魅力的です。そしてさらに、3.11東日本大震災を経験した私たちには、新たな眼でシャーンの作品を見つめるチャンスを与えられたのではないかと考えています。この展覧会は、約20年ぶりの大規模なベン・シャーンの回顧展であり、絵画・版画・ポスター・素描など約130点に加えて、日本であまり紹介されていなかったシャーン撮影の写真を、オリジナル50点と200点を超えるデジタルイメージなどによりご紹介します。2011年12月から2012年7月まで、国内4ヵ所を巡回します。開催期間:神奈川県立近代美術館 葉山 2011年12月 3日~2012年 1月29日 名古屋市美術館 2012年 2月11日~2012年 3月25日 岡山県立美術館 2012年 4月 8日~2012年 5月20日 福島県立美術館 2012年 6月 3日~2012年 7月16日『ここが家だ』ベン・シャーン&アーサー・ビナードを松岡正剛が評しています。 ここが家だより 時代は世界大恐慌の真っ只中。ベン・シャーンは欧米社会の矛盾を絵にしたいと思った。ドレフェス事件を描いた。画壇はその絵にドキッとした。とりわけ1931年からおこったアナキストのサッコとヴァンゼッティの裁判や、労働運動家のムーニイの投獄に逆上して、「声なき慟哭」をあらわしたともいうべき連作を発表したことが話題になり、その後は、その独特の手法と主題によって、多くのクリエイターの社会性を打撃しつづけた。 日本語になったものなら、バーナーダ・シャーンが編集した『ベン・シャーン画集』(リブロポート)を見れば、その絵の意図のすべてが伝わる。日本では粟津潔さんが強烈な影響をうけている。 そのベン・シャーンの数々の絵を、ビナードはまともに背負って(引き受けて)絵本にした。なんら変化球にしていない。そのまま受け止めた。しかも余韻をのこすことに腐心した。そのことは『ここが家だ』というタイトルにも表象されている。この感覚がみごとだった。晩年のベン・シャーン(1966年頃)ぼくはこういうコラボレーションを見ると、胸がいっぱいになる。原水爆反対の絵本だから胸がいっぱいになるのではなく、一人の画家の連作の絵が一人の詩人の絵本になったことに、ときに嗚咽する。しかも、このコラボレーションは実際のコラボレーションではない。時代をまたいだコラボレーションなのだ(ベン・シャーンは1969年に死んでいる)。*********************************************************■2011.12.29ベン・シャーンの回顧展https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201112290000/
2026.06.10
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『村上龍料理小説集』 (復刻)料理小説にふれた1998年刊のやや古い本であるが・・・ええでえ♪*********************************************************図書館に予約していた『村上龍料理小説集』という本を、待つこと3週間ほどでゲットしたのです。初期の短編集であるが・・・村上の地が表れているようで、期待できそうでおます。 【村上龍料理小説集】村上龍著、講談社、1998年刊<「BOOK」データベース>より料理をつくらない、しかし料理の真髄を知悉している料理人ー村上龍。ニューヨーク・パリ・ウィーン・リオ・ローマそして東京etc.を舞台に、男たちとは人生の懊悩を語りあい、女たちとは悦楽を分かちあうそのテーブルにこそふさわしい32の掌編小説をお届けしましょう。<読む前の大使寸評>初期の短編集であるが・・・村上の地が表れているようで、期待できそうでおます。<図書館予約:(1/26予約、副本1、予約0)>rakuten村上龍料理小説集ニューヨークのホットドックを、見てみましょう。 p66~70<Subject 7> うろうろと空席を捜す老人に整理員がすぐに近づいてきて、最低の青いチケットを見ると、まるで乞食を追い払うように手を振った。「よかったら、ここに座りませんか?」 傍を通りかかった老人に私はそう言った。誘った友人が仕事で来られず、二人用のボックスシートにはその日私しかいなかったからだ。老人はしばらく私を見て、しゃがれた声でありがとうと言った。 老人はスーパーマーケットの紙袋ともう十年も使い込んでいるような柄の汚れたコウモリ傘を持っていた。 よほどテニスが好きなのだろうと思ったのだが、そうではないようだ。エバートが素晴らしいショットを放っても拍手をするわけではないし、相手選手を応援しているとも思えない。ボールを追う顔が無表情なのだ。「エバートは勝ちそうですね」 私がそう声をかけても、眉を少し動かしただけだった。 第一セットをエバートが簡単に取った時、老人は、失礼、と言って席を立った。 帰ってしまったのかなと思っていると、ホットドックを二つ持って戻ってきた。一つを差しだし、私が財布を出すと、首を振った。 ホットドックには酢漬けにした細切りのキャベツがたっぷりとはさまって、ケチャップが隠れてしまうくらいマスタードが塗ってあった。 頬張って、顔を見合わせたとき、老人は初めて微笑んだ。「君はいくつだ?」 そう聞いてきた。34だと答えると、24にしか見えない、とまた笑った。唇の端の深い皺にケチャップとマスタードが丸くついている。「日本人は若く見られるんですよ」 私は言った。「ここに住んでいるのかね」 「いや旅行者です」 空腹だった私はホットドック一つでは足りずに、プリツェルという塩パンを買うことにした。街頭のスタンドでもよく売っている最も一般的なパンで、普通の食パンをギュッと押し潰して丸めたように密度が濃く、細長く伸ばしたものをねじって結ぶようにつないで焼き、粗い岩塩を表面にまぶしてある。 二つ買おうとしたら老人は手を振って断った。「ありがとう、あんまり好きじゃないんだ」 私が気分を悪くしたと思ったのか、ユダヤのパンだからね、と言った。「わたしはユダヤ人なんだ、ルーマニアから来た、マルセイユに十年ほどいたけどね」「ルーマニアか、ドラキュラが有名ですね」「知らない、何だね?」「ドラキュラですよ、血を吸う」「知らないね」「ルーマニアのトランシルバニア地方に住んでたらしいですよ」「知らないけど、とにかくルーマニアは田舎だよ」 それからしばらく老人は黙った。だが、目はボールを追っていなかった。「ホットドックとプリツェルとどっちがうまいと思う?」 ナプキンで口のまわりを拭きながらそう聞いた。「同じようなものじゃないですかね」「スポーツを観ながら食べるホットドックはおいしいと思わないか?」「それも太陽の下でね」「よく冷えたビールと」「そうです」「日本にもあるか?」「アメリカのホットドックの方がおいしい」「私もそう思う」 太陽の下で、テニスやフットボールを観ながら食べる時、ホットドックはほとんど他の何ものにもかえがたい食べものに変わってしまう。食べている時にそう感じるわけではない。太陽とスポーツから離れている時に、幸福感の象徴としてその味がよみがえるのである。それも脳や舌や胃にではなく、全身によみがえる。「二十年前にマルセイユから船でアメリカに来た、私は妻を置いてルーマニアからマルセイユに出たんだが、マルセイユでフィンランドの女と一緒に住んで息子が生れた、ニューヨークには三人で来た、息子は11歳だった。1週間ほど移民センターにとめられて、その間に、一度だけヤンキースタジアウムに行く機会があった、私達は三人でホットドックを食べたよ、君には信じられないかも知れないが、私には生まれて始めてのホットドックだったんだ、ソーセージとパンとケチャップとマスタードが口の中で混ざって、おいしかった、ずっとタクシーの運転手をやっていたが、少し金に余裕ができると三人でヤンキースタジアウムへ行って、そしてホットドックを食べた」ウーム マルセイユから来たルーマニア人で妻はフィンランド人だった。そして今はニューヨークに来たってか・・・まるで昔見た映画「アメリカ アメリカ」のような境遇である。『村上龍料理小説集』1*********************************************************■2020.02.20村上龍料理小説集』2https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202002200001/
2026.06.07
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?6月4日に近畿地区の梅雨入り宣言が出たようだが・・・台風も到来したので、各地に大雨や雷雨が発生してしまい、気象庁担当者がうろたえたようです(知らんけど)ということで・・・『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">【日本のならわしとしきたり】<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/666097396b2a37076607083f6fd0785d92fc4a89.26.2.9.2.jpeg" alt="しきたり" border="0">ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%82%89%E3%82%8F%E3%81%97%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%82%8A%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%82%B9-Town-Mook/dp/4197103212">日本のならわしとしきたり</a></TD></TR></TABLE><img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/c83e433fecce84a8c6d407ef7d806d2e55994db2.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />この本で、芒種のあたりを見てみましょう。<TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">和暦p16<font color="brown"><芒種></font><font color="brown">米、麦、穀類の種を蒔く、収穫へ向けた出発の季節</font> 小満から数えて約15日、立夏から約30日を経ると「芒種」の節となる。期間は例年6月5~6日ころから始まり夏至(6月21日ころ)の前日までになる。 芒種とは、「穂の出る種類の穀物の種を蒔く時期」ほどの意味で、特に「米」を指した。米は寒冷に弱い性質を持っていたため、種を蒔くのはこの時期だったが、品種改良後の現在はもっと早く行われている。『暦便覧』には「芒(のぎ)のある穀物稼種する時なり」とある。芒とは、米・麦のように籾(もみ)でくるまれた種子のことだ。 米に限らず、農作業は1年間という長いスパンで、種蒔き→育成→収穫→収穫後の田畑の涵養→作付け計画などが進められる。長い間の経験や体験、試行錯誤を経て、最良の時期が選ばれてきた『暦便覧』はその集大成でもあったのである。 芒種のころは、西日本では梅雨入りしており、大量の水は必要とする稲作に適した時期でもあった。梅雨入りかその少し前の時期に当たる芒種節の気候は、暑さが日一日と増し、湿度が高く、徐々に梅雨めき始め、五月雨(さみだれ)を経て梅雨に入り、西日本から「田植え」が北上する。 芒種の期間の七十二候は、次の通り。 初候「蟷螂生(かまきり、しょうず)」 次候「腐草、為蛍(くされたるくさ、ほたるとなる)」 末候「梅子黄(うめのみ、きばむ)」</TD></TR></TABLE>籾(もみ)でくるまれた種子のことを芒(のぎ)というのか・・・暦便覧は勉強になりますね♪<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202506040002/">二十四節季の芒種に注目(復刻3)</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202305200001/">二十四節季の小満に注目(復刻)</a>
