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個人的歴史学9
<個人的歴史学9>
個人的な関心ということで、対米関係と東アジアの歴史が主となります。
・図解世界史
・「人類の旅路を歩く」シリーズ
・鮨とキムチとハンバーガー
・独ジャーナリストが見た日中戦争
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個人的歴史学8
> もくじ
・伝説の鉄砲集団:雑賀衆
・漢字がつくった東アジア
・司馬遼太郎の中国観
・アラビアのロレンス
・NHKスペシャル「中国文明の謎」3
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個人的歴史学7
> もくじ
・NHKスペシャル「中国文明の謎」2
・NHKスペシャル「中国文明の謎」1
・日清開戦への道
・FRONTという戦争グラフ誌
・日米開戦前の統治システム
・真珠湾が教えるもの
・日本は「中国化」しつつある
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個人的歴史学6
> もくじ
・司馬遼太郎の「かたち」
・イスラムは商業に特化した
・衣食足りて礼節は如何に?
・原発もあの戦争も、「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった?
・孔子批判/ついG2嫌いが
・歴史に『もしも』はない?
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個人的歴史学5
> もくじ
・鳥羽伏見の戦い
・村上龍の予感
・愛しのクレメンタイン
・木っ端役人たちと御曹司
・「戦場体験放映保存連絡会」の呼びかけ
・戦争記念館にて
・敵を知らず、己を知らず
・ますます日本!第12章昭和時代
・監視社会の応援歌
・根こそぎ動員
・作戦要務令を見て
・生きていた英霊
・輜重輸卒が兵ならば電信柱に花が咲く
・小泉首相靖国参拝の浅さと軽さ
・常任理事国入りの資格はありや?
・栗林中将の訣別電文
・「散るぞ悲しき」
・生きて虜囚の辱を受けず
・com1125さんの結論
ザ・20世紀
wikipedia
エマニュエル・トッド
きままに歴史資料集
<図解世界史>
図書館で『図解世界史』という本を手にしたが・・・・
尖閣諸島沖事件が起きて以来、中国は覇権体質を緩めるどころか、加速しているが・・・
中国の覇権体質は必然なのか?という今日的難題について、地政学的に見てみたいと思ったわけです。
【図解世界史】
ムック、成美堂出版、2006年刊
<カスタマーレビュー>より
世界史の授業は時系列の流れに偏りがち。
地理的な関連が歴史上のできごとに影響している事例は多い。
人類の誕生からポスト冷戦の時代まで、時間の流れと空間の広がりを美しいビジュアルとコンパクトな解説文で紹介。
<大使寸評>
尖閣諸島沖事件が起きて以来、中国は覇権体質を緩めるどころか、加速しているが・・・
中国の覇権体質は必然なのか?という今日的難題について、地政学的に見てみたいと思ったわけです。
rakuten
図解世界史
この本で、東アジアの地政学を学びたいのです。
先ず、中華創生のあたりを見てみましょう。
p40~41
<中国史上初の統一王朝秦の誕生と始皇帝の威光>
「戦国の七雄」といわれた強国のうち、西方に位置した秦は、商オウらの改革(変法)などにより、富国強兵に成功していた。そして政王の代に他の6国を滅ぼし、前221年、史上初めて中国を統一した。
統一を遂げた政王は都をカン陽に定め、自ら皇帝(始皇帝)を称するようになった。国内統治は、郡・県を基本行政単位とし、長官として中央から官僚を派遣する郡県制を適用し、直接統治による強力な中央集権体制の確立を推進した。
また、宰相李斯を用いて焚書坑儒などの思想統制を行ったほか、行政や徴税の円滑化のために文字、度量衡、貨幣、車軌(車軸の長さ)を統一した。さらに、異民族である匈奴の侵入を防ぐため、戦国時代の諸国が建設した長城を強化・延長し、万里の長城を築いた。
始皇帝は自らの威光を全国に知らしめるため、5回にわたる巡幸を行ったほか、カン陽には壮麗な宮殿を建設した。また、後年始皇帝の陵墓付近で発見された兵馬俑坑からは、数千体もの兵士や軍馬の俑(副葬品)が発見され、改めて当時の始皇帝の威勢が示されることとなった。
