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日本時間の去る10月25日(土曜日)からアメリカ・メジャーリーグの【ワールド・シリーズ】がア・リーグチャンピオンのトロント・ブルージェイズ 対 ナ・リーグチャンピオンのロスアンゼルス・ドジャーズの間で戦いの火ぶたが切って落とされた。 試合結果は、初戦こそブルージェイズのワンサイド・ゲームとなったが、それ以外の6試合全てが1点を争う接戦でどの試合も試合開始後は目が離せなかった。 先週の土曜日から今日まで試合の放送時間中はテレビの前に釘付けだつた。 特に、10月28日(火曜日)の第三戦は延長18回に及ぶ凡そ7時間もの間、テレビに釘付けだった。 試合開始当初は『昼頃には終わるろう』と高を括っていたが、延長戦に入ってからは、一発で勝負が決してしまう事があり、目が離せなくなっていた。 ワールド・シリーズの結果は、結局4勝3敗でドジャーズが優勝したが、数々の名場面や歴史的記録が生まれる球史に残る稀に見る一大決戦だった。第七戦の試合経過ドジャースの優勝の瞬間表彰式の模様日本人三選手の笑顔 同じ期間中には、日本でも阪神タスガース 対 ソフトバンクホークスによる【日本シリーズ】が行われていたが、こちらの方は深夜のニューズ番組のスポーツコーナーで確認しただけで、試合の方は一試合も見ていなかった。 ワールドシリーズの中継は全てNHKだったので、質の悪い、見たくも無いCMが一切は入らないので、試合に集中して観戦できた。 また、解説の田口壮氏の経験に裏打ちされた的確な解説は大変好感であった。息の詰まるような、【ヒリヒリ】とした試合連続だったので、いざ終わってしまうと喪失感を禁じ得ない。 野球にこれほど夢中になったのは、【長島茂雄さん】が現場を離れて以降なかったので、十数年振りに熱く見入った。 敗者となった【ブルージェイズ】も素晴らしいチームでチーム一体となって相手投手に多くの球数を投げさせる所などはアマチュア野球が学ぶべき所鴨しれない。 今年一年を振り返って見ると、ドジャースは大谷選手が打たないと得点力が極端に落ちて苦戦を強いられることが多かったようで、そういう意味で【ドジャースは大谷あっての球団】だと感じさせられた。そして、【お洒落番長、キケ・ヘルナンデス】選手の守備力の高さには感心しきりであった。 今シーズでは、打撃不調で目立たなかったマンシー選手も最終戦の土壇場でホームランを打って留飲を下げたのは流石であった。 そして、捕手のウイル・スミス選手のキャッチング技術と力強い打撃は強く印象に残った。 ロバーツ監督以下、ドジャースの選手全員に『感動の名場面、熱い戦いをありがとう』と言いたい。※ 文中の画像は全てネットより転用致しました。
2025.11.02

去る8月29日(金曜日)に、【右目・白内障の手術】を受けた。 今回も、前回同様に地元の眼科クニリックにて日帰り手術だった。【白内障の特徴】【白内障の見え方】【白内障の手術】【手術前・後の比較】※ 上記画像は全てネットより転用。私の場合、そもそもは40年以上前に右目の眼底出血で勤務先近くの大学病院に通院している内に、ある日医師から唐突に『貴方、白内障も発症しているから点眼薬を処方するので毎日使用して下さい。』と診断された事から始まる。 その後地元の眼科に転院して点眼薬の処方を受けていたが、毎回、視力検査と眼圧測定のみで『処方が効いているようで変化ありません、点眼を続けて下さい。』の繰り返しだし、特に自覚症状もなかったし、通院が億劫なのでいつしかクリニックから足が遠のいた。 それから10年以上経ったある日の夕刻、車で移動中に日没となり、ヘッドライトが点灯されるタイミングなった時に対向車のヘッドライトが【ハイビーム(上向き)】に感じられ、非常に眩しいと感じ、『白内障が進行しているかも知れない』と思い、数日後に地元で開業したばかりの【日帰り白内障手術】をウリにしていたクリニックを受診した所、『白内障、緑内障、加齢性黄斑変性』と診断され、それ以来20年近く通院・受診をしていた。ここでは月に一度、定期通院していたが、診察内容は以前通院していたリニック同様に【眼圧測定、視力検査】と、三か月毎の【視野検査】をくり返すだけだった。ある日、担当医師に〘毎回受診していて、いつも【変化なし】と言われるので、通院頻度を月・一から半年乃至一年一度じゃダメでしょうか?〙と問うたら『白内障は急激に変化・進行することがあるので、月・一で定期診察するのが妥当です。』と言われ、仕方なく慢性的に通院していたが、2、3年前から医師に『そろそろ白内障の手術をしておいた方が良いようです。』と言われていたが、『どーせ、商売っ気で言ってんだろー』と軽く受け流していた。 昨年三月下旬に突然左目の眼底出血を発症し、半年ほど自然治癒を待ったが、一向に改善されず、日常生活に支障が出るので【硝子体手術】をする事になった時、担当医より『似たような手術なので、白内障の手術も同時にやっちゃいましょう。』と提案され、素直に受け入れた。その手術の翌日にクリニックの院長の診察があって、『手術は上手く行きました。次は右目の白内障手術をしましょう。』と提案されたが、その時も内心では『商売ペースやろっ』とか思ってた。 今年、三月下旬に以前手術した左目の眼底出血を再発して、7月上旬に二度目の【硝子体手術】を受けて、定期的に術後の観察を受けていたが、ほぼほぼ安定して来たと感じた七月下旬に執刀医より『そろそろ右目の白内障手術のタイミングだと思うけど、如何する?手術する?』と聞かれたので、『先生の判断にお任せします』と応え、今回の手術となった。(これだけで、二時間ドラマが一本作れる。←心の呟き) 術後二日が経過したが、今の所何の違和感もなく痛みもないので、順調な経過を辿っているものと油断している。 ただ、この暑いさ中【洗顔、洗髪、運転の禁止】を申し遣っているので、術後一週間は我慢を強いられる。
2025.08.31

去る14日午前10:30頃、西武鉄道新宿線・狭山市駅から南東へ凡そ1Kmほどの埼玉県狭山市中央4丁目の路上で女性(75)が左手のないサルに右ふくらはぎをかまれる被害が発生した。【狭山市中央付近の地図】 上記の地図からも解るように、住所が【狭山市中央】であり、西武鉄道・新宿線の【狭山市駅】から凡そ1Km、狭山市役所からも近い市街地に当たる、人通りが比較的多い場所である。 この【左手の無い猿】の目撃情報はネットをググッると数多くヒットする。それらを要約すると、この【左手の無い猿】の目撃情報は概ね次のようになりそうだ。【左手の無い猿の目撃情報】 ①、2024年4月から福島県で目撃され始め、関東地方を移動している可能性がある。 ②、2024年12月には山梨県の富士北麓で目撃された後、姿を消しましたが、2025年6月13日に再び山梨県道志村に現れました。 ③、2025年5月初旬には、町田市相原町周辺でも目撃されています。埼玉県所沢市でも目撃情報があり、丘陵地帯から市街地に移動している可能性がある。 この他にも、①と②の間の2024年10月9日には東京都小金井市でも目撃情報がある他、東京都練馬区、埼玉県川口市等でも目撃情報があったようだ。 その後、本日時点でのその後の目撃情報をググッると、8月15日には、日高市大字高萩地内の日高カントリークラブ付近、また16日午前6時30分ごろには、日高市高麗川2丁目でサルが目撃されているようだ。 この猿の特徴は、【左手がない】、【二足歩行をする】と、非常に区長的でR。【左手の無い猿の目撃場所】【左手の無い猿の目撃画像】※ 何れもネットより転用(一部加筆)。 自宅周辺では、【蛇(青大将)】や、【トカゲ】の姿を時々見かける事はあっても、狭山市内にて【十二支】にライン・アップされるような動物の目撃情報は2021年8月10日に狭山市入間川地内の富士見橋近くで【イノシシ】の目撃情報があった以外、耳にしていない。 狭山市は、隣接する所沢市や川越市、入間市などに比べ都市化のスピードが大変遅く、そんな所から私は地元を【片田舎】と称して来た。【敵は“猿”者、引っかくモノ】と言われいるが、この【左手の無い猿】はカミツキ亀のようでもあるようだ。 75歳女性に噛みつき怪我を負わせているので、凶暴・凶悪として【全国指名手配】すべきかも知れない。。。。
2025.08.17

わはははは、バンザーイ♪。【晴れ晴れ日記】をご笑覧の皆様、今日は大変佳い(ラッキーな)一日になりました。 ここの所の一か月余りの間悩み続けて来た【後期高齢者・運転免許の更新】を何とかギリギリで合格し、新しい免許証が交付されました。 眼科医からは、『免許更新の期限がが迫っているので、手術前であっても、朝起きて見え方の良い日に更新手続きしたら良い。』とアドバイスされていたが、自覚的には【見え方の良い日】は中々無い。 有効期限まで後二週間余りしかないので、最悪のケースを想定したら今の内に一度警察署に出向いて【試し】に更新手続きをして仮に視力不足と指摘さけたら『眼鏡を新調して出直して来ます。』で引き返してくれ良いや、と腹を決めていた。 とは言え、ある程度の下準備は必要だろうと考え(流石、人生のベテラン、無駄に長生きしてねーゼ・・・)昨夜、地元でお付き合いのある眼鏡店に電話を入れて事情を説明し『事前に視力検査をやって貰えませんか?』と問い合わせしたら『だったら、硝子体の混濁が少ない朝早くに確認しましょう。』と大変心強いお言葉を頂戴していたので、今朝は眼鏡店の開店早々に訪ねて【視力検査】をして貰ったら『0,8、出そうですよ。今直ぐ警察署に出向きなさい』と背中を押して貰って、半信半疑乍ら出掛けた。 警察署の【運転免許更新所】の入り口で必要書類を提出し、所定の手続きを終えると早速【視力検査】で呼び出される。『もう、ここまで来たら【俎板の上の鯉】の心境だ』(⇦心の呟き)【視力検査台】の例【ランドル管】の例【ランドル管】※ 画像は何れもネットより拝借 五年前の前回までは、普通免許の場合最初から両目で見て【0.7以上】あれば 【OK】であったが、後期高齢者の所為か除き穴の一方が塞がれて見えないので『これ、片方しか見えませんが』と問うたら『片方づつやります。ハイ、左目で覗いて』と促される。両目なら何とか切り抜けられると考えていたが、まさか片目づつとは・・・・最初、視力低下している左目だったの1で、絶体絶命・・・・しかも一般的に、【ランドル管】は白地に黒線で描かれているものだが、今回のは白地に薄いグレーで描かれており一層見難かった。通常、3~4回でチェンジなのだが、7~8回繰り返すので『ハイ、不合格!!』と言われるかと思っていたら『次、右目』との指示。こちらはそこそこ見えるので3~4回テで終了。最後に『両目で覗いて』との指示。こちらも右目でカバーできたので、3~4回で終了。『ホッ』としていたら『ギリギリです。運転は気を付けて・・・眼鏡の新調も検討して下さい』ここは素直に『ハイ、解りました。検討します。』で、【交通安全協会】への入会手続きと支払いを済ますと同時に新しい免許証が交付された。。。。『ふう~~っ。心臓に悪いゼ』(⇦心の呟き) 新たに交付された免許証を確認したら【有効期間】が三年になっている。今まではずっと【ゴールド免許】だったので五年だったのに、これも後期高齢者の所為だろうか・・・ 地元警察署へは自力運転で出掛けたが、何せ自覚する見え方は【自覚する見え方の例】な感じなので大変危険だと思うし、本当は自力運転などしない方が絶対良いと思うが、片田舎地方は交通の便が最悪なので、無理を承知でも運転せざるを得ない。 しかし、運転中はものすごく緊張したものの、どうにかこうにか自宅との往復をこなせたので、ここ数日間のストレスが一気に解かれたようだったとサ♪※【追記】この日記を書くに際して、ネット検索して幾つかの資料を調べた中に次のような記事を見掛けたので、参考までに追記しておきます。ー【普通自動車第一種免許の免許更新時に必要な視力】ー 両眼で0.7以上、かつ、一眼でそれぞれ0.3以上、または一眼の視力が0.3に満たない方、もしくは一眼が見えない方については、他眼の視野が左右150度以上で視力が0.7以上」となります。
2025.07.08

誕生日が過ぎ、運転免許の更新期限まで三週間余りだと言うのに左目の硝子体出血が止まらず、視界不良・視力低下が続いているので更新を受けられる状況にならない。(↽内心凄く焦っている) 6月26日(木)に眼科を受診した所『7月11日(金曜日)に硝子体の処置(手術)をしましょう。今度は”洗うだけ”だから1時間位で終わると思う。』との説明だった。【洗う】とは如何言う意味なのか解らないし、効果まほども理解出来なかったので、 『しかし、処置をしても出血を繰り返したら何度も同じ事をしなくてはなりませんか?』と問うたら『それは何とも言えない。今度処置する時にレーザー照射もしておくのでその効果に期待するしかないですねー。』との説明だったが、今は兎に角運転免許の更新をしなくてはならないので、先の事はまたその時に考えればいいや、と腹を決めた。前回(4月19日)に出血した時は、5月9日に硝子体処置(洗浄)を行う予定だったが、予定日直前(3日前)に回復したので処置は見送られれていたものの、5月1日3月(月曜日)に再度出血し、『今度も二週間位で治るだろう。』と高を括っていたら今度は中々回復しないまま今日を迎えている。【硝子体出血の症状】の例※ 画像は、ネットより拝借。私の場合、今回は上記の全てが該当し、その都度異なるのが特徴となっている。概ねの傾向として、出血量は毎回微量と思われるが、出血直後は血液が濃いので【ごま状、虫状、蛙の卵状、糸くず状、煙草の煙状】などの模様が確認されるが、直ぐに希釈・拡散されて【硝子体】全体が混濁して【タバコの煙状】になる。それらの症状が出ている時の硝子体内部は・・・・・・現在は、硝子体内部が混濁した状態なので、全体的に【濃い霧の中】の中に居るようで下記のような感じだ。【現在の見え方】【薄暗い場所】(左目だけで見た場合)【薄暗い場所】(両目で見た場合) 【明るい屋外】での見え方 【明るくコントラストが強い】場合※ 画像は何れもネットから拝借。 こな見え方で運転しては大変な事になると考え、運転を控えてタクシー移動しているので毎月の支払が相当重荷になっている。 タクシー移動している間は私の小遣いがゼロなのは止むを得ない。。。
2025.06.28

今日から三日後の6月24日は自身75歳の誕生日てR。いよいよ、待ちに待った【後期高齢者】の仲間入りだ・・・・・ ついに来ちきまいやがったか・・・・【後期高齢者】になると、【健康(医療)保険】が【後期高齢者医療制度】に基づいて保健事業主体が【地元市役所】から【埼玉県後期高齢者医療広域連合】に変更されるので、保険料の納付口座を登録しなくてはならない。これには、所定の書式に必要事項を記入して自身の口座がある金融機関の証明書が必要なので一度は金融機関の窓口に出向かねばならないが、先日手続きを済ませておいた。 もう一つ厄介なのが、【運転免許証】の更新。今度の誕生日が丁度75歳なので、これからは【後期高齢運転者】となるので、免許更新前に【認知機能】と【運転適性検査】を受けなければならない。【後期高齢運転免許更新の流れ】【認知機能検査結果】 一ヶ月ほど前から【左目・硝子体出血】が再発していたので、【後期高齢者・運転適性検査】の指定日を一ヶ月延期して貰っていたが、微出血を繰り返し一向に回復しないのと、五年前の【高齢者運転免許更新】時には簡単な実車検査だけだったので、今度も同じだろうし、更新期限も迫っているので『ダメ元』で兎に角一か八かで受講してみようと決意して出掛けた。最初に当日のイケジュールが説明され、【視力】(動体視力)と【視野検査】を受けて貰い、その後に【実車検査】となる、と言う。 あらら。前回(高齢者更新)とは違うようだし、何よりも【硝子体出血】している左目の状態から視野・視力は万全ではないので『ヤバッ』と思ったが、一応、それも覚悟の上立ったのて、『ええい、ままよ。なるうになれ』と腹を据えて視力・視野検査を受けたら、【動体視力】=0.1(ほぼ年齢平均)、【視野角度】=160度(ほぼ平均)とのことで運良くパスした。 ホ~~ッ・・・・・ 次は【実車検定】だ。左目の不具合がバレないように慎重に運転せねば・・・・【実車検定コース】運転技能は40年近く【無事故・無違反】なので、ほぼスルーできそうだが・・・・・五年前の前回時は、【信号順守】、【一時停止の励行】、【標識の無い交差点の通過法】、【段差の利上げ⇒急ブレーキ】(アクセルとブレーキの踏み間違い防止)で、どれも文句なしに合格していた。 いざ、実車の段階となると左側の車両感覚が低下しているので、車体の左側を擦らないように運転ていたら途中で停車されられ、『貴方、左側のスペースが甘くて、左折時に歩行者やに二輪車を巻き込む恐れがありますし、左折時に膨らんで対向車線にはみ出していましたので、御注意願います』との指導を受けてしまったが、他は問題なかったようで【合格】認定され,無事,【高齢者講習修了証】を頂戴しました とサ♪。【高齢者講習修了証】 後は【マイナンバーの更新】だ。手続きは済ましてあって、五月下旬受け取り予約しといたが、左目がこの状態ではそうそう気軽に運転できないので、一旦キャンセルして再度予約し直して誕生日当日に受け取りに行く予定なのだが、左目は相変わらず【微出血】を繰り返していて中々回復しない。少し見え方が良くなったかなと思うとまた微出血するのでいつまで経っても回復しない。視野・視力に障害があるというのは大変なストレスで、毎日が憂鬱で苛々の連続でR。。。
2025.06.21