2026.06.05
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『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。 <予約中>・潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う(6/20予約、副本?、予約153)現在48位・エマニュエル・トッド『西洋の敗北』(8/01予約、副本14、予約288)現在103位・新川帆立『女の国会』(9/04予約、副本?、予約?)現在134位 ・関川夏央『昭和的』(9/26予約、副本?、予約?)貸出可能 ・『介護未満の父に起きたこと』(10/2予約、副本3、予約142)現在48位 ・十五年戦争小史(10/16予約、副本?、予約?) 現在17位 ・竹内幸恵『広告の昭和』(10/21予約、副本?、予約11) 現在4位 ・『山田洋次が見てきた日本』(11/05予約、副本?、予約12) 現在9位 ・朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』(11/13予約、副本?、予約500)現在366位 ・島本一平『ヒップホップ・モンゴリア』(03/01予約、副本?、予約0)・葬式坊主なむなむ日記 (04/08予約、副本1、予約0)・椎名誠『武装島田倉庫』 (04/30予約、副本1、予約0)・島尾新『擬人化の日本美術史』 (06/02予約、副本1、予約7) <カートで待機中>・N・ネフスキー著『月と不死』・グレタたったひとりのストライキ<予約候補>・テレビプロデューサーひそひそ日記・素人校長ばたばた日記・鴨志田譲×西原理恵子『アジアパー伝』:図書館未収蔵・ジョージ・ミーガン『世界最長の徒歩旅行』:図書館未収蔵・伊予原新『藍を継ぐ海』・ジェイムズ・ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』・ケン・リュウ『草を結びて環を衡えん』:図書館未収蔵・九段理恵『東京都道場塔』:図書館未収蔵・外山滋比古『思考の整理学』・ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』・街道をゆく「モンゴル紀行」「南蛮のみち」・畑正憲『どんべえ物語』:図書館未収蔵・ヤマザキマリ『水木しげる厳選集 異』:図書館未収蔵・書いてはいけない日本経済墜落の真相:図書館未収蔵・金水敏『よくわかる日本語学』・和田秀樹『70歳が老化の分かれ道』・世界はなぜ日本カルチャーに熱狂するのか:図書館未収蔵・石ノ森章太郎『漫画家入門』・是川夕『ニッポンの移民』・加藤喜之『福音派』・小泉凡『セツと八雲』・藤本靖『熊撃ちに人生を賭けた男』:図書館未収蔵<予約分受取:12/28以降> ・真山仁『タングル』(12/18予約、12/28受取)・「国境なき医師団」(8/21予約、1/22 受取 ) ・宙わたる教室(2024年12/28予約、1/22 受取 ) ・天気でよみとく名画(3/22予約、1/29 受取) ・3ヵ月でマスターする江戸時代(7/04予約、1/29 受取)・島本一平『ヒップホップ・モンゴリア』(03/01予約、03/12受取)**********************************************************************<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う】<img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/05895e22c5f5d3f33cf13a5002e3622b50b592e0.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" /> 舛友雄大著、東洋経済新報社、2025年間<「BOOK」データベース>より「潤」は、最近中国で流行っている言葉で、さまざまな理由からより良い暮らしを求めて中国を脱出する人々を指す。もともと「儲ける」という意味だが、中国語のローマ字表記であるピンインでRunと書くことから、英語の「run(逃げる)」とダブルミーニングになっている。「潤日」コミュニティー、多くの日本人が知らぬ間に、中国や日本、そして世界の変化に応じる形で急速に存在感を増しつつある。この全く新しいタイプの中国人移民たちをつぶさに訪ねて耳を傾けると、その新規性や奥深さを痛切に感じるとともに、日本の政治、経済、社会に見逃せないほどの大きなインパクトをもたらしつつある現状が見えてきた。 <読む前の大使寸評>追って記入。<図書館予約:(6/20予約、副本?、予約159)>rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17748858/">潤日: 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う</a></td></tr></tbody></table>(中略)<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【イン・ザ・メガチャーチ】.webp画像につき開示できず 朝井リョウ著、日本経済新聞出版 、2025年刊<「BOOK」データベース>より久保田慶彦(47)レコード会社勤務。とある能力を買われ、アイドルグループ運営に参画することに。武藤澄香(19)留学を志す大学生。内向的な気質に悩むうち、一人のアイドルに出会う。隈川絢子(35)契約社員。舞台俳優を熱烈に応援中だが、ある報道で状況が一変する。ファンダム経済を築く者、のめり込む者、のめり込んでいた者…三者三様の視点で浮かび上がる、人間の心を動かす“物語”の功罪。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(11/13予約、副本?、予約504) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/18328668/">イン・ザ・メガチャーチ</a></td></tr></tbody></table> <table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【ヒップホップ・モンゴリア】.webp画像につき開示できず 島本一平著、青土社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より「周縁」に響く怒りの韻(ライム)。知られざるモンゴルのリアル。青空と草原の遊牧民の国ーーそれは理想化されたモンゴル像に過ぎない。都市化と開発が進み、そしてヒップホップ、ラップが深く浸透した「ヒップホップ・モンゴリア」でもある。ラップの盛況ぶりからは、口承文芸・伝統宗教との接点、社会主義による近代化によって生じたねじれ、民主化以降の西側へのコンプレックスとナショナリズム、ゲットーから放たれる格差への怒りが見えてくる。新自由主義に翻弄され「周縁」に置かれた国家のリアルをすくい取り、叫びを韻に込めるラッパーたちの息遣いを伝える異色の人類学ドキュメント。 <読む前の大使寸評>追って記入 <図書館予約:(02/18予約、副本?、予約0) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16585221/">ヒップホップ・モンゴリア</a></td></tr></tbody></table> table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【火星の女王】.webp画像につき開示できず 真山仁著、小学館、2022年刊<「BOOK」データベース>より地球外知的生命の探求のため、人生をかけて火星にやってきた生物学者のリキ・カワナベは、スピラミンという物質の結晶構造の変化を発見する。いっぽう火星生まれの学生、リリーE1102は、地球に観光に行くことを夢みて遠心型人工重力施設に通っていた。地球で種子島在住の白石アオトは、ISDA職員として働きながらリリとの約束を思い出していた。カワナベの発見が世界を揺るがすとき、リリの身にも危機が迫りー地球と火星、遠く離れたふたつの星をめぐって人々の心が交錯していく壮大な人間ドラマ。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(11/13予約、副本?、予約504) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/17288267/"></a>火星の女王</td></tr></tbody></table> <table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【葬式坊主なむなむ日記】.webp画像につき開示できず松谷真純著、三五館シンシャ 、2026年刊<「BOOK」データベース>より「派遣で死者を弔う仕事」。喪主に聞かせられない業界の恥部と、僧侶のフトコロ事情。うららかな春の日、今日は「みんなのお葬式」からの紹介案件で、一日葬の導師を務める。戒名の説明を終え、喪主が退出したあと、布施袋を開封して中身をあらためる。「みんなのお葬式」から聞いていたとおり、12万円が入っていることを確認。このうち4万8000円が私の取り分となる。