しかし前210年に始皇帝が没すると、過酷な支配に対する民衆の反感が高まりを見せ、陳勝・呉広の乱を機に反乱が全国に広がり、前206年に秦は滅亡した。
<劉邦が秦末の動乱を制し、漢が長期政権を樹立する>
秦末の動乱のなか、貴族出身の項羽が一度は天下を手にするが、農民出身の劉邦(高祖)がガイ下の戦いで項羽を破り、前202年に漢王朝(前漢)を建てた。
前漢は第7代武帝の時代に最盛期を迎える。武帝は匈奴を挟み撃ちするため大月氏や烏孫に使者を派遣するなど、西域を重視したほか、南越や衛氏朝鮮を滅ぼして領土を拡大した。また、これらの大遠征によって財政が圧迫されると、塩、鉄、酒の専売、均輸法や平準法の制定などにより財政難を克服しようとした。
しかし、武帝の死後は、大土地所有者が豪族となって勢力を伸ばす一方、朝廷では外戚と宦官の政争が続くなど、漢の政治経済は揺らぎはじめ、後8年、外戚の王モウが帝位を奪って新を立て、漢王朝はいったん滅亡する。
この本で、史上最大のモンゴル帝国を見てみましょう。
p64~65
<遊牧民の英雄チンギス=ハンがユーラシア大陸を席巻>
12世紀、モンゴル高原では遊牧民の緒部族が争いを繰り返していた。モンゴル族のテムジンは13世紀初頭、諸部族を統一してチンギス=ハン(ハンは王の意)の称号を受けると、千戸制という軍事・行政制度を取り入れ、強大な軍を編成した。また、契丹人の耶律楚材を重用して、政治・経済の制度を整えていった。
チンギスに率いられたモンゴル軍は、華北の金へ侵入し、西アジアのホラズム朝、中央アジアの西夏を滅ぼした。
1227年のチンギス=ハンの死後、第2代ハンとなったオゴタイは、金を滅ぼし、カラコルムを首都として、バトゥに西への遠征を命じた。バトゥはロシアを征服し、ヨーロッパへ進撃。強大なモンゴル軍の前にヨーロッパ軍はひとたまりもなく敗れるが、オゴタイの死の報せを受けたモンゴル軍は引き返し、ヨーロッパは征服をまぬかれる。第4代モンケ=ハンは、弟のフビライおよびフラグに遠征を命じ、フラグはアッバース朝を滅ぼし、フビライは大理、チベットなどを征服した。こうして、ユーラシア大陸に史上空前の大帝国が誕生し、東西交流が活発化した。
永楽帝が統治した明代が、漢民族の最盛期だったようです。
p66
<モンゴルを追い払い、中華帝国を回復した明>
1351年、江南地方で「紅巾の乱」とよばれる大規模な農民反乱が起こり、元を打倒し、漢民族の王朝を復活させる動きが高まった。そのなかで、モンゴル人はモンゴル高原へ撤退し、68年、農民出身で紅巾の乱にも加わっていた朱元ショウが、「回復中華」を旗印に応天府(南京)を都として明を建てた。
長い中国の王朝交代史のなかでも、農民から皇帝にのぼりつめた例は、ほかに漢の高祖があるくらいである。
洪武帝となった朱元ショウは皇帝権力の強化を図り、行政府である六部を皇帝直属とし、科挙を復活させた。また、民衆を民戸(農民)と軍戸(軍人)に分け、民戸は里甲制による徴税を実施し、軍戸は衛所制による兵制を敷いた。
洪武帝の死後、実力で帝位を奪い取った永楽帝は、大運河を改修して豊かな江南と華北を結び、都を順天府(北京)に遷した。また、数度にわたるモンゴル高原への遠征、ベトナム併合、鄭和の遠征など、積極的な外交を進めた。
永楽帝の死後、北方のタタールやオイラートが勢力を回復し、華北を脅かす一方で、沿海部では中国人、日本人の私貿易商人による襲撃(後期倭寇)が頻発し、北慮南倭となって明の体制を揺るがした。
中国史上最大の版図は、清の満漢併用制の体制によってもたらされたようです。
p68
<北方民族の帝国・清による中国支配>
現在の中国東北部一帯にいたツングース系の女真(満州)族が急速に台頭し、1616年にヌルハチが後金を建てた。後金は明を破って東北部を制圧、第2代ホンタイジになると、内モンゴルを併合して清を名のった。
清は、八旗という独特の兵制による強力な軍を保有しており、第3代順治帝のときに、李自成を倒して中国の支配者となった。
清は北方民族の王朝ながら、科挙を行い、中央行政機関に満州族と漢民族を同数配置する満漢併用制をとるほか、中国文化を尊重した。しかし一方で、辮髪の強制、清の支配を否定する思想の弾圧など、威圧政策も行い、少数民族による支配体制を固めた。そして、康熙帝、雍正帝、乾隆帝の3代約130年の間に清は最盛期を迎え、モンゴル、チベット、台湾などを加えた版図は、中国史上最大となった。
日清戦争の本質は、列強のなりふり構わない侵略であったようですね。