どうにも、【左目の硝子体出血】が厄介な事になっている。 昨年三月に最初の【左目眼底出血】を発症し、反歯間自然治癒を待ったが、一向に改善されないので九月下旬に【左目硝子体 + 左目白内障】の手術を受けた。 お陰で視野障害・視力低下は大幅に改善されたものの、何かの拍子に左目を強く擦ってしまったようで、【左目・角膜(結膜)】に擦過傷ができ再び視野障害を起こした。これは、焼死体と違って眼の内部ではなく、眼の表面の傷なのでそれ以上悪化させなければ一週間程度で治るとの説明を受けていた。しかし、【ドライアイ】の影響ねあって、元に戻るまで凡そ二か月ほど掛かり、最初の出血前程度に視力・視野が回復したのは11月になっていた。 それでも、自力で運転して動き回れるのはどれほどの湯ロコ日だったろうか・・・ 医者が良いが市内の【眼科】、【消化器内科クリニック】、【睡眠時無呼吸症候群クリニック】、隣町の【大学病院】とあるので、自力運転が出来ない間は【介護送迎サービス(有料)】やタクシーを利用せざるを得ず、待たされ子やら費用は嵩むし、大きなストレスとなっていたものだ。 自力運転が出来るようになって、快適な日常が戻りつつあったのだが、先月(4月19日)突如左目の出血が再発して大いに焦った。 昨年九月の手術を執刀したドクターの見立てでは『焼死体内液を人口素材に置換しているので、多少の出血なら1~2週間程度で元に戻る。但し、微出血は繰り返される』との事で【様子見】となっていた。 それから三週間後程度は順調に過ごしていたが、今週火曜日(5 月13日)夕刻、バソコン操作中に突然視野障害が発生したので、独自の確認法を試したら【真っ黒な線】が無数に現れていて【硝子体出血】の再発を自覚した。 今日は【眼科の予約日】だったので、前述の執刀医に事情を説明したら『ちょっと出血量が多いけれど、二週間我慢して。自然治癒しますから。只はねー、他の患者の例では一年間に五回繰り返した人もいるので油断はならない。』との事。『だったら如何する? お前ならどーする?』【タクシーアプリ、GO!!】(by 竹野内豊)(^0-)そんなワケで、またまた暫くネットを休むハメになりました。本人、酷く落ち込んでおりますが、二週間後に回復する事を念じて ♪時のすぎゆくままに~と、悟りを開いて過ごします。今日は【ランドル管】による視力検査は不可能だたので、【視力検査技師】の方が私の左目の直前に指わ翳して『何盆に見えますか?』とやったが、『じぇんじぇん、見えまへんがなー』『解りました。検査は止めましょう。』現在の【左目の見え方】(模式)※ 画像はネットより拝借
2025.05.15
去る4月19日(土曜日)に突如【左目硝子体内出血・混濁】を発症し、当日に眼科を受診していた。4月22日の眼科診察で、5月9日に【硝子体手術】を行う予定になっていて、5月1日に手術前の確認診察を行った所、執刀医より『現在の所、左目の混濁が徐々に薄れているので暫くこのまま様子をみて、改善傾向が続くのならば手術を回避できると思うが、如何ですか? 手術を望みますか、回避したいですか?』と問われたので、『出来るものなら手術は回避したいので先生の見立てに同意して、手術を回避して自然治癒に期待したいと思います。』と答えたら即座に『ようし、それで行きましょう。取り合えず【手術は無期限延期】にして、万が一悪化したら素早く対応致しますからご安心下さい。』との事で合意した。 その後も日々少しづつ改善が続ているが、不定期・断続的に微妙な出血が繰り返され混濁が完全に綺麗になっていないものの、一週間単位で記憶を辿ると徐々に回復している実感がある。 遡れば、5月1日の受診時には、視力が右=0.7左=0.6となっていて、これは昨年九月の手術前にほぼ等しい。今回の出血直前(4月上旬)の診察時(正常時)の視力は右=0.6左=1.0で、実にクリアな視力が得られていた。それが、今回の出血直後には右目=0.6左目=0.1以下だったので、感覚的には現状7~8割方の回復と思われ、もう暫く我慢したら完全回復が望めるのではなかろうかと【藁にも縋る思い】でR。当面様子を見て次回診察日(5月15日)の診察結果を待つ身だ。 今回の診察も、昨年九月の硝子体手術と同じ執刀医なので実情は理解されている筈なので、信頼感は強い。 運が良ければ・・・・このまま数日後には完全回復が期待できそうでR。 この先、5月29日(木曜日)には、自動車運転免許更新の【高齢者実習】があり、6月24日の誕生日までに【運転免許更新】を済ませたいので、当面、静かに、淑やかに、無理せずに生活して行くつもりだ。。。。
2025.05.06

昨年三月下旬に【左目の眼底出血】を発症し、自然回復に期待して半年ほど待ったが中々改善されないので、半年後の九月下旬に【左目の硝子体手術】を受け、ようやく視力が回復したものの、その後も【角膜】に傷がつくなどのトラブルがあり、その後も二か月ほど見え辛い状況が続いて12月になってようやく術前の視界・視力の回復に至っていた。 ところが、4月19日の起床直後に突然目の前が曇り著しい視力低下を招いたので眼科を受診した所、【硝子体出血・混濁】と診断され。『【執刀医】と相談して手術日を決めて下さい。』との指示を受け、4月22日に【執刀医】を受診して、5月9日(金曜日)に手術予定となった。【眼球(硝子体)模式図】※ 画像は、ネットより転用【硝子体出血・混濁】の概念※ 画像は眼科医の説明用資料より 昨年は、出血した血液が【硝子体内部】で黒い縞模様となって視野欠損を招いたが、今回は硝子体全体が混濁した状態で、まるで泥水の中から見ているよう、と言うか数メートル先も見えないほどの【濃霧】の中にいるようで、視界不良、視力低下が著しい。パソコン操作は大変に難儀で非常に疲れるのでネットサーフィンは当分の間休止致します。たった、これだけの文章入力に小一時間を要する始末です。
2025.04.26

【新型コロナウイルス】のパンデミックから五年、どうやら流行期は過ぎたようなので、五年ぶりに隣町に住む旧友と対面し久し振りにランチをした。 旧友は数年前に愛車を手放し、運転免許も【免許証】を返納していているので私の方から出向くことにして旧友宅の最寄り駅前で待ち合わせをし、近くのファミレス(【夢▲・日高店】)に向かった。 この店は、【新型コロナ】流行以前は年に数回利用していたが、【新型コロナ】の感染拡大の間、不特定多数の人込みを避けていたので、五年振りの利用だった。 店内に入った瞬間、以前とは異なり『店内の照明が暗い』と感じた。【店内の雰囲気】ランチタイム時にしては満席と言うワケではなく、概ね7~8割程度の混雑だった。 客席は、一列並びになっていて背後の席の客の椅子の背もたれがふつかる程度の狭さで少々窮屈な思いをした。 店内が薄暗いので、メニューを見るのも一苦労で、大きな文字の案内と画像を見て注文した。 注文はタブレットによる【セルフオーダー】、給水も【セルフ】、・・・そんなに人手不足かいな・・・・・・ 私は、【お刺身御膳】、友人は【桜エビのおこわ御膳】にした。 お味は、米も美味しく、刺身の鮮度も合格点ではあったが、そのお会計が、これも【セルフ・レジ】とやらで自分で端末操作をしなければならない。帰宅後にレシートを確認したら、な、なんと・・・・【今日の食事代】 『おい、おい、冗談じゃ、ねえ象!!』ファミレスのランチが一人ザッと2,000円かよ。都心の一流レストラン並みでねーの・・・・(都心の一流レストランも五年以上利用はていないが・・・・)この辺の片田舎では【ウナ重】が食えるゼ。 あの薄暗い中で、お膳の出し・下げ以外は全てセルフで、この値段は戴けない。 【夢▲】には、今後二度と足を運ぶ事はなかろう・・・と思った。
2025.04.10

気象庁の定義によれば、三月は【春】でR。 確かに、最高気温を見ると関東地方の場合、3月1日=19.9℃、3月2日=21.9℃と四月を通り越して五月中旬並みにまで上昇した。 ところが、明けて3月3日の【ひな祭り】には西から【南岸低気圧】が近づき、最高気温が夜中の1:21に記録された12.9℃で時間の経過と共に下がり続け、14:55にはこの日の最低気温=0.2℃を記録し、昼過ぎ頃から【今シーズンの初雪】となった。近所の【天気図】 近所の【積雪風景】2025年3月4日15時頃道路脇に積もり始めた降雪 明けて今日4日も冷え込み、最低気温は1:55に0℃を記録し、日中の最高気温も12:56の4.0℃止まりで、昼過ぎの14時ころからは再び降雪が始まった。 21時現在、地表面や、住宅の屋根などが真っ白く見えるものの、積雪量はまだ1~2cm程度と思われるが、このまま一晩中振り続けるともしかすると明朝には積雪が10cmを超えている可能性もあり、そうなると明日の朝は交通網が大騒ぎになる恐れがある。 天気予報は降雪は深夜までで、明け方には雨になるようだが、果たして如何なりますやら。。。
2025.03.04

運転免許(ゴールド)の更新が6月に迫っており、先日埼玉県公安委員会から【認知機能検査】を受けるようにとの通知が来ていて、今日受けて来た。 会場に9:50集合 とあるものの、駐車場は利用不可となっいたので、予め周辺地図で最寄りのコインパーキングに目星をつけて置いたが、幸いにも空きスペースがあり駐車する事が出来、そこから数百mを徒歩で移動し集合時間前に到着。 会場案内に従って当該検査室に入ると既に10人近い人がいて、検査を受けている人、これから検査を受ける人などが夫々会場の係員から指示を受けていた。先ず、書面に自分の氏名・住所・生年月日を記入し、運転免許証と共に提出するとほどなくして名前を呼ばれ席を移動するように促された。そこには、タブレット端末とヘッドフォンが用意されていて、ヘッドフォンを装着すると早速案内が流れ、幾つかの注意事項と検査の進行手順が説明された。【検査会場の雰囲気】 一通り、説明が終わると『それでは検査を始めます。タブレット端末画面の【次へ】をタッチして下さい。』で検査が始まった。 最初、四分割された画面に動物や昆虫などのイラストが表示され、一つ一つのイラストが強調され『これはライオンです。・・・・・・』と説明されるのをジッと聞いて記憶します。四分割されたイラストが合計4頁分(合計16種類)が次々と表示され、画面が切り替わって文字が記入できるようになった。 ここから検査の本番でイラストに何が描かれていたかを問われる。【検査問題の例】 しかし、とても全部は答え切れないが、全16パターンの内、半分程度しか答えられず、『ヤバイなー』とか思っていたら、一定時間が経過した所で強制的に『次に、手掛かりを出しますので思い出してご記入下さい。』となり、【家具】、【乗り物】、【果物】、【花】・・・・・などと一つづつ問われるので、記憶の中から文字にして回答。【手掛かり後の画面の例】 これも半分位記入したら突然『終了です。合格です』となったので戸惑っていたら後ろから係員の方が私の肩を叩いて『終わって結構です。ヘッドフォンを外して部屋の前の廊下でお待ち下さい。』との事だった。廊下の椅子に座って暫くすると係員が寄って来て、【認知機能検査結果通知表】【免許更新】までの流れを説明した書面を一枚渡され、簡単な説明を受けて、終了~【検査結果】今後は、二か月程度の後に公安委員会の通知に従って、地元の自動車教習所へ出向いて【実地試験】を受け、誕生日までに最寄りの警察署で更新手続きをすれば良いようだ。
2025.02.25

いつも【晴れ晴れ日記】をご笑覧戴いている皆様、新年、明けましておめでとうございます♪新しい一年も旧年同様に宜しくお願い申し上げます。 一年前は、【龍】が暴れるが如く、元日早々に最大震度=7を記録する【能登半島地震】が発生し、多くの犠牲者と大規模な被害を齎したが、今年は全国的に穏やかな晴れ間が広がったようだった。 天気図を見ると、大略的には【西高東低】の【冬型気圧配置】ではあるが、本州の南岸に移動性高気圧があって、南から北へ温かい南風が吹き、晴れて風の無い穏やかな天気になった。1月2日の【天気図】1月2日の各地の【予想気温図】 昨日は、私にも年賀状が届いたが、その枚数は年々減少傾向にあって、【年賀仕舞い】を考えさせられる。 暮れには【喪中葉書】が二通あった。一通は、学友からで『妹が他界した』との事だった。もう一通は差出人名が女性だったので、最初解らなかったが、『夫、●● ●●が12月16日に77歳にて永眠した』との事だった。 この方は現役時代に在籍していた企業で経理課長をしていた人物で、兎角お世話になった人で、私とは二歳しか違わないので、ちょっとビックリした。 ところが、新年を迎えた昨一日にその本人名義の【年賀状】が届いた。えーっ、えええっっっっ・・・・・・恐らくご本人がご存命中に年賀状の準備していたのに、突然亡くなってしまったのだろうと推察される。ご本人からの年賀状には『昨年(2024年)8月より【人工透析生活】に入った』と記してあったので、急性心不全等による突然死かと想像された。恐らく、奥様が一番ショックを受けられたのではなかろかと案じる。 一年前には私の妻の実兄の嫁(義姉)さんが他界していて、いよいよ自分達世代の番がやって来たと自覚させられたものだった。暮れの喪中葉書の一通も私と同世代の妹さんであり、私より若かった筈だ。そうかと思えば、推定年齢90歳近い知人からは相変わらず元気な年賀状が届けられている。今の時代、七十代での逝去は早いと思われるが、八十に近づくほど寿命に近づいているものと自覚しておく必要がありそうだ。【生存を 知らせる通知 年賀状】
2025.01.02

言い尽くされた言葉ではあるが、【月日の経つのがとても速くて】、今年も今日を入れて残り後四日にまで押し迫って来た。 今年は春先から【異常気象】が発生していて、【桜(染井吉野)】の開花は各地で観測史上最速を記録し、五月初旬には気温が25℃以上の夏日も早々と観測され、この暑さは10月上旬まで続いた。【2024年 東京の気温分布図】※気象庁WEBSITEより転用・加筆。 この高温傾向は、11月になっても続いたが、流石に12月に入ると例年並みの冷え込みが始まり寒い冬になりつつある。 気象庁の長期予報にると、1~2月は例年並みの気温で推移しそうだが、三月はれいねんよりも温かい傾向で、来年も【桜(染井吉野)】の開花が早いと推測されている。 一方、個人的には人生・最悪の一年だった。三月下旬に左目の眼底出血によって、視野障害、視力低下が生じ、ついには発症半年後となる九月下旬に【硝子体・白内障】の手術を受けたものの、術後の回復に手間取り視野め視力の回復までに都合凡そ九か月を要して、12月上旬になってようやく発症前の視力に近づいたもので、その間、見え辛く苛々する日々が長く続いたものだった。 視力障害、視力低下がこれほど辛く厳しいものだと思い知らされた。【視力の推移】3/12【眼底出血前】 右=0.4 左=1.23/28【眼底出血直後】 右=0.4 左=0.64/11【発症二週間後】 右=0.6 左=1.0(↑無事、上手く行ったと思ってた)5/30(発症二か月目) 右=0.4 左=0.5※ この頃の見え方は振り出しに戻ったような憂鬱さだった。 これは、患部の左目の角膜にドライ・アイによる傷がついた為でその後11月下旬頃まで見え難い状況が続いていた。12月に入って、角膜の傷が修復されたのか見え方の自覚が良好で、12月26日の診察では視力が右=0.6 左=0.9までに回復していて、主治医より『ようやく回復しましたね。術後に追加した目薬の全ては使い切り終了として下さい』との指示が出て、ようやく、ホッとしたものだった。この間本当に長い月日で毎日苛々が連続するストレスフルな日々を送っていたがやっとこさ、無罪放免となった。 左目の不具合の間にも部位の異なる血管障害等の治療を受けたり、突き指で右手中指の爪の中が内出血したりと、踏んだり蹴ったりの日々を過ごしていた。 それも、これも12月に入ってほぼ一年前と同じような健康状態に戻りつつあって、来年に明るい兆しが見えて来た。 世間的には、五年間続いた【新型コロンウイルス】の流行が下火になりつつあって、11月には地元の航空自衛隊・入間基地で四年振りに【入間・航空祭】が開催され、【ブルーインパルス】の曲技飛行も実施され、【コロナ禍】から日常生活が戻りつあると実感した。【ブルーインパルス】の曲技飛行※ 上記画像は、ネットより転用。 そして、10月1日には、岸田総理の辞任に伴い、石破茂氏が自民党総裁に選出されたが、引き続き行われた【衆議院の解散総選挙】では自・公与党が大敗を喫し、衆議院での過半数割れとなり、少数与党となったが、野党の連合が適わず、政権交代に至らなかったのは不幸中の幸いであった。【石破内閣の誕生】※ 上記画像は、ネットより転用・加筆 近年の【晴れ晴れ日記】は病気の話題が大かったが、来る新年は何とか明るい話題に満ちたものとしたい。 毎度ご笑覧戴いている皆様にも平穏な日々が続きますようにと祈願しております。例年より大幅に遅かった【富士山の初冠雪】※ 上記画像は、ネットより転用
2024.12.28

