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高校時代の淡く好意を抱いていた仮称A君の話がつづくかもしれない、と書いてはや半年…それからどうなったのか…彼とは手紙のやりとりもよくしていた今も手元に何通か保管してあるでもそれは、ラブレターというものではぜんぜんなかったま、今でいう「メール」ですね電話で言いにくいことも、ちょっと格好つけて書いてみたいことも伝達手段が他になかったもん…今あるのは、大学に行ってからのものばかりなので、高校時代にも、確かにやりとりしていたけど、現物がないでもはっきり覚えているのは、彼に好きな子ができて、「○○に告白する。 当たって砕ける覚悟。」という内容の手紙をもらったこと。(長文だったと思う)私のことを嫌いとか関心がないなら、普段からの付き合いもないだろうこういう内容の手紙を書いて渡すこと自体、「気の合う友達」程度には好意をもってくれている、でもそれは、異性としての恋愛感情ではないということが、はっきりとわかってしまった。じゃぁ、それでいい。私も恋愛対象として見ない、友達としてつきあっていく。そう決めた。そしてA君は、○○さんには当たって砕けた様子だった…それぞれ別の大学に行って、電話もすぐにはなかったし、あっても電話代が高くなるしそうそうは使えない手紙はここでも活躍する。年に2~3回は、会って話をしていた程度。オススメの演奏会があれば、新幹線約1時間の距離も乗って行ったしもちろん、私の部活の定演にも毎年来てくれた。彼はお酒に強く、いくら飲んでもまったく酔わなかった音楽活動やバイトで新境地を開いてどんどん自分の道を進んでいる、それをただ、ふ~んと距離をおいて見ているだけ、だった。最後に会ってから十数年の月日がたとうとしている「結婚したら知らせろよ」と言っていたから実家にハガキを送ったが、それ以来、連絡はとっていない。友人にきけば消息もわかるが、それもしていない。今は会う必要もない。会う時がくれば、また笑って会える友達。 だと思う。今回、手紙の束を見て、彼だけでなく、大勢の友人たちとの手紙がたくさんあって、驚いた。まさしく「メール」感覚だった。これは、ちょうど20歳の春にA君からきていたハガキ いかがお過ごしのことでしょう こちら××も あちこちで 愛らしい桜の花が 咲き乱れています 貴女のところにも 春は届いたでしょうか。もちろん手書き 細く女性のような字… メール感覚でありながら、メールにはない奥ゆかしさもありました。。…で、そういうことを思い出しながら回顧していたのはこの曲 「思い出を盗んで」/オフコース(1977) 試聴
Oct 16, 2007
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まったく片思いで終わった話なので…スルーしたい人はしてください高校の頃の思い出。部活が同じで知り合ったA(仮称)。電車通学で、同じ方向だったのでよく一緒に帰っていた実は、中学も同じだったのだけど、同じクラスになったこともなくその頃はよく知らなかった部活が同じといっても、高1の時は話をしたこともなかった。2年になり、部活の運営を中心に行なうようになってから、全員と気持ちが接近するようになっていった高校は駅までずっと繁華街を抜けて通学していたので帰りに、いろんな喫茶店に立ち寄ったし(2人だけでなく、仲間数人でが多かったかな)城下町だったので、お城の周りの公園もあり大体、お城周りはデートすると別れるという話が多いけど…デートではないけど、回り道して喋りながら帰るのも楽しかった電車も含め片道1時間近くの通学も、ささやかな楽しみでした入学祝で買ってもらった腕時計、(電車通学だったから必需品でした)SEIKOのソシエ、黒地に金の文字盤、黒のベルトのお気に入りを「お前の時計かっこええからちょっと交換せぇへんか」と言われ強引に持っていかれたのも、半分うれしかったり。Aはどんな音楽が好きだったか覚えてないけど、私が好きだったオフコースのカセットテープを、ありったけ貸してやったのは覚えている。小田さんの切り抜きをカセットレーベルとして入れていたのをゴリラの写真に替えて返されたのには泣きました。Aは、女友達の多い人で、私なんかはその他大勢だと思っていたから淡い恋心を抱いていても、絶対うちあけることはできなかった「心をうちあけてしまいたいけれど あなたが消えてしまいそうで」これは細坪さんの『雨の音』という歌ですが…当時はこんな歌、まだ存在してなかったけど、まさにこんな気持ちを重ねてきいてしまう。