p115
<朝鮮半島をめぐり日本と中国が衝突>
明治維新後、欧米諸国との不平等条約の改正が大きな外交課題となった日本は、列強にならい植民地獲得を目ざした。
当時、李朝の治下にあった朝鮮では、摂政の大院君が鎖国政策を堅持していたが、日本は1875年の江華島事件を機に、翌年日朝修好条規(江華条約)を締結して、朝鮮を開国させた。
朝鮮国内では、ビン氏一族など親清派の事大党が清の力を借りて体制に維持を図ったが、金玉均ら親日派の独立党が84年に甲申政変を起こすなど、内政は不安定であった。
そして、94年に甲午農民戦争(東学党の乱)が起こり、鎮圧のために清軍が出兵すると、対抗して日本も出兵。両国が衝突して日清戦争に発展した。
この戦争に勝利した日本は、95年に清と下関条約を結び、多額の賠償金のほか遼東半島、台湾などの割譲、列強と同等の通商特権など、多くの権益を獲得したほか、朝鮮の完全独立を認めさした。
一方、朝鮮半島への進出を目ざしていたロシアは、日本の遼東半島領有に反対し、ドイツ、フランスと組んで遼東半島を返還させた(三国干渉)。
それまで「眠れる獅子」といわれていた清だったが、日清戦争の敗北でその弱体ぶりが明らかになると、列強は続々と中国への侵略を開始。ロイアは東清鉄道の敷設権を獲得したほか、遼東半島南部の旅順、大連を租借。ドイツは膠州湾、フランスは広州湾、イギリスも威海衛と九竜半島を租借した。これにより、日本を含む列強の、中国での勢力図が画定した。
<「人類の旅路を歩く」シリーズ>
ナショナルジオグラフィックに連載中の「人類の旅路を歩く」シリーズを興味深くフォローしているのだが、今月号はサウジアラビアのヒジャーズ地方にさしかかりました。
ヒジャーズ地方といえば、かつてアラビアのロレンスが活躍した場所ですね。
大使がサウジアラビア出張中に、街中で女性を見かけたのは、いちばん近代化の進んだジッダでしたが・・・
ジッダの今を、今月号(2014年7月)に見てみましょう。
人類の旅路 アラビア半島を歩く
より
人類の拡散ルートを踏破する旅の第2回は、アラビア半島へ。サウジアラビア北西部のヒジャーズ地方で、かつて巡礼者や隊商が往来した砂漠の道をたどる。
アラビア半島では、隊商路に点在する井戸をたどって旅をした。
サウジアラビア北西部の港町ジッダでは、ある邸宅に招かれた。磨き込まれた木のテーブル上の白い陶器のカップは、まるで小さな“底なし井戸”だ。ひっきりなしにコーヒーのお代わりを注ぐ3人の女たちが、代わる代わる口を開き、サウジアラビアへの誤解を解こうと話しかけてくる。厳格なイスラム教義により多様性を失い、オイルマネーを浪費する国というイメージは間違っているというのだ。
<閉鎖性と開放性、ヒジャーズ地方の二つの顔>
サウジアラビアはモザイクのような国だと、彼女たちは言う。東部にはシーア派、南部にはイエメン系、北部にはレバント系と、さまざまな文化が存在している。
そして中央部の高原地帯ではベドウィンが遊牧生活を営む。ナジドと呼ばれるこの地域はワッハーブ派などのイスラム原理主義の牙城でもあり、首都リヤドにはこの国の統治者であるサウード家がいる。
なかでも10世紀以降、イスラム教の二大聖地であるメッカとメディナを守ってきた、ここヒジャーズ地方ほど誇り高く、独立心の強い地域はないと、邸宅の女たちは力説する。
実際、ヒジャーズはかつて独立していた時代があった。第一次世界大戦末期に王国として独立を果たしたのだ。だが1925年には、サウード家の領地に併合された。
以来ここには多くの矛盾がくすぶっている。ヒジャーズはイスラム教徒以外の者を寄せつけない聖地としての顔と、サウジアラビアで最も国際色豊かでリベラルな地という顔を併せもつ。ここはアジアやアフリカ、レバントをはじめ無数の土地の影響が混じり合う文化のるつぼであり、多彩な人々が行き交う中継地なのだ。
彼女たちは3人ともベールをかぶらず、ブラウスとパンツ姿だった。邸宅はしゃれた造りで、内装の地域色は薄く、シンプルながら上品だった。外の通りには遊歩道があり、画廊やカフェ、美術館が並ぶ。ここはサウジアラビアの文化の拠点だと、1人が言う。
「ヒジャーズは1000年もの間、音楽や料理、民話など独自の文化を保ち続けてきました。そんな文化を少しでも残そうと、ようやく動きだしたところです」