(本文より)<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(04/08予約、副本1、予約?) >rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/18331987/"></a>葬式坊主なむなむ日記</td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【武装島田倉庫】.webp画像につき開示できず椎名誠 著、新潮社 、1993年刊<商品説明>より架空の「戦後」の世界を舞台に繰り広げられる、男たちの闘いと冒険の日々。独特の言語感覚で描きだした超常的シーナ・ワールド。 <読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(04/08予約、副本1、予約?) >amazon<a href="https://www.amazon.co.jp/%E6%AD%A6%E8%A3%85%E5%B3%B6%E7%94%B0%E5%80%89%E5%BA%AB-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%A4%8E%E5%90%8D-%E8%AA%A0/dp/4101448116"></a>武装島田倉庫</td></tr></tbody></table><table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【擬人化の日本美術史】.webp画像につき開示できず島尾新著、淡交社 、2026年刊<「BOOK」データベース>より日本のお家芸「擬人化」を通して、日本美術の表現をひもとく猫に魚、草木、感情、果ては神仏までも。何もかもをヒトのように描いてきたニッポンの美術史アニメ・ゲームの世界ではもはや当たり前となった擬人化ですが、その歴史は古代にまでさかのぼります。『鳥獣戯画』や浮世絵の猫・金魚たちを思い浮かべる人も多いことでしょう。本書は日本のお家芸ともいえる擬人化表現を、日本美術史の目線でひもときます。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約: (06/02予約、副本1、予約7) >.tankosha<a href="https://www.book.tankosha.co.jp/shopdetail/000000002228/"></a> 擬人化の日本美術史</td></tr></tbody></table>図書館予約の運用にも慣れて、速攻で入手するコツも何となくつかんだと思うのだ♪・朝日書評欄で探すとしたら、3ヶ月前掲載くらいのモノが狙い目かも。・専門的すぎるほどのモノは、予約0となっていることが多い。・受取館に収蔵しているモノは、移送する手間が省けるので早くなるだろう。・本屋の店頭に出た直後の新刊本・デジタル朝日「好書好日」でめぼしい著作を探す・神戸市図書館の予約順位は毎週火曜日(午前1時~3時) に更新されます。・Kindle版を購入すれば、その本の全て読めるのだが、紙の本から書き写す手間が好きなわけでおます。<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202101200000/">予約分受取目録R26</a><a href="https://book.asahi.com/reviews/">好書好日トップ</a><a href="https://www.lib.city.kobe.jp/">図書館情報ネットワーク 蔵書検索</a>
2026.06.05
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『ツキノワグマのすべて 』 (復刻)ツキノワグマやヒグマに遭遇し、被害を受けた事例が頻発しているが・・・『ツキノワグマのすべて』を以下の通り復刻して読み直そうと思い立ったのです♪*********************************************************今年は、人里へのツキノワグマの出没が増えているようで全国で1万件以上の出没情報が寄せられたそうです。森に人の手が入らなくなったことや、餌のドングリ不足の影響によると言われているそうですが・・・クマにしては冬眠前の餌探しに人里に現れただけなのだろうが、上手く棲み分けはできないものかと思ったりする。この本を図書館で手にしたが…全篇にカラーの画像でクマの生態が載っていてビジュアルな本である。 【ツキノワグマのすべて】小池伸介著、澤井俊彦写真、文一総合出版、2020年刊<「BOOK」データベース>より迫力の生態写真×最新の研究。ツキノワグマの秘密に迫る!最新データが解き明かすツキノワグマの暮らし。<読む前の大使寸評>全篇にカラーの画像でクマの生態が載っていてビジュアルな本である。このように専門的で、かつ読みやすい著作は・・・ええでぇ♪amazonツキノワグマのすべてツキノワグマの生態がよく分かる辺りを、見てみましょう。 p42~45<ツキノワグマの一生> ツキノワグマの子どもは、1月下旬から2月上旬の冬眠中に体重300グラムと、母親の約200分の1という大きさで生まれます。 その後、冬眠穴の中で母親から高脂肪・高タンパク質で、家畜や人間に比べるととても高栄養な母乳をたっぷりともらい、冬眠を終える4~5月には、体重2~3キロの大きさに成長します。 その後は母親と一緒に行動し、母親から生きていくために必要なさまざまなことを学びます。 ちなみに、クマの子育てはすべて母親が担います。オスは交尾までが繁殖活動で、その後の子育てにはまったくかかわりません。母親と子どもは、再び一緒に冬眠を行ない、子どもが1歳半の初夏には親元を離れます(子別れ)。 母親から離れた子どもは、しばらくはそれまで生活していた場所の近くで暮らし、徐々に新たな生活の場所を見つけていきます(幼期分散)。そして、雌雄ともに4歳くらいまでには性的に成熟し、子育てを開始します。 メスは数年おきに1~2頭の子どもを出産すると考えられます。一方、オスは繁殖相手であるメスをめぐる熾烈な競争があるため、実際に父親になることができるのは、限られたオスだけのようです。 クマの寿命は、動物園などでは30年を超えることもありますが、野外の多くの個体は20年代半ばまで生きることはあまり多くはないようです。<ツキノワグマの一年> クマの一年について冬眠を終える春から見てみましょう。3~5月にかけて冬眠を終えたクマは、寝たり起きたりをくり返しながら、冬眠中に低下した体力を徐々に回復させます。そして、6~7月にかけて繁殖期(交尾期)をむかえます。 この期間中にメスが発情するのは数日から10日ほどです。そのため、繁殖期のオスは発情したメスを探す毎日を送ります。そして、ふだんは単独で生活しているクマですが、相性の合うオスとメスが出会うと一緒にいる時間が増え、交尾に至ります。 9月あたりからは、食べることに専念した飽食期をむかえます。その理由は、この後にひかえる冬眠にあります。 冬眠中のクマは飲まず食わずの状態で過ごします。もちろん、排泄や排尿もしません。さらに、クマは体温を5℃以下まで下げて冬眠するシマリスヤヤマネとは異なり、せいぜい30℃台前半くらいにまでしか下げずに冬眠を行ないます。 その代わり、心拍数や呼吸数を少なくして、代謝(エネルギーの消費)を抑えます。しかし、冬眠中も徐々にエネルギーを消費することから、秋の間に冬眠中に消費するエネルギーを貯めておく必要があります。 そして、春から夏に比べて体重を脂肪という形で30%近くも増やし、冬眠の準備が整ったら、11~12月にかけて木の洞や岩穴などで冬眠を始めます。クマの出没が多発している理由について、ネットより紹介します。 2020.10.25クマに襲われけが 全国で計63人 うち2人が死亡 先月以降より■専門家 要因は「餌不足と生息区域の拡大」 クマの生態に詳しい東京農業大学の山崎晃司教授は、クマの出没が多発している理由について、ことしは餌となる木の実が不作で少なくなった地域もあり、クマが食べ物を求めて人里にやってきていること、過疎や高齢化によって、もともと人間が使っていた場所が森に戻りつつあり、クマの生息区域が広がっていることなどを挙げています。 そのうえで、クマの出没を防ぐための対策として「人家の周辺に食べ物が豊富にあれば何度でもやってくるので、野菜や果物を早めに収穫するほか、ドッグフードの保管場所などにも注意を払ってほしい」と話しています。 さらに「用水路など熊の通路になりそうな場所では、茂っている木を切ったり電気柵を張ったりして、熊が市街地まで移動できる手段を絶つことも重要だ。クマと人の住む場所を明確に分ける取り組みが行政などに求められる」と話していました。*********************************************************■2020.11.30『ツキノワグマのすべて』1https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202011300001/
2026.06.04
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「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/29c05c8423994732723758730e829579c1779831.26.2.9.2.jpeg" alt="内田" border="0">最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、西加奈子さんは♪で区別します。今回表示分は*)*「日韓連携論」*「資本主義末期の国民国家のかたち」・日本にとって「最悪の事態」・「環球時報」からの質問への答え・橋本治『「わからない」という方法』の韓国語版解説 ・移民問題の本質・遠ざかる戦争の記憶・「内田樹論第三部」 のためのまえがき・ 勝ちに居着く・ 敗戦から80年・ 日本の現状と危機について ・沈む祖国を救うには・『知性について(仮題)』まえがき・これだけは確かなもの・兵庫県知事選とメディアの役割・自由の森学園創立40周年記念講演「教育と自由」・「パンとサーカス」解説・共感ベース社会の陥穽・死ぬってどういうことですか?・2024年度寺子屋ゼミのテーマは・箱根の温泉で感じた中国のリアル・『本の本』あとがき・「宗教の本領」とは何か?・『街場の米中論』を読んで・月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」・高校生に言いたかったこと・宮﨑駿『君たちはどう生きるか』を観て・平川克美『「答えは出さない」という見識』(夜間飛行)書評・「怪物」公式パンフレット解説・白井さんと話したこと・3.11から学ぶこと・韓国の地方移住者たちに話したこと・生産性の高い社会のゆくすえ・ウクライナ危機と反抗・「生きづらさについて考える」単行本あとがき・「街場の米中論」まえがき・図書館の戦い・村上文学の意義について・統一教会、安倍国葬について他 ・安倍政治を総括する(目次全文は<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/6056/">ここ</a>)(その84):『 日韓連携論 』を追記<hr size=3 color=green> 内田先生が、日韓連携という希望的なお話しを述べております。