ヘンリーの国際関係学

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April 5, 2004
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海南 友子さま

お久しぶりです。
ドキュメンタリーのお知らせを拝見させていただきました。

僕が感じた感想を書かせていただきたいと思います。
ところどころ不愉快に感じるかもしれませんが、言われるがままに「はい、そうですね」と言うのはできませんし、こういう考え方だってあるんだ、って言うのを伝える事がとても大事なことだと心から感じる人間なので、最後までお付き合い下されば幸いです。 とはいえ、もちろんこの問題を無視するつもりも軽視するつもりもありませんので、その点は御安心ください。

>◇日本の大量破壊兵器!◇
>フセインが国内で化学兵器を使ったことは盛んに非難されていましたが、ニッポンは、
>それとまったく同じことを中国でして、そのまま放置し続けてきました。


とはいえ、実は、国際法的には1925年に毒ガス等の禁止に関する議定書が署名され、28年に発効しています(日本の批准は1970年)。「じゃあ、ニッポンは悪い」と考えるならば、暗に我々は「国際法は絶対に正しい」という考えに支配されていることに気付いていません。各国の文化などを無視して「西欧的思想が絶対的である」というCultural Violenceを行っているのです。

「Cultural Violence(文化的暴力)」とは「直接的暴力を除去するためには法律による規制が必要であるという命題を正当化しようとする言説」のことで、言い換えれば「文化的暴力は直接的暴力・構造的暴力を正当化・合法化しようとするもの」です。例えば、搾取の存在を覆い隠すような「経済学」、国家の経済の介入を基礎付ける「ケインズ理論」など。

…こんな風に言い続けると「日本軍万歳」みたいですが、そんなことはありません。「自分が正しくて、相手が間違っているに決まっている」という考え方を僕は受け入れられませんから、とりあえず両者を正当化してみて同じ立場にさせてから、客観的に比較しようと試みているだけです。

僕の結論は「放置し続けるのはアカン」というものです。いつの時代も必要以上の苦痛を与える兵器はいけません。それが残り続けるなら尚更です。


>◇どこに毒ガスが捨てられているのかわからない◇
>『私たちはこれからもこの町で生きていかねばなりません。
>いったい、どこにどのくらい捨てたのか、
>とにかくそれを教えてください。平和な時代に、子供や孫たちが同じ被害にあわずしたいのです。』
未来に向かっての言葉、「No more」の考えには激しく賛成します。「恨み」「復習」は何も生み出せません。そこには「Violenceの連鎖」「Conflictの連鎖」があるだけです。「Remember パールハーバー」にはリベンジが、「No more ヒロシマ」には未来があるという話を聞いた事がある気がします。


>☆現在進行形の戦争被害☆
>時々、『過去の戦争は自分には関係ない!』という人がいますが、遺棄してきた兵器で、

>『私たちに関係ない』といえるでしょうか?
「私たち」ってどんなカテゴリーなんでしょうか?「人間」?「日本人」?
国家や民族というカテゴリーでしか戦争を見ないとすれば、何も素晴らしいものを生み出せないと僕は思います。後述しますが、僕は「日本人」としての立場からは「無関係だ」と断言します。

>もし、あなたが逆の立場で、突然、住んでいる町内から外国の軍隊が60年以上前
>に捨てた毒ガスが見つかって、それで取り返しの付かない被害にあったとします。

>だから関係ないと、その国の人々が言ったなら、
>あなたはどんな気持ちになるでしょうか?
ぶつける相手がいないから、心情的にはそうなるのかもしれません。でも、それは僕の責任ではありません。殺人者の子も殺人者なんですか?過去ですらないんです。何の責任があるんでしょう?血を引いていること自体が罪なのですか?
ちょっと無茶な責任の押し付けにしか聞こえません。国家の責任といっても、「国家」は実態のない概念ですし。

>☆イラクの大量破壊兵器より、日本の大量破壊兵器の処理を!☆
賛成です。まずは身近なことに目を向けるべきだと思います。僕らはついつい派手で「格好いい」海外の事にばかり目を向けてしまいますから。

>☆出会ってしまった私にできること
> 小さな情報が新しい次の被害を防ぐことになるかもしれません。
こういう考え方、つまり未来の為に動くことって本当に素晴らしいことだと思います。是非転送ではありませんが、ホームページで公開したいと思います。

>『あんな苦しみは私たちだけで十分です。他の誰にも味わってほしくない。』
このために動くには何をすればいいでしょう?
責任の所在を明らかにすることでしょうか?それはちょっと遠回り過ぎないでしょうか?最終的にそういう結果になることは大いに賛成です。しかし、「No More」の実現こそが被害者の望みなのです。
『私たちは関係ない』という主張をすることに関して、僕は「日本人」としての立場からは「無関係だ」と断言させてもらいます。責められても相手にしません。滅多に怒らない僕でもキレるかもしれません。
でも「一人の人間」としての僕は見過ごすことなんてできやしません。何とかしたいと心から思います。こういう風に考えていくことでしか、彼らの問題は叶えられないのではないか?とさえ思います。
『日本人の悪業』を非難するのではなく(そこには別の意図が隠されていると思って間違いないと思います)、交流の中での悲痛なメッセージとして発信すれば、今頃もう少し位は歴史問題も冷静に議論できているのかもしれないなぁ、と考えるのは非論理的ですか?

僕はカテゴライズが非常に危険な『思想』だと考えています。
「パレスチナ人だから」
「アメリカ人だから」
「日本人だから」
「イスラム教徒だから」
「原理主義者だから」…

そこにいる一人一人には目を向けずに、非難の対象としてしまうから。でも、そこには一人一人が居るんです。
僕は毒ガスを撒いたことがありません。それでも殺人者として謝罪するんですか?

未来のために行動はできても、いわれのない過去の為に謝罪から始まる行動はできません。ごめんなさい。





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Last updated  April 6, 2004 03:24:59 PM
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