彼女たちは、いわば「女の町」の申し子だ。ここジッダは近代化と工業化が進む港湾都市だが、旧約聖書のイブが埋葬されたと言い伝えられている。12世紀のムーア人旅行家イブン・ジュバイルによると、かつてここにはイブの巨大な墓があり、「古めかしいドームがそびえていた」という。偶像崇拝を嫌うワッハーブ派の指導者たちが、1世紀近く前に破壊したらしいが、それすらもはや誰の記憶にもない。
先月号を紹介します。
ラクダを友として人が歩くという行為そのものが、とにかくハードボイルドというかロマンティックですね。
全長3万3000キロ 人類の旅路を歩く
より
ピュリツァー賞を受賞したジャーナリストが、人類の拡散ルートをたどる徒歩の旅に出た。アフリカから南米最南端まで、全長3万3000キロの道のりだ。
私は旅に出た。
人類の拡散ルートをたどって、アフリカ大陸から南米大陸の最南端まで、全長3万3000キロを7年かけて踏破する旅の始まりだ。
今から6万年前、あるいはもっと前に、人類誕生の地である東アフリカの大地溝帯を出て、初めて未知の世界に出合った人類の祖先たち。その数はせいぜい数百人だったとみられるが、彼らの遺産は計り知れないほど大きい。
人間に特有と考えられている複雑な言語や抽象的な思考、芸術を生む衝動や技術革新を実現する創造性は、すべて彼ら人類の祖先から受け継いだものであり、世界中の多様な民族はすべて彼らの子孫である。
にもかかわらず、彼らのことはほとんど知られていない。彼らがアフリカ大陸とアラビア半島を隔てるバブ・エル・マンデブ(嘆きの門)海峡を渡ってからわずか2500世代の間に、人類は地球上の最果ての地まで進出した。
何万年も出遅れたが、私はこれから一歩一歩大地を踏みしめ、彼らの後を追う。
考古学調査と、世界中の人々のDNAから推定された人類の拡散ルートを参考に、アフリカを北上し、中東へ向かう予定だ。そこからアジア大陸を横断し、中国を経てシベリアへ。その後、船でアラスカに渡り、米大陸の西海岸に沿って南下し、人類が最後に到達した南米大陸の最南端ティエラ・デル・フエゴを目指す。全長3万3000キロの道のりを踏破する旅だ。
「アウト・オブ・エデン・ウォーク」と名づけたこのプロジェクトの目的はいくつもある。時速5キロという歩行速度で世界の地理を改めて体感すること、ペースを落とし、じっくり考え、書くこと。誰もがそうするように、行く手に何が待ち受けているかを確かめるために歩く。そして、祖先の旅を振り返り、記憶にとどめるために歩く。
エチオピアの砂漠にかすかに続く道は、人類が残した最も古い痕跡かもしれない。今でも人々はこの道を歩いている。飢えた人、貧しい人、干ばつや戦火を逃れてさまよう男女。
地球上では今、1日に10億人近い人々が移動している。人類がこれまで経験したことのない大移動の時代だ。ジブチの首都ジブチ市では、携帯電話を手にした出稼ぎ労働者たちが、ごみの散らばる夜の海岸に集まってくる。隣国ソマリアの基地局を経由して安く通話するためだ。会話からはオスロ、メルボルン、ミネソタといった地名が聞こえる。最初の冒険から6万年経った今でも、人々は外へ出た先達の導きや救いの手を求めているのだ。
ナショナルジオグラフィックに掲載される写真は、それぞれが第一級の写真であるが・・・
砂漠については、
砂の波 美しき造形
ナショナルジオグラフィック2012年11月号がお奨めです。
<鮨とキムチとハンバーガー>
歴史認識、靖国参拝などで、日韓の感情的対立は修復不能とまで言える昨今である。
やや古い本ではあるが・・・
韓日米のジャーナリストによる鼎談をあつかったこの本が時宜を得ているし、興味深いのです。
【鮨とキムチとハンバーガー】
ケント・ギルバート、池東旭、植田剛彦著、黙出版、2001年刊
<「MARC」データベース>より
日・韓・米は最も人の行き来が多い割には、お互いをあまりよく知らないのはまことに不思議なことである。そこで、ケント・ギルバート、池東旭、植田剛彦の三人がフツーの人の目線で見た三つの国のホンネ。
【目次】
1 いちばんたいせつなものは国によってちがう
2 英語ができない国、漢字が読めない国
3 日本人はわりと結論を急ぎ過ぎる
4 中国はかわらないか
5 ワールドカップの正しい見方
6 教師にカウンセリングができるのか
7 いつまで続くアメリカへの片思い
<読む前の大使寸評>
歴史認識、靖国参拝などで、日韓の感情的対立は最悪とも言える昨今である。
やや古い本ではあるが、韓日米のジャーナリストによる鼎談をあつかったこの本が興味深いのです。
今まで、有りそうで無かった鼎談であるが…
行司役のアメリカが居れば、韓国が認識を改めてくれるかな?