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">2026-05-20 <a href="http://blog.tatsuru.com/2026/05/20_0756.html"> 『日韓連携論』 </a>より今、本を8冊同時並行で書いている。そういう曲芸的なことをしなければならなくなったのは、一つには私のような病後の老人に仕事を依頼してくる非情な編集者がいるからであり、一つには私がつい依頼を受けてしまうからである。編集者たちが非情になったのには理由があって、先年私がすい臓がんを患ったからである。「内田ももう先が長くなさそうだ。ならば生きているうちに書かせてしまおう」という焦りが彼らの督促を切迫したものにしている。こちらも生きているうちに言いたいことは言い尽くしておきたい。だから、8冊同時並行という椿事となった。 中に「韓国もの」が3冊含まれている。一つは『日韓連携論』。これは医療経済学者の兪炳匡早稲田大学教授との対談本。一つは『街場の韓国論』。これはロング・インタビュー。もう一つは韓国の政治哲学者ペ・セジン氏との往復書簡。三冊に共通する論件は「日韓連携」である。 「日韓連携」は皆さんには見慣れない文字列だと思うが、私はポスト・アメリカの外交安全保障戦略の基本はこれしかないと考えている。「ポスト・アメリカ」というのは「アメリカ抜きの」という意味である。NATOはつとに脱アメリカの集団安全保障構想にシフトしているし、アジア諸国は中国との連携強化シナリオを検討し始めている。「日米同盟基軸」と呪文のように唱えて「ポスト・アメリカについてノープラン」というのは世界でもたぶん日本だけである。 日韓連携はノープランの日本にとっての「プランA」である。日韓が連携すると、人口は1億7400万人、GDPは6.3兆ドルでドイツを抜いて世界3位。軍事力もインドを抜いて世界3位と言われている。巨大な政治経済圏が東アジアにできる。兪先生と私のアイディアは、日韓が一国二制度で連携して、米中の間に中立地帯を形成し、西太平洋地域を安定させるというものである。遠く明治の樽井藤吉の『大東合邦論』、大正の末永節の高麗国構想、出口王仁三郎の満蒙連邦構想と同根のものである。日韓連携については明治から昭和までさまざまなアイディアが提示されてきた。当初は対等合邦論だったが、それまで朝鮮に対して友好的だった福澤諭吉が「脱亜論」に転ずるに及んで、朝鮮蔑視の機運が醸成された。そして、1910年の日韓併合という植民地主義的な解に流れ込み、日韓連携構想は思想的にも政治的にも破産したのである。 今は国力において日韓の間には一方が他方を併合するというほどの差がない。今度こそ「対等合邦」の夢を果たしたいと在日コリアンの兪先生と私の二人で妄想を逞しくしているのである。 日韓連携論は日本のメディアではまず論及されることのない論件である。これまでお会いした政治家の中で、日韓連携論に肯定的に反応してくれたのは鳩山由紀夫元首相ひとりである。 一方、韓国ではこの論件についての反応がまったく違う。ここ数年、韓国に行く度に「日韓連携」について取材を受け、講演を求められる。聴衆は熱心に聴いてくれるし、新聞も報じてくれる。「日韓連携」が現実的な解であるかどうか、韓国の人たちは冷静に思量し始めている。日本人も潮目の変化に気づくべきだ。(中日新聞「視座」5月号 5月13日) </TD></TR></TABLE><hr size=3 color=green> 内田先生が、日中関係の危うさを説いております。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">2026-02-27 <a href="http://blog.tatsuru.com/2026/02/27_0703.html"> 『資本主義末期の国民国家のかたち』 </a>より平成、令和と二代「明君」が続いた。彼らが国際社会に向けて、日本国の道義性と文化的なクオリティを担保していることに異論のある人はいないだろう。そして、天皇は独裁者になる気がない。日本を独裁制にするためには、21世紀の「昭和維新」を企て、天皇を宮城の奥に閉じ込めて外部との連絡を断ち、「帷幄上奏権」を独占する軍人たちが「天皇の代弁者」として君臨するという胡散臭いシステムを採用するしかない。だが、あまりに既視感の強いこの独裁制モデルを「民主主義のオルタナティブ」として差し出しても拍手はまばらだろう。天皇を廃位して、独裁者が「新皇」の称号を名乗るという「平将門モデル」はさらに人気がないと思う。そう考えると、日本では「民主主義のオルタナティブ」を構想することを天皇制の存在が阻んでいるということが分かる。日本の民主主義を守護しているのは天皇制なのである。 事実、戦後80年間、日本国憲法の下で、太古的起源を持つ天皇制と近代的な立憲デモクラシーは葛藤しつつも共存してきた。2016年の「おことば」は、天皇の「象徴的行為」とは何かについての踏み込んだ憲法解釈を天皇陛下ご自身がなされたという点で画期的なものだったと思う。 その「おことば」の中で陛下は「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」という憲法第一条が具体的には何を意味するかについて、新しい解釈を下した。それは「かつての戦地に赴き、そこで死んだ人々の霊を鎮め、災害で苦しんでいる被災民のかたわらに膝をついて慰藉する」ことである。鎮魂と慰藉、それが「象徴的行為」であるというのが新しい憲法第一条解釈であった。これを天皇が国事行為について自分で解釈を下すなど違憲であるといきりたつ人がいたが、私はそうは思わない。憲法第一条における「象徴」の意味を思量する仕事を国民が怠っていたので、天皇陛下が自分でその仕事を引き受けたのである。これは天皇陛下が国民に向けて投げた「ボール」である。これに国民は答える権利があり、義務がある。私はそう思っている。「おことば」発出の直後に「私は天皇陛下の解釈を支持します」というステートメントを私は出した。別にそれを天皇陛下が読むと思って書いたわけではない。この問題提起に返事をするのは国民の権利であり義務だと思ったからそうしたのである。 こういう「やりとり」が存立し得るというところに、日本において民主主義が生き延びるための一筋の道が通っている。私はそんなふうに考えている。話が長くなったので、そろそろまとめに入る。主題は「資本主義末期における国民国家のかたち」である。私の答えは、これに一般解はないということである。「国民国家」というのはウェストファリア条約以後の政治概念であって、人種、宗教、言語などにおいて同質性の高い「国民(Nation)」が「国家(State)」を形成していると、いろいろ便利(特に戦争に強い)というだけの話である。国民国家というのは、昔からあったものではないし、いつまでもあるものでもない(日本だって国民国家になったのは明治維新の時である)。国民国家は暫定的な政治制度である。でも、今のところ私たちの手元にはこれしか使えるものがない。ならば、瑕疵のあるところを補正し、欠落を埋め、圭角を削ぐというby piece-mealな手直しを繰り返して使い延ばすしかない。 さしあたりの急務は、外国ルーツの住民が全人口の3%を占め、このまま増え続ける中で、どうやってNationという概念を上書きしてゆくかという問いである。「日本は単一民族」というような妄想に取り憑かれたまま、昔ながらのNation概念で突っ張ってゆけば、外国ツールの人たちはみな「非日本人」だということになる。現に日常生活のさまざまな場面で遭遇し、協働している人々を「よそもの」として遠ざけ、その権利を制限する排外主義に私は人道的に反対である。それよりは、理解も共感も絶した他者と共生し、協働して「よきもの」を創り出すことができるだけの市民的成熟を日本人がめざすことの方を私は選びたい。その努力を通じてNationの概念はむしろ厚みと広がりを増すだろう。 紙数も尽きたので、ここで筆を擱く。まとまりのない話で申し訳ない。(Greenz, 2月26日) </TD></TR></TABLE> <hr size=3 color=green>以降の全文は<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202602090000/">内田先生かく語りき62</a>による。<a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202603170001/">内田先生かく語りき83</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202511290001/">内田先生かく語りき82</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202511010002/">内田先生かく語りき80</a>
2026.05.30
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?このところ夏日と梅雨入りのような日が立ち代わりに現れていたが、気象台は沖縄の梅雨入りを発表したようです(5月4日発表)。平年より6日早く、昨年より1日早い梅雨入りです。・・・ということで、『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">【日本のならわしとしきたり】<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/666097396b2a37076607083f6fd0785d92fc4a89.26.2.9.2.jpeg" alt="しきたり" border="0">ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は二十四節季でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%82%89%E3%82%8F%E3%81%97%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%82%8A%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%82%B9-Town-Mook/dp/4197103212">日本のならわしとしきたり</a></TD></TR></TABLE><img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/93d6654d053b2cb9e80b29f9c0d53250cd4d8e71.