昨年の12月17日に突然告げられた義姉(妻の実兄の奥さん)の逝去。 急遽、12月19日に告別式が予定され、今年3月20日に納骨式も済ませていた。 月日の経つのは早いもので、12月14日に【一周忌】を執り行うとの連絡があり、妻と長男の三人で出掛けた。 長男が大きなワンボックスに乗っているので、今回も便乗させて貰って、私は楽をさせて貰った。 11時に菩提寺に集合し、経堂内にて読経の後、山の上にある墓前で再度読経し、都合小一時間ほどで終了し、昼食会場へ移動。昼食会場は三月の納骨式と同じ【シャトー・勝沼(かつぬま)】(↽外部リンク 別窓)でフレンチを戴いた。【シャトー勝沼】の概観イメージ【全景】【全景】【小高い山の中腹に立つ】【レストラン内からの眺望】【お料理のイメージ】メイン・ディッシュが魚料理だったので、白ワインをグラスで一杯頂きました。※ 上記の画像は、【シャトー勝沼】WEBSITEより転用。【菩提寺の墓前近くから見た甲府盆地の風景】【まるで自分が育った土地のように懐かしく、大好きな景色】【大善寺・経堂】※ 上記画像は、ネットより転用。 私の家系とは少し距離のある親族たちはみんな控えめで上品で、独り目立つ【仕切り屋】のような人物が一人もいなので、終始穏やかで和やかなひと時を過ごせた。 また、一年後の【三回忌】に顔合わせしたいと願うばかり。。。
2024.12.14

JRAの競馬(馬券)ファンである。 JRAの【GⅠ】に的を絞って購入している。 下手の横好きで中々的中出来ないが、年に数回万馬券を的中させている。今日は、京都競馬場で行われた【阪神ジュベナイルフィリーズ】(2歳牝馬戦)であったが、データの少ない二歳馬戦、しかも成績にムラの大きいと言われる牝馬戦なので、過去にこのレースが的中した記憶はない。ところが、何と今日は珍しくも的中したのだ。 私の馬券は、【馬・単】の裏・表をボックス買いで、購入点数が増える傾向にあるので、ひとレース辺り最大6頭=30点購入と決めている。つまり、配当も30倍以下では赤字になる。 これまでの的中の馬券のほとんどがこのパターンで、的中しても累積赤字の無限ループに陥っていた。 今日は【配当金】競走結果については、【JRA】WEBSITEより子確認願います。を見事に射止めた。3,000円の投資で18,180円の配当なので、凡そ15,000円のプラスになり、今年前半の赤字の半分近くと回収できた。 【JRA・秋競馬】においては、先日の【天皇賞・秋】(10月26日)でも万馬券を的中(馬単・7-4=13,560円)させていて、秋競馬はまずまずの成績になった。 JRAのGⅠレースはこの後、12月15日 朝日杯フューチュリティS(GⅠ) 二歳・牡12月22日 有馬記念(GⅠ)古馬・雌雄混合12月28日 ホープフルステークス(GⅠ)二歳・牡が予定されている。いよいよ、一年の決算が出るので、何とか黒字にしたいが、残り三レースの内、2レースは二歳馬なので、予想は難しい。
2024.12.08

当日記では、過去にも何度かご報告させて頂きました【左目の眼底出血】⇒【硝子体手術・白内障手術】についての近況をご報告させて頂きます。 事の発端は、三月下旬頃の【左目眼底出血】で、初期診察段階では『皮下の内出血と一緒で、2~3週間程度で吸収されて元に戻る。』と言われたが、三週間経っても症状に改善が見られなかったので、同じクリニックの別の医師の診察を受けたら『出血量が多く、回復までに半年~一年位要する』とショッキングな診断をなされた。同じ症状でも医者によってこれだけ見解の相違があるのだ。↽コレ、大事。その後、半年経っても明瞭な改善が見られないので、後診の医師に『本当に治るんでしょうか?』と問い質すと、『これ以上待つのは辛いでしょうから、少し大きな手術になりますが【硝子体手術】をしましょう。』との提案を受け入れて、9月下旬に手術を受けた。術後三日目辺りから目の見え方が劇的に変化したので、『ついに、ようやく治った象』と内心喜んでいたら、一週間後に突然再び見え難くなったので、受診したら『角膜が傷だらけです。これじゃあ見え辛いでしょう。目薬を処方します。』と言って新たに二種類の目薬を処方された。【角膜】の様子【眼底出血の見え方】(視野障害)【白内障の見え方】(一例)(一般道路) (信号機の例)(幹線道路の例)(郊外の景色の例)(視力検査の例)(手元:スマホ)の例(高速道路の例)※ 上記の画像は、全てネットより拝借したものです。 その後も一週間置き、二種間置きに受診していたら、術後丸二か月経過した12月に入ってからようやく眼底出血前の視野・視力まで回復したように感じるようになった。それでもまだ、左目の下半に膨満感 (ハレ)を感じるし、軽い痛みや違和感もあって、全面回復とは言えない。しかし、当面の日常生活に何等の不便も感じないし、見え方が悪かった頃のような酷い精神的ストレスもなくなった。前回診察時のドクターによれば『後一息の辛抱、頑張りましょう』との事だったので、それを頼りに完治を願っている。 これまで、【手術までの半年間】 + 【術後の角膜損傷】で都合八か月ほど辛く苦しい体験をしたので、それに見合うお返し、ご褒美にめぐりあいたいものでR。。。。
2024.12.07

今日は、昨夜来、台風由来の低気圧による強い雨も止み、朝から雲一つ無い【完全なる晴天】となった。 11月3日は、毎年地元の【航空自衛隊・入間基地】の【入間航空祭】が行われ、展示飛行の一つに【ブルー・インパルス】の曲技飛行がある。 ブルーインパルスの曲技飛行は全国各地で開催されているが、首都圏ではこの【入間基地】だけなので、開催される時は毎回凄い人出となる。 私は、地元民の特権として、自宅近くに無料の特等席があるので、混雑する事なく写真撮影を堪能できる。 今年は、【新型コロナウイルス】の流行以来、五年振りの開催だそうで『来たかチョーさん、待ってたホイ!』である。 風は北寄りで冷たく感じたが、気温が22~23℃あったので、絶好の観覧日和となった。 【秘密の特等席】なので、詳しい場所の説明は省略するが、【新型コロナウイルス】以前は見物客も近所の人々を中心に20~30人程度だったが、今年は五年振りと言うのと、絶好の天気に恵まれた所為か100人近い人々が集まっていた。←これは凄い人出でR。。。。。 さて、写真撮影だが、前日に確認し忘れていたので、いざ撮影と言う段になっらバッテリー切れでピクンとも動かない。 予め、バッテリー切れを想定して予備バッテリーも持っていたが、何とこれもチャージ切れで、結局今年は絶好の快晴で写真撮影日和だったのに、自前撮影は断念して綺麗な青空と華麗な曲技を脳裏に焼き付けることに専念した。 これで終わったらご笑覧戴いてる方々に大変失礼なので、ネット上から拾い集めた画像を何点か転用致します。【ブルーインパールス】の曲技飛行五年振りで生の実技を見学したが、やっぱりコレは毎年生で見学したいもので、来年も是非見学したいものでR♪ そして、来年こそは事前の準備を確り行って自力撮影したいものです。
2024.11.03

まさか、こんな事になろうとは夢にも思わなかった事態に陥っている。 『何だい、どうしたって言うんだい』とご心配の向きもあろうかと存じますので、ご報告申し上げます。 実は、去る9月27日に受けた【硝子体む手術】の術後経過が思わしくないのでR。。。 術後一週間目の診察時には【ハッキリ、クッキリ】信じられないほど 明瞭に見えていてすっかり安心しきって生活していたが・・・・ 手術二週間後の10月10日午前、パソコン操作中に突然見え方が悪くなり、目の表面に軽い痛みを感じるようになった。 丁度その日の午後に【術後二週目】の診察予定が入っていたので、再診したら視力が著しく低下していた。手術後七日目【10月3日の視力】右=0.5 左=1.2【10月10日の視力】右=0.4左=0.3 これはヤバイ。これじゃ元に戻ったちゃったではないか・・・その後、医師の診察を受けたら、執刀医とは別の医師ではあったが、【角膜(結膜)に傷が一杯付いていますが、直ぐに治るから心配要りません。】との事だった。 今度は10月17日に執刀医による【術後三週間目】の診察予約があったので受診すると、やはり、【多分、目 (角膜=結膜)を強く擦ってしまったと思われ、角膜(結膜)に傷が一杯付いていて見え辛くなっているが、徐々に良くなるので心配要らない】との説明で、新しい目薬を処方された。【角膜の傷の例】【角膜(結膜)表面の写真の例】10月17日の視力は右=0.4左=0.7と,僅か乍も改善が見られるので安心材料とはなった。 一時は【元の木阿弥】かと大いに落ち込んだが、とうやら時間が解決してくれそうとの事で一安心だ。 術後は、当然目の保護に努め、擦ったりしないように気を付けてはいたが、無意識の内に擦ってしまったのであろう。 これは自業自得で、もっと神経質に細心の注意を払うべきだつたのだろう・・・兎に角、見え辛いと言う事は大変憂鬱で、鬱陶しくてストレスフルなので、一日も早くこの状況から抜け出したいものであるが、普段の行いが悪いのか、中々思うに任せない。 妻からは、『そろそろお祓いに行ったら・・・』と促されたが『ワシャー、そんなもんこれっぽっちも信じていないから、時間経過を待つのみ』と強がったものの、内心【どこかへ出掛けようか】と思ったりした(典型的な神頼み)普段、心の中では【神も仏もあるものか】と考えているくせに・・・我ながら恥ずかしい。。。眼底出血発症から七か月以上が過ぎたのだからもういい加減勘弁してくらはい。。。『ア~~メン』
2024.10.19
9月27日(金曜日)、三月下旬に発症した【左目・眼底出血】の手術を受けた・ 今回は、『ついでに』と言う事で『左目・白内障』の手術も同時に行った。 手術は、最初に白内障のレンズ交換を済ませた後、硝子体のクリーニングが行われた。 局部麻酔なので、意識はあるし、時々眼底をペン先で押されるような痛みも感じたが、予想より早く終わったような気がした。術後に看護師さんに『手術時間、短かったようですね。』と問い掛けたら、腕時計を見ながら『そうですねー。一時間の予定でしたが、実際には45分しか経過していませんねー』との事だった。 術後は厳重に【眼帯】を施され、顔の半分が隠れるほどだったが、半年ほど片目に近い生活をしていたので、特に不自由は感じなかった。 それでも、術後三か月程度は数種類の【目薬】を頻繁に点眼する必要があり、相当煩わしい。 今日、術後七日目の診察を受けて来たが、『検査確認し全て順調ですが、一部小さな出血が見られるので、一週間後に再度レーザー処置しましょう。』との提案たったので、承認してお願いした。 今日は眼圧、視力も測定したが、眼圧は左=5、右=7で『大変結構です。』との事。 問題の視力は左=1.2、右=0.5で、ほぼほぼ発祥前と同程度となっていた。『ホッ』としたぜい。。。視力の凡その経時変化を比較すると、発症前【3月12日】 右=0.4 左=1.2発症当初【3月28日】 右=0.4 左=0.6手術直前【9月27日】右=0.5 左=0.4手術後七日目【10月3日】右=0.5 左=1.2となっていて、発症前とほぼ同じ結果となっていた。これを聞いた瞬間、『ヤッたぜ、カトちゃん!!』 じゃなくって、『ヤッたぜ、晴れちゃん!!』『これで、やっと、半年間の苦労から抜け出せる』と『バンザイ』を叫び位ほど嬉しかった。 ビールで乾杯でもしたい所だが、【睡眠時無呼吸症候群】で禁酒中なので、それはお預け・・・何よりも、自力で運転が出来るっのが最大の喜びだ。この半年間、有料の【NPOのお出かけサポート】や【定期通院している病院の無料送迎バス】などのお世話になって来て、大変助かりもしたが、待ち時間が長かったり、時には送迎を忘れられて、仕方なしに片目の状態で自力運転して通院した事もあるなど、大変不自由なストレスを抱えていたので、身も心も【ス~~ッ】と軽くなったようだ。 今週月曜日の、【術後三日目の診察】を受診した際に、院長より『右目はやらないんですか?』と問われたが『主治医からは何も言われて居ません』と伝えたら『もう、やった方が良いと思いますよ、次の診察時に●●先生と相談しみて下さい。』との指示があった事を主治医に伝えたら、『右目はまだ暫く大丈夫でしょう。経過観察しましょう』との返事だった。 これまでにも、何回か体にメスを入れられ、その都度怖く辛い経験を重ねて来たが、白内障手術は【手術】とは言うものの、実際は【処置】のようなものと感じられるので、次回があっても避けたいとは思わないし、むしろ、こんなにハツキリ・クッキリ見えるなら積極的に買って出たいほどの心境だ。 それにしても、思わぬ突然の眼底出血から半年間、非常に辛くストレスフルな日々を過ごして来たものだが、今日の診察で終止符が打てそうだ。。。
2024.10.03
若い頃に、『仕事は段取り良く、手際よく先手、先手で処理すべし』と鍛えられて来たので、モタモタ、グズは大嫌いでR。 それは見方を変えると大変【せっかち】で、時としてあわてんぼうとも言えよう。外見は【完璧主義者】のように見えるようだが、実際はかんなりの【おっちょこちょい】で忘れ物が多い。 例えば、老眼鏡を掛けてデスクワークをしていて、外出の必要性が生じた時に、運転席についてから近眼鏡を忘れた事に気づき、一度部屋に戻るケースが屡々ある。 ある時は、ハンドルを握った時に『何か見え方がいつもと違うなあ』と思い眼鏡ほ確認したら、老眼鏡の上から近眼鏡をかけると言う器用な真似をした事も数回ある。 最近は富に【忘れ物】や、【紛失物】が多く、探したり、問い合わせをしたり、【双六】ではないが、一つ前の行動に戻って確認する事が多く、一日に同じ行動を何回か繰り返す事が増えて居る。 その都度、『また、無駄な時間を費やしている』と自己嫌悪になる よくあるのは、外出する時に近眼鏡や帽子をを忘れて、玄関を出て数メートル歩き出してから気づいて、【一つ前へ】戻ることまた、ある時はスーパーで買い物をして買い物がエコバッグ二つになった時に、一つだけ持ち帰って帰宅して片付けた時にようやく気付いて急いで店に電話して取りに戻ったことも数回ある。 また、ある時は銀行ATMで現金を引き出して、現金だけ持ち帰って通帳とキャッシャカードを置き忘れて来て、銀行から電話連絡を受けて慌てて引き取りに戻っると言う大変危ない思いもしている。酷い日には一日にコレを数回やる事があって、流石に落ち込んでしまう。 若い頃は【他人の二倍】仕事をしてきたが、今は、毎日同じ事を繰り返す事が多く、【他人の二倍、無駄な時間】を過ごしいるよぅだ。【他人の二倍仕事をして】、【他人の二倍無駄な時間を過ごす】 ああ、何と言う充実しした人生か・・・・・♪あ~~あ、やんなっちゃった あ~~あ、あん、あん驚いた(BY 牧伸二 ↽『誰、それ? と言うニッポ人の何と多い事か』)、※ 一部の学説によると、高齢者の【忘れ物、失くし物】は、老化現象で、必ずしも認知症とは言えないそうだ。。。
2024.09.14

今年三月下旬に突如発症した【左目の眼底出血】の回復が思わしくなく、ついに【硝子体手術】を受ける事とした。。 発症当初の診察では、A医師が『2~3週間程度で血液が吸収されて元の視力に回復するから心配無い。』と言われ、ホッとしていたが、その数週間後に別のB医師が診察を行い、『出血量がかなり多かったものと見られるので、回復まで半年~一年位掛る可能性と、後遺症が残る恐れがある。』と、A医師の見立てとは大幅に異なる見解でがっかりしたものだったが、それでも自分に都合の良いA医師の診断に期待を寄せていた。 しかし、発症から五か月が経過した先日の診察でも私の自覚通り、回復が思わしくなく、『このままでは日常生活に支障が出るでしょぅから【硝子体手術】を致しましょう。』と提案され、受け入れた。そして、『白内障も何れ近い内に手術が必要になると思われるので、この際一緒に【白内障手術】も同時にやりましょう。』との事だった。 手術の所要時間は、【白内障】が10~15分程度、【硝子体手術】は凡そ1時間程度と見込まれるとの説明だった。 当方、眼科の知識は皆無なので、医師の提案を受け入れるのみだった。【眼の構造と手術予定個所】【白内障の一般的な症状】【白内障の手術法】【硝子体の手術法】 執刀日は医師のスケジュールにより、【9月27日(金曜日)】が指定された。 今後、手術までに事前診察、手術説明、術前診察等三回ほどの通院が義務付けられた。 更に、術後にも、術翌日、三日後診察、一周後診察が義務づけられ、当分眼科に通い詰めとなりそうだ。 一番困るのは、視界不良と視力低下によってマイカーの運転が制限される事だ。 特に、手術当日及び翌日は運転厳禁だそうで、タクシーに頼らなければならない事だ。 手術当日と翌日は眼帯をしていて、見え辛く危険なので、【必ず同行者と一緒に来るように】と念押しされた。あーあ、厄介な病気に罹っちまったもんだぜー・・・・・それでも、術後に確り視界・視力が回復してくれるのであれば有難いが、成否は【神のみぞ知る】であろう。。。。♪そんなーワケでー (BY 帰って来たヨッパライ のメロディー) 来月及び10月初旬に掛けてはネットもお預けする機会が増えそうだ。 現在の視界・視力ではテレビも視聴困難なので、時間潰しに苦労しそうだ。。。。※ 本文中の画像は、ネットより転用(一部、加筆・修正)
2024.08.31
相変らず【目の回復】が思わしく無く、日常生活に支障を期していて、この【晴れ晴れ日記】も、【彩の国雑感】も更新がままならない。 何れも、【レンタルBLOG】なので、長い期間更新しないと予告なしに削除される可能性があるので、苦しみ乍ら必死で更新している。 目の具合は、少~~しづつ、少~~しづつ快方に向かってはいるものの、例えて言うなら、【1日1mmづつ】と言った感じで、回復に向かっている実感は非常に薄く、一週間前に比べると幾分回復したかな、程度な上、一月後に思い出すと前月と同じ程度の状態とも思えるややっこしいもどかしさが繰り返されている。 さて、本日の本題だが、例年梅雨明け数日後には自宅周辺でも【蝉の鳴き声】が聞こえるものだが、今年はまだ私の耳に届いていなかった。 所が今日、地元市の中心とも言える狭山市駅に隣接したクリニックを受診した帰りに、クリニックの玄関を出た瞬間『ミンミンゼミ』の鳴き声が響き渡っていた。 周辺は市街地のド真ん中で、マンションが林立している地域で建物はコンクリートに、道路はアスファルトに囲まれているのにだ‥ この市街地に比べれば、我が家の周辺の方が、住宅は密集しているとは言え、多少の木々はあるし、地面も土の部分が多い。 ♪ああ、それなのに、それなのに・・・・ 蝉さんも、片田舎暮らしに飽きて都会を目指すようになったんかなあ・・ほな、アホな・・・・・・・ まあ、それでも今年も【蝉の鳴き声】が聞けてこの一年を過ごせたを実感する。 一方、【コオロギ】は実に律儀で、今年のような【過去に経験のない猛暑】続きの夏でも、冷夏の夏であっても、旧盆の頃になると確実に啼き出す。 今年も15日のお盆の日に『例年ならそろそろコオロギが啼き出す頃だね』と妻と話していた所、【噂をすれば影】ではなかろうが、その二日後の18日夜に庭の片隅から“かんなり”大きな音量でコオロギが啼き出した。 窓に近づくと、目の前の【ツツジ】の茂みに居るようで、部屋の中までダイレクトに響き渡って来て、煩く感じるほどだった。 子供たちの夏休みも残す所10ほどとなって、ポンコツ爺は、今年も何とか【夏を乗り切れ】そうでR・・・ジャンジャン♪※ パソコンのモニターをルーペで確認しながらの作業でした。
2024.08.20