rakuten
鮨とキムチとハンバーガー
兄弟喧嘩のような、この本音トークが興味深いというか、面白い♪
<韓国と台湾は仲が悪い>
よりp26~28
池
:今、ちょうど台湾の話が出ましたけど、アメリカはチャイナ(中華人民共和国)と台湾に対して、本音でどう思っていますか。
ケント
:中国をまず、あまり信頼していないですよね。それで、台湾特別法があるように、台湾をずっと支えてきたわけだから、それに対する責任がある。見捨てることはできないんです。でも、だからこそ、これから難しいですよね。
池
:韓国はね、中国に対しては、ものすごく畏怖感を持っているわけなんですよ。
ケント
:ああ、そうなんですか。
池
:はっきり言って韓国人は、アメリカ人より中国人のほうが、もっと怖いです。これは中国は、長い間ずっと韓国の宗主国でしたからね。韓国は中国に対して、アメリカ以上に怖がっている。逆に台湾を、ものすごく見下してるんですよね。
ケント
:なるほど。見下しているんですか。どういう意味ですか。
池
:台湾もまた、韓国を見下してる。お互いにライバル意識があるんですよ。
ケント
:じゃあ韓国の世論としては、台湾が中国と合併したほうがいいということなんですか。
池
:いや、そこまでは言わない。だけど、とにかく韓国は、台湾に対して強烈な競争意識があるんですよね。同じNIESの新興工業国で、アジアの模範ということで、経済的にもライバルだった。もうひとつは、日本の植民地だったでしょう。両方とも。植民地だったということで、韓国は解放後ものすごくアンチ・ジャパンだった。いっぽう、台湾はずっと親日的でしょう。
ケント
:そうなんですよね。
池
:韓国人はね、みんな、腹の中で台湾の人たちを「なんだ、腹まで腐ってるね」とまでは言わないけど軽蔑する(笑)。こっち(韓国)は、これほど反日、反日って言って頑張っているのに、あっちは親日だって見下してるんです。逆に台湾は、「なんだ、韓国は借金だらけで」とね、お互いに見下しあっているんですよ。
だから、1992年に韓国が中国と国交を結んだ時は、台湾に一言も挨拶しないでやったんですよね。もう台湾は、カンカンになって、もうそれから国交断絶して、今は飛行機も飛んでないんですよね。お互いにものすごく見下してるんです。台湾がどうしてあれほど親日的かといったら、韓国人は、「あれは昔から独立したことのない国だから」と、もう当然ですね。我々韓国は昔から独立国家だからと、こう思っているんです。
ケント
:中国の隣で、よく独立できていましたね。
池
:はい。まあ、そういうわけで、お互いものすごく感情的に反発してるんです。おもしろいのは、台湾出身のインテリ、日本に住んでいる人たちね、邸永漢さんとか金美齢さんとか、みんな日本のことを褒めてますね。逆に、日本に住んでいる、いわゆるコリアン系の人は、日本の悪口を言わないとレーゾン・デートル(存在理由)がないんです(笑)。だからシン・スゴ(辛淑玉)さんもそうでしょう。日本の悪口をポンポン言う。
植田
:すごい、あの人は。しかし、何でも言えばいいってものじゃない。
池
:そう。でも、台湾出身の人は、絶対日本の悪口は言わないのね。これが全然違うんです。
植田
:確かに、在日の韓国、朝鮮の人たちの、多少インテリというか、言論人の方々からは、非常に日本に対して「大きなお世話だ」というぐらい、大変よく、ご忠告頂いています(笑)。
池
:でも、そう言わないと、韓国人のアイデンティティがなくなる(笑)。だから逆に韓国の人間に言わせると、「ああ、台湾はだらしないね。ゴマすってる」と、こうも言うしね。台湾にしてみれば、「なんだ、あんたたち。そんなに偉かったら、さっさと本国に帰りなさいよ」って、思ってるはずですよね。だからお互いに台湾と韓国、ものすごく仲が悪いんです。
植田さんは、かなり抑えて発言しているが、本音トークって、面白いですね♪
いい悪いは別にして、韓国は華夷秩序というアイデンティティから逃れられないんでしょうね。
<独ジャーナリストが見た日中戦争1>
歴史認識で中韓と対立する昨今であるが…
「日中戦争見聞記」という本を図書館で借りた一番の理由は、当時の中韓を知りたかったわけです。
オーストリア人の著者は日本社会の要人と会見できるなど、わりと親日的スタンスではあるにしろ…
とにかく、1939年当時の東アジアの雰囲気と著者の息吹きが伝わってくるレポートになっています。
【日中戦争見聞記】
コリン・ロス著、講談社、2003年刊
<「BOOK」データベース>より
盧溝橋での軍事衝突に始まる日中戦争。それは、軍国日本が東アジアに影を落とす時代の象徴的な事件である。1939年、この緊張高まる日本・朝鮮・中国・モンゴルをドイツのジャーナリストが訪れた。彼は、各地で会見した要人の人物像を犀利に語り、過酷な時局を生きる庶民の姿にそれぞれの民族性を洞察する。太平洋戦争前夜の極東を描く貴重な記録。
<読む前の大使寸評>
第二次世界大戦勃発時期の日中戦争をオーストリア人ジャーナリストはどう見たか?
