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『アンドリュー・ワイエス水彩・素描展』
<『アンドリュー・ワイエス水彩・素描展』>
図書館で『アンドリュー・ワイエス水彩・素描展』という本を、手にしたのです。
ワイエスの水彩・素描の習作を集めた、わりと地味な本であるが・・・ええでぇ♪
この本の画像をネットで探したけれど見つからなかったので、ワイエスの絵を添えることにしました。
大使の好きなアメリカン・リアリズムのあたりを見てみましょう。
p103~106
<アメリカン・リアリズムの位置付け:金原宏行>
■はじめに
アンドリュー・ワイエスとエドワード・ホッパーという二人の画家は、私の一番気にかかってきた現代アメリカの画家である。今回、1938年から始まったオルソンシリーズのワイエスの水彩素描115点(丸沼芸術の森コレクション)が展示されるので、それぞれの描かれた場面の意味がより理解できると思われるが、ワイエスの作風の生成をアメリカ絵画の歴史に位置づけながら、時にはホッパーと比べ、アメリカン・リアリズムを今日的な視点から考えてみたい。
■ワイエスの作風
オルソン時代(1940-1969)のワイエスの作品には、生きていることの尊さ、美しさを定着させるべきだという哲学がうかがわれる。それは、下絵(水彩・素描)に生きた命を刻んだ作品が多いことからも理解できる。
これらは一貫して水彩であるが、瞑想的、内省的な画家であったコールに影響され、1952年頃よりドライブラッシュ(水彩テンペラ)技法を生かした作品へと変貌していく。
代表作1945年の《クリスティーナの世界》や《豆入れの桶》(1966)は、われわれのイメージに上り、その絵の印象が深く脳裏に刻まれているが、前者は、地平線を画面上部に取り、現実の坂よりも急に感じられる大地の表現などワイエスの絵画特有のマジックリアリズムによって対象の内面に切り込む深さがある。
その修作を見ると、いかに構成に苦心したか理解できる。《クリスティーナの世界》は、抽象に進む一派を除いて、一時否定的に見られたが、ワイエスは体に障害がありながら、大地に這いつくばり、小さな体に魂の輝きを見せるクリスティーナという命を表現し得ている。
クリスティーナ
ワイエスは、自分の内面と向き合いながら、立ち上がってくるオルソンでの生活から生まれたイメージを大事にして、アメリカに続いていた伝統的な細密模写、リアリズムを強固に守りながら、1960年代から今日にかけてさわやかな感動を呼び寄せることに成功したといえる。こうして作品は好評を博し、高く評価されることになり、東京国立近代美術館でワイエス展が1974年開催されて、日本にも紹介されるようになった。
■ワイエスとホッパー
ワイエスは、フランス印象派の色彩解放については良き恩恵を受けているといえる。テオドール・ドライザーが「アメリカを発見することは素晴らしいことだ。しかしアメリカを失うことは、もっと素晴らしいことだ」と記したことを思い出させる。それを地で行ったのが、ニューヨークに住みながら、1930年以降は、ニューイングランドコッド岬に1年の半分を過ごしたエドワード・ホッパー(1882-1967)である。
海辺や田園の田舎を描いたホッパーの絵画は、ヨーロッパの風景画のように画面の中の人間の表情が、自然を支配していない人物となっているのが特徴である。ここでは、まさしく人物はあくまでも添え物なのである。孤独なアメリカの人物が、がらんどうのスペースに投げ出され、映画の1カットのように哀愁と悲哀を醸し出す。何をしているのか分からないが、自然が人間を脅かしているようにも見える。
新大陸にやって来た開拓者たちが抱いた、月並みな情景のなかの倦怠、寂寥、孤独、疎外、アンニュイ、そうした負にあたるものすべてを表現しようとしている。自然の多様性こそが、大切であると言っているかのようである。
ナイトホークス