この【晴れ晴れ日記】も昨年後半位からは病気の話題ばかりで申し訳ございません。 今回は、去る3月28日に眼科医によって確認された【左目眼底出血】の最新経過についてご報告させて頂きます。 最近の自覚症状は、ゆっくり、少しづつではあるが全体的には改善の方向にあるように思われる。 この事は、先日の7月11日の診察結果からも裏付けられた。視力検査の結果は【3月12日】(発症前・平時) 右=0.4 左=1.2【3月28日】(発症当初) 右=0.4 左=0.6【4月11日】(発症二週間後) 右=0.6 左=1.0【4月27日】(発症一ヶ月目〉 右=0.7 左=1.0※ この頃は、あわよくば早期全治かも と淡い期待があった。【5月11日】(発症六週目) 右=0.7 左=1.0【5月30日】(発症二か月目) 右=0.4 左=0.5※ この頃の見え方は振り出しに戻ったような憂鬱さだった。【6月13日(発症10週目)】右=0.4 左=0.5【今回7月11日(発症14週目)】右=0.4左=0.5と、視力自体は前回(6月13日)の結果と同じではあるが、医師の診察では『濁りは、大分減って全体に薄くなってますね。良い傾向だと思います。』で、前回診察時に『次回の診察時に改善が見られなければ、硝子体手術の検討をしましょう。』とのであったが、『硝子体手術の必要性は薄くなっています。また一か月後に診察しましょう』だった。【眼底出血】の概念【眼底写真の例】※ 上記の画像は、ネットからの転用に加筆。 【眼底出血】に対する積極的な治療は行わずに、保存・自然治癒と言う気の長いものだが、初期の段階から『治癒までに半年から一年位掛るかも知れず、後遺症が残るケースも考えられる。』と言われていたので、発症半年(約24週)位までは、我慢比べ(誰と何を?)と腹を括っている。 とは言え、視野障害、視力低下は日常生活に相当な負担なので、毎日心の底で『早く治ってくれ』と祈るばかりでR。。。 全く、『何でこんな事になっちまったんだー』
2024.07.13

昨年三月に地元病院の内科受診をして【睡眠時無呼吸症候群】と診断された。 きっかけは、夜中睡眠中に突然バカッとばかりに目が覚める事があり、その回数が徐々に増えていた。 そんな折、とある報道番組の特集で【睡眠時無呼吸症候群】を扱っていて、『もしかして自分の症状と似ているかも』と思い、【思い立ったが吉日】で、内科受診となり自宅で簡易判定できる装置を貸し出され測定し、病名が確定した。 病名が確定すれば、必然的に治療法を指示される。【現在の主な治療法】このように現在の主な治療法は、【CPAP療法】、【マウスピース】、【外科的手術】に大別され、私の場合は【CPAP(シーパップ)療法】が選択された。 【睡眠時無高級症候群】の概要【発症前】(大鼾)【診断の手順】【CPAP療法のしくみ】【CPAPの機器】【本体】【ヘッドギア と 吸入口】【CPAP装着例】【CPAPのメカニズム】【CPAPの診断】私の場合、初診直後は【睡眠1時間辺りの無呼吸と低呼吸の合計回数(AHI)】は、37回と言われ、ビックラこいたものだった(よくも死なずに生き延びていたものだ・・・)。【AHI】とは、は睡眠時無呼吸症候群の重症度を判定したり、診断するために最も大事な指標で、”睡眠1時間あたりの「無呼吸」と「低呼吸」の合計回数”です。その後、【CPAP】を装着するようになったら、【AHI】は次のように変化(減少)した。【2023年5月~12月の平均】=2.9回/時【2024年1月~3月の平均】=5.8回/時【2024年4月】=2.3回/時【2024年5月】=2.0回/時【2024年6月】=1.7回/時初診時の説明では、『AHIが2以下になったら正常なので、CPAPは止めても良い』といわれていたので確認したら、『中止するかしないかは本人の自覚症状次第です。』(えええっっ、そんなの素人の私が判断して良いのけっ。そんなんなら医者はいらんちゅーこんでっか? 医学的根拠に基づいた目安、っちゅーもんがあろーもんがああぁぁぁ・・・プンプン) 少し不安だったので、帰宅後にネット検索したら【睡眠時無呼吸症候群患者の死因】は、【突然死】が多いとの事だった。 資料を読むと早い話が【睡眠時無呼吸】によって【急性呼吸不全】となり夜中の睡眠中に亡くられるケースが多いようだった。 旅立つ本人は、その瞬間は苦しむだろうが、ほぼほぼ意識のない状態で【ポックリ】逝くのであろう。 【CPAP】を装着している限りそのリスクは相当低下するであろうし、特段の不快感や違和感もないので、もう暫く続けて装着してみようと思う。 生命に関わるリスクなのだから、何も自から死に急ぐ必要はなかんべ~~ フッフフ~~ン
2024.07.06

去る3月28日に診断された【左目の眼底出血】は初回診断から二か月半が過ぎたが回復速度は大変遅く、近況としては初期診断の一週間後の状態とほとんど変わっていないように感じれる。 初期診断からほぼ二週間置きに経過観察の受診をしているものの、何かの治療をしているワケではないので、それも当然の事だろう。 先週、6月13日の受診時の視力検査は、右目=0.4 左目=0.5で、前回(5月30日)の右目=0.4 左目=0.5と全く同じであったが、更に遡ると【3月12日】(発症前・平時) 右=0.4 左=1.2【3月28日】(発症当初) 右=0.4 左=0.6【4月11日】(発症二週間後) 右=0.6 左=1.0【4月27日】(発症一ヶ月目〉 右=0.7 左=1.0【5月11日】(発症六週目) 右=0.7 左=1.0【5月30日】(発症二か月目) 右=0.4 左=0.5【今回6月13日(発症10週目)】右=0.4 左=0.5 となり発症後、一ヶ月目と6週間目には左右両方共まずまずの視力で回復が順調のように感じられていたが、直近の一か月間は発症当時の視力に戻っていて期待は大きく裏切られた。 6月13日の診察時に『新聞も読めないし、テレビも見えず大変不自由な生活を送っている。』と訴えたら『著しく不便を感じるなら、少し大規模なものとなりますが、【硝子体手術】をするのが妥当ですが、もう少し経過観察をして一か月後に手術の可否を判断しましょう。』と言う事で合意した。一ヶ月後の次回までに少しでも改善がみられるように祈るばかり。。。【眼底出血の模式図】【眼の構造模式図】【眼球断面模式図】【眼底出血の一例】【眼底出血のメカニズム】今の心境は、それこそ【藁にも縋る思い】でR。
2024.06.16
左目の眼底出血が診断されてから丸二か月が過ぎたが視力の回復は一進一退を繰り返していて、一向に改善されないと感じる。 前回診察時に医師より『破れた血管の再発防止の為にレーザー治療をしましょう』と提案され、今日受療して来た。 “血管破裂”の予防の為とは言え、運良く【飛蚊】も消えてくれないかと淡い期待を抱いていたが、見事に交わされた。 レーザー治療は、最初瞳孔を開く目薬を三回に亘って調滴され、その後レーザー治療専用病室に案内されれ、痛み止め効果のある目薬を注滴後、直ぐにレーザー治療が始まった。担当医が『力を入れないで、何となくボーッと正面を見ていて下さい。痛かったら『痛い』と言って下さい』との指示に従って治療が始まった。強い光が当てられフラッシュが焚かれた瞬間眼底にズドンと銃弾を受けたかの如き(生憎、銃弾を受けた経験はないが・・・)『ズシン』とした軽い衝撃ずあって、レーザーが撃ち込まれた事を自覚する。 途中で医師がパソコンに映し出された眼底画像でレーザーの照射位置を確認しながら、都合30回程度繰り返し照射した。 時々同じ個所に複数回連打された時は強い衝撃と共に痛みを伴ったので『痛いです』と声を上げる場面もあったが、凡そ10分程度で終了した。 治療後には何の違和感も無く、即時の帰宅となった。これで同じ個所・周辺部からの再発のリスクは低減されたものと思われるが、生憎、現在の視力には関係しなかった。 今日のレーザー治療前の視力検査は、 右=0.4、左=0.5との事だったので、前回【5月11日】右=0.7 左=1.0と比べると改善処か悪化しているように見受けられる。 視力の状態は日によって、また、同じ日でも時間帯などにもかなりの差があると実感している。 見え方が悪い時は飛蚊模様が濃く、飛蚊模様の隙間も濃霧に覆われたように霞んで見える(ほとんど見えていないに等しい)ので、非常に神経を使うので異常に疲労を感じる。 調子が良い時は、飛蚊模様の隙間からハツキリ、明瞭に見えるので見え方の差が激しい。こうしてキーボードを打ち込む際もぼほぼ【ヤマカン】頼りなのでタイプミスが多く、非常に時間が掛かる。 この調子だと、以前診断されたように『修復まで半年~一年掛る』に信憑性が出て来たようで、憂鬱になる。 現在の視力のままでは車の運転も危険なので、地元・市役所の【総括支援センター】から【お出掛けサポート】(車による送0迎=有料)を受けているが、距離の短い市内の移動であっても往復利用すると凡そ3~4,000円程度掛かるので年金生活者にとっては大きな支出になるが、酷い腰痛持ちには自力歩行もままならず出費を重ねざるを得ない。 この状態が二か月以上も続いて精神的にも相当なストレスを感じ、苛々する事が多くなっている。 このような病態ですので、再度、ネットサーフィンを控えようと思いますので悪しからずお願い申し上げます。
2024.05.30
去る3月28日に確認された【左目の眼底出血】は、一ヶ月以上が経過しても明瞭な改善は見られず日常生活に支障が出始めている。 前回、4月27日の眼科診察では『回復まで半年~一年掛る』と言われたものの、心の中で【或る日突然】発症したんだから【或る日突然】治るのではあんまいかと淡い期待を抱いていたが、『そうは問屋が卸さない』『そんな甘い話は存在しない』と否定されようで、自覚的には発症当時から60~70%程度の回復状態と思われ、まだまだ不自由な状態が続いている。 私がネットサーフィンから一ヶ月以上も休止状態にも関わらず私を見捨てずに訪問書き込みしてくれるネッ友さんには感謝とお礼の気持ちで一杯です。 最悪の状態は抜けつつあるのと、毎日のように書き込みして戴いているネッ友さんサイトへはボツボツ顔を出したく考えております。 まだまだ万全ではないので飛び飛びのご訪問になろうかと存じますので悪しからずお願い申し上げます。(2024年5月12日 加筆・修正)
2024.05.09

去る3月25日に自覚して、3月28日に眼科医を受診した時に【左目の眼底出血。2~3週間で吸着されて元に戻る】と診断されていた。【眼球の模式断面図】 【飛蚊症】の主な症状 私の自覚症状は上図の全てで、視野の一番遠方にはWEBSITEの壁紙のように視界の全面に【砂粒状】の模様が固定されて広がっている。そして、その壁紙状のような模様の手前に【虫状】や【糸くず状】の模様(飛蚊)が分散している。これだけならば模様(飛蚊)の隙間から視界の確保が可能だが、視界の中央付近には【たばこの煙状】の【靄】があって視界を妨げている。 また、飛蚊模様の間も【たばこの煙状】が散在していて視野を妨げている。 ネットをしていて一番辛いのは、キーボードの文字打ち込みと、【マウスポインター】の位置確認で、これが一番キツく、疲れる。掲示板等で【書き込みボタン】を押したつもりが隣に配置されている【削除(取り消)ボタン】をクリックして、それまで苦労して打ち込んだものが一瞬にして消去した事が何度もあって書き込み意欲が失せてしまう。 発症自覚から一週間ほど経った時には発症時の凡そ50%程度まで回復しているように感じられ、【ホッ】と一安心していた。 事実、発症自覚から二週間後の4月11日の診察では視力の回復が証明された。【視力検査の推移】【3月12日】(発症前・平時) 右=0.4 左=1.2【3月28日】(発症当初) 右=0.4 左=0.6【4月11日】(発症二週間後) 右=0.6 左=1.0【4月27日】(発症四週目〉 右=0.7 左=1.0 これ等の視力は発症後の全てが飛蚊模様の隙間から辛うじて覗き見たもので、視力自体は確保されているようだが、その範囲はとても狭く焦点を合わせるのには毎回大変な労力を伴う。 この文章も朝の10時頃から始めて、昼食休憩を挟んだものの書き上りはこの時間(30日、18時)までかかっている。 上記のような事情でございますので、ネットサーフィンの休止を延長させて頂きます。 WEBの【レンタル日記】や【レンタル掲示板】の中には貸出し元の規定にもよるが一定期間に書きこみ(更新)が無い場合には利用者の確認無しに【削除】されるケースがあるので、現在使用中の【レンタル日記】や【レンタル掲示板】は適宜更新する必要があり、こうして必死に書き込みしている次第であります。 視力が正常な際でも誤字・脱字が多いのに、現状でも恐らく酷い誤字・脱字、変換ミスが多く大変読み難い箇所も多々あろうかと思いますが、『そこは一つ大きな心で見逃してやってくださいませ』・・・ また、【レンタル掲示板】の削除防止の為皆様には積極的な書き込みのご協力をお願い申し上げます。※ 当該文章中の画像はネットより転用、一部加筆・修正
2024.04.30
40歳を過ぎた頃から若い時の無理が祟って体の彼方此方に不具合が生じ始め、医者との長い付き合いが始まった。 その後、五十代、六十代と年代の壁を越える度に何らかの障害に遭遇し、新たな医者との付き合いが始まっていた。 特に、古希(70歳)を過ぎてからは一年毎に新たな不具合が発症続きとなり、三か所のクリニックに通院する他必要に応じ隣町の大学病院のお世話にもなっている。 先日3月24日(日曜日)の朝食後にパソコンでネットニュースに目を通していたら読み始めて30分ほどした頃に顕著な目の疲れを感じモニター画面に焦点が合わせ辛く感じたので『モニターに集中し過ぎて“疲れ目”になったかな』と思い、パソコンをシャットダウンして夜まで目を休める事に努めた。 夜に小一時間ほどネットサーフィンをしたが特別異常を感じなかったものの、25日(月曜日)起床した途端、目の異常を感知した。 それは、視野(視界)全面に顕著な【飛蚊症】が発症したのだ。 自力でおきている現象を具体的に観察したら、症状は二つの画面から構成されているようだった。 視野の遠方(先)にはネットサイトの背景(壁紙)のように一面に砂粒を散りばめたように不思議な模様が固定さたように広がっており、視点を移動しても微動だにしなかった。 しかし、その手前の画面には“大豆もやし”のようなものや、変形した四角形や楕円状の塊の間に細かい砂粒のような異物が視界(画面)一杯に広がっていて、こらは焦点をずらすと異物も同じように移動するので視野(視界)の妨げになった。 全体的には朧気ながらも何があるのか程度は識別可能だったが、確り確認しようと焦点を絞ってもそこに異物が映り込んでちゃんと確認する事ができなかった。 例えば、新聞などの大見出しは判読可能だが。記事の内容を読もうとすると異物が邪魔をして全く判読不能となったり、テレビ画面で人物が映し出されているのは感知するが、その人物が誰なのか識別しようと凝視しても顔の輪郭や目鼻立ちを識別する事が出来ず、テレビを見る必要性もなく、ひたすら静養に努めた。 一昨日(火曜日)は大学病院の予約があったのと、昨日は定期通院の日だったので本日(28日)にようやく眼科を予約外診察して貰った所、医者の第一声が『結論から言うと【左目の眼底出血】です。』と言う。ガ~~~ン・・・・・実は現在の基礎疾患発症時の初期症状が【右目、黄斑部の眼底出血】だったのだ。 【黄斑】は視神経の中核で視野・視力に大きく影響する器官で、ここをやられると失明に繋がる恐れが大と言う。事実、現在の私の右目は他人には全く気付かれないものの、局部的な視野欠損と、著しい視力低下が続いている。注視や凝視は不可能だが、周辺部はぼ普通に視認できるので、具体的・詳細な識別は左目に頼っていた。 ところが今回の視野障害で両眼とも焦点を絞る事が不可能となり、なんとなく深い霧の中にいるようなボヤけた状態で生活している。 パソコンで時間潰しをしようにも操作が難儀で非常に疲れる。私はキーボードのブラインド・タッチを習得していないので、現在の視野・視力で文字入力するのはほぼほぼ無理なので、ここは視野・視力が推服するまでの間暫くネットを休止せざるを得ない。 眼科医が言うには『眼底出血を早期に吸収する内服薬すがあるが、貴方の場合、基礎疾患かあって内服薬の使用はするべきでないと考える。従って内出血(皮下出血)などと同様に自然に血管内に吸収されるのを待つしか無い。恐らく2~3週間程度で吸収されて視野・視力とも元通り回復するでしよう。』との説明だったので、当面それを目安に暫くネットを休止致します。 いつも書き込みを戴いているご訪問の方々のサイトへは視野・視力の回復後に当方よりご挨拶に伺いますのでそれまでの間、悪しからず宜しくお願い申し上げます。 これだけの文章入力でもタイブミスが多く、数時間以上を要している次第ですので、どうかご理解のほど賜りたく存じます。それではこれより暫くネットを離れます。。。これをご笑覧の皆様も暮れ暮れもパソコンに集中し過ぎないようにご留意願います。
2024.03.28