尖閣沖紛争がいつ起きても不思議でない昨今ですが、過去の日中戦争の実相が知りたいわけですね。
rakuten
日中戦争見聞記
大使は韓国旅行の際に、釜山から大阪行きのパンスターフェリーに乗ったことがあるので、このレポートの船旅が身に沁みるわけです。
<東亜の運命的海路 釜山>
よりp81~84
日本人、朝鮮人、それに中国人が入り乱れている。それに服装もまちまちで、ある者は洋服、ある者は和服、そしてある者はゆったりとした白いズボンと上っ張りの朝鮮服という具合である。その上、軍服姿の者、和洋混交の衣服をまとった者もいる。
多くの朝鮮人はいまだに、わたしたちには奇異に思われる馬毛製の円筒形の古式ゆかしい帽子を、そして他の者はもっと実用的な洋風のパナマ帽あるいはフェルト帽をそれぞれかぶっている。
(中略)
連絡船の甲板の手すりと和船の白帆の間に月光が輝き、労働者が真っ黒な石炭をかき集め、軽くて丸い籠の中に納めている和船のあけっぱなしの船倉を照らした。ものすごい速さでこの籠は手から手へとリレーされ、まったく想像もできないほど短時間にすべての石炭が連絡船内に搬入された。それと同時に、船腹の反対側には最後の小包が積み込まれた。
サイレンが鳴りひびき、引き船は離され、1分もたがわず正確に連絡船は桟橋を出た。荒々しいバンザイの声があたりの空気をゆるがした。桟橋に残留した係員は船に向かって挨拶し、乗船した軍隊を歓送するためにやってきた婦人たちは、しきりに旗を振った。
下関と対岸の門司の数千もの灯火が九州の山々に囲まれた海峡の上にキラキラと映し出された。銀色の月は海上に浮かんでいる。月の通り道は岩の上をぬけまっすぐに瀬戸内海から対馬海峡へと通じている。
ロジェストヴェンスキー提督の率いるバルチック艦隊が海底の藻屑と消えて以来、対馬海峡は完全に日本の水域となり、日本がアジア大陸に新しい工作をするための架け橋となった。
朝鮮での皇民化、ソウルの市街化などがレポートされています。
ソウルの景観は日本占領時に形作られたようですね。
<朝鮮人は日本人になりうるか?>
よりp95~97
彼らは朝鮮人を日本人に融合させるとまではいかないにせよ、少なくとも大日本帝国の構想に賛同させようとしている。ひとたびアジア大陸に第一歩を踏みしめたあと、彼ら日本人はこのことに集中する他はない。彼らの大陸の足場は朝鮮と共存共栄の運命にある。大陸への架け橋が落ちてしまわない限り、大陸における日本の立場は維持できる。
日本人は当初朝鮮人に対し、多くの過酷な行動に出た。おそらくこうした政治をしなくとも、どうにかうまくいったであろうに。
退位させられた李王朝の支配者は宮殿に幽閉され、朝鮮人の多くが日本に移住させられた。関東大震災はじめ様々な機会に、日本の民衆は怒りを不幸な朝鮮人に向かって爆発させた。
今日ではすべてが変わってきた。李王家と日本の皇室が血縁関係にあることが「発見」された。天皇は李王朝の末裔を李王家として皇族の礼遇をした。彼らは今や東京に住んでいるが、時にはおのれのかつての忠実な臣民を訪れることが許されている。
日本人は朝鮮人の生活水準を向上させ、これにより彼らの歓心を得るためのあらゆることを行った。日本人が多くを成し遂げたことは認めなくてはなるまい。ソウルは「京城」となり、昔のおもかげをとどめていない。市街地をめぐる城壁の大部分は除去され、城門は取り払われ、新しく、大きく、美しく、そして近代的な市街地ができあがった。日本はその最大級の人物の一人。南次郎大将を朝鮮総督に任命した。
わたしは彼に紹介され、家族一同彼の家における昼食会に招かれた。南総督はもともと愛想のよい、単純、率直な人物で、このときも和服姿で現れた。彼は今日では「朝鮮人」と呼ばれているコーリアの人々を、無理押しせずに前述の日本帝国構想に同調させようとしている点で、まさにうってつけの人物であるとの印象を受けた。
日本人はその構想実現にあたり、性急に事を運んでいるとはいえない。むしろ逆に典型的に東洋的な緩慢さで臨んでいる。
30年来朝鮮は日本の統治下にある。しかし近年になってやっと朝鮮人が志願兵として日本陸軍に入ることが認められるようになった。その作業はきわめて慎重に行われ、きびしい選抜を行うため、朝鮮人全体で志願兵に採用されたのはわずか500人にすぎない。
しかもこの500人もすぐに陸軍に編入されるのではなく、まず特別な訓練を受けねばならない。ソウルから数キロ離れた場所にそのための特別な施設がある。総督の秘書が自動車でわたしたちをそこへ連れていってくれた。わたしたちが目撃したのは、典型的な日本軍の学校であった。
エネルギーに言及したこの章を読むにつけ…
