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短編01
短編02
短編03
《D》については短編の02と03を参照。番外としては こちらから。
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6月2日――。
ありがとう、岩渕さん。本当に、ありがとう。
僕は本当に感謝している。あなたのおかげで、僕は《カーバンクル》と再会できる。
もう一度、アレをこの手に取り戻せる。お姫様が《菊花紋章――十四裏菊》を取り戻し
たように、僕も、《彼》とまた、再会できる。
僕はそう思いながらBALLYの靴を脱ぎ、困った顔をする岩渕さんを見つめた。
――そしてまた、僕の脳裏を遠い記憶の断片が横切った。決して忘れ得ぬ何か……遠い
遠い昔に消えてしまったはずの何か、失ってしまったはずの何かを……大切だと思っていた
のに、捨ててしまった何かを……僕は、思い出した。
「ねえ、僕の兄さんとか、弟とか、妹って、どこに行ったの?」
焼酎をビンごとラッパ飲みし、札束のカネを指で丁寧に数える短髪の男に、幼い僕は
そう言って話しかけた。……あれは7歳か、8歳のころ? よくわからないな。小さな
体。サラリとした髪。細い手足。人懐こそうな、それでいてどこか冷たく、落ち着いた
雰囲気の細い目をしている。子供用のジーンズに無地のTシャツ。ジーンズもシャツも
スニーカーもピカピカで、汚れひとつなかった。
――どうでもいいな。お前さえおりゃええワ。
男がそう答えると、僕は「何で?」と言って笑った。おかしかったから。
数え終えた札束を机に置き、ニヤニヤと笑いながら新しい札束を手に取り、また数え
始め――僕の顔を見つめる。
「何で僕だけなの? みんな、どこに行ったの?」
――アイツらと、アイツらの母親は使えない。何の役にも立たない。だから、捨てた。
「僕と……僕の母さんは?」
――お前は特別だ。
「特別……? 何で……?」
――……一度しか言わないから、よく聞けよ……。
記憶の断片には他に誰もいない。父親の男と、幼い僕が会話する姿だけ。僕が頷くと、
父親の男はニヤリと微笑んだ。僕も微笑んだ。父が、僕に言ってくれたことは――……。
―――――
「お邪魔しまーす」
ドアを開いたトレーナー姿の岩渕に、昔の同僚、川澄奈央人は笑いかけて靴を脱いだ。
キョロキョロとわざとらしく家の中をのぞき込むフリをする。ポールスミスのスーツ。
BALLYの靴。腕時計はHUBLOTの……ビック・バンか。左手にはカーボンのアタッシュ
ケースを持っている。指や首にアクセサリーはつけておらず、スーツや靴に汚れは一切
ついていない。髪は綺麗に整えられ、髭も剃られている。
「ちょっとしたお願いがあるんです」
川澄はそう言ってリビングのソファに腰を下ろした。
「……早朝にいきなり来て、何言ってやがる……」
岩渕は舌を打って唇を尖らせた。……冗談だろ。勘弁してくれ。
「このウチ、他に誰かいます? 例えば――……」
「やめろ。俺たちはそんな関係じゃない。……そういう生活はヤメたんだ」
「……以前の岩渕さんなら、しょっちゅうキャバ嬢とか連れ込んでたんですけどねえ……」
「……今すぐ、叩き出されたいのか?」
「ごめんなさーい」
岩渕はレギュラーのコーヒーを淹れながら、嬉々としてリビングを眺める川渕の背中
に目をやる。その背中に隠された狂気や性質のことを考える。……カネのために《D》
や俺を裏切りかけたこと……自分の自由のために父親を裏切り、見殺しにしたこと……
俺を仲間に誘い、俺を殺そうとし、俺を見逃した……最後は《D》に協力し、父親の財
と情報と知識を担保に澤社長と示談成立……出自不明……経歴詐称……神出鬼没……。
確実に犯罪者……父親も、おそらくは母親も、重度軽度関係なく罪人……さらにこの
男は、罪の意識なんて感覚はこれっぽっちもなく、血も涙もないクズ。自分のことを棚に
あげても、そう思う。そう思わざるをえないヤツ……。
……だが、俺は、どうしても……コイツが……嫌いになれそうにない……。
岩渕は食器棚からコーヒーカップを2セットと、黒糖の入った瓶と、クリープの瓶を