昨暮れ12月17日に義兄(妻の実兄)の奥さん(義姉)が75歳の若さで急逝され、去る3月20日(春分の日)に【納骨式】があり、私の妻と長男、次男夫婦の四人で参加した。 数日前から天気予報が悪かったので心配していたが、当初2月に予定したていた時も天気予報が悪く中止した経緯があり、今回は強行する事となった。 納骨式は妻の実家近くの菩提寺で11時~行う予定となっていて、私たちは祝日の混雑も予想して一時間ほど余裕を持って8:30に出発したが、その頃は割とスッキリと晴れていて降りそうもないと踏んでいたが、開式直前に菩提寺到着した途端急な降雨となり、室内での読経の後骨壺を持って墓に移動する頃には土砂降りになり、ついには【霙(みぞれ)】交じりになる冷え込みようだった。 まるで、義姉が『私をお墓に入れないで。もう少しみんなと一緒に居たいじゃん』とでも叫んでいるかのような涙雨ではないかと悲しい気持ちになった。 お骨を収め全員で交互にご焼香を済ませる頃には雨も小降りとなり、納骨式の間だけ激しい降雨となっていた。 その後参加者全員それぞれに移動して市内に新しく出来た【シャトー勝沼】(←外部リンク 別窓)内にある【フレンチレストラン】で昼食をご馳走になった。 数年前までは市内にこんな気の利いた食事処はなく、親族の集合時には隣町や甲府市内まで移動する必要があったが、ここは妻の実家から車で5分程度の至近距離にあり、外観のお洒落な【ワイナリー】のようだった。 敷地内には【フレンチレストラン・鳥居平(とりいびら)】(←外部リンク 別窓)があって、本格的なフレンチが戴ける。 JR中央本線・【勝沼ぶどう郷駅】から約1Km、徒歩凡そ15分で、車では中央高速道・勝沼ICから約1.8Km、5分程度と交通の便も良い。【付近の案内図】 建物は大きく立派で店内も広々としていてフレンチレストランに相応しい清潔感と明るさに包まれる。 小高い山腹にあるので、2Fのレストランの窓側の席からだと甲府盆地が一望でき実に絶景だ。【シャトー勝沼】外観【フレンチレストラン・鳥居平 店内の様子】窓の外には甲府盆地の絶景が広がる。※ 画像は何れもリンクサイトより拝借・加工したものです。 勝沼は【葡萄の名産地】であり、秋には【桃狩り】や【ぶどう狩り】を目的として首都圏方面から大勢の観光客が訪れる場所で、駅近で交通の便の良い場所にこんなお洒落な食事処ができたので、同地をお訪ねの際は是非ご利用なさる価値があると思います。 ただ、店舗のWEBSITEにはメニューや料金などの細かい情報が無いのでお出かけ前に電話確認されると良いかと存じます(私は、同店の回し者ではありません)。 食事を終えて外に出た頃には晴れ間も見えて先ほどまでの真冬並みの冷え込みから一転してポカポカの初春らしい陽気になっていた。 ここで再び『やはり、先ほどの激しい雨は義姉の涙雨だったなあ』と感慨深いものを感じた。義姉の急逝から早くも三か月。そして『アッ』と言う間に一周忌がやって来るのだろう。。。 10年ほど前に、親族の子供世代が一通り結婚式をすませた時に私は妻に『これで暫くは親族が集まる機会も減るね。次は親世代の葬儀が続くんだろうなー』などとほざいていたのを思い出し、現実その通りに展開しているようだ。 そして何時の日か、自分も送られる側になっている事であろう・・・・
2024.03.24

退職後の生活は比較的マイペースでのんびりとした日々を送っているのでノン・ストレスで快適でR。 一方で加齢に伴う体力の衰えに起因する身体中の不具合や、基礎疾患の治療等医療機関にお世話になる機会も増えていて、診察・検査予約⇒検査⇒結果報告 等々の予約が増えているのも事実でR。 検査では多くの場合、数週間~ひと月~三か月先の予約もある。しかし、昨年末に義姉(私の妻の兄嫁)が突然他界した時は一連の葬儀で幾つかの予定をキャンセルしたり、変更を余儀なくして忙しい思いをしたものだった。 人の死はほとんどの場合が突然なので、葬儀等に出席しようとすると様々な日程調整が必要になる。 一連の儀式が落ち着いた頃、今度は【四十九日の法要】だ、【納骨式】だと連絡が来る。妻の実家は妻の父親の代から地元の寺の檀家なので、葬儀に関わる日程は事前に寺から連絡されるので、粗方の日程は寺の都合(主導)で決まるようだ。 この度は、『3月20日(春分の日)に納骨式をするので都合が良ければ参加して欲しい』との連絡が入った。 実は暇な年寄りにもそれなりに様々な付き合いもあって、野暮用と言えども予定はあって、先約よりも大事な予定が入った場合、先約をキャンセル乃至変更して貰う必要が生じ、これが結構七面倒くさいものでR。 仏儀に関わる行事は何よりも優先されるので、ほぼほぼ確実に先約の日程変更が伴う事態となる。 この日程変更が、特に病院などの検査絡みだと変更して貰うには何度かのやり取りが必要となり、一層面倒臭い。【高齢者のスケジュール】 昨年夏に私や妻の親たちの最後の一人を見送ったので、今度あるとすれば息子たちの配偶者の親たちになると踏んでいたので暫くは落ち着くものと思っていた所へ自分たちの兄弟の中から葬儀が出るとはコレッポッチも想像していなかったので、何かと慌てる事が多かった。 【周忌法要】を除けば葬式絡みの行事はこれが一区切りになろう。日程変更は一つを動かすと玉突きのように次々と連鎖して先々の日程にまで影響する事があり年寄りには結構シンドイ作業となるが、先立つ人を確りと見送らないとけじめがつかないので何とか遣り繰りして成仏を祈りたい。。。
2024.03.05

この時季、住宅密集地の我が家主周辺では青々とした葉っぱの間から橙色の実を着けた【ミカン】を見掛ける。次の二枚の写真を見て、何の実か正答できる方は数少ないものと思われる。【キンカン】【夏ミカン】如何でしょうか?両者を穴の開くほど眺めてもその違いを見分けるのは至難の業ではなかろうか? 両者の特徴を【季節の花300】(←外部リンク 別窓)より抜粋すると、【キンカン】(蜜柑科) 中国原産。1826年に、中国の商船が遠州灘(静岡県沖)で遭難し、漂着して清水港に寄航した際に、船員が、助けてくれた地元の人に砂糖漬けの金柑果実をプレゼントし、そのタネが育って、日本で広まった。7月頃に花が咲き、8月頃までに実ができる。実の表面はスベスベ。冬頃に黄色くなる。実のサイズは、みかんの小型タイプ。皮がついたままでも食べられる(よく洗ってから食べましょう)。のどあめとしても使われる。薬効 せきどめ、解熱薬用部位 実「金」は実の色から。「柑」は「柑子(こうじ)」でみかんの古名。「金橘」とも書く。別名=【姫橘(ひめたちばな)】【夏ミカン】(蜜柑科) 5月頃、白い5弁花が咲く。晩秋に黄色い大きな実がなるが、そのまま取らずに翌年の初夏までたつと樹上で熟し、酸味が抜けて食べやすくなる。本当の呼び名は【夏橙(なつだいだい)】だが、商品名としてはいまいちだったため明治の末頃から【夏みかん】と呼ばれるようになった。江戸時代中期に、山口県の仙崎(長門市)に漂着した果実の種子が夏みかんの起源。明治時代からは、仙崎の近くの萩地方へ、また、次第に全国に普及した。現在、山口県の県花になっている。薬効 食欲不振、神経痛薬用部位 果皮生薬名 「夏皮(かひ)」別名=【夏柑】(なつかん)、【夏橙】(なつだいだい)実の大きさは、凡そ10cm(≒成人・男性の握り拳)程度。 こんな真冬に夏ミカンが生り、酸味を抜く為に次の夏まで取らない事を知ったのは数年前の事でそれを知った瞬間は大変驚いた。。。 今でこそ、夏ミカンもキツイ酸味が無く美味しく頂けるが、思い起せば幼少の頃の夏ミカンはとても酸っぱく、砂糖をまぶして食していたものでR。。。(←果たして、そこまでして食する価値があったのやら・・・・)
2024.01.24

私の居住する【片田舎地方】は中々風光明媚な所でもある。 この時季、寒さのピークにあって見掛ける花も少なく、【パンジー】、【ビオラ】、【プリムラ】、【葉牡丹】程度と寂しいが、正月早々咲く花に【マンサク】(満作科)ずある。 幾つかの種類があって、新年早々に見られるのはひも状の黄色い花弁をした【支那満作】支那【支那満作】花の近くには前年の枯れ葉が残っているのが特徴。 春に他の花に先駆けて咲くので”まず咲く花”ということでだんだんと”まんさく”になっていったらしい。 また、花がたくさんつくので「豊年満作」から命名されたとも。 欧米でも人気があり、「魔女の榛(はしばみ)」という名前もついている。・「万作」とも書く。・細長いひも状のちぢれた花。黄色が鮮やか。赤い種類のものもある。 この、ひも状の花弁の様子が、踊り子の手足のように見えることから、古くから花木として庭などに植えられる。以上、【季節の花300】(←外部サイト 別窓表示)より。もう一つ、同じような時期に同じように黄色い花を咲かす【蝋梅】(蝋梅科)がある。こちらは花芯部が紅色がかった【蝋梅】と、花弁の内側も淡い黄色の【素心蠟梅(そしんろうばい)】がある。どちらも花弁は透明感があって、【蝋細工】のようと評される。【蝋梅(ロウバイ)】【素心蠟梅(ソシンロウバイ)】 開花時期は、12/25 ~ 翌 3/15頃お正月頃から咲き出す。花の少ない季節に咲く、うれしい花です。とてもよい香り。中国原産。日本には17世紀頃に渡来。「”蠟細工”のような、梅に似た花」から【蠟梅】の名になったらしい。 寒さや霜から身を守るために蠟細工状なのかな? また、臘月(ろうげつ:陰暦の12月)に梅に似た花を咲かせるところから、とも。 (「臘梅」の字で表わすこともある)。よく見られるのは蠟梅のうちの【素心蠟梅(そしんろうばい)】。花の外側だけでなく、内側も黄色いのが特徴。ふつうの「蠟梅」は内側がちょっと赤っぽい。以上、【季節の花300】(←外部サイト 別窓表示)より抜粋。 こんな片田舎からも富士山が眺められ、真冬の【真白き富士】は暫し目の保養でR。片田舎から見える【富士山】↑狭山市入間川・【新富士見橋】より↑住宅密集地の我が家付近から【不老川】越しの富士山。 その【不老川】は、埼玉県の所沢市、入間市、狭山市、川越市を流れる「不老川」は、昔から不思議と2月3日の「歳とり」の節分の頃になると、水の流れが止まり涸れてしまいました。(「歳とり」とは、旧暦で「年越し」のことをいいます⇒この時季は降水量が少ない為。)これを人々は、川が歳を取りたくないからだと噂しました。豆まきの晩、不老川の土橋の下で一晩過ごすと年を取らない、という逸話まで流れ、川の伝説にあやかろうという人まで現れました。これによって「不老川」=「としとらず」川と呼ばれるようになったそうです。【埼玉の伝説 】より(←外部リンク。別窓表示)。渇水した【不老川】の様子【平時の不老川】 そして、一つ【おまけ画像】。こちらは埼玉県小川町にある【乳首山】。正式名称=【笠山】です。お椀を伏したようなドーム状の先端に突起状のものがあって、遠目には女性の乳首のように見えるとの評判でR。【乳首山】(正式名称=【笠山】) 日々このような景色に触れられるのは精神の安定にも役立ち、その都度気分転換が図れて『絶妙かな~、絶妙かな~~~』
2024.01.18
今年の元日は穏やかな天候で明けたので、元旦早々から地元の神社へ初詣したものだった。 三十代までは我武者羅に、他人の二倍も仕事をして来たので、四十代になってその無理の反動が出て、次々と病に襲われ、結局会社を早期退社するハメになった。 その後、五十代、六十代と歳を重ねる度に体の不具合が発生し、今では、スケジュールのほとんどが通院予定となっている。 昨年暮れ頃から夜中に突然勢いよく目覚める事があって、寝不足から日中に無性に眠くなって困っていた。 そんな時、とあるTV番組で【睡眠時無呼吸症候群】の特集を放映していたので、何気に見ていたら、どうやら私の症状に酷似していると感じたので暫く様子を見てからネットで【睡眠時無呼吸症候群】の診察・治療をするクリニックを探したら、近所の行きつけの病院で対応しているのが判ったので三月上旬に受診した。 診察の結果、『睡眠時無呼吸症候群にほぼ間違いない』と診断され、【携帯用酸素吸入器】による確認テストを行った所、一晩に34回もの【睡眠時無呼吸】があって、『命の危険がある。』との事で睡眠時に常時装着する酸素吸入器【CPAP】を手配された。 経験者の話だと『CPAP』装着後は今までにない熟睡が得られるとの事だったが、私の場合、夜中に寝返りを打つ際に【CPAP】のヘッド・ギアがズレて、吸入器と顔の間に隙間が生じ、そこから大量の空気が漏れて『シュー、シュー。ゴーゴー』と激しい音を立て、その騒音で目が覚め、返って寝不足を生じていた。その症状は今も続いている。 かれこれ10カ月ほど利用していて、最近では一晩に2~3回程度に減少しているが、それでも完全に止まったワケではないので、医師からは『少なくとも一年間、来年三月まで、若しくは最長でも三年間程度様子を見ることになるでしょう』との診断が出ている。 更に、六月に受けた【誕生月定期健診】の【腹部CT検査】において、【盲腸壁の肥厚】を指摘され、隣町の大学病院を受診した所、予約制で二か月後のハ月下旬に【大腸・内視鏡検査】を行う事となった。 その頃は愛車に不具合が生じていて、11月の車検を通すには10万円近い修理費を掛ける必要があり、『この際、サポート付きの新車に乗り替えよう』と検討している時期でもあり、二つのイベントが重なりクソ暑いさ中、大変忙しい思いをしたものだった。 結局、様々な検討結果より、サポートの充実した新車を購入する事にしたが、予算的に厳しかったので、生涯初の【軽自動車】を購入する事となり、二か月後の11月16日に納車された。 愛車の方は一段落したが、八月下旬に受けた【大腸内視鏡検査】では、九月下旬に細胞検査の結果が出て、【盲腸癌】と診断された。 【癌の治療法】は、(1)・摘出手術(ゴールデン・スタンダード だそうです。)(2)・化学療法(放射線療法)(3)・薬物療法(抗がん剤療法)に大別されるようだ。 私は医師の提案を受け入れ【手術による摘出】を行う事とし、11月上旬に入院して、12日間の入院後退院した。 術後の経過も良好で今日現在、何の支障もなく平穏に過ごしている。 今年は、下手をすると命の危険があった病を二つ罹ったが、何れも事なきを得て今日を迎えられた。 目出度し、目出度し・・・さて、今年も一年間【晴れ晴れ日記】をご笑覧頂きまして誠にありがとうございました。『ニッポンの皆さん、』(BY アサヒ・生ビールのTVCMの新垣結衣さん)来る新年も【晴れ晴れ日記】をご笑覧のほど宜しくお願い申し上げます。
2023.12.31
先日の12月17日(日曜日)19時過ぎに一本の電話が入り妻が出たのだが、電話の相手は妻の実兄かららしかった。妻が『えっ、』と言ったきり急に神妙になったので、良い話ではなさそうだ、と覚悟した。 受話器を置いた妻の口からは『●●さん(義姉)が亡くなられたそうよ。』との事だった。私も妻同様に『えっ!!』と絶句してしまった。私よりも二歳年上なのに、いつでも私の事を『晴れさん』と【さん付け】で呼び、小柄ながらもいつも元気一杯な働き者だった義姉。。。。。 妻は電話口で、【葬儀の日程】を聞かされたようで、必死にメモを取っていた。聞けば、【12月19日=お通夜、12月20日=告別式】との事らしい。 おい、待てよー。俺は20日に予定が入っているゼ。困ったなー・・・・お通夜と告別式のどちらか一方だけで済ます事も可能だが、そうなると普通、告別式の方になろう。そこからは日程調整で大わらわだ。折しも年末とあってスケジュールが立て込んでいる所での日程変更だから一層の事難しい場面となったが、何とか遣り繰りして告別式に参加する事が確定した。 そうしたら、今度は妻が『貴方の運転じゃ何かあったら怖いから、長男か次男の何方かに連れて行って貰うように頼んで』と宣う。 息子たちだって、年末の業務多忙期に簡単には動けまい。。。また、。また、困った。結局、長男は【親の死に目】でさえ、難しい立場ななので出席を見合わせると言う。夜遅くになって次男が『何とかするので、俺が家に迎えに行く』との返事を貰い、スケジュール調整と“足”の確保が済んだ。こうして12月20日の告別式当日、告別式会場(山梨県)まで片道2時間と予測して自宅を出発。 告別式会場は葬儀の専門会場で場所は解り易く、迷わず到着できた。 告別式は予定の時刻より始まりその後、引き続き【初七日】の法要も摂り行われた。 祭壇に飾られた【義姉】の写真は五年前に出掛けた【春の東北旅行】時のもので、満開の桜の下で微笑む優しい表情で、私たちにいつも見せてくれていたのと同じだった。 その遺影を見つめていたら,過ぎ去りし日々の色々なシーンが思い出され、涙がホロリと零れた。 おまけに、鼻水まで垂れて来て色男が台無しになった。。。私の知る義姉はいつもきびきびと動き回り、『晴れさん、お茶どうぞ。お菓子も食べてねー。お新香はウチで漬けたものだから味は保証できんけんど、良かったら手を出してねー』と気遣ってくれた事も思い出した。 二人の子供は奇しくも我が家と同年生まれなので、子供たちが小さかった頃は夏休みとか正月休みには一緒に過ごす事が多かったが、家業の忙しい中を甲斐甲斐しく面倒を見てくれ、一度として不愉快な思いをした事がなかった。 そんな、過去のアレ、コレが走馬灯のように去来し、またまた、涙が溢れて出して止まらなくなった。 義姉の配偶者である義兄を見ると、気が抜けたような呆然とした表情だ。それもその筈。一番ショックを受けているのは義兄を置いて他には居まい。その義兄が言うには『亡くなる一時間前までは俺と普通に会話して家事もやつていた。俺が会合で出掛けたら電話が鳴って、コレだもん。病院着いたらもう遅くて死に目には会えなかんだ。』との事で、【急性心不全】らしい。『事前の自覚症状は何もなく、持病も無いので医者にも掛っていなかった。』と言うほど義兄にとっても唐突だったようだ。 【初七日の法要】を終え、会場の外へ出たら義兄が寄って来て『家に寄って行けし』誘われるまま妻の実家に向かう。そこにはもう多くの親戚が集まっていて、蜂の巣を突いたような賑わいだった。どの顔も何となく見覚えがあるが、果たして誰が誰なのやら確信が持てないので、挨拶もそこそこに余計な事は言わず末席を汚して来た。 今年八月に義弟(妻の実弟)の義父(義弟の嫁の実父)を見送ったばかりで、『これで親世代はみんな見送ったなー』と思っていたら、今度は急に自分達世代の番がやって来ているようだった。。。 親世代が先に行くのは順番だから、時期は別として予め予測はついているし覚悟も決まっていたが、自分達世代の番となると自分の残り時間が少ない事を自覚させられる。 帰り際、義兄の顔がすっかり痩せ細っていて心配になったが『俺はこの先、後30年、独りで生きて行かねばならない』の言葉を聞いて『この人は百歳まで生きるつもりらしい』すると、義弟が『百五歳になっちまうぞ』と茶化したが、私はその元気があれば心配は要るまいと思った。幸い、義兄の所は長女が居るのである程度は面倒を見てくれるものと信じている。暮れも押し詰まっての訃報にアタフタしたが、どうやら一件落着のようだ。この先は祝儀は孫世代まで当分見込めず、不祝儀が続くものと思われる。概ね、【訃報】は突然やって来るので毎回アタフタさせられる。
2023.12.22

