はた坊のブログ   家庭菜園を始めて21年目に(菜園に専念に)なりました

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2023.01.21
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畑の近くの池の木

これは 松なり

松は まっすぐに 育たない

まあ まがって 曲がって まがりくねるものだなあ

針金で固定すると 盆栽にもなる

それにしても 曲がり具合が微妙に複雑な形を作っているなあ

おもしろい 形の木が おおいなあ 見るのも 楽しいものだなあ















ダグラス・マッカーサー     お勉強  その 085

主導権争い


ウィリアム・ランドルフ・ハーストは、
自分が経営するハースト・コーポレーション社系列のサンフランシスコ・エグザミナー紙で
「マッカーサー将軍の作戦では、このような事はなかった」
などと事実と反する記事を載せ、
その記事で
「マッカーサー将軍は、アメリカ最高の戦略家で最も成功した戦略家である」
「太平洋戦争でマッカーサー将軍のような戦略家を持ったことは、アメリカにとって幸運であった」
「しかしなぜ、マッカーサー将軍をもっと重用しないのか。そして、なぜアメリカ軍は尊い命を必要以上に失うことなく、多くの戦いに勝つことができる軍事的天才を、最高度に利用しないのか」と褒めちぎった[205]。
なお、
マッカーサー自身は
硫黄島と沖縄の戦略的な重要性を全く理解しておらず

「これらの島はどれも、島自体には我々の主要な前進基地になれるような利点はない」
と述べている[7]。

この記事に対して
多くの海兵隊員は激怒し、
休暇でアメリカ国内にいた海兵隊員100人余りが

編集長に記事の撤回と謝罪文の掲載を要求した。

編集長は
社主ハーストの命令によって仕方なくこのような記事を載せたと白状し、
海兵隊員はハーストへ謝罪を要求しようとしたが、
そこに通報で警察と海兵隊の警邏隊が駆けつけて、一同は解散させられた。

しかし、この乱入によって海兵隊員たちが何らかの罪に問われることはなかった[205]。
その後、
サンフランシスコ・クロニクル紙が
マッカーサーとニミッツの作戦を比較する論調に対する批判の記事を掲載し、
「アメリカ海兵隊、あるいは世界各地の戦場で戦っているどの軍でも、アメリカ本国で批判の的にたたされようとしているとき、本紙はだまっていられない」
という立場を表明して、
アメリカ海軍や海兵隊を擁護した。

ちなみに
サンフランシスコ・クロニクル紙の社主タッカーの
一人息子であった二ヨン・R・タッカーは
海兵中尉として硫黄島の戦いで戦死している[206]。

1945年4月12日に
ルーズベルトが死去すると、
さらにマッカーサーは激しく自分の権限強化を主張した。

ジェームズ・フォレスタル海軍長官によれば、
マッカーサー側より
日本本土進攻に際しては海軍は海上援護任務に限定し、
マッカーサーに空陸全戦力の指揮権を与えるように要求してきたのに対し、
当然、
海軍と戦略爆撃軍は激しく抵抗した。

マッカーサーは海軍の頑なな態度を見て
「海軍が狙っているのは、戦争が終わったら陸軍に国内の防備をさせて、海軍が海外の良いところを独り占めする気だ」
「海軍は陸軍の手を借りずに日本に勝とうとしている」
などと疑っていた。

結局
マッカーサーの強い申し出にも
ニミッツは屈せず、
マッカーサーはこの要求を取り下げた[207]。


はた坊





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最終更新日  2023.01.21 00:00:10
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