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『栽培植物と農耕の起源』6

<『栽培植物と農耕の起源』6>
図書館で『栽培植物と農耕の起源』という新書を手にしたのです。
中尾佐助さんと言えば、照葉樹林文化論を唱えた第一人者として大使が尊敬している学者だから、この新書もいけてるのではないかと期待するわけでおます♪


【栽培植物と農耕の起源】
農耕

中尾佐助著、岩波書店、1984年刊

<「BOOK」データベース>より
古書につき、データなし

<読む前の大使寸評>
中尾佐助さんと言えば、照葉樹林文化論を唱えた第一人者として大使が尊敬している学者だから、この新書もいけてるのではないかと期待するわけでおます♪

rakuten 栽培植物と農耕の起源


第2章・根菜農耕文化から、根菜農耕文化の成立と伝播について見てみましょう。
p50~58
<四作物の組合せ> より 
 東南アジアの熱帯降雨林の中でバナナ、ヤムイモ、タローイモ、サトウキビの四つの栽培植物を開発したことは、人類の生活史上の革命の一つだった。この四種の作物を組み合わせた農業体系は、弾力性に富み、安定した食物生産を可能にするものである。この農耕をする文化は根菜農耕文化と呼ばれている。ここでは何より澱粉質のイモ類が重大な特色であるので、根菜という言葉が使われているのである。

 ところがこのイモ栽培を特色とする農耕文化は東南アジアの熱帯降雨林の中だけで発生したものではない。それは地中海沿岸地帯やアフリカのサバンナ地帯では発生せず、また同一環境であるアフリカのコンゴーの熱帯降雨林地帯でも独立発生しなかったが、アメリカでは東南アジアに発生した根菜農耕文化と性格的にきわめてよく似た根菜文化が独自に起源している。

 つまり根菜農耕文化という言葉からみると、それは東南アジア起源のものと、新大陸起源のものとの二つ以上は存在してきたことになる。それでもし東南アジアの根菜農耕文化だけを特別に意味したいなら、私は「ウビ農耕文化」と呼ぶことにしたい。
(中略)

 このウビ農耕文化は四つの基本的な作物のほか、前章に述べたようなイモ類、果実類を開発して純然たる農業段階へと進化してくる。その農耕文化はきわめて特色の強いもので、地中海地域に発生したムギ栽培の農耕文化の影響で東南アジアに根菜農耕文化が成立したとのイギリス人の説はとうてい受け入れがたい。両者の農耕文化基本複合は根本的に異質的なもので、両者はまったく無関係である。ここではまず、東南アジアの根菜農耕文化の特色を列挙しておこう。

(1)無種子農業であること
 これはバナナやパンノキが種無しであるという意味ではない。根菜農耕文化では農業に種子というものが利用される場面がないことである。すべての作物の繁殖は根分け、株分け、さし木などで行われていて、植物学的にいえば栄養繁殖のみで行われていることである。

 これはアメリカのカール・サウアーのいいだした特色だが、非常によく特色を示している。ムギ栽培をした農耕文化は種子専門の農業で、もしその影響で根菜農耕文化ができたなら、そのすべての作物に種子繁殖法が一つもないなどという現象は起こらないであろう。この無種子農業は、人類の知識がまだ、植物の種子繁殖ということを認識できない段階のときに開始されたものであろう。
(中略)

(7)根菜農耕文化の伝播
 カール・サウアーは東南アジアの根菜農耕文化複合が西方へ西方へつたわり、地中海地域のムギ作農耕をひきおこしたように説明したが、これには相当な根拠がある。しかしそれは根菜農耕文化のきわめて初期の段階の複合であって、またバナナ、ヤムイモ、タローイモ、サトウキビの組合せがしっかりと確立する以前のことと考えるべきである。

 この四作物の組合せが確立して、強力な農業体系となってから、東はポリネシア、西はアフリカの中部とマダガスカルに伝播したことは、カール・サウアーやマードックの述べるとおりであろう。二人の説の間には伝播ルートなどに関して若干の差はあるが、ここではマードックにしたがってアフリカへの伝播を述べよう。

 マードックによれば、たぶん紀元前1000年ごろ、東南アジアの根菜農耕文化は強力な農耕方式としてアフリカ東岸に到着した。この文化複合はサハラ砂漠の南方を西へすすみ、ゴールド・コーストの北岸にあるヤム・ベルトと呼ばれる、こんにちでもヤムイモ利用者の多い地帯を西進した。その途中、カメルーン付近でバンツー族がこの文化複合を受けとり、にわかにいきいきと活動力を増し、爆発的に発展した。

 コンゴー川にそった熱帯降雨林は、そこそこ東南アジアからきたバナナ、ヤムイモ、タローイモ、サトウキビの久しぶりの最適地である。その森林の中で天産物を採集していたブッシュメンのすんでいたコンゴー川の流域は、たちまちバンツー系の民族によって占領され、こんにちのコンゴーの状態に入ってきた。このできごとはちょうどキリスト誕生のころだとされている。

 根菜農耕文化複合はこうしてアフリカ中部の状態を一変させた。文化は消費する力ではなく、生きて生産する力であることを、いかんなく示している。

 東南アジアの根菜農耕文化は大陸の北方の温帯部に影響をおよぼした。温帯に入ると、バナナなどは栽培できなくなり、そこに一つの変形した文化複合が成立してきた。これは照葉樹林文化であり、次章でこれを述べよう。


『栽培植物と農耕の起源』1
『栽培植物と農耕の起源』2
『栽培植物と農耕の起源』3
『栽培植物と農耕の起源』4
『栽培植物と農耕の起源』5


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