長電話もしょっちゅう、何を話したか全く覚えてないけど、「友達」として、つきあってくれてるんだ。異性として好きだという部分を感じさせたら、去っていってしまう、ずっとそんな気がしていた。男ならこんなことができるのにな…というような愚痴を話したとき、「それは男か女かは関係ない」といつも諭してくれる人だった何かそういう目で物事を見ている人だった。クリスマスに校内で催すイベントに、音楽バンドを募集して何組か出ることになっていて(学校の講堂で)にわか高校生バンドだったけど、Aもバンドを組んでいた。私に「キーボードで入ってくれへんか…」と誘ってもらったけど、部活の方も、イベントと同時期にとても大事な演奏会を控えていたので両方を真剣にはとりくめないと思って、バンドの参加のほうは、断った。彼のバンドの持ち歌の中に、オフコースの「思いのままに」があったこれは『LIVE』という、1980年2月の新宿厚生年金会館での演奏で間奏というのか、一旦終わりかけたと思わせて、ベース音が続き、ドラムとエレキGのアレンジがとてもかっこいい1曲。(82年の武道館ではやらないよ)私が貸したテープを、彼がすごく気に入って選んでくれたのはうれしかった誘ってくれたのに、一緒に演奏できなかったのは残念ではあるけど自分で決めたことだから、後悔はしてない。でもこの曲をきくと、当時のことを思い出すんだ… 試聴(つづく・かもしれない…)
Mar 11, 2007
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Tokiさんのブログで、学生向けワンルームマンションの内装のリフォーム・クリーニングのお仕事を拝見していると、自分が学生だった時のことを思い出してしまった。卒業・入学… 今まさにそんな旅立ちの季節ですね私も下宿に住んでいた。大家さんが1Fに住み、2~4Fを学生向け賃貸アパートとしてリフォームされて、ちょうど新築されたばかりの物件だった。一人暮らしをすることに、母親は特に心配していたが、大家さんが下にいらっしゃるし、こういう所が安心かもしれないねと実際見て、納得して決めた。1部屋と小さいキッチン・バス・トイレ付きの、川沿いのアパート。他の物件をあまり色々見て回ったわけではなく、なんとなく直感で、ここでいいな、という感じだった。入学してまもなく、ギター・マンドリンクラブに入部して、(高校時代の話がとんでるけど、まぁ許してください)ある日「新入生にあなたと同じ下宿の人がいるみたいよ」と誰かにきかされた。そういって、挨拶してみた、初対面の男子だった。驚いたことに、同郷だった。でも高校が違っていたし学部も別だったので、初顔合わせだった。なんと、それも、部屋の位置もちょうど上下階だった。向こうもビックリしていた。このように、全く偶然だったわけだけど、クラブの先輩からは「なんでおまえら同じ下宿の上下なんだ?!」と後々よく不審がられた。クラブの部室があった棟から下宿までは、自転車で30分ぐらい、私にしては、結構遠かった印象がある。練習も週2回の合奏に週1回のパート練習があったが、(演奏会前になると毎日)新入生で、少しでも早く上達したいから毎日のように行っていた。早く上達したいから…半分は本当だが、ここに来れば誰かいる、という自分の安らぎの場所になっていたから。彼はギターパートで、その年のギターには下宿生がたくさんいて当然、皆、夕飯は外で食べるようになり、私も半分自炊・半分外食というような生活を送っていた。夕飯を大勢で食べに行くのが楽しみになっていたし。部室に戻ってきて、また少し練習したり、帰るのが夜遅くなる。下宿の同じ彼と、自転車で一緒に帰ってもらうと安心だった。1年間、そうして帰る日が多かった。でもお互い、何の恋愛感情もなく、何のロマンスも生まれなかった。(期待した…?・笑)2年になると、私が原付を買って、それで登下校するようになったので、もう一緒に帰ることもなくなった。外から見て、部屋の電気がついてなければまだ帰ってないな、とか今誰か来てるなとか、そういう気配は感じ合っていたけれど、お互い干渉し合わず、それで過ごしやすかったのかどうか、2人共、その下宿を変わることなく、4年間お世話になった。進路はそれぞれ違い、その後何かのOB会で会ったかもしれないけど、それでももう十数年会っていない。年賀状のやりとりだけは続いている。彼もがんばって生きているようだ。
Mar 5, 2007
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