出してソファの前のテーブルに並べる。この男が砂糖とクリープを使うかは覚えていな
いが、とりあえず出しておく。コポコポとサーバーに落ちるコーヒーをカップに注ぐ。
「コーヒーでいいか?」などとは聞いていない。拒否するのなら、別にいい。俺が飲む
だけだ。
「広くて綺麗で家具が少なくて、岩渕さんらしい家ですねえ」部屋の中を見回しながら
川澄が言う。「家賃は20万てとこですか? 大変じゃないですか?」
「……《D》の不動産投資の物件だ。一部の人間だけだが、社員割引で住んでいる」
「社割? いいっすね」
「……川澄、お前、何しに来た?」
そうだ。俺が気にするべきことはコイツの来訪目的だ。
「……単刀直入に申しますと――」
まるで道端に転がる石を拾い上げるかのような――そんなごくごく当たり前の口調で、
川澄は話し始めた。爽やかに微笑み、薄ら笑いをし、ふざけながら――岩渕を誘った。
無理難題ではない……無理難題ではないが――そう。
川澄という男は単なる自信過剰か、それとも単なる狂人か。そんな男の頼みを断るか、
否か――……。 まただ。また、俺は決断を迫られている。そんな気がした。
―――――
熱いコーヒーカップを両手で持ちながら、僕は落ち着いた口調で言った。「――先日、
岩渕さんがテレビ番組で共演した、ホテルグループ《R》の高瀬順子社長の宝石コレクシ
ョンのひとつ……《カーバンクルの箱》を僕に譲渡してもらうよう、取引を代行してもら
えませんか?」
言いながら、僕はそんな自分を不思議に思った。これまでの人生で、僕は誰かを頼ったり
したことはほとんどなかったから。
目の前にいる男は、僕を訝しげに見つめていた。だが、僕の話を真摯に聞いてくれては
いる。僕は、それが嬉しかった。
「……信じてはくれないかもしれませんが……岩渕さんも見た、あの赤を基調とした宝石
54個で形成された箱……あれは元々、父が母に贈った唯一の品なんです……だからアレ
は……僕のものなんです……」
こんなことは他人に、まして自分がかつて殺そうとした相手に話すべきことではない
とわかっていた。けれど、やめられなかった。まるで心に巣食っていた蜘蛛の糸をほど
いて解くかのように、僕は話を続けた。
「……どんな経緯かは僕にもわかりませんが……父は収集した赤色系の宝石たちを箱の
形に埋め込んで造らせた……母はそれをとても気に入っていた、と思います……僕がまだ
小さかった頃に母は病で他界しましたが……いつしか――《箱》は行方知れずになり、
僕も正直、忘れかけていました……」
嘘ではない。
そう。少なくとも今、この瞬間だけは、彼に嘘を言いたくないと思う。
「……《カーバンクル》? 高瀬社長はアレを《赤い宝石箱》と呼んでいたが……」
「ふっ」あまりにも陳腐なネーミングに、僕はつい鼻で笑ってしまう。
「……カーバンクル、ラテン語で《赤い宝石》を意味します。他にも《赤い石を持つ獣》
の意味もありますね」
説明しているうちに、また僕の心臓が高鳴った。冷静でいられない自分を見るのは、
本当に久しぶりのことだった。
「……その《カーバンクル》がお前のものだという証拠は?」
当然だ。当然の質問だ。当然――僕はその問いに応えられる。
「はい。もちろんありますよ。……ええっと、どこにあったかな?」
そう言うと、僕は持参したカーボンのアタッシュケースからひとつの《鍵》を取り
出した。僕はそれを指でつまみ、岩渕の眼前に見せつけた。
「……こいつ、軸は象牙……? ブレード部分の先端は……ルビーかっ? マジかよ…
…3カラット以上はあるな……」
それから、岩渕は両目を見開いたまま呆然とした。頭の中で思案を巡らせているよう
だけど……どうやら、少しは信用してもらったようだ。まっ、本当は無条件に信用して
欲しかったけど。
ぐったりとソファにもたれたまま、岩渕が口を開いた。
「《鍵》って……あれ、密閉された箱、じゃないのか?」
実際に手に取り、見たクセに、岩渕は何もわかっていない。……まぁ、それも無理は
ないのだけど。
「……箱根の寄木細工の技術を応用した造りらしいです。この《鍵》がなければ、あの
《カーバンクル》の真の姿は拝めません。……番組での査定価格は900万でしたっけ?