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />麦秋この本で、小満のあたりを見てみましょう。<TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">和暦p15<font color="brown"><小満></font><font color="brown">万物が次第に成長して、大きくなること</font> 立夏から15日目ころにを小満の節を迎える。期間は5月15日ころから次の節である芒種の前日までである。小満に入るころは「万物が次第に成長して、大きくなること」であり、なかでも、秋に蒔いた麦に穂がつくころにあたる。「小満」は、その出来具合に「少し満足する」といった意味である。 ちなみに『暦便覧』では「万物盈満すれば草木枝葉繁る」とある。盈満の意味は、広辞苑によると「物事が充分に満ち足りること」。小満は、現時点での出来具合が「まずまず」といったほどの意味。 旧暦時代の暮らしでは、作物、なかでも米麦などの穀物の出来が暮らしと経済を左右していたため、収穫までは目を離すことができない。歳時記は、こうした季節の移ろう状態を短い言葉でまとめた冊子だが、農作業の重要な指針とも、なっていたのである。 また小満は穀物だけでなく、梅、桜桃梅(ゆすらうめ)などの草木が実をつけ始めるころでもある。さらに、七十二候に「蚕起食桑」があり、養蚕の蚕が盛んに桑の葉を食べ始めるのも小満のころだ。 小満の期間の七十二候は、次の通り。 初候「蚕起食桑(かいこ、おきて、くわを、はむ)」 次候「紅花栄(べにばな、さかう)」 末候「麦秋至(むぎのとき、いたる)」</TD></TR></TABLE><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202505190000/">二十四節季の小満に注目(復刻3)</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202405040000/">二十四節季の立夏に注目(復刻3)</a>
2026.05.20
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『*********************************************************図書館に予約していた『他者の靴を履く』という本を、待つこと5ヶ月半ほどでゲットしたのです。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という作品を読んで以来・・・著者の作品をフォローしているのです。 【他者の靴を履く】ブレイディみかこ著、文藝春秋、2021年刊<「BOOK」データベース>より“負債道徳”、ジェンダーロール、自助の精神…エンパシー(意見の異なる相手を理解する知的能力)×アナキズムが融合した新しい思想的地平がここに。<読む前の大使寸評>『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という作品を読んで以来・・・著者の作品をフォローしているのです。<図書館予約:(8/14予約、副本8、予約81)>rakuten他者の靴を履く「第3章 経済にエンパシーを」の結論あたりを、見てみましょう。 p89~91<いまこそジュビリーの思考法を> 新型コロナウィルス感染拡大で立ち上がった地域の相互扶助の姿は頼もしい。わたしの近所でも、英国でロックダウンが発表になる前から、自主隔離する人たちの食料の買い出しを行うグループが組織されたり、一人暮らしや夫婦だけで生活している老人たちに定期的に電話を入れて雑談するグループができた。 地域の各家庭の郵便受けに手作りのチラシを入れて協力を募り、相当数の人々がそれに応えてあっという間に草の根のボランティア組織ができた。これは英国の庶民の底力だと思う。これこそクロポトキンのスピリットであり、エンパシーのある社会の姿であり、下側からのパワーである。これだけを見てもアナキズム(self-governedの精神)とエンパシーが繋がっているのは明らかだ。 しかし、今回のような経済の大収縮にあっては、下側の助け合いだけではこと足りない。平時のように「下側からの運動こそが本物」とか「いや上からのロビイングが現実的には有効」とか言って、運動家どうしがトムとジェリーのようにいつまでも仲良く喧嘩している場合ではないのだ。 上からも、下からも、両方から行けばいいのだ。どちらかでなければいけない、という思い込みこそが有害な足枷になる。それは人間が軽やかに動くことをできなくする重くて古い靴に似ている。 グレーバーは、いまこそ人類にはジュビリー()が必要なのだと言っている。ジュビリーとはつまり、奴隷の解放と借金の帳消しだ。 奴隷には、ケア労働者のように、人の生命を預かる仕事をしているのに「シット(クソのような)」賃金しか貰えず、割の合わない責任と労働を負わされている人々もいる。一方では、自分の業務は無意味だと知りながら長い時間を拘束されて精神的に傷を負いながら生きているブルシット・ワーカーたちもいる。 どちらも、学生ローンの支払いだ、税金の支払いだと常に支払いの義務に追われて、そのうえ国の借金まであなたたちが背負っているとか言われ、悪い時代に生まれたと諦め、奴隷のようにただただ負債を返すために働き続け・・・、って、これは要するに、借金のかたに人生を取られているのである。 人生を取られている人だらけになると、社会はゾンビの国のようになる。そりゃ元気もなくなるだろうし、政治が腐敗しようと、地球の終りが近づこうと、知ったことではないだろう。債務の返済でそれどころではないからだ。 これは為政者にすれば物凄く都合のいい状況だ。人々は忙しすぎてゾンビみたいになっているから、どんなへまをやろうと、どんな悪事を働こうとスルーされる。「財政規律が・・・」と言っておけば、増税だろうが公共サービスの低下だろうが「しょうがない」と耐えて黙って働いてくれる。「いや、そもそもその財政破綻の危機って本当なんですか?」という疑問すら人々は抱かない。 上からの債務返済の言いつけを疑ったり、履行しなくなるのはたいへん不道徳なことであり、もはや人間ではなくなると言われているからだ。すでに人ではないゾンビにされてしまっていることにも気づかずに。『他者の靴を履く』4:ブルシット・ジョブ『他者の靴を履く』3:言葉はそれを溶かす『他者の靴を履く』2:外して、広げる『他者の靴を履く』1:はじめに*********************************************************■2022.02.11 『他者の靴を履く』5https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202202110000/
2026.05.16
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『BD 第九の芸術』という本を図書館で借りたのは、メビウスについてもっと知りたかったわけです。宮崎駿や松本大洋に大きな影響を与えたメビウスでしたが、惜しい人を亡くしたものです。<大御所メビウス>p124~126より BDのことはあまり知らなくても、メビウスの名前だけは知っている人は多いはずである。日本のマンガに詳しい人なら大友克洋や宮崎駿に影響を与えた人物だと記憶しているかもしれない。しかし日本では、実際にメビウスのマンガを読んだことがあるという人は少ない。ほとんど邦訳されていないのだから無理もない話だ。リアルタイムで『メタル・ユルラン』誌を読んでいた世代、あるいは海外から作品を取り寄せるような愛好家を除けば、日本ではもっぱらBDの巨匠というイメージが先行し、卓越した画力だけが注目されてきた。 BDの象徴でありながら、メビウスはアメリカ文化の影響を強く受けている。BD自体がアメコミの影響を強く受けてきたのだからある意味で当然ではあるが、アメリカの映画業界の活躍のひとつとってもメビウスの場合は他の漫画家に比べて際立っている。メビウスの作品には、アメリカが中心的な役割を果たした20世紀という時代が刻まれている。 メビウスが「バズーカ」と違って生き延びた理由としては、ジャン・ジロー名義のウェスタン『ブルーベリー』(1965)をヒットさせると同時に、アメリカのコミックスやイラストや映画を肯定的に自作に取り入れたことが挙げられる。日本人には想像しずらいかもしれないが、フランスではウェスタンがBDのジャンルとして定着している。人気の背景には、砂獏の荒野には伝統的なヨーロッパの石造りの重厚な町並みにはない開放感があるからだろう。砂漠のウェスタンと宇宙を舞台にするSFは、フロンティア・スピリットという共通点もある。 メビウスはウェスタンからSFまでこなすエンターテインメント性と芸術性を兼ね備えていた。メビウスはSFやウェスタンという極めてアメリカ的なジャンルで傑作を発表し、アメリカでも成功した数少ないフランスの漫画家なのだ。彼の迫力ある絵や幻想的でユーモラスな世界は、娯楽性を兼ね備えることで幅広い読者層を獲得し、その芸術性や斬新な作風によって既成のBDのイメージからの脱却を推し進めた。メビウスとその時代を概観すれば、アメリカ文化の影響力の大きさとともに、良きにつけ悪しきにつけマンガが子供向けの読み物から後にアートとして評価されることとなるクオリティを獲得していく過程がわかるだろう。ロング・トゥモロー<フランス初、アメリカ進出マンガ誌>p140~141より 師匠になることを笑いながら快諾し、精神的に支えた人物がホドロフスキーだとすると、メビウスの才能を爆発的に開花させたフィールドは、1975年創刊の雑誌『メタル・ユルラン』である。 『メタル・ユルラン』で展開されたメビウスならではの幻想的な世界や高い画力に裏打ちされた精緻な描写は、世界中のマンガファンのみならず映画界にも衝撃を与え、「スターウォーズ」「ブレードランナー」や「エイリアン」といった映画史に残る傑作が制作されていった。 『メタル・ユルラン』の興亡に関しては、当時大学受験もせずに家出同然の状態で同誌に参加したセルジュ・クレールが描いた『日記』(2008)というBDがある。 いわば『メタル・ユルラン』のドキュメンタリー・マンガで、脚色混じりとはいえ実在する人物の舞台裏が生き生きと描かれ、『メタル・ユルラン』の創刊に尽力したジャン=ピエール・デュオネが序文を書いている。(中略) 『メタル・ユルラン』は政治的な有効打となるほどの経済的成功を収めることはできなかったが、フランス語圏のマンガ雑誌がアメリカに進出したことは、BD史において特筆すべきことである。BD業界ではアメリカのコミックスが仏訳されることはあっても、その逆の例は少なかった。 雑誌が担っていた役割や期待は今よりも大きかった。だからこそ政治的な意味づけができたのである。