これに対して、ワイエスは最低限の生活を満たすために、そこで生活する大切にしてきた品々、生活用品、例えばバケツなどを描きだし、それらをつなぎ合わせながら、身近な生活を様々なモティーフで彩る。日常を豊かにしてきたアメリカンキルトのような側面が、彼の絵のなかにある。生活に必須なもの、生かされてきたものを描いて、ひいては、それらがアメリカの郷愁につながるのである。
ホッパーは、アメリカ小都会の特有の空間の広がりのある場面を、空虚で乾いた技法で描き、孤愁の陰りある感情がよく出て、そこに詩的な独特の空間を作り出す。
■アメリカン・リアリズムの背景
1823年モンロー主義がはじまって、欧米両大陸の相互不干渉の主張から端を発し、次にはアジアからも目を背け、目を国内へと向けることとなった。それがリージョニズム(地方主義)の起こりである。1920年代から30年代にかけて、アメリカでは一方で抽象に向かう動きは活発化し、都市化を背景に20年代に急速に抽象主義は進み、それと平行してアメリカの孤立主義が始まった。
そこに1929年のニューヨークウォール街を襲った株の暴落による世界大恐慌が起きた。アメリカが孤立主義に陥って以降ずっとこの事実が影を引いており、1930年代に盛んになった地方主義は、画家チャールス・シーラーなどに代表されるが、彼らは合衆国の工場などを細密に描き、それらを一般の人々に再確認させることになった。
小市民的な幸福の儚さを人間同士の関係で描かず、自然の野性的な崇高さを都市風景のそれに置き換えたアメリカン・リアリズムは、画面が大地や建物のなかにあってペーソスを奏でている。「自然について感応した最も内密な印象を、可能な限り忠実にとらえること」を身上ににしたワイエスのスタイルをその代表としてよいであろう。ワイエスの繊細な感性が日本人の心の琴線に触れることが多い理由である。
ワイエスの絵画は、ヨーロッパの人間中心主義(エゴイズム)が見られず、その絵画は自立的な芸術といってよかろう。それには「自分は絵を売るために描くことをしないで済んだ」と語っているように経済的に恵まれていたことと、それを支えた妻ベッツイがマネージャーとしての役割を果たしていたことも大きい。
「丸沼芸術の森」とは何か、見てみましょう。
p108~109
<丸沼芸術の森とワイエスコレクション:中村音代>
1.はじめに
1996年11月丸沼芸術の森は、「縁」あってアメリカの画家アンドリュー・ワイエスの作品を所蔵することになった。あれから10年、丸沼芸術の森ワイエスコレクションは日本を縦断し、多くの人々に感動を与え、静かながらワイエスブームが起こりつつあるのが感じられる。アメリカ絵画の巨匠の水彩・素描238点という信じ難い数量を所蔵する「丸沼芸術の森」とは一体どんなところで、何のためにこれだけのものを所有するに至ったのか。
2.丸沼芸術の森について
オーナーの須崎勝茂氏は埼玉県朝霞市で倉庫業を営む傍ら、母上の故須崎はな氏と共に若手芸術家を育てようと1985年に「丸沼芸術の森」と名付けてアトリエ村を作った。ここで須崎氏は大変ユニークな芸術支援活動を展開している。
このアトリエ村は、朝霞市の郊外上内間木に広大な竹林を整地して出来た。周辺には田園が広がり、今も雑木林が残り自然に恵まれている。なるほど、この地なら芸術家たちが、光、風、大気を肌で感じ、木々や竹林のざわめき、鳥のさえずりを聞きながら、時間の許す限り制作に没頭できそうだ。
4.ワイエスコレクションとの出会い
ここで須崎氏がワイエスの作品を持つようになった経緯について触れておきたい。
須崎氏によると、1993年知人の画商からワイエスの水彩・素描(オルソン・ハウス・シリーズ)238点の打診があった。その少し前にワイエスの<スリー・ハンターズ>という水彩画を入手しており、それをとても気に入っていたので心が動いた。しかしこの時は予想を上回る高額だったため諦めざるを得なかった。
ところが3年後、再び同じシリーズ購入の話が舞い込んだ。「まるで私のところへ戻ってきたように思われた。これは何らかの「縁」があるものの確信し、今度は迷わずサインすることが出来た。1963年、ジョンソン大統領から平和と文化の功労者に贈られる最高の勲章『メダル・オブ・フリーダム』を授与されたという水彩画の巨匠アンドリュー・ワイエス、その素晴らしい画家の素描は日本の若い作家にきっと役立つに違いない。彼らにその創作過程を見てもらいたい」・・・須崎氏の並々ならぬ意気込みが十分想像できる。