八月下旬に愛車に異常が発生し急遽買い替える事にして、厳しい残暑の中をディーラー巡りしたものだった。 丁度その頃、【盲腸壁肥厚】に関連した検査やら何やらが重なり無茶苦茶忙しい思いをしたものだった。 【盲腸壁肥厚】⇒【大腸内視鏡検査】によって、【大腸(盲腸)癌】が判明し、11月5日から入院が決まっていた11月4日にディーラーから電話連絡で『11月6日に新車の納車が可能です。』と言う。 『ダメよー、ダメダメ。。。。。。ダメだって~~だって『明日から約二週間程度入院する事になっているから車を取りに行けません。退院するまで二週間位そちらで預かっていて貰えないかなー?』 『二週間位なら結構ですよ、当店で責任もってお預かり致します。』 『そう、悪いねー。でも預かり料を徴収すんじゃないの?』 『いえいえ、そんなもの頂きませんからご安心下さい。』 『そお・・・それじゃ悪いけど退院したら直ぐに引き取りに行きますので宜しくお願い致します。』 『承知致しました。お大事にどうぞ・・・ご連絡をお待ちしております。』と言う事で、退院したその日の夕刻に体力の落ちた身でディーラーに出向き新車を引き取った。 愛車で軽カーに乗るのは初めてだったが、前車との比較は酷だがそれでもなかなかの出来映えで、乗り心地も操作性もまずまず申し分ないものだった。 その後、凡そ三週間乗り回したが、快適な運転で納得行くものだった。ただ、カタログによる燃費と車載データによる燃費に大きな差があるようだ。 カタログでは【市街地走行時】で凡そ20Km/Lとなっていたが、車載記録では10.5Km/Lとなっている。 近い内に給油するので、その時に実車による走行距離と給油量から実際の燃費が算出されると思うが、長男に問い合わせしたら、『今の軽ならそんなものだよ。』と言う。 納得行かんのぉぉ・・・・・ この新車には【アイドリングストップ】がついているが、ネット情報によると、『アドリングストップによって、燃費は若干向上するものの、アイドリング中はバッテリーによってエンジンを回し続けるので、バッテリーの消耗が早まる』との事だった。 具体的には、アイドリング設定時と解除時の燃費比較やバッテリーの交換料の比較検討が費用だ。 装備はほぼほぼフル装備なのだが、慣れない所為もありまだ手の内に入ったとは言えないものの、乗り心地も申し分なくこれなら暫く乗り続ける事ができそうだ。【新車】【運転席の様子】【運転席からの視界】【フル・オートエアコン】【シフトレバー】【ボタンタッチ型パーキングブレーキ】【ハンズ・フリー通話】 後は、安全サポートの機能が公表通り作動するか否かだが、それを試す勇気はないので出来ればそういうシーンに出食わさない事を祈るのみ・・・・ この車の【安全装置】については、【Honda SENSING】(←外部リンク 別窓)をご参照願います。
2023.12.07

八月下旬に受けた【大腸内視鏡検査】によって【盲腸癌】が確認され、11月7日に摘出手術が施された。退院はその10日後だったが、術後三週間目に退院後初めての外来受診して、正確な病状・今後の治療方針等について具体的・詳細な説明を受けた。 先ず、病状については病理検査から【盲腸癌のステージⅡa】と宣告された。癌は発症した部位によって名前が付けられるが私の場合は、大分類は【大腸癌】、中分類は【結腸癌】、小分類は【盲腸癌】だそうだ。 現在に於ける癌の治療法は、主に、①手術療法、②放射線療法、③化学療法(抗がん剤)、④免疫療法の4つがあり、これらを【がんの四大治療法】と呼ばれているそうだ。 日本では、これまで手術ががん治療の中心にありましたが、近年は化学療法や放射線療法が進歩し、がんの種類やステージ(病期)によっては手術と変わらない効果が認められるようになってきたとの報告もあるようだ。 今回、私の場合は医師の勧めと私の判断によって【摘出手術】(⇒ゴールデン・スタンダード)を行った。 その後の造影検査、病理検査等によって、私の病状は【ステージⅡa】が確定したようだ。 次に、今後の方針だが、現状で肝臓や大腸の他部位にも転移は見られず、今回の患部は摘出しているので再発の危険性は無いようだ。 と、言うこ事で担当医から今後は、以下のようなスケジュールで経過観察をするよう要請された。【診察・血液検査】3年目までは3ケ月に一回。4、5年目は半年に一回。【腹部CT検査】 3年目までは半年に一回。 4、5年目は1年に1回。【大腸内視鏡検査】5年目まで年に1回。五年後までに異常がなければ寛解となるようだ。 そして、これらの経過観察は自宅近くのクリニックでもできるので、今後はそちらのクリニックを受診するように指導された。『この間に万が一の事態があれば当院(大学病院)が責任を持って対処しますからご安心下さい』とのお言葉を頂いた。 更に、今回の受診によって、入浴(バスタブ・イン)が許可されると共に、朝・昼・晩の三食毎に飲まされていた大量の内服薬(←これらの薬の大半は漢方薬だったので、とても苦く内服し辛かった)も種類が減らされ、朝食後だけで良くなり、気分的に相当、楽になった。 今後暫くは転移に注意を払う必要があるが、医師からは『恐らく、問題なく過ごせるものと思われます。』との説明だった。蛇足乍ら、【大腸(結腸)癌】の【ステージⅡa】の【5年生存率】は90.0%だそうで、ほぼ健康体の人と同じ程度の寿命になるらしい。当面、経過観察に通院せねばならないが、薬物療法や、放射線治療の必要はないようなので、気楽にのんびり仲良く付き合って行こうと思う。
2023.12.02
盲腸癌摘出の為、去る11月5日(日曜日)から隣町の某・大学病院に入院し、11月7日の8時から【腹腔鏡】による手術を受けた。 家族の待機が要請されていたので、妻に早朝から出向いて貰い、私が病室を出る所から手術室を出るまで院内の待合室で待機して貰った。 後日、妻に聞いた所、手術時間は当初の予定通り凡そ3時間30分程度だったようだ。 私は病室を出る直前に点滴で予備麻酔を掛けられ、手術室内で吸引マスクを装着された途端、深い眠りに入り記憶が一切無い。 経過時間は全く解らないが、次に目が覚めたのは手術室を出て直ぐの場所らしく『晴れさん、無事終わりましたよ』の声でゆっくりと目を開けると、目の前に妻の顔があって心配そうに覗き込んで来た。私も直ぐに妻を認識したのでストレッチャーの外柵の隙間から手を伸ばして妻の手を握りしめたが、直ぐにストレッチャーが動き出し感傷に浸る暇もなくICUヘ担ぎ込まれた。 全身麻酔の影響か、そこからの記憶は曖昧で朦朧・混沌とした夢を見ていた。時々眠りが浅くなって、夢と現実が交差して自分でも夢と現実の区別がつかないで混沌としていた。 例えば、夢の中でお茶を飲もうと手を伸ばして茶碗を掴もうとした時には、実際に自分の手が伸びて宙をまさぐっても掴めない事が不思議で納得が行かなかった。そんなシーンを何度か繰り返している内に段々意識が戻って、自分が今ICUに入る事がハッキリと認識できるようなった。そうなると、今度はICUの慌ただしさが気になって目玉だけを動かして周りの様子を観察していた。 二年前に心臓バイパスのステント留置処置の直後もICUに一泊した経験があったので、室内の様子は大体頭に入っていた。目玉だけを動かして右や左の様子を伺ったが、スタッフや医師が慌ただしく行き交っていてとても忙しそうだった。 少し慣れて来て寝返りを打とうとしたら臍周辺の腹筋が引きつって激痛に襲われ、『イテテテ、イテーー!!』『あっ、声が出ちゃった』(公文式学習塾のTVCM・BY 木村佳乃)素早く看護師が寄って来て『どうなさいましたか?』と聞いてきたが、『腹筋が激しく痛い』と答えるのが精一杯だった。『痛むのは手術の傷跡なので、暫くは痛みがあります。なるべく動かないようにジッとしていて下さい。』と言って立ち去ってしまった。此方としては、長時間同じ体勢で寝ていると【床ずれ】の恐れがあるし、動かずに同じ姿勢を保つのは拷問に近いものを感じていた。 昼近くになって痛み止めが処方され、ストレッチャーに乗せられて病棟の個室に移された。ストレッチャーからベッドへの移動時にはちょっと動く度に腹筋に激痛が走り、それは『大騒ぎ』だった。前夜は一晩中救急車の搬入が続き、ICUにも患者が運ばれて来てその都度ザワつくし、患者の中には看護師に大声で文句を言っている者もいたり、医師が患者の名前を大声で呼び掛けたりと、兎に角一晩中騒がしくてウトウトするのが精一杯だった。 病棟の個室に入った事で安心感に満たされ熟睡に落ちたが、この時も朦朧として夢と現実が頻繁に交差して物を掴もうとしては空振りするのを繰り返していた。自覚的には右手でキッチリ掴みに行っているのに、どうしても掴めないもどかしさで、フト、我に返り手先を握りしめて感覚の確認をしている内に、『これが【朦朧】って事なのか』と認識するようになった、その後も腹筋を使うような動作をすると激痛が走り、時と場合によっては大声で『イテテテテテ-』と叫ぶシーンもあった。その頃から看護師が頻繁に見回りに来てくれ、体勢を動かす時には数人掛かりで私の体を支えてくれたり、介助をしてくれたので声が出るような激痛は減少した。 術跡を確認しに来た看護師に聞いたら、【腹腔鏡】の穴は計5か所あるそうで、術跡周辺を指で軽く押さえ、場所を教えてくれた。一番痛んだのは臍の上下部と臍下の三か所で、何れも腹筋に力が入った時に引きちぎられるような激痛に襲われたが、それ以外の傷口に痛みは無く、激痛の原因は『きっと、腹筋を断裂された事によるものだろう』と推察・納得していた。その内、痛み止めが数時間置きに処方されたので、激痛の回数は徐々に減り救われた思いになった。その後、医者がやって来て『盲腸と上行結腸の一部を切除しましたが、傷口の回復状態を確認してから食事を摂って貰います。腸の動きを活発化させる為にも少しづつ、無理をしない範囲でなるべく歩いて下さい。』との指示が出された。 その後、医者や看護師たちが巡回の度に『オナラは出ましたか?』と聞いて来る。 そう言えば、小学校高学年時代に同級生が【盲腸】(今は、虫垂と言う)の手術を受けた時、医者から『オナラが出たら退院』と言われ、『オナラが出たので退院させてくれた』と言っていたのを思い出した。 手術二日前の夜から術後二日間は絶食で点滴だけだもの、オナラも出なきゃ便意も催さないでいたが、術後三日目の朝にガス放出があり、巡回して来た医師に伝えると『それでは昼食から食事を摂って貰います。最初は“重湯”から慣らして行きます。』との事で、丸四日間の絶食の後、ようやく胃に食物を入れる事ができた。この間も点滴の所為か、空腹感は全く感じなかったが、食事の許可が出た途端初めて空腹感を味った。 入院中の12日間は色々な出来事があって、ここに書き出せるものではないが、結論的に言うと大学病院と言うのは基本的に研究機関なので、総じて患者優先ではなく、医師も看護師も、言わば“見習い”が経験を積む為に日常を動かしているので、もの足りなさや不安を感じる事が多いものだった。 君たちの経験の為に私の生体を提供したのだから、医師も看護師もみんな患者を思いやる立派な一人前になってくれよな。 取り合えず、退院速報として記述させて頂きました。ご心配頂きました皆様方には心より御礼申し上げます。私は、【憎まれっ子世に憚る】の典型で、簡単には死にません。一部の人の期待を裏切り続けて来ています。私の生き方の邪魔をする者は全て跳ね返します。This is MyWay of life!!
2023.11.18

10年ほど前に地元の中核病院で【誕生月健診】を受けた。 その時に幾つかの不安要素が見つかり、『要・半年ごとの再検査』と指定されていて、毎年欠かさず半年ごとに受診していた。 その都度の受診内容や検査結果については過去の当該【晴れ晴れ日記】の中にも記して来た。 前回(2022年12月)までは、全ての不安要素共に『前回と変化なし』となっていたが、今年6月の検査時には【盲腸壁肥厚】⇒【要・精密検査】と指示され、隣町の某・大学病院を受診し、その2ケ月後に【大腸内視鏡検査】を受診した。 その結果、盲腸に【病変あり】⇒細胞切除・精密検査となり、後日更に【造影CT撮影】を受診した結果、それまで担当していた消化器内科の医師が『次回から消化器外科で観てもらいます。』と言う。 その瞬間、私は【盲腸癌】を悟ったが、医師からは明言が無いので敢えて『癌ですよね』と念押しをすると『手術で除去するのがゴールデンスタンダードです。』と、ここまで来ても病名の名言が無いままだった。 医師の明言が無いので、勝手に推察するに恐らく医師の口から【癌宣告】をすると極端に落ち込む人が居るらしい(以前は、中には自殺しちゃう人もいたらしい)のでそれを警戒しての事と思われる。 しかし、一方では着々と入院準備が行われており、【内視鏡検査】から6週間ほど後の外来時には病名の明言がないまま、具体的に入院・手術日程を知らされた。 即ち、11月5日(日曜日)に入院し、11月7日(火曜日)に手術との事。術後の経過が良ければ一週間ほどで退院できると言う。 私は、四十歳になった年に民間保険会社の【癌保険】に加入していて、彼是30年以上経つが、一年ほど前から『20年以上前に契約された【古いガン保険】は見直しが必要です』とのPRを受けてはいたが、何の根拠も無く『自分は癌に罹らない』と思い込んでいたし、『どうせ保険会社が儲ける為の宣伝だろう』位にしか思っておらず、放置していた。 巷では、屡々【癌家系】と言うのを聞いていて、勝手に『我が家は癌家系ではない』と思っていたが、・・・・『よーく考えよー・・・・』。 【癌家系】ではないと言っても私が知っているのは自分の両親・兄弟の死因だけで、曽父母・義曽父母の死因については知る由もないし、ましてそれ以上先のご先祖様の死因など知りようがない。←思い込みって、怖いですねー、怖いですねー・・・・ 振り返ると、亡き父の実家の甥っ子は三年前に急な癌発症から他界していたし、10年ほど前に他界した実兄は暴飲が祟り【食道癌】で他界していた。・・・・ガーン・・・・・←駄洒落ではありません。。。。。。何だよ、ウチって、モロ【癌家系じゃん】今まで何の根拠も無く『癌にはならない』と頑なに信じていたのが、根底から否定・ひっくり返されたのでR。。。。 ついでにと、ネット検索したら、最近の研究結果によると、【日本の総人口の凡そ1/2が癌に罹患し、総人口の1/3が癌で死亡している】そうだ。【大腸癌の具体的部位】【日本人の死亡人数の推移】【日本人の死因】【癌の罹患年齢】【部位別罹患数】【癌患者の生存率の推移】 【癌の罹患年齢】は50歳頃から増え始めるそうなので、心当たりの方は保険の見直しや早めの健康診断受診をお勧め致します。(HK ←話は変わるが・・・) これで私は、【日本人の三大成人病】を制覇した事になる。【三大成人病】悪性新生物(がんなど)、(←今回73歳)心疾患(心筋梗塞など)、(←58歳時、冠動脈バイパス手術)脳血管疾患(脳卒中など)(←44歳時=クモ膜下出血)のことだそうです。 厚生労働省が公開している「平成27年(2015年)人口動態統計(確定数)」によれば、日本人の死因順位の第1位は悪性新生物で全体の28.7%、第2位は心疾患で15.2%、第3位は肺炎で9.4%、第5位は脳血管疾患で8.7%となっています。つまり、三大成人病だけで日本人の死因の約52%を占めていることになります。 もはや、70歳以上になったら【癌】は当たり前の時代のようです。今回の件を親友に話したら『お前もスゲーな、死亡率の高い病気ばかり経験してんじゃん、よく生きてんなー、生命力が強いんだろうな』と笑われた。と、言うわけで11月5日(日曜日)より、最短で10日間程度の【禁固刑】に服して参ります。その間、【ネットサーフィン】もお休みいたしますので、悪しからずお願い致します。
2023.11.02