著者の経済的視点と、いい悪いは別にして、日本官僚の有能さが感じられるわけです。
<満州の稜堡 鞍山>
よりp101~105
「満州国」によって、日本は数十年来努力してきたアジア大陸における確固たる稜堡をつくりあげることができた。
そればかりではなく、この稜堡はほとんど想像もできないほど模範的な方法によって建設された。満州のように前例のないないほど興味深い国土は少ない。日本人がここ数年何を行ったか、そして日本人はいったい何ができるかについて、ちょっとした概念を得ようとする者はだれでも、日本の恩恵によってできたいわゆる傀儡国家をじっくり見学しなければならない。
わたしたちにとって「満州国」訪問は特別の興味があった。それというのも、わたしたちは張作霖時代の満州を知っており、おのれの経験に基いて、その後15年ここで何が行われたかを推測できるからである。
15年前には今日の首都新京(長春)には礎石一つ置かれてなかった。あのころ奉天(瀋陽)は駅付近すら洋風の建物が2、3あるだけで、あとは広々とした原野であり、その背後に市街地全体を囲む城壁が聳えていたのだが、今日では古い中国人街はまるで巨大な近代的工業都市のただなかに埋没してしまったようだ。
15年前には、ハルビンはまた純粋にロシア人の都市であった。そしてその頃ではきわめて大胆な空想力の持主といえども、ソ連がなんの文句もいわず、あっさりと北満におけるもろもろの特権を放棄するとは夢想だにしなかった。
しかし、もっとも驚くべき発展が、満州の工業面で見られた。他のどこよりもこうしたすばらしい発展を、それぞれ新国家の石炭、鉄鋼生産の中心地である撫順、鞍山が成し遂げた。
15年前はちょうど満鉄が撫順炭の露天掘りを始めたところであった。この露天掘りは、昔ロシア人がつくった炭鉱の坑道を切り開いたもので、炭鉱の縁に古い撫順の町があった。その頃わたしたちがいやというほど聞かされたのは、ありとあらゆる将来計画である。「われわれは撫順市を撤去し、新しく建てなおすであろう!」「われわれは石炭生産を向上させるであろう!」「われわれは石炭に含まれている油質頁岩から、石油を取り出すだろう!」―無限の計画が打ち出された。
わたしたちはその時あまり信用していなかったが、上品に微笑みつつ傾聴した。
今日ではこれらのすべての計画、いやそれ以上のことが現実となった。わたしたちは、かつての露天掘りを数倍にひろげたやはり露天のままの炭鉱の一端に立った。露天の炭鉱は数層を成しており、その各層にあるレール上を、石炭を積み込んだ貨車が絶え間なく走っていた。
かなり以前に古い街は撤去され、新しく都市が再建された。あちこちに製油施設の煙突がそびえ立っていた。すべてが現実となった!
鞍山の印象は一層強烈であった。15年前にはここに高炉二基とコークス製造所があっただけだ。今日では高炉施設が次々と並んでいるばかりか新たに建造中である。これらが完成すると鞍山は世界最大の高炉施設の所在地となるであろう。
(中略)
ここには新しい国、広々とした将来を約束された国、無限の可能性を秘めた国がある。ここでは第二のアメリカがアジアの砂漠と荒地からなるこの土地から生まれる。そこでわたしたちは「おれたちはその現場にいた」ということができる。
著者の歴史的展望には、米国参戦、日本敗戦に関する推察が抜けているのが致命的ではあるが・・・
日中両文明に関する歴史認識については、見るべきものがあると思うのです。
<中国の支配者は誰か?>
よりp285~289
中国の支配者は誰か?この問いは、早くも重慶到着第一日に否応なくわたしをとらえた。わたしは、気がねなく訊ける人であったら相手かまわず、一応の礼を尽くして、この問いをぶつけてみた。というのは、この問い自体が少なくとも蒋介石統治下のこの国では、不穏当であるからだ。蒋介石の勢力圏では、人々は大中国という虚構にしがみついている。満州、モンゴル、新疆、チベットを、重慶はあきらめきれないのだ。「満州国」のような名称は、当然ながら厳禁され、新しく建設されたこの国の存在は、頭から否定されている。人々は、中央政府から指令を受け取る東北2省が今でも存在しているかのような態度をみせる。
人々がさらに頑迷にしがみついているのは、中華民国という虚構である。「中国の支配者は誰か?」というわたしの問いに対する公式回答は、もちろん「中国民衆」である。もっとも、現実との開きがあまりにも大きいため、熱心な広報」係といえども、民衆の政府という共和制の理想の実現がほど遠いことを認めねばならない。弁解がましく、広報係たちは、中国の国父、故孫文が共和制の理想実現のために三段階作戦を用意していた点を指摘する。