そのような切実な願いを胸に、須崎氏は実作品を事前に確認するため丸沼芸術の森の画家と彫刻家を伴い渡米した。「ニューヨークのギャラリーで初めて見る大量の作品、一点一点の繊細さと力強さに圧倒された。素描はどれも画家の筆が猛烈な勢いで紙の上をダッシュしている。驚きと感動の声が飛び交う。ワイエスは自身の素描について『わたしは、素描を単なるスケッチだとは決して思わない。鉛筆と筆で思考しているのだ』と語っているが、その意図が十分伝わってくるものだった」と須崎氏は振り返る。
素晴らしい作品群に魅せられた須崎氏は、画家に会いたい気持が昂じ、『オルソン・ハウス・シリーズ』の生まれた地であるメイン州クッシングへと足を延ばした。訪れたのは10月下旬で、ワイエスはそろそろメインを離れようとしていた頃に違いない。晩秋から春にかけては、生まれ故郷のペンシルヴェニアで過ごすからだ。人生でも芸術でも、表に出ようとしないタイプの人物だと聞いていたが、幸運にもオルソン・ハウスで面会することができた。
p44,45
二人の若い芸術家が同伴していたこともワイエスに強いインパクトを与えたのであろう。「アルヴァロとクリスティーナのいなくなったオルソン・ハウスを描く気にはなれない」というワイエスは、このとき夫人のベッツイを伴い26年振りにここを訪れたという。
ワイエスその人と彼が描いた<もの>を、見てみましょう。
p10~11
<アンドリュー・ワイエス<時間>を描いた人:海野康男>
1.ワイエスはどんな画家か。
初期の画集「クリスティーナの世界」のほとんどの作品は、メイン州の海辺に「座礁して風雨にさらされた船のように」立っているオルソン家の、普通ではとても画題にはならないような一画とそこにある「もの」をかいている。例えば、破れた窓ガラスから出入りしている燕が飛ぶ納屋の天井、穀物袋が置かれている台所の片隅、種子用のトウモロコシの吊り下げられている寝室などである。
p50,51
2番目の画集「カーナー農場」に描かれているものも同じようなものである。ワイエスの作品を多く所蔵している生地チャッズ・フォードにあるブランディワインリバー美術館の館長ジェイムズ・H・ダフは、「(人々にとって)アンドリューは<古びた納屋を描いた画家>であり、多くの愛好者たちは、アンドリューは壊れた門や窓を見つけたら、絵にしないではいられないだろうと言う」と述べている。
ワイエス自身も、著名なイラストレーターであった父N.C.ワイエスが、「私の絵があまりに色彩に乏しいので、画家としての将来を心配していた」と言う。絵が売れないだろうという意味であった。
しかし、ワイエスの絵は売れた。彼の最初の個展、1937年、20歳のとき、ニューヨークのマクベス・ギャラリーにおける「第1回アンドリュー・ワイエス水彩画展」でメイン州を描いた水彩画は好評で、全作品が1日で完売となった。この伝説的な成功の後、ワイエスは全米の美術商や美術館キュレーターから追い回される存在となった。
そして、ワイエスの作品の中で最も有名な「クリスティーナの世界」・・・ピンクのワンピースを着た、身体に障害のある女性が草原をはるか彼方に自分の家に向かって這って行く後ろ姿を描いたもの・・・が成立した31歳の1948年頃、それは一つの頂点に達した。以後、ワイエスの作品はアメリカ国内において常に歓迎され、アメリカ人の<心>、アメリカの<原風景>を描く国民的な画家として名声を博している。
彼は、1961年ケネディ大統領から「メダル・オブ・フリーダム」を、1988年にレーガン大統領から「ゴールドメダル大統領賞」を受賞した。美術大衆の人気を背景にした社会的評価だと言う向きもあるが、現代アメリカにおけるワイエスの地位を推し量ることができよう。
(中略)