今年の夏は、異常な猛暑が異常な長さで続き辟易していた所、10月に入るや気温は日に日に下がり秋を通り越して一気に初冬の冷え込みまでになった。 9月の最高気温が、9月2日の34.9℃で、昨10月9日の最高気温が16.9℃だったので、絶対値だけを比べればその差は凡そ2倍の18℃であった。この一か月間で季節は三段跳びならぬ一足飛びとなった。2023年9月~10月の気温変化【9月の気温変動】10月の気温変動※ 気象庁のwebsiteより抜粋 振り返れば、今年の夏は梅雨明けと同時に猛暑が始まり、基礎疾患持ちの高齢の身には外出が憚れる状況で7月~9月の3ケ月間は散歩もままならず、いささか運動不足で体力の低下を自覚していたが、ここへ来てようく散歩が可能な気候になった。 人間の体感温度は凡そ5℃刻みと思われ、気温と着衣の関係を見ても概ね5℃単位で変化するようだ。【気温と着衣】の関係 久しぶりに近所の散策をしたら、幾つかの花や昆虫を見掛けたのでそれらの比較画像をアップします。【朝顔】の色々カラフル【コスモス】(菊科)【萩】(豆科)【百日紅(サルスベリ)】(禊萩=みそはぎ科)【秋明菊】(金鳳花科)おまけ・・・・【赤トンボ】と【シオカラトンボ】トンボは、安定よりも、不安定を好むようです。【ナミアゲハ蝶】と、【ツマグロヒョウモン】 地元とは言え、三か月ぶりの散策はそれなりに収穫もあり、何より良い気分転換になった。
2023.10.10

子供の頃から『暑さ寒さも彼岸まで』とは耳にタコができるほど聞かされて来たが、今年の秋はそれが非常に顕著となった。 それは、【天気図】の上からも明瞭で、彼岸前・後の秋雨前線の位置がそれを証明している。 この事は【気温】にも言えるようで、例えば【東京】の9月の気温変化を見ても、彼岸の入りを境に最高気温も最低気温も何れも一段(-5℃)程度の低下が認められる。彼岸・前後の【天気図】の比較【彼岸前の天気図】(2023年9月18日)【彼岸入り後の天気図】(2023年9月24日)東京の【9月の気温変化】 今日は、朝の内は曇天で気温も低めに感じ、天気予報では各地で『この秋一番の冷え込み』などと報道していた。 つい数日前までは、『日中の猛暑日、夜の熱帯夜に留意して、熱中症対策を』と促してたいたのは遠い過去の話のようになってしまった。 10時近くになって日差しも差し込み、気温も上がり始めたので、凡そ半年振りに地元・智光山公園・都市緑化植物園に足を伸ばして【花散歩】を楽しんで来た。『天高く・・・』【今日の秋空】この時期は、何と言っても【彼岸花】だ。【彼岸花】(彼岸花科)夏の名残の【ハイビスカス】(葵科)百日間咲き続けると言われている【百日紅(サルスベリ)】今が盛りの【シオン】(菊科)【トレニア】(胡麻葉草=ごまのはぐさ科)【藪蘭(ヤブラン)】(百合=ゆり科)【花園衝羽根空木(アベリア)】(吸葛=すいかずら科)【花虎の尾(ハナトラノオ)】(紫蘇=しそ科)涼し気なネーミングの【初雪葛(ハツユキカズラ)】(夾竹桃きょうちくとう科) 【小笠原気団(太平洋高気圧)】に変わって、大陸の【揚子江気団(乾いた移動性高気圧)】に覆われたので、気温が少々上がっても汗を掻く事も無く、爽やかな【花散歩】を満期しました。
2023.09.24

毎年、【秋の彼岸】前には妻の実家から律儀に【シャイン・マスカット】が届けられる。今日届いた【シャイン・マスカット】【シャィン・マスカット】の特徴※ ↑上記2枚の画像は、【JAフルーツ山梨】サイト(←外部リンク 別窓)より転用しました。 何せ、種無しの大粒で、皮ごと食せるので手軽で簡単に瑞々しいスィーツが味わえるのだから誰からも愛されるフルーツだ。 箱の横には英語で【HIGH GRADE】(高級品質)と書いてあると思い込んでいたが、確認したら【HIGH GRAPE】(高級葡萄)だった(←紛らわしい)。 つい、10日ほど前に【ニュー・ピオーネ】が届けられたばかりで、ちょうど食べ終わったタイミングだったので、暫くはデザートの用意は不要だ。【ニュー・ピオーネ】【ニュー・ピオーネ】の特徴※ ↑上記3枚の画像は、【JAフルーツ山梨】サイト(←外部リンク 別窓)より転用しました。 この【ニュー・ピオーネ】を冷凍庫で凍らせて食すると、まるで【シャーベットアイス】のようでなかなかイケル♪ 秋の果物では、皮を剝きさえすれば丸ごと齧れる【梨】が一番好きだが、この【シャイン・マスカット】も大粒で手ごろな甘さの上、種無しで皮ごと食せるので手間が掛からなくて大変重宝している。 市販品では、お値段もそれなりなので、私は買ってまで食する事は無いだろうが、妻の実家が栽培しているお陰で無料で戴けてこの上ない感謝の気持ちでR。。。 【旬の食材】を旬に頂く。 これは長生きの秘訣とも言われており、これほど美味しい旬の食材を旬の時期に取り入れないという手は考えられない。
2023.09.17

この度、丸10年間乗り続けて来た愛車を乗り換える事とした。【今度乗り換える事になった現在の愛車】【販売当時のカタログ】※ 画像は、ネットより転用。 きっかけは2019年4月に起きた、当時87歳の高齢者が運転する車による【東池袋自動車暴走死傷事故】でR。 この事故では、暴走した乗用車が赤信号の交差点に突っ込み、青信号で横断歩道を渡ろうとしていた当時31歳の母親と自転車の後ろに乗っていた3歳の女児が死亡し、運転をしていた高齢者を始めとする10人(運転者を除くと9人)が負傷するというセンセーショナルな交通事故であった。 この事故はその後、警察の詳細な調べによって、高齢運転者による【アクセルとブレーキペダル】の踏み間違いによるものとして起訴され、2021年に被告の禁固刑が確定している。 この事件を契機に世間では、高齢ドライバーによる運転操作ミスを原因とする交通事故が多発(多分に、メディアの偏った報道の影響もあろう)し、高齢者に【運転免許の返納】を促す風潮が強まった。 実際、これを契機に高齢運転者の免許更新制度が改正されている。 我が家でも、息子たちが私に対して『おとうさんも免許返納を考えたら・・・』と言い出した。 それでも私が頑として受け付けず無視し続けていたので、子供たちも私の免許返納を諦めたのか、最近は『サポカーに乗り換えな、近所を走り回るだけならあんな(クラウンみたいな)大きな車はいらないでしょ。ガソリンももったいないから軽にしなよ。』としつこく煩い。 私としては、公共交通の便の悪い【片田舎暮らし】には車が無いと生活が成り立たないと思っていたので、自覚するまでは今のまま乗り続けるつもりでいた。 そんな折、六月頃から運転席側の窓ガラスに汚れが目に付くようになり、洗車の度に一生懸命洗っても一向に綺麗にならないので先日、ディラーに相談したら、『これは汚れではなく、UVカット加工の処理剤が劣化して剥げ落ちた所為だと』言う。『ハア? そんな事初めて聞くぜー・・・』(←大いなる不信感) そして、『修理は不可能で、ガラス交換するしかありません。』との説明。(←トヨタのディラーは何時だって修理の選択肢がなくて大抵、簡単に『交換ですねー』と言い放つので気に入らない思いをしていた。)当方としては少々の汚れやUV効果なんて不要なので、そのまま乗り続けようかと考えていたが、汚れの面積がだんだん広がって視野・視界に影響が出そうなので思案していた所、ディラーから電話で、『ガラス交換に約6万円掛かります。11月に車検も控えていますのでこの機会に新車に乗り換えませんか?』と言ってきた。(←来た、来た。ディラーの常套手段) 『試しに幾つかの例について見積書を作成しておきますので、近い内にご来店願えませんでしょうか?』と言う。 以前の担当者なら用事がある時は向こうから我が家を訪ねて来たものだが、今の若い担当者に変わってからは、予約日の予約漏れや連絡漏れが屡々あって少し信頼を失っていたので、素直に『いいですよー』は言い難く、『その内でいーよー』と放置していた。 そもそも、前回の車検時にも同じ提案があって、その時は【下取り価格が80万円】だったので、『そんなアホみたいな金額で売れるかっ!俺はこの車が気に入ってるんだから、乗り潰すまで徹底的に乗り続けるから放っといてくれ!』と次の車検も受ける覚悟を決めていたので、私の頭の中に買い替えなんて【これっぽっち】も無かったのでR。 数日後、ディーラーから一通の葉書が届き、『次回の車検が11月▲日です。』と連絡して来た。 残り三か月か・・・・ちょっと話を聞くか。 となって、ディーラーを訪ねたのが8月8日(まんまと、ディーラーの誘いに乗ってしまった)。あれこれ説明を聞き、『少し、検討するから 2~3日余裕を頂戴。』と言うと『それがですねー、僕たち11日(=山の日の祝日)から盆休みに入っちゃうので、お返事は盆明けの18日以降にして貰えませんか?』(←ここでもディーラーの都合優先)と言う。(←何だよー、車を売りたかったら休んでいる場合じゃねーべ ←心の呟き) そうは言ってもお盆は国民的行事なので、こちらの我儘は通用しない。 仕方ないので、交渉中断し帰宅後、長男に経過説明したら、『ディーラーの下取り価格は幾らか?』と聞かれ、提示されている金額を伝えると『それは全然安過ぎる。下取りじゃなくて買い取り業者に一括見積を出させたら軽く数十万円の上乗せが可能だから、もし買い替えるなら先ずネットで【買い取り業者の一括見積】を取るべきだよ。そこで少しでも高く売ってその現金を持って別のディラーで軽を探せば必ず良い買い物が出来るよ。』と言う。 折からの盆休みでどこのディーラーも一般的な自動車販売店も休業だらけで、直接交渉は不可能なので、思い切って【ネットの一括見積】をクリックしたら、ものの10分も経たぬ内に電話が鳴り出し『査定させて欲しい』と言って来た。一通りのスケジュール打ち合わせを済ませ受話器を置くやすぐさま次の業者から問い合わせ。 そんな風に受話器を置く度に次々と連絡が来て面倒臭くなったので、 TVCM等で名の通った会社だけに査定依頼する事とした。 結局、その日は電話だけでも5本、メールが5~6通も来ていっぺんに忙しくなった。数日後に、日にちを変えて2社づつ呼び出して同時に査定をして貰ったら、査定に来た6社の値段は最低と最高で40万円ほどの差があった。『へえー。ネット広告ではこの手の話を何回か目にした事があったが、本当なんだー』と感心した。 その後、メールで問い合わせて来た業者の中から大手の業者をピックアップして問い合わせるとやはり、『直接査定させて欲しい』と言って面倒だなと思ったが、長男から『後の業者ほど、高い値段を付けて来るから粘り強く交渉するように』とのアドバイスを受けていたので大手の2社にだけ査定依頼したら、そのうちの一社が『これまでの最高価格は幾らですか?』と聞いてきたので、【オー▲・バッ▲▲社】の見積書を見せたら『オー▲・バッ▲▲さん頑張って、良い値段を付けましたねー』と言う。そして暫く丁寧に査定した後、タブレットを駆使して計算をして『オー▲・バッ▲▲さん(これまでの最高金額)よりも更に+2万円で買い取らせて頂きます。但し、買取車両は8月一杯に引き渡して欲しい。』と言う。 事前に自分の車と同じような条件の車について下取り価格をネット検索したら145万円~180万円となっていて、愛車の運転席側のウインドウ・ガラスの交換など細かな修復個所もあるので180万円は無理だと思っていたが、ほぼそれに近い線が提示されたので、査定立ち合いの疲れもあり、ここらで手を打つ事にしたが、結局、最初にディーラーが提示して来た額(=ネット情報の下限値)よりかは20万円以上高く買い取ってくれる事になった。(←それにしても、ディーラーの値段はあまりにも安すぎる額だった。) さあ、8月一杯で愛車を手放す事となったからには、次の新車を急いで探さねばならない。端より買い替えの意思などこれっぽっちも無かった所での急展開なので全く準備しておらず、大急ぎでネット検索したり、複数のディーラーへ足を運んで直接説明を受けたりを繰り返し、一週間がアッと言う間に過ぎた。猛暑続きの暑いさ中を走り回って大変疲れた。 年金暮らしの文無しには余分な金など無いので、今の愛車を購入する時には、 『歳も歳だし、次は人生最後の車になるだろうけれど軽だな』と決めていたので、次の新車の予算は【愛車の買い取り金額+車検代程度】の200万円以下の【K-CAR】と決めていた。 今時、軽とは言え、フル装備のサポカーの新車ともなると200万円では厳しかったが、私の生活圏内にある業者の一つ(ディーラー)が、正規の見積もり額よりも30万円ほど値引きすると言い、当方の予算内に入って来たので即刻購入予約を済ませた。但し、折からの【半導体不足】で納車は10 月下旬~11月上旬頃になるとの事だった。 さて、そうなると次は愛車を引き渡した後、新車の納期までの間の代車が必要になる。購入予定業者に交渉したら『8月一杯は予約で埋まっているので9月1日以降なら準備致します。』ウ~~ム。微妙な日程だなー・・・・思い切って、愛車の買い取り業者に事情説明したら、『そしたら、その隙間はウチで代車を出しましょう。』と提案してくれて全てが解決した(アッ▲▲さん、ありまと~~)。当面の【代車】【納車までの代車】※ 上記2枚の画像は、【ネット】より転用 結局、軽とは言え、クラウンのフル装備に近いフル装備のサポカーを購入することになった。【購入予定の新車】※ 画像は、【ネット】より転用 ハ~~ア、ついに軽に乗る身になっちまったか・・・・まあ、サポカーだから息子たちから煩く言われる事も無くなるだろう。。。。 今の愛車はフルモデルチェンジの発売計画の発表段階から気に入っていて、契約開始解除初日にディーラーに電話して試乗予約して即刻購入契約をした経緯もあるし、10年間乗り続けて愛着も未練もある。。。本心はまだまだ乗り続けたい愛車なのでR。。。 今日、昼過ぎに買い取り業者が訪ねて来て、【僕の愛車】を連れて行った。。。。。心に大きな穴が空いたような悲しい気分になった。。。。
2023.08.27
数年前に、海外の科学者の論文で【見た目の若い人は健康年齢も若い】(見た目年齢≒健康年齢)と言うのを目にした。 特段、長生きしようとは思ってはいないが、【若造り】が寿命に良いならと思い、【白髪染め】をしたり、【フェイスクリーム】を使って、【ほうれい線】や【目の下のたるみ】を目立たないようにする程度と、日々のストレッチや軽い筋トレなどを心掛けて来た。 私自身、中学生の頃には床屋で『高校生ですか?』と聞かれたり、20代前半頃には『30歳位に見えますね』など、若い頃から実年齢より老けて見られる傾向にあった。その当時は、『男は老けて見られるのは貫禄がある証拠だから、自慢できる象』とか言われていたので、『まっ、いーかー』などと考えていた。 還暦を過ぎた頃辺りから【白髪染め】をし始め、下半身の衰え防止を目的に週に三~四回、一回1時間程度の【散歩】や、【ストレッチ】や軽い【筋トレ】を続けて来たが、古希を過ぎた頃から肩痛や腰痛が生じ始め、それらの運動を控えるようになっていた。 一年ほど前に地元の植物園の散策途中で、休憩しようとベンチに腰を掛けたら先客がいて唐突に話し掛けて来て『失礼ですが、地元のお方でしょうか? お年は僕と同じ位でしょ?僕は今81歳です。』『ええええっっっっっ。。。。私、そんなに老けて見えますか?』・・・・ガーン また、それから数か月後には、仕事の依頼を受けた顧客宅で依頼主が『僕より先輩だと思うけど、お幾つですか?』『(昭和)25年生まれですけど・・』『それじゃあ、僕と同じ年ですねー』・・・何だよ、失礼な(←心の呟き) その少し後にも、やはり仕事の依頼主と打ち合わせしようと面会したら、会うや否やいきなり『僕は82になりましたが、貴方も同じ位でしょ・・・』『いえ、いえ。私はまだ72歳ですよー』・・・プンプンプン(←感情が顔に出るタイプ)もう、この仕事の話は無かった事にしましょう。。。。そして先月、通院先の待合室のテレビの前に陣取って見ていたら、同年配と思しき男性が隣に座って来て『失礼ですが、お幾つですか?』・・・・何だよ、この無礼者!!『私は73歳になったばかりです。』・・・何か、文句あっかー!!(←心の叫び)『ええっ。僕も同じですよー。僕よりも年上の方かと思いました。』・・・聞いて無い、ちゅーの(←心の呟き)こうして、忘れた頃にはデジャブーに遭遇している。どいつもこいつも、何故私の周りにはこんなに失礼な奴が多いんだろうか・・・ 下半身の衰え防止の為とは言え、老化の防止にはそれなりに努力して来たし、スマート・ジェントルマンとして若作りにも最低限の努力はして来たつもりなのに、他人の目には【実年齢】より老けて見えるようだ。 実際、【本厄年】の時に大病を患い、そこから【基礎疾患者】なり、年中医者通いしている身なので、自分自身の体力年齢は【実年齢+10歳】位とは感じていたが、見た目の若さは保ちたいと考えていたのに、どうやら他人から見た【見た目年齢】もそれに近いようだ。 こうなったらもう、【若造り】は無駄と諦め、ありのままに弱弱しくヨボヨボと生きようか?しかし、何ですねー・・・・【歳は取りたく無いものでR】※【参考資料】(←外部リンク 別窓)
2023.08.12