つまり、その第一は、民国軍の創設および強化、第二に民衆の政治的教育、第三に選挙によって政治権力を民衆の手に漸次移行すること、以上の三点であるという。「戦争の勃発によってこの進展計画が挫折させられたのは、ちょうど第二段階から第三段階に移行しようとするときでした」と広報係たちは弁解する。
そうだとすれば、「計画はただちに激しい勢いで挫折し、最初の第一段階に突き戻された」と、言葉を換えるべきである。一方、「中国を支配しているのは総統である」と重慶で何度も聞かされた回答は、わたしにはどうも完全に的はずれであるように思われる。
(中略)
「中国の支配者は誰か?」と問う前に、「中国とは?」と問うのが本来の姿であろう。
この問いに対して、「中国とは?―中国とは、まさしく中国さ」と人によっては思わずそう回答したくなるらしい。まさに、いい得て妙だ。平均的ヨーロッパ人にとって、かつて中華とされた大国を説明するのにこれ以上のものはない。
もっとも、近年、この強固なイメージも少しずつゆらぎはじめた。以前は、中国はひとつの国土であると解釈されていたが、今日では大陸の意味に用いられている。ただ、中国となると、この両者(国土と大陸)に加えて、さらに第三の意味が加わる。つまり、思想、生活様式、世界観である。この思想、生活様式、世界観の三位一体が引き金となって、中国は一見強固な国境の内部で構造を再三変化させ、崩壊と統合、分解と膨張を繰り返してきた。
一方、日本は、堅固な一枚岩を誇りつつ、緩慢かつ着実に組織的な発展を続けてきた。しかし、島国を出て大陸に乗り込んでからは、日本は大陸の動きに取り込まれ、中国のものさしで物事を計らねばならなくなっている。つまり、互いに想像を絶した強い影響を与え合った東アジアの両民族は、今日では生きるも死ぬも一種の運命共同体であり、日本を抜きにしては中国統治問題は考えられないのだ。
東アジアに居住する両民族の連合もしくは友好的強力関係が実現される事態となれば、東アジア地域は世界最強勢力となるだろう。平和と友好は、日本の中国政策の目標である。そして、そのために中国に有無をいわせないこと、抵抗する中国人を排除することが、日本の軍事行動の狙いである。
中国を軍事的に屈服させることなどいとも簡単だと日本が錯覚していたふしがある・また、北京近郊のマルコ・ポーロ橋(盧溝橋)での日中戦争勃発時にも、日本軍がそれを確信していた可能性もある。しかも、現在でも軍の一部は、どうやらこの錯覚に執拗にしがみついているようだ。
だが、日本の有力政治家と国民の大部分は、今、恒久平和および中国との真の友好を熱望している。彼らが平和確立と友好関係樹立を念願していることは、日本側の立場に立てば無理からぬことである。わたしの個人的見解だが、平和と友好関係は広い視野に立てば、かならずや中国の利益となるはずである。世界情勢および時局を鑑みれば、中国は日本の指導下ならば、封建的な大陸国家に変貌することができるように思われる。
他方、この変貌は、たとえ一時的にせよ、中国人の自尊心には耐え難いものであろう。中国人は昔から日本人を見下し、この島国民族を劣等模倣民族と見なしてきた。しかも今、中国人に民族の誇りが芽ばえはじめようとしている。全体主義国家日本を道徳的、社会的に中国が凌駕していると欧米民主主義大国がお墨付きを与え、中国がこれを後生大事に守ろうとしている。したがって中国の指導層にとっては、敗北を認め、日本の優越を認めることはなかなかできない相談である。しかし事情はどうであれ、日本と中国は好むと好まざるとにかかわらず、生きるも死ぬも一心同体である。「中国の支配者は誰か?」という問いには、日本という要因を無視して答えることはできない。
不測の事態が発生しない限り、日本は中国民族の親日派の協力を得て、ここ数年のうちに中国の大部分を支配下あるいは影響下に収めるであろう。一方、それ以外の相当部分は、ソ連あるいは親ソ派の影響下に入ると思われる。すでに、外モンゴル、新疆省、甘粛省がソ連の勢力下にあり、将来その範囲は南部や南東部に拡大してゆくであろう。最終的に残った部分は、状況次第で日本やソ連の影響下に入らず、本来の「中国人の中国」を形成するものと思われる。
いくらジャーナリストであっても、戦闘場面に立ち会うほどの義理はないわけで…
戦時体制とか戦争のからくりを主にレポートされていました。
だけど日中紛争前夜にも似た今のご時世にこそ、意義深いレポートと言えるかもしれないですね。
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