キオクの断片ノート
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『諸君』2005年1月号では、小津安二郎の陣中日誌が65年間の封印を解かれ、公開されている。小津は、1937年9月召集、近衛歩兵第2連隊に所属し、39年7月除隊となるまで、軍曹として華南方面の作戦に従事した。小津は、映画のことが頭から離れず、戦闘のさなかにおいても映画のことを考えていた。「戦地にライカを持つて行つてゐたので、何かにつけて帰るまでに千枚程無暗と撮つた。長い間の身についた意欲はある程度みたすことが出来たわけだが、いい場面でも音と切離せない複雑な場合に出会ふと、頭の中や、手帳にとめておくだけで、残念だつた時も数多くあつた」「(砲弾の―引用者注)金属の羽が空気を截るあの特別な音が近づくと黒い一抹の煙のやうに花の上を通るのが見えた。と思ふとばらば沢山の杏の花が散つた。これが何度も起るのを見てゐて、これは使える、兵隊を一人も画面へ出さないで、迫撃砲の音と、光りながらこぼれる杏の花とだけで出せば面白いと思つた」「機関銃が私達を狙つた時は、まづ前面の土をぱつぱつとはねかして小さい土煙りがまたたくうちに近づいて来る。これが映画にどうすれば出るだらうか」(以上、小津安二郎「戦争と映画雑筆」『中央公論』54-13、1939年12月)もし小津が戦争映画を撮っていたら、どのようなものになっただろうか。それに関して、小津は次のように述べている。「山中君(山中貞雄―引用者注)が生きてゐればどんな戦争映画を撮つたであらうか。実際上の困難な条件や制約を顧慮して、田坂具隆君の作品に例をとれば『土と兵隊』より『五人の斥候兵』により近く、大部隊の行動を追はず、小部隊を何処迄も追求してその全貌を示したに相違ない。 私が戦争映画をもし作るにしても同様であらう」(同上)公開された陣中日誌には、映画作りのためのネタ帳(「撮影に就ての≪ノオト≫」)が含まれており、「小部隊」での兵隊たちの日常が切り取られている。小津映画の登場人物のセリフが聞こえてきそうだ。いくつか面白いものを引用したい。▲映画館(南京)上映中皆笑ふ。半畳が入る。 返事がない。場内静になる。男出て行く。また元の騒然となる。▲出発。坊さんの兵隊に云ふ。 ▲クリークの水で飯を焚く。釜に水を張つて▲▲犬をつかまえてくる。後日。小津の戦争体験については、以下の本でも述べられているようだから、今度、調べてみよう。【楽天ブックス】完本小津安二郎の芸術今日は、久しぶりに『東京物語』を観てしんみりしよう。小津安二郎 DVD-BOX Vol.1【楽天野球団】
Dec 6, 2004
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