インターネットが普及していない当時、雑誌は情報伝達で重要な役割を果たし、流行の仕掛け役でもあった。 マンガ雑誌は掲載作の単行本を紹介する広告塔としても機能していた。しかも雑誌ならば、購買力のない若者でも気軽に買って読むことができる。グーグルのイメージ検索や大画面テレビも身近にない時代にあって、マンガ雑誌はイメージの魅惑をかきたてる媒体として大きな役割を担っていた。現在、BDの出版社は、日本の「マンガ」の人気との相乗効果もあって活況を呈しているが、雑誌はというとフランスでも日本でも娯楽の多様化やネットの普及によって衰退傾向にある。それだけに雑誌が時代を象徴するというムードは想像しづらいかもしれない。アルザック<『アルザック』>p150~152より メビウスの多彩な画風をウェスタンのジャン・ジローとSFのメビウスに分けたとき、そのSFのメビウスのなかには、略画的な絵柄と細密な絵柄のスタイルがある。メビウスは驚くほどさまざまな絵柄を描き分けながら、それぞれの作品にふさわしいスタイルを探り当てる。『アルザック』では、盟友のフィリップ・ドリュイエにも顕著なアール・ヌーヴォー的な装飾的なコマ割りがなされ、台詞も説明文もないので字幕のないサイレント映画を観ているようだ。沈黙の音色に耳を澄ますべき作品とでもいおうか。 このように写実的に描かれたSFマンガでテクストが皆無というのは珍しい。言葉というノイズを消去し、グラフィックなヴォイスだけで語りかける。メビウスの描線は言語的な意味で編み上げられる表層のネットワークよりも深部へと入り込み、自らの無意識に深く沈潜することによって、読者の無意識に働きかけようとする。 メビウスは『アルザック』の序文で「ひじょうに個人的で、感覚の次元に属するもの」を呼び覚まし、「無意識の周縁にある、意識のもっとも深いレベル」を表わすことを目指したと述べている。たしかにページを操る読者は、無音の世界という夢幻的な感覚を抱くだろう。悪夢の魅惑というべきか、翼竜に跨って空を飛ぶ主人公アルザックが目にするのは、化け物の顔に変貌する女であり、わけもなく襲ってくる怪物だ。夢ほど脈絡のないイメージが続くわけではないが、一般的にマンガの読者が期待しているようなわかりやすさはなく、肩すかしをくらうような結末で物語は断ち切られる。もっともそれこそが幻想文学の短篇の余韻であり醍醐味と言うべきであろう。 そもそも「アルザック」とはいったい何者なのか。《ARZACH》、《ARZAK》、《HARZACK》、《HARZAK》、《HARZAC》、《HARZACKC》と目まぐるしく変わる表記は、メビウスが影響を受けたと公言するレーモン・ルーセルの言語遊戯を感じさせると同時に、キャラクターの自己同一性が保たれていないことがわかる。 こうした言語遊戯は、混沌とした複数の自我を固有名詞へと束ねた主体によって構成される世界とは異なる時空を描くうえで、表現上のアクセントになる。フリージャズの演奏が技術と形式に裏打ちされてはじめて威力を発揮するように、錯乱した世界もメビウスの卓越した画力によって生々しく視覚化されるのだ。『Inside Moebius』和訳より<物語表現>p228~230より 日本ではボードワンは過小評価されている感があるが、メビウスは高い評価を受けている。メビウスの描く絵や線の魅力については言をまたない。あるいは百言を費やさねばならない。他方でメビウスには語り口の魅力というものもある。それが自伝的BDにも生かされている。 実際に話すという意味での語り口は、2009年5月6日に京都国際マンガミュージアムで行われたイラストレーター村田蓮爾との対談で堪能することができた。自伝的マンガ『インサイド・メビウス』から抜け出てきたかのような黄色いTシャツ姿のメビウスは、ユーモアと誠実さを兼ね備えた飄々としたトークを繰り広げ、ペンを片手に実際に目の前で描いてみせた。 講演では何度か「物語表現」という言葉を口にされていたが、このことは物語をいかにして造形するかというメビウスの問題意識を再認識させるものだった。また現代のBDでは珍しくないイラストブック的な形態も、自らがパイオニアだという自負を語っていたのも印象深かった。つまりメビウスは魅力的な絵を描くだけでなくマンガの可能性を追求する革新者でもあるということだ。 すでに触れたようにメビウスは『巨根男』で左右別々のストーリーを同時進行させるという実験的な形式に取り組んだ。話の断片を並べていく作風は『アルザック』では幻想的に、『密封されたガレージ』ではユーモラスに生かされていた。だが残念ながら日本ではメビウスの卓越した画力ばかりが注目され、物語の技法に自覚的な漫画家だということはあまり認識されていない。 ここで取りあげてみたいのは、メビウスの物語る語り口の魅力について、ジャン・ジロー・メビウス名義で描かれた『インサイド・メビウス』(2004-10)という不思議な作品についてである。全貌が明らかにならぬまま現在も続いているシリーズについて論じる難しさはあるが、ほとんど邦訳されていない現状に鑑みれば今のメビウスを紹介できるという利点はあるかと思う。 とりあえず「自伝的マンガ」と記したが、一読すれば一筋縄にはいかない作品だということがわかる。メビウス本人がキャラクターとして登場して、実生活とも重なる【BD 第九の芸術】古永真一著、未知谷、2010年刊<「BOOK」データベース>よりコマの否定、吹き出しのみの構成、メタレベルのストーリー、ダンスとのコラボレーション…ほとんど分類不能、クールジャパンの対極のアヴァンギャルド―古くはバタイユがBDのアーナキーさに注目し、70年代に前衛集団「バズーカ」、90年代に前衛漫画集団「ウバポ」、大御所メビウス、ポードワンなどを紹介しながら、第九の芸術と言われるBDの歴史的背景と表現媒体の可能性を見る、待望のBDアヴァンギャルド論。<読む前の大使寸評>BDという言葉より先に、大御所メビウスを知り、その圧倒的な技量に驚いたわけです。ということで・・・BD(フランス漫画)の中でメビウスが占める位置とか、影響力を知りたいわけです。AmazonBD 第九の芸術
2026.05.10
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早朝に散歩する太子であるが、南東の空に月と金星が見えるのです。ちょうど三日月の内側に金星が位置しているが、これって中東諸国が好むマークではないか。また、このマークは春分と関係があるのではないか?このところ宇宙や占星術の記事を見たり、書いたりしているが『日本のならわしとしきたり』という蔵書に二十四節季の記事があることを思い出したのです。このように、二十四節季の紹介に務めてきましたが・・・ついに巡り巡って、(復刻)も五巡目に入ることになりました。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">【日本のならわしとしきたり】ムック、 徳間書店、2012年刊<内容紹介>ありふれたムック本ということなのか、ネットにはデータがありません。<大使寸評>とにかく「今日は七十二候でいえば、何になるか♪」を知りたいロボジーにとって、座右の書となるでしょう♪Amazon<a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%AA%E3%82%89%E3%82%8F%E3%81%97%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%8D%E3%81%9F%E3%82%8A%E2%80%95%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%82%B9-Town-Mook/dp/4197103212">日本のならわしとしきたり</a></TD></TR></TABLE><img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/2174580bf1bf8cf1057157811fae3d9b26077e79.26.9.9.3.jpeg" border=0 name="insertImg" />この本で、立夏のあたりを見てみましょう。<TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">和暦p13~14<font color="brown"><立夏></font><font color="brown">空に鯉幟(こいのぼり)、目には青葉若葉、風は緑の薫風</font> 現行の暦(太陽暦)では、例年5月5日~6日ころが立夏となる。この日から立秋(8月7日ころ)の前日までが「夏」であり、俳句では、立夏から立秋の前日までの期間は夏の季語が用いられる。(中略) 立夏に入ると、大地が緑に染められ、樹木の葉は日々茂り、その色を濃くしていき、体感的にも夏の気配が感じられるころとなる。またこのころは比較的雨量が少なく、風が青葉若葉の色に染められ、文字通り風に香りがあるかのように爽やかな気候となる。ちなみに「風薫る」「薫風」はこの状態を表現した季語である。 このような気候風土をとらえて『暦便覧』には「夏の立つがゆへなり」と書かれている。 誤解されやすい言葉に「五月晴れ」がある。 これは梅雨最中にみられる「晴れ間」のこと。五月晴れの5月は、陽暦では梅雨入りした6月から7月ころになる。 立夏の期間の七十二候は以下の通り。 初候は「蛙始鳴」(かわずはじめてなく)であり、蛙が鳴き始めるころ。 次候は「蚯蚓出」(みみずいずる)であり、ミミズが暖かくなったので地上に這い出てき始めた、ほどの意味 末候は「筍生」(たけのこしょうず)であり、タケノコが生えて来る季節になったことを教えている。 五月のこの季節、陽光が降り注ぎ、動物も植物もその生命力を誇示するかのように、芽吹いたつぼみが一斉に咲き始める。五月を「さつき」と読むのは、早苗を植える時期「早苗月」を略したものだと言われているが、あらゆる花が咲き始める、まさに百花繚乱の季節である。</TD></TR></TABLE><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202304070003/">二十四節季の清明にに注目(復刻)</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202104190000/">二十四節季の穀雨に注目</a><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202105050000/">二十四節季の立夏に注目(復刻4)</a>
2026.05.07