流石にアレをバラす勇気は、あの社長も持ち合わせていないでしょうからね……」
しばらくの沈黙があった。けれど、それは重苦しい沈黙ではなく、何かが氷解するよ
うな、優しくて、嬉しくもなる沈黙だった。
沈黙が続くうちに、僕は自身の胸の内が少しだけ軽くなっていくのを感じた。
「川澄……」
やがて、岩渕が僕の名を呼んだ。
「なんです?」
「……面白そうだな。俺への報酬は?」
岩渕が楽しそうに微笑んで聞き、僕ももちろん、笑って言う。
「僕が欲しいのは《カーバンクルの箱》の中身だけです。外面の石も鍵も全部、先輩に
あげますよ」
「了解……それと、もうひとつ――」
岩渕はそう言って立ち上がった。顔からは笑みが消えている。「お前、まだ俺を殺し
たいと、思うか?」
「……あの時の自殺願望は消えましたか? 残っているのなら、今すぐにでも殺して
さしあげますよ?」
「……勘弁してくれ……マジで……」
「冗談スよ……」
僕が言うと、岩渕はほっとしたように微笑んだ。僕も微笑む。そう――最初の問題は
クリアした。
僕は立ち上がりながら、岩渕にも聞こえないくらいの小さな声で呟く。「……アンタ
は僕の持っていないものを持っている……アンタを生かす理由はそれだけさ……」
それに……――
――……《鍵》はひとつではない。
それの所在が確認できないことには、あまりムチャなことはできないしね……。
―――――
そうそう――……。
記憶の断片で、父が、僕に言ってくれたことは――……。
「――俺が本当に愛していたのは、お前の母親だけだからだ」
あの時の父の言葉の意味は、今もまったくわからない。ただひとつ、ただひとつ今、
思うことがあるとすれば……そうだな。
どこぞの社長か、金持ちか、資産家だか何だか知らねえが……僕の《カーバンクル》
を奪った罪は重い。何も知らなかった、としてもだ。許されることではない。決してだ。
大きな罪には、盛大な罰を与えなければなりませんねえ……。
そんな権利、お前にはない?
いいや――だって、僕は天才なんだよ? 優秀なんだよ?
そんな権利、あるに決まっているじゃあないか。
川澄奈央人は強く思った。
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『カーバンクルの箱と鍵と、D!』 cに続きます。
本日のオススメ!!! SHISHAMOさん。
SHISHAMO。
左から松岡 彩(まつおか あや)。担当はベース。
宮崎 朝子(みやざき あさこ)。担当はボーカル・ギター。
吉川 美冴貴(よしかわ みさき)担当はドラム。リーダー。
女性バンドらしい女性目線の歌詞大半。恋愛だったり仕事だったり、日常的な生活を
歌詞にしたイメージ。キンキンシャンシャン鳴らすだけの野郎バンドとは違い、ドラム
音がやや強く、ボーカルを食い気味。ベースはベースらしく一歩引いた演奏で好感。
うむむ――aikoに若干似た歌い方をする傾向があるかも……若いし。
しかし……何ていうのかな……飽きないんだよね、この人たち。
バリエーションが豊富で引き出しが多いワ。リスナーに対して自分たちに「飽き」が
来ないように工夫している感じ。ヨソからいろんなものオマージュして使っている感は
残るけど、そのたびに新鮮な気分になれる。……一度、聞いてみてください。
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