昨4日、夏休みに入っていた【孫たち】のお付き合いで埼玉県所沢市にある【ベルーナドーム(旧・西武球場)】に【西武 VS オリックス】のナイター観戦に出掛けた。 試合終了が22時近く、帰宅したのが23時頃だったので、今日、昼間に画像の取り込みを行った。 全ての画像を取り込み終わったと思いSDカードのデータをゴミ箱から削除したら、何故かパソコンに取り込んだ筈のデータが全て消去されている。 焦って復元を試みたが、復元ならず・・・・(涙)従って、今回の画像は全てネットから借用したものを掲載しておりますので、予めご了承のほどお願い申し上げます。【ベルーナドーム】の外観【スタジアム周辺図】 【スタジアム、案内図】【撮影スポット】※ 辛うじてスマホに保存されていた画像より この球場は西武鉄道・西武球場前駅と隣接している上、スタジアム直近にも駐車場があるので交通アクセスは非常に便利である。 今回は孫宅から相乗りで車一台で出掛け、スタジアム直近の駐車場に止める事が出来た。このスタジアムの入り口は、センター・バックスクリーンの後ろの一か所で、そこは、電車の駅前になっていて、鉄道利用者は徒歩2~3分でスタジアムに入れる。 一方、駐車場の方はスタジアム周辺の空きスペースを利用しているが、駐車場から入口までは数分程度と比較的近い。 昨日は、一部の座席以外の全観客に対して【蒼空ユニフォーム(非売品)】配布だったので、球場手前の【プレゼント引き渡し所】へ立ち寄り、最新の【ライオンズ・ユニフォーム】を受け取った。 すると今度は孫2号が『新しい帽子も欲しい』と言い出したので、入口手前にある【ライオンズ・ショップ】によって、帽子とグッズを買い求めた。入場時に配布された【ライオンズの新しいユニフォーム】ショップで購入した【ライオンズ・キャップ】 孫2号にすれば、これでもう満足度50%。。。。ご機嫌で球場内へ向かう。 ただし球場内へは、バックスクリーンの後ろ側から入るので、内野席までは長い距離を歩かねばならない。 今回は、ネット裏席に隣接した場所(セブン・イレブン、ダッグアウト・テラス席)だったので、入口から座席まで球場を凡そ半周近く移動せねばならず、腰痛持ちで下半身の衰えが激しい身にはフルマラソンを走った位(フルマラソンなんて、走った事ないけど)の疲労感を覚え、這う這うの体で座席に到着。 ホームベースからバックネットまで凡そ30mあるので座席から入口までの直線距離は凡そ160mと仮定すると、入口から座席までの移動距離は【球場内移動の推定距離】=160m(直径)×π(≒3.14)/2(半周)=160×3.14/2≒250mとなる。駐車場から入口まで凡そ200m歩いたと思われるので、車から座席まで凡そ500m近く歩いたものと推定される。【スタジアム移動ルート】【球場内全景】【ダッグアウト・テラス席】(外野席からバックネット方向)【座席前のテーブル】【試合前のフリーバッティング】【試合前のシートノック風景】 移動時の時刻は、夕日が傾き始める16時頃だっが、西日がきつかったのと移動に伴う運動で到着直後は汗が噴き出して止まらなかった。この球場は屋根付きではあるが、密閉されたドーム球場ではないので空調施設が無く、近年の炎暑には観戦するだけでも相当な汗を掻く事になる。 ハンディ・タイプの扇風機を持ち込んでいたものの、汗が落ち着いたのは試合開始から2時間ほど経過した20時過ぎの事だった。 試合は、五回裏にライオンズが一点を先行したが、7回に先発・平良から交代したリリーフが捕まり、2-1と逆転されたが、八回裏に中村 剛也が同点のソロホーマー、続く九回裏に九番・岸がセンターオーバーのサヨナラホームランを放って見事な逆転勝ちを収めた。【試合結果】 試合終了後、徒歩で駐車場まで戻った乗車時の車載温度計は33℃を表示していた。日差しの無い夜中の気温としてはやっぱり異常に蒸し暑く、歩いて来て体温上昇していたので、ここでも汗が引かずにタップリの水分を損失した。急いでカーエアコンを20℃設定で冷やして一段落した。(注)今回は当方のチョンボにより、使用した画像の内一枚を除き全てネットから転用(加筆)しました事をお詫び申し上げます。
2023.08.05

毎年、梅雨明けころから【蝉の鳴き声】が聞こえ始める。 今年の【梅雨明け】は、関東地方の場合、7月23日頃と発表されたが、実はその一週間以上前から夏空が広がり、気温も35℃近い日が続いていた。 報道では、その頃に都心部や関東地方の各地から『蝉の鳴き声が煩い』などと伝えられていたが、私の生活圏では(少なくとも私の耳には)聞こえていなかった。 昨夕、19時少し前頃突然『ツクツクツクツク~ ツクーツクー』と言う声が聞こえた。最初は、『珍しい野鳥だなー』と思って耳を澄ますとどうやらその鳴き声は【ツクツクボウシ】のように思われた。【ツクツクボウシ】 【参考資料(ツクツクボウシの鳴き声)】(← YOUTUBEより 別窓) 普通、ツクツクボウシの鳴き声は『オーシンツクツク、オーシンツクツク、オーシンツクツク、暑いよー、暑いよー』と聞こえるので、普通の泣き方ではなかったようだが、後半の『ツクーツクー』の部分は紛れもなく【ツクツクボウシ】のものだったので、昨日7月29日を【今年の蝉の初鳴き日】と認定する。 因みに、昨年(2022年)は7月31日に【ミンミンゼミ】が初鳴きしていた。 その前年の一昨年(2021年)は8月1日の【ミンミンゼミ】であった。【過去日記】(← 内部リンク 別窓)
2023.07.30

この日記では、一週間前の前回に、【百合の王様、ヤマユリ】(←過去日記 内部リンク 別窓表示)をアップしたが、その時に同じご邸宅のお庭には【カサブンカ】の蕾が大分膨らんでいたので、来週辺りは満開だろうと思っていていそいそと出掛けたら【ドンピシャリ!!】、ちょうど見頃となっていた。 競馬じゃないが、こういう予想が当たると実にテンションが上がり、機嫌も良くなると言うものでR。。。 ここで、【カサブランカ】の蘊蓄をネットから転用すると、【カサブランカ】 カサブランカ(学名と品種名称: Lilium ‘Casa Blanca’)は、オランダで改良されたユリ科ユリ属の栽培品種の一つ。 ヤマユリ、カノコユリ、タモトユリなどを原種とするオリエンタル・ハイブリッドの栽培品種の一つである。品種名称は、モロッコの都市の一つであるカサブランカ (西: Casablanca) に因んでつけられた。スペイン語で "casa" は「家」、"blanca" は「白い」を意味する。 カサブランカは1975年ごろアメリカで交配して作られ、オランダに渡って品種が固定された。オランダでは、交配したり固定した植物に都市名をつけることが多かったので、カサブランカもそれにならってモロッコ王国内で最大の(家々の壁が白い)都市の名前がつけられた。 純白の大輪の花を咲かせ「ユリの女王」と評される。日本での開花時期は6月~ 8月であり、花の直径は20cmにもなる。栽培は比較的難しいが、植付け1年目には開花することが多い。日本での植付け期は、秋季の10月~11月(以上、Wikipediaより)。 一方、カサブランカはその芳しい香りとあふれる気品から「ユリの女王」とも称される純白大輪のユリ。堂々とした佇まいは、まさに女王の名にふさわしい迫力のある花姿です。カサブランカはユリの中でも「オリエンタル・ハイブリッド」というグループに属します。「オリエンタル・ハイブリット」とはヤマユリやカノコユリ等、日本原産のユリを元に作られたユリの品種群のこと。洋のイメージの強いカサブランカですが、実は日本のユリの血も引いているのです。カサブランカの花言葉は「祝福」。上品で存在感抜群のカサブランカ。お部屋を彩るほかにも、お祝い事の贈り物としてもいかがでしょうか【以上、Jp-Farmers.comより】(←外部リンク 別窓表示)。 純白の花弁に、ワインレッド(真オレンジとも言うようですが)の大きな雄蕊が特徴的で茎高も1m~2m近くにもなるので大変見応えがある。【今年のカサブランカ】(2023年7月15日撮影)【全体像】【横顔】【正面】【接近】【百合の王様(ヤマユリ)】と、【百合の女王(カサブランカ)】の競演E~ネ、E~ネ・・・・今年も会えて、『余は満足じゃぞ・・・・』 その他、昨日出会った花たちを幾つかご紹介いたします。【ヘメロカリス】(百合科) ヘメロカリスは初夏から夏にかけて次々と花を咲かせる多年草で、日本にはニッコウキスゲやノカンゾウ、ヤブカンゾウが自生し、古くから親しまれています。暑さ寒さに強いうえ、土壌もあまり選ばず、植えっぱなしでよく育ちます。「デイリリー」の英名どおり、花は一日花ですが、1本の花茎にたくさんの花を咲かせ、何本も立ち上がるので、長期間花が楽しめます。開花盛期は主に6月から7月ですが、5月から咲く早生品種から8月に咲く晩生品種まであります。園芸品種は2万以上あるといわれ、花色、花形、草姿などさまざまです。午前中の花が美しいです。【擬宝珠(ギボウシ)】(百合科) 開花時期は、 6/10 ~ 7/20頃。 夏、涼しげな色で咲く。葉っぱは幅広で大きい。橋の欄干の上にある、玉ねぎをさかさまにしたような装飾物が「擬宝珠」。 この花のつぼみがこの「擬宝珠」に似ていることからこの名になった。【秋桜(コスモス)】(菊科) 秋の代表花だが、早いものは夏のあいだから咲き始めている。早咲き遅咲きあり。外来品種だが、日本の風景に合っている。 「秋桜」の字は、主に秋に咲き、花弁の形が桜に似ているところからの和名。パステル・オレンジ色が涼しげな【凌霄花(ノウゼンカズラ)】(凌霄花科) 開花時期は、 6/25 ~ 9/15頃。中国原産。オレンジ色の派手な花。つるでどんどん伸びていき、いろいろからみつく。とても寿命の長い木で、豊臣秀吉が朝鮮半島から持ち帰ったといわれるものが金沢市にまだ健在らしい (樹齢400年以上・・・)。古名の「のせう」が変化して「のうぜん」になったとも、「凌霄」の音読みの”りょうしょう”が変じて「のしょう」になったともいわれる。「凌霄花」は漢名からで、「凌」は”しのぐ”、 「霄」は”そら”の意味で、つるが木にまといつき天空を凌ぐほど高く登るところから、この名がついた。【百合薊(ゆりあざみ=リアトリス)】(菊科) 葉っぱは細い。茎はまっすぐに立つ。夏から秋にかけて茎の先に開花。もじゃもじゃの白やピンクの花。上の方から咲き下る。【金柑 (キンカン)】(蜜柑=みかん科) 中国原産。1826年に、中国の商船が遠州灘(静岡県沖)で遭難し、漂着して清水港に寄航した際に、船員が、助けてくれた地元の人に砂糖漬けの金柑果実をプレゼントし、そのタネが育って、日本で広まった。7月頃に花が咲き、8月頃までに実ができる。実の表面はスベスベ。冬頃に黄色くなる。実のサイズは、みかんの小型タイプ。皮がついたままでも食べられる(よく洗ってから食べましょう)。柑橘(かんきつ)系のいい香り♪のどあめとしても使われる。薬効=せきどめ、解熱薬用部位=実「金」は実の色から。「柑」は「柑子(こうじ)」でみかんの古名。「金橘」とも書く。・別名=「姫橘(ひめたちばな)」
2023.07.16

毎年この時期になると所々で百合の甘~い香りが漂って、辺りを見回すと大抵【ヤマユリ】か、【カサブランカ】が咲いているものです。 自宅近くにの某・豪邸の庭先や家庭菜園の片隅などに植えられており、間近まで接近できる。【ヤマユリ】は、日本原産で見頃は7月下旬から8月上旬のわずか1週間ほどです。直径20cmを超える大きな花は優美さと品格があり【ユリの王様】と称えられています。白い花びら、黄色い筋に紅色の斑点という華やかな色彩と山野に漂う甘い香りが多くの人を魅了します。一方の、【カサブランカ】の花期は、6月~8月頃で、【ジャパニーズハイブリッド】とも呼ばれ、日本から輸出されたタモトユリがオランダで改良された栽培品種だそうです。 うつむきかげんに大きな花を咲かせ、花の内側に小さなつぶつぶがあり、花粉は大きくオレンジ色をしています。【ヤマユリ】も【カサブランカ】も香りが強く、近づいて嗅ぐと眩暈がしそうな位でR。本日、撮影した【ヤマユリ】 これまでの所、近所では未だ【カサブランカ】を見掛けていないが、代りに【鬼百合】が咲いていた。 【鬼百合】と、【小鬼百合】は大変よく似ていて、花を見ただけでは区別が付かないが、大きな違いは、鬼百合には茎の葉の付け根に【ムカゴ】があるのに対し、小鬼百合にはその【ムカゴ】が出来ないそうだ。【鬼百合】【鬼百合のムカゴ】 この他、今日出会った花たちを掻い摘んでご紹介します。【ムクゲ】日章旗を連想させる【標準的な花】【純白種】【ピンク花】 【向日葵(ヒマワリ)】も見ごろのようです。【ガウラ】おまけは、夏の蝶【ツマグロヒョウモンの♂】 週間天気予報によると、今週は関東からに日本各地で晴れの日が続くようで、週明け以降、順次【梅雨明け宣言】が発出されそうだ。♪怖い、怖いは熱中症~(【ポカリスエットTVCM BY 吉田 羊 & 鈴木梨央】)(← 外部リンク 別窓)クワバラ、クワバラ・・・
2023.07.09

梅雨の中休みの晴天で朝から日差しが強く暑い。 下の天気図に示すように、【梅雨前線】は北上していて、朝鮮半島付近にある為、日本列島は広く【太平洋高気圧(小笠原気団)】に覆われ、ぼほぼ全国的に晴れていて気温もグングン上昇しているようだ。【今日の天気図】【今日の各地の最高気温】 6月29日、15:20現在の全国一の最高気温は、【静岡県静岡市駿河区】の35.8℃、他も関東以西の各地で35℃前後の真夏のような暑さになっているようだ。 関東地方は【空梅雨】気味とは言え、日々の天気は梅雨時らしい曇天ベースで、時々日差しが射せば雨も少し降る変わり易い天気が続いている。 東京地方の6月の降水量は、6月1日、2日は台風2号の影響で大量の降水量となったが、それ以降は極端に雨量が少なく、6月6日~6月24日の降水量は例年のこの時期の凡そ50%程度の少なさであった。 今日は朝から強い日差しが照り付けているが耐えられないほどの暑さではないので、久しぶりに【花散歩】に出掛けた。【今日、出会った花たち】【クチナシの花(八重咲き)】(茜(あかね)科【ムクゲ】(葵科)【アメリカン・ブルー】(ヒルガオ科)【ハツユキカズラ】(夾竹桃=きょうちくとう科)【穂咲下野(ホザキシモツケ)】(薔薇科)【熊葛(クマツヅラ)】(熊葛科)【桔梗(キキョウ)】(桔梗科)【花魁草(オイランソウ)】(花忍=はなしのぶ科)【薮萱草(ヤブカンゾウ)】(百合科)【ポーチュラカ(別名=松葉牡丹)】(滑り莧=すべりひゆ科)【泰山木(タイサンボク)】(木蓮=もくれん科)(蕊の付け根の赤いリボン?テープ?のようなものが目印)【合歓の木(ネムノキ)】(豆科) この花に出会うのは、何年ぶりだろうか? 【合歓の木】は、樹高が10mほどもある大木で、緑の葉の先端付近にピンク色の花がたくさん咲いていたので遠目でも気が付くほど目立っていた。
2023.06.29
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