もちろん、ワイエスの類まれな、「写真のごとき明瞭な視覚性」とも言われるリアリズムの技法のすごさが彼の絵の魅力を大きく支えている。しかし、彼は事物や風景の現実のままの再現を目指すような単純な具象の画家ではない。ワイエスにとって技術は本質的なものではない。どのように描くかは、具象のリアリズム以外の・・・もちろん彼はこの手法しかとらない・・・画面の構成、組合せ、消去、暗喩、象徴などの表現の工夫において意味をもつものであり、もっとも重要なのは何を描くかということである。
彼が描いた「もの」や「人」が、また「風景」や「光景」が、ワイエスが感じていたものとほとんど変わらない濃さで絵を見る人々の内面に共感を呼び起こすのは何故か。それはリアリズムという武器の効果であるとともに、ワイエスが描いたものが、人間にとってある<普遍なるもの>をもっているからである。
アメリカン・リアリズムのあたりを、もういちど見てみましょう。
p106~107
<アメリカン・リアリズムの位置付け:金原宏行>
■日本人の写生観
このように日本人にもいろいろな写生観があるが、ワイエスの写生は、日本の言葉でいえば、写生、それは中国の画にいう「気韻生動」とパラレルの関係にあり、ワイエスの画面にはそこに寂寥というものが入っていることが大きな違いではないかと思う。そこに生きているものの美を画面に定着させ、生きる意味を問うドラマがあるといえる。画面からそんな思いがするのである。
東洋の美意識は、対象に向けて「筆あり、墨あり、これを画と言う。韻あり、赴きあり、これを筆という」(『画冊論画』)として、筆致が重視されることに帰着するであろうが、一方でワイエスは、思想的に詩人ソローやホイットマンの考え方に影響を受け、東洋でいう道教の教え、無為自然に依拠しているといえよう。My truth behind the fact(事実の背後に私の真実がある)という言葉は、その如実な反映であろう。
このように東西の写生を少し比較してみると、ワイエスの作品には、絵というものは、人の営みや自然とともにヒューマニティを豊かにする可能性を秘めている東洋画とも共通するところがある。そんなことを考えさせるself documentであり、そのため共感の芸術といえる。それが、われわれに語りかけるメッセージが多く、日本にファン、理解者が多い理由であり、日本人に親しい水彩技法によっているからなおさらである。
水彩画の本流は、いうまでもなく英国であった。ロンドンの南西にイースト・サセックスの真珠と呼ばれる村がある。アンバレー村で、ここは水彩画家の聖地といわれ、明治の画家丸山晩霞には水彩による《アンバレー村》がある。
ワイエスのドライブラッシュは、自然の風景の背後に人間の死や生きることの難しさを蔵した作風であり、これらが単なるイラストレーションと異なって、画面の深みとなり、詩魂と写実とが画面に見事に融合している。
■おわりに
現代の画壇にあって画家を持って任ずる人は、アメリカにも日本にも数多い。ただが檀という狭い世界に引籠もり、そこでの立ち振る舞いに忙しいのであるが、それに対してワイエスという孤独な画家は、いわゆる画壇とは没交渉であることで生きてきたようにみえる。
しかしワイエスの絵画には、見るものに直ちに響いてくるものがあって、連作ヘルガにも若さと輝きがあり、体臭がある。時にはそこには女の誇りのようなものすら感じられ、少しも卑しくはない。
ワイエスは89歳の現在も溌剌としたエスプリで発言し、テンペラ、ドライブラッシュ(水彩)の卓越した技術によって強く訴えかけてくる。絵画に<かたちの絵>、<魂の絵>があるとすると、ワイエスの絵は、まさしく後者<魂の絵>であろう。
【アンドリュー・ワイエス水彩・素描展】
常葉美術館編、印象社、2006年刊
<「BOOK」データベース>より
データなし。
<読む前の大使寸評>
ワイエスの水彩・素描の習作を集めた、わりと地味な本であるが・・・ええでぇ♪
ci.nii.
アンドリュー・ワイエス水彩・素描展
丸沼芸術の森HP
によると、常設展示は行っていないので、展覧会予定は「イベント」ページを見てほしいとのことです。
安野光雅さんが
『絵のまよい道』
という著書で、ワイエスのリアリズムを語っています。
アンドリュー・ワイエス水彩・素描展画像
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