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多和田葉子さんが説くヨーロッパの都市がええので、以下の通り復刻して読み直してみようと思うわけです♪*********************************************************図書館で『溶ける街透ける路』という本を、手にしたのです。この本の目次を見ると・・・ヨーロッパ、北米の都市名が並んでいます。つまりそれだけ動き回っていたわけで、パンスカを生み出した人はすごいでぇ。 【溶ける街透ける路】多和田葉子著、日経BPM(日本経済新聞出版本部)、2007年刊<「BOOK」データベース>より揺さぶられる身体感覚。欧州、北米、中東、日本を駆け巡り、自作を朗読し、読者と話した1年。見る、聞く、歩く、触る、食べる。街の表層が裂け、記憶がゆがむ。待望のエッセイ集。<読む前の大使寸評>この本の目次を見ると・・・ヨーロッパ、北米の都市名が並んでいます。つまりそれだけ動き回っていたわけで、パンスカを生み出した人はすごいでぇ。rakuten溶ける街透ける路ロシアなどの近隣国に翻弄されたラトビアの首都リガを、見てみましょう。 p223~226<リガ Riga> バルト諸国を訪れるのは今回が初めてだった。飛行機が綿菓子のような雲の層を抜けて下界に出ると、秋の色に染まった森の広がる平坦な土地が見えた。山どころか、丘ほどの起伏さえ見当たらない。 飛行場から街へ向かう途中、葉を金色に染めた白樺の間に木造の家が間隔をあけて建っていた。元は濃かったのかもしれない塗装のブルーやピンクがいい具合に色あせている。職人が数人、屋根をなおしている家もあったし、まだ壊れたままで人の住んでいない家もあった。 途中大きな河があったので、「なんという川ですか」と運転手に訊くと、返ってきた答えが「ダウ川」と聞こえた。日本語のようなので驚いたが、あとで他の人に訊いて確かめると、この川は本当に「ダウガヴァ」というのだそうだ。 旧市街に入ると、教会も商館もホテルもすべて見事に修復してある。まずは観光の要になる旧市街から修復されていくのだろう。 リガには12世紀にドイツ人たちがやってきて、ハンザ同盟の町として栄えた。それからポーランド、スウェーデン、ロシアなどの国が次々のしてきて随分苦労したようだ。わたしの頭の中では、ラトビアという国はずっとソビエト連邦の一部だったが、1991年に独立してからどんな風になったのか、よく知らないまま来てしまった。 たとえば、独立後、首都のリガから何十万人ものロシア人が去ったと聞いていたが、町を歩いているとロシア語がたくさん聞こえてくる。旧市街の真ん中にはロシア語劇場もあった。 その夜、Tさんの家にパーティに呼ばれていって、いろいろな人と話をした。この町ではロシア語人口の方がラトビア語沈香より多いのだそうだ。ラトビアが独立からは、ロシア人だけの学校も含めて、すべての学校で60パーセント以上はラトビア語で授業しなければいけないという規則ができたが、代々リガで暮らしてきたロシア人たちにはそれが受け入れられず、いろいろ衝突がある。 しかし最近はまたラトビア人の間でロシア語の価値が再評価されてきているそうで、ロシア系の企業も多いし、ロシア語ができた方がいいと考えるラトビア人が増えているらしい。文学部学生のKさんも「〇」と教えてくれた。 ロシア語と言えば、出発の2日前にベルリンでラジオで偶然「〇」というテーマの番組を聞いた。ドイツ統一直後には、東独の人たちはそれまで第一外国語だったロシア語を投げ捨ててしまおうとしたが、最近になって若い人たちが一部ロシア語を見直し始めている。世界は英語化に向かっていると言うが、もう少し眼を凝らして細部を見れば、そうでないのかもしれない。 わたしがリガに着いた週にはちょうど、バルト三国のドイツ語の先生たちの集まりがリガで行われていて、参加者は全部で約三百人というから、ドイツ語の人気もまだまだ落ち目ではないようだ。バルト三国の主要都市にはすべてゲーテ・インスティチュートかドイツ文化研究所またはその両方があり、盛んに活動している。ウン ドイツ語話者でもある多和田さんが、リガでドイツ語の集まりに参加するとは・・・さすがパンスカ話者である。大使が渡仏の際、アエロフロートの窓からバルト海海岸線で輝く明かりが見えたのです。隣の異国人に「あれはどこか?」と訊ねたら、「リガじゃないかな」と答えてくれたことを思い出したのです。『溶ける街透ける路』2:デュッセルドルフ『溶ける街透ける路』1:パリ *********************************************************■2021年07月07日『溶ける街透ける路』3https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202107070000/
2026.05.02
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『ガロ』という雑誌が今も続いているかどうか知らないが・・・ガロ(1993年8月号)が取り上げた「つげ義春女性を語る」という記事がええので、復刻して読み直してみましょう♪*********************************************************三宮センター街の古書店でゲットした『ガロ(1993年8月号)』という雑誌が積んどく状態になっていたので、読み始めたのです。まあ 12月はじめに喪中はがきを出してしまい、暇になったせいもあるんですが…この雑誌で「つげ義春女性を語る」という箇所を見てみましょう。p44<つげ義春女性を語る> 旅先で女性となんかあるってのは、マンガにはよく出てきますけれども、実際はないです(笑)。やっぱり女性が関わると旅のムードが壊れてしまいますよね。すごい通俗的になるんじゃないのかね(笑)。 どこかへ旅して、そこの女性と知り合ってそこに住み着いてしまって、なにかの職について暮らしたいという願望は昔からありましたけれども。それはまあ、一種の蒸発ですよね。 自分の作品に出てくる女性はわりと突き放した感じで描かれてますけれども、それは自分の蒸発的な願望の、そこへ住み着いた場合の手段みたいなもので精神的な部分は関係ないんですね。 だってもしその女性に惚れてしまったら、それは蒸発にならずにそこでまた新たな現実が始まってしまうわけですから。それはただ単に引越しをしたっていうのと同じ事になってしまいますからね(笑)。蒸発ではなくて。 好みのタイプっていうのも別にないんです。自分の作品っていうとなぜか女性について聞いてくる人が多いんですけど、ドラマを作る上で女性がいた方が話が作りやすいから出てくるだけでね。中年のぼてっとした女性が出てくるからって、それが好みっていうわけじゃなくて(笑)、ドラマの中で必用だからああいう描き方をしているだけなんです。飽くまでも自分の内面の問題を描いているだけで。 別になんとも思わないし理想のタイプなんてないんですね。好きだった女優なんかもいないですし。ですから以前、文春文庫の映画の本でアンケートを頼まれたときにも、男優では好みの人もいるんですけど女優は別にいないんですよ。だから女優の蘭にはいないって書いたんですけど。 フェミニズム運動なんかにしても女性にしてみれば男性の欠点も見えるでしょうけど、女性側からは気付かない部分っていうのは我々男性からすれば逆によく気が付きますからね。運動をやってる人からみれば、男には反省すべき点がたくさんあるんでしょうし事実あるとは思うんですが、女性にも反省すべき点はあるように思うんですよね。女性自身がそこに気付かないで男性を攻撃するというのはね。 自分なんかが思うのは、女性は本能的に支配されてる部分が多いっていうことですね。そのことを女性自身は絶対気が付かないですよ。やっぱり男と女は敵ですよ(笑)。北九州に住む女性読者を訪ねようということで、居所をひきはらって旅に出るというような大胆なところもあるつげさんの女性論でした(笑)。【ガロ(1993年8月号)】雑誌、青林堂、1993年刊<商品情報>より特集 「つげ義春」する!-映画『ゲンセンカン主人』公開記念:つげ義春インタビュー、赤瀬川原平・上野昂志・黒川創・川崎ゆきお・とうじ魔とうじ・高野慎三・ユズキカズ・安彦麻理絵・三橋乙揶・杉作J太郎/ガロ名作劇場17 勝又進「狸」/「パースペクティブキッド」刊行記念 ひさうちみちおインタビューイタガキノブオ/松井雪子/鳩山郁子/安部慎一/三本義治/友沢ミミヨ/唐沢商会/QBB/土橋とし子/沼田元氣/みぎわパン/ねこぢる/松沢呉一/高杉弾/中ザワヒデキ/四方田犬彦 etc.<読む前の大使寸評>三宮センター街の古書店でゲットした『ガロ(1993年8月号)』という雑誌なんですが…特集:「つげ義春」する!と銘打った本号が、売価で500円(定価550円)という優れモンでおました♪anamonガロ(1993年8月号)この記事もつげ義春ワールドに収めるものとします。*********************************************************■2016.12.18 つげ義春女性を語るhttps://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/201612180000/
2026.04.27
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図書館で『クルドの夢 ペルーの家』という本を手にしたのです。日本の入管と言えば剛腕で知られ、また難民認定に関しては、そのシブさが特筆されるわけで・・・そのあたりが興味深いのでチョイスしたのです。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 クルドの夢 ペルーの家】webp画像につき開示できず 乾英理子 著 、論創社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より日本で見かける外国人とは?コンビニや工場、夜の街、肉体労働の現場で働く人々。そして、働きたくても動くことが許されない人々。日本に来た理由は、本国が不況で働く場所がなかったり、戦火に追われ逃げ延びてきたりと様々だ。本書では、国を追われながらも難民として認定されず、「仮放免」というあいまいな身分で滞在するクルド人家族と、団地に暮らし日本での居場所を探す日系ペルー人家族への取材を通して、日本で暮らす外国人と日本人とがどう共存していけばよいのかを探る。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16672925/" クルドの夢 ペルーの家></a></td></tr></tbody></table>「第2章 長すぎる収容」の「2 絶望、罪業感、そして死」に入管と外国人労働者との戦いが載っているので・・・見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p69~72<font color="brown">収容所内で人が死ぬ</font> 取材期間中に、予想もしなかったことが起きた。収容所内で死者が出たのだ。 2018年4月13日、東日本入国管理センターのシャワー室で、インド人のディーパック・クマルさんが首を吊って命を断った。 支援者によると、クマルさんは「短期滞在」の在留資格で日本に滞在し、難民申請をしたが不認定となり、オーバーステイとなって収容されていた。2017年7がつに収容されたというから、収容は9ヵ月を超える。仮放免が不許可になったと通知を受けた翌日の死だった。翌月には、あとを追うようにふたりが自殺未遂をした。 この1件を受け、収容者たちはハンガーストライキを行った。その数は100人を超え、前代未聞の規模となった。 抗議の動きは、収容所の外でも起こった。5月の夕暮れ、渋谷区のハチ公前広場にいつになく多くの人だかりができていた。「入国管理局は長期拘留をやめて」「人権守れ」と書かれたプラカードを持った人々が20人程度、スクランブル交差点のほうを向いて並んでいた。中央に立つ男性が、「ご通行中のみなさん、この人が自殺しました。9ヵ月、無期限で収容されていたからです」と、クマルさんの顔写真を掲げた。 クマルさんの死を悼んで入管へ抗議しようと、Twitterで「#FREEUSHIKU」というハッシュタグで呼びかけて集まった人々だった。特定の政党や団体に所属していない。お互いに初めて会う面々だ。SNSの力で、支援者など一部の人々以外にも情報が広がり、収容所の問題は少しずつ知られるようになってきた。入管の前ではなくハチ公前広場を選んだのは、渋谷の町を行き交う大勢の人々に知ってもらうためだろう。「私たちはいま入国管理局で自殺者が出ていることに抗議して、ここに立っています。強制収容所があることをご存知でしょうか。この人(クマルさんのこと)、日本で罪がないのに死んだ人です。クマルさんはひとりぼっちでシャワー室で芯でしまった。渋谷にも外国人がいますよね。友だちもいれば恋人もいるのに、ただ難民というだけで、日本が難民を受け入れていないので、収容所に入れて長期的に放りこんだままにしているので、多くの方が自殺したり病死したりしています」 メガホンの先を、大勢の人々が足早にとおり過ぎる。仕事終わりのスーツ姿の男女、渋谷に遊びに来た若者グループ、交差点で自撮りするさまざまな肌の色の外国人観光客・・・。抗議の声は、雑踏に消えていく。ときおり、怪訝な顔をして立ち止まる人もいた。(中略) メガホンは、収容所で支援活動をしているという男性に手渡された。 「こんなことでいいんでしょうか。これで国際社会? 日本はね、観光立国とかいって年間2000万人以上の外国人をいれています。お金を持ってくる外国人は日本にウェルカム、お金のない困った外国人は日本は排除する。そんなことでいいんでしょうか」 収容施設内で死者が出るのは、これが初めてのことではなかった。収容所や地方入管の収容場で命を落としたのは、2007年以降、クマルさんで14人目だ。 自殺とされるのは中国人やブラジル人、韓国人など5人で、ほかの人は病死や餓死とされている。入管が衣料を放置したことによる病気の悪化を疑われているケースもある。 2014年の3月に東日本入国管理センターで亡くなったカメルーン人男性は、入管職員の監視の元、息を引き取った。1カ月前から胸の痛みを訴え、めまいや不眠に苦しみ、診療を求める申出書を提出していた。 様子がおかしいことに気づいた同室者も、男性を医師に早く診せるよう懇願していたそうだ。それでも診療はかなわず、24時間、職員にカメラで監視される部屋(通称「懲罰房」)へ移された。男性はたびたび苦しみ、もがいてベッドから転げ落ち、監視カメラに向かって職員を呼び出すための「要件あり」と書かれたカードをかざした。だが、職員は対応しなかった。</TD></TR></TABLE><a href="https://plaza.rakuten.co.jp/foret/diary/202604240000/" 『クルドの夢 ペルーの家』1></a>
2026.04.26
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図書館で『クルドの夢 ペルーの家』という本を手にしたのです。日本の入管と言えば剛腕で知られ、また難民認定に関しては、そのシブさが特筆されるわけで・・・そのあたりが興味深いのでチョイスしたのです。<table border="1"><tbody><tr><td width="550" height="50">【 クルドの夢 ペルーの家】webp画像につき開示できず 乾英理子 著 、論創社 、2021年刊<「BOOK」データベース>より日本で見かける外国人とは?コンビニや工場、夜の街、肉体労働の現場で働く人々。そして、働きたくても動くことが許されない人々。日本に来た理由は、本国が不況で働く場所がなかったり、戦火に追われ逃げ延びてきたりと様々だ。本書では、国を追われながらも難民として認定されず、「仮放免」というあいまいな身分で滞在するクルド人家族と、団地に暮らし日本での居場所を探す日系ペルー人家族への取材を通して、日本で暮らす外国人と日本人とがどう共存していけばよいのかを探る。 <読む前の大使寸評> 追って記入rakuten<a href="https://books.rakuten.co.jp/rb/16672925/" クルドの夢 ペルーの家></a></td></tr></tbody></table>「第1章 “クルド難民”バリバイ一家」の「1 収容所で出会ったひとりの青年」にクルド難民一家の窮状が興味深いので見てみましょう。</a><TABLE border="1"><TR><TD width="550" height="50">p22~27<font color="brown">「埼玉に集住する在日クルド人」</font> 歴史を振り返ると日本とは縁遠いように思えるクルド人だが、今の日本でも彼らは暮らしている。その数は、およそ3000人といわれる(日本クルド文化協会による)。公的な調査がおこなわれていないので、実際には何人いるのかわからない。国やじちたいによる外国人の調査では、国籍による分類がなされており、クルド人はトルコ人やシリア人にカウントされる。よって、国を持たない彼らの存在は見えにくい。 宗教も文化も違う日本にトルコからクルド人が多く集まったのは、日本とトルコが友好関係にあるからだ。日本は、戦後になってからトルコと経済的に協力関係にあり、文化交流もおこなわれ、ビザ免除措置をとっている。私たち日本人は、事前にビザを取得しなくてもトルコに入国でき、トルコから来日する人も事前にビザを取得する必要がない。 日本に暮らす3000人のうち、1000人以上が関東近郊に暮らしているという。なかでも多いのが埼玉県川口市だ。川口市は、東京都新宿区、東京都江戸川区に次いで全国で三番目に在留外国人の多い自治体である。市内に住む外国人は3万9270人で、市内人口のおよそ6%(2020年6月時点)を閉める。 外国人の多い理由は、ものづくりとして栄えた市の歴史にある。川口市は、江戸時代から鋳物産業が栄え、終戦直後には鋳物生産額が全国の三分の一を閉めた。溶解炉が林立する象徴的な風景は、吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で有名になった。鋳物の中小企業では、全国に先駆けて1980年代から外国人労働者の受け入れを始めている。当初は韓国籍や中国籍の人々、そして技能実習精度が導入されるとベトナム国籍などの人々来日し、川口市は多国籍タウンとなっていった。 現在、川口市の在留外国人で中国・フィリピン・韓国・朝鮮・ベトナムに次いで多いのが、トルコ国籍の人々だ(2020年1月時点)。このトルコ国籍の人々のなかに、トルコ出身のクルド人が多く含まれているとみられる。実際、JR蕨駅近くを歩くと、コンビニやスーパーで中東系の顔立ちをした人々とすれ違い、ケバブのレストランや中東料理の食品店を見つけることができる。 2「難民」になれない <font color="brown">村は「地球のにおいがした」</font> 私が収容所で面会したバリバイ・ウェラットさんも、トルコ出身のクルド人だ。川口市内のアパートに、家族と暮らしていた。2018年㋄、私はウェラットさんから聞いた住所を頼りに、家族を訪ねた。 私がインターホーンを鳴らすと、花柄のスカーフを頭に巻いた母のヌリエさんがドアを開けてくれた。奥の部屋には大きな布が敷かれていて、そこに長男のワッカスさん、次男のエルジャンさん、三男のマズラムさん、次女のスザンさんが車座になっていた。 ウェラットさんは四男にあたり、五男にあたる9歳の弟がいることもわかった。ウェラットさんは独身だが、20~30代の兄や姉たちは結婚して子どもを育てており、日本での生活がずいぶんと根付いているように感じられた。 家族がまとまっていた雰囲気を、今も忘れることはできない。全員が2年近くも帰ってこなウェラットさんを思い、悲しみと怒りと失望と疲労の混じった目をしていた。 ヌリエさんに声をかけると、日本語のわからない彼女に代わって、息子たちが通訳をしてくれた。「自分の息子、家に帰ってきてほしいの。私の息子、何もしていない」 息子のひとりがこう付けくわえる。「ママももう年だから、いっぱいがまんができないんですよ」53歳だというヌリエさんは、愛する息子が収容されたことで強いストレスにさらされて体調も優れないようだった。 キッチンに立っていた次女のスザンさんが、真っ赤な色のお茶を淹れてくれる。砂糖を溶かして飲むのだと教えてくれた。トルコに住むクルド人の家庭の味だ。熱々でほんのり甘いお茶を飲みながら、スザンさんが日本語でこう言った。「日本に来ても、トルコと同じ、戦争になっているみたい。私、心、同じだよ」 来日したのは12年も前だという。何から聞いていいのか迷っていると、家族が来日した経緯を話してくれた。 家族が暮らしていたのは、トルコ南東部ガジアンテップ県にある小さなクルド人集落だった。父ムスタファさんは左官などの建設業をしながら羊を飼い、畑でキュウリやトマトを育てて自然と共に暮らしていた。子どもたちも協力してヨーグルトやチーズを作り、街に売りに行ったことを覚えているという。「きれいなところでした。地球のにおいがしました。村に入るとその土地のにおいがしました」母のヌリエさんはそう言いながら、懐かしそうに故郷で撮った家族写真を見せてくれた。樹の下で、穏やかな表情を浮かべる両親のかたわら、幼い子どもたちがじゃれ合っている。ムスタファさんは、クルド人としての民族意識を強く持っていた。街で親クルド政党のチラシを配ったり、息子たちにクルド民族の歴史を語ったりしていたという。そして1980年代以降、政府とクルド人勢力が対立するようになると、ムスタファさんたちの周辺にも争いの影が忍び寄ってくる。 1999年の10月下旬、村は憲兵に襲われた。政府と対立していたPKKをムスタファさんが支援したとの理由で、家を荒らされ、ムスタファさんを含む村人4人が逮捕された。ムスタファさんは拘束された際、電気ショックを受けるなどの拷問を受けたという。翌年以降もたびたび憲兵から家宅捜索を受け、ときにヌリエさんも殴られて連行され、娘のスザンさんを拘留中に出産する羽目になった。</TD></TR></TABLE>
2026.04.24
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